雑種の先にあるもの(連作その4)

前回のブログでは慣れない丸山真男論を書いてみたので、今回はもういちど「学びの回路を開く」の連作シリーズに戻る。とはいえ、この連作、がっちりとした骨組みに基づいて書いているのでは無く、主題に関して思いつくままに書いているので、かなりの振幅の広い(とういか、とりとめのない)内容になっている。これを何とかまとめて一つの著作にしよう、という無謀な事も考えているが、まあ、そのための「ホップ」とでもいえようか。

で、今日取り上げるのは、前回のブログで「戦後啓蒙主義」の丸山真男が「共同体を超える」ために「する」こと論理を取り出した事に関連している。丸山は「である」ことに内在する地縁・血縁の呪縛からの解放を「する」ことに託したが、それから50年たって、そもそも「すること」の商品化・自己組織化が進んでいないか? 「する」ことに人間が支配されていないか?という問いかけを前回のブログでは書いた。
そのような意味で、上記の問いは「モダン」を問い直す問いである。で、そういうお仕事は、理論社会学の分野で展開されているよなぁ、そういえば・・・と書架から引っ張り出したのは、大学時代からお世話になっている社会学の大家の先生に頂いた近著。紐解いて見ると、ちゃんと整理して下さっている。
「モダンの変容といった場合、二つのケースがあることに気づく。そのひとつが、欧米の歴史のなかで蒙ったような変容。もうひとつが、異なった社会的・文化的コンテクストのなかに移転されるなかで蒙る変容。前者が時間的移動に基づく変化とすれば、後者は空間的移動に由来する変化といえよう。ポストモダンとは時間的=歴史的経過に注目したモダンの変容の特徴付けのひとつである。空間的な移転あるいは文化伝播によって蒙るモダンの変質を何と呼んだらいいのか。文化伝播に伴うモダンの変容を『ハイブリッドモダン』と名づけることにしよう。」(厚東洋輔『グローバライゼーション・インパクト』ミネルヴァ書房、p27)
ハイブリッドとは、プリウスで一気にお馴染みの言葉になったが、蓄電とガソリンの混合で動く、つまり「雑種」という意味である。そう、僕らの世代なら受験勉強で必ず読んだ、加藤周一氏の「日本文化の雑種性」のことを、「ハイブリッドモダン」と指す。それなら、よくわかる。欧米で花開いた産業革命や市民革命の成果である工場制労働や議会民主主義を、「空間的な移転」として「輸入」し、「和魂洋才」という形で日本文化の中に入れ込んだのだから、確かに内発的なモダンでは無く、内発的文化と輸入した文化との融合という意味で、ハイブリッド・モダンそのものである。また、モダンの種別的特性として「高度な移転可能性」がある、とも厚東先生は述べる。
「近代文化とは移転可能性が極限にまで上りつめた文化複合体と規定できるだろう。とはいえ合理化されさえすれば移転可能性の程度が高まるというわけではない。合理化の進行が移転可能性の高まる方向で進んだのが西欧合理主義のひとつの特徴といえるだろう。モダンはたしかに西欧を基盤に生誕した。しかし異なった文化圏に移植されても有効に作動し続けるのがモダンである。モダンの種別的特性として高度な移転可能性がある。モダンにとっては移転に移転を重ね、『グローバライズされること』が運命となる。その限りでモダンの本来の故郷は、西欧ではなく、『グローバル・ソサイエティー』ということになるだろう。」(同上、p25)
なるほど、モダンの果てにグローバライゼーションがある、のではなくて、もともとモダンというのが「高度な移転可能性」を基軸に組み立てられるなら、その合理化の進行は当然の帰結として「グローバル・ソサイエティー」に至るのですね。タイでもトルコでもパリでもマクドナルドが幅を利かせているのも、「高度な移転可能性」の格好の例であり、それが「マクドナルド化する社会」なんて言われたりもした。だが、そのことよりも、この「移転可能性」で興味深いのは、「モジュール化への動き」について、である。
「モジュールとは、社会制度の機能単位のことで、社会制度はこうした(相対的に)自己完結した機能ユニットから組み立てられている『モジュール連結体』とみなされる。モジュールは、他の制度的要素からの支援をうけることなく、独自な情報-資源処理を通して、特定のタスク実現=課題達成を果たす事が出来るところに、その真骨頂がある。こうしたモジュールは、ギデンズの言葉を用いれば、コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型といえよう。もしもこうしたモジュールが識別可能なら、文化移転の基本単位はこのモジュールということになる。(略)モジュールをひとつずつ慎重に吟味し、その過不足のない移転の積み重ねによって、制度全体を作り変えていく。オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる。モジュールを戦略地点に選ぶのが文化移転の最も効率的な方策であろう。」(同上、p37)
明治維新の時以来、日本がイギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどの欧米列国で盛んに学び、導入した科学的英知は、実はモジュール単位だった、といえば、すごく納得が出来る。どうして別の国々の思想なり文化を移植する事が出来たのか。この問いには、それぞれの領域において、その国の「自己完結した機能ユニット」である「モジュール連結体」が、日本に役立つ、と思ったから入れられたのだ。で、この「モジュールの無駄のない組み合わせ」としての「モジュール連結体」の移転は、欧米から日本へ、だけでなく、日本国内でも中央主権的に地方に移転されていった。都道府県というシステムは、「モジュール連結体」を日本の隅々に移植するにあたって、270もの藩単位に一気に普及させるにはコストやエネルギーがかかりすぎるから、その上位機構として47というブロック単位を作った、という理解をするとわかりやすい。規格化・標準化されたモダンの「モジュール」としての病院、学校、工場、道路、法制度、警察・・・というシステムを一気に広めるには、そのようなコントロールが当時の伝播にふさわしい、という判断があったのだろう。そして、日本は幸運なことに、この「モジュール連結体」の移植で大成功を収めた。
だが、一世紀から一世紀半前に移植し大成功を収めた様々な「モジュール連結体」は、その制度疲労、というか、その限界に達している。丸山真男などの「戦後啓蒙」派の人びとは、日本に根付かなかった「市民革命」的な市民の主体性や自立性という「モジュール」を「する」ことの論理に仮託して、日本に移植しようと試みた。その成果があったのかどうか、はさておくとして、丸山らが当時負の遺産として考えていた身分・家柄・地縁・血縁などの「しがらみ」としての「共同体主義」(=「である」ことを支える論理)は、あれから60年で見事に吹っ飛んでしまった。それも丸山が希求したような「オープンな対決と競争を通じて、議会政治の合理的な根拠を国民が納得していく」という形で「共同体主義」が塗り替えられたのではない。前回のブログにも書いたように、むしろ「する」ことの商業化・自己組織化が進む中で、自己決定や自己選択に思える内容もマスコミや広告による巧みな誘導(洗脳?)として市場化されていった。これは「広告」「マスメディア」という「モジュール連結体」の大きな勝利でもあり、この「高度な移転可能性」のあるメディアと広告の力によって、「標準的な都市の論理」が日本の郊外の隅々にまで移転し、シャッター通りや過疎化・限界集落と国道沿いの金太郎飴のような大規模店の全国展開、が進んでいったのである。これもそのような「モジュール化」の大成功、とも言えるだろう。
とはいえ、それが限界に来ているのだ。丸山の時代は、ハイブリッドモダン化するにあたり、戦後民主主義という「モジュール」をどう日本に成功裏に移転するか、が課題であった。あれから60年を経て、今の日本社会で暮らす私たちに突きつけられている課題は、「出来上がってしまったハイブリッドモダンをどう乗り越えていくか?」という問いである。つまり、以前は「空間的移動」が主題化されていたが、それが変容しながら内在的論理になった今、問い直されるのは、そのハイブリッドモダンの「時間的移動に基づく変化」とどう向き合うのか、である。ポスト・ハイブリッドモダンとでもいえようか。日本社会でモダンを問い直す、ということは、そういうことを意味するのでは無いか。
で、ここでようやく「学びの回路を開く」という連作シリーズに戻ってくるのである。(今回も長い迂回路ですいません)
たとえばこのブログで主題化している、過疎化や少子高齢化の中でどうやって住み慣れた地域で、障害があっても、高齢になっても、シングルマザーでも、ターミナルケアの状態でも、自分らしく暮らしていくことができるか、それをどう支えるシステムを作るか? この問いに答えるためには、実はこれまでのモジュールそのものを問い直す必要があるのだ。厚東先生の言葉を借りるなら、「オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる」必要があるのである。そういう視点で眺めてみると、以前のブログで紹介した岡山モデルや高知モデルも含めて、その推進役である小坂田先生や地域包括ケアを進める人びとがしてきたのは、「モジュールの分解と分析、再統合」であった。これは、その後のブログでご紹介した、中山間地の再生に取り組む各地の実践とも通底している。そして、これらの「先進地」で行われていることを、「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型」としての「モジュール」として昇華させた上で、「移転可能性」を高めて他の地域に移植すればいい、という案が浮かび上がってくる。現に、厚労省の言う地域包括ケアの絵は、そういうものとして描かれている。
しかし、である。それはあくまでもハイブリッド・モダン時代の発想ではないか。ポスト・ハイブリッドモダンの時代にあっては、単に「抽象性システム」としての「モジュール」を当てはめるだけでは、うまくいかなくなっているのではないか。
ここからは、文献を離れて、ぐっと夢想的・妄想的な話をする。
戦後のハイブリッドモダンを移植する段階では、まだまだ土着的な土の力は、かなりの強固なものであった。丸山真男ら「戦後啓蒙世代」が必死になって引きはがそうとしても、なかなか人びとの心を支配している「村社会」の土着性であった。だが、「する」ことの市場化と「である」ことのハイブリッド化の進展の中で、この土着性こそ、とことん根絶やしの方向に進んでいったのではないか。たとえて言うなら、土壌改良されまくり、本来の力を失った土、というイメージが思い浮かぶ。「ジャスコ」や「洋服の青山」「パチンコ屋」「マクドナルド」「くら寿司」が並ぶ街並みをみて、どこの郊外か全くわからないほどの無表情化している、ということは、ある種の土着性の去勢のようにも思えてならない。それが「文化の伝播」の「学習」なら、真面目に学びすぎた結果でもある、といえるだろう。
で、去勢され、勢いがなくなった土着性は、実は人びとの「しがらみ」だけでなく、「帰属意識」も「安心感」も含めた「ふるさと」そのものを葬り去ろうとしている。雑種文化=ハイブリッドモダンによって日本は繁栄を得たが、それは均一化をもたらし、個々人のアイデンティティを裏打ちする個性や豊かさを奪う部分もあった。変な言い方をすると、「均一な雑種」とでも言えようか。「あなた」が「私」や「彼」と入れ替わっても、「甲府」の郊外が「八王子」や「堺」のそれと入れ替わっても、何の問題もなく動き続けていくシステム。その無表情なシステムの中で、個々人の魂が蓋をされ、「均一な雑種」がやがて、個々人の存在の発露に蓋をする呪縛として覆い被さる。それはあたかも以前「しがらみ的共同体」が蓋をしていたのと同じように。
そこから自由になるにはどうしたらいいのか。もう一度、呪術的な土着性に戻るべきなのか。そこに補助線を入れるとしたら、「世界の再魔術化」という副題のある本を思い出す。
「『対抗文化(カウンターカルチャー)』のさまざまな要素を結び合わせる共通の絆はあるのだろうか? おそらくそれは『回復』(recovery)という概念である。それらがめざすのは、本来の我々のものであるはずの、身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚、そうしたものを回復することである。そこで唱えられているのは、単に『ゼロ成長』とか工業の減速だけでは無く、この四半世紀の間に失われたものを過去から取り戻そうという姿勢である。前進するために後退する。つまり、それは未来を取り戻そうとする試みなのだ。」(モリス・バーマン『デカルトからベイドソンへ』国文社、p328)
ただ、バーマンの表記は一見すると「復古主義」的に見えるので、注意が必要だ。リカバリーというと、精神障害者支援の分野でも最近「ブーム」から常識へ、と展開している。とはいえ、このリカバリー概念も、以前の状態に戻る、という単純な意味で使われているのではない。リカバリーモデルの提唱者の一人、リック・ゴスチャは「精神障害者は、自分の人生を取り戻し、再生し、改善させることが出来る」といっている。精神障害になり、それまでの仕事一辺倒とか家族関係とかそういう以前のシステム体系が一旦破綻してしまった、という前提のもと、その「人生を取り戻し、再生し、改善させる」か、が鍵になる。「回復」とは「以前と同じにするのではなく、今の状態からどう次のゴールを取り戻し、再生し、改善されるのか」という問いでもある。
そう思ってバーマンの定義をみると、「失った『本来の我々のもの』」としての「身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚」を、復古主義的にではなく、現代のコンテキストの中で、どうリハビリテイトさせるか、という課題である。
ポスト・ハイブリッドモダンとは、「均一な雑種」の「先にあるもの」を探す営みである。そして、「均一な雑種」からの離脱であるならば、それを既存の「モジュール連合体」の文化伝播という形で乗り切る、という前時代の「ハイブリッドモダン」の振る舞いそのものを再帰的に振り返り、反省し、乗り越えていくことが求められる。つまり、「モジュール化」が「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』」によって支えられたとするならば、それによって土壌が改良されて土着力が根絶やしにされかかっているとするならば、その去勢された「コンテクスト」という土着力を、現在の視点で再発見し、その土地のポジティブな力として再生させる、という方向でしか、息吹を吹き返さないのではないか。「均一な雑種」の先にいくには、その「均一な雑種」が蓋となって抑圧してきた、その土地独自のローカリティを、「均一な雑種」とどう接合させるか、が課題になっている。
ただ、この際、土着の危険さにも注意が必要だ。
「モダニティの平板さに飽き飽きして、代わりに、差異を産み出す源泉として、土着の文化・文明にスポットライトがあてられる傾向もある。ここにファンダメンタリズム=原理主義が跳梁する根拠がある。」(厚東、同上、p59)
原理主義は、モダニティという平板さの否定として立ち現れる。だが日本社会で暮らす私たちは一方で、ハイブリッドモダンの恩恵を十分に受けていて、それを捨ててまで原理主義的になることは出来ない。であれば、この土着の文化・文明への「スポットライト」のあて方も、単に復古主義的なそれではなく、ハイブリットモダンの文脈と、土着の文化・文明の文脈を、どう対等な形で接合させるか、という視点が必要になる。それでこそ、「均一な雑種」から、その土地らしい「雑種」への昇華・変容が可能になるのだろう。そして、その際の方法論として厚東先生が示唆しているのが、文化と文化の間の相互作用としての「マクロ・インタラクション」である。
「今後問題なのは、二つの文化が出会ったとき、いったい何が起こるかである。相互に排斥し合う、あるいはどちらかが模範とされる、という両極端な場合は、もはや起こりえないであろう。お互いに、他の文化を学習し合い、自己変革を遂げることになると思うが、その結果どういう文化が生まれるのかについて考えようとすると、頼りになる指針が存在しないことにあらためて気づかされる。」(同上、p105)
この際の二つの文化、とは、ハイブリッドモダン化された日本の文化、とポストモダンでスローフードを実践しているイタリアのそれ、といったものにも当てはまるが、それだけではないと考えてみると、面白い。例えば「均一な雑種」としての都市と、徳島県上勝町のような「文化再生を果たした田舎町」、あるいは「均一な雑種」としての現代都市文化と、その同じ都市の150年前の文化、こういった、空間・時間的な文化の比較の中から、「他の文化を学習し合い、自己変革を遂げる」ヒントが隠されている。そういう学習のサイクルを回す中で、「未来を取り戻そうとする試み」としての「回復」が展開されていく。それこそが、ポスト・ハイブリッドモダンの時代に求められる展開なのではないだろうか。最後に厚東先生による近代化の定義を引用しておきたい。
「近代化とは伝統が消滅し近代のみが勝ち誇る過程ではなく、同時代を地平に『新(モダン)』と『旧』の新たな差異化が行われる過程である。伝統は消滅するのではなく、理念的に再編されるだけである。近代化とは伝統を<地>に近代が<図>として描き出される『複層的』過程である。」(同上、p130)
<地>だけ見ると原理主義に陥り、<図>だけに浮かれると開発至上主義者になる。そのどちらも、限界が来ている。だからこそ、既存の「モジュール」としての(=制度化された)設計図を当てにせず、その地域独自の<地図>を描き直す試みが必要なのだ。そして、この独自の<地図>の描き直しこそ、「学びの回路を開く」ことそのものなのだ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。