「名前のつかない感情」を同定する

静謐な、でも、暖かく語りかけてくれる一冊の本がある。

「万人にとって絶対的に有用な本があるということはなく、あらゆる本がそれぞれ、あるタイミングで、誰かを助けるべく眠っている、と私は解釈しています。利用者と本の間に図書館員が入り、そのマッチングを行うのがレファレンスです。」(青木海青子『本が語ること、語らせること』夕書房、p64)

一見すると、書かれていることは、その通りのように、おもえる。だが、青木さんは図書館の本質に「自助を助ける」があると語る。そして、「誰かを助けるべく眠っている」本と、それを必要とする人とを繋げるのがレファレンスであり、司書の役割である、という。そして、注にはこんなことも添えている。

「一般図書館でのレファレンスでは、『身の上相談』や『悩みごと』にお応えすることはできません。あくまでも『彼岸の図書館』であるルチャ・リブロでのレファレンスということで、あしからず。」(p65)

ぼくも仕事柄、図書館には日々お世話になるが、『身の上相談』や『悩みごと』を相談しようと思ったことは、ない。でも、パートナーの青木真平さんとの『彼岸の図書館』(夕書房)を読んだり、お二人の「オムライスラジオ」に出演させてもらって、青木海青子さんという司書さんになら、普段は相談出来ない、本を巡る相談が出来るのではないか、と思っていた。

そこで、ぼくも対談させてもらった青木真平さんの新著『手作りのアジール』(晶文社)の出版記念イベントでご夫婦とご一緒した際、海青子さんに次の様に尋ねてみた。

「ぼくは普段ノンフィクションとか研究書ばかり読んでいると、根詰まりしてきて、息苦しくなることがあります。でも、ドラマとか映画って、次の展開がわかって主人公が恥ずかしい思いをしそうになると、自分が恥ずかしくなって「もう見てられない」ので、最後まで見れないのです。小説でも、そんな場面にさしかかるとドキドキして、バタンと閉じてしまって、読めなくなってしまいます。でも、ゲド戦記をこないだ読んだら、最後まで読めました。村上春樹の作品は例外的にほとんど読めます。こんな僕に、お勧めの一冊ってありませんか?」

書き起こしてみると、ずいぶん無茶ぶりなのだが、海青子さんは「じゃあ・・・」と頭を巡らせながら、一冊の本を紹介してくださった。それが、O.R.メリングの『夏の王』(講談社)である。で、この本が面白かったですと御礼のメールを送ったところ、もう一冊、伊藤遊さんの『鬼の橋』(福音館書店)もお勧めくださった。どちらも、本当に素敵な作品だった。前者は現代アイルランドと妖精国の、後者は平安京時代の京都と三途の川の、どちらも彼岸と此岸のパラレルワールドを行き来する物語である。そうそう、村上春樹の小説は好きだ、ともお伝えしていたのもあってか、こういうパラレルワールドを行き来する、かつその中で主人公が試練を乗り越え勇者になる成長物語をご紹介頂き、なんて素敵な司書さんなのだ、と驚嘆した。そして、冒頭でご紹介した海青子さんの初の単著には、その裏側も書かれている。

「同定とはたとえば、利用者が探している本と、他館が所蔵する本の書誌情報等を確かめ、同一本であると確定する作業のことです。本の方から『同じ本だよ』と自己申告してくれるわけではないので、同定にはなかなか手間がかかります。記載情報や造本など、その本の特徴、性質をよく見定め、本の声なき声を聞く必要があるのです。」(p70)

なるほど、これは大学図書館の司書さんでもしてくださる作業である。その一方、「あくまでも『彼岸の図書館』であるルチャ・リブロでのレファレンス」においては、同定の「問いの次数」があがる。「相談者さんのまだ名前のつかない感情に相対し、本をひっくり返しながらある一節と同定する私たちの試み」(p71)というフレーズを見つけた際、僕が海青子さんから教わった読書体験も、まさにぼくのモヤモヤした想いや感情が「同定された!」という感動だったと思い出す。

僕は物語世界を希求しながらも、自分の「まだ名前のつかない感情」とうまくフィットしてくれる小説とあまり出会えず、困惑していた。その困惑をそのまま『身の上相談』や『悩みごと』という形で、海青子さんにお伝えした。すると、ルチャ・リブロでのレファレンスでやってこられたように、彼女の頭の中で「本をひっくり返しながらある一節と同定」してくださり、ぼくに差し出してくださった。それが、僕の心の中で灯火となって、心を温めてくれた。こんな素敵で豊かな読書体験は、本当にありがたいかぎりである。

そんなルチャ・リブロの司書、青木海青子さんのエッセイは、様々な相談者のお悩みに本でお応えする、というコンセプトに基づきながら、合間合間で彼女の想いも綴られている。

「もしあなたが今いる状況をしんどいと感じているなら、ぜひ心に窓を持ってみてほしいのです。すぐに窓枠に足をかけて乗り越えていくことはできないでしょう。でも、別の風景を目にすることで、前を向けるかもしれない。未来が少し楽しみになるかもしれない。そうしているうちに、窓の隣に扉が現れることだってあるかもしれません。
ひとりぼっちで窓の外を眺めるのがつまらなければ、私たちがお手伝いしたり、一緒に眺めることもできます。窓を持つ手助けをする図書館であれたら。そんなことをぼんやり考えながら、今日も司書席に座っています。」(p16)

彼女がパートナーと共に私設図書館ルチャ・リブロを開くのは、「心に窓を持つお手伝い」を兼ねている。本という媒介が心の窓になり、別の可能性を模索できる。そんなお手伝いをするための、「窓を持つ手助けをする図書館」。本当に素敵な実践だと、改めて感じる。そして、「相談者さんのまだ名前のつかない感情」をも一緒に同定しようと模索してくれる司書さんが座っている図書館は、心のアジールになるだろうと改めて感じる。都会から距離のある、東吉野村にわざわざ訪れる人が絶えない理由も、この本を読めば、よくわかる。また、この本で海青子さんや真平さんが紹介してくれた書籍がどれも魅力的で、あれこれ読んでみたいと思わせる、素敵なブックガイドでもある。

本の最後に、海青子さんがしんどかった時期に、本を通じて真平さんとの出会いが深まっていったエピソードを読みながら、ぼくも「じんわり温かな気持ち」をお裾分けしていただいた。でも、それは本書を読んでのお楽しみ。本好きな人、モヤモヤしている人に、届いてほしい一冊である。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。