違いを知るための対話

最近はオンラインでの講演やファシリテーションの仕事も増えてきた。そんな中で、僕にとって感慨深いのが、先月と今日行った二つの対話の場のファシリテーション。先月のご依頼は、とある精神科病院を持つ医療法人からのご依頼で、権利擁護に関する研修会。今日のご依頼は、とある入所施設からのご依頼で、地域移行に関する研究会である。

この二つがなぜ感慨深いのか。僕のことをある程度ご存じの方ならご承知かと思うのだが、僕は長年、脱施設・脱精神病院に関する研究を続けてきたし、そういう著作も出し続け、発信もしてきた。ご依頼くださった方々はそんな僕の来歴を知った上で、あえて入所施設や精神科病院の「中の人」の研修に招かれたのである。今日の研修会では、僕が9月に書いた入所施設批判のブログを読んでのご依頼で、その文章も研修会で配布されていた。(それを聞いて「ちょっと大丈夫かいな?」とこちらが心配になった)

せっかくなら、「中の人」がモヤモヤしていること、困っていることを対話してもらうことにして、事前課題を出し、その内容にそったワークショップ形式で臨んだ。精神科病院グループの研修では、事前課題として「あなたが障害者の権利擁護について感じていること、もやもやしていること、わからないことはどのようなことか?」を書いてもらい、入所施設の研修では「どういう人なら地域移行は可能/不可能だと思うか?」を書いてもらった。

すると、法人内研修ということもあり、事前課題としては皆さんの率直なモヤモヤや疑問がよせられた。精神科病院の看護師からは、医療保護入院の患者さんで本人は自宅に帰りたいのに家族が拒否していて、退院の方向性が定まらず、どう考えたらよいか、という課題が出されていた。入所施設の職員からは、強度行動障害の人でも地域移行は可能だと思うが、自傷他害のある人や大声を出す人などは地域で受け入れてもらえないのではないか、という心配事が出された。そして、そういうリアルな「モヤモヤ」に関して、職員間でダイアローグを何度かしてもらい、それに基づいて僕がおたずねしたり、課題を掘り下げる中で、どちらもあっという間に1時間半の研修は過ぎ去っていった。

研修のダイアローグの場では、それらのモヤモヤについて、異なる年齢・経験を持つ同じ法人職員で語り合ってもらったところ、色々な意見が出てきた。例えば医療保護入院の話で言えば、昔は病棟勤務をしていたけど、今は法人内の訪問看護部門で働いている人から、「家族の元に戻さなくても、一人暮らしの支援とか、方法論はいろいろあるはずだ」という意見も出された。強度行動障害の人のケースでは、別の入所施設で地域移行支援をした経験のある人が、「入所施設の落ち着かない環境で自傷をしている人が、一人暮らしや少人数になると落ち着いて、自傷が減った」と話してくれた。外部者の僕が「ああすべきだ」とshould, mustで説得しなくとも、法人内の色々なリソース・経験を持つ人が意見を出し合う中で、「そういうやり方もあるんだ」と気づいてもらえる、そんな場になったようである。

僕はこの二つの経験を通じて、3年前に宣言したことの、やっと入口に立てたようで、感慨深かった。

2017年の春、当時住んでいた甲府から京都まで片道5時間かけて、未来語りのダイアローグの集中研修に出かけていた。そのとき、1年後の自分自身の未来語りをする中で、こんなことを語っていた。ちょっと長くなるが、当時のブログから当該部分を抜き出してみる。

「この研修で、精神科病院の中で働く方々が、様々な苦悩を抱えているのを知りました。支援者は、自分自身の心配事をそれとして言えない。だからこそ、何かがオカシイと感じても、変わることが出来ない。それが結局「どうせ」「しかたない」という諦めや現状肯定につながってしまう。一方僕はそんな現実を問題視し、多すぎる精神科病院に関して、いつも外から批判をし続けて来ましたが、全然変わらない現実に、半分絶望していました。
しかし、今回の研修で、精神科病院の中の人と外の人が対等な場でダイアローグすることが出来たら、そこから風通しが良くなり、精神科病院の現場での苦悩が表面化することで、解決策に結びつくきっかけがうまれるのだ、と思いました。その中で、ちゃんとダイアローグされている病棟現場なら、声高に『脱施設』と言わなくとも、『重度かつ慢性』の人も含めて、どうしたら退院できるか、を話し合う土壌が生まれると思います。
そういう意味で、僕は精神科病院の中の人と外の人が開かれた場でダイアローグ出来るような1年後になっていてほしいし、そのためにはこの1年間で、そういうダイアローグが出来るためのファシリテーターとしての腕を上げたいです。」
「未来語りのダイアローグ」という希望

2018年4月は、山梨学院大学から兵庫県立大学に職場を異動し、住まいも甲府から姫路に移動した最中だったので、1年後に、この未来語りは実現出来ていなかった。でもそれから2年半後にやっと、「精神科病院の中の人と外の人が対等な場でダイアローグする」場を作ったり、「声高に『脱施設』と言わなくとも、『重度かつ慢性』の人も含めて、どうしたら退院(退所)できるか、を話し合う土壌」を作るお手伝いを始めることが出来た。亀のように歩みはノロいが、やっとはじめの一歩を踏み出し始めたような気がする。

なぜそれが可能になったのか。その理由が、今日の本題である「違いを知る対話」であると感じている。このことについて、二カ所の場で話したことの大意は、以前ブログに書いてるので、当該部分を貼り付けてみる。

『対話には、二つの対話があります。①「違いを知るための対話」と②「決定のための対話」です。当事者研究をしている東大の熊谷晋一郎さんは、セルフヘルプグループで行われているのは、「共有のための対話」であり、企業などの意思決定は「決定のための対話」である、とその違いを言っている。実は僕がADを学んだトム・アーンキルさんの所属する研究所では、何かを決める日には、午前中にお互いの意見の違いを出しあった上で、ランチブレイクを挟んだ上で、午後、決定のための対話をする、という。つまり共有や違いを知るための対話と、決定のための対話をわけているのです。
そして、今日の場面では、決定のための対話ではなく、違いを知るための対話だと思います。だからこそ、違和感があったり、納得出来ない声も出てくると思います。でも、自分とは違う声がある、と知ることで、その声を受け止めることで、それを納得しなくても、違いを理解出来ればよい、となるはずです。
不安が高まって、どうしてよいのかわからない、先の見えない今の時期ほど、いきなり決定のための対話をするのではなく、違いを知るための対話をすることが大切だし、今日の対話もそういう対話なのだと思います。』
心配事を意識化する

医療保護入院のケースにおける本人とご家族の意見の対立、強度行動障害で自傷他害をするご本人と支援者や家族の意見の対立。どちらも、これが論理的に一義的に正しい解答、という正解はないケースである。むしろ、Aという解決案と、Bという解決案に、どちらも論理的整合性があり、しかもAとBで価値対立している(時には「神学論争」状態になっている)場合、ともいえるかもしれない。その際、何とか手立てを考えなければ、といきなり「決定のための対話」を行っても、簡単に解決案も出てくるはずもなく、AとBは対立は深まるばかりであり、すると消去法的な(とりあえずの「現実的」と言われる)選択肢として、精神病院や入所施設への長期社会的入院・入所をせざるをえない、という帰結に至る場合も少なくない。

そういう「どうしてよいかわからない」「モヤモヤする」ケースについて、一人で抱え込んでいても、どうにもならない。そういう時こそ、決定のための対話、の前に、お互いがどう思っているか、何が出来そうか、を率直に出し合う「違いを知るための対話」が必要不可欠なのだと思う。自分とは違う他者の他者性を知る対話、他者の内的合理性を理解する対話、とでも言えようか。

そして、話をしてみたら、意外な人が、意外な側面から、こういう事も出来るのではないか、こんな事例もあったけど、別の見方も出来るのではないか・・・という可能性を示してくれたりする。聞く方も、何かを決める対話だと、発言に結果責任が伴い、ゆえに自己防衛的に自分の主張に固執したり、ましてや己の非を認めにくいが、不安や心配事、モヤモヤも含めてお互いの率直な気持ちやアイデアを批評・批判せずにシェアする場なら、その緊張感はほぐれて自由に話が出来る。そして、気楽に他者のモヤモヤやアイデアに触れることが出来る。その中で、「医療保護入院しかない」「地域移行は出来なさそうだ」という閉塞感は、「他の人も感じていたんだ」と知るだけでなく、「もしかしたら自分自身の思い込みかもしれない」「他にやれそうな可能性があるのかもしれない」というヒントを抱くことが可能になる。それが、「出来ない100の理由」を超える「出来る一つの方法論」の模索に繋がる。

あと、この3年で僕が大きく変わったのは、僕が話す量をできる限り減らし、皆さんの対話を深める役割に徹したこと。前回も今回も、1時間半のなかで、3つの話題をについてグループで10分ずつ話してもらい、発表者にお尋ねする中で僕が掘り下げると、それだけで1時間近くかかる。すると、僕が伝えられる内容は正味20分程度のもの。でも、僕自身が研修で「説得モード」で語るのを手放し、「いま・ここ」で生み出される参加者の皆さんの言葉を引き出しながら、その言葉に基づいて、皆さんと一緒に納得し合える何かを形成するwith-nessモードで対話的に場を作っていくと、以前より遙かに深く言葉が届くような気がする。そして、それは3年前に予期した「僕は精神科病院の中の人と外の人が開かれた場でダイアローグ出来るような1年後になっていてほしいし、そのためにはこの1年間で、そういうダイアローグが出来るためのファシリテーターとしての腕を上げたいです」ということが、1年では達成できなかったけど、遅まきだけど、ちょっとずつ、成果を出し始めているのかもしれない。

もちろん、どちらも一回の研修で劇的に何かが変わるわけではない。議論は始まったばかり。だけど、僕自身にとっては、想起した未来の、やっと入口に立てたような気がするので、備忘録的に記録しておく。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。