地域福祉の人材育成と可能性開発

ここしばらく、毎月のように岡山に通い続けてきた。岡山県社会福祉協議会が主催した「『無理しない』地域づくりの学校」という人材育成塾の校長役としてお手伝いさせて頂いたのだ。教頭には、全国各地で地域興しの人材育成に携わり、自らも障害者就労に取り組む起業家でもある尾野寛明さんをお迎えする、という豪華な顔ぶれ。社協の10年後の役割を見据えた県社協の俊英、西村さんが用務員役として全体統括してくれ、実現したのだった。(尾野さんとの出会いや、西村さんとの出会いは、リンク先に)
プレセミナーにはじまり、5回の本セミナーの中では、岡山県内各地から、地域づくりで新しい事にチャレンジしたい実践者達が受講生となってくださった。社協の生活支援コーディネーターだけではなく、包括の社会福祉士や施設のソーシャルワーカーなど、多彩な受講生がそろった。皆さんには、尾野さんの地域づくり塾で用いられている「マイプラン」を作成する事が求められ、毎回のセミナーでその内容を発表し、仲間や他の参加者から意見をもらい、添削され、次の機会までに新たな課題を調べて掘り下げ、ブラッシュアップし、次のプレゼンで発表する、というプロセスを重ねてきた。そして10月には、これまで練り上げた成果を最終発表会で報告する、というところまで辿り着いた。
先日、その最終発表会に参加する中で感じたこと。それは、こういう地道な人作りが、やがて地域を変える起爆剤になるだろうということと、そのためには単年度ではなく、少なくとも3~5年かけて息長く人材を養成し続けていかなければならない、ということだ。
これまで、僕自身は全国各地で地域福祉に携わる人々に向けた研修を行ってきた。だが、その中でいつも感じていた不全感がある。それは、「一回こっきりで連続性がない」という事と、「仕事の枠内での研修であり、全人的関与を求めていない」という二つである。
一度の研修で、講師の話を全て吸収して、即現場で活かせる人材も、もちろん存在する。だが、そういう人は、実はそんなに多くない。特に、地域課題を発見し、その課題を解決するための方法論や、具体的なアプローチを1時間半の研修の中で紹介して、それだけで「では、やってみてください」とお願いしても、「話はわかったが、実際にどうやっていいのかわからない」という声を聞く。最近、教育業界でもアクティブラーニングの重要性は何度も繰り返されているが、地域福祉だって、一方的に話を聞く座学ではなく、実際に自分でも考えて企画書を書いたりモデル事業をやってみて、それを何度も仲間と議論しながら練り上げていく、というOJT型の、実践を伴った学びでないと、知識や理論を自分のものには出来ないし、実力という形で身にもつかないのだ。
また、地域福祉の課題は、社協や包括の業務だからやる、という事業ベースでの関与に限界がある。確かに地域福祉に関わる人々の大半は、事業だから関与する。そのこと自体を否定しているのではない。だが、事業で関わる人であっても、地域住民に関わり、地域住民「と共に」地域課題の解決を模索する時、「私たちはどうしてあなたのやることに応援しなければならないの?」という素朴な疑問を住民からぶつけられる。その時、一般的には「住民さん達のために」という話が出てくるが、住民たちは「そんなの自分たちは必要ない」と拒否的になることもある。それを「住民が無理解だ」と切り捨てるのは簡単だが、実は支援者の側が、住民のほんまもんの思いや願い、ニーズに出会っていない場合も少なくない。また、住民との協働とは、言うは易く行うは難し、の典型例である。協働を模索する支援者自身が、その協働課題や実践を「自分事」と認識し、「私たちの共通課題」という思いを持たないと、事業はうまくいかず、2年やって別の担当者に引き継げば、「三歩進んで二歩下がる」という事態に矮小化される場合も少なくないのだ。
そこで、岡山の「『無理しない』地域づくりの学校」では、これらの壁を乗り越える仕組みと仕掛けを入れ込んだ。毎回の講座では、地域福祉の分野で「一皮むけた先駆者」の話を伺う。その中で、どうすれば地域課題を解決出来るのか、の方法論を学ぶ。その上で、受講生は毎回、自分の「マイプラン」の進捗状況を発表し、バタ校長や尾野教頭、その日のゲストを始め、多くの人々からコメントをもらう。そうやって、次回までに自分が明確にすべき課題を抱え、また地域の中に飛び込んでいく。つまり、OJTとスーパーバイズという、地域福祉で最も欠けている要素を、講座の中に取り入れたのである。
また、福祉の専門家にとって、「マイプラン」という概念自体が、もしかしたら革命的に響いていたかもしれない。なぜなら、これまでの福祉は「科学的」「客観的」であることを志向してきた。それは、医学モデルを真似た福祉が、標準化・規格化された知識の重要性を強調してきたからである。確かに病院医療においては、クリティカルパスに代表されるような、ある程度の標準化や規格化は可能だろう。でも、地域福祉には、実は標準化や規格化の発想は、百害あって一利なし、である。なぜなら、甲府と岡山では、社会資源も人間性も、地理的性格も人口構成も高齢化率も、全く異なる。それに標準的な地域福祉モデルなるものを当てはめたって、絶対地域は変わらない。だがこれまでは「○○モデル」が厚労省から紹介されるたびに、その先進地には視察がわんさか訪れ、その先進地の猿まね実践を企て、見事に玉砕する、という「屍」実践が山と積まれてきた。それらが失敗した最大の理由、そこには標準化された正解を真似すれば何とかなる、という他力本願を客観的なる表現でオブラートにくるんで誤魔化してきた歴史的経緯がある。
そこで、大切なのは、「わたし」という主体の存在である。この地域に関わる一人としての「わたし」は、この地域をどう見立てるのか? 地域課題をどのように捉えて、何から優先順位を付けて解決していくか。この部分には標準的な解答例、なるものはなく、実際には主観的な見立てやアプローチで取り組んでいく。ただ、チームで議論し、住民にも納得してもらう、という合意形成を計る中で、主観的な要素が客観化されていくのである。しかし、主観的な要素としての「わたし」が抜けた「事業」であれば、「何が何でもそれを実現しなければならない」という粘りや必死さが抜ける。すると、率直に申し上げて「事業だからとりあえずやってみる」というレベルに成り下がり、住民もそれに気付くから協力はしてくれない。そこで、年度末消化のように会議だけやって「やったふり」して、「結局住民は協力的でないのでうまくいきませんでした」と、「出来ない100の理由」を述べ立てるのである。
一方、先述のマイプランは、その真逆の戦略である。「わたし」の計画であるから、当然、そこに介在する私がどう動くか、が大切になる。その前に、マイプランには自己紹介や自分の人物像、自分がなぜそのマイプランをしたいのか、という動機や思いも書き込んで、その部分が毎回の講座の中で質問される。これは「事業」でやってきた「お仕事」にはない展開である。だが、繰り返しになるが、自分事でないと、人は必死にならない。「なぜこのプランを実現したいのか?」という問いは、仕事の問いであると同時に、それを仕事として私はなぜ取り組みたいのか、という自分自身の実存への問いである。そして、本気で地域を変えてきた実践者達は、仕事として地域福祉に取り組む一方で、その課題を「自分事」として捉え、どうしてもその課題の解決が必要不可欠だ、という熱意を持つ。これが、仕事に魂を込める原動力になる。そして、地域住民さんだって、魂を込めて地域づくりに取り組む人には、魂レベルで「ほうっておけない」のである。つまり、地域づくりにおいては、それに取り組む人の「わたくし」という「自分事」の介在が必要不可欠なのだ。それが、マイプランに迫力を与えるのである。
尾野さんは、この手法を、中山間地でコミュニティビジネスや起業をしたい人々への人材育成塾において開発してきた。起業、というと、地域福祉には縁がないように、一見聞こえる。だが、地域福祉の実践者を「社会起業家」と位置づけると、見える地平は一変する。社会起業とは何かについて、ボーンスタインとデイヴィスは次のように定義している。
「世界を変える仕事-社会企業とは、社会問題を解決するために新しい組織をつくり出したり、あるいは既存の組織を改革する仕事です。ここでいう社会問題とは、たとえば、貧困、病気、環境破壊、人権侵害、組織の腐敗などを指します。これらを解決して、多くの人々の暮らしをよりよいものにしようというものです。」(ボーンスタイン&デイヴィス『社会起業家になりたいと思ったら読む本』ダイヤモンド社、p166)
「社会問題を解決するために新しい組織をつくり出したり、あるいは既存の組織を改革する仕事」。これは、地域福祉で最も求められているプロセスである。生活困窮者へのサポートの仕組み、認知症の人の見守りネットワーク構築、困難事例や多問題家族への対応、重度の障害者でも病院や入所施設へ排除されない地域作り・・・など、今の日本社会で顕在化している「社会問題」は、既存の制度だけでは十分に解決出来る訳ではない。だからこそ、「新しい組織をつくり出したり、あるいは既存の組織を改革する仕事」が必要であり、コミュニティソーシャルワーカーと呼ばれる存在は、その担い手に成熟することが求められるのである。つまり、地域福祉を担う人材であるコミュニティソーシャルワーカーに求められるのは、社会起業家精神なのである。
そして、それを研修で身につけてもらうためには、起業家養成塾と同じように、社会問題に関する「マイプラン」を立ててもらい、そのプランを何度も練り直す中で、先駆的に解決するプランへと高めていく、岡山でやったような研修が必要不可欠とされているのである。そして、全国を見回しても、たぶん岡山で初めて、このような社会起業家精神を育てる実践的なコミュニティソーシャルワーカー養成研修が実現したのである。
それが冒頭に書いた、「こういう地道な人作りが、やがて地域を変える起爆剤になるだろう」と思えた理由である。そして、この一連のプロセスを岡山で試行的に実践して分かった事がもう一つある。それは、「単年度ではなく、少なくとも3~5年かけて息長く人材を養成し続けていかなければならない」ということである。
上記で述べたようなマイプラン作りとその添削は、非常に手間暇かけたものである。だから、受講生自体は5~10人程度でないと、きめ細かい支援は出来ない。その一方、こういう最先端の人材育成は、ノウハウも試行錯誤の中で蓄積するので、市町村レベルでは実現不可能だ。だからこそ、県社協がやる広域性と専門性がある。そして、県社協として地域を変えるコアな人材を「マイプラン」作りを通じて養成するためには、少なくとも1期ではなく、3~5期かけて、人材を養成し続けるプロセスが大切である。その中で、地域作りを本気で取り組む人材に層が生まれ、またその塾生達の学び合いや世代を超えたネットワーク形成が進む中で、岡山における地域福祉の担い手の質的転換が生じ始めるのだ。
これは、尾野さんが取り組む他の地域での「地域づくり塾」でも同様だ、という。例えば、マイプランの中から訪問看護ステーションが生まれてきた島根県雲南市の幸雲南塾も、5年目を迎える中で、多層的な人材のネットワーク化が進み、そこから新たな事業や展開、そのハブ機能となるNPO「おっちラボ」など芋づる式に生まれてきた、という。そう、最初のうちは、地域福祉の担い手の種をまき続け、ある時期からその人材達が仲間としてのネットワークを形成し、それが地域やシステムを動かし、変える原動力に育っていくのである。
これは、僕自身が博士論文で京都のPSW117人に聞き取り調査を行い発見した、地域福祉を変える5つのステップとも、全く共通している。つまり、こういう形をとらないと、ほんまもんの地域変革は進まないのだ。だからこそ、1期で終わらすことなく、3年から5年、種から芽が出て、発芽し、シナジーが生まれて現場が変わるまで、継続的な投資が必要不可欠なのである。
近年は福祉の領域でも企業の論理が跋扈して、四半期決算的な「成果」が求められる。だが、人材育成は四半期決算で成果をはかれるものではない。最低でも3~5年育て続けないと、その成果が具体的な形にならない。多くの一回こっきりの研修は、せっかくいい研修をしても、一度きりで終わってしまうので、事業の継続性がなく、投資した資金が無駄に終わってしまうことも少なくない。この岡山の事業も、その危険性がある。だからこそ、研修がどう効果的なのか、をちゃんと言語化する必要がある。それって、僕自身が地域福祉において考えるべき「マイプラン」の課題なのだ。
そんなタイミングだったので、今日は5388字も使って、岡山でのこの1年間の取り組みをざっくりと言語化してみた。さて、書いてみて、今後、このストーリーをどうブラッシュアップしていくか? まさに、自分事の課題である。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。