己の唯一無二性を自覚する

やっと授業がおわったので、今年の初投稿。

こないだツイッタで、非常に印象深い図に出会った。「大学でインポスター症候群(周りの評価よりも自分のことを過小評価すること)をなんとかしようみたいなオンラインレクチャーがあったときに提示された図」と書かれた図が、本当にぼくのニーズにぴったり合った図だった。

ぼくは先月くらいまで、ずーっと「知識が足りない、足りない。。。」と思い続けてきた。博識ですね、とか、大量の本を読んでおられますね、と言われることも最近増えてきたが、ぜんぜん本人の自己意識とは違って、「まだまだ学びが全然足りない」と思い込んできた。

それには理由がある。ぼくが専門性がない、と思い込んできたからだ。

実際、大学の研究者の大半が、ご自身の専門をしっかりと定め、それを深掘りしておられる。一方、ぼくは、興味の向くままに、あれこれとつまみ食いしている。ここしばらく、原稿依頼されたのは、「レジリエンス」「ボランティア」「コロナと精神医療」・・・と、テーマはバラバラである。今、校正している紀要原稿は「アクターネットワークと義父の死」だし、連載中の原稿タイトルは「ケアと男性」。大学院の授業では「子どもの貧困」についての本を読みあさってきたし、ファシリテーションやオープンダイアローグの本を読んでいたか、と思うと、新自由主義批判の本とか若者支援の本を研究会で読み続けている。最近集中的に読み進めている吉福伸逸さんのことが、『ファシリテーションとは何か』の中野論文で描かれていて、一人でにんまりしていた。本当に雑多でまとまりがなく、深みがない。ハチャメチャである。だからこそ、いつまでも専門がないのだ、と落ち込んでいた。

でもそれって、各分野の専門家の深みのある知識と比較して、「ぼくは全然知らない」という、「ないものねだり」の発想だった。ただ、今頃になって気づいたのだが、ぼくの守備範囲はどうやら結構広いらしい、ということ。確かに福祉領域の研究者で、権利擁護も精神医療も地域包括ケアもオープンダイアローグもカバーしていて、魂の脱植民地化とか能力主義を問い直す視座に基づき、それなりに原稿を書いたり、講演や研修をしたりしている人材は、あんまりいないんじゃないかな、と改めて気づく。つまり、他の人が色々深めている複数の領域を興味向くままにあれこれ囓りながら、それを自分なりに統合しているのが、ぼく自身の「知っていること」なのだ、とやっと気づかされた。

だからこそ、他者比較の牢獄に陥る必要は全く無いし、他者と比較するだけ無駄である、と改めて気づかされた。

ちなみに、imposterとは詐欺師の、という意味である。ぼく自身、自分は専門を深めていないのに大学でずっと働いている、という意味で、詐欺師とまではいかないが、ずっと自分が「うさんくさい」と思っていた。そして、imposter syndromeって結構有名な概念のようで、こんな整理もあった。正直知らなかった。

これを読みながら改めて思ったのだが、「他人から評価されているにも関わらず、自分が偽物であるという感情を抱いている」というのは、ぼく自身の心象風景そのものである。それは、ぼくが一つのことに没頭できず、あれこれとつまみ食いして渡り歩いてきたし、だからこそ未だに専門はこれだ、と言えないし、それが中途半端の極みだと思ってきたから、である。

でも、よく考えてみたら、ぼくは他者より広い守備範囲を持っていて、それをつなぎ合わせて言語化することが、己の唯一無二性なのかも知れない、とやっと腑に落ち始めた。というか、それぞれの領域をグッと深めるなら、他の領域の学びを削るしかない。でも、ぼくはあれもこれもどれもそれも、気になることは知りたいし、囓りたいし、自分の経験に引きつけて考えたい。ならば、専門を一つに定めず、あれやこれやを行ったり来たりしながら、それを面白がって、関連付けて、自分なりに言語化して、深めていく。一つの学会や専門家集団に貢献することはあんまりできないだろう。でも、そういう雑多な知をハイブリッド的に結びつけていくことで、現場のわけのわからん問題に対応する対応力は増しているし、それなりに社会貢献も出来ている様な気がする。

実際、ぼくの所に「ご相談があります」と持ち込まれる案件って、どれも「非定型」案件ばかりである。普通の専門家のところには持ち込まれない、色々な要素が絡み合った課題が、なぜかぼくの所に持ち込まれる。こちらはそもそもどうしていいのかわからないので、相手に困っていることを話してもらい、こちらからおたずねをしながら、絡み合った糸をご一緒にほぐしていく。するとある時点で「やっぱり、そうなのですね」と言われることがある。つまり、相手が意識していなかった、でも言われてみたらその通りで納得出来る、そういう要素を探り当てていくプロセスである。それは、断片化された情報をつなぎ合わせて、相手が自分が納得出来る形で体系化する支援、というのだろうか。実際、ぼく自身がやっていることを、相手にもやってもらう、という感じなのだが、案外それは具体的な問題を解決したり、前に進める上で、役立っている。

王道の研究者は、それぞれの専門を深掘りして、極めてくれたらいい。でも、ぼくは飽きっぽいし、一つの深掘りは向いていない。であれば、あちこちの鉱脈をランダムに掘り進めながら、その根底でつながる部分を自分なりに横穴を掘ってつなげて、それを言語化していく仕事が出来たらそれでいいし、それしかぼくのオリジナリティはない。そして、それは時には他者にも役立つアプローチとなり得る。そう思い始めている。

40代後半まで気づけなかったのも、愚かと言えばその通り。でも、ここで腹をくくって、ぼくの実存に引きつけながら、面白さをどんどん横串していったら、それはそれでオモロイ未来になるのではないか、と夢想している。

それが、己の唯一無二性の自覚になれば、いいのだが。

2021年の三題噺

毎年恒例の、自分自身の一年を振りかえるブログ。今年も三題噺を書いて、店じまいとしたい。

1,暗中模索の日々

コロナ危機はこの一年でも収束せず、大学の授業もオンラインと対面を行ったり来たり。教養の大人数授業はオンラインで、それ以外の授業は対面で、とか色々やっていたが、講演はオンラインやハイブリッドがまだ多い。正直、打ち合わせや会議はオンラインで充分で、講演もウェビナーで結構代替できるので、移動するとはどういうことか、を改めて選び取るのがきっと来年以後になるのだと思う。

そんな中で、今年は暗中模索だった。

コロナ、にではない。自分自身のあり方に関して、である。今までのやり方を手放して、「いま・ここ」での試行錯誤を色々してきた。例えば原稿書き。今までは、自分の中である程度使い方を知っている内容で、原稿を書くことが多かった。でも、今年はサクサク書くというよりは、敢えて違うルートを辿る、というか、書き慣れていないテーマやアプローチを試しながら、何本か論考を書いた(どれも来年の春あたりに出る予定)。

あるいは授業やゼミ。大学教員になって16年目だけれど、今までのパターンとは違うやり方を試行錯誤している。例えば授業は、完全反転授業に切り替えていった。教科書や課題は事前課題としてやってきてもらい、授業時間中は、その内容に関する学生同士の議論を20分ほどしてもらい、そこから学生たちの声を拾い、その声に基づく授業をすることに切り替えっていった。そして、教科書や事前につくったレジュメも手放して、学生たちの「いま・ここ」の話題について行ってみることにした。すると、想定外の色々な声が出てきて、それらをまとめようとせず、色々その声に基づいた対話をして、黒板に学生たちの声を書き続けていると,自然とそのうちにまとまってくる、ということも、実感として感じるようになった。竹端が一方的にまとめるより、勝手にまとまっていくほうが、学生たちにとっても納得出来る内容になる、ということも、わかってきた。今まで、無駄な力が入りすぎていたのかもしれない。

それはゼミでも同じだ。今年は本当にフローというか、うまくゼミ内の議論や発表が流れるようにだけ意識をして、後は学生たちの力を信じて、任せていった。すると、4年生は各自のテーマで自分でアポを取ってどんどんZoomインタビューをしながら卒論をまとめてくれるし、3年生は自分たちで「3年ゼミプロジェクト」を企画して、それを面白く展開してくれた。授業にしてもゼミにしても、学生たちの潜在的な可能性を信じて、そのポテンシャルがうまく発揮できるような水路を作るお手伝いさえこちらが出来れば、あとは勝手に彼女ら彼らが進めていく。困ったときには最低限のアドバイスをするけど、それ以外は信じて見守れば良い。暗中模索の中で気づいたのは、もっと己を開け、という啓示でもあった。

己を開く、と言えば、開かれた対話性における「余白」を意識したのが、今年後半でもあった。余白があると、色々な出会いが流れ込んでくる。それを吟味して取捨選択する、よりも、面白そうならば、とりあえず対話的にその余白を大切にし、そこから生まれる流れも尊重してみる。すると、何だか良くわからない渦が生まれはじめ、それが自分にとっても大切な意味を持ち始める。そんな出会いが今年はいくつもあった。これも、暗中模索の試行錯誤ゆえに出会いであり、結果的にぼく自身が以前のやり方やパターンを脱皮しようとしているのかも、しれない。

2,直観に乗っかってみる

実は去年の大晦日のブログと似たエントリーになっているのだが、以前のパターンの脱皮とは、論理的整合性や客観性を優先させる世界から、「いま・ここ」で浮かび上がったこと=直観にのっかってみることであり、それを精査せずにとりあえずその流れに身を委ねてみることである。

それがこれまで出来ていなかったのは、直観を出しては叩かれ、ということを繰り返していたからだった。ちょうどこのエントリーの内容を考えていた時に、ふと思い出した「墓場ネタ」を、そろそろ時効だし、わざわざ「いま・ここ」で思い出したのだから、成仏させるためにも言語化しておきたい。

10年近く前のことである。お世話になっていたとある大御所から、セミナーでのコメンテーターを求められた。こちらは基調講演の方の本を読み込んで、それから関連する文献も読み進めた上で、そのセミナーに参加し、基調講演の話も踏まえた上で、20分程度のコメントを行った。その日のセミナーの「いま・ここ」の流れも掴むことが出来たので、我ながら割とコメントは上首尾だったと思うし、それはその場に参加されている方々の反応をみても明らかだった。こちらは、声をかけてくださった大御所に何とか面目がつく話が出来たのではないか、と、ホッと一息ついた。

その矢先、である。当の大御所の最終コメントで、直前に話した私のコメントを全否定された。「今の話、もっともらしいけど、信じちゃだめだよ。すごく荒い議論だし、○○の論点が抜けているし・・・」。正直、その話を聞きながら、気が滅入った。そんなの懇親会の席でこそっとお叱り頂いたらいいのに、よりにもよって大勢の前でつるし上げなくてもよいではないか!と。ご期待に添えなかったのなら申し訳ないけど、呼ばれて行ったのにその仕打ちはないじゃないか、と。懇親会の席で、周りの若手から「結構キツかったっすね」と言われて、こっちも混乱してヘトヘトになって帰宅した記憶がある。

で、今頃やっと気づいたのは、実はその大御所の想定を超えるコメントをしたが故に潰された、ということだった。つまり、その大御所に花を添えるには、もう少し凡庸なコメントをした上で、最後に大御所を褒めるようなスピーチを「すべき」だったのに、僕は自分のあらん限りの力を出して、大御所以外の人に着目させるような発表をしてしまったのだ。直観に基づいて、空気を読まずに発表すると、相手の逆鱗に触れる。それならその直観は、使わずにしまい込んでおいた方が良い。そういう「悪い学習」をしてしまったばっかりに、直観はなるべく蓋をして、出さないようにしていた。

でも、4年ほど前にダイアローグをみっちり学んで以来、「いま・ここ」での対話を大切にするようになった。すると、事前に用意した・仕込んだことではなく、「いま・ここ」で浮かぶことに乗っかる方が、対話としては絶対上手くいく、ということが改めてわかった。それは、原稿であれ、講義やゼミや研修であれ、あるいは家族や色々な人との対話であれ、同じである。そして、その時に、「いま・ここ」で考える前に浮かんだりイメージできる直観をまずは言語化してみて、それを後から論理づけていった方がうまくいく。実際、僕が大御所にディスられた時も、的外れだったからではなく、「あまりにもビンゴな話をしてしまった」こそ、潰されたのである。しかもその大御所は、こないだも若手をコテンパンにする書評を書いておられたので、はっきりわかった。僕が悪いんじゃない。もうそろそろ、ネガティブな記憶を書き換えても良い頃だ。

そして、大人になってから「生意気だ」という理由で、何度もハラスメントを受け、そういうハラスメントを受けないためには、直観に蓋をして、世間に迎合的になり、世間の幅や枠内に合わせた方が身のためだ、と思い込んできた。でも、それはある種のトラウマである。確かに20代までは、自分の直観に奢り高ぶり、増長になっていたのは事実だ。だからこそ、それは反省した方がよい。でも、だからといって、その直観をしまい込んだり、なかったことにしてしまったら、自分自身のあり様すら、矮小化されてしまう。それは嫌だ。

あと3年で50代を迎えるにあたり、そろそろ迎合的に、矮小化させた魂で生きるのはもう止めよう。「いま・ここ」で浮かぶことに誠実に生きよう。それが、暗中模索な日々の中で確信に変わってきたことであり、対話や授業、あるいは文章を書くことを通じても実感してきたこであり、来年以後、もっと自由に生きるためにも、自分の軸の根幹に置きたいことである。そして、それを気づかせてくれたのは、やはり娘だった。

3,娘という教師

娘は、忖度しない。空気を読まない。でも、そろそろ親の顔色を見始めている。そして、親の言うことを聞いてくれない時、だいたいぼく自身の関わり方のまずさが、反映している。本当に思い通りにならない相手である。

その相手と付き合って、もうじき5年になる。でも、ぼく自身が鍛えられてきたのは、そのような想定内=思い通りのパターンに安住できずに、常に自分のアプローチを振りかえり、これで良かったのか、とリフレクションさせてくれるのは、娘の力だった。そして、自分が変われば、娘との関係性が変わってくることも、何度も何度も経験している。すると、40代後半の今からでも、学び続け、変わり続けることで、娘とよりよい関係が生み出される。そういう事を僕にコーチングしてくれるのが、娘という教師の存在である。

だからこそ、父親の僕は、敢えて今までの慣れ親しんだ「勝ちパターン」を捨てて、暗中模索にこぎ出してみることが出来た。娘が直観を頼りにズンズスン進んでいくのを目の当たりにして、父ちゃんも、倉庫にしまい込んでホコリがかぶっていた直観を再びおずおずと使い始めた。ぼくが娘に教えるのではない。その真逆で、娘という存在と関わる中で、僕が娘から学び続け、変わるきっかけを与えてもらい続けているのである。なんという、有り難いことだ。

子育てとは親の育ち直し、というのは、本当にぼく自身にあてはまる。娘との相互作用を通じて、娘という鏡を通じて、己の強みも弱さも、明らかになる。そして、大声を出したり怒鳴ったり怒ったりするとき、娘が本当に危険な行為をしているから、というのは1割以下で、大半の場合は「親の思うように動いてくれないから」という己のエゴの極悪な姿を見せつけられたとき、それを自分事として受け止めないから、抑圧しようとして怒鳴って、娘のせいにして誤魔化しているのである。

それは、いやだ!

だからこそ、僕は娘からのコーチングを受けながら、娘も抑圧したくないし、自分も抑圧しないように、もっと直観を大切にしながら、自由に生きていきたいと思う。それが、この暗中模索の期間に気づいた最大の発見のような気がする。

【番外編:「言語化の達人」】

で、番外編なのは、こないだやった振り返り会で教わった「beの肩書き」について。それは、自分ではごく自然に出来ているけど、他人から見たら簡単に出来ているではない、ということが、その人の有り様を表している、という意味。

その話を聞いた「いま・ここ」で浮かんだのが、「言語化の達人」だった。とはいっても、美しい文章を繰り出す達人、という訳でない。そうではなくて、対話をしている時に、相手がモヤモヤ言葉を探している時に、「それってこういうことではありませんか?」とおたずねしてみると、「そうそう、それが言いたかったの!」と言われることが、実はしょっちゅうある。というか、僕の所に「ご相談があります」と持ち込まれる案件の大半は、そういう言語化がなされておらず、関係者がどうやったらよいのか、を解きほぐしかねている案件。その時に、僕はずっとお話を聞きながら、わからないことを質問しながら、要点を探り当てた上で、「それって、こういうことではないですか?」とおたずねしてみる。すると、「実はそうなんです」から始まって、相談の表面上の主訴とは違う、本当に解決すべきだけれど向き合いたくないからと置き去りにされてきた課題が浮かび上がってくる。そういう案件は、一度表面化されると、あとはご本人達が勝手に解決していく。

そういうものを探るときも、こっちが既存の枠組みや知識にあてまめるのではなく、じっくり聞いた上で、「いま・ここ」で感じる事を相手に投げかけ、相手の言葉を引き出し、さらにこちらの直観で思うことを伝え、というやりとりを深めるうちに、コツンと井戸の蓋にあたり、そこから、抑圧していた何かが吹き出してくるのである。そういう意味で、「ご本人も抑圧してしまいこんでいたけど、本当はそろそろ探り当てたいと思っているモヤモヤを、一緒に探りながら、言語化して顕在化させるアシスト」が僕には得意なのかも知れない。なんのこっちゃわからない表現かもしれないけど、最近そういう対話を結構楽しんでいたりする。

というわけで、暗中模索と表現出来た時点で、そろそろその時期を脱し始めているようなので、来年はさらにオモロク、じんわり楽しんでいこうと思います。

みなさま、よいお年をお迎えください。

少年院と精神病院の類似性

超繁忙期もやっと終盤で、ブログを書く余裕が出来た。今回は週明けの研究会の課題図書である都島梨紗さんの『非行からの「立ち直り」とは何か』を読む。副題にあるように、少年院でのフィールドワークや非行経験者へのいたビュー調査に基づいた、骨太な質的研究の成果をまとめた一冊である。社会学の古典的名著であるゴッフマンの『アサイラム』を用いながら、「全制的施設(total institution)」である少年院を「退院」するための、少年達と教官の相互行為や、少年が施設のルールをどのように受け入れて・やり過ごして、少年院を「退院」するために戦略を練っていくのか、が綴られていた。

そしてそれを読みながら、精神病院への強制入院と、入院患者の「退院」戦略との構造的同一性が強いと改めて感じていた。それを考えるためにも、ゴッフマンの『アサイラム』で述べられていた「全制的施設(total institution)」の特徴を改めて振り返ってみよう。

・生活の全局面が同一場所で同一権威に従って送られる。
・構成員の日常活動の各局面が同じ扱いを受け、同じ事を一緒にするように要求されている多くの他人の面前で進行する。
・毎日の活動の全局面が整然と計画され、一つの活動はあらかじめ決められた時間に次の活動に移る
・様々の強制される活動は、当該施設の公式目的を果たすように意図的に設計された単一の首尾一貫したプランにまとめ上げられている。
(E・ゴッフマン(1961=1984)『アサイラム−施設被収容者の日常世界』誠信書房、p4)

少年院は、精神病院における医療保護入院や措置入院と同様、自発的にでなく強いられて入る場所であり、自発的に出ることが出来ない。しかも、矯正された、あるいは病状が治った(寛解した)と権力を持つ他者(教官や医師)が判断しない限り、退院は出来ない。そしてこの治療や矯正という目的が掲げられ、その目的を達成するためのプログラム(矯正教育や治療プログラム)が用いられ、入院者はこのプログラムに従わざるを得ない。そのプログラムに従わず、教官や医療者に反発した入院者は、「問題行動」をする人とラベルが貼られ、独房や保護室などで(時には)懲罰的に鎮静化させられる。その際に、教官や医療者、あるいは少年院や病棟組織の抑圧的言動や環境が問題化されることはほとんどなく、「問題行動」を起こした入院者の個人的問題だと解釈される。また、そのことに対して入院者から異議申し立てをするルートがほとんどない(精神病院の場合は精神医療審査会があるが、それで異議申し立てが認められる例は滅多にない)。

つまり、改めて振り返ると、ゴッフマンが60年前に見抜いたこの構造は、現代日本の少年院と精神病院の非自発的入院において、未だに同様の構造が引き継がれ、今日でもそのような運用形態で行われている、ということがはっきりわかる。

その上で、都島さんは少年院と精神病院では異なる局面がある、としている。一つは、少年院は少年と教官における施設内での相互作用だけでなく、家族や非行仲間、職場や学校との関係性という「『帰りたい』と思える外部社会」を念頭において入院者の行動変容が目指されている、という点である。しかも、矯正教育の一環で行われている筋トレや学習も、シャバに帰った後に負けないための筋トレ、とか、ワルの世界でのし上がるための学習、など、入院者が「外部世界」に戻る際の「準備」期間として読み替えられ、「少年院にあえて順応していった」(p111)のである。それを少年院経験者へのインタビューから引き出していて、大変興味深いし、確かにこれは精神病院とは異なる展開である。

そしてもう一つ、病院との違いで筆者が提起しているのが、「学ぶふり」についてである。都島さんはこんな風に述べている。

「被収容者は『サービスを受ける』という受動的な役割ではなく、『学ぶ』という能動的な役割を遂行しなければならなくなる。つまり、少年院において少年たちは『学びのしるし』として『改善・更生』を証明するために、何らかのスキルを得た状態を維持しなければならないのである。言い換えると、少年院とは、全制的施設の特徴を持ちつつも、施設が用意する枠組みに対し少年がより能動的に参入しなければならない状況下にあるといえる。」(p95-96)

実はこの指摘を読みながら、「これは精神病院でも同じではないか?」という疑問が浮かんだ。強制入院させられた入院患者は、精神症状が消失したり、「問題行動」がなくならないと、退院出来ない。すると、治療というサービスを受ける、という受動的な役割だけでなく、「治る」という能動的な役割も求められている。「治ったしるし」として病状が改善された状態を維持しなければ、退院判断に結びつかないのである。そういう意味では、病棟が用意する枠組みに対し入院患者がより能動的に参入し、「治ったふり」を選択する可能性が充分にあり得るのである。

そういう意味でも、少年院の構造を読み解くことは、精神病院への強制入院を考える上でも、実に示唆深い、ということが、この本を読みながら改めて感じたことだ。

この本での学びは色々あったのだが、もう一点ご紹介すると、「立ち直り資源としての非行仲間」という視点が非常に興味深かった。

「非行仲間は必ずしも病理の関係性というわけではない。非行仲間との接触による帰結は、必ずしも逸脱者への道一本に閉ざされているわけではないのである。非行仲間という一見不健全な関係性は、実際は健全に機能している場面がある」(p208)

「非行少年の『立ち直り』援助者は専門家や必ずしも『正常な』価値規範を有する社会成員に限らないといえる」(p211)

非行仲間、というと、「『正常な』価値規範を有する社会成員」からすれば、ろくでもない人であり、再び犯罪や非行に手を染める影響力を持つ、逸脱者への誘因になる存在、と思われやすい。でも、非行少年にとっては、お互いの価値観を共有している仲間であり、偏見の目でラベリングされずに対等に付き合える大切なリソースなのである。そういう仲間が待っていると思うから、少年院の退院に向けて頑張れるし、シャバに戻っても仲間と一緒にいるからこそ、立ち直りにむけて動き出すのである。

実はこれも、精神疾患からの「立ち直り資源」という文脈との共通性を感じる部分である。

対話に基づく精神医療実践であるオープンダイアローグでは、立ち直り資源にその人の持つネットワークを活用している(基礎知識としては、斎藤環さんのインタビューなどを参照)。入院患者やその家族、仲間といった一人一人の人がその人独自のリソース(様々な役割や智慧、経験)を持っていて、急性症状の人でも、自分が安心して頼ることが出来る人とのネットワークを強化し、その仲間のリソースを活用させてもらうことで、急性状態から回復していくことが出来ると考える。そして、急性期の人やその家族、仲間と毎日のようにミーティングをし、どうすれば苦境を脱することができるか、を共に話し合う。

つまり、少年院に入ることや、精神症状が急性期になること、という苦境状況から抜け出すためには、本人一人の努力では超えがたく、また支援者や教官のサポートだけでも部分的である。そこで、本人が仲間だと感じる人の持つ力に頼り、そういった仲間との関係性を豊かにすることにより、その苦境から脱出することが可能なのである。「立ち直り資源」という視点で考えると、そういう共通性が見えてきた。

また、この本はインタビュー調査に基づくモノグラフとしても、非常に手堅い作品で、模範的な整理をしている。ゼミ生などに、特定の章を読んでもらうことで、質的研究としてデータをまとめるとはどのようなことか、を学ぶ上でも実に参考になりそうな一冊である。

この本を読んで、久しぶりに改めて『アサイラム』を読み直したくもなった。

「チーム天畠」のひみつ

天畠大輔さんから新著『<弱さ>を<強み>に』(岩波新書)をご恵贈頂く。めっちゃ面白い。副題にあるように「突然複数の障がいをもった僕ができること」が、本人のライフヒストリーに沿って浮かび上がってくる。

中学時代に入院先の治療ミスで重篤な障害が残り、言葉で表現することも出来ず、「植物状態で、知能は幼児レベルまで低下している」(p8)と医師に宣告され、文字通り暗闇に取り残されていた時、母親が「会社員時代に使用していた、テレックスタイプライターを思い出し、母音と子音の50音を組み合わせるやり方で、意思疎通をとることを思いついた」(p13)おかげで、「あかさたな話法」として彼は外界とのコミュニケーションを取り戻す。それによって、特別支援学校から浪人の上で大学に進み、大学院で自らの意思決定の困難性について研究し、博士論文を書き上げ、そのプロセスを本書にしていった。

それは、意思決定支援が必要不可欠な天畠さんのライフヒストリーであり、かつ意思決定支援とは何か、に関する世間の「常識」をも問い直す、という意味で、メタ的な内容まで凝縮されている、でも読みやすくてあっと言う間に読めてしまう、不思議な一冊である。

彼は、大学や大学院で、支援者に介助されながら論文を書き始めた時、深刻なジレンマに陥った。

「大学院で博論を書いていたころ、論文執筆支援の中心メンバーだった介助者Aさんから、『一文字一文字自分の言葉で書くべきだ』と要求されました。
僕は一語伝えるにも人の何百倍もの時間を要し、さらに自分の目で見て文章を確認することもできません。なので、長い時間をともに過ごし、共有知識を豊富に持つ介助者に僕の短い言葉を解釈してもらうことで、その障がいを補っています。試行錯誤のうえ、自分に残された『考える』という能力を最大限に活かすものとして、行き着いた手法でした。」(p129)

実際に動画などで天畠さんのコミュニケーションの方法論を見ていると、何文字かを彼から読み取った介助者が、「○○ということですか?」と確認する。その上で、天畠さんがその解釈に同意すると、その先読みした内容について相手に介助者が伝える。つまり、「人の何百倍もの時間を要し」てでも『一文字一文字自分の言葉で書く』ことはせず、「共有知識を豊富に持つ介助者に僕の短い言葉を解釈してもらうこと」=先読みをしてもらうことで、その時間を短縮しようとしている。それは「自分に残された『考える』という能力を最大限に活かすものとして、行き着いた手法」だった。だが、それは従来の障害者支援の文脈で言われている「合理的配慮」の考え方からも逸脱していた為、ジレンマに陥った、と彼はいう。

「全盲でバリアフリー教育の専門家である星加良司氏によると、教育や就労における合理的配慮は、能力を公正に評価するためになされるもので、『本質的な能力』の評価を歪めるものであってはならないとされています。つまり、合理的配慮が障がい者の本質的な能力を水増しするものであってはならない、という主張です。
この定義に当てはめると、僕が介護者に求める合理的配慮は、その範疇を超えていることになってしまいます。しかし、そうすると僕のようなコミュニケーションに介助者の介入が欠かせない障がい者は、そもそも本質的な能力を評価される機会すら持てない、ということになってしまうのです。」(p72)

これは「本質的な能力とは何か」を巡る深刻なジレンマである。合理的配慮とは、その人が内側に持っている(=その人の本質に備わっている)能力を十全に発揮するためのものであり、PCやめがね、スマホや介助者といったものはあくまでも「補助具」であり。その能力を拡張してはならない、というのが、「能力を公正に評価する」ということが前提にしている価値観である。それゆえ、同じく大学院生だった介助者のAさんは天畠さんに「『一文字一文字自分の言葉で書くべきだ』」と迫った。Aさんにとって、「本質的な能力」とは、どれだけ時間がかかっても、自分の言葉で論文のすべての文字を書くこと、を意味していた。

だが、天畠さんは、そのAさんが考える「本質的能力」の見方とは異なる立ち位置を取る。彼にとっての「本質的能力」は「考える」ことである。書くことは、その考えを他者に伝えるための方法論に過ぎない。しかも、彼は手足も口も動かせず、視力で文字盤を追うことも出来ない重度障害を持っているため、その方法論が他者に比べて極度に制限されている。であれば、「一文字一文字自分の言葉で書く」という方法論的能力主義は捨て、「考え」を伝えて介助者に「先読み」してもらい、それを通じて考えを言語化して他者に伝える事の方に、「本質的能力」が詰まっているのではないか、と考え、それを実践していった。

つまり、どれだけ時間をかけてでも「一人で表現すること」が本質的能力ではくて、介助者に先読みしてもらいながら「考えを言語化すること」に本質的能力がある、と本質的能力のパラダイムシフトを図ったのである。更に言えば、これは能力を個人にのみ属するものと捉えるのか、関係性のなかでの能力として捉え直すことか、というパラダイムの違いにも繋がる。

「能力は、決して一人の人間の内側にあるだけではありません。それを他者との関係の中でどう発揮できるか、そうした関係性のうえに存在する能力も間違いなくあるのです。僕は介助者と協働で論文を書きながら、『自分の本質的な能力とはなんだろう・・・』『介助者ありきで書き上げる論文では、僕の能力は普遍的であるとはいえないのではないか・・・』という問いに繰り返し苛まれました。
その僕にとって、こうした能力の社会モデル化という考え方は、その問いに対する一つの答えでした。僕は個人モデルから社会モデルの考え方に移行することで、自分の生きづらさが緩和されていくことを感じていたのです。」(p191)

「一文字一文字自分の言葉で書く」というのは「一人の人間の内側にある」能力のことである。そして、旧来の「本質的能力」の見方は、この能力のことを指してきた。「合理的配慮が障がい者の本質的な能力を水増しするものであってはならない」という価値前提は、まさに「人間の内側にある」ものに、他者が「水増し・底上げ」してはならない、という価値規範である。そして、それは「出来ないことは個人の障害であり、不幸だ」という「障害の個人モデル」の考え方と、軌を一にしている。

だが、能力を「他者との関係の中でどう発揮できるか」を追求することにより、「関係性のうえに存在する能力」を高めることが出来る。天畠さんに残存している「考える」という能力を、先読みという手法によって介助者に最大限引き出してもらうことにより、「関係性のうえに存在する能力」を高めることが可能だ。それは、障害は個人の不幸ではなく、社会構造上の障壁である、という障害の社会モデルの視点である。そして、その社会モデル的な意思決定支援により、先読みをしてもらうことで、天畠さんは「長い時間をともに過ごし、共有知識を豊富に持つ介助者」との関係性の中から、今回ご紹介するこの新書も書き上げたのである。それはそれで、すごく意味や価値があることではないか!

でも、ふと引いてみてみると、「関係性のうえに存在する能力」というのは、実はこの社会で結構デフォルトではないか、とも思えるのだ。僕は今、「ケアと男性」という連載を書いているが、あれは間違いなく、娘さんと妻との「関係性」のなかで、僕が後天的に気づきつつあるケアという能力について考察している文章である。しかも、あの連載は、現代書館の力量ある編集者であるMさんとコラボして、彼女が読みにくい、意味が通じにくいと感じる部分に徹底的にコメントや赤を入れてもらっている。僕一人で書くと小難しくなるし、今回は子育て中のママパパに読んでほしいので、「伝わる文体」を作り上げるために、Mさんに強力にアシストしてもらっている。そのような「関係性のうえに存在する能力」を少しずつ高めている途上である。

そういう意味で、あの論考は『一文字一文字自分の言葉で書くべきだ』という規範から大きくずれた、社会モデル的な文章である。でも、それは娘さんや妻との、そして編集者のMさんとの協働作業のなかで紡ぎ出されるものであり、チームとして関与するなかで、あの連載が生み出されている。

それと同じように、実は天畠さんも「チーム天畠」の棟梁である、と考えると、話がわかりやすい。大工さんの棟梁でも、一人で作り上げるわけではない。建築家も、デザインの方向性は示すけど、それは自分の弟子や設計事務所の仲間に細かい指示を出して、作り上げる事が多い、というのも、以前読んだ『建築家として生きる』のなかで描かれていた。

同じように、天畠さんは、介助者達を率いる「チーム天畠」の棟梁なのである。天畠さんは「考える」棟梁であり、それを短い言葉で表現しようとする。介助者たちは、天畠さんの考えを「先読み」するなかで、その考えの方向性を理解し、言語化していく。その中で、「チーム天畠」の作品として、新書が仕上がる。でも、建築家が設計した建物に建築家の名前しか残らないように、天畠さんの岩波新書には、彼のクレジットのみが記される。そういう形で最終責任をとるのが、「チーム天畠」の棟梁としての役割と責任ではないか。そんなことも考えた。そして、それは彼だけではなく、ALSの科学者スティーブン・ホーキングだって同じ事をしている、というのは、彼が「薦めたい本」リストに載せていた『ホーキング Inc.』でも描かれていた世界だった。

最後に、この本を読んでいてふと感じた、精神病院に幽閉されている人と天畠さんの経験との共通点について触れておきたい。

天畠さんは当初、「植物状態で、知能は幼児レベルまで低下している」とラベルを貼られていた。この「植物状態」を「幻覚、妄想、錯乱状態」と言い換えると、精神科病院に急性期で閉じ込められる人も、同様のラベリングをされてはいないだろうか。「あの人には言ってもわからない」「注射などで強制的に鎮静させるしかない」というのも、本人の必死の訴えを力尽くで黙らせる手段だと思う。

天畠さんのお母さんは「テレックスタイプライターを思い出し、母音と子音の50音を組み合わせるやり方で、意思疎通をとることを思いついた」し、その後様々な介助者とのコミュニケーション支援の蓄積の中で、このような論文の言語化までたどり着いた。でも、それ以前の、「植物状態で、知能は幼児レベルまで低下している」とラベルを貼られていたままで、彼の思いを読み取る方法が思いつかなかったら、おそらく今だって病院や入所施設に社会的に入院・入所させられたまま、かもしれない。

そう思うと、強制入院をさせられ、本人の意思や思いを読み取ってもらえず、未だに退院できない、とされている人の中には、「一人の人間の内側にある」と見なされる「能力」だけで評価されている人が沢山いるように思う。本来、医療や支援とは、関わり合う関係性である。下駄を履かせる、水増しをする、のではなく、「関係性のうえに存在する能力」を発揮するなかで、地域で暮らしていく方法を模索するのが、退院・退所支援であり、ほんまもんの地域生活支援における大切な要素ではないか。そんなことも感じた。

とにかく読み応えがあるので、お勧めの一冊です。

ただただ話を聞く

金曜日に、京都のACT−Kに呼ばれて、組織の未来について考え合う「未来語りのダイアローグ」のファシリテートをさせてもらった。実は4年半前、その場所に毎週のように甲府から片道5時間かけて通い、ダイアローグのあり方を学んだ、思い出深い場所だ。そんな場所で、以前は「学ぶ側」だったぼく自身が、ACT-Kのみなさんと来し方行く末を考え合う場をご一緒できて、それをファシリテートさせてもらえている、ということが感慨深かった。また、一緒にファシリをしてくださったのは、共に学んだタテさんだった、というのも、心強かった。

でも、やったことは、すごくシンプルで、基本に忠実。

1、この1年間、あなたや組織にどんなよい変化がありましたか?
2,この1年間で、残っている心配ごとや不安なことは、なんですか?
3,よい変化を増やし、心配ごとを減らすために、あなたは誰と何ができそうですか?

今回は、二重の円を作って座って頂き、内側に、心配ごとを抱えている依頼者と、その依頼者が一緒に話し合いたい人々(計4人)とぼくが座る。ぼくは5人に上記の質問をそれぞれ一巡ずつ聞いていく。そして、外側には、他のスタッフが座っていて、その語りを聞く。それだけで、1時間半以上かかった。その後、ぼくとタテさんでそれを聞いてどんなことを感じているのか、を2人で対話(リフレクション)してから、いったん休憩。

その後、内側の円の人も外に座って頂き、「2時間の話を聞いて、いま・ここ、で話したくなったひとは、どうぞ内側に来てください」と声をかける。すると、2,3人が内側に来てくれて、話したいことを話して、帰っていく。それを3回ほど行ったら、もうお約束の3時間が過ぎようとしていた。最後に、依頼者とタテさんとぼくの3人でもう一度対話(リフレクション)をして、場を閉じた。

ぼく自身は、とりたてて特別なことはしていない。この流れに沿って、各人にお話をうかがう。意図的にこれを聞いてやろう、とか、こんなことを引き出してみよう、という技巧はない。というか、そういう風に誘導すると、上手くいかなくなる。あくまでも、いま・ここ、で心に浮かんだことや聞いてみたくなったことを、おたずねしてみる。それは、ぼくが相手の内面を掘り下げる、のではない。「それってどういうことですか?」「もう少し聞かせていただけませんか?」と水を向けることによって、相手の中で、未分化だった声が開くのを信じて待つ、ということだ。

この4年半のあいだに大きく変わったのは、ぼく自身の聞く姿勢なのではないか、と思う。ADの研修を受ける前のぼくは、聞き方を知らなかった。というか、話すために聞く、という姿勢だった。それは、ACT-Kの代表でもあり、オープンダイアローグを日本に広め、4年半前にこういう研修の機会も作ってくれた精神科医の高木俊介さんが、「あんたが一番変わったなぁ」と言ってくれたこととつながっている。「以前はべらべらしゃべるだけで、うるさい・鬱陶しい奴やったのに、今ではちゃんと話をきけるようになるなんて」と。

ぼくはそれを聞いて顔が真っ赤になったが、それはあまりに本質を突いているからである。ぼくは、それ以前、話を聞けていなかったのだ。そして、この4年半の間に、話を聞く練習をし続けてきたのだ。

それは一体、どういうことだろう?

それ以前のぼくは、純粋に話を聞くことが出来ていなかった。目的意識が先行していた。何かを学びたい、相手の意見から参考に出来る部分を吸収したい、調査報告を書くためのローデータとしたい、話しを聞きながら意見をまとめたい、相手を説得する糸口をみつけたい・・・どんな目的であれ、ぼくの側には何らかの目的や意図があって、相手の話を聞こうとしていた。

でも、それって、聞かれる側からしたら、よこしまな動機、である。

純粋にあなたの話を聞いてみたい、のではなく、私の興味関心や目的に合わせて語ってほしい、ということである。あなたの話を聞きながらも、私は聞いているようで、聞いていない。あるいは私が聞く目的にかなった部分だけを選択的・意図的に聞いて、それ以外の部分を聞き飛ばす。はたまた、相手の話をできる限り搾り取ろうとして聞く・・・。おそらく、高木さんと一番最初にじっくりしゃべった、京都から東京へ向かう新幹線での2時間半の間には、著名な脱施設派の精神科医の考えやノウハウをじっくり吸収したい、高木さんとお近づきになりたい、そしてあわよくば高木さんに認められたい・・・そんな下心丸出しで、グイグイと聞いていたのだと思う。そりゃあうっというしいし、ウザいし、ぼくも必死だったのだと思うけど、ずいぶん高木さんには悪いことをしてしまった。すいません。

でも、その当時のぼくは、それがどのように問題なのか、を理解していなかった。むしろ、積極的に相手にコミットしようとすることだから、それは良いことではないか、と誤解していた。何という愚かな私。そういえば、40代になるまで、ぼくはそういう「間違った聞き方・関わり方」をして、たくさん失敗してきた。暑苦しい、鬱陶しい、押しつけがましい・・・といったラベルも何度も張られてきた。ぼくは必死になって関わろうとしている「だけ」なのに、なぜそれが評価されないのか、バカにされるのか、と落ち込むことも多々あった。

でも、そんな迷惑をかけたのに、その高木さんが、ぼくにチャンスを与えてくれた。4年半前、京都で開かれた未来語りのダイアローグの集中研修に参加しませんか、とお声がけくださったのである。ぼくは、ファシリとか対話の場づくりをやりながら、そういう研修を一度も受けたことはなかった。独学で、自分なりに切り開いてきた、つもりだった。でも、他ならぬ高木さんから声がかかり、その研修を受けて自分がどうなるのか、何の役に立つのか、まったくわからなかったけど、「これは受けねばならない」と直観で感じた。子どもが生まれて3ヶ月というタイミングだったので、京都の実母に頭を下げて、ぼくと入れ替わりで甲府に妻と子どものサポートに来てください、と頼み込んで、4月の毎週末に開かれた4回の集中講座に通い続けた。

そこで学んだことは、語り尽くせないほど沢山ある。でも、今回に引きつけるならば、相手を操作してやろうとか、こういうことを引き出してやろう、といった余計な意図を持たずに、誠実に「あなたの話を聞かせてほしい」と向き合う事が、相手との信頼関係をその場の中でつくり出し、結果的に自分も伺いたかったことが差し出される、ということである。意図や目的は、枠組みに繋がる。その自分なりの枠組みを捨てて、「いま・ここ」で差し出される相手の話に乗っかり、それがどこに行くかわからなくても、先読みや誘導、評価、判断をせずに、その話をそのものとしてじっくり伺うことに、大きな意味や価値があるのである。

金曜の場の中でも、すごく心動かされる、印象的な言葉を沢山の方から伺った。それは、この場に即してこういう話をしてほしい、とこちらから導いたのではない。先の三つのシンプルな質問を、そのものとして向けることによって、相手が差し出してくださった話である。その発言が、どこに向かっているのか、ぼくにはまったくわからない。まさに不確実さの海の中に放り込まれる。ぼくは、少しは不安になるけど、オープンダイアローグの基本で言われている「不確実性への耐性」は、この4年半の中で、少しずつ内面化されてきた。いま・ここ、で話されている内容を尊重し、そこに寄り添うことで、それは確実に場を動かしていく。そう信じて、ひたすら聞き続けた。

そして、ぼくが意図や操作や判断を捨て去って、ただひたすら聞き続けていくなかで、どの方からも印象深い語りが、次から次へと出て行く。それを聞いた次の語り手は、聞きながらその語りと自分の中で内的に対話をしていく。だからこそ、次の語り手に話しを聞いたとき、先ほど自分が心の中で対話していた内容も含めて、静々と語り出す。それが、次の語り手にも影響を与え・・・そんな相乗効果が生まれてくる。その際、当初は「誰から聞けばよいのだろう」と不安にも思ったのだが、みなさんが座る位置を決める段階から、実は物語が始まっていたことに、終わった後で気づく。だからこそ、結果的にぼくの一番側にいた「依頼者」から話しを聞く中で、結果的に皆さんが数珠つなぎ的に話を繰り広げていき、それがその場の「よい変化」と「心配ごと」をめぐる対話を多層的に包み込み、1人1人の心に届き、ほんまもんの声が生まれていく。

ぼくはその場にいて、ただただ聞き続け、流れに身を任せつつ、「いま・ここ」で浮かんだことを相手に差し出して、相手がご自身の思いや感情を表現されるのを、お手伝いしていた。「あなたの話を聞かせてほしい」という目的以外は、すべて横において、ひたすら聞き続けた。そして、「ぼくが聞いた内容は、こういうことで合っていますか?」と時折確認しながら、相手がご自身で話しを深めていくのに「合いの手」をいれていた。ただ、それだけ、である。

でも、終わってみたら、すごく大切な場になっていた、とその場の皆さんの多くが感じてくださった。「今日のこの場が、よい変化を増やし、心配ごとを減らす第一歩だ」と語ってくださる方もいた。ぼくがしたことは、本当にごくわずかだ。一緒にファシリをしていたタテさんがホワイトボードにメモ書きしてくださった内容を見ながら、その内容を復唱しつつ、皆さんが語るのに相づちをうち、関心を持って聞き続けただけだ。リフレクションの機会は二回あったけど、それも操作や評価を意図したのではなく、聞き続けて感じた事をふと口にしただけ、だった。そして、最後まで、誰も何もまとめなかった。ただただ、聞き続けた。でも、自然にその場は何らかのまとまりが生まれ始めた。そしてそれは4年半前にぼくが学んだ、未来語りのダイアローグのあるべき姿にも、ありがたいことに近づいていた。

今回は、学んだ型に忠実だったからこそ、うまくいった。でも、いつも上手くいくとは限らない。特に、娘との対話では、未だに一方的だったり、親の期待や評価や否定的な感情などに左右されて、娘の声を、そのものとして聞けていないことがある。とくに非言語的なコミュニケーションが多い娘との対話の中で、ぼくが言葉に頼り切って指示をしたりすることで、娘はわからなかったり困惑をして、娘の不安を解消できない場面もある。あるいはぼくが娘がじっくり言葉に出来るために、一呼吸をおいて待てていない場面もある。

ぼく自身は「世界平和の前に、家庭の平和を」と『当たり前をひっくり返す』の中でも書いた。それは、家庭内でのダイアローグがちゃんと実践出来ていないのに、他所でちゃんと聞く事なんて出来ない、と思っているからである。そして、まだまだ娘の話を聞くときに、しっかり待って聞く、ということが出来ていない、と改めて反省する。論理と筋道を立てて話すことに慣れていない・その途上にある彼女の言葉を信じて待つ、あるいはその言葉が出てくるのを応援する。その姿勢は、まさにぼくが学んだ対話的姿勢(ダイアロジズム)を生きているかどうか、が問われている。そういう意味では、娘や妻との日々の生活のなかでも、今回のように「信じて待つ」「評価や判断を手放す」ことをどれだけできるか。それが改めて問われているな、とも感じている。

建築家と研究者

他者から薦められないと読まない本、というのがある。前任校でご一緒した教育社会学者の児島功和さんから「この本いいですよ」と薦めてもらい、読んでみたら想像以上に面白くて、一気読みしたのが松村淳さんの『建築家として生きる 職業としての建築家の社会学』(晃洋書房)である。優れたフィールドワークの成果であり、建築家のことを全く知らない僕でも、その業「界」の内部のリアリティを知ることが出来た。が、面白いのは、彼の描く建築家の世界の記述を読み進めるうちに、僕が属する大学教員の業「界」と極めて似ている点がある、と思い始めた。その話をする前に、少し本のデッサンを。

松村さんはResearch mapの経歴にも明らかなように、大学で社会学を学んだ後、芸術系大学の建築コースの通信制コースで建築やデザインの基礎を学んだ後、実家の建築事務所で働きながら、二級建築士を取得し、その後一級建築士を目指すも挫折。そして、35才で母校の大学院で社会学を学んで、博士論文として「建築家」を対象としたフィールドワークを行い、この本の原型を書き上げる。しかも、書籍化にあたっては、磯直樹さんの本からブルデューの「界」「ハビトゥス」概念をしっかり学び直し、この本の中でもそれを入れ込んだ文責をしておられる。また、後半ではギデンズの「脱埋め込み化」「再埋め込み化」概念を用いながら、後期近代の建築家の変容を議論している。実に、社会学的な王道をいく本でもある。

この本の面白いポイントはいくつもあるのだが、まず建築家の歴史自体が面白かった。伊藤博文が明治期にお抱え外国人に建築科教育をさせ始めた時、そもそも建築家は公共建築を目指し、大工を筆頭とした伝統的な日本建築の集団とは違う世界を作り上げ、建築家の大半が官吏だった、という。しかし、戦災による住宅難から戦後住宅建築ラッシュを迎える中で、建築士資格も国家資格化され、建築家の世界も様変わりしていく。従来の官吏以外に、いわゆる①「スター文化人」としてテレビや雑誌で取り上げられる建築家、②住宅などを細々手がける独立型の建築家、そして③下請けをしたりデベロッパーの雇われの建築家、という三種類に分かれていく。「スター文化人」に関しては、丹下健三のような東大教授という文化資本の持ち主から、安藤忠雄のような高卒たたき上げが、どうのし上がっていくのか、の歴史的変遷や黒川紀章の立ち位置などの分析が、読み物として面白かった。

ただ、この本の分析の主軸は、既にマスコミなどで取り上げられている「スター文化人」以外の「周辺の建築家」(②、③)へのフィールドワークをしながら、「職業としての建築家」を浮かび上がらせた点であろう。実際に筆者自身が、③の経験がある社会学者なので、非常にわかりやすく、かつ実態に迫った形でインタビューがなされていて、読み応えがあった。そして、「周辺の建築家」が形成・維持されていくプロセスは、研究者のそれと類似性があるのではないか、と読みながら感じ始めている。

建築家の卵達が大学時代に写生や製図をした上で、その作品発表の場として「講評会」というプロの建築家や大学教員の前でプレゼンをする。そのことを分析した第三章において、こんな記述があった。

「ここで改めて大学で身につけたものを考えてみたい。もちろん、最低限の設計技術や図面や模型の作成方法、建築的な専門知識は身につけている。それらに加えて彼らが大学で身につけたものは、教員による文化的恣意を受容する『支配的ハビトゥス』であった。そこで教え込まれる文化的恣意は建築文化を背景に持っている。すなわち、教員の文化的恣意を受容する態度は、すなわち建築文化の生産と受容に貢献する態度につながっているのである。」(p89)

専門学校と大学の違いを語る中で、この「講評会」を通じて身につくものが記載されているのが、興味深い点である。現場のたたき上げ、あるいは専門学校で学ぶと、「最低限の設計技術や図面や模型の作成方法、建築的な専門知識」は効率的に学べる。だが、大学の機能はそれだけでなく、「教員による文化的恣意を受容する『支配的ハビトゥス』」であった、という点が興味深い。建築文化における審美観や価値前提など、建築家「界」の『支配的ハビトゥス』を学ぶことで、その業界での「信仰の圏域としての生産」(ブルデュー)を理解し、受容し、その共同体の一員になる上での必要な通過儀礼が「講評会」である、というのである。

これは、研究者の世界であれば、博士論文の公聴会であり、学会発表の場である、とも言えるだろう。どちらの場でも、支配的ハビトゥスとしての研究における審美観や価値前提があり、その中で、発表者に対する様々な「講評」がなされる。その「講評」には、なるほどと思うものも、そうかなぁと思うものもあるが、とにもかくにも同じ学術「界」の同業者として、互いの発表に質疑応答する中にも、「支配的ハビトゥス」が機能しており、僕も若手研究者の時、学会発表という場でそのハビトゥスを学んだような気がしている。

次に、周辺の建築家と研究者が似ているのは、それだけでは生活しにくい、という経済的側面である。大学の就職難は以前から言われているし、博士号取得者でも研究者ポストになかなか着きにくいのは、割と知られている。でも、建築家もマネタイズがしにくい、という指摘を読んでびっくりした。特に、報酬の高さと仕事の裁量の度合いで四部類しているのだが、報酬も高く仕事の裁量も多い「メインストリームの建築家」Aはごく一部である一方、「周辺の建築家」Bは仕事の裁量は大きいが、報酬が低い、というリアリティがある。また、「ゼネコンや設計会社、公的機関に雇われた建築家」Cは報酬が高いが、仕事の裁量は小さい。そして、独立して生きていこうとしても、仕事がない場合は「下請け中心の建築家」Dにならざるを得ず、そうなると報酬も裁量も低い、という。(p125)

これは研究者にも似た分類が出来そうだ。一流のジャーナルに掲載されたり、売れる本を書き続けたりメディアで活躍もしているい「メインストリームの研究者」Aは、そんなに多くはない。その一方、大学や研究機関に雇用され、その所属機関で求められている教育や研究をしながら、自分自身の研究も細々続けている「雇われた研究者」Bは一定するいる。だが、最近増えてきたが、研究機関に属さずに「在野の研究者」として活躍する人Cもいるし、ポスドクやオーバードクターとして大学非常勤講師をしながら、BやAを目指している人Dも少なくない。

そして、この本第Ⅲ部「後期近代と建築家の変容」が、建築家と研究者に限らず、多くの専門職の変容と当てはめても読み取れるような、普遍性の高い内容であった。

ギデンズは「脱埋め込み」を「社会関係を相互行為のローカルな脈絡から『引き離し』、時空間の無限な広がりのなかに再構築する」(ギデンズ『近代とはいかるなる時代か』p.36)と述べているが、建築家にとって、脱埋め込み化の最大の契機が設計支援ソフトであるCADの登場であった。それは、建築家に固有の・独占的なものであった高度な製図技術が、CADによっていとも簡単に再現され、標準化されていくプロセスでもあった、という。

「そのブランドを担保してきたものが建築家の図面やスケッチである。それを通して彼らの仕事が、秘犠牲や不確実性を含有した『標準化されない仕事』となった。しかし工学やコンピュータ技術が前景化していくことは、彼らの仕事から秘犠牲や不確実性が失われていくことを意味する。それは職能の存続にとって極めて重要な問題である。」(p257)
「CADによる図面の作成が一般化し、住宅のオリジナリティを支えた『手書き図面』を失うことで、建築家の設計する住宅のオリジナリティが毀損された。その結果、住宅メーカーと横並びに位置づけられることになったのである。住宅メーカーと横並びに位置づけられるということは、彼らの仕事もまた、建築コストやランニングコスト、安全技能、納期やアフターサービスを始めとした様々な付帯サービスが当然のように求められるのである。」(p238)

これは、「秘犠牲や不確実性を含有した『標準化されない仕事』」の威信や権威、専門性の高さが、CADというデジタルデバイスの標準化による、掘り崩されていくプロセスを描いたものである。これは、魔女の持つ「秘犠牲と不確実性」に恐れを抱いた医者達が魔女狩りをしていく『キャリバンと魔女』の話とも共通性の高い内容だと感じた。そして、両方とも、資本主義や近代化が進んでいく中での「標準化・規格化」の圧力や淘汰の中で生じたことである、という共通性がある。

そして、それは研究者もそうだし、教育者は特にそうである。ネット時代からコロナ危機下になって、スタディサプリやコーセラなど、オンライン教育の水準がどんどん上昇していく。Youtubeでも日本語字幕が簡単につくようになる。すると、研究者や教員の持つ「秘犠牲や不確実性」が減ってくるし、オンラインで提供される標準化された知識との差異をどれだけ示すことが可能か、が、僕にも問われているとヒシヒシ感じる。

ではスター文化人ではない市井の建築家や市井の研究者(=僕)は、この脱埋め込み化からどう逃れられるのか、どう再埋め込み化が可能なのか。松村さんはその可能性に関して、「カウンセラー」的な「ゆるやかな分業体制」に基づく、「まち医者的建築家」という視点を提示する。

「『住宅の設計をやっているとカウンセラーみたいな気分がしていて、設計っていうけど、実はカウンセリングみたいな。まあ説教まではしないけど、こういう風に考えたらどうですかとよく言っています。』・・・ここに看守できるのは、クライアントから専門家への一方通行の信頼関係ではない。そうではなくて、家づくりという共通の目標を分かち合った協働者としての専門家とクライアントの関係である。だからこそ、その関係性は、かつて頻繁に見られたような、建築家を『先生』と呼ぶような権威主義的なものではなく、フラットなものである。」(p245)
「L氏は、掛け金となる作品を創り卓越化を競い合う建築家として生きていくことよりも、『まち医者的建築家』としてクライアントの住宅に関する小さな要望や悩みに丁寧に耳を傾け、場合によっては自らも手を動かして要求に応えることに建築家として働く意義を見いだしている。」(p264)
「こうした再埋め込みメカニズムが有効に機能するためにはギデンズがいう『顔の見える専門家』の存在が重要になってくる。それは抽象的な専門知システム(本章の場合は建物に関する専門知)への『アクセスポイント』になることを期待される」(p265)

この部分に深い共感を伴って読み続けたのは、実はぼく自身が、現場の人々とコラボレーションする時は、まさに「カウンセラー」「協働者」「まち医者的」「アクセスポイント」になっているからである。

山梨で教員になった2005年から、山梨県内の様々な福祉現場や行政から、よくわからない依頼で相談が舞い込むようになってきた。定型的な相談は、僕の所ではなく適切な「専門家」に相談がいくのだが、ぼくの場合は「新規事業の立ち上げ」とか、「国からポンチ絵だけが示されているけど、どう実体化してよいかわらからない案件」が次から次へと相談されるようになった。

その中で、僕はそもそもよくわからないので、じっくり相手の話を聞きながら、相手がどのようなことを目標にしていて、何に躓いたり困ったりして、立ち行かなくなったり、絡まっている部分はどんなところなのか、を丁寧にじっくり聞くように心がけていた。これは「カウンセラー」的な立ち位置である。その上で、相手の目指すゴールを達成するためには何をどんな風に組み立てて良いか、を共に汗をかきながら考え合う「協働者」として動き続けてきた。だから、県の障害福祉課や長寿社会課の特別アドバイザーをしていた時は、県庁職員と一緒に自治体現場まで訪問し、文字通り足で稼いで、三者で議論しながら、何が出来そうか、の智慧を絞ってきた。そういう意味では、『まち医者的研究者』としてクライアントの福祉実践や福祉行政に関する小さな要望や悩みに丁寧に耳を傾け、場合によっては自らも手を動かして要求に応えることに研究者として働く意義を見いだしてきたのかも、しれない。それは、姫路に移り住んでも同じで、いくつかの自治体や社会福祉協議会などとコラボしている仕事も、だいたいそういう感じで進んでいる。

すると、僕の仕事って、「抽象的な専門知システムへの『アクセスポイント』」だったのかもしれなな、と思い始めている。そんな自分自身の立ち位置を、まさか建築家についての本から学ぶことになるとは思わなかったので、読み終えると、本当にびっくりした。でも、すごく再帰的な振り返りをもたらす一冊だった。

コミュニティワーカー必読の「地域学」

こないだ、兵庫県社協の研修で、地域体制整備事業のコーディネーターの基礎研修を行った。このコーディネーターは、厚労省が地域福祉や地域での互助活動の推進を目指して45年前から全国に配置しており、地域福祉の要役として期待されている。だが、実際のコーディネーターは地域づくりやコミュニティワークの経験のない人が配置される場合が多く、成果目標は何で、何からどのように動いて良いのかわからない、という声は、以前から聞かれていた。

個別支援の場合なら、そうはいってその人の障害や疾病、困窮さなどを聞き取った上で、必要な支援に繋げる、というアプローチであれば、ある程度「こんなふうにすれば良い」というパターンが出来上がっている。もちろん、パターン化にそぐわない人もいるし、予断を持ってパターン化に埋没してはいけないのだが、そうは言ってもある程度、最初に何をしたら良いのかのとっかかりができやすい。

だが、地域支援になると、では何をどこから始めて良いのか、が見えにくい。どのようにすれば「正解」なのかが見えにくいし、そもそも「こうすれば支援の成果がある程度作れる」という「唯一の正しい解法」がないのだ。だからこそ、マニュアルは役立たない。そして、マニュアルなき仕事は、多くの人にとって戸惑いが生じる。一方で、その中から試行錯誤をする中で、魅力的な、その現場で成功する解決策である「成解」が生まれてくる。こないだのオンライン研修では、そんな魅力的な実践例を伺った。

ある地方の町社協のワーカーのMさんは、ご自身がコーディネーターになった時の、「何をどのようにして良いのかわらからない」という不安やモヤモヤ経験の話をしてくださった。お年寄りが集まるサロンとか、色々な会合の場に訪問するのだが、「何しに来たの?」「社協さんなら、何か情報提供してくれるの?」と問われて、ただ単にその現場を訪問すること自体を苦痛に感じていた。そして、ある時期から地域カルテのようなものに各地区の基本的情報を埋めるようになったら、ヒアリングの目的ができてきたし、その中で地域のお祭りとか行事のことも知れて、その行事についてお尋ねして話が膨らんでいくうちに、その地区のリアリティが見えてくるようになった、という。

そして、Mさんの話で面白かったのは、彼女は地域カルテを埋めることを、ある時期から目的にしなくなった、というのだ。例えば初めての地区を訪問するときは、必ず地域の神社を訪問する、という。手入れがされずに荒れていく神社がある一方、丁寧に掃除がされたり、榊が供えられている神社もある。高齢化率がどれくらいか、という数値データでは見えてこない、地域のお年寄りがどれくらい元気か、とか、地区の公共的な場への気遣いができる余力があるか、とか、そういうことが、いくつもの神社を訪問して、その話を住民さんとする中で、見えてくる、という。

確かに、田舎に行けば行くほど、神社やお祭りが、その地区の象徴的なイベントや柱になっている場合も多い。だからこそ、その神社やお祭りが、例えば限界集落であっても意外と支えられている場合、週末などに都会から子ども家族が戻って来て、メンテナンスがされている可能性もある。逆に、そこそこの人口がいても、祭りが維持できず、神社も荒れている場合、お年寄りに活力がなく、若い人はいても寝に帰るだけで昼間は地域に人がいない、住民の地区への愛着も薄れている、なんて可能性も考えられる。

そういう視点の話を聞きながら、そうそう、こういう、一見すると福祉と関係のない地域のことを知る視点が、ある地区の地域福祉を包括的に理解する上で大切なんだよねぇ、と感じていた。そして、その話を聞いた後、書棚で積読だった地域学の入門書を読み始めて、それがよりクリアになってきた。

「地域とは『生き物』なのである。村も町も自治体も、みな生き物なのだ。国が治める領土は広漠たる原野だけではない。そこには生きた人間の集団が張り付いており、その活動が多層になって、絶えず新陳代謝が行われている。村や町が、その生命力で様々な問題を解決し、また新たな力をみなぎらせ放出する。その生命力を束ねて地方自治体は成り立ち、それをさらに相互に関係させることによって国家の生命力も初めて得られる。」(山下祐介『地域学をはじめよう』岩波ジュニア新書p29-30)

この本は中高生向けに書かれた地域学の入門書だが、地域学初心者にとっては、極めて役立つ一冊である。何より、地域を「生き物」と捉える視点が、いい。しかも、この本で詳述されているように、この本が射程に入れる地域とは、市町村の行政自治体単位ではない。江戸時代の村が明治以後の市町村合併で、字という単位になった、そんな小地域単位を、「生き物」としての地域として捉える。そして、その字の寺社仏閣や道路、川など様々な地理的条件が、昔からどのように引き継がれているのか。明治以後の度重なる市町村合併の中で、村から字に変わり、さらには村同士の合併で町や市に統合されていく中でも、字単位のつながりがどのように残っているのか。あるいは、生業に関連して、別の市町村とその字がどのようにつながっているのか。そういうことを、聞き取りなどをもとに明らかにしていくのが、「生き物」としての地域を理解しようとする地域学である。これは、コミュニティワーカーに必要な視点そのものではないか。

さらに同書ではある過疎山村で暮らす独居老人Aさんのネットワークとして、以下のような実態を明らかにしてくれている。

「この村に住むAさんは当時を80歳代で、長い間1人暮らしをしてきた。しかし本当に1人なのかといえば、そんなことはない。子どもたちが近くにいて、この家にしょっちゅう顔を出している。Aさんが亡くなった後は、この家が持っている農地は麓の集落に住む長男がやっていて、農繁期には毎日来る。結婚した長女もすぐ近くに住んでおり、月に数回は訪れる。妹も弘前にいて、車で30分ほどの距離。必要な時には手伝いに来てくれる。盆と正月には夫の兄弟たちもこの家に集まる。こうして、世帯としては分かれて暮らしているが、互いに行き来し、支え合っているので、限界集落に暮らすお年寄りは孤独でもなんでもないわけだ。それどころか地域の仕事やお年寄り同士のつきあいがあって、けっこう忙しく暮らしている。実際に限界集落のお年寄りに話を聞くと、こういうケースは珍しくない。」(p100

そうそう、こういう動的なネットワークの把握が、実は「生き物」としての地域の把握の際に、必要不可欠なのだと思う。2012年に出された山下さんの『限界集落の真実』(ちくま新書)を買ってすぐ読んだときに、もこの限界集落のリアリティにはびっくりしたけど、僕もその後、これを傍証するリアリティに遭遇する。山梨の最南端の南部町に伺って、限界集落と呼ばれる地域を視察させて頂いたおり、地元の包括の方が、「そう入っても週末人口が多いから」とおっしゃっておられた。特に、新東名ができた後、近くのインターまで車で15分とかの距離になったので、都会で暮らす50代、60代の子ども世帯が、頻繁に実家に戻ってくるのだ、という。これは、まさに道の変化により、地域のつながりを取り戻した事例でもある、と言える。こういう動体的な変化をそのものとして掴むのが、地域学のアプローチの真骨頂である。

すると、地域カルテの情報を書き込むだけ、では限界があることも、見えてくる。

地域カルテに関しては、ネットでググれば、素敵な先行事例も見られる。

だが、このような一覧表を作るのは、あくまでも「方法論」であって、その方法論が自己目的化してはならない。こないだの研修では「地域カルテのフォーマットを欲しい」という新人さんの要望がいくつか寄せられた。確かに、そういうフォーマットや先行事例は参考にして良いが、それと同じようにやれば良い、と思い込んでしまうと、方法論の自己目的化であり、これさえしていれば良い、という唯一の「正解」幻想に落ち込み、マニュアル主義に陥ってしまう。それでは、木を見て森を見ず、になってしまう。

地域学的なアプローチがコミュニティワーカーに必要なのは、地域カルテを作成するためではない。字ごと、小学校区ごとに違う「生き物」としての地域の特性や実情を掴んで、その地域の人々の実情に合わせた地域福祉の展開を一緒に考え合うための、比較ととっかかりの材料として、「生き物」をそのものとして動体的に掴むことが大切なのだ。

そう言えば、件の研修の際にも、「ある地域がコミュニティワーカーの関わりに拒否的で・・・」という話が出た。どういう背景があったのかわからないけれど、その地域の世話役たちは、「よそものに関与されること」にネガティブな思いを持っているのかもしれない。あるいは、これまで自分たちでなんとかしようと頑張ったけど、結局うまくいかずに絶望しているのかもしれない。いずれにせよ、閉塞感という「生き物」がどのようにその地域の中で醸成されていったのか、を動的に理解するために、まさに人々の繋がりやネットワークをたどる視点が、ここでも求められているのだ。

だからこそ、神社とかお墓とか、その地域の共有地がどのように整備されていたり、放置されているのか、お祭りや行事はどれくらいの規模で維持されているのか、を見ていくことも、その地域における人とモノの関係を辿ることになり、その結節関係を他の地域と比較する中で、その地域の特性を立体的に理解する糸口になるのではないか、と思う。

そして、山下さんの『地域学をはじめよう』には、地元の神社やお寺の歴史をどうやって調べたら良いか、とか、水や道の歴史、市町村合併の歴史を辿るにはどうしたら良いか、とか、地図をどう活用すると何が見えてくるか、とか、地域学のノウハウや基本的なスタンスが中高生にもわかるように、わかりやすく書かれている。地域への関わり方に戸惑っているコミュニティワーカーは、まさにこの本を携えて地域に出て、「生き物」としての地域の動的な姿を理解してほしい。そう感じる一冊だった。

付記:これを書き終わった後、Aという方法論でうまくいかない人に、Bという方法論を示しているだけでは、というご指摘をいただく。確かに、その通り、地域カルテがダメなら、地域学で行こう、となると、方法論の自己目的化の弊害に取り込まれてしまう。そうではなくて、AでダメならBをやってみよう、というプロセスの中で、地域住民の方々と出会い、対話し、その語りから学び、試行錯誤し…という積み重ねがあるからこそ、AとかBとかいう方法論を超えた、その地域やその現場で成功する解決策としての「成解」を模索できるのだと思う。

さらに言えば地域カルテも地域学も、本当に実践して深く地域を理解しようとすれば、単に質問紙調査の穴を埋める、だけではなくて、そこで出会った物語を膨らませながら、地域の人と一緒に考え合いながら、過去をたどりなおしつつ、今のその地域の姿を再解釈して、未来に繋げる、というプロセスを必然的に含んでいる。

あくまでもその「とっかかり」にしか過ぎないし、それをやれば正しい、とかそういう話ではない。コミュニティワーカーに求められるのは、深く相手を知ることであり、地域カルテも地域学も、その地域ののことを深く知り、現場の人と対話するための補助具にしか過ぎない、ということを、繰り返し強調しておく。

 

 

 

脱施設化に必要不可欠なトラウマの視点

こないだ書いたブログでトラウマインフォームドケアについて、こんな風に整理してみた。

「トラウマインフォームドとは、トラウマがあるという前提で物事を見ていく・捉え直す視点かもしれない、ということである。だらしない・ややこしい・「問題行動」のある・面倒くさい・・・と片付けられてきた人々は、「トラウマがあるという前提」で捉え直すと、様々な解離や退避行動を取らざるを得なかったことが、見えてくる。」

実はこの視点について、僕と同い年の障害者運動に取り組む介助者で、優れた論考を出し続けておられる渡邊琢さんの単著『障害者の傷、介助者の痛み』(青土社)を読んでいたら、すでにしっかりと言語化されていた。(2年前に買っていたのに、来月仕事でご一緒するので実は今頃読んだのだが、今読んで良かった。)

渡邊さんが支援に入っているまっちゃんは、対人関係のトラブルや暴言などでパニックを起こし、様々な人を振り回す人であった。そんなパニックの渦中にあったあるとき、まっちゃんは支援に入った渡邊さんに、次のように述べたという。

「なんやぁ。なんやねん? ついてくんなよ。ついてくんな! バァーカ!」

その瞬間、彼は思わず、「今、ぶんなぐりたくなった」とつぶやいていた(p308)。

ただ、渡邊さんはそのことを考えるに当たって、トラウマ概念を我が国に広める事になった古典であるジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』(みすず書房)を読み進める中で、まっちゃんの問題を、彼個人の病理や性格の問題と矮小化する視点とは異なる視点を獲得した。

「彼に会って感じたぼくの恐怖や怒りや絶望は、まさに彼がその何倍もの強度で味わったものなのであろう。彼がぼくにもたらす恐怖感は、まさに彼が誰かから受けた恐怖感の引き写しなのであろう。ぶんなぐったらどんなに楽になるだろうかというぼくの気持ちは、まさにそうすることで彼自身も極度の恐怖の緊張感から解放されたいと思っている気持ちなのかもしれない。彼がぼくに向ける必死の暴言や罵声は、以前受けた暴力の刻印であり、ひょっとしたら、彼自身がこれほどに苦しんでいるというぼくへのメッセージなのかもしれない。彼の行動は非常に言葉足らずで誤解を招くほかないものだけれども、ぼくが彼から受けた感情の大きな揺らぎを一呼吸おいてみることで、まさに彼がどれほど揺さぶられ苦しんできたか、自分の身をもってわかる気がした。」(p349-350)

僕は中井久夫氏が阪神淡路大震災の後のトラウマ治療の中で、このハーマンの著作に出会い、翻訳をし、その著作が高く評価されていることは、知っていた。でも、心的外傷(PTSD)とは、戦争神経症とか、レイプを受けた女性とか、地震や津波で家族を失った人とか、普段ならあり得ないような圧倒的な出来事に遭遇してしまった人の特殊な話だ、と「錯覚」していた。だから、ハーマンの本も読んでいないし、最近までトラウマ関連の本も避けてきた。しかし、2018年にトロント調査に出かけた時にトラウマインフォームドケアの概念を知り、様々な依存症支援において「トラウマがあるという前提で関わってみること」によって、「困難事例」や「問題行動」の背景にある、幼少期の傷つき体験などの背景要因を知るようになった。

そして、渡邊さんの本を読みながら、僕が見聞きしてきた障害福祉の領域でも、この「トラウマがある」という前提で物事を眺めると、全く違った風景が見えてくるのかもしれない、と改めて気づかされた。まっちゃんも、以前トラブルにあったバスの運転手から「殺すぞ!」と脅され、本当に殺されるかも知れない恐怖に怯えた後、夜中に「殺すぞ!」と恐ろしい叫び声をあげるようになった(p334)。そして、通所事業所の中で暴れて、通所制限や通所停止になって、同じ事を繰り返す中で、結局家族が支援しきれず、家の中でも暴れ、精神病院への強制入院を経験することになった。(p319)

その視点で、精神病院を眺め直してみよう。精神病院に強制入院させられている人は、今でも15万人近くいる。その中で、親や支援者など身近な他者に暴力を振るう事態が続き、やむなく隔離拘束された人も沢山いる。だが、これまでそういう時に、精神症状や反社会的行動、という形で了解されていた内容を、「トラウマのフラッシュバックだったかも知れない」と捉え直すと、大きく視点が変わる。渡邊さんは、こうも振りかえる。

「自己コントロールを失い、とり乱している当事者は、しばしば支援者なり、家族なり身近な人を攻撃する。その攻撃の源をどこと認識するかで、まったく支援のあり方は変わるだろう。もちろん、攻撃の標的となった支援者は家族は辛い。自分の身も心も傷つく。やってしまったことについて、当事者が免罪されるということもないだろう。でも攻撃の源は、その当事者自身の中にあるのではないのかもしれない。別のより暴力的な力が当事者を襲ったことにより、当事者が一番壊されており、そのことで他者への攻撃性も発動しているのかもしれない。今一番恐怖の中にあるのはその当事者かもしれない。」(p335)

暴力は免罪されるべきではない。だが、「今一番恐怖の中にあるのはその当事者かもしれない」という視点で、暴力の加害者にどのような「恐怖」があるのか、を探ると、視点が反転する。「反社会性」「病理」というレンズで「わかったつもり」にならずに、その人にどのようなトラウマ的体験があり、それがどう再演されて、周囲の人に攻撃を仕掛け、「自己コントロールを失い、とり乱している」のか。その長いプロセスを理解したら、関わり方はずいぶん変わってくるだろう。強制入院時に一律に拘束する、とか、安定剤を注射される、いうのは、「今一番恐怖の中にある」その当事者にとって、恐怖を増やすことでしかない。つまり、これまでの強制入院時の関わりは、治療的ではなく、本人にとってより加害的となる可能性もあるのだ。

では、どうしたらよいのだろうか? そういえば、と思って、以前読み囓った別の本を眺めたら、こんな記述に出会った。

「たとえば、『自分なんて』と自暴自棄な行動をとる対象者と関わることで、支援者も『自分はダメだ(何もできない)』と感じるようになる。組織にも『組織としてやれることは限られている(何もできない)』といった価値観が蔓延し、よい援助サービスが提供できなくなっていく。このように、対象者と支援者、組織が似たような状態を呈する現象を、ブルームは『並行プロセス』と呼んでいる。対象者が攻撃的な言動を示すと、組織も権威主義的で支配的な対応を強めていき、そこで働く支援者も威圧的な態度をとるようになる。トラウマの影響を受けた人や組織が相互に影響し、再トラウマを生じさせるのである。」(野坂祐子『トラウマインフォームドケア』日本評論社、p150)

この記述を読んで、僕が真っ先に頭に思い浮かべたのは、虐待事件が何度も明るみに出た神出病院であり、相模原殺傷事件の舞台となった社会福祉法人で、虐待が繰り返されていたことである。

「『自分なんて』と自暴自棄な行動をとる対象者」に、支援者や支援組織が巻き込まれていく。その「並行プロセス」の中で、対象者の攻撃的な言動に無意識・無自覚に巻き込まれた支援者や支援組織が「権威主義的で支配的な対応を強めていき、そこで働く支援者も威圧的な態度をとるようになる」。「トラウマの影響を受けた人や組織が相互に影響し、再トラウマを生じさせるのである」というのは、入所施設や精神病院で構造的に起こり続けていること、そのものではないか。そんなことが浮かんできたのだ。

そして付記するならば、神手病院ややまゆり園での虐待事件について、加害者を免罪するつもりはない。その前提で書くのだが、虐待が起こり続けている背景には、支援者や支援組織のトラウマ文化が背景にないか、という「妄想」を抱く。『自分はダメだ(何もできない)』『組織としてやれることは限られている(何もできない)』といった価値観が蔓延しているからこそ、トラウマの再演としての構造的暴力が、入所施設や精神病院で起こり続けているのではないか、ということだ。そして、それは一人一人の職員の人権意識の低さとか、そういう問題だけでなく、対象者が苛まれ、ゆえに支援者や支援組織相手に再演されるトラウマについて、支援者も支援組織も無自覚に巻き込まれていくからこそ、起こりうることなのではないか、とも思い始めている。

では、どうしたらよいのか。関わり方が困難であったり、周囲の人に攻撃的になったり、パニックに陥る当事者と接する支援者や組織に求められるのは、トラウマへの理解と、トラウマを前提にした関わり方をチームで行っていく、という覚悟ではないか、と思う。野坂さんの本の中では、健康な組織作りに向けては、①非暴力、②感情的知性、③社会的学習、④オープンなコミュニケーション、⑤民主制、⑥社会的責任、⑦変化と成長の7つがキーワードとして出されていた。僕はこれをみて、オープンダイアローグが生まれたフィンランドのケロプダス病院でのチーム支援と同じポリシーだと感じた。

トラウマにさいなまれているご本人の絶望と、そのものとしてしっかり向き合う。その際に、『自分はダメだ(何もできない)』という感情の波に支援者や組織が飲み込まれない。そうではなくて、「自分はダメだ(何もできない)」という絶望の背景に何があるのか、を「いま・ここ」で理解しながら、別の方策を考え合うチームをつくっていく、ということだ。

僕は20年以上、精神病院や入所施設に偏重しがちな日本の障害者福祉の問題をずっと考え続けてきた。そしてそのことを告発し、構造転換を訴え続けてきた。では、現に施設入所を求め、医療保護入院が必要とされている現実をどう転換できるか、については、ちゃんと考えてこなかった。その際の補助線を、再び渡邊さんの著作を戻って、考えてみる。

「『施設しかない』という家族の思い、気持ち。その背景には家族として障害のある人を養い支え続ける中で、諸方面から受けてきた様々な傷や痛みの蓄積があるのだろう。その傷や痛みの蓄積の果てにたどりついたのが施設入所。その施設から地域へ再度『逆戻り』するようなことは決して受け付けられないということかもしれない。地域移行を進める側は、地域移行は地域社会へと『前進』していくこと考えるのに、これまで地域で支え続けてきた家族からしたら、それは『逆戻り』することなのかもしれない。過去の傷、痛みが心身の深いレベルで疼き、心身に激しい抵抗感を感じるのかもしれない。」(渡邊、前掲書、p302)

トラウマの「並行モデル」は、「対象者の攻撃的な言動に無意識・無自覚に巻き込まれた」家族の間でも、もちろんある。入院や入所を余儀なくされた当事者に傷つきや痛みがあるように、『施設しかない』と追い詰められ、やっとの思いで入院や入所させた家族側にも、傷や痛みが心身の深いレベルで刻印されている。その傷や痛みは、入所施設や精神病院の支援者にだって、広まっているだろう。そのことは、児玉真美さんの本を読んで気づいたメモ書きにも一部触れている。

このようなトラウマや再トラウマを恐れる支援者や家族は、「過去の傷、痛みが心身の深いレベルで疼き、心身に激しい抵抗感を感じるのかもしれない」。だからこそ、脱施設や地域移行を本気で考えるなら、①非暴力、②感情的知性、③社会的学習、④オープンなコミュニケーション、⑤民主制、⑥社会的責任、⑦変化と成長、といった、支援組織や支援文化を変えて行く必要があるのだ。それは、トラウマに巻き込まれない、再トラウマを演じないために必要不可欠なだけでなく、トラウマの悪循環やその並行関係から、当事者も家族も支援者も支援組織も抜け出していくための、必要不可欠なティッピングポイントなのではないか。そんなことを、考え始めている。

魂のこもった「学術書」

社会福祉を研究していると、同業他者の名前はなんとなく知っている。あの人はこの研究をしていて、どこの大学に属していて、とか。今日取り上げる堅田さんはベーシックインカムや貧困問題を研究しておられて、法政大学の教員だ、ということは知っていた。でも、恥ずかしながら、彼女の著作や論文もちゃんと目を通したことはなかったし、ご本人とたぶん一度すれ違ったけど、ちゃんと会話したこともない。だからこそ、新刊情報で流れてきたタイトルを見て、意外だったし、ちょっと読んでみようかな、という気になるタイトルだった。

『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』(堅田香緒里著、タバブックス)

だから、読んでみた。すごく、良い本だった。

草の根の、地べたから見える風景が描かれている。研究者としての理論的フレームワークはもちろん持ちながらも、あくまでも、自分が出会った生身の人間の尊厳を大切にしている、そんなスタンスが、単純に良いな、と思ったし、共感できた。そして、そのスタンスが端的に示されている部分を、少しずつ拾っていく。

「 私にとって、聞き取った「声」をもとに論文を書くことの困難は、何よりもまず、私自身が路上に「通って」いただけで、そこで共に暮らしていたわけではない、という事実に由来する。白状すると、何度か路上での暮らしに挑戦したものの、挫折したのである。当時の私には、そんな人間が路上で暮らす人たちに「ついて」書くことなどできるわけがないと思っていたし、書きたくもなかった。」(p88)

さらっと書いているけど、「え、そうなの!」である。彼女は貧困問題を研究する以前から「路上に「通って」いた」。ホームレスと名指される人々の「声」と出会い続けていた。それだけでもなかなかない経験なのに、「何度か路上での暮らしに挑戦したものの、挫折した」と告白する。路上暮らしを挑戦したって! それも、びっくりである。さらに、「共に暮らしていたわけではない」のに「聞き取った「声」をもとに論文を書くこと」に「困難」を感じていたのである。研究対象に「ついて」論文なんてき「かきたくもなかった」というのは、ふつうの研究者とはずいぶん違うスタンスである。さらに、引用を続ける。

「 巷でますます量産されていく「ホームレス研究」の書籍や論文についても、戸惑いと若干の憤りとともに、ただ眺めていた。彼らと生活を共にしているわけでもないのに、彼らの「声」を「聞く」ことなど、ましてや「書く」 ことなどできるわけがない。とりわけ研究者は、いかにももっとももらしい「調査」を通して、ただ自分が聞きたい「声」を「聞く」のみである。そして、「調査」を立ち上げ、カネ(研究費)を取り、それを自分たちの「業績」にしていくと言う行為が、彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費しているようで、あさましく感じられた。」(p88)

たしかに2000年前後から、貧困研究ブーム(バブル!?)が到来し、実態調査系の本や論文もたくさん出てきた。その一方で、堅田さんは、自分も路上で色々な出会いをしながらも、調査対象者として改めて「「声」を「聞」」き、それを「書く」ことにためらいがあった。その背後には、「ただ自分が聞きたい「声」を「聞く」のみである」ということへの独善性を感じ、さらには、「「調査」を立ち上げ、カネ(研究費)を取り、それを自分たちの「業績」にしていくと言う行為が、彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費している」「あさましさ」を感じていたという。なんという素敵な感性だろう。

ただ、ぼくもそれはわかる部分がある。

ぼくは大学院時代、精神病院でフィールドワークをしたのを皮切りに、作業所とか当事者活動グループとかで、精神障害を持つ当事者の方からお話を伺う機会を結構数多く持ってきた。堅田さんのように、研究者になる前から出会っていた訳ではない。でも、そんな僕でも当事者の「声」を「聞いて」「書く」という、研究者の枠組みに当てはめるために聞く事へのおこがましさ、というか躊躇があった。だからこそ、いっぱい学ばせてもらったし、色々な話は聞いてきたけど、それは全然「書く」ことにつながらなかった。よって、大学院生の頃は、本当に全然何もかけなかった。(実はその後も、伺った「声」そのものはほとんど言語化できていない)

あと、蛇足的になるが、学生時代は臨床心理や精神医学も読み囓っていたが、院生時代は中井久夫も神田橋條治も河合隼雄も読むのを封印していた。中途半端に「分析」や「解釈」をしていては、当事者の声をそのものとして聞けない、と直観で感じていたからだ。だからこそ、ただ聞くだけで、ノートに書き留めたけど、それらの言葉は、全然活字にならなかあった。自分の言語化能力の低さとか、研究者としてのアウトプットの出来なさに、情けないな、と感じることもあった。

でも、いま堅田さんの記述に出会い、当時のぼくも「彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費しているようで」、後ろめたさ、というか、なんかちょっとそれは違うよな、と思っていたのかも知れない。だからこそ、それはぼくだけじゃなかったんだ、と思うと、勝手に同志的連帯、というか、似た感じ方の人がいたんだ、と嬉しくなった。

ただ、彼女の感受性の鋭さは、ぼくは到底及ばない。

「私にとって、かれらについて「書く」ということは、私と路上の友人との間に「書く」者と「書かれる」者との非対称性をはっきりと生じさせるだけではなく、かれらを物理的に「殴る」ことと同等の暴力であり、とても受け入れられなかった。なにより、路上の友人達のほとんどはおそらく一生読むことがないであろう「学術論文」を、かれらの「声」に基に書き「業績」をあげる、ということをしたくなかった。」(p89)

ここまで、書くことの暴力性について、ぼくは自覚的でもセンシティブでもなかった。確かに非対称性は感じていたし、精神病院のことを考えると、自ずと権力関係への自覚はあった。でも、ぼくの場合、当事者の声を聴いても、それをそのまま論文にする回路が結びついておらず、途方に暮れていただけかもしれない。そういう意味では、彼女はぼくなんかより、はるかに筋金入りで、ちゃんと路上で人としてホームレスの友人と出会っていたのである。

だからこそ、だと思うのだが、彼女がフェミニズムやベーシックインカムなどの理論を取り上げるとき、「お勉強のできる情報処理人間」とは違う回路やスタンスでの書き方だと感じる。筋が通っている、というか、彼女が友人と出会ってきた経験やプロセスが、理論や概念の解釈に結びついているようにも感じるのだ。

「ベーシックインカムの要求も『家事労働に賃金を』も、私たちに、労働に—賃労働にも家事労働にも—隷従しない生のあり様を示し、欲望に満ちた主体の可能性を開いていくだろう。パンが欲しければバラを引き換えにせねばならない、パンを我慢すればバラが与えられる、そうした交換の論理を軽々と超越していく。魔女は禁欲も隷従もしないのだ—パンも、バラも、よこせ!」(p41)

気持ちよいほど射貫く文章である。

パンは「生きる糧」でありバラは「尊厳」のこと(p15)だが、過労死寸前まで働いたら「生きる糧」は得られるかも知れないけど、「尊厳」は踏みにじられる。逆にエッセンシャルワーカーと呼ばれる人は、仕事に「尊厳」を持っているけど、「生きる糧」があまりに過小評価されている。パンかバラ、生きる糧か尊厳は、二者択一の問題ではない。「パンも、バラも、よこせ!」 それは、「労働に隷従しない生のあり様」を考える上で必要不可欠な理論的帰結であり、彼女が出会ってきた路上の友人のことを想うこととも直結しているのである。

また、ぼくはベーシックインカムについては、近年、新自由主義的価値前提に親和的な人々がその導入を口にしていて、胡散臭いと感じていたのだが、彼女はそれとは全然違う視点で見ている。

「ベーシックインカムとは一般に、『すべての人に、個人単位で、資力調査や労働要件を課さずに無条件で定期的に給付されるお金』と定義されているものである。ただしこの定義では、給付水準についての言明がなく、社会保障給付のコストダウンを志向する陣営からしばしば提案されるような低水準の給付がベーシックインカムと呼ばれることもある。これに対し、本書では、『生活に必要な所得』を保障する水準(以上)のものをベーシックインカムと呼ぶ。」(p45)

これも、「労働に隷従しない生のあり様」としての「生活に必要な所得」を保障せよ、「パンも、バラも、よこせ!」という主張で一貫している。実にロジカルで、かつ路上の友人たちのことを思い浮かべながら、の背景がしっかりしている論理である。

「社会の「役に立つ」とみなされればマイノリティも積極的に包摂するが、「能力」の「活用」を拒否する「怠け者」や貧乏人は、「役に立たない」とみなされ徹底的に排除され、ネオリベラル資本主義の秩序は維持される。要するに、ネオリベラリズムが差異に“寛容”なのは、体制の側が変わらなくてもよい、体制の側が「コスト」を引き受けなくてもよい、その限りにおいてなのである。」(p29)

彼女のこのマクロ政策への理論的な解釈は、路上の友人たちとの出会いに裏打ちされているがゆえに、本当に迫力がある。新自由主義的価値前提に「役立つ」「役立たない」という判断軸でわかりやすく分断され、ネオリベラル資本主義の秩序維持、のために、人々は包摂されたり切り捨てられたりする。その構造的な暴力、体制側の不作為を、彼女は真っ直ぐ見据え、居抜き、ズバリと言語化する。

この本は彼女の初の単著だという。これは、確かに表面的にはわかりやすい文体でまとめられた、読みやすいエッセイである。だが、その中に、軽く読み流せない、ほんまもんの問いかけがたくさんある。ブログでは紹介しないが、彼女は自分自身の痛みもそっと言語化し、差し出している。そして、ご自身の痛みや苦しみと、彼女が出会ってきた路上の友人の痛みや苦しみを交錯させながら、論理を展開し、言葉を紡いでいく。そういう意味では、素敵なエッセイであるばかりか、魂のこもった学術書でもある、とぼくには受け取った。そして、こんな大作は、並大抵の人間にはかけない。

そういう意味でも、実に読み甲斐のある本だったし、多くの人が手に取って、自分の痛みと交錯させながら読まれてほしいな、と思わせる一冊だった。

「学力工場」と偏差値序列

気になっていた『学力工場の社会学』(クリスティ・クルツ著、明石書店)を読み終えた。イギリスの貧困地域における公設民営の中学校(ドリームフィールズ校:仮称)において、厳格な規律遵守と学力工場に向けたガリ勉的な仕組みを導入したところ、学力テストでうなぎ登りになり、それが移民地域で白人中流階級の子どもたちも受験に殺到するようになった。そんな学校でのフィールドワークやインタビュー調査に基づき、ブレア政権以後、「教育」に力を入れるようになったイギリスでの新自由主義的改革が、どのような能力主義的な序列化に繋がったか、を解き明かしていくモノグラフ。サンデルの『実力も運のうち』を取り上げたブログでも書いたけど、ここのところ、能力主義は僕にとって一大テーマなので、食い入るように読み進め、読み続けるうちに自分の過去を思い出して心苦しくなりながら、読んでいた。

この学校の校長は、多文化が共存する下町の中等教育の現場で秩序を維持する戦略として、次のように述べている。

「6人とか7人の生徒のグループが集まっていることを認めていません。万一、生徒の大きなグループが集まっているのを見たら、その生徒たちがバカなことや暴力を起こさないよう、〔グループを〕解散させなくてはなりません。」(p91)

そして、規律を破った場合は、肺活量の大きい教員によって「大声での叱責」が行われたり、学校での居残りをさせられるのであった。また、放課後も学校周辺で街路を回り、制服の正しい着用や買い食いなどをしていないか、も厳しくチェックしていた。そこには「数量化できる学習成果を確実に絶えず生み出せるようにするための監視・強圧・分断・監査」(p116)が働いていた。そして、この「監視・強圧・分断・監査」は学生だけでなく、教員にも向けられていた。校長や経営層は、会社のように各個人のクラスの成績を査定するし、教員達が連帯しないように、職員室も置かず教科ごとの控え室しかなく、教員の労働組合もなかった。それは全て、ダウンタウンにおいて「掃き溜めの学校(sink school)」(p170)に陥らないための、学校全体を通じての「総力戦」的なやり方であった。

「アンビバレントな感情が、ドリームフィーズル校のプロジェクトの中心に位置付いている。すなわち、幸福と楽しさを約束する将来の幻想が、高いレベルの統制や規律、治安主義化に対する今現在の忍耐と結びついている。ドリームフィーズル校は数多くのテクニックを融合して、感受性の強い若者たちを、市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人へと成形しているのである。このトレーニングは、ますます日常化し、不安定でしばしば搾取されるポジションに進んで適応しようとし、それと同時に、自分の伝記を執筆する個人として自己を理解する主体の生産を奨励する。この個人化は、人種化され階級化された不平等が、学校教育の軍隊化にどのように関連し、またそれを強化しているのかを積極的に認識することを非常に困難にしている。」(p225)

僕はこの本に書かれている「テクニック」を知っている。というか、僕の中学や高校時代を通じて、このテクニックがぼく自身にも行使され、それを内面化・身体化してきた過去がある。

以前のブログに書いたように、僕が生まれ育った京都のダウンタウンの公立中学校は、ある種の問題のるつぼであり、「掃き溜めの学校(sink school)」に類似した部分もあった。不良がボンタンを着ているとかシンナーの話が出たり、原付バイクの盗み方、なんていう話も聞いたことがある。そんな学校における秩序維持のためには、大声で叱責する教員が何人かいた。激高して机を蹴り倒す教員もいた。そして、今回この本を読みながら思いだして真っ青になっていたのだが、その教員の恫喝の論理をぼく自身も内面化している部分がある。大教室で学生たちがガヤガヤしている時に、「やかましい」と恫喝的に声を上げたことが、大学教員になってから、何度もあったのだ。あれって、よく考えたら、中学の時にうけた「治安主義化」の「テクニック」の再生産だったのだ、と、この本を読みながら気づく。

「感受性の強い若者たちを、市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人へと成形している」というのも、ぼく自身の中高時代に当てはまる。「良い高校、良い大学に入り、良い会社や良い職業につくことが未来を切り開く唯一の道だ」と信じて猛烈進学塾で夜中まで勉強していたし、頑張り続け、自らの偏差値を上げないと、人生は上手くいかないと思い込んでいた。それは、偏差値の序列という「市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人へと成形してい」くプロセスそのものだった。

その後、進学校の高校に入った後、勉強は本当につまらなくなってしまい、どんどん成績が急降下していった。それを今振りかえってみるならば、「幸福と楽しさを約束する将来の幻想が、高いレベルの統制や規律、治安主義化に対する今現在の忍耐と結びついている」という事へ心身の反発や疲労、だったようにも、思う。中学校までは勉強が楽しかったのだが、高校で写真部に入って仲間と議論する(「隠れ作業」のp232)楽しさに気づくと共に、「高いレベルの統制や規律」での「勉強しなければならない」という「忍耐」が受け入れられにくくなったのだ。

「教師と生徒は、来たるべき未来に奉仕するために、現在の労働に耐えるべきだとされている。しかし、現在の残虐性はいつ終わるのだろうか? より寛大な『後の時間』はいつ始まるのか?」(p328)

中学や高校の頃は、大学に入れば、「今現在の忍耐」=「現在の残虐性」は「終わる」と思っていた。だが、何を何を。「後の時代」はそう簡単には始まらない。

「ドリームフィールズ校の一部の生徒は労働市場で成功できるだろうが、数多くの副作用がこのアプローチにはある。権威に対する無批判な従属、想像力の欠如、および狭隘な意味での主体性の感覚を養う従順さの修練は、それなりの危険性を孕んでいる。批判的思考や批評は、ベルトコンベアの進行と学力テスト結果の生産を妨げるだけの、乱雑で、時間を食う、破壊的な活動とされている。」(p329)

この「副作用」は、僕にもその後20年近く強い影響力をもたらしてきて、現時点でもそこから自由になりきれていないし、また、大学で出会う学生たちにも影響力を与え続けていると思う。それが、先に書いた「偏差値信仰」である。

「市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人」であった僕は、偏差値の高い大学に入ることを絶対的な価値だと思い込んでいた。だからこそ、その当時、「京大に日本一学生を送り込んでいる進学校」に入っていたのにも関わらず、センター試験で現役も浪人も良い点が取れず、京都大学を受験すら出来なかった段階で、自分自身を「落ちこぼれ」だとセルフ・スティグマを張っていた。入学した当時の阪大では、「周りはバカばかり」と思い込む、一番最低な人間だった。

また20代の間、ずっと大学受験の予備校や家庭教師をし続けてきたのだが、偏差値を30代からどう50代、60代にあげるか、という事に熱血になって指導して、それなりの成果を上げてきた。教師の教え方が下手だから学力が上手く向上しない高校2年生や高校3年生に、「今からでも頑張れば出来る!」と元気づけ、実際に彼等彼女らの成績を上げる支援をしてきたのだが、「来たるべき未来に奉仕するために、現在の労働に耐えるべきだ」という論理を、大学生の頃から高校生に教師として教える役割を担い続けてきたのだ。そのなかで、偏差値至上主義の論理を捨てられるはずもない。

だが、その呪縛を相対化出来るようになったのは、30才の時に就職した山梨学院大学で過ごした13年間だった。「Fランク大学でも行ける公務員」とか、週刊誌にひどい書かれようをしていたが、実際には魅力的でオモロイ学生が多く、勉強の面白さや学びのコツを理解していないだけで、実際にそれを理解すると、進んで面白がって学びを深める学生たちと出会い続けてきた。前任校の学生たちは、良い意味で「権威に対する無批判な従属、想像力の欠如、および狭隘な意味での主体性の感覚を養う従順さ」を鍛えていなかった学生さんが多かったので、ともに批判的思考を学びあいながら、深い議論をし続けることが出来た。僕は山梨学院大学で教員をさせてもらったからこそ、「稼げる大学」などもっともらしく喧伝する大学教育改革の胡散臭さを、肌身を持って理解できるようになった。

そして、今の職場の県立大学に移ると、確かに受験勉強をコツコツ積み重ねてきた、「よい子」が多いことに気づいた。だが、その修練は、「権威に対する無批判な従属、想像力の欠如、および狭隘な意味での主体性の感覚を養う従順さの修練」と結びついているようにも感じる。前任校と現任校では、基本的に同じようなスタンスで講義をし続けているのだが、「批判的思考や批評は、ベルトコンベアの進行と学力テスト結果の生産を妨げるだけの、乱雑で、時間を食う、破壊的な活動」だと認識している学生の数は、今の大学の方が遙かに多いので、僕の授業は最初、ものすごく感情的に反発を受ける。それは、今まで「従順さの修練」に必死になり、それが教員やテストで評価されてきたのに、「あなたはこの社会問題についてどう考えるの?」という問いは、僕は「模範解答」を一切言わないこともあって、全く通用しないのだ。つまり、批判的思考や批評をするクセを付けず、それを封印してきた学生たちが、その視点を獲得するのは簡単ではない、ということである。

そして、それは20代までのぼく自身の姿でもあったのだ。

「ドリームフィールズ校がより優れた質を備えるためには、この変容のプロセスの外部に、問題のある『他者』が存在しなければならない。生徒たちは、ドリームフィールズ校に通うことを誇りに思うかもしれないが、これは、学校の内と外の双方に根強くあるヒエラルキーというより広い問題に対処するものではない。病理はこのゼロサム・ゲームのどこか他の場所へと移動する。そして、ドリームフィールズ校が偉大になるためには、危険視された空間が継続的に存在しなければならない。」(p320)

能力主義やメリトクラシーの最大の問題点が、ここに詰まっている。誰かより秀でている、と比較優位で認めるためには、「問題のある『他者』が存在しなければならない」のである。偏差値が上がった、と喜んでいるが、それは他の誰かが下がることによって成し遂げられるものなのである。そうして、偏差値という一元的な評価尺度で序列化することによって、「危険視された空間が継続的に存在しなければならない」し、「病理」を他者に押しつけておしまい、になってしまう。僕はそのことに、20代まで全く無自覚であり、30代からの大学教員になって、やっと少しずつ、学生から学ばせてもらった。

そう言う意味では、この本は現代イギリスの人種や階級格差と学力格差の問題を主題化した本なのだけれど、日本の教育にも通底するし、日本の「学力工場」的な問題は、イギリスよりずっと以前から根深く起こり続けている問題かも知れない、と感じている。なので、この本は能力主義や日本の教育を問い直す上でも、お勧めです。

最後に、個人的なメモワールを二つ。実は、能力主義に関する古典的名著であるマイケル・ヤングの『メリトクラシー』は、僕が通っていた当時の学部の選択必修の教科書であって、僕はその名前を知っていたけど、その当時は教育学が面倒だと思い込んでいて、読んで来なかった(なんと視野狭窄な学生!)。でも、今回の本も、サンデルの本も、このメリトクラシーの議論が下敷きになっているし、有り難いことに最近再版されたので、そのうち四半世紀放置した宿題として、読んでみようと思っている。

それから、訳者のお一人、濱本信彦さんは、20年程前、学部の「学生控え室」という名前の溜まり場でお目にかかったことのある、後輩である。あの当時は、のんびりとした・朴訥な性格の好青年というイメージだけが記憶に残っているのだが、20年後にこんながっちりとした学術書を、しかも読みやすくてわかりやすく翻訳してくださる立派な研究者になられているとは、思いも寄らなかった。そんな彼が、訳者解説でこんな風に書いている。

「我々の『学力向上』の取り組みの行き着く先を『学力工場』にしたくなければ、『よい教育とはなにか』という問題について、教育に関わる多様な主体が対話に参加し、学校という制度とその民主的価値に関する言説を豊かにしていくことが重要であると言うことが、本書を読み改めて感じられる点である。」(p387)

この濱本さんのまとめについては心から同意するし、濱本さんや、大学院の仲間であり以前ブログでご紹介した「ケアする学校」の著者の柏木さんと、じっくり学校に関する対話をして学ばせてもらいたいなぁ、と思った読後感だった。