自分の「魔法」を取り戻す

寝屋川たすけあいの会の機関誌「つなぐ」に、ずっと1125字で連載させて頂いている。こないだ掲載された文章は、最近考えている「魔法」について。ブログでも、ご紹介させて頂こうとおもう。
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人は皆、自分独自の「魔法」を持っている。といっても、石を金に変えたり、人を呪い殺す力、ではない。他の人にはない魅力であり、その力を活かすことによって、自分や他人を幸せにすることが出来る「魔法」。みんなを笑わせる、場を和ませる、あの人にはなぜか悩みを打ち明けられる、突破力がある、黙っているけど包容力がある・・・これらは、みな「魔法」である。あなたは、どんな「魔法」を持っていますか?
この「魔法」をもっともうまく使いこなせる存在。それは、乳幼児である。赤ちゃんや小さな子どもがいるだけで場が和む。それは、その子ども達ひとりひとりが持つ「魔法」を、存分に発揮しているからである。まだ言葉を覚えたての頃の子どもが、ハッとするような一言を発する時、大人はそれを偶然のなせる技だと誤解する。だが、実は子どもは意識の制約をかけることなく、自らの持てる「魔法」を使って、場面を転換する言葉を発しているのだ。
そんな魅力的な「魔法」も、周りの顔色をうかがい、空気を読み始める年齢になると、急速に威力を失っていく。人と違っている部分は、馬鹿にされたり、「違うよ」と指摘されたり、時としていじめの対象になる。親や先生から「余計なお節介だ」と叱られ、「子どもは黙っていなさい」と抑圧される中で、「直感・直観で思ったことを口にしてはいけないのだ」と封印してしまうようになる。さらに成長すると、立場や肩書きばかりを気にする大人の振る舞いを真似して、心に生じた「魔法」を「幼稚な発想」と否定し、大人になること=世間に同調すること=立場主義者になること、を目指し、その人の魅力や活き活きさが失われていく・・・。
格差社会の拡大と共に蔓延する生きづらさ。確かに制度政策が改善すべき課題は多い。とはいえ、制度政策から遠い私たちひとりひとりが、この「魔法」の封印に気づき、それを取り戻すことで、生きづらさが減る部分もある、とも思っている。そのために、どうしたらよいのだろうか。
まずは、「おかしいことはおかしい」「変なことは変だ」と口にしてみること。空気を読んで、「どうせ」「仕方ない」という呪いの言葉を自分自身にかけるのは、「魔法」を抑圧するだけだ。
次に、ありのままの自分を認めること。「○○すべき」に囚われず、出来ない・不甲斐ない・自己嫌悪に感じる自分も、そのものとして認めること。これは、自分の持つ魅力=「魔法」を引き出す前提条件となる。
その上で、自分の持つ潜在的な力である「魔法」を信じて、その力を活かす機会を探ること。素の自分の持つ力を素直に受け入れ、再評価することが、大切になってくる。
福祉現場で求められているエンパワメント支援とは、そんなご本人が「魔法」を取り戻す支援なのかもしれない。(続)
寝屋川たすけあいの会機関誌「つなぐ」229号より
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「世間の目や評価」を気にして縮こまっていると、自分の「魔法」が消えてしまう。自分にリミッターを掛けているのは、そのような内面化された「世間の目」なのだと、思う。ここからどれだけ自由になれるのか。それは、創発が可能となり、創造力豊かに活き活きと生きるための、原点なのだと思う。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。