「○○しちゃダメ」と違うやり方とは?

わが家のおちびは絶賛イヤイヤ期に突入。食事中に、お茶の入ったミニボトルやスプーン、お皿などを投げまくる。「投げたらダメ」と言っても、全然聞いてくれない。そのくせ、「ぶどう食べる人?」と訊ねると、元気に「はい」と答えたりする。お茶ボトルがゴツンと当たると、正直痛くて、「痛いなぁ」と思わず大きな声を出すときもあるし、睨んでしまうときもある。でも、本人はきょとんとしている。まだ、「悪いことをした」という自覚や判断力も身についていないようだ。さて、困った。

そう思った時、岡山の「「無理しない」地域づくりの学校」で出会った、香川の子育てサークル「ぬくぬくママSUN’S」代表の中村香菜子さんの顔が浮かんで、彼女にお尋ねしてみた。すると、色々教えて下さったのだが、その中で最も刺さったフレーズが次の部分だった。

「コミュニケーションの基本は、相手を否定せず、認め、提案するです」

本当に、そのとおり。なのに、わが子の「『問題行動』を修正せねば」と躍起になるあまり、この基本を忘れていた。そう、おちびがものを投げ続ける時も、それにはそれなりの理由があるのだ。それを「否定せず、認め」た上で、それ以外のやり方を「提案する」。これは、子どもだけでなく、認知症のBPSDでも障害者のchallenging behaviorでも同じだった。・・・と知識で知っていても、目の前で実際にその行動と出会った時、スプーンや皿が飛び続ける時、なかなか自覚的になれない、ということも、今回よくわかった。文字で知っている事と、実際に出来る事は、違いますね。

そして、中村さんは、「ダメ」ではないコミュニケーションとして、次の様な例も教えてくださった。

「水筒投げたらめちゃ楽しいよなーわはははは!ねー!でもさ、これ、投げたらママの頭がいたたたたーやで。それに、大事な水筒が壊れちゃう。みんなえーんえーんやで。だから、こっちにしまっておくね、」

子どもが言語化出来ていない、水筒を投げて楽しい、とか、欲求不満とか、とにかく水筒を投げるのに意味がある、ということを肯定的にまず受け止める。親がキャッチしたと言葉で伝える。でも、その上で、親にとっての困った現象や、その行為が及ぼす影響も伝えた上で、別の提案をする。いやはや、さすがですね。

このことを教わりながら、二つのことが結びついて来た。

一つは非暴力コミュニケーション(Non Violent Communication)との共通点である。NVC Japanのホームページにはこんな風に説明されている。

「頭(思考)で判断・批判・分析・取引などするかわりに、自分自身と相手の心(ハート)の声に耳を傾けて、今の感情(Feeling)・ニーズ(Needs)を明確にしていくことで、お互いの誤解や偏見からではなく、心からつながりながら共感を伴ってコミュニケーションをすることを主眼にします。
具体的には、「観察(Observation)」「感情(Feeling)」「ニーズ(Need)」「リクエスト(Request)」の4要素に注目しながら、コミュニケーションで起こっている問題・ズレを整理していくという方法をとります。」

「それしちゃダメ」というのは、「頭で判断や批判」をすることである。それは、「自分自身と相手の心(ハート)の声に耳を傾けて」はいない。そして、そのことからズレが生じ、共感ではなく「お互いの誤解や偏見」が広がっていくという。では、どうすればよいか。実は、中村さんの上記のコミュニケーションでは、既にそれが実践されている。

「「水筒投げたらめちゃ楽しいよなーわはははは!ねー!」(観察) 「でもさ、これ、投げたらママの頭がいたたたたーやで。それに、大事な水筒が壊れちゃう。みんなえーんえーんやで。」 (感情+ニーズ:水筒を壊したくない、泣きたくない) 「だから、こっちにしまっておくね」(リクエスト)

ここでの肝は、相手がなぜそうするのか、という相手の内在的論理を探り、それを自分の感情と分けて、まずは観察言語として表現し、相手に伝える、ということである。つまり、真っ先に「ダメ」「やめなさい」といった「判断や批判」をする前に、相手の行動を「否定せず」に受け止めることである。

そんな折、昨日の朝日新聞のフロントランナーで、LITALICOの長谷川さんが取り上げられていた。彼の発言を読んでいて、ここまで考えて来たことと繋がるフレーズを見つけた。

「ワークスを利用する精神疾患の人たちの多くが、幼い頃からの失敗体験の連続でトラウマを抱えて青年期に発症していることを知り、「日本には、ユニークな人を育てる教育環境がなさすぎる」と痛感した。」

「ユニークな子にあった教育環境がなかった結果、二次的に精神疾患になる人が多いというのは、僕の肌感覚による仮説です」

ここでいう「ユニークな子」とは、単に発達障害とか精神障害というカテゴライズに入る子を意味してはいないと読みながら感じた。「○○しちゃダメでしょ」に素直に従う従順な子ども以外は、つまり実は大半の子どもは、本来一人一人がかなりユニークさを持っているのだ。だが、親が「○○しちゃダメ」と言い続けると、そのうちの少なからぬ子は、その親の統制に従う。それが「しつけ」として社会的に合意されている。そして、その「しつけ」に従う事を前提とした学校空間において、「しつけ」に従えない「ユニークな子」は、先生や親から抑圧され、「幼い頃からの失敗体験の連続でトラウマを抱えて青年期に発症」したり「二次的に精神疾患」になる可能性がある。それは、僕のこれまでの「肌感覚」とも繋がる話だ。(それは以前、「規則や権力への『従順』という『病』」として整理したことがある)

で、その元凶に「○○しちゃダメ」があるのではないか、とも感じている。

以前からの研究仲間でもある大阪大学の深尾葉子先生は、それを「ノットコマンド」問題として提唱しておられる。ノットコマンド、とは、例えば「○○しちゃダメ」のような否定形を伴う表現の場合、「しちゃダメ」という「ノット(not)」の部分を発話者は強調したいのに、受け取る方は「○○する」の部分だけを無意識的に受け取り、発話者の意図とは真逆の指示(コマンド)が伝わる、という「真逆の・意図しない(not)指示(command)」を指している。

娘の場合も、「ぶどう」とか「テレビ」とか「ご飯」とか「じぷた」(好きな絵本のタイトル)とか、キーワードに反応している段階である。その段階で「水筒投げてはだめ」と言っても、たぶん「水筒」しか聞こえない。すると、ダメという部分より「水筒を投げる」に耳が集中し、それを反復してよいと誤解するコミュニケーションが成り立ったいるのかも、しれない。

これは、大人だって同じだ。頭ごなしに「○○しちゃダメ」と言われても、「○○する」事が「楽しい」「したくなった」「そうしないとやっていられない」「それ以外の行動が出来ない」から「○○する」のである。その相手の内在的論理を探ることなく、頭ごなしに判断や批判されても、感情的な反発を受けるだけだ。まずは、否定せずに、notコマンドを使わずに、相手の表現を「観察」して、それを表現してほしいのだ。そこから、表現している相手と観察者の、判断や批判ではない、決めつけではない(=非暴力的な)コミュニケーションが始まるのだ。

そして長谷川さんが「幼い頃からの失敗体験の連続でトラウマを抱えて」と言う時、「ユニークな子」ほど、この「○○しちゃダメ」に安易に従わない特性(=ユニークさ)を持っているがゆえに、それを「しつけや教育」において、頭ごなしに批判・判断され続けてきた結果、二次的に精神疾患になる可能性もあるかも、と、我が事として理解することが出来た。

そういえば、僕だって小さい頃は癇癪持ちで、小学校のころは鞄を道路に投げて放置したり、とか、「きかん気」の子どもだった。でも、ありがたいことに、親や周囲の友達が「○○しちゃダメ」となじるタイプではなく、暖かく見守ってくれたから、なんとか自分で「鞄を投げても得なことはない」と納得し、そこから自分で行動を変えていった記憶がある。誰だって、感情がコントロールできない時がある。興味関心が、親の注意より先立つ時もある。その時に、安直に「○○しちゃだめ」と判断や批判をせず、まず生じていることを「観察」し、そこで生じていることを否定せずに受け止めることができるか。

うーん、実際にコツンとコップが頭に当たったり、食事が床に飛ぶ中で、落ち着いて観察するのは、ハードルが低くない。でも、怒鳴りつけるコミュニケーションをしても、おちびには届かないことだけは、確かだ。であれば、これは僕自身が非暴力コミュニケーションが出来るか、「問題行動」の内在的論理をまさにその行動が成されている時に探ることが出来るか、を試されているのである。おちびさんは、お父ちゃんになかなかハードで有意義な試練を与えて下さっている。さて、そろそろおちびが起きてきたので、その試練を試してみよう。

二項対立を超える為に

最近ご一緒させて頂く事の多い、財政社会学者の井手英策さんが新著『富山は日本のスウェーデン-変革する保守王国の謎を解く』(集英社新書)を出された。僕は発刊直後に駅の本屋で買って読み始めたが、その後井手さんからご恵贈頂いたものも届いた。この本は、新書で読みやすい文体なのだが、僕個人にとっては時間のかかる読書となった。それは、井手さんが二項対立を越える為の問いかけを、本書に沢山埋め込んでいて、途中で立ち止まって考える場面も多かったからだ。

「社会民主主義は、共産主義や社会主義とはちがって、議会制民主主義の廃止、共産党の一党独裁、私的所有権の否定といった革命的な変革をもとめてはいない。むしろ基本的な制度の枠組みを維持しながら、自由や公正、連帯といった価値の実現を追求している。
たしかに、追求する価値が古い文化や伝統のあり方なのか、自由や公正、連帯なのかというちがいはある。だが、それぞれにとっての大切な価値を実現するため、永続的な運動を行っていく点に目をつければ、マンハイムらのいう保守主義と社会民主主義との距離は意外と近いものに見えてこないだろうか。」(p26)

この井手さんの発言は、蒙を啓かれる、というか、自分自身に欠けていた視点だった。僕は14年前にスウェーデンに半年住んでいたこともあり、社会民主主義的な価値観は凄く大切だ、と思っている。特に子どもを授かってからは、公立保育園が近所にあって、1才から必ず入れられるので、パパが朝から連れて行った風景を、羨ましく思い出していた。ああいう社会を日本でどう実現出来るのだろう、と自分事として考えている。

そういう僕にとって、「大切な価値を実現するため、永続的な運動を行っていく」点では、社民主義と保守主義では構造は同じだ、という指摘が興味深く映った。大学生の頃から随分スウェーデン贔屓で、「スウェーデンでは」と「出羽の神」のごとくいつも引き合いにだしていた。でも、そういう言い方をしても、日本では全然響かない。「すごいですね」「いいですね」という声が挙がったとしても、必ずセットで「人口が違いすぎるから」「日本の風土に高福祉高負担は似合わない」などと否定されることも多かった。井手さんも、きっとそういう経験もされたのではないか、と思う。だからこそ、重視する価値ではなく、「永続的な運動」という側面で富山を捉え、それをスウェーデンと結びつけようとしたこの著作は、多くの問題提起を僕にも投げかける。

富山とスウェーデンがどう似ているのか、は同書を手にとって頂くとして、僕に刺さったフレーズを幾つか抜き出したい。

「富山を『保守的な社会だ』と斬って捨てることは簡単だ。おそらく多くの左派・リベラルはこうした社会を望もうとはしないのではないだろうか。だが、本書で明らかにした諸指標、そして富山の人たちがつくりだしたマクロの社会循環は、リベラルや左派がもとめ、そしてついぞ実現できなかった社会の姿にきわめて近いこともまた事実である。
一方、保守派の好む伝統主義的、家族主義的な傾向が支配的であることは、多くの人にとって生きづらさと紙一重というのが実際のところだろう。だが、そうした傾向は富山だけでなく、日本社会のいたるところに存在している。それをただ『保守的だ』といって批判するだけでは思考停止と変わらない。
保守的だと斬り捨てる前に、保守的なものの内側で起きつつある変化の兆しをうまくつかまえ、より、自由で、公正で、連帯できる社会をめざすことは論理的に可能だし、実際にそうした萌芽が富山社会にも数多く存在している。
僕は富山をユートピアだと思わない。無前提に賞賛するつもりはない。そうではなく、富山社会のこれまで、いま、に深く入り込み、学び、そのなかでの発見をつうじて、よりよい社会の条件について考えてみたいと思っている。そのヒントが富山に無数にあることを僕は知っているからだ。」(p74-75)

長い引用になったが、この部分に井手さんの視点が凝縮されていると感じる。「保守派の好む伝統主義的、家族主義的な傾向が支配的であること」が、団塊の世代を中心に多くの反発を招き、故郷を捨てて大都会に人口移動させる契機になった。少なからぬ若者にとって、上記の傾向は「生きづらさ」に直結していた。団塊の世代がリベラルや左派的視点に親和的になっていったのは、この「伝統主義的、家族主義的な傾向」への反発の意味も大きかったと思う。

だが、そんな「保守王国」富山が、持ち家率や女性の正社員比率で全国1位だと言う。これを指して「リベラルや左派がもとめ、そしてついぞ実現できなかった社会の姿」があるではないか、と井手さんは指摘する。保守王国で社会民主主義的な結果と類似した内容が出現しているのはなぜか、と問うているのである。その上で、井手さんは、一見すると相容れない二つを繋ぐ隘路を、「保守的なものの内側で起きつつある変化の兆しをうまくつかまえ、より、自由で、公正で、連帯できる社会をめざすことは論理的に可能だ」と整理している。

なるほど。先ほどの「大切な価値を実現するため、永続的な運動を行っていく」と結びつけると、見えてくるものがある。保守王国でも、さすがに三世代同居や地縁組織の加入率も低下しつつある。これは全国の傾向と変わりない。このような「保守的なものの内側で起きつつある変化の兆し」に対応して、家族主義的な限界を乗り越える為に、「より、自由で、公正で、連帯できる社会」を目指すようにシフトチェンジできるのではないか、という提言である。

つまり、二つの異なる価値体系の結び目にも見える富山という現場を観察することで、「よりよい社会の条件について考え」る「ヒントが富山に無数にある」と彼は指摘する。だからこそ、この本は富山礼賛本でも富山否定本でもない、富山というケーススタディーを通じて「思考停止」を乗り越える方法を模索する本だと僕は受け取ったのだ。

「リベラルな政策を志向する人たちのなかには、『家族』という言葉を聞いて眉をひそめる人が多いように思う。それは、家に閉じ込められた専業主婦に、家事や育児といった『シャドウ・ワーク』を押しつける『閉鎖的な場所』として認識されるからだ。(略)だが、ここで重要なのは、家族という『場』ではなく、家族の持つ『原理』をどのように社会に仕組んでいくかということである。」(p150)

この前段では、惣万さんの「この指とーまれ」に代表される富山型デイサービスと、その進化形態としての「あしたねの森」、そして射水市のふるさと教育を取り上げている。そして、その章のタイトルには、「家族のように支え合い、地域で学び、生きていく」と書かれている。ここに「家族という『場』ではなく、家族の持つ『原理』をどのように社会に仕組んでいくか」という井手さんの問題意識が詰まっている。

これまで「家族主義」が批判されてきたのは、「家に閉じ込められた専業主婦に、家事や育児といった『シャドウ・ワーク』を押しつける『閉鎖的な場所』」という意味で、「家族という『場』」の問題性ゆえであった。だが、社会変化に基づく「永続的な運動」という視点に基づけば、このような「場」は限界が来ている。それが、「この指とーまれ」のような宅老所や共生型ケアが全国で求められている理由でもある。そこは、家族規範を護持する「場」ではない。そうではなくて、「家族のように支え合い、地域で学び、生きていく」という家族の「原理」を社会化し、制度化したものである。そして、そのような家族における「場」から「原理」への変化こそ、保守主義の曲がり角において「永続的な運動」として選ばれた論理であり、この「原理」は「より、自由で、公正で、連帯できる社会」とも接続可能だ。これが、保守主義と社会民主主義を繋ぐ隘路なのだ、と腑におちる整理であった。

本の最後で、再びスウェーデンに言及し、井手さんはこう総括する。

「スウェーデン自身も、自分たちの保守的な価値のなかから新しい価値を生み出し、保守的な思想とリベラルな思想とのせめぎあいを経て、いまのスウェーデン型社会民主主義をつくりあげてきたわけである。リベラルが『保守的だと思ってきたもの』を『保守的だ』と批判することにとどまるとすれば、彼らの欲する社会変革は永遠に実現不可能のまま終わってしまうだろう。」(p198-199)

保守的だと批判することそのものを批判しているわけではない。そうではなくて、リベラルや左派が本当にスウェーデンを見習いたいと思うなら、「自分たちの保守的な価値のなかから新しい価値を生み出し、保守的な思想とリベラルな思想とのせめぎあい」をしっかり自分たちの国の中で受け止め、実践していくべきではないか、と提案していると受け取った。そして、富山のケーススタディーは、そのような「保守的な価値のなかから新しい価値を生み出」す土壌であり、かつ「保守的な思想とリベラルな思想とのせめぎあい」、つまり「場」から「原理」への移行や相克が表面化する現場である、と整理しておられると受け取った。

僕自身も13年間山梨で暮らし、また三重や岡山などで定点観測を続ける中で、都会人の言う保守/リベラルの二項対立では収まりきらない何かを感じていた。そしてそれを説明する言葉を僕自身は持っていなかった。井手さんのこの本で学ばせて頂いたのは、価値前提が違っても、ある価値を大切にするための永続的な運動というプロセスは同じではないか、という提起である。また核家族化や少子高齢化の影響の中で、保守とリベラルの中間のような領域に実態が変化している事も踏まえると、「自分たちの保守的な価値のなかから新しい価値を生み出し、保守的な思想とリベラルな思想とのせめぎあいを経」ることによって、「いまのスウェーデン型社会民主主義」のような「より、自由で、公正で、連帯できる社会」が実現出来るのではないか、と問いかけているのである。

僕自身は日本社会が「より、自由で、公正で、連帯できる社会」であってほしいと願っている。なので、この本は、ではその価値の実現の為に批判に終始せずに何をすべきか、を考える上で、非常に大切な補助線を引いてくれた、と感謝している。そういう意味では、この本は二項対立の閉塞感から抜け出すガイドブックなのかも知れない。

コンフォートゾーンを越える

ひさしぶりに「ワイドビューふじかわ号」でブログを書いている。

山梨を後にして5ヶ月で、久々に仕事で呼んでもらい、【8日】県児童家庭課の地域コーディネーター養成研修→南アルプス市の地域福祉計画庁内ミーティング→飲み会→【9日】元ゼミ生とのダイアローグ→「半年振り返り会」、と、てんこ盛り。8日の12時過ぎのスーパーあずさで甲府について、9日の12時40分南甲府駅発のワイドビューで帰るので、超濃厚な24時間だった。そして、往復は行きも帰りも5時間の列車旅。

この濃厚な24時間を振り返ると、「コンフォートゾーンを越える」がテーマだった。

コンフォートゾーン。それは、安心で快適な領域、のことである。自分が慣れ親しんだやり方を手放す、という意味合いでも使われる。僕の中では、「若い仲間から学ぶ直す/と学びほぐす」というのが、それにあたる。

この24時間で一番時間を共にしたのが、NPO bond placeの小笠原祐司さん。彼はファシリテーションや場づくり、組織変革を専門にしているだけでなく、僕のYGUでのゼミ生を引き継いでくれた、尊敬できる仲間である。彼とは月に1度、Zoomでの定期ミーティングをしていて、その中で「僕は他人や組織の話を聴いたり、ファシリテーションをする機会は圧倒的に多くても、僕自身の話を聴かれることがない」とつぶやいたところ、「では今度タケバタさんが山梨に来た折に、振り返り会をしましょう」と提案してくれた。この振り返り会の中で、他の2人の参加者と4人で、お互いの半年をじっくり聞き合う2時間半を過ごす中で、小笠原さんに言われたのが「タケバタさんって、コンフォートゾーンを越えようとされているんっすね」。それを聴いて、いま・ここがまさにそう!と思っていた。

僕は昔から、熟達者に弟子入りして学ぶ、という構えが得意だった。中学時代の塾の塾長にはじまり、予備校の先生や、大学の先生、そして大熊一夫師匠への弟子入りと四半世紀くらい、熟達者の近くで学ばせて頂く、という構えを続けて来た。小さい頃から「大人の会話に入りたがるおませな”ひろっちゃん”」にとっては、そのガキの頃からの願いが実現していったプロセスでもあった。

だが、大学教員として独り立ちするなかで、先達から学ぶチャンスも徐々に減っていく。その中で、気がつけば僕が熟達者に近づいていく、というより、年若い仲間と学び合う機会が少しずつ、増えていった。その象徴が、岡山の『「無理しない」地域づくりの学校』。あの場の校長を仰せつかり、教頭の尾野寛明さんも、用務員の西村洋己さんはじめ、学校メンバーとガッツリ付き合う中で、指導する学生ではない、年若い仲間が沢山増えていった。これは、僕にとって新しい経験や発見であり、その中で学ばせてもらったり、オモロイ経験をさせてもらうことも少なからずあった。

昨日から今日にかけて、三つの場で小笠原さんのファシリテーションを間近で体験する機会があったが、それを見ていても、「こんな風に聴くんだ」「こんな展開を考えるんだ」「こういう流れを作っていくんだ」という発見や学びが多かった。企業のコンサルテーションがバックグラウンドの彼と、福祉現場に関わる僕とは、一見すると別のアプローチをしているようにも見えるが、富士吉田側から登るのか、御殿場から登るのか、の違いで、目指す富士山という到達目標は同じ、と感じる事が沢山あり、だからこそ、彼とのやりとりから学ばせてもらうことが沢山ある。

そして、南アルプス市の現場では、小笠原さんだけでなく、山梨県立大学の高木さんともご一緒した。彼は愛媛や神奈川、山梨の地域福祉の現場でコツコツ誠実に関わっている逸材だが、地域福祉のコア概念を押さえた上で、ボトムアップ型の政策形成を提案出来る彼の視点やコメントは、僕には言えない・見えていなかった視点であり、それを聴いている僕もすごく学びや刺激が大きかった。南アルプス市では第3次地域福祉計画の策定アドバイザーとして僕は関わらせてもらったが、僕がやり残した・一人では出来ない何かが沢山ある、と自らの限界を感じ、兵庫に移籍する以前から、高木さんと小笠原さんとチームを組んで動きたいと思い続けてきた。なので、こういう感じで二人とコラボできるのが、めちゃ嬉しい。

そして、これって、熟達者に弟子入りする、というこれまでの慣れ親しんだモードから、ようやく脱しつつあるのかな、と今日思い直していた。新たなチャレンジなのだが、不安よりも、ワクワクの方が先行している。

先達から教わる、とか、学生に教える、ではなく、同世代や下の世代の仲間と、共に考えあい、学び合う。その中で、僕自身が学んで来たことを解き放ち(un-learn)、新しい考え方を学び直すような関係性が、気がつけばあちこちで出来はじめている。これが、僕自身の中での「開かれた対話性」と重なったとき、オモロイ相互作用が始まるのかもしれない、とも思い始めている。

それと共に、慣れ親しんだ山梨を離れてみて、今回の山梨からの旅立ちも、コンフォートゾーンを越えるチャレンジになっている、と遡及的に思い始めている。

山梨では、居心地の良い学科・同僚に恵まれ、ゼミ生とも良い関係が結べ、授業もうまく展開して行き、市町村や様々な福祉現場の人とも信頼関係が生まれ、最後の数年は実にスムーズに事が運んでいた。それは不安や不快な何かが減っていく、コンフォートゾーンに入ったことでもあった。だが、子どもが生まれ、孫に会いたいと願う父への親孝行のつもりで山梨を去る決断をしたのは、結果的にこのコンフォートゾーンを手放したことでもあった。肩書きも教授から准教授に変わり、給与も下がった。でも、僕の中でもう一度、「出来上がった何か」ではなく、一から学び直す、チャレンジャーの立ち位置に戻った感覚を持っている。まだ、色々な事に慣れていないし、100人越えの授業でアクティブラーニングに取り組むなど、今までとは違う新たなチャレンジにも取り組んでいる。それらは、結果的に先ほど書いた学びほぐしや学び直しと直結している。これは、今回の「振り返り会」に参加して、新たに気づけたことでもあった。

そして、それはこの1年間の子育てや家族関係にも直結している。

妻と結婚して16年目。子どもが産まれるまでの14年間に、お互いがしたいことを追求しながら、二人で旅行にもあちこちでかけたり、一緒に飲みながら語り合うなど、コンフォートゾーンを二人で創り上げてきた。そして、子どもが産まれたあと、まさに移行期混乱というか、周りに関係なくありのままに泣き、笑い、ぐずがり、眠る娘さんに翻弄され続けてきた。安定した二者関係から、必死で生き延びる三者関係に移行したことにより、お互いが随分シンドイ思いもしてきた。だが一方で、子どもと妻と三人で過ごすありふれた日常が、実に愛おしく、かけがえのない何かであると感じる瞬間も、確実に増えている。二者関係のコンフォートゾーンはなくなったけど、今度は三人での新たなコンフォートゾーン作りを、やんちゃな娘に翻弄されながらも、作ろうとしているのかもしれない、とも思う。

そんな意味でも、僕自身が「いま・ここ」の立ち位置を改めて振り返り、これからの歩みに思いを寄せる、濃厚な24時間であった。

内なるハウルを意識する

ブログの更新が二ヶ月も空いてしまった。2005年に開設して以来、初めてのこと。引っ越しや勤務先が変わった疲労が出てか、何度か風邪も引いたし、子育てに仕事のピークが重なると、ツイッタに書き込めてもブログのために1時間割く余裕がなくなっていた。一般教養の130人の採点が終わったので、やっとその余裕を取り戻す。

さて、この間もっとも僕の心に残っていること。それは、昨晩指摘された、僕の中の「内なるハウル」の存在である。少し、丁寧に説明してみたい。

ハウルの動く城、とは、多くの人がご存じの宮崎駿のアニメである。そして、その「ハウルの動く城」を「魂の脱植民地化」の視点から考察した深尾葉子先生と、昨晩お話ししていた折、実は僕自身の中にも「ハウル」がいた、ということがわかってきた。それが、①英語を話すときと、②人前で講演するとき、の僕である。

きっかけは、深尾先生のお友だちのスティーブさんと三人で英語で議論をしていたとき、僕自身が頭をかきむしりながら必死で英語で言いたいことを絞りだそうとしていたのを見て、深尾先生から「何だか普段のタケバタさんと違うよ」と指摘されたことだった。僕はそれが、自分の英語表現の下手さ・稚拙さゆえである、と思い込んでいた。だが、深尾先生と話すうちに、僕が抑圧していた過去を思い出す。それは、英語の発音を巡る思い出である。

僕は小学校の頃、ラボファミリーという英語サークルに入っていて、「ぐりとぐら」「だるまちゃんとかみなりちゃん」といったかこさとしの童話が英訳された内容のテープをずっと聴いていた。だから、ヒアリングは割とすんなり出来るし、小学校の頃は比較的流ちょうな英語を話せていた。だが、中学校に上がってすぐ、友達から「巻き舌なんて、なんかいちびっている!」「外人っぽい!」と馬鹿にされて以来、日本語イングリッシュに強制して、巻き舌を封印した。だからこそ、それ以来英語を話すのにエネルギーが必要になった。伝えたいこと、話したい内容が一杯あるけど、「いちびっている!」と馬鹿にされた記憶ももたげて、下手な日本語英語しか出て来ず、相手に伝わらず・・・という悪循環に陥っていたのだ。

その話を聴いて下さった深尾先生が一言、「日本人に聞かせるのではなく、ネイティブと話すんだから、格好つけでもなんでもないじゃない」と仰って頂き、その呪符はひらひらと飛んでいった。そう、一生懸命力を入れて、日本語英語を話すから、疲れるのだ。そう思って、昨晩再び英語で議論した時、夜という時間帯もあって、テンションを上げずに、何だか気怠い感じで、必死に話そうとせず、リズムにのるように、話してみた。すると、表現や文法上の稚拙さは変わらないかもしれないけど、より自然に英語が出てきたのだ。それは、深尾先生もスティーブさんも同意してくれた。

このエピソードを通じて、もう一つの僕自身の「仮面」を思い出していた。それが、「講演モード」の「仮面」である。

数年前まで、研修や講演が終わると、「あなたの話を聴いて元気を貰いました」と言われることが多かった。一方、僕自身は講演が終わるとへとへとに疲れ果て、グッタリすることもしばしば、だった。だが、対価をもらって講演する、ってそういうことなんだ、と勝手に自分で思い込んでいた。その一方、身体はボロボロになるし、漢方医や鍼灸に通っても、その場しのぎでいっこうに快復しないのも、また事実だった。

そんな折、昨年春に未来語りのダイアローグの集中研修を受けて、僕自身が「頑張らなくて良いんだ」と思うようになった。僕自身がしっかり「話すと聞くをわける」ことを理解し、研修内でもより多くのダイアローグの機会を作り、「不確実性さを耐えること」になれて、僕の持って行きたい筋書きを放棄し、その場に任せるようになると、より場全体のダイアローグが深まっていった。そういう場では、落としどころを探らなくても、色々な人の声を拾う中で、勝手に場が収まっていった。そして、そういう講演の方が、確実に聞いて下さった方の全体的な満足度があがった。「元気になりました」と言われることはなくなったけど、「色々考えるきっかけをもらえました」と聞く機会が増えた。

つまり、これまでの僕は、一方的に伝えるのに必死になって、何とかして会場の人を「説得」して、理解させようとしていた。熱量をかなり込めて語るので、うまくいけば、相手に伝わって僕の熱量を伝えられると共に、僕自身はクタクタになった。でも、その熱量ゆえに時として、会場の人からの大きな反発を招き、研修中に激論になることもあった。そういうときは互いの熱がぶつかりあい、会場全体がグロッキーになってしまっていた。

でも、今はそういう「説得」を手放し、議論を一致させることも狙わなくなった。それは、僕がダイアローグを学んだトムさんから、次のアイデアを聞いていたからだ。

「ダイアローグが始まる前は、さまざまな独自の見方があります。ダイアローグの後にも、さまざまな独自の見方があります。しかし、見方はさらに深まっていて、お互いの物の見方がよりよく理解されています。このようにして、協力して活動する方向へと道が開かれます。」(トム・エーリク・アーンキル&エサ・エリクソン『あなたの心配ごとを話しましょう』日本評論社、p64)

「協力して活動する方向へと道が開かれる」ことが主目的であれば、意見を一致させる必要はない。むしろ、あなたも僕も唯一無二の存在なのに、意見を一致させる、とは、どちらか一方の価値観に従いなさい、という強制にしばしば陥る。熱量を込めれば込めるほど、反発を招く可能性が高くなる。ダイアローグにはならないし、押さえつけるときも、反発を招くときも、必要以上にパワーを使い、結果的に両者が疲れ果てるだけである。

だからこそ、意見の一致、ではなく、「お互いの物の見方がよりよく理解され」ることを目指す方が大切なのだ。そのためには、僕が必死に力んで話をするのではなく、テンションを下げて、落ち着いたトーンで、「あなたはどう思われますか?」と伺うことが必要不可欠なのだ。

で、ここまで①英語を話すときと、②人前で講演するとき、の僕が疲れ果ててきたこを述べて来た。では、なぜこれが「内なるハウル」なのか。

それは、アニメを見た人は思い出して欲しいのだが、ハウルは外界から「城」に帰ってくると、いつもグッタリ疲れ果てているのである。外界ではイケメンスーパースターとして振る舞っているのだが、その実、めちゃくちゃ怖がりで、自分の部屋(内界)にはお守りを張り巡らせているハウル。外界でテンションを上げてスターを演じた後、内界の扉を開いた段階で、既に肩を落として疲れ果てているのである。

このハウルの疲れ果てた姿が、英語を話した後や日本語で講演をした後の僕の姿と同じだ、と深尾先生に指摘されて、やっと初めて気づけた。つまり、この2つの振る舞いをしている時、僕はかなり無理をして、テンションを上げて、自分のエネルギーを使い果たし、「馬鹿にされないように」「少しでも敬意を持たれるように」と、他人のために心身を酷使してきたのだ。そして、その事に無自覚なまま生きてきたから、深尾先生のハウル論は以前から読んでその概要は諳んじて言えるにもかかわらず、「僕はハウルみたいにイケメンでもないし」なんて訳のわからない理由を付けて、僕自身のありようとは無関係だと切り分けていたのである。これって、まさに「魂の植民地化」そのものだ!

だいたい、「馬鹿にされたくない」「敬意を持たれたい」というのが、僕自身のありのままを表現することへの恐怖や、他者への憧れとそれが出来ない自己嫌悪にもとづく「自己愛」の作用である。安冨歩先生の名著『生きる技法』の中では、この「自己愛」を超えて、ありのままの自らを愛することを「自愛」と表現していた。そして、僕は『枠組み外しの旅』を書くプロセスに身を投じて以来、この7,8年の間に、だいぶ「自愛」モードを手に入れてきた。そのプロセスで、昨年くらいから、講演や研修場面でも、無理せず自愛モードを獲得出来た。そういえば、『「無理しない」地域づくりの学校』を岡山の仲間たちと創り上げてきたのも、僕にとっては格好のリハビリだった。だが、それが全然未開発で、「無理しまくって」「自己愛」に陥っていたのが、英語を話すときの僕、だったのだ。そんなことに、ようやく気づき始めた。

少なからぬ人が、自分の中に「内なるハウル」を抱えている。虚勢を張り、外界で無理をして、内界で疲れ果てる、という、憧れと自己嫌悪がセットになった自己愛モードだ。それは、ハウルの声優として一体化できた某ジャニーズ系アイドルさんの中にも恐らくあるだろうし、僕の中にも、しっかり根付いていた。あるからダメ、なのではない。それがあることに気づけると、キョンシーに貼り付けられた呪符のように、勝手にそれがほどけていく「魔法」なのである。深尾先生は「魔法は魔法であると自覚すると、その効力が失われる」と仰っていた。そう、自らのシンドサや悪循環に、その自己愛のフィードバックループがあるとわかれば、そこからどう抜け出せるか、も模索できるのだ。

ちょうど今日は立秋。姫路は何だか秋風のような涼風が吹き続けている。僕自身、もう少しクールダウンして、テンションを下げて、流れに乗るように、自分自身のあるがままに日本語でも英語でも表現できるように、ぼちぼちモードを切り替えていこうと思う。

ポリフォニー的現実

5月12日から13日にかけて、2017年の4月に「未来語りのダイアローグ」の集中研修を受けたグループの振り返り会を同志社大学で行った。24名の参加者が、1年前からの変化を振り返った。その上で、日曜午後はオープンな場での実践報告会を行った。

この日、僕は実践報告会全体のファシリテーションをしていてのだが、いつものように、会場内からの声を伺いながら、「話をまとめよう」「関連づけよう・つなげよう」としていた。このやり方は割と評価されてきたし、密かに自分自身も自信を持っていた。だがその様子を見ていた、同じ研修の参加者で、家族療法の大家でもある白木考二さんが、研修の合間に、「あんまり綺麗にまとめすぎない方がよい」と仰ったのが衝撃的だった。ただ、すごく大切な論点のような気もしたので、実践報告会の最後に白木さんにお願いして、二人でリフレクションを全体の前でやってみた。

白木さんがその際に言ったのは、「話をまとめようとするのは、旧来型のファシリテーションのやり方だね」「一つの話にまとまりそうになった時には、僕なら『他の話はありませんか?』と聞く」ということだった。「なぜですか?」とおたずねすると、「その方がよりポリフォニックになるから」という。「だって、意思決定の場ではないのだから、話をまとめなくてもいいじゃない」と。「僕は無責任だから」とも。これらの発言は、僕にとって目から鱗だった。

そう、僕はやっぱり「話はまとめなければならない」という旧来のファシリテーションの技術の癖が身についていたのだ。でも、白木さんが言うように、別にその場は特に、何かをまとめなければならない、という訳ではない。ダイアローグをしにきたのである。であれば、「何かをまとめよう」「話を一つの方向性に持って行こう」というファシリテーターの意図や意思は、その場に対して介入的な働きかけになる。白木さんのレクチャーでも、OD/ADが目指すのは、「早期の介入」ではなく、「早期の対話だ」、という話がなされていた。そういう意味でも、竹端はまだ介入的側面があったのだ。だが、ADで求められているのは、あるいは対話的な場で求められているのは、豊かなポリフォニーで、不確実性に耐えることであり、一つの声にまとめる・不確実性を縮減することではないのである。

という訳で、改めてヤーコとトムの本を読み直してみると、こんな風にも書かれていた。

「ポリフォニー的現実においては、誰の声が正しく誰の声が間違っているかを決めることはできない。<全ての声>が重要であり、新たな意味を生み出すことにかかわっているのだ。それらは等しく価値がある。モノローグ的な語りでは、声にヒエラルキーがある。たとえば、もっぱら主治医である精神科医の意見が診断を決めることになる。ポリフォニー的対話では、専門家間のヒエラルキーは重要ではない。問題となっている事態についての理解が豊かになればなるほど、より多くの声が新たな意味をつくりだすことに加わってくるのだ。」(『オープンダイアローグ』日本評論社、p109-110)

「<全ての声>が重要」と言うとき、それは、その場の流れの主流の声「以外の声」も「重要」ということである。研修会や授業などで、主流の声が浮かび上がると、僕はその主流の声を強いものにしよう、としてきた。それが、議論を方向付けることであり、「良いことである」と信じ込んできた。だが、そういう風にすると、時として感情的反発を招いた場面にも出会ってきた。そういう時には、その感情的反発をする人を「わからずやだ」「困った人だ」とラベルを貼って、終わることもあった。

だが、そのラベリング自体が、「ヒエラルキー」を産んでいる元凶なのだ。ファシリテーターの僕が、そのような「ヒエラルキー」を生み出すなら、その場は「ポリフォニー的対話」ではなく、「モノローグ的語り」で終わってしまう。そして、「モノローグ的語り」は「新たな意味」を生み出さないだけでなく、「誰の声が正しく誰の声が間違っているかを決めること」に加担するのだ。しかもそれは、ファシリテーターの「声が正しく」、その声に反する声は「間違っている」とファシリテーターが(無意識に)「診断を決める」ように査定者のポジションとして機能するのだ。まさに、これって権力作用そのもの。精神科医の権力作用を批判する僕自身が、ファシリテーションの場面で自らの権力作用に無自覚というのは、本末転倒である。

急いで付け加えておくと、もちろん、僕自身もある程度の試行錯誤をする中で、ここ最近は、ファシリテーションの場面で、できる限り色々な声を会場内から拾ってきた、つもりである。だが、白木さんに指摘されたように、「まとめ」モードになると、そこから声を選択的に選んでいたのも、また事実である。そして、その選択と集中を、良いことと、と思い込んでいた節もある。

では、どうすればよいのか。

「<全ての声>が重要」である、と本当に思うなら、主流の流れと違う声も「重要」であると受け止める必要がある。異論や反論は、方向付けられている流れに対する障害や障壁でない。「問題となっている事態についての理解が豊かにな」る、ということなのだ。そして、ある方向性の「声」とは違う「声」も含めた「理解が豊かになればなるほど、より多くの声が新たな意味をつくりだすことに加わってくる」という。「急がば回れ」ではないが、ある問題に賛成の意見が多いときこそ、まとめの場面であっても、賛成以外の意見も拾うことで、その問題に対する「新たな・別の理解」が豊かになり、単純な善悪や賛否という二項対立的なモノローグではなく、「より多くの声が新たな意味をつくりだす」ことが可能になるのだ。

そこから更に広げて考えると、僕自身はこれまで、ある程度、意見をまとめる・集約することがファシリテーターの役割だ、と思い込んで来た。そうすることにより、「より多くの声が新たな意味をつくりだす」チャンスを失い、モノローグ的な結論になっていたのかもしれない。そして、そのような一本化こそ、ファシリテーターの「取るべき責任だ」、と思い込んで来た。

だが、ダイアローグを大切にする「責任」を果たすならば、意見の方向付けや一本化という部分には「無責任」でないとつとまらない、と気付かされる。ダイアローグの前提に「ポリフォニー的現実」があるのなら、ダイアローグを大切にするということは、「<全ての声>が重要」であると理解し、異論や反論、少数意見をもその場を豊かにする大切な意見であると尊重し、まとめの場面でも取り上げることこそ、「取るべき責任」なのである。

そう考えたら、これまで僕は、「取るべき責任」をはき違えていた、と改めて気付かされた。「多くの声が新たな意味をつくりだすこと」を目標にして、そのためにこそ、<全ての声>が出てくるのをファシリテートする必要がありそうだ。そのことに無自覚で、せっかくのダイアローグのチャンスを、自ら潰して、ヒエラルキーに基づくモノローグ的語りに堕していたのだとしたら、何という愚かなことをしていたのだろう・・・。

そういえば、研修の翌日の講義で学生に「自分が『何をわかっていないか』をわかることが、最も大切だ」と伝えていた。偉そうに言っているけど、僕自身、上記のことが「全然わかっていなかった」のである。情けないけど、それは紛れもない事実。以前の僕だったら、白木さんの指摘の真意が理解できなくて(見たくない現実に蓋をしたくて?)、怒り出したり、感情的反発を抱いたかもしれない。でも、ダイアローグの研修を受ける中で、ようやく今、素直に己の愚かさやモノローグ的・支配的ファシリテートの欠点と、向き合う事ができはじめた。

<全ての声>を大切にするための実践を、これから少しずつ積み重ねていきたい。そう感じている。

島成郎とバザーリアの「重なり」

島成郎の名前は知っていたが、彼は僕が大学院生の頃(2000年)に亡くなられたので、どんな人かよくわからなかった。でも彼の沖縄精神医療の著作はなぜか2冊とも持っていたし、学生運動の闘士、だとも、ぼんやり知っていた。今回、この評伝を読んで、やっと彼の全体像が見えてきた。
彼と学生運動の関わりに関しては、ご自身の総括本もあるし、学生運動関連の本でも何度も出てくる。だが、精神医療との関わりについては、情報があまりない。そこで、丹念に彼に関わった人へのインタビューを積み重ね、島がどのように精神医療を捉え、何を実践しようとしたのか、をつぶさに拾い上げたところに、この本の価値がある。
左翼の活動家リーダーから精神医療の実践者に変わった。この部分では、現象学的精神医学研究者から、精神病院の院長して精神病院を潰そうとしたフランコ・バザーリアに重なるところがある。バザーリアも、イタリア共産党よりも極左だったという。島も、共産党から除名されていた。二人とも、第一の人生(活動家リーダー、研究者)で着目されるも、その世界からはドロップアウトして、「在野に下る」中で、精神医療の現場を変えていく第二の人生に後半戦を捧げ、そこでは多くの事を積み上げて行く。そういう共通点がある。
で、この本を読みながら感じたのは、島もバザーリアも、党利党略ではなく、自分の中の軸をしっかり持ち、その軸に基づいた生き方をしてきた、ということ。イデオロギーとしての政治、というより、人間を見据えようとしていた。
学生運動の後に、医師や学者、政治家、ジャーナリスト、企業人に転身して「成功」した人々の中には、組織の論理に順応し、そこで勝ち上がる事に人生を賭けてきた人も少なくない。国家権力と闘ってきた「はず」なのに、その後の人生ではガッツリ権力闘争で勝ち上がった人々。そういう姿を、以前は「変容」「転向」だと思っていたが、その人の中での内在的論理を考えるならば、結局そういう層の人にとっての学生運動は、受験勉強の延長線で、組織内で勝ち上がる、という意味では共通していたのかも、と、内情を知らない後人の僕は訝しくなる。
一方で、島は組織におもねろうとしない。沖縄で地元の医療関係者や政治家から批判的な視線を浴びつつも、私宅監置の状態にある利用者の家に訪問し、中に入って、その監置状態を解放しようとした。組織で成り上がることより、利用者との出会いや相互作用を大切にした。その相互作用の魅力に惹かれ、彼の周りにの多くの支援者や家族が、彼と共に、地域精神医療のムーブメントを起こしていった。このあたりも、バザーリアと同じで、「既得権益」層から徹底的に嫌われるが、現場の中で賛同者を増やし、草の根から変えていった点とも重なる。島の晩年の講演録を引用した部分に印象深い記述がある。
「精神病院が閉鎖的だというのは、鍵をかけて患者さんを閉鎖的にしているだけではなくて、そこで働いている人間が非常に閉鎖的になっているということなのです。(中略)職員自身が自閉的になって閉鎖的になってしまう。心を閉じてしまう。外のことがわからなくなります。そうなると地域との交流もなくなって、地域との交流がなくなれば患者さんとの交流もなくなる」(p299)
この記述を読みながら、バザーリアの評伝の次の一節を思い出していた。
「患者が病院に収容されているとき、医師には自由が与えられています。ということは、収容された人が自由になれば、その人は医師と対等になるのです。しかし、医師は患者との対等な立場を受け入れようとはしません。だからこそ、患者は閉じ込められたままなのです。つまり医師こそが彼らをそうさせているのです」(『精神病院のない社会を目指して バザーリア伝』 p41)
閉鎖空間で「自閉的」「閉鎖的」なのは、患者だけではない。職員自身も「閉鎖的」で「心を閉じてしまう」。「地域との交流がなくなれば」「外のこともわからなくなる」だけでなく、「患者さんとの交流もなくなる」。これって、交流を遮断しているのは、患者ではなく、医療者の側なのだ。医師が患者と対等になるのが怖いから、患者は閉じ込められたままなのだ。そして、医師はますます「閉鎖的」「自閉的」になっていく。(その極端な例の人が書いている自閉的な独白のサンプルはこちら)
そして、島もバザーリアも、この「対等」な関係性を大切にしようとした。だからこそ、私宅監置の部屋に訪問したり、閉鎖病棟の鍵を開けていった。つまり、自分自身が「精神病状態」とラベルを貼られた「人間」と対等に向き合う中で、島やバザーリアの側が、つまりは医療者の側が、自らの鎧となっていた専門性のヒエラルキーの呪縛から自由になり、心を開いていったのではないか。そう読み解くことが出来る。

社会問題に関して、評論家的に批判する事は容易い。でも、現場に入り込んで、多くの人の賛同を得ながら、実態を変えていくことは、決して容易くない。それを、誠実に取り組んで来た人なのだなぁ、と学び多く読ませてもらった。

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追記的に書くが、この本の後書きを読みながら、障害者領域で多くのルポを書き続けて来た著者、佐藤幹夫氏のスタンスがわかった。自らのご家族が入所施設に暮らした経験を持つ障害者家族として、施設批判の論理に身を切られる思いをしつつ、その気持ちを脇に置きながら、しっかりと評伝をまとめ上げられたことにも、敬意を表したい。

学習Ⅲと枠組み外し

連休最終日、明石にある看護の大学院で2コマ、講義をさせて頂くことになった。『枠組み外しの社会思想史』について、話して欲しい、という有難いオーダー。ちょうど4月末の別の研究会で『オープンダイアローグ』(日本評論社)を読み直し、その中で改めてベイトソンと向き合う必要を感じて、連休中に大著『精神の生態学』を読み直してみたら、以前分からなかったことが、しっかりわかるようになっていた。そこで、大学院のコマの半分くらいを使って「学習Ⅲと枠組み外し」というネタで話をしていた。その時話した内容を、忘れないように、メモをしておく。

この本の「学習とコミュニケーションの階型論」という論考の中で、ベイトソンは3つのレベルの学習について、以下のように整理している。

  • 学習Ⅰ・・・反応が一つに定まる定まり方の変化(慣れ、反復、報酬や報復を伴うプロセス)
  • 学習Ⅱ・・・学習Ⅰの進行プロセス上の変化。経験の連続体がくくられる、その区切り方の変化(慣れや反復などが「性格」に転化する)
  • 学習Ⅲ・・・学習Ⅱの進行プロセス上の変化。代替可能な選択肢群がなすシステムそのものが修正されるたぐいの変化(このレベルの変化を強いられる人間は、時として病的な症状をきたす)

学習Ⅰとは、「パブロフの犬」のように、チリンチリンと鳴らしたら餌が与えられることを「学ぶ」ということである。そして、学習Ⅱは、そのチリンチリン→餌、という反復や報酬のプロセスを学ぶことで、チリンチリンと鳴ったら、餌が与えられていなくても、よだれが出てくる、という形で「慣れや反復などが「性格」に転化する」プロセスをいう。ここまでは、よく分かる。だが、以前この本を読んだときに、僕は学習Ⅲが何を意味するか、がさっぱり分かっていなかった。しかし、今回読み直す中で、学習Ⅲが、どうやら僕がこの6,7年追い続けている「枠組み外し」の考え方と親和性が高いことが、やっとわかりはじめた。

その話に入るためにも、もう少し学習Ⅱから学習Ⅲへのプロセスを見ておこう。

ベイトソンは、勝ち気、お調子者、気難しい、大胆、臆病といった「性格」について、「学習Ⅱの結果として習得されたパターンを記述する言葉」であり「人間の相互作用の枠付けられ方」(405)だと喝破している。それは一体どういうことか。そのために、彼はある二人の会話を取り上げている。

AとBが[a1, b1, a1+1]の相互作用を行う

これは会話のモデルであり、学習Ⅰから学習Ⅱの移行プロセスである、とベイトソンは指摘する。どういうことか。例えばAさんが、「僕の言いつけを守ったら、あめちゃんをあげるよ」(a1)と話しかけ、Bさんが「うん、わかった。頑張るよ」(b1)と応答し、「エライね、言いつけを守ったから、あめちゃんを上げよう。次もそうするのだよ」(a2)と述べたとしよう。これは、「報酬と罰の条件を定めるシグナル」(a1)、「Bがそれに従うというシグナル」(b1)、「b1を強化するシグナル」( a1+1)のプロセスであり、これが連鎖すると、「AがBを支配している」というプロセスが出来上がる。

そして、この相互作用のモデルを用いると、全く逆の「AがBに依存している」というモデルも出来上がる。それは、a1が、「何らかの「弱さ」を示すシグナル」(=「俺一人ではだめなんだ」)を送り、b1が、「その弱みをカバーする行為」(=「私がついていれば大丈夫よ」)をすることによって、a2として、「そのb1をAが受け入れたことを示すシグナル」(=「やっぱり頼りになるなぁ」)を返す、というプロセスである。そして、支配も依存も、先ほどのコミュニケーションパタンという慣れや反復(=学習Ⅰ)が「性格」に転化する(=学習Ⅱ)なかで、固着化される。

その上で、「「身に染みついた」前提を引き出して問い直し、変革を迫るのが学習Ⅲだ」(412)と「サイコセラピストは、学習Ⅱのレベルで患者にしみついている前提の入れ替えに挑戦する」(410)という部分が結びついた時、僕の中でようやく学習Ⅲとは何か、が見えてきた。あ、それってADの集中研修で学んだ・体験したリアルダイアローグの世界そのものかも、と。

オープンダイアローグや未来語りのダイアローグも、家族療法の流れから多くのものを学んで出来上がった考え方である。そして、昨年僕が集中研修で学んだ未来語りのダイアローグ(Anticipation Dialogue: AD)では、実際のダイアローグも見たし、ファシリテーターもさせてもらったり、ロールプレイも体感した。その中で、決して強引に明示的に行われる訳ではないものの、結果的にそこで生じているのが、「「身に染みついた」前提を引き出して問い直し、変革を迫る」ということだったのである。もう少し、具体的に述べてみよう。

ADでは次の三つの質問がデフォルトとなっている。

①「一年がたち、ものごとがすこぶる順調です。あなたにとってそれはどんな様子ですか? 何が嬉しいですか?」②「あなたが何をしたから、その嬉しい事が起こったのでしょうか? 誰があなたを助けてくれましたか? どのようにですか?」
③「一年前、あなたは何を心配していましたか。あなたの心配事を和らげたのは、何ですか?」

これは、「心配事」で一杯一杯になっていたり、「心配事」に囚われている、という意味で「「身に染みついた」前提」「学習Ⅱのレベルで患者にしみついている前提」を、一端脇に置き、本人が決めた未来の「良い変化」を主題化してそれを具体的に検討し、実現に向けたプランを設定するプロセスである。「心配事」ではなく「良い変化」を先に訊ねることによって、「学習Ⅱのレベルで患者にしみついている前提の入れ替え」への「挑戦」が、侵襲的ではない形で行われ、そのなかで「「身に染みついた」前提を引き出して問い直し」、その結果として具体的な行動プランを練り上げることで「変革を迫る」。これってまさしく「学習Ⅲ」プロセスそのものである。

ただ、ADもODも、それを一人でせずに、チームで行う事に最大の魅力がある、ということもわかってきた。なぜなら、一人で行うと、「このレベルの変化を強いられる人間は、時として病的な症状をきたす」可能性があるからだ。そして、僕自身がこの「病的な症状をきたす」一歩手前まで行ったことがあるので、「同行二人」のありがたさがよくわかる。

僕は東日本大震災の直後、発狂寸前の状態にまで、追い込まれたことがある。

あの日、余震が続く甲府の自宅で妻とテレビを見ながら、津波が人や車を飲み込んでいく光景をライブでみてしまい、その後、ツイッタ画面にしがみつきながら、様々な情報の爆発を目の当たりにしていた。そのなかで、「まさか津波が街を飲み込むはずがない」「原発は安全に運営されているはずだ」という僕自身の「「身に染みついた」前提」が、眼前で引き剥がされていく。映像で見れば明らかに爆発しているのに、「爆発的事象」「支障ない」などと言葉が置き換えられる。にもかかわらず、原発周辺自治体からの避難勧告が求められ、しかし政府発表は「落ち着いて行動せよ」と繰り返す。それは、政府発表の「安全性」を信じたいのに、現実には信じることが出来ない、という意味で、「学習Ⅱにおける矛盾」の最大化であり、ダブルバインドそのものであった。

その当時、気が狂いそうになりながら、何とか此岸にしがみつく為に書いていたブログを読み返すと、レインを必死で読みながら、「ポスト311の局面で生じているのは、「一次的存在論的安定」への大きな裂け目、亀裂である」と書き綴っていた。そう、僕自身が日本の文化で育ち、なんとなくそういうものだ、と無批判に信じ込んできた原発神話とか、政府の信頼性といった「一次的存在論的安定」が、文字通り揺さぶられ、亀裂が生じ、何を信じてよいのかがわからなくなってしまったのだ。だからこそ、ユング心理学もかじっていた僕自身はその当時、「教育分析を受けたい」とうわごとのように妻に繰り返して言っていたが、実はサイコセラピーを受けたいと希求するほど、追い詰められていたのである。

その4ヶ月後、「枠組み外し」をキーワードに思考を整理するブログ記事を連載しながら、僕自身が辿り着いたのは、「存在論的裂け目と枠組み外し」であった。少し長くなるが、その時のブログを引用しておく。

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ゆえに出来る事は、その枠組みそのものを眺めること、それもメルロ=ポンティが言うように、「われわれを物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖を否認することではなく、逆にそうした結びつきを見ること、意識すること」であろう。原爆から原発へとどう「鎖」が「結びつき」を強めてきたのか。政治家と官僚の構造とはどう結びついているか。中央集権的システムから地方分権に移行できなかった日本に、どのような構造的制約があるのか。そのしわ寄せとして、福祉現場で、もっとも権力の非対称性の枠組みの中から抜け出せない人々は、結果的にどのような処遇を強いられているのか。私自身が見てきた福祉現場のミクロな現実にも、日本社会のマクロな総体、つまり『世界の定立』にある呪縛作用が現れている。その枠組みを外してみる、「現象学的還元」をする、以前のブログの整理で言うと、「福祉現場の構造に関する現象学的考察」を続けることによって、何らかのブレークスルーが見いだせるのではないか。そう、感じている。

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僕が、ポスト311の世界で、学習Ⅱの信念体系がその土台から崩され、発狂しそうになりながら、何とか食い止められたのは、ひとえに「学習Ⅱの進行プロセス上の変化」をそのものとして眺められたからである。それは「その枠組みそのものを眺めること」であり、「代替可能な選択肢群がなすシステムそのものが修正されるたぐいの変化」としての学習Ⅲを、文字通り命がけで行っていたのが、僕自身の「枠組み外し」であった。

そして、オープンダイアローグや未来語りのダイアローグが良いところは、一人でやったら発狂しそうになる、この学習Ⅱという「性格」にまで根付いた前提を問い直す危険な枠組み外しを、安心・安全な場の設定の中で、with-nessを共に出来る支援チームと共に飛び越えていく、というところに、その良さがあるのである。

と、ここまで気づいて、僕が『枠組み外しの旅』で書いてきたことは、既にベイトソンが半世紀前に分析していた内容そのものだった、と遅まきながら、気づかされた。だが、僕は自分の頭で論理を構築しないと身につかないタイプなので、発狂寸前になりながらも、自分なりに「枠組み外し」という学習Ⅲのプロセスを自前で行った後に、未来語りのダイアローグや学習Ⅲ概念に出会えて、本当によかった。やっと、ここまで言語化することが出来た。

そんな万感の思いがあったので、忘れないうちに、長々とブログに書き付けておく。何だか『枠組み外しの旅』の次作に向けた旅が始まりそうな予感もしている。

 

セクハラと性教育バッシング

財務省の事務次官が女性記者にしたセクハラ言動や、その後の本人および大臣や財務省の一連の対応に、すごく嫌な気持ちになっている。そのモヤモヤをどう表現したら良いか、とおもったら、小田嶋さんのコラムで、すぱっとこう表現されていた。

「録音された音声を聞いた上であらためて記事を読んで見ると、福田氏のセクハラ発言が、通常の日常会話や取材への受け答えの中にまったく無関係に挿入される挿入句のように機械的にリピートされている印象を持ったからだ。
それこそ、学齢期前の子供が、進行している対話とは無関係に「うんこ」とか「おしっこ」だとかいった単語を繰り返し発声しながらただただ笑っている時の、幼児性の狂躁に近いものを感じた。」

実は僕はこの小田嶋コラムのタイトルである「能力が高すぎた」という部分と、「幼児性の狂躁」を掛け合わせると、色々なモヤモヤが氷解し始めた。以下、そのことを書いておく。

まず、この小田嶋氏の指摘する財務次官の「能力が高すぎる」とはどのような「能力」を指すのか、ということである。それを氏はこのように表現している。

「助平な福田さんと有能な福田さんという二つの別々の人格を同時並行的に機能させつつ、その二人の腹話術的複合人格の福田さんとして振る舞うことが可能だったのだと思います」

「二つの別々の人格を同時並行的に機能させ」るのは一般には「二重人格」と言われ、「二人の腹話術的複合人格の福田さんとして振る舞うことが可能」なのは「乖離」状態なのだろう。だが、そんな「助平」をしながらも、「有能な福田さん」を維持し続ける事が出来たからこそ、かれは「財務次官」の職につけたのである。

これを読みながら思い出したのは、以前のブログでも引用したアルノ・グリューンの『「正常さ」という病』である。

「狂気を巧みに隠している人々の場合には、権力の追求が、差し迫っている内面的な混沌と内面的な破壊を防ぐ唯一の道となる。空虚を、自分自身の内面的な空虚と認識しなくてすむように、彼らは破壊と空虚とを自分の周りに創り出す。」(アルノ・グリューン『「正常さ」という病』青土社、p30)

「今日の精神病理学の矛盾は、何よりもまず、みずからの感情世界とのつながりを保つ以外の事はそもそも追求しない人々が病人であると分類されていて、このつながりから逃れようとしている人々は病人とされないことだ。」(同上、p28)

二重人格や乖離をしながらも、「正常」と言う世界内での地位や権力を追求できる「能力」。そのことを指してグリューンは、「権力の追求が、差し迫っている内面的な混沌と内面的な破壊を防ぐ唯一の道となる」という。財務次官の地位にしがみつき、自らの行動を音声データが出ても否定されるのは、「差し迫っている内面的な混沌と内面的な破壊を防ぐ」からだ、と言われたら、納得できる。そして、彼の「能力」は、「みずからの感情世界とのつながり」「から逃れようとしている」中で発揮される「能力」なのである。

うーむ、これって『「正常さ」という病』そのもの、なのかもしれない。

セクハラ行為も、「空虚を、自分自身の内面的な空虚と認識しなくてすむように、彼らは破壊と空虚とを自分の周りに創り出す」プロセスとして行っていた、とすると、その行為は全く許されないが、彼の内在的論理の断片がみえてくるような気もする。

とはいえ、僕は個人を診断したり、断罪したいのではない。今回のブログで主題にしたいのは、ここ最近、沢山出てくる「社会的地位が高い人」「学歴優秀な人」「能力がある人」と言われる男子がセクハラを繰り返すのはなぜか、ということである。それに関して、グリューンの「感情世界とのつながりを保つ」と小田嶋氏の「幼児性の狂躁」から、見えてくることがある。それは、「日本における性教育の不足あるいは無さ」の問題である。

それに関して、先日の足立区立中学校での性教育バッシングの記事も思い出す。記事によると、望まない妊娠を防ぐための性教育を行っていた区立中学に対して、ある議員が中学段階では不適切だ、と圧力をかけていた、という。そして、その議員は「家庭と社会の再生の為、今一度、純潔教育(自己抑制教育)の価値観に回帰すべき」という信念を持っていたという。

「純潔教育(自己抑制教育)の価値観」なるものによって、何が「抑制」されたのか。その記事では教育学者の橋本紀子氏の以下の指摘を掲載していた。

「〈日本では02年以降、学校の性教育に対する保守派の「性教育バッシング」が起きており、性教育の内容に対する厳しい抑圧と規制が強まっています。ちなみに、性教育バッシング派は、性器の名称を小学校低学年で教えること、性交と避妊法を小・中学校で教えることなども「過激性教育」として攻撃しています。」

僕はこの「性教育バッシング」に、「破壊と空虚」を見る。そして、その「破壊と空虚」が、「空虚を、自分自身の内面的な空虚と認識しなくてすむように、彼らは破壊と空虚とを自分の周りに創り出す」プロセスと捉えたら、「セクハラ」行為と繋がって見えてくるのだ。

「性教育バッシング」と「セクハラ」

一見すると全く二つの異なって見える行動。だが、この二つとも、共に「性愛」における「感情世界とのつながり」を無視・破壊し、「幼児性の狂躁」レベルで対応している、という点で、ぴったり符号を一にする行動に見えるのだ。つまりは、本来は「感情世界とのつながり」を豊かに保つための大切なプロセスである「性愛」を、「うんこ」「おしっこ」といった単語を繰り返すレベルの、「幼児性の狂躁」でしか理解できていない、ということである。

これが、「能力」の高い大人のすることであろうか? あるいは、この国で評価される「能力」の高さには、上記の意味での「感情世界とのつながり」の豊かさは、カウントされないのだろうか。

では、他国ではどうしているのか、とググってみると、フィンランド人のこんな話が載っていた。

「包括的性教育というのは、単に事実を提供するもの ではありません。 「若者が」と書いてありますけれども、「成人」も含 めてください。「セクシュアリティや生殖の健康につ いて、自身の感情・情緒的スキルや価値を発見・発達 し、開発していくということを奨励」するもの、これ が包括的性教育です。 包括的性教育とは、対話です。基本になるのは、家庭生活、人間関係、多様性、文化、セクシュアル・アイデンティティ、ジェンダー・アイデンティティ、バ ウンダリー(境界線)を引くということの重要性、自尊感情、肯定的なセクシュアリティ、身体の肯定など に関する対話が重要です。」(肯定的で健康的な自尊感情とセクシュアリティを育む フィンランドにおける性教育と家庭(親)支援)

実は、日本の学校で排除されてきたのが、このような「自尊心や肯定的なセクシュアリティ、身体の肯定」などについて豊かに「対話」する機会であり、その意味での「包括的性教育」である。そして、財務次官を初め「能力」の高い人が受験勉強にせっせと打ち込んでいても、そのような進学校でも「自身の感情・情緒的スキルや価値を発見・発達 し、開発していく」ことは教わらない。だって、試験に出ないから。

だが、「自身の感情・情緒的スキルや価値を発見・発達 し、開発していく」ことを学べないまま大人になるということは、「感情世界とのつながりを保つ」こととは逆のベクトルである。そして、その「つながり」から逃れる事こそ「正常」だと誤解する事によって、「能力」の高さを評価された人々は、「差し迫っている内面的な混沌と内面的な破壊を防ぐ」ために「権力を追求」し、「空虚を、自分自身の内面的な空虚と認識しなくてすむように」、彼らはセクハラや性教育バッシングといった「破壊と空虚とを自分の周りに創り出す」。

だが、セクハラや性教育バッシングをする人が、真っ先にしなければならないのは、「自身の感情・情緒的スキルや価値を発見・発達 し、開発していく」ことなのである。権力を維持する「能力」はあっても、「感情世界とのつながりを保つ」ことは「未熟」なのだから。

このことに、今回の一連の騒動は気付かせてくれたように思う。これは、もちろん他人事ではない。僕自身だって「自身の感情・情緒的スキルや価値を発見・発達 し、開発していく」ことはまだ「未熟」だし、「感情世界とのつながりを保つ」ことも得意ではない。

ユングはタイプ論で「思考」と「感情」は対極に位置すると指摘し、主機能が「思考」の場合、劣等機能は「感情」になり、その劣等機能は逸脱したり幼稚な形で漏れ出てくる、とも言っている。思えばセクハラも、性教育バッシングも、その劣等機能である「感情」の歪んだ発露にもみえる。

今一度、「自身の感情・情緒的スキルや価値を発見・発達 し、開発していき」「感情世界とのつながりを保つ」ことを重視しないと、このような歪みは何度も再発する。少なくとも、僕自身は、妻や子どもとアクチュアルな関係のなかで、そのことに自覚的でありたいと思う。

聴くことと民主主義

久しぶりにトム・アーンキルさんのワークショップに部分的に参加してきた。去年、未来語りのダイアローグ(AD)の集中研修を受けて以来、この魅力にはまり、僕自身の生き方にも影響を与えている。今回も、トムさんの話を聴きながら、腑に落ち、また考えさせられる事があった。それが、「聴くこと」と「民主主義」の関係性について、である。

ワークショップの質疑応答の場で、一人一人の話を聴くことの重要性と平等性について関係を問われたトムさんは、こんな事を語っていた。

「これは民主主義の話でもあります。この話をするためには、4人の思想家について触れてみましょう。まずはフーコーの権力関係。関係性の中での心配事(Relational worries)を取り上げる際には、当然話し手と聞き手の間の権力関係にも自覚的でなければならない。次にブルデューの『資本』の話ですが、明らかに文化資本や社会関係資本が少ない・奪われた人がクライエントで、専門家の側がその逆になっている場合がある。その際、文化資本や社会関係資本を多く持つ側が、自らのその資本の多さを所与の前提としてしまうと、それは抑圧的な場や関係性にになる。文化資本が低いことが、ソーシャルネットワークの危機でもある、ということに自覚的かどうかが問われる。そしてトクヴィルの『アメリカの民主主義』。トクヴィルはアメリカ政治は民主主義的ではないが、アメリカの労働組合に民主主義を発見した、という。草の根の議論の中で、民主主義が息づいている、と。そして、最後はデューイの公共性。狭義の民主主義は国会だが、広義の民主主義は平場での議論だ、と。」

このトムの話は、僕の中で深く残った。ダイアローグが権力関係に無自覚な場で「道具」として使われると、安易に管理や支配の方法論に堕してしまう。それを乗り越える為には、民主主義的な関係性を築くための一手段としての対話、というプロセスにかなり自覚的である必要があるのだ。

このダイアローグと民主主義の関係性を考えていたとき、知り合いのかやさんとやりとりしていたら、こんな事を指摘された。

「民主主義ではない場に民主主義を持ち込むやり方はいびつに感じます。支援の中にある民主主義ではないものを取り除くことが大事なのに、ということに気づきました。取り除けば、自然とそこに民主主義的な場があるはず。たぶん。」

僕は以前から、精神科病院の中でのオープンダイアローグに反対してきた。そのことは以前のブログでも書いたことがあるのだが、かやさんの言葉を借りるなら、「民主主義ではない場に民主主義を持ち込むやり方はいびつ」だからだ。精神科病院の中では、明らかに患者と医療職の間での権力の非対称性がある。その権力の非対称性について、専門職が無自覚のまま、「さあ、遠慮なく対話しましょう」というのが、「いびつ」なのである。

そこまでは、以前のブログでも整理していた。ただ、今回のワークショップを受ける中で改めて考えたのは、かやさんの指摘した後段の、「支援の中にある民主主義ではないものを取り除くことが大事」と言う部分である。そして、ここに「聴くこと」という補助線を入れると、随分物事がクリアにみえてくるように思う。

まだ翻訳されていない、トムさんとセイックラさんの最新の主著の副題がRespecting Otherness in the Present Momentとなっている。これは、トムさんの講演時の一貫したテーマでもある。ちょっと意訳してみると、「いま・ここの瞬間に、他者の他者性を尊重すること」である。そして、これは「聴くことと民主主義」という今日のテーマにも大きく関連している。

「支援の中にある民主主義ではないもの」とは、支援における専門職支配のことであり、支援者の枠組みの中に当事者を当てはめることである。そのためのアセスメントでは、専門職が聴きたいことだけを聴き、当事者が本当に話したいことは「それは支援に関係ないから」と無視したり、聴かないでいる。

だが、他ならぬ「いま・ここ」でわざわざ支援者に向けて当事者が話し始めたことには、それなりの意味があるのである。それが、専門家の想定外であったから、アセスメントに無駄な雑談だと切り捨てるのか。どんな話であれ、いま・ここで話されているその「他者」の話に耳を傾け、自分が知らない「他者性」と向き合う事が出来るのか、で随分展開が変わってくる。

私たちは、「話すこと」については自覚的であったり、トレーニングを積んできたとしても、「聴くこと」については、無自覚で練習不足ではないだろうか。

僕は今回のワークショップで、ある人の悩みを聴く練習をしていた。その時、またいつもの悪い癖が出てしまった。それは、「相手が発言した言葉の通りに繰り返す、のではなく、相手の話を勝手にまとめる」という悪癖である。「それって○○ということですよね?」と。これは、「①相手の話をしっかり受け止めることなくことなく、②自分が勝手に相手の話を解釈し、しかも③その解釈を相手に押しつける」という三重の意味での権力関係の行使、なのである。これぞまさに「支援の中にある民主主義ではないもの」そのものであり、そしてこの非民主主義的な関係の行使は、権力の非対称的な支援や教育の現場で、しばしば起こっているのである。そして、それは僕が教育現場で侵し続けている愚でもある。

つまり、本当に民主主義的な教育や支援を取り戻そうとすれば、支援や教育の対象者ではなく、支援や教育を行使する側が、つまりは僕自身が、自らの「聴き方」を変えることから始めなければならないのだ。①相手の話が自分の想定外の内容であってもそのものとして受け止めた上で、②勝手な解釈をせずに、気になるなら③僕には「○○」と仰っているようにも思えるのですがどう思いますか、と発言者本人に解釈や判断を委ねる質問をする必要があるのだ。つまり、簡単に言うなら、話の主導権を話者本人に戻す、ということである。

支援や教育の現場ではこれまで、話し合いの主導権が支援する側・教育する側に全面的に握られてきたまま、であった。これこそ、非民主主義的なのである。支援や教育において、民主主義を取り戻す、とは、相手が話す際の主導権を相手に返す(専門家が相手の発言の主導権まで握らない)ということである。そのためには、専門家が聴きたいことしか聴かない、というスタンスを変え、ちゃんと相手の話をそのものとして受け止める、というスタンスの変更が求められる。そのためには、聴く練習を、専門家こそ自覚的に行わなければならないのだ。

明日の授業から、僕自身がちゃんと聴けているか、に自覚的になろう。そして、想定外の発言が飛び出した時にこそ、自分の聴きたい範囲に内容を縮減することなく、「いま・ここの瞬間に、他者の他者性を尊重すること」を実践してみよう。そう、心を新たにする研修であった。

兵庫県立大学に移籍しました

13年ぶりに、新しい職場で、新しい辞令を受け取った。

2018年4月から、兵庫県立大学環境人間学部に准教授として着任した。

久しぶりの関西で、50万都市の姫路という大都会に家族と一緒に移り住む。今年は引っ越し狂想曲が予期されたので、家も研究室も2月末には引っ越しをした。1ヶ月たって、やっと家もどこに何があるか、がある程度わかるようになり、研究室の70箱もほぼ空いた。物理的に環境は整ったが、新しい職場環境に慣れるのはこれから。よってしばらくは移行期混乱の渦中にいることになるだろう。

山梨学院大学時代は、法学部政治行政学科に所属した。今度は環境人間学部の環境共生社会コース(今年度からは社会デザイン系)というコースに属する。どちらも福祉学科ではない。でも、福祉士の国家資格も持っていないし、養成過程教員の研修会にも行っていない僕には、福祉学科では採用される見込みはない。それに、法学部政治行政学科時代は、福祉国家や市民社会論など、この学科に所属するからこそ、守備範囲を広げることができ、政治学や行政学の先生方から沢山のことを学ばせて頂いた。

そして大学で地域福祉論を教えたり、現場での地域福祉課題と向き合う中で、次第に従来の地域福祉の射程の狭さ、が息苦しくなってきた。家や研究室の本棚の整理を手伝ってくれた元教え子のフジワラさんが、「福祉以外の本がメチャ多いですね」と言っていたが、ある時期から、福祉現場で抱いた問いを解決するためには、既存の福祉の本では満たされなくなってきた。なので、上述の福祉国家論や市民社会論、だけでなく、地方自治論や都市計画、地場産業、コミュニティ論など読み漁ってきた。ここ数年は家族療法やオープンダイアローグ関連、それに子どもが生まれて以後、子育て支援や保育関連の本も五月雨式にふえ、相変わらず専門が何だかわからない状態である・・・。

閑話休題。
そんな模索の過程の中から、岡山ではじめた『無理しない地域づくりの学校』。この学校の「教頭」でもある尾野寛明さんが「福祉が中心ではなく、地域が中心だ」と本の中でも明言してくれたのが、最近の僕には一番しっくり来ている。「住民にとって、福祉は地域の一部でしかない。買い物難民や農村振興、地場産業や獣害対策など、様々な地域課題の一つとしての福祉でしかない」と。そう、地域福祉を考える際に、この「大きな地図の中での位置づけ」がないと、地域の住民のリアリティからかけ離れた、福祉専門職のみのタコツボ議論に陥るのである。実際、獣害や買い物難民の問題、商店街や農漁業の後継者不足は、少子高齢化問題と直結している。厚労省や国交省、農水省や総務省と縦割りにしているから、関係がないようにみえても、地域ではそんな縦割りでは、問題は解決しないのだ。

今度の環境人間学部は日本では一つしかない学部。20年前から文理融合で作られた学部で、土木や建築、環境工学などの先生もいる学部の中で、僕が所属するのは社会デザイン系。同じ系の中には、防災教育や都市計画、農村計画やシティープロモーション、社会経済地理学など、魅力的な研究をしておられる同僚の方々がおられる。僕自身がまさに学びたいと思っていた領域の専門家とご一緒出来る。これは、僕自身にとっての願ったり叶ったりのチャンスである。また、大学院の講義も来年度から担当するのも、常勤としては初めての経験。よって、久しぶりに准教授に戻り、一念発起して、ガッツリ勉強し直そうと思っている。

ちなみに、姫路に一ヶ月暮らしてみての感想は、イエテボリやサンフランシスコに似ている、という印象。14年ほど前にイエテボリに半年暮らし、サンフランシスコは調査で何度も訪れた。共に港町で、第二の都市で、魚が美味しい。買い物はこの街で完結できるだけでなく、工業地帯やオフィス街もあり、近隣の官公庁の集積地で、郊外では農業が盛ん。歴史があり、独自の文化も持っていて、かつ雑多な人々の集まりという意味でも多文化な街。

事実、正月には未だに酢蛸や煮貝が振る舞われるほど、山国で活きのいい魚とは遠ざかっていたのが、山梨時代の数少ない不満だった。だが、こちらは瀬戸内や鳥取沖の新鮮な魚が近所のスーパーでも手に入る。うまい甲州ワインやサクランボ、ぶどうに桃は入手しにくくなったが、毎日新鮮な魚が食べられるのは、ありがたい。40代に入り、脂っこいものばかりだと身体が重くなり始めていたので、タンパク質を魚で取れるのは、本当に嬉しい。

ただ、のんびり甲府で暮らしていた13年間が快適だったがゆえに、この人の多さや、車の渋滞、などには、まだまだ全然慣れない。姫路での生活リズムを作るのは、まだ始まったばかりである。

落ち着いたら、兵庫や岡山、鳥取など近隣県のオモロイ現場を色々訪問したい、などの妄想は広がる。ただ、まずは職場になれることが、第一歩。ここで飛ばしすぎると5月病がきつそうなので、関西弁でいう「ぼちぼち、いこか」である。