ジェネレーターという生き方

本を読んで、自分がやってきたことに「適切な言葉」が与えられて、「そうそう、そういうことだったんだよね!」と思うことがある。今回ご紹介する本も、その種の一つである。

「ジェネレーターシップとは、出来事・物事が生成することに参加し、(主客・自他の境界を溶かし、あいまいにしながら)そこで起きていることをよく見・聴き・感じ・拾い上げ、その出来事の内側でその生成を担う一部となるということ、そして、世界へのそのような関わり方」(市川力・井庭崇『ジェネレーター:学びと活動の生成』学事出版、p164-165)

一年前のブログ(役割規定からの自由)で、ぼく自身のファシリテーターとしてのあり方に限界を感じていた時に、友人のてっちゃん(小笠原祐司さん)が、「ファシリテーターから探求者に」というモードの転換が必要じゃないか、と教えてくれた。ぼく自身、まさにそこで苦しんでいたので、「我が意を得たり」だと思っていた。そして、この「探求者」のコンセプトって、確かに何かを一緒に産み出す、という意味ではジェネレート(generate:生成)することだし、それをする人は、まさに「ジェネレーター」そのもの、なのである。以前のブログには、「教員の僕が一方的に押しつけるのでも、あるいはファシリとして黒子になるのでもなく、対等な探求者として共に考え合うことができたら、もうちょっとおもろい何かが出来るのではないか」と書いていたが、それを明確に言語化してくださったのが、上記の定義である。

実は、最近ぼくは授業において、このジェネレーターシップモードで関わり、学生たちの評判が良くなっている。従来の授業が一方通行の「教える—教わる」関係だったのだが、フレイレの銀行型教育と課題提起型教育の違いについて深く学び著作化もする中で、一方的な銀行型教育を自分がしていたら言行不一致になる。よって、ここ10年くらいはファシリテーターモードで、学生たちの意見を活発に浮かび上がらせるアプローチをしてきた。でも、僕がファシリで黒子になると、みんなの声は浮かび上がっても、ぼく自身の声は消えていく。オープンダイアローグを学ぶ中で、「いま・ここ」で浮かび上がる自らの声を垂直な対話で浮かび上がらせ、それを他の人との水平な対話で伝える重要性も学んでいたので、自分の声を消すファシリのあり方は、なんか違うと思っていた。

そこで、コロナ下のオンライン講義の頃から、完全に反転授業に変えて、テキストやテーマの文章を事前に読んで来てもらい、授業ではグループでその内容について議論した後、全体で討議しながら、そのテーマについて考え合う内容に変えて行った。その際に、ぼく自身のあり方は、みんなの声を聞いて活性化させるだけでなく、「いま・ここ」で浮かび上がるぼく自身の声もきちんとその場に差し出してみるようになった。そしてそれこそ、「出来事・物事が生成することに参加し、(主客・自他の境界を溶かし、あいまいにしながら)そこで起きていることをよく見・聴き・感じ・拾い上げ、その出来事の内側でその生成を担う一部となる」営みだったのだと思う。

そして、それは教員のぼく自身にとって、新たなチャレンジになった。

一方通行なら、自分が作った(からこそよく知っている)授業レジュメやパワポの内容を一方的に話せば良い。ファシリテーションなら、その場で皆さんの声を豊かにすればよく、僕が責任を取る範囲は限定されている。でも、ジェネレーターは、その場に一緒に参加し、どうなっていくのかわからない不確実さに一緒に関わり、その中で、「出来事・物事が生成する」場面に一緒に遭遇するのである。この際、自分自身の偏見や先入観から自由になり、いま・ここで「起きていることをよく見・聴き・感じ・拾い上げ」ないと、「主客・自他の境界を溶かし、あいまいに」なることはない。一緒に考え合うwith-nessのモードは、その前提として、参加する学生たちの声をしっかり聞いて、真剣に向き合って、例え不適切・しょうもないと思える声でも「いま・ここ」に差し出された声だから意味があるはずだ、と大切にしながら、その声が全体状況の中でどのように位置づけられるのだろう、と、みんなで一緒に考え合う、そんな胆力が求められる。そうしないと、「主客・自他の境界は溶か」すことはできないのだ。

で、ぼく自身は、最近探求者=ジェネレーターとして、「その出来事の内側でその生成を担う一部となる」という関わり方を授業でもしてきた。すると、授業の最後に、こんな感想が寄せられるようになった。

「講義の分野を専門とする先生と「対話」を経験することも重要であり講義の本質なのではないかと考えた。「先生」と「学生」で主従関係のようなものができるかもしれない。しかしこの講義はそうではない(先生は誘導していると感じている人は、おそらく銀行型教育で慣れているがゆえの、課題提起型の講義である福祉社会学への防御反応なのではないかと私は考えている←もちろん全くそういう意味でない人もいる)。あくまでも先生は私たちが考えやすいように学生の声を板書をしてくださっており、最終的に自分がどう考えるのかは自由である。なので、先生と学生という立場を越えた議論はできるのだという学びを実感するためにも、「先生」という存在は議論に必要なのではないかと考える」

「竹端先生の授業で自分の意見を言うことは怖くないことなんだと感じた。周りの子も相手の意見をしっかり聞いてコメントしてくれたのも自信につながった。また。先生が根気強く質問してきて、上手く自分の気持ちを言語化できないときもあったが、その悔しさのおかげで次の議論ではしっかりいえるように準備することが出来た。もしこの授業を受けていなかったら一生周りの意見にあわせて、自分を殺して生きていたと思う。」

改めて読んでも心がじんわり暖まる、嬉しいコメントである。主従関係を越えた対話。その中で、「立場を越えた議論」から何かが生まれてくる(ジェネレートする)。そういう事を積み重ねるなかで、「周りの意見にあわせて、自分を殺して生きていた」学生さんも、詰まりながらでも、自分の声を出してみる。ジェネレーターの僕は、「上手く自分の気持ちを言語化できない」学生さんの声を「よく見・聴き・感じ・拾い上げ」るお手伝いをする。そのプロセスで、「自分の意見を言うことは怖くないことなんだと感じ」、対話が深まっていく。

そして、そのプロセスから生み出されていくものを、政治学者ハーシュマンの有名なExit & Voice(離脱と発言)モデルを修正し、ジェネレートとリフレームという再定義をする。

「現状においてヴォイスが起きにくいのは、発言・告発したところで、それをまともに取り上げてもらえないという諦めが蔓延しているからだ。(略)『頼む、変えてくれ!』ではなく、『こうしたらよいのではないか?』『なるほど、それならこういうやり方もあるね』『いいね、さらにこれもできそう』とどんどんアイデアを出してつなげていく。これが、ジェネレートだ。」(p98-99)

「現状においてイグジットが起きにくいのは、どこも似たようなもので、イグジットしてもたかが知れているからである。(略) そうであれば、いまあるものの別のものに移るのではなく、新しいやり方やあり方をつくって、そこに移行すればいい。(略) その場の意味を捉え直すことによって、まったく新しい場として再定義してしまう。そういうことが、イグジットに変わるリフレームだ。」(p100)

長年、地域福祉に関して様々な自治体や社協などとの協働プロジェクトをやってきた。その時に、ぼく自身が大切にしていたのは、まさにジェネレートとリフーレムであった。

厚労省の政策は、あかんもんはあかん、と批判し続ける必要がある。一方、実際の支援対象者や地域住民と直接関わる基礎自治体や市町村社協は、批判だけでは困る。じゃあどうするねん?が問われいるし、ぼくのもとにも自治体や社協職員がどうしてよいのかわからない案件が沢山持ち込まれてきた。そういう時に、地域福祉政策のジェネレーターとしての僕がしてきたことは、相談に来た人と「起きていることをよく見・聴き・感じ・拾い上げ」るプロセスに参加することだった。そのなかで、いま・ここ、の場において浮かび上がってきた直観を大切にし、「『こうしたらよいのではないか?』『なるほど、それならこういうやり方もあるね』『いいね、さらにこれもできそう』とどんどんアイデアを出してつなげていく」ことをし続けてきた。まさに、それはジェネレートそのものである。

そして、予算も人手も方法論も限られている現場において、ないものねだり、をするのではなく、あるものさがし、をしながら、「その場の意味を捉え直すことによって、まったく新しい場として再定義してしまう」というリフレーミングも、し続けてきた。このリフレームとジェネレートをするなかで、「どうしてよいのかわからない案件」にコミットし続けることが出来るし、その場の人々と、新しい何かを産み出してくることも出来たのだと思う。

そういう意味では、「学びと活動の生成」という副題のついた「ジェネレーター」というのは、まさにぼく自身が教育や福祉現場でやってきたことを、しっかりと裏打ちのある理論で言語化してくれた、背中を押してくれる一冊であった。そして、ブログでは紹介できなかったけど、ご自身もジェネレーターとして、小学生と共にオモロイ何かを探求し続けてこられた市川さんの実践は、ほんとうに面白い。ついでに、パターンランゲージを世に広めてこられた井庭さんが、なぜこんな研究者になったのか、という彼の成長物語(ジェネレーティング・ストーリー)も面白かった(お二人のことを以前のブログにもご紹介していた)。

誰かと共に相互変容したい、と思う人には、オススメの一冊である。

精神病院を媒介子と捉え直す

『アクターネットワーク理論入門 「モノ」であふれる世界の記述法』(ナカニシヤ出版)を、著者のお一人である伊藤嘉高さんからご恵贈頂く。科研の研究班でアクターネットワーク理論を勉強し続け、昨年は伊藤さんをオンラインゲストにお呼びしての研究会も開いたご縁があって、頂いた。単なる概説書ではなく、この理論はどんな風に「使えるか」という展開可能性についてまで論じられていた。ぼく自身もアクターネットワーク理論を「義父の死」を巡るエピソードに当てはめた論考を書いた後だったこともあり、非常に刺激的だった。

そこで、自分自身の頭の整理もかねて、四半世紀追いかけてきた「精神病院」とアクターネットワーク理論がどう接続しうるか、この本のいくつかの論考から拾いながら、書いてみたい。

「近代的なオブジェクトの特徴について少しまとめておこう。まず、それは限定された現場でのみ分節化が行われた後、次々と他の現場へと移送されていく点に特徴がある。有用性が強調され、その性質は自明のものとされ、問いを発することを許さない。仮に問いが発されたとしてもそれを無視し続けるというある種の強靱さをもっている。より正確には、そのような強靱さをもつような形で構築されているモノである。ラトゥールは、これをリスク・フリーなオブジェクトであると言い換えていもいる。それは本質的にリスク・フリーであるということではなく、リスク・フリーに見えるように扱われてきたモノという意味である。」(12章、p234)

ここで「リスク・フリー」としてあげられているのは、建設資材として安易に使用され、その後「静かな時限爆弾」と「翻訳」されるようになったアスベストであり、私たちの身の回りに沢山ある・今は海洋汚染の原因ともされるプラスティックである。

そして、精神病院というモノも、「リスク・フリーに見えるように扱われてきたモノ」であった。医師の診断と社会の必要性という「限定された現場でのみ分節化」された後は、その「有用性が強調され、その性質は自明のものとされ、問いを発することを許さない」。欧米では脱施設化という形でその有用性や自明性が否定されていったが、日本では精神病院協会の会長が「医療を提供しているだけじゃなくて、社会の秩序を担保しているんですよ」と豪語するくらい、「問いが発されたとしてもそれを無視し続けるというある種の強靱さをもっている」。ラトゥールは事実を「厳然たる事実(matter of fact)」と「議論を呼ぶ事実(matter of concern)」に分けているが、欧米では精神病院の必要性は「議論を呼ぶ事実(matter of concern)」である一方、日本では未だに「リスク・フリーなオブジェクト」であるかのように精神病院が扱われ、「厳然たる事実(matter of fact)」だと思い込もうとする。

だが、このような言説が構築されるアクターを辿ることで、違う可能性が見えてくる。

「ラトゥールは、representationの意味が二つに分裂してしまっているのもまた、「近代」の枠組みのもとで、人間のみから成る「社会」に関わる政治と、非人間のみから成る「自然」に関わる科学という二分法が成立しているせいであると考える。ラトゥールは、この枠組みを取り外して非近代的な思考へと至ることで、政治家が誰かの利害を代弁することも、科学者が何らかの非人間の性質等を発話することも、いずれも適切な手段を用いて、誰/何かの声を代表/表象する営みであるという点で同等のものとして捉えようとするのである。そうすることで、人間も非人間も交渉のテーブルにつくことができると主張するのである。」(8章、p146)

政治と科学は、一見、二つに分裂しているように見える。だが、精神科医が「医療を提供しているだけじゃなくて、社会の秩序を担保しているんですよ」と述べるとき、彼は政治と科学の両者の言語を話している。それでは一体「誰/何かの声を代表/表象する」のであろうか。精神科医に限らず、医者は「病気」「症状」という「声なき声」であるモノを代弁しようとしている。その一方、政治家は、同じ声なき声でも、サイレントマジョリティや社会的弱者などの「声なき声」を代弁し、その再配分に采配を振るうことが求められている。だが、少なくとも日本の精神医療においては、社会的弱者の代弁機能(政治)と、病気や症状の代弁機能(自然)の二つが、精神科医という象徴に統合されている。ラトゥールは自然と人間の分離とは逆の、自然と人間のハイブリッド化という言い方をしている。そして、日本の精神医療におけるハイブリッド化が、権力の一元化や権力の濫用に繋がっている。

こう言うと、権力の一元化や濫用は、一部の粗悪な精神病院だけだ、という反論も聞こえてくる。それに対して、アクターネットワーク理論(ANT)からは、どのように言えそうだろうか。

「従来の社会学においては、「疾病」(disease)と「病い」(illness)を区別するのが常道であった。疾病は生物医療の対象であり客観的に実在するものであるのに対して、病いは患者の主観的なものである。そして、かつての医療者は前者の単一性に傾倒し、後者の多様性・複数性を等閑視してきたとされるなかで、社会科学者は後者の重要性を訴え、とりわけ、患者にその疾病の意味を問うことのない医師の権力性を問題にしてきた。
しかしながら、ANTにおいては、客観/主観の区分自体が無効化され、したがって、患者の主観や解釈が医療批判の根拠になることはない。むしろ、客観的(オブジェクティブ)なものこそが多重的である。(略)
したがって、大切なことは、上記のような専門家のパターナリズムを問題視して、自律的な患者の選択の多様性を認めることではない。解釈の複数性を説けば説くほど、実在の複数性が遠ざかる。解釈や選択を支える中立的なデータセットは存在しない。データーセットこそが政治的なのである。」(9章、p167)

精神医療においても「むしろ、客観的(オブジェクティブ)なものこそが多重的である」。イタリア・トリエステでは、総合病院精神科と地域精神保健センターが機能すれば、長期社会的入院はなくても済んでいる。フィンランドの西ラップランドでは、クライシス状態の患者の求めに応じて、24時間以内に専門チームが訪れ、毎日のように対話を継続する中で、入院を最小化したり、なくても済んだり、そもそも病状が消失している。これらの実践はトリエステ方式やオープンダイアローグとして、客観的な論文や書籍として、多数紹介されている。他方、日本では、未だに長期社会的入院が続いていて、それらの人の入院継続の必要性が、医師によりお墨付きを与えられている。精神医療という自然科学の「客観的実践」が、あまりにも「実在の複数性」によって支えられているのである。こういう実践を比較すると、まさに「データーセットこそが政治的なのである」という箴言に、深く、頷く。

「ANTのテクストは、各々の人やモノが媒介子として扱われるアクションの連鎖(ネットワーク)をたどるものであって、諸々の存在を中間項に貶めるような客観的説明や批判を行うものではない。ANTは新たな媒介子を見いだす為の方法なのであり、「ここまで事物の連関をたどればよい」という基準はない。どこまでも連関をたどり、どこまでも分節化することが可能であるからだ。」(3章、p57)

このフレーズを書き写しながら、僕は反省している。これまで、日本の精神病院や精神医療政策を数多く批判続けてきた。だが、現に目の前にある病院や政策を、「厳然たる事実」として批判してきた。その上で、病院や政策は現にこういう状態であるのだから、どう変えるべきか、を論じてきた。その際、病院や政策を、中間項と捉えるか、媒介子と見立てるか、でずいぶん見方が変わる。この部分はラトゥール自身の説明から引用してみよう(下記についてはブログ「中間項から媒介子へ」でも引用した)。

「中間項は、私の用語法では、意味や力をそのまま移送する(別のところに運ぶ)ものである。つまり、インプットが決まりさえすれば、そのアウトプットが決まる。」「媒介子は、自ら運ぶとされる意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする。」「正常に作動するコンピューターは複合的な中間項の格好の例と見なせる一方で、日常の会話は、恐ろしく複雑な媒介子の連鎖になることもあり、そこでは、感情や意見、態度が至るところで枝分かれする。」「学会で開かれる非常に高度なパネルディスカッションが、どこかほかでなされた決定を追認するだけであるならば、まったくもって予測可能で問題をはらまない中間項になる。」(『社会的なものを組み直す』(法政大学出版会)p74-75)

これまでは、精神病院協会の会長発言など、特定の人間に対しての批判はしてきたが、精神病院そのものは「インプットが決まりさえすれば、そのアウトプットが決まる」「中間項」だと見なしてきた。だが、精神病院の機能の仕方が、無くしたイタリアと最小化したフィンランド、世界最大規模で残っている日本では異なっている。つまり、日本の精神病院が何のどのような「意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直し」ているのか、という精神病院の媒介子機能を分析しないと、精神病院そのものの複雑性を理解したことにならないのである。

日本の精神科病院では、未だに虐待が起き続けている。これを、「厳然たる事実」や「中間項」として批判し続ける限り、その批判が「厳然たる事実」を揺り動かすことはないだろう。そうではなくて、虐待事件を「議論を呼ぶ事実」であると考え、精神病院における虐待が発生し続けるメカニズムの中には、精神病院や精神保健福祉法、病院スタッフや入院患者など、いかなる「人やモノが媒介子として扱われるアクションの連鎖(ネットワーク)」があるのか、を辿る事によって、見えてくるものがあるはずだ。それが、媒介子を辿る、という意味でのアクターネットワーク理論の醍醐味なのだろうと思う。

この入門書は、優れたアクターネットワーク理論の世界への手引き書、だけでなく、自分自身が抱えているテーマのアクターをどのように追いかけていけばよいのか、に気づかされてくれ、議論を呼ぶ事実を喚起させる、優れた媒介子の一冊である、と感じた。

関係論的時間という妙味

子育てをしながら、子どもという他者とどう向き合うか、をモヤモヤする時がある。めちゃくちゃ可愛い、でも、とんでもなくややこしい。そして、思い通りにならずに腹が立つ時がある。その時に、娘は自分と違う他者である、という娘の「他者の他者性」を理解出来ていないのだな、と痛感するときがある。だからこそ、磯野真穂さんが独立後に初めて書かれた新書『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社新書)は、興味を持って読んだ。

この本は、往復書簡『急に具合が悪くなる』(晶文社)のお相手であり、亡くなられた哲学者の宮野真生子さんから託された「問い」を、磯野さんが全身全霊を込めて、人類学的知をかき集めながら深めて、考え抜いていくプロセスが書かれている。その最終章で、統計学的人間観と個人主義的人間観、関係論的人間観の三つの人間観が対置され、深められていく。その考察が、非常に興味深かった。

「私たちが誰かと共にいるという『共在感覚』を持つ時、それは規則性をそこに感じ取っているからだけではない。目の前の相手が手持ちのいくつかの選択肢の中からひとつを選んで相手にそれを投げ放つ。それを受けて自分も同様の選択を行い、相手への投射を行う。このようなやりとりが互いの間でなされているとの実感が持たれる時、共在の枠は初めて双方の相互行為を支える枠として立ち上がる。」(p246)

年長組の娘と、最近はボールけりをしばしばする。単にパスをし合うだけ、なのだが、それは非常にありありと娘と共にいる「共在感覚」をもたらす。この記述をトレースするならば、彼女がボールをどんな風に蹴るとか、あるいは「ちょっと休憩する」とお茶を飲み出すとか、「サッカーはもう止めとく」とジャングルジムに行くか、親は予測できない。もうちょっとボールを蹴っていたいのに、「もう止めとく」と突然宣言されることもあるし、「上ボールを蹴って!」と、バウンドするボールを蹴るよう指示されることもある。彼女がどのような選択肢を用いるか、は、ぼくには直前までわからず、そのたびに微調整が迫られる。

これは、ぼくのコントールが出来る範囲内を超えている、という意味で、時には面倒くさい。娘と共にいると、つねに臨機応変さが求められる。標準化・規格化された対応とは全くかけ離れていて、振り回されている感覚もある。でも、変な話だが、そうやって娘と遊んでいる時、ありありと「娘と共にいる」という「共在感覚」を持つのだ。面倒くさいけど、面白い。

そして、その共在感覚を、宮野さんはこんな風に深めていく。

「相手の投射を引き受けるという選択は、相手の投射が自分を生み出すことを許容し、そこで生み出される自分を発見することである。関係論的人間観において、関係を持つ自己と他者はあらかじめ確定していない。投射によって互いが互いを生成し合い、それを見いだすことで『私』/『あなた』という存在が初めて生まれる。その『私』/『あなた』の生成の瞬間こそが関係論的時間における時間の萌芽であり、その関係性が維持され、その踏み跡が振りかえられたとき、そこで私たちは関係性が編み出した時間という生のラインを発見する。」(p250-251)

仕事をバリバリこなす、とか、業績をじゃんじゃか生み出す、という生産性至上主義の枠組みにはまり込んでいると、その論理に合う形で統計学的人間観に己を切り捨てるか、あるいは他者との関係を切り捨てる形での個人主義的人間観に埋没しやすい。ぼくも、恥ずかしながら子どもが生まれるまで、そうだった。

でも、夜中だろうがお構いなしに泣き叫び、親がそこで関与しないとあっさり死んでしまう、究極の脆弱性(Vulnerability)を抱えた赤ちゃんである娘を目の前にすると、こちらの勝手な都合は、まさにお構いなしになる。娘が泣き出す、という形で「投射」してきた何かを親のぼくが引き受けないと、娘は下手をしたら命を失いかねない。そんな娘の存在や彼女の投射が、父親というぼくを生み出すのだし、それによって「父」が生み出されたことを発見するのである。泣き出す娘と、そこに対応しようとするぼくという投射関係によって、「『私』/『あなた』という存在が初めて生まれる」。これはまさにケア関係が生み出される瞬間である。

そして、関係論的時間とは、ケアを主軸にした時間であり、それは統計学的人間観や個人主義的人間観における時間感覚とは違うものである、とも磯野さんは指摘している。

「統計学的時間は過去と未来を一直線に結び、まっすぐに進むが、関係論的時間は必然領域と偶然領域の間を揺らめきながら未来に向かって進む曲線である。このため感じ取られる時間の長さにおいては後者は前者より常に長いが、日常生活においてふたつの時間は近似するため、統計学的時間を関係論的時間とすることの違和感は生じない。ただこの二つの時間に大きな乖離が生じることがある。それが関係論的時間の直線が大きく偶然領域に沈降し、その後上昇カーブを描きながら必然領域に立ち上がる場合である。このとき行為者が実感する時間は、沈降し上昇した分だけ物理的な時間に比して大幅に伸長するため、統計学的時間を凌駕する。」(p251-252)

予期せぬ偶然に支配された時、直線的時間感覚は歪み、「揺らめきながら未来に向かって進む曲線」に変化する。磯野さんは、宮野さんが死にゆく存在となったときに、向かい合ったことだとおもわれる。そして、実はぼく自身も、義父の死を通じて、そのことを経験し、それを言語化してみた。(「死にゆく者が生者を束ねゆく:アクターネットワークセオリーで辿る義父の死」

他者の死は、もっとも偶然領域に近づく出来事だが、それほど極端ではなくても、偶然領域に支配されることは沢山ある。それは、2年前のCOVID19初期における学校の突然の休校期間(「ケアを軽んじていないか」)であり、子どもが突発的に風邪を引いたり、調子を崩すことである。想定外の出来事で、当初思い描いていたストーリーなり段取りがなぎ倒しにされることは、子育てで本当にしばしばある。

新刊『家族は他人、じゃあどうする?』にも書いたエピソードだが、子どもが夜泣きしている時に、朝の3時とかに、子どもを抱っこしながら子守歌として「線路は続くよどこまでも」を歌っていた。今から考えると、この夜泣きはいつ収まるのだろうと寝ぼけ眼で絶望的な気分になっていた父の無意識の反映が「続くよどこまでも」の歌詞に投影されていたのだと思う。子育ての先輩からは、「大変な時期って一瞬で過ぎるのよ」と何人もから言われた。そして、実際に過ぎ去ってみると、確かにその通りである。だが、その渦中でパニック状態にいる時は、「なにが一瞬やねん!」とその言葉にもキレていた。永続的に続く大変さのように感じていた。そう、あの夜中の三時は、「関係論的時間の直線が大きく偶然領域に沈降し、その後上昇カーブを描きながら必然領域に立ち上がる」瞬間であり、だからこそ、永遠に続くかのように、長く長く感じていたのである。確かに、時間は歪んでいた。

「関係論的人間観の中で時間を捉える時、時間を生み出す自他は偶然から生まれ出た存在であるゆえ、『この私』『このあなた』が生まれ出る様相は直線では捉えることができない。それは偶然領域から必然領域に上昇する曲線を引くことで初めて現すことが可能となる。」(p262)

生産性を高めるため、時間管理術の本を必死に読み漁っていた30代前半のぼくは、時間は標準化・規格化されたものであり、であるがゆえに、コントロール可能だ、と思い込んでいた。でも、子どもという具体的な他者と共に生き、彼女自身も標準化・規格化された時間を生きる前の状態であるならば、『この私』『このあなた』によって織りなされる時間は、直線的時間から大きく異なる。

関係論的時間は、想定外で「読めない」がゆえに、ぼくをいらだたせたり、不安にさせる。だが、そんな時間があるからこそ、『この私』と『このあなた』を、ありありと実感させる。それはアンコントローラブルだ。でも、だからこそ、豊穣な時間なのかもしれない。そして、生老病死とは、そのようなアンコントローラブルな時間が増えることである。

先日、難病のタニマーのお二人と食事をしていたが、難病を抱えて生きる、とはアンコントローラブルな自己と向き合う日々だ、と深く教わった。そして、私自身は、子どもが産まれてから、ようやっとそのようなアンコントローラブルな日々とは何か、を自分事として理解出来るようになった。そして、アンコントローラブルな時間領域を切り離した標準化・規格化された時間の表層性と暴力性、を改めて考えるようになった。

最近、ケアを主軸にした社会としてのケアリングコミュニティがぼく自身の一つのテーマになっている。それは、「24時間働けますか?」という昭和的おっさんの価値観がバリバリ出ている弱肉強食主義の社会とは対極の、か弱い者、想定外に行かない事態、を織り込んだ社会のありようである。でも、日本社会の失われた30年とは、「24時間働けますか?」がドミナントな社会ではなくなった、にも関わらず、それ以外の時間感覚を獲得出来なかったがゆえの課題ではないか、とも思っている。それは、昭和的価値観を適切に弔うことが出来なかった、という風にも言えるかもしれない。

失われた30年を取り戻すために必要なのは、そして結果的に日本社会がイノベーティブでオモロイ社会になるためにも、「24時間戦えますか?」的なマインドセットを「これまでありがとう。でも、もうそれでは生きていけないから」と適切に弔った上で、関係論的な『この私』と『このあなた』を大切にする生き方に変えていくことができるか。それが問われているようにも感じる。