初秋のオランダより

 

今、現地時間の木曜早朝。
初めてホテルでぐっすり寝たので、気持ちよく目覚める。とにかくここ数日、めちゃくちゃハードなスケジュールだった。

フランクフルトで乗り換え、アムステルダムにたどり着いたのが、現地時間の午後6時過ぎ。時差は日本と7時間だから、既に日本では深夜を迎えている時刻だ。日曜の晩は、日付変更線をすぎるころまで準備をしていて、その後朝4時!のバスに乗るために、3時起き。バスの中でも、飛行機でも仮眠をとったのだが、一方でスウェーデンでインタビューをする際の質問状もできてない。なので、ルフトハンザで出された美味しいドイツビールもほどほどに、11時間のフライトの後半5時間ほどは、結構まじめに「予習」の時間に当ててしまった。おかげさまで、ある程度英語も書けたのだが、体は結構フラフラ。そんな中で、オランダに上陸したのである。

で、スキポール空港まで迎えにきてくださったロール氏と久しぶりの再会。今日はホテルまで送ってもらったら、すぐに眠り込もうと思っていたのに、彼の口から出たのは、「ホテルに送る前に、ちょうどコーチングに出かけるから、着いてこないか?」という提案。そう、今回の調査の最大の目的は、障害者のSelf Advocacyをコーチングしている、というオランダやスウェーデンの支援者達にくっついて、いったいそれが何を意味し、どんな権利擁護や本人活動の支援が行われているのか、をじっくりみてみよう、というのが最大の調査目的である。なので、こうやって初日から、その現場への同行のお誘いは、願ってもないチャンス。ちょっとくたびれていても、僕は助手席に乗っていればいいだけ、なので、喜んで同行する。久しぶりに使う英語で、かつ眠い頭なので、なかなか言語障害が激しいが、そうも言ってはいられない。とにかくしゃべりまくりながら、車で走ること1時間半。途中で彼の助手を務めるヤニカも拾って、現場に到着。

現場であるグループホームでは、ロール達の到着を参加者が通りに出て待っていた。4人の参加者と私たちは、参加者の一人の居室に集まる。夕方の涼しい風が、牧草と牛のかぐわしい空気をはこんでくる。酪農王国にやってきたことを鼻で感じながら、目の前で行われているオランダ語でのやりとりを、ぼんやりと眺めている。知的障害を持つ皆さんが、思い思いに色々話を進めていく。コーチ役のロール氏や、軽い知的障害を持ちながらロールの仕事の助手として働いているヤニカは、聞き役であり、餅つきの返し手のように、その場の話が引き立つような、ガイド役をしている印象。中には話をしていて感極まって泣き出す人が出てきたら。ヤニカが優しく外に連れ出して、お庭で落ち着くまで一緒にいたり、といろんな光景が展開していく。昼間はみんな仕事に出かけているから、こういう話は夕方にすることが多い、とロールから行きの車で聞かされていたが、実際にこの目で見ると、なるほど、障害を持つ人々のミニ当事者会の司会進行役をしているのかな、という感じであった。

夜7時から8時半まで続いたセッションの後、そこから1時間半書けて北東部のWolvegaという町まで車でぶっ飛ばす。オランダは一番高い山でも標高300メートル、全体がほとんどゼロメートル地帯なので、一般道やフリーウェイも100キロ以上でみんな走っている。こちらは徹夜状態なのだが、目の前で先ほど行われた光景についていろんな質問がわき出して、いっぱい質問を彼にぶつけていた。その中で、印象的だったのは、「先ほどの参加者達は、最初全然話を自分からしなかった」とのこと。ヨーロッパの当事者達は、自己主張の国だから最初から話をガンガンしていたのか、勝手に思っていた僕にとっては、意外だった。「今は8回のセッションの最終局面だが、最初は何をしゃべっていいのかみんなわからず、とまどっていた」という。それが、ロールやヤニカの励ましの中で、自分達の正直な思いや願い、不安やうれしさなど、いろんなことを率直に話してもよい場なんだ、と気づくなかで、みんなが積極的に自分から話をしてくるようになった、という。初日からコーチングの実際を垣間見て、眠さより興味深さが打ち勝つ体験だった。

で、ホテルに着いたら、現地でお世話になる支援者のリッチェもバーで待ってくれていた。ということは、ここから再会の飲み会。彼ら彼女らが日本にきたときも、よく飲む面々だなぁ、と思っていたが、彼らの本拠地では勢いもます。こっちも濃厚な生ビールを注がれると、気分はなんだか向かい酒状態。真夜中でくらくらしながら、調査初日の濃い夜はどっぷりとくれていくのであった。

成田より

 

成田空港で出発前に一仕事。
昨日、インターネットバンキングで振り込みをしておこう、と思ったのに、日曜日の夜9時から翌朝7時まではメンテナンスのため、利用できない、という表示。ギリギリになる前にちゃんとやっておけばいいのだが、当然そういうことを泥縄的にやっているタケバタなので、あたふたするばかり。しかも、昨日の甲府は残暑がとんでもなく厳しく、エアコンなしで荷造りしていたら、軽くダウンしてしまった。なんだかなぁ、である。

でも、まあ世の中便利なもので、パソコンを空港のLANにつないで500円ほど払えば、こうして空港から自分のパソコンでネットバンキングにつなげる。さすがに誰でも使えるパソコンでやるのはあまりにも危険なので、この措置をとったが、メールするだけなら10分100円でできる。おかげさんで、ギリギリ振り込みの積み残しはなし、で済ますことはできた。

だが、結局どたばたしていて、肝心の仕事面で積み残しはいくつかある。滞在先でインタビューする相手への質問状を事前に送る、と言ったのだが、昨日全く頭が働かなかったので、これは機内に積み残し。それ以外にも、レジュメに赤を入れるだとか、とある教科書原稿の別の人の担当分の骨組みを考えるだとか、なんだか積み残しはあるにはある。でも、まあとにかく出かけてしまって、あとは現地で考えよう、と楽天的。

あと、ネットと言えば、今回はチケットそのものをルフトハンザのHPから買ってみた。電子チケットだそうで、空港でチケットを受け取るまで、半券も引換券も何もない。今まで某格安旅行会社で買うことが多かったので、その場合は半券なりケースなりをもらっていたので、スマートはスマートなのだが、空港に着くまで「本当に買えているのか?」と不安だった。そうはいっても先月末にきっちり22万円ほど引き落とされているので、大丈夫だと思いつつ、新しい成田の第一ターミナルへ。確かにチケットはとれていた。ほっ。しかし、22万円という金額は一見高そうだが、実はその某格安旅行会社でも、同じくらいの値段の見積もりがでていたのだ。その理由はたぶん、イエテボリ、というメジャーではない空港を使うから。だから、KLMだろうが、SASだろうが、ルフトハンザだろうが、この二都市を訪れる便で見積もりをとれば、結構な値段となる。KLMは昔、荷物オーバーで5万円ほど取られたいやな記憶があり、二度と乗りたくない、とすると・・・とルフトハンザのHPで正規チケットの40日前割引で、先述の格安旅行会社と同じような値段のチケットを見つけた。で、今回生まれてはじめて、ドイツ上陸(空港だけだけど・・・)なのである。あ、ドイツと言えば、現地在住のMさんにフランクフルト空港のおすすめを聞けばよかった。ま、今日と16日のイエテボリへの移動時に2時間ほどうろつけるので、ソーセージでも食べてみようかしらん。

仕事の書類も積んではいるけど、きっとドイツのビールにスパークリングワインなんて飲んでいたら、あっという間にフランクフルトまで行くんだろうなぁ、と半ばあきらめモード。少し夏の前半、根詰めて働きすぎたので、ま、ちとゆるむのもよしとしよう。というわけで、今日から出かけてきます。次は、つながったら、オランダからお届けします。では、では。

出かけてきます

 

あと半日もすると、海外に向けて旅立ちます。
今回は二週間の予定で、オランダ、スウェーデンで、障害者のセルフアドボカシー団体に取材にいくつもり。国連では障害者の権利条約が出来た局面ですが、どうも日本人にとって、「権利」を「主張する」ということには、あまり馴染みがないこと。なので、こういう権利主張がごく当然に出来ているヨーロッパの国々で、実情を少しちゃんと見てこよう、という魂胆です。

ネットが繋がれば、現地から報告はする予定、ですが、24日の帰国まで、連絡が遅くなった方はゴメンなさい、です。明日の朝、9時50分のルフトハンザに乗るため、甲府4時!発のバスに乗り込みます。なので、もう寝ます。ちょっと煮詰まった頭がリフレッシュ出来ればいいのですが・・・。では、行ってきます。

研究者の立ち位置

 

昨日届いた学会誌を読んでいたら、久しぶりに「そうそう」と思う記事に出会った。

「いまの障害者福祉の法制度を単に紹介説明するだけではなく、それを批判的に検討し、課題はなにかということを教育の中で学生に伝え、あるいは研究の中で生かしていくというスタイルが国家資格制度の下でわれわれのなかに失われてきているのではないか、と思います。制度を単に無批判的に実施するワーカーをつくるのではなくて、実践しながらもそれを改善する問題提起を実証的に行っていけるようなソーシャルワーカーを育てようとするのであれば、もっとテキストの段階からも考えなければいけないという感じももちます。そのためにも、国家試験にも法制度の課題、あるいは国際比較の中での日本の位置なども出題するなど、しっかりした課題意識を持つ社会福祉士が生まれるような努力が必要です。今日は試験委員をされている先生方もたくさん来ておられると思いますので、ぜひお考えいただきたいと思います。」(佐藤久夫「障害者自立支援法制定過程で政策研究はどう関与したか」『社会福祉学』47(2)、50

佐藤先生の、自身も含めた研究者への厳しい自戒は、大変な説得力がある。

今回、自立支援法に至る流れの中で、確かに当事者団体や一部支援者団体の動きはあったが、大きな支援者団体(○○士会など)や社会福祉学会などの学会は、動きがほとんどないか、あっても後手後手の展開であった。現場を支える、日々のことで精一杯、あるいは次々と押し寄せてくる資料を追いかけるだけで精一杯、というのも本音かも知れない。でも、そんな中でも情報にキャッチアップして、反論なり対案なりを出してくるのは、支援者や学会ではなく、当事者団体の側であった。たしかに研究者は軽はずみにモノを言うのではなく時間をかけて理論を熟成させていく役割かも知れないが、でも、大変な激変期に、変わりゆく制度にもの申す研究者が少なすぎたような気もしている。そして、その背景が、単に時間不足だけでなく、佐藤先生の指摘するように、グランドデザイン案や法案という新たな法や制度に対する批判的検討を行う、という営みが、「国家資格制度の下でわれわれのなかに失われてきている」ゆえのダンマリだとしたら・・・と勘ぐりたくもなる。

ひよっこ研究者として、大阪の現場から、いろんな対案を発信するお手伝いをしてきた僕としては、グランドデザイン案以後の展開に、ほとんどついていけていないかのような研究者達は、いったい何をしているのだろう、といぶかしいものを感じた。僕ごときひよっこが、自立支援法の講演にあちこち呼ばれる事自体、先輩方はどうされたのか、という疑問にもなった。どうでもいい話かもしれないが、全国の福祉系大学の大半に、「障害者福祉論」を教える教員はいる。なのに、この間動いている研究者がどれだけいるのだろう。もちろん、研究者の役割は、即時的にレスポンスすることだけではない。今は流れを読んで、大方定まったあとにコツコツと実証研究をされる方もいる。それはよい。だが、それでも大転換機に、多くの障害者福祉論を語る人間がいるはずなのに、どうしてあまり研究者からの声が聞こえてこないのか。もしかして、その方々が「制度を単に無批判的に実施するワーカーをつくる」ことにのみ、視野が狭まっているとしたら・・・。

佐藤先生自身、この文章の冒頭で、次のように後悔の念を述べている。

「私は、このシンポジウムのタイトルにまともに答えることができません。つまり、私をはじめとする障害者福祉政策の研究者が、戦後日本の障害者福祉の最大の改正・転換である障害者自立支援法の制定過程に、ほとんどまったくといっていいほど影響を与えることができなかった挫折感から立ち直れていません。」(同上、49)

佐藤先生のように「挫折感」を持っている研究者がどれほどいるか? 単に制度が変わった、とキャッチアップすることにのみ必死の研究者は少なくないか? 以前から何度も書いているが、あるものごとに追いかけるのに必死な状態は、武道でいう「居着き」の状態である。その状態では、相手の出方をうかがうことに必死で、追いかけるのに必死で、結局いつまで経っても相手の動きの先手を打つことは出来ない。対案なんかもってのほか、である。こういう「居着き」を超えるためには、いかに批判的に現状を分析し、「法制度の課題、あるいは国際比較の中での日本の位置など」を横目で見ながら、どの部分から崩せるか、責めていけるか、ポイントなのか、が問われている。そして、そういうことが出来る位置にこそ、研究者はいるのではないだろうか?

僕自身は、微力ながら、なるべく佐藤先生が指摘した「法制度の課題、あるいは国際比較の中での日本の位置など」を見続けて、真正面からこの「課題意識」は持ち続けてきたつもりだ。明後日から少し日本を離れるが、これも日本の今後進み行く「位地」を、他から眺め直して、少し頭を冷やして考えてみよう、という魂胆である。じっくり時間のかかる理論研究も、もちろん大切だし、少しずつ僕も勉強中だ。だがその一方で、目の前で動きつつある、自立支援法や地域移行の問題については、しつこく関わり続けなければ、と佐藤先生から檄をいただいたような、そんな報告であった。

ありがたい、には訳がある

 

ようやく頭が渡航モードに切り替わりつつある。

前回書いた夏風邪は、日曜に寝込んで回復の兆しを見せたが、その後月曜は丸一日東京出張でぶり返し、火曜水曜と出かけた長野では、甲府が34度の時に10度下回っていたものだから、半袖シャツしか持っていなかった阿呆の身体にこたえること、こたえること。水曜日に訪れた師匠のご自宅など、19度しかなく、セーターを借りも少し涼しいほど。そうやって騙しだまし、というより薄氷を踏む思いで、毎日汗ぐっしょりになりながらいると、まだ少し鼻づまり気味だけれど、ほぼ治ったようだ。

ついでに言うと、先週の金曜日、ごみの回収日だったのだけれど、清掃車の音を聞き、雨の中走ってゴミを捨てに出かけようとしたら、マンション入り口の鉄の排水溝で足を滑らせて、手と肘の皮がズルむけに。これも1週間たって、なんとかバンドエイドなしでも血が出ないように、快復してきた。そう思うと、この1週間は結構さんざんだったような気がする。

その間でも、竜巻のように様々な展開が進んでいる。長野でも東京でも、この半年の間に色々な企画が進行するらしい。風邪気味の頭であんまり集中出来てなかったのだが、それでもどうやら二つの企画とも大変そうだ、ということだけはわかる。しかも、足を抜くことも無理そうだし・・・さらには長野の企画のヘッドであるお姉様は携帯電話でこのブログをチェックされているとか・・・あな、恐ろしや。お姉様もひどい風邪だったけど、お加減はいかがでしょうか? 私は、夏休み前半に気張って(前倒しして)論文を書いておいてよかったです。どうやら、後半はそんな余裕もなさそうでございますねぇ。とほほ。

で、そろそろ渡航準備モード。
先週、オランダチームから、「音沙汰ないけど、ほんまに9月に来るつもりか? ホテルは予約した? とりあえずこんな感じでスケジュール組んだけど、これでいい?」とありがたいメールが来る。ここしばらくドタバタしていて、電話せんとまずいよなぁ、と思っていた頃だったので、何よりありがたい。そう言えば、ジャーナリストでもある師匠から、「アポイントメントさえ取れたら取材の半分は成功したようなもの」と言われたことがある。ま、師匠の場合、新聞記者には会いたくない、と思っている人びとにどうアプローチするか、で日々苦労されておられた。一方、研究者はジャーナリストほど対象と緊張関係を持っている訳ではないが、でもフィールド調査では事情は似ている。こちらは調査目的でお逢いしたくとも、向こうは別に会いたくなんかない、会って何の得になるのだ、と思われている可能性も高い。

なので、今回は三年前にお世話になったイエテボリのアンデシュや、昨年日本でお供したオランダのロールといった、「お顔馴染み」の相手の現場に飛び込むので、メールや電話だけでアポを入れていただき、ずいぶん助かる。去年からアメリカ調査も始めているが、最初のアメリカ調査など、日本からいきなり見ず知らずの現場にアポを入れまくって、ずいぶんと苦労した思い出もある。それに比べたら、向こうがある程度コーディネーションしてくださることがどれほど文字通り「有り難い」ことなのか、に思いをはせる。当然、この二つの現場とも、先輩研究者であるKさんが文字通り「開拓」し、親交を深められたからこそ、私がポコッと訪れても歓迎して頂けるまでになったのだ。そういう意味では、プー太郎時代に、「タケバタさんも少しは世界を拡げてみては」と、この分野へのご縁そのものを授けてくださった大先輩Kさんとの出会いそのものも「有り難く」、大感謝、なのである。Kさん、いつも本当にありがとうございます。

こう書くと、何だか大げさな、と思われる方もいるかもしれない。でも、例えば北欧に調査に行ったおり、現地の通訳の方からよくこんなことを聞かされる。「日本から来る人で、図々しい人も結構いる。○○に関係する調査をしたいのですが、それらしい現場の連絡先をいくつか教えてください。自分でアポをとって英語でやりますから、教えてくださるだけで結構です。」 一見、礼儀正しそうに見えなくもないが、実はメチャクチャ失礼なのである。だって、通訳の方も、苦労して様々な現場の担当者と時間をかけて人間関係を築き上げておられるのである。単に現場で言葉を翻訳するだけではない。その人の調査にはどういう現場が適切か、あの人だったらこの研究者の要望にこたえるためのネットワークを持っているのでは・・・というコーディネーション作業を担ってくださる通訳の方も少なくない。そういう方々に対して、苦労の末開拓された現場情報だけをそっくり教えろ、という言い方は、筋違いであり、何と慇懃無礼なことか。そして、こういう失礼な福祉系研究者が北欧には多い、とも聞いていたので、自分は襟元正さなければ、とことある毎に思うのである。大先輩Kさんの開拓してくださった現場に関わらせて頂けることに、感謝してもし尽くすことは出来ない。

ということは、国内外を問わず、調査や研究という営みも、ひとえにご縁というか、人と人のつながり、パスであることには、全く代わりないのである。と、こうまとめると平凡で古色蒼然とした感じだが、でも、この当たり前のことを、どれだけ誠実に出来るか、で、その人の価値が試されているような気がする。他人から託して頂いたパスは、誠実に運んで、次代にパスをつなげていく。なので、国内のパスも、ちゃんとやりますよ、Mさん。「今日も携帯画面では長すぎて読めない」とお姉さまからお叱りを受ける長文だなぁ、と思いつつ、パスつながりで言えば、あと一本残っている出国前の「最後の宿題」をさっさと片づけなければ。

しゃべり続けて8時間

 

昨晩、家に帰ってみたら、喉がガンガンに腫れていた。そして今日は一日寝てすごしていた。

昨日は山梨の作業療法士の皆さんへの講演会だったのだが、始まる前から、何だか少し喉の調子が変だった。龍角散のど飴をなめながら、これ以上ひどくならないように、と思いながら現場入り。本来一番喉を保護するためには、しゃべらないのが一番だが、講演者がしゃべらず帰るわけにもいかない。しかも、講演会が始まると、多くの皆さんがすごく真剣な眼差しで聞いてくださっている。こういう本気の眼差しに出会うと、俄然ボルテージが上がるのがタケバタの悪い癖。気がついたら超早口で、予定時間を20分オーバーしてしゃべりまくっていた。

で、この時点でも相当喉に違和感があったのだが、さらに追い打ちだったのが、懇親会。何故って、この懇親会がすごくオモロかったのである。最初はおきまりの真ん中に座らされて照れていたのだが、「懇親会などの席で積極的に色んな人とつながり、視野や世界を拡げることが大切」と講演中に焚きつけたら、「先生のおかげで飲み会に飛び入り参加の人も出てきました」とのこと。こりゃあ、火をつけてしまった手前、中途半端では済まされない。こうなったら、トコトン色んな人の話を聞いてみよう、と、喉の事は頭の隅に追いやって、議論モードに切り替える。「OTっていったい何?」「ソーシャルワーカーと何が違うの?」「専門性ってなんなの?」「仕事をされていて困っている点は?」などと、勝手に懇親会を座談会的場に変えてしまい、若手のOTの皆さんにどんどんぶつけていく。講演の際、OTの仕事って楽しいですか、と聞いたら、ほぼ全員が手を上げてくださっていただけあって、その仕事にかける皆さんの想いや情熱は大きい。出てくる話に頷きながら、僕も色々勉強になった。

その際、元気な関西人OTが僕に議論をふっかけてくる。「じゃあ、タケバタさんからみて、OTとソーシャルワーカーの違いは何?」 聞かれてみて、ふと口をついて出たのは、次の通り。「ソーシャルワーカーが人と人、人と機関などを『つなぐ』人だとすると、OTって、様々な可能性を『ひきだす』人なんじゃないのかな」 職場は違えど、皆さんこの「引き出す」ことに誇りをもって、対象者にも接しておられる。ただ、日々の業務の忙しさもあって、患者さんの「引き出す」ことに必死になっても、自身の「引き出し」を拡げる機会が限定されている、ということも、今回皆さんとお話ししていて、よくわかった。また、それはOTの皆さん自身が実感していて、引き出しを拡げるチャンスがほしい、と願っておられることもよくわかった。そういう中で、おせっかいタケバタは、あれやこれやと、助言のような言いたい放題をいっていた。だが、志ある方々の集まりでは、私の暴言も暖かく受け止めて頂いたようで、5時半から10時くらいまで、4時間半、ノンストップでしゃべり続けた。僕自身、いろんなエネルギーを頂けたような気がしている。

で、これから遠くのご実家まで帰省されるWさんに我が家まで送って頂いて、帰ってきたのが10時半過ぎ。気がつけば、喉はがらがらで、メチャクチャ痛い。とにかく何もする気力もなく、テレビをぼんやり見ていたら、NHK教育の土曜フォーラムに釘付けに。飯田市と青森市での中心部活性化の為の取り組みを取り上げたこの番組、実際にその地域を動かしている中心人物の語りを聞きながら、街とトコトン付き合う、という姿勢がすごく面白かった。ちなみに「現場とトコトン付き合う」というのは、「現場主義の知的生産法」「現場主義の人材育成法」(ともにちくま新書)などを書いている一橋大学の関満博氏の名言。僕も山梨に来て一年半が立ち、色んな現場で「お顔が見える関係」が少しずつ出てきた。その中で、昨日のOTの皆さんだけでなく、志ある現場の皆さんに、結構出会い始めている。その中で、どんな形で僕自身が「トコトン付き合」えるのだろうか、そんなことを考えながら、ガラガラ喉で、その日の飲み会を思い出しながら、テレビを眺めていたのであった。

様々な「途上」

 

昨日買ったノートパソコンで初投稿してみている。

ようやくここまでこぎ着けたが、昨日からネットワーク関連の接続で右往左往し、今朝はコールセンターのお世話になった。ひとつひとつの問題を丹念に尋ね、目の前にはないはずの問題を、ユーザーとのやりとりの中から見事に紐解いていくコールセンターのプロはすごい。言葉はばか丁寧だが要領を得ない担当者もいる一方、今日対応してくれたバッファローの担当者は、クールかつ適切に紐解いてくれ、40分くらいかかったが、こんがらがった糸をほどいてみせ、無事に問題を解決してくださった。ありがたい限り。

このコールセンター担当者の力量如何で変わる、というのは、ソーシャルワーカーだって同じことがいえる。このワーカーの「力量」問題は、性格問題であり簡単に変えられない問題なのか、あるいは現任者教育に基づいてある程度可変的(スキルアップ可能)なものなのか、は議論の分かれるところなのだが、僕自身は後者に期待をかけ、今年から始まった科研調査もこのテーマで追いかけるつもりでいる。ただこの問題はまだ勉強不足なので、もう少しストックができたら、少しここでも考察したい。

さて、勉強不足、といえば、大先輩のとみたさんから、前回のブログにコメントをいただいた。とみたさんの含蓄深いコメントは直接お読み頂くとして、ひとことでいえば、「bataくん,勉強不足ですね」という先輩のご指摘は、本当にありがたい限り。その昔、母親に小言を言われるたびに、「うるさいなぁ」と反論していた僕に、ある日母が次のように語ったことを思い出す。「ひろし、大人になったらこうやって叱ってくれる人はいなくなるのだから、叱ってもらえるうちが花や、と思ってありがたく受け取らないと」。これはまさにその通りで、大人になると、しかも大学の教員なんていう「肩書き」がついてしまうと、なかなか指摘やコメントを受ける機会が減ってしまう。このスルメブログのコメントも、最近はバイアグラだのドラッグだのの海外からの攻撃コメントばかりで、いつも駆除に追われて、もうコメント欄を閉鎖しようかな、と思いかけていたので、先輩からのコメントはひたすらうれしい。しかもその内容が、僕の勉強不足を、叱るわけではなく、やんわりと諭してくださるのだから、なんともありがたい限りだ。11日からの海外出張の際にも、先輩に指摘された問題に関連して、何冊か鞄に入れていこう、と思う。

そう、あと10日で出張なのである。
8月の末になって、思い出したが、すっかり迫っている。
今回は先に書いた科研の調査で、オランダとスウェーデンの知的障害当事者のセルフ・アドボカシーグループに取材に出かけてくる。スウェーデンでは二年前にお世話になったグルンデン(このことは一部まとめている)という当事者会に、オランダではLFBという当事者会にお世話になる。どちらも昨年日本に来られ、セルフ・アドボカシーについて大変示唆に富む話をされていた。今、この二つのグループが中心になって、コーチングのアイデアを用いながら、当事者や支援者の価値の変容や新しい支援のあり方についての実践が積み重ねられている。支援者の価値の変容につながる現任者教育が今回の研究の柱なので、是非ともその考えをじっくり学びたい、と思い、オランダとスウェーデンに一週間づつ、滞在する予定。先に先輩に指摘された問題も、このセルフ・アドボカシーの問題も、まさに勉強の途上、であるので、何とか必死になってくらいつきたいな、というのが、情けないけど実態である。

で、勉強の途上、といえば、今日は山梨の作業療法士の皆さんの前で、これから講演することになっている。タイトルは「誰のための、何の『自立』?」という恐ろしいテーマ。これも勉強の途上なのだけれど、じっくりしつこく追いかけていきたいテーマなので、敢えてこのテーマで少しお話しさせて頂くことにした。その関連で、これも勉強の途上である作業療法関連の文献を読み返す。その中で、来週からの出張にも関連する、とある文章に出会う。

「スウェーデン独特の平等精神はあらゆるところに浸透している。平等への考え方や、社会システムが根本的に違うのだ。男女の性別差別がない平等ということだけではなく、誰にも依存しないで、すべての人が自立した上での平等なのである。それは、幼いころからの家庭教育、母親も父親も共働きで、家庭内のことは共同で行っていくという歴史的な環境が作り上げたものだろう。
 手の空いている者が掃除をし、料理をし、子どもに本を読んで寝かしつける。学校では、家庭科や木工技術も男女の差別がなく、みんなが裁縫をし、料理をし、大工仕事をしている。ささいなことまでその意識が浸透しているスウェーデンでは、互いに貸し借りのない、依存しない自立を基本として、互いの位置を同等化しているといえる。だからこそ、議論する場合も上から下へと一方的な縦の関係ではなく、相互信頼の下に白熱した議論が繰り広げられる。それをもっとも象徴するのが、互いの名前を呼ぶときに、スウェーデンでは子どもから老人までファミリーネームでなくファーストネームを呼び合うことだろう。まだ若い女医のカーリンも、脳神経外科の偉い医者も、みんなファーストネームで呼ばれて親しまれている。」
(河本佳子著「スウェーデンの作業療法士」新評論、75-76

スウェーデン在住の著者が日本で講演会をする、と聞き、樟葉のある病院の会議室(ローカルだなぁ)まで足を運んだのは、確か4年ほど前の院生時代のこと。スウェーデンで暮らした際は読むことがなかったのだが、今こうして講演前の「にわか勉強」で読み直して、目から鱗、の箇所がなんと多いことか。実際に現地に住んでみて感じた、でも日本語で表現しにくい、しかし根本的な価値観の違いのようなものを、スウェーデンに住んで長い著者がスパッと書いている。長く引用したのは、その部分をお伝えしたくって、長めの引用だったのだ。

先生と呼ばないでファーストネームで呼び合う関係、その背景にある、「互いに貸し借りのない、依存しない自立を基本として、互いの位置を同等化している」という「スウェーデン独特の平等精神」。これは支援という局面でも根深い差異を、日本とスウェーデンの間に与えているような気がしてならない。両国間で福祉はどっちが上、とかいう議論でない。ノーマライゼーションにしても、セルフ・アドボカシーにしても、作業療法にしても、その概念の背景に、この「同等化」や「平等精神」があって、そこから組み立てられたツールとして用いられるような気がしてならない。つまり、これらの考えは、モデルではなく、その背景にある哲学や人間観とセットになっているような気がしている。その一方、日本でノーマライゼーションやアドボカシーなどを語る際、肝心な人間観や哲学とは切り離された、ツールである技法として輸入されているような気がしてならない。それゆえに、日本の文化なり社会と切り離されたところで、これらのツールが「浮いている」ような気がしているのだ。

だからといって、スウェーデンの人間観や価値観万歳、といっているのではない。河本さんの指摘を借りれば、日本では「互いに貸し借り」をするなかで、「依存」しあう「自立を基本として、互いの位置を」差別化しているのかもしれない。でもそれが果たして悪いのか、といわれると、わからない。以前にも書いたが、日本では下からのノーマライゼーションというのが、現場で息づいている。それを支えているのが、「おたがいさん」という依存関係、のような気もしている。それは、山梨に暮らし始めて、すごく感じている。これを全否定するのではなく、日本らしさとして前提にしながら、一方で今なお起きている障害者への権利剥奪の現状と対抗する哲学なり人間観なり、それに基づいた政策をどう練り上げていけばいいのか。今度の国連総会で批准される予定の障害者権利条約にそって、国内法レベルの改正が議論される際、日本人になじみにくい「権利」だったり「差別禁止」という法理論をどう組み立てていくべきか。法学部に所属しながらその辺の勉強も「途上」だったりするタケバタにとって、まさに課題は山積である。ただ、今度の出張では、その辺を意識して、表面で見える動きの背後まで追いかけられたら、と思っている。

と書いていたら、あらもう12時。13時半には現地入りしなければならないので、今日も「途上」で終わってしまった。

ある意味”まっとう”すぎる、”恐ろしい”本

 

いやはや、恐ろしい本を読んでしまった。

「支配的なグループに属する人びとが、従属的なグループの人びとの家庭への立ち入りを許され、プライベートないとなみを観察し、自分たちが見たことを記録し、そして、自分たちの観察を他のミドルクラスの援助者のネットワークと共有した。これまでに見てきた事例と同じく、お定まりの主体/客体の二分法が成立し、ソーシャルワーカーはまったくそれに安んじることができる。支配的なグループのメンバーは能動的であり、従属的なグループのメンバーは受動的である。一方が見、他方は見られる。一方が書き、他方は叙述の対象になる。一方が知識と指示を調達し、他方は感謝しながら知識を吸収し、指示に従う。」(レスリー・マーゴリン著「ソーシャルワークの社会的構築-優しさの名のもとに」明石書店p398)

何が恐ろしいって、マーゴリン氏の言っていることは、残念ながら!?的はずれではない。というか、ソーシャルワーカーが「優しさの名のもとに」行ってきた、権力支配の問題を、実に赤裸々にしてくれているのである。

ソーシャルワーカーの問題を追いかけながら、不勉強にもこの本は「積ん読」状態だったのだが、今週少し余裕が出来てやっと読み始め、一気に読んでしまった。そして、最近読んだ本で一番赤線を引き、一番ドッグイヤーのページが多くなってしまった。自身も17年間ソーシャルワーカーをしていた著者が、リッチモンドの時代から現代までの山ほどの文献を系譜学的に分析し、技法やスタンスの変化の背後に、ずっと変わらないソーシャルワーカーの自己正当化と、クライエントを「誘惑しながら同時に拷問しなければならない」という「二つの矛盾する命令に同時に従わなければならない」(同上p407)という固有の問題性をあぶり出しているのである。「ソーシャルワーカーもまた犠牲者である」(同上p407)という視点を持ちながらも、これでもか、と年代を超えたソーシャルワーカーの根本的問題を次々と突きつけてくる著者の文体は、読み進めるうちに恐ろしいほどの迫力である。いくつか、キメぜりふをご紹介しよう。

「ソーシャルワーカーの陶酔によって、平等ではなく権力が作動しているという事実が覆い隠されている」(同上p384)

筆者はこの本の中で、「困っている人を助けたい」というワーカーの気持ちを否定しているのではない。そうではなくて、そのような気持ちを持って働いているワーカーの「陶酔」が、即「平等」へと繋がっていない現実をしめしている。実際には、対等な友人として付き合うのではなく、当事者からは、措置権限やサービス支給決定権、退院支援の権限・・・を持つ「権力」者としてワーカーが映っている、という「権力」の「作動」の「事実が覆い隠されている」という問題を指摘している。善意で行っていることも、こちらとしては平等で対等に接しているつもりでも、被援助者からは構造的に「権力者」と映っている、というリアリティをあぶり出しているのである。さらには、こんな言及もしている。

「貧しい人の否定的な特色について積極的なソーシャルワークの言説は、既存の社会秩序を正当化した。そして、それは、ある人たちをクライエントにし、別の人たちをその審判者にすることに貢献している社会的な資源と機会の不平等な分配から注意を逸らすことを通じて達成されたのである。」(同上p239)

ソーシャルワーカーが社会問題の「解決」のために積極的に支援していると本人も信じて疑わないとしても、実は自らが行うその手法やアプローチが、「既存の社会秩序を正当化」し、その秩序の序列の内部に「クライエント」と「審判者」を序列化することに、図らずも貢献してしまっている。つまり、「社会的な資源と機会の不平等な分配」という社会問題から「注意を逸ら」して、問題をクライエント個人の問題に内面化、矮小化している、という点に、権力側に構造的に立ちうるソーシャルワーカーの根本的問題が潜んでいる、とマーゴリン氏は指摘するのである。この重大な指摘を書き写しながら、私はあるフレーズを思い出していた。

「日本では、『お伺いをたてる』という卑屈な役割関係を踏まなければ生きていきにくい医療との関係を呪う人もいれば、逆にその支配力に依存し保護される事を求め続ける人もいる」(山本深雪「『心の病』とノーマライゼーション」ノーマライゼーション研究1993年年報, p103

精神医療のユーザー側から、その構造的問題を指摘し続ける山本氏のこの発言は、ソーシャルワーカーとの間だって同じである。まさに、相手が権力を持つが故に、「卑屈な役割関係を踏まなければ生きていきにくい」のである。いくら医師やワーカー個人が善人であっても、「お伺いをたてる」という構造的非対称の下側から眺めた時、そこには「卑屈な役割関係」という権力関係があるのである。先ほどの話しを繰り返すと、この構造的非対称性という社会問題から「注意を逸ら」して、問題をクライエント個人の問題に内面化することは、まさに「社会秩序」の強化につながるのである。援助者が被援助者と「友人」、ないし「平等」であろうとするならば、既存の構造化された社会秩序が抱える「社会的な資源と機会の不平等な分配」こそ前景化して、自らの「権力」も含めて再吟味しなければならないのだ。

支援者の権力支配の問題は、そういう意味では大変恐ろしい。この権力問題に無自覚でかつ当事者に権力的支配を及ぼしているワーカーも確かにいる。一方、この問題に自覚的で、「自分が抱え込んだ矛盾を首尾よく永続的に抑圧する能力がない」(同上p407)がゆえに「バーンアウト」するワーカーもいる。さらには、この二つのアプローチを取らず、権力に対して自覚的になりながら、「社会的な資源と機会の不平等な分配」を前景化し、地域でのオルタナティブと新たな社会資源の構築を実体的に作り上げているワーカーもいる。僕も京都で117人のワーカーにインタビュー調査をしていて、この三者が年齢や性別、経験年数を超えて混在していることを実感している。今、考えはじめている支援者論を突き詰める際も、この権力支配の問題は、中心点に据えなければならない、そう感じている。

ちなみに、このマーゴリン氏の邦訳のタイトルにもなっている「社会的構築」に関連して、訳者の一人で日本における社会構築主義の第一人者でもある中河伸俊氏の作品に関する書評論文に、興味深い一文があったので、最後にこれも引用しておこう。

「『正義と悪の二分法』による道徳的な研究・評論・報道を感情的に後押しし自己正当化しているものこそ「社会問題は解決しなければならない」というエートスである。この自明性に覆われた感情的前提が、研究する者の自己言及性を低くし、言説の社会学的洗練度を低めていると考えられそうだ。これをいったんペンディングして、別の『社会問題の言語ゲーム』に参加すること。構築主義の共通主張はこのあたりにあるようだ。」(野村一夫著「紹介と書評 中河伸俊『社会問題の社会学――構築主義アプローチの新展開』」大原社会問題研究所雑誌第497号)

「正義と悪の二分法」とは、ここでも何度も書いている“I am right, you are wrong.”の二分法だ。その二分法について、「この自明性に覆われた感情的前提が、研究する者の自己言及性を低くし、言説の社会学的洗練度を低めている」と野村氏は指摘している。構築主義は「これをいったんペンディングして、別の『社会問題の言語ゲーム』に参加すること」という「共通主張」を持つ。「感情的前提」によって「自己言及制」や「言説の社会学的洗練度」が低下することは、指摘したい問題点を前景化するどころか、逆に肯定する論理にすり代わりかねない。マーゴリン氏も、ソーシャルワークに内在する、またバーンアウトが起こりうる矛盾をあぶり出したいからこそ、ソーシャルワークは善意に基づく、という「自明性に覆われた感情的前提」を「ペンディング」にして、議論を構築し直したのだ。こういう仕事に、見習うべき点は大変多いと感じた。

発酵段階を超えて

 

今日はひさびさの休日モード。お昼までのんびり寝て、その後、大掃除モード。とにかくここしばらく、部屋が散らかりまくっていたので、BGMに「歌でしか言えない」(by中島みゆき)をかけながら、食器洗いからテーブル、居間とサクサク片づけていく。掃除モードに中島みゆき、ってのも何なのだが、まあ僕にとって、高校生のころから元気を奮い立たせるのが彼女の歌声だったので、別に何の不思議もない。しかもこのCD、一番最初に買った中島みゆきのアルバムだったので、汗びっしょりかきながら、色々思い出しながら、のお掃除モードなのだった。

その後、大学に立ち寄って、ある原稿を送ってしまって、とりあえず一息。やっと夏休み中の〆切一覧からほぼ、解消されたのだ。そういえば、夏は本当によく書きまくった。論文二つに翻訳原稿とミニコミ誌の原稿が一つずつ、それに結構大変な講演もあったし、昨日一昨日はソーシャルワーカーの皆さんの泊まり込み研修にも講師として参加したり・・・。ああ、夏休みはほんと、労働モード全開であった。

実は大学院生時代はなかなかアウトプットに至らず、博士論文審査の際にも「業績が少ない」とある先生に指摘されて、その時はひたすら「ごめんなさい」状態だった。院生のころは、とにかく吸収と咀嚼に精一杯で、なかなかアウトプットに至らなかった。中途半端な知識で、わかったようなことを書きたくない、という想いも強かった。それが今になって、集めてきた(寝かせてきた!?)情報が、ようやく「使える」段階になってきたのか、書きモードに突入している。知識が当時より飛躍的に増えたかどうかはアヤシイが、そろそろ発酵が完了したネタについてはある程度アウトプットしておかないと、次のインプットに繋がらない、と気づいたので、とにかく今、頭にあることは書きまくるモードになってきたのだ。ほんとはもう一本、まとめたい内容があるのだが、9月は海外出張もあるので、時間との勝負。なんとか二学期が始まるまでに、この調子で構想を固めて書き終えてしまいたいのだが、さてどうなることやら。

先ほど発酵、と書いたが、今は、大学院のころから「溜め込んできた」テーマの発酵段階が終わり、ちょっとずつ「製品」化へと至っている熟成段階といえる。で、この熟成、といえば、昨日一昨日と参加してきた、ソーシャルワーカーの皆さんとの一泊研修の場も、僕のテーマの一つである「職員研修」について熟成してきた色々な視点を皆さんにぶつける、という意味で、僕にとっても大変勉強になる場であった。

当事者のエンパワメント、という前に、その担い手と目されている支援者自体がエンパワメントされていない、と現場調査から常々感じていて、この研修の企画者側も同じ意見だったので、今回はこの点を焦点化すべく、セルフヘルプグループの手法を用いながら、参加者の皆さんに、次々とご自身の問題点を前景化していただくグループワークのセッションを開く。その中で、どうもソーシャルワーカーの皆さんが、忙しい業務をとにかく「片づける」、あるいはソーシャルワーカーとして「きちんとする」、という二点があぶり出されてきたので、このセミナーでは、話し合う内容について簡単に結論づけない(片づけない)でいいし、「きちんと」しなくてよい、それより議論の中身を深めるプロセスが大切だ、というメッセージを伝えた。すると、ボロボロと皆さんの中から色々なテーマや論点が熟成されていった。これぞ産婆術を目指すタケバタにとって、オモロイ瞬間。おかげさまで、少しはツボをつけたのか、参加者の皆さんも、少しは「気づき」を持ち帰って頂くことが出来たようだ。僕も得られたものが大きい研修であった。

あと、プロセス、というと、とあるグループの議論を聞いていて、実は現場の皆さんが「きちんと」「片づける」ことに追われる間に、現場で当事者とじっくり向き合う、という「プロセス」を飛ばしていないか、という点もニュルッと論点化されてきた。この「プロセス飛ばし」は結構その班の皆さんのツボにはまったようで、最終発表時にもこの論点を用いてその班は発表しておられた。

ある程度ルーティーン化されたり、結果が予期しやすいケースの場合、その予期した結末と反する当事者の訴えに基づいて動いても無駄になる場合が多い、と、その訴えに十分耳を傾けず、事例を「片づける」ケースが現場ではまま、あるという。結果が見えているので、それに添わない努力は時間の無駄だ、と。そういうやり方でも、表面的には「きちんと」片づくし、むしろ効率的な事もあるという。だが、何かを訴えたい当事者にとっては、味方になるはずのソーシャルワーカーが、自分の与り知らぬところで、「どうせ無理だから」と、自身の意見に耳を傾け模索する努力をはじめから放棄していては、それは自分の訴えの無視であり、大いなる「プロセス飛ばし」ではないか。この「プロセス飛ばし」の上にケースが「きれいに」「片づいた」としても、それは、土台がきちんとしていない、という意味で問題ではないか。一方、熟練したワーカーの中には、どれほど忙しくとも、この「プロセス飛ばし」をせずに、当事者の諦めていた想いや願いを実現するために、「どうせ無駄だ」と思われた現実を変えることに心血を注いできたのではないか・・・。

これらのストーリーは、現場の方々にも、一定の説得力があるようだ。実は、このストーリー、博論以来から追いかけているテーマでもあり、次にまとめたいテーマにも密接に関連している。やっぱり、9月はちょっとこのテーマを追いかけなきゃなぁ、と再確認させられた週末であった。

何のための研究?

 

今週の前半は関西で調査をしていた。

以前から追いかけているフィールド地で久しぶりに丸2日、じっくり腰を据えて、色々お話を聞く。どんな現場でも「何となくブラブラする」なかで、色んな人とお話しする中で、様々な光景を垣間見る中で、少しずつ課題や論点を探っている僕にとって、この「ブラブラ」は大切な時間だ。今の自分の仕事のスタイルは、現場で伺う様々なエピソードから論点を絞り出し、何らかの考察に高めていく、というフィールドワークのスタイルなので、どうしてもこうやって「現場に入り込む」期間が必要になる。朝の会議から、送迎の車、夜の会議にその後の飲み会まで、丸2日、現場漬けになっていた。

質問紙を用意して、こちらが聞きたいことを効率的に次々と大規模に聞いて回る、というやり方の調査もある。僕もそういう調査研究にも関わっている。だが、それよりも僕の性に合うのは、今のところ、ブラブラする中で論点を探り当てる、という先ほどの方式だ。これは一見非効率で、ブラブラを何度か重ねる期間には、いったい何が見えてくるのか、自分自身でも予想がつかない。だが、ある瞬間、ある言葉やエピソード、ある光景などから、突如として「これってこういうことなんとちゃうんか?」という視点、というか、枠組みのようなものが舞い降りてくる。その瞬間から、ブラブラが俄然、枠組みやその作業仮説を検証するためのブラブラとなるのだ。この瞬間が、調査初日の朝一に降りてくることは、まあない。事前に用意しておいた枠組みを当てはめて見て、あたることもあまりない。それより、現場でブラブラして、一杯しゃべって、色んな人、色んな場面に遭遇する中で、ようやく見つかってくる。今回の場合は、フィールドワークの二日目くらいにある作業仮説が見つかった。

ただ、2日で見つかる、というのは、既にこの現場に何度も足を運び、一度は論文にもまとめ、という継続的おつきあいをしているからである。全く新しいフィールドでこんなに簡単に事は運ばない。そして、面白いのは、今回の視点、というか、枠組みは、実は前回論文にまとめたときの視点なり仮説を否定する、新たな作業仮説なのである。つまり、自分でそうだろう、と信じて、先行研究なども参考にしながらまとめ、当の現場の方々からも一定の評価を得られ、出来あがったつもりになっていた枠組みでは、肝心な部分が抜けているのではないか、というのが、前の論文から1年半ほど経って、見えてきたのだ。

これは、当然その枠組みについて考えている僕自身の変化によって見えてきた部分でもあり、現場自身の変化でもあり、その両方でもある。前の枠組みがあったからこそ、そのめがねでは不全感のある部分が前景化した、ともいえる。そういう意味では、今回の枠組みだって、仮説検証の中で、論文としてまとめる中で、あるいは新たにその後ブラブラする中で、否定されるかもしれない。でも、こうやって何度もやりとりをしていくうちに、そのうち、「否定されても残る」部分が出てくるかもしれない。それが、一定の普遍性なり理論化なりにつながっていくのではないか。今のところ、そう感じているし、この現場のことを扱った以前の論文でも、結果の部分については、一定の普遍性はまだある、と思っている。

何のための研究か、と問われると、僕は、こういう現場とのやり取りの中で、一定の普遍性を導き出し、そこから、少しは現場に返せる理論なり枠組みなり視点を提供するための研究、と今のところ、考えている。もちろん、これを通じて、学問体系や理論に一定の貢献はしたいし、出来うる、と思っている。ただ、あくまでも「現場に役立つ」、ということは、僕の中で前提条件であり続ける。理論にさえ貢献出来れば、現場になんて何にも役立たなくて良い、という考えは、他の人はどうであれ、少なくとも僕の研究では全くの想定外である。多少なりとも現場の方々に期待して頂いた上で、多くの現場の方々に協力いただき、現場で「ブラブラ」出来ているのである。研究を通じて何らかの「お返し」が出来ないようなブラブラは、単なる現場にとってのじゃまでしかない。研究と実践が結びついている社会福祉の分野だからこそ、この視点は、僕の中でははずせない枠組み、である。