島成郎とバザーリアの「重なり」

島成郎の名前は知っていたが、彼は僕が大学院生の頃(2000年)に亡くなられたので、どんな人かよくわからなかった。でも彼の沖縄精神医療の著作はなぜか2冊とも持っていたし、学生運動の闘士、だとも、ぼんやり知っていた。今回、この評伝を読んで、やっと彼の全体像が見えてきた。
彼と学生運動の関わりに関しては、ご自身の総括本もあるし、学生運動関連の本でも何度も出てくる。だが、精神医療との関わりについては、情報があまりない。そこで、丹念に彼に関わった人へのインタビューを積み重ね、島がどのように精神医療を捉え、何を実践しようとしたのか、をつぶさに拾い上げたところに、この本の価値がある。
左翼の活動家リーダーから精神医療の実践者に変わった。この部分では、現象学的精神医学研究者から、精神病院の院長して精神病院を潰そうとしたフランコ・バザーリアに重なるところがある。バザーリアも、イタリア共産党よりも極左だったという。島も、共産党から除名されていた。二人とも、第一の人生(活動家リーダー、研究者)で着目されるも、その世界からはドロップアウトして、「在野に下る」中で、精神医療の現場を変えていく第二の人生に後半戦を捧げ、そこでは多くの事を積み上げて行く。そういう共通点がある。
で、この本を読みながら感じたのは、島もバザーリアも、党利党略ではなく、自分の中の軸をしっかり持ち、その軸に基づいた生き方をしてきた、ということ。イデオロギーとしての政治、というより、人間を見据えようとしていた。
学生運動の後に、医師や学者、政治家、ジャーナリスト、企業人に転身して「成功」した人々の中には、組織の論理に順応し、そこで勝ち上がる事に人生を賭けてきた人も少なくない。国家権力と闘ってきた「はず」なのに、その後の人生ではガッツリ権力闘争で勝ち上がった人々。そういう姿を、以前は「変容」「転向」だと思っていたが、その人の中での内在的論理を考えるならば、結局そういう層の人にとっての学生運動は、受験勉強の延長線で、組織内で勝ち上がる、という意味では共通していたのかも、と、内情を知らない後人の僕は訝しくなる。
一方で、島は組織におもねろうとしない。沖縄で地元の医療関係者や政治家から批判的な視線を浴びつつも、私宅監置の状態にある利用者の家に訪問し、中に入って、その監置状態を解放しようとした。組織で成り上がることより、利用者との出会いや相互作用を大切にした。その相互作用の魅力に惹かれ、彼の周りにの多くの支援者や家族が、彼と共に、地域精神医療のムーブメントを起こしていった。このあたりも、バザーリアと同じで、「既得権益」層から徹底的に嫌われるが、現場の中で賛同者を増やし、草の根から変えていった点とも重なる。島の晩年の講演録を引用した部分に印象深い記述がある。
「精神病院が閉鎖的だというのは、鍵をかけて患者さんを閉鎖的にしているだけではなくて、そこで働いている人間が非常に閉鎖的になっているということなのです。(中略)職員自身が自閉的になって閉鎖的になってしまう。心を閉じてしまう。外のことがわからなくなります。そうなると地域との交流もなくなって、地域との交流がなくなれば患者さんとの交流もなくなる」(p299)
この記述を読みながら、バザーリアの評伝の次の一節を思い出していた。
「患者が病院に収容されているとき、医師には自由が与えられています。ということは、収容された人が自由になれば、その人は医師と対等になるのです。しかし、医師は患者との対等な立場を受け入れようとはしません。だからこそ、患者は閉じ込められたままなのです。つまり医師こそが彼らをそうさせているのです」(『精神病院のない社会を目指して バザーリア伝』 p41)
閉鎖空間で「自閉的」「閉鎖的」なのは、患者だけではない。職員自身も「閉鎖的」で「心を閉じてしまう」。「地域との交流がなくなれば」「外のこともわからなくなる」だけでなく、「患者さんとの交流もなくなる」。これって、交流を遮断しているのは、患者ではなく、医療者の側なのだ。医師が患者と対等になるのが怖いから、患者は閉じ込められたままなのだ。そして、医師はますます「閉鎖的」「自閉的」になっていく。(その極端な例の人が書いている自閉的な独白のサンプルはこちら)
そして、島もバザーリアも、この「対等」な関係性を大切にしようとした。だからこそ、私宅監置の部屋に訪問したり、閉鎖病棟の鍵を開けていった。つまり、自分自身が「精神病状態」とラベルを貼られた「人間」と対等に向き合う中で、島やバザーリアの側が、つまりは医療者の側が、自らの鎧となっていた専門性のヒエラルキーの呪縛から自由になり、心を開いていったのではないか。そう読み解くことが出来る。

社会問題に関して、評論家的に批判する事は容易い。でも、現場に入り込んで、多くの人の賛同を得ながら、実態を変えていくことは、決して容易くない。それを、誠実に取り組んで来た人なのだなぁ、と学び多く読ませてもらった。

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追記的に書くが、この本の後書きを読みながら、障害者領域で多くのルポを書き続けて来た著者、佐藤幹夫氏のスタンスがわかった。自らのご家族が入所施設に暮らした経験を持つ障害者家族として、施設批判の論理に身を切られる思いをしつつ、その気持ちを脇に置きながら、しっかりと評伝をまとめ上げられたことにも、敬意を表したい。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。