「チーム山梨」の地域包括ケア本、出来ました

山梨に引っ越して丸10年が経つ。この間、地域福祉に携わる自治体や現場の皆さんと、様々なコラボレーションを行ってきた。その成果の一部が、やっと一冊の編著という形で出来上がった。
ちょっとタイトルが長くてすいません。でも、「チーム山梨」を創り上げる上で大切にしてきたことを、タイトルに込めてみました(^_^)
で、出版記念に、僕自身が書いた「はじめに」をブログ上に公開します。良かったら、ご一読を♪
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現場からの疑問
本書のタイトルを見て、現に手にとって下さった方の中には、地域包括ケアシステムの構築に既に関わっている、あるいはこれから関わろうとされる方が少なくないだろう。そのような「想定読者」の皆さんが、持っているかもしれない「疑問やためらい」の数々を、冒頭にいくつか提示してみたい。
・地域包括ケアシステムって、何だかよくわからない。
・地域包括ケアシステムの理念はわかるけど、具体的にどうしていいのかわからない。
・法律で求められているから、何かしなくちゃいけないのだけれど、何から手を付けてよいのかわからない。
・「個別支援会議」と「地域ケア会議」の違いは何か、が腑に落ちない。
・地域包括ケアシステムって、地域包括支援センターの仕事のはずで、なぜ行政の事務職が取り組まなければならないのかが、理解できない。
・わが自治体はどうすべきかの「正解」を示してほしいけど、国も県も誰も示してくれない。
これらの発言は、実際に私が何度も聞いたことのある話である。そして、これらの現場発の質問に応える為に、本書が作られた。そこで、本書の全体構成についてご紹介する前に、本書が出来る経緯についても触れておきたい。
「チーム山梨」の「規範的統合」
これまで我が国の地域包括ケアシステムの理念的整理を行い、事情通の人なら必ず目を通す報告書を作ってきた「地域包括ケア研究会」は、平成26年3月に「地域包括ケアシステムを構築するための制度論等に関する調査研究事業報告書」を発表した。これは、厚生労働省の補助金で行われた研究事業であり、我が国の介護保険政策の方向性を示してきた研究者や元厚労省専門官などが関わり、今後の地域包括ケアシステムの目指す方向性や意図が明確に示されている報告書である。
2015年度の制度改正の前提にもなった同報告書で、「規範的統合」という聞き慣れないフレーズが登場した。同報告書の4ページには、このように定義づけされている。
「保険者や自治体の進める地域包括ケアシステムの構築に関する基本方針が、同一の目的の達成のために、地域内の専門職や関係者に共有される状態を、本報告書では「規範的統合」とよぶ。「規範的統合」を推進するためには、地域の諸主体が、同じ方向性に向かって取組を進める必要があり、自治体の首長による強いメッセージの発信も重要である。また、自治体・保険者には、まちづくりや医療・介護サービスの基盤整備に関して、明確な目的と方針を各種の計画の中で示す工夫が求められる。」
一見すると難しそうな解説だが、実は本書の元になる「手引き」(後述)を創り上げるプロセスは、「チーム山梨」のメンバーが、「同一の目的の達成のために、地域内の専門職や関係者に共有される状態」を産みだしてきた「規範的統合」のプロセスそのものでもあった。しかも、それは国のやり方を上意下達的に鵜呑みにする・あるいは「自治体の首長による」トップダウン的なアプローチとは真逆の、現場から創り上げるボトムアップ的な手法に基づく「基本方針」としての「手引き」の作成であった。
つまり、「地域包括ケアシステムの構築に関する基本方針」の創設と現場レベルでの「共有」という「規範的統合」のためには、様々な関係者を巻き込んだ「チーム作り」が必要不可欠である。そして、本書の出来上がるプロセスとは、「チーム山梨」の「規範的統合」過程であり、「自分たちで創り上げる地域包括ケアシステム」の動きそのものであったのだ。
これは一体どういうことか。
「チーム山梨」の生成プロセス
本書の編者4人(竹端、伊藤、望月、上田)は、「チーム山梨」による「規範的統合」のために活動を共にしてきた。
山梨県庁で地域包括ケアシステム推進担当であった保健師の上田は、平成 23 年度から、地域包括支援センターの現状や課題整理、そして「地域ケア会議」の推進をテーマにした「地域包括ケア推進研究会」を設置することになった。その際、障害者領域での地域自立支援協議会の立ち上げ実績があり、コミュニティ・ソーシャルワークにも詳しい福祉政策の研究者である竹端にも声をかけ、研究会のコーディネート役を依頼した。
この1年目の議論をもとに、平成 24 年度は、市町村の地域ケア会議の実践を支援するアドバイザー派遣事業もスタートした。先述の竹端だけでなく、ケアマネジメントが専門で介護福祉士・社会福祉士でもある伊藤、公衆衛生が専門で保健師でもある望月、そして老年看護学が専門の小山(1年目のみ)という山梨県立大学の3名の若手研究者も加わり、4名体制で県内の市町村支援チームを作った。このアドバイザー派遣や、二年目を迎えた上記研究会の議論を踏まえ、山梨の現場で見聞きする困難とは何で、それを克服する為の処方箋や、実現可能な地域ケア会議とは何か、について整理した「地域ケア会議推進のための手引き~市町村・地域包括支援センターの視点から~」を平成25年3月に発刊した。この「手引き」の中で、「チーム山梨」による「地域ケア会議」のオリジナルな定義づけも行った。
「地域ケア会議とは、自分の住んでいる地域でよりよい支え合いの体制づくりを作るためのツールであり、単に会議を開催すれば良いのではなく、各地域の実情に基づいて、地域づくりの展開のプロセスの中で、開催形式や方法論を柔軟に変えていくことが求められる、動的プロセスである。」
研究会での議論や、アドバイザー派遣による支援などを通じて、「チーム山梨」が最も大切にしてきたことは、こ
の「動的プロセス」である。こちらが予め「正解」を用意して、それを現場に「当てはめる」のではなく、各現場で起きている「課題」の背景にある「困難な物語」を読み解き、その要因を分析する中で、各現場固有の解決方策を、それぞれ見つけ出そうとする「動的プロセス」を重視してきた。そして「手引き」は、各自治体で成功する解決策としての「成解」を見出すヒント集として作成された 。
この「手引き」は、現場実践で苦悩している地域包括支援センター関係者だけでなく、地域包括ケアシステムをゼロから学ぶ自治体事務職や社会福祉協議会など、様々な関係者に読まれた。また、ウェブで公表した為、県外からも広く読まれることになった。平成25年度は、アドバイザー派遣事業を続けると共に、この「手引き」を普及・啓発しながら、「地域ケア会議」を「魂の籠もったもの」にするためにはどうしたらよいか、を上記研究会で議論し続けた。特に、「自立支援に資するケアマネジメント支援」「地域ケア会議への医療や多職種の参画」「住民主体の地域づくりへの展開」の「3つの視点」が研究会での議論の争点となり、この「3つの視点」からどのような現場の変容課題が浮かび上がるか、を整理し、平成26年3月には「地域ケア会議等推進のための手引き(Part2)~住民主体の地域包括ケアを多職種で効果的に実践するために~」が刊行された。
本書は上記の二つの「手引き」を創り上げた「動的プロセス」の中から産み出された、「チーム山梨」の「規範的統合」の一つの成果である、ともいえる。
カリスマ依存ではなく「自分の頭で考える」
ここまでお読みになられた段階で、読者の中には、「山梨ってすごい」「うちの県・市町村・組織・・・ではとてもそこまで出来ない」「核になる人材がいない」・・・という嘆きやボヤキを抱かれた方もいると思う。現に、こういう声は、私の耳にも入ってくる。
だが、本書を通じて「チーム山梨」で整理してきたことは、カリスマワーカー・保健師・社協職員・行政職員・首長・・・が「いない」自治体でも実現可能な方法論である。「いやいや、そもそも研究者がこんなに現場で継続的にアドバイスしてくれることがない」という反論も聞いたことがあるが、これだって山梨の専売特許ではない。
平成23年度末に山梨で講演して下さった美作大学の小坂田稔先生は、中山間地における地域包括ケアシステムのあるべき・出来うる姿を早くから提唱され、「地域ケア会議 岡山モデル」という形で整理してこられた。その後、赴任された高知県立大学時代には、「高知県地域福祉支援計画」という行政・包括・社協が一体的に地域福祉に取り組む総合計画も作成された。この小坂田先生が、岡山や高知で実績を出し続けておられるのは、研究者仲間や実践現場の人々とのチーム形成を巧みに作ってこられた故、である。山梨でアドバイザー派遣事業として研究者チームを作ったのも、また「地域包括ケア研究会」というチームで「手引き」を作り続けたのも、この小坂田方式の模倣、であった。
ただ、いくら模倣であっても、単なるカット&ペーストやパクリ、当てはめ、ではない。山梨で活躍する専門職・市町村職員・社協職員・県庁職員・研究者・・・という貴重な社会資源をどう活かすことができるか、を常に意識し続けた。その中で、カリスマ自治体、カリスマワーカーでなくとも、どこの自治体でも実現可能なレシピを作ることを目指してきた。ただし、「自分の頭で考える」という条件付きで。
願わくば、本書を手にとって下さった皆さんが、「チーム山梨」で整理した方法論を参考にしながら、皆さんの自治体で実現と持続が可能な、「わが自治体独自の地域包括ケアシステム」を創り上げて頂きたい。そのために、様々な関係者と本書をダシにして、わが自治体の「あるべき姿」をじっくり考え合い、語り合って頂きたい。それこそ、国が求める「規範的統合」に向けた第一歩になるはず、である。
本書の構成
本書は第Ⅰ部「地域包括ケアシステムを創る」と第Ⅱ部「地域包括ケアシステムを『創る』ための3つの課題」の二部構成になっている。第Ⅰ部は総論、第Ⅱ部は各論、という位置づけである。そして、第Ⅰ部の前に序章を、第Ⅱ部の後には終章を置いている。
序章では、「地域包括ケアシステムって、何だかよくわからない」「地域包括ケアシステムって、地域包括支援センターの仕事のはずで、なぜ行政の事務職が取り組まなければならないのかが、理解できない」という疑問に答えるための、地域包括ケアシステムに関する5W1Hが描かれている。想定読者としては、福祉行政に初めて携わる自治体担当職員向けの初歩的な解説、をイメージした入門編である。
第Ⅰ部は三章構成になっている。冒頭の疑問に即していえば「地域包括ケアシステムの理念はわかるけど、具体的にどうしていいのかわからない」「 法律で求められているから、何かしなくちゃいけないのだけれど、何から手を付けてよいのかわからない」という疑問に答えようとしている。
第1章「地域包括ケアシステムは誰が創るのか」では、従来の専門職の「個別指導」というアプローチを超えた「御用聞き」のスタンスや、個別課題を地域課題に変換する為の視点・論点、リーダーとファシリテーターの違いなどについて論じた。
第2章「ボトムアップ型地域包括ケアシステムの創り方」は、ボトムアップ型の仕組みとは何か、その中で地域ケア会議をどう位置づけるか、という概念的整理を行う(第2章第1節)と共に、その効果的な実践に必要な「7つの要素」を提示し、「戦略」や「戦術」以前に、自治体レベルで内政と対話に基づく「土台」づくりを行わないと、規範的統合はうまくいかないことも整理した(第2章第2節)。また、本書に至る「研究会やアドバイザー派遣事業を活用した動的プロセス」も整理している(第2章第3節)。
第3章「事例から見るボトムアップ型地域包括ケアシステム」では、二つの全く異なるアプローチを取り上げる。第1節では、総合相談体制の構築や地域福祉計画作成に向けた動的プロセスを、地域包括ケアシステム形成にむけた要として位置づけている南アルプス市の実践をご紹介する。第2節では、「御用聞き」に基づき、支援者の事業ベースではなく、住民のニーズベースでの地域課題の把握と地域展開を進める北杜市の実践をご紹介する。
第Ⅱ部は、先の手
引き作成の経緯でもご紹介した「自立支援に資するケアマネジメント支援」「地域ケア会議への医療や多職種の参画」「住民主体の地域づくりへの展開」の「3つの視点」を深める章立てになっている。また、「『個別支援会議』と『地域ケア会議』の違いは何か、が腑に落ちない」「わが自治体はどうすべきかの『正解』を示してほしいけど、国も県も誰も示してくれない」という問いへの応答も心がけた。
第4章「ケアマネジメントを徹底的に底上げする」は、5つのパートから構成されている。まずは「課題を明確化するとはどのようなことか」を焦点化した地域アセスメントに関する概説(第4章第1節)の後、地域ケア会議における「困難事例」の検討を行う意味や、今後の事例検討のあり方についての整理・検討がなされる(第4章第2節)。その上で、地域ケア会議においてグループスーパービジョンを通じたケアマネジメントの底上げを行った富士吉田市の事例報告を受け(第4章第3節)、介護支援専門員が地域包括ケアシステムにどう向き合うべきかの論点整理も行った(第4章第4節)。それらを踏まえ、多くの現場専門職が苦悩している「個別課題から地域課題への変換」に関して、ケアマネジメントの観点から具体的なあるべき姿を描いていく(第4章第5節)。
第5章「多職種が本気で連携する」は、5つのパートから構成されている。多職種連携を本気で進めるためには、各々の専門職が、自らの専門性の壁をどう乗り越えて変容する必要があるか、を、介護支援専門員(第5章第1節)、医療ソーシャルワーカー(第5章第2節)、訪問看護師(第5章第3節)、作業療法士(第5章第4節)の実践現場から見えた課題として提示している。その上で、実際の自治体における地域ケア会議における連携課題の整理の中から、「自分事」としての「連携」とは何か、についての総括的な考察を行った(第5章第5節)。
第6章「地域づくりへと一歩踏み出す」は、4つのパートから構成されている。最初に、これまで何度も触れてきた「動的プロセス」としての地域ケア会議とは一体どういうものか、を具体例に基づきながら整理する(第6章第1節)。次に、地域包括ケアシステムを政策として機能させるためにはPDCAサイクルの必要性が繰り返し主張されているが、現場で本当にそれを回すためのポイントを概説する(第6章第2節)。その上で、地域づくりにおける主軸を担う社会福祉協議会がどのような変容課題を迫られているのか、それを文字通り「身をもって」体験している南アルプス市社協の実践を報告する(第6章第3節)。その上で、包括と社協の役割分担について、コミュニティ・ソーシャルワークの課題として整理し、さらにはCSWそのものの変容課題も整理する(第6章第4節)
これらを踏まえて終章では、「チーム山梨」の「規範的統合」に向けた動的プロセスや本書作成を通じて見えた地域包括ケアシステムの今後の課題や、ボトムアップ型で「自分たちで創り上げる」上でのポイントなどを改めて整理する。また、医療との今後の連携課題についても提示している。
繰り返しになるが、本書は法律書でもなければ、マニュアルでもない。これを読めば全て解決、という本ではない。そもそも、地域包括ケアシステムの構築は、何かを読み、それを鵜呑みにすれば出来るものではない。その地域の実情や社会資源を頭に浮かべ、「自分の頭」で考え、「お顔の見える関係性」を構築する中で、一組織・一法人・一専門職の壁を越えた「チーム○○」を創り上げる動的プロセスが立ち上がる。そして、その動的プロセスの中にこそ、地域包括ケアシステムを「自分たちで創り上げる」エッセンスが詰まっている。
本書が、その動的プロセスを展開する原動力やヒントになってほしい、と願っている。

未来を描くプロセスの共有

3月も半ばになって、やっと落ち着いてブログを書ける。今日ご紹介するのは、10日ほど前に釜石で講演するために7時間半!の移動時間で一気読みしたアダム・カヘンの『社会変革のシナリオ・プランニング』(英知出版)。カヘンの翻訳本は全て読んできて、その感想はブログに書いたこともあるし、論文にも引用したことがあるが、今回の本を読んで、彼の言うシナリオ・プランニングの本質が、やっとつかめたような気がする。

「シナリオ作成に特に役立つ結論の一つは、確実なことと不確実なことのリストである。チームにこう聞こう。私たちのシステムを動かしている力のシステム構造のレベルを見たとき、未来に確実に起こることのうち最も重要なことは何だろう? 未来に起こるかどうか不確実だがもっとも重要なこと、そして、それぞれの両極は何だろう? 確実なことは、その名のとおり、全シナリオに存在することになる。一方、不確実なことはシナリオを区別する重要要因になる。(略) システム全体の今の現実について完全なモデルはつくれないように、未来の確実性と不確実性も正確に測ることはできない。今の現実を規律をもって偏見なく観察し、根底にあるシステム構造を体系的に忍耐強く吟味することをとおして、確実なこと・不確実なことについてチームで合意に達することしかできない。」(p86-87)
この部分で僕の頭はだいぶクリアになったのだが、カヘンの本を読んだことのない人には「なんのこっちゃ?」の引用なので、少しこれを僕が関わる現実と重ね合わせながら、読み解いていきたい。
シナリオ・プランニングは未来について「これから起こる可能性があると思うこと」(p29)をストーリーとして、複数考え出すことである。彼はそれをアパルトヘイトが終わる90年代最初の南アフリカで、あらたな社会的統合を目指したワークショップを成功させる中で発展させていったが、これは僕が関わる自治体レベルでの地域包括ケアシステム構築でも十分応用可能である。
たとえば、中山間地で高齢化率が50%を超えるといわれる、ある集落を例に挙げてみよう。そこは、スーパーまで車で30分以上かかるし、急斜面の山間で60代が「若者」だと言われる集落である。子育て世帯もいることにはいるが、集落の中では赤ちゃんの姿を見なくなってもう10年以上たつ。地域包括支援センターの職員達は、このまま行けば「消滅集落」ではないか、と思って、その集落の持続可能性をどうするか、を考えていた。こういう状況だとしよう。
その時に、集落の町内会長や民生委員といった「顔役」だけでなく、子育て世代や「若者」と言われる60代の人など、その集落の主立ったキーパーソンに、その集落という「システムの中や周辺で起きていることや起こりそうなことのうち何が重要か、システムの未来にどんな希望や恐れをもっているか」(p68)をヒアリングする。このヒアリングは、包括だけで行うのではなく、その集落の「持続可能性」を考えて変化を起こしたいと願う住民有志と数名のコア・チームを組んで行った方がよい。その中で、行政や包括が知らない、様々な生の現実が語られる。「このままだと10年後には集落は消滅しそうだ」という悲観的な「起こる可能性」が語られる一方、「いや、みんなで助け合いを続けるから、案外20年くらいは持つかも」という楽観的な「可能性」や、「そういえば、街場に出ていた子ども世帯が、定年退職して週末には集落に帰って田んぼを耕している。その子や孫世代が移り住めば、この集落はあんがい続くかも」といった、想定外のストーリーが語られる。あるいは、2年ほど前から集落の外れの空き家を、その集落出身ではない都会の若者が借りて、田舎暮らしを楽しみ始めている、こういう若者世帯が子どもを生んだら、案外集落の賑わいも少しは残るかも・・・という希望的な「起こる可能性」が語られるかもしれない。
こういった情報をコア・チームで整理して、誰の発言か分からないような形でまとめて文章化する。その上で、「集落の未来を考える会」を開き、その集落の将来を心配する主立った人々に集まってもらう。立場も年齢も人生経験も価値観も異なる人々なので、最初から意見が一致する事なんてないだろう。その際に重要なのは「メンバーが普段のものの見方を超えて、新鮮な目でみること」(p70)である。「そんなの無理だ」「この集落ではできっこない」という発言は、これまでの経験則に基づく先入観だが、しばしば「顔役」の人々は、そういう発言をしやすい。この集まりでは、「どうせ」「しかたない」と最初から決めつけずに、「心を開いて、探求し、学ぶことが必要だ」(p70)を参加者全員にルールとして徹底してもらう。
その上で、この参加者全員で「たくさんの発想と選択肢を考え出す拡散の局面、それらを時間をかけて徹底的に考え、話し、”醸成”する創発の局面、何が重要か、何に合意するか、次に何をするか結論を出す収束の局面」(p83)の三つの局面を繰り返しながら、ワークショップを繰り返し、内容を練り上げていく。

最初は「どうせ」「しかたない」といった消極的意見が出ていた人々にも、「そう決めつけないで、これまで集めた情報をもとに、他の可能性も考えてみませんか」という「拡散」モードでの議論をお願いする。すると、楽観的な情報を元に、「こんなことも出来るかも」「あんなことも起こりうるかも」というアイデアが色々浮かび上がる。ワークショップを開きながら、それらのアイデアを「時間をかけて徹底的に考え、話し、熟成」させるなかで、いくつかの未来予想図であるシナリオの断片が「創発」してくる。その創発された断片を整理しながら、いくつかの「起こりうるシナリオ」として、整理していく。そして、その整理された複数のシナリオを、改めて参加者全員で検討し、どのシナリオに向けて自分たちは進むべきかを考える。

このプロセスを経て、産み出された複数のシナリオには、「未来に確実に起こること」と、「未来に起こるかどうか不確実だがもっとも重要なこと」の双方が載っている。例えば、こんな風に。
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シナリオ1 この集落は、高齢化率が50%で、このまま15年後には高齢化率が70%になる。山間の集落だが、田畑の維持や獣害対策でさえ、大変な状況になる。その中で、人々には諦めムードが拡がり、要介護高齢者は入所施設への移住が進む。そして、集落維持が出来なくなり、やがて20年後には最後の住民が街場の町営住宅に移住し、200年以上の伝統のある集落に終止符を打つ。
シナリオ2 この集落は、高齢化率が50%で、このまま15年後には高齢化率が70%になる。山間の集落だが、田畑の維持や獣害対策でさえ、大変な状況になる。なんとかその状況を変えようと、週末に田畑の世話に来る、団塊の世代の集落の「子ども」たちが、移住するように働きかける。しかし、集落の昔からのしきたりや行事・役の重さに耐えかねた「子ども」達は、その重荷がある間は移り住みにくい、と消極的になる。また、町内会でも「帰ってくるなら伝統に従え、それが無理な人は無理に帰ってこなくても良い」と頑なになり、結局出戻り組は想定の半分以下になる。なんとか20年後も集落は存在しているが、その先にあるかどうかは不透明なままだ。
シナリオ3 この集落は、高齢化率が50%で、このまま15年後には高齢化率が70%になる。山間の集落だが、田畑の維持や獣害対策でさえ、大変な状況になる。今回のワークショップを通じて、集落の閉鎖的な雰囲気が、定住者や出戻り組の促進の壁になっている事に気付く。そこで、最近移り住んだ若者や、週末に帰ってくる「子ども」達も参加してもらうワークショップを開く中で、彼ら彼女らから出された、「重すぎる組や役の負担」を思い切ってバッサリ減らすことを集落一致で決める。その後、若者のアイデアにより、定住や農業での自活支援を行政の支援を受けて集落の自治組織が全面になって行い、5年後から少しずつ、移り住む住民が増えてくる。町内会長も思いきって60過ぎの「出戻り組」が引き受け、小規模多機能のデイ・ショートを集落自前で作り、集落内での雇用も産み出す。またホームページなどを使って農業やアートをしたい若者達の移住を促進し、7年後には集落待望の「赤ちゃん」が誕生する。
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この3つのシナリオをもとに、住民達がワークショップで話し合い、自分たちがどのシナリオに向けて、どう行動変容すべきか(しないでおくべきか)を、お互いが納得いくまで話し合い、次の行動に移す。
ちなみに、上記のシナリオは、僕の架空のものだが、シナリオ3については、例えば地域再生のお手本と言われる「やねだん」の取り組みで実現していることだし、「限界集落」に週末世帯がいる、というのも、山梨県内で実際に見聞きすることだし、『限界集落の真実』でも語られているリアリティである。
そして、シナリオ・プランニングの最も興味深いことは、この1~3のシナリオを、キーパーソンやステークホルダーへのヒアリング、および彼ら彼女らの集まったワークショップで分かち合い、価値観の相違を超えて、「これから起こる可能性があると思うこと」を共有するプロセスである。そこには、対立し、いがみ合った過去の歴史を乗り越え、相互にコミュニケーション出来る土台を創り上げ、価値の違いを相克する「未来への共有点」を探り出す。まちづくりや街おこしで最も苦しい部分は、一言でいってしまえばこの「価値観の相違」だが、これを乗り越えるために、お互いの価値観やこれまでのライフ・ヒストリーを否定するのではなく、「起こりうる未来」という点での価値の共有を目指す。その中で、共通の目的に向けて、1人1人がどう変わるべきか、何から始めたら良いか、を参加者全員で整理し、1人1人が納得していく。
この未来を描くプロセスの共有こそ、地域ケア会議や、課題だらけの街の再生にも、十分に使える方法論であり、部分的には僕もアドバイザーとしていくつかの自治体で仕掛けて来たことの延長戦にあるな、と思った。だからこそ、このシナリオ・プランニングは使える!と興奮しながら読み終えたのだ。いくつかの自治体で、このプロセスを試してみたい、と頭の中の妄想は既に膨らんでいる(^_^)