似ていたのはトーンだけでなく

いつのころからだろうか、講演の際、「ジャパネットたかたのような語り口で」と言われるようになっていた。確かに、たまーに自分の声を録音されたものを聞く、という「地獄」のような絶望的経験をすると、自分の自覚症状よりもかなり甲高い声のようだ。それが、高田社長のような絶叫に似ている、とのこと。妻曰く、「普段はトーンが低いけど、興に乗って来たり、勢いづいてくると声のトーンがそっくり」だそうな。ということは、講演時はおそらく「ジャパネットさん」なのだろう。

というわけで、勝手に親近感を持っていた高田社長の初の自著を読んでみた。テレビショッピングで鍛え上げられた話法は、自伝でも本領発揮。あっという間に読み終えるほど、おもろかった。そして、似ているのは声のトーンだけではなく、目指そうとすることや、視座が似ている、と僭越ながら感じ始めた。

「小さな町で、つても何もないのに、55万円の月商をたった1年で300万円なんて無理だと思われるでしょう。できない理由を探せばいくらでもあるんですよ。でも、私はできない理由ではなくて、できる理由を探そうと考えました。そして、やれることやできることを考えて、工事現場を回って集配ルートを作ることや、出張販売を企画しました。一生懸命にやっていると、できることが見えてきたんです。」(高田明『伝えることから始めよう』東洋経済新報社、p34)

「できない理由ではなくて、できる理由を探そうと考えました」

これこそ、55万円の月商だった会社を、年間1000億を超える売上高の巨大企業に成長させた極意である。そして、この極意は、僕自身が大切にしていること、そのものである。(もちろん、僕の売り上げは比較にもならないけれど)。

何か新しい挑戦をしようとした時、「できない理由」を探す人はいくらでもいる。前例踏襲主義、とは、「新しい事をできない理由を探す主義」である。前例を沢山知っている偏差値秀才や、経験だけが長けている人々は、この「できない理由」を探すのに必死になる。だが、そもそも前例踏襲主義で何とかならないから、新たな何かに挑戦するのである。それに対して「できない理由」を探す人は、簡単に言えば、何も変えたくないし、自分が責任を取りたくないのである。世の中につまらない会議が沢山あるのは、新たな何かに挑戦の際、したり顔で「できない100の理由」を述べ立てる人が多いからである。

しかし、高田社長は、2004年の顧客情報流出事件の際にも、前例踏襲主義には陥らなかった。全ての営業を自粛して、前例を改める「できる一つの方法論」を探ったからこそ、その後業績がスピード回復し、事件後2年で1000億円の売り上げを超えた。ここに見られるのは、彼の柔軟さや「自己更新」の精神である。ご本人もこんな風に語っている。

「私は、できないと決めているのは、その人自身だ、やろうとする前から、できないと決めつけていては何もできないと思っていました。」(p234-235)

人は、自分自身の固定観念の牢獄の中にいる。ということは、その牢獄の中でうめき続けるのも、そこから脱出するのも、自分次第。大切なのは、「できないという決めつけ」を「決めつけ」であると認め、そこから抜け出す勇気や覚悟を持てるかどうか、なのだ。また、こんな風にも語っている。

「ミッションは変えてはいけない。パッションも失ってはいけません。ただ、アクションは時代に即して、むしろ変わっていくべきだろうと思います。」(p249)

これは至言である。

アクションを変えるのが嫌な前例踏襲主義者こそ、気づけばパッションを放棄したり、ミッションを誤魔化したりしている。そのうちに、何のために、誰のために働いているのか、が不明確になり、方法論の自己目的化に陥る。だが、高田氏はずっと「企業は人を幸せにするためにある」というミッションを抱き、それを「伝える」パッションを失わないがゆえに、伝え方や見せ方というアクションを時代に即して不断に変えて来た。40年前に温泉旅館で記念写真を撮っていたのと、佐世保でDPEの同日渡しを始めたのと、六本木でスタジオを構えてテレビショッピングをしたのは、企業の規模や形態、売り方といったアクションは変われど、ミッションもパッションも変わらず一貫しているのである。これが、「ぶれなさ」なのだ。つまり、ぶれない、とは、アクションは柔軟に変えながらも、パッションやミッションが不動だからこそ、護られるのである。逆に言えば、アクションを固定した段階で、パッションやミッションは死に至る病に陥るのである。

「できる一つの方法論を模索する」「そのためには、パッションやミッションではなく、アクションを変える」

これは、どんな領域でも、新たな何かを成功させるための、必要不可欠な普遍的法則である。僕はこれを徹底できていないが、高田氏の本を読んで、頷くことしきり、だった。声のトーンは似ているが、まだこの普遍的法則を貫徹できていない。さて、次はどんな風に「アクションを変え」たらよいか? そんな「できる一つの方法論を模索する」エネルギーをもらえる、めちゃ良い本だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。