悪い冗談であってほしい・・・

ここ最近、シングルイシューばかり書いているのはどうか、と思いながら、やはり今日もあの話題。まずは新聞記事からどうぞ。

『厚生労働省は22日、障害者自立支援法の改正について、法律の名称を「障害者生活総合支援法」と変更し、新たに難病患者を福祉サービスの対象に加える案を民主党の厚生労働部門会議に示した。
今国会に改正案を提出し、2013年4月からの施行を目指す。
自立支援法を巡っては、障害者による違憲訴訟を受け、09年に長妻昭厚生労働相(当時)が廃止を約束し、和解条項にも明記された経緯がある。しかし、厚労省では、「廃止をすると障害者ごとに受けるサービスの内容を決め直す必要があり、現場の混乱が懸念される」などとして廃止は見送り、法律名を変える法改正にとどめることにした。』
ため息を通り越して、あ然、というか、腰砕け、というか。この記事を解釈すると、次のようになる。
「現場が混乱するから、法律の中身は一切変えたくない。でも裁判所で法律を変えると約束したから、とりあえず名前だけ変えます。中身もちょっとだけ変えます。」
これはもう、詭弁としか言いようがない。
どうしてこの厚労省の方向性が詭弁であるか、については、実はシノドスという有名なウェブサイトで緊急寄稿させて頂いた。
ここでは、最近書いた3つのブログに基づきながら、障害者福祉のことに興味や関心がない方にも、問題点の大枠を掴んで頂こう、と書き進めていくうちに、12000字を超える長い論考になってしまった。その中で一番言いたかったポイントの一つは、次の部分。
『何かを変える、と決めたのなら、「変えないための100の言い訳」を繰り出すよりも、「変えるための1つの方法論」を徹底的に考えるべきではないか。総合福祉部会が出した骨格提言は、その「1つの方法論」であった。それに対する厚労省案は「101個目のできない言い訳」であった。政策形成過程とは、ステークホルダー間での闘争と妥協のプロセスでもある。総合福祉部会の骨格提言がそのまま一気にすべて実現されるとは思わない。だが厚労省案がそのまま可決されるようでは、政府や議会制民主主義そのものへの信頼が根底から崩れ去る。二つの案の溝を埋めるための、現実的な歩み寄りにこそ、政治家は携わるべきである。ここの部分を政府与党の政治家は勘違いしてないか。』
普段書いているこのブログは、一部の特定の人にしか目にとまらない。だが、さすがにシノドスは読む人が多くて、多くの反響を頂いた。おおむね好評な反響なのだが、一部気になる反響があった。僕の目に止まった貴重なご指摘を二つほど考える。
『「緊張関係を孕んでも、新たなパラダイム構築のためにこそ、官民の協働が必要だ」について。この種の議論は、どうしても「相互に批判的な協働関係が大事」というところに落ち着きやすいのだけれど(NPOと行政の関係性においても、よく言われる気がする)、それを実現させる両者の要件とはいかなるものなんだろう。大きな目標(パラダイムシフト)が共有されない中では、極めて困難でないかと思うのだけれど。だからこそ、ここはその溝を埋めるために政治家が努力すべきだ、という趣旨として理解してよいのだろうか。』「運動と官僚と政治についてのさらなる疑問 」 
『法的リスクを覚悟してもパラダイムシフトを目指すかどうかというのは根本的に政治セクターの問題であり、そのツケを厚生労働省に問うのは筋違いだというのが第一点である。(中略)
結局、別の分野に大幅な歳出減を呑ませるか、国民に負担増を理解してもらうかの熱意を政治が持たないか、現実的にそのような理解は得られないと予想していれば、「これがあるべき姿だ」と言われても「できねえよ」としか言いようはない。「OECD加盟国で下から5番目、という低い予算水準を打破し、障害者の地域生活支援を充実するための安定した予算の確保」と理念を掲げるのは結構だが、そのための歳出減なり負担増なりが可能だという話をしなければそれは「そらをじゆうにとびたいな」と同じことじゃないのかというのが第二点である。』「あるべき姿とその実現」
前者は、関西の地域福祉の現場でNPOを切り盛りしておられる方、後者はN大学の先生である。両者とも、ご自身の現場で官僚制の逆機能と戦っておられ、官僚制の構造的問題を肌身で感じておられるからこそ、鋭い問いを投げかけて来られる。「あなたの言うことは、所詮理想論ではありませんか?」と。(ただ、後者の方のように、ドラえもんの空想だ、とまで批判されるのもどうかと思うが・・・)
確かに両者の仰るように、厚労省の官僚にのみ、パラダイムシフトの責任を取らせる事は、筋違いだ、と思う。昔、自立支援法が制定されるプロセスの論争の中で、某厚労省高官が「政治家が金さえ取ってきてくれたら、僕たちはどんな法律でも書けます」と言い放った、というのを人づてで聞いた事もある。確かに自立支援法はシノドスにも書いたが、財政緊縮という小泉構造改革路線の至上命題に合わせる為の、予算抑制的な法律であった。政治家がどのような方向性の指示を出すのか、でこうも法律が変わるのか、とあ然とした記憶がある。ただ、これは悪名高い医療観察法も同じ政権下で作られた事を思うと、頷ける部分もある。後者の方が仰る「法的リスクを覚悟してもパラダイムシフトを目指すかどうかというのは根本的に政治セクターの問題」というのは、誠にその通りなのである。
で、シノドスにも書いた事だが、僕が関わった内閣府の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会とは、前提として「法的リスクを覚悟してもパラダイムシフトを目指す」という「政治セクター」の判断に基づいて開催された、従来の審議会とは別の会議だった。つまり、ここで一歩踏み出すことが決断されたのである。その上で、厚労省は、この「政治セクター」の判断を全く反故にするような工作を、総合福祉部会の最初からとり続けてきた。このあたりのことは、毎回の部会のYouTubeとか議事録を見て頂ければ明らかなのだが、lessorさんのご指摘を使うと、厚労省と協働しようにも、「大きな目標(パラダイムシフト)が共有されない中では、極めて困難」であったのだ。遡及的な議論になるが、そもそも厚労省側には、「政治セクターの決定」そのものを、最初からバカにして、まじめにつきあおうとしていなかった部分がある。僕が問題だ、といっている部分は、むしろこの部分である。
だからこそ、部会の骨格提言に対して出てきた厚労省案が、現行法をほとんど変えるつもりもない内容であるということは、私たち部会構成員よりもむしろ「政治セクター」に対しての、パラダイムを変えない宣言である、と受け止めた。
シノドスでは、「政治家(=厚労省の政務三役)にビジョンがないなら、省を守るための策は、官僚が構築せざるを得ない。省益の追求、と言われるものも、逆に言えば、政務三役の頼りなさの結果とも言える。そして、継続性と安定性を重視する官僚自身に、その枠組み自体を覆すような大胆な改革は難しい」と書いた。結局のところ、政務三役に加えて与党の政治家に対して、厚労省幹部が信を置かず、また彼らの指示ではうまくまわらないから、これまでの法体系の延長線上で決着をつけよう、という官僚の判断に落ち着いたのであろう。この判断は、明確に政治家をコケにした状況分析と判断だけれど、与党政治家は本当にそれでいいんですか、というのが、僕が伝えたかったメッセージでもある。
日本の法体系は、100年以上書けて継ぎ足し継ぎ足ししてきた老舗の醤油のようなもので、その根本から変えるのは難しいし現場に混乱をもたらしかねない、というのは、よく理解できる。後者の方が仰るように、財源をどうとってくるか、訴訟リスクをどう考えるか、というハードルが高いのも、よくわかる。官僚制の逆機能と闘いながら、その大変さを熟知しておられる技術屋さんほど、「できねえよ」「制度改正ナメてるだろ」といった感情を吐露されたくなる気持ちもわからなくもない。
ただ、感情論で話が済まない現実がある。その法律によって、現在でも暮らしに多大な制約を受けている人が現に存在しているのである。
「我が国においてかつて採られたハンセン病患者に対する施設入所政策が、多くの患者の人権に対する大きな制限、制約となったこと、また、一般社会において極めて厳しい偏見、差別が存在してきた事実を深刻に受け止め、患者・元患者が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として深く反省し、率直にお詫びを申し上げる」
上記は2001年のハンセン病訴訟に関する内閣総理大臣談話であるが、これは現在の障害者の施設入所政策に入れ替えても、まったく同じである。我が国では知的障害者や身体障害者の入所施設に10万人以上、精神病院に35万人が入院している。諸外国と比較した際、入所施設はほぼ全てが社会的入所であり、精神病院も4分の3程度が社会的入院である。この社会的入院・入所の人びとは、それ以外の選択肢を奪われている、という部分では、実はハンセン病と構造的な問題としては同じである。喜んで施設入所しているのではなく、施設入所「しかない」人が沢山いる。また、入所施設や精神科病院も、地域で受け皿がない、がゆえに、最後のセーフティネットとして「社会的入院・入所」をさせている現状がある。このパラダイムを変える為に、ハンセン病訴訟で国は控訴を断念した。自立支援法の違憲訴訟も、このパラダイムシフトを障害者福祉分野で求める訴訟であり、政権交代後の制度改革推進会議は、まさにパラダイムシフトを具現化する為の会議であったはずだ。
このことの重みを、政治家は一体どれだけ理解しているのか? それを理解していないからこそ、官僚の出来る選択肢は、現行法の固守しか残されていないのではないか。だから、悪い冗談のような、名ばかり法改正、が進んでいくのではないか。
本当に、悪い冗談であってほしい、と思うことが、実現されようとしている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。