建築家と研究者

他者から薦められないと読まない本、というのがある。前任校でご一緒した教育社会学者の児島功和さんから「この本いいですよ」と薦めてもらい、読んでみたら想像以上に面白くて、一気読みしたのが松村淳さんの『建築家として生きる 職業としての建築家の社会学』(晃洋書房)である。優れたフィールドワークの成果であり、建築家のことを全く知らない僕でも、その業「界」の内部のリアリティを知ることが出来た。が、面白いのは、彼の描く建築家の世界の記述を読み進めるうちに、僕が属する大学教員の業「界」と極めて似ている点がある、と思い始めた。その話をする前に、少し本のデッサンを。

松村さんはResearch mapの経歴にも明らかなように、大学で社会学を学んだ後、芸術系大学の建築コースの通信制コースで建築やデザインの基礎を学んだ後、実家の建築事務所で働きながら、二級建築士を取得し、その後一級建築士を目指すも挫折。そして、35才で母校の大学院で社会学を学んで、博士論文として「建築家」を対象としたフィールドワークを行い、この本の原型を書き上げる。しかも、書籍化にあたっては、磯直樹さんの本からブルデューの「界」「ハビトゥス」概念をしっかり学び直し、この本の中でもそれを入れ込んだ文責をしておられる。また、後半ではギデンズの「脱埋め込み化」「再埋め込み化」概念を用いながら、後期近代の建築家の変容を議論している。実に、社会学的な王道をいく本でもある。

この本の面白いポイントはいくつもあるのだが、まず建築家の歴史自体が面白かった。伊藤博文が明治期にお抱え外国人に建築科教育をさせ始めた時、そもそも建築家は公共建築を目指し、大工を筆頭とした伝統的な日本建築の集団とは違う世界を作り上げ、建築家の大半が官吏だった、という。しかし、戦災による住宅難から戦後住宅建築ラッシュを迎える中で、建築士資格も国家資格化され、建築家の世界も様変わりしていく。従来の官吏以外に、いわゆる①「スター文化人」としてテレビや雑誌で取り上げられる建築家、②住宅などを細々手がける独立型の建築家、そして③下請けをしたりデベロッパーの雇われの建築家、という三種類に分かれていく。「スター文化人」に関しては、丹下健三のような東大教授という文化資本の持ち主から、安藤忠雄のような高卒たたき上げが、どうのし上がっていくのか、の歴史的変遷や黒川紀章の立ち位置などの分析が、読み物として面白かった。

ただ、この本の分析の主軸は、既にマスコミなどで取り上げられている「スター文化人」以外の「周辺の建築家」(②、③)へのフィールドワークをしながら、「職業としての建築家」を浮かび上がらせた点であろう。実際に筆者自身が、③の経験がある社会学者なので、非常にわかりやすく、かつ実態に迫った形でインタビューがなされていて、読み応えがあった。そして、「周辺の建築家」が形成・維持されていくプロセスは、研究者のそれと類似性があるのではないか、と読みながら感じ始めている。

建築家の卵達が大学時代に写生や製図をした上で、その作品発表の場として「講評会」というプロの建築家や大学教員の前でプレゼンをする。そのことを分析した第三章において、こんな記述があった。

「ここで改めて大学で身につけたものを考えてみたい。もちろん、最低限の設計技術や図面や模型の作成方法、建築的な専門知識は身につけている。それらに加えて彼らが大学で身につけたものは、教員による文化的恣意を受容する『支配的ハビトゥス』であった。そこで教え込まれる文化的恣意は建築文化を背景に持っている。すなわち、教員の文化的恣意を受容する態度は、すなわち建築文化の生産と受容に貢献する態度につながっているのである。」(p89)

専門学校と大学の違いを語る中で、この「講評会」を通じて身につくものが記載されているのが、興味深い点である。現場のたたき上げ、あるいは専門学校で学ぶと、「最低限の設計技術や図面や模型の作成方法、建築的な専門知識」は効率的に学べる。だが、大学の機能はそれだけでなく、「教員による文化的恣意を受容する『支配的ハビトゥス』」であった、という点が興味深い。建築文化における審美観や価値前提など、建築家「界」の『支配的ハビトゥス』を学ぶことで、その業界での「信仰の圏域としての生産」(ブルデュー)を理解し、受容し、その共同体の一員になる上での必要な通過儀礼が「講評会」である、というのである。

これは、研究者の世界であれば、博士論文の公聴会であり、学会発表の場である、とも言えるだろう。どちらの場でも、支配的ハビトゥスとしての研究における審美観や価値前提があり、その中で、発表者に対する様々な「講評」がなされる。その「講評」には、なるほどと思うものも、そうかなぁと思うものもあるが、とにもかくにも同じ学術「界」の同業者として、互いの発表に質疑応答する中にも、「支配的ハビトゥス」が機能しており、僕も若手研究者の時、学会発表という場でそのハビトゥスを学んだような気がしている。

次に、周辺の建築家と研究者が似ているのは、それだけでは生活しにくい、という経済的側面である。大学の就職難は以前から言われているし、博士号取得者でも研究者ポストになかなか着きにくいのは、割と知られている。でも、建築家もマネタイズがしにくい、という指摘を読んでびっくりした。特に、報酬の高さと仕事の裁量の度合いで四部類しているのだが、報酬も高く仕事の裁量も多い「メインストリームの建築家」Aはごく一部である一方、「周辺の建築家」Bは仕事の裁量は大きいが、報酬が低い、というリアリティがある。また、「ゼネコンや設計会社、公的機関に雇われた建築家」Cは報酬が高いが、仕事の裁量は小さい。そして、独立して生きていこうとしても、仕事がない場合は「下請け中心の建築家」Dにならざるを得ず、そうなると報酬も裁量も低い、という。(p125)

これは研究者にも似た分類が出来そうだ。一流のジャーナルに掲載されたり、売れる本を書き続けたりメディアで活躍もしているい「メインストリームの研究者」Aは、そんなに多くはない。その一方、大学や研究機関に雇用され、その所属機関で求められている教育や研究をしながら、自分自身の研究も細々続けている「雇われた研究者」Bは一定するいる。だが、最近増えてきたが、研究機関に属さずに「在野の研究者」として活躍する人Cもいるし、ポスドクやオーバードクターとして大学非常勤講師をしながら、BやAを目指している人Dも少なくない。

そして、この本第Ⅲ部「後期近代と建築家の変容」が、建築家と研究者に限らず、多くの専門職の変容と当てはめても読み取れるような、普遍性の高い内容であった。

ギデンズは「脱埋め込み」を「社会関係を相互行為のローカルな脈絡から『引き離し』、時空間の無限な広がりのなかに再構築する」(ギデンズ『近代とはいかるなる時代か』p.36)と述べているが、建築家にとって、脱埋め込み化の最大の契機が設計支援ソフトであるCADの登場であった。それは、建築家に固有の・独占的なものであった高度な製図技術が、CADによっていとも簡単に再現され、標準化されていくプロセスでもあった、という。

「そのブランドを担保してきたものが建築家の図面やスケッチである。それを通して彼らの仕事が、秘犠牲や不確実性を含有した『標準化されない仕事』となった。しかし工学やコンピュータ技術が前景化していくことは、彼らの仕事から秘犠牲や不確実性が失われていくことを意味する。それは職能の存続にとって極めて重要な問題である。」(p257)
「CADによる図面の作成が一般化し、住宅のオリジナリティを支えた『手書き図面』を失うことで、建築家の設計する住宅のオリジナリティが毀損された。その結果、住宅メーカーと横並びに位置づけられることになったのである。住宅メーカーと横並びに位置づけられるということは、彼らの仕事もまた、建築コストやランニングコスト、安全技能、納期やアフターサービスを始めとした様々な付帯サービスが当然のように求められるのである。」(p238)

これは、「秘犠牲や不確実性を含有した『標準化されない仕事』」の威信や権威、専門性の高さが、CADというデジタルデバイスの標準化による、掘り崩されていくプロセスを描いたものである。これは、魔女の持つ「秘犠牲と不確実性」に恐れを抱いた医者達が魔女狩りをしていく『キャリバンと魔女』の話とも共通性の高い内容だと感じた。そして、両方とも、資本主義や近代化が進んでいく中での「標準化・規格化」の圧力や淘汰の中で生じたことである、という共通性がある。

そして、それは研究者もそうだし、教育者は特にそうである。ネット時代からコロナ危機下になって、スタディサプリやコーセラなど、オンライン教育の水準がどんどん上昇していく。Youtubeでも日本語字幕が簡単につくようになる。すると、研究者や教員の持つ「秘犠牲や不確実性」が減ってくるし、オンラインで提供される標準化された知識との差異をどれだけ示すことが可能か、が、僕にも問われているとヒシヒシ感じる。

ではスター文化人ではない市井の建築家や市井の研究者(=僕)は、この脱埋め込み化からどう逃れられるのか、どう再埋め込み化が可能なのか。松村さんはその可能性に関して、「カウンセラー」的な「ゆるやかな分業体制」に基づく、「まち医者的建築家」という視点を提示する。

「『住宅の設計をやっているとカウンセラーみたいな気分がしていて、設計っていうけど、実はカウンセリングみたいな。まあ説教まではしないけど、こういう風に考えたらどうですかとよく言っています。』・・・ここに看守できるのは、クライアントから専門家への一方通行の信頼関係ではない。そうではなくて、家づくりという共通の目標を分かち合った協働者としての専門家とクライアントの関係である。だからこそ、その関係性は、かつて頻繁に見られたような、建築家を『先生』と呼ぶような権威主義的なものではなく、フラットなものである。」(p245)
「L氏は、掛け金となる作品を創り卓越化を競い合う建築家として生きていくことよりも、『まち医者的建築家』としてクライアントの住宅に関する小さな要望や悩みに丁寧に耳を傾け、場合によっては自らも手を動かして要求に応えることに建築家として働く意義を見いだしている。」(p264)
「こうした再埋め込みメカニズムが有効に機能するためにはギデンズがいう『顔の見える専門家』の存在が重要になってくる。それは抽象的な専門知システム(本章の場合は建物に関する専門知)への『アクセスポイント』になることを期待される」(p265)

この部分に深い共感を伴って読み続けたのは、実はぼく自身が、現場の人々とコラボレーションする時は、まさに「カウンセラー」「協働者」「まち医者的」「アクセスポイント」になっているからである。

山梨で教員になった2005年から、山梨県内の様々な福祉現場や行政から、よくわからない依頼で相談が舞い込むようになってきた。定型的な相談は、僕の所ではなく適切な「専門家」に相談がいくのだが、ぼくの場合は「新規事業の立ち上げ」とか、「国からポンチ絵だけが示されているけど、どう実体化してよいかわらからない案件」が次から次へと相談されるようになった。

その中で、僕はそもそもよくわからないので、じっくり相手の話を聞きながら、相手がどのようなことを目標にしていて、何に躓いたり困ったりして、立ち行かなくなったり、絡まっている部分はどんなところなのか、を丁寧にじっくり聞くように心がけていた。これは「カウンセラー」的な立ち位置である。その上で、相手の目指すゴールを達成するためには何をどんな風に組み立てて良いか、を共に汗をかきながら考え合う「協働者」として動き続けてきた。だから、県の障害福祉課や長寿社会課の特別アドバイザーをしていた時は、県庁職員と一緒に自治体現場まで訪問し、文字通り足で稼いで、三者で議論しながら、何が出来そうか、の智慧を絞ってきた。そういう意味では、『まち医者的研究者』としてクライアントの福祉実践や福祉行政に関する小さな要望や悩みに丁寧に耳を傾け、場合によっては自らも手を動かして要求に応えることに研究者として働く意義を見いだしてきたのかも、しれない。それは、姫路に移り住んでも同じで、いくつかの自治体や社会福祉協議会などとコラボしている仕事も、だいたいそういう感じで進んでいる。

すると、僕の仕事って、「抽象的な専門知システムへの『アクセスポイント』」だったのかもしれなな、と思い始めている。そんな自分自身の立ち位置を、まさか建築家についての本から学ぶことになるとは思わなかったので、読み終えると、本当にびっくりした。でも、すごく再帰的な振り返りをもたらす一冊だった。

コミュニティワーカー必読の「地域学」

こないだ、兵庫県社協の研修で、地域体制整備事業のコーディネーターの基礎研修を行った。このコーディネーターは、厚労省が地域福祉や地域での互助活動の推進を目指して45年前から全国に配置しており、地域福祉の要役として期待されている。だが、実際のコーディネーターは地域づくりやコミュニティワークの経験のない人が配置される場合が多く、成果目標は何で、何からどのように動いて良いのかわからない、という声は、以前から聞かれていた。

個別支援の場合なら、そうはいってその人の障害や疾病、困窮さなどを聞き取った上で、必要な支援に繋げる、というアプローチであれば、ある程度「こんなふうにすれば良い」というパターンが出来上がっている。もちろん、パターン化にそぐわない人もいるし、予断を持ってパターン化に埋没してはいけないのだが、そうは言ってもある程度、最初に何をしたら良いのかのとっかかりができやすい。

だが、地域支援になると、では何をどこから始めて良いのか、が見えにくい。どのようにすれば「正解」なのかが見えにくいし、そもそも「こうすれば支援の成果がある程度作れる」という「唯一の正しい解法」がないのだ。だからこそ、マニュアルは役立たない。そして、マニュアルなき仕事は、多くの人にとって戸惑いが生じる。一方で、その中から試行錯誤をする中で、魅力的な、その現場で成功する解決策である「成解」が生まれてくる。こないだのオンライン研修では、そんな魅力的な実践例を伺った。

ある地方の町社協のワーカーのMさんは、ご自身がコーディネーターになった時の、「何をどのようにして良いのかわらからない」という不安やモヤモヤ経験の話をしてくださった。お年寄りが集まるサロンとか、色々な会合の場に訪問するのだが、「何しに来たの?」「社協さんなら、何か情報提供してくれるの?」と問われて、ただ単にその現場を訪問すること自体を苦痛に感じていた。そして、ある時期から地域カルテのようなものに各地区の基本的情報を埋めるようになったら、ヒアリングの目的ができてきたし、その中で地域のお祭りとか行事のことも知れて、その行事についてお尋ねして話が膨らんでいくうちに、その地区のリアリティが見えてくるようになった、という。

そして、Mさんの話で面白かったのは、彼女は地域カルテを埋めることを、ある時期から目的にしなくなった、というのだ。例えば初めての地区を訪問するときは、必ず地域の神社を訪問する、という。手入れがされずに荒れていく神社がある一方、丁寧に掃除がされたり、榊が供えられている神社もある。高齢化率がどれくらいか、という数値データでは見えてこない、地域のお年寄りがどれくらい元気か、とか、地区の公共的な場への気遣いができる余力があるか、とか、そういうことが、いくつもの神社を訪問して、その話を住民さんとする中で、見えてくる、という。

確かに、田舎に行けば行くほど、神社やお祭りが、その地区の象徴的なイベントや柱になっている場合も多い。だからこそ、その神社やお祭りが、例えば限界集落であっても意外と支えられている場合、週末などに都会から子ども家族が戻って来て、メンテナンスがされている可能性もある。逆に、そこそこの人口がいても、祭りが維持できず、神社も荒れている場合、お年寄りに活力がなく、若い人はいても寝に帰るだけで昼間は地域に人がいない、住民の地区への愛着も薄れている、なんて可能性も考えられる。

そういう視点の話を聞きながら、そうそう、こういう、一見すると福祉と関係のない地域のことを知る視点が、ある地区の地域福祉を包括的に理解する上で大切なんだよねぇ、と感じていた。そして、その話を聞いた後、書棚で積読だった地域学の入門書を読み始めて、それがよりクリアになってきた。

「地域とは『生き物』なのである。村も町も自治体も、みな生き物なのだ。国が治める領土は広漠たる原野だけではない。そこには生きた人間の集団が張り付いており、その活動が多層になって、絶えず新陳代謝が行われている。村や町が、その生命力で様々な問題を解決し、また新たな力をみなぎらせ放出する。その生命力を束ねて地方自治体は成り立ち、それをさらに相互に関係させることによって国家の生命力も初めて得られる。」(山下祐介『地域学をはじめよう』岩波ジュニア新書p29-30)

この本は中高生向けに書かれた地域学の入門書だが、地域学初心者にとっては、極めて役立つ一冊である。何より、地域を「生き物」と捉える視点が、いい。しかも、この本で詳述されているように、この本が射程に入れる地域とは、市町村の行政自治体単位ではない。江戸時代の村が明治以後の市町村合併で、字という単位になった、そんな小地域単位を、「生き物」としての地域として捉える。そして、その字の寺社仏閣や道路、川など様々な地理的条件が、昔からどのように引き継がれているのか。明治以後の度重なる市町村合併の中で、村から字に変わり、さらには村同士の合併で町や市に統合されていく中でも、字単位のつながりがどのように残っているのか。あるいは、生業に関連して、別の市町村とその字がどのようにつながっているのか。そういうことを、聞き取りなどをもとに明らかにしていくのが、「生き物」としての地域を理解しようとする地域学である。これは、コミュニティワーカーに必要な視点そのものではないか。

さらに同書ではある過疎山村で暮らす独居老人Aさんのネットワークとして、以下のような実態を明らかにしてくれている。

「この村に住むAさんは当時を80歳代で、長い間1人暮らしをしてきた。しかし本当に1人なのかといえば、そんなことはない。子どもたちが近くにいて、この家にしょっちゅう顔を出している。Aさんが亡くなった後は、この家が持っている農地は麓の集落に住む長男がやっていて、農繁期には毎日来る。結婚した長女もすぐ近くに住んでおり、月に数回は訪れる。妹も弘前にいて、車で30分ほどの距離。必要な時には手伝いに来てくれる。盆と正月には夫の兄弟たちもこの家に集まる。こうして、世帯としては分かれて暮らしているが、互いに行き来し、支え合っているので、限界集落に暮らすお年寄りは孤独でもなんでもないわけだ。それどころか地域の仕事やお年寄り同士のつきあいがあって、けっこう忙しく暮らしている。実際に限界集落のお年寄りに話を聞くと、こういうケースは珍しくない。」(p100

そうそう、こういう動的なネットワークの把握が、実は「生き物」としての地域の把握の際に、必要不可欠なのだと思う。2012年に出された山下さんの『限界集落の真実』(ちくま新書)を買ってすぐ読んだときに、もこの限界集落のリアリティにはびっくりしたけど、僕もその後、これを傍証するリアリティに遭遇する。山梨の最南端の南部町に伺って、限界集落と呼ばれる地域を視察させて頂いたおり、地元の包括の方が、「そう入っても週末人口が多いから」とおっしゃっておられた。特に、新東名ができた後、近くのインターまで車で15分とかの距離になったので、都会で暮らす50代、60代の子ども世帯が、頻繁に実家に戻ってくるのだ、という。これは、まさに道の変化により、地域のつながりを取り戻した事例でもある、と言える。こういう動体的な変化をそのものとして掴むのが、地域学のアプローチの真骨頂である。

すると、地域カルテの情報を書き込むだけ、では限界があることも、見えてくる。

地域カルテに関しては、ネットでググれば、素敵な先行事例も見られる。

だが、このような一覧表を作るのは、あくまでも「方法論」であって、その方法論が自己目的化してはならない。こないだの研修では「地域カルテのフォーマットを欲しい」という新人さんの要望がいくつか寄せられた。確かに、そういうフォーマットや先行事例は参考にして良いが、それと同じようにやれば良い、と思い込んでしまうと、方法論の自己目的化であり、これさえしていれば良い、という唯一の「正解」幻想に落ち込み、マニュアル主義に陥ってしまう。それでは、木を見て森を見ず、になってしまう。

地域学的なアプローチがコミュニティワーカーに必要なのは、地域カルテを作成するためではない。字ごと、小学校区ごとに違う「生き物」としての地域の特性や実情を掴んで、その地域の人々の実情に合わせた地域福祉の展開を一緒に考え合うための、比較ととっかかりの材料として、「生き物」をそのものとして動体的に掴むことが大切なのだ。

そう言えば、件の研修の際にも、「ある地域がコミュニティワーカーの関わりに拒否的で・・・」という話が出た。どういう背景があったのかわからないけれど、その地域の世話役たちは、「よそものに関与されること」にネガティブな思いを持っているのかもしれない。あるいは、これまで自分たちでなんとかしようと頑張ったけど、結局うまくいかずに絶望しているのかもしれない。いずれにせよ、閉塞感という「生き物」がどのようにその地域の中で醸成されていったのか、を動的に理解するために、まさに人々の繋がりやネットワークをたどる視点が、ここでも求められているのだ。

だからこそ、神社とかお墓とか、その地域の共有地がどのように整備されていたり、放置されているのか、お祭りや行事はどれくらいの規模で維持されているのか、を見ていくことも、その地域における人とモノの関係を辿ることになり、その結節関係を他の地域と比較する中で、その地域の特性を立体的に理解する糸口になるのではないか、と思う。

そして、山下さんの『地域学をはじめよう』には、地元の神社やお寺の歴史をどうやって調べたら良いか、とか、水や道の歴史、市町村合併の歴史を辿るにはどうしたら良いか、とか、地図をどう活用すると何が見えてくるか、とか、地域学のノウハウや基本的なスタンスが中高生にもわかるように、わかりやすく書かれている。地域への関わり方に戸惑っているコミュニティワーカーは、まさにこの本を携えて地域に出て、「生き物」としての地域の動的な姿を理解してほしい。そう感じる一冊だった。

付記:これを書き終わった後、Aという方法論でうまくいかない人に、Bという方法論を示しているだけでは、というご指摘をいただく。確かに、その通り、地域カルテがダメなら、地域学で行こう、となると、方法論の自己目的化の弊害に取り込まれてしまう。そうではなくて、AでダメならBをやってみよう、というプロセスの中で、地域住民の方々と出会い、対話し、その語りから学び、試行錯誤し…という積み重ねがあるからこそ、AとかBとかいう方法論を超えた、その地域やその現場で成功する解決策としての「成解」を模索できるのだと思う。

さらに言えば地域カルテも地域学も、本当に実践して深く地域を理解しようとすれば、単に質問紙調査の穴を埋める、だけではなくて、そこで出会った物語を膨らませながら、地域の人と一緒に考え合いながら、過去をたどりなおしつつ、今のその地域の姿を再解釈して、未来に繋げる、というプロセスを必然的に含んでいる。

あくまでもその「とっかかり」にしか過ぎないし、それをやれば正しい、とかそういう話ではない。コミュニティワーカーに求められるのは、深く相手を知ることであり、地域カルテも地域学も、その地域ののことを深く知り、現場の人と対話するための補助具にしか過ぎない、ということを、繰り返し強調しておく。

 

 

 

脱施設化に必要不可欠なトラウマの視点

こないだ書いたブログでトラウマインフォームドケアについて、こんな風に整理してみた。

「トラウマインフォームドとは、トラウマがあるという前提で物事を見ていく・捉え直す視点かもしれない、ということである。だらしない・ややこしい・「問題行動」のある・面倒くさい・・・と片付けられてきた人々は、「トラウマがあるという前提」で捉え直すと、様々な解離や退避行動を取らざるを得なかったことが、見えてくる。」

実はこの視点について、僕と同い年の障害者運動に取り組む介助者で、優れた論考を出し続けておられる渡邊琢さんの単著『障害者の傷、介助者の痛み』(青土社)を読んでいたら、すでにしっかりと言語化されていた。(2年前に買っていたのに、来月仕事でご一緒するので実は今頃読んだのだが、今読んで良かった。)

渡邊さんが支援に入っているまっちゃんは、対人関係のトラブルや暴言などでパニックを起こし、様々な人を振り回す人であった。そんなパニックの渦中にあったあるとき、まっちゃんは支援に入った渡邊さんに、次のように述べたという。

「なんやぁ。なんやねん? ついてくんなよ。ついてくんな! バァーカ!」

その瞬間、彼は思わず、「今、ぶんなぐりたくなった」とつぶやいていた(p308)。

ただ、渡邊さんはそのことを考えるに当たって、トラウマ概念を我が国に広める事になった古典であるジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』(みすず書房)を読み進める中で、まっちゃんの問題を、彼個人の病理や性格の問題と矮小化する視点とは異なる視点を獲得した。

「彼に会って感じたぼくの恐怖や怒りや絶望は、まさに彼がその何倍もの強度で味わったものなのであろう。彼がぼくにもたらす恐怖感は、まさに彼が誰かから受けた恐怖感の引き写しなのであろう。ぶんなぐったらどんなに楽になるだろうかというぼくの気持ちは、まさにそうすることで彼自身も極度の恐怖の緊張感から解放されたいと思っている気持ちなのかもしれない。彼がぼくに向ける必死の暴言や罵声は、以前受けた暴力の刻印であり、ひょっとしたら、彼自身がこれほどに苦しんでいるというぼくへのメッセージなのかもしれない。彼の行動は非常に言葉足らずで誤解を招くほかないものだけれども、ぼくが彼から受けた感情の大きな揺らぎを一呼吸おいてみることで、まさに彼がどれほど揺さぶられ苦しんできたか、自分の身をもってわかる気がした。」(p349-350)

僕は中井久夫氏が阪神淡路大震災の後のトラウマ治療の中で、このハーマンの著作に出会い、翻訳をし、その著作が高く評価されていることは、知っていた。でも、心的外傷(PTSD)とは、戦争神経症とか、レイプを受けた女性とか、地震や津波で家族を失った人とか、普段ならあり得ないような圧倒的な出来事に遭遇してしまった人の特殊な話だ、と「錯覚」していた。だから、ハーマンの本も読んでいないし、最近までトラウマ関連の本も避けてきた。しかし、2018年にトロント調査に出かけた時にトラウマインフォームドケアの概念を知り、様々な依存症支援において「トラウマがあるという前提で関わってみること」によって、「困難事例」や「問題行動」の背景にある、幼少期の傷つき体験などの背景要因を知るようになった。

そして、渡邊さんの本を読みながら、僕が見聞きしてきた障害福祉の領域でも、この「トラウマがある」という前提で物事を眺めると、全く違った風景が見えてくるのかもしれない、と改めて気づかされた。まっちゃんも、以前トラブルにあったバスの運転手から「殺すぞ!」と脅され、本当に殺されるかも知れない恐怖に怯えた後、夜中に「殺すぞ!」と恐ろしい叫び声をあげるようになった(p334)。そして、通所事業所の中で暴れて、通所制限や通所停止になって、同じ事を繰り返す中で、結局家族が支援しきれず、家の中でも暴れ、精神病院への強制入院を経験することになった。(p319)

その視点で、精神病院を眺め直してみよう。精神病院に強制入院させられている人は、今でも15万人近くいる。その中で、親や支援者など身近な他者に暴力を振るう事態が続き、やむなく隔離拘束された人も沢山いる。だが、これまでそういう時に、精神症状や反社会的行動、という形で了解されていた内容を、「トラウマのフラッシュバックだったかも知れない」と捉え直すと、大きく視点が変わる。渡邊さんは、こうも振りかえる。

「自己コントロールを失い、とり乱している当事者は、しばしば支援者なり、家族なり身近な人を攻撃する。その攻撃の源をどこと認識するかで、まったく支援のあり方は変わるだろう。もちろん、攻撃の標的となった支援者は家族は辛い。自分の身も心も傷つく。やってしまったことについて、当事者が免罪されるということもないだろう。でも攻撃の源は、その当事者自身の中にあるのではないのかもしれない。別のより暴力的な力が当事者を襲ったことにより、当事者が一番壊されており、そのことで他者への攻撃性も発動しているのかもしれない。今一番恐怖の中にあるのはその当事者かもしれない。」(p335)

暴力は免罪されるべきではない。だが、「今一番恐怖の中にあるのはその当事者かもしれない」という視点で、暴力の加害者にどのような「恐怖」があるのか、を探ると、視点が反転する。「反社会性」「病理」というレンズで「わかったつもり」にならずに、その人にどのようなトラウマ的体験があり、それがどう再演されて、周囲の人に攻撃を仕掛け、「自己コントロールを失い、とり乱している」のか。その長いプロセスを理解したら、関わり方はずいぶん変わってくるだろう。強制入院時に一律に拘束する、とか、安定剤を注射される、いうのは、「今一番恐怖の中にある」その当事者にとって、恐怖を増やすことでしかない。つまり、これまでの強制入院時の関わりは、治療的ではなく、本人にとってより加害的となる可能性もあるのだ。

では、どうしたらよいのだろうか? そういえば、と思って、以前読み囓った別の本を眺めたら、こんな記述に出会った。

「たとえば、『自分なんて』と自暴自棄な行動をとる対象者と関わることで、支援者も『自分はダメだ(何もできない)』と感じるようになる。組織にも『組織としてやれることは限られている(何もできない)』といった価値観が蔓延し、よい援助サービスが提供できなくなっていく。このように、対象者と支援者、組織が似たような状態を呈する現象を、ブルームは『並行プロセス』と呼んでいる。対象者が攻撃的な言動を示すと、組織も権威主義的で支配的な対応を強めていき、そこで働く支援者も威圧的な態度をとるようになる。トラウマの影響を受けた人や組織が相互に影響し、再トラウマを生じさせるのである。」(野坂祐子『トラウマインフォームドケア』日本評論社、p150)

この記述を読んで、僕が真っ先に頭に思い浮かべたのは、虐待事件が何度も明るみに出た神出病院であり、相模原殺傷事件の舞台となった社会福祉法人で、虐待が繰り返されていたことである。

「『自分なんて』と自暴自棄な行動をとる対象者」に、支援者や支援組織が巻き込まれていく。その「並行プロセス」の中で、対象者の攻撃的な言動に無意識・無自覚に巻き込まれた支援者や支援組織が「権威主義的で支配的な対応を強めていき、そこで働く支援者も威圧的な態度をとるようになる」。「トラウマの影響を受けた人や組織が相互に影響し、再トラウマを生じさせるのである」というのは、入所施設や精神病院で構造的に起こり続けていること、そのものではないか。そんなことが浮かんできたのだ。

そして付記するならば、神手病院ややまゆり園での虐待事件について、加害者を免罪するつもりはない。その前提で書くのだが、虐待が起こり続けている背景には、支援者や支援組織のトラウマ文化が背景にないか、という「妄想」を抱く。『自分はダメだ(何もできない)』『組織としてやれることは限られている(何もできない)』といった価値観が蔓延しているからこそ、トラウマの再演としての構造的暴力が、入所施設や精神病院で起こり続けているのではないか、ということだ。そして、それは一人一人の職員の人権意識の低さとか、そういう問題だけでなく、対象者が苛まれ、ゆえに支援者や支援組織相手に再演されるトラウマについて、支援者も支援組織も無自覚に巻き込まれていくからこそ、起こりうることなのではないか、とも思い始めている。

では、どうしたらよいのか。関わり方が困難であったり、周囲の人に攻撃的になったり、パニックに陥る当事者と接する支援者や組織に求められるのは、トラウマへの理解と、トラウマを前提にした関わり方をチームで行っていく、という覚悟ではないか、と思う。野坂さんの本の中では、健康な組織作りに向けては、①非暴力、②感情的知性、③社会的学習、④オープンなコミュニケーション、⑤民主制、⑥社会的責任、⑦変化と成長の7つがキーワードとして出されていた。僕はこれをみて、オープンダイアローグが生まれたフィンランドのケロプダス病院でのチーム支援と同じポリシーだと感じた。

トラウマにさいなまれているご本人の絶望と、そのものとしてしっかり向き合う。その際に、『自分はダメだ(何もできない)』という感情の波に支援者や組織が飲み込まれない。そうではなくて、「自分はダメだ(何もできない)」という絶望の背景に何があるのか、を「いま・ここ」で理解しながら、別の方策を考え合うチームをつくっていく、ということだ。

僕は20年以上、精神病院や入所施設に偏重しがちな日本の障害者福祉の問題をずっと考え続けてきた。そしてそのことを告発し、構造転換を訴え続けてきた。では、現に施設入所を求め、医療保護入院が必要とされている現実をどう転換できるか、については、ちゃんと考えてこなかった。その際の補助線を、再び渡邊さんの著作を戻って、考えてみる。

「『施設しかない』という家族の思い、気持ち。その背景には家族として障害のある人を養い支え続ける中で、諸方面から受けてきた様々な傷や痛みの蓄積があるのだろう。その傷や痛みの蓄積の果てにたどりついたのが施設入所。その施設から地域へ再度『逆戻り』するようなことは決して受け付けられないということかもしれない。地域移行を進める側は、地域移行は地域社会へと『前進』していくこと考えるのに、これまで地域で支え続けてきた家族からしたら、それは『逆戻り』することなのかもしれない。過去の傷、痛みが心身の深いレベルで疼き、心身に激しい抵抗感を感じるのかもしれない。」(渡邊、前掲書、p302)

トラウマの「並行モデル」は、「対象者の攻撃的な言動に無意識・無自覚に巻き込まれた」家族の間でも、もちろんある。入院や入所を余儀なくされた当事者に傷つきや痛みがあるように、『施設しかない』と追い詰められ、やっとの思いで入院や入所させた家族側にも、傷や痛みが心身の深いレベルで刻印されている。その傷や痛みは、入所施設や精神病院の支援者にだって、広まっているだろう。そのことは、児玉真美さんの本を読んで気づいたメモ書きにも一部触れている。

このようなトラウマや再トラウマを恐れる支援者や家族は、「過去の傷、痛みが心身の深いレベルで疼き、心身に激しい抵抗感を感じるのかもしれない」。だからこそ、脱施設や地域移行を本気で考えるなら、①非暴力、②感情的知性、③社会的学習、④オープンなコミュニケーション、⑤民主制、⑥社会的責任、⑦変化と成長、といった、支援組織や支援文化を変えて行く必要があるのだ。それは、トラウマに巻き込まれない、再トラウマを演じないために必要不可欠なだけでなく、トラウマの悪循環やその並行関係から、当事者も家族も支援者も支援組織も抜け出していくための、必要不可欠なティッピングポイントなのではないか。そんなことを、考え始めている。

魂のこもった「学術書」

社会福祉を研究していると、同業他者の名前はなんとなく知っている。あの人はこの研究をしていて、どこの大学に属していて、とか。今日取り上げる堅田さんはベーシックインカムや貧困問題を研究しておられて、法政大学の教員だ、ということは知っていた。でも、恥ずかしながら、彼女の著作や論文もちゃんと目を通したことはなかったし、ご本人とたぶん一度すれ違ったけど、ちゃんと会話したこともない。だからこそ、新刊情報で流れてきたタイトルを見て、意外だったし、ちょっと読んでみようかな、という気になるタイトルだった。

『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』(堅田香緒里著、タバブックス)

だから、読んでみた。すごく、良い本だった。

草の根の、地べたから見える風景が描かれている。研究者としての理論的フレームワークはもちろん持ちながらも、あくまでも、自分が出会った生身の人間の尊厳を大切にしている、そんなスタンスが、単純に良いな、と思ったし、共感できた。そして、そのスタンスが端的に示されている部分を、少しずつ拾っていく。

「 私にとって、聞き取った「声」をもとに論文を書くことの困難は、何よりもまず、私自身が路上に「通って」いただけで、そこで共に暮らしていたわけではない、という事実に由来する。白状すると、何度か路上での暮らしに挑戦したものの、挫折したのである。当時の私には、そんな人間が路上で暮らす人たちに「ついて」書くことなどできるわけがないと思っていたし、書きたくもなかった。」(p88)

さらっと書いているけど、「え、そうなの!」である。彼女は貧困問題を研究する以前から「路上に「通って」いた」。ホームレスと名指される人々の「声」と出会い続けていた。それだけでもなかなかない経験なのに、「何度か路上での暮らしに挑戦したものの、挫折した」と告白する。路上暮らしを挑戦したって! それも、びっくりである。さらに、「共に暮らしていたわけではない」のに「聞き取った「声」をもとに論文を書くこと」に「困難」を感じていたのである。研究対象に「ついて」論文なんてき「かきたくもなかった」というのは、ふつうの研究者とはずいぶん違うスタンスである。さらに、引用を続ける。

「 巷でますます量産されていく「ホームレス研究」の書籍や論文についても、戸惑いと若干の憤りとともに、ただ眺めていた。彼らと生活を共にしているわけでもないのに、彼らの「声」を「聞く」ことなど、ましてや「書く」 ことなどできるわけがない。とりわけ研究者は、いかにももっとももらしい「調査」を通して、ただ自分が聞きたい「声」を「聞く」のみである。そして、「調査」を立ち上げ、カネ(研究費)を取り、それを自分たちの「業績」にしていくと言う行為が、彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費しているようで、あさましく感じられた。」(p88)

たしかに2000年前後から、貧困研究ブーム(バブル!?)が到来し、実態調査系の本や論文もたくさん出てきた。その一方で、堅田さんは、自分も路上で色々な出会いをしながらも、調査対象者として改めて「「声」を「聞」」き、それを「書く」ことにためらいがあった。その背後には、「ただ自分が聞きたい「声」を「聞く」のみである」ということへの独善性を感じ、さらには、「「調査」を立ち上げ、カネ(研究費)を取り、それを自分たちの「業績」にしていくと言う行為が、彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費している」「あさましさ」を感じていたという。なんという素敵な感性だろう。

ただ、ぼくもそれはわかる部分がある。

ぼくは大学院時代、精神病院でフィールドワークをしたのを皮切りに、作業所とか当事者活動グループとかで、精神障害を持つ当事者の方からお話を伺う機会を結構数多く持ってきた。堅田さんのように、研究者になる前から出会っていた訳ではない。でも、そんな僕でも当事者の「声」を「聞いて」「書く」という、研究者の枠組みに当てはめるために聞く事へのおこがましさ、というか躊躇があった。だからこそ、いっぱい学ばせてもらったし、色々な話は聞いてきたけど、それは全然「書く」ことにつながらなかった。よって、大学院生の頃は、本当に全然何もかけなかった。(実はその後も、伺った「声」そのものはほとんど言語化できていない)

あと、蛇足的になるが、学生時代は臨床心理や精神医学も読み囓っていたが、院生時代は中井久夫も神田橋條治も河合隼雄も読むのを封印していた。中途半端に「分析」や「解釈」をしていては、当事者の声をそのものとして聞けない、と直観で感じていたからだ。だからこそ、ただ聞くだけで、ノートに書き留めたけど、それらの言葉は、全然活字にならなかあった。自分の言語化能力の低さとか、研究者としてのアウトプットの出来なさに、情けないな、と感じることもあった。

でも、いま堅田さんの記述に出会い、当時のぼくも「彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費しているようで」、後ろめたさ、というか、なんかちょっとそれは違うよな、と思っていたのかも知れない。だからこそ、それはぼくだけじゃなかったんだ、と思うと、勝手に同志的連帯、というか、似た感じ方の人がいたんだ、と嬉しくなった。

ただ、彼女の感受性の鋭さは、ぼくは到底及ばない。

「私にとって、かれらについて「書く」ということは、私と路上の友人との間に「書く」者と「書かれる」者との非対称性をはっきりと生じさせるだけではなく、かれらを物理的に「殴る」ことと同等の暴力であり、とても受け入れられなかった。なにより、路上の友人達のほとんどはおそらく一生読むことがないであろう「学術論文」を、かれらの「声」に基に書き「業績」をあげる、ということをしたくなかった。」(p89)

ここまで、書くことの暴力性について、ぼくは自覚的でもセンシティブでもなかった。確かに非対称性は感じていたし、精神病院のことを考えると、自ずと権力関係への自覚はあった。でも、ぼくの場合、当事者の声を聴いても、それをそのまま論文にする回路が結びついておらず、途方に暮れていただけかもしれない。そういう意味では、彼女はぼくなんかより、はるかに筋金入りで、ちゃんと路上で人としてホームレスの友人と出会っていたのである。

だからこそ、だと思うのだが、彼女がフェミニズムやベーシックインカムなどの理論を取り上げるとき、「お勉強のできる情報処理人間」とは違う回路やスタンスでの書き方だと感じる。筋が通っている、というか、彼女が友人と出会ってきた経験やプロセスが、理論や概念の解釈に結びついているようにも感じるのだ。

「ベーシックインカムの要求も『家事労働に賃金を』も、私たちに、労働に—賃労働にも家事労働にも—隷従しない生のあり様を示し、欲望に満ちた主体の可能性を開いていくだろう。パンが欲しければバラを引き換えにせねばならない、パンを我慢すればバラが与えられる、そうした交換の論理を軽々と超越していく。魔女は禁欲も隷従もしないのだ—パンも、バラも、よこせ!」(p41)

気持ちよいほど射貫く文章である。

パンは「生きる糧」でありバラは「尊厳」のこと(p15)だが、過労死寸前まで働いたら「生きる糧」は得られるかも知れないけど、「尊厳」は踏みにじられる。逆にエッセンシャルワーカーと呼ばれる人は、仕事に「尊厳」を持っているけど、「生きる糧」があまりに過小評価されている。パンかバラ、生きる糧か尊厳は、二者択一の問題ではない。「パンも、バラも、よこせ!」 それは、「労働に隷従しない生のあり様」を考える上で必要不可欠な理論的帰結であり、彼女が出会ってきた路上の友人のことを想うこととも直結しているのである。

また、ぼくはベーシックインカムについては、近年、新自由主義的価値前提に親和的な人々がその導入を口にしていて、胡散臭いと感じていたのだが、彼女はそれとは全然違う視点で見ている。

「ベーシックインカムとは一般に、『すべての人に、個人単位で、資力調査や労働要件を課さずに無条件で定期的に給付されるお金』と定義されているものである。ただしこの定義では、給付水準についての言明がなく、社会保障給付のコストダウンを志向する陣営からしばしば提案されるような低水準の給付がベーシックインカムと呼ばれることもある。これに対し、本書では、『生活に必要な所得』を保障する水準(以上)のものをベーシックインカムと呼ぶ。」(p45)

これも、「労働に隷従しない生のあり様」としての「生活に必要な所得」を保障せよ、「パンも、バラも、よこせ!」という主張で一貫している。実にロジカルで、かつ路上の友人たちのことを思い浮かべながら、の背景がしっかりしている論理である。

「社会の「役に立つ」とみなされればマイノリティも積極的に包摂するが、「能力」の「活用」を拒否する「怠け者」や貧乏人は、「役に立たない」とみなされ徹底的に排除され、ネオリベラル資本主義の秩序は維持される。要するに、ネオリベラリズムが差異に“寛容”なのは、体制の側が変わらなくてもよい、体制の側が「コスト」を引き受けなくてもよい、その限りにおいてなのである。」(p29)

彼女のこのマクロ政策への理論的な解釈は、路上の友人たちとの出会いに裏打ちされているがゆえに、本当に迫力がある。新自由主義的価値前提に「役立つ」「役立たない」という判断軸でわかりやすく分断され、ネオリベラル資本主義の秩序維持、のために、人々は包摂されたり切り捨てられたりする。その構造的な暴力、体制側の不作為を、彼女は真っ直ぐ見据え、居抜き、ズバリと言語化する。

この本は彼女の初の単著だという。これは、確かに表面的にはわかりやすい文体でまとめられた、読みやすいエッセイである。だが、その中に、軽く読み流せない、ほんまもんの問いかけがたくさんある。ブログでは紹介しないが、彼女は自分自身の痛みもそっと言語化し、差し出している。そして、ご自身の痛みや苦しみと、彼女が出会ってきた路上の友人の痛みや苦しみを交錯させながら、論理を展開し、言葉を紡いでいく。そういう意味では、素敵なエッセイであるばかりか、魂のこもった学術書でもある、とぼくには受け取った。そして、こんな大作は、並大抵の人間にはかけない。

そういう意味でも、実に読み甲斐のある本だったし、多くの人が手に取って、自分の痛みと交錯させながら読まれてほしいな、と思わせる一冊だった。