単著に向けた旅立ち

この連休は、やっとゆっくり休めている。

スウェーデン・ノルウェーでの夏休みから帰って来たのが、8月中旬。そこから、単著のゲラを何度も何度も読み直して校正し、紀要論文を書くためにバザーリアの英語論文をコリコリ読み進め、色々な原稿を書きまくり、週に1度は研修に呼ばれたので、パワポを仕込みまくり、喋りまくっていた。合気道の合宿に初めて出かけ、こってり練習し、こってり飲みもした。そうこうしているうちに大学は再開し、大学に出かけた日には溜まった仕事をバッサバッサと片付けていった。そろそろ心身ともにくたびれたな、と思うタイミングで、奇跡的に連休に遭遇。睡眠もうたた寝もたっぷりして、ようやく息吹を取り戻しつつある。
そういえば、単著のことをあまりブログでご報告していなかったので、今日は裏話も含めてご報告を。
(リンク先では、青灯社さんのHPに掲載されている宣伝HPに飛びます。)
この本は、生まれて初めての単著である。
これまで、障害者福祉論精神保健福祉論の教科書、あるいは例の『障害者総合福祉サービス法の展望』の編者はしたことがある。でも、どの本もコンセプトが決まっていて、その中で僕に与えられた範囲で書く、ということから、脱していなかった。あるいは権利擁護脱施設化の本の共著者になったこともあるが、これも部分的参画、である。単著を出すこととは、全く重みが違っている。
実は、本当は9年まえに、単著が出てもおかしくはなかった。外見的には。
2003年の3月に、僕は大阪大学から博士号を頂く。
『精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題-京都府でのPSW実態調査を基にして』
というタイトルで書き上げたのだ。
立派な博士論文を書き上げた人の中には、それを一般読者向けにリライトして、学術書として出版される人もいる。僕の友人や同僚も、そのような形で出版され、評判になった著作もある。それだけ、完成度とまとまりが高い論文なら、そういう事になる。あるいは、出版社からのオファーがなくても、自分の中での区切りをつける為に、学術助成や自費を突っ込んで、出版という形に高める方々もおられる。その中には確かにすごい本もあるのだが、昨今の博士号の急増と共に、博論本デフレ、とでもいうような出版ラッシュの中で、あまり面白くない本も出ていることも確かだ。
で、肝心の僕はどうだったのか?
博論の内容自体は、僕にとってすごく面白かったし、その後の僕自身の研究の糧になる、羅針盤の役割を果たしてくれている。でも、それはあくまでも僕自身に対して、であって、とてもそのまま書籍という形で社会化できるとは思っていなかった。117人の方にお話を伺った事を、その生の声のまま届けるのも一つの作戦であり、博論自体はそういうまとめの中から僕自身の発見を「5つのステップ」としてまとめたのだが、それをそのまま一般の人が読んでも面白い、という形で出すことは、難しかった。何よりも、僕自身の当時の力量が圧倒的に不足していた。というか、僕が発見した面白さや大切さを、その業界の事に全く関心がない人にもスルスルと読んで理解してもらうだけの文章力や器が足りなかった。ゆえに当時は、紀要論文にしただけで、お蔵入りにした。
それから10年弱。
この10年弱は、脱施設・脱精神病院や地域移行、権利擁護、コミュニティーソーシャルワーク、障害者地域自立支援協議会、地域包括ケアシステム、福祉組織・現場職員のエンパワメント、障害者制度改革・・・などと関わってきた。どれも、博論を書く事を通じて得られた問題意識を開いていくなかで、様々な現場との関わりを頂き、その関わりの中で考えを拡げていったものである。その中で、各種の媒体で書かせて頂いた文章もたまり、「権利擁護」に関してなら、一冊分にするだけの原稿が、既に3年まえの段階で揃っていた。それを持って、恩師のとある先生のところにご相談に出かけた時、強烈な問いかけをされる。
「これは、一冊目の単著として相応しい内容ですか? だいたい、人は一冊目の単著が面白くなかったら、他の本は読んでくれない。もっと言えば、いつも同じような内容の焼き直しをしている○○さんとか、△△さんの本とか、君も読んでいないだろう? そうならないためには、最初の一冊はきちんと時間をかけ、手をかけた内容にすべきだ。今まで書いた原稿をまとめて出すのは、その後で十分だ。」
まさに、仰るとおり。何も言い返せない自分がいた。
僕自身、自分が考えて来たことを、そろそろまとめたい、と熱望していた。もっとミーハーな感覚で言うと、同世代が単著を出しているのに、まだ僕自身は出せていないことに、若干の焦りも感じていた。だが、そこに冷や水をかける恩師の一言により、そういうミーハーな熱気は冷め、本当に僕が書きたいことは何か、どうしたら熱気だけでなく、中身まで伝わる内容になるか、を考え始めた。きちんと考え抜いた内容を出せるまで、自分から単著の持ち込みなどをすべきではない、と心に誓った。
そして、その1年後あたりから、このブログでも書き続け、今回の単著のタイトルにもなった、「枠組み外しの旅」がスタートする。きっかけは、香港で読んでいた一冊の本と、その1週間に出会った「魂の脱植民地化」概念であった。そこから、ブログ上で「枠組み外しの旅」の連作を書き続け、それを東洋文化の特集号の中に入れて頂けた。そして、この東洋文化の特集号が出された直後に東大で開かれた合評会の席で、安冨先生から「竹端さんも、今度青灯社から出す『魂の脱植民地化シリーズ』で一冊書きませんか?」とオファーを受ける。「もちろん、喜んで!」と即答している僕がいた。それはなぜか。
それは、やっと僕自身がこれまで考えて来たことをまとめる方向性が見えてきた、というのが一番だろう。東洋文化に「枠組み外しの旅 : 宿命論的呪縛から真の<明晰>に向かって」を書き進める中で、ブログで書いてきた内容と、論文の枠組みがオーバーラップしてきた。これまで、論文というメディアでは、確定的な事実に関してのカリッとした論考、という範囲から逸脱しない自己規制が働いていた。一方で、ブログでは、特に「魂の脱植民地化」概念に出会った後は、自らの関わる現場と、僕が刺激を受ける哲学や思想、そして僕自身の実存を重ね合わせて、深掘りするような文章を書き続けていた。例えば「授業における枠組み外し (連作その7)」、これは単著に入れなかったブログの内容だが、この文章に代表されるように、自分が関わる現場とそれに関連する理論や思想、自らの実存を重ね合わせ、僕自身の見解を書き始めたら、止まらなくなった。これまでブログは本の内容を紹介する事が多かったのだが、それにフックをされつつも、気付いたら論を展開し始めていた。
ゆえに、3月末にオファーが来た時も、すぐに出来そう、という根拠のない自信がむくむくとわいていた。実際、6月末〆切りだったのだが、6月にはイタリア調査に出かける予定でもいたので、2ヶ月弱という短期集中決戦で、原稿を書き上げた。その中で、改めて考え続けていたのが、僕自身の「個性化」の課題である。
これはその時期のブログにも書いたことだが、本というのは、肩書きでも立場でもなく、中身での勝負である。その時に求められるのは「やりたいこと」を全力投球で文章の中に放り込み、それを僕とは立ち位置も考え方も違う読者のあなたに届ける、ということだ。つまり、自分自身の「できること」や「世間に求められていること」にのみ埋没・迎合するのではなく、あくまでも一冊の本という物語を書き進める中で見えて来た世界観を突き詰めること、それが僕自身の「やりたいこと」につながるのである。そしてこの本の最終章を書き始めた時、そのことをユングは「個性化」と表現していた事に、再び出会う。そう、僕はソーシャルアクションとか、社会変革とか、どうしたら「どうせ」「仕方ない」と諦めずに、社会を変える渦を作り、展開することが可能か、を問い続けてきた。この本に書き直して入れた論文の中でも、渦が自生する仕組みを解き明かそうとした。
だが、本を書き進めた最終局面で、「社会を変える」という一方通行的な、上から目線の考え方自体のおかしさ、にも気づけた。自らの個性化を貫く中で、その個性化が他者にも開かれ、他者との真の対話が進む中で、社会をも変える渦が勝手に自生し、廻りはじめるのではないか、と。すると、これまで自分が見たこともなかった地平に、文章が僕を運んでくれた。そして、気がつけば、一冊の本として、原稿が仕上がっていた。
そういう9年あまりの「廻り道」の末に、やっと単著の出版にたどり着けたので、本当に素直に嬉しい。願わくば、より多くの方に手にとって読んで頂きたい。著者としては、それを願ってやまない。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。