語り合うという力

初めて出会う人による語り合いの場は、最初はおずおずと、ピリピリと始まる。ここは安心して話せる場なのか、どういうメンバーが参加しているのか、私の考えは的外れではないか。

だが、いったん落ち着いてはなせる場だとわかると、言ってみたかった言葉が口をついてでる。あるいはその話を聴いている人も、「そうそう、私も」と思わず合いの手を入れて、語るはずのなかった何かを語り始める。その雰囲気に引き込まれ、他の人が「そう言えば私の経験では」と話が広がる。深まる。その中で、気づいたら本質的な内容が議論されている。

先日、僕が出会ったのは、そんな「語り合うという力」が大きな何かを産みだそうとする瞬間だった。

ところは三重県。障害種別を越え、支援者や行政職員に自分たちの思いを伝える「研修リーダー」を養成するための、当事者だけの研修の場面での出来事だ。三重の自立生活運動の拠点、ピアサポートみえの松田愼二さんが総合司会を行い、西宮で長年自立生活運動に取り組み、近年はNHK教育テレビのバリバラ!でおなじみの玉木幸則さんと僕が助言者、そして松田さんと一緒に活動するお二人の障害当事者がファシリテーター、という陣容で取り組んだ。

こういう場は、障害当事者主催なら、以前から行われていた。だが、特筆的なのは、それを三重県が主催の研修で実現できた、ということだ。でも、今回の研修において、県職員はあくまでも書記役に徹し、当事者たちが安心して話せる場を作る、という松田さんの設定は活かされていた。そういう意味では、障害者運動が培ってきたノウハウが、都道府県レベルの研修で本格的に活用された初めてのケース、ともいえるだろう。

なぜ、そのような場が必要なのか。

その理由は、大きくわけて3つ、考えられる。

1つ目が、当事者同士で障害種別を越えて、自分たちの障害や病気のしんどさ、生活のしづらさ、生きづらさを共有できる場がないからだ。障害や病気を抱えて暮らす、ということには、特有のしんどさがある。手や足の自由が利かない、目が見えない、耳が聞こえない、幻聴が聞こえる、理解するのが難しい・・・。このような病気や障害があることでの特有のしんどさが、それぞれの障害にある。だけでなく、その障害ゆえに、日々の日常生活で、社会関係を営む上で、様々なハードルや障壁にであう。前者を機能障害とするならば、後者は社会的不利や生活障害、ともいえるだろうか。もちろん、障害が異なれば、病気や障害のしんどさは異なる。だが、そのようなハンディを抱えて日々暮らすことに、どのような生活のしづらさや生きづらさがあるのか、という部分では、障害の種別を越えた共通点がある。これは、語り合う中で、他の障害の人の話を聞きながら、「そう言えば私も同じような悔しい思いをした」「そういう気持ちは分かる」という分かちあいが生じる。そして、そういう障害種別を越えた当事者間での「思いや願い」の共有の場が、地方都市ではなかなかないのが実状だ。

2つ目は、そういう障害当事者の内在的論理を、支援する側や関係する行政職員が知らない、という問題点である。支援者は障害の特性や支援のやり方、については「知ったかぶり」が出来る。あるいは行政職員なら、現行法や制度、その運用実体や基準等について「知ったかぶり」が出来る。両者にあえて「知ったかぶり」と書いたのは、本当に知っている訳ではないのに、当事者の前でえらそうにその「振り」を必死にしている職員も少なからずいるからだ。まあ、その問題はおいておこう。だが、支援を受ける障害当事者が、その支援を受けての生活にどんなことを思っているのが、どういうしんどさや生活のしづらさを抱えているのか。そういうリアリティについては、実はちゃんと知らない支援者や行政職員も少なくない。そういうことは「知ってるつもり」になったり、あえて聴かなかったり、聴く必然性を感じていなかったり。そんな場合も少なくない。障害当事者に対しての行為が、相手の立場からどう評価されているのか。このような業務評価は、自らの行為の本質に関わる部分である、がゆえに、これを意識的・無意識的に避けようとする支援者も、少なくないような気がする。

3つ目は、上記の理由から、これまで障害当事者と支援者、行政職員が、お互いの役割や立場を越えて、「障害を持って地域で暮らすしんどさや大変さ、生きづらさ」について、平場で話し合う、という場面があまりに少なかった、という理由である。行政交渉などの公的な場面においては、「要求・反対・陳情」などの敵対的なモードが支配的であった。また、障害者地域自立支協議会という、市町村レベルでの関係者の議論の場が法的に整備されたが、その場で何を話していいのか、誰に話し合ってもらえばいいのか、について、自治体レベルでの当惑は未だにあり、十分にこの協議会が機能していない自治体も少なくない。ましてや、障害者の代表だけが形式的に参画するけれど、支援する側・される側の本音がつっこんで語られる場、になっている地域自立支援協議会がどれほどあるだろう。

このような状
況下にあって、都道府県が主催する研修会の場で、この3つの問題を乗り越えるために、障害当事者と支援者、行政職員が出会い、平場で「障害や病気のしんどさ、生活のしづらさや生きづらさ」について語り合い、学びあう機会を作ることは、非常に価値があることなのである。そういう意味では、こういう画期的な研修を主催する三重県もなかなか先駆的である。

ただ、いきなり「出会いの場」といっても、心の準備も必要なので、今日はまず1つ目の課題をクリアする為に、障害当事者だけの語り合いの場を作ってみたのだ。すると、出てくること、出てくること。

・ヘルパーが「風邪を引いてはいけないので外出を控えましょう」と保護的になる
・自己主張をわがままだ、と受け止められる
・職場で頭ごなしに叱られ排除されることが多く、何をどうしたらよいのか教えてもらえない
・恋愛の場面で、自分の思いをきちんと相手に伝えられない。受け止めてもらえない。
・困っている内容を抱えた一人の人間、ではなく、障害者として見られる
・私のしんどさ、を理解しようと話を聴くことなく、「あなたは○○だから」と決めつける

これらの内容に共通するのは、人と人という形できちんと出会えていない、という実体である。障害者と健常者、支援する側とされる側、という役割や立場の関係での出会いの中で、人間対人間の「本音」の部分のやりとりがされていない。「お顔の見えるおつきあい」がなされていない、というリアリティである。そして、そこで語られる中身を聴いているうちに、これは単に障害者だけの問題なのか、と考えさせされた。

このような「生きづらさ」の課題は、たとえば学生支援をしていても、しばしば耳にする話だ。あるいは、派遣労働の問題、正規社員でも「追い出し部屋」や「ブラック企業」などでは、同じように「人として扱われない」現状に対する怒りやつらさが、様々なメディアを通じて漏れ聞こえてくる。昨今しばしばバッシングにあう生活保護を受給されている方も、同じような蔑みや劣等感を感じておられる方も少なくない。すると、ここで語られている課題が、決して一部の障害者のわがまま、ではなく、あなたや私にも共通する、日本社会の構造的なゆがみや抑圧、同調圧力の表出形態である、と見えてくる。すると、これらの語りが、決して「他人事」ではすまされないのだ。

そして、障害理解、あるいは障害者支援の根本に、福祉政策の根本に、この「他人事ではない」という感覚の共有があるかないか、が、実は大きな分かれ道にあるのではないか、と僕は感じる。しょせん可哀想な方々の哀れな悲劇、と「他人事」で感じている限り、それはいつも周縁の問題、と「後回し」になる。だが、これらを「後回し」にし続けることで、結局自分自身の「生きづらさ」もどこかで後回しにしていないか。自分自身の、日本社会の閉塞感や生きづらさの問題を「自分事」として捉えるならば、障害のある人の「生きづらさ」の問題を「自分事」として伺う、語り合うことが、自分自身の「生きづらさ」「生活のしづらさ」の問題を見つめるための「遠回りなようでいて、実は近道」となるのではないのか。

だからこそ、問題の本質を直視するためにも、「語り合うこと」が想像以上の「力」を持っているのだ。

そういえば、参加したある人が、ぽつりとこんな感想をもらしていた。

「こういう場以外で、生きづらさ、とか、生きるとは何か?なんて語ることはありませんよね」

その通り。
いや、むしろ、こういう場がないと、「生きづらさ」や「生きるとは?」が語られる事のない社会の閉塞感こそ、問題の核心部分にあるかもしれない。だからこそ、「語り合うこと」が力を持つのだ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。