2017年の三題噺

今年も大晦日に三題噺を書くことが出来た。ただ、例年と違い、かなりの大急ぎで書き上げる必要がある。その理由が・・・

1,おちびとの世界を楽しむ

である。1月に子どもを授かってから、僕自身の生き方、考え方が大きく変容している。物理的で卑近な話から始めると、本当に自分のために使える時間が減った。結婚して15年、妻と仲良くやってきて、ある程度の家事分担をしている「つもり」だった。だが、ケアする対象者が一人増える、ということは、極端に言えば、これまでの時間の過ごし方の根本的変容が求められた一年でもあった。でも、それは義務でも嫌々でもない。文字通り「嬉しい悲鳴」と表現するのがぴったりの事態である。

おちびが産まれてからというもの、当然のことながら、我が家の中心はおちびの事が中心に回り始めた。産まれた直後、訳あってGCUという病棟に入っていた時期は、毎日病院と家の往復+わが子の発育のことが気になって、ヘロヘロになっていた。それまでの15年、様々な問題も夫婦だけで乗り越えてきたが、子どもが生まれた後は限界を感じ、子どもが退院するタイミングから1ヶ月ほど、僕の母に「助けて下さい!」とSOSを出した。幸い妻とも仲良くやるし、おばあちゃんとして初孫の最初の困難をしっかり支えて下さった。そして、僕は実の母にこんなに全力で支えてもらっていたのだ、と自分自身が父になって、強く感じた。

その後は、仕事の仕方も大きく変えた。今年は講演も結構断り、また引き受けた場合も、「出張は原則日帰りか1泊2日」というルールを満たすため、あちこちに無理をお願いした。それでも、妻が一人で子どもと向き合っている、いわゆる「ワンオペ育児」の時間は本当に大変そうだ、と僕も家事育児をシェアする中で痛感する。こればっかりは、いくら沢山本を読んでいても、自分がやってみないとわからないことである。お陰で、育児や保育、子育て政策もかなりアクチュアリティを持った関心事になってきた。去年までと違い、本を読む時間も5分の1以下に減って、積ん読が増えるばかりだが、でも子育て支援政策系の本を買いまくっている自分がいる。本当に研究する時間があるかは・・・だが。

ただ、短期決戦の為、幸か不幸か原稿を書くスピードと集中力だけは上がったような気がする。今日も、子どもがお風呂に入る時間前の短時間で仕上げなければならないので、逡巡している余裕はない。書斎のデスクトップに向き合う時間はめっきり減り、食卓のテーブルにノートパソコンを広げて、子どもをスリングに入れたり、子どもが寝ている隙に一気呵成に書き上げるスタイルが確立してしまった。今も大ぐずり大会の後、ねんねしたので、やっと今年の三題噺が書ける次第。

とはいえ、子どもから学びつつあるものは、数限りない。まずは、自分の中での「リベラリズム的価値観」を大きく問い直す一年だった。子どもがいる、ということは、仕事の効率や能率、生産性とは全く別の尺度の存在と共に過ごす、ということである。これまで、僕自身がある程度の仕事が出来てきたのは、そのような「ケアの倫理」から離れた立ち位置からであった。だが、生産性重視の視点とは全く異なる「ケア対象者」と時間を共にすると、それまでの自分がいかに狭隘な価値前提をもっていたか、に気付かされる。

本を読んだり原稿を書いたり講演をしたり、という「する」モードではなく、子どもと共に「いる」「ある」を大切にする、「ある」「いる」モードだからこそ、みえてくるものがある。子どもが生まれてからのこの1年、登山は封印し、合気道もほとんど練習にいけなかった。どちらの趣味も「する」ものだったが、それ以前に、子どもとじゃれあったり、ご飯を食べさせたり、寝静まるまで一緒にいる、という「ある」「いる」モードこそが、狭い意味での生産性はゼロかも知れないが、実に豊饒で何にも代えがたい時間である、ということを、42才になってやっとわかりはじめた。そんな素敵な時間を子どもから与えてもらえるとは、1年前の年の瀬には思いもよらなかった。

と、子ども話は尽きないので、そろそろ二つ目の話題に。

2,ダイアローグに目覚める

4月に未来語りのダイアローグの集中研修を京都で受けた。『オープンダイアローグ』の共著者でもあるトム・アーンキルさんと弟のボブさんの二人のファシリテーターから直接学べる機会。他の仕事は断りまくっていたのだが、どうしてもこの研修だけは受けたい、と、毎週京都まで通って、受ける事が出来た。(その詳細はブログに書いた)。

この研修を受けて8ヶ月。僕の中で、大きな内的な変化がある。それは「ダイアローグを生きる」ということを地で実践し始めたのである。

僕はどこかで、肩書きや立場など、ダイアローグ以前の形容詞にこだわっていた部分があったのかも、しれない。でも、未来語りダイアローグの場で学んだのは、そのような「形容詞」を取り除いて、いま・ここで、開かれた対話性の中で展開されるプロセスを、そのものとして味わうことの重要性。そして、そのような動的ダイナミズムをそのものとして受け止める事が出来れば、そこから思わぬ展開の形で場が開けていく、ということ。逆に言えば、そういう「想定外」の世界が怖くて、狭い意味での線形論的・因果論的呪縛に囚われて、ダイアローグの豊饒な可能性に「見切り」をつけてモノローグ的な世界へと貶めていたのが、当の自分だったかもしれない、と気づきはじめたのだ。

そのことに気付いてみると、普段の講義や研修、あるいはゼミや妻との対話においても、色んな意味で質的な変化が生じつつある。「いま・ここで生じることには、意味があるのだ」と思えると、一見すると「無意味」「的外れ」と思えるような発言やコメントに出くわしたときにも、「それが他ならぬこの場で出された事に、どんな意味や価値があるだろう」と関連づけるようになってきた。すると、これまでは対立や誤解が生じやすかった場面でも、そこから意外な対話や別の見立てが産まれはじめ、「想定外」の面白さが産まれてくるようになったのだ。

例えばゼミでの話。ここ数年、卒論指導における僕の悩みは、「僕の指導を無視して無断欠席や引きこもる学生をどう支えたら良いのか」という問いだった。自分と向き合う卒論は学生に取ってはハードルがかなり高いようで、毎年1,2名の学生が「書けません」と言ってきたり、それを言う勇気もなくてゼミに無断欠席をしたり、メールにも返信してこなかったり、という事が繰り返されていた。僕自身は、そういう学生への対処に困っていた。そして、どこかで「きちんと指導に従わない学生」というラベルを貼っていた。

だが、4月に学んだrelational worries(関係性の中での心配事)という視点で眺めると、ゼミ生のことで困っている僕自身の「心配事」にもフォーカスする必要もある。ゼミ生が「心配だ」と相手の責任にばかりしていられない。他ならぬ僕自身の指導の仕方やアプローチに問題があるからこそ、その学生は書けなかったり無断欠席するのだ。そう思えば、僕がその学生との関係性のダンスのあり方を変える必要がある。他人を変える前に自分が変わった方が早いというコミュニケーションパタンの変容が、他ならぬ僕自身に求められるのだ。それが、悪循環の高速度回転から抜け出すための手がかりでもある。

そう気づき始めて、ゼミ生との関係性がうまくいかない予兆が感じられたら、とにかく僕自身のパターンを変えるために、いろんな球を投げてみた。また、相手からのボールを受けて、僕自身も柔軟に受け方を変えてみることを意識的に行っていった。すると、今年は現時点で一人も取りこぼすことなく、卒論を順調に書いているのである。危うい局面は何人も何度もあったのだが、他人を変える前に、僕自身の「構え」を変えることで、場は大きく育っていった。

また、それは妻との関係性でも同じである。夫婦二人から、子ども中心の三人生活になり、夫婦からチームへ、と変容する途上で、互いの価値観の違いが最大化し、何度も衝突する場面があった。だがそれは、妻も僕も、子どもとの間での「心配事」が最大化する場面で、お互いがぶつかることが多かったのだ。それに気付いて、妻とぶつかりそうな場面では最近やっと、「このことについて、お互いはどんな心配事を抱えている?」と互いに尋ね合うようにしてみた。そして、その心配事を共有することが出来れば、相互不信も減り、納得出来る部分も増えて、コンフリクトは鎮まっていった。

そういう意味では、ダイアローグを単にスキルとして学んだのではなく、生き方の中で、日々模索するための叡智として受け取ったのだ、と気づき始めている。もちろん、まだまだ初心者マークではあるが。

3,「無理しない」ワークライフバランスへ

子どもをスリングに入れながら、必死にラップトップを叩いて出来上がった原稿が入っている編著が12月に刊行された。『「無理しない」地域づくりの学校-「私」からはじまるコミュニティーワーク』(ミネルヴァ書房)である。これは去年の三題噺にも書いた、岡山や京都での取り組みを書籍化したものである。

今年はこの本のタイトルにもある、「無理しない」に、少しずつ舵を切り始めた一年でもあった。この「無理しない」とは、物理的に無理しない、という意味ではない。「すべきだ・しなければならない」というshould, mustのモードではなく、「したい」というwould like toで生きる、ということである。

家事や育児は、確かに時間が取られるし、手荒れはするし、大変ではある。でも、わが子の笑顔を見ていれば、その大変さは一気に吹き飛ぶ。そういう意味では、「したい」である。同じように、仕事だって、できる限り「すべきだ」モードのことは減らしたり他の人にお願いし、僕自身が本当に「したい」ことに集中しないと、時間が圧倒的に足りない。そういう部分で、他人の思惑に絡め取られたり忖度して、「すべきだ」で生きていても、全く面白くないし、気も乗らない。それは、僕自身の活き活きとした魂を毀損することでもある。

そう思うようになると、なるべく「無理しない」をベースに仕事や家事、育児も含めたワークライフバランス全体を再設計する時期に当たっているのだと思う。ちょうど今年は42才の後厄の一年だったが、この後厄というのは、今にして思うと、これから10年20年を、より「無理しない」で、自分自身の、そして大切な家族や仲間との間での、「したいこと」に集中するための、シフトチェンジの時期ではないか、と思い始めている。

30代までは、誰かに何かを認めてもらうための、「僕が僕が」という強烈な自己主張の時期であった。見苦しいとバカにもされてきたが、当の本人は生き残る為に必死でもあった。でも、40代になり、そんなに自己主張しなくても、色んな物事がくっついてくるようになった。逆に力を抜けば抜くほど、いろいろなことがつながってきたり、会いたい人に会えたり、出会いたい場面に出会えるようになってきた。無駄な力みや強ばりが取れるほど、技が決まる、という合気道の精神が、やっと少しずつ、仕事や生き方の場面でも、つながってきたのかもしれない。

そういう意味では、今年は合気道の稽古自体にはほとんど行けなかったけれど、普段の生活の中で、力を抜く、無理しない、緊張しない稽古をし続けてきたのかも、しれない。

お陰でおちびは順調に育ち、そろそろ合気道の練習にも行けそうなタイミングとなってきた。合気道も家事育児も仕事も、どれも「無理しない」で、持続可能な形で、しかも「すべき・ねばならない」ではなく、「したい」で続けて行く。そんな2018年になれたら、もっと楽しいな、と感じている。

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今年は子育てメインでブログの更新が月1ペースでしたが、お読み頂きありがとうございました。

皆さん、よいお年をお迎えください。

たけばたひろし

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。