個性化への道

2週間ばかり、ブログの更新が止まっていた。
連休明けの週末から週明けにかけては、大阪や三重の現場で、研修をしたり、議論をしたり、の外回り。一方、先週末から今週の冒頭は、今取り組んでいる単著の書き直しに没頭。そして、平日は大学の講義もあるし、今年から学内委員会の委員長になってしまったので、その学務の段取りや仕込みもある。とかく、いろいろ忙しい。
だが、そうやって日々動き、考える中でも、とくに今の時期は、自らのあり方を捉え直す時期なのだと感じている。たとえば、個性化について。
何を今更、個性なのよ、と言われそうだ。そんな、くよくよ悩んでいるのですか、と。
いや、そうではない。自らの個性化への道に、素直に向き合いたい、とようやく思うようになってきた、ということだ。
以前のブログで、福田和也氏の本に出てきた「やりたいこと」「できること」「世間が求めること」について、取り上げた。久しぶりに自分が2年前に書いていたブログの内容を読み返して、この2年での変化を感じている。2年前の段階では、「世間が求めること」に取り組むこと、そして「できること」のレパートリーを広げること、に必死になってきたのだが、それだけでいいのだろうか、と疑問を感じ始めた頃だ。もちろん、自らの技芸を磨くことは大切である。また、対価を頂く仕事として、その品質を保つことは社会人として当然の責務である。だが、その一方で、技芸を磨き、責務を果たすだけでは、常に「他者」という評価軸を意識していることになる。その「他者」軸に依拠し続けることに、何だか閉塞感というか、苦しさというか、そういうものを感じ、それを乗り越える為にどうすればいいのか、もがき始めたのが、ちょうどこの2年前という時期であった。
そして、今更ながらだが、個性化についての古典の中に、自らのプロセスが見事に言語化されている一節があった。
「個性化とは、まさに人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすことになるのである。というのは、個人の特性に十分な配慮が払われれば、それが軽視されたり抑圧されたりしたときよりも、より大きな社会的功績を期待できるからである。すなわち個人のユニークさとは、けっしてその実質や構成要素が変わっているということではなく、むしろ、それ自体は普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っているということなのである。」(ユング『自我と無意識』レグルス文庫、九四頁)
そう、「人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすこと」としての個性化。それは、たんに「やりたいこと」をやるだけでは、僕の場合は恐らく達成できない。「できること」を広げ、「世間が求めること」に応え続けるなかで、少しずつ醸成されてきた何か、ともいえる。
大学の教員になって8年目になるが、去年あたりから、少しずつ変化していることがある。去年までは、講義において、ある程度確定的になった理論や価値観について、その背景知識も含めて説明していた。その際、それを説明なり解説なりする僕の価値観、についての表明はなるべく抑制的であった。僕自身の「押しつけがましさ」という限界は理解しているつもりであり、それが教育場面で逆効果にならないよう、様々な社会問題そのものを学生にぶつけ、そこから考えてもらい、対話しながら論点を深める、という形での講義を展開していた。
その際、学生さんにしばしば問われたことがある。それは、「一つ一つの講義で取り上げる素材は面白いけど、全体としてどう繋がっているのかわかりにくい」ということ、また、「先生はその問題についてどう思っているのか、教えてほしい」ということ。この2つは、何度も言われてきた。でも、敢えて言わない方がいいのではないか、と思い込んでいた。それが、先ほど書いた自らの「押しつけがましさ」に関してのわきまえである。だが、最近波長が少し変わってきた。それでは、学生を信じていないのではないか、と。僕が、「自らの価値観の表明だから、鵜呑みにしなくて良い」と宣言した上で、事実や理論と、自らの価値を分けて表明したら、学生さんにも誤解なく伝わるのではないか、と。
実際、そうしてみると、実に伝わる。昨年より、反応が随分よい。また、僕自身、講義で取り上げるひきこもりや自殺、認知症ケアやシングルマザー支援などについて、講義の最後に自分の価値や考えをしゃべってみると、実はこういう事を「語りたい」と思っていたことに、遡及的に気づき始めた。つまり、僕はこれまで教員として「できること」のレパートリーを広げ、学生に「求められていること」を伝えているつもり、になっているが、それと自らの「やりたいこと」を講義という枠組みの中でつなげきっていなかった。それが、自らの中で消化不良であり、学生さんにとっても不全感や消化不良として残っていたのではないか、と。
僕自身は、音楽や絵画、スポーツなどでの自己表現が得意ではない。ただその分、しゃべったり、書いたり、という表現方法を選んだ。いや、最初のうちは、それしか考えられなかった。でも、その書く・話すという表現方法においても、「できること」の幅を広げ、「世間に求められていること」に応える中で、いつのまにか、「やりたいこと」の追求がおろそかになっていた。そして、数年来感じていた閉塞感とは、この自己表現としての「やりたいこと」の追求が出来ていないことに起因する何かではないか、と感じ始めている。たとえばこのブログでの自己表現だって、読んだ本から考えた事を表明する、という意味で、「できること」の拡充の手段であり、そして、無意識に書く内容を「世間に求められていること」から逸脱しない範囲に勝手に自己規制している側面がある。そういう点で、「やりたいこと」としての自己表現から、随分逸れた中身になっていたと気づき始めた。
そして、昨年あたりから、講義や講演、あるいは書き物で、少しずつ、自己表現しはじめている。話したいことを話し、書きたいことを書く、というシンプルなことだ。すると、今までより評判が良くなってくるから、不思議なものだ。それは、僕の中で、「できること」と「世間に求められていること」の全体像がおぼろげに見えてきた上で、単にそれに応えるだけでなく、その上で、僕が表現したいことを付け加えようとしているから、かもしれない。それが、ユングの言う「普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ということなのだろう。そんなにオリジナルなことを書いても語ってもいない。だが、その「組み合わせがユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ことに興味を持ってくださる方が、少しずつ増えてきている、のかもしれない。
すると、この個性化の過程、というのは、何もどんなブランドに身を包んで、とか、どういう思想に傾倒して、ということではない。むしろ、日々の暮らしの中で、「できること」の技芸を磨き、対話の中で「世の中に求められていること」の責務を理解し、それに応えながらも、その2つに埋没しないこと、を意味しているのだろう。そのうえで、自分なら、どのような「組み合わせ」と「分化」を選びたいか。この「したい」の本性を大切にし、この本性の流れに身を任せて、自己表現を続けて行く。それが、僕の場合はたまたま本業に近い、文章を書いたり、講義をしたり、で実現できそうだ。だが本業でなくても、土との対話、もの作り、山登り、絵や音楽、スポーツ・・・でも何でもよい。そういう自己表現の中に本性を落とし込むことができたとき、人は個性化の道をたどり始めるのではないか。
今朝起き抜けに「個性化の過程にいる」と感じた。その直観がどこまで文章に落とし込めたかはわからない。でも、僕自身、そんな個性化の旅に身をゆだねようと決意した。そういう自己表現を大切にしよう、と。今週末も、その創作期間に入ります。

事後対応型を超える為に

ブログを書き始めて、今月で8年目に突入する。

山梨で大学教員になった2005年の5月に、今はウェブデザイナーをしている高校写真部の友人に、ドメイン取得からブログサイト構築までお願いして作ってもらった。やっと定職に就いた、という嬉しさと、大学教員という肩書きのすごさへのビビリと、がないまぜになる中で、身辺雑記的なものを記録しておきたい、と思って始めた。当時はツイッターもFBもなかったので、また僕はミクシィとはご縁がなかったので、身辺雑記のウェブでの公開、というのはブログという手段しか無かった。
で、久しぶりに8年まえのブログを読み返して、自らの当時の「ビビリ」の姿勢がよくわかる。例えばJR西日本の列車脱線事故に関するブログ。事件発生の当時から、マスコミの糾弾の仕方に違和感を感じていた。事故を起こした運転士やJR西日本という会社を徹底的に糾弾する一方、なくなられた方々の遺族に「お気持ちは?」とカメラを向けまくる手法。これは、祇園や亀岡の車の暴走事故や、あるいは長距離バスの追突事故とも全く同じ構図である。確かに、事故は本当に許せないものだし、加害者である運転士・手や、管理する立場の運行会社の問題は、徹底的に追求すべきである。でも、この当時のブログに書き付けた違和感は、加害者の糾弾と、被害者家族に「お気持ちは」と追いかけるだけがマスコミの仕事なのか、という問いである。8年まえはそれを「個々の個人、会社”だけ”の責任なのか?」「時間感覚について」の二点で考えていた。
だが、8年まえは、この二つを書く事すら、こわごわと書いていた。だから、最近のブログと比較すると、実に文章が短い。事故が起きた直後に、こんなことを言うのは「不謹慎」ではないか。そういう「空気」を読んで、マスコミ報道の潮流とは違うことを言うことを、恐れている自分が一方でいた。根拠も無いのに、直感だけでこんなことを言っていいのか。ちゃんと勉強もしていないのに・・・。そんな恐れをなしていた。
あれから8年。今振り返ってわかったことは、直感は案外正しい、ということだ。ただし、ある程度、知識や情報で論理的な肉付や構造化をしないと他者には伝わらない、という限定付きではあるが。
この列車脱線事故にしても、その後の事件報道にしても、この時の直感で感じていたことを、今なら次のように構造化できる。
マスコミ報道の違和感は、問題を「事後対応」型で処理し、しかも「個人モデル」で検討している点にある。
こう書くと、次のような反論も来そうだ。起こってしまった事件を取材するのだから、当然「事件後」の「対応」じゃないか。しかも、過失責任のある個人や、それを監督する立場にある組織の問題を徹底的に追求するのは当たり前じゃないか。
確かに、一見すると、その通り、である。だが、この「事後対応」で「個人モデル」型の糾弾の仕方は、大岡裁きや水戸黄門を見ている観客のように、事故や事件に関係ない一般市民にとって「勧善懲悪」的な関心を持たせる。「本当にひどいねぇ」「言語道断だ」「被害者はいたたまれない」といった感情を持ち、マスコミ報道に「憑依」していく。被害者のつらさに共感し、加害者・組織への怒りを強める。
だが、その感情を、何ヶ月、何年と持続できるだろうか・・・。
マスコミは、毎日毎日、ニュースを追いかける。それはsomething newでありsomething interestである。新しさと面白さがある素材を追いかける。連日報道する内容は、新事実という面白みがなくなった段階で、「賞味期限切れ」であり、次の事件や事故の報道に切り替わる。読者・視聴者も、めまぐるしく報道される新しい何かに釘付けになり、あれだけ怒ったり悲しんだりした以前の事故は、すっかり忘れてしまう。厳しく言えば、「他人事」だから、マスコミ報道に「憑依」して共感や怒りを持ち、「他人事」であるがゆえに、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。ニュースのワイドショー化が言われて久しいが、事件を「ドラマ」化して、「他人事」として消費している。
だが、本当にある問題を「問題だ」と感じるなら、構造的類同性の方にこそ、目を向けなければならない。8年まえに感じていた「時間感覚」や「個人責任への矮小化」の違和感とは、結局のところ、「問題の一部は自分自身ではないか?」という問いであった。もちろん、その当時、そんな言葉を全く持っていなかったが。
電車が1分でも遅れたら、運転手や車掌が「お急ぎのところ、申し訳ありません」と謝罪する。ちょっと待ってよ。たった数分じゃない。でも、1時間とか2時間とか遅れようなら、駅員に喰ってかかり、時には傷害事件にすら発展する。「そんなに急いでどこにいく」。この「早く」「正確に」という事への強迫的願望が、僕やあなたの中にすくっていて、それが、遅れを許さない、遅れに罰を与える、という鉄道会社の内在的論理に組み込まれた。その内在的論理に抵触する「遅れ」に焦った、「出来の悪い」運転士が挽回しようと必要以上に速度を出した。すると、そういう事を要請した私たち自身の「早く」「正確に」という強迫的願望が、事故の背後にあるのではないか。
そして、これは高速バスの事故でも同じような構造的類同性を感じる。デフレで規制緩和をすることによって、バスの価格破壊がすすみ、安全の担保よりも値下げ競争が強まった。それは、過剰な安さを求めた、僕たち自身の願望の裏返し、とは言えないのか。確かに、日本では必要以上の規制が多すぎるし、それは緩和しなければならない。でも、安全や安心に関わる規制まで緩和の対象にして、本当に大丈夫なのか。これは、混合医療に向けた規制緩和を求める声、あるいは義務教育のバウチャー制度化を求める声、にも同じように感じる危惧である。規制緩和や自由化は、情報の非対称性が強く、安心や安全を担保すべき領域では、馴染まないのではないですか、と。
こういう、出来事の背後にあるパターンや構造こそ、問題がある。これは、8年後なら、やっと言える。最近読んでいる分厚い本にも、こんな風に書かれている。
「なぜ構造の説明が重要かというと、それをもってしか、挙動パターンそのものを変えられるレベルで、挙動の根底にある原因に対処することができないからだ。構造が挙動を生み出すゆえに、根底にある構造を変えることで異なる挙動パターンを生み出すことができる。この意味で、構造の説明は本質的に生成的(根源から創造する)である。また、人間のシステムにおける構造には、システム内の意思決定者の『行動方針』も含まれるので、私たち自身の意思決定を設計し直すことがシステムの構造を設計し直すことになる。」(ピーター・M・センゲ『学習する組織』英治出版、p104)
ある事件や出来事の背景には、共通の挙動パターンや類同性がある。その背後には、何らかの問題が構造化可能だ。そして、その構造を解き明かし、説明することが、問題を本質的に解決するためには必要不可欠だ。本当に感情的に「許せない」と絶叫するなら、その気持ちを、論理的に問題を解決するためのエネルギーとして使った方がいい。だが、加害者やその会社、関連団体に苦情電話や誹謗中傷をするエネルギーがある人も、それを構造問題を解き明かすために使おうとしているかどうかは、甚だ疑問である。祇園の事件の後、日本てんかん協会に誹謗中傷攻撃を仕掛けた人のどれだけが、てんかん病のある人が追い詰められずに働ける構造を作る為の構造的説明に時間をかけているだろうか。
「○○が悪い、許せない、責任者出てこい」
こういう風に他者を誹謗中傷するのは、ある種の人にとっては、勧善懲悪のドラマの主人公に憑依できているようで、気持ちよいだろう。だが、その一瞬の「すかっとさわやか」はあっても、そこから問題を本当に解決しようとしていないのであれば、事件をダシに消費しているだけで、他人事であり、無責任であり、そういう事件を消費して楽しむスタイルだって、言語道断、とは言えないだろうか。
長くなってきたので、結論を急ごう。本当に問題を解決したければ、「事後対応型」の「個人モデル」ではダメだ。起きてしまった事故を繰り返さない為には、事故を教訓に、「事前予防型」の「社会環境改善モデル」を採らなければならない。
「システムの構造を設計し直す」には時間がかかる。そして、そのシステムで安住している自分自身の「根源」も時には揺らぎかねない。変化を求めない人にとっては、個人に問題を矮小化し、「あいつが悪いからあいつが変わればいい」と他人事で見ていた方が楽だ。でも、「挙動の根底にある原因に対処」しない限り、問題は本質的に解決しない。本当に「異なる挙動パターンを生み出す」=つまりは、事故を繰り返さない、ことを求めるならば、「根底にある構造を変えること」が求められる。こういうラディカルさがないと、本質は何も変わらず、「熱さ忘れた」頃に、また同じような事故という挙動パターンを繰り返すことになる。失敗学が提唱している失敗から学ぶ、というのは、そういう「システムの構造を設計し直す」ための学びなのだ。そして、それを設計しなおすことは、そのシステムの構造に影響を与えている・与えられている、意思決定者の一人である僕やあなたの考え方を変える、ということも求められる。だからこそ、問題の一部は自分自身、でもあるのだ。そういう構造的類同性に気づけるか。問題の一部を自分自身、と引き受けられるか。
最後に現在から未来の問題について。原発災害で、脱原発か原発再稼働かで国論を二分している。この時に大切なのも、「事前予防型」の「社会環境改善モデル」で構造から根源的に考え直す視点だ。その時に、別に原子炉の構造や資源エネルギー政策を詳細に熟知している必要は無い。新聞記事レベルでも始められる。「問題の一部は自分自身」という視点で、電力に過度に依存する自分自身とシステムの問題を見つめ直すことが、まず決定的に大切なのだ。自分が変わらないのに、他者に変われ、と言っているだけが、最も他責的で、傲慢なのではないか。僕はそう感じている。
追伸:今日のブログは、ちょっと前に読み終えた佐々木俊尚さんの『「当事者」の時代』(光文社新書)にかなり感化されている部分がある。ただ、研究室にその本を置いてきてしまったので、引用は直接出来なかったが、メンションしておく。分厚いけど、マスコミの「憑依」の問題を徹底的に問い直す、非常に良い本です。あまり売れていない、と佐々木さんはツイッターで呟いておられたが、あれはロングテールのように、長期的に読まれ続ける良書だと個人的には思っている。少なくともAmazonで平均☆三つの評価、は酷い。僕なら間違いなく五つ星にする。

タケバタヒロシの当事者研究

たまに、普段なら読むことのない本を手に取ることがある。タイトルだけみたら、避けていたかもしれない。でも、とある書評で興味を持って、注文をかけた本が昨日職場に届いていて、結果的に一晩で読み終えた。かつ、今抱えているしんどさの原因が、だいぶすっきりわかってしまった。

「敗者が抱えている問題は『運』と『計画』を区別できないことである。」(マックス・ギュンター著、『運とつきあう-幸せとお金を呼び込む13の方法』日経BP社、p33)
ここには、随分深遠で本質的な命題が書かれている。そして、僕が混乱しているとき、ひどく落ち込むとき、実はここに書かれているように、「『運』と『計画』を区別でき」ていなかった。それは一体どういうことか? まずこの二つの言葉を定義する必要がある。
「運(名詞) あなたの人生に影響を与える出来事であるが、自分で作り出せないもの。」(p11)
ふむふむ、極めて真っ当な、かつわかりやすい定義ですね。確かに「運」は「自分で作り出せない」けど、「人生に影響を与える出来事」だもんね。で、「計画」はどう定義されているのか? 実は運ほどきれいに定義されていないが、次の例を読めば、筆者のいう「計画」の定義がわかる。
「車の運転をするときには自分の腕前(計画)を信じていれば、たいていは無事に目的地にたどりつく。まれに不運がめぐってきて、目的地にたどりつく前に飲酒運転の車に衝突されるかもしれないが、そんな不測の事態が起こる可能性は小さい。こういった状況は計画が運を凌駕する例の一つで、計画が99パーセントを支配し、運の役割は一パーセントにすぎない。」(p35)
確かに車の運転が自分でコントロール不能な「運」に支配されているなら、危なくて仕方ない。自分の腕前というコントロール可能な「計画」が支配的であるから、その基本的な腕前を身につける教習所に通い、検定に合格したら、最低限のコントロール可能性としての「計画」が出来るという免許がもらえるのである。ここまで、すんなり頭に入った。ここから、実に興味深い展開がはじまる。
「人間の欠点や能力と同じように人生も運に支配されている。不運に見舞われたら事態を冷静にみきわめることだ。本当に自分がミスを犯したために失敗することもあるだろう。何かヘマをしでかしたのか、そもそも能力が足りなかったのかもしれない。けれども、9割がたは運に支配されていたにすぎない。それならば『運が悪かった』と認めるのは決して恥ずかしいことではない。ニューヨークの心理療法士、ナンシー・エドワーズ博士は、患者の中でもっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責めるタイプで、そうした人はたいてい不運続きの人生を送っているという。」(p42)
恥ずかしながら、僕自身の大きな課題の一つに、この「患者の中でもっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責める」という行動様式がある。くよくよしがちで、発言に対する他者の対応や反応を気にしたり、あんなことを言わなければよかったという後悔が激しい。それが支配すると、悪夢のようにグルグルと自分の体内を駆け巡る。何度も何度も、スルメをかみ直すように、思い出し「くよくよ」をする。それで、随分心的エネルギーを浪費していると思う。しかも、メールや発言の一言でくよくよしているけど、案外他人は何とも思っていなかったりするので、それが無駄だと頭でわかっていても、やはりクヨクヨする。
少し横滑りするが、連休中にユングを読んでいて、どうもこのクヨクヨは単に否定的傾向、というよりも、一つの人格としての「アニマ」なのではないか、と思うようになってきた。
「男性のあるべき理想像としてのペルソナは、女性的な弱さによって補償される。個体は外的に、強い男性を演じる一方、内的には女性に、つまりアニマになる。ペルソナに対抗するのはほかならぬアニマだからである。しかし内面というものは、外向的な意識に対しては暗く、見えにくいものであり、またひとがペルソナと同一化していればいるほど、自分の弱さを考えることができなくなるため、ペルソナの対立物であるアニマも、完全に暗闇にとどまることになる。したがって、アニマはまず外部に投影されるほかなく、それによって、英雄も妻の尻にしかれる仕儀となるのである。」(カール・G・ユング『自我と無意識』レグルス文庫、p128)
僕は、英雄ではないが、妻の尻には確かにしかれている。また、それを望んで?気の強いパートナーを選んだ部分もある。また、ペルソナとしては、前回のブログで書いた単著の中で分析したけれど、大学教員というペルソナに圧倒されて、違和感を感じ始めたあたりから、どうも身体症状としての冷え性や肩こりが酷くなった部分もある。クヨクヨや後悔、という傾向も、大学教員としての社会的な人格が成長する中で、いっそう強まっていった部分もある。それをアニマ、とラベルを貼ってみたとき、ユングの次のフレーズがすごくすっと心の中に入る。
「彼がなすべき唯一正しいことはアニマの姿を自律的人格として把握し、それに人格的な問いをさしむけることなのである。」(同上、139)
そう、「クヨクヨさん」は、否定すべき、打ち消すべき弱点、ではなくて、「一つの人格」としてのアニマと考えてみたら、どうなるだろう。「それに人格的な問いをさしむける」って、まるでべてるの「当事者研究」そのものだ。確かにべてるの当事者研究は、自分でコントロール不能な幻聴や幻覚、妄想に基づく嬉しくない行動の発露に対して、「幻聴さん」などと「一つの人格」を与え、当事者やソーシャルワーカーなどの「研究仲間」とともに、その一つの人格と向き合い、その行動が変わるためにはどうすればいいか、を「研究する」というスタイルである。
と、研究者的に定義できる「知識」はもっていたが、まさか自分自身が「当事者研究する」とは思っていなかった。でも、そういえば、べてるでは、専門家だって、自分の当事者研究をする、って言っていたよなぁ、と、浦河に訪問したときに聞いた話がよみがえる。でも、あのときは一般論として他人事的に聞いていたのだな、と今、改めて感じる。
さてさて。
で、「クヨクヨさん」と「自律的人格として把握」して、連休中にクヨクヨさんがもたげてきたら、「あんたは、それで何をしようとしているの? どうしてクヨクヨしたいの?」とぶつぶつ問いかけてみた。妻は当然気持ち悪がっていたが。でも、アニマという一つの人格として問いかけはじめた矢先に、先の「運」と「計画」について読んだので、「クヨクヨさん」の構造が、かなりハッキリわかり始めた。長い迂遠の後に、『運とつきあう』の議論に戻る。
先の定義に従えば、運とはコントロール不能なものであり、計画は反対にコントロール可能なものである。努力して頑張れば誰でもその能力が高まるのは、定義に従うと、運ではなく計画である。逆に、頑張ったところで、自分がコントロールすることができないもの、それが運である。
で、「クヨクヨさん」は、運なのか計画なのか。あんなことをしなければよかった、というのは、する事の反省であるから、これは計画である。だが、「クヨクヨさん」が自分の中で支配的な時、それは行動の反省を超えている。その背後で、他の人はどう思うのだろうか、よく思っていないんじゃないか、という他者の評価や思いを推測する気持ちが大変強くなっている。その、他者評価や他人の思惑は、自分でコントロールする事が不能なものだ。ということは、制御可能な計画では無く、制御不能な運、ということになる。つまり、「クヨクヨさん」というのは、自分の行動の反省という「計画」側面が支配的に一瞬見えるが、その実態は制御できない他者評価に妄想的に振り回されているという意味で、実は「運」の側面が支配的な人格なのである。
そして、「もっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責めるタイプで、そうした人はたいてい不運続きの人生を送っている」とは、コントロール不能な運を、コントロール可能な計画と誤認して、「自分を責めるタイプ」である、と見立てると、すっきりする。確かにそういうコントロール不能なことで「クヨクヨ」してたって、何の改善も見られず、疲れるばかりで、「不運続きの人生」になるよね。って、あ、僕自身も「クヨクヨさん」とそういう付き合いをしていたかもしれない!!! これが、タケバタヒロシの当事者研究的には「世紀の大発見」なのである。
これは、何でも計画制御可能である、という近代合理主義に落とし穴のような部分でもある、と感じる。そして、そのことは、計画制御について分析した別の本を想起させる。
安冨歩氏は『複雑さを生きる』(岩波書店)の中で、「調査・計画・実行・評価」という計画制御の枠組みを「人間の関与する事態に適用することは、原理的に不可能」(p109)と言い切る。単純な二足歩行や、砲台からの敵艦射撃を例にあげ、単純に見える動作でも、いかに技術やコンピューターで制御しにくいか、コントロールが難しいか、を分析した後、次のように述べている。
「仏教ではものごとの主要な影響関係を『因果』、副次的な影響関係を『縁起』と区別することがある。『因果縁起』ということばは、ものごとが単線的な原因結果関係で成り立っているというのとは正反対に、物事が複雑な相互関係にあることを示す。このような観点からすれば、世界がなんらかの安定状態にあるということは、事物の複雑な相互関係がそれなりの安定状態を達成するように『なっている』としか言いようがない。これを無理に『因果』だけを取り出して制御しようとすれば、ひどいことになるのはあきらかということになる。」(p119)
コントロール可能な「計画」という「因果」の世界の背後には、コントロール不能な「縁起」という「運」の世界が拡がっている。いくら行動を制御しきったとしても、それは「因果」の世界のみ。「複雑な相互関係」のなかで「世界がなんらかの安定状態にある」とき、それは「因果」だけでなく、「縁起」の部分が大きい。それを「因果」でコントロール可能だ、と思い込むことこそ不遜であり、計画制御やPDCAで全てが解決する、なんてはずはない。コントロールが本来出来ないことまで、計画制御をしたら可能だ、というのは誤認だ。こう、安冨先生は喝破している。
で、これを「クヨクヨさん」の原理に当てはめてみよう。(急に高尚な話から卑近な例に戻るが)
先に、「クヨクヨさん」というのは、自分の行動の反省という「計画」側面が支配的に一瞬見えるが、その実態は制御できない他者評価に妄想的に振り回されているという意味で、実は「運」の側面が支配的な人格なのである、と述べた。自分では「因果」の枠組みで制御可能だと思っているが、大半の部分はそう「なっている」という意味での「縁起」的世界が、クヨクヨさんの支配的構成要素である。そして、先に「クヨクヨさん」はアニマである、と言ったが、ユングが言うように、アニマの存在する「内面というものは、外向的な意識に対しては暗く、見えにくいものであり、またひとがペルソナと同一化していればいるほど、自分の弱さを考えることができなくなる」という性質のものである。つまり、「クヨクヨさん」という僕の中での自律的人格は、無意識の世界で「見えにくい」存在であり、かつ無意識の世界にお住まいの方なので、計画制御でコントロール可能なもんではない、「縁起」的存在である、ということなのである。
で、「縁起」的存在、つまり「運」の要素が強い「クヨクヨさん」と上手くつきあうにはどうしたらいいか。これには、実にシンプルな答えが用意されている。
「結果が悪いのは自分のせいではない。だから力の続く限りがんばればいい。」(ギュンター、同上、p45)
「運」と「計画」を区別する。区別した上で、起こってしまった出来事はコントロール不能な「運」=「縁起」だと割り切る。「うまくいかないのは運が悪かったからだと割り切」る。でも、努力可能な(=つまり「計画」できる)自らの技芸は磨く。それしかない。「クヨクヨさん」という自律的人格が強く自己主張をはじめられたら、こう語りかけたらいいのだ。
「クヨクヨさんは、今回は何をおっしゃりたいのでしょうか? 確かに、『こうすればよかった』と後悔したくなる気持ち、よくわかります。でも、自分でコントロールできない他者評価は『運』まかせ、ですよね。であれば、運でクヨクヨせず、次に出来ることだけを整理して、計画する、というモードに切り替えませんか?」
さらに、もう一つだけ、この「運」の本は「計画」についても、次のように述べている。
「長期的な計画を立てるのが悪いと言っているわけではないが、あまり杓子定規に考えない方がいい。計画は将来を見通すうえでの目安であって法律ではない。思いがけずに幸運が近づいてきたら、躊躇せずに、いさぎよく古い計画を捨てる-。これが運の良い人の態度である。何も考えず自然と振る舞うことによって、『長期計画の罠』に嵌まるのを直感的に避けているのだ。」(p118)
なるほど、知っている人は、ちゃんと「計画」や「因果」の枠組みに過剰に囚われず、「縁起」や「運」との巡り会いを大切にし、「躊躇せずに、いさぎよく古い計画を捨て」ているのですね。僕も「クヨクヨさん」も、この「運の良い人の態度」を見習うことにしよう。一人当事者研究の結論は、そういうことになった。

原点回帰した連休

この連休中は、ずっとブログの更新が出来なかった。毎朝午前中はブラウザを開くことも無く、ずっと原稿を書き続けていた。

『学びの回路を開く』
こんな仮題で、僕自身がこれまでに考えて来たことを、一冊の本にまとめようとしている。生まれて初めての単著へのチャレンジだ。
東大の安富先生や阪大の深尾先生が主催される「魂の脱植民地化研究グループ」の皆さんが出される叢書の一つとして出してみませんか、というお誘いをうけた。実は、僕は共著や編著者の経験はあっても、単著は出した事がない。憧れに感じてはいたものの、まだまだ自分は勉強不足だし、先になる、と思っていた。ふつう、博士論文を単著にされる方もいるのだが、僕の博論は、その時点では満身創痍で提出し、何とか学位は頂いたけど、そのままで出せるものではなかった。自費出版してまで出す気にもなれず、またフィールド調査の新鮮みも失われてしまったので、結局、大学の紀要にまとめてそれでオシマイ、になっていた。
あれから10年弱。そろそろ、自分の言いたいことも溜まってきた。ブログでこうしてずっと書き続けているが、やはり一冊の本として、これまで考えて来たことを、きちんと形にしたい時期になっていた。勉強不足、知らないことが多い、と言い出したら、多分一生書けないままで終わってしまうだろう。確かに、碩学だが一冊の本も出さない先生、というのも、アームチェア学者の中にはおられる。何を聞かれても答えられるほどの博学だが、学べば学ぶほど、自らが知らないことが多くなり、その事に対して恐れるあまり(=知らないことに誠実であるあまり?)、知るという行為を優先し続けた結果、その知った内容をまとめる、書き表す、という事に結びつかない先達のことだ。
だが、僕自身は、明らかにそういう人とは人種が異なる。
まず、そこまで碩学ではないし、溜め込み続けることが熟成になるとは、僕の場合には思わない。ある程度、出力を続けながら考え続けないと、その知識がどのような意味を持つのか、僕自身にとって何の役に立つのか、わからない。僕はレヴィ=ストロースの言うところのブリコラージュ、つまりは「その場で使えるものを使い倒して何とかする」という思考法でしか、前に進むことは出来ない。であれば、自らが学んだ知識も、実際に自分の人生の中で使いながら、その知識を元に考えて、書き進めながら、その知識の使い勝手を学んでいくしかない、という癖を持っている。だからこそ、ブログにも書き続けてきた。そして、そろそろそれは、ブログ上だけでなく、ちゃんと一冊の本にまとめた方がいい、と思っていた。
そんな時期のお誘いだったからこそ、喜んで引き受けた。
とはいえ、400字詰め原稿用紙換算で300枚、というのは、これまで書いた事のない量である。査読論文などは、だいたい50枚以内が多いが、それだってひーふー言いながら書いている。その6倍である。いくら、博論や幾つかの原稿が元ネタとしてあるから、といっても、そう簡単に書ける量ではない。
それから、今回は書くスタイルも、大きな問題だった。なるべく自らの内側に深く切り込んで、前言撤回的に書き進める、ということが、今回の目標だった。それは、次の警句を、本を書きながら、戒めにしていたからだ。
『長く書いて、かつ飽きさせないためには、螺旋状に「内側に切り込む」ような思考とエクリチュールが必要である。そして、そのためには「前言撤回」というか、自分が前に書いたことについて「それだけではこれ以上先へは進めない」という「限界の告知」をなさなければならない。おのれの知性の局所的な不調について、それを点検し、申告し、修正するという仕事をしなければならない。それがないと、「内側に切り込むように書く」ということはできない。前言撤回を拒むものは、出来の悪い新書の書き手のように、最初の5ページに書いてあることを「手を替え品を替え」て250ページ繰り返すことしかできない。』(内田樹 『140字の修辞学』
僕自身が、ここ最近、「手を変え品を変え」同じ事を書き続ける「出来の悪い新書の書き手」のような状態に、実は陥っていた。それは、以前から愛読している「研究者の悪魔の辞典」という恐ろしくも本当のことが書かれているウェブサイトの「30代の危機説」そのものだ。そんなに30代で成功したかどうかは別として、実はこの1,2年、有り難いことに、執筆依頼が増えている。それはいいことなのだが、その依頼をされる方は、障がい者制度改革に関わっていたという「経験」とか、あるいは脱施設・脱精神病院を研究してきたという「業績」を見られて、依頼して来られる。これらの「経験」や「業績」を評価頂くのは確かに有り難いことではある。だがその一方、それは既に「過去」の事である。この「過去」に基づいて、その過去の延長線上の文章を書いていると、「失敗が起こるのは、たいした種がなくても従来型の依頼に応え続けるケース」という指摘に当てはまっていく。従来型の依頼に応えていれば、それに基づいた文章が生産され、それを読んだ人は「この人はこういうことが書けるのね(こういうことしか書けないのね)」と判断され、それに基づいた同種の依頼が再生産され・・・(繰り返し)。という過去の縮小再生産サイクルになりうる。そして、僕自身が実はその縮小再生産サイクルに陥っていたのだ。
そして、それは本人が一番よく気づいていることだが、ありがたいことに、研究仲間のある人から、その縮小再生産サイクルに入っていた論文について、次のような真摯な一言をいただいた。
『これまでの竹端論文を全て読んできたので、コアなファンの眼では「竹端論文ダイジェスト+新事例」という印象で、新鮮な発見が少なかったからかもしれません。もちろん、一般の読者にとっては、要旨明瞭で、竹端論文の美味しいとこ取りの論文だと思いました。』
これは、実は非常に危険な状態である、という警句と受け止めた。
まず、僕の論文を全部読んで下さる、というだけで奇特な方なのだが、その上で、「新鮮な発見が少ない」とお感じになられた、ということは、もう僕が縮小再生産に傾きつつある、という指摘なのだ。つまり、「手を変え品を変え」、依頼に応えるために、角度を変え、新たな事例を入れながらも、同じ事を書き続けているのである。そう気づいた時、ある社会学の大家の先生に言われたキツイ一言がよみがえった。
「それって、埋め草原稿じゃないの?」
新聞や雑誌で、急に原稿内容の差し替えがあり、空白や余白が出る。今から広告だけで調整できない。そんな中で、隙間を埋めるために書かれた記事や原稿のことを指す。別に僕が依頼されて原稿を書く場合、数時間単位で書き上げる、厳密な意味での「埋め草原稿」ではない。だが、どこかで書いた内容の焼き直しに近い内容であれば、それは読者からしたら、「新鮮な発見が少ない」(あるいはない)という意味で、埋め草原稿そのものではないか。それが依頼主にとっては「埋め草」ではなくても、その依頼を断らずに応じて、それで意図的ではないにせよ業績になってしまう、という心性そのものも、「埋め草業績」を認める何かに通底しないか。そのような警句として受け取った。
実は、僕はあるジャンルでは、それをコンパイルしたら一冊の内容を超える位の原稿量は書き上げている。そして、数年前、事実それを書籍化しようとしていた(=だからこそ、それを欲しい、という人には全部コピーして配れる準備も整っていた)。だが、その束を抱えて、件の社会学の大家の恩師に相談に行った時、ハッキリそう言われた。
「一冊目が、何よりも肝心だ。人は処女作を読んで、こんな事を書いている人だ、とあたりをつける。その一冊目がつまらなかったら、この人は所詮こういう人だと、以後、見向きもされなくなる。だいたいおまえだって、◎◎さんや□□さんがぼんぼん出している本を、ちゃんと読み続けているか? また同じ事を書いている、と思って読まないんじゃないのか? それと同じになっていいのか?」
そう、たしかにその先生が挙げた某二人は、書籍を沢山出しているが、だいたい同じような事が書いてあって、かつ難しいので、いつも放っぽりっぱなしにして、読むことはなかった。有名出版社から出ているのに読めないのは、僕が頭が悪いし勉強意欲に欠けているからだ、と思っていた。でも、もしかしたら、知識は沢山詰まっていても、それが「埋め草原稿」的な、「新鮮な発見が少ない」何かである事を本能的に察知して、読まなかったとすれば・・・。
そう思うと、僕は単著の計画を封印して、少なくとも、そのジャンルでは、しばらくは本を出さない、ということに決めた。何よりも、自分にとって、わくわくとした面白さ、新しい発見がないようなプロジェクトは、新たな論文であれ、単著であれ、したくない、と思い始めていた。
であるがゆえに、この連休中の単著執筆は、本気で必死だった。
書いている自分自身にとって、「新鮮み」や「発見」のない原稿を書きたくない。でも、僕が持ち合わせている知識や元ネタには限界がある。それをないから、と新しい本を読むことに必死になったら、クイズ王的なトリビアとしての「新鮮な発見」はあるかもしれないが、内容的には面白くない。むしろ、「新たな発見」とは、これまで見えている景色を、どう新しく解釈できるか、ではないか。それは、新たな情報を探し続けるネットサーフィン的なものではなく、村上春樹流に言えば、「井戸を掘る」ように、所与の前提とされた世界観の奥底に潜む、誰もが知らない集合的無意識のような闇に潜り込み、その中から、自分でしかすくい取れない視点や考え方を掘り当てて、この世の光に照らし直すような営みでは無いか。そして、その営みこそ、内田樹さんは「前言撤回的」と言ったのではないか。
なので、僕は今回、本を書き始めた時、これまでの論文スタイルから、方針を大転換した。
・誰かを説得するのではなく、誰かに評価される事を期待せず、まずは自分が納得する文章を書く。
・私や筆者という、自分の気持ちが完全に乗り切らない主語は使わず、ブログの時のように「僕」という主語で書く。
・「俺はこんなに知っているぜ」的なトリビアな知識の披露を目的とはしない。ならば、そういう知識の塊を引用で散らすことはやめ、本当に伝えたいことのみをシンプルに書く事にする。
・だから、客観性のルールからも、この際、距離を置く。自らの実存やこれまでの経験、あるいは直観として捉え、あるいは考え続けてきたことを、そのものとして書き進める。
・上記の方針を貫徹するため、「自分の内面の振り絞り」を、著作のテーマにして、前言撤回的に、自分の内側にどんどん切り込んでいく。その中から、見慣れた景色を未だ見ぬ何かに変える地点まで、自らを追い込んでいく。
さて、こう追い込んで、結果はどうだったか?
まだ、250枚の初稿を昨日書き終えたばかりなので、結論はつけられない。でも、現時点での感触として、書いていて、非常に何というか、ある意味、自己治癒的であり、ある意味で、「俺ってこんなことを考えていたんだ」とか「確かにこういう風にも考えられるよね」と書き上がったものに頷かされる展開になっていった。単純に言えば、書いていて、すごく面白かった。これは、「埋め草原稿」的な何か、では考えられない楽しさである。
確かに、依頼された原稿にも、もちろん魂を込めて、最善を尽くして書いてきた。もしかしたら、依頼された編集者の方がこれを読んでおられるかもしれないので、敢えて言い訳では無く、誠実に書きますが、誤魔化して適当に書いたつもりはありません。あしからず!!!
でも、単著、という一つの物語の中で、僕が10年かけて考え続けて来たことを、今の視点で並べ直し、再びその文章に火を入れ、息吹を組成させ、ある部分はばっさり落としたり、あるいは大胆に書き加えたりしながら、一つの物語の文脈の中で再度の賦活化をはかる作業は、実にチャレンジングでエキサイティングだった。ほんとうに、めちゃ面白かった。これを書いている間は毎日、ネットやSNSを見ている暇はないほど、原稿書きに没頭していた。書く楽しみ、という原点にやっと回帰できた連休であった。(逆にいえば、それまで没頭するほどの何かに出会えていなかったのかもしれない・・・)
昨日初稿を書き上げた文章は、しばらく寝かせて、再度頭から書き直そうと思う。なので、ようやく、ブログを書く時間が出来た。実はこのブログも、自分の考えをまとめたり、これまでの未分化だった何かに言葉を与える、という意味で、僕が考え続ける上で、非常に大きな役割を果たしてきた、ということも、今回の単著を書くためにブログを読み返していて、非常によくわかった。自分のサイトで幾つかの言葉に検索を書けてみて、「こんな原稿も書いていたんだ」と改めて気づかされたことも、沢山合った。それが単著の原稿にも取り入れられていくのだから、何だか思いも寄らなかった貯金に助けられてしまった格好だ。(ま、書いた内容をすっかり忘れる、というのも、僕の特性なのかもしれないが・・・)
ほんとうは、今日の講義で取り上げた「認知症ケアと魂」の話を書くつもりで、表題もそう書いていたのだが、どうやらその前に、書くべき事があったらしい。結局その話は次に置いておく、として、今日は楽屋話とでも、メタ文章論とでも、あるいは単なる自己治癒的な文章とでもいうべき、書く楽しみという原点についてのお話しでありました。