出来る一つの方法論

BBCがトリエステの今を4分の映像で分かりやすく紹介している。イタリアや日本で何度もお話しを伺った、トリエステの精神保健局長、ロベルト・メッツィーナさんのお元気な様子も久しぶりに見ることが出来た。

Mental health: ‘The best place to get sick’
Ideas from a mental health ‘revolution’ in Trieste in the 1970s are helping patients recover today.

僕自身はイタリアで沢山の事を学んだし、その一部は拙著『当たり前をひっくり返す』にも紹介したけど、たまに「イタリアイタリアって、海外の事ばかり言う人は大嫌い」「トリエステにも良くない部分がある」「日本にだって良い実践はある」という業界関係者と出会う。この映像を見ながら、そのことを考えていた。

僕は、トリエステ礼賛をしたいのではない。ただ、「誰も白衣や制服を着ていない」「精神病棟の中では人権が抑制される」「隔離拘束を前提としない、自由で対等な市民としての治療が必要不可欠だ」って、ごく当たり前のはずなのに、今の日本では実現できていない。そう言うと、反論されるのは「出来(て)ない100の理由」なのだ。

でも、フランコ・バザーリアに限らず、トリエステでも日本でも、「出来る一つの方法論」を模索している人びとがいる。「イタリアでは」、と権威を笠に着て僕が偉そうにしたいのではない。そうではなくて、別の場所で出来ている「より良いこと」を日本でも可能にするためにエネルギーを注いだ方が、創造的であり、やりがいもあるのではないか、と思うのだ。

こういうことを言うと、最近では「お花畑」と言われる。出来もしない理想論であり、現実的でない、と。でも、眼の前の現実だけをみて、全体構造の変化を諦めて現象だけを変化させようとするのは、近視眼的でもある。現時点では「お花畑」のようにも思える「全体構造のパラダイムシフト」をイメージしながら、眼の前の現象をそのパラダイムシフトに結びつける「結び目」(ティッピングポイント)を探る複眼思考を持てたら、現象のとらえ方・働きかけ方はだいぶ違ってくる。そして、その複眼思考をするために、トリエステの実践とか、オープンダイアローグとか、違う現実を一方で見据えた上で、この日本の現実を捉え直す必要がある、とも感じている。

この映像をみながら、トリエステに二度訪問した時のことや、メッツィーナさんに東京で教わったことなどを、思い返していた。そして改めて、「出来る一つの方法論」の模索が大切だと思っている。僕にとっては、その手段の一つとして、未来語りのダイアローグ(Anticipation Dialogue: AD)のファシリテーターとしての実践もあるのだろうな、とか、色々なことを感じた。

相変わらず、同じ事を書き続けているけど、大切だと思ったので、改めて書いておく。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。