援助屋をenjoyする

一ヶ月ぶりのブログのタイトルが、まさかの親父ギャグ(^_^)

いやはや、この話をする前に、怒涛の一ヶ月をちょっとだけ振り返る。前回のエントリーが雪害だった、というのが随分遠い昔に感じられるように、雪で閉じ込められた数日間以後、馬車馬のように動き続けた。毎週、三重や岡山、宮城に岩手と出張を重ね、年度末も重なったので会議や打ち合わせ、講演や原稿執筆にも追いまくられていた。いや、過去系ではなく昨日も卒業式の後に東京で会議があり、今日は南アルプス市で一日セミナーをこなす。文字通り、「二月は逃げ、三月は去る」状態だ。
その中で、強く感じ始めているのが、オモロイ何かを探し続けたい、という気持ち。それが、表題の「援助屋をenjoyする」につながる。
事の発端は、岡山ツアーからだった。ここ数年、地域福祉領域をかじり続ける中で、どうも「まちづくり」と同じ事を議論している、と感じ始め、そちらの本も読み進めてきた。でも、「まちづくり」系の本は、商店街の再生や農村・里山再生という表題になり、書店のコーナーでは地場産業や地方行政、都市計画、あるいは農業のコーナーにおかれている。一方、地域福祉の本は、福祉のコーナー以外には置いていない。シャッター通りにせよ限界集落にせよ、共に高齢者の多い地域、という意味では、福祉的課題と見事に重なるはずなのに、どちらも自分達の領域から越境しようとなかなかしていない。この領域には新参者の僕でも、「何だか変だ」という直感くらいは働いていた。
その思いを、岡山で昨秋講演をした際にぶつけた所、主催者のソーシャルなスナフキン、西村さんが、その話に共感してくれた。それだけでなく、「岡山にはオモロイ現場がありますよ!」、と教えてくれた。それが中国山地の鳥取県との県境、岡山県美作市梶並地区。そこで山村シェアハウスをやっている藤井さんと西村さんは友人だという。これは渡りに船、とばかりに、地域福祉とまちづくりの接点を見つける旅に出かけたい、とお願いした。そして、気がつけば、スナフキン西村さんは、「竹端先生と回る日々のオモロイと『地域福祉』をつなぐ学びの渦への旅」という、ながーくアヤシイタイトルの旅のツアコンをして下さっていた。
そんなこんなで、高齢化率が5割を超えた梶並地区に20人ほどの地域福祉やまちづくりに関わる若手・中堅が集っていた。「こんなに賑やかな視察は初めて」と藤井さんに言わしめるほど、みんな元気でワクワクしていた。午前中は現地で様々な山村おこしを展開する藤井さんと能登さんのお話しを伺い、地元食材を使っためちゃ旨いカレーをお昼に頂いた後、現地を視察。その後開かれた座談会「日々のオモロイと地域福祉をつなげる!」が予想外の展開だった。
この座談会、ソーシャルなツアコン・スナフキンの西村さんの企画意図としては、まちづくりと地域福祉の担い手が議論し合うことで、その接点を見出したい、という企画意図だった。そこで、僕はというと、ちょうど読み返していた『リーダーシップの旅』に出てくる三つのフレーズをもじって、次のような「三題噺」をするのはどうだろう、と思いつきを送ってみた。
1,自分自身がどう日々の「オモロサ」を作り上げているか :lead the self
2.そのオモロサを、自分だけでなく、周囲を巻き込みながらどう展開しているか :lead the people
3,それが社会に向けてどんな発信に繋がっているか :lead the society
結果的に、この三題噺の座談会は、めちゃくちゃ濃密な時間になった。地域福祉とまちづくり、という領域を超えて、本気で地域で関わる人々は、まず自分自身の「オモロサ」に忠実であること、だからこそ多くの周りの人が「それ、オモロそうやん♪」と寄ってくること、そしてそのうちにその対象地域なり現場なりがその「オモロサ」に気づいて、発信と対話の渦が拡大する中で、状況が変わってくること。この動的プロセスは、全く同じだった。実はこれは『組み外しの旅』の二章に書いた「反ー対話的関係を超える」の中で紹介した、僕が博論調査で整理した「地域を変えたソーシャルワーカーの動的プロセス」と、結構似ていた。ただ、10年前の博論調査では、押さえていなかったことを、今回改めて発見した。それは、
「やっている本人が、『すべき・しなければならない』ではなくて、『オモロサ』を感じて飛び込んでいる」
という点だ。これは、根本的に重要だと感じる。
「すべき・しなければならない」というshould,mustのアプローチ。これは、規範的なものであり、他者に関しては「ある特定の価値観を押しつける」という形で作用しやすい。でも、自分が「したい」「楽しい」「オモロイ」と思って取り組むことは、would like toの世界であり、他人事ではなく、自分事の世界。それを楽しんでいたら、周りにもその「オモロサ」に気づく仲間が見つかっていく。「すべき・しなければならない」の重苦しさがなく、「何だか楽しそう」という共感は、比較的他人にも伝染しやすい。その中から、「オモロイ」の共感のネットワークが広がる中で、一つのアクションが展開して行く。こういう「学びの渦」は、自他共にワクワクが相互作用し、拡大する中で、徐々に拡大していく。それが、ソーシャル・アクションなり「街の再生」なり、という「結果論」に結びつく。そう感じ始めた。
その実感を持って岡山から帰ってきた三日後、今度は被災から三年が経った気仙沼・陸前高田・大船渡・大槌と巡るヒアリングの旅に出かけた。こちらは、大学院時代の仲間で、国際協力や緊急人道支援がご専門の桑名さんに連れて行って頂いた旅だ。これまで海外の災害時や紛争後の人道支援に携わり、現地に長期間滞在しながら支援活動を続けてきた多くのNGOが、被災地に入り込んで支援活動を展開している。その現場の評価のお仕事をされる桑名さんのヒアリングに同席させて頂き、12月に出会った某包括の方々に再会する旅でもあった。
その二泊三日の旅の中で、桑名さんからふと「援助屋」という言葉を聞いた。緊急人道支援に携わる人々は、自分達のことをそう呼ぶらしい。なるほど、僕だって、支援現場に役立つ仕事をしたい、という意味では、広義の意味での「援助屋」の1人だなぁ、と。そこから、岡山ツアーで学んだ「オモロサ」の話が繋がってきた。
「そうだ、援助屋だって自分達の仕事をenjoyしてもええんや!」
誤解なきように慌てて付け加えると、援助対象者をダシにして楽しむ、ということを意味しているのではない。そうではなくて、支援現場での自分の仕事を「ワクワク」しながら、「オモロイ」なぁと実感を持ちながら、展開して行くこと。それが、長続きするし、燃え尽きないし、結果的に良い仕事につながるのではないか。もちろん、そのプロセスでは、辛いこと・苦しいことは一杯ある。lead the selfからlead the peopleにつながるプロセスは、自分の内面と向き合う試練でもある。しかし、そのモチベーションに、自分自身の「個性化」に向けた探求をしたい、という「オモロサ=enjoy」があっても良いのではないか、と感じている。逆に言えば、「すべきだ・しなければならない」だけで仕事をしている人は、福祉であろうと教育であろうと、対人直接援助の現場では、他人に自らの歪みを押しつけるような破壊的構えになってしまう。それを打破するのが、「オモロサ」であり、「援助屋をenjoyする」という感覚なのだ。
そういう意味では、今年、被災地のある自治体包括にお邪魔しながら、地域の課題を共に考え合うプロジェクトに携わるプロセスに、突入しそうだ。それは、「震災後の被災地を支援しなければならない」という強迫観念ではない。その包括チームの皆さんと出会いを重ねる中で、そこの包括チームの苦悩をうかがう中で、「なんか僕でも出来そうなことがありそうだ!」という予感を持ち始めている。僕は、自分の論文を書くための調査を現場でしたい、とは思わない。逆に、現場に役立つ仕事が出来るなら、やりがいがあるし、何より「オモロそうだ」と感じる人間だ。そういう意味では、根っからの「援助屋」なのかもしれない。そして、その援助屋としてenjoy出来そうな、たまたま被災地と呼ばれる自治体現場と、出会うご縁を頂いた。
これからも、徹底的に「援助屋をenjoyする」モードを突き進みたい。そう感じた疾風怒濤の旅の渦中、だった。