コンフォートゾーンを越える

ひさしぶりに「ワイドビューふじかわ号」でブログを書いている。

山梨を後にして5ヶ月で、久々に仕事で呼んでもらい、【8日】県児童家庭課の地域コーディネーター養成研修→南アルプス市の地域福祉計画庁内ミーティング→飲み会→【9日】元ゼミ生とのダイアローグ→「半年振り返り会」、と、てんこ盛り。8日の12時過ぎのスーパーあずさで甲府について、9日の12時40分南甲府駅発のワイドビューで帰るので、超濃厚な24時間だった。そして、往復は行きも帰りも5時間の列車旅。

この濃厚な24時間を振り返ると、「コンフォートゾーンを越える」がテーマだった。

コンフォートゾーン。それは、安心で快適な領域、のことである。自分が慣れ親しんだやり方を手放す、という意味合いでも使われる。僕の中では、「若い仲間から学ぶ直す/と学びほぐす」というのが、それにあたる。

この24時間で一番時間を共にしたのが、NPO bond placeの小笠原祐司さん。彼はファシリテーションや場づくり、組織変革を専門にしているだけでなく、僕のYGUでのゼミ生を引き継いでくれた、尊敬できる仲間である。彼とは月に1度、Zoomでの定期ミーティングをしていて、その中で「僕は他人や組織の話を聴いたり、ファシリテーションをする機会は圧倒的に多くても、僕自身の話を聴かれることがない」とつぶやいたところ、「では今度タケバタさんが山梨に来た折に、振り返り会をしましょう」と提案してくれた。この振り返り会の中で、他の2人の参加者と4人で、お互いの半年をじっくり聞き合う2時間半を過ごす中で、小笠原さんに言われたのが「タケバタさんって、コンフォートゾーンを越えようとされているんっすね」。それを聴いて、いま・ここがまさにそう!と思っていた。

僕は昔から、熟達者に弟子入りして学ぶ、という構えが得意だった。中学時代の塾の塾長にはじまり、予備校の先生や、大学の先生、そして大熊一夫師匠への弟子入りと四半世紀くらい、熟達者の近くで学ばせて頂く、という構えを続けて来た。小さい頃から「大人の会話に入りたがるおませな”ひろっちゃん”」にとっては、そのガキの頃からの願いが実現していったプロセスでもあった。

だが、大学教員として独り立ちするなかで、先達から学ぶチャンスも徐々に減っていく。その中で、気がつけば僕が熟達者に近づいていく、というより、年若い仲間と学び合う機会が少しずつ、増えていった。その象徴が、岡山の『「無理しない」地域づくりの学校』。あの場の校長を仰せつかり、教頭の尾野寛明さんも、用務員の西村洋己さんはじめ、学校メンバーとガッツリ付き合う中で、指導する学生ではない、年若い仲間が沢山増えていった。これは、僕にとって新しい経験や発見であり、その中で学ばせてもらったり、オモロイ経験をさせてもらうことも少なからずあった。

昨日から今日にかけて、三つの場で小笠原さんのファシリテーションを間近で体験する機会があったが、それを見ていても、「こんな風に聴くんだ」「こんな展開を考えるんだ」「こういう流れを作っていくんだ」という発見や学びが多かった。企業のコンサルテーションがバックグラウンドの彼と、福祉現場に関わる僕とは、一見すると別のアプローチをしているようにも見えるが、富士吉田側から登るのか、御殿場から登るのか、の違いで、目指す富士山という到達目標は同じ、と感じる事が沢山あり、だからこそ、彼とのやりとりから学ばせてもらうことが沢山ある。

そして、南アルプス市の現場では、小笠原さんだけでなく、山梨県立大学の高木さんともご一緒した。彼は愛媛や神奈川、山梨の地域福祉の現場でコツコツ誠実に関わっている逸材だが、地域福祉のコア概念を押さえた上で、ボトムアップ型の政策形成を提案出来る彼の視点やコメントは、僕には言えない・見えていなかった視点であり、それを聴いている僕もすごく学びや刺激が大きかった。南アルプス市では第3次地域福祉計画の策定アドバイザーとして僕は関わらせてもらったが、僕がやり残した・一人では出来ない何かが沢山ある、と自らの限界を感じ、兵庫に移籍する以前から、高木さんと小笠原さんとチームを組んで動きたいと思い続けてきた。なので、こういう感じで二人とコラボできるのが、めちゃ嬉しい。

そして、これって、熟達者に弟子入りする、というこれまでの慣れ親しんだモードから、ようやく脱しつつあるのかな、と今日思い直していた。新たなチャレンジなのだが、不安よりも、ワクワクの方が先行している。

先達から教わる、とか、学生に教える、ではなく、同世代や下の世代の仲間と、共に考えあい、学び合う。その中で、僕自身が学んで来たことを解き放ち(un-learn)、新しい考え方を学び直すような関係性が、気がつけばあちこちで出来はじめている。これが、僕自身の中での「開かれた対話性」と重なったとき、オモロイ相互作用が始まるのかもしれない、とも思い始めている。

それと共に、慣れ親しんだ山梨を離れてみて、今回の山梨からの旅立ちも、コンフォートゾーンを越えるチャレンジになっている、と遡及的に思い始めている。

山梨では、居心地の良い学科・同僚に恵まれ、ゼミ生とも良い関係が結べ、授業もうまく展開して行き、市町村や様々な福祉現場の人とも信頼関係が生まれ、最後の数年は実にスムーズに事が運んでいた。それは不安や不快な何かが減っていく、コンフォートゾーンに入ったことでもあった。だが、子どもが生まれ、孫に会いたいと願う父への親孝行のつもりで山梨を去る決断をしたのは、結果的にこのコンフォートゾーンを手放したことでもあった。肩書きも教授から准教授に変わり、給与も下がった。でも、僕の中でもう一度、「出来上がった何か」ではなく、一から学び直す、チャレンジャーの立ち位置に戻った感覚を持っている。まだ、色々な事に慣れていないし、100人越えの授業でアクティブラーニングに取り組むなど、今までとは違う新たなチャレンジにも取り組んでいる。それらは、結果的に先ほど書いた学びほぐしや学び直しと直結している。これは、今回の「振り返り会」に参加して、新たに気づけたことでもあった。

そして、それはこの1年間の子育てや家族関係にも直結している。

妻と結婚して16年目。子どもが産まれるまでの14年間に、お互いがしたいことを追求しながら、二人で旅行にもあちこちでかけたり、一緒に飲みながら語り合うなど、コンフォートゾーンを二人で創り上げてきた。そして、子どもが産まれたあと、まさに移行期混乱というか、周りに関係なくありのままに泣き、笑い、ぐずがり、眠る娘さんに翻弄され続けてきた。安定した二者関係から、必死で生き延びる三者関係に移行したことにより、お互いが随分シンドイ思いもしてきた。だが一方で、子どもと妻と三人で過ごすありふれた日常が、実に愛おしく、かけがえのない何かであると感じる瞬間も、確実に増えている。二者関係のコンフォートゾーンはなくなったけど、今度は三人での新たなコンフォートゾーン作りを、やんちゃな娘に翻弄されながらも、作ろうとしているのかもしれない、とも思う。

そんな意味でも、僕自身が「いま・ここ」の立ち位置を改めて振り返り、これからの歩みに思いを寄せる、濃厚な24時間であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。