制度に縛られない学びに向けて

『脱学校の社会』(東京創元社)はイヴァン・イリイチの主著であり、中身を読んだことはなくとも、タイトルだけは知っている人も多いと思う。僕自身は10年以上前に一度読もうとしたのだが、何を書いてるのかさっぱりわからなくて、途中で読むのを放棄した記憶が残っている。今回、『コンヴィヴィアティーのための道具』や『シャドーワーク』といった他のイリイチの著作を読んでから、改めてこの『脱学校の社会』を読んでみると、やっとイリイチが言いたかったことがスッと理解できた。イリイチは、教育そのものを否定しているのではない。学校による教育の制度化と硬直化を否定しているのである。

「一たび学校を必要とするようになると、われわれはすべての活動において他の専門化された制度の世話になることを求めるようになる。一たび独学ではだめだということになると、すべての専門家ではない人の活動が大丈夫かと疑われるようになる。学校においてわれわれは、価値のある学習は学校に出席した結果得られるものであり、学習の価値は教えられる量が増えるにつれて増加し、その価値は出席や証明書によって測定され、文章化され得ると教えられる。」(p80)

学校を必要とする=専門化された制度の世話になることによって、私たちは制度以外のやり方で学ぶこと=独学を否定することになる。つまり、学校化(Schooling)とは、「価値のある学習は学校に出席した結果得られるものである」という信念体系の強化である。ほんまもんの学びは本来、学校以外の独学においても可能なはずである。だが、学校で学ぶことのみが学習であると規定し、その学習は出席や証明書によって測定され、文章化することが可能だと言う信念体系も受け入れると、その数値化序列化された評価基準によって、人間自身の数値化や序列化が可能であると言う信念体系も強化されていく。そしてこれが、人々の制度化というか、人々の制度への飼い馴らしをも強化していく。

僕自身が以前イリイチを読んだのは、大学教員になってからだと思うのだが、その時は、内容がわからないと言うよりも、彼が告発していることを受け入れたくないと言う心的抵抗があって、彼の著作を理解できなかったのかもしれない。彼が言ったことを受け入れると、制度化された教育機関の最たるもの(の一つ)である大学を問い直し・否定することに繋がりかねず、その大学で働いている僕自身をも否定することになるのではないかと恐れ、この本はわからないと放り投げたのかもしれない。臭い物には蓋、ではないが、パンドラの箱を開けようとするイギリスの著作に対する拒否反応であったと考えると、非常にわかりやすい。

今回、同書を改めて読んでみて思うのは、彼は他者に強制される学びは否定しているが、自発的でおもろい学びは肯定し、むしろそれを称揚するためにこの本を書いているのである。イリイチの学習観が詰まった部分をみてみよう。

「本当は、人の成長は測定のできる実態ではない。それは鍛錬された自己主張の成長であり、どのような尺度やカリキュラムをもってしても図ることができないし、他人の成績と比較することもできないものである。このような学習においては、想像力に富む努力においてのみ他人と競い、また、人の歩き方を真似るのではなく、人の歩んだ道を辿ることができるのである。私が尊重する学習は、測ることのできない再創造なのである。」(p82)

教育に携わる仕事を15年以上しているが、「人の成長は測定のできる実態ではない」ということに、心から同意する。学びという内的成長=鍛錬された自己主張の成長を、外的な標準化されたスコアとして算出・評価するのは、あくまでも疑似的・外形的なものであり、本質的なものでは無いのだ。にもかかわらず、私たちは外形的スコアに拘束されてしまう。そのスコアこそ自分自身の本質なのだと誤解する。

1番わかりやすいのは偏差値であり、偏差値化された学校ランキングであり、偏差値信仰と言う命名が物語るように、それは1つの数字にしか過ぎないものを、最重要視する信念体系なのである。そして、僕自身もその偏差値信仰に、塾で受験勉強し始めた中学1年生のころから15年近く、どっぷりつかっていた。だからこそ、イリイチの本を一読した時、自分自身の信念体系が根底から揺さぶられているようで、理解したくなかった。他人の成績と比較し、人の歩き方を真似、偏差値の高い学校の証明書を求めるために努力していた、その己の努力は無駄だったのか、と。

だが僕自身が、この10年の間に、偏差値信仰を少しずつ相対化して考えることが出来るようになった。そんな中年真っ盛りで改めて振り返ると、僕自身が学んできたプロセスは、まさに鍛錬された自己主張の成長であり、想像力に富む努力を他人と競ってきたプロセスであり、人の歩んだ道をたどる旅であったと理解することができる。そして偏差値にこだわっていたら、大学卒業後には過去を振り返ることしかできなくなるが、偏差値信仰を超えて学び続けると、私自身の大人になってからの学びは、まさに測ることのできない再創造の旅であると言うこともできると思う。そして特筆すべき事は、制度化された学びに比べて、再創造の学びははるかにおもろい。止められない。気がつけば誰に言われなくても学び続けている。この自発性こそが、制度化された学びに欠落しているものであり、イリイチが重要視したことである。それをイリイチはコンヴィヴィアルと言う言葉を使って説明している。

イリイチは「制度スペクトル」という章で、その右端に「操作的制度」を置き、左端に「相互親和的(convivial)制度」を置いた上で、次のように述べる。

「スペクトルの右端の制度に共通な特徴は、強制的参加にせよ、サービスの選択にせよ、強圧的な性格を持っていることである。スペクトルの左端には、利用者が自発的に使用することが特徴となる制度、すなわち相互親和的制度がある。」(p107)

どの学校に入るか。これは自発的に決めているように思える。でも実際のところ、「これぐらいの偏差値ならここにしておけ」と言う形で、親や教師、予備校のデータによって強圧的に、方向付けがされてしまう。あくまでも試験の点数に過ぎない外形的な尺度で、大学の志望校も振り分けられている。

でも、僕が現任者研修などの「大人の学びの場」で出会うのは、自発的に学ぼうとする人々の集まりである。そういう人々には、コンヴィヴィアリティが存在する。それはどういうものか、をイリイチの別の本から定義づけしてみる。

「私は自立共生(convivial)とは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由であり、またそのようなものとして固有の倫理的価値をなすものであると考える」(イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』ちくま学芸文庫、p39)

学校化された学習の対極にあるのは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由に基づく学びであり、他者比較や数値化・序列化を求めない、学びそのものが固有の倫理的価値をなす行為である。そして、それが制度化された学校では決定的に欠けているのではないか、というイリイチの告発である。

それは確かにその通りである。だが、僕は学校の中であれ・外であれ、自分自身の教育活動としては、自立共生的な学びの場作りを心がけてきた。大学のゼミの卒論指導でも、なるべく学生たちが自分の興味あるテーマで、自発的に学び、その中で問いを持ち、それを解決するためにフィールドワークを行ったり文献を読んだりインタビューしたりするためのコーディネーション役割や、産婆術役割として機能してきた。あるいは『無理しない地域づくりの学校』のような大人の学びの場でも、自発的に作られたマイプランへ、こんな視点があるかも、こんな人と繋がってみたらいいかも、とアドバイスするくらいしかしていない。そして、ゼミでも大人の学びの場でも、安心して自分の本音を話せる場作りを心がけてきた。

学習の制度化を自覚的に相対化し、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由を取り戻すための、学びの協同体づくりを心がけてきた。これは、一つの私塾的な試みであり、コロナ危機で盛んになりつつある「オンラインサロン」のようなものかもしれない。

イリイチは自立共生的な学びを促進する四要因を以下のように述べている。(p146)

1 教育的事物等のための参考業務(Reference Service to Educational Objects – An open directory of educational resources and their availability to learners.)

2 技能交換(Skills Exchange – A database of people willing to list their skills and the basis on which they would be prepared to share or swap them with others.)

3 仲間選び(Peer-Matching – A network helping people to communicate their learning activities and aims in order to find similar learners who may wish to collaborate.)

4 広い意味での教育者のための参考業務(Directory of Professional Educators – A list of professionals, paraprofessionals and free-lancers detailing their qualifications, services and the terms on which these are made available.)

この本が書かれたのは半世紀前の1970年。その当時はインターネットもウェブサイトもなかったので、本をネット検索できないし、お互いの得意なことをシェアする方法も限定されていたし、同じ思いで学んでいる人とつながる事も出来なかったし、教えてくれる師匠や先達を見つけるのも至難の業だった。でも、これらはみな、ネットで出来うることである。

すると学校でしかできない事を考えると、1から4を学習者がネットを使いこなして実現するために、自分の頭で考えること、主体的に判断すること、他者と協力し合いながら物事を進めること、・・・これらを促す役割が中心であり、究極のところそれしかない。そのような自立共生的な(コンヴィヴィアルな)学びの支援が出来ない学校なら、必要ない、ということになってしまう。そして、小中学校で上記のことを教えていたら、大学の役割は大きく変わりうるだろうと思う。

とはいえ、50年たっても現実はなかなか変化していない。小学校で上記を教えるはずだった「総合学習」の時間は、多くの学校では不活発なままだとも聴く。それは、子どもが学びたがらないのではなく、教師の側が教科教育(国算理社体音)にこだわり、それを有機的に結びつける総合学習に意義や価値を見いだしていないから、とも、小学校現場の先生から伺ったこともある。すると、教える側の制度化への縛りを解きほぐす必要は、50年前と変わらず今もあると思うし、学校の教員こそ、まずは率先して自律的で主体的で協同的な学習を面白がっているか、が問われていると思う。

僕は少なくとも、偏差値信仰が自分の中で成仏され、薄まるにつれ、学びがどんどん面白くなっている。そして、イリイチの他の本とも、今更ながら、やっと出会えそうである。

僕の中のクレオール性

宮地尚子さんの新刊『トラウマに触れる』(金剛出版)を読み始めて、真っ先に吸い寄せられたのが、「学問のクレオール」という論文である。クレオールとは何かをよくわからずに読み始めたのだが、僕のことそのものが書かれているようだった。

「クレオールとは、もともと仏領アンティルなどで日常の話し言葉として使われている『クレオール語』から来ているのですが、『純粋性』ではなく『混血性』、『普遍性』ではなく『多様性』、『起源』ではなく『生成』を立脚点とする世界観と言っていいでしょう。」(p292)

宮地尚子さんは、医学部を終えて研修医の時に医療人類学と出会い、医学と人類学という「違う文化」的前提を持つ学問を越境しながら、トラウマ研究を続けてこられた日本の第一人者のお一人である。そんな彼女の来歴が書かれた小論を読みながら、実は僕自身のクレオール性=混血性、多様性、生成的立ち位置、に思いをはせていた。

僕の師匠はジャーナリストの大熊一夫である。酔っ払ってアル中患者のふりをして精神病院に「潜入」し、「ルポ・精神病棟」を1970年2月に朝日新聞夕刊に連載して以後50年間、日本の精神医療の閉鎖性や抑圧性、構造的課題を追い続けてきたジャーナリストであり、『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』など数々の名作を作り続けておられる。そんな彼が大阪大学人間科学研究科に新設された(その後解体された・・・)ボランティア人間科学講座の教授として迎え入れられた1998年、僕は院生として師匠に弟子入りした。その時、僕がその後20年以上、クレオール性と苦しみながら向き合うことになるなんて、全く予想だにしないまま。

師匠は朝日新聞や週刊朝日で叩き上げられた取材や文章技法のノウハウを僕に惜しみなく伝えてくださった。「文章は省略と誇張だ」「見出しで全てが決まる」「できる限り短い文章で要点を書く」「本を読んで分かったつもりにならず、自分の足で稼げ(取材せよ)」「接続詞はできる限り省いても、意味の通る文章を書くべし」・・・。どれも、読ませるジャーナリストの文章としては必要不可欠な教えである。その基準で僕の文章も真っ赤に赤を入れてくださり、僕は文章の書き方を鍛えられた。それでずいぶんと文章修行をさせて頂いた。

だが、すでにお気づきの読者も多いと思うが、アカデミズムの文化では、上記の教えは受け入れられないものが多い。卒論を書いている時からお世話になっていた、アカデミズムの世界の師匠である社会学者の厚東洋輔先生は、ご自身曰く「アームチェア社会学者」であり、徹底的に文献を読み込んでその内在的論理を推論しながら世界の本質に迫る学者である。理論的言語を追いかける時に、「省略と誇張」なんてもってのほかである。見出しより論理展開の方が当然重要視される。つまり、アカデミズムの文化とジャーナリズムの文化では、重要視される文化的前提が異なるのである。・・・と言うのは簡単、でも両方に目配りするなんて、20代の僕に簡単に出来るはずもなく、めちゃくちゃ困った。

師匠に教わった、ギリギリと対象に迫る思考方法や、10取材して初めて1を書くことが出来るという、裏を取る取材方法などは、僕の中で欠くことの出来ない研究の前提となっている。その一方で、査読論文ではあまりにジャーナリスティックな文体だと、文化が違うがゆえに受け入れられない。そのため、院生時代になっても、厚東先生にアカデミズムの文化における受け入れ可能な査読論文の書き方を教わることで、その両者を越境しようと苦労した。

そして、越境で苦労しているのは、これだけではない。そもそも、学部時代は社会学の端っこにいて、でもほとんど社会学は勉強していなかったのだが、大学院以後、精神医療の構造的問題に迫るうえでは、あるいは脱施設化や権利擁護の研究をする上では、社会福祉学の学的叡智も必要不可欠である。博士論文の指導教官をしてくださった大熊由紀子さんの「えにし」のおかげで、「ノーマライゼーションの原理」を日本に広められた河東田博さんから直接学ぶチャンスがあり、障害者福祉における自立生活運動との繋がりなどは、名著『ケアからエンパワーメントへ』(ミネルヴァ書房)を書かれた北野誠一さんに学ばせて頂き、北野さんにはカリフォルニアの権利擁護機関の調査にも連れて行って頂き、耳学問で学ばせて頂いた。つまり、福祉社会学と社会福祉学は、どちらが専門というほど勉強している訳ではないが、常にどっちも気にしながら、その両者の隙間=ニッチ産業のように立ち回ってきた。

アカデミズムとジャーナリズムの、福祉社会学と社会福祉学の、二重の意味での狭間で苦しんできたのだが、それにクレオール性=混血性、多様性、生成的立ち位置という意味があったのか、と知ると、ずいぶん違った景色が見えてくる。少し前に「『ソーシャルワーカーの社会学』に向けて」という論考も書いたが、宮地さんの論に触れた後では、あれは自分自身の生成的立ち位置を記述した論考なのかもしれないな、と思い始める。

宮地さんはもう一つ、印象深い記述をしておられる。

「学問のクレオール化は、新たなパラダイムを創出するというより、境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動きと言えそうです。それは学問を学問的対象にしつつも、同時に方法論として用いなくてはいけないという意味で、ある文化を生きながらそれを学問対象とするネイティブ人類学者と同じ営みであり、インフォーマント以上、(欧米出身の)人類学以下といいう中途半端なポジションをあてがわれるという意味でも、ネイティブ人類学者と同じ地平にあります。」(p302)

「中途半端なポジション」。この言葉ほど、僕自身の立ち位置を一言で明確に表す言葉はない。そして、僕は自分自身の中途半端さに苦しみ、劣等感を持ち続けてきた。宮地さんが言うように、この20年くらい、「境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動き」を続けてきた。でも、中途半端さゆえに、見えてくる世界もあるのだ。「ネイティブ人類学者は、自文化を翻訳します」と整理した上で、宮地さんはこんな風にも書く。

「興味深いことに、コントロールを半ば奪われた中途半端な場所で無数の斜線を引くうちに、逆説的に甦ってくるものが『自分自身の言葉』なのかもしれません。」(p303)

翻訳は、二つの言語の間で無数の斜線を引く作業である、という管啓次郎氏の定義を用いた宮地さんの言葉に、ハッとさせられる。二つの文化の「あいだ」にいるからこそ、その中で、「コントロールを半ば奪われた中途半端な場所で無数の斜線を引く」という「みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をし続けるなかで、「逆説的に甦ってくるものが『自分自身の言葉』なのかもしれ」ないのだ。

一つの文化にどっぷりつかると、その文化の言語を話しているだけで生息することは可能になる。ジャーナリズムの言語であれ、社会学の言語であれ、社会福祉学の言語であれ、単一の文化の単一の言語を話し続け、その専門家になれば、わざわざ越境する必要はない。むしろ、その言語文化の世界を深く掘り下げることに、意味や価値がある。

だが、アカデミズムとジャーナリズムの、福祉社会学と社会福祉学の「境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をしてきた僕は、確かに中途半端だった。でも、その中途半端な立ち位置で、両者に伝わる言語を必死になって模索する、自文化の翻訳作業を続けるなかで、『自分自身の言葉』を逆説的に持ち始めたのかもしれない。

僕にとってその自分の言葉を探すのが、ブログであり、それを初めてまとまった論考として書けたのが、博論を書いてから10年後にやっと初めて書き上げた単著『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)だった。しかも、この単著は、博論の内容をごく一部しか用いず、それ以外の内容は、今となって振り返ってみると「ある文化を生きながらそれを学問対象とする」、つまりは「自文化を翻訳」する「ネイティブ人類学者」宣言の本だったのかもしれない。

アカデミズムの師匠である厚東先生にお送りした時、一冊目にこんな本を書くとは思わなかった、と言われ、二冊目は主題と副題をひっくり返すような内容を期待している、とメッセージを頂いた。その後産み出した二冊の単著『権利擁護が支援を変える—セルフアドボカシーから虐待防止まで』『「当たり前」をひっくり返す—バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』(ともに現代書館)は、まさにそれを模索した本である。でも、一冊目にどうしても僕が『枠組み外しの旅』を書かねばならなかった理由とは、自分のヴォイスや文体を探し、自分の言葉で書くスタイルを確立する必要があったからであり、それはすなわち僕なりの「学問のクレオール」宣言をしておかなければならなかったからだ、と宮地さんの論考を読んで、やっと腑に落ちた。

ただ、この論考はもともと2001年に書かれたものである。つまり僕がそのクレオール性をどう整理してよいかわからなかった大学院生の頃に、既に宮地さんは整理されていた。読むのが遅すぎた、ともいえるかもしれない。でも、その当時読んでいても、僕はこの宮地さんのメッセージを適切に受け取ることは出来なかったと思う。自分なりに「中途半端さ」に悩み、「みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をし続け、『枠組み外しの旅』を書き、さらに自文化の翻訳作業を地道にし続けていた今だからこそ、やっと彼女のメッセージを我がこととして受け取ることが出来たのかもしれない。

そう思うと、今ようやく僕の中のクレオール性を言祝ぐことが出来るようになってきたのかも、しれない。宮地さんの文章に、20年後の今、出会えて感謝している。

できる一つの方法論

世の中には、何か新しいことをやろうとした時、2つのパターンに分かれることが多い。ありがちなのは、「できない100の理由」を述べるタイプである。前例がない、かつて試したがうまくいかなかった、また機が熟していない、○○がない・・・とにかくいろいろな理由をつけて、であるが故にできないのだと自己肯定化する。これは学生だけでなく、前例踏襲主義が激しい「官僚的な働き方」(お役所、民間問わず)をしている人の中には、しばしば見られる思考形態である。

他方、もう一つの対照的なアプローチもある。様々なできない理由を前にして、「では一体どのようにしたら実現可能なのか?」をギリギリと自分の頭で考え、実際に一つ一つ試行錯誤しながら模索していく。「できない100の理由を述べる」タイプの前者に対して、「できる1つの方法論を模索する」タイプの人である。

今日、ご紹介するのはそんな「できる1つの方法論を模索する」川口加奈さんが書いた本。タイトルだけ見れば、伝えたいメッセージがズバリわかる一冊。

『14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考え続けてやっと見つけた「働く意味」』(川口加奈著、ダイヤモンド社)

彼女は14才の時にホームレスの“おっちゃん”に出会い、炊き出しに関わりだしてから、ホームレス支援を自分のテーマとして持ち続け、大学生の時にホームレス支援団体であるHomedoorを立ち上げ、理事長として、ホームレスの就労支援であるレンタサイクル事業のハブチャリや、生活応援施設「アンドセンター」などを立ち上げていった社会起業家である。

僕は2013年に川口さんの活動を取り上げて放映されたハートネットTV「未来へのアクション」を拝聴して以来、毎年のように授業でも取り上げ、学生たちに見てもらっていた。当時大学生だった川口さんが、NPOを立ち上げてハブチャリ事業をスタートさせている様子をみて、多くの学生たちは「自分と同じ年代でここまで出来るなんてすごい」と一様に驚きながらも、「川口さんのような信念は自分にはない」「社会起業家になれるのは、タレント性のある、自分とは違う世界の人だ」という感想も少なからず寄せられていた。そんな折、彼女がこれまでの経験をまとめた単著を拝読して、今日のテーマに引きつけてご紹介したいのが、「できない理由の乗り越え方」と題した次のコラムだ。

「何かやろうと思ったとしよう。勉強でも趣味でもいい。でも、できない理由、やらない理由を考えだして結局やらなかった。そんなことも多いと思う。何もしないほうが楽だし、邪魔しようとする人や様々な誘惑も現れる。こういう時、私が無理矢理モチベーション上げるのではなく、やらなければならない環境を自ら作り出すことにしている。
たとえば、何かの資格を取得したいとしよう。そのための学校に通ってしまうというのもひとつの手だと思う。ただ、その願書を出すのも面倒だと言う意見もあるだろう。私の対処法は、タスクをかなり細分化して見えるところに掲示すること。他の専門学校と比較する、専門学校に電話をかける、願書を取り寄せるなど、一つ一つの過程を細かく分けると大きな目標である「資格取得」も、小さな目標から始められて取り組むことへのハードルが下がる…気がする。」(p158)

この短い文章の中に、様々なヒントが隠されている。川口さんの試行錯誤のプロセスを読みながら、川口さん自身、ホームレス支援に関して何もしないほうが楽だと思った時期もあったり、様々な誘惑もあったと著書のなかで語っていた。でも彼女の場合、学生時代に団体を一緒に立ち上げたスタッフが離れていくなかで、やらなければならない環境に追い込まれたり、あるいはホームレス支援のビジネスプランの企画書を書き続けるなかで自らその環境に飛び込んでいった。

さらに言えば、タスクをかなり細分化すると言うやり方は、川口さん自身が課題を乗り越えてきたやり方だけでなく、おそらく川口さんがホームレス支援をする時にも同じような支援の仕方をしているであろうことが想像できる。いちど仕事を離れてしまい、履歴書に空白時間ができてしまうと、なかなか就職活動がうまくいかない。すると自暴自棄になったり、自分はもうダメだと諦めてしまい、ホームレス状態になってしまう。自尊心も大きく落ち込む。そのような人々が自信を取り戻す上では、いきなり大きな一般就労のような目標を掲げるのではなく、スモールステップとして、まずシャワーを浴びて身だしなみをきれいにしてみるとか、短時間就労をしてみるとか、割と容易に実現可能な小さな目標に区切り、それを達成して自信をつけていくプロセスが重要なのだと思う。

事実、川口さん達が最初に立ち上げたハブチャリの事業では、自転車の整備とか、レンタルで貸し出す接客とか、自転車を回収するとか、そういう細かい工程に分けることにより、比較的誰でもその仕事に取り組むことができ、それがきっかけになって自信を取り戻し、以前やっていた業界の仕事や、別の長時間労働に復帰していくおっちゃん達と沢山出会ってきた、という。

まさに、川口さん自身も、おっちゃんたちも、出来る一つの方法論を模索しているのである。その試行錯誤の精神は、「まずは実験をやってみる」というコラムにも表現されている。

「実証実験のような、まずは小さくても試しにやってみる、スモールトライの必要性は、この10年間で何度も体感した。たとえ準備不足でも、「実験」と言うマジックワードであれば、トラブルがあってもお客さんからそこまで怒られることもない。しかも、こういうことを始めますと宣言することで同じことを目論んでいる人に先制できる可能性もあれば、その人と連携できるチャンスもある。さらには、反応が悪ければやめてしまってもいいわけで、自由度が非常に高い。プレスリリースを活用すればメディアにも取り上げてもらえるし、本格的に始動するときには、すでに実験をやりましたという経歴が強みとなる。内容にはよるけれど、工夫を重ねればお金も多くはかからない。何かをやろうとしてる人に、スモールトライは非常におすすめだ。」(p199)

何もしないわけでもないし、いきなり永続的に始めるわけでもない。その間の実験。実験には当然仮説が必要になる。しかも一定程度角度の高い仮説でないと、そもそも実験を始めることができない。多くの人を説得したり資金を集めることもできない。しかしながらあくまでも仮説を実証する実験であるから、永続的にやらなければいけないという縛りはない。これは「自由度が非常に高い」。しかも、前例踏襲主義に縛られている立場の人に向かっては、「こういう実証実験をしました」というのは立派な「前例」として機能する。上手くいかなかったら、やめることも出来るし、改善して別の策を見いだすこともできる。試行錯誤のなかで、仮説生成的というか、仮説をより確度の高い事業プランに練り上げていく実証実験のアプローチは、社会的な何かに取り組んでみたい人にとって、すごく役立つアプローチだと思う。

その上で、彼女は15年間ずっと、ホームレス問題に端を発し、住むところがない人の生活支援問題にブレずに取り組み続けている。近年では児童保護施設出身の若者や、LGBT など性的少数者、あるいはDV被害の女性など「おっちゃん」以外の同じカテゴリーに属する人の支援にも携わっている。それを、福祉的な視点だけでなく、様々な企業や役所とも連携しながら、関西人的な言い方をすると、使えるもんは何でも使いまくって、人生からの転落防止柵としてのHomedoor事業を継続しておられる。

こういう「出来る一つの方法論」を模索してこられた彼女のプロセスから学ぶことは多いし、是非とも学生さんや何かにチャレンジしたい人にお勧めしたい。そんな一冊である。