2012年の私的三大ニュース

2012年の最後のブログである。毎年最後のブログでは一年間の総決算をしているのだが、今年は三大ニュースを私的にピックアップしてみた。
1,人生初の単著が出る
これは文句なく、僕の中では今年一番のトピックスである。実はこの本は、僕の中でのリミッターを切ることによって産まれてきた、と言っても過言ではない。そのリミッターを切る事態は、2番目の課題ともつながっている。2番目は、「総合福祉部会が無残に終わる」なのだが、2010年4月から2年弱かけて取り組んできた課題(後述)があっけなく葬り去られるのを見ていて、僕の中で何かがブチッと切れた。
と言っても、衝動的になったのではない。お上品に、世間や周りの目を気にしながら、言いたいことを控えていても、誰も見向きもしてくれない、という当たり前の事に気付いたのである。僕の中で、研究者っぽくないと、とか、あまり言い過ぎたら嫌われるのでは、とか、論文のお作法の枠内でないと、とか、福祉の研究者だから他領域に顔を突っ込むなんて、とか、様々なリミッターをかけていた。でも、そういう自己規制をしていても、結局自らの魂は抑制されるだけである。自らが溌剌と出来ない、だけでなく、自らの言いたいことを表現していかないと、何も変わらない。いや、社会が変わらない、より、自分自身が変わらないと、何も始まらない。
そんな踏ん切りが付いたので、単著執筆の旅に出た。
「枠組み外しの旅」というタイトルになったが、結果的に、この本を書きながら、僕自身の枠組みを疑い、その枠から抜け出る、という旅をしていた。自己治癒的、というか、自らの眼鏡を外して、眼鏡を再構築するように、書きながら、考えながら、脱皮に向けて格闘していた。
そして書き上げてみて、こういうスタイルで考えれば、自らの考えをまとめることができる、という自信というか、根拠のようなものができた。査読論文のお作法とか、業界の流行とか、そんなことを一切気にしなくとも、単著というのは、読者に向けて、伝えたい何かを情理を尽くして語ればいい、という当たり前のことを、書きながら身につけていた。
そうそう、ブログでは告知しなかったが、著作改題的な文章もシノドスに載せて頂いた。
幸い、読んで下さった方から、ありがたいコメントを幾つか頂いている。(例えば森先生とか、中谷先生とか)
ただ、なにぶん無名の著者の初めての単著なので、手にとって頂くまでが大変であるということも、出してみてよくわかった。講演会の場で「手売り」もさせていただき、沢山の方にお買い求め頂いた。誠にありがとうございます。来年も講演会の場では頑張って「手売り」せねば、と考えている。
2,総合福祉部会が無残に終わる
ご承知のように、12月の衆議院選で安倍内閣に政権交代した。そもそも去年の段階でねじれ国会が進んでおり、民主党から自民党に政権交代がされる事が噂されていた。だからこそ、民主党の政治主導で出来た障がい者制度改革推進会議の議論は無視して良い、と厚労省は政治判断し、2月に厚労省が「ゼロ回答」案を出した。また、それだけでなく、マスコミの一部も「それが現実的だ」と書いたのである。その厚労省とマスコミ、政治が一体になって、これまでの議論をなし崩しに葬り去っていくやり方を、目の当たりにしてしまった。
たとえばこの2月のゼロ回答の直後の毎日新聞の社説における「批判するだけでいいのか。障害者福祉の行方を大局観に立って考えてはどうだろう。」という物言いも、自民党-厚労省のこれまで構築してきた法体系の中で考えなさい、という温情的なお説教に聞こえた。本当に久しぶりに、心の底から腹が立った。「ふざけるな!黙ってられるか!」と感じた。
ゆえに、「拝啓 毎日新聞社説さま」を書いたりしてみたが、もうこの時に流れは決まってしまっていた。ただ、それでもできる限りのことは微力ながらしよう、とシノドスにも2,3日で書かせてもらったし、それに関連してTBSラジオDigにも生出演させて頂いた。だが、これもご承知の方が多いと思うが、2年の年月をかけて議論した内容は殆ど無視され、「名ばかり改正法」である「障害者総合支援法」が来年4月に施行されることになった。これは、自立支援法と殆ど変わらない。
変えられない岩盤が、これほど固いとは、葬り去られてやっと気付いた。またその終止符を、訳知り顔で「ほら、言わんこっちゃない」と冷笑する人や、次の与党幹部に急に尻尾を振り始める人など、この問題に関わる人々の、あまり見たくない本質も、よーく見せつけられてしまった。
3,イタリアで精神病院なしの実践を実感する
総合福祉部会の無残な結果に茫然自失だった3月末、師匠から運命的な電話がかかってきた。
「タケバタ君、6月にイタリアの精神医療の視察ツアーをするけど、行く?」
僕はその時、何も考えずに、「是非とも行かせて下さい」と即答していた。
厚労省の法体系や枠組みをいじろうとするだけで、国の委員会にもかかわらず、無残にもゼロ回答で拒絶された。その後だっただけに、「精神病院を廃絶した国」のリアリティを知る事で、何か僕自身の中でリミッターを外す事が出来ないか、と考えた。
実際に6月にトレントとトリエステを訪れ、その旅の最中、日本の精神医療を変えたいと願う同志の人々と飲みながら、語り明かすなかで、僕自身、一からの学び直しが始まった。精神病院は必要悪だ、とか、「どうせ」「しかたない」というリミッターをかけていたが、イタリアの現実を見ると、それがあくまでも「リミッター」という「自己規制」であることが、よくわかった。イタリアの精神病院廃絶の立役者の医師、フランコ・バザーリアが語る、「病気ではなく、苦悩が存在するのです」という言葉を突き詰めて考えると、精神病を医学モデルで矮小化して捉えるのではなく、「精神病による生きる苦悩の最大化」をどう支援するか、という社会的課題である、と改めてわかった。そうやって振り返ってみると、生活保護など他の社会的弱者の課題も、「生きる苦悩の最大化した人」に対する支援として共通言語で議論できることが見えて来た。
そして、「生きる苦悩の最大化した人」への支援のあり方を、物語論的なアプローチから捉え直そうとしている。この年末も、これに関連した論文の草稿を書いていたのだが、ちょうど単著を書いた後だったので、書くスタンスに腰を据えられるようになってきた。書いているテーマや素材、内容は違っても、考えて論を進めていく型というかスタイルのようなものが出来てきたので、ニュルニュルと新たな何かが湧き出し始めている。これも、2の出来事によってリミッターを切った結果である、と思うことにしよう。
ちなみに、枠組みや思い込み、どうせ、を外して新たに今年取り組み始めたのが、イタリア語学習。イタリアから帰ってきて、一念発起でスタートさせた。初級文法書は難なく終わるも、二冊目のリーダーの途中で挫折しかける。その後、試行錯誤をして、今は村上春樹のノルウェーの森、イタリア語版をAmazonの古本で1000円程度で見つけて、読み始めている。日本語でも何度も読み、英語でも読んでいるので、筋はわかっている。ただ、辞書を引きまくりながら、なので、ものすごーくのろい。まだ読み始めたばかりなので、一日、半ページ進んだらいいところ。まあ、こんなに「結果的精読」になるとは思いも寄らなかったが、好きな小説家の作品なので、それなりの発見もあるし、良しとしよう。来年は、何とかイタリア語のレッスンに通いたいが、東京に行かないとダメなのかなぁ・・・。
という訳で、大変長くなったが、今年の私的三大ニュースでした。
来年は、これまで書きためてきた権利擁護の内容を考え直して、単著としてまとめるプロジェクトが既にスタートしているので、何とか出版にこぎ着けたい。あと、今回の単著で書いた内容・文体が難しい、というおしかりも頂いた。新書レベルで、さらりと、もう少しわかりやすい言葉で伝えないと、と何人かに指摘されたのだが、そんなご縁があるかどうか・・・。
何はともあれ、今年もブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
みなさん、良いお年をお迎え下さい。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。