縮小都市・まちづくり・地域福祉

年末に読み終えた本と、正月明けの旅行や出張で垣間見た風景が重なった。
フックになったのは、『縮小都市の挑戦』(矢作弘著、岩波新書)。全国各地で地域興しを担う人材育成をしている尾野寛明さんと、12月に岡山でセミナーの打ち合わせをしているときに、紹介された一冊。オモロイ人物に紹介された本に外れはないので、早速ゲット。確かに、実に示唆に富む、興味深い一冊だった。
この本の中では、かつて自動車産業の城下町として栄えたアメリカのデトロイトとイタリアのトリノが、その後GMとフィアットの凋落と共に寂れ、荒廃した後に、スモールビジネスを中心とした活気を取り戻しつつあるプロセスが描かれている。そのプロセス自体も面白いのだが、僕が特に興味を惹かれたのが、都市再生の流れと、ポストフォーディズムに関する整理の部分だ。先取りして言っておけば、この二つは、大都市だけでなく、中小都市の再生や活性化にも示唆に富む指摘だと感じている。
昼間でもひとり歩きは身の危険を感じるほどだったデトロイト中心部の「決して行ってはいけない」危険地区。そこが再生するまでには、次のようなプロセスがあったという。(P66-69)
第一段階 衰退・荒廃した地域で、「アーバンパイオニア」が「開拓者精神」をもって新しい何かを始める。著者によれば、このアーバンパイオニアとは、①ぼろ住宅を安く取得し、DIY精神で自分で修繕して、そこを自宅に移り住むタイプ、②廃棄された倉庫や工場を安い賃金で借り、アーティストがそこをスタジオにするタイプ、③空き物件を活用してスモールビジネスを始める起業家型、の3つがあるという。これらのアーバンパイオニアは、補助金などに頼らず、その地域や場の可能性を予感し、「空き」をオモロイと感じる感性を持っている、という。
第二段階 このアーバンパイオニアが根付くと、地元のスモールビジネスが相次いで起業する。その中で、トレンドに敏感な若者のに人気のスポットが増える。
第三段階 その成功を見定めるように、コンビニやカフェ、ファーストフード店が出店する。この段階で、地元の不動産デベロッパーやチェーン系ビジネスが投資をし始めることにより、地区の改善が進展し、家賃が上がり、貧者が追い出される、という。
第四段階 このように賑わいが活気づくと、全国区のデベロッパーや金融資本が舞台に登場し、新築ビルや集合住宅が新設される。
地域福祉の視点で見れば、この第三段階で「貧者が追い出される」のは問題あり、であるが、それを除けば、第一段階や第二段階は、別に荒廃した危険地帯だけでなく、いわゆる「シャッター通り商店街」や、地場産業が衰退して活気がなくなった日本の地方都市にも十分に応用が出来そうなプロセスである。
次にフォーディズムとポストフォーディズムの違いについて(p151-154)。
フォーディズムとは、T型フォードを生産する時に開発された、ベルトコンベヤ式労働による大量生産型の生産様式である。それが都市に応用されると、デトロイトやトリノ、日本で言えば豊田のように、ワン・カンパニー・タウン、つまり企業城下町になる、ということである。このフォーディズムの企業活動は、主要な大企業が規格品の量産を行うために、単純な非熟練労働を雇い、コスト削減が目標とされる。下請けと大企業は垂直関係で結ばれ、行政も企業誘致政策を第一義におき、特定企業や業種のニーズに対応した「生産のための都市インフラ」を整備する。つまり、企業と政府は密月関係にあるが、工場移転の可能性をちらつかせながら、企業は自治体間競争をさせる垂直関係であり、結果として大企業の独占が進むと共に、郊外化が進展する、という。
ただ、これは大企業がその本拠地を構え、生産活動をし続ける限り循環するプロセスである。GMやフィアットのように、その看板企業が凋落すると、その企業に依存した企業城下町は、ガタガタと総崩れしていく。それは、規格化・標準化された一企業に依存することにより、街の多様性を見失うことに起因する、逆機能的側面である。フォーディズム都市の好循環は、企業業績の悪化と共に、もろくも簡単に悪循環へと転化する。
だが、その後にデトロイトやトリノでは、ポストフォーディズムの動きが展開し始めている。アーバンパイオニアやスモールビジネスが、新たな中小企業を興す中で、マーケットの創造を始める。その中で、規格化された安価な大量生産商品ではなく、知識・技術集約的労働に基づく、高付加価値品の生産がなされていく。これは、元請け-下請けの垂直関係ではなく、中小企業同士の水平でネットワーク的関係が展開する。すると、行政も大企業のみに目を向けるやり方から、その地域に定住する住民や中小企業が根付くようなQOL向上のためのインフラ整備に乗り出し、「我が町でしか出来ない○○」という都市ブランディングに乗り出す。それは、企業と政府のパートナーシップでもあり、他の自治体と競り合うのではなく、お互いが差別化した魅力を持つ街として連携し合う。その中で、みんなで街作り、というステークホルダー間の集合的協働が加速し、都市に賑わいが戻る(再都市化する)という。
この「都市再生」や「ポストフォーディズム」の動きの断片を、僕は長崎県の波佐見町で垣間見た。
正月明けに博多から長崎までの旅行に出かけた。その中で、目的の一つは、もともと有田焼だった。骨董や飾り物の陶磁器には興味がないが、普段使いの器が好きで、沖縄に出かけるたびに、やちむんの里であれこれ買い求めるのが、近年の楽しみである。今回もそんなノリで有田に行こうと予習用に買い求めた旅行本のいくつかで、有田ではなく、波佐見焼が取り上げられている。調べてみたら、昔からの焼き物の街だが、江戸時代は伊万里から出荷したから「伊万里焼」とも言われたり、お隣の有田焼と比べると生活に根ざした廉価な製品を作る産地、と言われていたらしい。でも、普段使いの食器としては、シンプルで非常に良さそうなものがありそうだ。有田は数年前出かけたから、近所の波佐見にも寄ってみるか。そんな気持ちで出かけたら、びっくりした。僕の中では、有田より遙かに面白そうなのだ。
有田に比べたら、波佐見のブランド力は格段に落ちるかもしれない。高価で華麗な焼き物でもない。江戸時代に庶民が使った「くらわんか椀」や、幕末から明治にかけて醤油を詰めて輸出する瓶として使われた「コンプラ瓶」など、実に生活に根ざした焼き物が波佐見焼の特徴だ。そして、その「用途の美」に、現代風のアレンジをした、シンプルでお洒落な食器が、波佐見の窯元にはザクザクあったのである。
それだけではない。波佐見の街中にあるショップ「HANAわくすい」では、波佐見焼の風景に似合うような雑貨や、全国各地から取り寄せた手仕事の品物を取り寄せたセレクトショップが、窯元の売り場に併設されて店を構えていた。目利きの中川正七商店が扱う商品なども、ごく自然に並べられている。気付けば焼き物だけでなく、様々なジャパンメイドの手仕事品と出逢って、段ボール箱を宅急便で送るほど、買い込んでしまった。当然、焼き物にかんしては仲買を通さないから、大変リーズナブルなお買い物が出来た。
このように、ポストフォーディズム的な街とは、質の良い「本物」と出会える街だと感じた。波佐見なら、「ほんまもんの、普段使いの器」と出会える街である。しかも、独占的な大企業がある企業城下町ではなく、小さな窯元が切磋琢磨している、文字通りの中小企業の街。でも、質とセンスの良い、東京のセレクトショップにもおいてありそうな器がそろっているので、また訪れたくなる街。その晩は僕たちは近所の武雄温泉に泊まったけれど、例えば武雄市や嬉野市の宿とコラボすれば、器と食と温泉の、豊かなツーリズムの可能性がありそうだ。こういう差別化した街同士の連携が、人口減少時代に元気な街として再生していくのだと、感じた。
そして、このような都市の再生に必要なのが、「開拓者精神」をもったアーバンパイオニア。大量の資金と生産量を投下するフォーディズム的な街作りの時代は、全く相手にされなかった存在かもしれない。でも人口減少が進む縮小都市においては、きらりと光る「オモロイこと」を始めた若者たちのアントレプレナーな展開は、大都市だけでなく、中小都市や中山間地の「町の中心地」にすら活かせるカンフル剤のように思えてならない。
そういえば、矢作さんは、日本の「まちづくり」を英語に訳すとき、こんな説明をしている、という。
「革新的なコミュニティを孵化させ、養育する取り組み(hatching and nurturing innovative communities)」(p204)
僕は、このフレーズは「地域包括ケアシステムの構築」や「福祉のまちづくり」においても、必要不可欠な要素だと思っている。それを、昨日の岡山でのセミナーでも実感した。
昨日は、岡山県社協主催の「無理しない地域づくりを考える~岡山県内で小さな挑戦をしている現場職員の話を聞く~」のファシリテーターを、先述の尾野さんと二人でさせて頂いた。2012年の春に尾野さんに出逢って以来、ずっと暖めてきた「まちづくり」と「地域福祉」のコラボが、ソーシャルなスナフキンの県社協職員、西村さんの仲人のお陰で、2015年に岡山で実現したのだ。その場で、尾野さんと剛速球の投げ合い対談の後、3人の挑戦者の話を聞き、会場全体と考え合う中で、「まちを元気にするには、こういう孵卵器のような場が必要不可欠だ」と思い始めている。
昨年はNHKドラマで「サイレントプア」が放映され、この4月から生活困窮者自立支援法がスタートし、併せて介護予防の施策が市町村の地域支援事業として重点化される時代にあって、コミュニティソーシャルワーカー(CSW)の必要性がますます叫ばれている。だが、地域のソーシャルワーカーが、本当に地域全体を視野に入れて眺めているか、というと、現状ではアヤシイ場合が少なくない。個別援助技術には長けていても、個別課題を地域課題に変換できないワーカーは少なくない。さらに言えば、地域の福祉課題を、まちづくりの課題に接続させる力量を持っているひとは、なおさら少ない。僕自身は、地域福祉が福祉に限定されることなく、コミュニティワークという形で、地域の様々な課題に接続され、開かれていくべきだ、と考えている。そして、昨日の岡山のお三方は、実際にコミュニティワークを地道に本気にやっている三人だった。
井笠市で若者就業支援と農業のコラボに取り組む山脇さん(ワッキー)。岡山市内で魅力的な大人と若者の出逢いの場を創るNPOだっぴを運営しながら、ご自身の住む限界集落では若者を呼び寄せるイベントを開いている河原さん(花ちゃん)。そして、弁護士事務所に所属する社会福祉士として、後見人や刑事弁護での支援に取り組む尾崎さん(リッキー)。この三人は、狭い意味での(教科書的な)地域福祉の枠を遙かに超えているが、地域の困難な課題を自分事として引き受け、自分の出来るやり方で、「無理しない地域づくり」をオモロク楽しんでいる三人である。その三人の取り組みを伺いながら、こういう三人のように、「役職」ではなく、「自分事」として地域にコミットする「わたし」が前面に出た人々を育ている「インキュベーション(孵卵器)」的な人材育成が必要不可欠だ、と改めて感じた。そして改めて、尾野さんが全国各地で人材育成塾の塾長として引っ張りだこなのは、「革新的なコミュニティを孵化させ、養育する取り組み」が切実に求められているゆえだ、と感じた。さらに言えば、コミュニティソーシャルワーカーも、権利擁護や当事者主体という当然の理念を踏まえた上で、この三人のように、「自分事」として地域作りにコミットするのが必要不可欠だ、と強く感じ始めている。
縮小都市の課題は、狭い意味での都市計画の話だけでなく、地域福祉にも直結する課題である。まちづくりや地域福祉の過渡期だからこそ、若者・バカ者・よそ者にも活躍できる素地や可能性は沢山ある。地域福祉においても、開拓者精神を持ち、スモールビジネスにも親和的な、都市再生の担い手がいても良いのではないか。そして、そういう担い手を養成するのは、専門が定まらないニッチ産業としてのタケバタの役割の一つではないか。そう感じている。
今日は阪神淡路大震災から20年目の節目。僕はあの当時、学生ボランティアとして被災地に入った事が原点になり、気がつけば研究者になっていた。直接神戸に関わることはないけれど、まちづくりや復興ということは、今も変わらぬテーマになっているのだと、改めて感じる。僕にしか出来ないことを、これまでも、これからも、地道に重ねていこう、と改めて感じた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。