言葉による問いかけ

昨晩、以前斜め読みしていた国谷祐子さんの『キャスターという仕事』(岩波新書)を読み返していた。そこで、キャスターの役割として、「視聴者と取材者の橋渡し役」 (p68)と書かれていた。それを読みながら、僕が今、授業でしていることも、「学生と理論や実践との橋渡し役」としては、似ていることをしているな、と感じた。その上で、希望は別の形で叶うのだな、とも思って、にんまりしていた。

僕には賞というものとこれまで殆どご縁がなくて、生まれて初めて書いた査読論文で学会賞を頂いたのと、小学校6年生の時に京都市小学校放送コンクールで優勝したことしかない。で、今日のお話は後者の方である。実は僕にとってキャスターは憧れの存在だった。

小学校の頃からニュースステーションを見ていたし、久米宏の洒脱なスタイルと、それでいて政治や社会に切り込んでいく番組スタイルに格好いいなぁ、と思っていた。僕はテレビっ子だけどしぶいガキでもあって、報道特集とかNHK特集とかも色々見ていたので、キャスターへの憧れを強くしていた。で、件の放送コンクールでは、他の学校の放送部の子たちが滑舌よくしゃべっているのをモニタ越しに眺めて、普通にやったら勝ち目がない、と思っていた。そのコンクールでは、確か植村直己の南極物語か何かの写真集を紹介するのがテーマで、写真集もそこにあるのに、誰も使っていない。ならば、僕は変化球で行くしかない、とばかりに、僕の番が回ってきたら、写真集をめくりながらアドリブを勝手に加えて、その本を紹介してみた。久米宏ならこんな風にしていそう、と。その後、他の学校の子たちも僕のスタイルを真似たが、こういうのは一番最初にやったもん勝ち。というわけでは、正攻法ではない形で、受賞が決まった。

その後、キャスターは顔がシュッとしていないので無理だと諦め、新聞記者に憧れたが、高校生の時に別冊宝島のザ・新聞記者、とかいうタイトルの暴露本を読んで、新聞記者にもなれないかなぁ、と諦めかけていたのだが、大学院に大熊一夫氏が着任することを知り、ジャーナリストの弟子になることに決め、以来四半世紀近く、気づけば福祉領域におけるジャーナリストと研究者の間のようなスタンスで仕事をしている。

で、国谷さんの本に戻ると、テレビ報道の危うさを次の三点としてまとめている。

①「事実の豊かさを、そぎ落としてしまう」という危うさ
②「視聴者に感情の共有化、一体化を促してしまう」という危うさ
③「視聴者の情緒や人々の風向きに、テレビの側が寄り添ってしまう」という危うさ(p12)

実はこれは大学の授業の危うさとも重なることがあると思いながら読んでいた。オンライン講義を始めて、改めて授業が90分番組であると深く意識しながら、毎回毎回の授業を仕込み直している。その中で、何かをテーマにするということは、「事実の豊かさを、そぎ落としてしまう」という危うさがあると感じている。また、わかりやすい授業内容にすると、「感情の共有化、一体化」の危険性があるし、さらに言えば教員のディレクションによっては「人々の風向き」を作り出してしまう危険性もある。その危険性を熟知して、②について体験型授業の形で危険性を伝えておられるのが、こないだブログで紹介した田野さんのファシズムの体験授業だとも感じた。

③に関して、井上ひさしが「風向きの法則」と呼んでいたものを国谷さんは紹介する。

「風向きがメディアによって広められているうちに、その風が大きくなり、誰も逆らえないほど強くなると、『みんながそう言っている』ということになってしまう。『風向きの原則』が起きるのだ。」 (p19)

これに関して言えば僕の授業は、「みんながそう言っている」という「風向きを問い直す」ことを、ずっとしているのかもしれない。「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」は「しかたがないのか?」、とか「ゲーム依存は条例を作って規制するしかないのか?」とか、「他人に頼らず独り立ちすることが自立なのか?」とか。こう書きながら気づいたのは、僕はずーっと様々な常識を問い直すことだけを、しつこく授業の素材として取り上げ、学生たちに問い直す仕事をしている。国谷さんも「キャスターは、最初に抱いた疑問を最後まで持ち続けることが大切だ」「しつこく聞く」(p140)と書いているが、僕も学生たちに「しつこく聞く」。

「キャスターとしての仕事の核は、問いを出し続けることにあったように思う。それはインタビュー相手にだけではなく、視聴者への問いかけであり、そして絶えず自らへの問いかけでもあった。言葉による伝達ではなく、『言葉による問いかけ』。これが23年前に抱いた、キャスターとは何をする仕事かという疑問に対する、私なりの答えかもしれない。」(p175)

このフレーズを改めて読み直した時、僕が15年かけて授業でし続けてきたことも、「言葉による伝達」ではなく、「言葉による問いかけ」だったのだな、と改めて気づかされる。「伝達」だけなら、言葉より文字の方が正確だ。なので、最近は知識に関しては、教科書や資料を事前に読んできてもらったり、オンデマンド課題として出すことにしている。その上で、授業では「伝達された言葉」に付着する「風向き」に関して「言葉による問いかけ」をし続けている。これはオフライン講義時代からずっとしてきたことだし、オンライン講義に変わっても、それをし続けている。そして、毎回学生たちへ問いかけながら、もちろん僕自身にも問いかけるし、素材として扱ったテーマに関しても問い直す。そういう「言葉による問いかけ」をずっとしてきたし、もちろん今日も1限の講義でそれをする。

そう思えば、キャスターにはなれなかったけど、別の形でキャスター的に仕事をしているのだな、と気づくことができて、なんだか嬉しいような気分になり、また自らの仕事のあり方を見つめ直す機会にもなった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。