「学力工場」と偏差値序列

気になっていた『学力工場の社会学』(クリスティ・クルツ著、明石書店)を読み終えた。イギリスの貧困地域における公設民営の中学校(ドリームフィールズ校:仮称)において、厳格な規律遵守と学力工場に向けたガリ勉的な仕組みを導入したところ、学力テストでうなぎ登りになり、それが移民地域で白人中流階級の子どもたちも受験に殺到するようになった。そんな学校でのフィールドワークやインタビュー調査に基づき、ブレア政権以後、「教育」に力を入れるようになったイギリスでの新自由主義的改革が、どのような能力主義的な序列化に繋がったか、を解き明かしていくモノグラフ。サンデルの『実力も運のうち』を取り上げたブログでも書いたけど、ここのところ、能力主義は僕にとって一大テーマなので、食い入るように読み進め、読み続けるうちに自分の過去を思い出して心苦しくなりながら、読んでいた。

この学校の校長は、多文化が共存する下町の中等教育の現場で秩序を維持する戦略として、次のように述べている。

「6人とか7人の生徒のグループが集まっていることを認めていません。万一、生徒の大きなグループが集まっているのを見たら、その生徒たちがバカなことや暴力を起こさないよう、〔グループを〕解散させなくてはなりません。」(p91)

そして、規律を破った場合は、肺活量の大きい教員によって「大声での叱責」が行われたり、学校での居残りをさせられるのであった。また、放課後も学校周辺で街路を回り、制服の正しい着用や買い食いなどをしていないか、も厳しくチェックしていた。そこには「数量化できる学習成果を確実に絶えず生み出せるようにするための監視・強圧・分断・監査」(p116)が働いていた。そして、この「監視・強圧・分断・監査」は学生だけでなく、教員にも向けられていた。校長や経営層は、会社のように各個人のクラスの成績を査定するし、教員達が連帯しないように、職員室も置かず教科ごとの控え室しかなく、教員の労働組合もなかった。それは全て、ダウンタウンにおいて「掃き溜めの学校(sink school)」(p170)に陥らないための、学校全体を通じての「総力戦」的なやり方であった。

「アンビバレントな感情が、ドリームフィーズル校のプロジェクトの中心に位置付いている。すなわち、幸福と楽しさを約束する将来の幻想が、高いレベルの統制や規律、治安主義化に対する今現在の忍耐と結びついている。ドリームフィーズル校は数多くのテクニックを融合して、感受性の強い若者たちを、市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人へと成形しているのである。このトレーニングは、ますます日常化し、不安定でしばしば搾取されるポジションに進んで適応しようとし、それと同時に、自分の伝記を執筆する個人として自己を理解する主体の生産を奨励する。この個人化は、人種化され階級化された不平等が、学校教育の軍隊化にどのように関連し、またそれを強化しているのかを積極的に認識することを非常に困難にしている。」(p225)

僕はこの本に書かれている「テクニック」を知っている。というか、僕の中学や高校時代を通じて、このテクニックがぼく自身にも行使され、それを内面化・身体化してきた過去がある。

以前のブログに書いたように、僕が生まれ育った京都のダウンタウンの公立中学校は、ある種の問題のるつぼであり、「掃き溜めの学校(sink school)」に類似した部分もあった。不良がボンタンを着ているとかシンナーの話が出たり、原付バイクの盗み方、なんていう話も聞いたことがある。そんな学校における秩序維持のためには、大声で叱責する教員が何人かいた。激高して机を蹴り倒す教員もいた。そして、今回この本を読みながら思いだして真っ青になっていたのだが、その教員の恫喝の論理をぼく自身も内面化している部分がある。大教室で学生たちがガヤガヤしている時に、「やかましい」と恫喝的に声を上げたことが、大学教員になってから、何度もあったのだ。あれって、よく考えたら、中学の時にうけた「治安主義化」の「テクニック」の再生産だったのだ、と、この本を読みながら気づく。

「感受性の強い若者たちを、市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人へと成形している」というのも、ぼく自身の中高時代に当てはまる。「良い高校、良い大学に入り、良い会社や良い職業につくことが未来を切り開く唯一の道だ」と信じて猛烈進学塾で夜中まで勉強していたし、頑張り続け、自らの偏差値を上げないと、人生は上手くいかないと思い込んでいた。それは、偏差値の序列という「市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人へと成形してい」くプロセスそのものだった。

その後、進学校の高校に入った後、勉強は本当につまらなくなってしまい、どんどん成績が急降下していった。それを今振りかえってみるならば、「幸福と楽しさを約束する将来の幻想が、高いレベルの統制や規律、治安主義化に対する今現在の忍耐と結びついている」という事へ心身の反発や疲労、だったようにも、思う。中学校までは勉強が楽しかったのだが、高校で写真部に入って仲間と議論する(「隠れ作業」のp232)楽しさに気づくと共に、「高いレベルの統制や規律」での「勉強しなければならない」という「忍耐」が受け入れられにくくなったのだ。

「教師と生徒は、来たるべき未来に奉仕するために、現在の労働に耐えるべきだとされている。しかし、現在の残虐性はいつ終わるのだろうか? より寛大な『後の時間』はいつ始まるのか?」(p328)

中学や高校の頃は、大学に入れば、「今現在の忍耐」=「現在の残虐性」は「終わる」と思っていた。だが、何を何を。「後の時代」はそう簡単には始まらない。

「ドリームフィールズ校の一部の生徒は労働市場で成功できるだろうが、数多くの副作用がこのアプローチにはある。権威に対する無批判な従属、想像力の欠如、および狭隘な意味での主体性の感覚を養う従順さの修練は、それなりの危険性を孕んでいる。批判的思考や批評は、ベルトコンベアの進行と学力テスト結果の生産を妨げるだけの、乱雑で、時間を食う、破壊的な活動とされている。」(p329)

この「副作用」は、僕にもその後20年近く強い影響力をもたらしてきて、現時点でもそこから自由になりきれていないし、また、大学で出会う学生たちにも影響力を与え続けていると思う。それが、先に書いた「偏差値信仰」である。

「市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人」であった僕は、偏差値の高い大学に入ることを絶対的な価値だと思い込んでいた。だからこそ、その当時、「京大に日本一学生を送り込んでいる進学校」に入っていたのにも関わらず、センター試験で現役も浪人も良い点が取れず、京都大学を受験すら出来なかった段階で、自分自身を「落ちこぼれ」だとセルフ・スティグマを張っていた。入学した当時の阪大では、「周りはバカばかり」と思い込む、一番最低な人間だった。

また20代の間、ずっと大学受験の予備校や家庭教師をし続けてきたのだが、偏差値を30代からどう50代、60代にあげるか、という事に熱血になって指導して、それなりの成果を上げてきた。教師の教え方が下手だから学力が上手く向上しない高校2年生や高校3年生に、「今からでも頑張れば出来る!」と元気づけ、実際に彼等彼女らの成績を上げる支援をしてきたのだが、「来たるべき未来に奉仕するために、現在の労働に耐えるべきだ」という論理を、大学生の頃から高校生に教師として教える役割を担い続けてきたのだ。そのなかで、偏差値至上主義の論理を捨てられるはずもない。

だが、その呪縛を相対化出来るようになったのは、30才の時に就職した山梨学院大学で過ごした13年間だった。「Fランク大学でも行ける公務員」とか、週刊誌にひどい書かれようをしていたが、実際には魅力的でオモロイ学生が多く、勉強の面白さや学びのコツを理解していないだけで、実際にそれを理解すると、進んで面白がって学びを深める学生たちと出会い続けてきた。前任校の学生たちは、良い意味で「権威に対する無批判な従属、想像力の欠如、および狭隘な意味での主体性の感覚を養う従順さ」を鍛えていなかった学生さんが多かったので、ともに批判的思考を学びあいながら、深い議論をし続けることが出来た。僕は山梨学院大学で教員をさせてもらったからこそ、「稼げる大学」などもっともらしく喧伝する大学教育改革の胡散臭さを、肌身を持って理解できるようになった。

そして、今の職場の県立大学に移ると、確かに受験勉強をコツコツ積み重ねてきた、「よい子」が多いことに気づいた。だが、その修練は、「権威に対する無批判な従属、想像力の欠如、および狭隘な意味での主体性の感覚を養う従順さの修練」と結びついているようにも感じる。前任校と現任校では、基本的に同じようなスタンスで講義をし続けているのだが、「批判的思考や批評は、ベルトコンベアの進行と学力テスト結果の生産を妨げるだけの、乱雑で、時間を食う、破壊的な活動」だと認識している学生の数は、今の大学の方が遙かに多いので、僕の授業は最初、ものすごく感情的に反発を受ける。それは、今まで「従順さの修練」に必死になり、それが教員やテストで評価されてきたのに、「あなたはこの社会問題についてどう考えるの?」という問いは、僕は「模範解答」を一切言わないこともあって、全く通用しないのだ。つまり、批判的思考や批評をするクセを付けず、それを封印してきた学生たちが、その視点を獲得するのは簡単ではない、ということである。

そして、それは20代までのぼく自身の姿でもあったのだ。

「ドリームフィールズ校がより優れた質を備えるためには、この変容のプロセスの外部に、問題のある『他者』が存在しなければならない。生徒たちは、ドリームフィールズ校に通うことを誇りに思うかもしれないが、これは、学校の内と外の双方に根強くあるヒエラルキーというより広い問題に対処するものではない。病理はこのゼロサム・ゲームのどこか他の場所へと移動する。そして、ドリームフィールズ校が偉大になるためには、危険視された空間が継続的に存在しなければならない。」(p320)

能力主義やメリトクラシーの最大の問題点が、ここに詰まっている。誰かより秀でている、と比較優位で認めるためには、「問題のある『他者』が存在しなければならない」のである。偏差値が上がった、と喜んでいるが、それは他の誰かが下がることによって成し遂げられるものなのである。そうして、偏差値という一元的な評価尺度で序列化することによって、「危険視された空間が継続的に存在しなければならない」し、「病理」を他者に押しつけておしまい、になってしまう。僕はそのことに、20代まで全く無自覚であり、30代からの大学教員になって、やっと少しずつ、学生から学ばせてもらった。

そう言う意味では、この本は現代イギリスの人種や階級格差と学力格差の問題を主題化した本なのだけれど、日本の教育にも通底するし、日本の「学力工場」的な問題は、イギリスよりずっと以前から根深く起こり続けている問題かも知れない、と感じている。なので、この本は能力主義や日本の教育を問い直す上でも、お勧めです。

最後に、個人的なメモワールを二つ。実は、能力主義に関する古典的名著であるマイケル・ヤングの『メリトクラシー』は、僕が通っていた当時の学部の選択必修の教科書であって、僕はその名前を知っていたけど、その当時は教育学が面倒だと思い込んでいて、読んで来なかった(なんと視野狭窄な学生!)。でも、今回の本も、サンデルの本も、このメリトクラシーの議論が下敷きになっているし、有り難いことに最近再版されたので、そのうち四半世紀放置した宿題として、読んでみようと思っている。

それから、訳者のお一人、濱本信彦さんは、20年程前、学部の「学生控え室」という名前の溜まり場でお目にかかったことのある、後輩である。あの当時は、のんびりとした・朴訥な性格の好青年というイメージだけが記憶に残っているのだが、20年後にこんながっちりとした学術書を、しかも読みやすくてわかりやすく翻訳してくださる立派な研究者になられているとは、思いも寄らなかった。そんな彼が、訳者解説でこんな風に書いている。

「我々の『学力向上』の取り組みの行き着く先を『学力工場』にしたくなければ、『よい教育とはなにか』という問題について、教育に関わる多様な主体が対話に参加し、学校という制度とその民主的価値に関する言説を豊かにしていくことが重要であると言うことが、本書を読み改めて感じられる点である。」(p387)

この濱本さんのまとめについては心から同意するし、濱本さんや、大学院の仲間であり以前ブログでご紹介した「ケアする学校」の著者の柏木さんと、じっくり学校に関する対話をして学ばせてもらいたいなぁ、と思った読後感だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。