『当たり前をひっくり返す』序章公開

今日、三冊目となる単著が発売された。『「当たり前」をひっくり返す――バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』である。

『枠組み外しの旅』を2012年、『権利擁護が支援を変える』を2013年に上梓してから、共著や編著は3冊ほど出したが、単著は5年間なかった。次の単著は最初から書き下ろしか単著を目指して書き続けよう、と決めていたので、時間がかかった。でも、その分、オモロイ物語になったのではないか、と自分では感じている。

出来れば多くの方に手にとって頂きたいので、挿画を山福朱美さん、帯文を斎藤環さんにお願いした。どちらも本当に素敵な作品を添えてくださった。ただ、中身を見てからじゃないと購入をためらう人(僕のように)もおられると思うので、今回も序章を「立ち読み」出来るようにしました(出版社了承済み)。立ち読みしてよいと思えば、ご購入くださいませ。

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三人の主人公

支配的な価値観をひっくり返し、支配-抑圧的な関係性もひっくり返す。半世紀近く前に、これを実際に行った三人を巡る物語を書いてみたい。

ブラジルで、大地主に搾取されていた小作人たちに識字教育をするなかで、『被抑圧者の教育学』を書き上げ、抑圧された側の主体性を取り戻す問題解決型教育の理念を世界中に拡げたパウロ・フレイレ。スウェーデンの知的障害者の入所施設の構造的問題と取り組むなかで、アメリカの「大統領委員会」に招かれ、「ノーマライゼーションの原理」を書き上げ、施設の論理を破壊したベンクト・ニィリエ。精神病院の隔離収容構造そのものを問題視し、「自由こそ治療だ」というスローガンのもとで、イタリア中の精神病院廃絶の法制定の原動力になったフランコ・バザーリア。

一九二一年にブラジルで生まれたフレイレ、一九二四年にスウェーデンで生まれたニィリエ、そして同じく一九二四年にイタリアで生まれたバザーリア。同世代に生まれた三人だが、直接の出会いや交流はないし、思想的に影響を与え合った形跡も見られない。ゆえに、これまでこの三人がセットで語られることはなかった。だが、単に同時代に生まれた人、というだけでなく、実践内容やそれが及ぼした社会への影響力、形成されていく思想や哲学、および生き様をつぶさに眺めていくと、少なからぬ類似性や関連性が見いだされる。

フレイレの『被抑圧者の教育学』が出版されたのが一九六八年。ニィリエの「ノーマライゼーションの原理」が最初に発表されたのが一九六九年。バザーリアはちょうどその頃、ゴリツィアの精神病院で病院の開放化を進め、精神医療改革だけでなく、イタリア学生運動でのリーダー的な存在であった。この一九六〇年代終わりといえば、世界各地でこれまでの支配体制への異議申し立てが行われ、学生を中心とした社会運動が大きなうねりとなった時期である。この時期に四十代後半を迎えた三人は、当時の知識人ではあったが、アンシャンレジーム(旧体制)の守護神として攻撃される側ではなく、抑圧的な教育や、入所施設・精神病院での管理支配といった、当時の社会で「当たり前」とされてきたことに公然と異議を唱え、それ以外の方法論を提示した、ある種の闘志であり社会改革のリーダー的存在であった。であるがゆえに、フレイレは一九六四年に軍事政権に「国際的破壊分子」として捉えられ、以後十数年間は亡命生活を余儀なくされ、ニィリエは一九七〇年に自らが所属していたFUB(知的障害者の親の会)から半ば追放される。バザーリアはゴリツィアの精神病院を一六九八年に去らざるを得なくなる。つまり、三人は当時の既得権益層にとっては、あまりに危険分子であり、放っておけない・追放すべき対象者でもあったのだ。

本書では、三人が何をどのように「ひっくり返した」のか、それはなぜ実現できたのか、を追いかけながら、半世紀後の私たちが彼らの思考と実践のプロセスから学べる現代的課題とは何か、を掘り下げて考えてみたい。

本書の構成

この本は大きく分けて、四つのパートから構成される。第一章から第三章まではバザーリアの精神医療改革を、第四章から第六章まではニィリエのノーマライゼーションの原理生成史を、第七章から第九章まではフレイレ思想の核である対話や意識化を、それぞれ掘り下げていく。第一〇章および終章は、これまでの議論をまとめ上げていく内容になっている。

三人は世界的な著名人であり、『希望の教育学』(フレイレ)、『再考・ノーマライゼーションの原理』(ニィリエ)、『精神病院のない社会をめざして』(バザーリア)、といった自伝的著作も日本語訳されている。また三人の理論や実践については、里見実氏の『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』(太郎次郎社エディタス)、河東田博氏の『ノーマライゼーション原理とは何か』(現代書館)、大熊一夫氏の『精神病院を捨てたイタリア捨てない日本』(岩波書店)など、日本に紹介した第一人者による解説書も出ている。関連書・論文も沢山刊行されている。では、この本でしようとしているのは、「屋上屋を架す」ような愚行なのだろうか。

そうではない。この本では、ポリフォニー(多声的)であることを目指した。第八章で詳述するオープンダイアローグの考え方の中核に、このポリフォニーというものがある。

ポリフォニー的現実においては、語られている事柄は、新たな会話において新たな意味を得る。語り合っている事柄についての新たな言葉が生まれるのである。語り合っている人たちは、自らの社会的意味や社会的アイデンティティをつくりだしているのである。それらは、文脈が違えば異なったものになるのだ。(セイックラ&アーンキル、二〇一六:一〇九頁)

本書の元になる連載を雑誌「福祉労働」で三年にわたって書き続けるなかで、「新たな会話において新たな意味を得る」場面に何度も遭遇した。三人とも既に故人であり、僕自身は二〇〇四年にニィリエ氏に一度会っただけ、である。ということは、「会話」といっても生身の個人とのリアルな会話ではなく、三人が語った書籍との「会話」である。だが、三人のテキストを何度もなんども読み直すなかで、僕自身の「内なる声」とも繰り返し対話を続けてきた。三人のテキストとの「水平の対話」を重ねる中で、僕自身の中での「垂直の対話」も深まっていった。すでに先達によって何度も論じられてきたテーマに関しても、これまで重ねて論じられることのなかった三人の思想を交錯させることにより、「語り合っている事柄についての新たな言葉が生まれ」てきたのだ、と僕自身は感じている。

そして願わくば、読者のあなたの手元の中で、この本を通じて「新たな意味」が生まれて来るなら、著者としてこれほど嬉しいことはない。三人のことを全く知らない人にとっても、あるいはよく知っている人にとっても、「語り合っている事柄についての新たな言葉が生まれる」ことを願って、本書への誘いとさせていただく。そんな「ポリフォニー的現実」に、ようこそ!

子どもでなく、教師が変われるか?

すごく面白く、現代の学校の抱える病の深さに気持ちが暗くなり、だが、二人の対話者の話に心から納得して希望も抱く、そんな本を読んだ。

「木村:合理的配慮といいながら、多様な特性を持った子をどんどん特別支援学級へと移し、排除しています。画一的な子どもだけを授業の場に残して、どうやって『主体的・対話的で深い学び』を実現して、社会力を付けるというのでしょう。」
「多様な子どもがいるのに、先生が教える行為を継続していると、困る子がいっぱい出てきます。だから、教える授業を変えない階切り、インクルーシブ教育なんてあり得ません」
(木村泰子・菊池省三『タテマエ抜きの教育論』小学館p84-85)

映画『みんなの学校』でも有名な大空小学校元校長の木村泰子先生の対談集を何気なく読み始めて、びっくりした。対談相手の菊池先生は僕は初めて知ったのだが、彼も北九州の「しんどい学校」で子ども中心の教育実践をやっていた元教師で、両者とも教育現場での教師向け講演を多数こなしている、という。タイトル通りで、タテマエ抜きに教育現場の問題点を語る二人の議論に引き込まれつつ、教育現場の根深さを思い知る一冊。

今、引用したように、特別支援学級への「社会的排除」は、かなり進んでいる。しかも、それは発達障害の急増、というより、教員との関係性の中で、社会的に構築されたものだ、と木村先生は断言する。全国学力テストなどの標準化テストで高得点をとらせるために、「画一的な子どもだけを授業の場に残し」、それ以外の「先生が教える行為を継続して」いたら「困る子」=「多様な特性を持った子をどんどん特別支援学級へと移し、排除して」いるのだ。それに「合理的配慮」なんてラベルを貼ると、開いた口がふさがらない。

ただ、この特別支援学校への排除は、それが当たり前だと思っている世代には、なかなかその前提を疑いにくい。かく言う僕自身も、大空小学校の映画の元映像となった関西テレビのドキュメンタリーを見るまで、心のどこかで、重い障害のある子は支援学級の方が良いのではないか、と思う部分があった。この映画を見たり、学生と議論するなかで、僕自身が気付かされたのは、そういう内なる能力主義を簡単に捨て去ることは容易ではない、ということである。そこに「合理的配慮」のような美しい言葉を着せられると、ころっと騙される。そのことを、菊池先生は次の様に整理する。

「自分が受けてきた教育がある。そして、教師として働く地域や学校に伝統的に伝わっている教育がある。教師は、毎年どんな子どもが学級に入ってこようとも、その二つの教育を一般化してしまいがちなのだと思います。『このやり方が正しいんだ。だって、自分もそういう教育を受けてきたし、先輩もそうやっているじゃないか』という考え方が染みついてしまっていて、なかなか授業を変えることができません。」(同上、p85)

この偏見や先入観は非常に強固であり、僕自身も長年縛られてきたし、学生達もインクルーシブ教育のビデオを見せても、この部分に抵抗を感じる人が多い。でも、長年の実践に基づく木村先生のこの発言には、全く反論はできない。

「先生自身が変わらないで、子ども達ばかりを変えようとしていることが大きな問題です。先生に反抗する子がいる学級で、先生の力のほうが強ければその子は不登校になり、子どもの力の方が強ければ学級崩壊になります。そもそも『この子が私に反抗しているのはなぜだろう?』といいうことを教えてくれるのは、その子しかいません。ですから、先生がその子から学ぶしかない。どんなに悪ぶっている子でも、先生が自分に学ぼうとしている姿や空気というものは伝わりますから、絶対につながることができるはずです。」(同上、p95)

不登校と学級崩壊は、コインの裏表。言われてみればその通りだが、しんどい子を見続けてきた木村先生の発言なので、説得力が半端ない。先ほどの「多様な個性を持った子」とつなげげるなら、「先生に反抗する子」とは、画一的で一方通行の教え方に対して「反抗する子」でもある。その際に、先生が変わろうとせず、その子を「困った子」とみなし、その子を変えようとパワーゲームを展開すると、そのパワーのぶつかり合いで、不登校や学級崩壊という結果が生じる。だが、どちらにせよ、無駄に力をぶつけ合うので、消耗感は半端ない。その無駄な消耗戦をどうやったら、抜け出せるのか。

木村先生はそこで、「『この子が私に反抗しているのはなぜだろう?』といいうことを教えてくれるのは、その子しかいません。ですから、先生がその子から学ぶしかない」という回路を開く。「反抗」を自己表現と捉えるなら、そのような必死の「反抗」を、他ならぬ教師の自分にしてくるのはなぜか、を本人から「学ぶしかない」のだ。そして、その「学ぶ」姿勢をもって子どもと向き合う教師には、「どんなに悪ぶっている子でも、先生が自分に学ぼうとしている姿や空気というものは伝わりますから、絶対につながることができるはず」という。

これは、「問題行動」への対処として、極めて真っ当な姿勢だと思う。「関係性のなかでの心配ごと(relational worries)」の考え方からみると、「反抗」というのは、教師と生徒の関係性のなかで生じている。ということは、反抗の原因の一つには、教師の側の関わり方、アプローチの仕方も含まれているのだ。つまり、教師は問題の一部分なのである。そう思ったら、相手を変えるより、自分自身のコミュニケーションパタンを変えるために、相手から学んだ方が、消耗戦のパワーゲームをしているより、遙かに有意義である。だが、先の菊池先生の言葉を借りるなら、『このやり方が正しいんだ。だって、自分もそういう教育を受けてきたし、先輩もそうやっているじゃないか』という心地良い先入観に囚われると、自分の変容可能性より、生徒が悪い、という決めつけに支配され、それを自己正当化するマジックワードとして、発達障害などの言葉を安易に誤用しているのではないか、という疑念すら、浮かぶ。

「大空小は創立12年目になりました。今の大空には、地域住民がつくっている地域の学校の根が張っています。この根はどんなものかというと、『大空で今誰がいちばん困っている? その子をみんなで見よう!』という根です。そもそも困っていない子は大人を信頼できているわけで、いちばん困っている子が大人を信頼するようになることが大事なわけです。その子が変われば、『あいつが変わるってすごい!』と、周りだって可能性を感じます。だから、他のことは何もしなくても構いませんから、一人の子どもを全教職員が多方面から見ていくことが必要です。この根っこさえしっかり張っていれば、少々の風が吹いても倒れることはありません。」(同上、p115-116)

「いちばん困っている子」を、不登校や特別支援学級という形で社会的に排除することが出来れば、先生は楽になる。でも、本人の困り感は、何も解決されない。そして、学校は本来、すべての子どもがが発達し成長するのを後押しする場である。ならば、『大空で今誰がいちばん困っている? その子をみんなで見よう!』という当然の帰結が導き出される。しかも、「いちばん困っている子」は「大人を信頼」できていない、というしんどさを抱えている。だからこそ、大空小学校では、担任や他の先生、用務員や校長、地域のサポーターの人など、多くの人が「かまう」。その中で、「いちばん困っている子」を大人が信頼し、「全教職員が多方面から見ていく」チーム支援を行う。だからこそ、子どもにも変容可能性が生まれてくる。

このプロセスを書き写しながら、精神病院を潰したイタリアの精神科医、フランコ・バザーリアの戦略と近いとも思った。彼は、精神病院の閉鎖病棟で、最も対処が困難と言われた患者を、一番最初に地域に退院させた。それは、「その子が変われば、『あいつが変わるってすごい!』と、周りだって可能性を感じます」という木村先生の戦略と全く同じである。学校や精神病院という、社会の他の風が入り込みにくい、閉鎖された空間。教員と生徒、医療者と患者は上下関係に陥りやすく、支配関係を生み出しやすい。また、教師や医師が言うことの方が、生徒や患者の言うことより、社会的に信用されやすい。だからこそ、「いちばん困っている子」を不登校や特別支援学校、閉鎖病棟に排除せずに、その子とがっぷり向き合い、信頼関係を醸成するなかで、その子の「困り感」をなくし、変容するのを支援する。これぞプロの仕事だと思った。

最後に繰り返すが、「先生がその子から学ぶしかない」のである。これは、「大学教員が学生から学ぶしかない」と言い換えても全く同じであり、精神医療においては「医療職は患者から学ぶしかない」のである。この部分を無視して、権威主義的に生徒や学生、患者に接することで、教育や医療の根が腐っていく。そんなことも感じた一冊だった。

因果から縁起へ

「魂の脱植民地化」研究をご一緒している深尾葉子先生から、博論を元にしたご著書『黄砂の越境マネジメント』(大阪大学出版会)を御恵贈頂いた。この本の概要は出版社HPに次の様に書かれている。

「黄砂は砂漠から飛んでくるという思い込み、植林への思い込みの枠組みをはずす。人の動きと自然現象は予測不可能だが無秩序ではない。人の営みが作り出す景観と、その空間構造にある生活世界の理解なくしては成し得ない「境界を越える」黄土高原の緑化マネジメントを提唱する。」

正直、これだけを見ると、「なんのこっちゃ?」と思う人も少なくないだろう。環境問題はあまり興味関心がないから・・・とスルーする人もいるかもしれない。そういう僕自身も、かつてはスルー派だった。だが、8年前に深尾先生の講演を聴いて以来、そうやって「自分には関係がない」と切り分ける思考そのものが、「魂の脱植民地化」につながっている、と気付かされはじめ、そこから僕の学びも深まっていった。

深尾先生からこの8年間学ばせて頂いている事は数限りないが、決定的に大切なことの一つが、本書にも書かれている。

「問題を『制御可能』と見なして枠組みを固定してしまうと、あらかじめ予定されていたストーリーに執着し、そのために現実に起きていることから目を背けてしまう」(p247)
「現実には非線形で複雑なシステムに対して、『調査・計画・実行・評価』という線形的アプローチを適用することは、原理的に不可能であるといってもよく、多くの問題を惹起する」(p248)

これは砂漠化対策としての植林が、その現地の元々の植生を無視した、その土地に根ざしていない外来種の植林であり、「毎年何万本植えよう」という「計画制御」モデルであったため、見事に破綻していく様子を考察したものである。そして、そういう現場で現地のコーディネーターが、「上」が決めた目標と、現場でのズレを解消するために「『つじつま合わせ』のストーリー」(p254)を描いているという。

これは、中国の砂漠化対策の植林に限定されたことだろうか?

PDCAサイクルがもたらす弊害は、日本の教育や福祉現場でも沢山見られるし、少なからぬ方がその被害をご自身の職場でも体感しておられるのではないだろうか? 大学では毎年の授業アンケートという「評価」に基づいて、次年度どう授業を変えるかが「調査」され、それに基づきシラバスという「計画」を作成し、授業を「実行」する。これは少なからぬ大学で行われているが、それで現実に授業がめきめき改善したか、というと、少なからぬ場合、ペーパーワークという「つじつま合わせ」で終わっている。これは行政の福祉施策でも、コンサルに丸投げされた基礎「調査」がなされ、福祉「計画」が作られて、計画に基づいて具体的な施策が「実行」されるが、その施策が実践されるなかで表面化されたマイナスの「評価」に関して、次の「計画」の中に取り入れられ、改善されることは、あまりないのが現実である。

どちらの例からも言えること、それは「『制御可能』と見なして枠組みを固定」することで、計画も実践も「あらかじめ予定されていたストーリーに執着し、そのために現実に起きていることから目を背けてしまう」可能性がある、ということである。だから、「お上」がいくらPDCAをしつこく言っても、現場はそれでうまく回るはずはないし、「お上」が求めるから、と「つじつま合わせ」だけが蔓延し、「やっているふりをするだけ」の余計な仕事がどんどん増えていくのである。これは、まさに悪循環そのものである。

では、どうすればよいのか。深尾先生は、複雑な現象を制御可能であるかのように見なして振る舞う「切り取られた合理性」や「単純化された因果関係」(p272)、つまりはPDCAサイクルそのものから自由になることを提唱する。では、それに変わる代替案はないのだろうか? それを黄土高原の村における相互作用の観察に基づいて、こんな風に描き出す。

「村において観察可能であったのは、村人同士が各々個別に展開する労働交換や情報の交換によって形成される『関係』のネットワークのみで、それは常に変化し、形を変えて存在し続ける。そこから抽出できるのは、構造そのものではなく、構造化のダイナミクスであり、動的なモデルであった。」(p291)
「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象を理解するには、あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法は、大きな齟齬をもたらす」(p294)

PDCAサイクルに代表される計画制御は、「構造」で理解しようという試みだが、それは「あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法」であるがゆえに、大学の授業であれ、あるまちの福祉政策であれ、「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象を理解するには」「大きな齟齬をもたらす」という。

だからこそ、PDCAサイクルのような「構造」を手放し、どのような「『関係』のネットワーク」が存在するのか、それがいかように「変化し、形を変えて存在し続け」いるのか、という「構造そのものではなく、構造化のダイナミクスであり、動的なモデル」を理解することが大切だ、と指摘する。

大学の授業も、僕と毎年異なる学生(対象者)、そして教室環境や他の授業との関係性、といった「複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象」である。それをPDCAシートで埋めても、改善できない。それよりは、今年の学生さんとの一期一会のなかで、授業において学生達とどのような「『関係』のネットワーク」を創り上げていくのか、が問われている。そして、そのような関係性構築という「構造化のダイナミクスであり、動的なモデル」を自覚化することで、翌年の授業を「構造化」する上での課題が浮かび上がる。学生が学べていないと感じたら、教員の側が授業の内容ややり方を「変化」させ、「形を変えて」学生と関係を取り結び直す試行錯誤が求められる。これは、因果モデルでは描ききれない「複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象」そのものである。そして、そういう動的なモデルを動かしていくうちに、何らかの「構造化」が生まれてくるのだ。

最終章で深尾先生はそのことを次のように総括している。

「『フレーミング』を取り外すということは、非線形的な語りの中では、常に線形的因果関係の背後に広がる非線形的な『縁起』に思いをはせるということであり、それこそが本書で『アウトフレーミング』と称する動作である。既存の『フレーム』を相対化し、『フレーム』の外部にあって、実は重要な役割を担いうるものを認識の中に取り込むこと、既知の世界で合理的であると考えられる事柄を常に相対視し、不合理であるとされていることを自己の行動や視野の中に取り込んでゆくこと、それが『アウトフレーム(フレームを凌駕)』することである。すなわちアウトフレームというのは、フレームを超えようとするプロセスそのものを指している。」(p310)

この指摘は書き写しながら根源的に重要である、と改めて感じた。

授業で言うならば、教員の僕が知っている範囲の事を、僕が教案通りに一方的に講義する、というのは、「線形的因果関係」で閉ざすことである。それをやっていて、前任校では全然興味を持って聞いてもらえなかったところから、僕の授業改革は始まった。その中で、学生たちの発言や興味関心という「『フレーム』の外部にあって、実は重要な役割を担いうるものを認識の中に取り込むこと」が、僕の授業を変えてくれる大きなきっかけになった。「教員が教えなければいけない」という「既知の世界で合理的であると考えられる事柄を常に相対視」して、学生達の学び合いの場を授業中で展開していくことで、寝る学生はいなくなり、学生の参加度も満足度も高まっていった。これは、「学生が興味を持たない」という「不合理であるとされていることを自己の行動や視野の中に取り込んでゆくこと」そのものであり、結果的に僕のしてきた事は『アウトフレーム(フレームを凌駕)』だったのだ。そして、PDCAサイクルなんかより、死活的に重要なのは、この「フレームを超えようとするプロセス」であり「構造化のダイナミクス」を動かし続けることである。そして、そうやって僕が自分の教育スタイルの因果モデルを超えて、「非線形的な『縁起』に思いをはせる」ことによって、僕は沢山のことを学び続けているのである。

このプロセスは、授業だけの話ではない。たとえば、福祉現場で「支援困難事例」や「多問題家族」と呼ばれる事象に支援者が関わるとき、それは支援者がその対象者(家族)を「困難」と感じている時点で、「既知の世界で合理的であると考えられる事柄」の限界・臨界点にさしかかっているのである。わけのわからない発言、理解できない言動、周囲を巻き込んで迷惑をかける事象・・・などの「非線形的な語りの中では、常に線形的因果関係の背後に広がる非線形的な『縁起』に思いをはせるということ」が死活的に大切なのだ。そして、従来の支援の「『フレーム』の外部にあって、実は重要な役割を担いうるものを認識の中に取り込むこと」、つまりは「アウトフレーム」のダイナミズムのなかで、新たな「縁起」が生まれ、悪循環の固着状態から解放され、支援が回り始めたり、するのである。

あと、長くなったので手短に言うと、オープンダイアローグも、このアウトフレーミングのプロセスそのものである。線形的な因果論では解決出来ない「狂気」の出現に対して、因果論的に薬を処方して閉じ込める、のではなく、「狂気」の形でしか自己表現出来ないものは何かを支援者と当事者と本人が信頼を寄せる社会ネットワークの人々が一緒に考える事によって、「『フレーム』の外部にあって、実は重要な役割を担いうるものを認識の中に取り込む」プロセスそのものでもある、ともいえる。

そう考えるならば、私たちの「思い込み」や「つじつま合わせ」から自由になることが、より創造的で本質的な仕事につながることも見えてくるし、この深尾先生の指摘は、様々な人が関わる現象(支援関係や授業、環境問題や政治・・・)にも当てはめて考えることが出来る、極めて普遍性の高いモデルである、ともいえるのでは、ないだろうか。

この本は、折に触れて読み返そうと思う。

追伸:本の中身自体の紹介は密林レビューに書いてみました。

「○○しちゃダメ」と違うやり方とは?

わが家のおちびは絶賛イヤイヤ期に突入。食事中に、お茶の入ったミニボトルやスプーン、お皿などを投げまくる。「投げたらダメ」と言っても、全然聞いてくれない。そのくせ、「ぶどう食べる人?」と訊ねると、元気に「はい」と答えたりする。お茶ボトルがゴツンと当たると、正直痛くて、「痛いなぁ」と思わず大きな声を出すときもあるし、睨んでしまうときもある。でも、本人はきょとんとしている。まだ、「悪いことをした」という自覚や判断力も身についていないようだ。さて、困った。

そう思った時、岡山の「「無理しない」地域づくりの学校」で出会った、香川の子育てサークル「ぬくぬくママSUN’S」代表の中村香菜子さんの顔が浮かんで、彼女にお尋ねしてみた。すると、色々教えて下さったのだが、その中で最も刺さったフレーズが次の部分だった。

「コミュニケーションの基本は、相手を否定せず、認め、提案するです」

本当に、そのとおり。なのに、わが子の「『問題行動』を修正せねば」と躍起になるあまり、この基本を忘れていた。そう、おちびがものを投げ続ける時も、それにはそれなりの理由があるのだ。それを「否定せず、認め」た上で、それ以外のやり方を「提案する」。これは、子どもだけでなく、認知症のBPSDでも障害者のchallenging behaviorでも同じだった。・・・と知識で知っていても、目の前で実際にその行動と出会った時、スプーンや皿が飛び続ける時、なかなか自覚的になれない、ということも、今回よくわかった。文字で知っている事と、実際に出来る事は、違いますね。

そして、中村さんは、「ダメ」ではないコミュニケーションとして、次の様な例も教えてくださった。

「水筒投げたらめちゃ楽しいよなーわはははは!ねー!でもさ、これ、投げたらママの頭がいたたたたーやで。それに、大事な水筒が壊れちゃう。みんなえーんえーんやで。だから、こっちにしまっておくね、」

子どもが言語化出来ていない、水筒を投げて楽しい、とか、欲求不満とか、とにかく水筒を投げるのに意味がある、ということを肯定的にまず受け止める。親がキャッチしたと言葉で伝える。でも、その上で、親にとっての困った現象や、その行為が及ぼす影響も伝えた上で、別の提案をする。いやはや、さすがですね。

このことを教わりながら、二つのことが結びついて来た。

一つは非暴力コミュニケーション(Non Violent Communication)との共通点である。NVC Japanのホームページにはこんな風に説明されている。

「頭(思考)で判断・批判・分析・取引などするかわりに、自分自身と相手の心(ハート)の声に耳を傾けて、今の感情(Feeling)・ニーズ(Needs)を明確にしていくことで、お互いの誤解や偏見からではなく、心からつながりながら共感を伴ってコミュニケーションをすることを主眼にします。
具体的には、「観察(Observation)」「感情(Feeling)」「ニーズ(Need)」「リクエスト(Request)」の4要素に注目しながら、コミュニケーションで起こっている問題・ズレを整理していくという方法をとります。」

「それしちゃダメ」というのは、「頭で判断や批判」をすることである。それは、「自分自身と相手の心(ハート)の声に耳を傾けて」はいない。そして、そのことからズレが生じ、共感ではなく「お互いの誤解や偏見」が広がっていくという。では、どうすればよいか。実は、中村さんの上記のコミュニケーションでは、既にそれが実践されている。

「「水筒投げたらめちゃ楽しいよなーわはははは!ねー!」(観察) 「でもさ、これ、投げたらママの頭がいたたたたーやで。それに、大事な水筒が壊れちゃう。みんなえーんえーんやで。」 (感情+ニーズ:水筒を壊したくない、泣きたくない) 「だから、こっちにしまっておくね」(リクエスト)

ここでの肝は、相手がなぜそうするのか、という相手の内在的論理を探り、それを自分の感情と分けて、まずは観察言語として表現し、相手に伝える、ということである。つまり、真っ先に「ダメ」「やめなさい」といった「判断や批判」をする前に、相手の行動を「否定せず」に受け止めることである。

そんな折、昨日の朝日新聞のフロントランナーで、LITALICOの長谷川さんが取り上げられていた。彼の発言を読んでいて、ここまで考えて来たことと繋がるフレーズを見つけた。

「ワークスを利用する精神疾患の人たちの多くが、幼い頃からの失敗体験の連続でトラウマを抱えて青年期に発症していることを知り、「日本には、ユニークな人を育てる教育環境がなさすぎる」と痛感した。」

「ユニークな子にあった教育環境がなかった結果、二次的に精神疾患になる人が多いというのは、僕の肌感覚による仮説です」

ここでいう「ユニークな子」とは、単に発達障害とか精神障害というカテゴライズに入る子を意味してはいないと読みながら感じた。「○○しちゃダメでしょ」に素直に従う従順な子ども以外は、つまり実は大半の子どもは、本来一人一人がかなりユニークさを持っているのだ。だが、親が「○○しちゃダメ」と言い続けると、そのうちの少なからぬ子は、その親の統制に従う。それが「しつけ」として社会的に合意されている。そして、その「しつけ」に従う事を前提とした学校空間において、「しつけ」に従えない「ユニークな子」は、先生や親から抑圧され、「幼い頃からの失敗体験の連続でトラウマを抱えて青年期に発症」したり「二次的に精神疾患」になる可能性がある。それは、僕のこれまでの「肌感覚」とも繋がる話だ。(それは以前、「規則や権力への『従順』という『病』」として整理したことがある)

で、その元凶に「○○しちゃダメ」があるのではないか、とも感じている。

以前からの研究仲間でもある大阪大学の深尾葉子先生は、それを「ノットコマンド」問題として提唱しておられる。ノットコマンド、とは、例えば「○○しちゃダメ」のような否定形を伴う表現の場合、「しちゃダメ」という「ノット(not)」の部分を発話者は強調したいのに、受け取る方は「○○する」の部分だけを無意識的に受け取り、発話者の意図とは真逆の指示(コマンド)が伝わる、という「真逆の・意図しない(not)指示(command)」を指している。

娘の場合も、「ぶどう」とか「テレビ」とか「ご飯」とか「じぷた」(好きな絵本のタイトル)とか、キーワードに反応している段階である。その段階で「水筒投げてはだめ」と言っても、たぶん「水筒」しか聞こえない。すると、ダメという部分より「水筒を投げる」に耳が集中し、それを反復してよいと誤解するコミュニケーションが成り立ったいるのかも、しれない。

これは、大人だって同じだ。頭ごなしに「○○しちゃダメ」と言われても、「○○する」事が「楽しい」「したくなった」「そうしないとやっていられない」「それ以外の行動が出来ない」から「○○する」のである。その相手の内在的論理を探ることなく、頭ごなしに判断や批判されても、感情的な反発を受けるだけだ。まずは、否定せずに、notコマンドを使わずに、相手の表現を「観察」して、それを表現してほしいのだ。そこから、表現している相手と観察者の、判断や批判ではない、決めつけではない(=非暴力的な)コミュニケーションが始まるのだ。

そして長谷川さんが「幼い頃からの失敗体験の連続でトラウマを抱えて」と言う時、「ユニークな子」ほど、この「○○しちゃダメ」に安易に従わない特性(=ユニークさ)を持っているがゆえに、それを「しつけや教育」において、頭ごなしに批判・判断され続けてきた結果、二次的に精神疾患になる可能性もあるかも、と、我が事として理解することが出来た。

そういえば、僕だって小さい頃は癇癪持ちで、小学校のころは鞄を道路に投げて放置したり、とか、「きかん気」の子どもだった。でも、ありがたいことに、親や周囲の友達が「○○しちゃダメ」となじるタイプではなく、暖かく見守ってくれたから、なんとか自分で「鞄を投げても得なことはない」と納得し、そこから自分で行動を変えていった記憶がある。誰だって、感情がコントロールできない時がある。興味関心が、親の注意より先立つ時もある。その時に、安直に「○○しちゃだめ」と判断や批判をせず、まず生じていることを「観察」し、そこで生じていることを否定せずに受け止めることができるか。

うーん、実際にコツンとコップが頭に当たったり、食事が床に飛ぶ中で、落ち着いて観察するのは、ハードルが低くない。でも、怒鳴りつけるコミュニケーションをしても、おちびには届かないことだけは、確かだ。であれば、これは僕自身が非暴力コミュニケーションが出来るか、「問題行動」の内在的論理をまさにその行動が成されている時に探ることが出来るか、を試されているのである。おちびさんは、お父ちゃんになかなかハードで有意義な試練を与えて下さっている。さて、そろそろおちびが起きてきたので、その試練を試してみよう。

二項対立を超える為に

最近ご一緒させて頂く事の多い、財政社会学者の井手英策さんが新著『富山は日本のスウェーデン-変革する保守王国の謎を解く』(集英社新書)を出された。僕は発刊直後に駅の本屋で買って読み始めたが、その後井手さんからご恵贈頂いたものも届いた。この本は、新書で読みやすい文体なのだが、僕個人にとっては時間のかかる読書となった。それは、井手さんが二項対立を越える為の問いかけを、本書に沢山埋め込んでいて、途中で立ち止まって考える場面も多かったからだ。

「社会民主主義は、共産主義や社会主義とはちがって、議会制民主主義の廃止、共産党の一党独裁、私的所有権の否定といった革命的な変革をもとめてはいない。むしろ基本的な制度の枠組みを維持しながら、自由や公正、連帯といった価値の実現を追求している。
たしかに、追求する価値が古い文化や伝統のあり方なのか、自由や公正、連帯なのかというちがいはある。だが、それぞれにとっての大切な価値を実現するため、永続的な運動を行っていく点に目をつければ、マンハイムらのいう保守主義と社会民主主義との距離は意外と近いものに見えてこないだろうか。」(p26)

この井手さんの発言は、蒙を啓かれる、というか、自分自身に欠けていた視点だった。僕は14年前にスウェーデンに半年住んでいたこともあり、社会民主主義的な価値観は凄く大切だ、と思っている。特に子どもを授かってからは、公立保育園が近所にあって、1才から必ず入れられるので、パパが朝から連れて行った風景を、羨ましく思い出していた。ああいう社会を日本でどう実現出来るのだろう、と自分事として考えている。

そういう僕にとって、「大切な価値を実現するため、永続的な運動を行っていく」点では、社民主義と保守主義では構造は同じだ、という指摘が興味深く映った。大学生の頃から随分スウェーデン贔屓で、「スウェーデンでは」と「出羽の神」のごとくいつも引き合いにだしていた。でも、そういう言い方をしても、日本では全然響かない。「すごいですね」「いいですね」という声が挙がったとしても、必ずセットで「人口が違いすぎるから」「日本の風土に高福祉高負担は似合わない」などと否定されることも多かった。井手さんも、きっとそういう経験もされたのではないか、と思う。だからこそ、重視する価値ではなく、「永続的な運動」という側面で富山を捉え、それをスウェーデンと結びつけようとしたこの著作は、多くの問題提起を僕にも投げかける。

富山とスウェーデンがどう似ているのか、は同書を手にとって頂くとして、僕に刺さったフレーズを幾つか抜き出したい。

「富山を『保守的な社会だ』と斬って捨てることは簡単だ。おそらく多くの左派・リベラルはこうした社会を望もうとはしないのではないだろうか。だが、本書で明らかにした諸指標、そして富山の人たちがつくりだしたマクロの社会循環は、リベラルや左派がもとめ、そしてついぞ実現できなかった社会の姿にきわめて近いこともまた事実である。
一方、保守派の好む伝統主義的、家族主義的な傾向が支配的であることは、多くの人にとって生きづらさと紙一重というのが実際のところだろう。だが、そうした傾向は富山だけでなく、日本社会のいたるところに存在している。それをただ『保守的だ』といって批判するだけでは思考停止と変わらない。
保守的だと斬り捨てる前に、保守的なものの内側で起きつつある変化の兆しをうまくつかまえ、より、自由で、公正で、連帯できる社会をめざすことは論理的に可能だし、実際にそうした萌芽が富山社会にも数多く存在している。
僕は富山をユートピアだと思わない。無前提に賞賛するつもりはない。そうではなく、富山社会のこれまで、いま、に深く入り込み、学び、そのなかでの発見をつうじて、よりよい社会の条件について考えてみたいと思っている。そのヒントが富山に無数にあることを僕は知っているからだ。」(p74-75)

長い引用になったが、この部分に井手さんの視点が凝縮されていると感じる。「保守派の好む伝統主義的、家族主義的な傾向が支配的であること」が、団塊の世代を中心に多くの反発を招き、故郷を捨てて大都会に人口移動させる契機になった。少なからぬ若者にとって、上記の傾向は「生きづらさ」に直結していた。団塊の世代がリベラルや左派的視点に親和的になっていったのは、この「伝統主義的、家族主義的な傾向」への反発の意味も大きかったと思う。

だが、そんな「保守王国」富山が、持ち家率や女性の正社員比率で全国1位だと言う。これを指して「リベラルや左派がもとめ、そしてついぞ実現できなかった社会の姿」があるではないか、と井手さんは指摘する。保守王国で社会民主主義的な結果と類似した内容が出現しているのはなぜか、と問うているのである。その上で、井手さんは、一見すると相容れない二つを繋ぐ隘路を、「保守的なものの内側で起きつつある変化の兆しをうまくつかまえ、より、自由で、公正で、連帯できる社会をめざすことは論理的に可能だ」と整理している。

なるほど。先ほどの「大切な価値を実現するため、永続的な運動を行っていく」と結びつけると、見えてくるものがある。保守王国でも、さすがに三世代同居や地縁組織の加入率も低下しつつある。これは全国の傾向と変わりない。このような「保守的なものの内側で起きつつある変化の兆し」に対応して、家族主義的な限界を乗り越える為に、「より、自由で、公正で、連帯できる社会」を目指すようにシフトチェンジできるのではないか、という提言である。

つまり、二つの異なる価値体系の結び目にも見える富山という現場を観察することで、「よりよい社会の条件について考え」る「ヒントが富山に無数にある」と彼は指摘する。だからこそ、この本は富山礼賛本でも富山否定本でもない、富山というケーススタディーを通じて「思考停止」を乗り越える方法を模索する本だと僕は受け取ったのだ。

「リベラルな政策を志向する人たちのなかには、『家族』という言葉を聞いて眉をひそめる人が多いように思う。それは、家に閉じ込められた専業主婦に、家事や育児といった『シャドウ・ワーク』を押しつける『閉鎖的な場所』として認識されるからだ。(略)だが、ここで重要なのは、家族という『場』ではなく、家族の持つ『原理』をどのように社会に仕組んでいくかということである。」(p150)

この前段では、惣万さんの「この指とーまれ」に代表される富山型デイサービスと、その進化形態としての「あしたねの森」、そして射水市のふるさと教育を取り上げている。そして、その章のタイトルには、「家族のように支え合い、地域で学び、生きていく」と書かれている。ここに「家族という『場』ではなく、家族の持つ『原理』をどのように社会に仕組んでいくか」という井手さんの問題意識が詰まっている。

これまで「家族主義」が批判されてきたのは、「家に閉じ込められた専業主婦に、家事や育児といった『シャドウ・ワーク』を押しつける『閉鎖的な場所』」という意味で、「家族という『場』」の問題性ゆえであった。だが、社会変化に基づく「永続的な運動」という視点に基づけば、このような「場」は限界が来ている。それが、「この指とーまれ」のような宅老所や共生型ケアが全国で求められている理由でもある。そこは、家族規範を護持する「場」ではない。そうではなくて、「家族のように支え合い、地域で学び、生きていく」という家族の「原理」を社会化し、制度化したものである。そして、そのような家族における「場」から「原理」への変化こそ、保守主義の曲がり角において「永続的な運動」として選ばれた論理であり、この「原理」は「より、自由で、公正で、連帯できる社会」とも接続可能だ。これが、保守主義と社会民主主義を繋ぐ隘路なのだ、と腑におちる整理であった。

本の最後で、再びスウェーデンに言及し、井手さんはこう総括する。

「スウェーデン自身も、自分たちの保守的な価値のなかから新しい価値を生み出し、保守的な思想とリベラルな思想とのせめぎあいを経て、いまのスウェーデン型社会民主主義をつくりあげてきたわけである。リベラルが『保守的だと思ってきたもの』を『保守的だ』と批判することにとどまるとすれば、彼らの欲する社会変革は永遠に実現不可能のまま終わってしまうだろう。」(p198-199)

保守的だと批判することそのものを批判しているわけではない。そうではなくて、リベラルや左派が本当にスウェーデンを見習いたいと思うなら、「自分たちの保守的な価値のなかから新しい価値を生み出し、保守的な思想とリベラルな思想とのせめぎあい」をしっかり自分たちの国の中で受け止め、実践していくべきではないか、と提案していると受け取った。そして、富山のケーススタディーは、そのような「保守的な価値のなかから新しい価値を生み出」す土壌であり、かつ「保守的な思想とリベラルな思想とのせめぎあい」、つまり「場」から「原理」への移行や相克が表面化する現場である、と整理しておられると受け取った。

僕自身も13年間山梨で暮らし、また三重や岡山などで定点観測を続ける中で、都会人の言う保守/リベラルの二項対立では収まりきらない何かを感じていた。そしてそれを説明する言葉を僕自身は持っていなかった。井手さんのこの本で学ばせて頂いたのは、価値前提が違っても、ある価値を大切にするための永続的な運動というプロセスは同じではないか、という提起である。また核家族化や少子高齢化の影響の中で、保守とリベラルの中間のような領域に実態が変化している事も踏まえると、「自分たちの保守的な価値のなかから新しい価値を生み出し、保守的な思想とリベラルな思想とのせめぎあいを経」ることによって、「いまのスウェーデン型社会民主主義」のような「より、自由で、公正で、連帯できる社会」が実現出来るのではないか、と問いかけているのである。

僕自身は日本社会が「より、自由で、公正で、連帯できる社会」であってほしいと願っている。なので、この本は、ではその価値の実現の為に批判に終始せずに何をすべきか、を考える上で、非常に大切な補助線を引いてくれた、と感謝している。そういう意味では、この本は二項対立の閉塞感から抜け出すガイドブックなのかも知れない。

コンフォートゾーンを越える

ひさしぶりに「ワイドビューふじかわ号」でブログを書いている。

山梨を後にして5ヶ月で、久々に仕事で呼んでもらい、【8日】県児童家庭課の地域コーディネーター養成研修→南アルプス市の地域福祉計画庁内ミーティング→飲み会→【9日】元ゼミ生とのダイアローグ→「半年振り返り会」、と、てんこ盛り。8日の12時過ぎのスーパーあずさで甲府について、9日の12時40分南甲府駅発のワイドビューで帰るので、超濃厚な24時間だった。そして、往復は行きも帰りも5時間の列車旅。

この濃厚な24時間を振り返ると、「コンフォートゾーンを越える」がテーマだった。

コンフォートゾーン。それは、安心で快適な領域、のことである。自分が慣れ親しんだやり方を手放す、という意味合いでも使われる。僕の中では、「若い仲間から学ぶ直す/と学びほぐす」というのが、それにあたる。

この24時間で一番時間を共にしたのが、NPO bond placeの小笠原祐司さん。彼はファシリテーションや場づくり、組織変革を専門にしているだけでなく、僕のYGUでのゼミ生を引き継いでくれた、尊敬できる仲間である。彼とは月に1度、Zoomでの定期ミーティングをしていて、その中で「僕は他人や組織の話を聴いたり、ファシリテーションをする機会は圧倒的に多くても、僕自身の話を聴かれることがない」とつぶやいたところ、「では今度タケバタさんが山梨に来た折に、振り返り会をしましょう」と提案してくれた。この振り返り会の中で、他の2人の参加者と4人で、お互いの半年をじっくり聞き合う2時間半を過ごす中で、小笠原さんに言われたのが「タケバタさんって、コンフォートゾーンを越えようとされているんっすね」。それを聴いて、いま・ここがまさにそう!と思っていた。

僕は昔から、熟達者に弟子入りして学ぶ、という構えが得意だった。中学時代の塾の塾長にはじまり、予備校の先生や、大学の先生、そして大熊一夫師匠への弟子入りと四半世紀くらい、熟達者の近くで学ばせて頂く、という構えを続けて来た。小さい頃から「大人の会話に入りたがるおませな”ひろっちゃん”」にとっては、そのガキの頃からの願いが実現していったプロセスでもあった。

だが、大学教員として独り立ちするなかで、先達から学ぶチャンスも徐々に減っていく。その中で、気がつけば僕が熟達者に近づいていく、というより、年若い仲間と学び合う機会が少しずつ、増えていった。その象徴が、岡山の『「無理しない」地域づくりの学校』。あの場の校長を仰せつかり、教頭の尾野寛明さんも、用務員の西村洋己さんはじめ、学校メンバーとガッツリ付き合う中で、指導する学生ではない、年若い仲間が沢山増えていった。これは、僕にとって新しい経験や発見であり、その中で学ばせてもらったり、オモロイ経験をさせてもらうことも少なからずあった。

昨日から今日にかけて、三つの場で小笠原さんのファシリテーションを間近で体験する機会があったが、それを見ていても、「こんな風に聴くんだ」「こんな展開を考えるんだ」「こういう流れを作っていくんだ」という発見や学びが多かった。企業のコンサルテーションがバックグラウンドの彼と、福祉現場に関わる僕とは、一見すると別のアプローチをしているようにも見えるが、富士吉田側から登るのか、御殿場から登るのか、の違いで、目指す富士山という到達目標は同じ、と感じる事が沢山あり、だからこそ、彼とのやりとりから学ばせてもらうことが沢山ある。

そして、南アルプス市の現場では、小笠原さんだけでなく、山梨県立大学の高木さんともご一緒した。彼は愛媛や神奈川、山梨の地域福祉の現場でコツコツ誠実に関わっている逸材だが、地域福祉のコア概念を押さえた上で、ボトムアップ型の政策形成を提案出来る彼の視点やコメントは、僕には言えない・見えていなかった視点であり、それを聴いている僕もすごく学びや刺激が大きかった。南アルプス市では第3次地域福祉計画の策定アドバイザーとして僕は関わらせてもらったが、僕がやり残した・一人では出来ない何かが沢山ある、と自らの限界を感じ、兵庫に移籍する以前から、高木さんと小笠原さんとチームを組んで動きたいと思い続けてきた。なので、こういう感じで二人とコラボできるのが、めちゃ嬉しい。

そして、これって、熟達者に弟子入りする、というこれまでの慣れ親しんだモードから、ようやく脱しつつあるのかな、と今日思い直していた。新たなチャレンジなのだが、不安よりも、ワクワクの方が先行している。

先達から教わる、とか、学生に教える、ではなく、同世代や下の世代の仲間と、共に考えあい、学び合う。その中で、僕自身が学んで来たことを解き放ち(un-learn)、新しい考え方を学び直すような関係性が、気がつけばあちこちで出来はじめている。これが、僕自身の中での「開かれた対話性」と重なったとき、オモロイ相互作用が始まるのかもしれない、とも思い始めている。

それと共に、慣れ親しんだ山梨を離れてみて、今回の山梨からの旅立ちも、コンフォートゾーンを越えるチャレンジになっている、と遡及的に思い始めている。

山梨では、居心地の良い学科・同僚に恵まれ、ゼミ生とも良い関係が結べ、授業もうまく展開して行き、市町村や様々な福祉現場の人とも信頼関係が生まれ、最後の数年は実にスムーズに事が運んでいた。それは不安や不快な何かが減っていく、コンフォートゾーンに入ったことでもあった。だが、子どもが生まれ、孫に会いたいと願う父への親孝行のつもりで山梨を去る決断をしたのは、結果的にこのコンフォートゾーンを手放したことでもあった。肩書きも教授から准教授に変わり、給与も下がった。でも、僕の中でもう一度、「出来上がった何か」ではなく、一から学び直す、チャレンジャーの立ち位置に戻った感覚を持っている。まだ、色々な事に慣れていないし、100人越えの授業でアクティブラーニングに取り組むなど、今までとは違う新たなチャレンジにも取り組んでいる。それらは、結果的に先ほど書いた学びほぐしや学び直しと直結している。これは、今回の「振り返り会」に参加して、新たに気づけたことでもあった。

そして、それはこの1年間の子育てや家族関係にも直結している。

妻と結婚して16年目。子どもが産まれるまでの14年間に、お互いがしたいことを追求しながら、二人で旅行にもあちこちでかけたり、一緒に飲みながら語り合うなど、コンフォートゾーンを二人で創り上げてきた。そして、子どもが産まれたあと、まさに移行期混乱というか、周りに関係なくありのままに泣き、笑い、ぐずがり、眠る娘さんに翻弄され続けてきた。安定した二者関係から、必死で生き延びる三者関係に移行したことにより、お互いが随分シンドイ思いもしてきた。だが一方で、子どもと妻と三人で過ごすありふれた日常が、実に愛おしく、かけがえのない何かであると感じる瞬間も、確実に増えている。二者関係のコンフォートゾーンはなくなったけど、今度は三人での新たなコンフォートゾーン作りを、やんちゃな娘に翻弄されながらも、作ろうとしているのかもしれない、とも思う。

そんな意味でも、僕自身が「いま・ここ」の立ち位置を改めて振り返り、これからの歩みに思いを寄せる、濃厚な24時間であった。

内なるハウルを意識する

ブログの更新が二ヶ月も空いてしまった。2005年に開設して以来、初めてのこと。引っ越しや勤務先が変わった疲労が出てか、何度か風邪も引いたし、子育てに仕事のピークが重なると、ツイッタに書き込めてもブログのために1時間割く余裕がなくなっていた。一般教養の130人の採点が終わったので、やっとその余裕を取り戻す。

さて、この間もっとも僕の心に残っていること。それは、昨晩指摘された、僕の中の「内なるハウル」の存在である。少し、丁寧に説明してみたい。

ハウルの動く城、とは、多くの人がご存じの宮崎駿のアニメである。そして、その「ハウルの動く城」を「魂の脱植民地化」の視点から考察した深尾葉子先生と、昨晩お話ししていた折、実は僕自身の中にも「ハウル」がいた、ということがわかってきた。それが、①英語を話すときと、②人前で講演するとき、の僕である。

きっかけは、深尾先生のお友だちのスティーブさんと三人で英語で議論をしていたとき、僕自身が頭をかきむしりながら必死で英語で言いたいことを絞りだそうとしていたのを見て、深尾先生から「何だか普段のタケバタさんと違うよ」と指摘されたことだった。僕はそれが、自分の英語表現の下手さ・稚拙さゆえである、と思い込んでいた。だが、深尾先生と話すうちに、僕が抑圧していた過去を思い出す。それは、英語の発音を巡る思い出である。

僕は小学校の頃、ラボファミリーという英語サークルに入っていて、「ぐりとぐら」「だるまちゃんとかみなりちゃん」といったかこさとしの童話が英訳された内容のテープをずっと聴いていた。だから、ヒアリングは割とすんなり出来るし、小学校の頃は比較的流ちょうな英語を話せていた。だが、中学校に上がってすぐ、友達から「巻き舌なんて、なんかいちびっている!」「外人っぽい!」と馬鹿にされて以来、日本語イングリッシュに強制して、巻き舌を封印した。だからこそ、それ以来英語を話すのにエネルギーが必要になった。伝えたいこと、話したい内容が一杯あるけど、「いちびっている!」と馬鹿にされた記憶ももたげて、下手な日本語英語しか出て来ず、相手に伝わらず・・・という悪循環に陥っていたのだ。

その話を聴いて下さった深尾先生が一言、「日本人に聞かせるのではなく、ネイティブと話すんだから、格好つけでもなんでもないじゃない」と仰って頂き、その呪符はひらひらと飛んでいった。そう、一生懸命力を入れて、日本語英語を話すから、疲れるのだ。そう思って、昨晩再び英語で議論した時、夜という時間帯もあって、テンションを上げずに、何だか気怠い感じで、必死に話そうとせず、リズムにのるように、話してみた。すると、表現や文法上の稚拙さは変わらないかもしれないけど、より自然に英語が出てきたのだ。それは、深尾先生もスティーブさんも同意してくれた。

このエピソードを通じて、もう一つの僕自身の「仮面」を思い出していた。それが、「講演モード」の「仮面」である。

数年前まで、研修や講演が終わると、「あなたの話を聴いて元気を貰いました」と言われることが多かった。一方、僕自身は講演が終わるとへとへとに疲れ果て、グッタリすることもしばしば、だった。だが、対価をもらって講演する、ってそういうことなんだ、と勝手に自分で思い込んでいた。その一方、身体はボロボロになるし、漢方医や鍼灸に通っても、その場しのぎでいっこうに快復しないのも、また事実だった。

そんな折、昨年春に未来語りのダイアローグの集中研修を受けて、僕自身が「頑張らなくて良いんだ」と思うようになった。僕自身がしっかり「話すと聞くをわける」ことを理解し、研修内でもより多くのダイアローグの機会を作り、「不確実性さを耐えること」になれて、僕の持って行きたい筋書きを放棄し、その場に任せるようになると、より場全体のダイアローグが深まっていった。そういう場では、落としどころを探らなくても、色々な人の声を拾う中で、勝手に場が収まっていった。そして、そういう講演の方が、確実に聞いて下さった方の全体的な満足度があがった。「元気になりました」と言われることはなくなったけど、「色々考えるきっかけをもらえました」と聞く機会が増えた。

つまり、これまでの僕は、一方的に伝えるのに必死になって、何とかして会場の人を「説得」して、理解させようとしていた。熱量をかなり込めて語るので、うまくいけば、相手に伝わって僕の熱量を伝えられると共に、僕自身はクタクタになった。でも、その熱量ゆえに時として、会場の人からの大きな反発を招き、研修中に激論になることもあった。そういうときは互いの熱がぶつかりあい、会場全体がグロッキーになってしまっていた。

でも、今はそういう「説得」を手放し、議論を一致させることも狙わなくなった。それは、僕がダイアローグを学んだトムさんから、次のアイデアを聞いていたからだ。

「ダイアローグが始まる前は、さまざまな独自の見方があります。ダイアローグの後にも、さまざまな独自の見方があります。しかし、見方はさらに深まっていて、お互いの物の見方がよりよく理解されています。このようにして、協力して活動する方向へと道が開かれます。」(トム・エーリク・アーンキル&エサ・エリクソン『あなたの心配ごとを話しましょう』日本評論社、p64)

「協力して活動する方向へと道が開かれる」ことが主目的であれば、意見を一致させる必要はない。むしろ、あなたも僕も唯一無二の存在なのに、意見を一致させる、とは、どちらか一方の価値観に従いなさい、という強制にしばしば陥る。熱量を込めれば込めるほど、反発を招く可能性が高くなる。ダイアローグにはならないし、押さえつけるときも、反発を招くときも、必要以上にパワーを使い、結果的に両者が疲れ果てるだけである。

だからこそ、意見の一致、ではなく、「お互いの物の見方がよりよく理解され」ることを目指す方が大切なのだ。そのためには、僕が必死に力んで話をするのではなく、テンションを下げて、落ち着いたトーンで、「あなたはどう思われますか?」と伺うことが必要不可欠なのだ。

で、ここまで①英語を話すときと、②人前で講演するとき、の僕が疲れ果ててきたこを述べて来た。では、なぜこれが「内なるハウル」なのか。

それは、アニメを見た人は思い出して欲しいのだが、ハウルは外界から「城」に帰ってくると、いつもグッタリ疲れ果てているのである。外界ではイケメンスーパースターとして振る舞っているのだが、その実、めちゃくちゃ怖がりで、自分の部屋(内界)にはお守りを張り巡らせているハウル。外界でテンションを上げてスターを演じた後、内界の扉を開いた段階で、既に肩を落として疲れ果てているのである。

このハウルの疲れ果てた姿が、英語を話した後や日本語で講演をした後の僕の姿と同じだ、と深尾先生に指摘されて、やっと初めて気づけた。つまり、この2つの振る舞いをしている時、僕はかなり無理をして、テンションを上げて、自分のエネルギーを使い果たし、「馬鹿にされないように」「少しでも敬意を持たれるように」と、他人のために心身を酷使してきたのだ。そして、その事に無自覚なまま生きてきたから、深尾先生のハウル論は以前から読んでその概要は諳んじて言えるにもかかわらず、「僕はハウルみたいにイケメンでもないし」なんて訳のわからない理由を付けて、僕自身のありようとは無関係だと切り分けていたのである。これって、まさに「魂の植民地化」そのものだ!

だいたい、「馬鹿にされたくない」「敬意を持たれたい」というのが、僕自身のありのままを表現することへの恐怖や、他者への憧れとそれが出来ない自己嫌悪にもとづく「自己愛」の作用である。安冨歩先生の名著『生きる技法』の中では、この「自己愛」を超えて、ありのままの自らを愛することを「自愛」と表現していた。そして、僕は『枠組み外しの旅』を書くプロセスに身を投じて以来、この7,8年の間に、だいぶ「自愛」モードを手に入れてきた。そのプロセスで、昨年くらいから、講演や研修場面でも、無理せず自愛モードを獲得出来た。そういえば、『「無理しない」地域づくりの学校』を岡山の仲間たちと創り上げてきたのも、僕にとっては格好のリハビリだった。だが、それが全然未開発で、「無理しまくって」「自己愛」に陥っていたのが、英語を話すときの僕、だったのだ。そんなことに、ようやく気づき始めた。

少なからぬ人が、自分の中に「内なるハウル」を抱えている。虚勢を張り、外界で無理をして、内界で疲れ果てる、という、憧れと自己嫌悪がセットになった自己愛モードだ。それは、ハウルの声優として一体化できた某ジャニーズ系アイドルさんの中にも恐らくあるだろうし、僕の中にも、しっかり根付いていた。あるからダメ、なのではない。それがあることに気づけると、キョンシーに貼り付けられた呪符のように、勝手にそれがほどけていく「魔法」なのである。深尾先生は「魔法は魔法であると自覚すると、その効力が失われる」と仰っていた。そう、自らのシンドサや悪循環に、その自己愛のフィードバックループがあるとわかれば、そこからどう抜け出せるか、も模索できるのだ。

ちょうど今日は立秋。姫路は何だか秋風のような涼風が吹き続けている。僕自身、もう少しクールダウンして、テンションを下げて、流れに乗るように、自分自身のあるがままに日本語でも英語でも表現できるように、ぼちぼちモードを切り替えていこうと思う。

ポリフォニー的現実

5月12日から13日にかけて、2017年の4月に「未来語りのダイアローグ」の集中研修を受けたグループの振り返り会を同志社大学で行った。24名の参加者が、1年前からの変化を振り返った。その上で、日曜午後はオープンな場での実践報告会を行った。

この日、僕は実践報告会全体のファシリテーションをしていてのだが、いつものように、会場内からの声を伺いながら、「話をまとめよう」「関連づけよう・つなげよう」としていた。このやり方は割と評価されてきたし、密かに自分自身も自信を持っていた。だがその様子を見ていた、同じ研修の参加者で、家族療法の大家でもある白木考二さんが、研修の合間に、「あんまり綺麗にまとめすぎない方がよい」と仰ったのが衝撃的だった。ただ、すごく大切な論点のような気もしたので、実践報告会の最後に白木さんにお願いして、二人でリフレクションを全体の前でやってみた。

白木さんがその際に言ったのは、「話をまとめようとするのは、旧来型のファシリテーションのやり方だね」「一つの話にまとまりそうになった時には、僕なら『他の話はありませんか?』と聞く」ということだった。「なぜですか?」とおたずねすると、「その方がよりポリフォニックになるから」という。「だって、意思決定の場ではないのだから、話をまとめなくてもいいじゃない」と。「僕は無責任だから」とも。これらの発言は、僕にとって目から鱗だった。

そう、僕はやっぱり「話はまとめなければならない」という旧来のファシリテーションの技術の癖が身についていたのだ。でも、白木さんが言うように、別にその場は特に、何かをまとめなければならない、という訳ではない。ダイアローグをしにきたのである。であれば、「何かをまとめよう」「話を一つの方向性に持って行こう」というファシリテーターの意図や意思は、その場に対して介入的な働きかけになる。白木さんのレクチャーでも、OD/ADが目指すのは、「早期の介入」ではなく、「早期の対話だ」、という話がなされていた。そういう意味でも、竹端はまだ介入的側面があったのだ。だが、ADで求められているのは、あるいは対話的な場で求められているのは、豊かなポリフォニーで、不確実性に耐えることであり、一つの声にまとめる・不確実性を縮減することではないのである。

という訳で、改めてヤーコとトムの本を読み直してみると、こんな風にも書かれていた。

「ポリフォニー的現実においては、誰の声が正しく誰の声が間違っているかを決めることはできない。<全ての声>が重要であり、新たな意味を生み出すことにかかわっているのだ。それらは等しく価値がある。モノローグ的な語りでは、声にヒエラルキーがある。たとえば、もっぱら主治医である精神科医の意見が診断を決めることになる。ポリフォニー的対話では、専門家間のヒエラルキーは重要ではない。問題となっている事態についての理解が豊かになればなるほど、より多くの声が新たな意味をつくりだすことに加わってくるのだ。」(『オープンダイアローグ』日本評論社、p109-110)

「<全ての声>が重要」と言うとき、それは、その場の流れの主流の声「以外の声」も「重要」ということである。研修会や授業などで、主流の声が浮かび上がると、僕はその主流の声を強いものにしよう、としてきた。それが、議論を方向付けることであり、「良いことである」と信じ込んできた。だが、そういう風にすると、時として感情的反発を招いた場面にも出会ってきた。そういう時には、その感情的反発をする人を「わからずやだ」「困った人だ」とラベルを貼って、終わることもあった。

だが、そのラベリング自体が、「ヒエラルキー」を産んでいる元凶なのだ。ファシリテーターの僕が、そのような「ヒエラルキー」を生み出すなら、その場は「ポリフォニー的対話」ではなく、「モノローグ的語り」で終わってしまう。そして、「モノローグ的語り」は「新たな意味」を生み出さないだけでなく、「誰の声が正しく誰の声が間違っているかを決めること」に加担するのだ。しかもそれは、ファシリテーターの「声が正しく」、その声に反する声は「間違っている」とファシリテーターが(無意識に)「診断を決める」ように査定者のポジションとして機能するのだ。まさに、これって権力作用そのもの。精神科医の権力作用を批判する僕自身が、ファシリテーションの場面で自らの権力作用に無自覚というのは、本末転倒である。

急いで付け加えておくと、もちろん、僕自身もある程度の試行錯誤をする中で、ここ最近は、ファシリテーションの場面で、できる限り色々な声を会場内から拾ってきた、つもりである。だが、白木さんに指摘されたように、「まとめ」モードになると、そこから声を選択的に選んでいたのも、また事実である。そして、その選択と集中を、良いことと、と思い込んでいた節もある。

では、どうすればよいのか。

「<全ての声>が重要」である、と本当に思うなら、主流の流れと違う声も「重要」であると受け止める必要がある。異論や反論は、方向付けられている流れに対する障害や障壁でない。「問題となっている事態についての理解が豊かにな」る、ということなのだ。そして、ある方向性の「声」とは違う「声」も含めた「理解が豊かになればなるほど、より多くの声が新たな意味をつくりだすことに加わってくる」という。「急がば回れ」ではないが、ある問題に賛成の意見が多いときこそ、まとめの場面であっても、賛成以外の意見も拾うことで、その問題に対する「新たな・別の理解」が豊かになり、単純な善悪や賛否という二項対立的なモノローグではなく、「より多くの声が新たな意味をつくりだす」ことが可能になるのだ。

そこから更に広げて考えると、僕自身はこれまで、ある程度、意見をまとめる・集約することがファシリテーターの役割だ、と思い込んで来た。そうすることにより、「より多くの声が新たな意味をつくりだす」チャンスを失い、モノローグ的な結論になっていたのかもしれない。そして、そのような一本化こそ、ファシリテーターの「取るべき責任だ」、と思い込んで来た。

だが、ダイアローグを大切にする「責任」を果たすならば、意見の方向付けや一本化という部分には「無責任」でないとつとまらない、と気付かされる。ダイアローグの前提に「ポリフォニー的現実」があるのなら、ダイアローグを大切にするということは、「<全ての声>が重要」であると理解し、異論や反論、少数意見をもその場を豊かにする大切な意見であると尊重し、まとめの場面でも取り上げることこそ、「取るべき責任」なのである。

そう考えたら、これまで僕は、「取るべき責任」をはき違えていた、と改めて気付かされた。「多くの声が新たな意味をつくりだすこと」を目標にして、そのためにこそ、<全ての声>が出てくるのをファシリテートする必要がありそうだ。そのことに無自覚で、せっかくのダイアローグのチャンスを、自ら潰して、ヒエラルキーに基づくモノローグ的語りに堕していたのだとしたら、何という愚かなことをしていたのだろう・・・。

そういえば、研修の翌日の講義で学生に「自分が『何をわかっていないか』をわかることが、最も大切だ」と伝えていた。偉そうに言っているけど、僕自身、上記のことが「全然わかっていなかった」のである。情けないけど、それは紛れもない事実。以前の僕だったら、白木さんの指摘の真意が理解できなくて(見たくない現実に蓋をしたくて?)、怒り出したり、感情的反発を抱いたかもしれない。でも、ダイアローグの研修を受ける中で、ようやく今、素直に己の愚かさやモノローグ的・支配的ファシリテートの欠点と、向き合う事ができはじめた。

<全ての声>を大切にするための実践を、これから少しずつ積み重ねていきたい。そう感じている。

島成郎とバザーリアの「重なり」

島成郎の名前は知っていたが、彼は僕が大学院生の頃(2000年)に亡くなられたので、どんな人かよくわからなかった。でも彼の沖縄精神医療の著作はなぜか2冊とも持っていたし、学生運動の闘士、だとも、ぼんやり知っていた。今回、この評伝を読んで、やっと彼の全体像が見えてきた。
彼と学生運動の関わりに関しては、ご自身の総括本もあるし、学生運動関連の本でも何度も出てくる。だが、精神医療との関わりについては、情報があまりない。そこで、丹念に彼に関わった人へのインタビューを積み重ね、島がどのように精神医療を捉え、何を実践しようとしたのか、をつぶさに拾い上げたところに、この本の価値がある。
左翼の活動家リーダーから精神医療の実践者に変わった。この部分では、現象学的精神医学研究者から、精神病院の院長して精神病院を潰そうとしたフランコ・バザーリアに重なるところがある。バザーリアも、イタリア共産党よりも極左だったという。島も、共産党から除名されていた。二人とも、第一の人生(活動家リーダー、研究者)で着目されるも、その世界からはドロップアウトして、「在野に下る」中で、精神医療の現場を変えていく第二の人生に後半戦を捧げ、そこでは多くの事を積み上げて行く。そういう共通点がある。
で、この本を読みながら感じたのは、島もバザーリアも、党利党略ではなく、自分の中の軸をしっかり持ち、その軸に基づいた生き方をしてきた、ということ。イデオロギーとしての政治、というより、人間を見据えようとしていた。
学生運動の後に、医師や学者、政治家、ジャーナリスト、企業人に転身して「成功」した人々の中には、組織の論理に順応し、そこで勝ち上がる事に人生を賭けてきた人も少なくない。国家権力と闘ってきた「はず」なのに、その後の人生ではガッツリ権力闘争で勝ち上がった人々。そういう姿を、以前は「変容」「転向」だと思っていたが、その人の中での内在的論理を考えるならば、結局そういう層の人にとっての学生運動は、受験勉強の延長線で、組織内で勝ち上がる、という意味では共通していたのかも、と、内情を知らない後人の僕は訝しくなる。
一方で、島は組織におもねろうとしない。沖縄で地元の医療関係者や政治家から批判的な視線を浴びつつも、私宅監置の状態にある利用者の家に訪問し、中に入って、その監置状態を解放しようとした。組織で成り上がることより、利用者との出会いや相互作用を大切にした。その相互作用の魅力に惹かれ、彼の周りにの多くの支援者や家族が、彼と共に、地域精神医療のムーブメントを起こしていった。このあたりも、バザーリアと同じで、「既得権益」層から徹底的に嫌われるが、現場の中で賛同者を増やし、草の根から変えていった点とも重なる。島の晩年の講演録を引用した部分に印象深い記述がある。
「精神病院が閉鎖的だというのは、鍵をかけて患者さんを閉鎖的にしているだけではなくて、そこで働いている人間が非常に閉鎖的になっているということなのです。(中略)職員自身が自閉的になって閉鎖的になってしまう。心を閉じてしまう。外のことがわからなくなります。そうなると地域との交流もなくなって、地域との交流がなくなれば患者さんとの交流もなくなる」(p299)
この記述を読みながら、バザーリアの評伝の次の一節を思い出していた。
「患者が病院に収容されているとき、医師には自由が与えられています。ということは、収容された人が自由になれば、その人は医師と対等になるのです。しかし、医師は患者との対等な立場を受け入れようとはしません。だからこそ、患者は閉じ込められたままなのです。つまり医師こそが彼らをそうさせているのです」(『精神病院のない社会を目指して バザーリア伝』 p41)
閉鎖空間で「自閉的」「閉鎖的」なのは、患者だけではない。職員自身も「閉鎖的」で「心を閉じてしまう」。「地域との交流がなくなれば」「外のこともわからなくなる」だけでなく、「患者さんとの交流もなくなる」。これって、交流を遮断しているのは、患者ではなく、医療者の側なのだ。医師が患者と対等になるのが怖いから、患者は閉じ込められたままなのだ。そして、医師はますます「閉鎖的」「自閉的」になっていく。(その極端な例の人が書いている自閉的な独白のサンプルはこちら)
そして、島もバザーリアも、この「対等」な関係性を大切にしようとした。だからこそ、私宅監置の部屋に訪問したり、閉鎖病棟の鍵を開けていった。つまり、自分自身が「精神病状態」とラベルを貼られた「人間」と対等に向き合う中で、島やバザーリアの側が、つまりは医療者の側が、自らの鎧となっていた専門性のヒエラルキーの呪縛から自由になり、心を開いていったのではないか。そう読み解くことが出来る。

社会問題に関して、評論家的に批判する事は容易い。でも、現場に入り込んで、多くの人の賛同を得ながら、実態を変えていくことは、決して容易くない。それを、誠実に取り組んで来た人なのだなぁ、と学び多く読ませてもらった。

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追記的に書くが、この本の後書きを読みながら、障害者領域で多くのルポを書き続けて来た著者、佐藤幹夫氏のスタンスがわかった。自らのご家族が入所施設に暮らした経験を持つ障害者家族として、施設批判の論理に身を切られる思いをしつつ、その気持ちを脇に置きながら、しっかりと評伝をまとめ上げられたことにも、敬意を表したい。

学習Ⅲと枠組み外し

連休最終日、明石にある看護の大学院で2コマ、講義をさせて頂くことになった。『枠組み外しの社会思想史』について、話して欲しい、という有難いオーダー。ちょうど4月末の別の研究会で『オープンダイアローグ』(日本評論社)を読み直し、その中で改めてベイトソンと向き合う必要を感じて、連休中に大著『精神の生態学』を読み直してみたら、以前分からなかったことが、しっかりわかるようになっていた。そこで、大学院のコマの半分くらいを使って「学習Ⅲと枠組み外し」というネタで話をしていた。その時話した内容を、忘れないように、メモをしておく。

この本の「学習とコミュニケーションの階型論」という論考の中で、ベイトソンは3つのレベルの学習について、以下のように整理している。

  • 学習Ⅰ・・・反応が一つに定まる定まり方の変化(慣れ、反復、報酬や報復を伴うプロセス)
  • 学習Ⅱ・・・学習Ⅰの進行プロセス上の変化。経験の連続体がくくられる、その区切り方の変化(慣れや反復などが「性格」に転化する)
  • 学習Ⅲ・・・学習Ⅱの進行プロセス上の変化。代替可能な選択肢群がなすシステムそのものが修正されるたぐいの変化(このレベルの変化を強いられる人間は、時として病的な症状をきたす)

学習Ⅰとは、「パブロフの犬」のように、チリンチリンと鳴らしたら餌が与えられることを「学ぶ」ということである。そして、学習Ⅱは、そのチリンチリン→餌、という反復や報酬のプロセスを学ぶことで、チリンチリンと鳴ったら、餌が与えられていなくても、よだれが出てくる、という形で「慣れや反復などが「性格」に転化する」プロセスをいう。ここまでは、よく分かる。だが、以前この本を読んだときに、僕は学習Ⅲが何を意味するか、がさっぱり分かっていなかった。しかし、今回読み直す中で、学習Ⅲが、どうやら僕がこの6,7年追い続けている「枠組み外し」の考え方と親和性が高いことが、やっとわかりはじめた。

その話に入るためにも、もう少し学習Ⅱから学習Ⅲへのプロセスを見ておこう。

ベイトソンは、勝ち気、お調子者、気難しい、大胆、臆病といった「性格」について、「学習Ⅱの結果として習得されたパターンを記述する言葉」であり「人間の相互作用の枠付けられ方」(405)だと喝破している。それは一体どういうことか。そのために、彼はある二人の会話を取り上げている。

AとBが[a1, b1, a1+1]の相互作用を行う

これは会話のモデルであり、学習Ⅰから学習Ⅱの移行プロセスである、とベイトソンは指摘する。どういうことか。例えばAさんが、「僕の言いつけを守ったら、あめちゃんをあげるよ」(a1)と話しかけ、Bさんが「うん、わかった。頑張るよ」(b1)と応答し、「エライね、言いつけを守ったから、あめちゃんを上げよう。次もそうするのだよ」(a2)と述べたとしよう。これは、「報酬と罰の条件を定めるシグナル」(a1)、「Bがそれに従うというシグナル」(b1)、「b1を強化するシグナル」( a1+1)のプロセスであり、これが連鎖すると、「AがBを支配している」というプロセスが出来上がる。

そして、この相互作用のモデルを用いると、全く逆の「AがBに依存している」というモデルも出来上がる。それは、a1が、「何らかの「弱さ」を示すシグナル」(=「俺一人ではだめなんだ」)を送り、b1が、「その弱みをカバーする行為」(=「私がついていれば大丈夫よ」)をすることによって、a2として、「そのb1をAが受け入れたことを示すシグナル」(=「やっぱり頼りになるなぁ」)を返す、というプロセスである。そして、支配も依存も、先ほどのコミュニケーションパタンという慣れや反復(=学習Ⅰ)が「性格」に転化する(=学習Ⅱ)なかで、固着化される。

その上で、「「身に染みついた」前提を引き出して問い直し、変革を迫るのが学習Ⅲだ」(412)と「サイコセラピストは、学習Ⅱのレベルで患者にしみついている前提の入れ替えに挑戦する」(410)という部分が結びついた時、僕の中でようやく学習Ⅲとは何か、が見えてきた。あ、それってADの集中研修で学んだ・体験したリアルダイアローグの世界そのものかも、と。

オープンダイアローグや未来語りのダイアローグも、家族療法の流れから多くのものを学んで出来上がった考え方である。そして、昨年僕が集中研修で学んだ未来語りのダイアローグ(Anticipation Dialogue: AD)では、実際のダイアローグも見たし、ファシリテーターもさせてもらったり、ロールプレイも体感した。その中で、決して強引に明示的に行われる訳ではないものの、結果的にそこで生じているのが、「「身に染みついた」前提を引き出して問い直し、変革を迫る」ということだったのである。もう少し、具体的に述べてみよう。

ADでは次の三つの質問がデフォルトとなっている。

①「一年がたち、ものごとがすこぶる順調です。あなたにとってそれはどんな様子ですか? 何が嬉しいですか?」②「あなたが何をしたから、その嬉しい事が起こったのでしょうか? 誰があなたを助けてくれましたか? どのようにですか?」
③「一年前、あなたは何を心配していましたか。あなたの心配事を和らげたのは、何ですか?」

これは、「心配事」で一杯一杯になっていたり、「心配事」に囚われている、という意味で「「身に染みついた」前提」「学習Ⅱのレベルで患者にしみついている前提」を、一端脇に置き、本人が決めた未来の「良い変化」を主題化してそれを具体的に検討し、実現に向けたプランを設定するプロセスである。「心配事」ではなく「良い変化」を先に訊ねることによって、「学習Ⅱのレベルで患者にしみついている前提の入れ替え」への「挑戦」が、侵襲的ではない形で行われ、そのなかで「「身に染みついた」前提を引き出して問い直し」、その結果として具体的な行動プランを練り上げることで「変革を迫る」。これってまさしく「学習Ⅲ」プロセスそのものである。

ただ、ADもODも、それを一人でせずに、チームで行う事に最大の魅力がある、ということもわかってきた。なぜなら、一人で行うと、「このレベルの変化を強いられる人間は、時として病的な症状をきたす」可能性があるからだ。そして、僕自身がこの「病的な症状をきたす」一歩手前まで行ったことがあるので、「同行二人」のありがたさがよくわかる。

僕は東日本大震災の直後、発狂寸前の状態にまで、追い込まれたことがある。

あの日、余震が続く甲府の自宅で妻とテレビを見ながら、津波が人や車を飲み込んでいく光景をライブでみてしまい、その後、ツイッタ画面にしがみつきながら、様々な情報の爆発を目の当たりにしていた。そのなかで、「まさか津波が街を飲み込むはずがない」「原発は安全に運営されているはずだ」という僕自身の「「身に染みついた」前提」が、眼前で引き剥がされていく。映像で見れば明らかに爆発しているのに、「爆発的事象」「支障ない」などと言葉が置き換えられる。にもかかわらず、原発周辺自治体からの避難勧告が求められ、しかし政府発表は「落ち着いて行動せよ」と繰り返す。それは、政府発表の「安全性」を信じたいのに、現実には信じることが出来ない、という意味で、「学習Ⅱにおける矛盾」の最大化であり、ダブルバインドそのものであった。

その当時、気が狂いそうになりながら、何とか此岸にしがみつく為に書いていたブログを読み返すと、レインを必死で読みながら、「ポスト311の局面で生じているのは、「一次的存在論的安定」への大きな裂け目、亀裂である」と書き綴っていた。そう、僕自身が日本の文化で育ち、なんとなくそういうものだ、と無批判に信じ込んできた原発神話とか、政府の信頼性といった「一次的存在論的安定」が、文字通り揺さぶられ、亀裂が生じ、何を信じてよいのかがわからなくなってしまったのだ。だからこそ、ユング心理学もかじっていた僕自身はその当時、「教育分析を受けたい」とうわごとのように妻に繰り返して言っていたが、実はサイコセラピーを受けたいと希求するほど、追い詰められていたのである。

その4ヶ月後、「枠組み外し」をキーワードに思考を整理するブログ記事を連載しながら、僕自身が辿り着いたのは、「存在論的裂け目と枠組み外し」であった。少し長くなるが、その時のブログを引用しておく。

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ゆえに出来る事は、その枠組みそのものを眺めること、それもメルロ=ポンティが言うように、「われわれを物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖を否認することではなく、逆にそうした結びつきを見ること、意識すること」であろう。原爆から原発へとどう「鎖」が「結びつき」を強めてきたのか。政治家と官僚の構造とはどう結びついているか。中央集権的システムから地方分権に移行できなかった日本に、どのような構造的制約があるのか。そのしわ寄せとして、福祉現場で、もっとも権力の非対称性の枠組みの中から抜け出せない人々は、結果的にどのような処遇を強いられているのか。私自身が見てきた福祉現場のミクロな現実にも、日本社会のマクロな総体、つまり『世界の定立』にある呪縛作用が現れている。その枠組みを外してみる、「現象学的還元」をする、以前のブログの整理で言うと、「福祉現場の構造に関する現象学的考察」を続けることによって、何らかのブレークスルーが見いだせるのではないか。そう、感じている。

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僕が、ポスト311の世界で、学習Ⅱの信念体系がその土台から崩され、発狂しそうになりながら、何とか食い止められたのは、ひとえに「学習Ⅱの進行プロセス上の変化」をそのものとして眺められたからである。それは「その枠組みそのものを眺めること」であり、「代替可能な選択肢群がなすシステムそのものが修正されるたぐいの変化」としての学習Ⅲを、文字通り命がけで行っていたのが、僕自身の「枠組み外し」であった。

そして、オープンダイアローグや未来語りのダイアローグが良いところは、一人でやったら発狂しそうになる、この学習Ⅱという「性格」にまで根付いた前提を問い直す危険な枠組み外しを、安心・安全な場の設定の中で、with-nessを共に出来る支援チームと共に飛び越えていく、というところに、その良さがあるのである。

と、ここまで気づいて、僕が『枠組み外しの旅』で書いてきたことは、既にベイトソンが半世紀前に分析していた内容そのものだった、と遅まきながら、気づかされた。だが、僕は自分の頭で論理を構築しないと身につかないタイプなので、発狂寸前になりながらも、自分なりに「枠組み外し」という学習Ⅲのプロセスを自前で行った後に、未来語りのダイアローグや学習Ⅲ概念に出会えて、本当によかった。やっと、ここまで言語化することが出来た。

そんな万感の思いがあったので、忘れないうちに、長々とブログに書き付けておく。何だか『枠組み外しの旅』の次作に向けた旅が始まりそうな予感もしている。