書き手の存在感と覚悟

珍しく二日連続でブログをアップする。昨日のマスコミ報道に関するブログに関連して、毎日新聞の若手現役記者、蒔田さんが大変興味深い文章を書いている。蒔田さんは「難病カルテ」というご自身の連載の中で、取材対象者には必ず実名で出てもらっている、という。その理由について、次のように書いている。

「一つは、「難病」と聞くだけで依然、偏見を抱く人がいることへの無理解を解消し「病気を持って暮らす」ことが、後ろめたいことではないということを、新聞記事という場を通じて、病気を抱えている人に訴えかけたい、という思い込めていました。顔も名前も隠すことなく、公の場に出ていい、ということをその患者さんに託した、とも言えます。

また、難病患者さんの中には、外見からはその症状が分からなかったりするため、周囲から理解、受けるべき配慮が得られなかったりする。写真を付けることで、「普通」に見えている人が抱えている状況をできるかぎり伝えたい、という意図がありました。」(蒔田備憲  実名掲載と被取材負担について~連載を通じて考えたこと )
その上で、メディアの実名報道問題について、このような視点を投げかけている。
「重要だと考えているのは、実名・顔出しについて、取材を受けることや記事が載ることへのリスクと負担について、被取材者にどれだけ説明できるのか、ということです。」(同上)
僕はこれを読んで、強く共感した。それとともに、研究者の書く研究論文と、新聞の共通点について考えていた。それが、「客観性への呪縛」、および「主語を消すこと」である。
新聞でも論文でも、「客観性」というものが大切にされている。科学論文では「反証可能性」「再現可能性」が重要視され、新聞では「事実をきちんと伝えること」が前提となる。また、論文では「私は・・・だと考える」という文体は原則アウトだ。事実や論理に語らせる文体なので、「・・・から○○と考えられる」という受動態になる。また、毎日新聞は以前から署名記事が多かったが、社説に代表されるように、無署名の記事が多い。さらには、署名入りの記事であっても、記者の個人的見解が全面に出される、というのではなく、「警視庁の発表によると・・・と見られる」などの文体がならぶ。
この新聞や論文の「文体」にこそ、実は不信感のまなざしが注がれているのではないだろうか?
一応これでも査読論文もいくつか書いているのだが、その際の事実の組み合わせには、明らかに僕自身の主観が入り込んでいる。新聞だって、書き手がどのように内容を切り取るか、どの角度から文章を眺めるか、には、主観が入っている。新聞はそれでも公平性を重視して、意見の分かれる論評については賛否両論を書いている。研究論文では、事実や論理の組み合わせに妥当性があるかどうか、査読者に評価される。だが、それであっても、消された「書き手である私という主語」は、どこかで厳然と残っているのである。それを、さも「無機質な事実」であるかのように語っているのである。
しかし、小沢バッシングや原発問題、あるいはTPPや尖閣問題など、その問題についての価値観が大きく分かれる問題については、さも「無機質な事実」であるかのように語っている、その語り口に不信感がもたれたのではなかったか? いっそのこと、記者や新聞社という「書き手」が、「私は○○と考える」とはっきり書いてくれたら、そっちの方がよほどすっきりするのではないか。「小沢はダメだ」でも、「原発は廃炉にすべきだ」でも「尖閣は国有化すべではなかった」でも、何でもよい(もちろん、各事象に関して、それとは逆の見解でも良い)。きちんと、「私は(わが社は)○○と考える」と書いたうえで、その根拠を説明する。そういう記事を読み比べる中で、読者は自分自身がどう考えるか、を判断する材料とする。それならば、ネット記事ではなく、紙の新聞を買い続ける価値があると思う。
では現実は、とみてみると、裏にある程度の意図や考えがありながら、表面的に客観報道の「ふり」をしているので、きわめてわかりづらいし、あいまいに見える。本当に事実のみを伝えているのなら、それはそれでわかる。だが、その事実をある角度から、こういう意図を持って伝えたいな、という「書き手の欲望」がありながら、、「私は○○と考える」とせずに、「・・・と見られる」などと推測的文体になってしまうため、いったい何のことかよくわからなくなってしまうのだ。
その点、蒔田さんの連載「難病カルテ」には、書き手である蒔田さんの姿が見える。彼は記事で「私は」とは書かない。だが、登場人物の姿に寄り添い、その方が社会の中でどんなに苦労をしながら、でも一人の人間として生きていこうか、を書こうという意思が、その文体には表れている。単なる「客観的表現」ではなく、その登場人物の内在的論理をつかみ、その人の目線から、病気のしんどさと生活のしづらさを書こう、という書き手の姿勢が見えているのだ。
先にも引用したが、蒔田さんは「実名・顔出しについて、取材を受けることや記事が載ることへのリスクと負担について、被取材者にどれだけ説明できるのか」が重要だ、という。その信頼感を構築する中で、取材をする側とされる側の相互行為が成立する。あくまでも新聞に出てくるのは、取材をされた難病の方である。でも、その人を連載の中で表現しようとする書き手である蒔田さんの主観も、この記事の中に盛り込まれている。お互いの主観や主体性が響きあう中で、記事という作品に仕上がっている。
実は、本来は論文だってそういう側面がある。特に社会学や社会福祉学のようなフィールドワークの論文であれば、そのフィールドで参与観察者がどのように感じたか、という感覚的な何かがあるはずである。それを、あたかも「彼らは・・・だった」と客観的に表現したところで、その観察をしている観察者である私の評価や視点が、どうしてもその中に入り込む。フィールド現場の対象者と、それを調査する私が、その現場で関わるのであれば、きっちりその関わりを主体的に研究者が受け止め、その中で、主体的にどのように切り取るのか、という覚悟が問われる。
阪神淡路大震災後の被災地では「調査公害」なる言葉がはやった。研究者が仮設住宅などにやたらめったらやってきて、信頼関係も構築されないうちに質問用紙を渡されて、自分の研究関心のためだけの調査が山ほ行われた、ということに対する批判である。これは、昨日のブログでも批判した、大きな事件や事故が起こるたびに、犠牲者やその家族のもとにマスコミが殺到して「お気持ちは?」と問い詰めるメディアスクラムと同じである。調査公害もメディアスクラムも、それが一過性であること、相手の論理を無視して取材者・調査者の論理だけが先鋭化すること、その後の姿をフォローもすることなく被取材者・被調査者には不信感と不満が残ること、が共通の問題である。つまりは、信頼感に基づく「お顔の見える関係」が構築されない、というのが、最大の問題なのだ。
個人の悲劇の物語、被災者のトラウマというデータ、などは、取材者・調査者にとって「おいしい」素材にみえる。それは、大して深堀しなくても、その劇的な表面だけで、一つの紋切り型のストーリが出来上がってしまうからである。でも、物語やデータの背後には、そうなってしまうまでの、紆余曲折や複雑な構造が背後にある。それらをすっ飛ばして、「うれしい」「悲しい」「つらい」「苦しい」「許せない」という表面的感情言語を捕まえて、それを表現したほうが、「わかったふり」ができる。そこに、いくつかの事実をまぶしたら、消費しやすい一つの物語が構築される。
しかし、感情の背後にある機微まで含めて表現するからこそ、物語が立体的に見えるはずである。なぜ「つらい」「許せない」のか。そうはいっても、それとは逆の気持ちに揺れ動くことはないのか。それを、何度も足を運んで、声に耳を傾けて、時には一緒に歩きながら聞き取るからこそ、ぽつり、ぽつり、と表面的な感情以外の何かが聞こえてくる。それは、語り手の「私」だけでなく、そこに具体的な手触り感のある、信頼できる調査者・取材者の「あなた」がいるからこそ、語れる何か、である。そして、その「あなた」に語る「私」の語りこそ、迫力があるのである。そういう意味では、いくら語り手の一人語りに見える文章であっても、そこに取材者・調査者の存在感が厳然としてある。だからこそ、一人語りが、立体的に立ち上がってくるのである。
新聞やモノグラフを読んでいて、そういう語りの背後にある取材者・調査者の存在感が立ち上がってくるものが、あまりない。それが、「客観性の呪縛」や「主語を消すこと」による、書き手の意図の去勢であるとしたら、随分不幸な出来事である。
僕自身は、初めての単著を書く際、悩んだ末、「僕」という文体を採用した。その理由を、こんな風に書いている。
「大学院生の頃は割と自らの考えをはっきりと述べていたが、大学教員になった後の僕の文体は、その発言に社会的責任が付与された(と自ら思い込んでいた)事もあり、なるべく内面の価値観を出さない文章にしよう、「正しい発言」をしようと、抑制的であった。いわゆる「正解幻想」に陥っていた。まして「僕」という主語は、個人ブログ上で用いることはあっても、論文や書籍などの公の文章で書く時には忌避していた。そういう意味で、僕自身は大学教員というものに文字通り「形(=エクリチュール)から」入り込んで、気がつけば自らの思考や感覚を縛る結果になっていた 。」(竹端寛『枠組み外しの旅―「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p37-38)
論文を書く中で、いつの間にか「価値中立」の「正解幻想」に浸り、そこに呪縛されていた。客観的な「ふり」をすることに慣れていた。それが、自らの思考や感覚をも縛り、大学教員としての「正しさ」の虜囚になっていた。それをぶち壊したくて、あえて「僕」というブログの文体を使い、自分の頭でぎりぎり考え続けた。その中で、書き手の意図を去勢することなく論理を展開する中で、自分なりの「個性化」という大きな発見に出会えた。
だが、これは、単に主語を入れるかどうか、「筆者」と「私」と「僕」というどの主語を選ぶか、という問題ではない。文章の書き手が、その対象世界に対してどのように向き合い、どう取り組み、どう表現するか、という覚悟の表明が求められているのだ。その覚悟があれば、そこには主語がどうであろうが、書き手の主語がなかろうが、書き手はきちんと文章の中に存在している。そして、僕が新聞や論文を読んで心打たれる文章とは、どんな対象世界を論じるものであれ、書き手の存在感と覚悟がきちんと浮かび上がってくるものなのだ。
もちろん、僕だってまだまだ修行中の身ではある。だが、無味乾燥な、魂の抜けた文章だけは書きたくない。心からそう思う。

事件・事故報道の社会モデル

大きな事件や事故が起こったとき、マスコミはかならずその遺族のもとに殺到する。「今のお気持ちを!」と。確かに、不慮の事故で亡くなられた方は、実に無念だと思う。その方のご家族やかかわりのある方の落胆、憔悴は本当に大きいと思う。

だが、マスコミがその不幸な現場に殺到して報道合戦になる、という事態は、不幸の商品化のような気がしてならない。「知る権利」を盾に取り、視聴者・読者の欲望を建前に、人の不幸のど真ん中にズカズカと土足で入るような報道はないだろうか。
いや、単に報道被害の問題を言いたいだけではない。そもそも、大きな事件や事故が起こったとき、どうして「被害者の不幸」や「加害者の凶悪性」といった、個々の問題に「ばかり」目を向けるのか。きついことを言ってしまえば、「私ではない他人の不幸」「私ではないひどい凶悪犯罪者の愚行」に対する憐みや非難、興味本位の関心が、「客観」や「中立的」な報道の陰に隠されていないか。
本当にその事件や事故が「お気の毒」と思うなら、本当にその犯罪が「許せない」と報じるなら、なぜそのような事件や事故が起こったのか、を一個人や一組織の悲劇や性格、逸脱性、異常性といった個人因子に帰結させて満足していてはいけないのではないだろうか。
アルジェリアの事件では、イスラムの原理主義と独裁国家、という構造的暴力や貧困、搾取の問題が指摘されている。随分以前のブログに書いたが、尼崎のJR脱線事故なら、JR西日本という会社の体質、だけでなく、少しでも遅れたらヒステリックに怒り出す乗客や日本社会の時間への強迫性の問題が背後にあるはずだ。つまり、個々の犠牲者の不幸を、個々の加害者の無責任を、本当に許さないなら、個々の不幸・無責任を追い掛け回し、憐みと糾弾にエネルギーを注ぐより、再発防止やその問題の構造的課題の分析にこそ、調査報道として精力的に取材に取り組むべきではないか。
僕が専門とする障害者福祉の世界では、「個人(医学)モデル」と「社会モデル」という二つの考え方がある。前者は、障害は個人の悲劇や不幸であるととらえ、その障害を治すこと、健常者世界に戻ることが目標とされる。一方、後者の社会モデルでは、障害は一つの個性であり、障害があるままでの自立が目指される。すると、障害は個人の問題ではなく、障害ゆえに社会の中で生活しづらさがある場合、個人の不幸ではなく社会的差別や抑圧の問題、とされる。問題なのは個人、ではなく、社会の側をどう変えるのか、が焦点化される。
今のマスコミの事件や事故報道を見ていると、どうもこの「個人モデル」に依拠しているようにしか思えない。事件の特異性や奇異性、属人性ばかりを強調する。これは事件報道に限らず、政治の話題だって、政策的課題という社会モデル的視点ではなく、いつの間にか政局や政治家個人の資質といった個人モデル的な視点に歪曲化される。率直に言って、社会構造を扱うより、個人を称揚したり貶めたりするほうが、「わかりやすい」と考えるからだろう。
でも、それは「わかりやすい」のではなくて、「わかったふり」をしているだけではないか。本当に問題を理解し、より良い社会に変えていきたい、と願うなら、属人的要素の悲劇を追い掛け回したり、加害者の異常性・逸脱性をことさら糾弾するだけでは、何も変わらないことに、当のマスコミだって、気付いているはずだ。そして、心ある記者は、そういう地味な取材も続けておられる。
本当に必要なのは、複雑で、地味に見える、構造的な問題に目を向けることだ。それをひも解いていくと、アルジェリアの問題だって、笹子トンネルの崩落だって、JRの脱線だって、「他人事」では済まされない。問題を引き寄せて考えると、どこかで「私の日常」と地続きな問題である。決して遠いテレビの向こうの「他人事」の問題、と高をくくっていられない。今の自分だって、もしかしたら被害者にも加害者にもなりうる課題だって、決して少なくない。そのような社会構造の暴走や暴力と、逃げずに向き合い、自分事として考えること。そのための補助線や解説こそ、マスコミが果たせる役割のはずだ。池上彰氏の解説スタイルが視聴者に受けているのも、「複雑な問題を、無視せず逃げずに考えるための補助線」という視点で見れば、頷ける。
問題を個人化・矮小化させて、その不幸を追い掛け回す、他責的で消費者的な振る舞いをマスコミが続けていることは、果たして再発防止のために適切なアプローチなのだろうか。事件や事故報道も、やはりその背後にある構造的課題に肉薄する社会モデルに向かうべきではないか。
今朝テレビをつけたら、主要なテレビチャンネルが一斉に、アルジェリアから日本に帰ってくる政府専用機、およびそこから出される棺の映像を、生中継で大々的に映していた。この事件も、再発防止に向けて、社会モデル的にきちんと取材してほしい。政府から死者の実名が公表されたが、遺族や関係者を追いかけ回し、「お気持ちを」と迫るより、マスコミにしてほしいことがある。そう感じた。

相互主体と「問題行動」

今日は、元教え子が働く入所施設で「虐待防止法を機に考える、権利擁護と支援の質の向上」という研修をしてきた。

僕は入所施設や精神科病院からの地域移行について積極的に書き、話す論者である。だが一方で、実際に施設や病院現場で働く人の研修にも、時として呼ばれる。
今日も「先生って地域移行論者なんですよね」と言われた。もちろん、政策的にはその方向にすべきだ、と思っている。だが、明日から全部をそう切り替えるわけにはいかない。僕も関わった、障害者福祉の新法制定に関する骨格提言の中では、「地域基盤整備10か年戦略」も提言した。そのような方向性の転換を政策的に果たす中でも、一方で、今ある入所施設や精神科病院に暮らす方々の権利を擁護する取り組みも必要不可欠だ、と感じている。これは、学生時代から学ばせていただいているNPO大阪精神医療人権センターが一貫してとっているスタンスでもある。精神科病院を少しでも減らす政策提言と、今ある精神科病院での権利擁護活動。それは、車の両輪の課題である。
で、入所施設の中で利用者と密に接する支援者の方々と、少人数の場で話をする中で、気付いたら色々話していた。いくつか備忘録的に書いておきたい。
僕は、「意思決定支援」が必要な人を支える施設こそ、相互主体の考え方を徹底的に考えなければならない、と感じている。
この相互主体の考え方は、重症心身障害者の地域生活支援の拠点である、西宮市の青葉園の清水さんがしばしばおっしゃっておられることである。僕も何度も青葉園で学ばせていただいたが、やはり青葉園のやり方で一番重要なのが、この相互主体の考え方である。青葉園ではこれを30年前から言っているのだが、最近では、社会学者の三井さよさんが、次のように整理している。
「当事者のふるまいや思いを、自らの関与や多様な人たちとのかかわりのなかから探り、そのつどいま何が起きているのか、誰が何をどのように必要としているのかを問い直そうとする支援のあり方である。個別ニーズの判断に対してかかわりが先行している。そしてそのかかわりの内実は、支援者以外の人たちにも開かれた、多様な人たちが個別に当事者との間で育んでいくようなものである。」(三井さよ「かかわりのなかにある支援」『支援』vol1、三七頁)
対象者のニーズが、客観的な「個別ニーズ」として存在しているわけではない。支援者と当事者がかかわりあう中で、お互いの関わりのプロセスを問い直す中で、そのかかわりが支援者と当事者という1:1からより多くの関わり合いに開かれていく中で、ニーズそのものが変容していく。青葉園では、重症心身障害といわれる重い障害を持つ人と、その支援者たちが、本気のぶつかり合い、関わり合いをしながら、お互いの主体性を発揮させながら、相互に変容していくプロセスを大切にしていた。その中で、居酒屋で飲み会をしてみたり、カラオケや公民館活動に参加したり、重度障害者とカテゴリー化された人が排除されていた「ふつうの暮らし」にチャレンジする中で、その人の活き活きとした表情を増やし、わくわくや希望を膨らませていこう、という試みである。それを、言語によるコミュニケーションが難しい、意思がわからない、IQが測定不能、と言われた人と構築していこうとしてきた。
そして、多くの入所施設でこれまでも、そしてこれからも問われているのは、このような相互主体的な、関わり合う支援をどれだけ豊かに行ってきたか・これから行えるか、という問いである。これは、権利擁護の根本的課題とも通底する。
入所施設や精神科病院は、利用者と支援者の権力の非対称性が大きく、第三者の目が入りにくい密室性もあり、権利の侵害が起こりやすい構造を持っている。その中で、権利擁護を重視しようとするならば、利用者を変える前に、支援者の志向性を変える必要がある。権力の非対称性にどこまで自覚的か、がまず問われる。そのうえで、支援者が当事者から学ぼうとするか、そして支援者同士で支援の質を高めるための相互評価ができるか、も問われている。もちろん、権力の非対称性は、脱施設・脱精神病院をしないと拭い去れない。だが、今日明日の施設、精神科病院の権利擁護課題として、この部分は必要不可欠である。
先に支援者と当事者は相互主体的である、と述べたが、入所施設や精神科病院のように、生活場面においてずっと同じ関係性が継続する現場であれば特に、支援者の側の主体性が、当事者の主体性に与える影響は大きい。支援者が、当事者の将来の夢や希望、潜在的可能性について、「この人はこんなに重度の障害だから」「どうせ家族は施設入所希望だし」など、「どうせ」「仕方ない」と見切りをつけていたら、権力の非対称性が大きい現場で、支援者の顔色を見ながら暮らしている利用者にとっては、その影響は計り知れないほど大きい。
「僕はここでおとなしく我慢しているしかない」「ここしか、ない」
このような諦めや絶望は、やがて本人の主体性をどんどん矮小化させていく。逆に言えば、本人が諦めから絶望から自由になり、「どうせ」「しかたない」以外の可能性に気付くことができれば、潜在能力はどんどん開花される。これは、僕は西駒郷の地域移行調査に関わって、強く実感したポイントである。
つまり、入所施設や病院での支援者が「どうせ」「しかたない」とあきらめていれば、その諦めは利用者の主体性にも色濃く反映される。であれば、まず支援者があきらめず、施設現場でどう当事者との豊かな関わりを行い、その人の可能性開発にかけるか、が問われている。
そのためにも大切になるのは、「問題行動」「困難事例」への対処だ。
そもそも、ある行為に対して「問題」や「困難」というラベルを張る時点で、支援者から利用者に対して、あなたが「問題」「困難」なのだ、という宣言でもある。その際、支援者の側の力量不足、理解不足を棚にあげて、当事者の行為のみが「問題」「困難」とされる。そのような行為を通じて、その障害当事者がどのような自己表現をしたかったのか、その行為にはどのような内的必然性や内在的論理があるのか、という部分への推測や分析には
至らない。そういう「無理解」には、本人だってますます不満を強め、そのストレスとしてさらに劇的な行為という形で返礼し、その悪循環は加速度的に循環していく。
だがその際、相互主体的に考える、ということは、関わり合いを大切にする、ということである。支援者である私の側がどのようにかかわることによって、この知的障害の方は、どういう反応をされるのか。その相互行為の集積として、どのような行為が生まれるのか。それを「問題」や「困難」とみなすとき、それはある行為という形で当事者がアピールしておられる内容を理解できていない支援者の側の「問題」であり、「困難」なのである。つまり、問題性や困難性は、本人の側ではなく、支援者の側にあるのだ。
そう考えると、自らの支援や関わり方をどう変えることで、そのような「問題行動」や「困難事例」がどう変容するか、を自らの実践に問い直すことが求められる。これは、自閉症や認知症の人でも、まったく同じ論理である。主体性のコントロールに障害を持つひとと関わるときに、支援者の主体性や志向性が、本人の主体性に影響を与え、その相互関係の中で、「問題行動」「困難事例」と表出されてくる場合が少なくない。そこを、本人のせいと矮小化することが、もっとも危険な支援なのかもしれない。
もちろんこれは地域生活支援でも共通の課題である。だが、それが入所施設や精神科病院の中であれば、なおさらそのラベリングは重大な問題を含む。地域であれば、様々な機関の支援を受けるために、何らかのSOSの表現に関しても、キャッチされる可能性が高い。だが、入所・入院の場合は、生活の全場面を一法人、一施設、少数の支援者しか関わらない。ということは、そこで関わりの独占から、支配的関わりが構造的に生まれやすい。その中で、いったん張られた「問題行動」「困難事例」が、その人の名前と同じか、それ以上に強固なラベルとなって、それ以外の可能性に目を向けられないことも起こりうる。「あの人は問題行動が多いからね」なんてしたり顔で噂されているのは、グループホームでも、特養でも、あるいは老人病院でも共通して起こりうる事態だ。
だからこそ、本人と関わり合うなかで、新たな可能性を支援者と利用者が一緒に模索する、その中から、支援者にとっての「問題」や「困難」の背後にあるものを探り当て、新たな支援アプローチの模索へと転換を行う。そういうプロセスを通じて、まず支援者が変わり、その支援者の変容が本人の変容支援へとつながる。その中で、問題行動や困難事例というラベルもはがれていく。こういうプロセスに、入所施設や精神科病院のスタッフが積極的にコミットできるか、が大きな課題となっているのである。
つまり、「問題行動」や「困難事例」と突き放している限り、支援者にとっての「問題性」や、支援者の抱える「困難性」を責任転嫁する事態になりかねない。支援者と当事者が、その線引きやラベリングを超え、どのような相互主体の物語を構築できるのか。そのうえで、入所施設や精神科病院しかない、という「どうせ」「しかたない」の物語を、どう別の物語へと書き換えていくことができるか。これが、入所施設や精神科病院のスタッフに求められている課題である。
とまあ、こういう事を言いたかったのだけれど、書いてみたら随分話と違っていたような気もする・・・。

「本土復帰」と「社会復帰」

今日の甲府は朝から牡丹雪が降り積もる。おとといまで滞在していた沖縄本島とは20度の気温差。だるまストーブに首巻をしております。

僕は旅のお供に本を何冊か持っていく、だけでなく、空港や現地の本屋でも何冊か買ってしまう。「せっかくの旅行なのに」という指摘も受けそうだが、僕にとって、旅先の読書こそ、普段とは違う空気感、違う角度で味わえる絶好の機会なのだ。旅というスパイスは、「本の味わい」を何倍にも増す。
なぜそういうことになるのだろう、と考えていたときに、次のフレーズと出会った。
「時計時間はそれ自体、道具的合理性を根拠とした計算を成り立たせるための、質を剥ぎ取られた仲介物なのである。機械の時間は、労働を組織化するときや企業のバランスシート、また日常生活や公的な暦において、個別的な体験と社会のリズムとの間の区別を一切行わない。すべてが同質的な量でできている標準尺度を用いることで、すべてを測定し、すべてを分解し、すべてを計算するのである。」(アルベルト・メルッチ『プレイング・セルフ-惑星社会における人間と意味』ハーベスト社、P21)
そう、この社会は「時計時間」に沿って動いている。日本の鉄道の正確さは、時計時間を重要視する日本人的心性の賜物、である。電車だけでなく、宅急便の翌日配送(恩名村の農産物も、壷屋のやちむんも、那覇のジュンク堂の本だって・・・)も、この時間時計のなせる業だ。思えば僕の生活は、宅急便にずいぶんとお世話になっている。また、この標準尺度に個別的な体験を合わせる、というのも、日本人的な時間感覚に深く埋め込まれている。だからこそ、旅先で思い通りに物事が進まないと、いらつく。そして、いらついて改めて気づく。自らが、この時計時間に根深く支配されていることに。
そして、時計時間=社会的時間の意識化とは、それとは別のもうひとつの時間への気づきを導く。先述のメルッチはそれを「内的時間」と表現している。
「内的時間は、情緒や情動と結びついた時間であり、身体に宿る時間であることから、社会的時間と極めて異なる特徴を有している。それは多重/多層/多面的で不連続である。その時間のなかに、異質な時間が共存しており、それらが主観的な体験のなかで、互いに継起し合い、交わり合い、重なり合う。またそれは循環的な時間であり、神話的時間のように、出来事はだいたい元の場所に戻ってくる。その循環性は、身体のなかで、情動のなかで、諸々の夢、徴候、イメージ、そして何度も回帰する行動のパターンのなかに、はっきりと生起している。さらにそこには、同時的な時間が存在している。昨日と明日、私の時間とあなたの時間、ここと別のどこか、このようなたくさんの時間が、まさに同時に存在するのである。」(同上、p28)
旅の間の時間は、あっという間に過ぎ去る。前回の旅と今回の旅を重ね合い、思い出し、反芻する。美味しいものや見慣れぬ風景など、圧倒的な迫力を持つ瞬間の時間の深さと、移動中に内面に生起する様々な想念に身をゆだねる茫漠とした時間。それらはまさに、「多重/多層/多面的で不連続である」。時計的時間の制約から解放されるからこそ、かつての、あの場面の、あなたの時間と僕の時間が同期する。その中で、内的時間旅行が始まっている。
ただ、このような内的時間旅行は、あくまでも「旅の間」に限定することが、現代社会の暗黙のルールになっている。「つかの間のバカンス」で時計時間から存分に解放される。これは、旅が終わったら時計時間に復帰することがセットとなっているから、許容されているのである。あくまでも時計時間の支配的枠組みの中での、たまの逸脱。
このように、標準尺度=機械的時間がドミナント・ストーリーである社会では、日常からそれとは違う「内的時間」を生きる人は、夢見がち、とラベルを貼られる。子供、老人、芸術家、シャーマン、障害者、「未開社会」の人々・・・など「周縁」と名づけられた人々の中には、「中心」の機械的時間に対する「社会的不適応」という特徴を持つ人もいる。だが、機械的時間の支配力そのものが、そもそも個々人がもともと持っている内的時間を奪うことによる、魂の植民地化であるとするならば、この標準化圧力、というのは、個々人の生きられた時間の圧殺である、とはいえないだろうか。そして、旅とは、しばし、その生きられた時間を取り戻すための試み、ともいえるのではないだろうか。
そう考えると、一つの問いが浮かぶ。時計時間への過剰適応は、本当に好ましいことなのだろうか、と。
沖縄で垣間見たのは、「本土」の時計時間の標準化圧力に対する、厳然とした抵抗の時間であった。
旅の間、毎日沖縄タイムスを読んでいたが、期間中、辺野古埋め立て申請、あるいはオスプレイの増強配置などの唐突の計画浮上の記事が一面を飾り、それに対する激しい抗議の意見が表明されていた。「いつまで植民地扱い」というタイトルの記事も、紙面で読んだ。だが、甲府で溜まっていた一週間分の新聞を読んでいて、それらの記事がほとんどないことに、愕然とさせられた。そして、前回のブログで引用した奥田博子氏の、次のフレーズを思い出していた。
「本土の主要メディアは、沖縄の<抵抗>を『県民感情』と言い換え、一過性のものにすぎないとする価値付け報道に終始していた」(奥田博子『沖縄の記憶-<支配>と<抵抗>の歴史』慶應義塾大学出版会、p180)
確かに、本土のメディアの取り扱い方を見ていると、沖縄問題は局所的、部分的な扱いであった。安部首相の経済政策や中国メディアへの共産党の圧力と抵抗、などを大きく取り上げたいのがわかる。だが、最近、東京のテレビや新聞というメディアへの信頼が大きく損なわれているのは、その情報の重要性を推し量る物差しの狭さや偏狭さ、ではなかったか? ツイッターやSNSが、情報の断片だけれども、テレビや新聞の情報より重要視する人々が増えてきているのは、このメディア支配の「大きな物語」への疑いゆえではないか? 中央集権的な思考に基づく日本社会の同一化・同調圧力的な政策が、沖縄政策だけでなく、被災地復興政策や障害者政策など、様々な領域で破綻の局面に差し掛かっているからこそ、この機械的時間への疑いのまなざしがますます増えている、とはいえないだろうか。
うねうねと考えてきたが、実は今日話題にしたいのは、ここから、である。
あるドミナント・ストーリーに「復帰」することを「目的」とする、この機械的時間論で、私たちは幸せに生きられるのだろうか?
沖縄の「本土復帰」、障害者の「社会復帰」。これらの「復帰」概念には、元に復元し、回帰することこそが「正しい」という概念があるように思える。だが、そもそも本土の中央集権的同一化思想、あるいは健常者社会の強迫的な労働観念、そのものが、機械的時間の歪みの影響をもろに受けている、とはいえないだろうか。周縁から中心への「復帰」の文脈では、前者より後者が正しいとされる。だが、実は、周縁の独自の物語の中にこそ、中心が失ってしまった内的時間、個々人のアクチュアリティのある自己、が内包されているとはいえないだろうか。
ここからは、かなり暴走的に書き進める。
作家で元外務省の専門官だった佐藤優氏は、最近しばしば「琉球独立論」を説く。ソ連の崩壊時のバルト三国の分離・独立の動きと、今の沖縄の情勢が似ている、と。依存状態にある沖縄が、米軍基地の常設化と経済振興というアメとムチに頼る限り、ずっと本土との相互癒着関係は変わらない。それを「いつまで植民地状態なのか?」と怒りとともに表明する琉球人は、宙吊り状態を超えて、分離独立の道を模索しているソ連崩壊直前のバルト三国の姿に重なる、と佐藤氏は分析しているのである。
これは、障害者問題と重ねると、またもや共通性を感じる。例えば入所施設や精神病院への隔離収容政策は、三食昼寝つきの保障と、一般社会からの隔絶、というアメとムチの政策そのものであった。つまり、障害者は構造的な依存状態におかれていたのである。この構造的な依存状態そのものに「NO!」を突きつけ、ヘルパーの支援を受けながら地域の中で暮らしたい、という自立概念を、青い芝の会をはじめとした障害者たちは打ち出してきた。これは、中央集権的な支配とコントロールに対するNo!であり、自分たちの内的時間、内在的論理を大切にしながら暮らしたい、という訴えであった。そのためにも、健常者中心主義の社会構造こそ、変わらなければならない、と周縁から中心に対しての強烈な異議申し立てを行い続けてきた。
国はいまだに入所施設や精神病院には膨大な国費を投入し続ける一方、地域で自立して暮らしたい、という障害者の支援には極めて抑制的な現実がある。このリアリティは、国の提示する政策や枠組みに従い・依存し続ける障害者には支援の手を差し伸べるが、自立や独立心のある・国に異論や対論を提起する障害者は制裁しよう、という姿勢に重なる。この部分を沖縄人と入れ替えても、また共通性があるような気がするのは、僕の妄想だろうか。
また、精神障害者の「社会復帰」という文脈では、これとは別の問題を感じる。うつ病や不安障害など、様々な病気でいったん職場を追われた人が、フルタイムの仕事に戻りたい、と希求する。だが、そういう人の中には、機械的時間が個々の内的時間を消尽することで成り立つグローバライゼーションの抑圧的文化にへとへとになって、病気という形でSOSを出した人も少なからず、いる。その際、病気療養としてやっと抑圧的時間から解放されたのに、病気が治ったら、また元の抑圧的文化に「復帰」すること「しか」道はない、と思い込むことが、本当に「社会復帰」なのか、という疑いをもつ。
もちろん、それでは食べていけないではないか、という反論もあるだろう。だが、働くことは、必ずしも抑圧的機械的時間への迎合、と同一化ではない。健常者社会のドミナントな規範や枠組みに同調せずとも、自分の内的時間に適合的な形で働く、役割を持つ、という可能性はあるはずである。同じように、沖縄も、本土と同じような形で発展を遂げよう、本土の補助金を出来る限り引き出そう、という発想ではない形での独立の可能性もあるはずである。
つまり、時計時間が提供する標準的な働き方・生き方、これをグローバルスタンダードの支配的な生き方、とするならば、そのやり方にNO!といい続けるやり方を希求する道だってあるはずである。このような、内的時間と社会的・機械的時間を共存させるような、抑圧的でない時間を取り戻すことが、魂の解放にもつながるのではないだろうか。そして、周縁からの「復帰」概念は、単に中央に戻ることではなく、自らの内的時間を取り戻しながら社会的時間と折り合いをつけること、と書き換える必要があるのではないだろうか。
さらにいうならば、これは沖縄問題や障害者問題に限定されるわけではない。僕自身の中にある魂の本性を周縁化し、進歩・発展・標準化・序列化というドミナントストーリーを中心的概念として信奉してきた歴史そのものを見つめなおすことがが出来るか、も問われている。機械的時間への迎合や「復帰」を目的とせず、内的時間を大切に扱うことこそ、真の意味での「個性化」につながるのではないか、と。
深々と降り積もる雪景色の中で、そんなことを考えていた。

「支配」と「抵抗」の自覚化

あけましておめでとうございます。

ずっと自宅で原稿を書く年末年始。その合間に読んでいた、読み応えのある一冊の本のご紹介から。
「沖縄の<抵抗(レジスタンス)>とは、日本(本土)という枠組みに囲い込まれることで米国の覇権主義という『秩序』に回収されてしまう構造的差別と政治的抑圧との闘いである。それはまた、構造化された『依存』との闘いでもある。」(奥田博子『沖縄の記憶-<支配>と<抵抗>の歴史』慶應義塾大学出版会、p363)
この本を読み通す中で、結論に書かれた一節を読んで、「これは障害者運動の歴史と通底する部分がある」と感じた。沖縄を障害者、米国の覇権主義を資本主義に置き換えてみると、共通要素があまりに多い。その事を説明する為に、「障害の社会モデル」を主張するイギリス人のオリバーの著作に寄り道する。
「資本主義社会において障害を定義するヘゲモニーは、個人主義の有機的イデオロギー、医学的介入を支える医療化の恣意的イデオロギー、社会政策を支える個人的悲劇理論から構成されている。ここには、正常さと心身ともに健康なことについての概念に関連するイデオロギーが組み入れられている。」(マイケル・オリバー『障害の政治-イギリス障害学の原点』明石書店、p88)
障害の社会モデルは、依存し無力な存在と見なされがちな障害者は、生得的に無力であるわけではない、と喝破する。個人主義=能力主義を称揚し、その「能力」がないとされる人には医学による管理・支配を正当化すると共に、「社会的弱者」とカテゴリーかされる人を社会構造の抑圧の問題とせず「個人の悲劇」と矮小化する。これらのパッケージを覇権=ヘゲモニーとして支配的枠組みにしてしまう。しかも、一旦それが支配的枠組みになると、それ以外の可能性が忘却されるドミナント・ストーリー。
この資本主義ヘゲモニーのドミナント・ストーリーの強化の事を、さらに寄り道になるが、マルクス-廣松渉は「物象化」と整理した。ちなみに物象化とは、本来動的なものであるはずの人と人との関係が、いつのまにか物と物のような固定的関係であり、それ以外の可能性はないと思い込むことである、と整理している。その上で物象化された諸個人について、次のように整理している。
「諸個人という”能動的な営為主体”は、その真実態においては『対自的かつ間人間的諸関係の結節的な一総体』として定住・相在するのであって、現実的には、既に物象化された一定の関係によって所謂”個性”や”性向”、”行動条件”や”行動様式”ばかりか、行動の”動機”や”目標すら規制されている。」(廣松渉『物象化論の構図』岩波現代文庫、p140-141)
難しい表現だが、かみ砕くと、自分自身は「自発的」「能動的」「自主的」に考えている、と思っていても、物象化、つまり支配的な枠組みの中で生きている個人の「個性」や「行動条件」、「動機」や「目的」は、その支配的枠組みが許す範囲内に規制されている、というのである。
この物象化がなぜ障害者や沖縄の問題につながるのか。
先に見たように、障害者は生得的に「無力な」「依存的な」「かわいそうな」人である訳ではない。その障害者が生きる資本主義社会が称揚する能力主義=個人主義=新自由主義的枠組みと適合的でないが故に、あるいは専門職支配の枠組みに適合的であるが故に、自らの意図せざるうちに、気付けばそのような「支配-被支配」の枠組みにおかれているのである。この支配的枠組み=ヘゲモニーについて、日常生活を送る障害者は、それが「当たり前の前提」である、と受け止める。つまり、その枠組みの正当性に疑いを持たない、それ以外の可能性を考えられない、という意味で、動的な関係性を導き出すことが出来ず、関係は固定化=物象化されているのである。
例えば、入所施設や精神病院に長期社会的入院をしている人に、「ここはどうですか?」「将来どうしたいですか?」と伺っても、「もう、ここでいいです」という答えが返ってくることがしばしばある。これを「自己選択に基づく自己決定」とすることは問題であることは、以前のブログにも拙著にも書いた。物象化論やヘゲモニーの論点を用いるなら、精神病院や入所施設でしか生きていけない、という「支配-被支配」の固定化された枠組み(=物象化)の中で暮らす人は、その生活の「目標」も、あるヘゲモニー枠内に規制している。その「支配-被支配」を内面化しているのである。それは、沖縄について語る奥田さんの言葉を借りるなら、「構造化された『依存』」なのである。この資本主義や米国覇権主義という物象化された「構造」=「秩序」と「闘う」こと、これが<抵抗(レジスタンス)>なのである。これは、青い芝の会や自立生活運動、ピープルファーストや精神病患者会運動など、我が国の障害者運動が「健常者社会」と闘い続けてきた、その<抵抗>と実に通底している。
そういう眼差しで、奥田さんの本を読み返すと、共通する要素が沢山出てくる。
「沖縄は『(日本)本土の縮図』ではなく、『NIMBY(Not In My Back Yard: 施設の必要性は認識するが自らの居住地には建設してほしくないと反対する姿勢)問題』の先行例である」(奥田、同上、p335)
精神病院や入所施設が人里離れた山奥に作られ続けたこと、そして90年代から住み慣れた地元で暮らしたいと願う障害者達のグループホーム建設に反対運動がおこること、なども、沖縄と同様のNIMBY問題である。障害者は自分たちの近所に住んで欲しくない、地価が下がる、という偏見と、米軍基地は迷惑だから沖縄に固定化してほしい、という論理の共通性がある。また、マジョリティの冷たい視線、も共有化出来そうな部分である。
「本土の主要メディアは、沖縄の<抵抗>を『県民感情』と言い換え、一過性のものにすぎないとする価値付け報道に終始していた」(p180)
自立支援法に対する反対運動、総合福祉部会の骨格提言を反故にした厚労省への抗議、などについてのマスコミ報道も、<抵抗>として、というより「障害者感情」という「一過性」のものとして、矮小化して報じていたように思える。だからこそ、年末のブログにも書いたが、「批判するだけでいいのか。障害者福祉の行方を大局観に立って考えてはどうだろう。」といったパターナリスティックな主張が可能になるのだ。
ただ、事の責任をマスコミだけに押しつける他責的な展開には出来ない。マスコミだけでなく、本土の人間も沖縄の人間も、そして健常者も障害者も、その大半が、物象化されたヘゲモニーを「疑う必要のない、当たり前の前提」として受け止めている。それが、絶対的真実、ではなく、他にもありうるストーリーの一つだけれども現時点ではドミナント・ストーリー、であることを意識することが出来るかどうか。この部分は拙著『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』の中でも中心的に論じてきたところだ。自分が当たり前だと思い込んでいる常識の眼鏡、その眼鏡自体がいかに構築されてきたか、そのなかでいかなる「規制」を受けてきたのか。そして、それ以外の可能性を考える事を制限してきたか。そのことに自覚的でないと、沖縄や障害者の問題は、マイノリティの「感情」問題に矮小化されてしまう。だが、実際には、私たち自身も「感情」問題に矮小化する枠組み=ヘゲモニー=物象化の<暴力>の圧制に<支配>されているのである。知らず知らずのうちに。
「<支配する視線>を介した関係性には、単に見る/見られるという関係にとどまらず、身体化される/するという体験にも注意を払う必要がある。本質的に規定されている身体のあり方は、どういう生得的な性質を備えているかという問題ではなく、その身体で何をして、何をされるのかという行為や実践を媒介として実体化される。つまり、体験にはそれにともなう行為や実践-<身体化される実践>がともなう。」(p355-356)
私たちは「支配-被支配」という物象化された関係性を「当たり前」だと思い込むことによって、沖縄や障害者が<抵抗>として示す<身体化される実践>を「感情問題に過ぎない」「依存的体質である」と切り捨てる。すると、その<身体化された実践>の意味を掴みかねる。単に相手の内在的論理を知る、だけでなく、相手と私、支配と被支配の関係性が、どのような前提=ドミナント・ストーリーの中で<身体化される実践>を行っているか、についての「枠組み」の自覚がないと、その本質に迫ることが出来ない。そして、その枠組みを書き換えることから、「支配」と「抵抗」以外の、新たな別の物語を構築する事が可能なのである。
「不正や不平等に気づいたとき、それを拒否し、声を上げ、真実を明らかにし、そして歴史に遺してゆくことが不可欠である。そのためには自らの考えを持ち、自らの行動に責任を持つ自立した個を確立してゆくことが不可欠である。個の確立が史実を見抜く知性と感性、そして良質のことばを持つことへとつながることを期待したい。」(p364)
奥田さんのこの本は、膨大な資料を丁寧にクールに参照しながら史実を捉え直す視点、なのだが、後半少しずつヒートアップし、最後の結論部分では、熱いハートを覗かせている。「沖縄の声」に基づく分析をしていれば、至極当然のことだと思う。ゆえに、上記の引用には、ストレートに同意するし、いま、日本の障害者支援の現場でも再び求められていることだと改めて感じる。「自らの考えを持つ」こと、に対して、この国の空気や同調圧力は非常に否定的だ。物象化の<暴力>とは、魂の植民地化のことでもある。マスコミや中央官僚の中にも、障害福祉の現場や沖縄にも、もちろん「自らの考えを持ち、自らの行動に責任を持つ自立した個」は沢山いる。だが、一方で、どの世界にも、「不正」や「不平等」に対して、「まあ、いいか」「どうせ、しかなない」「何をいまさら」「世の中そんなもんだろう」と、見て見ぬ振りをして、自らの魂をも毀損している人々も沢山いる。原発問題や福島の現状についても、同様な姿勢が数多くある。
僕たちに必要なのは、自らの眼鏡の歪みに気がつくこと、その上で歪みを「歪みだ!」と言葉に出来ること、そしてきちんと自分の頭で考え、その上で「良質のことば」を生み出し、「自らの行動に責任を持つ」、こと。それが、拙著でも描いた「個性化」の世界につながっていると感じた。つまり、「支配」と「抵抗」を乗り越える為には、まずはその構造を自覚することからしか始まらないのである。
苦しくても、面倒くさくても、恥じらいや情けなさを感じても、劣等感を感じても、ここを逃げてはいけない。そう感じた年始であった。