センシティブ、を捉え直す

今年初めてのブログである。今日は立春、小春日和のように姫路は暖かく、この間、汗だくになっていたタートルネックを三本、洗濯も出来た。

1月はバタバタしていて、何も書けなかった。久しぶりに原稿を二本書き下ろしていたから、というのが前半で、その後、昨日までの冬の土用期間(1月18日~2月3日)に家族内で風邪を移し合っていた、というのが大きい。子ども→妻→僕→妻ときて、また僕が先週末から風邪を引いていた。子どもが産まれて、本当にしょっちゅう風邪をひく。

で、僕は風邪を引くたびに「なんて弱っちいのだろう」と嘆いていた。でも、そうやって風邪を引く=弱い=ダメなこと、と決めつける、想像の連鎖の束そのものが、僕自身を束縛している「強さへの憧れ」なのではないか、と、やっと気づき始めた。

いつも重要な指摘を投げかけてくださる深尾葉子先生と対話している時に、この話題を嘆きながら話した時に、「風邪をひける、って、それだけセンシティブな能力があることでは?」と問いかけられた事に端を発する。

確かに、見かけによらず!?僕はセンシティブである。小説や、ドラマとか映画には変に感情移入過多となり、主人公が恥ずかしい思いをするシーンなど、先が読めてしまって「見ていられない」ので、テレビを消し本を閉じてしまうことも何度もあった。小さい頃は冷たい牛乳を飲むと一発でおなかを壊し、でも親に「ほんと、すぐにおなか壊すねえ」と言われるのが嫌で、夜中にこっそり正露丸を飲んでいたこともある。僕にとって、センシティブである事は、打ち消しがたい自分自身の一つの特性であるが、それはネガティブなもの、否定すべきもの、克己すべき何か、のように思っていた。でもそう簡単に克己できないから、小説やドラマ、映画は見ないようにしていたし、冷たいものは飲まないようにして、風邪だけは避けられないので、風邪を引くたびに「弱っちい」と嘆いていた。

つまり、打ち消しようのない自分の特性を、否定的に捉えていた。

でも、深尾先生に「センシティブな能力」と言われて、はっと気付いた。なるほど、そういう捉え返しもあるのか、と。そう言われると、気づき始めた。ずいぶんと長い間、この「能力」に必死になって蓋をしてきたよなぁ、と。

そもそもドラマや映画、小説を封印したのは、「受験勉強の弊害になるから」。受験勉強あるある話だけれど、僕は高校くらいから本好きになると共に、受験勉強が本当に嫌になり、入った進学校でどんどん成績順位が低下していったのだけれど、試験前ほど死ぬほど小説に没頭できた。パール・バックの大地とか、試験前日の雪降る中、続きが読みたくて、チャリで本屋を探し回ったものである。で、そういう豊かなセンシティビティや感受性を育てたら良かったのに、それは「非効率だ」と蓋をして、読まないようにしていた。ただ、例外はあって、村上春樹は大学時代からずっと読んでいたけど、博論を書く時に「これでは書けなくなる」と一度全部捨ててしまい、博論書いた後にまた古本屋でコツコツ探し求める、という阿呆な事もしていた。

で、いま何故にその蓋を取ろうとしているのか。それは、子どもの存在が大きい。

3歳になった娘は、感受性の塊で絶賛自己主張期(=という名の、またの名をイヤイヤ期)。楽しいことは全力で楽しいと表現し、嫌なことは全力でイヤーと拒否をする。怒られたり納得出来ないと、大粒の涙をポロポロ流す。そんな娘と日々を過ごしていると、この感受性の豊かさに驚かされるし、それと共に、僕の中にも、こういう感受性の源のようなものはあったし、枯渇もしていないよなぁ、と思い出すのである。

さらに、強さへの憧れとは、マッチョイズムとつながるだけでなく、受験勉強以来染みついた、偏差値の序列社会への過剰適応の内面化なのだとも、ひしひし思い至る。僕自身がそうやって他者比較の価値基準を自分の中にインプリンティングし、他者を見る時も、自分自身を振り返る時も、そうやって査定していた。くだらない話を書くが、「あの人は同年齢なのにこれだけ業績を出している(本が売れている、賞を取っている、社会的評価が高い・・・)。それに比べて僕は・・・」という「比較の牢獄」に自分自身が陥っていた。いや、今もまだ、このラットレース的心性を内面に抱えて、身もだえする時がある。

でも、娘には、まだそれがない。だから、自由だし、溌剌としている。もちろん、社会的存在になる、ということは、多かれ少なかれ、このような他者比較の牢獄から完全に自由になることは不可能なのはわかる。でも、少なくとも、今の娘が持つような、他者比較をすることなく、自分自身の感受性の豊かさを全面に出すような、そんな心性を、僕ももうちょっとだけでも取り戻したい。そう思い始めている。

すると、子育てをし始めて、前よりしょっちゅう風邪を引いて寝込む回数が増えたのだが、これも感受性を取り戻すための、大事な身体からのお知らせ、なのかもしれない。でも、その身体からのメッセージを無視して、頭でっかちを続け、脳や意思中心主義に閉じこもっていると、子どももそうやって比較の牢獄に追い込んでしまうことになりかねない。「他の子はもっと出来ているのだから」「ちゃんとしなさい」と。

それは、嫌だ。

そう思うから、娘を変えるのではなく、まず父が変わる必要がある。僕がまず、この比較の牢獄から抜け出せなくても、少なくともそれを意識化する必要がある。僕自身が、己の「強さへの憧れ」の歪みに気付いて、そこからちょっとは自由になりたい。そして、娘から感受性の豊かさ、感受性の表現の仕方をもう一度学んで、豊かな感受性を取り戻したい。

そう思うと、これは以前ブログに何度か書いた、caring withの論考の続きになりそうな気がしている。実際、子育てやケア関係で、書きたいことは沢山ある。でも、それは僕自身の男性性や、「強さへの憧れ幻想」との関係をひもとく中で、明らかになってきそうな何か、なのかもしれないと、今、思い始めている。

(たぶん、つづく)

 

 

 

2019年の三題噺

年の瀬恒例の私的三題噺。何を書こうかと思っていたが、今朝の話から。

1,子どもとの世界が拡がる

年の瀬の31日、おかあちゃんはご用だったので、おとうちゃんと二人でお出かけ。妙にバスが大好きで、今日もバスに乗る、というので、バスに乗って駅にお出かけ。新快速に乗り換えて、三宮まで行こうと思ったけど、今日はふと思いついて加古川で下りて、ショッピングモールのおもちゃ屋でトーマスグッズを買う。トーマスのDVDを繰り返し見続け、トーマスの服をやたらきたがる娘さん。帰りは姫路駅の王将で天津飯を食べるのが楽しみだったのに、今日に限ってお休みでがっかりな娘さん。また来年食べようね、と約束して、家でお昼を食べて、ねんねしてくれました。

子どもは二歳児の一年であり、この一年、絶賛自己主張期であった。「いやいや期」と一般には呼ばれているけど、確かに口を開けば「いや」って言うけど、「いやいや期」という名付けは何だか好きじゃ無い。母から分離し、自分自身を確立しようとと、好奇心旺盛になっているお年頃であり、自己主張をとりあえず「いや」というひと言からスタートさせている時期。そう思って、なるべく温かく見守ろうとするけど、父としては、娘を通じて修行の一年だった。

娘と過ごすと、当たり前の話だが、ぜんぜんこちらの思い通りにならない。ペースは娘中心。こちらの時間感覚とか効率性とか、全てなぎ倒される。それに、今でも時に苛ついてしまう。でも、娘が産まれ、娘との生活を大切にしようと決めると、僕自身がいかにそれまで仕事中心で、ワーカホリックで生きてきたか、も改めて思い知る。

姫路の住まいは、歩いて目と鼻の先に大きな公園があり、空いた時間があればとにかく公園に娘と鍛錬にいく。この「鍛錬」という表現は、松田道雄の名著「育児の百科」にたびたび出てくるフレーズ。子どもを外で毎日鍛錬させよ、というシンプルなフレーズは、でもエネルギー有り余る娘を見ていたら、確かに重要だと思う。で、公園にしょっちゅう通うと、娘を通じて四季の変化を感じる。寒椿に始まり、桜のつぼみが硬く膨らみ、やがて梅から桜、そして新緑と繁り、夏には蝉がミンミン鳴いて、やがてコオロギから葉が色づき、落ち葉に今度はどんぐり拾い・・・。以前はそれを山歩きして感じていたのだが、近所の公園を娘の後をついて歩き回るだけで、豊かな四季を感じる。そういう時間を、子どもが産まれるまでは、しっかり持てていなかった。あと、例えば年末からの1週間は仕事をしないと決めて、実際メールも含めてほとんど仕事をしていないけど、そういう風に割り切れたのも、やんちゃな主役が我が家におられるから。お父ちゃんのワークライフバランスを保つためにも重要な存在だと改めて感じる。

2,僕の声を取り戻す・統合する旅が始まる

きっかけは英語、だった。

研究をご一緒させて頂いている深尾葉子先生からお誘い頂き、心理学にも造形の深い英語教師のアメリカ人のSさんと、Zoomで英語ディスカッション、というのを1年半くらい続けている。『精神の生態学(Steps to an Ecology of Mind)』とか『実践 日々のアナキズム(Two Cheers for Anarchism)』などの濃厚な原著を肴に、その内容から拡がるあれこれを英語で議論する、というハードな1時間。その中で、深尾先生から「竹端さんは、すごい難しい表現をスルスルと話すときと、頭をかきむしりながら苦しそうに言葉を探すときの、その落差が激しい」と指摘されていた。

ある程度自分が知っていたり、専門に近い領域の英語は、ストックフレーズが沢山あるので、比較的スルスルと言葉が出てくる。でも、全然違う領域の話をしたい、と思っても、どう表現していいのか、わからない。日本語ならもっとうまく話せるのに、話してみたら小学生レベルの内容しか伝えられないことがもどかしくて、それで頭をかきむしって苦悶しているのだ。そう思い込んでいた。だが、この英語レッスンをする中で、どうやら違うとわかってきた。

そのために、先に三題噺の最後を出しておく。

3,ダイアローグの中で、鎧がほどける

この一年は、僕の中での「開かれた対話性」がより深まった一年であった。講演や研修会、授業やゼミでも、なるべく開かれた対話性を大切にして、不確実性を楽しみながら、他者の他者性を引き出す場づくりをしてきた。すると、そのような場づくりの中で、様々な相互作用が起こったり、研修が終わった後にとても満足してもらえる機会も増えた。僕が何かについて一方的に教える・説得する、というabout-nessモードをやめて、その場の人びとと一緒に考え合うwith-nessモードに転換するだけで、ずいぶん良い流れが生まれ始めた。そして、それは、他者に対して、だけではなく、自分自身に対しても、であった。

変な話だが、僕も、僕に対して、「他者の他者性」とか「不確実性への耐性」を重視することなく、論理的で知識中心の僕が一方的に突っ走る、about-nessモードであった。だが、「開かれた対話性」を大切にし、一緒に考え合うwith-nessモードを重視し始めた時、僕の中で、十分に聴かれていない、表現されていない何かが表現を始めた。それが、1の絶賛自己主張期の娘に揺り動かされ、2の英語レッスンと結びつき、自分のなかの新たな声として、胎動し始めた。それは一体、どういうことか。

僕は中学1年から、猛烈進学塾に通い始める。そのときのことは、以前のブログにもかいた。だが、そのときには自覚できなかったのだが、僕は12歳で塾に入って以後、受験勉強の能力主義モードにがっりと入り込み、その後研究者として生き残るためにも、さらにその能力主義に磨きをかけてしまったばっかりに、徹底的に新自由主義的合理性を内面化した部分がある。それは、効率的で効果的なやり方以外の道を否定することであり、能力主義的ガンバリズムを当たり前に考えるあり方だった。そして、子育てをし始めて三年間で、そのやり方では全く子育てがうまくいかないことを身に染みて気づかされ、ズタボロになりかけていた。

これと英語がどう関係しているのか。めちゃくちゃ関係しているのである。

実は英語表現の竹端は、分裂している、ということも以前のブログで書いていた。ほんと、僕のブログは僕自身にとっての外部記憶装置ですね。12歳で受験英語に適応するために、流暢なしゃべりを捨てて、日本人的英語表現に「矯正・強制」した時から、僕の中では受験勉強的な合理性を至上とするモードに切り替わってしまった。魂の情動とか、自然に発露する直観よりも、論理的で理性的な何かを尊重した。そうやって多くの本も読み、論理的に考え、その訓練を続けてきた結果、論理的で理性的な「議論」なら、得意な分野なら、英語でもほどほどに出来るようになった。だが、英語は第二言語ゆえに、日本語ほどだませないし、隠し通せない。

僕は例えば他者にインタビューするのはめちゃ得意なのだけれど、自分のことを語るのは得意では無い。だから、ついファシリテーターとして、皆さんの意見を賦活させる役割を引き受ける。でも、こないだZoomで振り返りの会をした時、20年来の友人から「竹端さんの意見や声は出さないの?」と言われて、ドキッとした。そう、僕はその場の皆さんの声を安心安全に出すお手伝いはするけど、肝心の僕の声を出さないまま、できたのだ。出すとしても、論理的で理性的で、つまりは手堅い範囲内でしか、自分を出さないことになっていた。

だが、こないだの振り返り会で、「竹端さんの声も聴いてみたい人もいると思う」と言われて、ぐらつく自分を発見する。実は、大学の授業やゼミでも、なるべく皆さんの意見を賦活させる事を大切にして、僕は自分の意見を言うことには禁欲的だった。「権力者の意見を押しつけてはならない」というルールをかなりしっかりと守っていた。すると、たまに学生さんから「先生の意見も聞いてみたい」というリプライも来る。こないだの振り返り会の参加者からも、「竹端さんが一個人として自分の意見をその場に差し出すことは、別に支配的でもなんでもないのでは」とも言われる。

そういったことも重なって、こないだ、英語でこんなことを言い始めていた。

「僕は親になった事で、自分に対して責任を取ろうとしている。自分の思いを、自分の声で話そうとし始めている。師匠に弟子入りしたのが98年で、20年が経つ。僕にとっては師匠は今でも尊敬すべき唯一無二の師だが、そろそろ師匠から独立して、師匠とは違う道を歩み始めたのだと思う。それが、ダイアローグやファシリテーションを大切にした場づくりだ。それってあたかも、自分が親になって、子どもでいた時代を卒業し、自分や子どもに対しての責任を持つようになった事と相似形だと感じている。」

こういうことを、頭をかきむしらず、バリバリの日本語英語でもなく、スムーズに落ち着いて表現する事ができはじめた。娘と過ごす日々の中で、僕自身の情動が突き動かされ、開かれた対話性を自らの魂とも発動させることによって、僕の声を取り戻す・統合する旅が始まったのだと、思う。

そう思うと、生産至上主義的にはあまりぱっとしないし、ほとんど論文も書けていない、一年だった。でも僕の中で、12歳くらいから抑圧してきた魂と、30年後の今になって和解し始めた、というか、情動と理性をつなぎ合わせることを試行錯誤の中で結びつけ始めた1年だったのかもしれない。対外的には大した変化はなかったが、対内(胎内?)的にはものすごく沢山の何かが動き始め、つながりはじめ、転換し始めた一年だったのかも、しれない。そしてそれは、来年以後の僕にとっては、計り知れないほどの大きな一歩を踏み出す上での、大切な内的作業だったのだと思う。

従来の1年の振り返りは、「○○した」というdoingの振り返りが殆どだったのだが、今年に限ってはどうあったか、というbeingの振り返りだった。そして、それが今の僕にはぴったりきている。そういうことを、子どもが昼寝している間に書き終えられて、良かった。さて、これから年末の買い出しに行かねば。

みなさま、よいお年をお迎えください。

構造ではなく、構造化のダイナミクス

大学院の福祉社会学特論では、悪循環を乗り越えるためにはどうしたらよいか、を主旋律に、『悪循環の現象学』(長谷正人著、ハーベスト社)を読んだ後、深尾葉子先生の『黄砂の越境マネジメント』を読みすすめてきた(本の紹介は以前のブログに)。そして、12月23日(月)には、Zoomで著者の深尾先生と大学院生がダイアローグする機会を作った。非常に実りある対話の場だった。

この中で僕にとっても印象深い内容だったのが、構造と構造化を巡る議論であった。深尾先生の論考から、まずその違いに関する部分を抜き出しておこう。

「村において観察可能であったのは、村人同士が各々個別に展開する労働交換や情報の交換によって形成される『関係』のネットワークのみで、それは常に変化し、形を変えて存在し続ける。そこから抽出できるのは、構造そのものではなく、構造化のダイナミクスであり、動的なモデルであった。」(p291)
「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象を理解するには、あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法は、大きな齟齬をもたらす」(p294)

僕自身の反省を込めて書くのだが、僕自身、ある時点まで優れた研究とは何らかの構造を明らかにすることだ、と思い込んできた。博士論文で明らかにした社会変革を可能にするソーシャルワーカーの「5つのステップ」も、構造まではいかないけど、その種の法則的なものを明らかにした、つもりでいた。

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<精神障害者のノーマライゼーションを模索するPSWの五つのステップ>

ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける
ステップ2:その想いや願いを「○○だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走しはじめる(支援者自身が変わる)
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる)
(竹端寛 2003 「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題―京都府でのPSW実態調査を基にー」大阪大学大学院人間科学研究科博士論文)

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だが、僕の見つけた5つのステップも、深尾先生の議論に当てはめてみれば、「『関係』のネットワーク」を表現したものであり、「常に変化し、形を変えて存在し続ける」プロセスの記載であり、それは「動的なモデル」としての「構造化のダイナミクス」であった。で、構造のようながっちり固まったものではないがゆえに、このステップは、自画自賛じゃないけど、コミュニティワークの一つのプロセスとして、今でも使える何かが描かれていると思っている。

そういえば、博論を書いた後の2005年、ある福祉施設の職員間のコンフリクトを7つのポイントで整理したのだが、こないだ全く別の福祉施設の幹部職員がこの文章を読んで、以下のような感想を寄せてくれた。

「15年前の先生の論文を拝読し、まるで私たちの法人のことが書かれているのではないかという錯覚を覚えました。まさに職員の誰かが口にしそうな内容がたくさん記されていて、きっと、みんな同じように思っていることがあるのだろうなと、感じました。」

この感想を読んでいると、どうやら僕も頭では構造に憧れながら、実際に表現しているものは「構造化のダイナミクス」だった。だからこそ、なかなかこの種のものは査読論文には掲載できなかったのだけれど。

で、月曜日のダイアローグで特に僕が興味深かったのは、先に引用した「あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法」という部分である。人間が関わる様々な事象は因果の連鎖で結びついているのに、その一部をフレーミングすることによって、「限定された因果関係」で「構造」を記述することの危険性について、深尾先生は指摘しておられる。この話を聞きながら、精神医療でも「病気」「症状」という形で専門職が判断することで、「生きる苦悩」という複雑な因果関係の連鎖の一部にフレーミングし、そこに投薬や隔離拘束で落ち着かせよう、という精神医療の治療「構造」が重視される。だが、その動的な現象を構造で理解すること自体が、時間と因果関係の限定性をもたらし、「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象」としての、生きる苦悩の最大化としての精神症状という構造化のダイナミクスの理解には不適切なのではないか、と深尾先生におたずねしてみた。

すると深尾先生は、癌だって同じですよね、と応答する。癌が他ならぬその人に生じている、という複雑なダイナミクスを理解することなく、症状のみに着目して、それを消し去ろうとすることは、構造の理解と消去を目的にしているけど、その構造化のダイナミクスという因果の連鎖に着目しないから、それは近代的合理主義の範囲内の、切り分けた発想や視点になってしまうのではないか、とおっしゃった。

その話を聞きながら、僕はフランコ・バザーリアの発言を思い出していた。

「狂気とすべての病は、私たちの身体がもつ矛盾の表出です。身体といいましたが、それは器質的な肉体と社会的な身体のことです。病とはある社会的な脈絡のなかで生じる矛盾のことですが、それは単なる社会的な産物ではありません。そうではなくて、私たちを形作っている生物学的なもの社会的なもの心理的なものといった、あらゆるレベルの構成要素の相互作用の産物でもあるのです。(略)たとえば癌は歴史的・社会的な産物です。なぜなら癌は、この環境において、この社会のなかで、この歴史的な瞬間に生み出されていて、また生態学的な変化の産物でもあり、つまりは矛盾の産物だからです。」(『バザーリア講演録 自由こそ治療だ』岩波書店 p108)

癌も精神病も、「私たちの身体がもつ矛盾の表出」であり、「ある社会的な脈絡のなかで生じる矛盾」である。ストレスフルなライフイベントが続くなかで、社会的なつながりが断たれ・閉ざされるなかで、リラックスできる余裕が失われるなかで、失業や別離など大きな喪失があるなかで、生きる苦悩が最大化するプロセスのなかで、癌や脳卒中、心筋梗塞、糖尿病、精神疾患などの「五大疾病」に陥る。この五大疾病は、もちろん医学的に治療の対象となるのだが、「いま・ここ」で他ならぬその人が罹患している、という意味では、「この環境において、この社会のなかで、この歴史的な瞬間に生み出されていて、また生態学的な変化の産物でもあり、つまりは矛盾の産物」なのである。その「矛盾の産物」という複雑なダイナミクス=因果の連鎖を、そのものとして理解しようとせず、投薬や外科的手術のみですべてを解決することは、原理的に不可能なのである。

癌や精神疾患という、顕在化した「疾患」。だがそれは「常に変化し、形を変えて存在し続ける」ものの、一つの表現形態に過ぎないのかも、しれない。すると、精神症状を消す薬を飲めばそれでおしまい、なのでもない。そうやって一部のみを止めてしまうと、他の部分に「変化し、形を変えて」顕在化するかもしれない。

誤解なきように言い添えておくと、治療が必要ない、と言っているのではない。ではなく、「この環境において、この社会のなかで、この歴史的な瞬間に生み出されていて、また生態学的な変化の産物でもあり、つまりは矛盾の産物」が「いま・ここ」で他ならぬその人に現れている意味を考え、「あらゆるレベルの構成要素の相互作用の産物」として受け止めることによって、その因果の連鎖に、別の働きかけをすることが可能でありうる、ということを言いたかった。それが、構造化のダイナミクスの面白さである。そして、前回のブログで引用したバザーリアの、次の言葉に行き着く。

「医師は単なる専門技術者でもエキスパートでもありません。薬を処方するのは医師の仕事ですが、患者と別の関係性を築くことによって、患者の暮らしに意味を与えることが医師には出来るのです。」

バザーリアは、現象学的精神医学を勉強していた時代は、精神疾患の構造を明らかにしようとしていたのかもしれない。でも、精神病院の院長になって、悲惨な収容主義の実態を目の当たりにしてから、構造の理解ではなく、構造化のプロセスに足を踏み入れた。精神病院の実態を変えるための、動的プロセスの中に関与することによって、「患者と別の関係性を築く」プロセスに身を投じた。それは、「あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法」との決別を意味していた。でも、そのことによって、「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象」としての施設収容という全体像を捉え、その収容主義を廃絶するための舵を切ることができた。そういう意味で、彼は構造化のダイナミクスを自ら展開させていった人である、とも言える。

深尾先生の著述は黄砂や黄土高原がフィールドであり、一見すると、精神病院や精神疾患とは全く違う内容にみえる。でも、それは「構造」のみを眺めた時に感じる「ちがい」である。しかしながら、深尾先生は優れた構造化のダイナミクスの記述であるがゆえに、その骨法は、全く別の領域において、何かを考える際の大きな補助線となる。これぞ、ほんまもんの意味で普遍的な理論であり、普遍的な記述である。あらためて、その学恩に感謝したいと思って、ながながと自分のフィールドにひきつけて感想をかいてしまった。

関係性の変容は可能か

季刊福祉労働165号に、実に考えさせられる二本の論文が掲載されている。

一つ目が、フランコ・バザーリアの「健康と労働」についてのブラジル講演と質疑応答。岩波からでている「バザーリア講演録」に含まれなかった部分で、僕がぜひとも読みたかった部分でもある。その中で、印象的なフレーズをいくつかご紹介する。

「私の理解では、ブラジルでは精神病が大きなビジネスになっています。狂人たちを食い物にして生計を立てているプライベートの診療所があります。狂人が多ければ多いほど儲かるようになっているのです。これはとくに労働者を破壊する道です。これでは労働者は、自分の不自由さや苦悩を自覚することができませんし、こうした苦悩と闘うことができません。こうなると狂気で金儲けする商人たちのおかげで、精神病者は減るどころか増えてゆきます。そして、こうした悪事に荷担する専門技術者たちは、当然のことですが労働者階級が必要としている同盟者などではありません。」(p149)

これは、ブラジルを日本と入れ替えても、全く同じ事が言える。9割の入院病床が「プライベート」であるがゆえに、世界一、入院している患者の比率が高いのが日本である。まさに「狂人が多ければ多いほど儲かるようになっている」のである。

ただ、バザーリアは現状を告発して終わり、とはしない。かれは、精神症状として表出化しているものを、単なる病気ではなく「自分の不自由さや苦悩」の最大化した姿である、と捉える。不眠や幻覚妄想状態に陥った背後には、家族や親しい友人・同僚との関係が行き詰まることや、人生に絶望し先の見通しが立たなくなるなどの、「自分の不自由さや苦悩」の最大化がある。本来の快復=リカバリーのためには、「こうした苦悩と闘うこと」が必要不可欠なのである。しかしながら、その「苦悩」を理解し寄り添うことをせずに、「狂気で金儲けする商人」の「病気だから入院しましょう、薬を飲みましょう」という喧伝が支配的になると、「精神病者は減るどころか増えてゆ」くのである。では、医者はどうすればよいのか。バザーリアは、反精神医学ではないので、精神病を否定していないし、薬物投与も認めている。しかし、こう主張する。

「医師は単なる専門技術者でもエキスパートでもありません。薬を処方するのは医師の仕事ですが、患者と別の関係性を築くことによって、患者の暮らしに意味を与えることが医師には出来るのです。したがって、私たちの仕事には、根本的に政治的な意義が含まれています。専門技術と政治といった分業体制を越えたところに、医師の仕事はあるのです。」(p146−147)

「患者と別の関係性を築くことによって、患者の暮らしに意味を与えること」

すごく大切なことだが、3時間待って3分診療、という仕組みでは、そもそもこういう「別の関係性を築くこと」ができない。よって、薬物投与中心になり、「患者の暮らしに意味を与えること」が出来ない。これは結果的に「専門技術と政治といった分業体制」を消極的であれ肯定することであり、「狂人が多ければ多いほど儲かるようになっている」「労働者を破壊する道」を消極的にであれ政治的に選択している、ということなのである。

そんな構造的なことを、一専門職が変えられる訳がない、と思い込んでいる人もいるだろう。バザーリアは、そういう人に向け、次のように呼びかける。

「社会構造が変わらないのだとしたら、施設で働く一人として、あなた自身が変わるべきです。あなたの仕事や実践を変えてゆき、患者の自覚を促し、あなたの批判的な手立てを発展させながら、あなた自身が変わってゆくのです(私たちは他人を批判することには長けているのに、自己批判はあまり得意ではありませんが)。」(p151)

「社会構造が変わらない」と「他人を批判する」前に、「施設で働く一人として、あなた自身が変わるべきです。」 至極シンプルで、まっとうなメッセージである。彼は、新自由主義的な自己責任の文脈でそう言っているのではない。「自分の不自由さや苦悩」の最大化した人と向き合う際、単に病院に閉じ込めたり、縛ったり、薬漬けにするのではなく、それ以外の「患者と別の関係性を築くことによって」、つまりこれまでの「あなたの仕事や実践を変えてゆ」くことによって、「患者の暮らしに意味を与えること」が初めて可能になる、と40年前の1979年6月に発言しているのである。

晩年のバザーリアは、別の可能性を明確に主張する、現実も見据えた理想家だった。だからこそ、こういう発言をしている。

「私たちはいかなる革命も望んではいません。望んでいるのは、私たちを取り巻く関係性を根本から変えることなのです。」(p147)

彼は、「関係性を根本から変える」ために、1961年に大学医局を追い出されてゴリツィアの精神病院長になってから、20年かけて、彼自身の「仕事や実践を変えてゆき、患者の自覚を促し、あなたの批判的な手立てを発展させながら、あなた自身が変わってゆくのです」というプロセスを歩み始める。縛る・閉じ込める・薬漬けにする、の論理を否定し、白衣を脱ぎ、最も重度と言われた患者を地域に退院させ、トリエステに移った後に精神病院自体を閉鎖するなど、彼「自身が変わってゆく」ことで、「私たちを取り巻く関係性を根本から変えること」を可能にしたのだ。それが、精神病院なしで成り立つイタリア社会の「革命」を作り上げる原動力になった。しかも、彼は革命を志向するのではなく、「社会構造が変わらないのだとしたら、施設で働く一人として、あなた自身が変わるべきです」というのを愚直に積み重ねていったのである。これが、彼自身の「当たり前をひっくり返す」実践であり、「他人を変える前に、自分が変わる」ことによって、結果的に彼と周囲の関係性、彼が関与する社会の関係性の変革も成し遂げる成果を導き出していったのである。

では、そういうことが、日本では出来ているのか。

それを振り返った際に、この雑誌の別の論考が、深く胸に突き刺さる。大阪府立大学の三田優子さんによる「津久井やまゆり園入所者への『意思決定支援』 何のため? 誰のため?」という論考である。

「私は以前、ある精神障害者に『大学では共感・傾聴などという言葉を使って専門職を育て、感情的になってはいけない、支援対象者の感情に巻き込まれるなと教えているのでは? 感情的な専門職は嫌だけど、感情が働かない、鈍感な人に何かをしてもらいたいとは思わない。形式的にうなずいて共感を示すような演技は不要で、ただ私の苦しみに心を動かし、『大変だったね』とひと言でも言ってくれる専門職に会いたい。言葉がなくても、私のために泣いてくれるだけでは救われるということを学生に伝えてほしい』と言われた経験がある。頭を殴られたような衝撃を受け、同時に『私もそんな人に会いたいのだ』と思った。」(p22-23)

「感情的な専門職は嫌だけど、感情が働かない、鈍感な人に何かをしてもらいたいとは思わない」「ただ私の苦しみに心を動かし、『大変だったね』とひと言でも言ってくれる専門職に会いたい」というのは、確かにその通りである。ではなぜ、三田さんはこの言葉を聞いて、「頭を殴られたような衝撃を受け」たのだろうか。

それは、『私もそんな人に会いたいのだ』と三田さんに言わしめるほど、「そんな人」が少ないからでは、ないだろうか。「共感・傾聴」は出来て、「感情的になっては」いない専門職は少なくないのだろう。だが、「形式的にうなずいて共感を示すような演技」で終わっている人が少なくないのではないか。そして、それを発言した精神障害者が見抜いて、三田さんに伝えたからこそ、彼女は「頭を殴られたような衝撃を受け」たのではないだろうか。

つまり、三田さんに語りかけた精神障害者が求めているのも、バザーリアが求める「私たちを取り巻く関係性を根本から変えること」そのもの、ではないだろうか。では、「感情を働かせる」「私の苦しみに心を動かす」、そんな専門職とはどのような存在だろうか。

三田さんは、重症心身障害者の地域生活支援の拠点「青葉園」の創設者でもある清水明彦さんにインタビューしたゼミ生の卒論を用いながら、こんな風に整理している。

「支援者の心の中を特に見る重度障害者と『一緒にいる』というのは、物理的に同じ空間にいるだけでなく、相手を主体として認めながら、心の対話を重ねてきたということだ。また、一方的に障害者側だけの意思を確認するのではなく、支援者・障害者お互いの意思確認と交流、感情の蓄積があったと語っている。障害の軽いという呼ばれ方をされる人たちもこのような体験をしているだろうか。私自身も、こんな風に認めてもらえたらどんなに嬉しいだろう、としみじみ思う。」(p25)

「感情を働かせる」「私の苦しみに心を動かす」支援者とは、「一方的に障害者側だけの意思を確認するのではなく、支援者・障害者お互いの意思確認と交流、感情の蓄積」を行う支援者だと三田さんは言う。「支援対象者の感情に巻き込まれ」ないように必死になる状態から、「あなたの仕事や実践を変えてゆき、患者の自覚を促し、あなたの批判的な手立てを発展させながら、あなた自身が変わってゆくのです」というプロセスに漕ぎ出すことができるか、が問われている。

支援対象者を変える前に、支援者自身の「仕事や実践を変えてゆ」くことによって、支援対象者「と別の関係性を築くことによって」、支援対象者の「暮らしに意味を与えること」が、支援者にも可能になる。そして、それが現に出来ていないからこそ、「頭を殴られたような衝撃を受け、同時に『私もそんな人に会いたいのだ』と思」わせるような実態が発生している。

そんなグサリと刺さる二つの論考だった。

そして、だからこそ、僕は自分が変わり、自分と周囲との関係性の変容を模索するために、未来語りのダイアローグのファシリテーターとして、授業や研修などでも、自分を取り巻く関係性のあり方を変えようとしているのだ、と改めて再確認していた。

過剰で下手くそやけど、読ませる人生

渡邊洋次郎さんの『下手くそやけど なんとか生きてるねん。』(現代書館)を読む。そもそも帯に書いてある「精神科病院入退院、48回。刑務所、3年服役。「施設太郎」だった私の、生き直しの道。」というフレーズからして、過剰である。そんな過剰な人生が書かれているのを読むのは、正直疲れそうで、手に取るのをためらった。でも、僕の本でも「産婆さん」をしてくださった名編集者、小林律子さんが退職を挟んでも編集に関わり続けられたと聞き、読んでみようと思う。彼女は、物怖じせず、ピシッと筋目を通す。そういう律子さんとの対話がなされての書籍化なら、きっと読めそうだ、と。

予感はあたった。

確かに渡邊さんの人生は、比類無きほどの「過剰さ」で満ちあふれている。でも、そのことを描く筆致は、決して過剰でも「盛っても」いない。淡々と、ご自身の人生であった経験を記述する。悔しかったり寂しかったり苦しかったり見捨てられ恐怖を抱いた記述は、情感もこもって書かれているが、ここでも感情が先走らない。そう、一般に僕が「手記」を苦手に感じるのは、著者がその壮絶な・過剰な人生を、情感を込めて描くとき、表現上の語気が強くなり、話が盛られ、フルスロットで、「これでもか」「どやさ!」と不幸自慢大会っぽくなるから、である。そういうのを読んでいると、苦しくなって、そっとページを閉じてしまうのだ。

でも、渡邊さんのこの本は、気がつけば移動中の車内で一気読みできた。「抑制された過剰」というか、淡々とシンナー中毒とか病院や刑務所の入院・入所経験を語るからこそ、渡邊さんご自身の生きづらさが、かえって浮き彫りになってくる。過剰なエネルギーの持ち主で、それを痛めつける自傷行為も繰り返すのだけれど、そういう生きるのが下手くそな部分を、どうやってそのものとして認められるようになったのか、を書いてくれているから、筋も通っている。ある種、尊厳を取り戻すための執筆、というか。

いや、たぶんまだ渡邊さんの中にも、過剰で下手くそでドロドロしたものがあるのだと思う。でも、以前の彼は「ええかっこ」して、それを過剰に表現したり(=人前でたばこの焼きをいれたり、倒れるほどアルコールをラッパ飲みをしたり)、悪循環に輪をかけていた。でも、今回の本では、「ええかっこ」を引き算して、下手くそで、要領も悪くて、過剰な関係を求めようとする彼の姿を、等身大で描こうと努力している。これが、すごく良かった。

「わかってきたことは、守って欲しい境界線は自分にもあるんだということでした。そこに踏み込んで入ってこられると気持ちが不安定になったりぶれてしまうから、私が私を生きるために踏み込まれたくない、自分を保つための境界線があることがわかってきました。そのときはじめて、境界線を守ったり、そのための距離感を保つことは、自分が自分を生きるために必要なこと。それは裏切りや見捨てるということではなく、自分が自分を守ってあげることなんだと思いました。」(p139)

渡邊さんは、刑務所に入るまでずっと「裏切り」や「見捨てる・見捨てられる」ということに、過剰にこだわってきた。その枠組みから外れることは出来なかった。だが、「守って欲しい境界線」が、他者にあるだけでなく、自分自身にもある、ということを理解することで、「自分が自分を守ってあげること」の重要性もわかってきた。それは、薬物や他人に依存するのではなく、「自分が自分を生きるために必要なこと」だとも気づき始めた。これまでの過剰で下手くそで、悪循環を加速させていく人生は、「私が私を生きるために踏み込まれたくない、自分を保つための境界線があること」をそのものとして受け入れられないからそうなるのだ、という「わかっていないことが、わかった」のである。

自分が何を「わかっていないのか」に気づくことが出来るかどうか。これは、沢山知識を持っていることよりも、大切な事だと僕は感じている。特に「守って欲しい境界線は自分にもあるんだ」とういことが「わかっていなかった」と「わかる」ことは、すごく大切だと思う。渡邊さんのように薬物依存にならなくても、他者評価に依存的になり、同調圧力に過剰に適合的になり、「空気を読む」ことを優先して自分を押し殺している人は、この社会には沢山いる。それは、法律を犯していない、という意味では、「社会適応」しているのかもしれないが、その内面の虚ろさでいえば、シンナーを求めて万引きする渡邊さんの虚ろさと、何ら変わらないように思う。そして、そういう虚ろさを抱えた普通の人が、「守って欲しい境界線は自分にもあるんだ」と気づけることで、自分自身の悪循環を転換させることができる。だけでなく、他者に支配されず、自分自身を大切にして生きる、転換点にもなるようにも思う。

そう思うと、この本は単に「自分とは全く違う過剰な人生をのぞき見する本」ではなく、「守って欲しい境界線」を取り戻したサバイバーの記録であり、決して他人事ではない、独特の迫力が、謙虚で淡々と書かれた文体から染み出てくる本なのだ、と感じた。

16歳に伝えたかったこと

今日は兵庫県立大学の附属高校での授業。高校一年生66人が受講してくれた。前半は、附属高校出身のゼミ生が、高校と大学の違いや、大学生として学んでいる内容を、自分の調べている「教育の不利」について語りかけながら、講義してくれた。で、僕は残りの40分で、「勉強すること」と「学ぶこと」の違いを伝えようとした。

あなたは、この二つはどう違うと思いますか? そして、ご自身は今、どっちをしていますか?

僕自身は、強いて勉める=努める勉強をshould, mustと捉え、それを「型稽古」だと整理した。一方、学びは、would like toに基づき、わくわくする、オモロイものだ、と整理した。そして、高校までは勉強かもしれないけど、大学ではオモロイ学びが待っているよ、とメッセージを送ったつもりだ。それは一体、どういうことか。

英語の文法であれ、数学の公式であれ、その型を身につけなければならい型稽古は、確かにつまらない。その型を理解しなければならないし、暗記して身体化させる必要もある。道理が身体化出来ないと、まず訳がわからないし、理解できても、それを使いこなせるか、は別である。合気道でも、初級くらいまでは、この型稽古に四苦八苦する。でも、ある程度型を覚えた段階で、今度はそれを理解できて使える、だけでなく、その型を離れる必要がある。英語なら、文法を理解した上で、例えばカリフォルニアの弁護士と権利擁護について議論し(ヒアリングとスピーキング)、その準備の為に英語で資料を読みこなす(リーディング)ことも、アポを取るためにメールを書くこと(ライティング)も求められる。これは、お勉強モードを超えて、学びに入る。で、必死に読んで聞いてしゃべって書いて、としているうちに、意思疎通が出来るようになり、議論が深まり、認識や世界観が拡がったり深まったりする。

これは以前、「稽古と守破離」で書いたプロセスそのものである。

実はそれに関連して、勉強と学びについて意見を出してくれた男子高校生が、こんなことを言っていた。「勉強は答えが決まっていることを学ぶことで、学ぶことは自分で考えること」。「僕は漢文とか何で勉強しなければならないのかわからないのをするのは嫌だ」。この二つの意見に、「わかる、わかる」と思いつつ、後者に関しては、実は異論も持っている。

勉強はセンター試験に代表されるように、ロジカルに答えを導き出す訓練である。これは、「守」という型稽古をみっちり身につけて、ある種、「黒帯」を取るために、必要なプロセスである。そして、それが面白くない、というのも、よくわかる。ただ、だからといって「漢文は俺に関係ない」と言い切ってしまって良いのか? それは、疑問である。そもそも、「関係あるなし、ってどう決めるの?」

「中国の2000年前の四書五経を読むことに、何の意味があるのか?僕は理系なのに。。。」

僕も、彼ら彼女らの年頃では、そういう「何の意味があるの」「俺には関係ない」と、色々切ってきた。でも、そうやって学ぶ範囲に「意味がある・ない」と決めつけたのは、実に阿呆やった、と今なら、後悔しきり、である。物理学を面倒くさがらずに面白がれば、カオス理論をもっと理解しやすかったかもしれない。統計から逃げなければ、午前中のブルデューの読書会で議論になったコレスポンデンス分析を、僕も易々と使いこなせたかもしれない。世界史をサボらなかったら、中東の部族間の争いや香港での学生によるプロテストを、時代を遡って、フーコーの系譜学的に捉えることも出来たかもしれない。でも、僕は高校から大学にかけて、「自分には関係ない」と、今から考えたら「関係がめっちゃある」ものを切り捨てて、視野が狭い人間になっていたのだ。本当に、それは人生で損したと思う。

同じように、理系だからと漢文を毛嫌いする。でも、漢文の構造ってすごくロジカルだし、漢文で伝えられる論理は、2000年以上経っても古びないエッセンスがある。未だに論語や老子は読み継がれているし、明治期までの理系の人びとも、当たり前のように漢文の素読をして、身体の中にしみこませていた。ということは、漢文が無駄だ、と切り捨てることで、論理力や視野の広さを切り捨てることにもなるのだ。

ついでに「意味がある・意味が無い」とは、受験に関係ない、とか、それを学んでもお金にならない、という形で、新自由主義的選択をしているようにも、思う。それは、高校や大学くらいまでの僕自身が、そういう「経済合理性」で判断する、つまらない青年だったからだ。でも、大学から少しずつ思想系の本も読み進めて四半世紀後、新自由主義がいかに人を経済合理性以外の判断基準で考えないようにフレーミングしているか、をウェンディ・ブラウンの書籍から教わるにつけて、己がいかに視野狭窄だったか、を思い知るのである。そして、今の16歳の若者達に、そんな風にはなってほしくないと思う。

長々と書いたが、should, mustの勉強は、いやいややるものであればなおのこと、なるべく負荷を減らしたい。それは、一方で、わかる。でも、強いられて無理してするのではなく、物理であれ漢文であれ英語であれ、その内在的論理をつかみ、そのロジックを理解し、それが表現する世界の面白さを体得する「学び」に漕ぎ出すことが出来たら、無味乾燥な暗記科目では無くなる。そして、30年近く年の離れたおじさんは、今の年になって、オモロイ学びにハマっているし、もっと考えたい、読みたい、理解したいものが一杯あるし、そのためには学んでも学んでも時間が足りない。問いが沢山出てくる。

そういうオモロサを、高校時代から、少しずつ見つけて探してほしいと思うのだ。それが、親や先生に強いられて、いやいやするモードの勉強からの脱出であり、そういう勉強に支配されていることに自覚することで、その強いられた何かからの自由を獲得する第一歩が始まると思うのだ。それが、高校1、2年生の間に出来たら、あなたがどんな大学の何学部に行こうとも、絶対オモロイ学びが実現出来るはずである。

・・・ということを伝えたかったのだけれど、たぶん書いたことの3分の1も伝えられなかったと思うので、ここに記載しておく。聞いてくれた66名の学生さん達には、「今日の話は三割くらい理解できたら、それで良い」とも伝えておいた。おじさんだって、ここに書いてあることを理解するために、その後30年近く試行錯誤した。あなた達も、そういう試行錯誤の旅に出て欲しい。そう願っている。

新自由主義的合理性

『いかにして民主主義は失われていくのか』(ウェンディ・ブラウン著、みすず書房)を読む。久しぶりに線を引きまくった本。著者はフーコーとマルクスを主軸にしながら、フェミニズムの視点から、新自由主義がなぜ社会を覆い尽くすのか、を解明した名著。備忘録的に長々読書メモをつけておく。

新自由主義的合理性(1章)

「わたしはミシェル・フーコーらとともに、新自由主義を規範的理性の命令であると考える。その命令が優勢になるとき、それは経済的価値、実践、方法に特有の定式を人間の生のすべての次元に拡大する、統治合理性のかたちをとる。」(p26)

「新自由主義的合理性が市場モデルをすべての領域と活動へ-貨幣が問題ではない領域であっても-散種し、人類を市場の行為者であり、つねにどこでもホモ・エコノミクスでしかありえないものとして設定する」(p27)

新自由主義が世界中で浸透するのは、その合理性が単なる経済論理だけではなく、「規範的理性の命令」であるからだ、と著者は整理している。つまり、たんなる経済合理性であったはずのものが、「人間の生のすべての次元に拡大する、統治合理性のかたちをとる」ことによって、生活の全局面に影響を及ぼしている。これが、新自由主義的合理性の特徴だ、という筆者の切り口に、頷かされる。医療や福祉、教育や文化と言った、「貨幣が問題ではない領域」に見えた領域でも、「つねにどこでもホモ・エコノミクスでしかありえないものとして設定」することにより、貨幣化・市場モデル化していった。

この本の魅力的なところは、「つねにどこでもホモ・エコノミクスでしかありえない」という「規範的理性の命令」がどのような構造であり、実際にどのような影響を及ぼしているのか、という「新自由主義的合理性」の内在的論理を徹底的に解き明かしているところである。その上で、「新自由主義的合理性」は人を「人的資本」を捉えることで、大きな統治の変更を行っている。

「新自由主義的ホモ・エコノミクスは、交換や利害の形象ではなく人的資本というかたちをとり、自身の競争地位を強化し、その価値を評価しようとする」(p30)

人を、「人的資本」と捉える事は、ホモ・ポリティクスとして政治による権利や正義の保護、再分配の要求を求める人間ではなく、「自身の競争地位を強化し、その価値を評価」することに専心する「新自由主義的ホモ・エコノミクス」に人間を矮小化する。これは「脱政治化」であるだけでなく、そうすることで、権利や正義、再分配を「なかったこと」にする、非常に政治的な選択を、非政治的にさせられる、という事態である。その上で、「人的資本」は次のように追い詰められていく。

「新自由主義国家は人的資本を開発し再生産する経費を可能なかぎり削減しようとする。こうして、新自由主義国家は、公共の高等教育を個人が借金で賄う教育に置き換え、社会保障を個人の貯蓄と際限なく続く雇用に置き換え、あらゆる種類の公共サービスを個人が購入するサービスに置き換え、公共の研究と知識を私企業がスポンサーとなる研究に置き換え、公共のインフラに使用料を課す。こうしたことそれぞれが不平等を強化し、新自由主義化された主体は以前なら誰でも共通に支給されていたものを個人で手に入れるように要求され、主体の自由はさらに制限される。」(p41)

老後資金に2000万円必要、大学の学費上昇、水道民営化、不採算の鉄道・病院の統廃合、年金の縮小と定年延長、など、世の中の流れで「そういうものだ」と思い込んでいるものの中に「人的資本を開発し再生産する経費を可能なかぎり削減しようとする」という意図を持った新自由主義的合理性がひたひたと忍び寄っている。

郵政民営化を小泉元首相が叫んだ時、「自民党をぶっ壊す」という調子の良いフレーズと共に、深い意味も考えずに何となく「何かが変わりそう」と応援してしまった20年前の僕がいた。PDCAサイクルを回す、ということに、「なんとなくそれっぽいし、必要ではないか」と思い込んでいた、かつての僕がいた。しかし、それ自体が、人びとの思考が新自由主義的合理性に絡め取られている、ということである。人間の総合的な振る舞いをPDCAに落とし込める、と思い込むプロセスそのものに、人の人的資本化、があったのだと、この本を読んでいて、痛切に気付かされる。

「新自由主義とは、それによって資本主義が最終的に人類を飲み込んでしまう合理性である-強制的な商品化、利益追求のための拡大といった仕組みによってだけでなく、その価値判断の形態によって、この形態が普及することによって自由民主主義の内容が空疎になり、民主主義それ自体の意味が変容させられるとき、民主主義への欲望は抑えつけられ、民主主義への夢は危機に瀕する。」(p43)

新自由主義的合理性が危険なのは、それが人びとの「価値判断の形態」を根本的に変える点である。「民主主義それ自体の意味」も、新自由主義的合理性に合わせて改変されるだけでなく、その合理性を追求することにより、「民主主義への夢は危機に瀕する」と言う。それはいったいどういうことか?

存在論的次元(2章)

「『経済』は特定の原理、評価基準、行為を意味し、そこに金銭的利益や富が問題とされない活動も含まれることになった。またもや新自由主義的政治理性は、たんに貨幣化するという意味においてあらゆる社会的行為と社会的関係性を市場化するだけでなく、いっそうラディカルなことには、それらをもっぱら経済の枠組み、認識論的次元とともに存在論的次元をもつような枠組みに落としこむのである。」(p64

市場的に考える、というのは、認識論的次元である。一方。存在論的次元とは、市場的に生きる、ということ。市場的に考えざるを得ない、だけでなく、市場的に生きざるを得ない。これが新自由主義的合理性(=政治理性)の存在論的次元、と言えるだろう。つまり、それ以外の考え方・生き方をすることが許されない、ということである。

「市場はそれ自体で真理であるとともに、すべての活動の真理の形式を代表している。合理的な行為者はこうした諸真理を受け入れ、ゆえに『現実』を受け入れる。逆に言えば、他の原理にしたがって行動する者は、たんに非合理的なだけでなく、『現実』を拒否することになる。」(p70)

子育てに伴い、家事育児をしていると、本を読む時間、文章を書く時間が、それ以前に比べて減ってくる。それは、生産性至上主義とか業績第一主義といった経済的合理性の「現実」に背を向け、子育てという「別の現実」を大切にすることである。しかし、新自由主義的合理性が存在論的次元で規範的理性として覆い尽くしている社会に置いては、「他の原理にしたがって行動する者は、たんに非合理的なだけでなく、『現実』を拒否することになる」。僕自身も、家事育児で一日が終わった時には「今日は何も出来ていない」と嘆くことも、実は何度かあった。だが、それ自体が、「出来ている」=「経済的に生産的な事が出来ている」という意味において、新自由主義的合理性のドグマに存在論的次元で覆い尽くされている、ということである。その信仰に反しているから、「今日は何も出来ていない」と自分を責めるのだ。それほど、この新自由主義的合理性のドグマは、存在論的次元での絶対崇拝の信仰になっているのだ。

この信仰は、様々な認識の変更を求めている。

「新自由主義的理性によって競争が交換にとってかわり、不平等が平等にとってかわるのと同じように、新自由主義的理性においては、人的資本が労働にとってかわる。競争が市場の根本原理になるとき、あらゆる市場の行為主体は、生産者、売り手、労働者、顧客、あるいは消費者ではなく、資本とみなされる。資本として、あらゆる主体は、いかに小規模で貧困化し、資源に乏しかろうとも企業家とみなされ、人間存在のあらゆる側面が企業家として生産される。(略)労働を人的資本に変容させること、労働者を互いに競争しあう企業家に変容させることは、古典的な自由主義よりもいっそう、階級の可視性と反復可能性を曖昧にする。そのことはまた、マルクスの考えたような疎外と搾取の基盤を抹消してしまう。そして、労働組合、消費者団体、その他、カルテル以外の経済的連帯の形態のための理論的根拠を完全につぶしてしまうのである。」(p67-68)

新自由主義的合理性が支配的になる以前は、交換や平等、労働を国家は護ろうとしていた。再分配も社会権も、そのような中心的価値を維持するために、国家がすべきこととして、法に規定されていた。しかしながら、競争や不平等、人的資本がドミナントな価値としておかれた時、再分配や社会権は、その価値を損なう存在として、忌避される。か弱い労働者を護らなければならない、という国家の(ある種パターなりスティックな)役割は遺物とされ、企業家どうしの競争を後押しする。そのことによって、労働者対資本家に代表されるような、階級や疎外、搾取といったものが、見えにくくなる。

そして、著者ブラウンの慧眼は、このような枠組みが認識論的に浸透すると、労働組合や消費者団体、そしてNGOや市民活動のような、本来は政府を監視し、批判する役割を持つ存在も「市場化」され、「交換や平等、労働」といった「カルテル以外の経済的連帯の形態のための理論的根拠」が根絶やしにされ、いつのまにか新自由主義的合理性の中に組み込まれてしまう、と指摘している点である。そして、その存在論的認識は、次の認識へと誘う。

「経済的な評価基準は国家の制度と実践を統治しており、国家そのものが経済成長によって正当化されている。経済は、その保証人である国家の正当性を生む。国家は経済を支援せねばならず、その諸条件を組織し、その成長を促進し、それによって経済にたいして責任を負うことになるが、経済の効果を予測したり、管理したり、相殺したりすることはできない。ゆえに、『要は経済なんだよ、バカ!』はたんなる選挙戦のスローガンである以上にずっと重要で、新自由主義の政治生命を規定しているのだ。」(p71)

交換や平等、労働よりも競争や不平等、人的資本を優先する社会においては、『要は経済なんだよ、バカ!』は至上命題であり、「政治生命を規定している」。そして、「国家そのものが経済成長によって正当化されている」からこそ、経済成長を前提としない議論については「お花畑」と、左派右派にかかわらず、主張する。でも、それは、新自由主義的合理性における絶対的な前提である。「交換や平等、労働」を大切にしない社会だからこそ、その前提が必要不可欠である。一方で、社会民主主義的な、より「交換や平等、労働」を大切にする社会を目指すなら、『要は経済なんだよ、バカ!』と言うのだろうか。新自由主義的合理性で生きる国においては、「経済成長は国家の社会政策なのである」(p66)とあるが、それはあくまでも「競争や不平等、人的資本」という前提を循環させるだけである。逆に言えば、この前提がおかしいと思うなら、「経済成長」第一主義を疑う必要も出てくるのではないか。

新自由主義的人間(3章)

「新自由主義的人間は、フーコーの言うように、『自分自身に対する自分自身の資本、自分自身によって自分自身の生産者、自分自身にとっての[自分の]所属の源泉』として市場に赴く。彼が売っているのか、つくっているのか、消費しているのかにかかわらず、彼は自己に投資し、自己の満足を生産している。交換ではなく競争が資本と資本のあいだの関係を構築し、投資による資本の評価があらゆる資本体のそれ自身との関係を構築する。」(p87)

このフレーズを読みながら、僕自身が、新自由主義的人間のメンタリティを深く内在させていると気付かされる。京都のダウンタウンで育った僕は、小学校5,6年時代、いじめと学級崩壊で授業をほとんど受けていなかった為、公立中学校の勉強に遅れないように、と中学1年の時に初めて塾に入った。そこが猛烈進学塾で、以来、偏差値を巡る競争の中に入り込んだ。そして、進学校に行き、一流大学と呼ばれるところに入る中で、明らかに我が家より所得階層が高い集まりの中に「上昇」していった。すると、僕自身は他の友人に比べて親が持つ金融資産が少ないが故に、「自己に投資し、自己の満足を生産し」なければらない、という規範を内在するようになった。研究者になった後も、他の研究者に「勝つ」ためには、自己への投資を怠ってはならない、と本を買いまくっていた。そしてそれを「自分への投資」と自己規定し、「投資による資本の評価があらゆる資本体のそれ自身との関係を構築する」と思い込んでいた。それは、業績を生み出す、という「競争」に「勝ち残る」ための、僕自身の価値規範になっていた。そして、それが男性中心主義の強化であると気付いたのは、子育てをし始めてからである。

「ジェンダー的従属化は強化されたとともに、原理的に改変されたというのが答えであると、わたしは考えている。強化は、家族、子ども、退職者を支援する公的基盤の縮小、民営化、および/あるいは崩壊によって生じている。公的基盤には、良質の幼児期、課外活動、サマーキャンプ、身体および精神面での医療、教育、公共交通機関、近隣の公園と余暇活動施設、公的年金、高齢者施設、社会保障といったものが含まれるが、これらは安価なものばかりではない。こうした公的供給物が消滅したり民営化されると、それらを供給する仕事や経費は個人に、不均等に女性に戻される。別の言い方をすれば、公共財の民営化という文脈での『責任化』は、自分自身に責任をもつことのできない者への責任を女性が不均等に多く担うという意味で、女性に対して独特のやり方でペナルティを課すのである。この観点では、家族主義は公共財や公共サービスの新自由主義的民営化の偶発的特徴ではなく、むしろ本質的な必要条件である。」(p119)

新自由主義的精神を内在化させた政権与党が、家族主義に親和的になり、親学や家庭教育の推進に熱心になる理由も、この分析でクリアに見えてくる。戦後民主主義国家が「家族、子ども、退職者を支援する公的基盤」を強化することで、家族が多元化し、崩壊したと、その人びとは喧伝する。だから、伝統的な親の責任を取り戻せ、母性愛を取り戻せ、と主張する。

だが、単なる復古調であれば、あの論理が政権を巻き込むほどのパワーを持たない。むしろ、新自由主義的合理性にとって、「公共財の民営化という文脈での『責任化』は、自分自身に責任をもつことのできない者への責任を女性が不均等に多く担う」ことは、その合理性を進める上での「本質的な必要条件」だと著者は主張する。家族主義は復古調ではなく、それを隠れ蓑に「公共財や公共サービスの新自由主義的民営化」を進める上での、「不可視の基盤」(p118)なのである。だからこそ、アメリカ的な人的資本の勝ち組女性は、子どもの支援を自らの責任化によって「購入した人的資本」のベビーシッターに頼り、育児を公的基盤として制度化する必然性について言及しない。これは、逆の真実をもあぶりだす。

「貧困に陥ったシングルマザーは、とくに合衆国の予算『執行差し止め』や、欧州連合の南欧に対する救済措置によって強制された緊縮財政の文脈において、責任化された新自由主義的主体になるプロジェクトの失敗であるとみなされる。失敗であるばかりか、新自由主義的合理性によって大切にされる自由(国家規制と必要の供給からの自由)は、女性が市場の外部での無償で支援の不足したケア労働の主たる供給者にとどまり、さらにますます自分たち自身とその家族のための唯一の収入源となるとき、文字通り、新しい形のジェンダー的従属化へと反転するのである。」(p121)

シングルマザーが、子どものケアと就労の両立の中で、また専業主婦後のブランク故に、パート労働などしかありつけず、人的資本としての競争に負けることになると、「責任化された新自由主義的主体になるプロジェクトの失敗」である、と見なされる。しかも、子どものケアを公的基盤として保障されない中で、「市場の外部での無償で支援の不足したケア労働の主たる供給者にとどま」らざるを得ない、ということは、「新しい形のジェンダー的従属化」への反転でもある。つまり、子どもの支援を自らの責任化によって「購入した人的資本」のベビーシッターに頼る「勝ち組」も、「責任化された新自由主義的主体になるプロジェクトの失敗」をしたシングルマザーも、双方とも新自由主義的合理性の下で、「新しい形のジェンダー的従属化」に陥っている、といえる。

「新自由主義が生のあらゆる領域を経済化に従わせるとき、その結果は、たんに国家と市民の機能を縮小するだけではないし、経済的に定義された自由の領域を、公共生活と公共財への公的投資を犠牲にして、拡大するだけでもない。むしろ、それは社会や政治の領域での自由の行使をラディカルに減少させるのである。」(p122)

新自由主義的合理性が世の中を覆うとき、その論理に適合的でないものは、排除されていく。人的資本として競争する「責任化」を個人がおわされた時、子どもや老人、障害者のような「自分自身に責任をもつことのできない者への責任」は、公的責任ではなく、個人責任と矮小化される。ホモポリティクスの理念の下で、公的責任としての介護保障をすることにより、ケアする人・される人の双方の「自由の行使」を社会や政治が保障していたが、新自由主義的合理性はこの部分を「ラディカルに減少させる」。つまり、それは個人の主権の制限につながる。

「市民性が明瞭な政治的形態を失い、それとともに主権という衣を失ったとき、それは公共性への志向性と、いわば憲法によって奉られてきた価値への志向性を失っただけでなく、個人の主権を補強するカント的な自律性を維持することをやめたのである。」(p123

個人の主権の制限は、市民性や人民主権という「政治的形態」の「価値への志向性」を失う事とも通底する。それは、戦後民主主義を批判し復古調に見える家族主義を憲法に盛り込もうとする政権与党の考えが、個人の主権を制限してでも人的資本としての競争を重視する新自由主義的合理性とも、親和的であることとも、つながっている。

ガバナンスとベストプラクティス(4章)

「ガバナンスは非政治化された認識論、存在論、一連の実践を散種する。ソフトで、包括的で、技術的な方向性を持つため、ガバナンスは論争的な規範や(階級のような)構造的層化を、その手続きと決定によって流通する規範や排除とともに、埋め込んでいる。それは主体を、ネーション、企業、大学、あるいはそれを使用するその他の存在の目的と軌跡に統合する。公共生活においては、ガバナンスは自由民主主義的な正義の関心を問題の技術的定式化に、権利の問題を効率の問題に置換し、合法性の問題でさえ効率の問題に置換する。職場では、ガバナンスは組合と労働者意識の横の連帯と闘争の政治を、階層的に組織された「チーム」、多党的協働、個人の責任、反政治に置換する。ガバナンスはまた、「責任化」政策と実践の鍵となるメカニズムであるが、それは個人の行為主体性と自恃を(手段、社会的地位、蓋然性は考慮せず)、ベストプラクティスとベンチマーキングの評価基準によって、生存と美徳の場、諸領域と行為の経済化のための場にする。」(p147)

15年前にフルタイム教員となった時、その大学の教授会は長かった。法学部の教員で、「自由民主主義的な正義」や「権利」、「合法性」(=手続き的合理性)の問題を教授会でしょっちゅう問題にする教員がいた。そのときは、長々と議論して決まらないことにいらだち、早く決まってほしいと思っていた。その後、そういう古株の教員が退職して、淡々と教授会が進むようになった時に、実は「組合と労働者意識の横の連帯と闘争の政治を、階層的に組織された「チーム」、多党的協働、個人の責任、反政治に置換する」プロセスが進んでいた、とは思いも寄らなかった。教授会の「効率」化という「技術的定式化」を求めて、そこに専心するあまり、「論争的な規範や(階級のような)構造的層化」を無視するようになっていったのである。それは、今から考えたら、大学の教授会を「経済化」していくプロセスでもあった。そして、僕はそれに消極的であれ賛成していたのだ。そのことによって、僕は何に盲目的になったのか。

「正義とその他の共通善についての熟慮、価値と目的をめぐる論争、権力をめぐる闘争、全体の善のための構想の追求である。むしろ、公共的生は問題解決とプログラムの実施に還元されてしまっており、政治、紛争、共通の価値と目的の熟慮を括弧にくくるか排除する役割を与えられている。確かに、公共的生をこのように限定してしまうことが、合意に基づくガバナンスを強調することと組み合わされるとき、政治への敵意がはっきりと感じられるようになる。」(p142)

教授会で僕が志向したものは、「問題解決とプログラムの実施」だった。その円滑な実施を求めるあまり、「正義とその他の共通善についての熟慮、価値と目的をめぐる論争、権力をめぐる闘争、全体の善のための構想の追求」を疎かにしてしまった。それよりも、新自由主義的人間であった僕自身は、「合意に基づくガバナンス」の方が大切だと感じていた。だが、「公共的生をこのように限定してしまうこと」は、「政治への敵意」であり、「脱政治」へと自分自身の存在を導くことで、その職場が新自由主義的合理性をいかんなく発揮することに、消極的に関与していたのだと、今ならわかる。

「新自由主義的合理性があらゆるところに経済の評価基準を散種すること、それが人的資本の基本的な外形や特徴を生成すること、それがかつての公共機関を民営企業に包摂することにたいして、いくつかの重要な意味をもっている。第一に、ベンチマーキングにおいては、実践は生産物とは切り離される。生産性、費用対効果、あるいは消費者満足は、実践に内在すると理解されるが、そうした実践は、何が生産され、生み出され、実施されるかにほとんど関心を払わない。(略)第二に、実践が生産物から切り離されて移行可能である理由は、あらゆる機関の究極の目的は同じであると想定されているからである。つまり、市場における競争優位性である。」(p154)

いまや病院や福祉施設、学校も含めて、「生産性、費用対効果、あるいは消費者満足」が問われる。だが、これは実践が問われるだけであり、それらの評価基準は「何が生産され、生み出され、実施されるかにほとんど関心を払わない」。大学でも、毎年どれくらいの業績を出しているか、という「生産性」や「費用対効果」が教員に問われても、「生産物」自体は問われない。すると、ちまちました論文が増え、ブレークスルーは生まれにくくなる。また地域医療を支える、という「生産物」よりも「競争優位性」が重視されると、赤字の病院ゆえに統廃合すべし、という勧告が、新自由主義的合理性の要請に基づいて出されることになる。

「たんなる技術であると主張しながら市場価値を携えることによってこそ、ベストプラクティスはある種の規範を喧伝し、規範や目的についての議論をあらかじめ排除するのである。この苦境からはっきりわかるのは、ベストプラクティスがいかに統治のソフトパワー、すなわちチームと合意を基盤とするか非市場的な関心、計画、評価基準、支持層を排除するような努力による問題解決を焦点化するような権力を、より広範に冷笑しているかということである。」(p159)

昨今の大学では、ベストティーチャー賞を贈る、という動きもある。それは、教員のFDなどを称揚するもの、と思っていたが、それも智慧が足りなかった。確かに学生の満足度を授業で向上させるのは、善いことである。だが、このような授業が「ベストプラクティス」です、と「お墨付き」を与えることは、「ある種の規範を喧伝し、規範や目的についての議論をあらかじめ排除する」につながる。「生産性、費用対効果、あるいは消費者満足」を上げることで、研究や教育のベストプラクティスを保ち続けなさい、という「命令と言わない命令」をする効果があるのだ。「ベストプラクティスがいかに統治のソフトパワー」と結びついているのか、ということである。ガバナンスもベストプラクティスも、「たんなる技術であると主張しながら市場価値を携える」。つまり、価値中立や脱政治を装った、非常に特定の価値観への囲い込み=政治化、の動きであり、それが新自由主義的合理性の背後にある、ということでもある。

人的資本と投資(6章)

「人的資本は、自己の高評価に貢献するが、少なくとも価値の下落を防ぐようなやり方で、自己投資するように強いられている。こうした自己投資に含まれるのは、教育のようなインプットの料を決めること、職業、住宅、健康、老後の市場の変化を予想しそれに適応すること、価値を高めるようなやり方で恋愛、結婚、想像、余暇の実践を計画することである。(略)知識は資本の増大以外の目的のために求められはしない。その資本が人間であれ、企業や金融であれ、同じである。知識は、市民の能力を開発するため、文化を維持するため、世界を知るため、あるいは共同生活の異なる方法を想像したり、つくりだしたりするために追求されることはない。むしろ、それは『プラスのROI』―投資対効果―を得るために追求される。このROIとは、オバマ政権が高等教育の消費者候補のために大学を格付けするときにもちいることを提案した、主要な評価基準の一つである。」(p203)

今回は自らの恥さらしが多いのだが、ここでも2点、晒さねばならないことがある。僕自身の行動規範の中に、『プラスのROI』を求めていた部分が多分にある。先述したように、僕自身が「自己投資」モードであった、だけでなく、様々な行為をするときに、これは無駄か・無駄ではないか、や、効率的かいなか、を自己検閲するモードが強く働いている。「ああ、時間の無駄になった」とか、「効率が悪かった」とか、で、イライラ・クヨクヨ・落ち込むことも、以前はしばしばあった。それは、自分自身が効率性や生産性を信念体系に持ち、それを日常生活の細かい部分にまで適用しようとする新自由主義的合理性の精神に浸りきっていた、ということである。だが、子育てと真面目に向き合うと、そのような信念体系は深刻な危機に陥る。

子育てとは、「市民の能力を開発するため、文化を維持するため、世界を知るため、あるいは共同生活の異なる方法を想像したり、つくりだしたりするために追求」することである。それは、「『プラスのROI』―投資対効果―を得るために追求される」こととは、全く異なるやり方である。子育てという、「自己の高評価に貢献」するものとは別の行為について、先に述べたジェンダー従属性で触れたように、それを外部化(市場で購入する、専業主婦に担わせる)することで、自らの投資対効果を向上させる「競争優位性」を保ち続けることは不可能ではない。だが、それはあまりにも、生きていて面白くない。そういう別の世界が見え始めた時、自らの『プラスのROI』絶対主義に亀裂が入り始めた。

あと、恥晒し的な告白でいうと、ブレアやオバマのようなリベラルなスタンスで「第三の道」を歩もうとする政治家や政権を、「何となくよさそう」と応援していた。しかし、両政権とも、新自由主義的合理性を埋め込んだリベラリズムであり、新自由主義に包摂された左派であった。つまり、共和党や保守党から民主党や労働党に政権が交代しても、以前の政権から続いてきた新自由主義的合理性が退潮するどころか、むしろある部分、加速させたのである。大企業の利益よりも、民衆の利益を重視しよう、という目標を掲げても、「生産性、費用対効果、あるいは消費者満足」をその方法論として用いる限りにおいて、結果的には同じ所に行き着く、ということが、僕には見えていなかった。これは、小泉政権以後の20年で、政党が変わっても同様の傾向が続いてきた日本でも、同じ事が言えるのだと思う。つまり、この新自由主義的合理性とどう向き合うのか、対峙するのか、を考えることなく、耳障りのよい言葉を並べても、結果的には何も変わらないし、その方が都合が良いと考えている人もいる、ということに、気付いていなかった。

「新自由主義的合理性は、自由と自律性の意味を妨害されない市場行動に還元し、また市民性の意味をたんなる選挙権に還元する。民主主義のしっかりした規範を骨抜きにすることは、民主化にたいするかつてないほどの攻撃をともなう。たとえば、政治的および経済的権力の複雑な形態とあらたな集中、政治の洗練されたマーケティングと劇場性、法人に所有されたメディア、歴史的に類をみない情報と意見の供給過剰である。(略) 民主主義の主要な価値が劇的に希薄化され、非民主主義的諸力や諸条件の強化と組み合わされることによって、自己統治は、人民があらゆるたぐいの近代的権力の歩兵でしかないような政体に、とってかわられる脅威にさらされている。」(p205)

「市民性の意味をたんなる選挙権に還元」「政治の洗練されたマーケティングと劇場性、法人に所有されたメディア、歴史的に類をみない情報と意見の供給過剰」は、アメリカだけでなく、まさに今の日本でも起こりつつあることである。市民権や正義を求めての人びとのデモや労働組合を通じた連帯、というのは「市場行動」に相容れないから、「古くさいもの」、と捨て去られた。SNSの世界では、「洗練されたマーケティングと劇場性」がはびこっている。メディアは新自由主義的合理性に陥没している。このような現象の中で、「民主主義の主要な価値が劇的に希薄化され」ているのである。そして、そのことも「どうせ」「しかなたない」と「したり顔」で諦めて、個々人は自らのROIを高める市場行動のみに専心するように「脱政治化」を強められ、ますます投票率が下がり・・・の悪循環が繰り返されていく。

「学生を卒業時に『すぐに仕事にとりかかれる』ようにする以外の目標や目的をすべて放棄するよう、多大な圧力をかけている。その他の価値-教育があり世間知のある人になること、情報の過剰供給や権力のあらたな集中と循環にたいして洞察力をもつこと-は、学生の欲望や要求、経済的必要性や利益、あるいは大学内での省コスト性といった観点からは自己弁護できないし、しない。」(p221)

新自由主義的合理性を内面化していた、20年前の学生の僕は、「この授業に何の意味があるのか・無駄ではないか」と思う授業をサボっていた。ただ20年後に、その当時より少しは智慧がついてみると、その無駄・有益という査定基準の中に、自らの好奇心以外に、市場価値が紛れ込んでいたのではないか、と感じる。

そもそも自分にとってその知識に意味や価値があるかどうか、は、本来は学んでみなければわからない、はずである。でも、学んでもいないのにそれが比較検討、分析可能である、という発想自体、その比較は、単純な一つの価値基準で検討されていることの裏返しである。そして、その単一の価値基準こそ、新自由主義的合理性なのである。つまり、「ROIを高める」「生産性や費用対効果の高い」といった査定基準である。

そして、それは、技術習得には用いる事が可能な査定基準かもしれないが、自らが知りようもなかった、未経験だった、見知らぬ世界観、新自由主義的合理性の範囲外には、応用不可能である。で、そういう世界は「無駄だ」と切り捨てることになる。そして、「学生の欲望や要求」がそのように限定されることによって、大学の講義がいかに効率的で効果的で学生満足度の高いものにするか、という議論に収斂される。すると、「すぐに仕事にとりかかれる」従順な労働者は育成できるかもしれないが、「教育があり世間知のある人になること、情報の過剰供給や権力のあらたな集中と循環にたいして洞察力をもつこと」が欠落した大人を大学は養成することになる。そうすると、新自由主義的合理性の循環はさらに加速し・・・。

奪われた民主主義を取り返すために(終章)

「自分たちが新自由主義的経済政策に反対していると考えているNGO、非営利団体、学校、近隣組織、社会運動までもが、新自由主義的合理性によって組織化されている」(p233)

この警句の意味は重い。非営利組織の領域でも、マネジメントの論理が蔓延している。そもそも、助成団体の多くが、新自由主義的合理性に基づいた助成先の評価をしているため、数値目標を沢山提出させられる。社会的にどのようなインパクトがあったのか、を客観的に評価せよ、と迫られる。そのような文脈に乗ること自体が、「新自由主義的合理性によって組織化されている」ということである。そして、その組織化を引き受けた団体が、「新自由主義的合理性」そのものにNOを言い続けるのは、難しくなる。あるいは、受け容れられにくくなる。これが、この新自由主義的合理性の持つ破壊力である。自らに反対する勢力までも、その合理性の中に飲み込んでしまうのである。

「正しく呼びかけられた新自由主義的市民は、資本主義のバブルが突然はじけること、雇用を減らす不況、信用格付けの危機、住宅市場の破綻、資本主義が外部委託に貪欲なこと、資本主義そのものあるいは破綻を賭けたギャンブルに快楽と利益を見出すことにたいして、いかなる保護の要求もしない。(略) こうした市民は、国家、法、経済がそれら自身の置かれた状況や苦境にたいして責任をとること、応答することから解放し、経済成長、競争的位の獲得や財政圧迫といった大義にたいして犠牲を捧げるように要求されたときは、喜んでそうするのである。」(p253-254)

市民が自らの生活を国家や外部に脅かされた時、普通は「それはおかしい」と立ち上がる。でも、新自由主義的合理性を内在化させた=「正しく呼びかけられた」市民は、「経済成長、競争的位の獲得や財政圧迫といった大義にたいして犠牲を捧げるように要求されたときは、喜んでそうする」。つまり、犠牲を喜んで引き受けるほど、その合理性に飲み込まれてしまっているのである。

では、どうしたらよいのか。この本の結論でも、明確な処方箋は示されていない。

「新自由主義的常識に穴を穿つというすでに困難なプロジェクトと、資本主義的グローバリゼーションに対する実現可能かつ説得力ある選択肢を開発するという任務を担うとともに、左翼はこの文明の絶望に抗わねばならない。」(p238)

このうち、僕に出来ることは「新自由主義的常識に穴を穿つというすでに困難なプロジェクト」だけ、だろう。しかし、このプロジェクトなら、授業などを通じて、学生達と考え続けることは可能だろうと思う。自分がどのような価値前提にはまり込んでいるのか、を、かつて僕がはまり込んでいた、上記に記述したプロセスを伝えながら、学生達と考え合うことは不可能ではない、と感じ始めている。

「他人と比較しない」は可能か?

ネットでその存在を知り、久しぶりに一気読みした本がある。『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』(久山葉子著、東京創元社)である。

本好きの人なら、どうしてミステリの出版社からスウェーデンの保育の本を?という問いが出るだろう。久山さんはスウェーデン小説を同社から翻訳していて、スウェーデンに家族で移り住んだので、今回こういうエッセイ本をミステリ出版社から出したのである。僕もスウェーデン在住時に何人かの翻訳・通訳家にお世話になったのだが、優れた翻訳や通訳は母国語(=日本語)でどれほど読み書いてきたか、の差でもあると痛感した。久山さんのような翻訳をこなす力量ある人が実体験したスウェーデン社会を教えてくれると、すごく色々な事が理解出来る。彼女と同い年ということもあり、共感しながら読み進めていくと、引用したい箇所がいくつも出てきた。その中でも、一番考えさせられたのが、次の部分。

「国が定めている就学前学校の教育指針のことだ。その中で、保育の”目的”として掲げられているのが次の五点である。
就学前学校、子供ひとりひとりがこれらの能力を発達させることに努めなければならない。
・寛容さ、敬意、連帯感、責任感
・他人の状況に配慮したり、共感したりできる能力。そしれ、他人を助けたいという気持ち
・日常に存在する生き方への課題や道徳的ジレンマに気づき、自分で考え、意見を持つ能力
・性別、民族、宗教等の信仰、性的指向、障害にかかわらず、人間には全員同じ価値があるということへの理解
・生きるものすべてへの敬意と、自分の周囲の環境に対する配慮
この保育指針は、スウェーデン人が理想とする人間のあり方をそのまま表している気がする。いたるところで-特にあらゆる年齢の教育現場で-これら5つの点が重要視されているのを常々感じるからだ。」(p129-130)

僕も15年前、スウェーデンに5ヶ月暮らす中で感じていたスウェーデン人の価値観を体現するような、「保育指針」。そりゃそうだ。小さいうちにこの価値観を全ての子供達に伝えることが出来たら、大人になっても体罰をしない国になる。スウェーデンの体罰をしない子育ては、色々なウェブでも紹介されているが、その源流を辿ると、この保育指針があるのか、と理解することができた。

日本の教育機関で働いていて、最近強く感じるのが、若者達の自尊心の低さである。自分に自信がない、自分に価値がない、と思う若者が少なくない。その一方で、親や学校の求める規範の呪縛力は強く、同調圧力もきつく、18歳くらいになると、「良い子」ほど、他者評価に過度に適応したり、怯えたりしている。スウェーデン人の子供が、日本人よりもともと優れているわけではない。社会との相互作用の中で、自信を持ったり、自信が奪われたりするのである。そして、スウェーデン人の自尊心のよりどころは、この保育指針にあったのだ、と感じる。

「性別、民族、宗教等の信仰、性的指向、障害にかかわらず、人間には全員同じ価値があるということへの理解」

サラッと書いているが、すごく重い。久山さんはその例として、「先生も親も『男の子でしょ、泣かないの』とか『女の子なんだからもっと・・・』という言い方は決してしない」(p131)という。僕自身は、娘を育てていても幸い「女の子なんだから」というフレーズを使ったことはないが、次の箇所は同じ子育てをする親として、耳が痛い話だ。

「『○○くんは××なのに』というような、人と比べる言い方もタブーである。同じく、『お兄ちゃんなんだから』『もう○歳なんだから』といった世間の平均値を基準にした発言もしない。子供の個性を認める育て方をするのなら、その子のみを見つめるべきであり、他人との比較はやってはいけないことなのだ。」(p165-166)

「子供の個性を認める育て方をするのなら、その子のみを見つめるべきであり、他人との比較はやってはいけない」。その通り、と頭ではわかっているのだが、一人の親として、気がつけば、同年代の子供と比べて成長の度合いを気にしている僕がいる。乳離れやおむつ外れ、など、出来ている・出来ていない、だけでなく、言葉がどれくらい話せるか、など。そして、それは僕自身が、学校教育や塾・予備校システムの中で、偏差値で常に他者と比べられ、その偏差値システムを内面化し、自分や他者の学歴や出身校などを序列化するシステムに否が応でも「被爆」してきた日本社会での「良い子」だったからだ、と、久山さんの本を読んでいて、改めて気付かされる。「世間の平均値」や「他人との比較」の枠組みこそ、同調圧力のきつい日本社会において、21世紀の今でも強固な枠組みだから、である。

だからこそ、「性別、民族、宗教等の信仰、性的指向、障害にかかわらず、人間には全員同じ価値がある」というのは、すごく重い。いかなる差異があろうとも、「人間には全員同じ価値がある」ということを、社会の基礎にしようとする思考・志向が、すくなくとも国の教育理念に掲げられているのです。「他者にやさしくしましょう」なんていう生やさしいものではない。あなたと違う他者も、あなと同じ価値があることを認めましょう、ということである。つまり単一の基準での序列化をしないでおきましょう、ということでもあるのだ。実際、スウェーデンでは「入学試験や成績別クラスなど、子供を成績で振り分けるようなことは禁止されている」(p166)という。

この本では、他にもスウェーデンでいかに育児休業が取りやすいか、だけでなく、労働者の権利が護られているか、ということも詳しく書かれている。残業がなく、子供と共に過ごせるのが当たり前だから、「ママ友」とつるまなくても、パートナーと相談することがデフォルトになっていることや、男性の育児分担がそれほど当たり前になっていることなども、書かれている。こういう話の一部分を、僕も授業ですると、必ず学生から来る反論としては「人口が少ない(税金が高い、権利意識や法制度が違う・・・)スウェーデンだから出来るのであって、日本では無理だ」という「出来ない100の理由」が返ってくる。

確かに、国やシステムを変えることは、簡単ではない。でも、「世間の平均値を基準にした発言もしない」「その子のみを見つめるべきであり、他人との比較はやってはいけない」ということなら、個人レベルでも、今日からでも「出来る一つの方法論」だ。僕は娘に良い影響を与えたいと思っているし、「子供の個性を認める育て方」をしたいと願っている。であれば、「世間の平均を基準」にする論理を内在し、「他人との比較」をしょっちゅうしてしまう、その自分自身の価値規範に自覚的になって、少なくとも娘にはそれを当てはめない、ということが、今の僕に「出来る一つの方法論」だと感じた。

ちなみにこの本は娘さんが保育園を終えた段階で一冊が終わっている。おそらくこの本が売れたら、第二弾の小学校編も久山さんは狙っておられるのだろう。一読者として、是非この本は売れてほしいし、第二弾を読みたい、と強く願っている。

“日本的働き方”のしくみ

話題になっている分厚すぎる新書『日本社会のしくみ-雇用・教育・福祉の歴史社会学』(小熊英二著、講談社現代新書)を読む。彼の本はどれも分厚いが、新書でもこの分厚さか、と驚くが、なかなか中身も迫力ある。

読後、僕がこの本のタイトルとしてふさわしいと思ったのは、『“日本的働き方”のしくみ-雇用を中心として、福祉や教育との相関も描いた歴史社会学』だった。確かに“日本的働き方”が、「日本社会のしくみ」を大きく規定しているが、それだけで教育や福祉が全て説明出来るわけではない。福祉や教育に大きな影響を与え、相互作用しているものとしての、日本的な雇用・労働慣行の形成史として、学ぶべきことは多かった。

ただ、著者も述べているように、日本の雇用類型を三類型で分けると、「地元型」が36%、「大企業型」が26%、「残余型」が38%(p40)、であり、本書はこのうち、4分の1を占める「大企業型」の雇用慣行が、中小企業(=地元型)や大企業の「外部」にある「残余型」にどのように影響を与えてきたか、を説明することで、「日本社会のしくみ」がある程度説明出来る、という仮説で本書を執筆している。当然ツッコミとして、地元型の説明を、全て大企業型の転写として言えるのか、とか、残余型も大企業型の外部という位置づけだけでよいのか、という指摘もある。だが、それは別の研究者がすればよいことだと思う。とにかく一人で、日本人の「『生き方』まで規定している『慣習の束』が、どんな歴史的経緯を経て成立したのかを書きたい」(p585)という意図を持ち、「自分が生きている社会を深部で規定している原理の解明」という「人文科学の基礎研究」(p586)として一冊にまとめきったのは、すごいことだと思う。

あと他の職種に比べて、大学教員が国公立私立の関係なく移動している理由も、よくわかった。それは、日本社会の中では例外的に横断的労働市場だからだ。私立から公立に移籍するときも、等級表での給与換算がなされていた。前任校も山梨県庁の等級表をベースにしているので、入れ替え可能性が高い。これが他の職種でも可能か、という問いなのだろう。

という前置きはこれくらいにして、いくつか気になった部分を引用しておこう。

「旧帝国大学と早大・慶大・一橋大・東工大の年間入学者数は、合計で4万人を超えている。さらに2001年以降の大学卒業者数は、ほぼ55万人で一定している。これを人気上位100社の総合職採用2万人、大企業採用数の12万人と対比させれば、全体の競争状況がどのようなものであるかは想像できる。」(p54)

ここに霞ヶ関のキャリアを加えたら、なるほど確かに戦前官庁の三層構造で言うところの「高等官」(=軍隊の少尉以上)p226は埋まる。すると、4万人以外の50万人の大卒者は、昔の属性で言う「大企業型」の「判任官」「等外」、あるいは「地元型」の「高等官」などになるし、非正規労働などの「残余型」になる大学生が出てくることも、頷ける。そして、それと重ねて考えたいトヨタの「出世すごろく」なるものが面白かった。

「大学卒業後に新卒でトヨタに入った社員は、30代後半で基幹職3級に上がり、年収は約1500万円。さらに2級、1級と上がるが、それぞれ4から5年かかるうえ、1級まで到達するのは同期のうち10%程度。1級になると年収は約2000万円。同期入社の1%という狭き門をくぐり抜けて常務役員まで上がれば、3000万円超へ跳ね上がる。」(p543)

いったん「高等官」になった後も、その中での熾烈な競争が続き、10%の「高等官の中での高等官」以外は、早期退職や出向(=公務員なら天下り)などの対象になる。これは、日本の官公庁および大企業で共通する仕組みである。さらに言えば、それを維持するためにも、「外部」が必要になる。

「年功による昇進や昇給は、元来は経済的コストに左右されない官吏の慣行であり、戦前の民間企業では少数の職員だけの特権だった。それを全従業員に適用するのは、高度成長期のような例外的時期をのぞけば、困難なことだった。それでもなお、長期雇用と年功賃金を続けようとすれば、適用対象をコア部分に限定するしかなかった。そのための方法が、人事考課による厳選、そして出向・非正規雇用・女性という外部を作り出すことだったといえるだろう。」(p528)

雇用における男女格差が埋まらない最大の理由は、女性が内部ではなく外部と認知されてきたことの温存であり、また女性以外でも出向や非正規雇用の外部性を担保することによって、「コア部分」の長期雇用と年功賃金という「内部性」を維持してきた、そのツケである。

小熊さんは、この「雇用慣行の束」は容易に変えることが出来ないと考えている。そして、彼自身の解決策としては、「社会保障の拡充によって解決するしかない」(p576)という。スーパーで働く勤続10年の非正規雇用のシングルマザーが「昨日入ってきた高校生となぜ同じ給与なのか」と問われた際の、小熊さんが考える選択肢は、回答①年功序列型でもなければ、回答②同一労働同一賃金と個人自己責任的キャリアアップの推奨、でもなく、次のようなものだった。

「回答③ この問題は労使関係だけではなく、児童手当など社会保障政策で解決するべきだ。賃金については、同じ仕事なら女子高生とほぼ同じなのはやむを得ない。だが、最低賃金の切り上げや、資格取得や職業訓練機会提供などは、公的に保障される社会になるべきだ。」(p578)

これを1963年の経済審議会答申が実現出来なかったこと(p574)と述べ、小熊さんは、日本型雇用の「慣習の束」を温存しながら、回答3を実現しようと考えているのではないか、としている。

「当時の日本政府と日経連は、横断的労働市場と社会保障拡充の政策パッケージを提唱していた」(p414)のだが、小熊さんは、先に児童手当や公営住宅の整備といった「社会保障」で解決すべき課題があれば、「横断的労働市場」も結果的に進みやすいのではないか、という提案とも受け取れる。それを実際にしているヨーロッパのことを以下のように整理している。

「現場労働者や下級職員は、20代終わりから30代で賃金が頭打ちになってしまうことも多い。職務が同じなら、賃金もあまりかわらないからである。熱心な人は、社外で資格を取ったりして、より上の職務を目指すが、そうでない人ももちろんいる。西欧や北欧では、それをカバーするため、児童手当、公営住宅、家賃補助などが行われることが多かった。これは一種の少子化対策でもあるが、中年期に賃金が上がらない人たちに対する支援措置である。また、夫婦共稼ぎも多い。」(p115)

つまり、日本では終身雇用制を大企業のみならず中小企業でもとることで、企業内福祉として住宅手当や児童手当を抱え込んでいた。だが、今その余力がない企業では、その恩恵を受ける人の数を減らしたり、削減したりしている。この部分を、放置したら「19世紀型の『野蛮な自由労働市場』に回帰」(p575)することになる。それなら、この部分は政府が直接投資した方が良いのではないか、という提案である。これは以下の部分ともつながる。

「『地元型』は、収入は大企業型よりも少なくなりがちだ。しかし親からうけついだ持ち家に住むなら、ローンで家を買う必要はない。地域の人間関係にも恵まれ、自治会や兆兄会、商店会、農業団体などとの結びつきがある。近隣から野菜などの『おすそ分け』を受け取れれば、支出も少ない。自営業や農業は『定年』がなく、ずっと働く人が多い。」(p22)

「残余という言い方に、とくにマイナスの意味はない。日本の健康保険制度などが想定してきたような、「『カイシャ(職域)』と『ムラ(地域)』という、日本社会において基本的な単位となる帰属集団」の双方に根ざしていない類型ということだ。『残余型』の生き方が増えているとすれば、それは過去の制度が、社会の変化にあわなくなってきていることを意味しているといえるだろう。」(p35)

「大企業型」に入れなくても、「地元型」で社会関係資本が蓄積されていれば、年金が低くてもなんとかなる。老後2000万円必要なのは、大企業型での暮らしをしている人だけだ、ともいえる。一方、「残余型」が38%になっている、ということは、「大企業型」の外部とされ、かつ社会関係資本からも切り離された労働者が4割近く存在している、ということである。この人びとに、「児童手当、公営住宅、家賃補助など」がないと、貧困世帯の拡大につながる。また、この残余型の人が、無職や休職中、職業訓練中の衣食住の基盤を上記の公的支援で支えられることが、「横断的労働市場」の形成の基盤になる、ということも理解できた。

新自由主義的な経営者(ホリエモンやZozo前社長)あるいはそれを応援する橋下等の政治家・評論家は「19世紀型の『野蛮な自由労働市場』」を求めている。だが、そうではない未来を切り開くために、小熊さんのような提案を政治家や政党が提案することが出来るか。このあたりも、今後の鍵になるように思えた。

履歴書の空白期

僕が尊敬する、年若い友人のてっちゃん(小笠原祐司さん)が、「私の『履歴書の空白期』」を書いていた。ファシリテーターとして全国で、海外でも大活躍するてっちゃんにも、苦しい時期があったんだな、と改めて読みながら感じていた。彼のひりひりするような記述を読みながら、僕自身も己の「履歴書の空白期」を思い出していた。

僕の「履歴書の空白期」は博士号を取ってから山梨学院大学に入るまでの二年間。2013年4月から2015年3月までの二年間である。その間は、思い出せば味わい深いけど、実にキッツい二年間だった。

そもそも博論を書き上げるのに必死で、その後の就職活動のことは何も考えていなかった。甘ったれてたその当時、僕は新設講座の一期生だったので、博論を書いた後、助手のポストを譲ってもらえるのではないか、とぼんやり思っていた。でも、当然そんなはずもなく、みんな履歴書を必死になって書いてエントリーすると知ったのが、博論を書いた後の2013年春。博士号取得で大学院修了になったけど、いきなり肩書きのない状態に放り出された。

一応、大学や専門学校の非常勤講師をしていたけれど、プー太朗状態。見かねた大阪精神医療人権センターの当時の代表、里見弁護士に相談したら、人権センターでバイトしませんか、と誘ってい頂いた。里見先生は阪大法学部出身の大先輩で、数年前に神奈川でご一緒し、帰りの新幹線でゆっくり話をさせてもらって以来、何かと気にかけてくださっていた。でも人権センターに潤沢な予算がある訳でもなく、里見法律事務所に雇って頂く形になった。その当時はその意味があまりわかっていなかったが、本業に全く役立ったない人間に給料を払ってくださったばかりか、その業務には全く口出しせずにこちらに任せてくださった里見先生の包容力には、本当に感謝してもしきることはない。

そして、定職に就かずに困っていたからこそ、チャンスも巡ってくる。大学院のころに毎週東京から教えに来てくださっていた河東田博さん(立教大学)の科研研究班に混ぜて頂き、脱施設に関する調査に関わっていたからこそ、その延長線上で、在外研究のお誘いを頂く。定職が無くて困っていた時期だからこそ、その意味もわからず、とにかくエントリーして、スウェーデンに旅立つ。博論を書いている最中に無謀にも結婚して、妻は常勤職だったが、彼女も一緒に行けそうだったので休職して、二人で2013年10月末から2014年3月までの5ヶ月間、スウェーデンの第二の都市、イエテボリに住む。受け入れてくださる知的障害者の当事者組織、グルンデンの支援者アンデシュさんと連絡がなかなかつかず、ビザもギリギリで下りたし、住むところも決まらずユースホステルに滞在した期間もあったし、何より何を研究するかほとんど決まらずに行ってしまったし、不安で押しつぶされそうだったが、「背に腹は代えられない」無職期間だから、だったこそ、それでも現地で調査を続けた。その報告は、今でもウェブで読める。

で、スウェーデンで調査をしながらも、スウェーデンからもせっせと履歴書を送り続けた。そもそも福祉を研究しているのだが、社会福祉士を持っておらず、社会福祉学部の教育を受けている訳でもない僕は、就職に圧倒的に不利だった。そんな中、「助手採用の二次面接に来て欲しい」と東京の某有名大学から連絡を受け、10万円くらい自腹を切って、一時帰国する。面接では「君はお酒が飲めますか?」とか、採用を前提としたように思える話が進み、「これは決まったかも」と思って、住宅情報誌を買って帰る。そして、帰国日の当日、実家から関空に行く「はるか」に乗っている際に、別の大学から電話がかかってきて「明後日に二次面接に来れますか?」と聞かれて、飛行機を当日キャンセルする。で、また東京で面接を受けて、5万円の追加料金を払ってスウェーデンに戻るも、どちらとも不採用。そりゃないよ!と激しく落ち込む。今なら「人事は水物」と承知しているが、この時の消耗感は、本当に激しかった。

結局二年間で、50ほど履歴書を書き続けては、紙切れ一枚の不採用通知をもらい続ける。結構沢山のボリュームの内容を書き、業績も三本ほどはフルコピーして送らねばならず、その労力と資金だけでも、ままならない。あるときは、東京で学会発表があった日の午後、飛行機で行かねばならない大学から二次面接にどうしてもその日中に来てほしい(もちろん自腹で)、と言われ、当時住んでいた西宮から、朝一の新幹線で東京に行き、自分の発表を終えるや否や、羽田空港に飛び込んで飛行機で現地に行き、面接を受けるも、不採用、なんてこともあった。この時はほんまに「ふざけんな!」と思った。

で、こういう時期の周りの「助言」も、痛い。当時妻が常勤職で、僕はある種「妻のヒモ」だったのだが、それを見かねた僕の母親が「そんなに仕事決まらないなら、大学教員の道は諦めて、何でもいいから他の職を探したら? ○○ちゃん(妻のこと)がかわいそう」と言い出した。母の言うことはもっともだし、妻に迷惑をかけてることはその通りなんだけど、これまでの努力を捨てなさい、とも思えるこの「助言」に、なんと言い返してよいのかわからず、ぐったり落ち込んでいた。

で、もう履歴書を書くのもいい加減嫌になっていた2014年秋、学部時代からお世話になっていた社会学の大家、厚東先生から「こんな公募が出ているよ」と転送してくださったのが、山梨学院大学で法学部政治行政学科での「地域福祉論」の公募。やさぐれていたが、厚東先生がわざわざ送ってくださったのだから、という先生への義理だけの気持ちで、とりあえず履歴書を書いて送った。大学教育への抱負を書く項目があったので、「大学教員と違って僕は予備校講師をしてきたので、学生のニーズを捉えないと翌年の更新がないので、ニーズオリエンテッドな講義をしてる」とか、喧嘩を売るような事を書いて送ってしまっていた。

でも、なぜか二次面接に呼ばれる。甲府に朝10時。当然どこかで宿泊する必要はあるが、山梨に行ったことはない。で、よく考えたら、大熊一夫師匠の山荘が、八ヶ岳の麓にある。師匠に電話したら、喜んで歓待して頂く。面接の前の日は緊張するはず、なのに、僕は師匠の美味しい手料理に舌鼓をうち、ワインをたらふく頂いて、翌朝気分良く甲府まで送り出して頂いた。そんなご縁があったから、二次面接でも自然体で話すことが出来た。学長から「他の大学の二次面接も受けているそうだが、どっちを選ぶのか?」と聞かれて、馬鹿正直に「先に声をかけてくださった方」と応える。「それは半分当たっているけど、半分間違いだ」と言われるが、仕事が無くて背に腹を変えられない僕は、とにかく雇ってくれると声をかけてくれたところに、どこでも行く気でいた。そう伝えていたので、1週間後、十三駅付近の阪急電車で携帯がなり、「まだ決まっていませんか?あなたを採用したいので、学長決裁が出た段階で電話しました」と、当時の学部長に言われた時、十三駅のベンチで涙声になっていた。やっと履歴書の空白期から解放される、と。後から聞くと、対抗馬は東大卒の優秀な人で、僕より業績は多かったけど、「竹端さんの方が元気そうで、学生とうまくやりそうだから」というのが決め手だったようだ。破れかぶれの履歴書が功を奏する時もあるのだ。

一気呵成に、二年間の履歴書の空白期を書いていて、改めて感じるのは、二度とあの時期は経験したくないけど、確実に自分のコアな原点なった二年間でもある、ということ。完全公募の採用に辿りつくまで、他の研究者の何倍もの履歴書を書いたけど、でもしがらみに絡め取られることなく仕事をする土台を作るためには、必要な二年間だった。そして、その二年間は、僕の厳しい実情を気にかけてくださり、多くの人が、様々な機会を与えてくださった。カリフォルニア調査の声をかけてくださり、その旅費の工面などもしてくださったのは、その後もお世話になった北野誠一さん(元東洋大学)だった。北野さんのお宅にもしばしば通い、外弟子的に学ばせて頂いたことも、その後の僕の展開の基盤になった。こういう時間的余裕「だけ」はあったのが、履歴書の空白期、だった。

てっちゃんは冒頭に紹介したブログの最後に「何も見えないなら、動いてみる。そこから見える世界を見つけていく」と書いていた。これは全く僕にも当てはまる。何の肩書きもなく、何も決まっていないから、不安で仕方なかったけど、自分の可能性を探していく、模索期だった。それがあったからこその今だと、振り返ってみると、改めて感じる。