「他者からの目」を越える「爽快さ」

平尾剛さんがミシマガジンに連載しておられる「スポーツのこれから」は、ぼくにとって心を震わせる内容である。それが、「父親のモヤモヤ対話」と題して9月11日に対談イベントをさせて頂く原動力になった。今回は、その平尾さんの連載の中から、もっとも刺さった部分をご紹介したい。

「娘たち園児を見ていると、私はなぜだかからだを動かしたくなる。「他者からの目」を気にせず、ただただ無邪気に動き回る彼女たちに、デスクワークで肩や腰が凝り固まったこのからだが恨めしくなってきてからだが疼く。「劣等感」を言い訳にせず、どうにかして上手な動きに近づけようと真剣に取り組む彼女たちの姿に、私は知らず知らずのうちに勇気づけられている。
「他者からの目」に臆さず、「劣等感」を冷静に受け止めた上で「勇気」を出して動いてみよう。そうすれば懐古的な「爽快さ」が味わえる。跳び箱が跳べず、逆上がりやマット運動や球技ができなくたって、「他者からの目」を振り解きさえすれば私たちは運動を楽しむことができるのだ。」(「他者からの目」を振り解く

平尾家の娘さんより1才年長の我が娘さんも、確かに「他者からの目」を気にせずに、「爽快さ」全開で動き回っておられる。特に、今お世話になっているこども園は、サッカーや駆けっこ、どろんこ遊びなど、全力で外遊びを応援してくれ、先生も一緒になって真剣に遊んでくれる。そして、最近は本気でサッカーをやっているので、ぼくも娘に引っ張られて、休みの日に娘とボール蹴りをするようになった。すると、娘の「爽快さ」が伝染してきて、めっちゃボールを蹴るのが楽しいのだ。それは、「他者からの目」を気にしまくった父さんを、逆照射する。

ぼくは「運動ギライ」だと長年自己規定してきた。でも、平尾さんの論考を拝読して、改めて感じるのだ。ぼくはまさに「他者からの目」を気にして、「運動ギライ」になってしまった、と。華麗にプレーする友人に比べて、ドリブルもキックも下手だし、強いキックは怖いし・・・と怖じ気づいて、そこから劣等感をコンプレックスに感じてしまった。それは他者比較の牢獄の中に、入り込んだ瞬間だった。そして、その頃から、スポーツにおける「爽快さ」を見失ってしまったのだ。

そして、続きの連載を読んで、思わず声を挙げた。

「部内でのレギュラー争いや、全国大会への出場およびそこでの戦績アップを目指した活動は、過度に競争的な環境をもたらす。優劣を自覚させられ、そこから半ば強制的に発奮させられる。常に「右肩上がり」を求められるなかで、子供たちは「できる/できない」で運動を解釈する見方や考え方に徐々に染まってゆく。」(「下手でもいい」と思えるために

この「「できる/できない」で運動を解釈する見方や考え方」に囚われたので、ぼく自身は早くから、「できない」自分はずっと劣っているから、とスポーツが楽しくなくなった。「運動ギライ」で固まっていった。ただ、これは実は「勉強」における「能力の点数化」が元になっている。そして、たまたま小学校時代は勉強が出来てしまったがゆえに、ぼくは運動ではなく、受験勉強において「過度に競争的な環境をもたらす。優劣を自覚させられ、そこから半ば強制的に発奮させられる」プロセスにのめり込んでいった。中学校で入った猛烈進学塾で、夜中12時まで勉強することはザラになった。そして、有名進学校と言われるところに、潜り込むことになる。

「やがて指導者やチームメイトからの査定の目が張り巡らされている環境に疲れてしまい、途中で辞める部員や、たとえ卒業まで続けたとしても、それ以降はするだけでなく観るのも嫌になる部員もいる。突然やる気を失う、いわゆる「燃え尽き症候群」になることもさほど珍しいことではない。その予備軍を含めれば、多くの生徒や学生たちがいまも頭を悩ましていることだろう。」(前掲)

これは、スポーツ強豪校だった前任校のカレッジアスリートの中に一定割合いたし、スポーツを勉強に変えたら、高校生の頃のぼくそのもの、だった。高校入学当初は成績が良かったのに、右肩下がりで成績が落ち、そのまま浪人生まで突っ込んでいった。それは、まさに「査定の目が張り巡らされている環境に疲れて」しまった、「燃え尽き症候群」だった。たまたま入った写真部で、友人とだらだら喋りながら、勉強以外の別のことをずっと考えている、勉強がイヤで仕方なかった高校・予備校時代だった。学びの爽快さを失い、「他者からの目」に支配されて生きていくことを、生きづらいと感じながら、どうすることもできなかった。

「「できる/できない」で運動を捉える凝り固まった体育・スポーツ観を変えるには、下手でもいいから思いっきり楽しめばいい。そう考える人が社会に増えれば、運動嫌いの人たちもちょっと運動でもしてみるかと思い腰を上げやすくなるし、部活動を辞めてからもそのスポーツを続けていきやすくなるだろう。下手くそだからと苦笑するのではなく、ガハハと笑い飛ばせる人たちがたくさんいる社会になれば、「他者からの目」が温かくなる分だけ運動することへのハードルは下がる。」(前掲)

ぼくがそう思えたのは、「下手でもいいから思いっきり楽し」んでいる娘と出会えたからだ。サッカーの苦手意識が極端に強かったぼくが、この夏ボール蹴りを楽しむだなんて、思いも寄らなかった。それは、ボール蹴りをして、あらぬ方向に飛んでいっても、「ガハハと笑い飛ばせる」娘と一緒だったから。娘がぼくと遊んでくれたおかげで、ぼくは、娘を通じて、「他者からの目」の牢獄から、少し、楽になった。

そして、もう一つ、平尾さんの連載を読んでいて、僕の中でずっと鳴り響いているフレーズがある。それが「勝利至上主義」である。

「「競争主義」における目的は「全体の質が高まること」である。これに対して「勝利至上主義」は勝利そのものを目的とする。競争相手より秀でることを最優先すればどうなるのか。対戦する相手が有利にならないように情報を隠す、あるいは相手の失敗や失策をよろこぶようになる。そうして次第に全体の質が低下してゆく。ここに大きな違いがある。
個人や団体が成熟を果たすための方便にすぎなかった競争が、いつのまにか目的化する。競争原理の導入がその効力を失うデッドラインの先に、「勝利至上主義」は出来するのである。」(「競争主義」と「勝利至上主義」

勝ったり負けたりする競争。これは、「個人や団体が成熟を果たすための方便」であり、プロセスである、と平尾さんは喝破する。本来はスポーツにおける勝負を通じて、人や組織が成熟する。それが目的とするなら、勝利至上主義は、勝利という方法論を自己目的化することになる、と。

これは、受験勉強でも全く同じである。どこの高校・大学に入るか、というのは、あくまでも方法論にしか過ぎない。でも、その方法論の自己目的化をするからこそ、偏差値至上主義が生まれ、ぼくも巻き込まれ、燃えつきていった。そして、それは、新自由主義的価値前提が蔓延していくこの社会における、生産性至上主義とか男性原理主義が、子ども世界に蔓延することによる、あだ花であった。

つまり、平尾さんはトップアスリートとして、ぼくは受験勉強して、別ルートではあるけれど、同じような方法論の自己目的化や原理主義に巻き込まれていったのである。そして、これらの方法論の自己目的化こそ、子どもの学びや動きの「爽快さ」を奪い、「他者からの目」に釘付けにしてしまい、ひいては子ども集団全体の質が低下する根源にあるように、思う。そして、このような原理主義は、大人世界の、それこそ昭和の「24時間働けますか」的な価値観を色濃く引きずっている。

平尾さんもぼくも1975年生まれの団塊ジュニア世代。この二人が、自らも背負い続けてきた昭和的価値観の牢獄性、呪縛性に気づいて、それを言語化しようともがいている。そして、平尾さんもぼくも、幼い娘との関わりの中で、モヤモヤし、それが言語化にむけた大きな補助線になっている。今回の対談では、おっさんにこびりついた方法論の自己目的化の牢獄とか、そこからどうやったら自由に、それこそ「爽快に」生きられるだろうか、を平尾さんと共に考え合いたいと思う。

そういう意味では、「かつての子どもだった時代のわたし」を捉え直す時間にもなりそうだし、「これから育ちいく子ども」とどう関われそうか、を大人が考え直すきっかけにもなりそうな対談だ。日曜日が、ほんとうに楽しみである。みなさんも、良かったらご一緒にモヤモヤ考え合ってみませんか

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。