前期のオンライン講義を終えて

午後のオムニバス講義のファシリテーターで、前期の授業が全て終了した。前期はコロナ危機の中でオンライン講義がメインであり、7月に一部対面とオンラインを混ぜたハイブリッドもあったが、基本的には生まれてはじめてのオンライン講義。その中で感じた良い変化と心配事について整理しておきたい。

<良い変化について>

オンライン講義は日本中の大学教員の大半にとって、はじめての体験である。学生にとっても同じである。なので初期条件が一緒だから、やる事は全て実験だと最初から認識を切り替え、これまでの授業と同じことをオンラインで継続するのではなく、オンラインだからできることを模索してきた。

画面越しに出会うので、同時双方向の授業では、出来る限り学生たちの声に基づく授業をしようと心がけた。どの授業でも事前課題としてウェブ記事や教科書などを読んだ上で、新しく発見したことや疑問に思ったこと、授業で取り上げたいことなどを300字ずつ900字程度書いてもらうような課題をしてもらった。そしてオンライン講義では、それらの事前課題に基づいて、ズームの授業であればブレイクアウトルームで議論してもらい、ブレイクアウトルームのないWebEXの大講義ではアシスタントの学生に事前課題の内容を読み上げてもらいながら議論をしていくということをしていた。

そこで感じた良い変化はいくつかある。学生の声をオンライン上で聞くと、多様な声を実に豊かに聞くことができたと言うことである。対面授業でも、グループで話し合ってもらって、その内容について学生たちをランダムに当てて、マイクで話してもらうこともある。でもその時よりも、画面越しに学生たちに呼びかけて、ランダムにどんどん当てていきながら話を聞く方が、様々な声をじっくり聞くことができた。これが最も良い変化だった。ある授業では、物静かな学生が、自分の意見をしっかり話してくれ、それを聞いていた他の学生が、あの子あんな風にしゃべるんだと後でびっくりしていたと教えてくれた。その後、当のご本人に聞いてみると、対面授業では基本的に「聞き役」だけれど、オンラインだからしゃべってもいいかなと思った、と。対面教室空間に比べて、学生が話す敷居が下がったような気もする。

次に良かったのは、アシスタントの導入である。オンラインの授業で、1人で一方的に話続けるのはあまりにしんどそうだし、技術的操作をしながら1人でしゃべっているとテンパリそうだったので、アシスタントを導入することにした。教養の1年生向け授業では、その授業を聞いたことがある3年のゼミ生に、バイトでアシスタントをお願いし、毎回同じアシスタントとともに授業を進めた。彼女にはラジオのアシスタントと同じように、学生たちの事前課題を読んでもらったらいい、それについ彼女の意見を言ってもらった。 このアシスタントが大好評で、毎回様々な福祉的課題について議論するのだが、僕の意見よりもアシスタントの意見に共感したり納得する受講生が続出した。そして、これはすごく良いことだと、やりながら気づいた。

教員は単位認定と言う権力を持っている。するとその教員の声が一方的に流れてくるならば、その声を受け入れるか受け入れないかの二者択一しかない。しかしそこに、僕とは違う視点からの声としてアシスタントの声があると、教員の声には納得できないけれどアシスタントの声には共感できるといった感想が寄せられる。逆に言えば、オンライン講義以前は、授業中に様々な学生の声を拾うことがあっても、それをまとめたり整理したりするのは、教員である僕の声単独でやっていた。するとどうしてもそこに一義的な色がつきやすかった。しかしアシスタントが加わり、僕の声と同じように違う声を響かせることで、授業自体の声の響かせ方がポリフォニー的になり、より多様な視点から検討することができたと言う声が、多く寄せられた。

そして3年生の授業では、そもそもアシスタントを公募してみることにした。僕の質問に答えてくれたり、他の学生が報告するのを見てコメントしてもらうような、そんなアシスタントを公募してみたのだ。すると毎週入れ代わり立ち代わり、いろいろな学生がアシスタントをしてくれ、多様な視点を寄せてくれた。そのことによって、受講生も仲間がどんなふうに考えているのかをじっくり聞いたり、あるいは僕とアシスタントの話を聞きながら自分の中でリフレクションしてみたりと、これまでより授業がより立体的に立ち上がり、学生たちの理解度もなし、毎回の授業の後のコメントシートをたくさん書いてくれる学生が続出した。これも僕1人で対面事業していたときにはなかった展開である。

そして授業に参画してくれたアシスタントたちの声を受けて、僕の授業スタイルを変えていったことも、良い変化として取り上げられる。3年生の講義では、最後の2回ほど、事前課題を読んでの議論を、僕と数人のアシスタントでみんなの前でやることによって、僕も1討論者として議論に参加し、学生たちと対等に議論をするのを、他の学生たちに観察してもらい、その観察した内容に基づいてブレイクアウトルームで議論してもらうと言うようなことをやってみた。すると、学生たちだけでブレイクアウトルームで議論をしているのでもなく、僕が学生たちに質問しているのでもなく、教員と学生が議論しているのを聞いた上で考えあうというフィッシュボールスタイルは、授業においてもすごく役立つと言うことがわかった。これもオンライン講義だから試せたスタイルのような気がする。

<心配事について>

そんな良い変化も多かったオンライン講義だが、そうは言っても心配事の連続だった。そもそも見通しが全く立たず、去年までの授業スタイルが全く役立たない。その中で、新たなやり方を4月当初から1ヵ月以内で突貫工事で作り上げ、実際に学生たちと授業をしながら改善していく。これは結構身体的にもきつく、眼精疲労や肩こりはバリバリで、整体に行ってもかなりひどいねと言われる始末。オンライン講義をするのは、移動は無いけれど、心身ともにハードであった。

あと対面ではないと言うところで、一番心配しているのは、一年生の仲間づくりと、ゼミ生のフィールドワークである。1年生たちは前期に1度だけ登校日があったが、それまでに基礎ゼミクラスはズームのブレイクアウトルームで仲間づくりをしていたので、登校日当日もめっちゃ話し込んでいた。ただ学生たちに最後の授業の後で感想を聞くと、一度だけの登校だし、この基礎ゼミクラス以外に友達を作る場面が全くなかったと言う声も多数聞いた。大学1年生は、もちろん授業に慣れるのも大変だけど、普段なら友人や仲間知人ネットワークを作ることが1年生の間で最も大切なことの1つかもしれない。その部分が構造的に欠落したままであると言うのは、1年生にとって大きな心配事が残っているのだろうと、僕も心配している。

それから、ゼミ生がフィールドワークができないと言うのは、フィールド調査に基づく卒論を書いてもらおうと思っていたゼミにとっては、かなりきつい。これは僕のゼミだけでなく、同僚の先生方も同じようなことをおっしゃっていた。それでも去年のうちにある程度現場経験をしている学生ならば、そこでできたつながりをもとに、オンラインインタビューなどで内容を深めていくこともできる。でも学生の中には、なかなかテーマが定まらなくて、就職活動が終わったこの夏休みにがっつりフィールドに関わり、その世界を知り、インタビューや参与観察などを深めて卒論につなげようと言う学生もいた。するとその学生たちは、フィールドワークができない中で、二次情報や文献、場合によってはオンラインインタビュー等だけで卒論を作り上げていく必要がある。この部分もどのようにしていけばいいのか、僕自身も経験がないことなので、一緒に試行錯誤していく必要があると感じている。

さらに言えば3年生の夏休みは、フィールドワークをしたり、様々な旅行に出かけたりと社会経験を増やしてもらいたいと思っていたんだが、そのどちらもかなり厳しい中で、3年生のゼミたちがどのように自分の学びや興味を広げてくれるのか、そこに僕自身がどのようにお手伝いできるのか、と言う点でも心配事は残っている。

それから7月からゼミも4年生で大学に来れる人は対面授業、これない人は画面越しのハイブリットゼミをしているが、卒論に向けての構想練ったり、ゼミ生一人ひとりの研究を掘り下げていくときには、やはり対面の方がそれをしやすいと感じている。もちろん僕自身もコロナ以前から研究会等はズームでずっとやってきたし、そこで議論が深まっていくことも知っている。ただモヤモヤしている点について、話し合いながらそのモヤモヤを掘り下げて行ったり、解決策を見出そうとするときには、どう表現していいのかわからないが、やっぱり対面の方が、画面越しよりも情報量が多く、共有できたり分かち合える量もはるかに多いような気がする。秋以降再度緊急事態宣言等がもし出された場合、卒業論文の指導がどうなのだろうと言うのは、未だ大きな心配事として残っている。

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そんな良い変化も心配事もあったが、いずれにせよこの前期の授業を通じて、授業とは何か、対話的な講義とは何か、オンラインでの学びを最大化させる為にZOOMやLMSなどをどのように活用できるか、どういう授業の仕掛けが必要か、といったことをずっと考え続けてきた。

これからは膨大な採点作業も残っているのでまだまだ気が抜けない。でもとりあえずオンライン講義をやり抜いたので、忘れないうちにそのことを備忘録としてここに書いておく。

なおこの文章も、音声入力で書いた。オンライン講義であまりにたくさんの文章を書いていて手が腱鞘炎になって疲れるので、学生のフィードバックの文章などは、なるべく音声入力で書き続けた。これも苦肉の策で始めたのだが、数年前に比べて音声入力のレベルがものすごく上がっていて、僕が完全な日本語を想起してから文章として声に出すと、手直しがほとんど入らないレベルまで打ち込んでくれる。ずいぶん楽になったなぁ、と発見することができたのも、「災い転じて福となす」のようなものであると感じた。

 

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。