問題の一部は自分自身(連作その5)

という表題を痛感する今日この頃。

その事を教えてくれたのは、短期大学の保育科で「地域福祉」の受講生の皆さんたちだ。
実は、この講義は、政治行政学科の「地域福祉論」とかなりの相関性がある。にも関わらず、政治行政学科と保育科では、同じ年の学生が受講してくれるのに、評判が昨年までは全く異なっていた。さて、どちらの方が受けが良かったでしょう?
普通、福祉に興味があるのは、政治行政学科より保育科の学生、と思われだろう。僕もそうだった。でも、蓋を開けてみると、政治行政学科では食いつきがよくても、短大では食いつきが非常に悪いのが、昨年までの通例だった。それは、なぜか?
去年までの僕の仮説は、短大生が内気すぎる、という仮説だった。確かに僕の講義では、毎回のテーマについて、ビデオや資料などを通じて考えた事をワークシートに書かせ、学生さんを当ててその内容を発表してもらい、それに対する問いかけをする中で、講義を深めていく、という形態を取っている。これは、短大でも4大でも、どこの大学でも変わらない展開である。だが、短大生は、去年までは、極度に当てられることを恐れていた。毎回、ワークシートで、「当てないで欲しい」「当てられるのが恐怖だ」というコメントが並んでいた。それに対して、去年までの僕は、短大生が「正解幻想」に囚われていて、間違ったことを言いたくないから、当てられたくないのだ、という仮説を立てていた。
この仮説は、半分当たっている。が、半分は大きく違った。
その最大の間違いは、「問題の一部は自分自身」というテーゼを入れていなかったことだ。つまり、「短大生が悪い」(=僕は悪くない)という他責的な文法で解釈・処理をしようとしていた。これが最大の「問題」であった。
この「問題」に気づいたのは、短大での講義を担当して3年目の今期に入ったときから。どうも僕は短大生にびびられている。そのイメージを変えるにはどうしたらよいか? そこで、第一回の講義では捨て鉢作戦に出た。自分に関する不利益情報や、自分自身が不安に思っていること、困っていることを、一番最初に皆さんにぶつけてみたのだ。
「僕の講義スタイルは、毎回、皆さんが書いてくれたワークシートの内容について、マイクを向けて皆さんのご意見を伺います。その際、『なんで?』と問いかけることがあります。これは、問い詰める訳ではありません。ただ、僕は興奮してくると、つい口調が強くなったり、声が裏返ったりします。すると、問われている学生さんは、『責められてる』と誤解することもあるようです。でも、僕は皆さんをいじめたくて問いかけているのではありません。この講義で扱う地域福祉課題は唯一で正しい『正解』のない問いです。なので、皆さんお一人お一人の率直な声に基づいて、講義をします。当然、僕も価値観を表明しますが、皆さんも価値観を表明して欲しいです。その際、皆さんの価値観が、どういう背景に基づくか、について聞きたいから、『なんで?』と聞きます。でも、繰り返しますが、皆さんを責めるためではありません。いや、むしろ、皆さんと仲良くルンルン講義をして行きたい、と思っています。どうか、怖がらないで、優しく見守ってください。普段の大学での講義は男子が過半数なので、女性の過半数のこの授業で、僕はいつも緊張しています。何百人の聴衆の前で講演するより、今、テンパっているかもしれません。なので、どうぞよろしくお願いします。」
我ながら阿呆だ、とも思うが、どうせなら思っている不安やためらいを全部最初にぶちまけてしまった。
すると、どうだろう。今年の学生さんは、すっとその事を受け止めてくれ、かつ過去二年間とは対比にならないほど、リアクションもよい。毎回の授業での、やりとりの内容も深まっている。理解度も高く、学生さんからの発言も、より深いものになっている。今日の講義も、学生さんのリプライがあまりに興味深かったので、その内容を突っ込んで一緒に検討しているうちに、これまでの講義で考えた事もないことが浮かび、それを整理している僕自身が興奮しながらしゃべっている、という事態だった。そして、その様子を、後から学生さんが、「今日の講義は非常に面白かった」と伝えてくれた。
何が違うのか。それは、たぶんようやく僕自身が、学びの回路を開く、つまり、学生さんからも学ぼうという器が出来、真摯に向き合い始めたのだと思う。
ちょうど、今、パウロ・フレイレの『新訳 非抑圧者の教育学』を読み直している。前のブログでも触れたが、フレイレは教育には「銀行型教育」と「問題解決型教育」がある、という。教える側は知っている人、教わる側は無知の人、だから一方通行で知識を詰め込めばいい、というのが銀行型教育である。一方、問題解決型教育とは、教える側と教わる側の真の対話から、共に学び合い、成長し合う中で、世界に対する見方を変えていく学び、とでも言えようか。この二つが大きく違うのは、教える側の方が、自らも学ぼうとするか否か、の違いである。
そして、そのことは「学びの回路を開く」という事とダイレクトに繋がる。僕自身、去年まで、短大での講義の時に、自分自身の「学びの回路」を部分的にではあれ、閉ざしていた。「短大生は○○だ」と臆断と偏見による都合の良い合理化を行い、その合理化に基づいて、ゆがんだ認識を行い、その認識に基づいて対応していた。また、僕自身がその歪みを学生たちにかぶせたので、学生たちはその呪縛の悪循環サイクルから抜け出すことが出来ず、結果として「タケバタは怖い先生」「この授業はしんどい」という臆断が既定事実化していった。つまり、問題構造を創り出したのは、他ならぬ自分自身であり、悪循環のサイクルに火をつけ、加速させたのも、僕自身であったのである。なんたるマッチポンプ!
そう気づいた後、結局当たり前のことだが、自分自身がまず変わろうとした。「問題の一部は自分自身」。ならば、他人を変えようとする前に、まず僕自身が変えるべき点を洗い出し、それを一つ一つこなしていくしかない。そう思って事態に取り組んでみると、あっけないほどがらっと学生たちの対応が変わった。去年までの学生さん、本当にすいません。おろかなのは、あなた方ではなく、私自身でした。
僕自身、この学びの回路を、教える側である学生さんに開いたからこそ、学生さんからプラスのフィードバックを頂き、その返礼に促されて、授業がルンルンと展開でき、そこから次のフィードバックとして、講義における新たなつながりや関連性の発見へと繋がった。そう思うと、悪循環から好循環へと循環回路を切り替える為に、まず自分自身の循環性そのものに気づき、それをプラスに切り替える一歩を自分から押すべきだ、という、こないだ読んだ『悪循環と好循環』の定義そのものだった。読んだだけでは、中々学べない。自分自身の実践での躓きを通さないと、そこから痛い思いをしないと学ばない。だが、マッチポンプ構造に気づいて、それを変える為に自覚化すると、変わらないと思い込んでいた構造が、丸ごと変容する。そういうダイナミズムを、講義という場面で感じた4月末、であった。

制度の自己組織化

中途半端な研究者(僕のような)より遥かに鋭い視点で問いかけをされるとみたさんが、次のような深刻な指摘をしておられた。

「制度の制度化」とでもいうのだろうか。ことば遊びのようだが、介護保険や障害者自立支援法の「制度」を利用・使用するために、「制度化されたルール」にのっとらないといけなかったり、制度を利用するためにさらに制度を利用しなければならないという循環に陥る。その一つは市場のルールである。
制度について、私のまわりにいる幾人かの人たちが、最近なんともいえない自分たちの違和感を訴えているが、私も含めてそこからお金をもらっている限り、その制度化の循環からは逃れられない。そのことは個人的には意識的でありつづけたい。だからこそ、どう「制度化」されたふりをして制度をつかうかというけとになるのだろう。
しかし、もう戦艦大和にのるしかないところまできているような気がしてならない。
僕はそれを読んでいて、「制度の自己組織化」という言葉が浮かんだ。
あるモデルなり実践例を抽象化して、制度が組み立てられる。自立生活運動から生まれた重度訪問介護、作業所運動から発展した!?地域活動支援センター、宅老所ムーブメントから出てきた介護保険の小規模多機能型。どれも、実践例の抽象化、モデル化、構造化である。だが、その抽象したシステムとは、ムーブメントが持っていた息吹や魂の捨象を伴う。いや、制度に組み込まれる、ということは、とみたさんの言うように、「制度の制度化」、あるいは「制度の自動律」「制度の自己組織化」が始まる。つまり、制度のもともと内在的に持つ志向性や動きに、取り込んだ新たなものも吸い寄せられてしまう。つまり、制度化する以前にもっていた、作業所運動なり自立生活運動なり、宅老所のダイナミズムのようなものは、より大きなシステムである「制度」の規範性の中に取り込まれ、そこに適合的でないものは、捨てられてしまうのだ。
これはどういうことを意味するか。
「制度の自己組織化」とは、「制度」の生存戦略、とでもいえようか。生物学的な比喩を用いれば、「制度」自身が淘汰圧を超えて生き残るために、様々なものを切り捨て、新たなものを取り込んでいく様相を思い起こす。その際、目新しい動き、時代に先駆けた展開も、キャッチアップして取り込んでいこうとする。先述の様々な運動の中から出てきた実践例の取り込みも、その一例である。
だが、この際、気をつけなければいけないのは、あくまでも「制度の根幹」を変えることなく、自らの制度に都合の良いように、新たなな何かを取り込む、ということの問題性である。ここは重要なので繰り返して述べるが、新たな何かを制度に取り入れるとき、特に日本の社会福祉の領域では、制度適合的な部分が選択的に取り入れられ(あるいはそうなるようにモデルが改変され)、それ以外の、特に制度の根幹への根本的な問いは、きっぱりと選択的に忘却される。制度が実情にあっていないなら、その根幹も含めて変えよう、という反省的な営みはそこにはない。実情がどうであれ、制度「さえ」生き残ればいいのだ、という意味での「制度の自動律」であり、「制度の自己組織化」戦略である。それゆえ、制度に取り込まれた新たなモデル、というのは、残念ながら制度化された時点で、その本質を失う運命にある。なぜなら、実情に合わせた支援をしたい、という新たなモデルの理念そのものが、制度化では捨象されてしまうからである。
そして、僕自身が今一番疑いのまなざしを向けているのは、官僚は何のために働くのか、という部分である。本来、制度とは、人々の幸せを導くための方法論であるはずである。その方法論が、現在の実情とずれたなら、方法論を変えて実情にそぐうようにする。これは、誰でもわかる話である。だが、ブログでしつこく書き続けた障害者制度改革の例を挙げるまでもなく、わが国の官僚制システムの中では、その方法論の維持こそが絶対的な目的とされ、実情とのズレは「仕方ない」と目をつぶってしまう。このような、方法論の自己目的化、としての「制度の自己組織化」が実に進展していると思う。とみたさんが「戦艦大和にのるしかないのか」という悲観は、この方法論の自己目的化の自壊的作用についての悲観なのだ。
ではどうすればいいのか?
僕はその処方箋を持っていないが、少なくとも、こうやってその「制度の自己組織化」の逆機能や問題点、方法論の自己目的化の自壊的作用について、指摘し、警鐘を鳴らすことから始めるしかない、と思っている。まずは、その問題性を言語化すること。その違和感を共有すること。それではだめだ、という認識を広げること。迂遠にみえても、ここからはじめるしかない、と思っている。そして、総合福祉部会の骨格提言のように、愚直に見えても、理想論と言われても、「制度の自己組織化」に歯止めをかける提言をし続けることからしか、光は見えないと思う。
制度は、ぬえのように自己組織化を突き進める。ジョージ・オーウェルの「1984」的世界は、今の介護保険制度の自己保身的態度やそのとばっちりとしての自立支援法への固執の論理と、人々の幸せより制度の自己組織化を優先する、という意味で通低する要素があるような気がしてならない。テクノクラートは、何のための技術者なのか。市民の幸せのためか? 制度の自己組織化維持のためか? この本質的な問いを、本当に問うてみるならば、答えはおのずと出てくると思うのだが・・・

雑種の先にあるもの(連作その4)

前回のブログでは慣れない丸山真男論を書いてみたので、今回はもういちど「学びの回路を開く」の連作シリーズに戻る。とはいえ、この連作、がっちりとした骨組みに基づいて書いているのでは無く、主題に関して思いつくままに書いているので、かなりの振幅の広い(とういか、とりとめのない)内容になっている。これを何とかまとめて一つの著作にしよう、という無謀な事も考えているが、まあ、そのための「ホップ」とでもいえようか。

で、今日取り上げるのは、前回のブログで「戦後啓蒙主義」の丸山真男が「共同体を超える」ために「する」こと論理を取り出した事に関連している。丸山は「である」ことに内在する地縁・血縁の呪縛からの解放を「する」ことに託したが、それから50年たって、そもそも「すること」の商品化・自己組織化が進んでいないか? 「する」ことに人間が支配されていないか?という問いかけを前回のブログでは書いた。
そのような意味で、上記の問いは「モダン」を問い直す問いである。で、そういうお仕事は、理論社会学の分野で展開されているよなぁ、そういえば・・・と書架から引っ張り出したのは、大学時代からお世話になっている社会学の大家の先生に頂いた近著。紐解いて見ると、ちゃんと整理して下さっている。
「モダンの変容といった場合、二つのケースがあることに気づく。そのひとつが、欧米の歴史のなかで蒙ったような変容。もうひとつが、異なった社会的・文化的コンテクストのなかに移転されるなかで蒙る変容。前者が時間的移動に基づく変化とすれば、後者は空間的移動に由来する変化といえよう。ポストモダンとは時間的=歴史的経過に注目したモダンの変容の特徴付けのひとつである。空間的な移転あるいは文化伝播によって蒙るモダンの変質を何と呼んだらいいのか。文化伝播に伴うモダンの変容を『ハイブリッドモダン』と名づけることにしよう。」(厚東洋輔『グローバライゼーション・インパクト』ミネルヴァ書房、p27)
ハイブリッドとは、プリウスで一気にお馴染みの言葉になったが、蓄電とガソリンの混合で動く、つまり「雑種」という意味である。そう、僕らの世代なら受験勉強で必ず読んだ、加藤周一氏の「日本文化の雑種性」のことを、「ハイブリッドモダン」と指す。それなら、よくわかる。欧米で花開いた産業革命や市民革命の成果である工場制労働や議会民主主義を、「空間的な移転」として「輸入」し、「和魂洋才」という形で日本文化の中に入れ込んだのだから、確かに内発的なモダンでは無く、内発的文化と輸入した文化との融合という意味で、ハイブリッド・モダンそのものである。また、モダンの種別的特性として「高度な移転可能性」がある、とも厚東先生は述べる。
「近代文化とは移転可能性が極限にまで上りつめた文化複合体と規定できるだろう。とはいえ合理化されさえすれば移転可能性の程度が高まるというわけではない。合理化の進行が移転可能性の高まる方向で進んだのが西欧合理主義のひとつの特徴といえるだろう。モダンはたしかに西欧を基盤に生誕した。しかし異なった文化圏に移植されても有効に作動し続けるのがモダンである。モダンの種別的特性として高度な移転可能性がある。モダンにとっては移転に移転を重ね、『グローバライズされること』が運命となる。その限りでモダンの本来の故郷は、西欧ではなく、『グローバル・ソサイエティー』ということになるだろう。」(同上、p25)
なるほど、モダンの果てにグローバライゼーションがある、のではなくて、もともとモダンというのが「高度な移転可能性」を基軸に組み立てられるなら、その合理化の進行は当然の帰結として「グローバル・ソサイエティー」に至るのですね。タイでもトルコでもパリでもマクドナルドが幅を利かせているのも、「高度な移転可能性」の格好の例であり、それが「マクドナルド化する社会」なんて言われたりもした。だが、そのことよりも、この「移転可能性」で興味深いのは、「モジュール化への動き」について、である。
「モジュールとは、社会制度の機能単位のことで、社会制度はこうした(相対的に)自己完結した機能ユニットから組み立てられている『モジュール連結体』とみなされる。モジュールは、他の制度的要素からの支援をうけることなく、独自な情報-資源処理を通して、特定のタスク実現=課題達成を果たす事が出来るところに、その真骨頂がある。こうしたモジュールは、ギデンズの言葉を用いれば、コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型といえよう。もしもこうしたモジュールが識別可能なら、文化移転の基本単位はこのモジュールということになる。(略)モジュールをひとつずつ慎重に吟味し、その過不足のない移転の積み重ねによって、制度全体を作り変えていく。オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる。モジュールを戦略地点に選ぶのが文化移転の最も効率的な方策であろう。」(同上、p37)
明治維新の時以来、日本がイギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどの欧米列国で盛んに学び、導入した科学的英知は、実はモジュール単位だった、といえば、すごく納得が出来る。どうして別の国々の思想なり文化を移植する事が出来たのか。この問いには、それぞれの領域において、その国の「自己完結した機能ユニット」である「モジュール連結体」が、日本に役立つ、と思ったから入れられたのだ。で、この「モジュールの無駄のない組み合わせ」としての「モジュール連結体」の移転は、欧米から日本へ、だけでなく、日本国内でも中央主権的に地方に移転されていった。都道府県というシステムは、「モジュール連結体」を日本の隅々に移植するにあたって、270もの藩単位に一気に普及させるにはコストやエネルギーがかかりすぎるから、その上位機構として47というブロック単位を作った、という理解をするとわかりやすい。規格化・標準化されたモダンの「モジュール」としての病院、学校、工場、道路、法制度、警察・・・というシステムを一気に広めるには、そのようなコントロールが当時の伝播にふさわしい、という判断があったのだろう。そして、日本は幸運なことに、この「モジュール連結体」の移植で大成功を収めた。
だが、一世紀から一世紀半前に移植し大成功を収めた様々な「モジュール連結体」は、その制度疲労、というか、その限界に達している。丸山真男などの「戦後啓蒙」派の人びとは、日本に根付かなかった「市民革命」的な市民の主体性や自立性という「モジュール」を「する」ことの論理に仮託して、日本に移植しようと試みた。その成果があったのかどうか、はさておくとして、丸山らが当時負の遺産として考えていた身分・家柄・地縁・血縁などの「しがらみ」としての「共同体主義」(=「である」ことを支える論理)は、あれから60年で見事に吹っ飛んでしまった。それも丸山が希求したような「オープンな対決と競争を通じて、議会政治の合理的な根拠を国民が納得していく」という形で「共同体主義」が塗り替えられたのではない。前回のブログにも書いたように、むしろ「する」ことの商業化・自己組織化が進む中で、自己決定や自己選択に思える内容もマスコミや広告による巧みな誘導(洗脳?)として市場化されていった。これは「広告」「マスメディア」という「モジュール連結体」の大きな勝利でもあり、この「高度な移転可能性」のあるメディアと広告の力によって、「標準的な都市の論理」が日本の郊外の隅々にまで移転し、シャッター通りや過疎化・限界集落と国道沿いの金太郎飴のような大規模店の全国展開、が進んでいったのである。これもそのような「モジュール化」の大成功、とも言えるだろう。
とはいえ、それが限界に来ているのだ。丸山の時代は、ハイブリッドモダン化するにあたり、戦後民主主義という「モジュール」をどう日本に成功裏に移転するか、が課題であった。あれから60年を経て、今の日本社会で暮らす私たちに突きつけられている課題は、「出来上がってしまったハイブリッドモダンをどう乗り越えていくか?」という問いである。つまり、以前は「空間的移動」が主題化されていたが、それが変容しながら内在的論理になった今、問い直されるのは、そのハイブリッドモダンの「時間的移動に基づく変化」とどう向き合うのか、である。ポスト・ハイブリッドモダンとでもいえようか。日本社会でモダンを問い直す、ということは、そういうことを意味するのでは無いか。
で、ここでようやく「学びの回路を開く」という連作シリーズに戻ってくるのである。(今回も長い迂回路ですいません)
たとえばこのブログで主題化している、過疎化や少子高齢化の中でどうやって住み慣れた地域で、障害があっても、高齢になっても、シングルマザーでも、ターミナルケアの状態でも、自分らしく暮らしていくことができるか、それをどう支えるシステムを作るか? この問いに答えるためには、実はこれまでのモジュールそのものを問い直す必要があるのだ。厚東先生の言葉を借りるなら、「オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる」必要があるのである。そういう視点で眺めてみると、以前のブログで紹介した岡山モデルや高知モデルも含めて、その推進役である小坂田先生や地域包括ケアを進める人びとがしてきたのは、「モジュールの分解と分析、再統合」であった。これは、その後のブログでご紹介した、中山間地の再生に取り組む各地の実践とも通底している。そして、これらの「先進地」で行われていることを、「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型」としての「モジュール」として昇華させた上で、「移転可能性」を高めて他の地域に移植すればいい、という案が浮かび上がってくる。現に、厚労省の言う地域包括ケアの絵は、そういうものとして描かれている。
しかし、である。それはあくまでもハイブリッド・モダン時代の発想ではないか。ポスト・ハイブリッドモダンの時代にあっては、単に「抽象性システム」としての「モジュール」を当てはめるだけでは、うまくいかなくなっているのではないか。
ここからは、文献を離れて、ぐっと夢想的・妄想的な話をする。
戦後のハイブリッドモダンを移植する段階では、まだまだ土着的な土の力は、かなりの強固なものであった。丸山真男ら「戦後啓蒙世代」が必死になって引きはがそうとしても、なかなか人びとの心を支配している「村社会」の土着性であった。だが、「する」ことの市場化と「である」ことのハイブリッド化の進展の中で、この土着性こそ、とことん根絶やしの方向に進んでいったのではないか。たとえて言うなら、土壌改良されまくり、本来の力を失った土、というイメージが思い浮かぶ。「ジャスコ」や「洋服の青山」「パチンコ屋」「マクドナルド」「くら寿司」が並ぶ街並みをみて、どこの郊外か全くわからないほどの無表情化している、ということは、ある種の土着性の去勢のようにも思えてならない。それが「文化の伝播」の「学習」なら、真面目に学びすぎた結果でもある、といえるだろう。
で、去勢され、勢いがなくなった土着性は、実は人びとの「しがらみ」だけでなく、「帰属意識」も「安心感」も含めた「ふるさと」そのものを葬り去ろうとしている。雑種文化=ハイブリッドモダンによって日本は繁栄を得たが、それは均一化をもたらし、個々人のアイデンティティを裏打ちする個性や豊かさを奪う部分もあった。変な言い方をすると、「均一な雑種」とでも言えようか。「あなた」が「私」や「彼」と入れ替わっても、「甲府」の郊外が「八王子」や「堺」のそれと入れ替わっても、何の問題もなく動き続けていくシステム。その無表情なシステムの中で、個々人の魂が蓋をされ、「均一な雑種」がやがて、個々人の存在の発露に蓋をする呪縛として覆い被さる。それはあたかも以前「しがらみ的共同体」が蓋をしていたのと同じように。
そこから自由になるにはどうしたらいいのか。もう一度、呪術的な土着性に戻るべきなのか。そこに補助線を入れるとしたら、「世界の再魔術化」という副題のある本を思い出す。
「『対抗文化(カウンターカルチャー)』のさまざまな要素を結び合わせる共通の絆はあるのだろうか? おそらくそれは『回復』(recovery)という概念である。それらがめざすのは、本来の我々のものであるはずの、身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚、そうしたものを回復することである。そこで唱えられているのは、単に『ゼロ成長』とか工業の減速だけでは無く、この四半世紀の間に失われたものを過去から取り戻そうという姿勢である。前進するために後退する。つまり、それは未来を取り戻そうとする試みなのだ。」(モリス・バーマン『デカルトからベイドソンへ』国文社、p328)
ただ、バーマンの表記は一見すると「復古主義」的に見えるので、注意が必要だ。リカバリーというと、精神障害者支援の分野でも最近「ブーム」から常識へ、と展開している。とはいえ、このリカバリー概念も、以前の状態に戻る、という単純な意味で使われているのではない。リカバリーモデルの提唱者の一人、リック・ゴスチャは「精神障害者は、自分の人生を取り戻し、再生し、改善させることが出来る」といっている。精神障害になり、それまでの仕事一辺倒とか家族関係とかそういう以前のシステム体系が一旦破綻してしまった、という前提のもと、その「人生を取り戻し、再生し、改善させる」か、が鍵になる。「回復」とは「以前と同じにするのではなく、今の状態からどう次のゴールを取り戻し、再生し、改善されるのか」という問いでもある。
そう思ってバーマンの定義をみると、「失った『本来の我々のもの』」としての「身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚」を、復古主義的にではなく、現代のコンテキストの中で、どうリハビリテイトさせるか、という課題である。
ポスト・ハイブリッドモダンとは、「均一な雑種」の「先にあるもの」を探す営みである。そして、「均一な雑種」からの離脱であるならば、それを既存の「モジュール連合体」の文化伝播という形で乗り切る、という前時代の「ハイブリッドモダン」の振る舞いそのものを再帰的に振り返り、反省し、乗り越えていくことが求められる。つまり、「モジュール化」が「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』」によって支えられたとするならば、それによって土壌が改良されて土着力が根絶やしにされかかっているとするならば、その去勢された「コンテクスト」という土着力を、現在の視点で再発見し、その土地のポジティブな力として再生させる、という方向でしか、息吹を吹き返さないのではないか。「均一な雑種」の先にいくには、その「均一な雑種」が蓋となって抑圧してきた、その土地独自のローカリティを、「均一な雑種」とどう接合させるか、が課題になっている。
ただ、この際、土着の危険さにも注意が必要だ。
「モダニティの平板さに飽き飽きして、代わりに、差異を産み出す源泉として、土着の文化・文明にスポットライトがあてられる傾向もある。ここにファンダメンタリズム=原理主義が跳梁する根拠がある。」(厚東、同上、p59)
原理主義は、モダニティという平板さの否定として立ち現れる。だが日本社会で暮らす私たちは一方で、ハイブリッドモダンの恩恵を十分に受けていて、それを捨ててまで原理主義的になることは出来ない。であれば、この土着の文化・文明への「スポットライト」のあて方も、単に復古主義的なそれではなく、ハイブリットモダンの文脈と、土着の文化・文明の文脈を、どう対等な形で接合させるか、という視点が必要になる。それでこそ、「均一な雑種」から、その土地らしい「雑種」への昇華・変容が可能になるのだろう。そして、その際の方法論として厚東先生が示唆しているのが、文化と文化の間の相互作用としての「マクロ・インタラクション」である。
「今後問題なのは、二つの文化が出会ったとき、いったい何が起こるかである。相互に排斥し合う、あるいはどちらかが模範とされる、という両極端な場合は、もはや起こりえないであろう。お互いに、他の文化を学習し合い、自己変革を遂げることになると思うが、その結果どういう文化が生まれるのかについて考えようとすると、頼りになる指針が存在しないことにあらためて気づかされる。」(同上、p105)
この際の二つの文化、とは、ハイブリッドモダン化された日本の文化、とポストモダンでスローフードを実践しているイタリアのそれ、といったものにも当てはまるが、それだけではないと考えてみると、面白い。例えば「均一な雑種」としての都市と、徳島県上勝町のような「文化再生を果たした田舎町」、あるいは「均一な雑種」としての現代都市文化と、その同じ都市の150年前の文化、こういった、空間・時間的な文化の比較の中から、「他の文化を学習し合い、自己変革を遂げる」ヒントが隠されている。そういう学習のサイクルを回す中で、「未来を取り戻そうとする試み」としての「回復」が展開されていく。それこそが、ポスト・ハイブリッドモダンの時代に求められる展開なのではないだろうか。最後に厚東先生による近代化の定義を引用しておきたい。
「近代化とは伝統が消滅し近代のみが勝ち誇る過程ではなく、同時代を地平に『新(モダン)』と『旧』の新たな差異化が行われる過程である。伝統は消滅するのではなく、理念的に再編されるだけである。近代化とは伝統を<地>に近代が<図>として描き出される『複層的』過程である。」(同上、p130)
<地>だけ見ると原理主義に陥り、<図>だけに浮かれると開発至上主義者になる。そのどちらも、限界が来ている。だからこそ、既存の「モジュール」としての(=制度化された)設計図を当てにせず、その地域独自の<地図>を描き直す試みが必要なのだ。そして、この独自の<地図>の描き直しこそ、「学びの回路を開く」ことそのものなのだ。

アクチュアルな「論語」の「知」 (連作その3)

先月末の研究会で、安冨先生から、書店に並ぶ直前の新著を頂いた。読み始めて、あまりの面白さに一気にその世界にひきこまれてしまった。その本で一番大きかったのは、次の公式である。

(知/不知)→知
これは一体どういうことであろうか。
安冨先生の『生きるための論語』(筑摩新書)によると、論語に出てくる基本的用語である「知」とは「自己言及的表現」(p36)であるという。これはどういうことかというと、「『知る/知らない』という状態よりも、世界への認識の枠組みを遷移させる学習過程としての『知』」(p43)であるといい、それは「運動」でもある、という。これは、最近になってすごくよくわかる。
受験勉強などの「詰め込み型」の知識であれば、単に「知らないことを覚える」という形での「知」であった。そこにはワクワクやドキドキなどが伴わないので、僕はついつい読書やラジオに走ってしまった。(ネットがあったら絶対勉強しなかっただろうから、受験生時代にネットがなくて本当に良かったと思っている)。だが、受験勉強が終わった後、特に「知る」ことより、「知らなかった」ことに気づける事に、すごく嬉しさを感じる。興味の無いものには、そもそも「知りたい」という動機さえ沸かない。もっと知りたい、と希求する時、「こんなことを知らなかった・わかっていなかった」と前景化することは、恥ずかしい事では無く、むしろ取り組むべき課題が明確化された、と感じるのだ。それを「運動」と安冨先生が呼ぶのは、次のような理由がある。
「新たに産出された『知』は最初の『知/不知』に跳ね返って、また新たな『知』を創り出す。このような回路が繰り返し作動する。この全体が『知』である。『是知也』という断定によって、最初の『知』の意味が変化し、『知』が知っているという状態であると共に、『知』と『不知』を分別するその過程でもある、という意味が膨らむ。このとき、変化しているのは『知』の方ではなく、知ると知らざるとを分別している『私』自身である。言葉の論理展開とともに、それを展開し理解する『私』が変化し、その変化が言葉の意味を豊かにする、というダイナミクスが生じている。この自分自身の変化を伴う解釈の過程は、『学習過程』だと言ってよいであろう。」(p38)
「知る」事の魅力とは、単にクイズ王のように断片を頭の中に放り込んでいくことではない。「知る」過程の中で、「何をまだわかっていないか? 知らないか」が明確になる。すると、以前のその「知る」主体である「私」自体が変容し、それに伴い「知っている」内容も変遷する。「自己言及的表現」とは、「知る」という行為を続ける限り、常にその「知」の枠組みや構造自体が書き換えられ、それに基づいて「私」自身も変容していく、という好循環のプロセスに入る、ということである。そして、それこそ「学習過程」である、という。
「自分自身の既存の枠組みの中に外部から何かを取り込むことが『学』であり、それが自分自身のあり方に変化を及ぼして飛躍が生じる瞬間が『習』である。上の図式では、『知/不知』という部分の過程が『学』であり、それが自らに跳ね返って『知』が変貌する瞬間が『習』に相当している。」(p38)
上記のフレーズを打ち込みながら、改めて僕がブログでし続けてきたのは、この「学習過程」である、と強く感じている。例えば今回は、この安冨先生のテキストに強く感化された自分がいて、それをブログという媒体を通じて「取り込む」という「学」を行っている。だが、僕はこうして7年間ブログを書き続ける中で、「自分自身のあり方に変化を及ぼして」きた。そして、前回の連作や今回の連作を書き続ける中で、おそらくは「飛躍」が生じ始めているのだと思う。そのワクワク・ドキドキの瞬間やプロセスこそ「習」であり、僕の言葉で言えば、「枠組み外し」でもあり、「学びの回路を開く」ことでもある。そのことによって、まさに「知が変貌する」瞬間に、自ら立ち会いつつ、このブログを書いている。それは、少しオーバーな表現を使わせてもらえば、それを「知る」ことによって、以前とは違う景色が見えること、そして、見えてしまった景色を前にすると、もう以前の景色、以前の「私」(の認識)に戻れないこと、を指す。論語には、そしてそれを私たちにアクセスしやすく解説して下さる安冨先生のこの『生きるための論語』には、そのようなパラダイムシフトが内在されているのだ。
そして、この自己言及構造(A/非A)→Aは、「論語の論理構造」(p40)としてあちこちに出てくる、という。仁や和、も不仁や不和を知ることを通じて、一段と高いレベルでの仁や和を獲得する、という意味で、この論理構造の範疇にある、というのだ。そこには、論語の次のような人間観がある、という。
「自分を常にモニタリングして、人の言うことに耳を傾け、自分の間違いに気づいたら、直ちにそれを受け入れ、更に自分の行動を改める。これが孔子の追求する人間としてのあり方の根幹にある。」(p57)
これは多分に自戒を込めて書くのだが、「中途半端にわかっている人」ほどたちの悪いものはない。全くその領域を知らない人なら、それを知る為に必死になる。例えば福祉領域で言うと、毎年4月は、多くの自治体職員が新たに福祉課の担当になる。2,3年で次々に担当を変わる、という現行システムが良いかどうかは別問題として、多くの職員がゼロからのスタートになる。これは、一方では事業の継続性として大きな弊害ではある。ただ、必死になって福祉に関する法や制度、現場の事などを学ぼうとする行政職員の中には、しばらくの間、(A/非A)→Aというプロセスが働いている。その一方、長年同じ福祉現場で働いている職員の中には、「そんなことは知っている」とお高くとまっている人もいる。確かに「ある程度」は知っているが、では深く知っているのか、現時点の課題や他領域の動向も含めて幅広く知っているのか、というと、怪しい人も少なくない。「井の中の蛙」としては「知っている」としても、「大海」に照らせば、全然知らないくせに、「知っている」として、更に知ろうと努力をしない職員も少なくない。
その一方、正しく(知/不知)→知の回路を回し続けた自治体職員の中には、最初の半年こそ現場職員に比べて「知」のレベルが劣るものの、気づけば現場職員よりその本質や構造をよく「知っている」人はいる。現
場の人は「事例」は知っているかもしれないが、事例の背後に潜む構造までちゃんと「知っていない」場合が多く、さらに、それを「知らない」ということも知らない。そういう意味では、実は「自分は何を知らないのか」に無自覚な人は、この学びの回路から阻害されている、とも言える。そして、中堅職員やベテラン、と言われる人の中に、この「知らない」を知る、という自己言及プロセスからの阻害を往々にして感じる。だからこそ、「中途半端」なのだ。(こういう悪口を書き出したら筆が止まらなくなるが、今日の本題から外れたので、またにしておく)
さて、安冨先生のこの本では、他に引用したい部分も一杯あるのだが、学びの回路を開く、という僕の今日の主題と関連する部分を、あと二箇所ほど取り上げたい。
「ここに、AとBという二人の個人がいるとしよう。二人が相互に学習過程を作動させており、『仁』の状態にあるなら、Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返し、Aもまた同じことをする。このとき両者のメッセージの交換は『礼』にかなっている。このときAとBとがそれぞれに解釈して把握する意味は、常に互いに異なっている。より正確に言うなら、違う人格がそれぞれに把握している『意味』が、相互に一致しているかどうかなど、原理的にわからない。そのわからなさを無視し、互いに『同じ何かを共有している』という思い込みを形成するのが『同』である。小人は『同』がなければ不安でたまらない。しかし、君子はこのようなことを必要としない。人は人、自分は自分である。人が自分の考えを共有してくれるかどうかなど、問題とならない。それはそもそも不可能なことだからである。それゆえ、君子の交わりは、相互に考えが一致しているかどうかなど問わず、むしろその相違を原動力として進む。こうした相互の違いを尊重する動的な調和を『和』という。」(p103-104)
ここには、福祉現場で昨今耳にたこができるほど言われている「連携」の本質が隠されている。論語や安冨先生は、「違う人格がそれぞれに把握している『意味』が、相互に一致しているかどうかなど、原理的にわからない」、とはっきり言う。だから、「同じ何かを共有している」というのは、あくまで「思い込み」である、と。では、同じ目標の共有に基づいた多職種連携というのは、原理的に不可能なものなのだろうか。それは、「『同じ何かを共有している』という思い込み」という「同」の状態に陥っていないか、と気づくことから始まるのだ。医師と看護師、ソーシャルワーカーと民生委員と、職種や社会的立場、そして個性も人格も違う人びとが、もともと「同じ何かを共有」している、というのは幻想である。でも、そこに集う人びとが「相互に学習過程を作動させて」、相手の「投げかけるメッセージをから受け止めて自己を変革」をしようとするならば、その「メッセージの交換」がその集った人びと全体の中で相互作用化するならば、そこにはお互いの「相違を原動力として進む」「動的な調和」としての『和』が作動する。
「和して同ぜず」とは、「相手も自分と同じ事を思っている(→だから自分が正しい)」という「同」の前提に立つことではない。むしろ、違う考えやスタンスの相手と学習過程を作動させながらコミュニケーションすることによって、一人の考えでは突破できなかった課題に対して、お互いの「相違」に基づきながらどのような風穴をあける「原動力」を見出していくのか。そのような「動的な調和」を「学習過程」中でどう作り込むか。そのためのコミュニケーションはどうあるべきか。これを「礼」にかなったやり方で追求する。これが「連携」の本質なのかもしれない。
あと一つ、どうしても取り上げておきたいのが、「正名」、つまり「名を正す」ということである。
「日本人はアジア太平洋戦争の際に、侵略を『聖戦』と呼び、侵略軍を『皇軍』と呼び、退却を『転進』と呼び、全滅を『玉砕』と呼び、自爆攻撃を『特攻』と呼び自分の国のことを『神国』と呼んだ。このような歪んだ名を与えて思考すると、何が起きるかは明らかであろう。これが『名を正す』ということの意味である。怖いものは怖い、嫌なものは嫌、好きなものは好き、やりたい事はやりたい、やりたくない事はやりたくない、死にたくないなら死にたくない。このように『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩なのである。ここを歪めてしまうと、そこから先は何が起きるかわからない。というのも、人間は、世界そのものを認識しているのではなく、『名』によって世界の『像』を構成し、それによって思考しているからである。名と名の関係性を組み替えたり、あるいは名を与えられた像の運動を構成したりすることで、我々は思考し、行動している。それゆえ、名を歪めてしまうと、我々は自らの世界に生じる事態についての正しい像を構成できなくなってしまう。(略)それゆえ孔子は、何よりもまず名を正すべきだ、と言うのである。名が正される人なら、どんなにひどい事態であっても、創造的に対応することができる。」(p138)
「『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩」なのである、が、この世界に、その反対の「名を歪める」事態が、どれほど起こっていることだろうか。
例えば、2月に集中的に書き続けたが、3月13日に閣議決定された「障害者総合支援法」。これなんて、明確に「名を歪め」た法律である。その根拠は以前シノドスに書いた原稿などにみっちり書いたのでこれ以上くどくど書かないが、結局のところ、「総合福祉部会」で提言された「骨格提言」を厚労省は「やりたくない」というか「やる気はない」のだが、裁判の和解(基本合意文章)の中で「新しい法律に変えます」と約束したから、「名前『だけ』変える」という、実に姑息なやり方である。そもそも今日は口が悪いので、悪口ついでにいうと、「障害者自立支援法」というのも、実に「歪んだ名を与えて思考」した法律だと感じる。本当に障害者の「自立」を「支援」するならば、応益負担問題以前に、入所施設や精神科病院への長期社会的入院という構造そのものに手をつける必要がある。だが、それは「セーフティーネット」なるこれも歪めた名をつけて温存し、地域社会への資源や財源配分を傾斜することなく、介護保険法に吸
収合併する為の骨格構造を描く主目的は全く「名」として前景化せず(しかもみんな知っている)、障害者運動が大切にしてきた「自立支援」という「名」だけをパクって、さも理解しているかのような法律にする。これぞ、欺瞞そのものである。この欺瞞を正そう、「名」を正そうとしたのが、障害者自立支援法違憲訴訟のはずだったのに(詳しくはHPを参照)、そして国は一旦「名を正す」ことを約束したのに、それを、この2月になって反故にしたのである。
この厚労省の「名を歪めた」思考や動きを批判すると、「訳知り顔」の方々が、「タケコプター的理想論だ」とか、「できねぇよ」とか、「現実論から遊離している」とか、「そもそもそれは政治の問題であって厚労省の問題ではない」とか、いろいろな反論をされる。僕自身も、山梨や三重で公務員の方々と一緒に仕事をする機会が多いので、人員削減を一律にする中で、障害者福祉行政の方々が、どれほど残業を繰り返し、必死になって現場を護ろうと努力しておられるか、はよくわかっている。だから、マスコミがやるような官僚バッシングをしたい訳ではない。ただ、明らかに厚生労働省は自立支援法の前あたり、つまり支援費の雲行きが怪しくなった2004年の当初あたりから、「名を歪め」た思考になり始めているのである。それが、支援費のたった100億程度の予算超過を「アンコントローラブル」と言ってみたり、上述の「自立支援法」なる歪めた名の法律を作ったり、その延長戦上で総合福祉部会の骨格提言を潰しにかかったり、という動きに出ている。大変厳しい言い方をすると、東大を出て優秀なはずの霞ヶ関のキャリア官僚の皆さんが「名を歪めてしまうと、我々は自らの世界に生じる事態についての正しい像を構成できなくなってしまう」という状態に陥っているのではないか、という強い危惧である。
だがら、僕は「何よりもまず名を正すべきだ」という孔子=安冨先生の提案に心より賛意を示すし、その一環として、2月あたり、集中的に厚労省批判の文章も書いてきた。これについて「学者の名を借りた運動家」という評価もあったが、僕自身は、「名を正す」ことは、学者としてすべき大切な仕事である、と感じている。こう書くと、「官僚は学者と違って出来ないとは言えない立場なのだ」という反論も来るかもしれない。しかし、何があって、政治主導で「名を正す」と決め、その決定に基づき国の審議会で議論の上でまとめられた「骨格提言」が実現できないのか、それは財源論の問題なのか、それとも本当にこの提言が机上の空論であったのか。そういう理由をきちんと厚労省は応答する責任がある。それでこそ、「名が正される」のである。そのことなく、「現行法でも裁判の和解内容は遵守できています」という本人も信じていない嘘を平気でつくのは、明らかに「名を歪めた思考」であり、それは天下国家を論じるべき厚労省のキャリア官僚がしては、自爆行為なのである。長く書いたが、厚労省のキャリア官僚には、「『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩」であることを思い出してほしい、という、懇請のような思いで、この間批判を書き続けていた。
随分長く書いたが、まだまだ安冨先生のこの本からくみ取れる部分、これに関連づけて自らの気づきを展開したい箇所が沢山ある。この本を読む前には、「論語」がこんなに自らの「学び」や生き方そのものにアクチュアルに響くとは思っていなかったけれど、安冨先生の本を読んで、僕は文字通り(知/不知)→知のサイクル、つまり、知ってしまった以上、今までとは違う景色を見始めている。その意味で、繰り返しになるが、この『生きるための論語』は僕自身の「学びの回路を開く」ためのキーブックとして位置付いている。

復讐から贈与へ(続 学びの回路を開く)

パラダイムシフトについて、非常にわかりやすく書かれた本にであった。

「人は別のサイクルに入ることでしか、あるサイクルから抜け出ることは出来ない。復讐というマイナスの相互性から贈与交換というプラスの相互性に移行するときには、眺めている時間の方向が逆転するのと同時に循環性が保存される。『これからくれる人に与える』、私がこのようにプラスの交換を定義したのは、復讐と贈与との間にある対立関係と並行関係に同時に注目させるためなのである。もし私が、『すでにくれた人に贈る』と言ったとすれば『殺した者を殺す』という公式にもっとも近いところにとどまっていただろう。『すでにくれた人に贈る』というのは伝統的な交換の概念に一致しているかもしれないが、それは、復讐と贈与の二つの相互性の間の並行関係しかつかまえておらず、復讐と贈与のそれぞれが目を向けている時間の方向の違いは見ていない。このような見方が不十分であるのを知るためには、復讐における最初の行為と贈与における最初の行為を比較するだけで十分である。復讐における最初の行為はいつでも過去に先行してなされた攻撃に対する反応であって、未来に受け取る贈与を予期しての反応ではない。他方、最初の贈与は先手を打つことでなければなされない。」(マルク・R・アンスパック『悪循環と好循環』新評論、p34-35)
モースの贈与論から互酬性の形を再考した同著で、一番興味深かったのが、「すでにくれた人に贈る」と「これからくれる人に与える」の比較である。これは、非常に本質的で、含蓄の深い「対立関係と並行関係」である。
復讐に代表される「すでにくれた人に贈る」という論理は、時間の方向で言うと、常に「後追い」である。自分ではコントロール不可能なある行為に大きく影響され、それに何とか返礼するための「贈る」という行為。PTSDであろうと、「お中元のお返し」であろうと、自分が予期せずあるサイクルに巻き込まれてしまい、それへの返礼として「贈る」という論理である。内発的論理というより、外在的に、どこかせかされた感じで「せねば」という気持ちに急き立てられる論理、ということも出来るかもしれない。
一方、「これからくれる人に与える」というのは、文字通り「先手を打つ」ことである。相手がどうするのかわからないけれど、まず「贈与」する。その際、「せねば」と追い立てられるような義務感はない。文字通り「与えたいから与える」のである。「せねば」と比較するならば、「したい」からするのである。これは、魂の赴くままの贈与でもあり、自らの感情に無理矢理鋳型をはめたり蓋をしなくても出来る行為であり、内在的論理に基づく。
この「後追い」と「先手を打つ」の違いは、アジェンダ(=枠組み)設定とも関係している。「すでにくれた人に贈る」のであれば、「すでにくれた」という枠組みや論理にどう対応するか、に主眼が置かれている。その際、既に駆動している他者の意図や枠組みを、肯定にしろ否定にしろ、どうしても参照しなければならない、という点で、相手のペースに乗っている・乗らされている。一方、「これからくれる人に贈る」という際には、最初から誰に何を贈るか、も含めて、こちらで枠組み設定が出来る。振り回されることはない。
「すでにくれた」というのは、「最初に受け取るから得だ」という誤解も生み出す。だが、実は受け取ってしまう、ということは、ある種の返礼義務を課し、さらには復讐やPTSDなどのように被害も受けると、心の傷まで取り込んでしまうことになる。そして、この悪循環贈与のサイクルは、それを意識しないと、ずっと炉心はネガティブな回路で燃え続ける。相手から受けた呪縛の論理が自らに乗り移り、その他者の枠組みでずっと自らの内面を燃やし続ける、というしんどい回路にはまり込むのである。では、それをどうやって抜け出せばよいか。
「悪循環から抜け出るためには、その循環のプロセスを含む循環性を認識することが重要である。そしてすべての循環性を否定するのではなく、別の方向へと出発するプラスの循環に入ることである。人が復讐から逃れるのは、マイナスの循環をプラスの循環に反転させることによってだけなのである。」(p174)
実にシンプルな答えである。「すでにくれた人に贈る」循環性に自らが陥っている、ということに、気づくことでしか、抜け出せない。前回のブログでも触れた拙稿が載っている東洋文化92号の副題が「『箱』の外に出る勇気」とされていたが、このこととつながる。これは、この特集号の編者である深尾先生と安冨先生がスタンフォード大学の別府晴海先生から受け取った言葉である。東洋文化の中で、先生の言葉がこのように引用されている。
「新しい概念を創出することが『箱の外に出る』ことだと思います。『箱の外に出る』ことは必ずしも生産性のある創出にはなりませんが、『箱の外に出る』勇気が、学問にはいると思います。英語でもthink outside the boxと表現します。『自己の呪縛を乗り越える』と同時に、『(学問上の)常識(ドミナントストーリー)の呪縛を乗り越える』ことだと私は理解しています。」(東洋文化92号、p12)
内田樹先生の考えを借用すれば、学問とは、前時代の叡智を受け取り、発展させ、後生にパスをするリレーである。ということは、常に「すでにくれた人に贈る」という論理からスタートする。知識の獲得とは、もちろん、「既にある知識を受け取る」ことからスタートする。だが、どこかで「受け取る」ことを基盤にした「後追い」の枠組みには限界が来る。その時に、実は大切になるのは、「自己の呪縛を乗り越える」という意味での、「後追い」からの開放なのだと思う。それがあって、はじめて「(学問上の)常識(ドミナントストーリー)の呪縛を乗り越える」ことが可能になる。それは、自らが呪縛されているシステム全体を見つめることであり、それは「箱の外に出」て、「悪循環のプロセスを含む循環性を認識する」ことである。そして、それが出来て初めて、「別の方向へと出発するプラスの循環」に入ることが可能になるのである。するとようやく「これからくれる人に贈る」という主体へと変遷が可能なのだと思う。
この悪循環から好循環への、後追いから先手への、立ち位置の転換。「学びの回路を開く」上で、このパラダイムシフトは欠かすことが出来ない点であろう。