内在的論理を掴む極意

社会学の師である厚東洋輔先生の大著を、東大出版会の雑誌UP2月号に書評させて頂いた。

書評はしっかり読み込む必要があるし、ましてや自分の恩師の集大成のような大著を、まさか僕が書評することになるとは思っていなかったので、めちゃくちゃ時間をかけたし、ドキドキしながら、以下のような原稿を書き上げた。出版社からブログへの転載は良いと言われたので、元々のワード原稿を貼り付けておきます。折に触れて読み返したい大著です。

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厚東洋輔氏の『<社会的なもの>の歴史—社会学の興亡1848−2000』は700ページ近くをかけて繰り広げられる、壮大な社会学理論を巡る物語である。それを、理論・学説史を専門にしていないフィールドワーカーであり、福祉社会学と社会福祉学の境界領域をさまよっている私が取り上げるのは、正直言っておこがましい。さらに言えば、四半世紀前に卒論指導をして頂いた「先生」の本を、このように取り上げるのは、かなりハードルが高い。だが、授けて頂いた学恩を文章で返礼するチャンスゆえ、忖度せずに書かせて頂くこととする。

文献フィールドワーカー

この本を読み通して気づいたことは、厚東氏は、文献フィールドワーカーであった、という驚くべき発見(仮説)である。あるいは、アームチェアフィールドワーカー、と言ってもよいだろう。通常、アームチェア社会学者と言えば、家から一歩も出ずに、古今東西の文献を渉猟して、博覧強記の学者、というイメージである。情報処理能力や英独仏の原著読解力が極めて高く、様々な理論や学説を縦横無尽に結びつけていきながら、快刀乱麻に理論的課題を分析整理し尽くしていく、そんな姿が思い浮かぶ。

確かに、この著作の中では、上記のようなアームチェア社会学者の実力が、遺憾なく発揮されている。だが他の理論社会学や学説史の本と圧倒的に異なるユニークさが、本書には貫かれている。そのヒントは、あとがきに記載されていた院生指導の記述に垣間見えている。

「どうしたら<theoryに関する知識>を<theorizingする力>へと変換することが可能になるのか、自分なりの試行錯誤の結果到り着いたゼミ方式が、<原書を一行一行丁寧に読解する>という実にシンプルなやり方である。原文を一行一行辿り直す作業を繰り返すことによって、原著者の思考過程を追思惟することが、すなわち理論の組み立て過程を追体験することがようやく可能となるのである。「理論」の理解で大切なのは、推論結果を要領よく把握することではなく、原著者と同じような推論過程を自分でも確実にできるようになることである。本書では、学史上重要な業績が取り扱われる場合、結論の手際よい要約よりは、結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成することにエネルギーが注がれている。」(p678-679)

「推論結果を要領よく把握」したうえで、「結論の手際よい要約」がなされている本を読むと、切れ味の良さに圧倒される。だが、厚東氏はそのような<theoryに関する知識>の整理では満足せず、<theorizingする力>へと変換することに、重きを置いている。この本でも、社会学の巨人達が生み出した著作に関して、「結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成することにエネルギーが注がれている」のである。それが、圧倒的に類書と異なっている。そして、時には再構成の過程の中で、「この著者の推論過程を辿るなら、本来の組み立てはこのようになるはずだ」という大胆な読み替えまでしていく。このあたりは、情報処理能力の高さだけでは歯が立たない領域である。そして、この記述には、十分に思い当たる節がある。

今から20年以上前、全く勉強しないまま臨んだ秋の大学院入試の際、英語の試験で不合格の憂き目にあった私は、卒論の指導教官だった厚東氏に泣きついた。氏は本書第9章に出てくるウィリアム・ベヴァリジのVoluntary Actionをテキストに、<原書を一行一行丁寧に読解する>指導をしてくださった。当時の私は非常に雑な読み方しか出来ていなかったのだが、厚東氏は一行一行、どころか、一つの単語を前後の文脈に合わせてどう訳すか、という部分まで、厳密に訳し直すように指導された。「結論の手際よい要約」が出来ればそれで良い、と思いながら、それすら出来ていなかった当時の私にとって、ここまで綿密に精読するのか、と驚きながら、氏の手ほどきを受ける中で、気がつけば原文の論理を辿る面白さと、少しずつ出会い始めていた。

ではなぜ「原著者の思考過程を追思惟すること」が、文献フィールドワークといえるのか? それは、私自身のその後のプロセスと関わりがある。

対象にギリギリと迫ること

私は、大学院では厚東洋輔氏ではなく、大熊一夫氏に弟子入りした。1970年に酔っ払ったふりをして精神病院に潜入し、その劣悪な実態を朝日新聞夕刊に「ルポ・精神病棟」として連載し、以後半世紀、精神病院の構造的問題を追い続けてきた福祉ジャーナリストの第一人者である。大学行政人としても優れた采配を振るった厚東氏が中心となって大阪大学人間科学部に新設されたボランティア人間科学講座の初代教授として着任し、国立大学初のソーシャルサービス論を掲げた研究室を主催したのが、大熊氏だった。私はその講座の大学院一期生であった。

アームチェア社会学者の厚東氏と、ルポルタージュを専門とする大熊氏は、一見すると水と油のように思える。だが、二人には大きな共通点が存在する。それが、対象への迫り方、である。

大熊氏が口酸っぱく言っていたことは、「本を読んでわかった気になるな」「対象にギリギリ迫れ」「足で稼げ」であった。徹底した取材で閉鎖的な精神医療の闇に迫っていく大熊氏ならではのアプローチである。師匠に連れられて精神病院でのフィールドワークを始めた私は、ソーシャルワーカーの仕事にくっついて回り、ワーカー固有の論理を理解しようと心がけた。博士論文では、京都府内の117人の精神科ソーシャルワーカーにインタビュー調査をして、その内在的論理を掴もうとした。

その当時は、フィールドワークやインタビュー調査をするのに精一杯で、理論書は殆ど読んでいなかった。だが、20年後に厚東氏の上記の指摘を読んで、びっくりしたのだ。「原著者と同じような推論過程を自分でも確実にできるようになること」とは、対象にギリギリ迫って、対象者の内在的論理を掴む、フィールドワークの手法と通底しているということに。

他者の内在的論理を掴む

フィールドワークの基本は、他者の合理性の理解、である。他者の内在的論理を徹底的に辿ろうとする。インタビューや参与観察を通じて、その動きをトレースする。その中で、他者にとっては非合理に見えるものであっても、本人の中でどのような内的合理性があるのか、を追体験し、再構成する。

実は、それは支援における基本でもある。支援対象者の査定や評価の前に、対象者の世界観を理解することから始めないと、支援がズレてしまう。特に、家族や近隣の人々との相互対立や悪循環を深めているような、「困難事例」とラベルが貼られた人々の支援をする際には、世間的評価は脇に置き、内的合理性を理解することが必要不可欠である。周囲から見ればとんでもないこと、と思えるような言動でもあっても、そんな「結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成すること」によって、そこにどのような内的合理性があるのか、という対象者の「思考過程を追思惟すること」。これを、私は福祉現場のフィールドワークから学んで来た。

このフィールドワーク的な「足で稼ぐ」手法を、厚東氏は文献でやっていたのだ。フィールドワーカーが膨大な時間を現場に通って、現場の言葉や雰囲気を吸収するように、膨大な時間を文献の中に沈思させて、その著者がどのような思いでなにを語ろうとするのか、の背景まで探ろうとする。アームチェアに座りながら、対象となる文献と格闘する中で、その内的合理性を辿る、というアームチェア社会学とフィールドワークの驚くべき接点が、厚東氏の著作の中にあったのだ。

例えば、ベヴァリジの著作を紐解きながら、厚東氏はこのように肉薄していく。

「ベヴァリジの構想においてキーをなすのは「社会サービス」の概念である。彼は所得保障としての社会保障の意義を次のように述べている。
『社会保障の目的は、欠乏の廃絶を通して、自分の力量に合わせてサービスを提供する意思のあるあらゆる市民が、いかなる時にあっても、自分の責任を果たすのに十分な所得を持つことを保障することにある』
所得保障は、それ自身が目的ではない。それはある種の行為を人々に可能にするエンパワーメントとして=条件整備としておこなわれる。「ある種の行為」とは何か。それは「社会のなかで活動」することである。「自分の力に合わせてサービスを提供すること」という規定を勘案してもう少し狭く、「社会を作り上げること」という方が適切だろう。」(p431)

この著作においても、「引用文は、本文の私の用語法と整合するように、すべて「厚東」の責任で訳し直されている」(pⅩ)。この「原文を一行一行辿り直す作業を繰り返す」作業を通じて、ベヴァリジにとって「欠乏の廃絶」は「目的」ではなく「条件整備」であると厚東氏は喝破する。しかも、「理論の組み立て過程を追体験する」中で、この「条件整備」とは、「社会を作り上げること」であると本質を射貫く。しかも、「社会サービス」は「個々人の自閉的な欲求満足のため(だけ)でなく、「社会」を作り上げるために費消されるべきである」との論理を読み解き、前者を「社会的給付」と訳し、後者を「社会的奉仕」と整理して提示する(p432)。四半世紀前に氏に一行一行読み方を教わったVoluntary Actionとは、「「社会」を作り上げるために費消されるべき」「社会的奉仕」であったのか、と気づかされて、ベヴァリジの世界観や意図を追体験することができ、改めて<社会的なもの>の歴史の結節点を辿り直す知的興奮を覚えた。

40年の時を超えて

そして、内在的論理の把握に関してもう一点、触れておきたいのが、マックス・ヴェーバーに関する氏の記述である。

「ヴェーバーの後半生の課題は、自己の入り組んだ「感情—反応の複合体」(フロイトなら「エディプス・コンプレックス」と呼ぶだろう)を学問の力で切開し、原理や価値の争いに移し替える—理念の平面に身を移し替えて両親に対するかたくなになったこじれた想いから自由になることである。「父」と「母」をいかに調停するか、という難問に終生苦しめられるなかから、ヴェーバーは、「政治」と「宗教」を基軸に<非合理的なものの合理的把握>を試みるという根本視座を体得していったのである。」(p250-251)

この分析は、1977年に厚東氏が東京大学出版会から出した初の単著の「あとがき」と繋がっていると私は受け取った。

「定評あるヴェーバー解釈にあきたらず、それに異を唱えるような論文をあえて書いてきたのは、なぜなのか。顧みて考えると、学部四年の時に、「東大闘争」に際会するという体験が、一つの岐路であったように思われる。「闘争」の渦中で、ヴェーバーに対して、きわめて強いアンビバレントな感情を味わった。それまでヴェーバー批判をしてきた人々が、その批判どおり行動できず、自他を瞞着する様をまのあたりにみて、ヴェーバーの所説、とりわけ学問論は、あのような危機的状況において自己欺瞞なく行動しようとする際には、きわめて頼りになる指針だ、と一方では実感しながらも、他方、ヴェーバーの本をそれまでに若干読んできたばっかりに、ヴェーバーの「世界観」にがっちりとはがいじめにされ、態度が棒を飲んだようにすっかり硬直化してしまい、変転常なき状況に柔軟に対応できず、結果として、政治的無能力に陥ってしまった、という感情をもったこともたしかである。ヴェーバーに対するこうしたアンビバレンスゆえに、ヴェーバーは、私にとって、「研究対象」となったのかもしれない。」(厚東洋輔『ヴェーバー社会理論の研究』東京大学出版会、p230)

厚東氏は、学部四年の時に際会した「東大闘争」において、「ヴェーバーに対して、きわめて強いアンビバレントな感情を味わった」。そんな自己の入り組んだ「感情—反応の複合体」を「学問の力で切開し、原理や価値の争いに移し替える」ことを試み、ヴェーバーと格闘した。「「政治」と「宗教」を基軸に<非合理的なももの合理的把握>を試みるという根本視座を体得していった」ヴェーバーの内在的論理=思考過程を追思惟することで、厚東氏自体が<theoryに関する知識>を<theorizingする力>へと変換することに成功した。それが、40年以上前の初の単著であり、本書に受け継がれている厚東社会学の根幹にある。

「政治的無能力」に陥ることなく「危機的状況において自己欺瞞なく行動」するために必要なことはなにか。それこそが、若き厚東氏に宿命づけられた根源的問いであった。そして、ヴェーバーを皮切りに、社会学理論というフィールドを探求し、<社会的なもの>をtheorizingする先達の内在的論理を一つ一つ丹念に追思惟することを通じて、個人による異色の社会学通史を完成させるにいたった。

社会問題の縮図としての「東大闘争」から半世紀、きわめて強いアンビバレントな感情を抱いた厚東氏が、学問を通じて<非合理的なものの合理的把握>を切開した、そんな落とし前が本書で付けられていると私には感じられた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。