沖縄への植民者、という自覚

遅い正月休みを沖縄で過ごした。2年ぶりである。南国好きで、台湾や香港にも行くが、それ以上に沖縄には何度も通う。そして、いつものように旅先でゆっくり本の世界に浸るのも、僕にとっての休暇の楽しみの一つ。ただ、その本の世界が、自分の実存そのものにグイッと食い込む旅になろうとは、出かける前に想像できなかった。

きっかけは、行きの移動中に読んでいた新書のフレーズだった。
「もし、明日の新聞に、いきなり四国の独立運動グループが活動を開始したとか、『北海道の人のための北海道でなければならない』とかそのような記事が載ったとしたらびっくりするでしょう? でもそのときの衝撃は、そんな感じだったのですよ。人々は狼狽し、そして憂慮したのです。植民地の独立と地域ナショナリズム、これら二つの要素によって、ナショナリズムの新しい捉え方の重要性を、人々はあらためて認識するようになったのです。」(『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』光文社新書 p37)
英国内のスコットランドやスペインのバスク、カタルーニャ地方などが1970年代に声を上げた「地域ナショナリズム」運動の事を語るアンダーソンは、そのたとえで四国や北海道の独立を出していた。その時は引っかかりがなかったのだが、四国や北海道を「沖縄」に変えると、アンダーソンが2007年に指摘したことが、2016年の沖縄ではかなりアクチュアルな問いになっている、という自覚が、僕にはまだなかった。
そのことをまざまざと教えてくれたのが、「沖縄戦の図」を見に佐喜眞美術館を訪れた際に買い求めた、知念ウシさんの一冊だった。
「旅先とは、自分の地域とは別のところ、例えば外国である。さらに、この両地域の権力関係の種類によって、癒やしの旅は二つに分けられるだろう。対等なものと、不平等、すなわち植民地主義的なものである。後者では、己の責任から離れ休息を取る以外に、政治、経済、社会、文化的に強者の地域から弱者の地域にやってきて、優位に立てて優越感が持て精神的に楽しい、というのも重要な『魅力』である。
沖縄はおよそ百三十年前日本国に併合され、それ以来固有の文化が破壊され、日本化が進められている。また、現地でどんなに軍事基地に反対しようとも、本国の圧倒的多数の国民が沖縄に基地を置くことを認めているために、なかなか撤廃できない。それが経済、社会、文化、自然環境にもふかい影響を与えている。それなのに本国国民が責任を問われず、沖縄の主人公のようにもてなされる観光地化が進む。このような沖縄は植民地主義的な癒やしの旅の行く先として、代表的なものだろう。」(知念ウシ『ウシがゆく 植民地主義を探検し、私をさがす旅』沖縄タイムス社、p122)
彼女は、本当の事を、オブラードに包まずわかりやすい言葉で書く。以前朝日新聞の記事を読んだ時もそう感じたが、地元の新聞に連載し続けた彼女のエッセーを読みながら、最初のうちは深く頷き、興味深く読んでいた。だが、この部分を読んだあたりから、気持ち悪くなりはじめる。胃のむかつきや消化不良感がグワッと出てきて、苦しくなる。オモロイ本を読んでいるはずなのに、胃だけでなく頭の中も混乱し始める。それはなぜか。
そう、僕自身もまさに「植民地主義的な癒やしの旅」の真っ最中ではないか!
そんな問いというか気づきが、グサリと突き刺さったからである。本土資本の大型リゾートホテルに宿泊し、本土資本のレンタカーで沖縄を乗り回し、その上で「沖縄でお金を落としているのだから」なんて優越感に浸っている。しかも、無自覚に。そう思うと、彼女の言葉は、「あなたは日本人の一人として、一体どう思っているの? どう責任を取ろうとするの?」とグイグイ問われているような気がし始める。しかも、「主人公のようにもてなされる観光地」沖縄に、日本国内の75%もの在日米軍基地を押しつけておいて、である。
そう考え始めると、沖縄が好きです、なんて言いながら、癒やしと称しながら、対等ではなく権力関係で僕自身が何らかの搾取をしているのだろうか?とか、そういう問いが頭の中をグルグルし始め、胃も苦しくなり、混乱する。一体、このことをどう考えたらよいのだ、と。妻とも話をしたり、那覇の街中を歩いたりしながら、本屋で新たに買い求めたもう一冊の本を読んでいるうちに、その混乱が収まる。しかも、もっとドギツいフレーズに出会って。
「ポストコロニアリズム研究とは、第一に、植民者の問題化を不可欠とする学問的実践である。なぜなら、植民者の存在があってはじめて植民地主義は成立しているからだ。日本人に特化して述べれば、ポストコロニアリズム研究とは、日本人という植民者を一貫して問題化することを通して、植民地主義を実践しつづけている日本人の政治性を解明し、植民地主義を継続させる権力的メカニズムを批判的に分析することによって、日本人の植民地主義の終焉を構想する学問的実践である。つけ加えておけば、日本人がみずからの植民地主義を終焉させたとき、彼/彼女らが植民者でなくなるのはいうまでもない。その点、ポストコロニアリズム研究とは、日本人が植民者から脱却する方法についての思考でもある。」(野村浩也「植民者とは誰か」『植民者へ-ポストコロニアリズムという挑発』松籟社、p41)
「植民地主義を実践しつづけている日本人の政治性を解明し、植民地主義を継続させる権力的メカニズムを批判的に分析すること」
これって、僕が『枠組み外しの旅』で問い続けて来たことに通底しているのではないか。そう思うと、僕の中で一つの筋が見え始めた。日本人がどのような「植民地主義」を実践したり継続させたりしているのか。この問いは、日本人がどのような枠組みに囚われ、それを所与の前提にしているのか、の問いでもある。野村氏も喝破するように、植民地主義は、植民者をも囚われの身として、植民者に居着かせる論理構造を持っている。しかも、この植民地主義は、隠蔽されることによって、より持続可能なものになりやすい、という。
「植民地主義の隠蔽は、植民地主義の存続に大きく貢献する。なぜなら、隠蔽されればされるほど、植民地主義の存在を意識することが困難になるからだ。植民地主義の存在に気付かなければ、それを問題化することもありえない。そして、問題化されることがなければ、植民地主義は無傷のまま温存されることになる。(略) 植民地主義は、『現にあること』として存在するにもかかわらず、隠蔽されることによって、存在しないことになってしまう。その結果、植民者が自分の行為を植民地主義と認識する可能性はきわめて低くなる。」(同上、p38)
沖縄は法的に日本の領土であり、日本人と同じ権利を法的には所有している。だが、米軍基地の75%を沖縄に押しつけ、知事選を通じて県内移設をしないでほしいという民意を示しても、決して沖縄以外に移転することがない。これは僕が住んだ事のある山梨県や兵庫県、京都府では一度も経験したことのない、一県民への差別の常態化である。つまり、沖縄人から見れば、実質的な植民地主義の温存である。
そもそも琉球「処分」(=筆者はこれを琉球「征服」という)や日本語の強要、沖縄戦時には琉球語を使う人々をスパイとして日本軍が射殺していた事など、明らかに植民地政策である。これは、多くの研究者が述べているが、日本政府が韓国や台湾で行った植民地政策と共通している方法論である。また、沖縄が「本土復帰」を求めていた事実はあるが、彼らが求めていたのは、米軍占領下から本土復帰する事による、米軍の撤退である。だが、米軍占領下に日本本土から米軍が沖縄に移されることはあっても、日本復帰後に沖縄の米軍が日本本土に移されることは、決してない。地政学的重要性とか、「もっともらしい言い訳」をつけながら、日本は本土に米軍基地を置くことなく、沖縄に押しつけ、ぬくぬくと平和を享受している。これが、隠蔽された植民地主義であり、隠蔽されているので、植民者である日本人自体がこのことに無自覚である。これを、沖縄人は告発しているのである。
「敗戦後の日本人は、『平和憲法』と民主主義に守られながら、平和を唱え、核兵器廃絶を自由に叫んできた。一方、沖縄人は、日本国という『唯一の被爆国』を核の傘で守るための犠牲を強制されることとなった。(略) 他者を暴力的に犠牲にすることによって成り立つ平和とは、民主主義とは、自由とは、いったい何なのか。そんなものは、植民者的な偽善でしかない。」(p62)
このフレーズを読みながら、日本的システムの歪みとは、「隠蔽された植民地主義の歪み」ではないか、と思い始めている。不都合な部分を植民地的に、簡単に言えば金の力で何とか押さえつけ、民主主義的な合意形成を形式的には作った上で、押さえ込んで文句を言わさない。沖縄の米軍基地や福島の原発、に限らず、水俣病などの公害問題の隠蔽や、障害者の入所施設・精神病院への隔離収容など、この国が進めてきた社会的排除の構造の背後に、このような「植民者的な偽善」があった。それを、「でもそんなことを言ってもしょうがない」「どうせ今更何も出来ない」と「どうせ」「しゃあない」という呪文で抑圧してきたのである。
だが、その呪文というか、蓋は、開きつつある。
野村さんや知念さんが主張している「沖縄人に押しつけている米軍基地を日本人の手で日本に持ち帰らなければならない」(同上、p67)は、沖縄ナショナリズムの極端な発言に見えるが、その意見への賛同は拡がりつつある。
例えば『琉球独立宣言』を唱える松島さんは、こんな風にも述べている。
「沖縄戦、米軍統治時代、そして今日まで軍隊は住民を守らない、つまり抑止力ではないという事実を、琉球人は体験を通じて嫌というほど知っています。日本人の大部分は軍事基地の実態を知らないのか、または忘れているのです。『米軍=抑止力』という虚構の論理に従ったままなのです。(略) 2004年に普天間基地所属の軍用縁が沖縄国際大学に墜落したとき、『事件現場』で米軍のなかにはトランプに興じている軍人がいました。米軍はしばしば琉球人を殺害し、レイプしており、同じ人間として琉球人をリスペクトしていません。」(松島泰勝『琉球独立宣言』講談社文庫、p236)
また、野村さんや松島さんへのインタビュー記事も載せるだけでなく、琉球がそもそも一国として日本や中国から独立していたこと、それが「琉球処分」時に暴力的に奪われたことを解き明かし、その上でパラオやスコットランドなどの自主独立を勝ち取った・そうなりつつある国々を取材した地元紙琉球新報社が『沖縄の自己決定権-その歴史的根拠と近未来の展望』(高文研)という本を出している。この二つの本は、2015年に出ている。
つまり、沖縄の中では、明らかに日本の居丈高な植民地主義に我慢ならず、自己決定権を返してほしい、独立も視野に入れて考えるぞ、そもそも米軍基地を本土に引き取ってほしい、という主体的な意見が強まっているのである。
だからこそ、沖縄好きの僕自身には、問われているのだ。沖縄で植民者的に楽しむのではなく、沖縄と対等に付き合うにはどうすれば良いか? 個人としては、沖縄資本の宿やレンタカー、お店を選ぶ、という小さな実践も、もちろん大切だろう。でも、僕自身が実践というか、研究にコミットしている「魂の脱植民地化」研究の一環としては、日本人に根深く根ざす「植民地主義」についての自己研究が必要不可欠であり、その更なる言語化がもっと必要だ、と感じている。
「日本人が『日本人=植民者/沖縄人=被植民者』という二項対立を記述して徹底的に意識することは、それを解体するための不可欠のプロセスである。日本人がこの二項対立を意識することは、沖縄人に対する植民地主義を実践することによってそれを構築している自分自身を意識することである。そして、日本人自身が植民地主義をやめないかぎり、この二項対立の解体もありえないし、植民地主義が終わることもない。」(野村、同上、p46)
沖縄はこうすべき、とか、植民者がとやかく言うべきではない。そうではなくて、沖縄や福島に対して、「植民者」として振る舞う日本人の「二項対立」を、隠蔽することなく自覚化し、それを言語化することが、植民地主義の「解体」の前提にあるのである。自分自身で抑圧(隠蔽、忘却・・・)して「なかったこと」にしている、植民地主義的な心性を、そのものとして言語化し、それはアカン、ときちんと口に出して言い、では他にどうすれば良いか、を考える営みに漕ぎ出すこと。これは、知念さんの副題を借りれば、日本人が「植民地主義を探検し、私をさがす旅」に出ることである。
僕は「枠組み外しの旅」を書いた前後も沖縄に来ているが、日本人の「植民地主義」について、無自覚なまま、この本を書いた。だが、沖縄での植民地主義、植民者としての日本人という「二項対立」を自覚した後には、植民地主義という「枠組み」を外すプロセスを我が物にする必要がある。今回のブログも、そんな「二項対立を記述して徹底的に意識する」プロセスの入口として書いてみた。
ゆっくり休暇が出来た上に、研究上の大きなバトンまで(勝手に)託されてしまった。これから、このバトンを持って、走り始めたいと思う。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。