読書の殻を破る

僕は最近じぶんの頭が固いなぁ、と痛感する。このコロナ危機において、様々なことを変更したり、新たに立ち上げるときに、柔軟性がないなぁ、とほほ、と思いながら、一つ一つ積み上げていく。そのなかで、最近読書の殻を破る出来事があったので、それをメモ書きしておきたい。

「書物において大事なものは書物の外側にある。なぜならその大事なものとは書物について語る瞬間であって、書物はそのための口実ないし方便だからである。ある書物について語るということは、その書物の空間よりもその書物についての言説の時間にかかわっている。ここでは真の関係は、二人の登場人物のあいだの関係ではなく、二人の『読者』のあいだの関係である。そして後者の二人は、書物があいまいな対象のままであり、二人の邪魔をしない分、いっそううまくコミュニケートできる。」(『読んでない本について堂々と語る方法』ピエール・バイヤール著、ちくま学芸文庫、p243)

この本も実のところ、20〜30分程度の斜め読みだった。で、これまで僕自身は「斜め読みはすべきでない」「ちゃんと読んだ方がよい」という思い込みに支配されていた。でも同書はその思い込みは本の神聖化であり、「通読義務」に支配されている、と喝破する(p11)。実は松岡正剛とか佐藤優など読書家の方法論ではこの種のことへの警鐘はなされていたと記憶しているが、僕自身は知識で知ってはいても、実践出来ていなかった。では、この本で神聖化と通読義務をやめてみよう、と、ざーっと気になることだけ流し読みした際、上記のフレーズが一番引っかかった。そう、「大事なものとは書物について語る瞬間であって、書物はそのための口実ないし方便」なのだ。そして、裏を返せば、書物について語らなければ、書物はただの紙くずになってしまうのだ。

そこで紙くずエピソードを。

先週末、てっちゃんが主催するオンライン読書会に誘われ、NVCの本を読むことになっていた。でも、自宅の書棚を探しても見つからない。そもそも、その自宅の書棚は収納能力を遙かに超えて、ぐっちゃぐちゃ。一部の書棚は、姫路に引っ越してきた2年前から触っていなかったり、エントロピーが増大しまくりで、何が突っ込んでいるのか自分でもわからない状態。これは、と一念発起して、4時間かけて本棚をひっくり返して、しばらく使わない本や処分すべき本を間引きして、「いま・ここ」の関心に基づいて本棚を再構築した(本棚の並べ直しの効用は松岡正剛の読書論に確か書かれていたような)。で、本棚を再構築してみると、斜め読みでもしたい本がざくざく出てくる。そして、僕はこれらの本のうち1割しか読んでおらず、2割は目次を見た程度で、7割以上は死蔵している。これは、膨大な紙くずの所蔵だと、ほこりまみれになりながら痛感した。そして、どうせなら本との向き合い方を変えたいし、ざっくりとで良いから目を通す率を上げたいな、とも痛感した。

そんなことを思いながら、4時間かけて整理した家の書棚に当該本はなく、大学で二度ほど探したけど見当たらず、読書会の直前に仕方なしにKindleで注文しようとしたら、2018年に購入済み、と書かれている。なんと、リアルな本を持っている「つもり」になっていたのに、Kindleで買って、中身をチェックしたら線を引いて読んでいる!しかも、そのこと自体を、今になってやっと思い出す。紙くず、だけでなく、電子データも使わなければただのデータ、ですね。

長い前置きになったが、紙くずやただのデータ、を越えるための一つの有効な方法論が、「書物について語る」読書会なのだ。てっちゃんの読書会の特徴は、未読の本でもとりあえず30分で読み切ってみる、という姿勢にある。

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2:読書タイム(1人)
→30分間、全力で本を読む。最初からでなくてもok。飛ばし飛ばしとか、目次から読むとか、まとめから読むとか。
3:ペアでシェア
→10分間ペアで、本の概要や、気になったところ、わからないところを共有
※『ペア読書』の記事でも書かれていますが、ここでペアでやることにより、かなり集中する。
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実は今回で彼がホストの読書会に参加するのは二回目なのだが、2回とも30分で全体を飛ばし飛ばし眺めることは出来た。しかも、Kindleだと、重要な部分をマーカーで引くだけでなく、ワードにコピペまでして読書メモを作りながら、30分で大まかな全体像をつかむことが出来た。それだけでも、「通読主義」とか本を神聖化していた僕にとっては驚きである。その上、「ペア読書」がすごくよかった。

「二人は、書物があいまいな対象のままであり、二人の邪魔をしない分、いっそううまくコミュニケートできる」

バイヤールが指摘しているように、初めて30分読んだ二人は、「書物があいまいな対象のまま」である。だからこそ、ブレイクアウトルームで初めて出会った二人であっても、「あいまいな対象」を共に探索する関係性に瞬時に変わり、「いっそううまくコミュニケートできる」という特性を持っている。これは、大きな発見である。しかも、その後の休憩時にZoomのチャットにお互いが中間振り返りや気づきを書き込み、再度5〜8分程度で再読した上で、3人で話し合うと、本についての語りが膨らんでいく。「あいまいな対象」の書物を通じて、読書会に集った人が、「いま・ここ」の対話を重ね、それがポリフォニックに響き合っていく。これは、一人で読むことでは出来ない体験である。

そういう経験をしているうちに、2時間半はあっという間に過ぎ去った。最後のチェックアウトタイムの前に、もう一度チャットにお互い感想を書きあった上で、チェックアウトをすると、その書き込みも見ながら、お互いの異なる声を響かせあうことができる。2時間半前には出会っていなかった書物とも、そして読書会のメンバーとも、豊かな対話が出来る。これは、面白い。

なので、そのうち僕もZoom読書会を主催してみようと思った。

あと、一人で読む時も、30分で読みきるのは、死蔵しないためにも、すごく大切。新書レベルなら、充分に出来そうだとおもって、昨晩整理して出てきた一冊の新書を読み切ってみる。十分に可能だ。しかもそれを10分程度でメモ書きすると、頭にさらに残る。これは、一人で読んだ後に、「一人語りする」という効能もあると思う。

もちろん、その一方でじっくり一人で読んで考える読書も続けている。通読主義を捨てる、というより、それ以外の読書経験も広げてみるチャレンジ、という感じかな。というわけで、紙くずやデータの塊で死蔵しないためにも、これまでの読書に加えて、30分読書もこれを機に、始めてみようと思った。

読書の殻が40も半ばにしてやっと破れるのではないか、と、ちょっとわくわくしている。

以下に30分読書メモをつけておく。

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部屋を整理していたら出てきたこの本を斜め読み。
『コミュニティー・キャピタル論~近江商人、温州企業、トヨタ 、長期繁栄の秘密~ (光文社新書)』
実はイタリアでのCOVID-19の大流行に温州人の動きがある、という話を聞いていたので、読んでみた。この本は、国を超えて商圏を広げる集団の凝集性に関するネットワーク論で、その実例として近江商人とトヨタの系列企業と共に、温州企業を挙げている。で、メンバー累計として、「現状利用型」「動き回り型」「ジャンプ型」「自立型」の四つをあげ、温州人は他の中国人と違い、直近の人間関係だけでなく、全く新たなに独力で遠方に及ぶダツコミュニティ的人間関係を構築する「ジャンプ型」が多い、と整理する(p101)。実際、イタリアだけでなく欧州各地で活躍する中国人のトップに温州人がいるのは、このジャンプ型ゆえだ、と。
そして、このジャンプ型は、知恵とお金だけでなく、時にはウィルスも一緒に運ぶと考えたら、物事がすっと通りやすい。でも、これは中国人だけの問題ではない。日本におけるジャンプ型である首都圏の人々が全国に出張なりに出かけて、ウィルスが広がったとすれば、同じことは全世界中の「ジャンプ型」で起きている。しかも、「ジャンプ型」は、市場主義経済におけるネットワークの結節点にあるのだ。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」が近江商人の基本だった。だが、まさにこのコミュニティ・キャピタルの全世界的横断が、今回のCOVID-19の全世界的流行に繋がったとすると、そのネットワーキングの強さと迅速さを、ネガティブな形で証明した、ともいえるような気がする。
この本に書かれていた「刷り込み→同一尺度の信頼→準紐帯」という枠組み自体はグローバル化で不可逆的に進行しつつあるようにも思う。それが経済のポジティブな紐帯であれ、ネガティブなウィルスの紐帯であれ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。