地域福祉の人材育成と可能性開発

ここしばらく、毎月のように岡山に通い続けてきた。岡山県社会福祉協議会が主催した「『無理しない』地域づくりの学校」という人材育成塾の校長役としてお手伝いさせて頂いたのだ。教頭には、全国各地で地域興しの人材育成に携わり、自らも障害者就労に取り組む起業家でもある尾野寛明さんをお迎えする、という豪華な顔ぶれ。社協の10年後の役割を見据えた県社協の俊英、西村さんが用務員役として全体統括してくれ、実現したのだった。(尾野さんとの出会いや、西村さんとの出会いは、リンク先に)
プレセミナーにはじまり、5回の本セミナーの中では、岡山県内各地から、地域づくりで新しい事にチャレンジしたい実践者達が受講生となってくださった。社協の生活支援コーディネーターだけではなく、包括の社会福祉士や施設のソーシャルワーカーなど、多彩な受講生がそろった。皆さんには、尾野さんの地域づくり塾で用いられている「マイプラン」を作成する事が求められ、毎回のセミナーでその内容を発表し、仲間や他の参加者から意見をもらい、添削され、次の機会までに新たな課題を調べて掘り下げ、ブラッシュアップし、次のプレゼンで発表する、というプロセスを重ねてきた。そして10月には、これまで練り上げた成果を最終発表会で報告する、というところまで辿り着いた。
先日、その最終発表会に参加する中で感じたこと。それは、こういう地道な人作りが、やがて地域を変える起爆剤になるだろうということと、そのためには単年度ではなく、少なくとも3~5年かけて息長く人材を養成し続けていかなければならない、ということだ。
これまで、僕自身は全国各地で地域福祉に携わる人々に向けた研修を行ってきた。だが、その中でいつも感じていた不全感がある。それは、「一回こっきりで連続性がない」という事と、「仕事の枠内での研修であり、全人的関与を求めていない」という二つである。
一度の研修で、講師の話を全て吸収して、即現場で活かせる人材も、もちろん存在する。だが、そういう人は、実はそんなに多くない。特に、地域課題を発見し、その課題を解決するための方法論や、具体的なアプローチを1時間半の研修の中で紹介して、それだけで「では、やってみてください」とお願いしても、「話はわかったが、実際にどうやっていいのかわからない」という声を聞く。最近、教育業界でもアクティブラーニングの重要性は何度も繰り返されているが、地域福祉だって、一方的に話を聞く座学ではなく、実際に自分でも考えて企画書を書いたりモデル事業をやってみて、それを何度も仲間と議論しながら練り上げていく、というOJT型の、実践を伴った学びでないと、知識や理論を自分のものには出来ないし、実力という形で身にもつかないのだ。
また、地域福祉の課題は、社協や包括の業務だからやる、という事業ベースでの関与に限界がある。確かに地域福祉に関わる人々の大半は、事業だから関与する。そのこと自体を否定しているのではない。だが、事業で関わる人であっても、地域住民に関わり、地域住民「と共に」地域課題の解決を模索する時、「私たちはどうしてあなたのやることに応援しなければならないの?」という素朴な疑問を住民からぶつけられる。その時、一般的には「住民さん達のために」という話が出てくるが、住民たちは「そんなの自分たちは必要ない」と拒否的になることもある。それを「住民が無理解だ」と切り捨てるのは簡単だが、実は支援者の側が、住民のほんまもんの思いや願い、ニーズに出会っていない場合も少なくない。また、住民との協働とは、言うは易く行うは難し、の典型例である。協働を模索する支援者自身が、その協働課題や実践を「自分事」と認識し、「私たちの共通課題」という思いを持たないと、事業はうまくいかず、2年やって別の担当者に引き継げば、「三歩進んで二歩下がる」という事態に矮小化される場合も少なくないのだ。
そこで、岡山の「『無理しない』地域づくりの学校」では、これらの壁を乗り越える仕組みと仕掛けを入れ込んだ。毎回の講座では、地域福祉の分野で「一皮むけた先駆者」の話を伺う。その中で、どうすれば地域課題を解決出来るのか、の方法論を学ぶ。その上で、受講生は毎回、自分の「マイプラン」の進捗状況を発表し、バタ校長や尾野教頭、その日のゲストを始め、多くの人々からコメントをもらう。そうやって、次回までに自分が明確にすべき課題を抱え、また地域の中に飛び込んでいく。つまり、OJTとスーパーバイズという、地域福祉で最も欠けている要素を、講座の中に取り入れたのである。
また、福祉の専門家にとって、「マイプラン」という概念自体が、もしかしたら革命的に響いていたかもしれない。なぜなら、これまでの福祉は「科学的」「客観的」であることを志向してきた。それは、医学モデルを真似た福祉が、標準化・規格化された知識の重要性を強調してきたからである。確かに病院医療においては、クリティカルパスに代表されるような、ある程度の標準化や規格化は可能だろう。でも、地域福祉には、実は標準化や規格化の発想は、百害あって一利なし、である。なぜなら、甲府と岡山では、社会資源も人間性も、地理的性格も人口構成も高齢化率も、全く異なる。それに標準的な地域福祉モデルなるものを当てはめたって、絶対地域は変わらない。だがこれまでは「○○モデル」が厚労省から紹介されるたびに、その先進地には視察がわんさか訪れ、その先進地の猿まね実践を企て、見事に玉砕する、という「屍」実践が山と積まれてきた。それらが失敗した最大の理由、そこには標準化された正解を真似すれば何とかなる、という他力本願を客観的なる表現でオブラートにくるんで誤魔化してきた歴史的経緯がある。
そこで、大切なのは、「わたし」という主体の存在である。この地域に関わる一人としての「わたし」は、この地域をどう見立てるのか? 地域課題をどのように捉えて、何から優先順位を付けて解決していくか。この部分には標準的な解答例、なるものはなく、実際には主観的な見立てやアプローチで取り組んでいく。ただ、チームで議論し、住民にも納得してもらう、という合意形成を計る中で、主観的な要素が客観化されていくのである。しかし、主観的な要素としての「わたし」が抜けた「事業」であれば、「何が何でもそれを実現しなければならない」という粘りや必死さが抜ける。すると、率直に申し上げて「事業だからとりあえずやってみる」というレベルに成り下がり、住民もそれに気付くから協力はしてくれない。そこで、年度末消化のように会議だけやって「やったふり」して、「結局住民は協力的でないのでうまくいきませんでした」と、「出来ない100の理由」を述べ立てるのである。
一方、先述のマイプランは、その真逆の戦略である。「わたし」の計画であるから、当然、そこに介在する私がどう動くか、が大切になる。その前に、マイプランには自己紹介や自分の人物像、自分がなぜそのマイプランをしたいのか、という動機や思いも書き込んで、その部分が毎回の講座の中で質問される。これは「事業」でやってきた「お仕事」にはない展開である。だが、繰り返しになるが、自分事でないと、人は必死にならない。「なぜこのプランを実現したいのか?」という問いは、仕事の問いであると同時に、それを仕事として私はなぜ取り組みたいのか、という自分自身の実存への問いである。そして、本気で地域を変えてきた実践者達は、仕事として地域福祉に取り組む一方で、その課題を「自分事」として捉え、どうしてもその課題の解決が必要不可欠だ、という熱意を持つ。これが、仕事に魂を込める原動力になる。そして、地域住民さんだって、魂を込めて地域づくりに取り組む人には、魂レベルで「ほうっておけない」のである。つまり、地域づくりにおいては、それに取り組む人の「わたくし」という「自分事」の介在が必要不可欠なのだ。それが、マイプランに迫力を与えるのである。
尾野さんは、この手法を、中山間地でコミュニティビジネスや起業をしたい人々への人材育成塾において開発してきた。起業、というと、地域福祉には縁がないように、一見聞こえる。だが、地域福祉の実践者を「社会起業家」と位置づけると、見える地平は一変する。社会起業とは何かについて、ボーンスタインとデイヴィスは次のように定義している。
「世界を変える仕事-社会企業とは、社会問題を解決するために新しい組織をつくり出したり、あるいは既存の組織を改革する仕事です。ここでいう社会問題とは、たとえば、貧困、病気、環境破壊、人権侵害、組織の腐敗などを指します。これらを解決して、多くの人々の暮らしをよりよいものにしようというものです。」(ボーンスタイン&デイヴィス『社会起業家になりたいと思ったら読む本』ダイヤモンド社、p166)
「社会問題を解決するために新しい組織をつくり出したり、あるいは既存の組織を改革する仕事」。これは、地域福祉で最も求められているプロセスである。生活困窮者へのサポートの仕組み、認知症の人の見守りネットワーク構築、困難事例や多問題家族への対応、重度の障害者でも病院や入所施設へ排除されない地域作り・・・など、今の日本社会で顕在化している「社会問題」は、既存の制度だけでは十分に解決出来る訳ではない。だからこそ、「新しい組織をつくり出したり、あるいは既存の組織を改革する仕事」が必要であり、コミュニティソーシャルワーカーと呼ばれる存在は、その担い手に成熟することが求められるのである。つまり、地域福祉を担う人材であるコミュニティソーシャルワーカーに求められるのは、社会起業家精神なのである。
そして、それを研修で身につけてもらうためには、起業家養成塾と同じように、社会問題に関する「マイプラン」を立ててもらい、そのプランを何度も練り直す中で、先駆的に解決するプランへと高めていく、岡山でやったような研修が必要不可欠とされているのである。そして、全国を見回しても、たぶん岡山で初めて、このような社会起業家精神を育てる実践的なコミュニティソーシャルワーカー養成研修が実現したのである。
それが冒頭に書いた、「こういう地道な人作りが、やがて地域を変える起爆剤になるだろう」と思えた理由である。そして、この一連のプロセスを岡山で試行的に実践して分かった事がもう一つある。それは、「単年度ではなく、少なくとも3~5年かけて息長く人材を養成し続けていかなければならない」ということである。
上記で述べたようなマイプラン作りとその添削は、非常に手間暇かけたものである。だから、受講生自体は5~10人程度でないと、きめ細かい支援は出来ない。その一方、こういう最先端の人材育成は、ノウハウも試行錯誤の中で蓄積するので、市町村レベルでは実現不可能だ。だからこそ、県社協がやる広域性と専門性がある。そして、県社協として地域を変えるコアな人材を「マイプラン」作りを通じて養成するためには、少なくとも1期ではなく、3~5期かけて、人材を養成し続けるプロセスが大切である。その中で、地域作りを本気で取り組む人材に層が生まれ、またその塾生達の学び合いや世代を超えたネットワーク形成が進む中で、岡山における地域福祉の担い手の質的転換が生じ始めるのだ。
これは、尾野さんが取り組む他の地域での「地域づくり塾」でも同様だ、という。例えば、マイプランの中から訪問看護ステーションが生まれてきた島根県雲南市の幸雲南塾も、5年目を迎える中で、多層的な人材のネットワーク化が進み、そこから新たな事業や展開、そのハブ機能となるNPO「おっちラボ」など芋づる式に生まれてきた、という。そう、最初のうちは、地域福祉の担い手の種をまき続け、ある時期からその人材達が仲間としてのネットワークを形成し、それが地域やシステムを動かし、変える原動力に育っていくのである。
これは、僕自身が博士論文で京都のPSW117人に聞き取り調査を行い発見した、地域福祉を変える5つのステップとも、全く共通している。つまり、こういう形をとらないと、ほんまもんの地域変革は進まないのだ。だからこそ、1期で終わらすことなく、3年から5年、種から芽が出て、発芽し、シナジーが生まれて現場が変わるまで、継続的な投資が必要不可欠なのである。
近年は福祉の領域でも企業の論理が跋扈して、四半期決算的な「成果」が求められる。だが、人材育成は四半期決算で成果をはかれるものではない。最低でも3~5年育て続けないと、その成果が具体的な形にならない。多くの一回こっきりの研修は、せっかくいい研修をしても、一度きりで終わってしまうので、事業の継続性がなく、投資した資金が無駄に終わってしまうことも少なくない。この岡山の事業も、その危険性がある。だからこそ、研修がどう効果的なのか、をちゃんと言語化する必要がある。それって、僕自身が地域福祉において考えるべき「マイプラン」の課題なのだ。
そんなタイミングだったので、今日は5388字も使って、岡山でのこの1年間の取り組みをざっくりと言語化してみた。さて、書いてみて、今後、このストーリーをどうブラッシュアップしていくか? まさに、自分事の課題である。

悪循環の構造を眺める

10代後半から20代にかけての思い出の中には、後から考えると「あちゃー」と恥ずかしさが先立つ思い出も少なくない。僕の場合、中身がないのに背伸びしていた部分が、随分ある。そんなことを思い出させてくれる記述と出会った。
「自由に個性的に着るという『意図』によって選択された衣服は、『結果』として他者とそっくりのものになってしまう。このとき、人々は自分が他者とそっくりなものしか着れていないこと、つまり自分の『不器用さ』を自覚している。このため、悪循環が生じることになる。彼らは、現在流行っている衣服を選択して他人そっくりになることを回避しようとして、かえって他人そっくりの(新しい流行の)衣服を着てしまっているからだ。これがモードという制度である。モードの持つ制度性は、単に個人が同じような衣服を着ているというところにあるのではなく、こうした画一性から離れて他者とは異なる服装を着ようとする人々の『意図』がかえって流行を繰り返し更新させてしまうところにある。」(長谷正人『悪循環の現象学』ハーベスト社、p136-137)
拙著をお読み頂いた教育社会学の先生が、「こんな本もあるよ」と教えて下さったのが、今の興味関心にもドンぴしゃの一冊。四半世紀前に出たとは思えない、シンプルで鮮やかな切り口は、ハーシュマンのExsit and Voiceの理論を彷彿とさせる。しかも、その本の一節で、まさか自分の昔の「汚点」の構造分析がされている、とは思わなかった。
話は20年前、大学1年生の頃から始めた塾講師時代の出来事である。僕が中学の頃にお世話になっていた塾に、大学生になってから、バイトで働かせてもらうことになった。この塾の中間管理職のAさんと僕は、元々折り合いが悪く、しばしば対立した。その元凶の一つに、「服装」問題があった。
20歳頃といえば、必死になって「個性」を模索する時期である。しかも大半の20歳は、まだ他人に誇るべき「個性」という「ちがい」が有徴化していない。ましてや、自分の中を掘り下げて「ちがい」を見つけるなんてことが出来ていない。よって、安易に人との「ちがい」を産む手段として、多くの人同様、「服装」に着目する。そして、これがAさんとの対立の原因になった。なぜなら、Aさんは「白のシャツで、派手ではないネクタイをするように」とルール化していたからである。
今なら、白いシャツとシンプルなネクタイは、オシャレの王道を行く着こなしである、という知識もあるし、少しはそれを楽しむ余裕もある。でも、当時の僕にとって、白シャツや落ち着いたネクタイは、没個性の象徴のように思えた。抑圧的な受験勉強の反動!?で、ようやっと20歳になってオシャレに目覚め始めた僕にとって、白シャツを受け入れることは、個性を引っ込めることにしか思えなかった。つまり、自分がオシャレではないという「不器用さ」を自覚していたがゆえに、何とか他人との「ちがい」を出そうと必死になっていた。そして、その結果選んだものも、「自由に個性的に着るという『意図』によって選択された衣服は、『結果』として他者とそっくりのものになってしまう」という構造にはまり込んでいた。僕は、しっかりと「モードという制度」に囚われていた。しかも、それが「個性的でありたい」という「意図」に基づきながらも、選んだ服装がより没個性になるという「意図せざる結果」をもたらしていた。さらに、白シャツでもおとなしくもない服装だから、Aさんにますます嫌われる、という二重の悪循環がついて回っていた。
この時の悪循環とは何か。これも、長谷さんのわかりやすい説明が役立つ。
「悪循環とは、ある人が自身の置かれている状況を問題のあるものとみなし、これを解決しようとする行動に出るが、この解決行動自体がとうの問題を生み出してしまうというメカニズムを持ち、しかもこれが反復的に繰り返されるものを言う。」(p78-79)
当時の僕は、白シャツを着ることと、教えることは、全く別のことだと考えていた。むしろ、教えるのが上手で実績も出していれば、シャツの色なんて関係ない、と思っていた。そして、一律に白シャツにせよ、と押しつけるA氏の振る舞いを、「没個性的だ」と思っていた。だから、彼の指導を半ば無視し、校則破りのように、しばしば叱責されていた。しかし、僕自身の「白シャツを着ない」という「解決行動自体」は、二重の意味で、悪循環を反復させていた。
その一つ目が、先にも書いた、「個性」的でありたいと願いながら選んだ服が、「意図せざる結果」として「没個性」であった、という点。白シャツを選ばなくても、スーツを着ている時点で、選択肢は限られる。すると、色シャツでのネクタイの組み合わせも、雑誌などでみる定番パターンの中に納めるしかない。その結果、必然的に、色シャツでおとなしくないネクタイなんだけれど、「無難な組み合わせ」に落ち着く。つまりは、白シャツでは「没個性」だ、という決めつけに縛られて、白シャツこそ「問題のあるものとみなし、これを解決しようと行動にでる」が、選んだ色シャツやネクタイという「解決行動自体」が「没個性」という「当の問題を生み出してしまうというメカニズム」に綺麗にはまり込み、それを「反復的に繰り返」していたのである。
さらに、この反復行動の中で、もう一つの悪循環も反復されていく。それが中間管理職のAさんとの反目である。僕はこのAさんに、ずいぶん批判され続けてきた。あるときなど、「タケバタは増長だね」と言われて、情けなくもその意味を知らず、家に帰って辞書を引いて、その意味を知り愕然とすると同時に怒りに震えた思い出を持つ。当時、憧れていた塾講師になって、一生懸命その勤務に励み、わりと塾生からも人気がある、と思い込んでいたのに、「そんな言われ方はないよなぁ」、と思っていた。「あんたの方が増長やんけ!」と心の中で言い返していた。でも、今ならよく分かる。確かに僕は増長であり、悪循環を反復させるシステムの一部になっていたのだ。
これは一体どういうことか。長谷さんの論考が鋭いのは、悪循環を論理ではなくコミュニケーション問題だ、と喝破するところである。
「『行為の意図せざる結果』においては、別に行為者がパラドキシカルなメッセージを発しようとしているわけではない。彼の言明の内容はパラドックスではないにもかかわらず、それが他者との関係を規定することから生じる意味によって、パラドックスが結果的に構成されてしまうだけである。問題なのは論理というよりコミュニケーションである。」(p34)
「個性的でいたい」という「論理」自体が問題であるのではない。問題は、その「個性的でいたい」という言明の内容を、「白シャツを着ないで、ネクタイも派手にする」という手段で実現しようとしたことである。そのことにより、中間管理職のAさんと、一大学生アルバイターの僕自身との「関係」において、「職場の上司の指導を聞き入れない」という関係の問題が生じる。つまり、僕が「白シャツを着ない」のは、「個性的でいたい」という思いだけでなく、「個性」にかこつけて、職場の上司の意見を聞きたくない、と文字通りわかりやすく表明しているのである。それは、上司の側からすれば「増長」そのものである。そして、抑圧的に指導をしてくる上司に反発し、ますます白シャツから遠ざかり、その結果さらに怒られ、そんな指導に従ったら個性がなくなると思って反発し・・・と、わかりやすい悪循環構造を、自分自身で作り出していたのである。
そんな記憶を、長谷さんの次の分析を読みながら、まざまざと思い出していた。
「『行為の意図せざる結果』を引き起こす人々は、自分がいま行っている解決行動だけは、いつも問題を作り出しているときとは異なる立場から行われていると信じているのである。例えば、『私って嫌われ者なの』と言って嫌われてしまう女のことを考えてみよう。この女は、この自己批判的発言だけは、自分が嫌われている要因にならないと考えているのである。つまり、透明な行為だと信じられている。ところがこの自己批判的発言は、少しも透明ではなく、一つの行為として他者に影響を与えてしまう。つまり、自分が好かれているかどうかを気にしすぎる性格を表象しているものと受け取られ、嫌われる原因となってしまうのである。このように、『行為の意図せざる結果』における偽解決とは、必ず透明人間の立場から行われる。しかし、偽解決行動はいささかも透明ではない。それは、一つの行為として、その問題を維持するように機能するのである。」(p56)
僕自身は、「個性的でありたい」と思って「白シャツを選ばない」のは、僕の内面の自由の問題であり、それが問題を反復させる、という自覚はあまりなかった。つまり、自分の白シャツを着ない行為そのものは、他人とは関係のない、純粋な個性の選択であり、その意味で他者から独立している「透明な行為」だ、と思い込んでいた。でも、その選択は、透明でも何でもなく、「上司の指示に従わない」という意味で、実に政治的だった。僕の白シャツを選ばないという「一つの行為」は、中間管理職のAさんという「他者に影響を与えてしまう」だけでなく、彼の指導や助言を拡大させ、それを抑圧だと見なした僕の反発は加速し・・・と、「マッチポンプ」現象を作り出していた。「個性的でありたい」という意図に基づいた「白シャツを着ない」という「偽解決構造」は、結果として個性的でないという「問題を維持するように機能する」だけでなく、その「個性化」を抑圧しようとするAさんとの関係を悪化させるという「問題を維持するように機能する」役割も果たしていたのである。
ここまで書いていて、それって長谷さんの以下の記述そのものである、と気付いた。
「コミュニケーションのなかで、互いに相手の悪循環的行動を悪循環的に維持しあうという複雑な事態も発生するのだ。これが病理的であり、分裂病者の症状を維持するシステムの特徴でもある。」(p79)
中間管理職のAさんの視点に立ってみると、タケバタは一学生アルバイトのくせに、「白シャツで地味なネクタイ」という指示に全く従わない。それは、面白くない。だからこそ、「ルールに従え」と指導する。しかし、その指導に従うどころか、相手は余計に反発する。そこで、「きみは増長だね」と嫌みの一つも言いたくなる。でも、その発言に相手は更に頑なになり、白シャツを断固拒否する姿勢をみせる・・・。つまり、今書いていてようやく気付いたのだが、Aさんにとってもタケバタとの関係は「互いに相手の悪循環的行動を悪循環的に維持しあう」ものだったのだ。
長谷さんはこの事をさして「コミュニケーションのパターンが固定的で、同じことを反復してばかりいる」(p96)とも言う。確かに、このAさんとの関係に限らず、極端に関係が悪くなったり、絶縁状態になった関係性を思い出してみると、「互いに相手の悪循環的行動を悪循環的に維持しあう」という意味で「コミュニケーショのパターンが固定的」で「反復」し続けていた。そして、それが「病理的」であるというのは、指導と反目という「逸脱増幅的相互因果過程」としてのポジティヴ・フィードバックを引き起こし、悪循環は加速していった、だけでなく、そのコミュニケーションパターンの外に出られないという意味で「逸脱解消的相互因果過程」としてのネガティヴ・フィードバックも引き起こしていたのである(p93)。
「近代社会の人間は、あるルールから自由であることによって、別のルールに従ってしまっている。ルールへの従属を回避しようとすればするほど、別のルールに従属してしまう神経症的な悪循環に陥っていて、どうしてもそこから抜け出せない。従って、近代社会はたんに『不器用な』社会であるわけではない。『不器用さ』を克服して『器用さ』を獲得する努力を反復して行い、そのことによってますます『不器用』になるというパターンのなかに閉じ込めれているのである。」(p137-138)
そう、僕の20代はこのパターン=悪循環、の繰り返しであった。いま、そのパターンからやっと出つつある。それは、「不器用さの克服」や「器用の獲得」を目指さなくなった、という点にある。個性的というのは、当たり前の話だけれど、選ぶ服で決まるのではない。自分が気持ちよく着れて、かつワクワク出来ていれば、どんな服を来ても、個性は出てくる。逆に言えば、どんなにお金を積んでも、パーソナルスタイリストに上から下までコーディネートしてもらっても、自分自身の気持ちが乗らなければ、個性もへったくれもない。
そう思えるようになって、30代中盤になった頃から、僕は白シャツを好んで着るようになった。色シャツへの呪縛というか、「個性」という「ルールへの従属」から、やっと自由になり始めた。それは、自分自身が、個性のエッジが立っている「器用」な人間ではなく、どこにでもいる凡庸な「不器用さ」を抱えた人間である、と認めることからはじまった。でも、それを一旦認めてしまえば、不毛な個性化を目指した悪循環構造のパターンから、すっと抜け出すことが出来た。それと共に、ほんまもんの個性化がスタートし始めた。そんな今だからこそ、20年前に陥っていた悪循環構造を、素直に振り返り、鎮魂できる状態になったのかもしれない。あの頃のタケバタヒロシくん、どうもお疲れ様でした、と。

里海資本論と精神医療の生態系

前回のブログで書いたイタリアから帰国後、オープンダイアローグやトリエステ方式の論文を読み続けている。そういうモードの中で、『里海資本論』(角川新書)を読むと、何だか多くの共通点があって、びっくりした。その共通点を考える為、まずは解説の藻谷さんの当該部分を引用してみる。

「一神教の伝統に立つ西洋で発達した学術の中には、意識的にか無意識的にか、こうした多神教的な考え方を忌避しつつ成り立っているものが見受けられる。生きとし生けるものがお互いに微妙なバランスで影響しあって生態系を形作っていると考えるのではなく、誰か絶対的な裁定者や何か卓越した裁定システムが存在すると発想し、モデルを組むのがだ。そうしたモデルを信じ込むと、『裁定者・裁定システムに無関係のその他大勢は、均衡の形成に自分も参画しようなどという余計な考えを起こすべきではない』と考えるようになる。神は一人だけなのだから他の者は手前勝手にしておけばいい、帳尻は神が合わせてくれるというわけだ。(略) 彼らは、『自然に多様性をもたらすのは自然であって人間ではない』という、自然を裁定者とした『一神教的』発想に囚われており、『人為も自然の中に均衡や多様性を生むことができる』という『人間も八百万の神の端くれ』というような発想を理解できなかったのだ。」(p222)
ここにピピッと来た理由。それは、精神医療も地域福祉も、「一神教的な裁定者・裁定システム」の毒牙に浸りきっていて、それをどう脱皮するか、が大きな課題になっているからである。
例えばオープンダイアローグで追求しているのは、「精神科医が何でも知っている・どんな精神病でも治療できる」という「一神教的な裁定者・裁定システム」への疑問だった。具体的には、その手段であるEvidence Based Medicineが、本当に効果的なのか、への問いである。これは、投薬と精神症状の関連に関しては、人が「生態系」の中で生きている限り、その薬がある人の心に直接作用するかどうかきちんと科学的に実証できていないのに、科学的に統制された(つまりは現実社会とは違って管理された)状態での比較実験から、「この薬はこの症状に効く」と言っているものに、「ほんまかいな?」と問いを挟んでいるのだ。そして、精神科医や薬という「裁定者・裁定システム」とは一見「無関係」に見える、医療従事者や家族、知り合いなどのソーシャルネットワークなど、「生きとし生けるものがお互いに微妙なバランスで影響しあって生態系を形作っていると考える」のである。
ゆえに、3時間待って3分診療で投薬して終わり、ではなく、医療者がナースも医師も心理療法の資格を取った上で、本人や家族、関係者等を集めたネットワークミーティングを大切にする。これは、「微妙なバランス」の崩れの中で、「患者とみなされた人(Identified Patient)」に、その「生態系」の弱さや問題が集中し、それが精神症状の形で表出される、という家族療法的な考えに基づいている。そこで、家族療法的な考え方を発展させると、薬と精神科医に頼りきりで、「その他大勢は、均衡の形成に自分も参画しようなどという余計な考えを起こすべきではない」という一神教的な考えを捨てる、ということである。「「『人為も自然の中に均衡や多様性を生むことができる』という『人間も八百万の神の端くれ』」なのだから」、治療に向けたミーティングに、看護師やソーシャルワーカー、家族や恋人、友人も入って、「患者と見なされる人」の「生態系」のひずみそのものに向き合い、動的平行を持ち直すべく、関わり合いをしていこう、というアプローチなのである。これは、明らかに「里海」的な関与である。
そして、トリエステでは、それをもっと深化させている。オープンダイアローグでは、治療における「生態系」的アプローチを取り入れた。一方、トリエステでは、治療そのものを問い直す「生態系」的アプローチを行っているのである。それは一体どういうことか。
簡単に言えば、トリエステでは、異常と正常、規範と逸脱、という価値判断自体が、精神科医などの「一神教的な裁定者・裁定システム」によって作り出されたものである、と考え、それが精神病を作り出す生態系システムの根っこにある、と考えているのである。トリエステの思想的中核であり、イタリアの精神病院を閉鎖に導いた医師フランコ・バザーリアはこう語っている。以前のブログで引用した箇所をもう一度引いておく。
「規範の定義は、明らかに生産と同時に起こっている。そのことは、社会の端にいる人間は誰でも逸脱者として現れることとを意味している。逸脱行為は、価値の裂け目であり、それゆえこれと同じような価値は、この価値観を破る人は誰でもアブノーマルであると科学的に分類することによって、擁護され強化されなければならない。(略) 本人の選択によって、あるいは必要性に迫られて、生産役割を担えない人間や消費者になることを拒否する人間は、適切な科学的イデオロギーを通じて、規範とその境界を擁護することを強いられなければならない。」(Scheper-Hughes, Nancy and Anne M. Lovell eds., 1988, Psychiatry Inside Out: Selected Writings of Franco Basaglia New York: Columbia University Press. pp105)
「この価値観を破る人は誰でもアブノーマルであると科学的に分類することによって、擁護され強化されなければならない」のは、社会規範のことである。そして、「正常」という「価値観」に関する規範の擁護者が、「異常」と「科学的に分類する」精神科医なのである。これは見事に、「一神教的な裁定者・裁定システム」そのものである。ここまでの認識は、オープンダイアローグもトリエステも共有している。そして、トリエステが興味深いのは、そこから一歩掘り下げて、そもそも精神科医や精神医療が「正常」という「価値観」に関する規範の擁護者である、ということ自体が、オカシイのではないか、と問いかけているのである。精神症状を持つ人は、単にその人の社会的ネットワークの歪みが析出されただけではない。もっと言えば、その社会の歪みや膿などが、脆弱性のある・感受性の豊かな個人に降りかかって、その人に症状として析出され、「患者と見なされる人」になったのではないか、と問うのだ。つまり、患者の個人的な人間関係というソーシャルネットワークを「生態系」と見なし、そこに介入するのがオープンダイアローグだとすれば、患者が生活するその地域社会やコミュニティを「生態系」と見なし、そこに介入しようとするのがトリエステモデルなのである。バザーリアはこうも語っている。
「この仕事の基礎となっている接近法は決して病気が中心にあるという事実を避けようとするものではない。しかしながら、この新しい潮流の中ではこれまで患者に、あるいは少なくとも精神病院に内在するものとされていた葛藤がそれら葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される-というのは病気というものは本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現と見なされるものだからである。精神医療従事者にとってこのことは全く新しい役割を担うべきことを意味している。つまり患者と病院との関係の中にいて仲介者の役割を果たすのではなく、家族、仕事場、あるいは福祉事務所といった現実世界での葛藤に介入しなければならないのである。これらの場は『治療』の新しい活動舞台となる。」(バザーリア、フランコ「管理の鎖を断つ」D.イングレビィ編『批判的精神医学』悠久書房、一九八五:三二一頁)
従来は、異常な人を精神病院に閉じ込める事によって、精神病院という「人工的な生態系」の中で完結する仕組みが取られていた。これは、障害者や高齢者の入所施設でも同じ論理である。一般社会の「生態系」の中で「厄介者」とされた人を、別の「生態系」を人為的に作り、そこに閉じ込めて、その生態系の中で貧しい動的平衡を作り出す、という論理である。これは、社会学者のゴッフマンは刑務所や強制収容所と同じ論理である、と喝破したし、ナチスドイツは障害者抹殺計画(T4計画)によって、この「貧しい生態系」そのものを殲滅しようと試みた。
だが、バザーリア達が試みたのは、この「人工的な生態系」の破壊であった。「精神病院に内在するものとされていた葛藤がそれら葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される」ことを目標にした。というのも、「患者と見なされる人」が持っている「葛藤」とは、それを「患者」に「押しつけた」「しわ寄せという形で析出させた」社会の問題だからである。バザーリアはそれを端的に「病気というものは本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現と見なされるものだから」と述べている。「社会的関連」、つまりは「その人の生きる社会の生態系」の中で、ある人の「自我の特異的な矛盾の歪んだ表現」が「精神病」だと言うのだ。これは、脳の器質性障害とかドーパンミンがどうちゃら、という医学モデル・個人モデルで説明しない、ということである。その社会の「矛盾」や「歪み」がある人の「自我」において「特異的」に「表現」されたもの、と理解しているのだ。だから、ドーパミンの量を抑制をする薬、よりも、その人の「生態系」である「家族、仕事場、あるいは福祉事務所といった現実世界での葛藤」に関わる事が、精神医療従事者には求められる、というのである。つまり、患者の社会的ネットワークという個人的関係に留まらず、その患者が関わる社会という生態系そのものに関与しようとするのが、トリエステ的なアプローチである、と言える。
そして、オープンダイアローグもトリエステも、薬物療法中心という「一神教的な裁定者・裁定システム」の限界を超えた効果をもたらすと共に、患者の回復、だけでなく、家族や関係者、医療者自身、そして社会のリカバリーにも効果をもたらしているのである。これは、生態系そのものへの関与であり、、『人為も自然の中に均衡や多様性を生むことができる』と考えるアプローチである。しかも、その人為を精神科医という「一神教的な裁定者・裁定システム」に限定せず、関わり合う人々の力を信じる、という「八百万の神」のアプローチなのである。
そして、この考え方は地域福祉にも大きく繋がっているのであるが、今日は時間切れなので、久しぶりにこの続きは、次回のブログへと持ち越すことにする。