新自由主義的合理性

『いかにして民主主義は失われていくのか』(ウェンディ・ブラウン著、みすず書房)を読む。久しぶりに線を引きまくった本。著者はフーコーとマルクスを主軸にしながら、フェミニズムの視点から、新自由主義がなぜ社会を覆い尽くすのか、を解明した名著。備忘録的に長々読書メモをつけておく。

新自由主義的合理性(1章)

「わたしはミシェル・フーコーらとともに、新自由主義を規範的理性の命令であると考える。その命令が優勢になるとき、それは経済的価値、実践、方法に特有の定式を人間の生のすべての次元に拡大する、統治合理性のかたちをとる。」(p26)

「新自由主義的合理性が市場モデルをすべての領域と活動へ-貨幣が問題ではない領域であっても-散種し、人類を市場の行為者であり、つねにどこでもホモ・エコノミクスでしかありえないものとして設定する」(p27)

新自由主義が世界中で浸透するのは、その合理性が単なる経済論理だけではなく、「規範的理性の命令」であるからだ、と著者は整理している。つまり、たんなる経済合理性であったはずのものが、「人間の生のすべての次元に拡大する、統治合理性のかたちをとる」ことによって、生活の全局面に影響を及ぼしている。これが、新自由主義的合理性の特徴だ、という筆者の切り口に、頷かされる。医療や福祉、教育や文化と言った、「貨幣が問題ではない領域」に見えた領域でも、「つねにどこでもホモ・エコノミクスでしかありえないものとして設定」することにより、貨幣化・市場モデル化していった。

この本の魅力的なところは、「つねにどこでもホモ・エコノミクスでしかありえない」という「規範的理性の命令」がどのような構造であり、実際にどのような影響を及ぼしているのか、という「新自由主義的合理性」の内在的論理を徹底的に解き明かしているところである。その上で、「新自由主義的合理性」は人を「人的資本」を捉えることで、大きな統治の変更を行っている。

「新自由主義的ホモ・エコノミクスは、交換や利害の形象ではなく人的資本というかたちをとり、自身の競争地位を強化し、その価値を評価しようとする」(p30)

人を、「人的資本」と捉える事は、ホモ・ポリティクスとして政治による権利や正義の保護、再分配の要求を求める人間ではなく、「自身の競争地位を強化し、その価値を評価」することに専心する「新自由主義的ホモ・エコノミクス」に人間を矮小化する。これは「脱政治化」であるだけでなく、そうすることで、権利や正義、再分配を「なかったこと」にする、非常に政治的な選択を、非政治的にさせられる、という事態である。その上で、「人的資本」は次のように追い詰められていく。

「新自由主義国家は人的資本を開発し再生産する経費を可能なかぎり削減しようとする。こうして、新自由主義国家は、公共の高等教育を個人が借金で賄う教育に置き換え、社会保障を個人の貯蓄と際限なく続く雇用に置き換え、あらゆる種類の公共サービスを個人が購入するサービスに置き換え、公共の研究と知識を私企業がスポンサーとなる研究に置き換え、公共のインフラに使用料を課す。こうしたことそれぞれが不平等を強化し、新自由主義化された主体は以前なら誰でも共通に支給されていたものを個人で手に入れるように要求され、主体の自由はさらに制限される。」(p41)

老後資金に2000万円必要、大学の学費上昇、水道民営化、不採算の鉄道・病院の統廃合、年金の縮小と定年延長、など、世の中の流れで「そういうものだ」と思い込んでいるものの中に「人的資本を開発し再生産する経費を可能なかぎり削減しようとする」という意図を持った新自由主義的合理性がひたひたと忍び寄っている。

郵政民営化を小泉元首相が叫んだ時、「自民党をぶっ壊す」という調子の良いフレーズと共に、深い意味も考えずに何となく「何かが変わりそう」と応援してしまった20年前の僕がいた。PDCAサイクルを回す、ということに、「なんとなくそれっぽいし、必要ではないか」と思い込んでいた、かつての僕がいた。しかし、それ自体が、人びとの思考が新自由主義的合理性に絡め取られている、ということである。人間の総合的な振る舞いをPDCAに落とし込める、と思い込むプロセスそのものに、人の人的資本化、があったのだと、この本を読んでいて、痛切に気付かされる。

「新自由主義とは、それによって資本主義が最終的に人類を飲み込んでしまう合理性である-強制的な商品化、利益追求のための拡大といった仕組みによってだけでなく、その価値判断の形態によって、この形態が普及することによって自由民主主義の内容が空疎になり、民主主義それ自体の意味が変容させられるとき、民主主義への欲望は抑えつけられ、民主主義への夢は危機に瀕する。」(p43)

新自由主義的合理性が危険なのは、それが人びとの「価値判断の形態」を根本的に変える点である。「民主主義それ自体の意味」も、新自由主義的合理性に合わせて改変されるだけでなく、その合理性を追求することにより、「民主主義への夢は危機に瀕する」と言う。それはいったいどういうことか?

存在論的次元(2章)

「『経済』は特定の原理、評価基準、行為を意味し、そこに金銭的利益や富が問題とされない活動も含まれることになった。またもや新自由主義的政治理性は、たんに貨幣化するという意味においてあらゆる社会的行為と社会的関係性を市場化するだけでなく、いっそうラディカルなことには、それらをもっぱら経済の枠組み、認識論的次元とともに存在論的次元をもつような枠組みに落としこむのである。」(p64

市場的に考える、というのは、認識論的次元である。一方。存在論的次元とは、市場的に生きる、ということ。市場的に考えざるを得ない、だけでなく、市場的に生きざるを得ない。これが新自由主義的合理性(=政治理性)の存在論的次元、と言えるだろう。つまり、それ以外の考え方・生き方をすることが許されない、ということである。

「市場はそれ自体で真理であるとともに、すべての活動の真理の形式を代表している。合理的な行為者はこうした諸真理を受け入れ、ゆえに『現実』を受け入れる。逆に言えば、他の原理にしたがって行動する者は、たんに非合理的なだけでなく、『現実』を拒否することになる。」(p70)

子育てに伴い、家事育児をしていると、本を読む時間、文章を書く時間が、それ以前に比べて減ってくる。それは、生産性至上主義とか業績第一主義といった経済的合理性の「現実」に背を向け、子育てという「別の現実」を大切にすることである。しかし、新自由主義的合理性が存在論的次元で規範的理性として覆い尽くしている社会に置いては、「他の原理にしたがって行動する者は、たんに非合理的なだけでなく、『現実』を拒否することになる」。僕自身も、家事育児で一日が終わった時には「今日は何も出来ていない」と嘆くことも、実は何度かあった。だが、それ自体が、「出来ている」=「経済的に生産的な事が出来ている」という意味において、新自由主義的合理性のドグマに存在論的次元で覆い尽くされている、ということである。その信仰に反しているから、「今日は何も出来ていない」と自分を責めるのだ。それほど、この新自由主義的合理性のドグマは、存在論的次元での絶対崇拝の信仰になっているのだ。

この信仰は、様々な認識の変更を求めている。

「新自由主義的理性によって競争が交換にとってかわり、不平等が平等にとってかわるのと同じように、新自由主義的理性においては、人的資本が労働にとってかわる。競争が市場の根本原理になるとき、あらゆる市場の行為主体は、生産者、売り手、労働者、顧客、あるいは消費者ではなく、資本とみなされる。資本として、あらゆる主体は、いかに小規模で貧困化し、資源に乏しかろうとも企業家とみなされ、人間存在のあらゆる側面が企業家として生産される。(略)労働を人的資本に変容させること、労働者を互いに競争しあう企業家に変容させることは、古典的な自由主義よりもいっそう、階級の可視性と反復可能性を曖昧にする。そのことはまた、マルクスの考えたような疎外と搾取の基盤を抹消してしまう。そして、労働組合、消費者団体、その他、カルテル以外の経済的連帯の形態のための理論的根拠を完全につぶしてしまうのである。」(p67-68)

新自由主義的合理性が支配的になる以前は、交換や平等、労働を国家は護ろうとしていた。再分配も社会権も、そのような中心的価値を維持するために、国家がすべきこととして、法に規定されていた。しかしながら、競争や不平等、人的資本がドミナントな価値としておかれた時、再分配や社会権は、その価値を損なう存在として、忌避される。か弱い労働者を護らなければならない、という国家の(ある種パターなりスティックな)役割は遺物とされ、企業家どうしの競争を後押しする。そのことによって、労働者対資本家に代表されるような、階級や疎外、搾取といったものが、見えにくくなる。

そして、著者ブラウンの慧眼は、このような枠組みが認識論的に浸透すると、労働組合や消費者団体、そしてNGOや市民活動のような、本来は政府を監視し、批判する役割を持つ存在も「市場化」され、「交換や平等、労働」といった「カルテル以外の経済的連帯の形態のための理論的根拠」が根絶やしにされ、いつのまにか新自由主義的合理性の中に組み込まれてしまう、と指摘している点である。そして、その存在論的認識は、次の認識へと誘う。

「経済的な評価基準は国家の制度と実践を統治しており、国家そのものが経済成長によって正当化されている。経済は、その保証人である国家の正当性を生む。国家は経済を支援せねばならず、その諸条件を組織し、その成長を促進し、それによって経済にたいして責任を負うことになるが、経済の効果を予測したり、管理したり、相殺したりすることはできない。ゆえに、『要は経済なんだよ、バカ!』はたんなる選挙戦のスローガンである以上にずっと重要で、新自由主義の政治生命を規定しているのだ。」(p71)

交換や平等、労働よりも競争や不平等、人的資本を優先する社会においては、『要は経済なんだよ、バカ!』は至上命題であり、「政治生命を規定している」。そして、「国家そのものが経済成長によって正当化されている」からこそ、経済成長を前提としない議論については「お花畑」と、左派右派にかかわらず、主張する。でも、それは、新自由主義的合理性における絶対的な前提である。「交換や平等、労働」を大切にしない社会だからこそ、その前提が必要不可欠である。一方で、社会民主主義的な、より「交換や平等、労働」を大切にする社会を目指すなら、『要は経済なんだよ、バカ!』と言うのだろうか。新自由主義的合理性で生きる国においては、「経済成長は国家の社会政策なのである」(p66)とあるが、それはあくまでも「競争や不平等、人的資本」という前提を循環させるだけである。逆に言えば、この前提がおかしいと思うなら、「経済成長」第一主義を疑う必要も出てくるのではないか。

新自由主義的人間(3章)

「新自由主義的人間は、フーコーの言うように、『自分自身に対する自分自身の資本、自分自身によって自分自身の生産者、自分自身にとっての[自分の]所属の源泉』として市場に赴く。彼が売っているのか、つくっているのか、消費しているのかにかかわらず、彼は自己に投資し、自己の満足を生産している。交換ではなく競争が資本と資本のあいだの関係を構築し、投資による資本の評価があらゆる資本体のそれ自身との関係を構築する。」(p87)

このフレーズを読みながら、僕自身が、新自由主義的人間のメンタリティを深く内在させていると気付かされる。京都のダウンタウンで育った僕は、小学校5,6年時代、いじめと学級崩壊で授業をほとんど受けていなかった為、公立中学校の勉強に遅れないように、と中学1年の時に初めて塾に入った。そこが猛烈進学塾で、以来、偏差値を巡る競争の中に入り込んだ。そして、進学校に行き、一流大学と呼ばれるところに入る中で、明らかに我が家より所得階層が高い集まりの中に「上昇」していった。すると、僕自身は他の友人に比べて親が持つ金融資産が少ないが故に、「自己に投資し、自己の満足を生産し」なければらない、という規範を内在するようになった。研究者になった後も、他の研究者に「勝つ」ためには、自己への投資を怠ってはならない、と本を買いまくっていた。そしてそれを「自分への投資」と自己規定し、「投資による資本の評価があらゆる資本体のそれ自身との関係を構築する」と思い込んでいた。それは、業績を生み出す、という「競争」に「勝ち残る」ための、僕自身の価値規範になっていた。そして、それが男性中心主義の強化であると気付いたのは、子育てをし始めてからである。

「ジェンダー的従属化は強化されたとともに、原理的に改変されたというのが答えであると、わたしは考えている。強化は、家族、子ども、退職者を支援する公的基盤の縮小、民営化、および/あるいは崩壊によって生じている。公的基盤には、良質の幼児期、課外活動、サマーキャンプ、身体および精神面での医療、教育、公共交通機関、近隣の公園と余暇活動施設、公的年金、高齢者施設、社会保障といったものが含まれるが、これらは安価なものばかりではない。こうした公的供給物が消滅したり民営化されると、それらを供給する仕事や経費は個人に、不均等に女性に戻される。別の言い方をすれば、公共財の民営化という文脈での『責任化』は、自分自身に責任をもつことのできない者への責任を女性が不均等に多く担うという意味で、女性に対して独特のやり方でペナルティを課すのである。この観点では、家族主義は公共財や公共サービスの新自由主義的民営化の偶発的特徴ではなく、むしろ本質的な必要条件である。」(p119)

新自由主義的精神を内在化させた政権与党が、家族主義に親和的になり、親学や家庭教育の推進に熱心になる理由も、この分析でクリアに見えてくる。戦後民主主義国家が「家族、子ども、退職者を支援する公的基盤」を強化することで、家族が多元化し、崩壊したと、その人びとは喧伝する。だから、伝統的な親の責任を取り戻せ、母性愛を取り戻せ、と主張する。

だが、単なる復古調であれば、あの論理が政権を巻き込むほどのパワーを持たない。むしろ、新自由主義的合理性にとって、「公共財の民営化という文脈での『責任化』は、自分自身に責任をもつことのできない者への責任を女性が不均等に多く担う」ことは、その合理性を進める上での「本質的な必要条件」だと著者は主張する。家族主義は復古調ではなく、それを隠れ蓑に「公共財や公共サービスの新自由主義的民営化」を進める上での、「不可視の基盤」(p118)なのである。だからこそ、アメリカ的な人的資本の勝ち組女性は、子どもの支援を自らの責任化によって「購入した人的資本」のベビーシッターに頼り、育児を公的基盤として制度化する必然性について言及しない。これは、逆の真実をもあぶりだす。

「貧困に陥ったシングルマザーは、とくに合衆国の予算『執行差し止め』や、欧州連合の南欧に対する救済措置によって強制された緊縮財政の文脈において、責任化された新自由主義的主体になるプロジェクトの失敗であるとみなされる。失敗であるばかりか、新自由主義的合理性によって大切にされる自由(国家規制と必要の供給からの自由)は、女性が市場の外部での無償で支援の不足したケア労働の主たる供給者にとどまり、さらにますます自分たち自身とその家族のための唯一の収入源となるとき、文字通り、新しい形のジェンダー的従属化へと反転するのである。」(p121)

シングルマザーが、子どものケアと就労の両立の中で、また専業主婦後のブランク故に、パート労働などしかありつけず、人的資本としての競争に負けることになると、「責任化された新自由主義的主体になるプロジェクトの失敗」である、と見なされる。しかも、子どものケアを公的基盤として保障されない中で、「市場の外部での無償で支援の不足したケア労働の主たる供給者にとどま」らざるを得ない、ということは、「新しい形のジェンダー的従属化」への反転でもある。つまり、子どもの支援を自らの責任化によって「購入した人的資本」のベビーシッターに頼る「勝ち組」も、「責任化された新自由主義的主体になるプロジェクトの失敗」をしたシングルマザーも、双方とも新自由主義的合理性の下で、「新しい形のジェンダー的従属化」に陥っている、といえる。

「新自由主義が生のあらゆる領域を経済化に従わせるとき、その結果は、たんに国家と市民の機能を縮小するだけではないし、経済的に定義された自由の領域を、公共生活と公共財への公的投資を犠牲にして、拡大するだけでもない。むしろ、それは社会や政治の領域での自由の行使をラディカルに減少させるのである。」(p122)

新自由主義的合理性が世の中を覆うとき、その論理に適合的でないものは、排除されていく。人的資本として競争する「責任化」を個人がおわされた時、子どもや老人、障害者のような「自分自身に責任をもつことのできない者への責任」は、公的責任ではなく、個人責任と矮小化される。ホモポリティクスの理念の下で、公的責任としての介護保障をすることにより、ケアする人・される人の双方の「自由の行使」を社会や政治が保障していたが、新自由主義的合理性はこの部分を「ラディカルに減少させる」。つまり、それは個人の主権の制限につながる。

「市民性が明瞭な政治的形態を失い、それとともに主権という衣を失ったとき、それは公共性への志向性と、いわば憲法によって奉られてきた価値への志向性を失っただけでなく、個人の主権を補強するカント的な自律性を維持することをやめたのである。」(p123

個人の主権の制限は、市民性や人民主権という「政治的形態」の「価値への志向性」を失う事とも通底する。それは、戦後民主主義を批判し復古調に見える家族主義を憲法に盛り込もうとする政権与党の考えが、個人の主権を制限してでも人的資本としての競争を重視する新自由主義的合理性とも、親和的であることとも、つながっている。

ガバナンスとベストプラクティス(4章)

「ガバナンスは非政治化された認識論、存在論、一連の実践を散種する。ソフトで、包括的で、技術的な方向性を持つため、ガバナンスは論争的な規範や(階級のような)構造的層化を、その手続きと決定によって流通する規範や排除とともに、埋め込んでいる。それは主体を、ネーション、企業、大学、あるいはそれを使用するその他の存在の目的と軌跡に統合する。公共生活においては、ガバナンスは自由民主主義的な正義の関心を問題の技術的定式化に、権利の問題を効率の問題に置換し、合法性の問題でさえ効率の問題に置換する。職場では、ガバナンスは組合と労働者意識の横の連帯と闘争の政治を、階層的に組織された「チーム」、多党的協働、個人の責任、反政治に置換する。ガバナンスはまた、「責任化」政策と実践の鍵となるメカニズムであるが、それは個人の行為主体性と自恃を(手段、社会的地位、蓋然性は考慮せず)、ベストプラクティスとベンチマーキングの評価基準によって、生存と美徳の場、諸領域と行為の経済化のための場にする。」(p147)

15年前にフルタイム教員となった時、その大学の教授会は長かった。法学部の教員で、「自由民主主義的な正義」や「権利」、「合法性」(=手続き的合理性)の問題を教授会でしょっちゅう問題にする教員がいた。そのときは、長々と議論して決まらないことにいらだち、早く決まってほしいと思っていた。その後、そういう古株の教員が退職して、淡々と教授会が進むようになった時に、実は「組合と労働者意識の横の連帯と闘争の政治を、階層的に組織された「チーム」、多党的協働、個人の責任、反政治に置換する」プロセスが進んでいた、とは思いも寄らなかった。教授会の「効率」化という「技術的定式化」を求めて、そこに専心するあまり、「論争的な規範や(階級のような)構造的層化」を無視するようになっていったのである。それは、今から考えたら、大学の教授会を「経済化」していくプロセスでもあった。そして、僕はそれに消極的であれ賛成していたのだ。そのことによって、僕は何に盲目的になったのか。

「正義とその他の共通善についての熟慮、価値と目的をめぐる論争、権力をめぐる闘争、全体の善のための構想の追求である。むしろ、公共的生は問題解決とプログラムの実施に還元されてしまっており、政治、紛争、共通の価値と目的の熟慮を括弧にくくるか排除する役割を与えられている。確かに、公共的生をこのように限定してしまうことが、合意に基づくガバナンスを強調することと組み合わされるとき、政治への敵意がはっきりと感じられるようになる。」(p142)

教授会で僕が志向したものは、「問題解決とプログラムの実施」だった。その円滑な実施を求めるあまり、「正義とその他の共通善についての熟慮、価値と目的をめぐる論争、権力をめぐる闘争、全体の善のための構想の追求」を疎かにしてしまった。それよりも、新自由主義的人間であった僕自身は、「合意に基づくガバナンス」の方が大切だと感じていた。だが、「公共的生をこのように限定してしまうこと」は、「政治への敵意」であり、「脱政治」へと自分自身の存在を導くことで、その職場が新自由主義的合理性をいかんなく発揮することに、消極的に関与していたのだと、今ならわかる。

「新自由主義的合理性があらゆるところに経済の評価基準を散種すること、それが人的資本の基本的な外形や特徴を生成すること、それがかつての公共機関を民営企業に包摂することにたいして、いくつかの重要な意味をもっている。第一に、ベンチマーキングにおいては、実践は生産物とは切り離される。生産性、費用対効果、あるいは消費者満足は、実践に内在すると理解されるが、そうした実践は、何が生産され、生み出され、実施されるかにほとんど関心を払わない。(略)第二に、実践が生産物から切り離されて移行可能である理由は、あらゆる機関の究極の目的は同じであると想定されているからである。つまり、市場における競争優位性である。」(p154)

いまや病院や福祉施設、学校も含めて、「生産性、費用対効果、あるいは消費者満足」が問われる。だが、これは実践が問われるだけであり、それらの評価基準は「何が生産され、生み出され、実施されるかにほとんど関心を払わない」。大学でも、毎年どれくらいの業績を出しているか、という「生産性」や「費用対効果」が教員に問われても、「生産物」自体は問われない。すると、ちまちました論文が増え、ブレークスルーは生まれにくくなる。また地域医療を支える、という「生産物」よりも「競争優位性」が重視されると、赤字の病院ゆえに統廃合すべし、という勧告が、新自由主義的合理性の要請に基づいて出されることになる。

「たんなる技術であると主張しながら市場価値を携えることによってこそ、ベストプラクティスはある種の規範を喧伝し、規範や目的についての議論をあらかじめ排除するのである。この苦境からはっきりわかるのは、ベストプラクティスがいかに統治のソフトパワー、すなわちチームと合意を基盤とするか非市場的な関心、計画、評価基準、支持層を排除するような努力による問題解決を焦点化するような権力を、より広範に冷笑しているかということである。」(p159)

昨今の大学では、ベストティーチャー賞を贈る、という動きもある。それは、教員のFDなどを称揚するもの、と思っていたが、それも智慧が足りなかった。確かに学生の満足度を授業で向上させるのは、善いことである。だが、このような授業が「ベストプラクティス」です、と「お墨付き」を与えることは、「ある種の規範を喧伝し、規範や目的についての議論をあらかじめ排除する」につながる。「生産性、費用対効果、あるいは消費者満足」を上げることで、研究や教育のベストプラクティスを保ち続けなさい、という「命令と言わない命令」をする効果があるのだ。「ベストプラクティスがいかに統治のソフトパワー」と結びついているのか、ということである。ガバナンスもベストプラクティスも、「たんなる技術であると主張しながら市場価値を携える」。つまり、価値中立や脱政治を装った、非常に特定の価値観への囲い込み=政治化、の動きであり、それが新自由主義的合理性の背後にある、ということでもある。

人的資本と投資(6章)

「人的資本は、自己の高評価に貢献するが、少なくとも価値の下落を防ぐようなやり方で、自己投資するように強いられている。こうした自己投資に含まれるのは、教育のようなインプットの料を決めること、職業、住宅、健康、老後の市場の変化を予想しそれに適応すること、価値を高めるようなやり方で恋愛、結婚、想像、余暇の実践を計画することである。(略)知識は資本の増大以外の目的のために求められはしない。その資本が人間であれ、企業や金融であれ、同じである。知識は、市民の能力を開発するため、文化を維持するため、世界を知るため、あるいは共同生活の異なる方法を想像したり、つくりだしたりするために追求されることはない。むしろ、それは『プラスのROI』―投資対効果―を得るために追求される。このROIとは、オバマ政権が高等教育の消費者候補のために大学を格付けするときにもちいることを提案した、主要な評価基準の一つである。」(p203)

今回は自らの恥さらしが多いのだが、ここでも2点、晒さねばならないことがある。僕自身の行動規範の中に、『プラスのROI』を求めていた部分が多分にある。先述したように、僕自身が「自己投資」モードであった、だけでなく、様々な行為をするときに、これは無駄か・無駄ではないか、や、効率的かいなか、を自己検閲するモードが強く働いている。「ああ、時間の無駄になった」とか、「効率が悪かった」とか、で、イライラ・クヨクヨ・落ち込むことも、以前はしばしばあった。それは、自分自身が効率性や生産性を信念体系に持ち、それを日常生活の細かい部分にまで適用しようとする新自由主義的合理性の精神に浸りきっていた、ということである。だが、子育てと真面目に向き合うと、そのような信念体系は深刻な危機に陥る。

子育てとは、「市民の能力を開発するため、文化を維持するため、世界を知るため、あるいは共同生活の異なる方法を想像したり、つくりだしたりするために追求」することである。それは、「『プラスのROI』―投資対効果―を得るために追求される」こととは、全く異なるやり方である。子育てという、「自己の高評価に貢献」するものとは別の行為について、先に述べたジェンダー従属性で触れたように、それを外部化(市場で購入する、専業主婦に担わせる)することで、自らの投資対効果を向上させる「競争優位性」を保ち続けることは不可能ではない。だが、それはあまりにも、生きていて面白くない。そういう別の世界が見え始めた時、自らの『プラスのROI』絶対主義に亀裂が入り始めた。

あと、恥晒し的な告白でいうと、ブレアやオバマのようなリベラルなスタンスで「第三の道」を歩もうとする政治家や政権を、「何となくよさそう」と応援していた。しかし、両政権とも、新自由主義的合理性を埋め込んだリベラリズムであり、新自由主義に包摂された左派であった。つまり、共和党や保守党から民主党や労働党に政権が交代しても、以前の政権から続いてきた新自由主義的合理性が退潮するどころか、むしろある部分、加速させたのである。大企業の利益よりも、民衆の利益を重視しよう、という目標を掲げても、「生産性、費用対効果、あるいは消費者満足」をその方法論として用いる限りにおいて、結果的には同じ所に行き着く、ということが、僕には見えていなかった。これは、小泉政権以後の20年で、政党が変わっても同様の傾向が続いてきた日本でも、同じ事が言えるのだと思う。つまり、この新自由主義的合理性とどう向き合うのか、対峙するのか、を考えることなく、耳障りのよい言葉を並べても、結果的には何も変わらないし、その方が都合が良いと考えている人もいる、ということに、気付いていなかった。

「新自由主義的合理性は、自由と自律性の意味を妨害されない市場行動に還元し、また市民性の意味をたんなる選挙権に還元する。民主主義のしっかりした規範を骨抜きにすることは、民主化にたいするかつてないほどの攻撃をともなう。たとえば、政治的および経済的権力の複雑な形態とあらたな集中、政治の洗練されたマーケティングと劇場性、法人に所有されたメディア、歴史的に類をみない情報と意見の供給過剰である。(略) 民主主義の主要な価値が劇的に希薄化され、非民主主義的諸力や諸条件の強化と組み合わされることによって、自己統治は、人民があらゆるたぐいの近代的権力の歩兵でしかないような政体に、とってかわられる脅威にさらされている。」(p205)

「市民性の意味をたんなる選挙権に還元」「政治の洗練されたマーケティングと劇場性、法人に所有されたメディア、歴史的に類をみない情報と意見の供給過剰」は、アメリカだけでなく、まさに今の日本でも起こりつつあることである。市民権や正義を求めての人びとのデモや労働組合を通じた連帯、というのは「市場行動」に相容れないから、「古くさいもの」、と捨て去られた。SNSの世界では、「洗練されたマーケティングと劇場性」がはびこっている。メディアは新自由主義的合理性に陥没している。このような現象の中で、「民主主義の主要な価値が劇的に希薄化され」ているのである。そして、そのことも「どうせ」「しかなたない」と「したり顔」で諦めて、個々人は自らのROIを高める市場行動のみに専心するように「脱政治化」を強められ、ますます投票率が下がり・・・の悪循環が繰り返されていく。

「学生を卒業時に『すぐに仕事にとりかかれる』ようにする以外の目標や目的をすべて放棄するよう、多大な圧力をかけている。その他の価値-教育があり世間知のある人になること、情報の過剰供給や権力のあらたな集中と循環にたいして洞察力をもつこと-は、学生の欲望や要求、経済的必要性や利益、あるいは大学内での省コスト性といった観点からは自己弁護できないし、しない。」(p221)

新自由主義的合理性を内面化していた、20年前の学生の僕は、「この授業に何の意味があるのか・無駄ではないか」と思う授業をサボっていた。ただ20年後に、その当時より少しは智慧がついてみると、その無駄・有益という査定基準の中に、自らの好奇心以外に、市場価値が紛れ込んでいたのではないか、と感じる。

そもそも自分にとってその知識に意味や価値があるかどうか、は、本来は学んでみなければわからない、はずである。でも、学んでもいないのにそれが比較検討、分析可能である、という発想自体、その比較は、単純な一つの価値基準で検討されていることの裏返しである。そして、その単一の価値基準こそ、新自由主義的合理性なのである。つまり、「ROIを高める」「生産性や費用対効果の高い」といった査定基準である。

そして、それは、技術習得には用いる事が可能な査定基準かもしれないが、自らが知りようもなかった、未経験だった、見知らぬ世界観、新自由主義的合理性の範囲外には、応用不可能である。で、そういう世界は「無駄だ」と切り捨てることになる。そして、「学生の欲望や要求」がそのように限定されることによって、大学の講義がいかに効率的で効果的で学生満足度の高いものにするか、という議論に収斂される。すると、「すぐに仕事にとりかかれる」従順な労働者は育成できるかもしれないが、「教育があり世間知のある人になること、情報の過剰供給や権力のあらたな集中と循環にたいして洞察力をもつこと」が欠落した大人を大学は養成することになる。そうすると、新自由主義的合理性の循環はさらに加速し・・・。

奪われた民主主義を取り返すために(終章)

「自分たちが新自由主義的経済政策に反対していると考えているNGO、非営利団体、学校、近隣組織、社会運動までもが、新自由主義的合理性によって組織化されている」(p233)

この警句の意味は重い。非営利組織の領域でも、マネジメントの論理が蔓延している。そもそも、助成団体の多くが、新自由主義的合理性に基づいた助成先の評価をしているため、数値目標を沢山提出させられる。社会的にどのようなインパクトがあったのか、を客観的に評価せよ、と迫られる。そのような文脈に乗ること自体が、「新自由主義的合理性によって組織化されている」ということである。そして、その組織化を引き受けた団体が、「新自由主義的合理性」そのものにNOを言い続けるのは、難しくなる。あるいは、受け容れられにくくなる。これが、この新自由主義的合理性の持つ破壊力である。自らに反対する勢力までも、その合理性の中に飲み込んでしまうのである。

「正しく呼びかけられた新自由主義的市民は、資本主義のバブルが突然はじけること、雇用を減らす不況、信用格付けの危機、住宅市場の破綻、資本主義が外部委託に貪欲なこと、資本主義そのものあるいは破綻を賭けたギャンブルに快楽と利益を見出すことにたいして、いかなる保護の要求もしない。(略) こうした市民は、国家、法、経済がそれら自身の置かれた状況や苦境にたいして責任をとること、応答することから解放し、経済成長、競争的位の獲得や財政圧迫といった大義にたいして犠牲を捧げるように要求されたときは、喜んでそうするのである。」(p253-254)

市民が自らの生活を国家や外部に脅かされた時、普通は「それはおかしい」と立ち上がる。でも、新自由主義的合理性を内在化させた=「正しく呼びかけられた」市民は、「経済成長、競争的位の獲得や財政圧迫といった大義にたいして犠牲を捧げるように要求されたときは、喜んでそうする」。つまり、犠牲を喜んで引き受けるほど、その合理性に飲み込まれてしまっているのである。

では、どうしたらよいのか。この本の結論でも、明確な処方箋は示されていない。

「新自由主義的常識に穴を穿つというすでに困難なプロジェクトと、資本主義的グローバリゼーションに対する実現可能かつ説得力ある選択肢を開発するという任務を担うとともに、左翼はこの文明の絶望に抗わねばならない。」(p238)

このうち、僕に出来ることは「新自由主義的常識に穴を穿つというすでに困難なプロジェクト」だけ、だろう。しかし、このプロジェクトなら、授業などを通じて、学生達と考え続けることは可能だろうと思う。自分がどのような価値前提にはまり込んでいるのか、を、かつて僕がはまり込んでいた、上記に記述したプロセスを伝えながら、学生達と考え合うことは不可能ではない、と感じ始めている。

「他人と比較しない」は可能か?

ネットでその存在を知り、久しぶりに一気読みした本がある。『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』(久山葉子著、東京創元社)である。

本好きの人なら、どうしてミステリの出版社からスウェーデンの保育の本を?という問いが出るだろう。久山さんはスウェーデン小説を同社から翻訳していて、スウェーデンに家族で移り住んだので、今回こういうエッセイ本をミステリ出版社から出したのである。僕もスウェーデン在住時に何人かの翻訳・通訳家にお世話になったのだが、優れた翻訳や通訳は母国語(=日本語)でどれほど読み書いてきたか、の差でもあると痛感した。久山さんのような翻訳をこなす力量ある人が実体験したスウェーデン社会を教えてくれると、すごく色々な事が理解出来る。彼女と同い年ということもあり、共感しながら読み進めていくと、引用したい箇所がいくつも出てきた。その中でも、一番考えさせられたのが、次の部分。

「国が定めている就学前学校の教育指針のことだ。その中で、保育の”目的”として掲げられているのが次の五点である。
就学前学校、子供ひとりひとりがこれらの能力を発達させることに努めなければならない。
・寛容さ、敬意、連帯感、責任感
・他人の状況に配慮したり、共感したりできる能力。そしれ、他人を助けたいという気持ち
・日常に存在する生き方への課題や道徳的ジレンマに気づき、自分で考え、意見を持つ能力
・性別、民族、宗教等の信仰、性的指向、障害にかかわらず、人間には全員同じ価値があるということへの理解
・生きるものすべてへの敬意と、自分の周囲の環境に対する配慮
この保育指針は、スウェーデン人が理想とする人間のあり方をそのまま表している気がする。いたるところで-特にあらゆる年齢の教育現場で-これら5つの点が重要視されているのを常々感じるからだ。」(p129-130)

僕も15年前、スウェーデンに5ヶ月暮らす中で感じていたスウェーデン人の価値観を体現するような、「保育指針」。そりゃそうだ。小さいうちにこの価値観を全ての子供達に伝えることが出来たら、大人になっても体罰をしない国になる。スウェーデンの体罰をしない子育ては、色々なウェブでも紹介されているが、その源流を辿ると、この保育指針があるのか、と理解することができた。

日本の教育機関で働いていて、最近強く感じるのが、若者達の自尊心の低さである。自分に自信がない、自分に価値がない、と思う若者が少なくない。その一方で、親や学校の求める規範の呪縛力は強く、同調圧力もきつく、18歳くらいになると、「良い子」ほど、他者評価に過度に適応したり、怯えたりしている。スウェーデン人の子供が、日本人よりもともと優れているわけではない。社会との相互作用の中で、自信を持ったり、自信が奪われたりするのである。そして、スウェーデン人の自尊心のよりどころは、この保育指針にあったのだ、と感じる。

「性別、民族、宗教等の信仰、性的指向、障害にかかわらず、人間には全員同じ価値があるということへの理解」

サラッと書いているが、すごく重い。久山さんはその例として、「先生も親も『男の子でしょ、泣かないの』とか『女の子なんだからもっと・・・』という言い方は決してしない」(p131)という。僕自身は、娘を育てていても幸い「女の子なんだから」というフレーズを使ったことはないが、次の箇所は同じ子育てをする親として、耳が痛い話だ。

「『○○くんは××なのに』というような、人と比べる言い方もタブーである。同じく、『お兄ちゃんなんだから』『もう○歳なんだから』といった世間の平均値を基準にした発言もしない。子供の個性を認める育て方をするのなら、その子のみを見つめるべきであり、他人との比較はやってはいけないことなのだ。」(p165-166)

「子供の個性を認める育て方をするのなら、その子のみを見つめるべきであり、他人との比較はやってはいけない」。その通り、と頭ではわかっているのだが、一人の親として、気がつけば、同年代の子供と比べて成長の度合いを気にしている僕がいる。乳離れやおむつ外れ、など、出来ている・出来ていない、だけでなく、言葉がどれくらい話せるか、など。そして、それは僕自身が、学校教育や塾・予備校システムの中で、偏差値で常に他者と比べられ、その偏差値システムを内面化し、自分や他者の学歴や出身校などを序列化するシステムに否が応でも「被爆」してきた日本社会での「良い子」だったからだ、と、久山さんの本を読んでいて、改めて気付かされる。「世間の平均値」や「他人との比較」の枠組みこそ、同調圧力のきつい日本社会において、21世紀の今でも強固な枠組みだから、である。

だからこそ、「性別、民族、宗教等の信仰、性的指向、障害にかかわらず、人間には全員同じ価値がある」というのは、すごく重い。いかなる差異があろうとも、「人間には全員同じ価値がある」ということを、社会の基礎にしようとする思考・志向が、すくなくとも国の教育理念に掲げられているのです。「他者にやさしくしましょう」なんていう生やさしいものではない。あなたと違う他者も、あなと同じ価値があることを認めましょう、ということである。つまり単一の基準での序列化をしないでおきましょう、ということでもあるのだ。実際、スウェーデンでは「入学試験や成績別クラスなど、子供を成績で振り分けるようなことは禁止されている」(p166)という。

この本では、他にもスウェーデンでいかに育児休業が取りやすいか、だけでなく、労働者の権利が護られているか、ということも詳しく書かれている。残業がなく、子供と共に過ごせるのが当たり前だから、「ママ友」とつるまなくても、パートナーと相談することがデフォルトになっていることや、男性の育児分担がそれほど当たり前になっていることなども、書かれている。こういう話の一部分を、僕も授業ですると、必ず学生から来る反論としては「人口が少ない(税金が高い、権利意識や法制度が違う・・・)スウェーデンだから出来るのであって、日本では無理だ」という「出来ない100の理由」が返ってくる。

確かに、国やシステムを変えることは、簡単ではない。でも、「世間の平均値を基準にした発言もしない」「その子のみを見つめるべきであり、他人との比較はやってはいけない」ということなら、個人レベルでも、今日からでも「出来る一つの方法論」だ。僕は娘に良い影響を与えたいと思っているし、「子供の個性を認める育て方」をしたいと願っている。であれば、「世間の平均を基準」にする論理を内在し、「他人との比較」をしょっちゅうしてしまう、その自分自身の価値規範に自覚的になって、少なくとも娘にはそれを当てはめない、ということが、今の僕に「出来る一つの方法論」だと感じた。

ちなみにこの本は娘さんが保育園を終えた段階で一冊が終わっている。おそらくこの本が売れたら、第二弾の小学校編も久山さんは狙っておられるのだろう。一読者として、是非この本は売れてほしいし、第二弾を読みたい、と強く願っている。

“日本的働き方”のしくみ

話題になっている分厚すぎる新書『日本社会のしくみ-雇用・教育・福祉の歴史社会学』(小熊英二著、講談社現代新書)を読む。彼の本はどれも分厚いが、新書でもこの分厚さか、と驚くが、なかなか中身も迫力ある。

読後、僕がこの本のタイトルとしてふさわしいと思ったのは、『“日本的働き方”のしくみ-雇用を中心として、福祉や教育との相関も描いた歴史社会学』だった。確かに“日本的働き方”が、「日本社会のしくみ」を大きく規定しているが、それだけで教育や福祉が全て説明出来るわけではない。福祉や教育に大きな影響を与え、相互作用しているものとしての、日本的な雇用・労働慣行の形成史として、学ぶべきことは多かった。

ただ、著者も述べているように、日本の雇用類型を三類型で分けると、「地元型」が36%、「大企業型」が26%、「残余型」が38%(p40)、であり、本書はこのうち、4分の1を占める「大企業型」の雇用慣行が、中小企業(=地元型)や大企業の「外部」にある「残余型」にどのように影響を与えてきたか、を説明することで、「日本社会のしくみ」がある程度説明出来る、という仮説で本書を執筆している。当然ツッコミとして、地元型の説明を、全て大企業型の転写として言えるのか、とか、残余型も大企業型の外部という位置づけだけでよいのか、という指摘もある。だが、それは別の研究者がすればよいことだと思う。とにかく一人で、日本人の「『生き方』まで規定している『慣習の束』が、どんな歴史的経緯を経て成立したのかを書きたい」(p585)という意図を持ち、「自分が生きている社会を深部で規定している原理の解明」という「人文科学の基礎研究」(p586)として一冊にまとめきったのは、すごいことだと思う。

あと他の職種に比べて、大学教員が国公立私立の関係なく移動している理由も、よくわかった。それは、日本社会の中では例外的に横断的労働市場だからだ。私立から公立に移籍するときも、等級表での給与換算がなされていた。前任校も山梨県庁の等級表をベースにしているので、入れ替え可能性が高い。これが他の職種でも可能か、という問いなのだろう。

という前置きはこれくらいにして、いくつか気になった部分を引用しておこう。

「旧帝国大学と早大・慶大・一橋大・東工大の年間入学者数は、合計で4万人を超えている。さらに2001年以降の大学卒業者数は、ほぼ55万人で一定している。これを人気上位100社の総合職採用2万人、大企業採用数の12万人と対比させれば、全体の競争状況がどのようなものであるかは想像できる。」(p54)

ここに霞ヶ関のキャリアを加えたら、なるほど確かに戦前官庁の三層構造で言うところの「高等官」(=軍隊の少尉以上)p226は埋まる。すると、4万人以外の50万人の大卒者は、昔の属性で言う「大企業型」の「判任官」「等外」、あるいは「地元型」の「高等官」などになるし、非正規労働などの「残余型」になる大学生が出てくることも、頷ける。そして、それと重ねて考えたいトヨタの「出世すごろく」なるものが面白かった。

「大学卒業後に新卒でトヨタに入った社員は、30代後半で基幹職3級に上がり、年収は約1500万円。さらに2級、1級と上がるが、それぞれ4から5年かかるうえ、1級まで到達するのは同期のうち10%程度。1級になると年収は約2000万円。同期入社の1%という狭き門をくぐり抜けて常務役員まで上がれば、3000万円超へ跳ね上がる。」(p543)

いったん「高等官」になった後も、その中での熾烈な競争が続き、10%の「高等官の中での高等官」以外は、早期退職や出向(=公務員なら天下り)などの対象になる。これは、日本の官公庁および大企業で共通する仕組みである。さらに言えば、それを維持するためにも、「外部」が必要になる。

「年功による昇進や昇給は、元来は経済的コストに左右されない官吏の慣行であり、戦前の民間企業では少数の職員だけの特権だった。それを全従業員に適用するのは、高度成長期のような例外的時期をのぞけば、困難なことだった。それでもなお、長期雇用と年功賃金を続けようとすれば、適用対象をコア部分に限定するしかなかった。そのための方法が、人事考課による厳選、そして出向・非正規雇用・女性という外部を作り出すことだったといえるだろう。」(p528)

雇用における男女格差が埋まらない最大の理由は、女性が内部ではなく外部と認知されてきたことの温存であり、また女性以外でも出向や非正規雇用の外部性を担保することによって、「コア部分」の長期雇用と年功賃金という「内部性」を維持してきた、そのツケである。

小熊さんは、この「雇用慣行の束」は容易に変えることが出来ないと考えている。そして、彼自身の解決策としては、「社会保障の拡充によって解決するしかない」(p576)という。スーパーで働く勤続10年の非正規雇用のシングルマザーが「昨日入ってきた高校生となぜ同じ給与なのか」と問われた際の、小熊さんが考える選択肢は、回答①年功序列型でもなければ、回答②同一労働同一賃金と個人自己責任的キャリアアップの推奨、でもなく、次のようなものだった。

「回答③ この問題は労使関係だけではなく、児童手当など社会保障政策で解決するべきだ。賃金については、同じ仕事なら女子高生とほぼ同じなのはやむを得ない。だが、最低賃金の切り上げや、資格取得や職業訓練機会提供などは、公的に保障される社会になるべきだ。」(p578)

これを1963年の経済審議会答申が実現出来なかったこと(p574)と述べ、小熊さんは、日本型雇用の「慣習の束」を温存しながら、回答3を実現しようと考えているのではないか、としている。

「当時の日本政府と日経連は、横断的労働市場と社会保障拡充の政策パッケージを提唱していた」(p414)のだが、小熊さんは、先に児童手当や公営住宅の整備といった「社会保障」で解決すべき課題があれば、「横断的労働市場」も結果的に進みやすいのではないか、という提案とも受け取れる。それを実際にしているヨーロッパのことを以下のように整理している。

「現場労働者や下級職員は、20代終わりから30代で賃金が頭打ちになってしまうことも多い。職務が同じなら、賃金もあまりかわらないからである。熱心な人は、社外で資格を取ったりして、より上の職務を目指すが、そうでない人ももちろんいる。西欧や北欧では、それをカバーするため、児童手当、公営住宅、家賃補助などが行われることが多かった。これは一種の少子化対策でもあるが、中年期に賃金が上がらない人たちに対する支援措置である。また、夫婦共稼ぎも多い。」(p115)

つまり、日本では終身雇用制を大企業のみならず中小企業でもとることで、企業内福祉として住宅手当や児童手当を抱え込んでいた。だが、今その余力がない企業では、その恩恵を受ける人の数を減らしたり、削減したりしている。この部分を、放置したら「19世紀型の『野蛮な自由労働市場』に回帰」(p575)することになる。それなら、この部分は政府が直接投資した方が良いのではないか、という提案である。これは以下の部分ともつながる。

「『地元型』は、収入は大企業型よりも少なくなりがちだ。しかし親からうけついだ持ち家に住むなら、ローンで家を買う必要はない。地域の人間関係にも恵まれ、自治会や兆兄会、商店会、農業団体などとの結びつきがある。近隣から野菜などの『おすそ分け』を受け取れれば、支出も少ない。自営業や農業は『定年』がなく、ずっと働く人が多い。」(p22)

「残余という言い方に、とくにマイナスの意味はない。日本の健康保険制度などが想定してきたような、「『カイシャ(職域)』と『ムラ(地域)』という、日本社会において基本的な単位となる帰属集団」の双方に根ざしていない類型ということだ。『残余型』の生き方が増えているとすれば、それは過去の制度が、社会の変化にあわなくなってきていることを意味しているといえるだろう。」(p35)

「大企業型」に入れなくても、「地元型」で社会関係資本が蓄積されていれば、年金が低くてもなんとかなる。老後2000万円必要なのは、大企業型での暮らしをしている人だけだ、ともいえる。一方、「残余型」が38%になっている、ということは、「大企業型」の外部とされ、かつ社会関係資本からも切り離された労働者が4割近く存在している、ということである。この人びとに、「児童手当、公営住宅、家賃補助など」がないと、貧困世帯の拡大につながる。また、この残余型の人が、無職や休職中、職業訓練中の衣食住の基盤を上記の公的支援で支えられることが、「横断的労働市場」の形成の基盤になる、ということも理解できた。

新自由主義的な経営者(ホリエモンやZozo前社長)あるいはそれを応援する橋下等の政治家・評論家は「19世紀型の『野蛮な自由労働市場』」を求めている。だが、そうではない未来を切り開くために、小熊さんのような提案を政治家や政党が提案することが出来るか。このあたりも、今後の鍵になるように思えた。

履歴書の空白期

僕が尊敬する、年若い友人のてっちゃん(小笠原祐司さん)が、「私の『履歴書の空白期』」を書いていた。ファシリテーターとして全国で、海外でも大活躍するてっちゃんにも、苦しい時期があったんだな、と改めて読みながら感じていた。彼のひりひりするような記述を読みながら、僕自身も己の「履歴書の空白期」を思い出していた。

僕の「履歴書の空白期」は博士号を取ってから山梨学院大学に入るまでの二年間。2013年4月から2015年3月までの二年間である。その間は、思い出せば味わい深いけど、実にキッツい二年間だった。

そもそも博論を書き上げるのに必死で、その後の就職活動のことは何も考えていなかった。甘ったれてたその当時、僕は新設講座の一期生だったので、博論を書いた後、助手のポストを譲ってもらえるのではないか、とぼんやり思っていた。でも、当然そんなはずもなく、みんな履歴書を必死になって書いてエントリーすると知ったのが、博論を書いた後の2013年春。博士号取得で大学院修了になったけど、いきなり肩書きのない状態に放り出された。

一応、大学や専門学校の非常勤講師をしていたけれど、プー太朗状態。見かねた大阪精神医療人権センターの当時の代表、里見弁護士に相談したら、人権センターでバイトしませんか、と誘ってい頂いた。里見先生は阪大法学部出身の大先輩で、数年前に神奈川でご一緒し、帰りの新幹線でゆっくり話をさせてもらって以来、何かと気にかけてくださっていた。でも人権センターに潤沢な予算がある訳でもなく、里見法律事務所に雇って頂く形になった。その当時はその意味があまりわかっていなかったが、本業に全く役立ったない人間に給料を払ってくださったばかりか、その業務には全く口出しせずにこちらに任せてくださった里見先生の包容力には、本当に感謝してもしきることはない。

そして、定職に就かずに困っていたからこそ、チャンスも巡ってくる。大学院のころに毎週東京から教えに来てくださっていた河東田博さん(立教大学)の科研研究班に混ぜて頂き、脱施設に関する調査に関わっていたからこそ、その延長線上で、在外研究のお誘いを頂く。定職が無くて困っていた時期だからこそ、その意味もわからず、とにかくエントリーして、スウェーデンに旅立つ。博論を書いている最中に無謀にも結婚して、妻は常勤職だったが、彼女も一緒に行けそうだったので休職して、二人で2013年10月末から2014年3月までの5ヶ月間、スウェーデンの第二の都市、イエテボリに住む。受け入れてくださる知的障害者の当事者組織、グルンデンの支援者アンデシュさんと連絡がなかなかつかず、ビザもギリギリで下りたし、住むところも決まらずユースホステルに滞在した期間もあったし、何より何を研究するかほとんど決まらずに行ってしまったし、不安で押しつぶされそうだったが、「背に腹は代えられない」無職期間だから、だったこそ、それでも現地で調査を続けた。その報告は、今でもウェブで読める。

で、スウェーデンで調査をしながらも、スウェーデンからもせっせと履歴書を送り続けた。そもそも福祉を研究しているのだが、社会福祉士を持っておらず、社会福祉学部の教育を受けている訳でもない僕は、就職に圧倒的に不利だった。そんな中、「助手採用の二次面接に来て欲しい」と東京の某有名大学から連絡を受け、10万円くらい自腹を切って、一時帰国する。面接では「君はお酒が飲めますか?」とか、採用を前提としたように思える話が進み、「これは決まったかも」と思って、住宅情報誌を買って帰る。そして、帰国日の当日、実家から関空に行く「はるか」に乗っている際に、別の大学から電話がかかってきて「明後日に二次面接に来れますか?」と聞かれて、飛行機を当日キャンセルする。で、また東京で面接を受けて、5万円の追加料金を払ってスウェーデンに戻るも、どちらとも不採用。そりゃないよ!と激しく落ち込む。今なら「人事は水物」と承知しているが、この時の消耗感は、本当に激しかった。

結局二年間で、50ほど履歴書を書き続けては、紙切れ一枚の不採用通知をもらい続ける。結構沢山のボリュームの内容を書き、業績も三本ほどはフルコピーして送らねばならず、その労力と資金だけでも、ままならない。あるときは、東京で学会発表があった日の午後、飛行機で行かねばならない大学から二次面接にどうしてもその日中に来てほしい(もちろん自腹で)、と言われ、当時住んでいた西宮から、朝一の新幹線で東京に行き、自分の発表を終えるや否や、羽田空港に飛び込んで飛行機で現地に行き、面接を受けるも、不採用、なんてこともあった。この時はほんまに「ふざけんな!」と思った。

で、こういう時期の周りの「助言」も、痛い。当時妻が常勤職で、僕はある種「妻のヒモ」だったのだが、それを見かねた僕の母親が「そんなに仕事決まらないなら、大学教員の道は諦めて、何でもいいから他の職を探したら? ○○ちゃん(妻のこと)がかわいそう」と言い出した。母の言うことはもっともだし、妻に迷惑をかけてることはその通りなんだけど、これまでの努力を捨てなさい、とも思えるこの「助言」に、なんと言い返してよいのかわからず、ぐったり落ち込んでいた。

で、もう履歴書を書くのもいい加減嫌になっていた2014年秋、学部時代からお世話になっていた社会学の大家、厚東先生から「こんな公募が出ているよ」と転送してくださったのが、山梨学院大学で法学部政治行政学科での「地域福祉論」の公募。やさぐれていたが、厚東先生がわざわざ送ってくださったのだから、という先生への義理だけの気持ちで、とりあえず履歴書を書いて送った。大学教育への抱負を書く項目があったので、「大学教員と違って僕は予備校講師をしてきたので、学生のニーズを捉えないと翌年の更新がないので、ニーズオリエンテッドな講義をしてる」とか、喧嘩を売るような事を書いて送ってしまっていた。

でも、なぜか二次面接に呼ばれる。甲府に朝10時。当然どこかで宿泊する必要はあるが、山梨に行ったことはない。で、よく考えたら、大熊一夫師匠の山荘が、八ヶ岳の麓にある。師匠に電話したら、喜んで歓待して頂く。面接の前の日は緊張するはず、なのに、僕は師匠の美味しい手料理に舌鼓をうち、ワインをたらふく頂いて、翌朝気分良く甲府まで送り出して頂いた。そんなご縁があったから、二次面接でも自然体で話すことが出来た。学長から「他の大学の二次面接も受けているそうだが、どっちを選ぶのか?」と聞かれて、馬鹿正直に「先に声をかけてくださった方」と応える。「それは半分当たっているけど、半分間違いだ」と言われるが、仕事が無くて背に腹を変えられない僕は、とにかく雇ってくれると声をかけてくれたところに、どこでも行く気でいた。そう伝えていたので、1週間後、十三駅付近の阪急電車で携帯がなり、「まだ決まっていませんか?あなたを採用したいので、学長決裁が出た段階で電話しました」と、当時の学部長に言われた時、十三駅のベンチで涙声になっていた。やっと履歴書の空白期から解放される、と。後から聞くと、対抗馬は東大卒の優秀な人で、僕より業績は多かったけど、「竹端さんの方が元気そうで、学生とうまくやりそうだから」というのが決め手だったようだ。破れかぶれの履歴書が功を奏する時もあるのだ。

一気呵成に、二年間の履歴書の空白期を書いていて、改めて感じるのは、二度とあの時期は経験したくないけど、確実に自分のコアな原点なった二年間でもある、ということ。完全公募の採用に辿りつくまで、他の研究者の何倍もの履歴書を書いたけど、でもしがらみに絡め取られることなく仕事をする土台を作るためには、必要な二年間だった。そして、その二年間は、僕の厳しい実情を気にかけてくださり、多くの人が、様々な機会を与えてくださった。カリフォルニア調査の声をかけてくださり、その旅費の工面などもしてくださったのは、その後もお世話になった北野誠一さん(元東洋大学)だった。北野さんのお宅にもしばしば通い、外弟子的に学ばせて頂いたことも、その後の僕の展開の基盤になった。こういう時間的余裕「だけ」はあったのが、履歴書の空白期、だった。

てっちゃんは冒頭に紹介したブログの最後に「何も見えないなら、動いてみる。そこから見える世界を見つけていく」と書いていた。これは全く僕にも当てはまる。何の肩書きもなく、何も決まっていないから、不安で仕方なかったけど、自分の可能性を探していく、模索期だった。それがあったからこその今だと、振り返ってみると、改めて感じる。

中間項から媒介子へ

分厚い本を研究会のために読んだ。ラトゥールの『社会的なものを組み直す』(法政大学出版会)である。訳者の伊藤嘉高さんは、アーリの『グローバルな複雑性』の訳者でもあり、今回の本でも、非常に読みやすい翻訳をしてくださっている。でも、ラトゥールの議論内容自体が難しいので、現時点でも十分に理解したとは言い得ない。とはいえ、研究会で仲間と議論をしながら、少しずつこのアクターネットワーク理論の魅力のようなものを感じ始めている。それを一言で表現するなら、「中間項から媒介子へのパラダイムシフト」とでも言えようか。ラトゥールの説明をひもといてみよう。

「中間項は、私の用語法では、意味や力をそのまま移送する(別のところに運ぶ)ものである。つまり、インプットが決まりさえすれば、そのアウトプットが決まる。」「媒介子は、自ら運ぶとされる意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする。」「正常に作動するコンピューターは複合的な中間項の格好の例と見なせる一方で、日常の会話は、恐ろしく複雑な媒介子の連鎖になることもあり、そこでは、感情や意見、態度が至るところで枝分かれする。」「学会で開かれる非常に高度なパネルディスカッションが、どこかほかでなされた決定を追認するだけであるならば、まったくもって予測可能で問題をはらまない中間項になる。」(p74-75)

中間項が「単純な要素の複合」、媒介子が「複雑性」と結びついている、という注を読みながら、様々なことが頭に浮かんでくる。

コンピューターは確かに人間には処理できない課題をこなしているが、それはあくまでも「インプットが決まりさえすれば、そのアウトプットが決まる」という意味で、「複合的な中間項」である。その一方、「日常の会話」は、どんなインプットをしても、アウトプットが予期できない「複雑性」を抱えている。逆に言えば、どんなに「高度なパネルディスカッション」であっても、「どこかほかでなされた決定を追認するだけ」ならば、それはコンピューターと変わらない「中間項」であるのだ。一方「高度な議論の内容」ではなくとも、対話に関わるものが、「自ら運ぶとされる意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする」ならば、その関与者は、コンピューターや中間項ではなく、「媒介子」となる。

なぜ中間項と媒介子の違いに僕が興味を引かれるのか。それは、僕が関わっていた現場で、僕が見ていた現象を、中間項ではなく媒介子と捉えるなら、言語化できそうなものが沢山ありそうだ、という予感を持ち始めているのである。

例えば、書籍にもした岡山の「『無理しない』地域づくりの学校」。今年5期目だが、そこでは僕も想定していなかったような、関わる様々な人々による色々な活動が展開している。これは、インプットとしての学校の結果、こういうアウトプットが現れましたよ、という形で予測することの不可能な展開である。受講生の皆さんは、単なる中間項ではない。一人一人が、アクターとして、媒介子として、自らが学んだり考えたことの「意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする」プロセスに飛び込んでいる。だから、予想外の面白い動きが生まれ始めている。

これは、従来の研修がしてきた事との対比で考えてみるとわかりやすい。現在主流を占めている研修とは、いくらアクティブラーニングがはやっていたとしても、カリキュラムの標準的内容が明示され、その内容を知っている講師が、それを知らない受講生に教える、という旧来の知識伝達型モデルである。フレイレは、それを「銀行型教育」と喝破していた(そのことはこちらの記事も参照)。銀行型とは、学ぶ側は「空の箱」であり、先生の知識で空の箱を満たす、というたとえである。これはまさしく「意味や力をそのまま移送する(別のところに運ぶ)」という意味での、「中間項」的な学びである。そして、僕はこういう学び方に飽き飽きしていたし、研修講師としても、そういうスタイルを打破するためにはどうしたらよいか、を悩み続けていた。

そんな中で6年前に見に行った尾野寛明さんの「起業しない起業塾」は、「中間項」とは全く別の展開だった。受講生が毎回、マイプランを発表し、他者からのコメントやフィードバックを元に書き直していくプロセスは、受講生自身の実存的な問いをマイプランとして言語化する中で、その「意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする」過程そのものであった。つまり、上から言われたことをそのまま実践するロボット的な仕事に飽き足りずに、自分で何かやってみたい、と思っている、「中間項」的な働き方を脱出したい人に、「媒介子」として取り組めるような課題をマイプランとして課し、それを実際に小さな実践としてやってみることで、自らの媒介子としての力を蓄えている、そういう変容的主体になるための学びだったのかもしれない。だから、僕にとっては「これこそほんまもんや!」と思え、尾野さんとコラボする事を決め、岡山で僕と同じように「脱・中間項」としてもがいていた西村洋己さんと三人で、「『無理しない』地域づくりの学校」を展開していったのかも、しれない。

そして、実際自分たちが5年間、この学校をする中で垣間見てきたのは、そこに関わる人々が、「脱・中間項」を果たし、「媒介子」としての様々な活動にチャレンジしていく姿であった。

こんな風にラトゥールの用語を使うと、僕が関わってきた現場の結びつきを、より良い言葉で説明できそうな気がしている。さらに言えば、僕自身が社会現象を眺めるときに、「中間項」の因果モデルの複合系と捉えるのか、複雑な「媒介子」の予期せぬ結びつきと捉えるかで、世界の捉え方が大きく違うのだ、とも理解し始めている。

「他のアクターにあれこれさせることは、ある種の忠実な中間項として、ずっと変わらない力を移送することによってなされるのではなく、変換(transformation)を起こすことでなされる。そして、その変換は、後に続く他の一連の媒介子のなかで引き起こされる数々の予期せぬ出来事によって顕在化する。」(p201)

この本では、「社会的なもの」の社会学と、連関の社会学を対置させている。権力や社会関係資本などの概念を使うことで、「社会的なもの」の構造をあぶり出そうとするのが、「社会的なもの」の社会学である。ブルデューがその名手として引き合いに出されて、ラトゥールは執拗に批判している。その批判とは、社会の様々なアクターを、ある権力関係なり社会関係資本を作り出す「中間項」として捉えることに対する批判である。一方、連関の社会学とは、権力関係や社会関係資本などの概念を使わずに、アクターがどのような媒介子として結びついているのか、その結びつきを辿ることを目指している。

これまでは、「社会的なるもの」という上位概念があって、その中でアクター間にどのような移送(transport)があったのか、を説明しようとしてきた。だが、実際の現場では、「ずっと変わらない力を移送すること」は生じていない。教師と生徒、上司と部下のような上下関係であっても、単純な「移送」ではなく、上司や教師の発言をどう部下や生徒が理解するのか、は、「変換(transformation)」である。さらに言えば、命令や伝達であっても、実際の指示はコントロール可能なものではなく、メッセージの受け手という「一連の媒介子のなかで引き起こされる数々の予期せぬ出来事」をもたらす。難しく書いてきたが、一言で言えば、他者は思い通りにならないのである。それは他者は「忠実な中間項」ではなく、自律的な「媒介子」であるからだ。

そうすると、「中間項」に代表されるような「社会的なもの」で「わかったふり」をすることは、複雑な世界を複合的な因果関係に縮減して理解することでもある。他者の他者性を研究しようと思う僕にとっては、複雑な世界を複雑なままで描きたい。そして、それは著者の言う連関の社会学やアクターネットワーク理論で辿ることが可能そうである。

「社会も社会的領域も社会的紐帯もないが、たどることが可能な連関を生み出すであろう媒介子の間での翻訳がある」(p203)

因果関係に縮減して理解しようとせず、複雑な媒介子の連関を、そのものとして辿っていくこと。つまりは、中間項で世界を認識し、記述するやり方をやめて、媒介子を追うことによって世界を認識し、記述するやり方に変えることである。そういう意味で、本書は認識論的なパラダイムシフトを目指している本でもある。

具体的な話に落とし込んでみよう。岡山の「『無理しない』地域づくりの学校」では、僕自身や尾野さん、西村さんなどの媒介子が、どのような他の媒介子との連関を生み出しているのか。そこにどのような翻訳が発生しているのか。この結びつきを捉え直すこと。それこそが、『社会的なものを組み直す』営みかもしれない。そしてその素材は、遠くに新たに取材に行かなくても、僕たちが5年間耕してきて、その結びつきを辿ることが出来る現場でこそ、追いかけることが出来そうな何かである。

まだまだ一読だけでは十分に理解できた訳ではない。でも、アクターネットワーク理論は、「中間項」ではなく「媒介子」として関わってきた様々な僕の現場経験を、より活き活きと言語化するために、多くのヒントを与えてくれそうだ。

 

 

対話とハラスメントの違い

ここ最近、対話とハラスメントの違いについて、考えさせられる案件が色々ある。

例えば香港で続くデモ。雨傘運動以来のリーダーの一人で、1996年生まれのアグネス・チョウさんは7月2日の朝日新聞朝刊に、こんなメッセージを寄せていた。

「デモ隊にリーダーがいないことも今回の特徴で、若者達がネットの匿名の呼びかけに応じて自発的に参加しています。政府は対話の相手がわからず困っているはずですが、対話しても意味がありません。市民の意見を聞いたとアリバイづくりに使われるだけ。これも雨傘運動の教訓です。」

僕はダイアローグを大切にしているが、でも今回のアグネスさんの主張も本当によくわかる。対話はお互いが相手の言葉を真剣に受け止める態度があって、初めて成立する。一方が聞く耳を持たず、相手を抑圧する主体であれば、それに対して決然とNOを突きつけることが、対話的主体と相手に認めさせるために必要不可欠である、と。

アリバイ作りの対話は、一方的な抑圧と同様、モノローグである。ちゃんと相手の意見に誠実に耳を傾ける主体に変容しない限り、対話は対話として成り立たない。このことに、香港人は怒っているし、強烈な反発と抗議をしているのだ。

もう一つ、今野さんと藤田さんの新刊の「挑発的」書き出し。

「近年、日本では『対立』や『対決』を避ける世の中の風潮がある。社会運動による要求行動や労使紛争は、社会・労働問題を解決しない、あるいは問題を複雑化する『厄介者』のように扱われがちである。何かの不正を批判したり、具体的な権利要求をしようものならば、『エビデンスはあるのか』、『全体の調整を考えていない』、『社会の分断を招く』などの非難にさらされる。」(『闘わなければ社会は壊れる』岩波書店

この本に関して、ダイアローグを大切にしたい僕の知り合いソーシャルワーカーから、こんなコメントも寄せられた。

「『戦わなければ壊れる』や、『対決』が必要だ!という思いに、ある意味納得しつつ、対決ではなく『対話(対話的に生きる)』を実践していく中で、対決と対話をどうコミュニティワーカーとしての実践に整理してばいいのか、と思っています。」

アグネスさんや今野・藤田さんが否定しているのは、「対話」ではなく、「対話のふりをしたハラスメント」である、とすると、話が伝わりやすい。それはいったい、どういうことか。少し長い引用をする。

「ここに、AとBという二人の個人がいるとしよう。二人が相互に学習過程を作動させており、『仁』の状態にあるなら、Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返し、Aもまた同じ事をする。このとき両者の間のメッセージの交換は『礼』にかなっている。また、このときAとBとがそれぞれに解釈して把握する意味は、常に互いに異なっている。
(略)
これに対して、Bが『不仁』の状態にあるとしよう。すると、Aの投げかけるメッセージをBは表面的にのみ受け取り、学習することなく、それでいて学習のフリだけをして適当にBに返す。Aはそれを真剣に受け取って学習し、メッセージを返すのだが、それをBはまた適当に受け取って返す。こういうことを繰り返されると、AはBについての適切な像を描けなくなり、自分の学習過程への信頼を破壊されてしまう。こうしてAもまた学習過程を停止し、『不仁』の状態に陥る。」(安冨歩『生きるための論語』ちくま新書、p103-104)

安冨先生の明快な解説からわかるように、対話とは『仁』の状態が前提とされており、『不仁』の状態であれば、対話とは言わない。そもそも対話とは「Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返し、Aもまた同じ事をする」という構造がAとBの双方になされていなければならない。つまり、互いが相手の投げかけるメッセージを心から受け止めて、自己変革し、それを相手に投げ返す、というプロセスこそが、対話なのである。それを安冨先生は「学習過程」である、という。

一方、このAとBの相互の学習過程が働いていない「不仁」の状態であると、どうなるだろうか。Bが「学習のフリ」だけして、Aの発言を真剣に受け止めずに、適当な返事しかしない。でもAはそれを真剣に受け止めてメッセージを返す。この悪循環が続くと、「AはBについての適切な像を描けなくなり、自分の学習過程への信頼を破壊されてしまう」という。そう、どちらか一方が、学習過程に身を置いているのに、もう片方が「学習のフリ」をし続けて、相手の学習過程を破壊することを、安冨先生は別の本でハラスメントだと定義している。

「相手をパッケージ化して、そのパッケージに対する働きかけを現実に存在している相手に対して行うのは、ストーカー行為と同じ悪質さを持っている。自分が勝手につくり出したイメージを他人に押しつけた上で、そのイメージに対してメッセージを投げかけるという行為は、相手の人格への攻撃以外のなにものでもない」(安冨歩・本條晴一郎『ハラスメントは連鎖する』光文社新書、p177)

アグネス・チョウさんや今野さん、藤田さんの発言を読んでいて、僕自身が受け取ったのは、「対話のフリ」をしたパッケージ化やハラスメントからの決別宣言であった。何かがおかしい、許せない、と感じた時に、声を挙げる。これ自体は「仁」の行為である。それに対して、「『エビデンスはあるのか』、『全体の調整を考えていない』、『社会の分断を招く』などの非難」は、相手の声を聴いているフリをして、実は聴いていない。「相手をパッケージ化して、そのパッケージに対する働きかけを現実に存在している相手に対して行う」行為そのものである。パッケージとして捉える時点で、「Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返」す、というプロセスを停止している。つまり、BはAのメッセージに対して、心から受け止めることなくパッケージ化して受け止めることで、学習過程を働かせることなく、むしろAの学習過程を破壊することにエネルギーを注ぐのだ。これこそ、ハラスメントなのである。

僕は昔、アカデミックハラスメントを受けたことがある。だが、それを受けている当時、「僕が悪いことをした」と感じ、よもやハラスメントをされているとは思ってもみなかった。確かに最初、僕がした間違いをしたのだが、何をどのように謝っても許してもらえず、無視され、「あなたのような弱い人間は大学院を辞めてしまえ」と罵倒された後、その教員の車を見るだけで、怖くなって校舎に近づけない時期が合った。あのときは、対話が全く通じず、対話的な関係を否定されることで、僕という個人の学習過程そのものが破壊されていくプロセスでもあった。そして20年たって振り返ると、あの当時、相手が僕に対して行ったことは、「勝手につくり出したイメージを他人に押しつけた上で、そのイメージに対してメッセージを投げかけるという行為」であり、「相手の人格への攻撃以外のなにものでもな」かったのである。

この経験があるからこそ、「対話」と「対話のフリをしたハラスメント」の違いは、今ならよくわかる。そもそも「対話のフリをしたハラスメント」をする人って、対話をする気がないのだ。「Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革」する気がないのだ。非正規労働者が賃上げを要求しても、「この経済状況では無理だ」と最初から決めつけて聞く耳を持たない。香港の市民や学生達が中国政府の圧力にNOを言っても、「今の香港では北京の意向に従わざるを得ない」と、諦めた答えしか返ってこない。これらは、「いやだ」「何とかしてほしい」というAの心からのメッセージに対して、学習過程を作用させることなく、「そんなことを言っても何も変えることは出来ない」「お花畑の理想論であって現実には無理だ」という結論を最初から決めつけ、決めつけたパッケージに対しての返信しか行わない、という意味で、人間的な対応ではない。そして、アグネス・チョウさんや今野さん、藤田さんが「対話」ではなく「対立」や「対決」の重要性を説くとき、彼女や彼らは、「対話」を否定しているのではない。むしろ、ほんまもんの「対話」空間に相手を引き出すために、「対話のふりをしたハラスメント」を断罪し、「対立」や「対決」も辞さない覚悟を示すことで、「パッケージ化」した相手の硬直性を打ち破ろうとしているのである。

ここまで書いていくと、僕が学んだ障害者運動のあの有名なテーゼの現代的意味も理解出来る。

「一、われらは、問題解決の路を選ばない。
われらは、安易に問題の解決を図ろうとすることが、いかに危険な妥協への出発であるか身をもって知ってきた。われらは、次々と問題提起を行なうことのみが、われらの行ない得る運動であると信じ、且つ、行動する。」
日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会行動綱領

青い芝の会の障害者達が40年前に突きつけたこの行動綱領。「安易に問題の解決を図ろうとすること」とは、「対話のフリをしたハラスメント」に応じることだ、と現代的に解釈も出来る。それは、学習過程の破壊という意味で、「危険な妥協への出発」でしかない。なぜなら「パッケージ化」される段階で、相手の結論は決まっていて、それをどう相手に飲み込まさせるかという「危険な妥協」しか、道はないからである。

「次々と問題提起を行なうこと」は、「対立」や「対決」を辞さないことである。これは、結論ありきの相手にとっては、非常に面倒である。そこに一定の理があった場合、下手をしたら自らの結論そのものの正当性が、第三者によって問われかねない。これはパッケージ化の瓦解である。実に恐ろしい。だからこそ、「『エビデンスはあるのか』、『全体の調整を考えていない』、『社会の分断を招く』などの非難」をして、火を消そうとする。対話をすることは自らの変革の必要性に向き合う必然性が出てくるし、それは大変なので、相手の学習過程を破壊するハラスメント的言説だけを必死で返している。それが、「対立」や「対決」への違和感として表明される内容である。

そうすると、「対立」「対決」ではなく「対話」を、という発言自体の正統性も、問わなければならない。こういう言説自体の中に、「安易に問題の解決を図ろうとすることが、いかに危険な妥協への出発であるか」という根本的問題がはらんでいる可能性があるのだ。そして、以前の、ハラスメントを鵜呑みにしていた時代の僕は、「安易に問題の解決を図ろうとすること」こそ「対話」だと思い込んでいた。

「対話のフリをしたハラスメント」から抜け出すためには、40年前のテーゼが今日的にも役に立つ。

「次々と問題提起を行なうことのみが、われらの行ない得る運動であると信じ、且つ、行動する」

出来る一つの方法論

BBCがトリエステの今を4分の映像で分かりやすく紹介している。イタリアや日本で何度もお話しを伺った、トリエステの精神保健局長、ロベルト・メッツィーナさんのお元気な様子も久しぶりに見ることが出来た。

Mental health: ‘The best place to get sick’
Ideas from a mental health ‘revolution’ in Trieste in the 1970s are helping patients recover today.

僕自身はイタリアで沢山の事を学んだし、その一部は拙著『当たり前をひっくり返す』にも紹介したけど、たまに「イタリアイタリアって、海外の事ばかり言う人は大嫌い」「トリエステにも良くない部分がある」「日本にだって良い実践はある」という業界関係者と出会う。この映像を見ながら、そのことを考えていた。

僕は、トリエステ礼賛をしたいのではない。ただ、「誰も白衣や制服を着ていない」「精神病棟の中では人権が抑制される」「隔離拘束を前提としない、自由で対等な市民としての治療が必要不可欠だ」って、ごく当たり前のはずなのに、今の日本では実現できていない。そう言うと、反論されるのは「出来(て)ない100の理由」なのだ。

でも、フランコ・バザーリアに限らず、トリエステでも日本でも、「出来る一つの方法論」を模索している人びとがいる。「イタリアでは」、と権威を笠に着て僕が偉そうにしたいのではない。そうではなくて、別の場所で出来ている「より良いこと」を日本でも可能にするためにエネルギーを注いだ方が、創造的であり、やりがいもあるのではないか、と思うのだ。

こういうことを言うと、最近では「お花畑」と言われる。出来もしない理想論であり、現実的でない、と。でも、眼の前の現実だけをみて、全体構造の変化を諦めて現象だけを変化させようとするのは、近視眼的でもある。現時点では「お花畑」のようにも思える「全体構造のパラダイムシフト」をイメージしながら、眼の前の現象をそのパラダイムシフトに結びつける「結び目」(ティッピングポイント)を探る複眼思考を持てたら、現象のとらえ方・働きかけ方はだいぶ違ってくる。そして、その複眼思考をするために、トリエステの実践とか、オープンダイアローグとか、違う現実を一方で見据えた上で、この日本の現実を捉え直す必要がある、とも感じている。

この映像をみながら、トリエステに二度訪問した時のことや、メッツィーナさんに東京で教わったことなどを、思い返していた。そして改めて、「出来る一つの方法論」の模索が大切だと思っている。僕にとっては、その手段の一つとして、未来語りのダイアローグ(Anticipation Dialogue: AD)のファシリテーターとしての実践もあるのだろうな、とか、色々なことを感じた。

相変わらず、同じ事を書き続けているけど、大切だと思ったので、改めて書いておく。

稽古と守破離

ライフサイクルの心理学などの著作がある西平直さんの最新刊は『稽古の思想』。合気道の稽古を姫路でもやっと再開し始めたところなので、めちゃ興味を持って読み進めた。彼の稽古論は、合気道や研究など、色々なところで大いに頷く内容である。

「稽古は『わざ』を習う。技術を学び、技芸を身につけ、その道の『わざ』を完全に習得することを目指している。ところが、『わざ』の習得が最終到達点ではない。その先がある。『わざ』に囚われることを警戒し、『わざから離れる』ことを勧めるのである。」(『稽古の思想』西平直、春秋社、p10)

これは、有段者になるまでと、その後、と言い直すと、すごくよくわかる。

合気道の稽古を始めてちょうど10年立つ。2009年5月に甲府の合気道三澤塾に入門した時、こんなに長く続くとは思っていなかった。テニス、水泳、柔道など、色々なスポーツを中途半端な形で挫折し、どちらかと言えば運動音痴だったからだ。でも、合気道が僕に合っていたのは、スポーツの練習ではなく、武道の稽古だったからかも、とこの本を読みながら、改めて感じる。それは、「技術を学び、技芸を身につけ、その道の『わざ』を完全に習得することを目指している」のに、「『わざ』の習得が最終到達点ではない」という所にある。

合気道でも、最初の頃、先生や有段者の方々の見本を見ても、さっぱり意味がわからなかった。一生懸命まねて、学んで、わざを習うのだが、身体が全然思うように動かず、何度もなんども注意された。「力みすぎ」「肩の力が入りすぎ」「間合いをみて」など、注意されている事は日本語ではわかっているのだが、それをどう理解し、実際の行動につなげてよいか、までわからなかった。だから、何度も何度も練習し、同じ事を注意されながら、少しずつ、ほんとうに少しずつ、出来る身体に変容させていった。

そして、有段者の試験を受ける前あたりから、先輩に言われ続けた事がある。「有段者になるということは、型を自分のものにすることですよ」と。それを、西平さんは「似せぬ」(=脱学習)と呼ぶ。それはいったいどういうことか?

「稽古の思想は『わざ』に囚われることを危惧する。『型』に縛られる危険を語り、『守破離』という仕方で、『離れる』ことを、稽古プロセスの中に最初から組み込んでおくのである。」(p51)

黒帯を取る、ということは、免許皆伝、という訳ではない。どういう技も一応は出来る、というレベルの、ある種の「次の入り口」に立つ。だが、それが「到達点」ではない、というのは、初段を取って本当にそう思った。その次の世界として、『わざ』への「囚われ」から自由になる、という意味での『離れる』が、本当に難しいけど、必要不可欠なプロセスとして待ち構えている。そういう「入り口」なのだ。

なぜその「わざ」はそうなのか。こういう「型」はどういう流れでこうなっているのか。自分がその「わざ」をすることに必死になって、流れや自分自身の軸を見失っていないか。「わざ」への「囚われ」を離れて、無理のない自然な動きをするなかで、全体像を取り戻すプロセスが、次の入り口になる。

「それまでは、『図』だけが浮き上がり、『地』は背後に沈んでいたのだが、今や、あらためて、『地』が姿を顕す。ということは、『場の全体』が姿を顕わし、『場の全体』が見えてくる」(p132)

型を覚えている段階は、この「図」を必死になって見て、この図をまねて、この図に近づこうとする段階である。だが、ある程度「わざ」の基本を真似ることが可能になった段階で、今度は「図」を浮かび上がらせてきた「地」に着目し直すことになる。それは、図=型をパフォーマンスする自分の身体であり、この道場で、この先生から、この型を学んでいる僕自身という「場の全体」である。眼の前の型しか見えていなかった時から、相手の動きや、相手と自分の調和・不調和や、道場全体の流れや、そういう色々なものが、俯瞰的に見えてくる。これが「『地』が姿を顕す」という段階である。

僕は今、稽古の場所を甲府から姫路に移し、しばらくの間、移行期混乱にいた。子育てが忙しいこともあり、なかなか新しい道場に稽古にいけていなかった。でも、それは、9年間なじんだ甲府の道場という場から離れ、新しい姫路の道場での「場の全体」になじむまでの、移行期混乱、ともいえる。単に「型」をするのではなく、どのような「地」を意識して、型を滑らかにしてけるのか、という問いだったのかも、しれない。

そして、世阿弥を援用しながら、西平さんは「二重の見」をこんな風に説く。

「ひとつの図柄に縛られない。しかし『地』に巻き込まれ、『地』の中に埋もれてしまうのでもない。そうではなくて、場の全体の流れの中で『自分』を保っている。場の全体から切り離された自分ではなくて、場の全体の流れの中でそのつど変わりゆく自分、あるいは、そのつど新しく変わってゆく自分を体験している」(p133)

合気道ではまだこの境地にはいけていないが、講義では、もしかしたら今、ここに差し掛かっているのかも、しれない。主題のテーマ(=図)と、それを語る自分という「地」を重ね合わせながら、「場の全体の流れの中で『自分』を保っている」。すると、山梨学院大学でやっていた内容を、兵庫県立大学で全く同じ事を再生するのではなく、さりとて全然別メニューにするのではなく、「場の全体の流れの中でそのつど変わりゆく自分」がいる。

西平さんは守破離の破を「型に縛られない、型を使わない」段階、離を「型を使うことも、使わないこともできる」と書いていたが、合気道ではまだ破の段階だが、講義では「型を使うことも、使わないこともできる」段階へと、少しずつ移行しつつあるのかもしれない。そんなことも思い浮かぶ。

そして、10年前を思い出したのだが、合気道を始めたのは、研究者として10年目、教員になって4年目だった。ある程度、研究者や教員としての型を覚え、「研究者や教員というエクリチュール」や「型」に埋没することに、漠然とした不安を感じ始めた頃だった。誰も僕のことを先生と呼ばず、色々な人に一から教わり、出来なさや無力さを感じ続けるなかで、僕自身が仕事で型にうぬぼれつつあったことを相対化したり、補正していたのかもしれない、と後付け的に思う。そして、合気道の「道」について、西平さんはこんな風にも書く。

「『タオ(道)』の思想に倣えば、『道』とは宇宙全体のエネルギーであり、そのエネルギーが顕れ出ることである。とすれば『書道』とは、『書』という営みにおいて『タオ(道)』が顕れ出る出来事、書における『道の顕現』となる。」(p136)

僕はまだ「『合気』という営みにおいて『タオ(道)』が顕れ出る出来事」にまで、出会えていない。でも、彼が言わんとすることは、なんとなくわかる。型を学び、型から離れ、型を使うことも、使わないこともできる段階へとプロセスを経ていくなかで、『道の顕現』を目指していく。それは、他者の中に、とか、外形的に獲得する所有物なのではない。自分のなかでの変容であり、それによって、「場の全体の流れの中でそのつど変わりゆく自分、あるいは、そのつど新しく変わってゆく自分を体験している」状態なのだろうと思う。

それが、どういう心境なのか。まだよくわからないけど、僕の稽古の日々は、それを求めて続いていく。

「思い通り」を手放せるか(caring withその3)

朝、出かける直前に、妻が叫んでいた。声の方向に飛んでいくと、娘がカーペットに大をお漏らししていた。妻の叫び声にびっくりして泣いている娘を抱えて、シャワーで娘の身体を洗う。その後、あたふた準備をして出かけるも、パソコンを忘れて一度家に帰り、なんとか次のバスでギリギリ1限の授業に間に合うも、別のものを忘れてきたことに職場で気づき、唖然とする。子供が産まれる前、こんなことは無かったのに・・・。

子どもが産まれてから、思いも寄らぬポカミスや間違い、失敗、出来ないことがやたらめったら増えた。子どもにもらって風邪もしょっちゅう引くし、携帯電話を人生で初めて落としたのは、子どもが産まれた年の秋に出かけた新潟講演の帰りの新幹線の中。自分でそれまで自己管理が割と出来ている方だと思っていたが、メールの返信も滞りがちになり、こなせる仕事量も減り、家事育児に忙殺されるうちに、目一杯の日々である。オッサンになって、確かに体力は落ちているのだが、その一方、やんちゃな娘さんは、どんどん体力がついていく。

真実は細部に宿る。この問題は、個人のワークライフバランスの問題に留まらない、と僕は考える。自分一人で自己完結できる・すべきだ、という今の社会で称揚される働き方、生き方では、子どもと共にある生活(=つまり、caring withの生き方)は達成できないのだと思う。それは一体どういうことか。それは、これまでの僕の生き方・考え方が「思い通りになる」という発想に基づいていたからだ、という補助線を引いてみると、わかりやすい。

「思い通りになる」。これは、一昔前にホリエモンが言っていた「想定内」と同じである。徹底的に考えて、自己管理して、リスクヘッジをして、想定の範囲を広げていき、トラブルシューティングして問題があっても、すぐにカバーできるようになる。そういう生き方や考え方が、称揚されてきた。本屋のビジネス書や自己啓発本のコーナーに行けば、そんな本で溢れている。僕も教員になった一四年前に、そういう本を読みあさって、「生産性向上」を目指した時期もある。そのおかげで、それなりに「こなせる」幅も増えた。なので、そういう本の説くことも、決して無駄では無い、とは知っている。

でも、子どもという存在は、決して「想定内」「思い通り」にはならない!!!!!!!!!

親の僕たちが急いでいる時に限って、子どもは食事をひっくり返し、ぐずり、服を汚し、「おかあちゃん、抱っこ」とずーっと泣き叫ぶ。こちらが順序立てて考えていた、これからの予定ややり方を全て吹っ飛ばす。でも、「黙っていなさい」「しっかりしなさい」「泣くのをやめなさい」と言ったところで、本人が一番困惑しているので、その注意には意味がない。こちらが出来ることは、目の前の状況を何とかカバーしながら、子どもをなだめながら、その上で出来ることはし、諦めたり取りやめたり延期にしたりする。郵便局やホームセンターに行く用事は無理なので、とりあえず晩ご飯のおかずだけ買って、おしまいにしよう、とか、子どもがぐずらないうちに最低限のことだけして帰ろうとか、目の前の子どもが受容可能な範囲内にこちらの予定・都合を縮減し、対応する。子どもとともに生きる(caring with)を実現しようと思えば、まずは子どもの論理を知り、子どもの都合と折り合いのつく範囲内に縮減する・諦める、というプロセスが必要になる。

「想定内」「思い通り」という時、都合や折り合いを付ける相手とは、自分自身であった。だからこそ、自分自身の効率性を高めたり、可動範囲を広め、作動能力を高めることで、諦めなくても、縮減しなくても、「できる」範囲が増えていく。そして、その成果としての「業績」が評価され、それに対する対価が払われ、そのような「できる」ことの多い人が評価称揚される社会が形成されていく。だが、子どもの登場により、この「できる」という「想定内」は、文字通りなぎ倒されていく。できるはずのことが、全然、できない・させてもらえない、のだ。

しかし、この「できるはずのことが、全然、できない・させてもらえない」というのは、僕は子どもと共に生きるまで、あまり経験したことの無いことだった。逆に言えば、残念ながら性別役割分業が未だに働き方のデフォルトで、男性中心主義の働き方が「当たり前」のまま残っている日本社会において、家事や育児を誰かに押しつけることが可能だからこそ、「想定内」の「思い通り」という「できる」幅が増えていくのである。裏を返せば、ケアする家族がいる場合には、誰かに「できるはずのことが、全然、できない・させてもらえない」という役割を押しつけることによって、「想定内」や「思い通り」が可能になるのである。それを指して、フェミニズムは「不払い労働」と言い、「家事労働にも賃金を」と主張してきた。

ただ、賃金をもらっても、「思い通りにならない」ことには、変わりない。子どもは、僕の思い通りにはならない。自分以外の他者は、そもそも思い通りに出来ない。いや、自分自身だって、思い通りに出来る部分は、本来は限定的である。にもかかわらず、僕の脳みそは「思い通りに出来る」「想定内」思考で渦巻いていた。だからこそ、思い通りにならないときは、いらだち、他人のせいにしようとしていた。でも、トイレ作法を現在学ぶ途中の娘さんに、ここでもらすおまえが悪い、と責任転嫁しても、何も始まらない。妻も、初めてのカーペットでのおもらしに動転するのも、よくわかる。誰のせいにもできない。うーん・・・。そう極まった時に、僕はいかにこれまで他人のせいにして、「想定内」「思い通り」を求めて生きてきたのか、と気づかされる。そして、実はこの「想定内」の世界で生きることとは、他者との本来的な関わりのない世界であり、固定的で、ある種死んだような世界観なのである。そう、「思い通り」を追い求める世界観とは、実は他者との本来的な関わりのない、モノローグ的な「独り相撲」の世界観なのである。

ケアを誰かに押しつけることなく、一人で抱え込むこともなく、ケアする・される、の非対称的関係性を超えて、共にある世界がcaring withとするならば、その世界観とは、「想定内」の「思い通り」の世界観を放棄し、その外に出ることである。そうやって、自分だけのモノローグ的自己完結の世界の外に出るからこそ、他者の他者性と出会えるダイアローグが始まる。思い通りにならない娘さんを前にして、大変面倒くさいけど、にもかかわらずかわいいと思え、その娘のために、他のことの優先順位を後回しにして、とにかく第一義的に関わる。それで、仕事の取りこぼしがあっても、娘や妻との「いま・ここ」の時間を、そのものとして味わえたら、これ以上に無い喜びなのである。それは、まさに「生の充溢」とも言える瞬間である。そういう唯一無二の何かを、「思い通りにならない」「想定外」だからと切り捨てるのは、なんと無機質で、面白くなく、モノトーンな世界観なのだろう、と思う。

「俺は仕事で忙しいから」「子育ては妻の仕事だから」と、妻に押しつける夫は、妻にケア役割を押しつけることにより、「想定内」の「思い通り」の世界に留まる。そして、押しつけられた側は、「想定外」の世界に放り込まれる。でも、不承不承かもしれないけれど、想定外の世界に飛び込むことで、結果的に、それまでの「想定内」の世界が、自己完結的なモノローグの世界だった、と気づけるのである。世間の能力主義的評価や、金銭的対価も、残念ながらその評価軸に合わせることを求める、という意味で、自己完結的世界観である。その外にでると、これまでの評価軸を捨てなければならないが、でも、その外側に、豊饒なcaring withの「生の充溢」的世界が拡がっている。これを、そのものとして、味わうことが出来るかどうか。それは、これまでの価値前提をひっくり返すことができるかどうか、にかかっている。(たぶん、つづく)

優先順位を入れ替える(caring withその2)

オランダの子育ての本を2冊読んだ。ワークライフバランスの違いについて学ぼうと思ったのだが、読んでいて、生き方や価値前提の違いなのだ、と思い始めている。

『世界一幸せな子どもに親がしていること』

『オランダ流ワーク・ライフ・バランス「人生のラッシュアワー」を生き抜く人々の技法』

①はオランダに移住した、アメリカ人とイギリス人のママが書いた本。②は日本人のママ研究者が、オランダでのフィールドワークやオランダ人へのインタビューをする中でまとめた本。②を読んでいて、もっとオランダの子育てのことを知りたいな、と思っていたら①に出会った。どちらとも、すごく良い本だった。

オランダは、同一賃金同一労働が徹底している。また週あたりの労働時間が短く、週4日勤務の人が男性も多い、というのはネットでも読んでいた。それらがなにを意味するのか、は2冊の本を読んで、よくわかった。夫も妻も、生産性至上主義に、それほど染まっていないのである。

②の本に出てくるママのインタビューで興味深いフレーズがあった。「ここはスウェーデンではないのだから」(大意)。スウェーデンでは、子どもは1歳になったら保育所に預けることが権利として認められ、国も義務として必ず受け容れなければならない。だが、オランダのママは、1歳で週5日も保育所に「入れたくない」という。小さいうちは大変だから、週3日の保育園でも十分頑張っている。後の二日は、パパかママのどちらかがみればよい。そのため、夫も週4日勤務にして、土日以外のあと1日を「パパの日」として子どもと一緒にいる、という。ただ、銀行員とか医者とか、現地のエリートは、週4日労働の代わりに、働く日は9時間とか10時間働いている人もいる。一方女性は、子どもが小さい間は週3日勤務の人が割と多い、そんなことが②に書かれていた。

一方、①の本から学んだのは、イギリス人やアメリカ人との価値観の違いだった。著者二人はイギリスやアメリカの弱肉競争的価値観の中で育ち、ある程度勝ち抜いてきた。だから、子育てや教育においても、「完璧なママでなければ」とか、「子どもに最善の教育をしたい」という完璧願望を持っていた。でもそれって他者と比較し、勝ち負けを競うやり方であり、何より母親自身を「比較の牢獄」の中に追い込む発想。そういう比較の牢獄から自由になったオランダの子どもは、こういう風に育つと著者達は言う。(p4-5)

・オランダの赤ちゃんはよく眠る
・オランダのこどもは小学校での宿題がほとんどない
・オランダの子どもは自分たちの話をきちんと聞いてもらえる
・オランダの子どもは保護者と一緒でなくても外でのびのびと遊べる
・オランダの子どもは家族と一緒に定期的に食事をとっている
・オランダの子どもは両親と過ごす時間がたくさんある
・オランダのこどもはお古のおもちゃでも大喜びする。小さな幸せを感じるうことができる。

ここに書かれているのは、親子の関わり方の違いであり、そういう違いを生み出すのは、親の価値観の違いである。このオランダの実践の逆を書いたら、こんな風になる。

仕事での成果を第一義に考えすぎると、子どもと一緒にいる時間が減るし、話はゆっくり聞けないし、ご飯も別々の時間になる。その中で、稼ぎはあっても時間がないから、次々と新しいおもちゃを買い併せて埋め合わせたり、スマホやゲーム、テレビを育児マシーンとする。また、子どもも弱肉強食的な価値観で勝ち抜くために、宿題をさせ、よりよい学校に入れようと必死になる。子育ては楽しくない。

これは、イギリスやアメリカ、だけでなく、日本だって同じような構造だと思う。

一方、オランダに限らず、日本でも「仕事の成果を第一義に考えすぎる」という命題を外すことができれば、かなり色々変わりそうだ、ということもわかっている。でも、日本ではなかなか難しい。それは、同一賃金同一労働が徹底されていないからであり、非正規労働者の権利が保障されいないからであり、職場の働き方改革がなされていないからである、という理由は沢山思いつく。確かに、それらも勿論大きな要因だと思う。でも、その一方で、僕たちの「労働」への認識とか、価値前提の有り様にも、大きな比重があるように思う。

僕は、子どもが産まれるまでは、強迫観念的に、というか、仕事依存症的に、働いていたと思う。博論の公聴会で、論文や学会発表の数の少なさを批判されて以来、”publish or perish”を自分の中で言い聞かせてきた。「書かないなら、立ち去れ」という恐ろしい警句は、アメリカのアカデミズムの世界で言われている業績競争の常套文句である。2005年に大学教員になれた後、必死に勉強し、あちこちに調査に出かけ、書きまくってきた。あれから14年で単著3冊に編著も数冊、論文やその他の文章も沢山、書いてきた。講演も研修も、しまくっていた。前任校では、全国的に有名な政治学者の次に、外での仕事が多かったと思う。そうやって、あちこちから呼んでもらえることを、密かに誇りに思っていた。

でも、そんな働き方をするから、子どもができなかった。長い間不妊治療を続けていたが、今なら夫の多忙すぎる生活や仕事のストレスが不妊の大きな要因であったとわかる。そして、子どもが産まれてみると、ちゃんと子どもと向き合おうとするなら、こんな仕事詰めではとても無理である事もわかった。

だから、仕事を大幅に減らした。外の仕事は、かなり断った。出張は原則日帰り、長くても1泊2日まで。懇親会はほとんどいかなくなった。仕事が終わるとあっという間に家に帰るようになった。「18時までに家に帰って子どもを風呂に入れ、夕飯を作る」という黄金律を守るためなら、タクシーや新幹線も、躊躇なく使うようになった。土日の休みは、何とか確保しようと思うようになった。平日の朝か夕方に、子どもと近所の公園に散歩に行く日も、なるべくつくり出そうとしている・・・

実につまらない卑小なことを書いていると思われるかもしれない。でも、僕にとって、こういう「仕事における、しないこと」を増やすことは、それまでの価値前提を覆すことであり、身を切るような価値転換だったのだ。それまでは、断ることがへたくそで、何でも引き受けていた。自分が必要とされているなら、役に立てるなら、仕事を通じて学べるなら、と、断らなかった。でも、そういう働き方は、24時間の見守りや関わり(=ケア)を必要とする子どもの前では、全く通用しないやりかただった。

親しく議論させて頂いている深尾葉子先生は、そのことに関連して、「プライオリティ異常」という視点を教えてくださった。優先順位を間違えることで、歪みや偏りが生じる。真っ当な暮らしを続けたければ、優先順位に着目し、その異常な優先順位をただすことが大切だ、と。

子どもが産まれてからの2年半でしてきたことといえば、僕の中の仕事至上主義という価値前提を、何とか優先順位から引きずりおろすことだった。そして、それは全く容易なことではなかった。そして、この価値前提を見直す中で、生産性至上主義という、僕が信念体系の一部として空気のように受け容れていたものが、ぐらぐらと揺らぎ始めた。(たぶん、つづく)