「見えない身体」との「つながり」

単著用の原稿に一区切りついたので、久しぶりに自宅書斎の書棚を整理する。原稿を書いている時は、あれこれ本を引っ張りだしたり、研究室からごっそり本を持ち帰って並べたりしているので、書棚も窒息寸前のエントロピー増大状態だった。そこで、用済みの本たちと研究室へと戻した後には、だいぶ本棚も息を吹き返したようだ。風通しがよい本棚をぼんやり眺めていて、何となく手に取ったのが、恐ろしく迫力のある一冊で、気がつけば一気に読み終えていた。

「『僕』は、現実的にかかわっている物事に対しては自分なりにベストを尽くすし、かなり有能かつ器用にこなしていくことができる。しかしその現実が何か自分の大事なものとつながっている実感がない。つまり、『見える身体』の現実での横軸は、何とかつながることができているけれど、自分の中の縦軸が途切れてしまっているのである。この自分自身の縦軸とのつながりが途切れるということは、『向こう側』の見えない身体(羊男)と自分自身とのつながりが切れているということである。それは、自分自身の魂と切れている状態と言ってもいいだろう。そのつながりが切れていると、現実の横軸でどれほどの経験をしても、それぞれの経験はそのときだけの単発な出来事にしかなりえず、ひとつの大きな流れを持った意味のある体験として感じられなくなってしまうのである。」(岩宮恵子『思春期を巡る冒険-心理療法と村上春樹の世界』日本評論社、p173)
副題にもあるように、岩宮さんは心理療法家で、思春期を巡る心理的危機を、村上春樹文学を用いて分析した一冊である。僕は古本でハードカバーを買ったが、ある書評で取り上げられたあと、文庫版が再び出ている。僕は村上春樹も心理療法もどちらにも興味があるが、それゆえに、本当に面白いのかどうか、となんとなく疑っていた。村上文学への肩入れと、それに基づく偏った愛や憎しみが透ける文芸批評だったらどうしよう、と危惧していたのだ。だが、それは全くの杞憂であった。2つの世界観に精通し、なおかつご自身の臨床を重ねあわせながら、岩宮さん自身の独自の世界観を「物語」る文章世界に、ぐいぐい引き込まれていった。
以前ブログに書いたこともあるけれど、村上文学は、日常の世界からある日すっと象徴的暴力の渦巻く「神話の世界」へと主人公が引きずり込まれていく話である。これは、「多崎つくる」でも同類型である。日常世界という「見える身体」での現実において、主人公の「僕」は、「自分なりにベストを尽くすし、かなり有能かつ器用にこなしていくことができる」存在である。アイロンかけや食事作りなど、プラクティカルなことにはかなりマメな人物である。でも、冒険に飛び出す前の主人公は、どこかで「空虚」を抱えている。それが、「自分の中の縦軸が途切れてしまっている」のである。その縦軸とは何か。それを『見えない身体』との「つながり」である、と岩宮さんは語る。これは一体どういうことだろうか?
「見えない身体領域は、霊性の次元に関わっている」(鎌田東二)や「現実化されてない潜在的な統合可能性をふくむ<遍統合体ともいうべき身体>」(市川浩)といった身体論を援用しつつ、彼女は両者を「普通の状態では認識することができない錯綜隊としての身体を『見えない身体』、それ以外の身体を『見える身体』」(p98)と定義する。
こう書くと難しそうだが、村上文学で言えば、『羊を巡る冒険』の「羊男」の世界も、『海辺のカフカ』のナカタさんの世界も、「見えない身体」領域である。主人公の「僕」は、いくらプラクティカルな力を持っていても、「『向こう側』の見えない身体(羊男)と自分自身とのつながりが切れている」。それを岩宮さんは「自分自身の魂と切れている状態」と指摘する。なるほど、だからこそ、プラクティカルにうまく日常をこなしても、どこかで「僕」はその「空虚さ」を埋められないわけだ。
ただ、「見えない身体」=「自分自身の魂」との「つながり」が「切れている状態」の人は、世の中を見回せば一杯いる。近年研究をご一緒させていただく深尾先生は、著書の中でそれを『魂の植民地化』と述べていた。あるいはそれは安冨先生の言葉から引用するなら「立場主義」への呪縛なのかもしれない。岩宮さんも同じようなことを指摘している。
「表面さえごまかせたら裏で何をしてもバレなければいい・・・という発想で、銀行や警察、省庁などという、決してそのようなことをしてはならない機関がどのようなことを行っていたのかは、さまざまな報道で明らかだろう。そこには間違いなく、その機関にいる人たちの価値観が反映されているものだ(もちろん、その流れに逆らって苦しんだ人たちも間違いなくいると思う)。もう一歩踏み込むと、その場限りの表面的な流れが整うことだけを重視する浅薄な物語に日本中が支配されてしまっていると言えるのではないだろうか。」(p56)
「見えない身体」=「自分自身の魂」との「つながり」が「切れている状態」というのは、「その場限りの表面的な流れが整うことだけを重視する浅薄な物語」を産み出しやすい。それは、プラクティカルに取り繕うことだけを重視し、表面の背後にある本質(=「見えない身体」)の面での大切さを捨てて、自分の「立場」にのみ拘泥し、その「立場」というものに「魂」が「植民地化」されてしまうからだ。僕はそれを、自らの「枠組み」へのとらわれ、という形で拙著で表現した。
では、どうすればそういう「浅薄な物語」と決別することが出来るのだろうか? それを、岩宮さんは「異界」とのアクセスという形で表現する。
「人が本当に自分の核と結びつこうとするときにたましいの中から生み出される物語には、日常の常識的な世界とは違う異界の視点が不可欠である。そうした異界の視点のひとつとして、村上春樹の小説の中では、思春期の視点が重要な役割を果たしているように感じられる。これは勝手な推測だが、村上春樹が小説を書くために自分の心の井戸を降りて、その中で見つかったメッセージをこの世に通じる形で成立させようとしたとき、思春期のイメージがその物語の成立を助けるものとして動き始めたのではないだろうか。もしくはそのメッセージそのものが、思春期と深くかかわりをもつものなのかもしれない。」(p38)
「見えない身体」とは「魂」との「つながり」がある、「潜在的な統合可能性をふくむ」身体である。この「見えない身体」と「見える身体」を統合するための「物語」には、「日常の常識的な世界とは違う異界の視点が不可欠である」。
冒頭に引用した部分に振り返って考えてみるならば、「見えない身体」という「魂」の次元との「つながりが切れていると、現実の横軸でどれほどの経験をしても、それぞれの経験はそのときだけの単発な出来事にしかなりえず、ひとつの大きな流れを持った意味のある体験として感じられなくなってしまうのである」。「見える身体」の世界での「横軸」の知識を網羅的につなげても、それは「単発な出来事」の集積にしかならない。「ひとつの大きな流れを持った意味のある体験」として「見えない身体」(=自分自身の魂)と「見える身体」(「横軸」の知識)をつなげることが出来てこそ、初めて自分独自の「生きられた物語」として描き出すことが可能なのである。この指摘は、僕も単著を書いてみて、すごくわかった。確かに、僕自身の物語を描き出すためにも、僕も「異界」に降りていった。
「僕自身が『身体を蝕み、自己の崩壊』の危機にあって気づき始めたこと、それはこの『自分自身の自己になること』への希求であった。何かがおかしい、と、合気道をはじめ、ダイエットによって身体が軽くなることで、思考のリミッターが外れ、自分自身に『蓋』をしているペルソナや心的肥大の存在に真正面から向き合うようになった。これは、まさに心的危機そのものでもあった。だが、ペルソナの心的肥大、つまり『社会の期待する自己を首尾よく演じ』ることが社会に役立つ唯一で最善の道である、と誤認していた僕自身にとって、この危機のお陰で、次のことを深く納得出来る状態に変容する事が可能になった。『個性化とは、まさに人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすことになるのである。(ユング 一九九五、九四頁)』」(竹端寛『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p187)
東日本大震災後、「被災地に直接行って何らかの役に立つことをしなければならない」という「ペルソナの心的肥大」=「見える身体」の強迫観念が増大していた。だがその一方、震災の1年前から「枠組み外し」の実践に取り組み始め、自らの「見えない身体」とのつながり=「自分自身の自己になること」を希求していた僕は、「ペルソナの肥大」(=「見える身体」)との折り合いをつけることができず、どうしても被災地に行けなかった。その中で、震災直後は「存在論的な裂け目」という「異界」にいたのだと、今振り返ってみると、気づく。そして、僕自身も「自分の核と結びつこうと」「自分の心の井戸を降りて」行きならが、『枠組み外しの旅』を書き続けていた。そういう意味では、村上春樹と同じように、僕自身も「自己治癒」的にこの本の執筆に取り組んでいたし、どこまでそこで見つけた「メッセージ」が読者のみなさんに届いているかはわからないが、僕自身としては、この本は「ひとつの大きな流れを持った意味のある体験」としてまとめることができた。そして、それは僕自身にとっての「個性化」であり、「ペルソナの心的肥大」ではなく、その「個性化」を果たさない限り、「社会に役立つ」=「人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすこと」なんて無理ではないか、と気づくことができた。
岩宮さんの「物語」を通じて、僕自身の「見えない身体」と「見える身体」、横軸と縦軸の「つながり」の回復が、拙著を書く中でなされていたようだ、ということを、後付的に知ることができた。ブログを書き始めていたときには、こんな結論になるとは思いもよらなかったけれど。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。