戦略的母性主義という可能性

「母性」というのは、悩ましい言葉だ。子育てをするなかで、子どもを包み込み・無条件に承認するような愛情が自分のなかにもあること発見して、「母性的」と言いたくなる自分がいる。でも、ぼくは生物学的にも性自認も男性である。そのぼくが「母性的」と自らを名乗るのも何だか変な気もするのだが、それを「本質主義的だ」と批判するのも違うような気がする。

そういうモヤモヤを抱えていたので、元橋利恵さんの『母性の抑圧と抵抗:ケアの倫理を通して考える戦略的母性主義』(晃洋書房)を読んで、そうかそんなふうに考えればいいんだ!と、少し風通しがよくなった。

「母親業の営みは、パターナリズムに特有の、『優れた』者がそうでない者を代弁するという発想には基づかない。ケアとは非対称な関係性のなかで相手を1人の人間として尊重するということから始まり、ゆえにそこは常に自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤が生じる。母親業では子どもの意思を尊重しつつ、彼彼女らが人間として尊厳をもてるような選択肢や問題解決を具体的な文脈に寄り添いながら思考し導いていくことが要請される。それはマターナル(maternal)な営みであると言えるだろう。」(p204)

パターナリズムとは父権主義や温情主義とも訳される言葉で、「『優れた』者がそうでない者を代弁するという」ある種の上から目線の、恩着せがましいアプローチである。そこでは、「可愛そうだから何とかしてあげよう」という温情的な視点はあるが、あくまでも父的な存在が絶対的な力を持ち、絶対的に非力な子どもは父に言われるがままに導かれる、という非対称な関係を前提にしている。そして、その非対称な関係は、「仕方ない」「そういうものだ」とデフォルトにされる。ゆえに、親子がぶつかった時は、親に子が従うのが「仕方ない」「そういうものだ」と理解されやすい。

一方マターナルな営みは、「非対称な関係性のなかで相手を1人の人間として尊重するという」ケアからスタートする。赤ちゃんや幼い子どもでも「1人の人間として尊重する」ということは、相手の意思決定を大切にすることであり、親が思う方向ややり方と違う動きをしても、押さえつけることなく、そのものとして尊重する必要がある。その際、「自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤が生じる」。五歳の娘と日々過ごしていても、服のたたみ方とか、片付け方とか、本当にささいなことで、「自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤が生じる」。

その時に、「お父さんのやり方の方が正しい(効率的だ、上手くいく・・・)から、このやり方でしようよ」と提案しても、娘は頑として受け付けない。その時に、父の中に存在するパターナリズムは、「そういうもの」だから聞いてくれたらいいのに、とつい温情主義から暴力的な抑圧に転化しそうになる。でも、ここで一呼吸を置いて、子どもを観察して、待つことが出来るか、が問われる。それはまさに、元橋さんが描くように、「子どもの意思を尊重しつつ、彼彼女らが人間として尊厳をもてるような選択肢や問題解決を具体的な文脈に寄り添いながら思考し導いていくこと」なのである。その時、ぼくはパターナリスティックな部分とマターナルな営みに引き裂かれる。そして、何とか後者に踏みとどまろうとする。

元橋さんの論考が圧巻なのは、このようなマターナルな営みとしての、母親達の政治運動に関して、歴史的な視点を持ちながら、フィールドワークを行った点である。第二次世界大戦中の「軍国の母」が大政翼賛会に参加していったことや、その反転としての反戦運動に転じていった歴史を踏まえた上で、1980年代のチェルノブイリ原発事故以後の反原発運動、そして2011年以後の反原発・反戦運動を俯瞰するし、近年の母親によるアクションが、「戦略的な母性主義」に基づく、と指摘している。

「本書の視座である戦略的な母性主義は、『個』であることと母性を相反するものと捉え母親を社会の中で劣位に置く近代個人主義的な母性観に対して、母親業のなかで鍛えられ培われた思考や判断力を社会構想の基盤に置こうとする。戦略的母性主義の視点からは、母親の活動は、個としての存在を抑圧するものではない。むしろ、個としてしか主体であることを認めない従来の枠組みを批判し、母であるという『わたし』から始めるという視点を有しているものである。」(p141-142)

ここで言う「母であるという『わたし』から始めるという視点」は、「個としてしか主体であることを認めない従来の枠組み」とは違う視点である。子どもと抱えた母である、という複数性を抱えた主体であり、「常に自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤」を抱えている、という点で、単数の個とは異なる存在である。そして、「近代個人主義的」においては、そのように1人に割り切れない母なる存在を、「社会の中で劣位に置く」価値判断をしてきた。子どものケアを母に押しつけ、父は外で主体的に働く、というあの構図である。でも、それによって見えなくなっている視点がある。それを社会構想の基盤に置こうとするのが、「戦略的母性主義」の視点なのである。その結果、反安保法制に関するママの会において、以下のような展開がスタートしていく。

「ママの会のメンバーたちは、政治活動の場で『母としての私』として日々の母親業の経験や不安について話す。そして、その語りが集団において承認されることによって、母親である自分は政治にふさわしくないと考えていたことが、実は、母親業に価値を見いださない政治の仕組みや文化のほうに問題があるのだという認識の転換を行っている。このようにして、自らの行う母親業には政治的価値があるという確信を得ることが、メンバーたちを励ます。そして、エリート政治の空間に子どもを連れていき、母親の日常の延長に『政治』を置こうと試み、政治の当事者であることを奪われている他の母親たちにアプローチを行う等といったママの会の活動の特色をつくることにつながっていったと考えられる。このように、彼女たちが母親であることを掲げながらも、『自分の子どものため』だけに留まらず、『他の母親や他の子どもたちのために』という思考や行動につながっていく。」(p190)

「母親である自分は政治にふさわしくない」というのは、明らかにパターナリスティックで近代個人主義的な日本の政治が、母親にそう思わせてきたことである。そして、ママ達もそれを疑うことなく内面化してきた。だが、「日々の母親業の経験や不安」に基づく、政治や行政に関する違和感や疑問を言葉で表現することで、「その語りが集団において承認されることによって」「実は、母親業に価値を見いださない政治の仕組みや文化のほうに問題があるのだという認識の転換」が始まる。

これは、「保育園落ちた、日本死ね!」という1人のママの怒りの発言が、待機児童問題を政治化させたプロセスを思い出させる。あるいは「エリート政治の空間に子どもを連れていき、母親の日常の延長に『政治』を置こうと試み」は、熊本市議会で子どもを連れて出席しようとしてバッシングされた議員の試みを思い出させる。パターナリズムに染まった人々(男女問わず)は、二つの出来事に批判やバッシングを浴びせかけた。だが、この2人の母親の行動によって、「彼女たちが母親であることを掲げながらも、『自分の子どものため』だけに留まらず、『他の母親や他の子どもたちのために』という思考や行動につながって」いったのである。これらは、まさに「母親業のなかで鍛えられ培われた思考や判断力を社会構想の基盤に置こうとする」戦略的母性主義の一例である、と言えそうだ。

そして、こういった戦略的母性主義はケア倫理にも結びついている、と元橋さんは整理する。

「母親業を担う者としての『母親』の政治的アイデンティティは、あらかじめあると措定された本質としての母親ではなく、ケア行為の事実や、ケアの価値をないがしろにする政治への対抗から創出されたつながりである。政治的アイデンティティとしての『母親』は、子どもの尊厳を傷つけるものや、母親業の遂行を妨げる社会のあり方を不公正とみなし闘う者であることがその本質であると言える。そのため、母親業の政治的アイデンティティは、親の性別やセクシャリティ、家族形態を問わない。」(p205)

パターナリズムに染まる人々が称揚する母性を持った母親とは、子どもを無条件に愛するが、政治には口出しせずに慎ましく慕う像であろう。一方、ママの会も含めて、社会的にバッシングも受けた上記の女性たちは、政治的主体性を剥奪されていないし、それを主張している。これは本質主義的な「母なるものは父なるものとは異なり、政治的な発言は父に任せる」というパターナリズムに染まった主張とは真逆である。「ケア行為の事実や、ケアの価値をないがしろにする政治への対抗から創出されたつながり」であり、発言である。女子どもは黙って男に従え、という旧時代の抑圧的価値観に対して、「子どもの尊厳を傷つけるものや、母親業の遂行を妨げる社会のあり方を不公正とみなし闘う者である」。これはケアを重視した倫理的な態度、という意味で、ケア倫理に基づいた政治的主体性を引き受けた存在であり、「本質としての母親・母性」とは異なる「戦略的母性」である。

そして、そのような「戦略的母性」について、「母親業の政治的アイデンティティは、親の性別やセクシャリティ、家族形態を問わない」とも彼女は語る。ぼくは十分に出来ているとは言えないけれど、「子どもの尊厳を傷つけるものや、母親業の遂行を妨げる社会のあり方を不公正とみなし闘う者」ではあり続けたい、と思っている。「ケア行為の事実や、ケアの価値をないがしろにする政治」については、アカンもんはアカン、と言い続ける。そういう意味で、「戦略的母性」をぼくも生きたいと、心を新たにした。

「うっかり」のダイナミズム

以前から何度かお話しさせて頂き、めっちゃ魅力的な社会起業家である河内崇典さんが初めての著書を出された。

『ぼくは福祉で生きることにした お母ちゃんがくれた未来図』(河内崇典著、水曜社)

ずいぶんストレートなタイトルである。でも、彼の波瀾万丈な人生と思いがギュッと詰まっていて、読み出したら止まらなくなって、あっという間に読み終えた。

福祉の領域にも、沢山の社会起業家はいる。マスコミでちやほや評価されている人も少なくない。その中でも、自分に光が当たることをガンガン追いかける、「ぼく見てぼく見て」系とか、「福祉はめっちゃ儲かる!」系、「どーだ!こんなこともできて、オレっちすごいだろう!」系の人も少なくない。そういう人は、必要以上に小洒落た、いわゆる「バエる写真」を載せたり、ツイッタで刺激的・好戦的な発言をしたり、とにかくセルフプロモーションに抜かりがない。

河内さんは、それと真逆である。「どーだ!すごいぞ!おれ!」ではなく、御自身の弱さや至らなさをさらけ出している。そこに、誠実さを感じるのだ。

「こうして事業説明をしていると、どうしても『すごいことをしている人たち』『正義感が強く、真面目な人たち』といった印象を持つ人も少なくないでしょう。おまけに、ぼく自身のことを『すごい人』『立派』と思う人がいるかもしれません。
でも、ちょっと待ってください。
ぼくを知っている人なら、わかると思います。ぼくは、子どものころから勉強は一切出来ず、小中高通してビリが当たり前の生徒でした。一浪の末なんとか合格した大学はそうそうに行かなくなり、昼夜逆転で遊びとコンパに明け暮れる・・・。福祉にふれたこともなければ、絵に描いたようなやる気のない学生だったのです。
そんなぼくが、なぜこの世界にのめり込むことになったのか。
そこには、ぼくの大切な『お母ちゃん』がいつもいます。」(p17)

自分のことを『すごい人』『立派』と「思わせたい人」は、世の中に沢山いる。承認欲求の塊というか、他者評価へのとらわれ、というか。ぼくだって、そういう部分がゼロか、と言われたら、極めてアヤシい。でも、河内さんは、自分の人生を語る冒頭で、自分のことを「福祉にふれたこともなければ、絵に描いたようなやる気のない学生だった」と語る。『すごいことをしている人たち』『正義感が強く、真面目な人たち』ではないんだ、学校では落ちこぼれの方だったのだ、と語るのだ。

「福祉」というと、どうしても「良いこと」というイメージや価値前提のラベルが貼られる。そして、実際に「他人のために何かしたい」という「善意志」を持っている人も少なくない。そういう気持ちを持っている人が結構いるがゆえに、『すごい人』『立派』というラベルが貼られるのも、あながち間違いではない。でも、それは諸刃の刃である。「自分はあんな風に『すごい人』『立派』ではないから、福祉の仕事なんて出来ない」と思い込んでいる人も多い。現に、ぼく自身も学生さんからそういうことを言われる機会が少なくない。

でも、いま・ここ、の段階で『すごい人』『立派』な人しか福祉の仕事が出来ない、という訳ではない。そして、『すごい人』『立派』な人になるために、福祉の仕事を手段化するのも、違う。

実は本書を読み終えると、河内さん自身はやっぱり『すごい人』『立派』な人だと伝わってくる。でも、彼はそれを目標にした訳でもないし、福祉をその方法論に用いた訳でもない。河内さんは19歳の時に、「話すだけで時給1800円」というバイトのお誘いにうっかりのってしまった。実際の所は、脳性麻痺の男性Tさんの入浴介助だったと知り、話が違うと思ったけれど、断れないまま自宅に出かけてみたら、Tさんのお母ちゃんが大歓迎して、唐揚げをてんこ盛りに揚げくれていた。ご飯も沢山炊いてくれていた。流石にそれで断ることがようできひんと、唐揚げご飯を食べてしまったばっかりに、障害者介助にはまり込んでいく。

一般的に、成功した社会起業家というと、自分で市場開拓をして、ゴール設定をして、そのアジェンダに基づいた資金戦略を練って、と「計画的」に物事を進めるものだ、という「固定観念」があると思う。でも、河内さんの場合は、それとは真逆。たまたま、高収入バイトの誘いにひっかかり、話は違うけど唐揚げをあげてくれたお母ちゃんに出会ってしまい、ずるずる障害者福祉に引き釣り込まれていく。最初から善意志があった訳ではない。そこら辺にいる、グダグダな学生さんの一人だったのだ。

ただ、入口はそうだったかもしれないが、単にグダグダなだけでは終わらなかった。

茶髪で大学に行かないまま、でも入浴介助をし続けているうちに、「地震が起こったらこの子はどうなるがね」と言われて、「肩にのしかかってくる重たい何かを、一人で感じる」ようになった、という。

「(俺は知らんで、無理やで)(やばい。ほんまこんな仕事はよやめな・・・)(俺は関係ないで。俺は関係ないけど、世の中には腹立つな・・・)
自分とは関係のないことだ、と思おうとするのですが、引っかかりがおさまりません。そのうち、ぼくは怒りに近い疑問を抱くようになりました。
お母ちゃんみたいないい人が、どうしてこんなに困らなくてはいけないんだろう? なぜ障害を持った人やその家族たちが、『迷惑がかかる』と言って、こんなに肩身の狭い思いをして生きていかないといけないんだろう?と。」(p46)

河内さんは、うっかりお母ちゃんの唐揚げを食べてしまったばっかりに、入浴介助を続けていた。その中で、障害者を取り巻くしんどい現実に出会ってしまった。そこで、「俺は関係ないで。俺は関係ないけど、世の中には腹立つな・・・」と「怒りに近い疑問」を持ってしまった。

実は、この「問いを持つ」というのが、彼のその後の原動力の源泉にあったと思うし、彼がぐだぐだな学生から、「すごい人」で「立派」な事業展開をしていく原点にあったのだと思う。これは、PDCAサイクルだとか、企画書を書くことでは、絶対に生まれてこない。自分の魂につながるような、怒りや疑問、それを生み出す強烈な出会い。そんな運命の偶然やうっかりが重なる中で、その後の「み・らいず」の展開が始まる。

その後の話も、興味深いけど、下手にぼくが紹介するより、是非とも本書を手に取ってほしい。特に、就職活動をする前の、どんな仕事をしていいのかわからない、と思っている若者には、是非とも手にして欲しい一冊だ。頭でっかちで色々考えてみるよりも、まずは出会ってみる。そこで、何かをやってみる。対話してみる。そういう風に、動いてみることで、「うっかり」何かが始まる。それが、自分の人生を変えうる出会いになることもある。

そんな「うっかり」のダイナミズムが知れて、この本は実に良かった。

「他者からの目」を越える「爽快さ」

平尾剛さんがミシマガジンに連載しておられる「スポーツのこれから」は、ぼくにとって心を震わせる内容である。それが、「父親のモヤモヤ対話」と題して9月11日に対談イベントをさせて頂く原動力になった。今回は、その平尾さんの連載の中から、もっとも刺さった部分をご紹介したい。

「娘たち園児を見ていると、私はなぜだかからだを動かしたくなる。「他者からの目」を気にせず、ただただ無邪気に動き回る彼女たちに、デスクワークで肩や腰が凝り固まったこのからだが恨めしくなってきてからだが疼く。「劣等感」を言い訳にせず、どうにかして上手な動きに近づけようと真剣に取り組む彼女たちの姿に、私は知らず知らずのうちに勇気づけられている。
「他者からの目」に臆さず、「劣等感」を冷静に受け止めた上で「勇気」を出して動いてみよう。そうすれば懐古的な「爽快さ」が味わえる。跳び箱が跳べず、逆上がりやマット運動や球技ができなくたって、「他者からの目」を振り解きさえすれば私たちは運動を楽しむことができるのだ。」(「他者からの目」を振り解く

平尾家の娘さんより1才年長の我が娘さんも、確かに「他者からの目」を気にせずに、「爽快さ」全開で動き回っておられる。特に、今お世話になっているこども園は、サッカーや駆けっこ、どろんこ遊びなど、全力で外遊びを応援してくれ、先生も一緒になって真剣に遊んでくれる。そして、最近は本気でサッカーをやっているので、ぼくも娘に引っ張られて、休みの日に娘とボール蹴りをするようになった。すると、娘の「爽快さ」が伝染してきて、めっちゃボールを蹴るのが楽しいのだ。それは、「他者からの目」を気にしまくった父さんを、逆照射する。

ぼくは「運動ギライ」だと長年自己規定してきた。でも、平尾さんの論考を拝読して、改めて感じるのだ。ぼくはまさに「他者からの目」を気にして、「運動ギライ」になってしまった、と。華麗にプレーする友人に比べて、ドリブルもキックも下手だし、強いキックは怖いし・・・と怖じ気づいて、そこから劣等感をコンプレックスに感じてしまった。それは他者比較の牢獄の中に、入り込んだ瞬間だった。そして、その頃から、スポーツにおける「爽快さ」を見失ってしまったのだ。

そして、続きの連載を読んで、思わず声を挙げた。

「部内でのレギュラー争いや、全国大会への出場およびそこでの戦績アップを目指した活動は、過度に競争的な環境をもたらす。優劣を自覚させられ、そこから半ば強制的に発奮させられる。常に「右肩上がり」を求められるなかで、子供たちは「できる/できない」で運動を解釈する見方や考え方に徐々に染まってゆく。」(「下手でもいい」と思えるために

この「「できる/できない」で運動を解釈する見方や考え方」に囚われたので、ぼく自身は早くから、「できない」自分はずっと劣っているから、とスポーツが楽しくなくなった。「運動ギライ」で固まっていった。ただ、これは実は「勉強」における「能力の点数化」が元になっている。そして、たまたま小学校時代は勉強が出来てしまったがゆえに、ぼくは運動ではなく、受験勉強において「過度に競争的な環境をもたらす。優劣を自覚させられ、そこから半ば強制的に発奮させられる」プロセスにのめり込んでいった。中学校で入った猛烈進学塾で、夜中12時まで勉強することはザラになった。そして、有名進学校と言われるところに、潜り込むことになる。

「やがて指導者やチームメイトからの査定の目が張り巡らされている環境に疲れてしまい、途中で辞める部員や、たとえ卒業まで続けたとしても、それ以降はするだけでなく観るのも嫌になる部員もいる。突然やる気を失う、いわゆる「燃え尽き症候群」になることもさほど珍しいことではない。その予備軍を含めれば、多くの生徒や学生たちがいまも頭を悩ましていることだろう。」(前掲)

これは、スポーツ強豪校だった前任校のカレッジアスリートの中に一定割合いたし、スポーツを勉強に変えたら、高校生の頃のぼくそのもの、だった。高校入学当初は成績が良かったのに、右肩下がりで成績が落ち、そのまま浪人生まで突っ込んでいった。それは、まさに「査定の目が張り巡らされている環境に疲れて」しまった、「燃え尽き症候群」だった。たまたま入った写真部で、友人とだらだら喋りながら、勉強以外の別のことをずっと考えている、勉強がイヤで仕方なかった高校・予備校時代だった。学びの爽快さを失い、「他者からの目」に支配されて生きていくことを、生きづらいと感じながら、どうすることもできなかった。

「「できる/できない」で運動を捉える凝り固まった体育・スポーツ観を変えるには、下手でもいいから思いっきり楽しめばいい。そう考える人が社会に増えれば、運動嫌いの人たちもちょっと運動でもしてみるかと思い腰を上げやすくなるし、部活動を辞めてからもそのスポーツを続けていきやすくなるだろう。下手くそだからと苦笑するのではなく、ガハハと笑い飛ばせる人たちがたくさんいる社会になれば、「他者からの目」が温かくなる分だけ運動することへのハードルは下がる。」(前掲)

ぼくがそう思えたのは、「下手でもいいから思いっきり楽し」んでいる娘と出会えたからだ。サッカーの苦手意識が極端に強かったぼくが、この夏ボール蹴りを楽しむだなんて、思いも寄らなかった。それは、ボール蹴りをして、あらぬ方向に飛んでいっても、「ガハハと笑い飛ばせる」娘と一緒だったから。娘がぼくと遊んでくれたおかげで、ぼくは、娘を通じて、「他者からの目」の牢獄から、少し、楽になった。

そして、もう一つ、平尾さんの連載を読んでいて、僕の中でずっと鳴り響いているフレーズがある。それが「勝利至上主義」である。

「「競争主義」における目的は「全体の質が高まること」である。これに対して「勝利至上主義」は勝利そのものを目的とする。競争相手より秀でることを最優先すればどうなるのか。対戦する相手が有利にならないように情報を隠す、あるいは相手の失敗や失策をよろこぶようになる。そうして次第に全体の質が低下してゆく。ここに大きな違いがある。
個人や団体が成熟を果たすための方便にすぎなかった競争が、いつのまにか目的化する。競争原理の導入がその効力を失うデッドラインの先に、「勝利至上主義」は出来するのである。」(「競争主義」と「勝利至上主義」

勝ったり負けたりする競争。これは、「個人や団体が成熟を果たすための方便」であり、プロセスである、と平尾さんは喝破する。本来はスポーツにおける勝負を通じて、人や組織が成熟する。それが目的とするなら、勝利至上主義は、勝利という方法論を自己目的化することになる、と。

これは、受験勉強でも全く同じである。どこの高校・大学に入るか、というのは、あくまでも方法論にしか過ぎない。でも、その方法論の自己目的化をするからこそ、偏差値至上主義が生まれ、ぼくも巻き込まれ、燃えつきていった。そして、それは、新自由主義的価値前提が蔓延していくこの社会における、生産性至上主義とか男性原理主義が、子ども世界に蔓延することによる、あだ花であった。

つまり、平尾さんはトップアスリートとして、ぼくは受験勉強して、別ルートではあるけれど、同じような方法論の自己目的化や原理主義に巻き込まれていったのである。そして、これらの方法論の自己目的化こそ、子どもの学びや動きの「爽快さ」を奪い、「他者からの目」に釘付けにしてしまい、ひいては子ども集団全体の質が低下する根源にあるように、思う。そして、このような原理主義は、大人世界の、それこそ昭和の「24時間働けますか」的な価値観を色濃く引きずっている。

平尾さんもぼくも1975年生まれの団塊ジュニア世代。この二人が、自らも背負い続けてきた昭和的価値観の牢獄性、呪縛性に気づいて、それを言語化しようともがいている。そして、平尾さんもぼくも、幼い娘との関わりの中で、モヤモヤし、それが言語化にむけた大きな補助線になっている。今回の対談では、おっさんにこびりついた方法論の自己目的化の牢獄とか、そこからどうやったら自由に、それこそ「爽快に」生きられるだろうか、を平尾さんと共に考え合いたいと思う。

そういう意味では、「かつての子どもだった時代のわたし」を捉え直す時間にもなりそうだし、「これから育ちいく子ども」とどう関われそうか、を大人が考え直すきっかけにもなりそうな対談だ。日曜日が、ほんとうに楽しみである。みなさんも、良かったらご一緒にモヤモヤ考え合ってみませんか

動感を充実させる

9月11日に平尾剛さんと対談をさせて頂く。ラグビー元日本代表であるが、恥ずかしながら、彼が現役時代にそのプレーを拝見したことはない。ずっと内田樹さんのファンだった僕は、内田さんのブログや『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)で彼のことを知り、興味を持った。そして、彼のツイッターをフォローして読んでいるうちに、競技中心主義や教育のありようについて書かれていることにすごく共感し(今のミシマ社の連載もオモロイです)、ルチャ・リブロの青木真兵さんがつないでくださって、今回、初めて対談させていただく事になった。

そして、読んだつもりになっていたけど実は未読だった『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)を拝読。この本は、今だからこそ、その中身が深く味わえて、すごくよかった。

「スポーツでも人生でも、ときおり訪れる『うまくゆかない場面』は、まるで複雑に絡み合った結び目である。どこをどう解けばよいかがわからない。結び目を眺めながら解けそうな場所に目星をつけて、一つ一つ根気よく紐を引っ張るしか解決方法はない。
しかしながら端的に結び目をなくす方法が一つだけある。それはナイフで一刀両断にすることだ。そうすれば結び目はなくなる。
だが、果たしてこれで解決したといえるだろうか。ちぎれた紐が散乱する様を見て、これで落着したと思えるだろうか。もしこれがからだなら、『全身協調性』をぶった切ることになるし、人間関係なら傷ついた人たちが増えることになりはしないだろうか。
このシンプルな解決法に頼らない思考を私は『脱・筋トレ思考』と名付ける。『うまくたちゆかない場面』を克服するときには、その本質としての複雑性をそのまま認めるという態度が、スポーツ界のみならずあらゆる場面で、今、求められている。」(p187)

ぼくはなぜだか、福祉現場の『うまくゆかない場面』が持ち込まれて、何とか紐解くことを求められる案件が多い。色々な現場から、「これはどうしたらよいのでしょう?」という案件が持ち込まれる。相談する当の主体が解決方法をわかっていないのに、ぼくにわかりっこない。その時、「ナイフで一刀両断」したくなることもある。でも、それでは全くなにも解決しない。だからこそ、「結び目を眺めながら解けそうな場所に目星をつけて、一つ一つ根気よく紐を引っ張る」ことしか、できない。それを専門性と言って良いのかわからないけど、現にナイフを使わなくても、ほどけたり、何とか切り抜ける場面と何度も遭遇してきた。

そして、そういう風に複雑に絡み合った結び目を解き続けているうちに、ぼくの中に宿ったある種の感覚的な何かがある。そして、平尾さんの本の第5章から第6章を読むうちに、それはトップクラスのアスリート達が身につける「身体知」と共通している、と気づかされた。発生論的運動論に基づくと、身体知はうまれつきの運動能力である「始原的身体知」と、特定の動きを身につけるための能力である「形態化身体知」、そして動きの質を高めるための能力である「洗練化身体知」の三つがある、という。それぞれ、土壌、木の幹、枝葉にあたる部分だそうだ。

ぼくは現場の人のこんがらがった話を聞くときは、まず話の全体像を把握しながら、気になる部分の気配や直感を大切にし、「問い」を発して対話をするなかで、モヤモヤした直観を予感に変えようとするのだが、これは始原身体知にあたる、という。その上で、これまで解決してきた先例と紐付けながら、この問題ならこういう対処方法もあるかも、というコツやカンを働かせて、相談相手に働きかけてみるのだが、これは形態化身体知という。そして具体的な解決策に落とし込んでいくのだが、これはどうも洗練化身体知で書かれている内容に共通するようだ。それなら、先週末もやっていた(^_^)

なんと、運動は苦手なはずなのだが、こんがらがった問題に取り組むとき、無意識で無自覚に、身体知を使っていたのですね。だからこそ、なぜかぼくのところに沢山こんがらがった問題が持ち込まれるし、ある程度はほどけてしまうけど、自分ではなぜそれがほどけたのか、よくわからないままだった。でも、こうやって現象学的なフレームに基づいて整理されると、なるほどな、と心より納得する。

「動きを実践するときに、運動主体の内面に生じる感覚を『動感』という。たとえば跳び箱を前にしたときに、『なんとなくこんな感じでからだを使えば跳べるはずだ』と思える人は、跳び箱を跳ぶための動感が充実している。(略)
ボールを投げる、蹴る、バットあるいはラケットで打つといった動きにもそれぞれに必要とされる動感がある。運動取得という現象そのものを厳密に掘り下げれば、この動感を充実されることが最大の目的であり、ポジティブな心構えも、発達した筋肉やからだの柔軟性も、つまりのところはこの動感の充実に収斂される。」(p134-135)

「動感の充実」! それこそ、福祉現場の『うまくゆかない場面』を前に、ぼくが活用していることである。そして、スポーツに当てはめるなら、ぼくが知りたかったけど、教わらなかったことだ。であるがゆえに、スポーツ音痴だと思い込んで、ずっと体育の時代が嫌いだった、最大の理由にも繋がる。ぼくは跳び箱、バスケ、サッカー、野球、鉄棒、駆けっこ・・・様々な競技で、動感が空虚なまま放置され、ほんとうにつまらなかったのだ。

ぼくはスポーツは小学校の頃から苦手意識が強かった。サッカーも野球も、集団プレーは「どんくさいから、他人の邪魔になる」と思って、積極的に関わらなかった。でも親がテニスを本格的にしていたので、スクールにもかよって、ストロークに関する動感は辛うじてつかめた。とはいえ、試合となると「へまをしたら」と思って、極端に苦手になる。運動とは縁遠いまま、だった。それが、30代で大学教員になった後、内田樹さんの著作で憧れて、山梨で合気道をはじめたあたりから、風向きが変わった。自分のペースで出来るスポーツなら出来そうだ、と、登山をしたり、ジョギングをしてきた。幸いにして、この三つに関しては「動感の充実」があったのだ。

そして、子どもが生まれ、こども園に通い始めると、ボール蹴りをし始めるようになった。本格的にサッカーをするこども園で、保護者サッカー大会もあるので、この夏はサッカーのトレーニングシューズを生まれて初めて買って、夏の間、ずっとボール蹴りをしていた。そのうちに、テニスでラケットの芯に当たるのと同じような感覚を、ボール蹴りでも時たまするようになってきた。これは、合気道で言うなら、相手の力を上手く導いて、何の力もいれなくても、すーっと技が決まっていく、あの感覚に近い。まだまだボール蹴りは初心者なので、そこまではいかないけど、純粋に、娘とボール蹴りをしていて、面白い、もっと蹴りたい、と感じる感覚である。まさにそれは、サッカーに空虚な気持ちを持っていた状態が、徐々にボール蹴りなら「動感が充実」してくるように、変わりはじめたのかもしれない。

そして、平尾さんの本を読んでいると、「どんくさい」「スポーツが苦手」というのは、「動感が空虚」だという風に置き換えられる。すると、その動感を充実させていきながら、そのスポーツなり動きを楽しめたら、オッサンになってからでも、そのスポーツに親しめる可能性がある、ということだ。確かに、合気道を始めたのは2009年で34歳の時だった。体重も増えていたし、ジムでバイクを漕ぐだけだったり、最初は先生の模範演技を見ても、全くわからなかった。でも、毎週コツコツ稽古を重ねていくうちに、動感が身についていくと、面白くなっていく。そのうちに、「袴を着けたい」という憧れというか目標が出来、稽古に打ち込めるようになった。無事に有段者になった後、子どもが生まれて家事育児に必死で3,4年は休眠状態だったが、最近、姫路の道場で再開している。今は、さび付いた動感を再び満たすために、コツコツ基本から抑え直している、というところである。

そして、秋の日差しで風も涼やかになる休日夕方は、そろそろ娘と公園でボール蹴りをする時間。子どもが生まれて、仕事が出来る時間が極端に減った。でも、ケアって、義務感だけではない、生の充溢という意味で、「動感が充実」しているのだと思う。生産性至上主義や競争原理主義とは違う、ケアにおける生の充溢とか、子育てを巡るオモロサやトホホさとかを、次の日曜日に平尾さんに色々伺えるのが、めっっっちゃ楽しみだ。まだお席に余裕があるようですので、皆さんもよかったら、対面でもオンラインでも、お越しくださいませ

嬉しい書評とイベントのお知らせ

2022年9月11日、新刊本を巡ったトークイベントをジュンク堂梅田店で開催していただく事になった。

残暑のモヤモヤ父親対談! 仕事中心主義を降り、ケアの世界を取り戻すために

この対談は、ラグビー元日本代表で、うちの娘と同じ年長組のお子さんがおられる平尾剛さんとの対談。勝利至上主義や生産性至上主義に共通する「男性中心主義」がいかに人間を追い込んできたか、とか、ケアの発想を取り戻すことが、どんな盲点に気づかせてくれるか、を、平尾さんにじっくり伺ってみたいと思っている。対面とオンラインのハイブリッド開催なので、ぜひともお待ちしております♪

さて、今回はこのイベント主催者であるジュンク堂のカリスマ書店員、福嶋聡さんが、ジュンク堂の店頭で配布される丸善ジュンク堂のPR誌「書標(ほんのしるべ) 20229月号」に、以下の書評を書いて下さった。ご本人の了解を得たので、ブログに転載させてもらう。

——————

『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』 竹端寛著、現代書館、1980円。

ケアや教育の現場では、その対象と対話をし相手から学ぶことが何よりも大切であることを、バザーリア、ニィリエ、フレイレといった先達に学び、『「当たり前」をひっくり返す』(現代書館)ことを熱く読者に訴えた竹端寛にとっても、その本の執筆中に誕生した娘の育児は、かなりの難事業のようだ。

訪れた雑貨店で商品を壊す、お出かけ時にむずがる、食事中に遊ぶ、おもちゃを片付けない・・・。そのたびに、「何やってるの!あやまりなさい」「ちゃんとしなさい」と声を荒げて叱りつけてしまう。そんな態度が子どもを決していい方向に向かわせないことを重々承知していながら、いざそうした状況に直面すると、あたふたし、腹を立て、同じ失敗を繰り返す。

気づけば、自分じしんを馬車馬のように動かしていた「ちゃんとしなくちゃ」という価値観を、娘にも押し付けているのだった。自分のかたくなさ、娘を思い通りに支配したいという気持ちが見えてきて、竹端をゲンナリさせる。

だが、失敗を重ねながら、竹端に「わからなないことを聞く」耳、「他者を主体としてみる」目が備わっていく。そうした姿を読みながら、ぼくたち読者も、ケアとは何か、育児とは何かを学んでいく。

かつて、ブラジル北東部の貧民地区の労働者を教えたフレイレに、妻エルザは「あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの?」という一言を突きつけた。竹端と娘の関係に危機が訪れるたびに娘目線で事態を収拾する妻に、そんなエルザの姿が重なる。

思わず竹端に、(古い表現で恐縮だが)「この果報者め!」と呟く。(フ)

——————

福嶋さんからお送り頂いた書評を最初に読んだ時も、そして今こうやって書き写しながらも、こんな優れた書評を書いて頂けること自体がありがたいし、まさに「果報者」だと思う。書評に解説を加えるのは野暮とはわかっているのだけれど、少し文脈も理解してほしくて、『「当たり前」をひっくり返す』(現代書館)のp135-137から、引用しておく。

——————

「「理解していないのは、あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの、パウロ?」そういって、エルザはつけ加えた。「あの人たち、あなたの話はだいたいわかったと思うわ。あの労働者の発言からしても、それは明瞭よ。あなたの話はわかった。でも、あの人たちは、あなたが自分たちを理解することを求めているのよ。それが大問題なのよね」」(フレイレ、『希望の教育学』:三四頁)

これは、世界的なベストセラー『被抑圧者の教育学』の著者で教育学者のパウロ・フレイレが、同書を執筆する十年以上前の、一九五〇年代後半に出逢った現実である。その日、彼はブラジル北東部レシーフェの貧民居住区にある産業社会事業団のセンターで、労働者たちを相手に、ピアジェの理論を使いながら、親が子どもたちに体罰しないように、というレクチャーをしていた。彼の話が終わった後、「年のころ四十歳くらいの、まだ若いのに老けた感じのする男」が発言を求めた。「よい話をききました」「私のようなものにもすっとわかりました」とお礼を述べた後に、次のように問い始めた。

「パウロ先生。先生は、ぼくがどんなところに住んでいるか、ご存じですか? ぼくらのだれかの家を訪ねられたことがありますか」(前掲書、三一頁)

彼はフレイレの暮らしと自分たちの暮らしがどのように違うのか、説明し始めた。自分たちはシャワーもお湯も出ない、「からだをおし込む狭苦しい空間」で、「おなかを空かせ」「のべつまくなしに騒ぎ立てているガキたち」と共に「辛くて悲しい、希望とてない一日」を「繰り返す」日々だった。その上で、こう述べたのだ。

「わたしらが子どもを打ったとしても、そしてその打ち方が度を超したものであるとしても、それはわしらが子どもを愛していないからではないのです。暮らしが厳しくて、もう、どうしようもないのです」(前掲書、三二頁)

この言葉は、フレイレにとって「全生涯を通じて聞いたもっとも明快で、もっとも肺腑をえぐる言葉」(前掲書、三〇頁)であった。その日の夜、打ちひしがれながら帰宅する車の中で、たまたまその集会に同伴していた妻エルザからフレイレが言われたのが、冒頭の発言である。当時フレイレは、貧困地区の労働者「のために」働きたい、と熱意をもって仕事に取り組んでいた。だが、彼はあくまで一方的に労働者に話しかけているだけだった。彼ら/彼女らから学ぼうとしていなかった。労働者たちは、フレイレの話を理解していた。その一方、フレイレは、労働者自身が置かれた現実や生活環境のことを理解してはいなかったのである。その時のことを、彼はこんな風に振り返っている。

「ぼくは学ばねばならなかった。進歩的な教育者は、すべからく民衆に語りかけねばならぬときも、それを、民衆に、ではなく、民衆との、語りあいに変えていかねばならぬのだと。」(前掲書、三三頁)

——————

優れた読者は、著者が思いも寄らなかったことまで、文脈を読み込み、関連付けてくれる。それが、本の面白さであり、素晴らしいところでもある。ぼくは自分の子育てエッセイを書きながら、『枠組み外しの旅』や『「当たり前」をひっくり返す』という著作のケアバージョンである、とは思っていた。でも、まさかフレイレがエルザに言われたあのエピソードにつながるとは、思いも寄らなかった。でも、福嶋さんに指摘されて、当該箇所を読み直すと、ほんとうにその通りである。

子ども「のために」と思って、必死に頑張ったところで、子どもの声に基づいて動かない限り、その「あなたのために」は、親のエゴであり、暴力的な関わりになる可能性だってある。そして、最近痛感するのは、年長組の娘は、親の言うことはしっかり理解出来ている、ということだ。出来るかどうかは、さておいて。一方、彼女が出来ない、言うことを聞いてくれない時、「理解していないのは、あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの」というエルザの箴言は、まさに妻に言われているフレーズとも共通して、耳が痛い。どうして福嶋さんは我が家の夫婦の会話を知っているのですか?と思ってしまうほど、図星の指摘である。

そして、ぼくは失敗を繰り返し、頭を打ちながらも、他者である娘や妻のことを理解しようと少しずつ右往左往する中で、福嶋さん曰く「「わからなないことを聞く」耳、「他者を主体としてみる」目が備わっていく」のだと思う。そのプロセスを言語化したのが、このエッセイだ、と言われてみて、なるほど、確かにその通り!とびっくりし、他者の解釈で自分の本がより深く出来る、という不思議な体験を得られた。

だからこそ、フレイレの言う「ぼくは学ばねばならなかった」というフレーズも、改めて突き刺さる。娘や妻「のために」という説得や恩着せがましいabout-nessのモードを脱却して、妻や娘「とともに」というwith-nessモードの「語りあい」をし続けることができるか、が、常に問われている。

そんなことを、9月の頭に気づかせて頂いた。福嶋さん、素敵な「ギフト」、本当にありがとうございました。