制度に縛られない学びに向けて

『脱学校の社会』(東京創元社)はイヴァン・イリイチの主著であり、中身を読んだことはなくとも、タイトルだけは知っている人も多いと思う。僕自身は10年以上前に一度読もうとしたのだが、何を書いてるのかさっぱりわからなくて、途中で読むのを放棄した記憶が残っている。今回、『コンヴィヴィアティーのための道具』や『シャドーワーク』といった他のイリイチの著作を読んでから、改めてこの『脱学校の社会』を読んでみると、やっとイリイチが言いたかったことがスッと理解できた。イリイチは、教育そのものを否定しているのではない。学校による教育の制度化と硬直化を否定しているのである。

「一たび学校を必要とするようになると、われわれはすべての活動において他の専門化された制度の世話になることを求めるようになる。一たび独学ではだめだということになると、すべての専門家ではない人の活動が大丈夫かと疑われるようになる。学校においてわれわれは、価値のある学習は学校に出席した結果得られるものであり、学習の価値は教えられる量が増えるにつれて増加し、その価値は出席や証明書によって測定され、文章化され得ると教えられる。」(p80)

学校を必要とする=専門化された制度の世話になることによって、私たちは制度以外のやり方で学ぶこと=独学を否定することになる。つまり、学校化(Schooling)とは、「価値のある学習は学校に出席した結果得られるものである」という信念体系の強化である。ほんまもんの学びは本来、学校以外の独学においても可能なはずである。だが、学校で学ぶことのみが学習であると規定し、その学習は出席や証明書によって測定され、文章化することが可能だと言う信念体系も受け入れると、その数値化序列化された評価基準によって、人間自身の数値化や序列化が可能であると言う信念体系も強化されていく。そしてこれが、人々の制度化というか、人々の制度への飼い馴らしをも強化していく。

僕自身が以前イリイチを読んだのは、大学教員になってからだと思うのだが、その時は、内容がわからないと言うよりも、彼が告発していることを受け入れたくないと言う心的抵抗があって、彼の著作を理解できなかったのかもしれない。彼が言ったことを受け入れると、制度化された教育機関の最たるもの(の一つ)である大学を問い直し・否定することに繋がりかねず、その大学で働いている僕自身をも否定することになるのではないかと恐れ、この本はわからないと放り投げたのかもしれない。臭い物には蓋、ではないが、パンドラの箱を開けようとするイギリスの著作に対する拒否反応であったと考えると、非常にわかりやすい。

今回、同書を改めて読んでみて思うのは、彼は他者に強制される学びは否定しているが、自発的でおもろい学びは肯定し、むしろそれを称揚するためにこの本を書いているのである。イリイチの学習観が詰まった部分をみてみよう。

「本当は、人の成長は測定のできる実態ではない。それは鍛錬された自己主張の成長であり、どのような尺度やカリキュラムをもってしても図ることができないし、他人の成績と比較することもできないものである。このような学習においては、想像力に富む努力においてのみ他人と競い、また、人の歩き方を真似るのではなく、人の歩んだ道を辿ることができるのである。私が尊重する学習は、測ることのできない再創造なのである。」(p82)

教育に携わる仕事を15年以上しているが、「人の成長は測定のできる実態ではない」ということに、心から同意する。学びという内的成長=鍛錬された自己主張の成長を、外的な標準化されたスコアとして算出・評価するのは、あくまでも疑似的・外形的なものであり、本質的なものでは無いのだ。にもかかわらず、私たちは外形的スコアに拘束されてしまう。そのスコアこそ自分自身の本質なのだと誤解する。

1番わかりやすいのは偏差値であり、偏差値化された学校ランキングであり、偏差値信仰と言う命名が物語るように、それは1つの数字にしか過ぎないものを、最重要視する信念体系なのである。そして、僕自身もその偏差値信仰に、塾で受験勉強し始めた中学1年生のころから15年近く、どっぷりつかっていた。だからこそ、イリイチの本を一読した時、自分自身の信念体系が根底から揺さぶられているようで、理解したくなかった。他人の成績と比較し、人の歩き方を真似、偏差値の高い学校の証明書を求めるために努力していた、その己の努力は無駄だったのか、と。

だが僕自身が、この10年の間に、偏差値信仰を少しずつ相対化して考えることが出来るようになった。そんな中年真っ盛りで改めて振り返ると、僕自身が学んできたプロセスは、まさに鍛錬された自己主張の成長であり、想像力に富む努力を他人と競ってきたプロセスであり、人の歩んだ道をたどる旅であったと理解することができる。そして偏差値にこだわっていたら、大学卒業後には過去を振り返ることしかできなくなるが、偏差値信仰を超えて学び続けると、私自身の大人になってからの学びは、まさに測ることのできない再創造の旅であると言うこともできると思う。そして特筆すべき事は、制度化された学びに比べて、再創造の学びははるかにおもろい。止められない。気がつけば誰に言われなくても学び続けている。この自発性こそが、制度化された学びに欠落しているものであり、イリイチが重要視したことである。それをイリイチはコンヴィヴィアルと言う言葉を使って説明している。

イリイチは「制度スペクトル」という章で、その右端に「操作的制度」を置き、左端に「相互親和的(convivial)制度」を置いた上で、次のように述べる。

「スペクトルの右端の制度に共通な特徴は、強制的参加にせよ、サービスの選択にせよ、強圧的な性格を持っていることである。スペクトルの左端には、利用者が自発的に使用することが特徴となる制度、すなわち相互親和的制度がある。」(p107)

どの学校に入るか。これは自発的に決めているように思える。でも実際のところ、「これぐらいの偏差値ならここにしておけ」と言う形で、親や教師、予備校のデータによって強圧的に、方向付けがされてしまう。あくまでも試験の点数に過ぎない外形的な尺度で、大学の志望校も振り分けられている。

でも、僕が現任者研修などの「大人の学びの場」で出会うのは、自発的に学ぼうとする人々の集まりである。そういう人々には、コンヴィヴィアリティが存在する。それはどういうものか、をイリイチの別の本から定義づけしてみる。

「私は自立共生(convivial)とは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由であり、またそのようなものとして固有の倫理的価値をなすものであると考える」(イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』ちくま学芸文庫、p39)

学校化された学習の対極にあるのは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由に基づく学びであり、他者比較や数値化・序列化を求めない、学びそのものが固有の倫理的価値をなす行為である。そして、それが制度化された学校では決定的に欠けているのではないか、というイリイチの告発である。

それは確かにその通りである。だが、僕は学校の中であれ・外であれ、自分自身の教育活動としては、自立共生的な学びの場作りを心がけてきた。大学のゼミの卒論指導でも、なるべく学生たちが自分の興味あるテーマで、自発的に学び、その中で問いを持ち、それを解決するためにフィールドワークを行ったり文献を読んだりインタビューしたりするためのコーディネーション役割や、産婆術役割として機能してきた。あるいは『無理しない地域づくりの学校』のような大人の学びの場でも、自発的に作られたマイプランへ、こんな視点があるかも、こんな人と繋がってみたらいいかも、とアドバイスするくらいしかしていない。そして、ゼミでも大人の学びの場でも、安心して自分の本音を話せる場作りを心がけてきた。

学習の制度化を自覚的に相対化し、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由を取り戻すための、学びの協同体づくりを心がけてきた。これは、一つの私塾的な試みであり、コロナ危機で盛んになりつつある「オンラインサロン」のようなものかもしれない。

イリイチは自立共生的な学びを促進する四要因を以下のように述べている。(p146)

1 教育的事物等のための参考業務(Reference Service to Educational Objects – An open directory of educational resources and their availability to learners.)

2 技能交換(Skills Exchange – A database of people willing to list their skills and the basis on which they would be prepared to share or swap them with others.)

3 仲間選び(Peer-Matching – A network helping people to communicate their learning activities and aims in order to find similar learners who may wish to collaborate.)

4 広い意味での教育者のための参考業務(Directory of Professional Educators – A list of professionals, paraprofessionals and free-lancers detailing their qualifications, services and the terms on which these are made available.)

この本が書かれたのは半世紀前の1970年。その当時はインターネットもウェブサイトもなかったので、本をネット検索できないし、お互いの得意なことをシェアする方法も限定されていたし、同じ思いで学んでいる人とつながる事も出来なかったし、教えてくれる師匠や先達を見つけるのも至難の業だった。でも、これらはみな、ネットで出来うることである。

すると学校でしかできない事を考えると、1から4を学習者がネットを使いこなして実現するために、自分の頭で考えること、主体的に判断すること、他者と協力し合いながら物事を進めること、・・・これらを促す役割が中心であり、究極のところそれしかない。そのような自立共生的な(コンヴィヴィアルな)学びの支援が出来ない学校なら、必要ない、ということになってしまう。そして、小中学校で上記のことを教えていたら、大学の役割は大きく変わりうるだろうと思う。

とはいえ、50年たっても現実はなかなか変化していない。小学校で上記を教えるはずだった「総合学習」の時間は、多くの学校では不活発なままだとも聴く。それは、子どもが学びたがらないのではなく、教師の側が教科教育(国算理社体音)にこだわり、それを有機的に結びつける総合学習に意義や価値を見いだしていないから、とも、小学校現場の先生から伺ったこともある。すると、教える側の制度化への縛りを解きほぐす必要は、50年前と変わらず今もあると思うし、学校の教員こそ、まずは率先して自律的で主体的で協同的な学習を面白がっているか、が問われていると思う。

僕は少なくとも、偏差値信仰が自分の中で成仏され、薄まるにつれ、学びがどんどん面白くなっている。そして、イリイチの他の本とも、今更ながら、やっと出会えそうである。

僕の中のクレオール性

宮地尚子さんの新刊『トラウマに触れる』(金剛出版)を読み始めて、真っ先に吸い寄せられたのが、「学問のクレオール」という論文である。クレオールとは何かをよくわからずに読み始めたのだが、僕のことそのものが書かれているようだった。

「クレオールとは、もともと仏領アンティルなどで日常の話し言葉として使われている『クレオール語』から来ているのですが、『純粋性』ではなく『混血性』、『普遍性』ではなく『多様性』、『起源』ではなく『生成』を立脚点とする世界観と言っていいでしょう。」(p292)

宮地尚子さんは、医学部を終えて研修医の時に医療人類学と出会い、医学と人類学という「違う文化」的前提を持つ学問を越境しながら、トラウマ研究を続けてこられた日本の第一人者のお一人である。そんな彼女の来歴が書かれた小論を読みながら、実は僕自身のクレオール性=混血性、多様性、生成的立ち位置、に思いをはせていた。

僕の師匠はジャーナリストの大熊一夫である。酔っ払ってアル中患者のふりをして精神病院に「潜入」し、「ルポ・精神病棟」を1970年2月に朝日新聞夕刊に連載して以後50年間、日本の精神医療の閉鎖性や抑圧性、構造的課題を追い続けてきたジャーナリストであり、『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』など数々の名作を作り続けておられる。そんな彼が大阪大学人間科学研究科に新設された(その後解体された・・・)ボランティア人間科学講座の教授として迎え入れられた1998年、僕は院生として師匠に弟子入りした。その時、僕がその後20年以上、クレオール性と苦しみながら向き合うことになるなんて、全く予想だにしないまま。

師匠は朝日新聞や週刊朝日で叩き上げられた取材や文章技法のノウハウを僕に惜しみなく伝えてくださった。「文章は省略と誇張だ」「見出しで全てが決まる」「できる限り短い文章で要点を書く」「本を読んで分かったつもりにならず、自分の足で稼げ(取材せよ)」「接続詞はできる限り省いても、意味の通る文章を書くべし」・・・。どれも、読ませるジャーナリストの文章としては必要不可欠な教えである。その基準で僕の文章も真っ赤に赤を入れてくださり、僕は文章の書き方を鍛えられた。それでずいぶんと文章修行をさせて頂いた。

だが、すでにお気づきの読者も多いと思うが、アカデミズムの文化では、上記の教えは受け入れられないものが多い。卒論を書いている時からお世話になっていた、アカデミズムの世界の師匠である社会学者の厚東洋輔先生は、ご自身曰く「アームチェア社会学者」であり、徹底的に文献を読み込んでその内在的論理を推論しながら世界の本質に迫る学者である。理論的言語を追いかける時に、「省略と誇張」なんてもってのほかである。見出しより論理展開の方が当然重要視される。つまり、アカデミズムの文化とジャーナリズムの文化では、重要視される文化的前提が異なるのである。・・・と言うのは簡単、でも両方に目配りするなんて、20代の僕に簡単に出来るはずもなく、めちゃくちゃ困った。

師匠に教わった、ギリギリと対象に迫る思考方法や、10取材して初めて1を書くことが出来るという、裏を取る取材方法などは、僕の中で欠くことの出来ない研究の前提となっている。その一方で、査読論文ではあまりにジャーナリスティックな文体だと、文化が違うがゆえに受け入れられない。そのため、院生時代になっても、厚東先生にアカデミズムの文化における受け入れ可能な査読論文の書き方を教わることで、その両者を越境しようと苦労した。

そして、越境で苦労しているのは、これだけではない。そもそも、学部時代は社会学の端っこにいて、でもほとんど社会学は勉強していなかったのだが、大学院以後、精神医療の構造的問題に迫るうえでは、あるいは脱施設化や権利擁護の研究をする上では、社会福祉学の学的叡智も必要不可欠である。博士論文の指導教官をしてくださった大熊由紀子さんの「えにし」のおかげで、「ノーマライゼーションの原理」を日本に広められた河東田博さんから直接学ぶチャンスがあり、障害者福祉における自立生活運動との繋がりなどは、名著『ケアからエンパワーメントへ』(ミネルヴァ書房)を書かれた北野誠一さんに学ばせて頂き、北野さんにはカリフォルニアの権利擁護機関の調査にも連れて行って頂き、耳学問で学ばせて頂いた。つまり、福祉社会学と社会福祉学は、どちらが専門というほど勉強している訳ではないが、常にどっちも気にしながら、その両者の隙間=ニッチ産業のように立ち回ってきた。

アカデミズムとジャーナリズムの、福祉社会学と社会福祉学の、二重の意味での狭間で苦しんできたのだが、それにクレオール性=混血性、多様性、生成的立ち位置という意味があったのか、と知ると、ずいぶん違った景色が見えてくる。少し前に「『ソーシャルワーカーの社会学』に向けて」という論考も書いたが、宮地さんの論に触れた後では、あれは自分自身の生成的立ち位置を記述した論考なのかもしれないな、と思い始める。

宮地さんはもう一つ、印象深い記述をしておられる。

「学問のクレオール化は、新たなパラダイムを創出するというより、境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動きと言えそうです。それは学問を学問的対象にしつつも、同時に方法論として用いなくてはいけないという意味で、ある文化を生きながらそれを学問対象とするネイティブ人類学者と同じ営みであり、インフォーマント以上、(欧米出身の)人類学以下といいう中途半端なポジションをあてがわれるという意味でも、ネイティブ人類学者と同じ地平にあります。」(p302)

「中途半端なポジション」。この言葉ほど、僕自身の立ち位置を一言で明確に表す言葉はない。そして、僕は自分自身の中途半端さに苦しみ、劣等感を持ち続けてきた。宮地さんが言うように、この20年くらい、「境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動き」を続けてきた。でも、中途半端さゆえに、見えてくる世界もあるのだ。「ネイティブ人類学者は、自文化を翻訳します」と整理した上で、宮地さんはこんな風にも書く。

「興味深いことに、コントロールを半ば奪われた中途半端な場所で無数の斜線を引くうちに、逆説的に甦ってくるものが『自分自身の言葉』なのかもしれません。」(p303)

翻訳は、二つの言語の間で無数の斜線を引く作業である、という管啓次郎氏の定義を用いた宮地さんの言葉に、ハッとさせられる。二つの文化の「あいだ」にいるからこそ、その中で、「コントロールを半ば奪われた中途半端な場所で無数の斜線を引く」という「みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をし続けるなかで、「逆説的に甦ってくるものが『自分自身の言葉』なのかもしれ」ないのだ。

一つの文化にどっぷりつかると、その文化の言語を話しているだけで生息することは可能になる。ジャーナリズムの言語であれ、社会学の言語であれ、社会福祉学の言語であれ、単一の文化の単一の言語を話し続け、その専門家になれば、わざわざ越境する必要はない。むしろ、その言語文化の世界を深く掘り下げることに、意味や価値がある。

だが、アカデミズムとジャーナリズムの、福祉社会学と社会福祉学の「境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をしてきた僕は、確かに中途半端だった。でも、その中途半端な立ち位置で、両者に伝わる言語を必死になって模索する、自文化の翻訳作業を続けるなかで、『自分自身の言葉』を逆説的に持ち始めたのかもしれない。

僕にとってその自分の言葉を探すのが、ブログであり、それを初めてまとまった論考として書けたのが、博論を書いてから10年後にやっと初めて書き上げた単著『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)だった。しかも、この単著は、博論の内容をごく一部しか用いず、それ以外の内容は、今となって振り返ってみると「ある文化を生きながらそれを学問対象とする」、つまりは「自文化を翻訳」する「ネイティブ人類学者」宣言の本だったのかもしれない。

アカデミズムの師匠である厚東先生にお送りした時、一冊目にこんな本を書くとは思わなかった、と言われ、二冊目は主題と副題をひっくり返すような内容を期待している、とメッセージを頂いた。その後産み出した二冊の単著『権利擁護が支援を変える—セルフアドボカシーから虐待防止まで』『「当たり前」をひっくり返す—バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』(ともに現代書館)は、まさにそれを模索した本である。でも、一冊目にどうしても僕が『枠組み外しの旅』を書かねばならなかった理由とは、自分のヴォイスや文体を探し、自分の言葉で書くスタイルを確立する必要があったからであり、それはすなわち僕なりの「学問のクレオール」宣言をしておかなければならなかったからだ、と宮地さんの論考を読んで、やっと腑に落ちた。

ただ、この論考はもともと2001年に書かれたものである。つまり僕がそのクレオール性をどう整理してよいかわからなかった大学院生の頃に、既に宮地さんは整理されていた。読むのが遅すぎた、ともいえるかもしれない。でも、その当時読んでいても、僕はこの宮地さんのメッセージを適切に受け取ることは出来なかったと思う。自分なりに「中途半端さ」に悩み、「みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をし続け、『枠組み外しの旅』を書き、さらに自文化の翻訳作業を地道にし続けていた今だからこそ、やっと彼女のメッセージを我がこととして受け取ることが出来たのかもしれない。

そう思うと、今ようやく僕の中のクレオール性を言祝ぐことが出来るようになってきたのかも、しれない。宮地さんの文章に、20年後の今、出会えて感謝している。

できる一つの方法論

世の中には、何か新しいことをやろうとした時、2つのパターンに分かれることが多い。ありがちなのは、「できない100の理由」を述べるタイプである。前例がない、かつて試したがうまくいかなかった、また機が熟していない、○○がない・・・とにかくいろいろな理由をつけて、であるが故にできないのだと自己肯定化する。これは学生だけでなく、前例踏襲主義が激しい「官僚的な働き方」(お役所、民間問わず)をしている人の中には、しばしば見られる思考形態である。

他方、もう一つの対照的なアプローチもある。様々なできない理由を前にして、「では一体どのようにしたら実現可能なのか?」をギリギリと自分の頭で考え、実際に一つ一つ試行錯誤しながら模索していく。「できない100の理由を述べる」タイプの前者に対して、「できる1つの方法論を模索する」タイプの人である。

今日、ご紹介するのはそんな「できる1つの方法論を模索する」川口加奈さんが書いた本。タイトルだけ見れば、伝えたいメッセージがズバリわかる一冊。

『14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考え続けてやっと見つけた「働く意味」』(川口加奈著、ダイヤモンド社)

彼女は14才の時にホームレスの“おっちゃん”に出会い、炊き出しに関わりだしてから、ホームレス支援を自分のテーマとして持ち続け、大学生の時にホームレス支援団体であるHomedoorを立ち上げ、理事長として、ホームレスの就労支援であるレンタサイクル事業のハブチャリや、生活応援施設「アンドセンター」などを立ち上げていった社会起業家である。

僕は2013年に川口さんの活動を取り上げて放映されたハートネットTV「未来へのアクション」を拝聴して以来、毎年のように授業でも取り上げ、学生たちに見てもらっていた。当時大学生だった川口さんが、NPOを立ち上げてハブチャリ事業をスタートさせている様子をみて、多くの学生たちは「自分と同じ年代でここまで出来るなんてすごい」と一様に驚きながらも、「川口さんのような信念は自分にはない」「社会起業家になれるのは、タレント性のある、自分とは違う世界の人だ」という感想も少なからず寄せられていた。そんな折、彼女がこれまでの経験をまとめた単著を拝読して、今日のテーマに引きつけてご紹介したいのが、「できない理由の乗り越え方」と題した次のコラムだ。

「何かやろうと思ったとしよう。勉強でも趣味でもいい。でも、できない理由、やらない理由を考えだして結局やらなかった。そんなことも多いと思う。何もしないほうが楽だし、邪魔しようとする人や様々な誘惑も現れる。こういう時、私が無理矢理モチベーション上げるのではなく、やらなければならない環境を自ら作り出すことにしている。
たとえば、何かの資格を取得したいとしよう。そのための学校に通ってしまうというのもひとつの手だと思う。ただ、その願書を出すのも面倒だと言う意見もあるだろう。私の対処法は、タスクをかなり細分化して見えるところに掲示すること。他の専門学校と比較する、専門学校に電話をかける、願書を取り寄せるなど、一つ一つの過程を細かく分けると大きな目標である「資格取得」も、小さな目標から始められて取り組むことへのハードルが下がる…気がする。」(p158)

この短い文章の中に、様々なヒントが隠されている。川口さんの試行錯誤のプロセスを読みながら、川口さん自身、ホームレス支援に関して何もしないほうが楽だと思った時期もあったり、様々な誘惑もあったと著書のなかで語っていた。でも彼女の場合、学生時代に団体を一緒に立ち上げたスタッフが離れていくなかで、やらなければならない環境に追い込まれたり、あるいはホームレス支援のビジネスプランの企画書を書き続けるなかで自らその環境に飛び込んでいった。

さらに言えば、タスクをかなり細分化すると言うやり方は、川口さん自身が課題を乗り越えてきたやり方だけでなく、おそらく川口さんがホームレス支援をする時にも同じような支援の仕方をしているであろうことが想像できる。いちど仕事を離れてしまい、履歴書に空白時間ができてしまうと、なかなか就職活動がうまくいかない。すると自暴自棄になったり、自分はもうダメだと諦めてしまい、ホームレス状態になってしまう。自尊心も大きく落ち込む。そのような人々が自信を取り戻す上では、いきなり大きな一般就労のような目標を掲げるのではなく、スモールステップとして、まずシャワーを浴びて身だしなみをきれいにしてみるとか、短時間就労をしてみるとか、割と容易に実現可能な小さな目標に区切り、それを達成して自信をつけていくプロセスが重要なのだと思う。

事実、川口さん達が最初に立ち上げたハブチャリの事業では、自転車の整備とか、レンタルで貸し出す接客とか、自転車を回収するとか、そういう細かい工程に分けることにより、比較的誰でもその仕事に取り組むことができ、それがきっかけになって自信を取り戻し、以前やっていた業界の仕事や、別の長時間労働に復帰していくおっちゃん達と沢山出会ってきた、という。

まさに、川口さん自身も、おっちゃんたちも、出来る一つの方法論を模索しているのである。その試行錯誤の精神は、「まずは実験をやってみる」というコラムにも表現されている。

「実証実験のような、まずは小さくても試しにやってみる、スモールトライの必要性は、この10年間で何度も体感した。たとえ準備不足でも、「実験」と言うマジックワードであれば、トラブルがあってもお客さんからそこまで怒られることもない。しかも、こういうことを始めますと宣言することで同じことを目論んでいる人に先制できる可能性もあれば、その人と連携できるチャンスもある。さらには、反応が悪ければやめてしまってもいいわけで、自由度が非常に高い。プレスリリースを活用すればメディアにも取り上げてもらえるし、本格的に始動するときには、すでに実験をやりましたという経歴が強みとなる。内容にはよるけれど、工夫を重ねればお金も多くはかからない。何かをやろうとしてる人に、スモールトライは非常におすすめだ。」(p199)

何もしないわけでもないし、いきなり永続的に始めるわけでもない。その間の実験。実験には当然仮説が必要になる。しかも一定程度角度の高い仮説でないと、そもそも実験を始めることができない。多くの人を説得したり資金を集めることもできない。しかしながらあくまでも仮説を実証する実験であるから、永続的にやらなければいけないという縛りはない。これは「自由度が非常に高い」。しかも、前例踏襲主義に縛られている立場の人に向かっては、「こういう実証実験をしました」というのは立派な「前例」として機能する。上手くいかなかったら、やめることも出来るし、改善して別の策を見いだすこともできる。試行錯誤のなかで、仮説生成的というか、仮説をより確度の高い事業プランに練り上げていく実証実験のアプローチは、社会的な何かに取り組んでみたい人にとって、すごく役立つアプローチだと思う。

その上で、彼女は15年間ずっと、ホームレス問題に端を発し、住むところがない人の生活支援問題にブレずに取り組み続けている。近年では児童保護施設出身の若者や、LGBT など性的少数者、あるいはDV被害の女性など「おっちゃん」以外の同じカテゴリーに属する人の支援にも携わっている。それを、福祉的な視点だけでなく、様々な企業や役所とも連携しながら、関西人的な言い方をすると、使えるもんは何でも使いまくって、人生からの転落防止柵としてのHomedoor事業を継続しておられる。

こういう「出来る一つの方法論」を模索してこられた彼女のプロセスから学ぶことは多いし、是非とも学生さんや何かにチャレンジしたい人にお勧めしたい。そんな一冊である。

ミドル・パッセージを生きる

今年で45才。中年真っ盛り、である。僕と同じように中年にさしかかった友人から、今の心に深く響く一冊を教わった。人生半ばの通り道について、アメリカ人のユング心理学者が書いた本である。

「ある朝、私たちは鏡の中に、自分という敵を見つけてしまうのである。自分の劣った性質に向き合う事は辛いことかもしれないが、それらを認識する事は他者への投影を自分に引き戻すことの出発点となる。ユングは、私たちが世の中のためにできる最善の事は、影を投影するのはやめて、自分でそれを引き受けることだと気づいていた。世の中で間違っている何かは、自分の中で間違っている何かであり、結婚生活で間違っている何かは、自分の中で間違っている何かなどと言う事は相当な勇気を必要とする。しかし、そのように謙虚になった時こそ、私たちは、自分たちの暮らしているこの世の中を良くすることに着手しているのであり、人間関係や自分自身を共に癒すための条件をもたらしているのである。」(『ミドル・パッセージー生きる意味の再発見』ジェイムズ・ホリス著、コスモス・ライブラリー、p79)

芸能人、政治家、近所のおばさん、コンビニの店員、飲み屋のオッサン、目障りな上司・・・誰でもいいけど、誰かがむかつくと言う時に、実はその相手の中に「自分という敵を見つけてしまう」のである。ユングはむかつく相手に自分の劣った性質=影を押し付けることを投影と名付けた。しかし、目障りなのは他人ではなく、他人に投影した己の影=劣った性質なのである。それを自分で引き受けることが出来るか、が問われている。

だが、「世の中で間違っている何かは、自分の中で間違っている何かであり、結婚生活で間違っている何かは、自分の中で間違っている何かなどと言う事は相当な勇気を必要とする」。たしかに、そのとおり。気がつけば、我が家における失敗について、ついつい「妻のせい」にしている自分がいる。でも、それは間違いなく「自分の中で間違っている何か」である。あるいは、言うことを聞いてくれない子どもや、指示に従わない学生に対しても、相手のせいにしがちだが、それも間違いなく「自分の中で間違っている何か」なのである。コミュニケーションパタンの悪循環においては、相手ではなく、己のパタンの間違いにこそ、自覚的でなければならないのに、はまり込んでいる悪循環だからこそ、「相手が悪い」と思い込みやすい。

なぜ、それを自分の問題として引き受けられないのか。著者は「自分の劣った性質に向き合う事は辛い」と端的に指摘する。そう、見たくない部分は、「相手のせいであり、相手の性格や仕業」だとラベルを貼る=投影しているうちは、自分には関係のない「他人事」である。でも、相手という「鏡の中に、自分という敵を見つけてしまう」のは、これほど恐ろしいことはない。相手の欠点だと批判していたものが、「自分の劣った性質」につながるのだから、ブーメランのように批判が己の喉元に突き刺さる。痛いこと、この上ない。しかし、それを統合することにより、別世界への道が開けてくる。

「影の統合で要求されるのは、私たちが社会の中で責任を持ちつつ、しかし同時に自分自身に対してもっと正直に生きることなのである。ペルソナの世界のデフレーションを通じて、私たちは自分たちが今まで暫定的に生きてきたことを知る。喜びに満ちたものにせよ、不愉快なものにせよ、ありのままの内的真実を統合すること、それは新しい人生をもたらし目的を取り戻すためには不可欠なのである。」(p81)

役割や社会的立場との自己同一化を、ユングは「ペルソナの世界」という。そして、人生の前半においては、そのような「ペルソナの世界」を最大限に追い求めてきた人は少なくないだろう。僕自身も、大学教員とか、研究者とか、そのようなペルソナの世界の最大化に努めてきた。しかしながら、確かに中年の危機においては、そのようなペルソナとの自己同一化に疑問を感じ、自分は一体何のために生きてきたのだろうという 問いを持つことによって、ペルソナの世界のデフレーションが始まる。それは暫定的に生きてきた世界ではない、ありのままの内的真実を模索する姿でもある。それは「自分の劣った性質に向き合う事」でもあるため、不愉快なものである場合もしばしばだ。

だが、劣った性質を他者に投影せず、それも自分自身の一部であると引き受けた上で、「自分自身に対してもっと正直に生きること」ができたら、「新しい人生をもたらし目的を取り戻す」旅が始まる。それが、個性化である。

「個性化と言う概念は、私たちの時代のためにユングが示した、魂のエネルギーにとって道案内人となる一連のイメージを表す神話である。簡単に言えば、個性化とは、宿命によって課された限界の中で、可能な限り自分自身になるという、各自に課せられた発達上の不可避の要請である。繰り返すが、意識的に宿命と対峙しない限り、私たちはそれに縛られてしまうのである。」(p193)

「意識的に宿命と対峙」することによってしか、「宿命によって課された限界」による「縛り」を乗り越えて、「可能な限り自分自身になるという、各自に課せられた発達上の不可避の要請」に応えることはできない。当たり前のことなんだけれど、言うは易く行うは難し、である。

自分自身の性格や特性、家庭環境や仕事環境など、「もう少し○○だったら」と思うこともある。でも、そうやってそれを外部化して、誰かの何かのせいにしている限り、相手に投影する状態から抜け出せず、「自分の劣った性質に向き合う」ことが出来ていない。宿命に縛られてしまう。そうではなくて、「自分の劣った性質」や好ましくない環境を、「宿命によって課された限界」だと自覚化すること。その上で、その制約条件の中でも「可能な限り自分自身になるという」「意識的な対峙」が、人生半ばの通り道=ミドル・パッセージには求められている。

では、「意識的な対峙」を具体的にどうすればよいか。それも、この本では教えてくれている。

「「私の中のどこからこれらのイメージが来るのか、このイメージから思い浮かぶ事は何か、私の行為について、それらは何と言うだろうか」と。
自分の自己感覚〔自己についての理解〕を真に修正するための唯一の方法は、このような自我とセルフの間の対話を持つことである。正式なセラピーを受けなくても、「耳を傾ける」ための勇気と日々の習慣さえあれば良い。そして学んだことを吸収し、統合することができれば、一人きりでいても寂しさを感じない。」(p222)

自己内対話のことを、ユング心理学では「自我とセルフの対話」という。訳注によれば「セルフは自我をしのぐ超越的なものとされ、ユングは『自我が意識の中心であるように、セルフはこころの全体性の中心であり、また意識も無意識も含めたものである』と言っている」(p19)。人生前半は、意識の中心である自我を軸として、生きてきた。社会的役割や立場などのペルソナを追い求めるのが、自我的な生き方である。だが、自我の背後には、「自我をしのぐ超越的なもの」であり、「こころの全体性の中心であり、また意識も無意識も含めたもの」としての、セルフがある。

ただ、「自我をしのぐ超越的なもの」というと、なんだか自分とは縁遠い、神がかった世界に感じられる。でも、セルフに至る道とは、「宿命によって課された限界の中で、可能な限り自分自身になる」道なのである。自分から遊離して、空想にふけることではない。逆に、あまりにも土着的、というか、自分の日常の中で沸き起こる、イライラやむかつき、腹立ちなどにも目を向けた上で、それらを「日々の生活に象徴として現れるもの」(p222)として受け止め、「私の中のどこからこれらのイメージが来るのか、このイメージから思い浮かぶ事は何か、私の行為について、それらは何と言うだろうか」と、自らに問いかけ直す。それが、可能な限り自分自身になる道であり、中年の時期にそこを通り抜けるのが、ミドル・パッセージなのである。

もちろん僕は聖人君子ではないので、まずはむかつくし、まずは腹が立つし、まずは妻のせいにしてしまう(笑)。でも一旦そうしてしまった後でいいから、振り返って考え直してみるのだ。そのむかつきや苛立ちは、自分の中の影ではありませんかと。そして、「私の中のどこからこれらのイメージが来るのか、このイメージから思い浮かぶ事は何か」とたぐり寄せるなかで、他者に投影した影を、そのものとして認め、自らの内的可能性として統合し直すことが可能なのだ。これは、これからの僕が追求したいことのひとつだ。

もうひとつ、今の僕に大切なことを紹介しておきたい。

「パラドックスは、これまで求めてきたものを全て捨て去ることによってのみ、私たちは、安定とアイデンティティーという人は欺きがちな保証を超越するということである。求めてきたもの全てを手放すのである。そうすると、不思議なことに、あり余るほどの何かが私たちの心にあふれ出してくる。その時私たちは頭で理解していること—ときにはそれも重要であるが—から、心の叡智へと移動するのである。」(p228)

「求めてきたもの全てを手放すのである。そうすると、不思議なことに、あり余るほどの何かが私たちの心にあふれ出してくる。」

これは最近僕も経験していることである。20代から30代にかけて、あんなに求めていたし、声高にあれこれ言い続けてきたことを、手放してみた。すると、向こうから色々とお声がかかり、オモロイ展開が始まりつつある。そのとき、僕は声高に主張しない。あくまでも、相手の声を受け止め、そこに応答していく。自分で流れを作り出そうと誘導したりせず、来た流れにふと乗って、どこに行くかわからない何かに身を任せてみる。それは、「これまで求めてきたものを全て捨て去ること」でしか出来ないし、確かに「安定とアイデンティティー」に安住してはいられない。でも、そういう安定やアイデンティティが、社会的役割や立場というペルソナだとしたら、それを手放して、「「耳を傾ける」ための勇気と日々の習慣」をもち、「学んだことを吸収し、統合すること」にこそ、心のエネルギーを費やす。他者を操作しようとするのではなく、流れに身を任せ、「あり余るほどの何かが私たちの心にあふれ出してくる」ままに、「心の叡智へと移動する」。

そういうことを、ミドル・パッセージで、練習し始めているのかも、しれない。

生活の自立と自尊を取り戻すために

シャドーワークというのは「賃金不払い労働」(=アンペイドワーク)だと思っていた。そして、賃金不払い労働というのは、賃金労働ではないものに対しても対価を払え、というフェミニズムの運動の中から出てきた言語だと思い込んでいた。だが、その発明者でもあるイヴァン・イリイチは、以下のように賃労働とシャドーワークの関係性を整理する。

「これは、産業社会が財とサービスの生産を必然的に補足するものとして要求する労働である。この種の支払われない労役は生活の自立と自尊に寄与するものではない。全く逆に、それは賃労働とともに、生活の自立と自尊を奪い取るものである。賃労働を補完するこの労働を、私は<シャドー・ワーク>と呼ぶ。これには、女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関する諸活動、家で学生たちがやたらに詰め込む試験勉強、通勤に費やされる骨折りなどが含まれる。押し付けられた消費のストレス、施療医へのうんざりするほど規格化された従属、官僚への盲従、強制される仕事への準備、通常「ファミリーライフ」と呼ばれる多くの活動なども含まれる。」(イリイチ『シャドー・ワーク』岩波書店、p192-193)

この指摘の中で着目すべきポイントは、シャドーワークを「賃労働を補完するもの」として捉えていると言う部分である。賃労働から排除されたものではなく、賃労働とシャドーワークは対の存在であり、シャドーワークのおかげで「産業社会が財とサービスの生産を必然的に補足する」ことが可能である、と定義する。その上で、焦点化すべき部分が二つある。一つは、家事育児という不払い労働に対価を払え、というのは、賃金労働を、「変えられない所与の前提」とした上で、その賃労働の範囲を広げよ、という主張である。だが、イリイチは、そもそも、賃労働とシャドーワークという二分法そのものを疑ってかかる。二つ目は、シャドーワークは賃労働を補完する労働であるため、その範囲を家事育児だけに限らず、試験勉強や通勤、教育・教育に代表される官僚制システムへの従属など、より広範な「ファミリーライフ」をシャドーワークと定義している点である。

鶴見和子はこの「シャドーワーク」を「影法師のしごと」と解釈した上で、以下のように整理している。

「影法師の仕事は、生存のための仕事(サブシステンス・ワーク)の対立概念である。中世期ヨーロッパでは、男女ともに生存のため最低限必要なものを自分たちの手で作って暮らした。結婚は生存のための仕事における男女の協働の基地であった。ヨーロッパでは、工業化による男女の役割分化が明らかになった19世紀前半に、男性は余剰価値の生産に駆り立てられる賃金ないしは給料取りに変身する一方、女性はそれを支える影法師の働き人に変化(へんげ=「トランスモグリフィケイション」)した。ただし職場への通勤に必要以上のエネルギーを消費することも、月給取りになるために学校で強制的に勉強させられることなども、影法師の仕事だから、男性もまた多かれ少なかれ、影法師的存在ではある。影法師におんぶしなければ、賃金取りも給料取りもできない仕組みになっている工業化社会のカラクリと、人間と自然との破壊をもたらすその恐るべき結果とを、イリイチは、この滑稽な表現によって警告しようとしたのである。」(鶴見和子「影法師のしごと」『イリイチ日本で語る 人類の希望』新評論p114-115)

「余剰価値の生産に駆り立てられる賃金ないしは給料取り」とは、生活の大半の時間を「余剰価値の生産」という「賃労働」に「駆り立てられ」、「生存のための仕事における男女の協働」をする余裕がなくなった人のことを指す。すると、家事育児だけでなく、通勤や強制的に勉強することも含めて、賃労働の対象外ではあるが、賃労働をするために必要不可欠な「影法師におんぶしなければ、賃金取りも給料取りもできない仕組み」ができあがる。これが「工業化社会のカラクリ」である。そこにも賃金を払え、というのが、未だ支払われていない賃金を支払え、という意味での「アンペイドワーク」の論理でもある。だが、そもそもイリイチが問うているのは、賃労働に駆り立てられることによって、生活の自立と自尊が奪われるのではないか、という問いである。賃労働とシャドーワークの対は、「生存のための仕事(サブシステンス・ワーク)」を消し去ろうとしているのではないか、という仮説である。

つまり、賃金が支払われない仕事と、賃金が支払われる仕事を対立させた上で、より多くの労働に賃金を支払えと言う論理は、「不払い労働」は労働として価値がない、という価値前提を認めることになる。そして、自らの「生活の自立と自尊」を売り渡して賃労働を行う現状を、追認することにもなる。イリイチはここに本質的な問い直しを行う。

「生活の自立と自尊を目指す活動を商品で代替する事は、必ずしも進歩とはみなされなくなっている。女性たちは、家事に伴う稼ぎのない消費活動が特権であるかどうか、あるいは彼女たちが実際には消費を義務づける支配的な構造によって堕落的な仕事を押し付けられているのではないか、を問うている。学生たちは、自分たちが学校へ行くのは学ぶためにあるか、それとも協力しておのれ自身の愚鈍化につとめるためか、を問うている。消費のために苦労が増え、消費が約束する心の安らぎはますます減っている。だんだん多くの人に知られるようになってきている事は、おそらくはそれほど非人間的でもなければ、それほど破壊的でもない、よりよく組織された労働集約的な消費と、人間の自立と自尊を目指す現代的な諸形態との間の選択である。この選択は、影の経済の拡大とヴァナキュラーな領域の回復との相違に対応している。」(イリイチ、『シャドーワーク』、p79)

「生活の自立と自尊を目指す活動」とは、自分の頭を使って考え、自分なりに試行錯誤しながら何かを産み出す活動だ、と仮に定義してみよう。その一方で、「消費活動」を「生活の自立と自尊を目指す活動」に対置するものと定義すると、自分の頭を使わなくても、試行錯誤しなくても、お金を出せば手に入る活動と定義してみよう。そしてそのような「商品」とは、標準化規格化された賃労働によって産み出されたものだ、としてみよう。

その上で、イリイチのいう「学生たちは、自分たちが学校へ行くのは学ぶためにあるか、それとも協力しておのれ自身の愚鈍化につとめるためか、を問うている」という課題を取り上げてみる。これは、自らも教育に携わる人間としては、この問いは自己否定に繋がりかねない、キツい問いだが、本質的でもある。

例えば僕の家の前には公立中学校がある。今年はコロナ危機でそうではないが、昨年までは毎年初夏のころ、中学校1年生向けの軍隊式の行進の練習がなされていた。号令に合わせて行進し、右向け右、回れ右、全体止まれなどの一糸乱れぬ形でやるように「教育」している。そして三角座りをさせ、乱れが生じたら先生からの怒号が飛ぶ。このようなことは、先生に反抗しない、自発的に隷従する身体を作り上げるための「教育」であり、イリイチの言葉に従えば、「協力しておのれ自身の愚鈍化につとめるため」の学校である。そうやって、世間に盲従することになれてしまえば、「消費を義務づける支配的な構造」を問うことなく、広告などで消費喚起されたものを自発的に購入し、その商品を購入するためには、よりよい賃労働は必要不可欠だ、と必死になって勉強し、先生に忖度し、良い成績・内申点を取ろうと必死になる。学校以外にも塾に通い、必死になってより偏差値の高い大学に合格しようと努力する。

これは、まさに賃労働主体になるための、賃金はもらえないけどそれに準備する「ファミリーワーク」としての、シャドーワークそのものである。そして、そのシャドーワークにおける子ども達の熾烈な競争主義は、さらに賃労働における弱肉強食主義を加速させ、「消費を義務づける支配的な構造」を問うことまま、そのような悪循環は再生産されていく・・・。

では、どうしたらこの悪循環を止めることができるのか? それをイリイチは、「生活の自立と自尊を目指す活動」であり、ヴァナキュラーな領域の回復である、という。

「ヴァナキュラーな仕事、つまり生存に固有の仕事(に価値:引用者挿入)を置く考えを、私としては提案したい。それは同じ支払いでない活動であるにしても、日々の暮らしを養い、改善していく仕事であって、標準的な経済学の内側で開発された概念を用いた分析では、全く捉え切れないものである。私はこうした活動に対してヴァナキュラーという語をあてたい。それというのも、「インフォーマルな部門」とか「使用価値」とか「社会的再生産」などの用語がカバーしている領域内では、この語によるのと同様な区別が可能な、一般に流布されている概念が他には見当たらないからである。ヴァナキュラーとはラテン語の用語であって、英語として用いられる場合には、有給の教師から教わることなしに習得した言語に対してのみ使われる。ローマでは紀元前500年から紀元後600年にかけて、家庭で育てられるもの、家庭でつくられるもの、共有地に由来するものなど、そのような価値のいずれをもあらわすことばとして使われた。さらにまた、人間が保護し、守ることができる価値—ただし市場では売買されない—を表す言葉としても使われた。商品とその影に対置させる用語として、この簡素な「ヴァナキュラー」という言葉を復活させてみてはどうだろうか。この言葉によって、<影の経済>の拡大と、その逆、つまり<ヴァナキュラーな領域>の拡大と区別することが可能になると思われる。」(イリイチ、『シャドーワーク』、p68-69)

イリイチのいう「ヴァナキュラーな言葉」とは、例えば「有給の教師から教わることなしに習得した」僕の話す関西弁である。部分的には商品を用いてはいるけど、「家庭で育てられるもの、家庭でつくられるもの」なら、我が家ではぬか漬けや塩麹、キュウリ・らっきょう・ショウガのピクルス、梅ジュースなどがある。どれも購入する商品より手間暇かかるし、へたをしたら安い完成品と同程度のお金がかかる場合もあり、「標準的な経済学の内側で開発された概念を用いた分析」では、非効率で無駄の多い作業かもしれない。でも、市販の商品よりは我が家の味として馴染んでいて美味しく、そうした食べ物を作るプロセスは、「日々の暮らしを養い、改善していく仕事」そのものである。なによりそれらは苦役としての賃労働やシャドーワークとは異なり、楽しいし、美味しい! そして、英語や日本語標準語をしゃべるときよりも、関西弁の方が、自分の気持ちが素直に表現出来るので、楽だ。

このような楽しさや、心地よさ、という感情を、賃労働とシャドーワークは商品を介在する形でしか認めない。そうしないと、多くの商品を買ってもらえないし、「経済が回らない」と思い込んでいるからだ。でも、楽しさや心地よさ、という感情や感覚は、過剰に消費をしなくても、ほどほどの消費で回っていくことが出来る。だが、このような発言は、消費をあおる生産性至上主義社会においては、禁句である。イリイチもこう述べている。

「「パックス・エコノミカ」はゼロ−サムゲームを守り、その公然たる進歩を保障するものだ。すべてのものがプレイヤーになり、「ホモ・エコノミクス」のルールを承認するように強いられる。このゼロ−サムのモデルに合うように行動することを拒否するものは、平和の敵として追放されるか、妥協するまで教育されるか、そのどちらかである。このゼロ−サムのゲームのルールでは、環境と人間労働の両者は希少な賭けである。そこでは一方が得をすれば他方が損をする。」(p35)

経済が支配する「パックス・エコノミカ」では、「一方が得をすれば他方が損をする」という「ゼロ−サムゲーム」がゲームのルールになる。そして、そのルールの中で勝ち上がる「ホモ・エコノミクス」として全ての人々がプレイヤーになることが強制される。「このゼロ−サムのモデルに合うように行動することを拒否するものは、平和の敵として追放されるか、妥協するまで教育されるか、そのどちらかである」。

生産性至上主義を括弧にくくろうとすると、狂人と言われて、精神病院に閉じ込められる。あるいは病院長であったフランコ・バザーリアが同じことをしたら、反精神医学だ、と、イタリアの精神医学会からは「平和の敵として追放され」た。しかしながら、ホモ・エコノミクスも、パックス・エコノミカも、人間の生存形態の多様性の中の一つに過ぎない。それ以外のやり方はあるはずである。にもかかわらず、「これしかない」「バスに乗り遅れるな」とばかり、「このゼロ−サムのゲームのルール」を極端に押しつけてきたのが、新自由主義的価値前提であり、規制緩和や労働市場の流動化、ニューパブリックマネジメントに代表される非市場領域の市場化・民営化ではなかっただろうか。

イリイチはこのようなパックス・エコノミカやホモ・エコノミクスに対抗する概念として、ヴァナキュラーな領域の回復を主張するだけでなく、「生活の自立と自尊を目指す活動」を重視した。別の本ではそれをコンヴィヴィアリティという形で整理している。

「私が差し迫ったものとして述べてきた危機は、産業主義社会内部の一危機ではなくて、産業主義的生産様式そのものの危機なのである。私が述べてきた危機は、自立共生的(コンヴィヴィアル)な道具か、それとも機械に圧しつぶされるかという選択に、人々が直面させる。この危機に対する唯一の対応の仕方は、危機の深さを完全に認識して、避けがたい自主的限界設定も受け入れることしかない。」(イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』ちくま学芸文庫、p234)

「産業主義的生産様式そのものの危機」なのだから、「産業主義社会内部」を漸進的に改良するだけでは済まされない。そうではなく、その生産様式に全面的に従うことに疑問を持ち、それ以外の方法で生きられないか、他の生活様式に基づいて、自立共生的(コンヴィヴィアル)な道具を用いて、「生活の自立と自尊を目指す活動」が展開できないか、を模索することである。塩と麹を配合して毎日かき合わせて塩麹を作る。ぬか床を毎日かき混ぜる。そのような、ごく小さい変化からはじめて、商品や消費に煽り立てられたり、過度に依存しない、自立共生的な食生活のあり方を考えてみる。

「このゼロ−サムのモデルに合うように行動することを拒否する」ことは、簡単ではない。でも、それを変えられない所与の前提として、「どうせ」「しかたない」と自発的に隷従するのではなく、「それ以外のあり方は出来ないだろうか?」とか、「賃労働とシャドーワークの両方に絡め取られない形で、子育てや家事などをするにはどうしたらよいだろうか?」という「問い」を抱き、誰かの「正解」を鵜呑みにせず、自分なりに頭で考えて、試行錯誤の実践をして見ることが問われているような気もする。

賃労働から完全に自由になることは、そう簡単ではない。でも、賃労働とシャドーワーク、というツインズの支配から、少しでも逃れるための努力は、可能である。苦役とか賃労働の為の準備としての「影法師」には、できる限り支配されたくない。自らの自立や自尊を取り戻すような、面白くて、楽しくて、そっちの方が楽だ、心地よいと思える、労働環境以外での生活をどう増やしていけるか。それは、子どもが喜んでくれるから、とピクルスや塩麹を作り始めた僕の動機とも一致している。そういう自立共生的な、コンヴィヴィアルな生き方の模索が、ある種の土着の生き方とつながっているのかもしれない。

しかし、土着の生き方、といえども、単なる復古主義とは違う。Zoomやメールなどを通じてオンラインで世界の多様な世界とつながり、そのつながりに喜びを覚えながら、移動を減らすことによって、時間的余裕を取り戻し、その時間をゆっくりゆったりまったりと、消費や消尽ではなく、「ヴァナキュラーな仕事、つまり生存に固有の仕事」をしながら、生を充実する。そういう生き方の領域をもっともっと増やしたい。

そう思い始めている。

そして、ツイッタにブログの紹介文を書いていて気づいたのだが、消費や賃労働とは別次元の「ヴァナキュラーな、生存に固有の仕事」を増やしていくことは、パックス・エコノミカという経済=生産性至上主義を越えるための、草の根レベルの個々人に出来るゲリラ戦的な生き方なのかもしれない、とも思い始めている。

ポリフォニックな物語

1冊で491ページもあり、他にも二分冊がある社会学者ブルデューの編著『世界の悲惨 Ⅰ』(藤原書店)を読む。読み終えて、稚拙だが偽らざる感想として浮かんだのが、「僕でも読めた!」である。

以前読んだ『リフレクシヴ・ソシオロジーへの正体』(藤原書店)は、彼へのインタビューに基づく入門書であると言う事でもあり、読み通すことができた。だが彼の調査研究の本は、冒頭からなかなか難しい分析が入り、しっかり読み通せた本はなかった。だから今回、あるZoom読書会でこの本が指定された時に、正直に言えば本当に読み通せるのだろうかと半信半疑だった。

そこで第一部を読み始めた時、難解なブルデューの総括論文も、あるいは彼が描いたインタビューの対象者の社会分析もすっ飛ばし、インタビュー自体から読み始める。するとあら不思議、インタビューは普通の言葉でやりとりされているので、ちゃんと僕には読めた。これはブルデューの弟子たちによる他のインタビューでも同じである。この本の構成は、抽象度の高い総括論文の後に、インタビュー対象者の社会的属性に関する社会分析の論考があり、その後インタビューと続く。しかしながら、僕のような帰納論的な読み方が好きな人間にとっては、インタビューを先に読み、その後インタビューの背景となるような対象者の社会分析を読んだ上で、そのまとまりを全部読んだ後に総括論文を読むと、無味乾燥に見える総括論文の深い味わいがやっと読み解けることができた。

そして491ページまで続く膨大なインタビューの最後まで読み終えてから、冒頭の1ページに戻って、彼がこの本について語ったインタビューのところを読み直すと、「あー、彼はこういう意図と戦略を持ってこの論を編み上げたのか」、という全体像というかパノラマのようなものが深く理解できた。今回一番腑に落ちたのは、ハビトゥス理解である。

ハビトゥスを理解する

「一人の人間が書くものには固有の形、姿、特徴があって、それを見ればすぐ、これはあなたの書いたもの、これは私の書いたものとわかります。多様性を超えたところに、ある統一性があるわけです。ひとりの人間の、ものを食べる仕方、話し方、衣服の着方、髪の整え方、すべてに親近性、類縁性、統一性があります。これがどのようにして形成されるか。興味深いのは、ハビトゥスは明らかに後天的に獲得されるのですが、その獲得のされ方は全く無意識的であると言うことです。ハビトゥスという私たちの中にある原理、文法は私たちに左右できないもの、私たちの統制の及ばないものであるということです。」(p15-16)

この本のインタビューや社会分析を通じ、インタビュー対象者の無意識な文法であるハビトゥスというのが明らかになっている。彼は「このハビトゥスを直感的に把握すれば、人の言動を予測できることになります。的確な質問ができます。未知のもの同士の間にごく自然な、くだけた会話が成り立つのは、相手のハビトゥスについての認識があるからです」(p10)と書いている。実はこのインタビューが僕にとってすっと入ってきたのは、ここに書かれている人々のハビトゥスに、ある程度の親近感というか、知っている世界であると言う感覚を直感として持てたからである。それは以前ブログに書いたが、僕自身が京都のダウンタウンで育ち、ここに書かれているような人々のハビトゥスをある程度推測できるような原体験を持っているからである。

さらに言うと、僕は中学以降、通っていた塾の塾長や、お世話になった予備校の先生、そして大学院で弟子入りした大熊一夫氏など、尊敬する他者(僕とは違うハビトゥスを持っている人)の口真似や振る舞い方の真似をしてきた。その当時は真似して学ぶことを疑わなかったが、一方で猿真似のような気もして、気恥ずかしさも持っていた。でも20年ぶり位に当時の真似について改めて考えてみると、それは自分が持っていなかった、自分とは異なる世界に属する他者を真似する中で、その人の骨法というか内在的論理を学び、ハビトゥスを受肉化しようとしていたのではないか、ブルデューの論考を読みながら改めて感じている。

特に大学院時代、大熊一夫師匠に弟子入りし、たくさんのおいしい料理をご馳走になり、様々な彼のエピソードを繰り返し学ばせていただいた。おいしいワインの何たるかなんて知る由もなく、イタリアンもフレンチもほとんど食べたことがなかった僕にとって、新聞記者を辞めた時にシェフになろうかと思案したと言う師匠の深い食への造形や、美意識、こだわりを、内弟子として「ご相伴にあずかる」中で、しっかり学ばせて頂いた。もちろん本業に関しても、精神医療を何十年も取材し続け、特ダネを連発し、ルポの世界ではその名をとどろかせたジャーナリストとしての物の見方、考え方、対象への迫り方、文章の書き方なども、マニュアルで指導されたのではなく、師匠の生き様についていく中で、その一部を部分的に真似する中で、文字通り師匠から芸を盗むかのように学んでいった。それは師匠のハビトゥスを深く理解しようという模索であり、結果的には、自分自身のハビトゥスの書き換えにもつながっていった。なので「ハビトゥスを理解する事はその人間を理解すること」(p9)というのは本当にしっくりくる表現である。

そしてこの本が理解社会学の王道だと感じるのは、「質問を受けている人の立場に立つために、質問する者の主観の歪みを批判しなければならないのです」(p8)と言う部分に象徴されていると思う。彼はこのことを「客観化する者の視点を客観化すること」(p8)とパラフレーズしているが、まさにインタビューする側の権力性や、主観的な視野の歪みを、そのものとして理解することと、相手がどのようなハビトゥスを持ってそれを言おうとしているのかを理解しようとすることが、等しく重要である、という認識は、このインタビューがすごく読みやすい理由が示されている。

「自然に見える面談の背景には、調査者が被調査者のハビトゥスについての科学的な認識を持っているということがあるわけです。」(p10)

話が通じている!

それが最も成功しているのは、ブルデュー自身がインタビューした「フランス北部の二人の若者」をめぐるエピソードである。

齢61才の、東大より遙かに格上のコレージュ・ド・フランス教授が、アリとフランソワという、郊外の団地住まいで、フランスで生まれたアラブ人の移民二世で、「不良少年」とラベリングされた二人の青年にインタビューしている。これ以上にない「不釣り合いな両者」と思われるインタビューなのに、言葉が通じている。一期一会の信頼関係が出来ている。それはブルデューによる、少年2人への敬意と、彼らの社会的立ち位置や内在的論理に対する深い理解があったからではないかと改めて感じる。それはインタビューの前に置かれた、ブルデューによる社会分析にも表れている。彼はアリという青年が、8歳の時にモロッコからフランスにやってきて、両親とはアラビア語しか話さなかったため、フランス語を読めるようになるまで大変な苦労をしたという社会的背景を描いた後、このように分析している。

「どう見ても、彼の学校に対する拒否反応と、彼を次第に「手におえない」生徒と言う役割に閉じ込めてしまった反抗的態度の根源には、他の生徒たちの前でフランス語を読まされる屈辱から逃れたいと言う欲求があるように思われる。勉強を怠り、授業をさぼってしまうと、ますます成績が悪化し、拒絶の連鎖にはまり込んで、またしても成績が悪化する。これこそ、課されたことを進んでやると言う美徳が逆説的に働いて、学校的には悪行であることを進んでやるようになり、ほどなく彼の社会的にも不良少年にしてしまったのだ。」(p139)

これはブルデューが「客観化する視点自体を客観化する」の項目で述べている、「その人あるいは自分がどのようにして今の人あるいは自分になったかを理解すること」(p9)を地で行く分析である。不良少年は生まれつき不良少年なのではない。本人の出自や家族関係、社会的背景の中で、本人が単独で制御しきれない悪循環がさまざまに作用する中で、「課されたことを進んでやると言う美徳が逆説的に働く」サイクルにはまり込んでしまうことにより、不良少年にならざるをえなくなったのだ。これは僕自身が、京都のダウンタウンの公立中学にいた時のクラスメイトが不良少年になっていくプロセスそのものであり、先のブログで取り上げた『ヒルビリーエレジー』や『CHAVS』で書かれた構造そのものである。そして改めてブルデューが凄いと思うのは、このような分析を80年代後半から計画し、90年代初頭にやり終えてしまったと言う点である。

これがこんな分厚い学術書が10万部も売れた背景にあるのだと感じている。

ポリフォニーの力

そしてこの本の分厚い記述に迫力があるのは、単一の論点、単一の主張にまとめようとせず、異なる声を異なるものとして、世界の悲惨と言う主題のもとに並列に並べてみた、という意味で、異なる音を同時に響かせるポリフォニーの力であるようにも思う。

例えば「労働者の町の住民たち」(p75-)では、アルジェリアから移民してきたペン・ミール一家と、そのお隣さんでミール氏の娘息子と大きく対立しているムニエさんの双方に話を聞き、それをそのまま掲載している。2家族ともそれぞれの歴史があり、すれ違いがあり、それゆえにお互いがお互いを罵り合っている。そのことを、どちらが正しいと評価するわけではなく、しかしながら表面的には人種差別やご近所の対立に見えるものの、先に述べた不良少年のように、二家族がどのような悪循環に構造的に追い込まれていくことによって、今のしんどい現状に陥ったのか、が両者のインタビューを通じて明らかになってくる。

差別する側とされる側、フランス人と外国人移民、団地を汚す側と管理する側、支援するソーシャルワーカーと支援される側、取り締まる警察と取り締まられる犯罪者予備軍、若者と高齢者、裁く側と裁かれる側・・・一見すると非対称にも思えるこの両者が、「下層プロレタリア」(p356)として閉じ込められていると言う点で構造的同一性を帯びていることを、インタビューを通じて「世界の悲惨」という象徴的タイトルの下に、この本は描こうとしている。

冒頭のインタビューでブルデューはこんな風にも述べている。

「あえて言えば、私はマルクスがなすべきであったがなさなかったことをした、マルクスが自分自身と首尾一貫していたならばしたであろうことをした、ということかもしれません」(p16)

最初読んだときにここで言わんとしている事はさっぱりわからなかった。しかしながら、500ページ近い本を読み終えた後、改めてこのフレーズを振り返ると、確かにブルデューは、マルクスが抽象的概念として描いた下層プロレタリアが、実際に何を考え、どのように振る舞い、いかに生きているのかをインタビューと社会分析から明らかにしていった。これは本来マルクスがなすべきだった仕事を、マルクスがしなかったから代わりにブルデューがしているとも言えるかもしれない。

「下級公務員、そのうち特に、いわゆる「社会福祉的」な機能を果たすこと、つまり市場の論理がもたらす、どうにも耐え難い帰結と欠如とを、必要な予算もなしに埋め合わすべく期待されている人たち、すなわち末端の警官や司法官、ソーシャルワーカー、(児童・青少年)指導員、そして次第に多くの小中高校の教員たちが、経済的観点からよしとされた現実政治がもたらす唯一の確実な帰結である。物質的・精神的後輩に立ち向かって努力を傾注する一方で、見捨てられ、さらには否認されたとさえ感じているのは理解できる。国家においては、国家の右手(高級官僚・大国家貴族)は、もはや国家の左手(下級公務員・小国家貴族)がやっていることを知らず、それどころか、左手のすることをもはや望んではいないのである。」(p354)

これはインタビューデータと社会分析に基づく階級間格差の極めて象徴的な分析であり、1990年代のフランスだけでなく、2020年代の日本においても、国家の右手と左手の分断、および下層プロレタリアの内部対立も押し寄せていることを、この本を読んで改めて痛感した。

その意味で、様々な異なる他者の経験が、そのものとしており重なる中で、異なる音を奏でながらも、そこに何らかの音の共鳴が響き渡り、ポリフォニックな、複数性のある世界観がこの本の中に立ち上がってくる。しかもどれもが、世界の悲惨と言う主旋律を、別のパート、別の楽器、別の音階で弾いている。

当初はこの1冊を読み通せるかどうかもすごく不安だったのだが、気づけば第2分冊第3分冊も買い求め、何とか読み通してみたいと思うように心境が変化していた。すごく迫力のある読書体験であった。

ノーマライゼーションと入所施設

気になる記事を読んだ。

「老朽化による建て替えを段階的に進める宮城県の知的障害者施設「船形コロニー」(大和町)のうち居住棟2棟が完成し、現地で1日、開所式があった。」「村井嘉浩知事は「思い入れの強い施設。ノーマライゼーションの哲学を生かし、有効に施設を活用したいと思い、残した。入居者や家族が安心できるよう充実を約束する」とあいさつした。」「船形コロニーは1973年開所。浅野史郎前知事が04年、県内全ての知的障害者施設の閉鎖を目指す「施設解体宣言」を打ち出したが、村井知事が06年にコロニー解体を撤回した。」(河北新報2020年9月2日

船形コロニーには、「施設解体宣言」が打ち出された直後に、調査に出かけたことがある。巨大な敷地に多くの知的障害者を収容する、障害者の大規模入所施設だ。もともとグループホームの推進を厚生労働省の課長として進めてきた浅野史郎さんが宮城県知事になった時、入所施設を解体し地域の中で暮らしてもらうことを宣言した施設解体宣言が出された。スウェーデンでは2003年に入所施設をゼロにした実情を現地調査していた僕にとっては、日本でもやっとその方向が打ち出されたことを、歴史の転換点として喜んで受け止めた。そして、船形コロニーの前にすでに実質的な施設縮小を始めていた長野県の西駒郷の調査も行っていたので、いよいよ日本でも入所施設は本格的に縮小解体されていくのだとこの時点では感じていた。

だが村井知事は「コロニー解体の撤回」をした上で、「重い障害がある人は入所施設でケアをし続ける」と言う宣言でもある。知事は「ノーマライゼーションの哲学を生かし」と述べているが、これは本当の意味でのノーマライゼーションの哲学を知るものからすると、全くその哲学を生かしていない、理念の誤用・逆行である。

2年前、「ノーマライゼーションの育ての父」と言われるベンクト・ニィリエのことを掘り下げた本を書いた。1969年に英語でノーマライゼーションの原理を発表し、アメリカを始め世界中に脱施設化の動きを進め、知的障害者福祉の歴史を変えた重要人物の1人と言われる人である。そのニィリエが、半世紀前にノーマライゼーションの原理を初めて言語化した文章の中で、居住環境についてこのように述べている。

「ノーマライゼーションの原理の重要な部分は、例えば、病院、学校、養護施設、生徒のホーム(訳注:学校に通う子どものための小規模グループホーム)や下宿ホームなどの建物の基準は、一般の市民向けの同様な建物に対するものと同じでならなければならないと言うことだ。この原理により、いくつもの特殊な結果を見出した。
a それは、知的障害者向けの施設の規模は、社会にあるノーマルな人間的なものと同等でなければならないと言うことだ。知的障害者の施設は、周辺社会の人々の生活の場よりも、多くの人々が一緒に生活する場として考えられたものではなく、周辺社会と同等なものにすることを常に念頭に置かなければならないと言う意味だ。
b ということは、さらに知的障害者のための施設が、単に知的障害者向けというだけの理由で、孤立した場所に設置されてはならないと言うことを意味しているのだ。
ノーマルな立地条件と建物の水準、そしてノーマルな規模のものであれば、知的障害者向けの施設は、そこに住み生活する人たちに統合成功に向けてのより優れた可能性を与えてくれる。」(ベンクト・ニィリエ著『再考・ノーマライゼーションの原理』現代書館、p19-20)

ニィリエは「知的障害者向けの施設の規模は、社会にあるノーマルな人間的なものと同等でなければならない」と述べている。「多くの人々が一緒に生活する場として考えられたものではなく、周辺社会と同等なものにすることを常に念頭に置かなければならない」ということは、人里離れた場所にある大規模入所施設を否定し、グループホームに代表されるように、普通の人の住居と同じ規模のもので、少人数での生活を念頭においている。このニィリエの哲学と、村井知事が言う「ノーマライゼーションの哲学」は、全く真逆である。

ニィリエは、知的障害者も他の人と同じような生活環境を与えられるべきであると主張した。障害者だけが集団生活をさせられるのはおかしい。この単純な原則に基づき、普通の暮らしを実現するためには、入所施設を解体縮小し、街の中で少人数で暮らせるような支援システムを作るべきだと唱えた。実際にスウェーデンでは、2003年に入所施設は本当になくなり、どんなに重い知的障害を持っている人でも、グループホームなど街の中にある住まいで暮らすことができ、そこから買い物や余暇など地域での暮らしを楽しめるような仕組みを作った。

そして日本における施設解体宣言とは、1人の知事による人気取りのパフォーマンスではなく、本来であれば重い障害のある人も地域の中で当たり前に暮らせる、ニィリエが言う意味でのノーマライゼーションの原理の実現に向けた方向転換であったはずだ。

宮城県での施設解体宣言が出される前から、実質的に施設の縮小を進めてきた長野県の西駒郷に調査に入っていたこともある。これは大阪府立大学の三田優子さんの研究チームに混ぜてもらった時のことだ。この西駒郷の地域移行は、「ノーマライゼーションの哲学」を極めて忠実に守ったものであった。入所施設で暮らしている人にじっくりと本人の意向を聞き取った上で、本人の居住位置に近いところにグループホームを作り、そこで仕事の場を探す。そしてグループホームでの生活に自信ができたら、一人暮らしへの移行(グループホームからの卒業)も支援する。そんなプロセスである。(詳しくはこの当時の調査報告書もネットで読むことが出来る)

この当時、多くの知的障害のある当事者に聞き取りをしていて、非常に印象的だったことがある。それは、入所施設にいたときには、「もうここでいい」と思っていた人が、グループホームで住むようになると、自分の自由が増え、誰にも邪魔されない1人部屋の快適さや、制約の少ない生活環境を楽しむようになり、入所施設に戻りたくないと言い出したと言うことである。入所施設の生活しか知らない人は、「ここでいい」と思っている(諦めている)が、別の生活の選択肢もあり得るのだと知ると、入所施設でない生活の方が良いとおっしゃるのである。

ただ西駒郷の地域移行にも限界があった。強度行動障害や、いわゆる重度障害とラベルが貼られている人を地域で支えるには、かなりの人員配置が必要なのだが、国の制度ではそこまでの体制が十分に整えられていなかったため、思うように地域移行が進まなかったのである。 また「親なき後の我が子の幸せ」を切実に願う、知的障害者の保護者たちの中には、入所施設こそが安心できる場であり、入所施設をなくされると我が子の生活保障はできないと強く思い、施設存続を求める人もいた。その中で西駒郷も重度障害者のための新しい入所施設を作り、現在でも重度障害の人はそこで暮らしている。つまり障害の重い軽いの違いによって、暮らす場所が異なっているのである。そしてこの論理が、船形コロニーにも引き継がれてしまった。

だが「入所施設こそ安心できる場」と言うのは、幻想である。そのことを明確に知らせてくれるのが、神奈川県の入所施設での事件である。相模原で起きた障害者連続殺傷事件の舞台である入所移設と同じ法人が経営する、別のやまゆり園で、虐待事件が発生した。

「愛名やまゆり園は、知的障害のある人約100人が入所。県に匿名で「人権侵害にあたるのでは」との情報が寄せられたことから調査に踏み切った。関係者によると、男性の居室(1人部屋)のドアの引き戸の取っ手にガムテープがはられていることを県担当者が確認した。男性は、けが防止を理由にミトンの手袋をはめられており、自分ではドアを開けられない状況だったという。」(毎日新聞2020年9月2日

僕はこの記事の「男性は、けが防止を理由にミトンの手袋をはめられており、自分ではドアを開けられない状況だったという」を読んで、船形コロニーの重度棟で自分自身が体験した、あることを思い出していた。それは、こんな風に言語化したことがある。

「10年以上前,とある入所施設で調査研究を行う際,まずはその施設の実情を学ばせてもらおう,と「1 日体験」 をさせてもらった。私が受け入れられたのは「重度棟」と呼ばれ,強度行動障害をもつ方や,重症心身障害の方が入所されていた。その棟に足を踏み入れてまもなく,何も言わずにスッと近寄ってきて,私の手を握ってくれた男性がいた。仮に Aさん,と呼ぼう。
Aさんは言語的コミュニケーションが難しい方である。 私がいろいろ話しかけても,何も答えてくださらない。でも,ずっと手を握って,施設内をあちこち動こうとする。 「なるほど,今日は 1日 A さんが私にお付き合いしてくだ さるのだな」と勝手に納得して,手をつながれるまま,施設内をぶらぶらしていた。その後,とある「事件」が起こることなど,全く予期せぬまま。
Aさんと私は,日中はデイルームとして開放されている,食堂の片隅に座っていた。やがて夕食の配膳の準備が始まると,支援スタッフがそこにいた当事者のうちの何人かを食堂の外に出し,食堂の扉の鍵を一旦施錠する。多くの利用者は,食堂の外からガラス越しにこちらを眺めている。私と A さんはその光景を,食堂の中からぼんやり見ていた。
そして,支援スタッフは当日の夕食の配膳を始めた。味噌汁にご飯,おかずと各テーブルに並べていく。A さんと私が座っているテーブルにもその食事が並べられていった。すると突然 A さんは,目の前のおかずを猛烈な勢いで食べ出した。必死の形相で,目の前の一人分だけでなく,他の人の分まで食べようとする。私はオロオロして, 「A さん,食事時間まで待とうよ!」と語りかけ,ご飯を食べる手を押さえようとするものの,A さんは食事に集中して聞いてくれない。するとベテランスタッフたちが「しまったなぁ」という顔でやってきて,暴れて抵抗する A さんを二人がかりで抱きかかえ,食堂の外に連れ出す。オロオロしながら後から私もついて行くと,「静養室」と書かれた部屋に A さんを入れ,外から鍵をかけた。A さんは必死に扉をガンガン叩いているが,あるスタッフは「もう今日の晩飯は十分に食べたから,オシマイ」と言って,食堂に戻っていった。
後でそのスタッフに伺うと,食堂の配膳時には,きちんと食事まで待てる人以外は外に出ておいてもらわないと今日のようなことが起こるということ,そして A さんは普段は外に出される人であるということ,今日は私が一緒にいたのでそれをしなかったこと,が語られた。私には,「静養室」の中から扉を叩きながら私を見つめる A さんの表情が,今でも脳裏に浮かぶ。そして,「静養室」から出された後の A さんは,私と目を合わせず,決して手もつないでくださらなかったことも・・・。」
(竹端寛「私たちが目指す共生社会の 実現に向けて」さぽーと 2014.02 )

やまゆり園で「けが防止を理由にミトンの手袋をはめられて」いた男性も、僕が船形コロニーで出会ったAさんも、「自分ではドアを開けられない状況」だった。おそらく二人とも、言語的コミュニケーションでやりとりすることが難しく、「強度行動障害をもつ方や,重症心身障害の方」とラベリングされていたのだろう。そして、「注意しても聞かないから」と、「自分ではドアを開けられない状況」に押し込められていた。

ただ、どちらも入所施設での制約だった、というのがポイントである。大規模入所施設では、集団生活が基本であるため、一人一人のニーズが尊重されにくい。そもそも、支援の人手がかかるため、50人など多人数を「効率的」に収容し、24時間同じ場所にいてもらうことで、「効率的」にケアするのが、入所施設の根本的特徴である。そこには第三者の目が届きにくい。そのような現場で、自分自身の尊厳が守られない生活を送っていると、「必死の形相で,目の前の一人分だけでなく,他の人の分まで食べようとする」のである。それは、Aさんが野蛮だから、聞き分けのない人だから、ではない。ふだんから満足に自分の希望が満たされていないと思い、それがやっと第三者(=何も知らない竹端)の介在によって満たされるから「必死の形相」になるのである。逆に言えば、普段から自分の希望が満たされていたら、そんなに必死にはならない。

そのように、自分自身の願望が満たされてないと言う欠如があるだけではなく、もう一つ大きな問題がある。それは職員が言うことを聞かない場合、外から鍵がかかる部屋に閉じ込められると言うことである。施設収容においては真にやむを得ない場合のみ隔離拘束が認められているが、それが現場レベルでは、どんどんと拡大解釈され、濫用されていると言うことである。やまゆり園はその濫用が内部通報によって発覚した。

入所施設はただでさえ第三者の目が入りにくく、職員と利用者の間でヒエラルキー的な支配—服従に結びつく、強固な上下関係が成立しやすい。しかも最近の入所施設は、職員の賃金構造がいびつで、若手職員を中心に臨時職員の雇用が多く、十分な研修等が受けられているわけではない。強度行動障害や重症心身障害の人でも、適切な関わり方をすれば充分に落ち着く事は可能(RDIなど色々な支援方法は日本でも導入されている)なのに、そのような適切な関わり方の支援の研修を受けないまま、とりあえず目の前にいる利用者の危機に対応することが求められる。すると少人数で場を治めるためには、いうことを聞かない人は、とりあえず別の部屋に閉じ込めておくというのが、安易な解決手段である。今から振り返ってみると、Aさんが閉じ込められていたのも、その安易な解決策だった。

つまり入所施設と言うのは、当事者にとって決して安心できる場ではないのである。しかも、施設職員個人が悪だとか、そのような個人レベルの問題ではない。そもそも一人ひとりの支援ニーズが異なる人々を集団で集めて、規格化された支援の中に押し込もうとする、入所施設の構造そのものが問題なのである。だからこそ脱施設化や施設解体が必要であるとノーマライゼーションの原理で述べていたのである。ノーマライゼーションの哲学を本当に理解しているのであれば、せめて入所施設を小規模にしたり、地域の中で重い障害がある人も暮らせるような支援体制を構築することこそ求められている。まかり間違っても新しい入所施設を作って、それがノーマライゼーションの哲学に沿っているなどと言うのは、誤解も甚だしい。

100歩譲って保護者が求めるからと言うのであれば、本人が本当に求めるような生活を保護者と共に作り上げていく必要がある。実際相模原で連続殺傷事件が起こった津久井やまゆり園の元利用者達に向けては、地域の中で暮らしたい人のニーズに沿った支援が展開され始めている。そのことを物語る、象徴的な記事がある。

「事件が転機になった。神奈川県が園を現地で再建する方針を決めると、障害者団体からは「障害者の生活の場を施設から地域に移す『地域移行』の流れに逆行する」と批判が噴出した。
「園でしか生活できない人がいることを知って欲しい」。剛志さんは当初、強い反発を覚えたという。
だが、事件を考える講演会やシンポジウムに参加するうちに、重い障害があっても、介助を受けながらアパートなどで自立して暮らす人がいることを知った。実際に自立生活をしている人を訪ねた。重い知的障害がある人が、介助者とともにアパートで暮らし、外出したり家でご飯を食べたりしていた。
「そういう暮らしもあるのか」
昨夏から、毎週の面会に、介護福祉士の大坪寧樹(やすき)さん(51)が加わっている。今後は、大坪さんと2人で外出したり、短期間の2人暮らしを経験したりするつもりだ。施設暮らしと、アパートでの生活と、どちらがいいか。両方を経験し、一矢さんが決める。
「事件があって、一矢の生活も変わった。一矢の選択肢を増やすのが、僕にできることだと思う」と剛志さん。」
やまゆり園か地域か 生活の場、自分で選ぶ 事件3年

一矢さんは、バリバラの映像で何度か拝見したことがあるが、僕が出会ったAさんと同じような、「重度」とラベリングされる障害を持っている。そして、親の剛志さんは、事件後も「園でしか生活できない人がいることを知って欲しい」と当初は訴えていた。だが、一矢さんやAさんと同じような重い障害のある人も地域で暮らしていることを知り、「そういう暮らしもあるのか」も知ることで、別の暮らし方を模索し始める。それが、「一矢の選択肢を増やすのが、僕にできることだと思う」と剛志さんの考えを変えるにいたった。

このプロセスが、たまたま残虐な事件が起こった津久井やまゆり園の元入所者には与えられ、別のやまゆり園で「けが防止を理由にミトンの手袋をはめられて」いた人や、僕が出会ったAさんには与えられていなかった。それは、あまりに不平等だし、一般社会の人と同等な暮らしが提供されていない。アブノーマルであり、おかしい。

村井知事は重度障害者施設を建てることではなく、意思決定支援や重度訪問介護、重度障害者向けのグループホームなどの支援体制を増やし、「園でしか生活できない人がいることを知って欲しい」と思っていた当事者や保護者に対して、「一矢の選択肢を増やすのが、僕にできることだと思う」と剛志さんの考えが変わるような、そういう支援を提供すべきではないのか。それが村井知事のいう「ノーマライゼーションの哲学」ではないか。

そんなことを考えている。

「つくること」のススメ

坂口恭平さんの『苦しい時は電話して』がすごく面白い。単に死にたくなった人のためのメッセージではなく、仕事で悩んでいたり、モヤモヤしている人にもオススメの一冊である。その中でも特に今の自分に刺さったのが以下の部分である。

「あなたは自分が『ただ悩んでいるだけだ』と思っています。しかし、実際はそうではありません。悩み続けること自体も、実はつくっていることになるからです。もちろんそのまま悩み続けても問題は無いのですが、あなた自身が問題だと思ってしまうのでしょう。だから対策を考えてみたいです。つまり、悩み、考える事は、書くことにつながっています。なので、何もつくることができない、と思う人は、実はみんな書く人なのです。突然、突飛なことを言い出してと思われるかもしれませんが、悩むと言う事はそういうことです。悩むのは体の中から言葉が湧いていることと同じです。普通、人はそこまで悩むことができません。どこかで諦めて体を動かし始めるんです。家の中にいて悩み続けるのも、嫌だとは思いますが、実は才能の一つです。」(p182)

僕は以前「ただ悩んでいるだけ」の日々だった。四半世紀前のことである。どんなふうに生きていったらいいのか、対人関係をどうすべきか、他の人が自分のことをどう思っているか、ただただそういったことを悩んでいた。悩み続けていた。でも、ある時期からブログや論文で書くことを覚えるようになると、「悩むだけ」ということがどんどん減っていった。今では考え続けることが自分の生活の大切な一部になり、それで書くことによって、あるいは考えを他人に伝えることによって、生活の糧も得ている。坂口さんは別のところで、「自分がやりたいと思う仕事をとにかく自発的にやるだけ」(p138)と書いているが、結果的に今の僕はそれに近いような仕事の仕方をしている。

僕にとって書くこと、それも自分だけの為ではなく、誰が読んでくれるかわからないがとにかく他者のために書く事は、モヤモヤぐだぐだした悩みを何らかの形で昇華させる上で必要不可欠なプロセスである。歌を歌ったり絵を書くような芸術表現はやったことがないけれど、文章書くことだけなら、ブログも15年書いてきたし、Twitterも10年位続けている。どちらも自分自身のモヤモヤしたこと、ぐだぐだも含めて、書いて考えて書き直してまた考えると言うプロセスを可視化したものである。それに他者からフィードバックが来れば嬉しいが、そのフィードバックを求めてやるのではなく、自分の中の、まだ形になっていないモヤモヤや言いようのない不安を、とにかく形にして表してみようというのが僕なりの言語化であり、坂口さんの表現を用いれば、僕なりの「つくる」作業なのだと思う。

僕は書くことによって救われたのかもしれない。坂口さんの新書を読んでそう思い始めている。20代の頃は泥沼のような悩みの中にいて、そこから吐き出すこともできず、1人でうじうじ苦しんだり、友人にメソメソ相談したり、とにかく解決しようのなさにもだえ苦しんでいた。でも、論文やブログ、Twitterと言う、表現媒体はいろいろあっても、とにかく書くリハビリのようなことをずっとし続ける中で、悩みをどのように表現していいのかを考え、それを可視化するプロセスの中にいた。このブログが代表的だが、ある種の自己治癒のような、自分で自分に手当てをするような、文章化作業だったのかもしれない。そしてそれは僕自身を大いに救ってくれたし、少なからぬ自信も持てるようになったし、何より考えを文章化するトレーニングにもなった。そしていつの間にか、モヤモヤ悩む癖もなくなっていた。

坂口さんは文章化するにあたって、大切なコツをワンフレーズで表現している。

「大切な事は観察して、正確に描写することです。」

これは本当にその通りだと思う。子育てをしていても、まず大切なのはじっくり子どもを観察することである。やめなさい、ちゃんとしなさい、いい加減にしなさいといった注意をする前に、子供はどんな気持ちでなぜそれをしているのだろうと観察することが求められる。特に、それを正確に描写しようと思ったら、親の価値観や思いを横に置いて、子ども自身の行為や内在的論理を観察してトレースしない限り、正確に描写することはできない。実はこれは自分自身の内面を書くことでも、あるいは社会問題について書くことでも、全く同じなのではないかと思う。

自分の内面であれ外面であれ、気になる現実があれば、まずは自分の価値観を横に置きそれをじっくり観察する。その内在的論理をつかむ。つかんだ上でそれを出来る限り正確に描写しようと努力する。このプロセスこそが、悩みを考えに昇華するプロセスであり、その考えられたものを表現することによって、考えが可視化されるだけでなく、結果的には自分自身の自己覚知につながったり、あるいは新たな何かの発見につながったりする。そしてそのようなモヤモヤの外在化は、結果的に自分自身の自己肯定感を上げてくれたりもする。

坂口さんのメッセージは、今死にたくない僕自身にもすごく響くようなメッセージであった。それだけでなく、僕自身がこのブログで15年以上書き続けてきた意味や価値を、再び教えてくれるような本でもあった。

僕はこうやって書き続け、つくり続ける人生を楽しもうと改めて感じた。

レインと出会い直す

届いて久しぶりに一気読みしたのは、『R.D.レインと反精神医学の道』(コトヴィッチ著、日本評論社)。毀誉褒貶はなはだしいレインの著作とじっくり向き合い、評価できる部分を抽出し、レインへの批判にも誠実に向き合う、優れたレイン論であり、レインの著作へのイントロダクションとしてもぴったりな一冊。

僕は10年前、東日本大震災の直後、自分自身が気が狂いそうになったときに、「ひき裂かれた自己」を読んで文字通り自分のことが書かれていると思い、それをブログに書いたし、拙著『枠組み外しの旅』でもそのことを検討した。でも、レインを系統立って読んでいないので、すごく気になっていた存在だった。

この本では、反精神医学、としてひとくくりにされるクーパーやサズ(本書ではサースと表記)、そしてバザーリアのイタリアの民主精神医療とレインの著作を対話させながら、その共通性と相違性もしっかりと検討しているのが、実に面白い。その中で、レインに入る前に、トーマス・サースに関する評価が非常に学び深かった。

「彼は、国家やその他のいかなる共同体組織であっても、精神的苦痛という問題に何らかの役目を果たすことを容認などしていないのだ。サースの主張によれば、精神を病んでいると形容される人々は「生きる上での問題」に苦しんでいるのであり、精神を病むとは、社会が私たちに期待する様々な役割を実行することができないと言うことなのである。精神障害者への保護的アプローチをとる既存の「制度精神医学」に変えて、彼は「契約精神医学」を提唱している。彼が言わんとするところは、「生きる上での問題」に苦しんでいる人々は、国家の介入なしに自分に適していると思える援助を求める権限を法律的に与えられるべきである、と言うことである。」(p155)
「サースの反国家運動が自由意志主義的右派(libertarian right-wing)の立場から運営されていると言う点である。この立場は、援助を要する人々に対応する際にコミュニティーや国家は「ケア」によって活況を呈することもあると言う考え方に強い敵意を向けている。」(P156)

「精神を病んでいると形容される人々は「生きる上での問題」に苦しんでいる」という立脚点は、レインやバザーリアとも共通する部分である。だが、二人と違ってサースは「精神障害者への保護的アプローチをとる既存の「制度精神医学」」を全て否定する。それは、「「サースの反国家運動が自由意志主義的右派(libertarian right-wing)の立場から運営されている」と著者は指摘する。なるほど、治療共同体のようなコミュニティも、バザーリアのような地域精神医療に行政が関わることにも、サースは敵意を向けているのですね。そしてそれは新自由主義と軌を一にする「自由意志主義的右派(libertarian right-wing)」であり、サースは脱施設化だけでなく、「反国家運動」につながっているのか、と。

門外漢の人にとっては、オタクな議論で恐縮である。でも、この部分は、反精神医学のことを語る際に、非常に重要な部分だと感じる。実は4年前に書いた拙稿の中で、サース(サズ)のことについては、こんな文章を書いたことがある。

「サズに代表される反精神医学の主張は、①精神病を「病気のカテゴリーから除外させること」と同一視されがちだ。それは、第二次世界大戦後に隆盛を極めつつあった、脳や神経など生物学的な不調が原因となって精神疾患という結果が生じる、という生物学的精神医学に「反する」言説である。この部分については、その後の脳神経科学研究の深化のなかで、生物学的な変調や、その変調に(部分的にでも)「効果」があるという薬剤の開発などが進んだ。サズの指摘から40年以上経った今では、「病気のカテゴリーから除外させること」どころか、2011年に厚生労働省は脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病の4大疾病に、精神疾患を加えて「5大疾病」と命名するほど、「病気のカテゴリー」として定着している。この点では、確かに反精神医学は過去の議論となったのかもしれない。
だが、サズの主張で見落としてはいけないもう一つのポイントがある。それが、②「精神病と呼ばれている現象を新しく単純に見直し」「人の如何に生きるべきかの問題をめぐる葛藤の表現とみなされること」と捉え直している点である。かつて精神病者は「悪魔や魔女のせいにされた」歴史があった。その後、デカルト以来の西洋近代科学の隆盛の中で、「脱魔術化」=合理化への枠組み転換(パラダイムシフト)が起こる。そして、科学的、つまりは「非道徳的、非人格的」な「事柄」としての「病気」にのみ目が向けられるようになり、「人間のニード、熱望、および価値の葛藤に目を向け」なくなった。だが、薬で急性症状が部分的にであれ消失したとしても、「人の如何に生きるべきかの問題をめぐる葛藤」までは消し去ることは出来ない。その部分で、「科学」的なアプローチにも「無能力」な部分がある、ということに「無自覚」であり「無反省」である精神医療従事者に対して、痛烈な批判を浴びせたのも、サズの主張の根幹の一つである。
そして、①の意味での反精神医学は確かに過去の遺物になったかもしれないが、サズが提起した②のバトンは、精神医療のそれまで「常識」を変える力をもって、確実に次世代に受け継がれている。」(竹端寛「精神医療のパラダイムシフト」『精神病院時代の終焉 当事者主体の支援に向かって』晃洋書房、所収)

今回、レインの評伝を読んでいて思うのは、レインもバザーリアも、サースの指摘する②「精神病と呼ばれている現象を新しく単純に見直し」「人の如何に生きるべきかの問題をめぐる葛藤の表現とみなされること」に同意している。そして、その主張が一緒であり、それは生物学的精神医学の主流化に反するから、と「反精神医学」としてひとくくりにされた。ただ、サースと、レインやバザーリアでは①精神病を「病気のカテゴリーから除外させること」、という部分では意見を異にしている。レインは治療共同体で、バザーリアは地域精神医療において、「病気」の治療や支援をしてきたが、サースは病気ではないと捉えるがゆえに、「援助を要する人々に対応する際にコミュニティーや国家は「ケア」によって活況を呈することもあると言う考え方に強い敵意を向けている」とする。ここは随分大きな違いである。

では、なぜレインは(そしてバザーリアも)、反精神医学とラベルを貼られたのか。その部分について、評伝の以下の部分に手がかりがある。

「精神医学の知見に科学的価値があるにしても、それらの知見には根本的な瑕疵がある。つまり、それらの所見は、患者の人生全般の文脈の外側、とりわけ、精神科医-患者関係と言う文脈の外側で患者を研究した結果得られたものである。レインが続けて論じているように、あらゆる精神医学的記述は、事実についての陳述ではなく、ひとつの解釈なのだ。そして精神医学の教科書で目にする解釈は、理論的立場のカテゴリーによって、そしてその言語によって、あらかじめ決定されているのである。」(『R.D.レインと反精神医学の道』p32)

自然科学の一つになりたい、と希求している生物学的精神医学にとって、「あらゆる精神医学的記述は、事実についての陳述ではなく、ひとつの解釈なのだ」という指摘は、かなり本質的な批判である。そして、これはバザーリアが説いてきたこととも軌を一にする。

「私は精神病の概念を批判しますが、狂気を否定しません。狂気とは人間であることの条件だからです。問題は、この狂気にどう立ち向かうのか、この人間ならではの現象に対して、私たち精神科医がどのような態度を取るべきなのか、そしてこの欲求にどう答えることができるのかと言うことです。」「統合失調症と言う病名をつける事は、患者から距離を取るために、つまり統合失調症の患者に対して権力を持つために、単に医師にとって都合の良い烙印を押すことなのです。」(『バザーリア講演録・自由こそ治療だ』岩波書店、p191)

バザーリアもレインも、狂気の状態を否定してはいない。ただ、そのときに、精神科医が「狂気にどのように立ち向かうのか」「どのような態度を取るべきなのか」を問い直している。そして、「患者から距離を取るために、つまり統合失調症の患者に対して権力を持つために、単に医師にとって都合の良い烙印を押すこと」自体が、「理論的立場のカテゴリー」に基づく解釈の押しつけである、と批判しているのである。

「精神医学の教科書にある症例は、患者と精神科医の間のコミニケーションの破綻(ブレイクダウン)例なのである。破綻の起こる道筋は極めて明瞭である。つまり、互いのアイデンティティーを相互に認識しない時に起こるのである。」(『R.D.レインと反精神医学の道』p33)

ここで重要なのは、「症例」として示されるものが、「患者と精神科医の間のコミニケーションの破綻(ブレイクダウン)例」だと喝破している部分である。「単に医師にとって都合の良い烙印を押す」ことは、「互いのアイデンティティーを相互に認識しない」ことであり、それは単に患者が破綻(ブレイクダウン)しているのではなく、患者と精神科医の間の関係性やコミュニケーションが破綻(ブレイクダウン)しているのである。患者から距離を取って、「この狂気にどう立ち向かうのか、この人間ならではの現象に対して、私たち精神科医がどのような態度を取るべきなのか、そしてこの欲求にどう答えることができるのか」を考えずに、「客観的に観察」することに終始するならば、患者と精神科医の間の関係性やコミュニケーションの破綻(ブレイクダウン)が広がるばかりだ、という告発である。

これは誰が病気で誰が病気ではないか、という命名や価値判断基準と権力を持つ医者の根幹を揺るがしかねない指摘である。医師は科学的価値の錦の御旗の下で、自らの言説を正当化し、それに反する患者の訴えを一切無効化する権限を持っていた。だが、「あらゆる精神医学的記述は、事実についての陳述ではなく、ひとつの解釈なのだ」と言われてしまうと、その絶対的優位は揺らぐ。「統合失調症の患者に対して権力を持つために、単に医師にとって都合の良い烙印を押すこと」という隠蔽化された、無意識下に行われている社会構造を、白日の下にさらされると、その解釈の正統性が問い直される。これは、精神科医にとって土台を揺らがされるような、きつい批判である。であるが故に、レインやバザーリアは、サースのように精神病を「病気のカテゴリーから除外させること」を主張していなかったにも関わらず、反精神医学とラベリングされた。

さらに言えば、レインとバザーリアが主流派精神医学だけでなく、一般人の逆鱗に触れるような発言をしている。それは、狂気を問い直すプロセスの中で、「正常」をも二人は問い直し始めたからである。

「人間の多くの行動は経験を消去しようとする一方ないし双方の試みとみなすことができる。・・・大人になると、私たちは幼少期の大半を忘れてしまう。その内容だけではなく、その風味も忘れてしまう。私たちは世間を知っているが、内的世界の存在についてはほとんど知るところがない。・・・こうした事態は、私たちの経験がほとんど信じがたいほどに荒廃していることを示している。そこには成熟、愛、喜び、平和をめぐって、空疎なおしゃべりが存在している。・・・私たちが正常と呼ぶものは、抑圧、否認、分割、投影、取り入れ、その他様々な経験を破壊する作業の産物である。それは存在という構造から根本的に疎外されている。・・・眠っている、無意識である、気が狂っているなどの疎外の状態は、正常な人間の状態である。」(レイン『経験の政治学』みすず書房、p20-23、引用は前掲書p116による)

私たちが大人になるということは、「世間を知っているが、内的世界の存在についてはほとんど知るところがない」とレインは言う。それは「抑圧、否認、分割、投影、取り入れ、その他様々な経験を破壊する作業の産物」としての「私たちが正常と呼ぶもの」=「世間」を獲得するがゆえである。そして、そんな正常な大人は、「存在という構造から根本的に疎外されている」。その一方、一見すると正常とは見なされない、「眠っている、無意識である、気が狂っているなどの疎外の状態は、正常な人間の状態である」と指摘する。

そして、正常と呼ぶもののなかに、「経験を破壊する作業の産物」としての「疎外」が詰まっている、というのは、バザーリアの以下の指摘とも通底する。

「私の考えでは、医師や精神科医が実際に病人に施す治療は、疎外と言う意味を持たざるをえません。医療の唯一の目的が、元は労働者として、次に病人と言う商品として、生産の歯車の中に病人を復帰させることである限り、そうなるのです。このような治療は、人が自己主体的に自己表現するのは明らかに妨げています。こうして医師と病人との関係性は支配関係や権力関係になるのであり、この矛盾から抜け出すのは困難です。」(『バザーリア講演録』p133-134)

精神医療における標準化された治療が、「生産の歯車の中に病人を復帰させること」であるかぎり、「存在という構造から根本的に疎外されている」のである。職場の長時間労働やハラスメント環境の中で、ストレスを感じ、うつや自殺衝動を持つようになった人を、「治療」した上で、「生産の歯車の中に病人を復帰させること」。それは、労働環境の「抑圧、否認、分割、投影、取り入れ、その他様々な経験を破壊する作業の産物」を糾弾したり、改善することなく、「生産の歯車」そのものを温存させておくことである。「私たちの経験がほとんど信じがたいほどに荒廃している」そのような労働環境をそのまま放置して、疎外される環境である「生産の歯車の中に病人を復帰させること」を目指すなら、それは本当に治療と言えるだろうか。これが、レインとバザーリアに重なる問いかけなのである。

「レインは精神病を単なる病気とみなす必要はないと考えた。彼は、精神医学を疎外された「正常性」の科学、つまり私たちの疎外された世界を代表するものとみなした。それゆえ、精神医学は非人間的理論であり、「非人間的理論であるならば、不可避的に非人間的結果へ至ることになるだろう」」(『R.D.レインと反精神医学の道』p115)

レインは「精神医学を疎外された「正常性」の科学、つまり私たちの疎外された世界を代表するものとみなした」。これが、精神医学の王道からレインやバザーリアが攻撃され、「反精神医学」のラベルを貼られた根本的理由である。「患者さんを治したい」という「善意」に、「私たちの疎外された世界を代表するもの」とラベルが貼られ、治療が「生産の歯車の中に病人を復帰させること」であり「非人間的結果へ至ることになるだろう」と喝破されてしまうと、「正常性」の科学の正統性が揺らぐ。だからこそ、臭いものに蓋をする、ではないが、レインもバザーリアも、主流派の精神医療から攻撃され、忘れ去れたのである。

今回この評伝を一気読みして、改めてレインとバザーリアの同時代性と仕事の共通性を感じた。もちろん著者は、両者の違いもしっかり論じている。そして、巻末の解題では、その後の批判的精神医学の展開もしっかり論じている。この本は、沢山の刺激を与えてくれるし、翻訳も読みやすいし、「買い」の一冊である。

*最後に宣伝。バザーリアの事については拙著『「当たり前」をひっくり返す』(現代書館)でじっくり論じているので、よろしければご一読くださいませ。

前期のオンライン講義を終えて

午後のオムニバス講義のファシリテーターで、前期の授業が全て終了した。前期はコロナ危機の中でオンライン講義がメインであり、7月に一部対面とオンラインを混ぜたハイブリッドもあったが、基本的には生まれてはじめてのオンライン講義。その中で感じた良い変化と心配事について整理しておきたい。

<良い変化について>

オンライン講義は日本中の大学教員の大半にとって、はじめての体験である。学生にとっても同じである。なので初期条件が一緒だから、やる事は全て実験だと最初から認識を切り替え、これまでの授業と同じことをオンラインで継続するのではなく、オンラインだからできることを模索してきた。

画面越しに出会うので、同時双方向の授業では、出来る限り学生たちの声に基づく授業をしようと心がけた。どの授業でも事前課題としてウェブ記事や教科書などを読んだ上で、新しく発見したことや疑問に思ったこと、授業で取り上げたいことなどを300字ずつ900字程度書いてもらうような課題をしてもらった。そしてオンライン講義では、それらの事前課題に基づいて、ズームの授業であればブレイクアウトルームで議論してもらい、ブレイクアウトルームのないWebEXの大講義ではアシスタントの学生に事前課題の内容を読み上げてもらいながら議論をしていくということをしていた。

そこで感じた良い変化はいくつかある。学生の声をオンライン上で聞くと、多様な声を実に豊かに聞くことができたと言うことである。対面授業でも、グループで話し合ってもらって、その内容について学生たちをランダムに当てて、マイクで話してもらうこともある。でもその時よりも、画面越しに学生たちに呼びかけて、ランダムにどんどん当てていきながら話を聞く方が、様々な声をじっくり聞くことができた。これが最も良い変化だった。ある授業では、物静かな学生が、自分の意見をしっかり話してくれ、それを聞いていた他の学生が、あの子あんな風にしゃべるんだと後でびっくりしていたと教えてくれた。その後、当のご本人に聞いてみると、対面授業では基本的に「聞き役」だけれど、オンラインだからしゃべってもいいかなと思った、と。対面教室空間に比べて、学生が話す敷居が下がったような気もする。

次に良かったのは、アシスタントの導入である。オンラインの授業で、1人で一方的に話続けるのはあまりにしんどそうだし、技術的操作をしながら1人でしゃべっているとテンパリそうだったので、アシスタントを導入することにした。教養の1年生向け授業では、その授業を聞いたことがある3年のゼミ生に、バイトでアシスタントをお願いし、毎回同じアシスタントとともに授業を進めた。彼女にはラジオのアシスタントと同じように、学生たちの事前課題を読んでもらったらいい、それについ彼女の意見を言ってもらった。 このアシスタントが大好評で、毎回様々な福祉的課題について議論するのだが、僕の意見よりもアシスタントの意見に共感したり納得する受講生が続出した。そして、これはすごく良いことだと、やりながら気づいた。

教員は単位認定と言う権力を持っている。するとその教員の声が一方的に流れてくるならば、その声を受け入れるか受け入れないかの二者択一しかない。しかしそこに、僕とは違う視点からの声としてアシスタントの声があると、教員の声には納得できないけれどアシスタントの声には共感できるといった感想が寄せられる。逆に言えば、オンライン講義以前は、授業中に様々な学生の声を拾うことがあっても、それをまとめたり整理したりするのは、教員である僕の声単独でやっていた。するとどうしてもそこに一義的な色がつきやすかった。しかしアシスタントが加わり、僕の声と同じように違う声を響かせることで、授業自体の声の響かせ方がポリフォニー的になり、より多様な視点から検討することができたと言う声が、多く寄せられた。

そして3年生の授業では、そもそもアシスタントを公募してみることにした。僕の質問に答えてくれたり、他の学生が報告するのを見てコメントしてもらうような、そんなアシスタントを公募してみたのだ。すると毎週入れ代わり立ち代わり、いろいろな学生がアシスタントをしてくれ、多様な視点を寄せてくれた。そのことによって、受講生も仲間がどんなふうに考えているのかをじっくり聞いたり、あるいは僕とアシスタントの話を聞きながら自分の中でリフレクションしてみたりと、これまでより授業がより立体的に立ち上がり、学生たちの理解度もなし、毎回の授業の後のコメントシートをたくさん書いてくれる学生が続出した。これも僕1人で対面事業していたときにはなかった展開である。

そして授業に参画してくれたアシスタントたちの声を受けて、僕の授業スタイルを変えていったことも、良い変化として取り上げられる。3年生の講義では、最後の2回ほど、事前課題を読んでの議論を、僕と数人のアシスタントでみんなの前でやることによって、僕も1討論者として議論に参加し、学生たちと対等に議論をするのを、他の学生たちに観察してもらい、その観察した内容に基づいてブレイクアウトルームで議論してもらうと言うようなことをやってみた。すると、学生たちだけでブレイクアウトルームで議論をしているのでもなく、僕が学生たちに質問しているのでもなく、教員と学生が議論しているのを聞いた上で考えあうというフィッシュボールスタイルは、授業においてもすごく役立つと言うことがわかった。これもオンライン講義だから試せたスタイルのような気がする。

<心配事について>

そんな良い変化も多かったオンライン講義だが、そうは言っても心配事の連続だった。そもそも見通しが全く立たず、去年までの授業スタイルが全く役立たない。その中で、新たなやり方を4月当初から1ヵ月以内で突貫工事で作り上げ、実際に学生たちと授業をしながら改善していく。これは結構身体的にもきつく、眼精疲労や肩こりはバリバリで、整体に行ってもかなりひどいねと言われる始末。オンライン講義をするのは、移動は無いけれど、心身ともにハードであった。

あと対面ではないと言うところで、一番心配しているのは、一年生の仲間づくりと、ゼミ生のフィールドワークである。1年生たちは前期に1度だけ登校日があったが、それまでに基礎ゼミクラスはズームのブレイクアウトルームで仲間づくりをしていたので、登校日当日もめっちゃ話し込んでいた。ただ学生たちに最後の授業の後で感想を聞くと、一度だけの登校だし、この基礎ゼミクラス以外に友達を作る場面が全くなかったと言う声も多数聞いた。大学1年生は、もちろん授業に慣れるのも大変だけど、普段なら友人や仲間知人ネットワークを作ることが1年生の間で最も大切なことの1つかもしれない。その部分が構造的に欠落したままであると言うのは、1年生にとって大きな心配事が残っているのだろうと、僕も心配している。

それから、ゼミ生がフィールドワークができないと言うのは、フィールド調査に基づく卒論を書いてもらおうと思っていたゼミにとっては、かなりきつい。これは僕のゼミだけでなく、同僚の先生方も同じようなことをおっしゃっていた。それでも去年のうちにある程度現場経験をしている学生ならば、そこでできたつながりをもとに、オンラインインタビューなどで内容を深めていくこともできる。でも学生の中には、なかなかテーマが定まらなくて、就職活動が終わったこの夏休みにがっつりフィールドに関わり、その世界を知り、インタビューや参与観察などを深めて卒論につなげようと言う学生もいた。するとその学生たちは、フィールドワークができない中で、二次情報や文献、場合によってはオンラインインタビュー等だけで卒論を作り上げていく必要がある。この部分もどのようにしていけばいいのか、僕自身も経験がないことなので、一緒に試行錯誤していく必要があると感じている。

さらに言えば3年生の夏休みは、フィールドワークをしたり、様々な旅行に出かけたりと社会経験を増やしてもらいたいと思っていたんだが、そのどちらもかなり厳しい中で、3年生のゼミたちがどのように自分の学びや興味を広げてくれるのか、そこに僕自身がどのようにお手伝いできるのか、と言う点でも心配事は残っている。

それから7月からゼミも4年生で大学に来れる人は対面授業、これない人は画面越しのハイブリットゼミをしているが、卒論に向けての構想練ったり、ゼミ生一人ひとりの研究を掘り下げていくときには、やはり対面の方がそれをしやすいと感じている。もちろん僕自身もコロナ以前から研究会等はズームでずっとやってきたし、そこで議論が深まっていくことも知っている。ただモヤモヤしている点について、話し合いながらそのモヤモヤを掘り下げて行ったり、解決策を見出そうとするときには、どう表現していいのかわからないが、やっぱり対面の方が、画面越しよりも情報量が多く、共有できたり分かち合える量もはるかに多いような気がする。秋以降再度緊急事態宣言等がもし出された場合、卒業論文の指導がどうなのだろうと言うのは、未だ大きな心配事として残っている。

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そんな良い変化も心配事もあったが、いずれにせよこの前期の授業を通じて、授業とは何か、対話的な講義とは何か、オンラインでの学びを最大化させる為にZOOMやLMSなどをどのように活用できるか、どういう授業の仕掛けが必要か、といったことをずっと考え続けてきた。

これからは膨大な採点作業も残っているのでまだまだ気が抜けない。でもとりあえずオンライン講義をやり抜いたので、忘れないうちにそのことを備忘録としてここに書いておく。

なおこの文章も、音声入力で書いた。オンライン講義であまりにたくさんの文章を書いていて手が腱鞘炎になって疲れるので、学生のフィードバックの文章などは、なるべく音声入力で書き続けた。これも苦肉の策で始めたのだが、数年前に比べて音声入力のレベルがものすごく上がっていて、僕が完全な日本語を想起してから文章として声に出すと、手直しがほとんど入らないレベルまで打ち込んでくれる。ずいぶん楽になったなぁ、と発見することができたのも、「災い転じて福となす」のようなものであると感じた。