社説が暴露する「病院の論理」

2年ぶりに、新聞の社説に意見を書いてみる。

前回は2012年の2月、国の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会において、厚労省が「ゼロ回答」をした直後の毎日新聞の「上から目線」に異議を唱えた。今回も、障害者政策に関する記事なのだが、内容は異なる。で、社説はじきにネット上で読めなくなるので、取りあえず該当の社説を引用しておく。
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朝日新聞 2014年1月24日社説 「精神科医療 病院と地域の溝うめよ」
精神疾患で入院している患者は日本に約32万人。入院患者全体のほぼ4人に1人にあたる。
そして年間2万人が病院で人生を終える。何年も入院生活を続け、年老いた統合失調症の患者も多いとみられる。
こんな状況をいつまでも放置しておくわけにはいかない。
病院から地域へ。
日本の精神科医療に突きつけられてきたこの課題について、厚生労働省が近く新たな検討会を立ち上げる。
議論の中心テーマは、既存の精神科病院の建物を居住施設に「転換」して活用するかどうかである。
日本には精神科のベッドが突出して多い。人口あたりで見ると、先進国平均の約3・9倍になり、入院期間も長い。
厚労省は10年近く前、大きな方向性を打ち出した。
入院は短く、退院後は住みなれた地域で、訪問診療や看護、精神保健の専門職に支えられて暮らす――。
しかしこの間、入院患者の数に大きな変化はない。改革の歩みはあまりに遅い。
背景には、精神科病院の9割が民間という事情がある。単にベッドを減らせば、入院の診療報酬に支えられてきた経営が行き詰まる。借金は返せなくなり、病院職員も仕事を失う。
そこで病院団体側は、病院の一部を居住施設に転換できるよう提案し、国の財政支援を要望している。
これに対して、地域への移行を望む患者や支援者は「看板の掛け替えに過ぎず、病院が患者を囲い込む実態は変わらない」と強く反発してきた。
この対立の構図に、いま変化が起きている。患者の退院と地域移行の支援で実績を上げてきた団体が、「転換型」の議論に意欲を示しているからだ。
病院のままでは、入院患者に外部の専門家からの支援を届けにくい。居住施設になれば、患者に接触してその要望を聞き取るのが容易になり、本格的な地域での暮らしにつなげやすい。そんな考え方が背景にある。
むろん制度設計や運用次第で「看板の掛け替え」に終わる危険性も否定できない。反対する側が抱く不信感の源がどこにあるのか、丁寧にひもとく作業が大前提となる。
新年度の診療報酬改定でも、退院促進や在宅医療を充実させる方向が打ち出された。これを追い風に、病院中心から地域中心への流れを加速させたい。
病院と地域の溝を埋め、患者が元の生活に戻りやすくする知恵を今こそ絞るべきだ。
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この社説の中段あたりで、実はかなり事の本質を(恐らく無意識に)突いている記載に出会う。
「この間、入院患者の数に大きな変化はない。改革の歩みはあまりに遅い。背景には、精神科病院の9割が民間という事情がある。単にベッドを減らせば、入院の診療報酬に支えられてきた経営が行き詰まる。借金は返せなくなり、病院職員も仕事を失う。」
この朝日社説の認識では、「精神科病院の経営問題・雇用問題」の目処が立たない・改善されない事が「原因」で、「入院患者数が減らない」、という「結果」とつなげている。社説は会社の看板の主張であるから、まさか社説が、一人の記者の思い込みで構成されている訳ではないだろう。厚労省にも日本精神科病院協会にも、その他の業界団体にも取材をした上で、「裏が取れた」という自信を持って、そう仰っているのであろう。
であるが故に、病理は深い。
そう、この社説のいうように、精神科の入院患者数が減らないのは、「入院の必要な人が減らない」から、ではない。「地域での社会資源・受け皿が足りないから」、でもない。精神科病院の経営問題・雇用問題ゆえに、入院患者数が減らないのだ。裏を返せば、精神科病院に長期入院している人の多くが、「病状の改善が見られないから」ではなく、「精神科病院の安定的経営」および「そこで働く人々の雇用の場の確保」のために、そこに入院させられているのである。これを、奴隷や使役、自由の剥奪、と言わずして、なんと言えば良いのだろう。そして、これは厚労省も病院側も認識を共有するだけでなく、大新聞の社説までもが、それを現実的に認めているのである。さらに言えば、精神科病院の経営問題・雇用問題の安定化のために、今度は空いたベッドには認知症の人をたくさん入れようとしている。
ここで、素朴な疑問が浮かぶ。
「そこで強制的に入院させられている人の権利」を犠牲にしてでも、「精神病院で働く人・経営する人の権利」を護らなければならないのだろうか?
あと、この問題を追いかけてきた立場からすれば、もう一つ、疑問が浮かぶ。
これまで、厚労省や病院団体は地域移行が進まない理由を「地域での社会資源が少ないから」「病状が継続し入院の必要性があるから」と言い続けてきた。だが、実はこれらの理由は「精神病院の経営問題・雇用問題」の「隠れ蓑」、だったのだろうか? 「出来ない100の言い訳」に過ぎなかったのだろうか?
さらに、ここからもう一つの疑問が浮かぶ。
「病院の一部を居住施設に転換」する案を推進する、ということは、結局、「強制的に入院させられている人の権利」はないがしろにして、「精神病院の経営問題・雇用問題」を、これからも優先する、ということか?
社説では、そのあとに、一見もっともらしいことが書かれている。
「制度設計や運用次第で『看板の掛け替え』に終わる危険性も否定できない。反対する側が抱く不信感の源がどこにあるのか、丁寧にひもとく作業が大前提となる。」
これには、ちょっと待ってほしい。「不信感の源」は、「制度設計や運用」の問題ではない。そもそも、病院の敷地内にあり、精神科病院の病棟を建て替えた施設って、たとえ個室にしたところで、どう考えても、「看板の建て替え」ではないか? 長期間、その病院の施設内から出ることが許されず、病院での生活以外の外の世界を知らず、病院の支配的暮らしに飼いならされ、「施設症」になっている入院患者にとって、病棟の敷地内の生活が続くのであれば、どんなものであれ、そこは「病院生活」の継続、である。
以前、精神科病院の目の前のグループホームに「退院」したものの、病院の訪問看護に往診、病院のデイケアに病院からの給食、はては病院のスリッパにジャージ姿で過ごし、「僕はいつ、退院できるのですか?」と仰った「元入院患者」のことを思い出す。「施設症」とは、支配・管理の下に置かれた人にとって、それほどまでに根深い問題なのだ。
本気で「病院中心から地域中心への流れを加速させたい」ならば、すべきことは一つ。「精神科病院の経営問題・雇用問題」を優先させる政策をやめることである。
そういうと、「現実主義」の官僚や記者からは、「非現実な発言」に思われるかもしれない。でも、例えば一般企業であれば、パソコンを使えない、ワープロやガリ版印刷しか対応できません、という企業や個人には仕事がまわらない。必死になって、顧客のニーズに合わせて、提供する商品やサービスを変更しているのが、一般企業の普通の姿である。しかも、国からの補助金をもらわずに、市場原理の厳しい競争の中で、それに耐え忍んでいる。
その一方、国から診療報酬や補助金という名の巨額の税金投入をされながら、精神科病院での治療は、もう「ガリ版印刷」なみに、社会的使命を終えようとしている。これは、実際に精神病院を捨てたイタリア、だけでなく、世界的なスタンダードである。
ちなみに、今回の病床転換型施設構想は、この世界的スタンダードに、表面上の帳尻を合わせようという姑息な側面も見え隠れする。この1月、日本は国連障害者権利条約を批准した。国際条約は、憲法より下位に位置づけられるものの、国内法より上位に位置づけられ、関連する法律を批准時には改定する必要がある。その権利条約の19条a項では、次のように言っている。
「障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと。」
精神病院に長期間入院させられている。しかも、病状や地域の受け皿ではなく、精神科病院の経営や雇用問題のために、入院させられている。これは、見事に、「特定の生活施設で生活する義務を負わ」されていること、そのものであり、差別である。日本政府はこの条約を批准したからには、このことが「差別である」と認めることになる。
であるが故に、病院か、居住施設か、の選択肢を作ることで、この「特定の生活施設で生活する義務を負わ」されている実態を回避しようと狙っている。ただ、それはあくまでもペーパー上の問題であり、長年、病院の管理・支配的な生活に飼い慣らされてきた人々にとっては、病院も敷地内居住施設も、「病院の中から出られない」という意味では、「特定の生活施設で生活する義務」の点で全く同じなのである。
では、実際に変えるにはどうすればいいか?
実は、毎日新聞社説が「非現実だ」と否定してくださった、障がい者制度改革推進会議総合福祉部会の「骨格提言」には、どうすればよいか、の骨子をちゃんと整理している。
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Ⅰ-6 地域生活の資源整備
【表題】 「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)策定の法定化
【結論】
○ 国は、障害者総合福祉法において、障害者が地域生活を営む上で必要な社資源を計画的に整備するため本法が実施される時点を起点として、前半期画と後半期計画からなる「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)を策定するもとする。 策定に当たっては、とくに下記の点に留意することが必要である。
 ・ 長期に入院・入所している障害者の地域移行のための地域における住まの確保、日中活動、支援サービスの提供等の社会資源整備は、緊急かつ重点的に行われなければならないこと。
 ・ 重度の障害者が地域で生活するための長時間介助を提供する社会資源を都市部のみならず農村部においても重点的に整備し、事業者が存在しないめにサービスが受けられないといった状況をなくすべきであること。
 ・ 地域生活を支えるショートステイ・レスパイト支援、医療的ケアを提供きる事業所や人材が不足している現状を改めること。
○ 都道府県及び市町村は、国の定める「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)にづき、障害福祉計画等において、地域生活資源を整備する数値目標を設定るものとする。
○ 数値目標の設定は、入院者・入所者・グループホーム入居者等の実態調査基づかなければならない。この調査においては入院・入所の理由や退院・退所を阻害する要因、施設に求められる機能について、障害者への聴き取り行わなければならない。
Ⅲ-4
【地域移行・地域生活の資源整備に欠かせない住宅確保の施策】
○ 長期入院を余儀なくされ、そのために住居を失う、もしくは家族と疎遠なり、住む場がない人には、民間賃貸住宅の一定割合を公営住宅として借り上げるなどの仕組みが急務である。グループホームも含め、多様な居住サービスの提供を、年次目標を提示しながら進めるべきである。
○ 保証人や緊急連絡先が確保できないために住居が確保できない入所者・入院者に対して、公的保証人制度を確立すべきである。
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「精神科病院の経営や雇用問題」を護るより、まず利用者の権利を護り、精神科病院の入院患者の「移行計画」をこそ、国は真剣に検討すべきである。その際、住居支援と生活支援が、最大の鍵になる。だからこそ、「病棟転換型施設」なる「パッケージ」が安易な解決策として浮かび上がる。だが、これは、繰り返し言い続けるが、入院患者の権利より「精神科病院の経営や雇用問題」を優先させる、非人道的な方法論である。
さらに言うなら、障害者の居住の貧困は、この国の住宅政策の貧困にも裏打ちされている(その辺りは早川和男先生の『居住福祉』に詳しい)。安価な公営住宅の絶対的不足と、生活保護者向けの質の悪い民間アパートの横行、という実態がある。この辺に手を付ける事が大変だから、問題の本質的解決を避けるため、精神科病院を「必要悪」的に温存させている部分もある。
だが、それは、あくまでも官僚や支援者側の理屈、である。サービスの受け手である障害当事者にとって、地域支援の方が遙かに成果が上がることがわかっていながら、自分達のこれまでのやり方を変えるのが面倒だから、そのツケを利用者に押しつけるやり方は、あまりに差別的ではないか? そして、それが障害者権利条約の違反という形で国際問題化するのが面倒だから、と、「看板の掛け替え」で誤魔化そうとするのも、あまりに低俗な解決策ではないか。
長く書いたが、最後にもう一言。「病院・施設の経営・雇用問題」に関しては、先の骨格提言で、次のようにも整理している。
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Ⅰ-5 地域移行
○ 入所施設・病院の職員がそれぞれの専門性をより高め、地域生活支援の専門職としての役割を果すため、国は移行支援プログラムを用意し、これらの職員の利用に供しなければならない。
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実は、入所施設をゼロにしたスウェーデンでは、1990年代に、「2000年までに施設をゼロにする」という時限立法を作った上で、入所施設の職員を地域で働くスタッフにする為の再トレーニングをしている。(このことは10年前の報告書にも書いておいた。) これは、ガリ版印刷しか対応出来ない人がPCで仕事が出来るような再トレーニングと似ている。でも、そのような再トレーニングを「自分には無理だ」と言って、業界を去った人もいる。その一方、試練を乗り越え、地域で再び障害者支援に取り組んでいる人もいる。旧態依然とした精神科病院の経営や雇用を護るより、このような、「地域で働くための、仕事の仕方の再トレーニング」にこそ、国は税金を使うべきであることも、付け加えておく。

履歴という名のしがらみ

日常の履歴とは、時として、人の可能性を閉じ込める洞窟であり、イドラではないか。

僕ならば、大学教員、山梨在住、週に2,3回は合気道に通い、山梨県内のいくつかの自治体で福祉政策形成のお手伝いをしている・・・といった「履歴」がある。そして、当たり前の話だが、年を取るにつれて、この履歴はどんどん膨らんでいく。
小さい頃から、同年代の仲間と野球をするよりも、大人の会話に混ぜてもらいたい、ませたガキだった。新聞やニュースを読んで、社会問題に「意見のようなもの」を中学生くらいから、語っていた。受験勉強が大嫌いで、大学のような、自分の世界観を拡げられる勉強に憧れていた。つまり、20代前半までは、一生懸命背伸びをして、大人に認められたい、ちやほやされたい、「世間に求められる人になりたい」、と痛切に願っていた。
それが、30代になって、一転する。
大学教員になって、「世間に求められる」機会が、格段に増え始めた。もちろん、実力が伴わないのに期待して頂いていることも理解していたので、必死になって勉強し始めた。大学院生の頃までは生活費や本・調査代を稼ぐのに必死で、あまりきちんと勉強していなかったので、大学教員になってから、遅まきながら、勉強を集中的にし始めたと思う。現場のニーズに合わせて、On The Job Training的に、学びながら伝え、伝えた現場から学ぶ、という泥縄的な事を繰り返して来た。
その中で、おかげさまで出来ることが少しずつ増えてくる。すると、世間に求められる事も増える。ただ、それは単純に言祝ぐべき事態ではないことに、「求められる事」が増えるまで、気がついていなかった。
「求められる事」が増える、とは、社会の中での関係性が増える、ということである。そして、この関係性が増える事、とは、時として、その人が動ける可動範囲を実質的に制限することにもつながりかねない。これは一体どういうことか?
関わりが増える、とは、その人に求められる役割や期待が増える、ということでもある。ただ、これは自分自身が「したい役割」「望んでいる期待」とは異なる。あくまでも他の人が「僕にしてもらいたい役割」であり「僕に望んでいる期待」である。そして、関係性が増える、深まる、ということは、時として、「求められる役割や期待」を「自分自身が望む役割や期待」より、優先させてしまうことである。しかも、少なからぬ場合、場の雰囲気や流れなどによって、無自覚的に、他者期待を優先させてしまうことになる。これが、その人の役割期待に結びついた「履歴」という名の「しがらみ」になってしまう。
こう書くと、「履歴」というのは、他者から押しつけられた刻印のように見えるかもしれない。でも、よく考えてみたら、その「履歴」という名の「しがらみ」を、喜んで、自分自身で形成している場面がある。それが、ツイッターやフェースブックに代表される、SNSの世界である。
僕はツイッターは一般向け、フェースブックはお顔の見える間柄の人、と分けている(なので、実際のお友達でない方からのフェースブック申請は原則的にお断りしております、あしからず)。だが、どちらにせよ、どちらのサイトでも、積極的に意見表明せよ、なんて、誰からも求められていない。なのに、どうして毎日のように、ツイッターで何度も呟いているのか。ツイッターでは、エゴサーチもしてしまうのか。それって一種の依存症ではないか。
この疑問に関しては、「履歴の更新」という概念を持ってくれば、わかりやすい。そう、実際の社会においては、毎日の労働の中で「関わり」をせざるをえないが、バーチャルな世界でも、わざわざ色々呟いて、バーチャルな世界での履歴を一生懸命構築しようとしているのだ。よく考えてみれば、それは疲れること、ですよね。
僕は、合気道や山登り、温泉、旅が好きだ。これらに共通することは、「履歴を消し去ること」である。合気道をしている最中に、「先生」と言われることはない。山登りの最中には、ひたすら自分の体力との対話を重ねている。温泉では、最初は仕事の事でもやもやしていても、そのうち気づいたら無心になれる。旅に出かけたら、日常の関係性から自由になり、その場でのゼロからの出会いを楽しんでいる。そして、これらは、「履歴」という名の「しがらみ」からは、原則として、自由である。
もちろん、「履歴」とは、慣れ親しんだ関係性の蓄積、の側面も持つ。その「履歴」こそ、アイデンティティや自己同一性と言われるものの源泉にもなっている。だが、一つのアイデンティティが形成される、とは、それ以外の可能性に蓋をしていく、ことにもつながりかねない。役割期待に応える、とは、その役割の範囲内に自らの志向性や言動を制限する、ということでもある。それは、不自由にもつながる。だからこそ、「履歴」が累積されてきた場面でこそ、そこから自由になる、「履歴を消し去る」行為が痛切に必要になるのだ。
そういえば、村上春樹は30代後半の数年間、ローマや地中海の島、ロンドンなど拠点を移しながら、旅をしながら、『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』を書いていた。その時代の旅日記であり、彼の心象風景も真摯に綴られた『遠い太鼓』の中で、彼は異国で暮らし続けることのハードさや、でもそうせざるを得なかった当時の境遇を書いている。東京では、しょっちゅう電話やインタビューなど、関わりを求められ、疲れ果てていた、と。そこで、自身が構築した「履歴」ゆえに「世間から求められること」という「しがらみ」を、一旦断ち切ろうとした。「履歴というしがらみ」から自由になって、自らの「新しい履歴」を積み上げるために、文字通り、人生を賭けたチャレンジに踏み出した、とも言えるのではないか、と感じる。
「履歴」とは、これまでの積み上げた蓄積であり、遺産である。でも、生きていく、とは過去に基づいた未来、に限定されることはない。過去は重要な参照軸ではあるけれども、時として、その参照軸の枠組みでは立ちゆかない、未曾有で想定外な未来が待ち構えている。その想定外の未来を前にして、「自分の想定内とは違う!」と怒りに打ち震えるのか、自分の新たな「履歴」を生み出すチャンスと捉えるのか。この二つで、「履歴」は「しがらみ」になるのか、「創造の源泉」になるのか、大きく異なる。
「履歴」が「しがらみ」にも「創造の源
泉」にもなり得る、ということには、常に自覚的でありたい。そして、「履歴の更新」の場面では、自分自身に、こう問いかけたい。その行為は、「しがらみ」ですか? それとも「創造の源泉」ですか?と。

現象とパターン、そして構造

あけましておめでとうございます。

2014年、最初のブログです。今年もどうぞよろしくお願いします。
年始は急ぎの原稿やゲラチェックをした以外は、ゆっくりと読書をして過ごした。特に年末京都で買い求めたある本が、僕自身の「個性化」プロセスにとって、すごく重要な一冊となり、同じ著者の本を何冊か読み続けている。その話は少し熟して来たら書くとして、今日のテーマは、年末にある自治体担当者と、表題を巡るやりとりをする中で、考えていることなど。
とある自治体で、地域福祉計画策定に向けたアドバイザーとして、お手伝いさせて頂いている。その中で、障害、高齢、児童という領域を超えて共通する課題を整理し、人材育成や権利擁護ネットワーク形成、あるいは地域活動の活性化などをテーマにした部会を作り、関係する人々による議論がスタートしている。
その際、領域横断的な課題をどう抽出したらよいか、を事務局との打ち合わせの際、質問された。これはこの現場に限らず、地域包括ケアシステム構築のアドバイザーをしていると、少なからぬ現場で尋ねられることである。
「個別の事例分析は得意でも、そこからどう地域課題を抽出したらいいのかわからない。」
こういう質問を受けるたびに、表題の三つのキーワードを用いて説明している。それは、たとえば徘徊とか「ゴミ屋敷」など、目の前の現場で生起している現象の背後に、どのような共通するパターンがあるか、を見抜き、その背後にある構造を探るなかで、個別課題は地域課題に変換可能だ、という整理である。事務局会議でも同じ事を話したところ、優秀なる担当者Kさんは、こんな甲州弁で整理し、事務局便りとして出してくださった。
「それぞれの立場から見えることや、実際に地域のなかで起きている困りごと(ケース)を出発点として、議論を掘り下げていきましょう。
 ①今、何が起きてるずらか、何に困ってるらか?(現象)
 ②「現象」を並べてみると共通点は何ずらか?(パターン)
 ③そもそもなんでほうなるでぇ?背景は何ずらか?(構造)
 ④よその部会の話ともつながるじゃんね(互いの交通整理)
上の視点でおおまかな表を作ってみましょう。」
甲州弁は難しいですねぇ(^_^)
それは、さておき、ただ、実際に作業部会で議論をしてみると、この「現象⇒パターン⇒構造」の整理が難しいという意見も出てきた。特に、パターンと構造の違いがよくわかからない、と。そこで年末、さらにコメントを求められた僕は、こんな風に整理してみた。
「パターンと構造の違いは何か。パターンとは一つの領域の中で起こっているもの。構造とは一つの領域を超えて、他の領域にも関係している課題。働く若者、子育て世代、高齢者の各々の領域における現象の背後にあるパターンを整理する中で、全ての世代に共有できる課題の構造が抽出できる。そんな関係性です。」
こう整理した後、仕事納めの日、件の担当者Kさんから、さらに鋭い指摘を頂いた。
「この例を作っていた渦中の自分たちもそうでしたが、『パターン⇒構造』の整理は、一方向的に順序よく行えるものではなく、ブレーンストーミング的に、表層の現象を掘り下げ、『これってつまりどういうことでしょうね?』『なんでそうなるんでしょうね?』の議論を十分に発散させたうえで、最後に整理していく、という方法のほうが現実的なのかな?とも思いました。」
す、鋭い! Kさんの方が、僕より遙かに本質を突いている!!!
そう、Kさんの指摘するように、パターンから構造を抽出するのは、一方通行の話ではない。KJ法の考え方を応用するならば、ばらばらに見える現象の中から共通するまとまりを見出し、それにわかりやすいラベルを付けるのが、パターン化。そして、そのパターンを並べながら、各々の関係性を整理する中で、構造化を果たしながら中見出し、大見出し、そして表題を付けていくのが、抽象化であり、構造化である、と言える。そして、その際に、常に仮説という見通しを立ててパターン相互の関係性を整理しながら、こうも言えるのでは、ああも言えるのでは、と考え合う中で、その仮説を書き換え、より説得力ある構造を見出していく。それが、データに基づく課題抽出の王道である。その際、常に「これってどういうことか?」「なぜそうなるのか?」と問いかけ合いながら、お互いが納得できる整理を見出していく。そういうプロセスが、「現象⇒パターン⇒構造」の整理の醍醐味ではないか。
実はこんな簡単なことに気づいたのは、今ブログに書き付ける中で、上記のKJ法の説明の図を見ながら、思い出したことだった。こういう「道具箱」を作って頂けると、話が早くて助かりますね。
僕は博論でもKJ法に基づいて117人のインタビュー調査を整理した経験があるが、その際大切なのは、常にデータとの絶え間ない対話、だった。ここで言い直すなら、目の前の現象というデータが、何を意味しているのか。他のどの現象(データ)といかなる共通点があるのか。これを、ずっと様々なデータを眺めながら、整理していった。このプロセスは、パターンを見出し、構造化していくにあたって、ずっとし続けたことであった。
社会福祉の現場で生起している現象に基づき、政策課題という構造として提示する。この際、現場のリアリティと、政策言語はしばしば乖離しやすい。現場から見れば、政策言語はあまりに一般的過ぎて、現場のリアリティを踏まえていない、という諦めになる。一方、政策担当者から見れば、現場で生起している現象を、どのように政策に落とし込んでいっていいのか、それが何を意味するのか、を理解するのが難しい。これが、福祉現場と福祉政策のつながりが持ちにくい、最大の要因の一つである、と僕は感じている。
その際、僕のようなプロセス・コンサルタントに求められている最大の役割は、現場のリアリティと政策言語の双方をきちんと有機的に結びつけること。その為に、現象に潜むパターンをあぶり出し、そこから構造化をするお手伝いをすること。また、そのプロセスも含めて言語化していくことで、現場で考える上で使える「武器(=考える素材)」を沢山提供し、現場に役立てること。
僕はここ数年、障害者自立支援協議会や、障がい者制度改革推進会議、そして地域包括ケアシステム構築など、いろいろな現場で関わってきているが、結局僕が得意であり、出来ることであり、社会に求められていることは、現場で生起している、しばしば絡まり合った糸をほぐし、その現象の背後に潜むパターンを探り当て、そこからその現場で成功する解決策を構造化の形で、現場の人と一緒に探りあてていく、そんなプロセス・コンサルタントなのかな、と思い始めている。
新年最初のブログにあたり、今の自分の立ち位置の確認的な内容になった。今年は、さらに進めて、ミンデルさんがディープ・デモクラシーの中で述べていた、サイコ・ソーシャルアクティビストへの道が目指せるかどうか、さらなる修行に勤しみたいと感じている。
そのプロセスや試行錯誤も、このスルメに書き続けていくつもりです。今年もこのスルメに変わらぬご愛顧を、よろしくお願いします。