ひきこもりの「声」と悪循環からの脱却

先週の金曜日、一見全くつながりのなさそうな二つのものが、カチリと僕の中で繋がり始めた。

一つは、山梨県立図書館で開かれた「ひきもり大学 in 山梨 思い込み学科」のイベント。地元紙、山梨日日新聞の「ひきこもり」の連載に実名で登場し、こないだ僕の地域福祉論にもゲストに来て下さった元ひきこもり当事者の永嶋さんから誘われて、参加した。このイベントにおいては、永嶋さんと、「ひきもり大学」の活動も応援し、「ひきこもり」当事者への取材や支援活動も続けているジャーナリストの池上正樹さんのトークと、グループごとに別れたグループトークと分かち合いの場、から構成されていた。
永嶋さんのお話は、前述の大学での講義でも伺っていたが、池上さんとのセッションの中でも、実に深い内容が語られていた。ご自身は、「アゲアゲ系とは真逆」と仰るように、しみじみとした語りだが、心に染みいるものがいくつもあった。例えば
「役割や肩書きがなくなることが、関係性の喪失につながり、ひいては社会との接点の喪失に繋がる。」「ひきこもりから出てくる時も、支援者と言われる人が、本人にどのように接するか、に、大きく左右される。たとえば支援者が『○○してあげる』という上から目線の、上下関係的な接し方ならば、それが嫌で再度ひきこもることもある」
「僕(永嶋さん)自身は、運良く共感できる相手と出会え、そこからフラットな関係性が生まれ、つながりが拡がっていき、そのプロセスの中で、実名で語れるようになってきた」
これらの言葉を実名で語る永嶋さん。なぜ、この言葉に迫力があるのか。それは、トークのお相手である池上さんの著書の中で、わかりやすく書かれている。
「『ひきこもり』という状態に陥る多様な背景の本質をあえて一つ言い表すとすれば、『沈黙の言語』ということが言えるかもしれない。つまり、ひきもる人が自らの真情を心にとめて言語化しないことによって、当事者の存在そのものが地域の中に埋もれていくのである。ひきこもる当事者たちの多くは、本当は仕事をしたいと思っている。社会とつながりたい、自立したいとも思っている。しかし、長い沈黙の期間、空白の履歴を経て、どうすれば仕事に就けるのか、どうすれば社会に出られるのか、どのように自立すればいいのかがわからず誰にも相談できないまま、一人思い悩む。」(池上正樹『大人のひきこもり-本当は「外に出る理由」を探している人たち』講談社現代新書、p10)
この「沈黙の言語」の「パンドラの箱」が、県立図書館という場において、少しずつ、開かれ始めた。言語化が始まった。埋もれていた、誰にも相談できない「声」が、再び産まれ始めた。もともと「声」がなかったのではない。「ひきこもる」ことによって、埋まり、押しとどめられ、「言語化」できなくなってしまった「声」が、ピアの仲間達が手作りで産み出した場において、再生し始めた、のだ。
当事者や家族、支援者達が自発的にボランティアとして集まって構成されたこのイベントは、行政主導のイベントとは違い、手作り感満載で、段取りも含めてゆるーい雰囲気で開催された。池上さん曰く、山梨は、自治体のひきこもり対策が最も遅れている県の一つ、だそうだ。でも、逆説的に言えば、だからこそ、行政主導型に時としてありがちな、形は立派だけど魂が籠もらないイベントではなく、魂が籠もった、参加者の胸に響くイベントが展開されていった。そして、その場に遭遇して、僕は新宿駅のコンコースの書店で買い求め、甲府に戻る車内で貪り読んでいた、一冊の本と、会場全体から伝わってくる「声」が、結びつき始めた。
「一般的には、その主な原因にはいくつか、たとえばAとBとCと・・・があり、Aがまず重要でおおよそ何%ぐらいの割合で影響があり、次にBで約何%の影響があって・・・と考えがちです。小さな原因から小さな結果が起き、大きな原因から大きな結果が起きる。これらを合算したものが全体の結果である、と。
私はこれを『線形思考』と呼んでいますが、こういうものの考え方をしてはいけないのです。なぜか。まず第一に、社会においては、さまざまな物事が関連し合い、関係が連鎖して運動しているからです。そこでは因果は一方向に流れるのではなく、循環しています。ですから、『原因→結果』という枠組みを外し、結果がまた原因に作用する『フィードバック』を重視すべきなのです。(略)
この相互促進作用、すなわち『ポジティブ・フィードバック』は、一旦作動を始めると想像も出来なかったような爆発的な結果を引き起こします。なぜならフィードバックのループが廻るたびに自己増殖的に結果が増えていくからです。」
安冨歩『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』角川新書、p18-19)
共同研究もさせていただいている安冨先生の最新刊の主題は「満洲」。「緑に囲まれ虎も生きるユートピア」だった満洲が、わずか20年の間にはげ山にされ、「どこまでも続く地平線、果てしなく広がる大豆畑」に変容させられてしまった。その謎を解き明かす中で、日本の思惑や中国におけるアメリカやソ連との関係、および満洲の地理的・気候的・文化的独自性などを分析し、満洲統治的なエートスと「立場主義」日本社会の今日的暴走の起源を辿ろうとする、安冨先生渾身の一冊。その内容や分析にも、多くの学びがあるのだが、安冨先生が「満洲問題」を分析するために用いた方法論の部分が、ひきこもりの「声」を聴く際にも、すごく役立ちそう、という点を、以下述べていく。
ひきこもりの問題も、わかりやすい原因が特定か出来ない場合が多い。だが学校や福祉関係者だけでなく、当事者や家族だって、「○○(性格が優しすぎる・失業した・自己肯定感が低い・・・)のせいでひこもっている」と思い込みやすい。しかし、これは「線形思考」である、と安冨先生は指摘する。このような「『原因→結果』という枠組み」に囚われる限り、悪者探しは出来ても、ではどうすればそこから脱する事が出来るかが、不透明なままである。
一方、「因果は一方向に流れるのではなく、循環してい」ると考えるなら、「原因を特定する」という方法論は無意味である、ということが見えてくる。「結果がまた原因に作用する『フィードバック』」に着目するならば、「さまざまな物事が関連し合」うなかで、一旦家に「ひきこもり」、そのことによって、家族や世間との関わりが切れ、それが「沈黙の言語」になり、「当事者の存在そのものが地域の中に埋もれて」、さらにはその声が聴かれなくなり、するとますます本人が自己主張出来なくなり・・・と、「一旦作動を始めると想像も出来なかったような爆発的な結果を引き起こ」される『ポジティブ・フィードバック』が強化される、という悪循環構造が見えてくる。そして、ここ最近、「ひきこもり」が大きく社会問題化されているのは、その「フィードバックのループが廻るたびに自己増殖的に結果が増えて」、ひきこもりの人々の数が、ある閾値を超えたからではないか、と感じ始めている。
永嶋さんにも来ていただいた地域福祉論の授業では、ここ数年、「悪循環の高速度回転」という、安冨先生が『複雑さを生きる』で提唱された概念を用いて、学生達と考え合っている(この概念については、以前のブログにも書きました)。ひきこもり、だけでなく、ホームレスや、認知症、ゴミ屋敷、シングルマザー、児童虐待、ワーキングプアなど、様々な社会的問題に共通するのは、全て「悪循環」というフィードバックがポジティブに、つまり加速させるようにループしているからではないか、という仮説である。もちろん、ひきこもりとホームレス、シングルマザーなどでは、悪循環を構成する各要素は違う。でも、「ポジティブ・フィードバック」が強化され、「一旦作動を始めると想像も出来なかったような爆発的な結果を引き起こ」されたことで、社会問題化して表面化する、という共通点があるように思える。
そして、このようなポジティブ・フィードバックという「悪循環」を断ち切るためには、循環のどこか一部を強化したりするのではなく、どうしたら「悪循環の高速度回転」を脱却する事が出来るのか、の分析が必要不可欠である。地域福祉論の授業を通じて、様々な社会問題の「悪循環の高速度回転」を学生と考え続ける中で、僕はその脱却の手がかりが、「沈黙の言語」の賦活であり、言語化である、と感じている。
それがなぜ、「悪循環」から「好循環」へのスイッチングの手がかりなのか。そこには、二つのコミュニケーションパタンの切り替えの問題が潜んでいる。そして二つのコミュニケーションの違いを、安冨先生は正規軍とゲリラ戦の違いで説明している。
「先進国のような組織化、正規化された集団は、戦争になると強いのです。そして、攻撃を受けてある程度の被害が出ますと、国家が崩壊することなく、秩序を維持したまま敗北できるのです。(略)ところが、ネットワーク的で分散的な社会は、攻撃力は弱いのですが、どんなに攻撃されて犠牲が出ても崩壊しないので、負けません。というより敗北できないのです。」(同上、p70)
「満洲の地は、中国には珍しくネットワーク性が低くて、ピラミッド型の県域経済システムが支配する、非常に簡単な構造でした。だから関東軍が乗り込んできて、そこだけ占領すれば、満洲全体を支配できました。(略)それに対して中国本土、華北以南は、分散的・階層的な社会でしたので、県域と鉄道を支配しても何も起きませんでした。ゲリラは村々に引っ込んで、延々と『負けない戦い』を繰り広げ続け、正規軍つまり日本軍は、ただただ疲弊していったのです。」(同上、p71)
秩序が形成されたピラミット型の社会と、ゲリラ的なネットワーク的で分散的な社会。前者を上意下達的・中央集権的に指揮命令系統が整う一極集中的なコミュニケーションとするならば、後者はゲリラに代表されるように「ここで負けたらあっちへ行く、あるいは、あそこが負けても私は戦う」(同上、p69)という、一つの命令系統が切れても、別のネットワークで繋がっていく、分散的で複雑な関係性を維持しているのである。
これが、ひきこもりやホームレスを初めとした社会的弱者の話と何らかの関係があるのか?
私は「大アリだ!」と睨んでいる。
日本における福祉的支援とは、行政が絡んでいる場合には特に、正規軍的なアプローチになってはいないか。標準化・規格化されたサービス体系の中で、全国一律・公平中立を謳い文句に、ケアパッケージを提供する、という発想が、特に21世紀に入ってからの、介護保険や障害者総合支援法の枠組みに、しっかりと見えている。このこと自体の是非は置くとして、この正規軍的アプローチが十分に・うまく機能しないのが、ホームレスやひきこもり、ゴミ屋敷など、世間でしばしば「支援困難事例」とラベルが貼られるケースではないだろうか。
なぜ、これらのケースに「支援困難事例」というラベルが貼られるのか。それは、正規軍的アプローチが標準化・規格化した「想定」の「外」にあるケースだからである。正規軍的アプローチのルールの中に収まろうとしない・できない人々だから、である。多くの社会的弱者は、行政から給付される現物・現金給付という対価と引き替えに、その行政の統制の下に、自発的にであれ、嫌々であれ、入る。就労支援や生活介護など、様々なプログラムにも載ってくる。だが、現物給付や現金給付を、行政の管理・統制からの自由とトレードオフ的に受け取らず、ゲリラ的に「支配」に抵抗する人々のことを指しして、「支援困難事例」とは言っていないか。その際、現実的には、その一部は、「”支配”」困難事例、とも言えないか。
先の安冨先生の一節のゲリラをひきこもりに変えるなら、「ひきこもりは家々に引っ込んで、延々と『負けない戦い』を繰り広げ続け」ている、とはいえないだろうか? それに対して、正規軍的に「このようなひきこもり対策を全国・全県・自治体全体・・・で一律・公平中立に行います」というのは、方法論的失敗に陥るのではないだろうか。
では、どうすれば良いのか。
その芽が、金曜日のイベントで垣間見られた。それは、行政が主催する時にありがちな、統制の取れた集権的・秩序的コミュニケーションとは違う、草の根からの、ネットワーク的で分散的な「ゆるい」つながりをもとにしたコミュニケーションである。実はこの会場には、お顔を存じ上げている県や自治体の多くのソーシャルワーカーや公務員、民間のベテラン支援者達も参加していた。だが、誰も自らの立場や地位を全面に出していなかった。みなさん、ワッペンに自分のペンネームだけを書き、平場で語り合っていた。このような立場を超えたフラットな関係性の構築こそ、信頼関係を築く大前提なのである。「あたなと私」の関係が、「支援者と支援対象者」の前に、構築される。これが、分散的でネットワーク的なアプローチの肝である。このお顔の見える関係があるからこそ、人と人のつながりのネットワークの中で、その「声」が聴かれ、魅力が再発見されていく。
そういえば、ひきこもり支援で有名な秋田県藤里町社協では、ひきこもり対策に最初カウンセリングをしようして誰も集まらなかったのに、ヘルパー2級講座を開いたら、ひきこもり当事者が沢山参加した、という。これも、「沈黙の言語」に対して、「○○してあげる」という一方的で規範を押しつけるようなコミュニケーションであれば失敗したのに対して、社協の職員募集に履歴書を送ったひきこもり当事者の声を手がかりに、自らのアプローチを変え、その「沈黙の言語」を活かす形での支援を行ったことで、ひきこもり当事者が「声」を上げ初め、そのなかで、当事者が安心して語り合える居場所を提供し、ひきこもり当事者のリカバリー支援に結びつけていった。
行政や社協などの支援者の側が、勝手に創り上げた支援プランに基づいて、相手を当てはめようとする。これは、正規軍的アプローチの戦略や戦術である。でも、その正規軍的規範に同一化されな人々が、ひきこもりやホームレスなど「支援困難事例」という形で、「負けない戦い」を繰り広げている。それに対して支援現場は、「ただただ疲弊して」いるのである。であれば、コミュニケーションパターンそのものを変える必要がある。
ひきこもりが、「本当は『外に出る理由』を探しいてる」のに、「家々に引っ込んで、延々と『負けない戦い』を繰り広げ続け」ている」。
こう認識するならば、ひきこもりの「負けない戦い」の悪循環を、好循環に変える支援が必要だ。それは、「かわいそうなあなたに、支援者が○○してあげる」という上下的・統制的・正規軍的コミュニケーションをまず捨てる、ということである。相手の「沈黙の声」に思いをはせ、その声をじっくり聞く中で、相手との信頼関係を構築し、ひきこもりの当事者のネットワークの中に入り込む、ということである。まずは、ひきもる人が「心にとめて言語化しない」「自らの真情」を語るのを、じっくり伺う、ということである。この「沈黙の言語」の言語化支援こそ、実は障害者支援領域で言われているセルフ・アドボカシー支援そのものであり、そこからしか、悪循環は好循環に転換しない。
だが、「声」を取り戻し、「言語化」が始まると、「家々に引っ込んで」いる当事者が、「外に出る理由」を、仲間や家族、支援者と一緒に模索し、構築し始める。このプロセスの中で、「負けない戦い」でお互いが疲弊する現状を乗り越え、状況をひっくり返す方法論が見えてくるのである。
僕自身は以前拙著で、このセルフアドボカシー支援のことを、説得的な支配から納得に基づく支援への転換に絡めて論じたことがある。ここに接続させるなら、コミュニケーションパタンの転換、とは、正規軍的な「説得」アプローチから、ネットワーク分散型の「納得」アプローチへの転換である。前者では厚労省や政治家の「○○すべし」という規範に基づく中央集権的ルールが重要視される一方、後者では「沈黙の言語」の当事者の声を聴き、その微弱な声を増幅する中で、その声や「納得」に基づいた、その場その場でのローカルな・分散的なルールが適応される。前者が「沈黙の言語」を結果的に増幅させる、悪循環の高速度回転=ポジティブ・フィードバックの自己増幅であるとするならば、後者はフィードバックのループ構造を理解した上で、その悪循環から好循環へとループ構造の切り替えを促す、当事者主体型の変換プログラムである。そして、それは局所的でローカルな、草の根的なものである。
正規軍的な規範や統制、標準化が、制度化された福祉の領域では色濃く見える。だが、そのような「制度化された福祉」における「支援困難事例」だからこそ、ひきこもり支援においては、ネットワーク型・分散型の、ローカルでボトムアップ的な、ルール生成的な協働作業が、「沈黙の言語」を打ち破るためにも、非常に大きな力を持っている。そしてそれは、ポジティブフィードバックのループを悪循環から好循環へと移行させるために、必要不可欠である。
先週の金曜日は、改めてそんなことを感じた一日であった。

周辺革命とソーシャルアクション

先週末、香港に出かけてきた。The Asian Progressive Social Work Forum 2015に参加しにでかけた。

この集会には、以前著作を読んで感動したイアン・ファーガソンさんの基調講演も含まれていた。かつ、ファーガソンさんと個人的に親しくされている日本福祉大学の伊藤文人先生から、「香港や台湾の進歩的なソーシャルワーカーの集まる熱い集会ですよ」と直々にお誘い頂いた。「これは、何だか面白そうだ!」 その直観だけを頼りに、蒸し暑い香港に出かけてみた。そして、その予想を遙かに超える収穫があった。
今回の集会は、香港とマカオ、台湾、そして中国本土のソーシャルワーカーや、社会福祉の研究者の集まりである。学会とは違い、現場のワーカーが中心の集まりなので、主要言語は英語ではない。広東語と北京語が主要言語で、ファーガソンさんや私たちとのやりとりだけが英語、という、大中華圏の集会。そのアウェー感に、当初はたじろいだ。ただ、香港理工大学の学生さんや教員が、無料で通訳をしてくださったので、何とか話についていけた。聴いている内に、議論の内容の少なからぬ部分が、雨傘革命やひまわり学生運動などの社会運動と、ソーシャルワークの関係性を問い直そうとしている。そう、日本では既に絶滅危惧種になりかけている「ソーシャルアクション」が、この会議のメインテーマである、と出かけてみて、ひしひしわかった。いくつか面白いトピックを、備忘録的に書き付けておく。
今回一番印象的だったのは、台湾の社会福祉専攻の修士の学生で翻轉社工學生聯盟」のメンバー黄さんによる「從社工學生出走潮」という発表だった。通訳とパワポスライドを合わせると、だいたい次の様な事を言っておられた(と思う)。
台湾では、中国との「サービス貿易協定」締結に反対する学生達による社会運動が、昨年の春に起こった。学生達に共感する市民がひまわりを持って応援に駆けつけたことから「ひまわり運動」とも呼ばれている。この運動に参加した社会福祉系の学生(社工学生)さんたちは、運動終了後、自分達が受けているソーシャルワーク教育にも、疑いの眼差しを持ち始めた。授業で教員から学ぶ理論と、現場実習で先輩ワーカーから学ぶ実践の乖離が凄く大きい。また、社会福祉の現場は、労働環境も悪かったり、管理主義が強まったりで、燃え尽きたり離職する福祉職も少なくない。そういう実態と理論の乖離を目の当たりにした学生達は、運動にコミットする以前には、矛盾や衝突を、「どうせ」「しかたない」と諦めていた。
だが、ひまわり運動に関わった後の学生達は、自分達の目の前の実態の衝突や矛盾と、向き合い始め、自主的な学習会を組織した。それが、この連盟である。この「
翻轉」とは、「ひっくり返し」の意味であり、学生の側から、社会福祉教育の矛盾や構造的問題点を問い直す、という非常に面白い試みである。その中で、一体何のためにソーシャルワークを行うのか、社会福祉は誰のためになっているのか、を構造から問い直し始めている。教師が教える「価値中立」を鵜呑みにするあまりに、社会的矛盾が起こる抑圧的構造そのものを哲学的に問い直す視点がないのではないか、と気づき始めている。そして、様々な社会運動や地域活動と連体しながら、学生たちも共に学び、変わる運動にコミットし始めているのだ。
それを聴いていて、ファーガソンさんが基調講演の中で言及していた、パウロ・フレイレの批判的意識化概念を、強く思い出していた。
「批判的に思考すること。それは、世界と人間を対立するものとしてとらえる発想を認めず、世界と人間のわかちがたい共生について考えていくことだと思う。具体的にいうと、それは、現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえるのではなく、プロセスとしてとらえ、常に生成されていくものとしてとらえるということでもある。自らを常に動的な状態に置き、危険はあっても怖れることなく、今この時に『浸る』ということである。」(パウロ・フレイレ『新訳 被抑圧者の教育学』亜紀書房、p129)
社会福祉の理論では、価値中立やケアマネジメントの重要性が指摘されている。そして、価値中立と言うことによって、抑圧者の価値観にも被抑圧者の価値観にも、どちらにもコミットしない、ということになりがちだ。また、ケアマネジメントは、本人が望むサービスをいかに効率的に提供するか、が原義のはずだが、いつの間にか支給額上限が決まっている中でサービスの給付管理をする、というマネジドケアに意味にすり替わっている。つまり、そのどちらも、「現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえる」罠に陥っている。そしてそれが罠なのは、現実を「固定」化するとは、つまり社会の抑圧構造を「固定化」することに結果的に荷担している、ということでもあるからだ。
ここ罠から抜け出すためには、「問題行動をする人」「依存症状態の人」を「その人が問題」と「固定」して捉えず、その人がそのような問題状況に陥るのを「プロセスとしてとらえ、常に生成されていくものとしてとらえる」必要がある。すると、そういう問題状況が作られる中で、社会の抑圧的状況も見えてくる。新自由主義や社会的抑圧をアイデンティティの問題に矮小化したポストモダンの問題も、同時に考慮し直す必要があるだろう。つまり、個人的な不幸や悲劇の問題とされていたものが、社会的抑圧や差別の問題とリンクしてくる。これは、「世界と人間のわかちがたい共生について考えていく」際に必要不可欠なことだ。
そして、台湾のムーブメントで興味深いのは、学生や若手ソーシャルワーカーといった、20代~30代の若者達が、文字通り「自らを常に動的な状態に置き、危険はあっても怖れることなく、今この時に『浸る』」実践をしていた。これは、マカオでも同様で、家庭内暴力への対策法制定が否決されようとした事に反対するソーシャルアクションを語るのは、20代後半のワーカー達だった。香港で雨傘革命をサポートしたソーシャルワーカーにも共通することだが、「お上」の定めたことを「どうせ」「しかたない」と「固定化」されたものとして捉えず、「動的な状態」にあることを「怖れることなく」、何が問題で何が課題になっているのか、その背後にはどのような文化的・社会的背景があるのか、を分析し、そこから全体像を掴もうと「今この時に『浸る』」取り組みをしていた。
この批判的認識が、1970年代に勃興し、80年代のサッチャーやレーガン政権以後、全世界的に勢いを失っていった、ラディカル・ソーシャルワークそのものの核心にあるもの、である。つまり、マカオや香港、台湾のソーシャルワーカー達は、期せずして、ほぼ同じ時期に、ラディカルソーシャルワークにコミットし始めているのである。
ここで、以前のブログでも引用した、ファーガソンさんによるラディカルソーシャルワークの位置づけを、もう一度振り返って見よう。
①中核的な思想として、「抑圧された立場にある人々を、彼ら・彼女らの生活の社会的・経済的構造の背景から理解する」という特有の信念がある。
②ワーカーとクライエントの間のより対等な関係への要求である。
③主流のソーシャルワークにおいて留意されることが次第に少なくなっていった集団的アプローチの重視である。
(イアン・ファーガソン著『ソーシャルワークの復権』クリエイツかもがわ、p181)
 
これは、僕がこの二日間で聴いていた、香港や台湾、マカオの実践者達が口々に語っている内容をまとめたものと、全く一致している。①抑圧された立場にある人々の問題を、「個人的悲劇」と片付けず、社会経済の構造の矛盾から生まれたものと捉え、その背景を理解しようとしている。②そして、「価値中立」を気張ってお高くとまらず、利用者が何を求めているのか・困っているのか、という立ち位置に立ち、利用者と「対等な関係」を築こうとする。さらには、①や②を実現する為に、グループワークやコミュニティワークなど、「集団的アプローチ」を重視する。問題によっては、ソーシャルアクションや社会運動へのコミットもいとわない。こういう共通点がある、と感じた。
 
さらにいうと、これは「何に対するソーシャルアクションか?」という問いをいれると、もう一段、深く問い直すことが出来る。この大会で、発表者の口から意識的に発言されていなかったのだと思うが、話をつなぎ合わせて聞けば、中国共産党の抑圧的な支配に対する異議申し立て、という側面が強いと感じた。その中で、香港に旅立つ前に読んでいたある本のフレーズが、強烈によみがえってきた。
 
「『強権と言論弾圧による一党支配体制から腐敗は生まれているので、それをなくさない限り腐敗撲滅はできない』ことと、『言論弾圧をやめたら中国共産党の一党支配体制は崩壊する』という自己矛盾を中国は抱えている」(遠藤誉「雨傘革命が突きつけたもの」『香港バリケード』明石書店、p146)
 
ソーシャルワーカーが見聞きする現実、社会的弱者が遭遇する現実とは、社会的矛盾が集中している現実である。そして、香港やマカオは、一国二制度から中国化しつつある中で、中国共産党による強健や言論弾圧が強まっているし、そう両市民は感じている。
 
その際、ソーシャルワーカーは、誰のための、何のための専門家か、が強く問われている。
 
中国本土では急激な高齢化に伴い、ソーシャルワーカーをこの数年間で何十万人という単位で促成栽培しようとしている、と別の報告者は言っていた。だが、この時に共産党政府が育てようとしているワーカーとは、行政の末端で、行政の言うことを聴いて、社会福祉の対象者に適切なサービスを提供する支援をする「だけ」の職員である。だから、高い専門性は必要とされず、促成栽培が可能だ、と踏んでいる。
だが、本来のソーシャルワーカーとは、政府とは一線を画した存在だ。たとえ政府に雇われたワーカーであっても、専門職としての倫理や価値観を持っているし、それが尊重されなければならない。医師や弁護士が、判断や実践に自律性を持っているし、それが法的に担保されているように、本来はソーシャルワーカーの判断や実践にも自律性が担保される必要がある。
とはいえ、そのワーカーの自律性は、社会的弱者の声に結びつき、その抑圧された声の代弁に結びついた時、抑圧する側の「強権や言論弾圧」への批判に、自ずと結びつきやすい。社会的問題を現行制度の範囲内で解決する専門家を必要としているのであって、社会問題が生じる現行制度の矛盾を突きつける存在であっては、困るのだ。だからこそ、ソーシャルワーカーに自発性を持たせてはならず、あまり深く勉強されては困る。これが、促成栽培の理由である。
 
そして、ここまで書いてくると悲しいかな、日本のソーシャルワークの現実だって、結果的に同じ部分はないか、という問いも生まれる。「抑圧された声」に本気で向き合うなら、その抑圧を産み出す組織的・社会的課題への問い直し、が必要とされる。だが日本のソーシャルワークの職能団体は、この部分にきっちりと目を向けているか? それより、厚労省との良好な関係の保持にのみ、汲々としてはいないか? 日本は、政府や党による「強健や言論弾圧」ではなく、職能団体自身がそれらに自発的隷属をしている、とは言えないだろうか? その上で、「現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえ」、自らが社会福祉の閉塞状況を作り出す一因になってはいないだろうか?
そう考えてみると、地域福祉やソーシャルアクションに関心のある人々にとって、香港やマカオ、香港の実践から学ぶべき点は沢山ある。それらの地域は、中国共産党の中心から遠い「周辺地域」だ。しかも前者は一国二制度で、後者も別の国家形態を取っていて、本土と比べたら「言論弾圧」はされていない。だからこそ、こういう事をきちんと主張出来る。しかし、共産党政権が今の矛盾を抱え続ける限り、「強権や言論弾圧」は波状攻撃のように訪れる。だからこそ、3地域のソーシャルワーカーは、現実を「プロセスとしてとらえ、常に生成されていくものとしてとらえ」ることで、周辺からの変革にコミットしている、と言えるのかも知れない。
ちなみに、今回は中国本土からの発表者は、事柄が事柄だけあって、何人かは発表を諦めたそうだ。だが、参加者の中には中国本土のソーシャルワーカーや、その教育を受けている学生が沢山いて、活発な議論を交わしていた。周辺ほど自由ではないが、それでも周辺革命の自由に触れ、中国本土のワーカー達もずいぶん刺激を受けたようだ。これは、自発的隷属をしている日本からの参加者にも、同様だった。
香港や台湾、マカオなど東アジア地域の進歩的なソーシャルワーク実践から学べることは、凄く沢山ある。それを深く認識した二日間だった。
 
最後に、進歩的なソーシャルワーク実践と雨傘革命の関係性を、もう一点だけ触れておきたい。先の革命を側面的にサポートした立法院の委員で、「香港のゲバラ」と言われている長毛に、安冨歩先生はインタビューしている。その記録の中で、次の様なフレーズが出てきた。
 
「占拠は人々の自発的な活動の集積として形成されたが、同時に、その限界も示された。完全に個々人が自発的に動くだけでは、人々が求めていることは実現出来ない。今後は、組織性を高めねばならない。もちろん、武力を使って闘争する条件はないので、平和的で直接的な方法で闘争するべきであるが、もっと集結された行動を考えるべきだ。ストライキとか、ボイコットとか。街角の闘争と職場なりの闘争とが連結せねばならない。」(『香港バリケード』p214-5)
 
これは、ラディカルソーシャルワークの復権の必要性を説くファーガソンの3つの整理と見事に一致している。①抑圧された市民の「生活の社会的・経済的構造の背景から理解する」中で、強権や言論弾圧などの、さまざまな矛盾の背後にあるパワーが見えてくる。これを、②運動の参加者達が「対等」に分かち合う必要がある。さらには、その個々人が「対等」に「関わり合う」ために、ファシリテーター的な存在が、「集団的アプローチ」の形成を支援することによって、「組織性を高め」ることが可能になる。「個々人の自発的な動き」を、「集団的アプローチ」にどう編み直すのか、が問われている。
そしてこの点では、官邸前で行われている反原発運動のデモに対する、安冨先生の危惧と、同じ思いを持つ。
「参加している人々の間でコミュニケーションが発生すれば、この運動はもっと広がっていくだろうけれど、そうでなければ、力を持てないのではないか」
運動に参加している人々の間で、対等な立場でコミュニケーションが発生しない。これが、21世紀の日本の現実である。ここには、かつての社会運動の少なからぬ部分が背負っていた、上意下達的なものへの反発もある。一部のリーダーが専制的に決めて、それを黙って従う、という形に対する、団塊ジュニア以下の世代の無意識的な反発でもある。それは、中国共産党の「強権」と同じではないか、と。
だが、だからといって、運動に参加しいている個々人が、お互いに対等な立ち位置で思いをぶつけ合う事が出来ないとしたら、運動の力が十分に発揮されない。安冨先生はガンディーを引用しながら、「非暴力的抵抗」の精神を説いている。そして、「非暴力的抵抗」のためには、「集団的アプローチ」が必要不可欠であり、そのためのヒントが、ラディカルソーシャルワークの実践の中に詰まっている。そう思うと、改めて、21世紀の日本でも、ラディカルソーシャルワークの可能性は、「再発見」されてもよい、と強く感じた。そして、そういう日本に住む私たちは、香港や台湾、マカオなどのアジアでの「非暴力的抵抗」の実践から、もっと沢山のことを学べるのではないか、と感じた週末でもあった。

身体を通じたメッセージ

久しぶりに朝、6時前に目覚めてブログを書こうとしている。ずいぶん久しぶりのことだ。

2012年から2013年にかけて、二冊の単著を一気に出すため、毎朝5時起きで、原稿を書き続けていた。あのときは、ぱっきりと目覚めることが出来、どちらも夏休みで初稿を終え、秋口には本を出していた。どちらも春から書き始めたので、今から言えば驚異的なスピードだ。まあ、ある程度の下原稿も出来ていたし、コンセプトが定まっていた、というのもある。そして、去年の2014年は一冊の編著をまとめ、国際学会のフルペーパー一本、国内学会でも求められていないのにフルペーパーを二本、書いていた。とにかく、ずーっと何かを書き続けていた気がする。
で、気がつけば、身体はクタクタになり、エネルギーが消耗していた。
5年ほど前から須玉の中田医院という中国医学の先生に主治医になって頂いている。先生の所に通う中で、いろいろな根本治療をして頂き、花粉症もきつい薬からおさらばできたし、体調も全体的に良くなっている、はずだった。だけど、冷えがしつこく残る。その話をしているとき、先生にふと言われた。
「40のあなたが、身体が冷えるなんて、本来はオカシイ。身体が冷えていく、とは、死に向かって進んでいる、ということだ」
どきり、とする表現だ。でも、言われてみれば、その通りである。しばしば、ストレスはありませんか?と聴かれる。僕自身は、愉快に働いているつもり、だし、職場環境にも恵まれているし、最近やっとアウトプットも出来るようになってきたし、ルンルンしているつもりである。そりゃあ生きていれば人並みに腹の立つことや業務集中もあり、ぐったりする事もあるが、それでも愉快に生きてきたつもりだ。それでも喉がつかえたり、痰が絡んだり、眠りが浅い、早朝覚醒など、挙げてみたら確かに色々なストレスの症状が出ている。それって一体何だろう、と思いながら、ふと手に取ったある本に、そのことがずばりと指摘されていた。
「エッジは、プロセスを、クライアントが同一化している一次プロセスと、彼が直接に関わっていないと感じている二次プロセスとに分裂させる。エッジは個人を、自己一致させることもあるし、自己不一致の状態や、分裂させたりもする。例えば、視覚タイプの人は、自分の身体の感じとは同一化しないかもしれない。このため彼は腹痛にみまわれても、それが耐え難くなるほどひどくなるまで認めようとしなかったりする。彼は自分の身体など大事じゃないとか、身体を感じ取ることができないと言ったりする。そのため身体感覚を分裂させるエッジが生じ、自分の身にふりかかった二次的現象として現れるのである。自分が好きで自覚しているプロセス、すなわち視覚と、もうひとつの嫌いな腹痛というふたつのプロセスを体験し続ける限り、彼は自己不一致の状態になってしまう。長期にわたって存在し続けるエッジは、ブロックとなり、心身相関的な問題と関わってくる。なぜなら、意識的にキャッチされない情報は、常に別ルートで身体をめぐるからである。」(アーノルド・ミンデル『プロセス指向心理学』春秋社、p57)
これは、小さい頃からの「ひろしくん」そのもの、である。
ひろしくんは、小さい頃から絵本が好きで、その後は本をよく読むタイプの子どもだった。また、ドラマや小説など、その世界に入り込んでしまうという意味でも「視覚」タイプの子どもであった。一方、昔からよく腹を下し、正露丸を欠かせないように飲んでいた。休日前、腹を下してしんどくなっても、予定通り遊びにつれていってもらいたくて、「耐え難くなるほどひどくなるまで認めようとしなかった」こともある。大人になって、暴飲暴食が減ってくると、腹痛は今度は冷えに変わった。この冷えだって、中田医院に通うようになるまでは、「耐え難くなるほどひどくなるまで認めようとしなかった」点で同じである。そういう意味で、書いたり読んだり、という「視覚」チャンネルの世界には自己一致させているけれど、身体感覚とは「自己不一致」そのものであり、「分裂」状態であった。「身体の声」に耳を傾けず、「ブロック」として、身体症状をどんどん悪化させていった。「意識的にキャッチされない情報は、常に別ルートで身体をめぐる」事態そのもの、だったからである。「死に向かって歩みをすすめる」ほど足を冷やしてまで、警告しているのである。
ミンデルの本は、1年ほど前から、『ディープ・デモクラシー』『ワールド・ワーク』などの集団プロセスの変容支援の本を中心に、読み続けてきた。でも、それが僕自身の問題だ、とアクチュアルに突き刺さる感覚はなかった。だが、連休後にこの本を読みながら、他者や集団のプロセスの問題を考える前に、まず自分自身のプロセスと向き合う必要がある、という当たり前のことに、気づき始めた。特にこの数年意識している「足の冷え」。これは、単に身体が冷えているだけではない。自覚化出来ていないストレスが溜まったり、緊張したり、身体がへとへとになったり、という「身体自身の自己主張」に、僕が耳を傾けようとしないまま放置したとき、エッジとして、つまり「身体の声の代表選手」として、猛烈に「抗議」しておられるのである。それを、僕はこれまで「足にはるカイロ」や「登山用靴下」で、冬場は誤魔化してきた。でも、それ自体がそもそも、「何とかしろよ」という抗議の内容に耳を傾けることなく、抗議の声を押さえ込むために、「まあまあ、今日はこれでお引き取り下さい」となだめすかし、騙して、沈静化させていた。エッジを「意識的にキャッチ」しようとしないから、「心身相関的な問題」は最大化しつつあるのではないか、という仮説を抱くようになった。
そして、ここ数週間、少しずつ、身体の声を自覚的に聴こうとしている。すると、今まで聴けなかった声が、色々聞こえてくる。
ぐったりしている、身体がだるい、ゆっくり眠りたい、熟眠感がない・・・
つまり、休日を作り、何もしない日を増やして、心身をのんびりさせなさい、という、月並みだけれど、大事なメッセージである。休日も出張続きで、出張がないと山登りに出かけたり、という、ずっとギアを入れっぱなしの生活に、区切りをつけて、身体のメンテナンスをしてほしい、という声である。そういえば、家のソファーに座ってのんびりすることもなく、ちょこまか動き続けてきた。朝から原稿も書き続けてきた。認めたくないが、「ワーカホリック」そのものである。では、どうすればよいのか。
「プロセス指向心理学者は、身体的問題が、身体化されたメッセージを知らせてくれるエネルギーの発端になることを発見する。いいかえるなら、身体は必ずしも克服すべき病理的問題であふれているのではなく、とぐろを蒔いている、開発すべき潜在的エネルギーの源泉からのメッセージに満たされているのである。」(同上、p150-151)
ほほう。「冷え」は「克服すべき病理的問題」ではなく、「開発すべき潜在的エネルギーの源泉からのメッセージ」なのか。そう思うと、いろいろ合点がいく。これまで「冷え」を無視してきたのは、自分が「病理的問題」に蝕まれている、という事を認めたくなかったからである。でも、「病理」ではなく、、「開発すべき潜在的エネルギーの源泉からのメッセージ」であれば、話は全く別である。色々な部分で根詰まりや不全感を抱えている、40歳で前厄のひろしくん。ここでは、エッジとして表面化しいてる「冷え」の声を聴くことで、「開発すべき潜在的エネルギーの源泉からのメッセージ」を探り当てる事が出来るかも知れない。すると、「ワーカホリック」ではななく、まずはゆっくり休んで、身体の声に自覚的になるところから、スタートしなければならない。
そう気付いて、5時頃に早朝覚醒しても、二度寝してみることにした。休みの日も予定を詰め込まず、数日間の出張を減らしてみた。劇的な変化はない。微弱な声を聴くのは簡単ではない。でも、ちょっとずつ、何かが変わり始めている感覚がある。視覚タイプの僕は、この変容プロセス自体を書いておかないと、きっと身体の声をまた無視して、暴走して、エッジを最大化させることになるだろう。昨日もお休みを頂き、この週末で「1Q84」も再読してすっかりリフレッシュ出来たので、備忘録的に視覚に刻み込ませるために、「身体の声をきけ」と、ここに書き付けておく。