内省に基づく自己変革の可能性

かつて「死刑は絶対必要だ!」と主張するゼミ生がいた。彼は正義感が強く、野球部仕込みでがっちり鍛えた身体で、一時期は警察官も目指していた。目つきも鋭く、がたいも大きく、一見強面だけれど、芯は優しい好青年だった。「悪いことした奴は、それなりの報いを受ける必要がある」と言い張っていた。

そんな彼の事が気になって、アメリカの無期限刑の人々の実像を描いた『ライファーズ』という映画をゼミで観た。後に書籍化もされている作品である。映画を見終わった瞬間、彼はその場で顔を埋め、立ち上がれなくなっていた。理由を聞くと、「こいつらは悪い、どうしようもない、と決めつけていたけど、この映画を観て、彼らがそうなってしまう理由がわかってしまった」と途切れ途切れに言い始めた。そこから彼は自分の「死刑は絶対必要」という主張をどう扱ってよいのか困惑し、逡巡しながら、卒論には自らの生きづらさのことを綴ってくれた。その序章には、こんなことが綴られていた。

「私はこれまで21年間強さは力であると思っていた。そかし、その力を得ようとした結果、本当の自分の姿というものがいつしかなくなり、他者からの評価という檻を自分で作りいつしかその檻の中で存在している自分こそが本当の自分と思うようになってしまっていた。しかし、卒論を通して強さとは何なのだろうか、本当の自分とは何なのだろうかということを追求してきた。」

僕がどれだけ知識を伝えるよりも、一度観た映画に決定的な影響を受け、彼は自分の「強さは力である」という信念体系を問い直し始めた。映画には、その力がある。この映画を作り上げた坂上香さんが、今度は日本の刑務所で長期撮影をした上で、『プリズン・サークル』という映画を作った。僕はコロナ期にオンラインで観る機会があり、深く心を打たれた。そして、この春書籍化されたものも読み終えて、更に深く、ずっしりと色々な事を考え始めている。

「帰る場所があるって感覚が、たぶん本当にない。子どもの頃、帰るところなんてなかったし・・・。ここの教育的なこと言うと、サンクチュアリがないですよね。心安まる安全な場所がないっていうか・・・。だからたぶん、常に助けてほしいってどこかで思ってて。でも、今自分が何に対して苦しい思いをしているのかとかはわかってなくて・・・」(坂上香『プリズン・サークル』岩波書店、p166)

ここで言うサンクチュアリとは、聖域や避難所という意味だけでなく、「安心して語り合える場」(p88)のことを指す。厳罰主義の日本の刑事司法において、刑務所内では私語が「やましいこと」と疑われ、刑務官に反論をすることも許されず、本心で安心して話せる場が刑務所内にないのが一般である。だが、この『プリズン・サークル』の舞台となった島根あさひ社会復帰センターでは、『ライファーズ』で描かれた回復協同体(Therapeutic Community):TCを参考にしながら、刑務所内で日本初のTCを作り上げている(そのあたりは坂上さんのインタビュー記事でも描かれている)。その仲間同士の語り合いの場で出てきた、ある受刑者でTC参加者が語ったのが、上記の内容である。

子ども時代に「安まる安全な場所」があるかどうか。それは、その子どもが大人になっていくにあたり、自尊心や自己肯定感を抱くことができるか、という部分で、基盤的な問いである。「帰る場所がある」からこそ、冒険もできる。涙を流す、悔しい思いをする、仲間とうまくいかない・・・時にでも、「帰る場所がある」から、そこで心を休め、話を聞いてもらい、ゆっくり暖かい布団で眠って、鋭気を養う。そして、翌朝、気持ちも新たに、何かに取り組める。

子育てをしていて感じるのは、もともと悪い子どもなんていない、ということだ。お友達やこども園の他の子と接していても感じるのは、子どもは、それぞれの性格はあるけれど、みずみずしい感性を持っている。その感性は、育ててくれる親に大きく影響される。悪い子がいるのではない。子どもがいろいろなお試し行動や、親の言うことを聞かなかった時、大人が子どもにどう接するか、という相互作用の中で、子どもに希望が生まれたり、逆に絶望に陥ったりする。

「ちっちゃい頃から・・・ひたすら親父の暴力っていうか・・・、母親にする暴力が、すごく嫌だったっちゅうか・・・。親父が目の前で暴れる行為がすごく嫌で・・・、夜中寝とると、音ですぐ飛び起きるんですよね・・・。台所でガラスが割れる音とかで、すぐ母親を助けに行くんすけど、ひたすら僕がこうやって止めに入るっていうか、そういう役をやってたっていうか・・・」(p64)

この本の中では、TCに参加する受刑者から、上記のような虐待やいじめを受けた語りが随所に語られる。誤解してほしくないのは、「かわいそうな経験を持つ受刑者だから、免罪してよい」という趣旨で書かれているのではない。そうではなくて、無垢な子どもが、暴力を避けられずに日常的に受けたり垣間見る中で、安心して語れる場所どころか、「帰る場所」もないような日々を過ごしていく。その過酷なプロセスを経る中で、悪循環から脱却できず、被害経験を繰り返し受け、それが反転して加害経験へと転化していく。これらのことが、TCの中で語られていく。

「他者に害を与えたのに、他者への反省がないどころか、被害者面しているのではないか!?」

上記のような怒りや感情的反発を持つ人もいるかもしれない。しかし、受刑者による再犯を防止する、あるいは同じような犯罪が繰り返されるのを防ぐためには、受刑者がなぜ・どのような論理で犯罪に至るのか、その背景にどのようなパターンがあるのかを理解する必要がある。原因がわからないのに、対策をしても、それは感情論か道徳論で終わってしまい、根本的な対応にはならない。

理解と共感は違う。犯罪者がどのようなプロセスでその行為に及ぶのか、の構造を理解することは、それを免罪することとも、その行為に共感することとも違う。坂上さんも、この映画の撮影の中で、TC参加者が十分に反省していないように見えたり、自らの加害行為についてちゃんと振り返れていないような場面、あるいは性加害の語りの場面などについて、共感ができないことも率直に語られている。その上で、彼らがなぜ共感できないような罪につながるのか、を、TCの取材を通じて理解しようとする。この真摯さが、この映画や本の中で、立体的に浮かび上がってくる。

なぜ、坂上さんはこんなに真摯に向き合えるのだろう、と思っていたら、その背景も本書では綴られていた。彼女は中学時代に日常的ないじめや集団的なリンチを体験していた。あるときなどは、そのリンチ現場に遭遇したのに「見て見ぬふり」をした教員がいて、学校がその事件をなかったことにした、という二次被害も受けた。そのことを綴ったあと、以下のように書かれていた。

「私は一日休んだだけで翌々日から学校に通い、何もなかったように立ち振る舞う一方、万引きをしたり、弟に暴力を振るったりと、加害や逸脱行為に走っていった。家庭もサンクチュアリからほど遠かった。私が刑務所にいないのは、『その後』に恵まれたからとしか言いようがない。早い段階で『逃げ場』を求めて海外に留学できていなければ、あるいは映像という表現を持てずにいたら、また、報復とは異なる価値観やそれを指し示してくれる人々に出会えていなかったら、どうなっていただろうか。」(p115)

残念ながら、日本社会において、しんどい家族経験やいじめ、学校経験をした・している人は少なくない。ぼくも、小学校時代に「しんどいいじめ→学級崩壊」という経験がある。だが、ぼく自身が幸運にも刑務所にいないのは、たまたま家庭で安心して話せたからだ。一方、坂上さんは家庭もサンクチュアリからほど遠く、加害や逸脱行為にご自身が手を染めることもあった。でも、彼女は海外に留学できたり、映像という表現手段を持てたので、そして報復とは異なる価値観やそれを指し示してくれる人々に出会えていたから、刑務所に行かなくて済んだ。逆にいえば、安心して話せる場がなく、「逃げ場」もなく、暴力以外の表現手段もなく、報復とは異なる価値観を話し合える仲間がいなければ、その結果として犯罪行為に手を染める可能性は十分にある、ということである。

ここまで辿ってくると、かつてのゼミ生が語ってくれたことを、立体的に振り返ることができる。

彼はどうして「21年間強さは力であると思っていた」のだろう。彼は卒論の中で、小学校の時に暴力教師と出会い、腕っ節の強さで乗り越えるしかない、と身体を鍛えてきた背景を綴っていた。その中では、「力づく」で対応する以外の「逃げ場」や「表現方法」がなかった。そして、「他者からの評価という檻を自分で作りいつしかその檻の中で存在している自分こそが本当の自分と思うようになってしまっていた」と語ってくれた。これは、まさに社会的に構築された自己、そのものである。

だが、彼はゼミ空間の中で安心して語れる場や仲間、というサンクチュアリと出会い、そして『ライファーズ』という映画を通じて、力に頼ることのしんどさや、「力こそすべて」が思い込みであること=社会的構築性そのものと出会ってしまった。それが、映画を観た後に彼を立ち上がれなくさせた背景にあった。だが、そのプロセスそのものを振り返ることによって、「卒論を通して強さとは何なのだろうか、本当の自分とは何なのだろうかということを追求」することができた。

今回、『プリズン・サークル』の映画を観て、本を読んで改めて感じたのは、もしかしたら僕がこのゼミ生とやってきたことは、TCでやられていたこととも通じるのではないか、ということである。TCに参加する、卒論を書く本人が、加害や被害に向き合い、これまで言葉にならなかった想いを言語化する。そして、それを支援者や教員が後押しする。その中で、本人がはまり込んだ悪循環構造や認識枠組みを、そのものとして理解する後押しをする。それができると、他者に「○○しなさい」と指導されなくても、自分から変わっていくことができる。これが、ゼミ生が立ち上がれなくなるほど受けた衝撃以後、卒論を書くまでに変容したプロセスであり、『プリズン・サークル』に出てくるTC参加者の中で観られた変容課程のダイナミズムにあるのではないか。

暴力から自由になるためには、他者による指導や処罰、ルールよりも、本人の深い内省に基づく自己変革こそが重要なのではないか?

そういう意味では、もう一度改めて『プリズン・サークル』は見直してみたい映画だな、とも感じた。

子育てで立ち戻るべき視座

ふだんは育児書や保育の本を読まないのだが、この本は一気読みしてしまった。

「子どもの育ちは、右肩上がりで少しずつできるようになってあたりまえという幻想に捉われやすいものです。実際の子どもの育ちは、右肩上がりで一本道ではなく、行ったり戻ったり、ジャンプしたりと、不規則に変化します。それがあたりまえなのです。環境の変化で排泄の失敗が続いたり、夜泣きがひどくなったり、偏食になったり、急に『お母さんやって』と甘えたり・・・と、いろいろな退行(現象)を見せるのは、決して特別なことではありません。」(赤西雅之著『親のねがい。保育者の言葉。手を取り合って、子どもを育てる』郁洋舎、p30)

確かに、うちの娘さんの成長も、一本道とは全く違う。実際の娘さんも、ふだんからうろうろしたり、行きつ戻りつ寄り道しつつキョロキョロしつつ、生きている。そして、彼女の育ちもまさにそれと同じ。不規則な変化で、予想不可能であり、うまくいったかとおもったら、今度はまた出来なくなったり、あっちいったりこっちいったり、である。親は自分が出来ていることが前提になっているから、正比例のように、順々に出来てくれるはずだ、と思っているけど、何もかも新しいことを学ぶ娘さんにとって、そんなに簡単に順応できるはずもない。そのことを忘れてしまっていたよなぁ、と改めて気づかされる。

そして、忘れていたこと、といえば、もう一つ大切なことがある。

「一人ひとりの年齢や生活背景が多種多様でも、子どもを授かるということに関しては、みんな『初心者』だということは、つまり最初から子育てがうまくできる人はいないということです。『子育てはうまくできなくてあたりまえ』なのです。」(p11-12)

子どもが5歳なら、まだこの世界に誕生して5年分の学びしか出来ていない。一方、ぼくは42歳の時に子どもが生まれているから、十分学んで来たはずだ、という不遜な思い込みが支配しやすい。でも、子どもが生まれたとき、初めて父になったのである。すると、父親としてはまだ5年の経験しかしていないのだから、「うまくできなくてあたりまえ」なのである。でも、47年も生きていると、うまくいくはずだ、という思い込みに支配されやすい。だからこそ、子どもの成長が一本道でなく、行きつ戻りつ寄り道しつつ、であることを自覚化・意識化することと、親の初心者としてのぼくじしんも、同じように一本道で成長するわけではない、ということを知っておくと、過剰な期待を抱かず、「うまくいかなくてあたりまえ」なんだから、と落ち着いて子どもとも、そして自分自身とも、向き合えるのだと思う。

「子どもが親を困らせる仕草は、理解してもらえないことの苛立ちと、コミュニケーションがうまくいかないことへの焦りと孤独感です。それが母親に向けられているのです。子どもの内なる言葉で表すと、『ぼくは自分ひとりではできない。どうしていいかわからない。どうしてひとりでできるように育ててくれないんだ』となります。父親に向かわないのは、父親は子どもにとって『主たる保育者』として認められていないからです。」(p93)

特に最後の箇所にはドキリとさせられる。ぼくは「主たる保育者」として娘から認められているか、というと、結構怪しい。ご多分に漏れず、「お母さん、お母さん」と娘は言っている。だが、ドキリとしたのは、それだけではない。「ひとりでできるように育てる」という支え方、子どものアシストの仕方は、まさに必要不可欠とわかりながら、そう簡単ではないからだ。

「誰かにやってもらって、完結して満足する子どもはひとりもいません。子どもは、自分でやりたいのです。でも、あらゆることが未熟でうまくできず、お手伝いが必要です。それは受け入れますが、そのお手伝いは自分でできるようになるまでのひとときの方策なのです。ということは、親は『子どもがひとりでできるように手伝う』という工夫と知恵が求められるわけです。つまり、手伝いは『過小でもダメ、過剰でもダメ』ということです。」(p93)

これが最も難しい。どうしても子どもに構い過ぎになったり、子どもがやいやいわあわあ言い出したら、もう関わるのがしんどくなって、関わりが過小になってしまう。でも、それは親中心の視点である。ここで大切なのは、「子どもは、自分でやりたいのです」という子ども中心の視点を、忘れずに持ち続ける事が出来るか、という問いである。親は、ついついコツを知っていたり、こうした方が上手くいく、早くできる、綺麗に仕上がる・・・と余計なアドバイスをしてしまう。そして、子どもはそんなアドバイスを求めていないので、怒り出す。よく考えたら、その失敗は妻に対してしていたのと、同じ失敗である。他者に関与する基本は、あくまでも「ひとりでできるように手伝う」しかないのだと、書き写しながら改めて痛感する。

「大人による『指示、命令、禁止』のような言葉は、むしろ子どもはそこから逃げようとするのではないでしょうか。『言われたくない』『聞きたくない』となると、言葉に対する信頼が失われます。意欲的に覚えて、使って、多くの人とつながり合いたいとする興味、関心もうすれるでしょう。子どもがたくさんの言葉に囲まれている環境のなかで育ったとしても、その言葉の内容、質によっては、『耳を塞いだまま聞こうとしない』『見るべきものを見ようとしない』という結果になってしまいます。」(p153)

これも、イテテ、の指摘である。とっさの時に、ついつい、「指示、命令、禁止」の言葉を多用している自分自身に気づかされる。確かに、やってほしくないこと、危ないこと、があると、指示や命令、禁止の言語を親は使いたくなる。でも、子ども中心の視点で捉え直すと、確かにぼくだって『言われたくない』『聞きたくない』言葉なのだ。それは子どもだから、未熟だからしかたない、のではない。言葉に対する信頼や興味を失うような言葉がけは、すべきではないのだ。子どもが心を開き、耳を傾け、観察したくなるような、そんな言葉がけに、どうやったら親のぼくもバージョンアップ出来るのか。それが改めて、ぼく自身に問われていると、これも痛感した。

こんな、親にグサグサ刺さる言葉を、わかりやすい子どもとの関わりの実例を用いながら解説してくれる、この本の著者、赤西雅之先生は、娘の通うこども園の理事長先生である。そして、ぼくはよく、子どもの送り迎えの際に、理事長先生とおしゃべりする。あるいは親の学習会で、色々教わる事も多い。

彼はノウハウ的な「こうすればうまくいく」ということは一切言わない。それよりも、誰もが押さえておくべき本質とは何か、をいつも模索しておられる。そして、親の模索に合わせて、一緒に考えてくださるのがありがたい。(ただ、たまに謎かけや禅問答のような問いかけをうけて、こちらも考え込んでしまうときもあるのだが)

この本も、赤西先生のスタンスが貫かれている。だから、一度読んだだけで、「こうすればうまくいく」秘技は書かれていない。でも、その代わりに、立ち戻るべき基本や、外してはならない視座は、しっかり書かれている。子ども中心の視点にたつ。子どもがひとりで出来るように、どのように手伝えるか、を考える。その際、指示や命令や禁止ではなく、子どもが信頼して行動を変えるような言葉がけをどうすべきか、を常に意識する。こういったことが、この本の中に溢れている。

ついでに言えば、親の視点と保育者の視点が両方書かれていて、一つの課題や事象について、複眼的に捉えられるのもありがたいし、この複眼的な視点で、自分だったらどうだろう、と考え直すのも大切だと思う。

だからこそ、子育てしながら困ったとき、あるいは子どもの対応にどうしようか悩むとき、そうではなくてもたまに、この本を読み返して、改めて立ち戻るべき視座とは何か、をつねに振り返り、自分自身を捉え直し、子どもとの関わりをバージョンアップさせたい。そんなことを思いながら読んでいた。