関係性の変容は可能か

季刊福祉労働165号に、実に考えさせられる二本の論文が掲載されている。

一つ目が、フランコ・バザーリアの「健康と労働」についてのブラジル講演と質疑応答。岩波からでている「バザーリア講演録」に含まれなかった部分で、僕がぜひとも読みたかった部分でもある。その中で、印象的なフレーズをいくつかご紹介する。

「私の理解では、ブラジルでは精神病が大きなビジネスになっています。狂人たちを食い物にして生計を立てているプライベートの診療所があります。狂人が多ければ多いほど儲かるようになっているのです。これはとくに労働者を破壊する道です。これでは労働者は、自分の不自由さや苦悩を自覚することができませんし、こうした苦悩と闘うことができません。こうなると狂気で金儲けする商人たちのおかげで、精神病者は減るどころか増えてゆきます。そして、こうした悪事に荷担する専門技術者たちは、当然のことですが労働者階級が必要としている同盟者などではありません。」(p149)

これは、ブラジルを日本と入れ替えても、全く同じ事が言える。9割の入院病床が「プライベート」であるがゆえに、世界一、入院している患者の比率が高いのが日本である。まさに「狂人が多ければ多いほど儲かるようになっている」のである。

ただ、バザーリアは現状を告発して終わり、とはしない。かれは、精神症状として表出化しているものを、単なる病気ではなく「自分の不自由さや苦悩」の最大化した姿である、と捉える。不眠や幻覚妄想状態に陥った背後には、家族や親しい友人・同僚との関係が行き詰まることや、人生に絶望し先の見通しが立たなくなるなどの、「自分の不自由さや苦悩」の最大化がある。本来の快復=リカバリーのためには、「こうした苦悩と闘うこと」が必要不可欠なのである。しかしながら、その「苦悩」を理解し寄り添うことをせずに、「狂気で金儲けする商人」の「病気だから入院しましょう、薬を飲みましょう」という喧伝が支配的になると、「精神病者は減るどころか増えてゆ」くのである。では、医者はどうすればよいのか。バザーリアは、反精神医学ではないので、精神病を否定していないし、薬物投与も認めている。しかし、こう主張する。

「医師は単なる専門技術者でもエキスパートでもありません。薬を処方するのは医師の仕事ですが、患者と別の関係性を築くことによって、患者の暮らしに意味を与えることが医師には出来るのです。したがって、私たちの仕事には、根本的に政治的な意義が含まれています。専門技術と政治といった分業体制を越えたところに、医師の仕事はあるのです。」(p146−147)

「患者と別の関係性を築くことによって、患者の暮らしに意味を与えること」

すごく大切なことだが、3時間待って3分診療、という仕組みでは、そもそもこういう「別の関係性を築くこと」ができない。よって、薬物投与中心になり、「患者の暮らしに意味を与えること」が出来ない。これは結果的に「専門技術と政治といった分業体制」を消極的であれ肯定することであり、「狂人が多ければ多いほど儲かるようになっている」「労働者を破壊する道」を消極的にであれ政治的に選択している、ということなのである。

そんな構造的なことを、一専門職が変えられる訳がない、と思い込んでいる人もいるだろう。バザーリアは、そういう人に向け、次のように呼びかける。

「社会構造が変わらないのだとしたら、施設で働く一人として、あなた自身が変わるべきです。あなたの仕事や実践を変えてゆき、患者の自覚を促し、あなたの批判的な手立てを発展させながら、あなた自身が変わってゆくのです(私たちは他人を批判することには長けているのに、自己批判はあまり得意ではありませんが)。」(p151)

「社会構造が変わらない」と「他人を批判する」前に、「施設で働く一人として、あなた自身が変わるべきです。」 至極シンプルで、まっとうなメッセージである。彼は、新自由主義的な自己責任の文脈でそう言っているのではない。「自分の不自由さや苦悩」の最大化した人と向き合う際、単に病院に閉じ込めたり、縛ったり、薬漬けにするのではなく、それ以外の「患者と別の関係性を築くことによって」、つまりこれまでの「あなたの仕事や実践を変えてゆ」くことによって、「患者の暮らしに意味を与えること」が初めて可能になる、と40年前の1979年6月に発言しているのである。

晩年のバザーリアは、別の可能性を明確に主張する、現実も見据えた理想家だった。だからこそ、こういう発言をしている。

「私たちはいかなる革命も望んではいません。望んでいるのは、私たちを取り巻く関係性を根本から変えることなのです。」(p147)

彼は、「関係性を根本から変える」ために、1961年に大学医局を追い出されてゴリツィアの精神病院長になってから、20年かけて、彼自身の「仕事や実践を変えてゆき、患者の自覚を促し、あなたの批判的な手立てを発展させながら、あなた自身が変わってゆくのです」というプロセスを歩み始める。縛る・閉じ込める・薬漬けにする、の論理を否定し、白衣を脱ぎ、最も重度と言われた患者を地域に退院させ、トリエステに移った後に精神病院自体を閉鎖するなど、彼「自身が変わってゆく」ことで、「私たちを取り巻く関係性を根本から変えること」を可能にしたのだ。それが、精神病院なしで成り立つイタリア社会の「革命」を作り上げる原動力になった。しかも、彼は革命を志向するのではなく、「社会構造が変わらないのだとしたら、施設で働く一人として、あなた自身が変わるべきです」というのを愚直に積み重ねていったのである。これが、彼自身の「当たり前をひっくり返す」実践であり、「他人を変える前に、自分が変わる」ことによって、結果的に彼と周囲の関係性、彼が関与する社会の関係性の変革も成し遂げる成果を導き出していったのである。

では、そういうことが、日本では出来ているのか。

それを振り返った際に、この雑誌の別の論考が、深く胸に突き刺さる。大阪府立大学の三田優子さんによる「津久井やまゆり園入所者への『意思決定支援』 何のため? 誰のため?」という論考である。

「私は以前、ある精神障害者に『大学では共感・傾聴などという言葉を使って専門職を育て、感情的になってはいけない、支援対象者の感情に巻き込まれるなと教えているのでは? 感情的な専門職は嫌だけど、感情が働かない、鈍感な人に何かをしてもらいたいとは思わない。形式的にうなずいて共感を示すような演技は不要で、ただ私の苦しみに心を動かし、『大変だったね』とひと言でも言ってくれる専門職に会いたい。言葉がなくても、私のために泣いてくれるだけでは救われるということを学生に伝えてほしい』と言われた経験がある。頭を殴られたような衝撃を受け、同時に『私もそんな人に会いたいのだ』と思った。」(p22-23)

「感情的な専門職は嫌だけど、感情が働かない、鈍感な人に何かをしてもらいたいとは思わない」「ただ私の苦しみに心を動かし、『大変だったね』とひと言でも言ってくれる専門職に会いたい」というのは、確かにその通りである。ではなぜ、三田さんはこの言葉を聞いて、「頭を殴られたような衝撃を受け」たのだろうか。

それは、『私もそんな人に会いたいのだ』と三田さんに言わしめるほど、「そんな人」が少ないからでは、ないだろうか。「共感・傾聴」は出来て、「感情的になっては」いない専門職は少なくないのだろう。だが、「形式的にうなずいて共感を示すような演技」で終わっている人が少なくないのではないか。そして、それを発言した精神障害者が見抜いて、三田さんに伝えたからこそ、彼女は「頭を殴られたような衝撃を受け」たのではないだろうか。

つまり、三田さんに語りかけた精神障害者が求めているのも、バザーリアが求める「私たちを取り巻く関係性を根本から変えること」そのもの、ではないだろうか。では、「感情を働かせる」「私の苦しみに心を動かす」、そんな専門職とはどのような存在だろうか。

三田さんは、重症心身障害者の地域生活支援の拠点「青葉園」の創設者でもある清水明彦さんにインタビューしたゼミ生の卒論を用いながら、こんな風に整理している。

「支援者の心の中を特に見る重度障害者と『一緒にいる』というのは、物理的に同じ空間にいるだけでなく、相手を主体として認めながら、心の対話を重ねてきたということだ。また、一方的に障害者側だけの意思を確認するのではなく、支援者・障害者お互いの意思確認と交流、感情の蓄積があったと語っている。障害の軽いという呼ばれ方をされる人たちもこのような体験をしているだろうか。私自身も、こんな風に認めてもらえたらどんなに嬉しいだろう、としみじみ思う。」(p25)

「感情を働かせる」「私の苦しみに心を動かす」支援者とは、「一方的に障害者側だけの意思を確認するのではなく、支援者・障害者お互いの意思確認と交流、感情の蓄積」を行う支援者だと三田さんは言う。「支援対象者の感情に巻き込まれ」ないように必死になる状態から、「あなたの仕事や実践を変えてゆき、患者の自覚を促し、あなたの批判的な手立てを発展させながら、あなた自身が変わってゆくのです」というプロセスに漕ぎ出すことができるか、が問われている。

支援対象者を変える前に、支援者自身の「仕事や実践を変えてゆ」くことによって、支援対象者「と別の関係性を築くことによって」、支援対象者の「暮らしに意味を与えること」が、支援者にも可能になる。そして、それが現に出来ていないからこそ、「頭を殴られたような衝撃を受け、同時に『私もそんな人に会いたいのだ』と思」わせるような実態が発生している。

そんなグサリと刺さる二つの論考だった。

そして、だからこそ、僕は自分が変わり、自分と周囲との関係性の変容を模索するために、未来語りのダイアローグのファシリテーターとして、授業や研修などでも、自分を取り巻く関係性のあり方を変えようとしているのだ、と改めて再確認していた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。