ケアがつなぐ教育と福祉

子どもの貧困について、以前から気になっていた。映画「みんなの学校」の原型となったドキュメンタリーを見て以来、木村泰子先生の本も読んできたし、子ども夜回りを取り上げたDVDを授業で学生たちと議論したこともあった。だが、教育学の視点から、子どもの貧困や学校でのケアについて議論している本を読んだのは、今回初めてであった。

「同質性の前提にもとづく一斉体制・一斉主義の学校・学級規範は、異なる処遇への不寛容と、階層格差や生活困難をないものとして不可視化する教師の姿勢を生み出す。これらによって、貧困状態にある子どもへの支援が実行されないばかりか、子どもの生活の現実を捉えようとする教師の視線が鈍らされていた。その結果、貧困状態にある子どもは、皆と同じように振る舞えずに、共同体にうまく参加できない異質性を有する存在として顕在化していた。差異を目立たせないようにと構想された教育は、皮肉にも困難を抱える子どもの存在を差異ある劣位者として逆に目立たせてしまったのである。そこで可視化された際は、一人ひとりの尊重されるべき違いではなかった。できる者—できない者、承認される者—承認されない者という能力差として収斂される違いであり、尊重されるべきものとはみなされないものであった。望ましくない差異を有する劣位者として烙印を押された子どもは、学校の中で疎外感を感じ、周縁化されてしまうといえる。」(柏木智子『子どもの貧困と「ケアする学校」づくり』明石書店、p41-42)

本来、日本の学校は「みんな同じく」処遇をすることによって、貧富や社会階層の差により、受ける教育が違う、という結果をもたらさないことを目標としていた。それは「面の平等」とされ、一斉体制や一斉主義のもとで、どのような子どもでも同じ教育が受けられる、という平等保障を目指していた。ただ、「みんな同じく」という姿勢で臨むと、宿題はしてくるもの、忘れ物はしないもの、親は家で子どもの世話や勉強をみるもの、という前提までが一斉体制の前提となってしまう。そして、その前提のもとで授業を展開していこうとすると、「貧困状態にある子どもは、皆と同じように振る舞えずに、共同体にうまく参加できない異質性を有する存在として顕在化」してしまう。持ち物を忘れない、宿題をさせる、など、学校の先生からすれば「当然」に思えるような、家庭での配慮やケアも、その余裕がある家庭だからこそ可能な訳で、シングル家庭や仕事が大変な両立家庭などでは、その前提が共有されない。だが、「階層格差や生活困難をないものとして不可視化する教師の姿勢」の下では、結果的に忘れ物をする、宿題をしてこないというのは「差異ある劣位者として逆に目立たせてしまった」。しかも、皆が同じ前提を共有している「はずだ」という幻想の下で教育しているのだから、その「はずだ」が共有できているかどうかは、「できる者—できない者、承認される者—承認されない者とという能力差として収斂される違いであり、尊重されるべきものとはみなされないものであった。」これが、貧困家庭の子ども達が「学校の中で疎外感を感じ、周縁化されてしまう」理由であると、柏木さんは整理する。その上で、この教育観の最大の問題点を、次のように指摘する。

「多様な教育のあり方を考えると、「みんな同じく」を原則とする教育が必ずしも問題なわけではないことが改めて示唆される。同質性の前提にもとづき、誰に対しても同じ内容と程度で「みんな同じく」教師が処遇するところに問題が発生したのであって、差異を前提に、それぞれの特性を尊重して「みんな同じく」子どもが選択できるよう教師が処遇するところに問題はない。何を前提にどう「みんな同じく」として考えるのか、その点に関する議論が必要であろう。」(p73)

「みんな同じく」は、何を前提にして、どこを目指したものであるか、を柏木さんは問うている。教師は生徒には差異がない、同じ土俵で学んでいるという「みんな同じく」の前提に立って授業をしようとし、異なる処遇は不平等だ、と考えると、先に述べたように、貧困家庭の子ども達は、結果的に落ちこぼれてしまう。その一方、各家庭でのケア能力に差異があることを前提にした上で、子ども達一人ひとりの特性も理解した上で、持ち物を忘れてきても、宿題ができる環境になくても、「みんな同じく」子どもが選択できるよう教師が処遇することができれば、実質的な平等は担保できる。そして、「同質性の前提にもとづく一斉体制・一斉主義の学校・学級規範」では、教師の想定する家庭環境が満たされていない子ども達が結果的に排除されたり、落ちこぼれてしまうだけではないか、と柏木さんは指摘する。

この議論を呼んでいて、例の平等(Equality)と公正(Equity)を巡る差異の図を思い出していた。このブログにおいて、平等と公正の違いは、以下のように説明されている。

「平等は公正さを推進させるために全員に対して同じものを与える。しかしそれが正常に機能するのは全員のスタート地点が同じ場合に限られる。この場合では全員の身長が同じ時だ」
「公正さは人々を同じ機会へのアクセシビリティを確保すること。個人それぞれの差異や来歴は、何らかの機会への参加に対し障壁となることがある。なので最初にまず公正さが担保されて初めて平等を得ることができる」

「みんな同じく」という時に、「全員のスタート地点が同じ」だと考えるのが、一斉体制・一斉主義の原則である。それをもって「面の平等」である、という。だが、そもそも宿題をしてくるとか、持ち物を忘れずに持たせる、という「スタート地点」が家庭環境のしんどさ故に共有できない子どもがいる。そうすると、「全員のスタート地点が同じ場合」=「全員の身長が同じ」という幻想は、あり得ないことがわかる。そうであれば、スタート地点=何らかの機会への参加を同じにするためには、それ以前の段階で、個人それぞれの差異や来歴に基づいた、「同じ機会へのアクセシビリティを確保すること」が求められる。それが公正さであり、柏木さんの言う「差異を前提に、それぞれの特性を尊重して「みんな同じく」子どもが選択できるよう教師が処遇するところ」である。

そして、この本の魅力は、公正さを求めて、貧困家庭の子ども達にも学習における「同じ機会へのアクセシビリティ」を保障する試みをしている、桜小学校と海小学校(共に仮称)へのフィールドワークに基づき、公正な教育はどのように行われているか、を現場のリアリティに基づいて考察しているところである。さらに、その分析概念の根幹に、「ケア」を用いている。両学校は、ホームレスや日雇い労働者が近隣地区に多く、貧困な家庭も多い二つの小学校で、ホームレスや日雇い労働者の生活実態を学ぶ学習を、年間を通じて展開していた。そのまとめの中で、子ども達の学びが次のように整理されている。

「ケアの受け入れを促すためには、現実社会における身近な社会問題を取り上げ、ケアの存在とケアから派生する異なる処遇の歴史あり方を、支援者と弱者の双方から実践的に学ぶ学習活動が有効であったといえる。この学習活動では、あってはならない差異を埋めるための異なる処遇が、他者の尊厳やウェルビーイングの保持を目指し、他者に関心と共感を持つところから始まると言う点で、自己責任論に基づく社会の分断を防ぐための緊要なものとして扱われていた。また、異なる処遇が、人権保障に関する法的根拠を伴うものとして子供に提示されていた。さらに、そうした異なる処遇が、庇護する相手に一方的に施されるのではなく、困難を抱える人々の苦悩や願いや頑張りに寄り添うケアリングとしてなされるべき点も示されていた。ケアリングは、互いの差異を認めながら互いの意思を尊重する対等な相互ケアであって、あっても良い差異を認めるための異なる処遇を含むものである。」(p146)

ホームレスや日雇い労働者は怠けている、くさい。そういう感想を持っていた子ども達が、支援者や元ホームレスの人の実体験などを伺い、自分の住んでいる地区の実情を学習する中で、自分たちが勝手に持っていたイメージと現実の違いを気づかされる。それだけでなく、ホームレス状態がどのように社会構造の歪みの中で生み出されたか、を気づくことによって、この問題は自己責任論で片付けることはできず、社会が関与すべき構造的課題だと子ども達は学習する。そして、そのような特別なサポートをすることによって、「あってはならない差異を埋めるための異なる処遇が、他者の尊厳やウェルビーイングの保持を目指し、他者に関心と共感を持つところから始まる」ということを肌身で感じる。それが、「みんな同じく」「全員のスタート地点が同じ」だと考える、一斉体制・一斉主義の原則が支配しがちな公立小学校で展開されているのが、何よりの驚きである。

しかも大切なのは、「ケアリングは、互いの差異を認めながら互いの意思を尊重する対等な相互ケアであって、あっても良い差異を認めるための異なる処遇を含む」ということを子ども達が学ぶことによって、結果的に、クラスのなかにいる、貧困などで家庭がしんどい状況にある友達への想像力も働く、という点である。柏木さんの調査の中でも、「生活圏における問題を、複雑に絡み合う歴史的・社会的な構造と結びつけて読み解く」「社会学的想像力」を子ども達が身につけつつあることがうかがえた、と整理している(p232)。同質性が高まる中で、くさい、汚い、という差異は看過されず、そこからいじめに発展する現代日本社会において、このような社会学的想像力を教育を通じて子ども達が獲得し、そのプロセスの中で、「互いの差異を認めながら互いの意思を尊重する対等な相互ケア」がなされていくのは、実に重要なプロセスである。この点についても、柏木さんはフィールドワークから、重要な指摘を行っている。

「清潔な体を保つ必要性について少し述べておきたい。体を洗うことが必要な理由は、体から異臭がするといじめられたり、グループワークに参加できなくなったりするからである。異臭は「避けられるいじめにあっていない」「学習活動に気兼ねなく参加することができる」といった子供の望む機能を損なうものである。桜小学校では、異臭を全く気にせずに 付き合う仲間関係が見出されたものの、子供にとって体を洗うことが重要であることに変わりは無い。相手に悪気がなくとも、グループワークの際に「お前ちょっと風呂入ってきたら?」と言われた子供が、そのグループから少し離れて座るように心がけていた光景を他校で見たことがある。異臭を放つ子供がグループワークに十分に参加することができなかったのは言うまでもない。日本では、入浴が当然とみなされている社会である。そして、近年は、学習活動にグループワークが多く取り入れられるようになっている。「清潔な体を保てる」事は、今の日本を生きる子供にとって、学びを保障するための重要な機能の一つなのである。」(p149)

教育において「みんな同じく」というスタートラインに立つためには、「清潔な体を保つ必要性」がある。だが、そのスタートラインにたてず、それゆえにグループワークに加われない子ども達を、柏木さんは他校でのフィールドワークで見てきた。一方、この本で彼女が取り上げた桜小学校では、そういう排除を受けて不登校になる子はいなかった。それは、以下のような学校での工夫がなされていたからだ、と指摘する。

「桜小学校では、服や靴を洗う、自分の体を洗う、宿題をする、朝起きて学校に来るといった日本では当たり前とされているそうした文化を身につけていない子どもの潜在的ニーズに気づき、異なる処遇を通じて応答する価値規範や仕組みができているといえる。ケアのあり方は、まずは教師が全面的に支援をしつつ、次第に子どもが自分でできるようになる自立の過程を歩ませようとするものであるといえる。」(p128-129)

この部分を読みながら、桜小学校でなされている支援は、一斉体制・一斉主義に基づく教育とは全くことなり、個々人の事情や差異に合わせて、必要なニーズに応答していく、という部分では、ケアであり、極めて福祉的色彩の濃いものであると感じた。さらに言えば、そのようなケアを学校が提供するからこそ、初めて他の子どもと同じスタートラインに立てる、という意味では、教育機会の実質的保障を裏打ちするケアである、といえる。これがこの本のタイトル「ケアする学校づくり」に込められた意味であると、受け取ることができた。

「差異を前提に異なる処遇が重視されるこのような空間の中では、同質性を前提に「みんな同じく」処遇することを原則とする教育における、一定の基準に従った序列化は意味をなさず、仲間を出し抜く競争は不必要なものであると学べる。子どもたちが異なる処遇への不寛容と恐れを克服し、ケアする学校文化を変容する担い手となったのは、教師との関わりや地域学習での学びを通じて、一斉体制・一斉主義の学校・学級規範を維持・強化させる水面下での序列化や競争を無価値化し、同調圧力を跳ね返すための価値規範を身に付けつつあったからであろう。また、自らの声がそのまま承認される空間を体験し、そうした空間の居心地の良さを肌で感じたからこそ、子どもたちは、子ども間のあるいは社会における同調圧力を相対化し、ケアするクラスや社会を創出するための意欲を高めてきたのではないかと推察される。」(p230)

大学という現場において、同調圧力に従い、自らの声を引っ込めて、教員や親が望む声に合わせてきて、生きづらさやしんどさを感じている学生たちとたくさん出会っている。その中で、日本の学校教育の、一斉体制・一斉主義や、異なる処遇への不寛容さをヒシヒシと感じる。だが、この本を読んでいると、そんな日本において、さらにはしんどい家庭状況の子ども達が集う地域の学校の中で、日本のドミナントな教育の歪みを越える実践がなされている、というのを学んで、本当にびっくりしたし、希望を見いだす本でもあった。それが何より、「ケアする学校」という、福祉と教育の融合点にある、というのは、僕にも思いつかない視点だった。だが、迫力のあるフィールドワークや子ども、先生たちの声から、これなら日本の他の教育現場でも十分に実践可能な内容である、とも感じた。

そして、「同質性を前提に「みんな同じく」処遇することを原則とする教育における、一定の基準に従った序列化は意味をなさず、仲間を出し抜く競争は不必要なものであると学べる」ことは、貧困地域ならず、変化の激しいこれからの社会で、子ども達が共に協力し合いながら生き抜いていく上で、すごく意味や価値の大きいことだと思う。そして、その前提として、「自らの声がそのまま承認される空間を体験し、そうした空間の居心地の良さを肌で感じた」という部分にも深く頷く。安心して本音でしゃべれる、その声が否定されず承認される、そこで居心地の良さを感じることが、生きていく上での土台となるのだ。

そう思うと、ケアする学校、とは、教育と福祉を単に接合すること、ではない。どんな家庭に育った子どもであれ、自分は生きていてもいいんだ、友達と違っていてもいいんだ、ありのままで自分自身は承認されるんだ、困ったことがあっても助け合える環境が学校にはあるんだ、ということを、肌身で子ども達に実感させる学校である。それは、一斉体制・一斉主義や同質性を前提とした序列化、とは真逆の様相である。そして、僕の子どもにも、そうう「ケアする学校」で学び合ってほしい、と強く感じる。そんな気づきや希望を与えてくれる一冊だった。

気がつけば6000字を越えた書評だが、最後に個人的なことを書いておく。著者の柏木さんは、学部も大学院も同級生で、大学院では「ボランティア人間科学講座」という大講座で一緒だった。ご自身も「おわりに」で書いておられるが、子育てと研究の両立で大変だった、という。

「子育ては、もちろんやりがいも大きいものですが、責任の重い本当に大変な仕事です。さまざまな事情で、子育てに十分な時間と労力を避けない保護者の悲鳴とそこでなんとか生き抜いている子どもの声を聞きつつ、すべての子どもと保護者の過ごしやすい学校のあり方を模索するべきではないかというのが今の強い思いです。一方で、一人の人間として子育てや介護やその他の事情を多く抱える教師にとっても、働きやすい環境が求められています。そのため、みんなが過ごしやすい学校の模索はとても大切な課題だと考えています。子どもも教師も保護者も、みんなが幸せを感じられる学校空間とそのための仕組みがあれば、きっとみんなが元気を貯められるし、安心して子どもを生める社会づくりにつながるのではないかと思っています。」(p260)

自分の実感と学問とフィールドを結びつけ、自分の言葉で問いかけているのが、柏木さんらしい、説得力ある表現だと思う。かつ、院生の頃から僕より遙かに勉強家で、教育や福祉領域に関する膨大な先行研究を読みあさりながら、フィールドワークも沢山積み重ねながら、子育てもしながら、ご自身の納得のいく論考を骨太に書き上げておられる。僕は大学院卒業後、甲府で暮らしていた期間が長く、年賀状のやりとり以外、疎遠になっていた。だが、ふとしたきっかけで最近つながり直し、ネットでググってみたら、この2月に彼女の初の単著が出たと知り、タイトルも興味深くて読んでみたら、めちゃくちゃ学ばせてもらうことが多い、迫力ある一冊だった。

15年以上の時を経て、柏木さん(の研究)と出会い直した、という意味でも、実り深い読書体験であった。

福祉に欠けている地理学的視点

あまり大きな声では言えないが、これまで地理学の本を読んだことはなかった。本書も、著者が職場の斜め前の研究室におられる同僚で、誠実なお人柄で、学生の卒論の指導レベルがめちゃくちゃ高い杉山先生の本でなかったら、もしかしたら手に取らなかったかもしれない。でも、手にしてすごく良かった。自分が想定していなかったアプローチから、自分が考えてきた領域を捉え直す論考だったからだ。

「コミュニティ論の意義は、一定の地理的範囲のコミュニティに根ざす諸主体が、各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力が論じられることにある。あわせてそれは、ユートピアを語っていると(あるいは語りすぎていると)、「場」の幻影が生み出される隙間を与えかねないとの警鐘にもつながる。ネガティブに考えすぎるとの批判を受けてしまうかもしれないが、「場」の幻影は、過度な没場所性、新自由主義的発想への進展に向けた協奏曲ともなりかねない。」(杉山武志『次世代につなぐコミュニティ論の精神と地理学』学術研究出版、p21-22)

地域福祉に関わりながら、僕自身はこれまで、場所や場、空間の違いさえ、きっちり考えたことはなかった。ただ、厚労省が言う地域包括ケアシステムは、標準化規格化されたモデルが当てはまらず、その地域のローカルな文脈に当てはめて、カスタマイズする必要があることは、山梨時代の実践からも感じていたし、そのことはチーム山梨でまとめた書籍に至る議論の中でも、繰り返し確認し続けていた。しかし、このときのローカルな文脈が「一定の地理的範囲のコミュニティ」である、と明確に自覚化していなかった。そして、様々なワークショップや話し合いなどの「場」を作りながら、そのようなローカルな文脈に迫ろうとしていたが、そこに「「場」の幻影」があり、それが「過度な没場所性、新自由主義的発想への進展に向けた協奏曲ともなりかねない」とは、思いも寄らなかった。でも、言われてみたら、確かに、と思うのだ。それは、山崎亮氏の<コミュニティデザイン>論についての言及に現れている。

美の幻影

僕自身も山崎亮氏の論考を10年前に初めて読んだ時は感動し、それを評価するブログも書いていた。でも、その後何冊か読んだり、実際に彼の講演を聴く中で、何かモヤモヤするな、と思いながら、どう違うのかを言語化してよいのか、わからないままだった。でも、杉山先生の本の中に、そうそう!と思う分析を見つけた。

「コミュニティ“そのもの”のことを組織や集団と捉えて「デザイン」していくような発想には、素朴な疑問を覚えてしまう。とりわけ留意しておかねばならないのは、<コミュニティデザイン>論が「美」を強調することによるワークショップなどの一時的な「場」を「コミュニティ」と捉えてしまっていることにあろう。地理なき組織化というべき、コミュニティ概念の危機といえる状況を解決するためには、コミュニティとアソシエーションの関係をいま一度、振り返ることが求められる。」(p29)

山崎氏の本や講演で圧倒されたのは、僕なんかには到底真似の出来ないワークショップの美しさ、かっこ良いデザインによるまとめ、である。だが、その美しさになんだかモヤモヤしていたのだが、「<コミュニティデザイン>論が「美」を強調することによるワークショップなどの一時的な「場」を「コミュニティ」と捉えてしまっている」という指摘を読んで、まさに「そうそう!」と思ったのだ。一回、ないし数回のワークショップで美しいビジョンや計画書ができあがっても、それは「一時的な「場」」の成果である。だがそれで継続的にその地域がエンパワメントされたか、という話は別である。杉山先生はその事態に関して、「地理なき組織化というべき、コミュニティ概念の危機」への危惧を感じているのである。

「問題は、「まちづくり」ではないとされる<コミュニティデザイン>論をきっかけに、都市計画学ベースの「まちづくり」の発想が強化されてしまう逆説的な原因への探求があまりなされていないことにある。」(p26)

美しさは、それが集合的な何かを美しく見せる事である場合は特に、ある種の管理や統制、支配にも、繋がる可能性を秘めている。住民の声に基づいたワークショップなどでコミュニティの有り様を整理していく<コミュニティデザイン>論も、美しく仕上がったものは、「都市計画学ベースの「まちづくり」の発想」を意図せざる形で強化することに繋がるのではないか。この指摘は、深くて、重い。それは、最初に引用した杉山先生の指摘に立ち戻ると、さらにクリアにみえてくる。

「コミュニティ論の意義は、一定の地理的範囲のコミュニティに根ざす諸主体が、各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力が論じられることにある。」

ある「一定の地理的範囲のコミュニティ」において、実際に何か新しいことを始めたり、何かを変えようとすると、時として恐ろしいほどの反発に遭う。それは、町内会や自治会、PTAや民生委員といった地縁組織の改革がなかなかしにくい、ということでも、ご理解頂けると思う。そして、そのような反発や抵抗といった「各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力」がないと、いくら一時的な「場」で美しい成果を作り上げても、それが「ある特定のコミュニティ」という「場所」全体を変える成果には結びつかない。でも、そのような利害調整は、はっきり言って面倒だし、出来れば主体的に関わりたくない。すると、面倒な利害関係調整よりは、なんとなく美しく解決してくれそうな「「場」の幻影」にすがりたくなるし、そのような「幻影」を売り物に地域に入り込む外部者の中には、「過度な没場所性」や「新自由主義的発想」と結びついた業者が入る混む可能性だってあるのではないか。これは、福祉系のコンサルが自治体に食い込む様子を山梨で散々見てきて、時にはアンケート調査の集計と自治体名だけ違うけどそれ以外は(表紙まで含めて)全く同じパッケージを一つのコンサルが複数自治体で作っている「幻影」と直面していた僕には、深く頷ける話であった。

外発性の限界

そして「過度な没場所性」や「新自由主義的発想」と結びつく危険性は、「創造的農村」の代表事例としてマスコミで何度も取り上げている、徳島県神山町にも当てはまる、と杉山先生は指摘する。

「神山町には整備された情報インフラやアメニティに魅力を感じた創造人材が移り住むようになってきているとされるが、ある一定の時間が経過したのちに別の都市や農村へ移動しない保証はない。東京の企業が神山町にサテライトオフィスを構えても、東京の本社とのテレビ会議システムを通じて首都圏の市場に目が向いていては—あるいは首都圏から管理されていては—、内発的発展論で否定されてきた「外来型」の企業誘致とそれほどの差を感じない。創造農村論における内発的発展論の彷徨いが浮き彫りになっている。」(p168-169)

コロナ危機において、在宅ワークが推進され、都心の人口が減ったり、リモートワークが全国的に進みつつある、という記事も繰り返し流されている。だが、ずっと以前から行われてきた、高速道路沿いの「工業団地」に代表されるような「外来型」の企業誘致って、景気の浮き沈みで撤退の憂き目にあっている自治体も少なくなく、そもそも工業団地的発想が頭打ちである、ということは、全国的な課題でもある。そして、高速道路や工業団地の整備と同じように、「情報インフラやアメニティ」を整備したところで、「ある一定の時間が経過したのちに別の都市や農村へ移動しない保証はない」というのは、まさにその通りである。杉山先生の論考が深いのは、そこで論を終わらず、「東京の本社とのテレビ会議システムを通じて首都圏の市場に目が向いていては—あるいは首都圏から管理されていては」、結局以前の企業誘致と同じではないか、と本質を突く。つまり、製造業だろうがIT産業だろうが、なりわいが外からもたらされ、それによって一時的に反映しても、そのなりわいが首都圏や都会から管理され、支配されている限り、自生的で持続的なコミュニティ形成とは言いがたいのではないか、という指摘である。まさにその通りなので、これも蒙を啓くような指摘である。

ではどうすればよいのか。杉山先生はその処方箋として、集団的学習と、地域スケールの実態にあった関係性の再構築、の二つとして示してくれている。

学びあいからの活性化

集団的学習の手がかりとして、僕は初めて知ったのだが、「イノベーションを生成する風土・環境(milieu)」である「イノベーティブ・ミリュー論」(p91)を杉山先生は取り上げる。これは「域内のローカル・ミリューの存在によって、アクター間のつながりを基礎として集団的学習が促進され、イノベーティブな意志決定が起こりうる」(p91)という特徴があり、以下のようなポイントがあるという。

「ミリューには、1)変化が激しく不確実性が高い状況下において意志決定を可能にする役割、2)ミリューの機能が集団的学習を促進する役割がある。すなわち、ミリューとは人々の認知フレームを提供するような地理的環境であり、地域への帰属意識、共通の価値観、地域的な制度や慣行という要素によって支えられている。」(p92)

「人々の認知フレームを提供するような地理的環境」という切り口や視点自体が僕にとってはすごく新鮮だったが、ふと浮かんだのが、前任校の時代に出会って、今も愛飲している甲州ワインのことである。甲州市勝沼地区やその近接地域では、醸造家の二代目三代目同士の「集団的学習」が促進される中で、甘ったるい格安ワインから、本格的な甲州ワインブランドが確立されていった。それは、甲州ワインのブランドの質向上に向けての「アクター間のつながりを基礎として集団的学習が促進され、イノベーティブな意志決定が起こりうる」環境が、あの地域で醸成されていったということである。そして、杉山先生は次のように論を進める。

「重要な論点は、製造業を中心とした集団的学習論から、ミリューとしての都市を背景にアソシエーションといった社会的文化的な集団、産業分野の多様性をもつ集団へと、考察対象が移行してきている点にある。」(p94)

これも甲州ワインを念頭においたら、よくわかる。最初は海外産ワインに負けない味と品質を目指した「製造業を中心とした集団的学習」の段階だったのだが、今ではワイナリー巡り、ワインツーリズムなどのブランディングなど、ワインを通じた地域コミュニティの形成、つまり「ミリューとしての都市を背景にアソシエーションといった社会的文化的な集団、産業分野の多様性をもつ」段階に甲州エリアは変わってきている。まさにそれは「イノベーティブ・ミリュー論」が発展しているプロセスだと、この本を読んでやっと合点がいった。

この本では4章で鎌倉市での「地域コミュニティとしてのつながりの回復」が、5章では大阪府内での商工会議所における経営指導が論じられているが、一見バラバラに見えるこれらの論点は、徹底的な学び合いという集団的学習の中から、なりわいの回復と共に、その地域の中でのアソシエーションの活性化と地域コミュニティの賦活化をもたらしている、という共通性がある。そして、これこそが「一定の地理的範囲のコミュニティに根ざす諸主体が、各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力」の成果なのだと、改めて腑に落ちた。

場所と空間

ここで最後に、場所と空間の違いを整理しておきたい。本書では人文地理学者のトゥアンの整理に基づき、「場所が持っている安全性と安定性」「空間が持っている開放性、自由、脅威」(p236)を対置させている。コロナ危機において、僕は姫路という「場所」からあまり外に出ずに、その中で安全性と安定性を担保する事が出来たが、一方でしょっちゅうサイバー「空間」であるZoomで日本中、そして時には海外の人とも議論をし続ける中で、自分にとっての開放性や自由も担保してきた。その際、杉山先生はこのように指摘する。

「感情(=場所/ローカル)と理性(=空間/グローバル)という二元論をこえた「相互に構成し合っている」世界観への理解が求められている」(p229)

場所に過度にこだわり、空間への敬意を怠ると、排他的共同体になりやすい。一方、空間に過度にこだわり、場所への敬意を怠ると、全国どこでも同じような郊外のショッピングモールやファミレス、コンビニ、量販店ばかりの空間が構成され、その土地の魅力が去勢されてしまう。だからこそ、その双方への目配せが必要不可欠なのだ。

「ネオ内発的発展論の領域の見方は、地理学的スケールを持つ。すなわち、内発的発展が指向した農村地域内で完結する単位だけでなく、ローカルとグローバルを媒介する単位として領域が扱われている。したがって領域的アプローチとは、農村の内部から動かす内発的なアプローチだけではなく、外部から地域に働く力と協同できる制度の構築に特徴をもち、地域内外の多様な主体の参加に基づいて農村地域の発展を目指す方法といえる」(p183)

閉塞的な同質集団だけのローカル(=場所)でもなく、顔を持った個人ではなく消費者や市民という単位でまとめられるグローバル(=空間)でもなく、その媒介としての領域。それは川と海の境界の、淡水と海水の混じり合った汽水域である。この汽水域としての領域は、「内部から動かす内発的なアプローチだけではなく、外部から地域に働く力と協同できる」両義性を持ち、であるがゆえに、「地域内外の多様な主体の参加に基づいて農村地域の発展を目指す」可能性を秘めている。

例えば7章で書かれた丹波篠山市の東部地域の事例で言うと、旧小学校区ごとの場所である6地区それぞれでは、過疎化の進行の中で、その地区の自治を単独で考えることに限界を迎えかけていた。そのときに、6地区をつなぐ学びあいの実践をする中で、集合的学習から、やがて地区を越えたつながり(アソシエーション)が生まれ、東部6地区間の連携が密になってきているという(p218)。これも、6地区という「領域」において、「内部から動かす内発的なアプローチ」の枯渇や限界を超え、「外部から地域に働く力と協同」する中で、「地理学的スケール」にもかなった形で、「二元論をこえた「相互に構成し合っている」世界観」を構成しようとしている実例とも言える。

地域福祉が学べること(インプリケーション)

これまで、杉山先生の論理展開を追いかけてきたが、そのプロセスの中で、地域福祉が学べる部分が沢山あるな、と感じている。

自戒を込めて書くのだが、僕自身が、場と場所、空間の差違に無自覚なまま、誤用してきた例が沢山ある。「地域づくり」「福祉の街づくり」の目的で、ワークショップや議論の場など、色々な場を作ってきたが、それが「幻想」とまでいかなくとも、その場所の、コミュニティの人々にちゃんと腑に落ち、そこから物語変容に結びついたか、と言われると、甚だ心許ない。あるいは、アドバイザーとして地域に関わる際、空間的に近接だからとか、行政圏域が一緒だから、と地理性の違いを理解せずにアプローチして、撃沈したこともある。国が言っているから、と外発的論理を持ってきても、それをローカルな内発的文脈に落とし込めなかったら、形だけの受け取りで、実質的に拒否されたこともある。

そのときに、この本と出会っていたら、「集合的学習」というアプローチが取れたのに、と悔やまれる(が、本書は2020年刊行なので、山梨時代には出会えなかった)。「変化が激しく不確実性が高い状況下において意志決定を可能」にし、「集団的学習を促進する」ミリューのようなものを、地域地域で作りあげていくことができたら、ずいぶん内発性が高まるのだと思う。そして、そのような内発性が高まった地域であれば、汽水域としての領域において、「外部から地域に働く力と協同できる制度の構築」も可能なのだと、今ならわかる。

そして、不案内な地理学の本なのに僕が面白く読み通せたのは、杉山先生の以下の語りが、本書の通奏低音として基盤に据えられているからではないか、と感じている。

「近隣地区との旧知のつながりも丹念に再発見し、汗をかく中でつながりを大切に育み直し、その地域スケールという基盤のうえに域外の諸主体との連携をともに発展させていくことが共発というものではなかろうか。」(p221)

これは地域福祉に携わる生活支援コーディネーターや社協職員、自治体関係者などにも全くもって当てはまる叡智ではないだろうか。美しい幻影にすがるのではなく、「土の香りのある」「泥臭い」(p30)世界観のなかで、まずは「近隣地区との旧知のつながりも丹念に再発見し、汗をかく中でつながりを大切に育み直」す。そんな中で、「一定の地理的範囲のコミュニティに根ざす諸主体が、各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力」を重ねていく。そのプロセスにアクターとして関与し、外部者と内部者の入り交じる汽水域において、「地域スケールという基盤のうえに域外の諸主体との連携をともに発展させていく」なかで、おもろい何かが創発されていくのである。

僕自身が、この本を通じて、地理学的視点と出会うことで、今まで何が見えていなかったのか、何が分かっていなかったのか、を教わりつつある。そして、これから地域福祉に関わるときは、少しは地理学的な視点も持ちたいな、と思いを新たにしている。

「隠蔽される男の下駄」の暴露

久しぶりに読みながら自分の身をえぐられるような、強い揺さぶりをかけられる読書体験だった。それは文章や書かれた内容が陰惨だ、とか攻撃性が強いとか、そういうことではない。学術書として精緻に論理的に議論を積み重ねる中で、男性である自分自身の権力性・支配的立ち位置を、そのものとして提示され、あなたはこのことに無自覚なままで良いのですか?と問われているように感じたからである。しかも同じ男性の著者から。

「「男性優位社会」の構造のもとで男性に突き付けられているのは、男性たちに支配の志向を「断念」することができるのか、いかにしてその志向にとらわれずに済むのか、という問いである。その意味で、男性が降りるのは男性性ではなく、より直截に「支配者としての地位」と言うべきであろう。」(平山亮『介護する息子たち』勁草書房、p249)

僕はタイトルだけでこの本を舐めていた。介護する息子たちが置かれた苦境や「生きづらさ」について、実態調査に基づき書かれた論考なんだと思い込んでいた。それはそう遠からぬ先に自分自身の問題になるかもしれないけれども、「いま・ここ」の僕自身にとっては直接関係のない話、だと思い込んでいた。だが、そのような思い込みこそが、「男は、自分が下駄を履かせてもらっていることを、どうしてここまで無視し続けられるのか」(p258)というジェンダー不平等の温存への加担につながるスタンスだと本書で気づかされ、それは僕にとっても「いま・ここ」の問題であると突きつけられた。読み終えた後に表紙を見返して、副題に「男性性の死角とケアのジェンダー分析」とあるのに気づき、改めてそういう本だと頷いた。

「「自立/自律」はしばしば男性性に結びつけられ、「自立し自律した存在」であることを強迫的に自らに求める男性も少なくないが、多賀のようにそれを「生きづらさ」と呼ぶ代わりに、本書ではむしろ、その事実がどのように構成されているか、「自立/自律」がそのように構成されることで、男性優位のジェンダー関係がいかに維持されているかを批判的に考察することを試みた。」(p249)

ここで批判の対象になっているのは、男性学の視点から「男らしさ」を批判的に考察してきた多賀太さんのことである。平山さんは、その多賀さんの論考を検討しながら、「自立し自律した存在」であることを強迫的に自らに求める=生産性至上主義に絡めとられる男性の課題を、「生きづらさ」の問題としてはならない、と鋭く批判する。生産性至上主義によって、結果的に家族内で支配的な稼得能力を持ち、その経済的な稼得能力によって女性や子どもを従わせているという点で、「支配者としての地位」を男性は保っているのである。それを「生きづらさ」の問題に矮小化して捉えず、「男性たちに支配の志向を「断念」することができるのか」を問うているのである。

フィクションとしての「自立/自律」

さらに平山さんは、「自立し自律した存在」はフィクションである、と喝破する。

「男性たちに必要とされているのは、「自立と自律のフィクション」を解体することである。「男らしさ」の名の下に、男性たちが自立的で自律的だと観念してきたこと。それさえ体現していれば一人前でまっとうな存在であるかのように信じて疑わなかったこと。そして逆に、そうではない存在を貶め、侮り、依存的存在は自立し自律したものの庇護(=支配)を受けるか、排除されてもしかるべきと考えてきたこと。それら全てが、自身が常に既にしている多くの依存を「なかったこと」にして成り立っていることを、直視することである。そして、依存を「なかったこと」にし、自立性と自律性を捏造するために、個人としての存在を認めてこなかった他者—私的領域において依存してきた他者—に対し、自分とは別の人格を持つ個人として向き合い、関わることである。」(p31)

男性達が「外で稼いでくる」ことによって、経済的な自立、および主体的人間としての自律を勝ち取っている、と思い込んで、「それさえ体現していれば一人前でまっとうな存在であるかのように信じて疑わなかったこと」。その表裏一体の関係として、「外で稼いでくる」ことの出来ない専業主婦やパート労働の妻という「存在を貶め、侮り、依存的存在は自立し自律したものの庇護(=支配)を受けるか、排除されてもしかるべきと考えてきた」こと。これは、男性達が女性への依存に基づいて初めて可能になった、ねつ造された「自立性と自律性」である。にも関わらず、その依存を「なかったこと」にするために、「私的領域において依存してきた他者—に対し、自分とは別の人格を持つ個人として向き合い、関わること」が出来なかったし、それがジェンダー不平等の温存の本質部分だ、と著者は喝破する。

お膳立てをするのは、誰か?

では、男性は女性にどのような部分を依存しているのか。それを著者は「お膳立て」という「マネジメント」機能であると整理する。

「メイソンが「感覚的活動」という概念を提案したのは、「世話すること」という物質的な労働が、他者の生活生存を支えるケアとなるために、そこで潜在的に行われているマネジメントないしは「お膳立て」を可視化するためだった。そのマネジメントに含まれるのは、他者の状態や状況、嗜好などを把握した上で、他者の世話となる個々の作業を組織・編成することだったり、そうした作業を通じて、他者を社会関係に組み込み、その関係がうまく回るように調整することなどである。」(p51)

このケアにおけるマネジメントとは、子育てをしている我が家でも思い当たる節がたくさんある。例えば食事作りも僕はなるべく分担しているが、子供の状況を見ながらどれだけ食べさせるべきかを判断するのは、大概の場合、妻である。洗濯ものを干したり畳んだりも夫婦で分担するが、子供の服を入れ替えたり、どの服を買うかを判断するのは妻の役割である。こども園への送り迎えも夫婦で出来る方が行うが、子供の服や持ち物に名前が書いてあるかを確認して、油性ペンでささっと名前を書き込むのは妻の役割である。つまり、子育てに関して、子供の状態や状況、子供の好みなどを把握した上で、個々の作業を組織・編成するのは明らかに妻の役割であり、それができているから、子供は社会関係に組み込まれ、その関係がうまくいっているのである。そしてそのマネジメントを妻にお任せすることによって、僕自身は子育てを分担することが可能になる。つまりケアのマネジメントに関しては、妻に大半のことを負担させているわけであり、そのお膳立てがあって僕自身も初めて子育てが可能になっている。と言うことに気づかされて、自らの土台が突き崩されるような衝撃を受けた。しかも本当のことであるから。

「作業としての「世話すること」に従事する男性が増えても、女性にとってのケアの負担が減っているように思われないのは、まず、マネジメントの多くをいまだに女性が担っていること、さらに、マネジメントを担い続けながら(担わされ続けながら)、作業だけは男性向けに分離するという困難を求められていること、そして何より、マネジメントが目に見えない活動だけに、その困難を男性に提示して理解させることが難しいことに由来しているのではないだろうか。」(p59)

少し前からはやっている「イクメン」という言葉を僕は使わないし、育児参加を称揚するプロパガンダ言説としての意味は認めるが、手放しで喜べないと思っていた。が、その理由を論理立てて説明することは、出来なかった。だが、この平山さんのケアにおけるマネジメントに関する論考を読んだ今、はっきり「イクメン」の課題が浮かび上がる。「イクメン」と称揚される男性は、「作業としての「世話すること」に従事」している。だが、育児分担する男性の多くは、僕も含めて、上記のような日常生活における「他者の状態や状況、嗜好などを把握した上で、他者の世話となる個々の作業を組織・編成することだったり、そうした作業を通じて、他者を社会関係に組み込み、その関係がうまく回るように調整する」マネジメント機能を妻に任せて、部分的に物理的に家事育児を分担している。そのような「お膳立て」やマネジメント、気配りや配慮というものは、改めて考えてみると、かなりの労力を使うものなのだが、「目に見えない活動」であるがゆえに、その存在が意識化されることはない。かつ、そのお膳立てやマネジメントには、付随する具体的なケア行為(油性ペンで名前を書いたり、もう少し食べさせた方が良いとさっと冷蔵庫からウィンナーを持ってきたり)を伴っているが、これはマネジメントに連続的に付随した作業・行為であるがゆえに、そのマネジメントを行っていない(把握していない)男性パートナーに説明するのもまだるっこしくて、「自分一人で全部やってしまった方が楽」(p59)と母親が感じ、父親は「妻がやってくれるから」とそのマネジメントにただ乗りして、その大変さや負担を理解できず・・・の悪循環が続くのである。

介護におけるマネジメントと「自立/自律」

長々と子育てのことを書いてきたが、平山さんが主に論じるのは息子による親のケアとしての介護の話である。しかしながら、男がケアをすることという論点で言うと、男性による子育てと親の介護には共通する問題があると強く感じる。

「親のケアをめぐる子供たちの関係から浮かび上がる、息子による「親の看方」と「親の見方」。そこから示されたのは、親へのケア体制の中で、息子がいかに依存的な存在であるかと言うこと、そして息子は、自分が依存しているまさにその相手によって、自身の依存性に直面せずに済んでいることである。息子が必要なケアの判断を親自身に依存する一方、それを「親の主体性の尊重」としてカモフラージュすることができる。またケアの遂行のための「お膳立て」を女きょうだいに頼っているにもかかわらず、彼女たちによる事実の書き換え(=「家族の虚像」)の恩恵を受け、女きょうだいのそうした貢献に気づかずにいられる。」(p98-99)

息子が親を介護する場合、親に何をして欲しいかを、介護される対象者である親自身に尋ねることが多い。その一方娘の場合は、親の判断に委ねるだけでなく、自分からこれが必要そうだとマネジメントして、「常に寄り添う」姿勢を取ろうとしている。平山さんはこの対照的なアプローチの違いを指して、親の好みやニーズ、状況を判断して必要な支援を「お膳立て」「マネジメント」することを女きょうだいに任せた息子の課題を指摘する。これは、妻(時には子ども)が言うことに従って部分的にケアを担う夫と、構造的に同一性がある、ということである。

そして、このように「お膳立て」や「マネジメント」を、女きょうだいや、時には介護する母親に任せたままで息子が介護をすること自体が、「自分が依存しているまさにその相手によって、自身の依存性に直面せずに済んでいること」を象徴している、と平山さんは指摘する。つまり「家族の虚像」の恩恵を受け、そのフィクションの上で介護者としての「自立/自律」を果たしているという思い込みを、鋭く射貫いている。

「親を対等な存在に留めおこうとする息子の姿は、男性が支配の誘惑にいかに弱いかを逆説的に示している。相手が弱者だということを認めないことによってしか、相手を従属させることを防げないのだとすれば、それは、相手は弱者とみなした途端、自分が相手を直ちに支配してしまう/支配したくなるということを、自覚しているのと一緒である。
息子=男性にとって必要なのは、相手の弱さを認めないことではなく、弱さを受け入れることである。もっと言えば、相手の弱さを認めた上で、その存在を侵さずに済む回路を探ることである。息子によるケアの問題がある男性たちに突きつけているのは、「どうすれば男たちは、弱き者を弱き者のまま尊重することができるのか」と言う課題なのである。」(p103)

「どうすれば男たちは、弱き者を弱き者のまま尊重することができるのか」という命題にドキリとする。それは子育てに置き換えると、妻のマネジメントの下で、妻に聞きながら家事育児をする、という、一見すると、妻を「対等な存在に留めおこうとする」僕の姿は、「相手は弱者とみなした途端、自分が相手を直ちに支配してしまう/支配したくなるということを、自覚しているのと一緒である」という言説とまさに地続きだからである。そして、僕自身は、稼得能力によって妻や子を支配していないか、が文字通り問われる。また、自分の弱さや相手の弱さをどちらも認めることにより、「自立/自律のフィクション」を越えて、お互いを「弱き者のまま尊重することができるのか」が問われている。「支配者になり得る」という自らの立ち位置を鋭く問われる。

Doing Gender

平山さんは上野千鶴子氏から多くの学びを受けたジェンダー研究者でもある、とあとがきに書いていた。そして、本書において彼はウエストとジンマーマンによる以下のジェンダーの定義を用いる。

「個人が属する(とみなされる)性別カテゴリーを参照して、その個人の行為や置かれた状況を説明可能にする実践をジェンダーとして定式化した」(p108)
「「男性とは、女性とはどのようなものか」「両者はなぜどのように異なっているのか」—性差に関する現実は、このような「説明可能にする実践」によって構成されているのである。」(p109)

平山さんはこの定義を用いながら、「男らしさ」という表現がジェンダーであるという定義を退ける。「彼らは『男らしく』あろうとして、そのように行動しているのだ」と「説明することがジェンダー(を行うこと)なのである。」(p109)という。

「自立し自律した存在」であることを強迫的に自らに求める男性に対して、男性の「生きづらさ」を主張する旧来の男性学は、そのように説明することによって、その「自律した存在」を追い求める規範そのものを問いなおそうとしない、という意味で、旧来のジェンダー不平等を説明してしまっている(Doing Gender)であると指摘する。だからこそ、平山さんは、これまでのジェンダー不平等を変えるには、これまでと違う形で、「その個人の行為や置かれた状況を説明可能にする実践」が必要とされる、と提起している。

「「支配のコスト」は「支配のコスト」でしかなく、それを「生きづらさ」と呼ぶ必要はない。むしろ、自身の生存のための稼得能力を求める女性の困難と、他者を扶養=支配するための稼得役割を求める男性の困難を、同じ「生きづらさ」という語でまとめてしまう事は、それらを「似て非なるもの」であることを隠蔽する効果があるだろう。」(p239)

「自身の生存のための稼得能力」と「他者を扶養=支配するための稼得役割」は「似て非なるもの」であることを、隠蔽せずに自覚すること。その上で、二つの違いに自覚的になり、後者における男性の「生きづらさ」をなんとかするよりも、前者における女性の「生きづらさ」の改善に男性が手を貸すことこそ、ジェンダー不平等を越えるための、もう一つの(オルタナティブな)ジェンダー実践(Doing Gender)であるのだ。

「重要なのは、夫婦の家族役割に固執することが女性への支配の志向に他ならないことを直視して、既存の構造のもとで女性が男性に従属的な地位に置かれうるあらゆる可能性を、男性の側が慎重に回避・排除していくことである。」(p243)

「既存の構造のもとで女性が男性に従属的な地位に置かれうるあらゆる可能性を、男性の側が慎重に回避・排除していくこと」について、大野祥子さんの研究を引きながら、次のようにも述べている。

「大野の提案が意味しているのは、要するに「女性を従属させ、支配することから『降りる』気があるのなら、まずあなたの目の前にいる女性との関係から、それを始めなさい」と言うことだろう。なぜなら、妻が就労し稼得能力を得られるよう支える事は、妻が個人として「生の基盤」を確立させるようサポートし、翻って、妻は夫の自分に経済的に従属し、自分に支配される可能性を、夫の側から回避しようとする試みだからである。」(p245)

まずあなたの目の前にいる女性との関係を変える試みから、始めなさい。

全くもって、その通りである。僕の妻は、子育てや僕の職場や住まいの移動などいろいろあって、現時点では、フルタイムでの労働はしてない。ただ、これからの彼女の「生の基盤」を確立する上で、「妻が就労し稼得能力を得られるよう支える事」は、僕自身が具体的に実践出来ることだし、「妻は夫の自分に経済的に従属し、自分に支配される可能性を、夫の側から回避しようとする試み」になりうる。それが、僕にとってのジェンダー不平等を越える、身近に実戦可能なDoing Genderの一つの可能性である。

「男性性を今のようなものとして理解し説明する、まさにそのことによって隠蔽される男の下駄、ジェンダー不平等があるのではないか、ということ、したがって、そのような男性性を前提にして何かを語る限り、それが例えば男性性(の抑圧)からの解放の主張であっても、男の下駄は影に隠れてしまうのではないか」(p259)

男性が女性より特権的地位にあるのは、「自立し自律した存在」というフィクションを、母や女きょうだいなどの女性(「家族の虚像」)によって担保され、お膳立てされ、そのことに無自覚なままでいるからである。これが、男性が「下駄を履かせてもらっている」実態である。このような「男性性」にまとわりつく「下駄」としての「ジェンダー不平等」をそのものとして認識しない限り、「男性性(の抑圧)からの解放」は進まない。男性が女性を稼得能力によって支配する。この冷酷な事実と向き合い、支配者としての男性が女性の「お膳立て」によって確保できている支配者としての特権の虚像=フィクション性に自覚的になる。それをあたかも男の実力だと誤解して、それで女性を支配しようとする暴力性にも目を向ける。その上で、別の形でDoing Genderするなら、「まずあなたの目の前にいる女性との関係から、それを始めなさい」という平山さんの指摘は、本当にその通りだと思う。

僕自身の「下駄」を自覚すること、そして僕自身が、支配者になり得ると言うことに自覚的になり、そこから「降りる」努力をするために、妻と話し合い、別の実践を試みる(Doing Gender)こと。また、「お膳立て」といったケア行為の本質的部分に用いられている労力に自覚的になり、それを一方的に妻に託していないかを意識し、僕自身もできる限り担うための工夫や努力をすること。

いま・ここ、から具体的に出来そうなことも、見えてきた。

違いを知るための対話

最近はオンラインでの講演やファシリテーションの仕事も増えてきた。そんな中で、僕にとって感慨深いのが、先月と今日行った二つの対話の場のファシリテーション。先月のご依頼は、とある精神科病院を持つ医療法人からのご依頼で、権利擁護に関する研修会。今日のご依頼は、とある入所施設からのご依頼で、地域移行に関する研究会である。

この二つがなぜ感慨深いのか。僕のことをある程度ご存じの方ならご承知かと思うのだが、僕は長年、脱施設・脱精神病院に関する研究を続けてきたし、そういう著作も出し続け、発信もしてきた。ご依頼くださった方々はそんな僕の来歴を知った上で、あえて入所施設や精神科病院の「中の人」の研修に招かれたのである。今日の研修会では、僕が9月に書いた入所施設批判のブログを読んでのご依頼で、その文章も研修会で配布されていた。(それを聞いて「ちょっと大丈夫かいな?」とこちらが心配になった)

せっかくなら、「中の人」がモヤモヤしていること、困っていることを対話してもらうことにして、事前課題を出し、その内容にそったワークショップ形式で臨んだ。精神科病院グループの研修では、事前課題として「あなたが障害者の権利擁護について感じていること、もやもやしていること、わからないことはどのようなことか?」を書いてもらい、入所施設の研修では「どういう人なら地域移行は可能/不可能だと思うか?」を書いてもらった。

すると、法人内研修ということもあり、事前課題としては皆さんの率直なモヤモヤや疑問がよせられた。精神科病院の看護師からは、医療保護入院の患者さんで本人は自宅に帰りたいのに家族が拒否していて、退院の方向性が定まらず、どう考えたらよいか、という課題が出されていた。入所施設の職員からは、強度行動障害の人でも地域移行は可能だと思うが、自傷他害のある人や大声を出す人などは地域で受け入れてもらえないのではないか、という心配事が出された。そして、そういうリアルな「モヤモヤ」に関して、職員間でダイアローグを何度かしてもらい、それに基づいて僕がおたずねしたり、課題を掘り下げる中で、どちらもあっという間に1時間半の研修は過ぎ去っていった。

研修のダイアローグの場では、それらのモヤモヤについて、異なる年齢・経験を持つ同じ法人職員で語り合ってもらったところ、色々な意見が出てきた。例えば医療保護入院の話で言えば、昔は病棟勤務をしていたけど、今は法人内の訪問看護部門で働いている人から、「家族の元に戻さなくても、一人暮らしの支援とか、方法論はいろいろあるはずだ」という意見も出された。強度行動障害の人のケースでは、別の入所施設で地域移行支援をした経験のある人が、「入所施設の落ち着かない環境で自傷をしている人が、一人暮らしや少人数になると落ち着いて、自傷が減った」と話してくれた。外部者の僕が「ああすべきだ」とshould, mustで説得しなくとも、法人内の色々なリソース・経験を持つ人が意見を出し合う中で、「そういうやり方もあるんだ」と気づいてもらえる、そんな場になったようである。

僕はこの二つの経験を通じて、3年前に宣言したことの、やっと入口に立てたようで、感慨深かった。

2017年の春、当時住んでいた甲府から京都まで片道5時間かけて、未来語りのダイアローグの集中研修に出かけていた。そのとき、1年後の自分自身の未来語りをする中で、こんなことを語っていた。ちょっと長くなるが、当時のブログから当該部分を抜き出してみる。

「この研修で、精神科病院の中で働く方々が、様々な苦悩を抱えているのを知りました。支援者は、自分自身の心配事をそれとして言えない。だからこそ、何かがオカシイと感じても、変わることが出来ない。それが結局「どうせ」「しかたない」という諦めや現状肯定につながってしまう。一方僕はそんな現実を問題視し、多すぎる精神科病院に関して、いつも外から批判をし続けて来ましたが、全然変わらない現実に、半分絶望していました。
しかし、今回の研修で、精神科病院の中の人と外の人が対等な場でダイアローグすることが出来たら、そこから風通しが良くなり、精神科病院の現場での苦悩が表面化することで、解決策に結びつくきっかけがうまれるのだ、と思いました。その中で、ちゃんとダイアローグされている病棟現場なら、声高に『脱施設』と言わなくとも、『重度かつ慢性』の人も含めて、どうしたら退院できるか、を話し合う土壌が生まれると思います。
そういう意味で、僕は精神科病院の中の人と外の人が開かれた場でダイアローグ出来るような1年後になっていてほしいし、そのためにはこの1年間で、そういうダイアローグが出来るためのファシリテーターとしての腕を上げたいです。」
「未来語りのダイアローグ」という希望

2018年4月は、山梨学院大学から兵庫県立大学に職場を異動し、住まいも甲府から姫路に移動した最中だったので、1年後に、この未来語りは実現出来ていなかった。でもそれから2年半後にやっと、「精神科病院の中の人と外の人が対等な場でダイアローグする」場を作ったり、「声高に『脱施設』と言わなくとも、『重度かつ慢性』の人も含めて、どうしたら退院(退所)できるか、を話し合う土壌」を作るお手伝いを始めることが出来た。亀のように歩みはノロいが、やっとはじめの一歩を踏み出し始めたような気がする。

なぜそれが可能になったのか。その理由が、今日の本題である「違いを知る対話」であると感じている。このことについて、二カ所の場で話したことの大意は、以前ブログに書いてるので、当該部分を貼り付けてみる。

『対話には、二つの対話があります。①「違いを知るための対話」と②「決定のための対話」です。当事者研究をしている東大の熊谷晋一郎さんは、セルフヘルプグループで行われているのは、「共有のための対話」であり、企業などの意思決定は「決定のための対話」である、とその違いを言っている。実は僕がADを学んだトム・アーンキルさんの所属する研究所では、何かを決める日には、午前中にお互いの意見の違いを出しあった上で、ランチブレイクを挟んだ上で、午後、決定のための対話をする、という。つまり共有や違いを知るための対話と、決定のための対話をわけているのです。
そして、今日の場面では、決定のための対話ではなく、違いを知るための対話だと思います。だからこそ、違和感があったり、納得出来ない声も出てくると思います。でも、自分とは違う声がある、と知ることで、その声を受け止めることで、それを納得しなくても、違いを理解出来ればよい、となるはずです。
不安が高まって、どうしてよいのかわからない、先の見えない今の時期ほど、いきなり決定のための対話をするのではなく、違いを知るための対話をすることが大切だし、今日の対話もそういう対話なのだと思います。』
心配事を意識化する

医療保護入院のケースにおける本人とご家族の意見の対立、強度行動障害で自傷他害をするご本人と支援者や家族の意見の対立。どちらも、これが論理的に一義的に正しい解答、という正解はないケースである。むしろ、Aという解決案と、Bという解決案に、どちらも論理的整合性があり、しかもAとBで価値対立している(時には「神学論争」状態になっている)場合、ともいえるかもしれない。その際、何とか手立てを考えなければ、といきなり「決定のための対話」を行っても、簡単に解決案も出てくるはずもなく、AとBは対立は深まるばかりであり、すると消去法的な(とりあえずの「現実的」と言われる)選択肢として、精神病院や入所施設への長期社会的入院・入所をせざるをえない、という帰結に至る場合も少なくない。

そういう「どうしてよいかわからない」「モヤモヤする」ケースについて、一人で抱え込んでいても、どうにもならない。そういう時こそ、決定のための対話、の前に、お互いがどう思っているか、何が出来そうか、を率直に出し合う「違いを知るための対話」が必要不可欠なのだと思う。自分とは違う他者の他者性を知る対話、他者の内的合理性を理解する対話、とでも言えようか。

そして、話をしてみたら、意外な人が、意外な側面から、こういう事も出来るのではないか、こんな事例もあったけど、別の見方も出来るのではないか・・・という可能性を示してくれたりする。聞く方も、何かを決める対話だと、発言に結果責任が伴い、ゆえに自己防衛的に自分の主張に固執したり、ましてや己の非を認めにくいが、不安や心配事、モヤモヤも含めてお互いの率直な気持ちやアイデアを批評・批判せずにシェアする場なら、その緊張感はほぐれて自由に話が出来る。そして、気楽に他者のモヤモヤやアイデアに触れることが出来る。その中で、「医療保護入院しかない」「地域移行は出来なさそうだ」という閉塞感は、「他の人も感じていたんだ」と知るだけでなく、「もしかしたら自分自身の思い込みかもしれない」「他にやれそうな可能性があるのかもしれない」というヒントを抱くことが可能になる。それが、「出来ない100の理由」を超える「出来る一つの方法論」の模索に繋がる。

あと、この3年で僕が大きく変わったのは、僕が話す量をできる限り減らし、皆さんの対話を深める役割に徹したこと。前回も今回も、1時間半のなかで、3つの話題をについてグループで10分ずつ話してもらい、発表者にお尋ねする中で僕が掘り下げると、それだけで1時間近くかかる。すると、僕が伝えられる内容は正味20分程度のもの。でも、僕自身が研修で「説得モード」で語るのを手放し、「いま・ここ」で生み出される参加者の皆さんの言葉を引き出しながら、その言葉に基づいて、皆さんと一緒に納得し合える何かを形成するwith-nessモードで対話的に場を作っていくと、以前より遙かに深く言葉が届くような気がする。そして、それは3年前に予期した「僕は精神科病院の中の人と外の人が開かれた場でダイアローグ出来るような1年後になっていてほしいし、そのためにはこの1年間で、そういうダイアローグが出来るためのファシリテーターとしての腕を上げたいです」ということが、1年では達成できなかったけど、遅まきだけど、ちょっとずつ、成果を出し始めているのかもしれない。

もちろん、どちらも一回の研修で劇的に何かが変わるわけではない。議論は始まったばかり。だけど、僕自身にとっては、想起した未来の、やっと入口に立てたような気がするので、備忘録的に記録しておく。

シンバル猿にならないために

シンバルを叩くおさる。それは最近はあまり見かけなくなかったが、昔はよくおもちゃ屋に売っていた、あの三三七拍子のお猿である。そんなシンバルを叩く猿に関する恐ろしい話を聞いた。

先日、こども園の保護者会に出かけたところ、理事長が運動会の振り返りの話をしてくれた。うちの子の通うこども園は、「子供を見せ物にするな」と言うポリシーで、一糸乱れぬ行進とかマスゲーム、鼓笛隊の演奏などは全くない。それはなぜなのか、と言う話をする中で、理事長が語ってくれたことが衝撃的だった。

「私は本当は鼓笛隊の指導がすごく上手なのです。びしっと揃えて子供たちを演奏させることができます。保護者からもずいぶん評判が良かったんです。でもある日、商店街でシンバルを叩く猿を見たとき、そのおさるの均一的なリズムが、子供たちの鼓笛隊と重なってしまったんです。それ以来、子供を機械じかけのようにして良いのだろうかと言う疑問が浮かび、以後、笛や号令に合わせて秩序よく子どもを動かすようなアクティビティを止めよう、と決めたんです。」

このエピソードは、とても印象的だったし、ハッとさせられた。僕自身が、大学と言う現場において、シンバルを均質なリズムで叩くおさるのように秩序付けられた「よい子」と沢山出会うからである。そして、それはブログで紹介した『ファシズムの教室』をも思い出させる。田野さんが大学でやっていた実験授業で、一糸乱れぬ整列などを体験した学生が、こんな感想を寄せていた。

「規律や団結を乱す人を排除したくなる気持ちを実感した」
「250人もの人間が同じ制服を着て行動すると、どんなに理不尽なことをしても自分たちが正しいと錯覚してしまう」(p116-117)

実はこの秩序感の気持ちよさは、幼稚園やこども園のマスゲームとか、鼓笛隊とかそういう段階から、延々と再生産され続けているのである。笛を吹いて、号令をかけて、右向け右、と整列させ、子ども達がそれにピタッと従う。それは、子ども達の自生的秩序ではなく、号令や笛を吹く人というひとつの権威や権力の秩序に従わせる姿である。一方、僕の子の通うこども園では、子ども達の自生的な秩序を生み出すことを大切にしている、という。年長組の子ども達が運動会の運営にも全面的に協力し、年下の子ども達を導き、みんなで運動会プログラムを作り上げていこうとする、という。そして、年下の子ども達も、お兄ちゃんお姉ちゃんに導かれて、一緒になって活動を楽しんでいく、という。

僕も大学と言う現場で教員をしているとわかるのだが、教員の言う事に一方的に従わせる方がはるかに楽である。学生たちに自分たちで考えてもらい、学年を超えて連携してチーム活動を展開してもらうためには、大人の側がそれなりの仕込みをする必要がある。そういうめんどくさいことをするよりは、教員が一方的に指示をして、枠組みを決めて、その枠の中にはまりなさいと指導する方がはるかに楽だとわかっている。しかも、対象にしているのは、大学生ではなく園児である。それは並大抵ではない、と思う。

だが、その一方で思うのだ。園児の頃から、頭ごなしに大人の言うことに従わせるのではなく、子ども達が自分たちで考え、協働し合うのを大人が助けるのが当たり前となれば、この国の教育の形や社会の形はかなり大きく変わるだろうな、と。大人に一律に従わせるよりは、自分たちの頭で自主的に考えて動くように促すのは、遙かに手間も時間もかかる。でも、そうやって手間暇かけることで、主体的に自律的に考える子どもが増えてくれば、大学生ももっと溌剌としているのではないか、と。

大学で教えていて思うのは、シンバルを叩く猿のように規律を従順に守ることに必死になってきた「よい子」が沢山いる、という現実である。彼ら彼女らは、楽しくてシンバルを均一的に叩いているのではない。そうしろと言われたから、そうしたら自分たちはもっといいことがあると教え込まれたから、無批判に無意識に均一にいただくことが可能である。でも自分の音を出してごらん、自分のリズムで叩いてごらんと言われたら、途端にどうしてよいのか、わからなくなってしまうのだ。僕の授業は別に音楽やダンスの授業ではないのだが、「あなたはこの問題について、どんな意見を持っていますか?」と尋ねても、「この先生なら、どのような答えを言えば正解と認めてくれるのだろう?」という思考方法に慣れきってしまっている学生が、一定数いるのである。それは、シンバルを一律に叩く猿のように仕込まれた期間が長すぎて、誰かの号令なしに、自分のリズムで奏でるやり方をすっかり忘れてしまったようにも、思えるのだ。

大学という現場で、そういう標準化・規格化された意見から自由になれない学生たちの「武装解除」というか、「自分の意見を持ってもいいんだよ」と解きほぐすような授業スタイルに変えて、はや10年以上。その中で、子ども達のこの不自由さの元凶は、センター試験に代表される、「正解」を覚え込む受験勉強のせいだろう、と思い込んできた。だが、今回こども園での話を聞きながら、既に園児の鼓笛隊とか運動会の号令とか、そういうところから10年15年と積み上げられてきた、標準化された集団一括処遇の「成果」だ、とわかると、末恐ろしくなった。だから、日本社会では多くの子ども達が、時間をかけて「シンバルを叩く猿」として仕込まれていくのだ、と。それが、生きづらさや閉塞感をもたらす一因でもあるのだ、と。

そんな世の中は嫌だし、娘もそういう世界から距離を置いて育ってほしい、と思う。だからこそ、親として、教員として、何が出来るのだろう。そういうことを、その話を聞いてから、ずっと考え続けている。

追伸:3年前に書いた自発的隷従の起源と結びついているような気もするので、そのリンクも貼り付けておく。