『権利擁護が支援を変える』一部公開

いよいよ明日、11月8日が、僕の二冊目の単著、『権利擁護が支援を変える』(現代書館)の発売日である。今回は税込み2100円に抑えて頂いたが、それでも2000円超えとは、決して安くない金額。そこで、出版社とも話し合った上で、前著と同じように、本書の冒頭を「立ち読み」出来るようにしました。お読み頂いた上で、よかったら、ご購入頂くか、図書館にリクエストしてくださいませ。では、どうぞ。

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この本は、私がこれまで権利擁護について考え続けてきた内容をまとめた論考である。序章では、本書全体を貫く総括的な(マクロの)視点を描こうとしている。だが、とりかかりは私の経験という個人的な(ミクロの)視点から始めたい。
小学五、六年生の頃、私が通っていた地元の小学校では、クラス全体で「いじめ」がしていた。私は実家のマンション11階の手すりから身を乗り出して、「ここから飛び降りたら死ねるんだなぁ」とぼんやり考えていた。
当時、いじめっ子の番長が、クラス内の他の目立つ人間を次々に標的にしていじめを開始し、ついには担任の先生をクラスから追い出すほど、私のクラスは荒れていた。私自身は、幼なじみのAくんがいじめの標的になり、その子の友人という理由で無視されていた。あの二年間の記憶は、先述の飛び降り願望を除けば、今ではごっそり欠落している。だが、断片的に強烈に覚えている光景がある。それは、「いじめられる側」から「いじめる側」への「大転換」が起こったときのことである。
ことの発端は、一緒にいじめられていた親友Bくんの一言だった。「僕たちが本物の標的ではない」。転校生だったBくんは、いじめの構造を見抜き、本当の標的と、その標的の周辺領域ゆえにいじめられている層を、冷静に分析していた。そして、ある日の放課後、いじめる側の周辺領域(いじめる側のある種の”最下層”)にいた比較的気弱なCくんと、いじめられていた私とBくんの三人だけが教室にいたとき、BくんはCくんに話しかけた。
「あのさあ、あんたは、ほんまは僕らをいじめる気持ちはないやろ? ○○に言われて、仕方なしにいじめに加わって僕らを無視してるのやろ?」
私は、クラス内の暗黙の「裏ルール」を破る事態のに、「そんなことをすれば何をされるかわからない」と戦々恐々だった。恐らくそれは話しかけられたCくんも同じだったのだろう。でも、気にせず話しかけるBくんに対して、Cくんはおずおずと頷き、話し始める。その瞬間、「いじめられる側」の周辺領域にいたBくんと僕は、「いじめる側」の周辺領域へと、立ち位置が変わり始めた。以後、僕はAくんを避けるようになり、「いじめる側」の級友とよく話すようになった。結果的にAくんへのいじめに加担してしまったのだ。
その後、このいじめは、小学校卒業と同時に終わった。教育委員会がこのクラスを相当問題視していたようで、私も含めたほとんどの級友が進学した地元公立中学では、私のクラスの子どもたちだけが、周到に一四クラスに振り分けられた。以後、いじめられる経験は私にはなかったが、Aくんとはその後も疎遠になってしまったままだ。
なぜ、このような個人的な内容からスタートしたのか。それは、私が権利擁護の問題に関わるきっかけが、この問題に詰まっているからである。いじめという「差別」や「排除」は、いじめられる側からすると、圧倒的な抑圧・統制の下に置かれる事態である。今から考えれば「そんなことくらいで」と笑えるが、「その世界しか知らない」当時の私は、いつまで続くかわからない抑圧的事態に嫌気がさし、その当時は漠然と「死」も考えていた。「客観的」に見れば、私自身の被害は「無視されること」くらいだったので、ひどい被害とは言えない。小学校卒業までのたった二年間だから、まだ「まし」だった、と。しかし、当時の私自身の主観の中では、全く見えない将来に絶望していた。
しかも、その後の「いじめられる」側から「いじめる」側への構造転換を経験して、世間や集団の「境界」と言われるものの不透明さ、曖昧さを実体験する。いじめられる側だった時に圧倒的な抑圧性をもっていた「壁」が、実は自分自身を内的にしていた規範(いじめというゲームのルール)の内在化であること、そしてそれを外在化することで、「いじめられる」構造の外に出ることは不可能ではないことも実感した。裏を返せば、「いじめる側」もいつかは「いじめられる側」に追いやられる可能性がある、ということだ。だから、級友で傍観者は一人もおらず、みな必死になって「いじめ」行為に荷担していた。
私が体験したこの「いじめの構造」は、権利擁護の課題と密接に結びついている。まず、「社会的弱者」と言われる人は、多数派にとっても「他人事」ではない。ある日、気づいたら自分がごく当たり前の「したいこと」「嫌なこと」を口にできない状況に構造的に追い込まれる可能性がある、という意味で、極めて「自分事」であるということだ。その上で、「社会的弱者」が自らの持つ力に気づき/気づかされると、その呪縛的構造から飛び出すことも可能である、という点は、第一章で述べるセルフアドボカシーやエンパワメントの考え方とも共通する。ただ、私のように呪縛的構造を内在化した人間が一人でその構造に立ち向かうのは大変なので、同じ経験をした仲間や支援者から支援されないと抜け出せない、権利擁護の課題でもある。そして、「いじめの構造」はクラス替えという組織的関与で終らせることが可能だった。ということは、組織や社会構造的な権利擁護の課題もある、とも言える。つまり、ミクロの(微視的な)「いじめ」問題も、マクロの(巨視的な)課題とつながっており、それら全体を権利擁護の課題として焦点化することで、「死ぬことばかり考えている」状態に構造的に追い込まれた人を支え、救うことも不可能ではないのである。そんな「枠組み外し」の方法論を展開したい。
本書では、権利擁護の構造や方法論をひも解くなかで、絶望的な苦悩に追い込まれた人びとに寄り添い、その構造転換を支援
する具体的な方法論を示したい、と考えている。その具体例に入る前に、まず「構造転換」とは何か、に関する二つの方法論を考えたい。一つは、アサーティブネス(自己主張・自己表現)や権利の自覚と呼ばれる、内在的論理の変更の方法論であり、もう一つは、社会や環境側の転換であり、後述するノーマライゼーションの原理が目指したものでもある。前者が心理的な抑圧について、後者が社会構造的抑圧について、それぞれ主題化している。
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権利擁護が支援を変える*目次
序章 権利擁護が支援を変える
第一章  セルフアドボカシー論
  一 セルフアドボカシーから始まる権利擁護──方法論の自己目的化を防ぐために――
  二 相談支援と権利擁護──カリフォルニア州と日本のピア・セルフアドボカシー――
  三 当事者研究とセルフアドボカシー
第二章 セルフアドボカシーから権利擁護まで――アメリカにおける権利擁護機関・アドボカシー実践――
  一 個別事例から法改正にまで取り組む公的権利擁護機関
  二  強制入院時における「患者の権利擁護者」の役割--真の「代弁者」役割とは--
  三 障害児教育の現場における隔離・拘束
  四 権利擁護の四つの側面
第三章 日本における先駆的実践――精神医療の「扉よひらけ」――
  一 「入院患者の声」による捉え直し――精神科医療と権利擁護――
  二 NPOのアドボカシー機能の「小さな制度」化とその課題――精神医療分野のNPOの事例分析をもとに――
終 章

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。