時空を超える「ひとりじゃないよ」

安藤希代子さんからご著書『ひとりじゃないよ—倉敷発・居場所づくりから始まる障がい児の保護者支援』(吉備人出版)をご恵贈頂く。この本は、普段本を読まないお母さんにも読んでもらいたいから、と実に読みやすい文体で書かれている。ざっと読み飛ばそうと思えば、数時間で読み終えそうな本である。でも、僕はあちこちに折り目を付けて、その内容を噛みしめながら味読していた。今日はその「味わい深い箇所」をいくつかご紹介したいと思う。

「私は、自分のせいで子どもの発達が遅れたのなら、逆に言えば、自分さえ努力すれば発達の遅れは取り戻せるかもしれない、と思って、必死になった。発達の遅れを取り戻すためであれば、どんな努力も惜しまない、と悲壮な決意をしたのだ。
今、私が出会うお母さん達の中に、当時の私の姿とダブる方が何人も、いる。みんな、必死なのだ。その必死さの影にあるのは、『自分がわるいかもしれない』という思いだ。『自分が親としてダメだから、この子はこんなことになったのではないか』
これは、自分という存在、親としての存在を、脅かす問いだ。」(p148)

安藤さんは障害のあるお子さんと出会って以来、様々な「支援者」に評価査定され、そのことに苦しんだ記憶がある。だが、それを単に恨み節にしない。自分自身がどのような状況の中で、どのように追い込まれていったのか、の構造をしっかりつかんでいる。そして、「当時の私の姿とダブる方」のためのサポートにつなげていく力を持っている。これが、まず凄い。それだけでない。「自分という存在、親としての存在を、脅かす問い」を前にして、打ち負かされたり、絶望的になったり、諦めたり、しない。自己責任で自分が抱え込んだ経験があるからこそ、他人にもそうせよ、とは言わない。逆にそのような追い詰められる構造を何とかしたい、と思う。でも、あくまでも原体験としての自らの孤独感が、彼女を突き動かす原点となる。

「いい親になりたいのになれない自分のことを、親たちはちゃんと自覚している。だからこそ、自己嫌悪に陥り自分を責め、自分のことが嫌いになってしまうのだ。
そうやって苦しむ親たちを、支援する側は、追い詰めないであげて欲しい。その子育ての不器用さを、責めないであげて欲しい。子どもに向き合えないでいる弱さについて、理解してあげて欲しい。もっと温かい目で見てあげてほしいのだ。
特に子どもの年齢が小さい時ほど、親は傷つきやすい。そういう時期の親をいたわることは、甘やかしではない。親たちのがんばりを認め、ねぎらい、葛藤を理解し、話をしっかり聞いてあげること。それだけで親は気持ちが楽になり、またがんばろうと思える。」(p166)

これは、安藤さんご自身が、「自己嫌悪に陥り自分を責め、自分のことが嫌いになってしまう」経験をしたからこそ、絞り出せるフレーズである。「子どもに向き合えないでいる弱さ」や「傷つきやすさ」に苛まれた経験があるからこそ、支援者による「甘やかし」という査定にも敏感である。原体験に「「いい親になりたいのになれない自分」という罪悪感や自己嫌悪、圧倒的な孤独感を持っているからこそ、その気持ちを持っている他の障害児の母親のことが、放っておけないのである。

「もしできることなら、あの時の自分に声をかけてあげたいと、今でも思う。心配だね、わかるよ。でも子どもはきっと成長していくからね、そしてあなたの気持ちをわかってくれる仲間は、いっぱい、いるからね、と。
今の活動はきっと、過去に救えなかった自分のためにやっているのだろうと思う。誰かの力になろうとすることは、結局、過去に救われなかった自分を救おうとする行為なのだ。」(p144)

このフレーズは、本書のタイトル「ひとりじゃないよ」を象徴するフレーズである。安藤さんが保護者たちのピササポートグループをしているのは、他人事ではない。全くの自分事である。「過去に救えなかった自分」に向かって、「ひとりじゃないよ」「あなたの気持ちをわかってくれる仲間は、いっぱい、いるからね」と、今なら声をかけてあげられる。でも、その過去の私はもうそこにいはいない。だからこそ、いま・ここ、で苦しんでいる、似た境遇にあるお母さん達にバトンを託すために、「ひとりじゃないよ」と声をかけているのである。そして、そのプロセスこそ、「過去に救われなかった自分を救おうとする行為なのだ」と断言する。
なんと、温かみがありながらも、透徹な魂なのだろう。安藤さんは、かつての自分、と目の前の苦しむ母親達、だけでなく、その母親達が「ひとりじゃないよ」と感じて安心する未来や、それに向けて関わる今の私、などの、時間軸を縦横無尽に往復している、でも、根源には、「自分という存在、親としての存在を、脅かす問い」があって、それに対して「ひとりじゃないよ」という圧倒的な「応え」を持っているからこそ、全くブレない。ブレないからこそ、時には大胆な言動も、スッと出てくる。
彼女たちのNPOがこの本の前に作った三冊のハンドブックに関するエピソードをご紹介しよう。寄付集めを募っていたとき、「まとめて買い上げて無料で配りましょう」という提案を何度か受けたという。資金繰りの厳しい小さな団体にとって、またとない朗報にも思える。だが、彼女の反応はきっぱりしていた。

「うちのハンドブックは、お金を出して買ってもらう本です。人は、タダで手に入れたものに価値を感じません。これをタダでばらまく行為は、私たちの本の価値を下げてしまいます」(p190)

「本の価値を下げたくない」
一見すると、ずいぶんお高くとまっているようにも、見える。でも、彼女たちの団体がどのようなミッションやビジョンに基づく活動をしてきたか、を理解すると、その背景が理解できる。本当に必要な人にちゃんと手に取ってもらえるような、そんなハンドブックを作りたい。彼女自身が、仙台から倉敷に引っ越してきたときに、障害のあるお子さんとどこに行けば良いのか、どんな美容院(歯医者、喫茶店・・・)なら親子で受け入れてもらえるのか、に困り果てた経験を持つ。だからこそ、そういう情報を、自分たちの足で稼いで取材して、沢山掲載したい。そういう「価値のある本」を作ってきたという自負があるからこそ、その価値を下げるような行為だけはしたくない。価値ある本として、その価値を理解してもらえる相手に、しっかりと届けたい。それがブレない軸なのだと、感じた。
そして、その軸が遺憾なく発揮されたのが、2018年に倉敷市真備地区を襲った集中豪雨による水害後のことである。発災後すぐの段階で、障害のあるお子さんとお母さんたちの為のしゃべり場(玉島カフェ)を近隣地区で実施し、その後も真備でカフェを継続し、2019年からは、被災者支援に限定しない形での「うさぎカフェ」を真備でも月2回、実施続けている。なぜ、それを続けているのか。安藤さんはこんな風に語っている。

「災害が起きた時に障がい児・者のいる家族を、どうしたら救えるのかの結論にはまだたどり着けていないが、何もせずに漠然と、次の災害までの日々を送るのではなく、平時だからこそできることを、これからも少しずつ積み上げていきたい。」(p246)

これも、徹底的に、他人事ではなく、自分事の視点である。あのとき、被災していたのは、自分と自分の子どもだったかもしれない。かつての自分といま相談に乗っている別の母たち、の時間軸を往復できる彼女の目から見ていると、真備の母親達の苦労に耳を傾けながら、これはかつての私の苦労だったかもしれないし、今後の私の苦労かもしれない、と往復が出来る。だからこそ、「結論にはまだたどり着けていない」からこそ、「平時だからこそできることを、これからも少しずつ積み上げていきたい」と、真備での活動を続けていく。これぞ、ブレない姿勢そのものだ、と感じる。

他にも引用したいところは色々あるが、気になった人は、是非ともこの本を実際に手に取って読んでほしい。そして、言い忘れたが、この本では、こういう保護者活動や居場所づくりを維持発展させ、NPO法人として展開していくためのノウハウや秘訣も、ちゃんと掲載されている。そういう意味では、一粒で二度、だけでなく、何度も美味しい良著である。僕のつたない説明だけでは理解できなかった方は、安藤さんに僕と尾野さんがインタビューさせてもらった雑誌「ボランピオ」の特集号もご一読頂きたい。

リカバリーよりレジリエンス

表題がどちらもカタカナ語で申し訳ない。適切な日本語表記が見当たらないのだ。書きながら、よい日本語訳を考えたいと思う。

リカバリー(recovery)は回復力と訳され、レジリエンス(resilience)は復元力・弾性力などと訳されている。それだけみると、実に似ているようだが、Resilienceというタイトルそのものの本を読んでいて、二つの定義の大きな違いに気がつかされた。

Resilient systems may have no baseline to return to -they may reconfigure themselves continuously and fluidly to adapt to ever-changing circumstances, while continuing to fulfill their purpose. (p17)

「レジリエントなシステムは、戻るべきベースラインを持っていないのかもしれない。レジリエントなシステムは、不断に己を最構成しなおし、常に変化する環境に水のごとく適応するなかで、目的の達成にむけて動きつづける」

実は日本語訳の本を読んでいた時に全然読み流していたのだが、英語をゆっくり読んでいて、気づいた点が、この部分である。リカバリーは、ベースラインに戻ることを意味する一方、レジリエンスは、自らを再構成して、新たな環境に適応すると。この二つは、全く違う概念である、と気づかされる。つまり、リカバリーは「以前の状態に戻ること」を指し、レジリエンスは「過去と違う現在に再び適応するように自らのあり方を変えること」である。リカバリーは過去と地続きの現在を前提にして、過去のベースラインに戻れるという考え方である。その一方、レジリエンスは、戻るべき過去から切断された今を起点に、その「いま・ここ」に適応するために、自らのあり方を水のように流動的に変えていく、という考え方である。

いつも対話をしてくださっている阪大の深尾先生と、彼女の友人のStephenさんとの昨晩のZoom対話でこの件を取り上げてみたら、Stephenが「レジリエンスはproactでありad-hocismに通じていて、リカバリーはreactであり、既に知っている何か(something what you kew)に繋がっているね」と指摘してくれた。reactって、リアクション(reaction)の動詞形であり、何かが起こった後に反応することである。一方、proactはproが先に、という意味を持っていて、先んじて行動する、先手を打つ、などと辞書に書かれている。そして、ad-hocというのは、その場限りの、という意味である。

この議論を整理すると、リカバリーというのは、ある出来事が起こった後に、対応を考えることであり、しかもベースラインに戻る、という表現にもあるように、既に知っている過去に戻ることが念頭に置かれている。一方、レジリエンスというのは、起こってしまった現実に対して、そこで自身のあり方を変えながら、その場その場で流動的に先手を打ち、目的達成に向けて、不断に自らの方法論を変えていく、ということである。

なぜこの定義の違いを長々書いたのか。それは、こないだから書いている、新型コロナウィルス騒動において、僕たちが求められているのは、リカバリー型思考ではなく、レジリエンス型思考ではないか、と思い始めているからである。

リカバリーとは、過去のベースラインに戻ること、と書かれていた。それはある種、前例踏襲主義にも通じている。安定した、慣れ親しんだ過去に戻ろう、という考え方である。だが、例えば精神疾患に罹患するというのは、人間関係で極限状態にまで追い込まれ、ストレスが我慢できる限界を超えて、急性症状が発現する状態にならざるを得なかった、ということである。でも、病気になった後に、元のベースラインに戻る、とは、病気の前の仕事や学校に行けていた状態に戻る、だけでなく、そのときの高いストレス状態に戻ることでもある。ベースラインには、プラスもマイナスもくっついている。であれば、そのような過去に戻るのではなく、病気という形での身体表現に耳を傾けて、自らの高ストレスな環境や人間関係をこそ柔軟に変えていった方が、その後の生き心地は良いのではないだろうか。すると、リカバリーより、求められるのはレジリエンス志向ではないだろうか。

これを今の社会に当てはめたら、どのようなことが言えるだろうか。

コロナウィルスのピークを1,2週間で収束させて、4月には元通りの生活に戻りたい。オリンピックも観客を入れて通常のように開催したいし、インバウンド経済もそれに合わせて順調に回復したい。オリンピックを通じての経済成長を成し遂げたい、という当初目標を完遂させたい・・・。これらは、2019年までに予期していた未来、である。だが、全世界的に拡がるパンデミック的な事象に出くわしている、2020年3月9日の「いま・ここ」の時点で、上記の想定は、大きな変更を迫られている。というか、学校は一斉休校したし、大相撲は無観客試合をしている。だけでなく、世界各地で感染者や死者が出たり、などというニュースを読む中で、昨年までに想定した2020年のベースライン、そのものが崩れ去りつつある、ということも、薄々多くの人が感じ始めている。

つまり、元あった状態に戻すための努力を後追い的にしているというリカバリー的発想が、機能しなくなりつつあるのが、この2020年の春なのかも、しれない。いや、本当はいつだって元あった状態の復元は無理なのだが、それが極大化された状態で突きつけられたのが、今かもしれない。すると、僕たちに求められているのは、「不断に己を最構成しなおし、常に変化する環境に水のごとく適応するなかで、目的の達成にむけて動きつづける」というレジリエンスの考え方なのかもしれない。

カオスの状態の中から、新たな動きや展開を見据えて、誰かの言うことを鵜呑みにせず、自分の頭で考え続けて、より柔軟性を持って、臨機応変に、行動をどんどん変えていく。

これは、緊急時の動き方の基本のようにも、思える。ただ、救援現場にいるわけではない、日常生活を送る自分自身に言い聞かせたいのは、ハイになって、テンション高く、あってはならない、ということだ。

僕たちは、危機の時ほど、そこから逃れようと必死になる。ハイになったり、テンションを高めて、非常時を切り抜けようとする。非常時対応としては、大切なのかもしれないし、現に様々な現場で休みを返上して対応してくださっている方々には、心から敬意を表する。

だが、そういう持ち場にいない僕まで、ハイになったり、テンションを高める必要はない。不安なときほど、落ち着くことが大切だ。「いま・ここ」の不確実な状況を落ち着いて眺め、カオスの状態の中から、新たな動きや展開を見据えて、より柔軟性を持って、臨機応変に、自分が新たに出来ることやしたいことをやってみて、行動をどんどん変えていく。思考停止に陥らず、考え続ける。そういうあり方が、少なくとも僕自身に求められているのだと思う。

ここまで書いていて、昨年の香港ではやったあの言葉を思い出していた。

「心を空にしよう。水のように形をなくすんだ。水になれ。友よー」
(“Empty your mind. Be formless, shapeless, like water” “Be water my friend.”)

これは香港が生んだ世界的スター、ブルース・リーの言葉であり、香港デモを象徴することばである。

心を空にしよう、というのは、「あれをするはずだった、こうなるはずだった、そんな筈は無かった・・・」という想定内の思い込みから自由になれ、とも解釈する事が出来る。その上で、水のように形をなくすことで、思い込みや前例から自由になることで、自分の有り様を柔軟に変化させ、それが結果的に想定外の事態に柔軟に対応し、適応していくことが出来る主体へと変化できる。

僕が学んできたオープンダイアローグでも、「いま・ここ」での対話、や不確実性に耐えることの重要性が指摘されてきた。すると、ベースラインに戻るリカバリーのための対話、ではなく、不確実な「いま・ここ」に適応していくための、レジリエンスに基づいた対話、が必要とされているのかも、しれない。

で、レジリエンスをどう日本語にするか、だが、復活力でも弾性力でもない、柔軟に動き変わる力、とか、臨機応変に形を変える力、とか、そんな風に言えるだろうか。「○○力」って言えたらしっくり来るのだけれど、思いついた人があれば、教えてください。

不安を鎮めるための対話

世の中が、ピリピリしている。

所用で日中に神戸まで出かけた折に、他人のくしゃみに敏感になっている自分を発見する。つり革や手すりを持たないように、まめに石けんつけて手洗いするように、なるべく他人と濃厚接触しないように・・・普段は意識していなかったことに気をつけるだけで、くたくたになる。

トイレットペーパーが買い占められた報道を受けて、製紙会社が「倉庫に沢山あります」とツイートしているのを見た後でも、「我が家の在庫が無くなりそうなので買いに行ったら、近所のスーパーでもドラックストアでも売り切れていた」と妻が言うのを聞くと、落ち込む。そろそろ花粉症だという今の時期に、ティッシュを使うのを節約しなければならないと思うだけで、気が滅入る。

こないだから合気道の稽古で基本を学び直し、教わった気の結び方を稽古で反復したいと思った矢先に、稽古で使う学校の武道場が三月後半まで使用不可と知り、がっかりする。

こういう細かい日常の変化や不如意が折り重なるだけで、心身がぐったりする。激務という訳ではないのに、日常を過ごすだけで、へとへとになる。

そんな折だからこそ、対話が大切なのだ、と思う。不安をそのものとして表現するための対話が。何かを決めるための対話、ではなく、違いを知るための対話、が。

前回のブログにも書いたが、全国一斉臨時休校の「要請」が首相からなされた翌日の先週金曜日(2月28日)に、僕と同じように不安を感じていた中村さんと大美さんとZoom対話をした。それは、何かを決めるための対話ではない。互いがこの間感じている不満やモヤモヤを、そのものとして言語化するための対話の場だった。中村さんや大美さんと、意見を一致させることを目的とした訳ではない。それとは逆に、お互いがどんなことを感じているのか、という「違い」を、そのものとして分かち合うための対話だった。不思議なことに、そういう「違いを理解する対話」をするなかで、ソワソワした感覚が少し鎮まっていくようだった。

そのことを思い出して、改めて気づいたことがある。それは、「不安を不安として口にすること」の大切さである。

ピリピリした緊張感、落ち込んだ気持ち、がっかり感やくたくたが折り重なった状態・・・。そういった感情や心持ちの変化は、「どうせ」「しかたない」という蓋をして、閉じ込めている場合が少なくない。でも、それは間違いなく蓋をした自分自身の中で、澱のように重なっていく。しんどさやネガティブな感情がとぐろのように渦巻いていく。そして、そのとぐろのような感情に耐えられなくなると、ウツになり、心身に不調を来す。あるいは逆に、時に感情を他者に向けて反転させることにもつながる。ドラッグストアでマスクやトイレットペーパーがないと店員をなじる、咳をしている他の乗客に怒鳴る、ヒステリックにSNS上で他者を罵倒する・・・。内側にこもっても、反転して他者を攻撃しても、いずれにしても、不安や心配事の渦は増幅するばかりだ。

そのとき、相手をなじる前に、自分を責める前に、自らの不安を不安として、口に出してみることが、大切かもしれない。

「自分は○○で不安だ(心配している、落ち込んでいる、気が滅入っている、憂うつだ・・・)」

不安や心配事を、そのものとして表現する。こんなことを表現するなんて、軟弱なんじゃないか、馬鹿にされないか、愚かではないか、わがままじゃないか、我慢した方がいいのではないか・・・なんて、「自主規制」する必要はない。いや、こういうしんどいときこそ、自主規制は逆効果だ。心配事や不安、落ち込み、憂うつな気分を、自分を主語として、どんな風に感じているのか、をちゃんと表現した方がいい。

かくいう僕自身も、週明けの晩、再び不安がもたげて、いつも対話させて頂いている深尾葉子先生と、30分ほどZoom対話の時間を作った。お互いが近況報告するだけなのだけれど、その中で、僕自身が感じているしんどさやピリピリ感、不安感を話すだけで、ずいぶん楽になった。安心して話せる環境で、ちゃんと聞いてもらえる相手に向かって、自分の心配事を話すだけ。別にアドバイスも助言も結論もない。というか、それを求めてはいない。そうではなくて、「いま・ここ」の不安を、そのものとして言語化して、受け止めてもらえる。それだけで、ずいぶん僕の不安は宥和されたのだ。

「自分は不安に感じている。」

そう表現するだけで、その不安がなくなるわけではない。でも、言ってみてはじめて「あ、やっぱり僕は不安だったのだ」と改めて気づく。そして、それを肯定的に受け止めてもらえることで、「不安に感じてもいいんだ、その不安を不安として話してもいいんだ」、と落ち着いて安堵し、自分を納得させる。すると、ピリピリ感や不安、モヤモヤなど、そのものとして言語化すると、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではないが、膨張した幽霊のような恐ろしい感覚は鎮まり、不安感という枯れ尾花が、そのものとして見えてくる。それが、身も心も、落ち着かせてくれる。

日常のルーティーンやこうすれば良いという「正解」がそのものとして機能しない、非日常的な世界。そこでは、不確実性が増大し、不安も心配事も急激に増える。その中で、無理に不安や心配事を抑圧したり、なかったことにすると、さらにその無視や抑圧によって、自分自身を苦しめたり、その暴力的エネルギーが反転して他者への攻撃にも繋がる。

だからこそ、今の時期に必要なのは、自他を攻撃するのではなく、不安を不安として口にすることである。そして、一人で表現するのは簡単ではないので、他者に向かってそれを話してみることや、他者の不安をじっくり聴くことである。そういう開かれた対話の中で、何かの結論=正解を決める必要は無い。いや、正解がわからないのである。だからこそ、相手の不安と自分の不安の違いを理解することが、すごく大切なのだ。「違いを知る対話」は、発散と収束で言えば、発散の対話である。明らかに不確実で不確定なことが多い状況ほど、まずはいきなり正解を求める収束の対話ではなく、不安や心配事などをとにかく互いに発散させる。その中で、発散がなされ、身も心も静まっていく。

今の時期に、僕は自分の不安を閉じ込めたり、押さえ込もうとしたくない。でも、不安に身も心も覆い尽くされたくはない。そんな中で出来ること。それが、不安をそのものとして認めて、それを伝え合う対話であり、結果的にそれが不安を鎮める対話に繋がるのではないか。そんなことを感じている。

ケアを軽んじてはいないか

2020年2月27日の、首相による来週からの学校一斉休校の要請のニュースを聞いて以来、ずーっとモヤモヤや違和感が回り続けていた。ツイッタやネットニュースで色々な記事を追いかけてもいた。でも、どう表現してよいのかわからない。ブログを書きながら整理しようか、と思った今朝、高松で子育て中のママサークル『ぬくぬくママSUN’S』の代表をしている中村香菜子さんからメッセージが飛び込んできた。

「竹端先生、頭がパニック。自分はどうすればいいのか、 一分一分決断を迫られます。私たちは行政の委託事業じゃない、だからこそどう立ち振る舞うのか。私たちしかできないことはなにか。言語化も頭の整理もできない~」

ちょうど今日は一日デスクワークの予定で、僕もこの問題について誰かと話をしたかったので、急遽Zoomで対話の場を設けることにした。中村さんと一緒に「NPO法人わがこと」をやっている、中学生のお子さんを持つ大美光代さんも都合がついたので、三人で昨日から心の中に浮かぶことなどを、少しずつ、声に出していった。その中で、僕の違和感を二人に説明をしながら、自分の中でも整理できたことを言語化してみたい。

まず、今回の決断は、医学的判断ではなく、政治的判断である、ということだ。(以下に書くことは2020年2月28日13時半のデータに基づく)。

感染の爆発的拡大を抑えたい、という、医学的根拠のみに基づく判断なら、そもそも学校のみを閉鎖するのは、おかしい。それよりも満員電車こそ、止めるべきだ。ライフラインに関わる、日常を維持するための最低限の職業以外の職業は二週間営業を辞めるか在宅勤務に切り替えるなどをして、感染拡大を防止する必要がある。でも、そういう決定はしていない。東京マラソンだって、参加者は縮小しても、実施はする。あれだって、応援する人も含めて、不特定多数の人が集まる場なのに、おかしい。さらに言えば、日本医師会の会長も「地域の感染状況などに応じて学校の臨時休校や春休みの前倒しを実施すること」を求めているが、全国一律の休校を求めてはいない。日本小児科学会も「現時点では、国内の小児の患者は稀で、成人の感染者からの伝播によるものですので、保育所、幼稚園、学校などへの通園、通学を制限する理由はありません。しかしながら、地域で小児の患者が発生した場合、またはそれが想定される場合には、一定期間、休園や休校になる可能性があります」と述べている。何より政府の感染症対策の専門家委員のひとりも、「専門家会議で議論した方針ではなく、感染症対策として適切かどうか一切相談なく、政治判断として決められたものだ。判断の理由を国民に説明すべきだ」と発言している。

つまり、これは医学的な理由などを勘案しつつも、政治家である首相が、政治的な価値判断をした上での、政治的決定である。

そのうえで、僕はこの価値判断に違和感を唱える。「ケアを軽んじてはいないか」と。子どものことを本当に大切に考えた上での決定なのだろうか、と。もし全国一律の休校の必要がある医学的根拠を持つなら、それをちゃんと国民に示し、納得するプロセスを形成する必要があるのではないか、と。それを示さず、空気を読んで要請に黙って従え、はおかしいのではないか、と。

本当に子どもを感染させたくないなら、子どもをケアする親も休業できるような財政措置も含めた対策を取るべきである。でも、その話は、現時点では出てこない。あくまでも、企業にも配慮を求める、という風潮である。この間の自粛や要請はどれも政府の命令ではないので、政府は責任を取らない、というスタンスである。

子どもは学校ではなく、外出も避け、家にいなさい。仕事を持つ親は満員電車に乗り続けなさい。子どもが小さかったり障害を持っていて、ケアする必要があるならば、専業主婦が面倒を見るか、共働きならどちらかが(多くの場合は妻が)面倒をみなさい。シングル家庭は、何とか自助努力で耐えしのぎなさい。学童とか開けるように要請するから、それで何とかしてね・・・。これって、ケアをあくまでも家庭内の自己責任にとどめ、ケア責任に関しては政府は積極的に関与しない、という姿勢を示している。

さらに言えば、経済活動を止めたくない、東京オリンピックを何とか成功させたい、その中でのコロナ対策のアピールとして、上記二つに抵触しないものとして、学校の臨時休校という「インパクトある決断」をしているようにも、思える。もちろん、経済活動が停滞を続け、日本社会が没落していくと、私たちの生活に直撃するし、それは困る。だが一方で、教育や子育てなどケアを必要とする子どもや、そのケアにあたる親や教師などケアをする人たちの大切にしているものを無視して、それをなぎ倒すかのように、突然、4日後からの臨時休校措置の要請をしてはいないか。それって、ケアすること・されることを、あまりに軽んじていないか。「どうせそのうち春休みなんだから、ついでに前倒しで春休みにしてしまえばいいじゃん」「子どもだって、休みの方が嬉しいじゃん」と。大美さんは「雑な判断だ」と言っていたが、僕も本当に雑な判断だと思う。子どもだって、卒業式とかクラス替えの前とか、年度の締めくくりの時期で、大切なイベントもある。そんな子ども達の内側の思いを、そこに関わる親や教師の思いを、バッサリと上から一律に切断してしまってよいのか。そのことに、政策判断者はどれだけ自覚的か。

既に先行している北海道では、実害も出ている。「帯広市の帯広厚生病院(651床)は27日、新型コロナウイルス感染拡大対策の学校休校の影響で病院職員の確保が難しくなったため、予約患者以外の一般外来診療を、28日から当面見合わせることを決めた。」

また、共働きで子育て中で、「ケアすること」に関する著作も出している渡邉琢さんは、「(小中高休学要請に対して)小さい子をもつ一家庭人、重度の障害者や患者を受けもつ一市民としてのお願い」という文章を出している。どちらも、一斉休校措置にすることで、ケア労働従事者の家庭にしわ寄せがいったり、ケア労働者が休業することで、医療や介護などのケア現場も大混乱に陥る、ということを述べている。

繰り返し、書く。ケアを軽んじてはいないか。

経済活動を続けるのも大切だし、オリンピックが日本で開かれるのも大切だ。でも、ケアも、それと同じくらい大切だ。どっちかが先で、どっちかが後、ではないはずだ。なのに、首相は経済活動やオリンピック開催に向けての方策を優先させて、対外的にも対策をアピールできる学校閉鎖は要請するけど、その間の子どものケア体制や、ケアが必要な人支える親への支援も含めた、ケアすること・されること、は「自己責任で何とかしてね」と優先順位を下げているようにしか、僕には思えない。

ここで、現首相の個人的な資質云々の問題を言っている訳ではない、ということも、宣言しておく。与野党関係なく、どの政党のどの政治家であっても、経済活動だけを重視し、ケアは家庭で何とかしてね、と切り捨てる政治家は、アカンと僕は思う。

僕は、これまで、政治の問題は、このブログではあまり扱ってこなった。だが、一人の親として、今回の価値判断は納得出来ない。そして、与野党問わず、全ての政治家が、経済活動だけでなく、ケアする・ケアされる、ことの重要性も認識した上で、そこに十分に配慮した政策判断を行ってほしいと思う。それは、災害時や非常事態のときこそ、より適切に配慮してほしいと思う。そして、そういう事は、心の中のモヤモヤとしてしまっておかずに、「へんだ、おかしい」と口に出す必要もあると思う。

子どもや親の気持ちが、政治決定の中で押し殺されるのは、アカンと思う。子どもや親、教員が自分自身の気持ちを飲み込んで、「しゃあないよね」とうな垂れながら従うのも、違うと思う。医学的な追加情報が加わり、判断基準が変われば、柔軟に対応した方が良い。でも、一方で、暴力的とも言える全国一律の一斉休校はなんかへんだ、おかしい、「いま・ここ」の暮らしも大切にしたい、と口にしても良いと思う。その思いまで、自粛や忖度すべきではない。

そう思ったので、言語化してみた。29日に行われるという首相の説明も、上記の観点から、しっかり伺おうと思っている。

あと、僕は今回Zoomでオンライン上で中村さん、大美さんと、お互いのモヤモヤを出し合うことで、ずいぶん整理されたし、気分的にも楽になった。それは、お二人も同じようだった。こういう時こそ、モヤモヤや違和感は、押し込めてしまわずに、対話をしたり、つぶやいたり、書いてみたりして、ちゃんと「モヤモヤしている」「違和感がある」と表明しておいた方が良いと思う。政策判断をする人々にも、そんな声がある、と伝えるためにも。それ以前に、なによりも、自分自身の「いま・ここ」の心配事や違和感を、そのものとして大切に尊重するためにも。

センシティブ、を捉え直す

今年初めてのブログである。今日は立春、小春日和のように姫路は暖かく、この間、汗だくになっていたタートルネックを三本、洗濯も出来た。

1月はバタバタしていて、何も書けなかった。久しぶりに原稿を二本書き下ろしていたから、というのが前半で、その後、昨日までの冬の土用期間(1月18日~2月3日)に家族内で風邪を移し合っていた、というのが大きい。子ども→妻→僕→妻ときて、また僕が先週末から風邪を引いていた。子どもが産まれて、本当にしょっちゅう風邪をひく。

で、僕は風邪を引くたびに「なんて弱っちいのだろう」と嘆いていた。でも、そうやって風邪を引く=弱い=ダメなこと、と決めつける、想像の連鎖の束そのものが、僕自身を束縛している「強さへの憧れ」なのではないか、と、やっと気づき始めた。

いつも重要な指摘を投げかけてくださる深尾葉子先生と対話している時に、この話題を嘆きながら話した時に、「風邪をひける、って、それだけセンシティブな能力があることでは?」と問いかけられた事に端を発する。

確かに、見かけによらず!?僕はセンシティブである。小説や、ドラマとか映画には変に感情移入過多となり、主人公が恥ずかしい思いをするシーンなど、先が読めてしまって「見ていられない」ので、テレビを消し本を閉じてしまうことも何度もあった。小さい頃は冷たい牛乳を飲むと一発でおなかを壊し、でも親に「ほんと、すぐにおなか壊すねえ」と言われるのが嫌で、夜中にこっそり正露丸を飲んでいたこともある。僕にとって、センシティブである事は、打ち消しがたい自分自身の一つの特性であるが、それはネガティブなもの、否定すべきもの、克己すべき何か、のように思っていた。でもそう簡単に克己できないから、小説やドラマ、映画は見ないようにしていたし、冷たいものは飲まないようにして、風邪だけは避けられないので、風邪を引くたびに「弱っちい」と嘆いていた。

つまり、打ち消しようのない自分の特性を、否定的に捉えていた。

でも、深尾先生に「センシティブな能力」と言われて、はっと気付いた。なるほど、そういう捉え返しもあるのか、と。そう言われると、気づき始めた。ずいぶんと長い間、この「能力」に必死になって蓋をしてきたよなぁ、と。

そもそもドラマや映画、小説を封印したのは、「受験勉強の弊害になるから」。受験勉強あるある話だけれど、僕は高校くらいから本好きになると共に、受験勉強が本当に嫌になり、入った進学校でどんどん成績順位が低下していったのだけれど、試験前ほど死ぬほど小説に没頭できた。パール・バックの大地とか、試験前日の雪降る中、続きが読みたくて、チャリで本屋を探し回ったものである。で、そういう豊かなセンシティビティや感受性を育てたら良かったのに、それは「非効率だ」と蓋をして、読まないようにしていた。ただ、例外はあって、村上春樹は大学時代からずっと読んでいたけど、博論を書く時に「これでは書けなくなる」と一度全部捨ててしまい、博論書いた後にまた古本屋でコツコツ探し求める、という阿呆な事もしていた。

で、いま何故にその蓋を取ろうとしているのか。それは、子どもの存在が大きい。

3歳になった娘は、感受性の塊で絶賛自己主張期(=という名の、またの名をイヤイヤ期)。楽しいことは全力で楽しいと表現し、嫌なことは全力でイヤーと拒否をする。怒られたり納得出来ないと、大粒の涙をポロポロ流す。そんな娘と日々を過ごしていると、この感受性の豊かさに驚かされるし、それと共に、僕の中にも、こういう感受性の源のようなものはあったし、枯渇もしていないよなぁ、と思い出すのである。

さらに、強さへの憧れとは、マッチョイズムとつながるだけでなく、受験勉強以来染みついた、偏差値の序列社会への過剰適応の内面化なのだとも、ひしひし思い至る。僕自身がそうやって他者比較の価値基準を自分の中にインプリンティングし、他者を見る時も、自分自身を振り返る時も、そうやって査定していた。くだらない話を書くが、「あの人は同年齢なのにこれだけ業績を出している(本が売れている、賞を取っている、社会的評価が高い・・・)。それに比べて僕は・・・」という「比較の牢獄」に自分自身が陥っていた。いや、今もまだ、このラットレース的心性を内面に抱えて、身もだえする時がある。

でも、娘には、まだそれがない。だから、自由だし、溌剌としている。もちろん、社会的存在になる、ということは、多かれ少なかれ、このような他者比較の牢獄から完全に自由になることは不可能なのはわかる。でも、少なくとも、今の娘が持つような、他者比較をすることなく、自分自身の感受性の豊かさを全面に出すような、そんな心性を、僕ももうちょっとだけでも取り戻したい。そう思い始めている。

すると、子育てをし始めて、前よりしょっちゅう風邪を引いて寝込む回数が増えたのだが、これも感受性を取り戻すための、大事な身体からのお知らせ、なのかもしれない。でも、その身体からのメッセージを無視して、頭でっかちを続け、脳や意思中心主義に閉じこもっていると、子どももそうやって比較の牢獄に追い込んでしまうことになりかねない。「他の子はもっと出来ているのだから」「ちゃんとしなさい」と。

それは、嫌だ。

そう思うから、娘を変えるのではなく、まず父が変わる必要がある。僕がまず、この比較の牢獄から抜け出せなくても、少なくともそれを意識化する必要がある。僕自身が、己の「強さへの憧れ」の歪みに気付いて、そこからちょっとは自由になりたい。そして、娘から感受性の豊かさ、感受性の表現の仕方をもう一度学んで、豊かな感受性を取り戻したい。

そう思うと、これは以前ブログに何度か書いた、caring withの論考の続きになりそうな気がしている。実際、子育てやケア関係で、書きたいことは沢山ある。でも、それは僕自身の男性性や、「強さへの憧れ幻想」との関係をひもとく中で、明らかになってきそうな何か、なのかもしれないと、今、思い始めている。

(たぶん、つづく)

 

 

 

2019年の三題噺

年の瀬恒例の私的三題噺。何を書こうかと思っていたが、今朝の話から。

1,子どもとの世界が拡がる

年の瀬の31日、おかあちゃんはご用だったので、おとうちゃんと二人でお出かけ。妙にバスが大好きで、今日もバスに乗る、というので、バスに乗って駅にお出かけ。新快速に乗り換えて、三宮まで行こうと思ったけど、今日はふと思いついて加古川で下りて、ショッピングモールのおもちゃ屋でトーマスグッズを買う。トーマスのDVDを繰り返し見続け、トーマスの服をやたらきたがる娘さん。帰りは姫路駅の王将で天津飯を食べるのが楽しみだったのに、今日に限ってお休みでがっかりな娘さん。また来年食べようね、と約束して、家でお昼を食べて、ねんねしてくれました。

子どもは二歳児の一年であり、この一年、絶賛自己主張期であった。「いやいや期」と一般には呼ばれているけど、確かに口を開けば「いや」って言うけど、「いやいや期」という名付けは何だか好きじゃ無い。母から分離し、自分自身を確立しようとと、好奇心旺盛になっているお年頃であり、自己主張をとりあえず「いや」というひと言からスタートさせている時期。そう思って、なるべく温かく見守ろうとするけど、父としては、娘を通じて修行の一年だった。

娘と過ごすと、当たり前の話だが、ぜんぜんこちらの思い通りにならない。ペースは娘中心。こちらの時間感覚とか効率性とか、全てなぎ倒される。それに、今でも時に苛ついてしまう。でも、娘が産まれ、娘との生活を大切にしようと決めると、僕自身がいかにそれまで仕事中心で、ワーカホリックで生きてきたか、も改めて思い知る。

姫路の住まいは、歩いて目と鼻の先に大きな公園があり、空いた時間があればとにかく公園に娘と鍛錬にいく。この「鍛錬」という表現は、松田道雄の名著「育児の百科」にたびたび出てくるフレーズ。子どもを外で毎日鍛錬させよ、というシンプルなフレーズは、でもエネルギー有り余る娘を見ていたら、確かに重要だと思う。で、公園にしょっちゅう通うと、娘を通じて四季の変化を感じる。寒椿に始まり、桜のつぼみが硬く膨らみ、やがて梅から桜、そして新緑と繁り、夏には蝉がミンミン鳴いて、やがてコオロギから葉が色づき、落ち葉に今度はどんぐり拾い・・・。以前はそれを山歩きして感じていたのだが、近所の公園を娘の後をついて歩き回るだけで、豊かな四季を感じる。そういう時間を、子どもが産まれるまでは、しっかり持てていなかった。あと、例えば年末からの1週間は仕事をしないと決めて、実際メールも含めてほとんど仕事をしていないけど、そういう風に割り切れたのも、やんちゃな主役が我が家におられるから。お父ちゃんのワークライフバランスを保つためにも重要な存在だと改めて感じる。

2,僕の声を取り戻す・統合する旅が始まる

きっかけは英語、だった。

研究をご一緒させて頂いている深尾葉子先生からお誘い頂き、心理学にも造形の深い英語教師のアメリカ人のSさんと、Zoomで英語ディスカッション、というのを1年半くらい続けている。『精神の生態学(Steps to an Ecology of Mind)』とか『実践 日々のアナキズム(Two Cheers for Anarchism)』などの濃厚な原著を肴に、その内容から拡がるあれこれを英語で議論する、というハードな1時間。その中で、深尾先生から「竹端さんは、すごい難しい表現をスルスルと話すときと、頭をかきむしりながら苦しそうに言葉を探すときの、その落差が激しい」と指摘されていた。

ある程度自分が知っていたり、専門に近い領域の英語は、ストックフレーズが沢山あるので、比較的スルスルと言葉が出てくる。でも、全然違う領域の話をしたい、と思っても、どう表現していいのか、わからない。日本語ならもっとうまく話せるのに、話してみたら小学生レベルの内容しか伝えられないことがもどかしくて、それで頭をかきむしって苦悶しているのだ。そう思い込んでいた。だが、この英語レッスンをする中で、どうやら違うとわかってきた。

そのために、先に三題噺の最後を出しておく。

3,ダイアローグの中で、鎧がほどける

この一年は、僕の中での「開かれた対話性」がより深まった一年であった。講演や研修会、授業やゼミでも、なるべく開かれた対話性を大切にして、不確実性を楽しみながら、他者の他者性を引き出す場づくりをしてきた。すると、そのような場づくりの中で、様々な相互作用が起こったり、研修が終わった後にとても満足してもらえる機会も増えた。僕が何かについて一方的に教える・説得する、というabout-nessモードをやめて、その場の人びとと一緒に考え合うwith-nessモードに転換するだけで、ずいぶん良い流れが生まれ始めた。そして、それは、他者に対して、だけではなく、自分自身に対しても、であった。

変な話だが、僕も、僕に対して、「他者の他者性」とか「不確実性への耐性」を重視することなく、論理的で知識中心の僕が一方的に突っ走る、about-nessモードであった。だが、「開かれた対話性」を大切にし、一緒に考え合うwith-nessモードを重視し始めた時、僕の中で、十分に聴かれていない、表現されていない何かが表現を始めた。それが、1の絶賛自己主張期の娘に揺り動かされ、2の英語レッスンと結びつき、自分のなかの新たな声として、胎動し始めた。それは一体、どういうことか。

僕は中学1年から、猛烈進学塾に通い始める。そのときのことは、以前のブログにもかいた。だが、そのときには自覚できなかったのだが、僕は12歳で塾に入って以後、受験勉強の能力主義モードにがっりと入り込み、その後研究者として生き残るためにも、さらにその能力主義に磨きをかけてしまったばっかりに、徹底的に新自由主義的合理性を内面化した部分がある。それは、効率的で効果的なやり方以外の道を否定することであり、能力主義的ガンバリズムを当たり前に考えるあり方だった。そして、子育てをし始めて三年間で、そのやり方では全く子育てがうまくいかないことを身に染みて気づかされ、ズタボロになりかけていた。

これと英語がどう関係しているのか。めちゃくちゃ関係しているのである。

実は英語表現の竹端は、分裂している、ということも以前のブログで書いていた。ほんと、僕のブログは僕自身にとっての外部記憶装置ですね。12歳で受験英語に適応するために、流暢なしゃべりを捨てて、日本人的英語表現に「矯正・強制」した時から、僕の中では受験勉強的な合理性を至上とするモードに切り替わってしまった。魂の情動とか、自然に発露する直観よりも、論理的で理性的な何かを尊重した。そうやって多くの本も読み、論理的に考え、その訓練を続けてきた結果、論理的で理性的な「議論」なら、得意な分野なら、英語でもほどほどに出来るようになった。だが、英語は第二言語ゆえに、日本語ほどだませないし、隠し通せない。

僕は例えば他者にインタビューするのはめちゃ得意なのだけれど、自分のことを語るのは得意では無い。だから、ついファシリテーターとして、皆さんの意見を賦活させる役割を引き受ける。でも、こないだZoomで振り返りの会をした時、20年来の友人から「竹端さんの意見や声は出さないの?」と言われて、ドキッとした。そう、僕はその場の皆さんの声を安心安全に出すお手伝いはするけど、肝心の僕の声を出さないまま、できたのだ。出すとしても、論理的で理性的で、つまりは手堅い範囲内でしか、自分を出さないことになっていた。

だが、こないだの振り返り会で、「竹端さんの声も聴いてみたい人もいると思う」と言われて、ぐらつく自分を発見する。実は、大学の授業やゼミでも、なるべく皆さんの意見を賦活させる事を大切にして、僕は自分の意見を言うことには禁欲的だった。「権力者の意見を押しつけてはならない」というルールをかなりしっかりと守っていた。すると、たまに学生さんから「先生の意見も聞いてみたい」というリプライも来る。こないだの振り返り会の参加者からも、「竹端さんが一個人として自分の意見をその場に差し出すことは、別に支配的でもなんでもないのでは」とも言われる。

そういったことも重なって、こないだ、英語でこんなことを言い始めていた。

「僕は親になった事で、自分に対して責任を取ろうとしている。自分の思いを、自分の声で話そうとし始めている。師匠に弟子入りしたのが98年で、20年が経つ。僕にとっては師匠は今でも尊敬すべき唯一無二の師だが、そろそろ師匠から独立して、師匠とは違う道を歩み始めたのだと思う。それが、ダイアローグやファシリテーションを大切にした場づくりだ。それってあたかも、自分が親になって、子どもでいた時代を卒業し、自分や子どもに対しての責任を持つようになった事と相似形だと感じている。」

こういうことを、頭をかきむしらず、バリバリの日本語英語でもなく、スムーズに落ち着いて表現する事ができはじめた。娘と過ごす日々の中で、僕自身の情動が突き動かされ、開かれた対話性を自らの魂とも発動させることによって、僕の声を取り戻す・統合する旅が始まったのだと、思う。

そう思うと、生産至上主義的にはあまりぱっとしないし、ほとんど論文も書けていない、一年だった。でも僕の中で、12歳くらいから抑圧してきた魂と、30年後の今になって和解し始めた、というか、情動と理性をつなぎ合わせることを試行錯誤の中で結びつけ始めた1年だったのかもしれない。対外的には大した変化はなかったが、対内(胎内?)的にはものすごく沢山の何かが動き始め、つながりはじめ、転換し始めた一年だったのかも、しれない。そしてそれは、来年以後の僕にとっては、計り知れないほどの大きな一歩を踏み出す上での、大切な内的作業だったのだと思う。

従来の1年の振り返りは、「○○した」というdoingの振り返りが殆どだったのだが、今年に限ってはどうあったか、というbeingの振り返りだった。そして、それが今の僕にはぴったりきている。そういうことを、子どもが昼寝している間に書き終えられて、良かった。さて、これから年末の買い出しに行かねば。

みなさま、よいお年をお迎えください。

構造ではなく、構造化のダイナミクス

大学院の福祉社会学特論では、悪循環を乗り越えるためにはどうしたらよいか、を主旋律に、『悪循環の現象学』(長谷正人著、ハーベスト社)を読んだ後、深尾葉子先生の『黄砂の越境マネジメント』を読みすすめてきた(本の紹介は以前のブログに)。そして、12月23日(月)には、Zoomで著者の深尾先生と大学院生がダイアローグする機会を作った。非常に実りある対話の場だった。

この中で僕にとっても印象深い内容だったのが、構造と構造化を巡る議論であった。深尾先生の論考から、まずその違いに関する部分を抜き出しておこう。

「村において観察可能であったのは、村人同士が各々個別に展開する労働交換や情報の交換によって形成される『関係』のネットワークのみで、それは常に変化し、形を変えて存在し続ける。そこから抽出できるのは、構造そのものではなく、構造化のダイナミクスであり、動的なモデルであった。」(p291)
「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象を理解するには、あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法は、大きな齟齬をもたらす」(p294)

僕自身の反省を込めて書くのだが、僕自身、ある時点まで優れた研究とは何らかの構造を明らかにすることだ、と思い込んできた。博士論文で明らかにした社会変革を可能にするソーシャルワーカーの「5つのステップ」も、構造まではいかないけど、その種の法則的なものを明らかにした、つもりでいた。

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<精神障害者のノーマライゼーションを模索するPSWの五つのステップ>

ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける
ステップ2:その想いや願いを「○○だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走しはじめる(支援者自身が変わる)
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる)
(竹端寛 2003 「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題―京都府でのPSW実態調査を基にー」大阪大学大学院人間科学研究科博士論文)

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だが、僕の見つけた5つのステップも、深尾先生の議論に当てはめてみれば、「『関係』のネットワーク」を表現したものであり、「常に変化し、形を変えて存在し続ける」プロセスの記載であり、それは「動的なモデル」としての「構造化のダイナミクス」であった。で、構造のようながっちり固まったものではないがゆえに、このステップは、自画自賛じゃないけど、コミュニティワークの一つのプロセスとして、今でも使える何かが描かれていると思っている。

そういえば、博論を書いた後の2005年、ある福祉施設の職員間のコンフリクトを7つのポイントで整理したのだが、こないだ全く別の福祉施設の幹部職員がこの文章を読んで、以下のような感想を寄せてくれた。

「15年前の先生の論文を拝読し、まるで私たちの法人のことが書かれているのではないかという錯覚を覚えました。まさに職員の誰かが口にしそうな内容がたくさん記されていて、きっと、みんな同じように思っていることがあるのだろうなと、感じました。」

この感想を読んでいると、どうやら僕も頭では構造に憧れながら、実際に表現しているものは「構造化のダイナミクス」だった。だからこそ、なかなかこの種のものは査読論文には掲載できなかったのだけれど。

で、月曜日のダイアローグで特に僕が興味深かったのは、先に引用した「あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法」という部分である。人間が関わる様々な事象は因果の連鎖で結びついているのに、その一部をフレーミングすることによって、「限定された因果関係」で「構造」を記述することの危険性について、深尾先生は指摘しておられる。この話を聞きながら、精神医療でも「病気」「症状」という形で専門職が判断することで、「生きる苦悩」という複雑な因果関係の連鎖の一部にフレーミングし、そこに投薬や隔離拘束で落ち着かせよう、という精神医療の治療「構造」が重視される。だが、その動的な現象を構造で理解すること自体が、時間と因果関係の限定性をもたらし、「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象」としての、生きる苦悩の最大化としての精神症状という構造化のダイナミクスの理解には不適切なのではないか、と深尾先生におたずねしてみた。

すると深尾先生は、癌だって同じですよね、と応答する。癌が他ならぬその人に生じている、という複雑なダイナミクスを理解することなく、症状のみに着目して、それを消し去ろうとすることは、構造の理解と消去を目的にしているけど、その構造化のダイナミクスという因果の連鎖に着目しないから、それは近代的合理主義の範囲内の、切り分けた発想や視点になってしまうのではないか、とおっしゃった。

その話を聞きながら、僕はフランコ・バザーリアの発言を思い出していた。

「狂気とすべての病は、私たちの身体がもつ矛盾の表出です。身体といいましたが、それは器質的な肉体と社会的な身体のことです。病とはある社会的な脈絡のなかで生じる矛盾のことですが、それは単なる社会的な産物ではありません。そうではなくて、私たちを形作っている生物学的なもの社会的なもの心理的なものといった、あらゆるレベルの構成要素の相互作用の産物でもあるのです。(略)たとえば癌は歴史的・社会的な産物です。なぜなら癌は、この環境において、この社会のなかで、この歴史的な瞬間に生み出されていて、また生態学的な変化の産物でもあり、つまりは矛盾の産物だからです。」(『バザーリア講演録 自由こそ治療だ』岩波書店 p108)

癌も精神病も、「私たちの身体がもつ矛盾の表出」であり、「ある社会的な脈絡のなかで生じる矛盾」である。ストレスフルなライフイベントが続くなかで、社会的なつながりが断たれ・閉ざされるなかで、リラックスできる余裕が失われるなかで、失業や別離など大きな喪失があるなかで、生きる苦悩が最大化するプロセスのなかで、癌や脳卒中、心筋梗塞、糖尿病、精神疾患などの「五大疾病」に陥る。この五大疾病は、もちろん医学的に治療の対象となるのだが、「いま・ここ」で他ならぬその人が罹患している、という意味では、「この環境において、この社会のなかで、この歴史的な瞬間に生み出されていて、また生態学的な変化の産物でもあり、つまりは矛盾の産物」なのである。その「矛盾の産物」という複雑なダイナミクス=因果の連鎖を、そのものとして理解しようとせず、投薬や外科的手術のみですべてを解決することは、原理的に不可能なのである。

癌や精神疾患という、顕在化した「疾患」。だがそれは「常に変化し、形を変えて存在し続ける」ものの、一つの表現形態に過ぎないのかも、しれない。すると、精神症状を消す薬を飲めばそれでおしまい、なのでもない。そうやって一部のみを止めてしまうと、他の部分に「変化し、形を変えて」顕在化するかもしれない。

誤解なきように言い添えておくと、治療が必要ない、と言っているのではない。ではなく、「この環境において、この社会のなかで、この歴史的な瞬間に生み出されていて、また生態学的な変化の産物でもあり、つまりは矛盾の産物」が「いま・ここ」で他ならぬその人に現れている意味を考え、「あらゆるレベルの構成要素の相互作用の産物」として受け止めることによって、その因果の連鎖に、別の働きかけをすることが可能でありうる、ということを言いたかった。それが、構造化のダイナミクスの面白さである。そして、前回のブログで引用したバザーリアの、次の言葉に行き着く。

「医師は単なる専門技術者でもエキスパートでもありません。薬を処方するのは医師の仕事ですが、患者と別の関係性を築くことによって、患者の暮らしに意味を与えることが医師には出来るのです。」

バザーリアは、現象学的精神医学を勉強していた時代は、精神疾患の構造を明らかにしようとしていたのかもしれない。でも、精神病院の院長になって、悲惨な収容主義の実態を目の当たりにしてから、構造の理解ではなく、構造化のプロセスに足を踏み入れた。精神病院の実態を変えるための、動的プロセスの中に関与することによって、「患者と別の関係性を築く」プロセスに身を投じた。それは、「あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法」との決別を意味していた。でも、そのことによって、「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象」としての施設収容という全体像を捉え、その収容主義を廃絶するための舵を切ることができた。そういう意味で、彼は構造化のダイナミクスを自ら展開させていった人である、とも言える。

深尾先生の著述は黄砂や黄土高原がフィールドであり、一見すると、精神病院や精神疾患とは全く違う内容にみえる。でも、それは「構造」のみを眺めた時に感じる「ちがい」である。しかしながら、深尾先生は優れた構造化のダイナミクスの記述であるがゆえに、その骨法は、全く別の領域において、何かを考える際の大きな補助線となる。これぞ、ほんまもんの意味で普遍的な理論であり、普遍的な記述である。あらためて、その学恩に感謝したいと思って、ながながと自分のフィールドにひきつけて感想をかいてしまった。

関係性の変容は可能か

季刊福祉労働165号に、実に考えさせられる二本の論文が掲載されている。

一つ目が、フランコ・バザーリアの「健康と労働」についてのブラジル講演と質疑応答。岩波からでている「バザーリア講演録」に含まれなかった部分で、僕がぜひとも読みたかった部分でもある。その中で、印象的なフレーズをいくつかご紹介する。

「私の理解では、ブラジルでは精神病が大きなビジネスになっています。狂人たちを食い物にして生計を立てているプライベートの診療所があります。狂人が多ければ多いほど儲かるようになっているのです。これはとくに労働者を破壊する道です。これでは労働者は、自分の不自由さや苦悩を自覚することができませんし、こうした苦悩と闘うことができません。こうなると狂気で金儲けする商人たちのおかげで、精神病者は減るどころか増えてゆきます。そして、こうした悪事に荷担する専門技術者たちは、当然のことですが労働者階級が必要としている同盟者などではありません。」(p149)

これは、ブラジルを日本と入れ替えても、全く同じ事が言える。9割の入院病床が「プライベート」であるがゆえに、世界一、入院している患者の比率が高いのが日本である。まさに「狂人が多ければ多いほど儲かるようになっている」のである。

ただ、バザーリアは現状を告発して終わり、とはしない。かれは、精神症状として表出化しているものを、単なる病気ではなく「自分の不自由さや苦悩」の最大化した姿である、と捉える。不眠や幻覚妄想状態に陥った背後には、家族や親しい友人・同僚との関係が行き詰まることや、人生に絶望し先の見通しが立たなくなるなどの、「自分の不自由さや苦悩」の最大化がある。本来の快復=リカバリーのためには、「こうした苦悩と闘うこと」が必要不可欠なのである。しかしながら、その「苦悩」を理解し寄り添うことをせずに、「狂気で金儲けする商人」の「病気だから入院しましょう、薬を飲みましょう」という喧伝が支配的になると、「精神病者は減るどころか増えてゆ」くのである。では、医者はどうすればよいのか。バザーリアは、反精神医学ではないので、精神病を否定していないし、薬物投与も認めている。しかし、こう主張する。

「医師は単なる専門技術者でもエキスパートでもありません。薬を処方するのは医師の仕事ですが、患者と別の関係性を築くことによって、患者の暮らしに意味を与えることが医師には出来るのです。したがって、私たちの仕事には、根本的に政治的な意義が含まれています。専門技術と政治といった分業体制を越えたところに、医師の仕事はあるのです。」(p146−147)

「患者と別の関係性を築くことによって、患者の暮らしに意味を与えること」

すごく大切なことだが、3時間待って3分診療、という仕組みでは、そもそもこういう「別の関係性を築くこと」ができない。よって、薬物投与中心になり、「患者の暮らしに意味を与えること」が出来ない。これは結果的に「専門技術と政治といった分業体制」を消極的であれ肯定することであり、「狂人が多ければ多いほど儲かるようになっている」「労働者を破壊する道」を消極的にであれ政治的に選択している、ということなのである。

そんな構造的なことを、一専門職が変えられる訳がない、と思い込んでいる人もいるだろう。バザーリアは、そういう人に向け、次のように呼びかける。

「社会構造が変わらないのだとしたら、施設で働く一人として、あなた自身が変わるべきです。あなたの仕事や実践を変えてゆき、患者の自覚を促し、あなたの批判的な手立てを発展させながら、あなた自身が変わってゆくのです(私たちは他人を批判することには長けているのに、自己批判はあまり得意ではありませんが)。」(p151)

「社会構造が変わらない」と「他人を批判する」前に、「施設で働く一人として、あなた自身が変わるべきです。」 至極シンプルで、まっとうなメッセージである。彼は、新自由主義的な自己責任の文脈でそう言っているのではない。「自分の不自由さや苦悩」の最大化した人と向き合う際、単に病院に閉じ込めたり、縛ったり、薬漬けにするのではなく、それ以外の「患者と別の関係性を築くことによって」、つまりこれまでの「あなたの仕事や実践を変えてゆ」くことによって、「患者の暮らしに意味を与えること」が初めて可能になる、と40年前の1979年6月に発言しているのである。

晩年のバザーリアは、別の可能性を明確に主張する、現実も見据えた理想家だった。だからこそ、こういう発言をしている。

「私たちはいかなる革命も望んではいません。望んでいるのは、私たちを取り巻く関係性を根本から変えることなのです。」(p147)

彼は、「関係性を根本から変える」ために、1961年に大学医局を追い出されてゴリツィアの精神病院長になってから、20年かけて、彼自身の「仕事や実践を変えてゆき、患者の自覚を促し、あなたの批判的な手立てを発展させながら、あなた自身が変わってゆくのです」というプロセスを歩み始める。縛る・閉じ込める・薬漬けにする、の論理を否定し、白衣を脱ぎ、最も重度と言われた患者を地域に退院させ、トリエステに移った後に精神病院自体を閉鎖するなど、彼「自身が変わってゆく」ことで、「私たちを取り巻く関係性を根本から変えること」を可能にしたのだ。それが、精神病院なしで成り立つイタリア社会の「革命」を作り上げる原動力になった。しかも、彼は革命を志向するのではなく、「社会構造が変わらないのだとしたら、施設で働く一人として、あなた自身が変わるべきです」というのを愚直に積み重ねていったのである。これが、彼自身の「当たり前をひっくり返す」実践であり、「他人を変える前に、自分が変わる」ことによって、結果的に彼と周囲の関係性、彼が関与する社会の関係性の変革も成し遂げる成果を導き出していったのである。

では、そういうことが、日本では出来ているのか。

それを振り返った際に、この雑誌の別の論考が、深く胸に突き刺さる。大阪府立大学の三田優子さんによる「津久井やまゆり園入所者への『意思決定支援』 何のため? 誰のため?」という論考である。

「私は以前、ある精神障害者に『大学では共感・傾聴などという言葉を使って専門職を育て、感情的になってはいけない、支援対象者の感情に巻き込まれるなと教えているのでは? 感情的な専門職は嫌だけど、感情が働かない、鈍感な人に何かをしてもらいたいとは思わない。形式的にうなずいて共感を示すような演技は不要で、ただ私の苦しみに心を動かし、『大変だったね』とひと言でも言ってくれる専門職に会いたい。言葉がなくても、私のために泣いてくれるだけでは救われるということを学生に伝えてほしい』と言われた経験がある。頭を殴られたような衝撃を受け、同時に『私もそんな人に会いたいのだ』と思った。」(p22-23)

「感情的な専門職は嫌だけど、感情が働かない、鈍感な人に何かをしてもらいたいとは思わない」「ただ私の苦しみに心を動かし、『大変だったね』とひと言でも言ってくれる専門職に会いたい」というのは、確かにその通りである。ではなぜ、三田さんはこの言葉を聞いて、「頭を殴られたような衝撃を受け」たのだろうか。

それは、『私もそんな人に会いたいのだ』と三田さんに言わしめるほど、「そんな人」が少ないからでは、ないだろうか。「共感・傾聴」は出来て、「感情的になっては」いない専門職は少なくないのだろう。だが、「形式的にうなずいて共感を示すような演技」で終わっている人が少なくないのではないか。そして、それを発言した精神障害者が見抜いて、三田さんに伝えたからこそ、彼女は「頭を殴られたような衝撃を受け」たのではないだろうか。

つまり、三田さんに語りかけた精神障害者が求めているのも、バザーリアが求める「私たちを取り巻く関係性を根本から変えること」そのもの、ではないだろうか。では、「感情を働かせる」「私の苦しみに心を動かす」、そんな専門職とはどのような存在だろうか。

三田さんは、重症心身障害者の地域生活支援の拠点「青葉園」の創設者でもある清水明彦さんにインタビューしたゼミ生の卒論を用いながら、こんな風に整理している。

「支援者の心の中を特に見る重度障害者と『一緒にいる』というのは、物理的に同じ空間にいるだけでなく、相手を主体として認めながら、心の対話を重ねてきたということだ。また、一方的に障害者側だけの意思を確認するのではなく、支援者・障害者お互いの意思確認と交流、感情の蓄積があったと語っている。障害の軽いという呼ばれ方をされる人たちもこのような体験をしているだろうか。私自身も、こんな風に認めてもらえたらどんなに嬉しいだろう、としみじみ思う。」(p25)

「感情を働かせる」「私の苦しみに心を動かす」支援者とは、「一方的に障害者側だけの意思を確認するのではなく、支援者・障害者お互いの意思確認と交流、感情の蓄積」を行う支援者だと三田さんは言う。「支援対象者の感情に巻き込まれ」ないように必死になる状態から、「あなたの仕事や実践を変えてゆき、患者の自覚を促し、あなたの批判的な手立てを発展させながら、あなた自身が変わってゆくのです」というプロセスに漕ぎ出すことができるか、が問われている。

支援対象者を変える前に、支援者自身の「仕事や実践を変えてゆ」くことによって、支援対象者「と別の関係性を築くことによって」、支援対象者の「暮らしに意味を与えること」が、支援者にも可能になる。そして、それが現に出来ていないからこそ、「頭を殴られたような衝撃を受け、同時に『私もそんな人に会いたいのだ』と思」わせるような実態が発生している。

そんなグサリと刺さる二つの論考だった。

そして、だからこそ、僕は自分が変わり、自分と周囲との関係性の変容を模索するために、未来語りのダイアローグのファシリテーターとして、授業や研修などでも、自分を取り巻く関係性のあり方を変えようとしているのだ、と改めて再確認していた。

過剰で下手くそやけど、読ませる人生

渡邊洋次郎さんの『下手くそやけど なんとか生きてるねん。』(現代書館)を読む。そもそも帯に書いてある「精神科病院入退院、48回。刑務所、3年服役。「施設太郎」だった私の、生き直しの道。」というフレーズからして、過剰である。そんな過剰な人生が書かれているのを読むのは、正直疲れそうで、手に取るのをためらった。でも、僕の本でも「産婆さん」をしてくださった名編集者、小林律子さんが退職を挟んでも編集に関わり続けられたと聞き、読んでみようと思う。彼女は、物怖じせず、ピシッと筋目を通す。そういう律子さんとの対話がなされての書籍化なら、きっと読めそうだ、と。

予感はあたった。

確かに渡邊さんの人生は、比類無きほどの「過剰さ」で満ちあふれている。でも、そのことを描く筆致は、決して過剰でも「盛っても」いない。淡々と、ご自身の人生であった経験を記述する。悔しかったり寂しかったり苦しかったり見捨てられ恐怖を抱いた記述は、情感もこもって書かれているが、ここでも感情が先走らない。そう、一般に僕が「手記」を苦手に感じるのは、著者がその壮絶な・過剰な人生を、情感を込めて描くとき、表現上の語気が強くなり、話が盛られ、フルスロットで、「これでもか」「どやさ!」と不幸自慢大会っぽくなるから、である。そういうのを読んでいると、苦しくなって、そっとページを閉じてしまうのだ。

でも、渡邊さんのこの本は、気がつけば移動中の車内で一気読みできた。「抑制された過剰」というか、淡々とシンナー中毒とか病院や刑務所の入院・入所経験を語るからこそ、渡邊さんご自身の生きづらさが、かえって浮き彫りになってくる。過剰なエネルギーの持ち主で、それを痛めつける自傷行為も繰り返すのだけれど、そういう生きるのが下手くそな部分を、どうやってそのものとして認められるようになったのか、を書いてくれているから、筋も通っている。ある種、尊厳を取り戻すための執筆、というか。

いや、たぶんまだ渡邊さんの中にも、過剰で下手くそでドロドロしたものがあるのだと思う。でも、以前の彼は「ええかっこ」して、それを過剰に表現したり(=人前でたばこの焼きをいれたり、倒れるほどアルコールをラッパ飲みをしたり)、悪循環に輪をかけていた。でも、今回の本では、「ええかっこ」を引き算して、下手くそで、要領も悪くて、過剰な関係を求めようとする彼の姿を、等身大で描こうと努力している。これが、すごく良かった。

「わかってきたことは、守って欲しい境界線は自分にもあるんだということでした。そこに踏み込んで入ってこられると気持ちが不安定になったりぶれてしまうから、私が私を生きるために踏み込まれたくない、自分を保つための境界線があることがわかってきました。そのときはじめて、境界線を守ったり、そのための距離感を保つことは、自分が自分を生きるために必要なこと。それは裏切りや見捨てるということではなく、自分が自分を守ってあげることなんだと思いました。」(p139)

渡邊さんは、刑務所に入るまでずっと「裏切り」や「見捨てる・見捨てられる」ということに、過剰にこだわってきた。その枠組みから外れることは出来なかった。だが、「守って欲しい境界線」が、他者にあるだけでなく、自分自身にもある、ということを理解することで、「自分が自分を守ってあげること」の重要性もわかってきた。それは、薬物や他人に依存するのではなく、「自分が自分を生きるために必要なこと」だとも気づき始めた。これまでの過剰で下手くそで、悪循環を加速させていく人生は、「私が私を生きるために踏み込まれたくない、自分を保つための境界線があること」をそのものとして受け入れられないからそうなるのだ、という「わかっていないことが、わかった」のである。

自分が何を「わかっていないのか」に気づくことが出来るかどうか。これは、沢山知識を持っていることよりも、大切な事だと僕は感じている。特に「守って欲しい境界線は自分にもあるんだ」とういことが「わかっていなかった」と「わかる」ことは、すごく大切だと思う。渡邊さんのように薬物依存にならなくても、他者評価に依存的になり、同調圧力に過剰に適合的になり、「空気を読む」ことを優先して自分を押し殺している人は、この社会には沢山いる。それは、法律を犯していない、という意味では、「社会適応」しているのかもしれないが、その内面の虚ろさでいえば、シンナーを求めて万引きする渡邊さんの虚ろさと、何ら変わらないように思う。そして、そういう虚ろさを抱えた普通の人が、「守って欲しい境界線は自分にもあるんだ」と気づけることで、自分自身の悪循環を転換させることができる。だけでなく、他者に支配されず、自分自身を大切にして生きる、転換点にもなるようにも思う。

そう思うと、この本は単に「自分とは全く違う過剰な人生をのぞき見する本」ではなく、「守って欲しい境界線」を取り戻したサバイバーの記録であり、決して他人事ではない、独特の迫力が、謙虚で淡々と書かれた文体から染み出てくる本なのだ、と感じた。

16歳に伝えたかったこと

今日は兵庫県立大学の附属高校での授業。高校一年生66人が受講してくれた。前半は、附属高校出身のゼミ生が、高校と大学の違いや、大学生として学んでいる内容を、自分の調べている「教育の不利」について語りかけながら、講義してくれた。で、僕は残りの40分で、「勉強すること」と「学ぶこと」の違いを伝えようとした。

あなたは、この二つはどう違うと思いますか? そして、ご自身は今、どっちをしていますか?

僕自身は、強いて勉める=努める勉強をshould, mustと捉え、それを「型稽古」だと整理した。一方、学びは、would like toに基づき、わくわくする、オモロイものだ、と整理した。そして、高校までは勉強かもしれないけど、大学ではオモロイ学びが待っているよ、とメッセージを送ったつもりだ。それは一体、どういうことか。

英語の文法であれ、数学の公式であれ、その型を身につけなければならい型稽古は、確かにつまらない。その型を理解しなければならないし、暗記して身体化させる必要もある。道理が身体化出来ないと、まず訳がわからないし、理解できても、それを使いこなせるか、は別である。合気道でも、初級くらいまでは、この型稽古に四苦八苦する。でも、ある程度型を覚えた段階で、今度はそれを理解できて使える、だけでなく、その型を離れる必要がある。英語なら、文法を理解した上で、例えばカリフォルニアの弁護士と権利擁護について議論し(ヒアリングとスピーキング)、その準備の為に英語で資料を読みこなす(リーディング)ことも、アポを取るためにメールを書くこと(ライティング)も求められる。これは、お勉強モードを超えて、学びに入る。で、必死に読んで聞いてしゃべって書いて、としているうちに、意思疎通が出来るようになり、議論が深まり、認識や世界観が拡がったり深まったりする。

これは以前、「稽古と守破離」で書いたプロセスそのものである。

実はそれに関連して、勉強と学びについて意見を出してくれた男子高校生が、こんなことを言っていた。「勉強は答えが決まっていることを学ぶことで、学ぶことは自分で考えること」。「僕は漢文とか何で勉強しなければならないのかわからないのをするのは嫌だ」。この二つの意見に、「わかる、わかる」と思いつつ、後者に関しては、実は異論も持っている。

勉強はセンター試験に代表されるように、ロジカルに答えを導き出す訓練である。これは、「守」という型稽古をみっちり身につけて、ある種、「黒帯」を取るために、必要なプロセスである。そして、それが面白くない、というのも、よくわかる。ただ、だからといって「漢文は俺に関係ない」と言い切ってしまって良いのか? それは、疑問である。そもそも、「関係あるなし、ってどう決めるの?」

「中国の2000年前の四書五経を読むことに、何の意味があるのか?僕は理系なのに。。。」

僕も、彼ら彼女らの年頃では、そういう「何の意味があるの」「俺には関係ない」と、色々切ってきた。でも、そうやって学ぶ範囲に「意味がある・ない」と決めつけたのは、実に阿呆やった、と今なら、後悔しきり、である。物理学を面倒くさがらずに面白がれば、カオス理論をもっと理解しやすかったかもしれない。統計から逃げなければ、午前中のブルデューの読書会で議論になったコレスポンデンス分析を、僕も易々と使いこなせたかもしれない。世界史をサボらなかったら、中東の部族間の争いや香港での学生によるプロテストを、時代を遡って、フーコーの系譜学的に捉えることも出来たかもしれない。でも、僕は高校から大学にかけて、「自分には関係ない」と、今から考えたら「関係がめっちゃある」ものを切り捨てて、視野が狭い人間になっていたのだ。本当に、それは人生で損したと思う。

同じように、理系だからと漢文を毛嫌いする。でも、漢文の構造ってすごくロジカルだし、漢文で伝えられる論理は、2000年以上経っても古びないエッセンスがある。未だに論語や老子は読み継がれているし、明治期までの理系の人びとも、当たり前のように漢文の素読をして、身体の中にしみこませていた。ということは、漢文が無駄だ、と切り捨てることで、論理力や視野の広さを切り捨てることにもなるのだ。

ついでに「意味がある・意味が無い」とは、受験に関係ない、とか、それを学んでもお金にならない、という形で、新自由主義的選択をしているようにも、思う。それは、高校や大学くらいまでの僕自身が、そういう「経済合理性」で判断する、つまらない青年だったからだ。でも、大学から少しずつ思想系の本も読み進めて四半世紀後、新自由主義がいかに人を経済合理性以外の判断基準で考えないようにフレーミングしているか、をウェンディ・ブラウンの書籍から教わるにつけて、己がいかに視野狭窄だったか、を思い知るのである。そして、今の16歳の若者達に、そんな風にはなってほしくないと思う。

長々と書いたが、should, mustの勉強は、いやいややるものであればなおのこと、なるべく負荷を減らしたい。それは、一方で、わかる。でも、強いられて無理してするのではなく、物理であれ漢文であれ英語であれ、その内在的論理をつかみ、そのロジックを理解し、それが表現する世界の面白さを体得する「学び」に漕ぎ出すことが出来たら、無味乾燥な暗記科目では無くなる。そして、30年近く年の離れたおじさんは、今の年になって、オモロイ学びにハマっているし、もっと考えたい、読みたい、理解したいものが一杯あるし、そのためには学んでも学んでも時間が足りない。問いが沢山出てくる。

そういうオモロサを、高校時代から、少しずつ見つけて探してほしいと思うのだ。それが、親や先生に強いられて、いやいやするモードの勉強からの脱出であり、そういう勉強に支配されていることに自覚することで、その強いられた何かからの自由を獲得する第一歩が始まると思うのだ。それが、高校1、2年生の間に出来たら、あなたがどんな大学の何学部に行こうとも、絶対オモロイ学びが実現出来るはずである。

・・・ということを伝えたかったのだけれど、たぶん書いたことの3分の1も伝えられなかったと思うので、ここに記載しておく。聞いてくれた66名の学生さん達には、「今日の話は三割くらい理解できたら、それで良い」とも伝えておいた。おじさんだって、ここに書いてあることを理解するために、その後30年近く試行錯誤した。あなた達も、そういう試行錯誤の旅に出て欲しい。そう願っている。