『台湾海峡一九四九』雑感

「人生はときにどこかで誰かの人生と交差する。しかし偶然の一点で交わったあと、それぞれの方向へと遠ざかり、すべてはぼんやりとした全体に含まれて、消える。」(龍應台著『台湾海峡一九四九』白水社、p332)

戦争にまつわる記述は、どちらかといえば「読まず嫌い」のジャンルだったのだが、今年の正月に読んでブログにも感想を書いた『沖縄の記憶-<支配>と<抵抗>の歴史』以来、ジョン・ダワーや色々な著者の本を、ぼちぼち、読んでいる。僕は為政者や政治家、軍幹部がどう考えたか、という大局的・戦略的記述(=ドミナント・ストーリー)より、戦争時代に、一人の個人が、どのような境遇で、何を考え、どう翻弄されたか、という「小さな物語」に、なぜか興味がある。
今回密林をブラウジングしていて、偶然出会ったは、台湾出身の女性作家による歴史ノンフィクション。自らの両親のルーツを辿る物語からスタートさせて、やがて中国・台湾・香港・マレー半島で、1949年を軸に、時代がどのように動き、その時代の波に人々がどう翻弄されたのか、を多くの「当事者」の証言を元に織り上げていく。彼女のドイツ人との息子、フィリップ君が19歳の時、学校の宿題でオーラルヒストリーを習って、龍さんのファミリーヒストリーを聞こうとした時、彼女がこれまで直視してこなかった、一九四九を巡る大きなうねりを、彼女なりに書いてみよう、と思い立った。抗日戦線をそれぞれ戦った国民党軍と共産党軍が、日本軍なき後、両者による内戦につながっていく。その過程で、昨日まで共産党軍だった兵士が、捕虜になり、国民党軍の一員として銃を持たされた。その逆もある。しかも、中国人兵士の多くが、誘拐された元農民である。彼らが、中国本土から台湾へ、台湾からマレー半島へ、様々な形で強制的に運ばれていった。そんな、戦闘や強制収容された経験を持つ市井の人々に、丹念に聞き取りをする中で、「偶然の一点で交わった」、その時代の「交差」ポイントを描こうとする。
「どんな物事であろうと、その全貌を伝えることなど私にはできない。フィリップ、わかってくれるだろうか? 誰も全貌など知ることはできない。ましてや、あれほど大きな国土とあれほど入り組んだ歴史を持ち、好き勝手な解釈と錯綜した真相が溢れ、そしてあまりのスピードに再現もおぼつかない記憶に頼って、何をして『全貌』と言えるのか、私にはひどく疑わしい。よしんば『全貌』を知っていたとして、言葉や文字でどうしたら伝えられるのか。たとえば、一降りの刀で頭を真っ二つに切られたときの『痛み』をどう正確に記述するのか? またその『痛み』と、遺体にしがみつく遺族たちの心の『痛み』を、どう比較分析するのか? 買った側の孫立人郡長は、殲滅された敵軍の死体を見て涙を流した。それも『痛み』というのか?それとも別の何かなのか?
だから私が伝えられるのは、『ある主観でざっくり掴んだ』歴史の印象だけだ。私の知っている、覚えている、気づいた、感じたこと、これらはどれもひどく個人的な受容でしかなく、また断固として個人的な発信だ。」(同上、p161)
この本が400頁を超える大著なのに、一気に読み進められた最大の理由。それは、これが龍さんの「個人的な発信」である、という点だ。俯瞰的に歴史を眺めながらも、あくまでも龍さんや出会った人や資料と対話する中で、彼女の記憶や感覚とリンクしながら、一九四九を挟んだ大きな時代の奔流を、彼女の「主観でざっくり掴んだ」物語として描ききってくれたからこそ、中国の内戦のことを殆ど何も知らなかった日本人の僕にも、スッと受け止められる。第二次世界大戦や日中関係については、「あれほど大きな国土とあれほど入り組んだ歴史を持ち、好き勝手な解釈と錯綜した真相が溢れ」ているが故に、理解しようとしても、「とりつく島」がなく、最初の一歩が踏み出させなかった。でも、龍さんが出会った、着目した市井の人々の「痛み」を巡る物語に立ち会う中で、中国や台湾、日本という文化的な差を超え、一人の人間の人生が翻弄されていく悲劇を、我がことのように共感し、共に「痛む」ことができた。そういう意味で、希有な作品である、と感じた。
香港や台湾、そして沖縄など、戦争と被支配の痕跡がある街を、気づけば旅することが少なくない。今までは旅先で現地人のご老人に出会っても何とも思わなかったが、これからは、市井の人々が関わったかもしれない、激動の時代の痕跡を、思い浮かべながら旅をするかもしれない。
*ちなみに龍さんへのインタビュー記事もネット上にあります。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。