身体拘束を減らす4つの視点

昨晩はクローズアップ現代の身体拘束特集の番組に出演した。ご一緒頂いたのは、訪問診療などを通じて入院を最小化させる実践を続けておられる精神科医の上野秀樹さん。上野さんの『認知症 医療の限界、ケアの可能性』はすごく学びが多く、授業の課題図書にしたこともある一冊。僕は出演依頼を受けた時、自分一人は荷が重いと思ったので、上野さんと一緒じゃないと辛いなぁと正直に申し上げた。そして、上野さんも僕となら出演してもよい、と仰られたようで、二人セットだった。この問題は、それだけヘビーな話題である。

気重な理由。隔離拘束が現に沢山起きている日本において、それを批判すると、必ず現場で縛っている・閉じ込めている医療スタッフから批判されることは、目に見えている。でも、だからといって、その自由の剥奪をそのまま放置しておいてはならない。とはいえ、本来現場の人が怒るべきは少ない人員配置基準や多すぎる病床なのに、テレビでコメントしたら、「自分たちはこんなに頑張っているのに、あいつの発言は理想論だ」「現場をわかっていない」「おまえがやってみろ」・・・といった、近視眼的批判にさらされる。実際、ツイッタなどでは、そういうつぶやきも目にした。だから、気が重かったのである。

いかに、多くの視聴者に、単に誰かが悪者、ではなく、精神医療の構造的問題を理解してもらえるか。僕も上野さんも、その点をすごく時間をかけて考えていた。上野さんは、念入りに準備された番組用の考察の一部をブログに昨晩早速アップしておられたので(今朝6時の列車で敦賀に戻ると仰っておられたのに、恐ろしいほど仕事が早い!)、僕もここで示しておきたい。(→以後は、番組でどこまで触れられたのか、のメモ書き)

<身体拘束を最小化するための4つの視点>
1、現場での「開かれた対話」
身体拘束が現になされている患者さんについて、なぜ拘束が必要なのか、その期間をどうやったら減らす事ができるか、を、本人も交えてオープンに話し合うこと。「問題行動」とされている現象がいつ・どうして生じるのか、どうやったら減るのか、も、みんなでオープンに話し合うこと。

→この部分は、「問題行動」とされている現象が「悪循環」である、と伝えることは出来た。暴力や暴言、徘徊や制止によらない言動には、ご本人なりの訴えや理由がある。その理由を探ることなく、表面的な現象だけを捉えて、「不穏」「精神症状」などのラベルを貼って、その根拠に基づき、隔離や拘束をする。これは、問題行動に対する「偽解決」であり、悪循環の高速度回転そのものである。

ここから先は番組ではなせなかったのだが、その高速度回転を止めたければ、まずは「問題」とされるご本人にじっくり話を聞き、ご本人がどのような不安やしんどさ、悲しさや怒りなどを持っているのか、を理解しようとする試みからスタートするのが必要だ。その上で、「問題」とされる現象はいつ・どのような場面で・何がきっかけで生じるのか、を徹底的にアセスメントする必要もあるだろう。それが出来れば、ではどうすれば身体拘束を減らせるか、の具体的な方法論の模索も始まるはずだ。また、身体拘束の最小化には、ご本人や家族の理解と協力も欠かせない。家族や本人とも、そのことについてオープンに話し合う機会を持つことができるか、も問われている。

番組では、実際に上記の実践を積み重ね、身体拘束の最小化に成功した松沢病院の事例が報告されていた。松沢でされていたことは、まさにこの部分である。

2,チーム医療と医師のリーダーシップ
「身体拘束を減らす・無くす」と、医師が率先してリーダーシップをとらないと、スタートしない。VTRの松沢病院の実践のように、「身体拘束をしないことによるリスクがあるかもしれない」という合意形成を取る必要もあるかもしれない。だが、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」のは自由の制限であり、医療ではない、というリーダーシップを医師が率先して宣言する必要がある。その上で、松沢の実践のように、身体拘束が必要な理由、を一つずつ組織的に潰していく必要がある。

→病棟で縛っている看護師(とおぼしき人びと)から、「現場のことをわかっていない」「やってもいないものが口出しするな」的な批判を、僕は20年近く、浴び続けてきた。それが、現場の悲鳴であることはよくわかる。だが、逆に現場の人びとは、自分自身がどのような構造に置かれているのか、に盲目的になっているのではないか、とすら、思うこともある。そのことについて、精神病院をなくしたイタリアで、素晴らしきリーダーシップを発揮した医師フランコ・バザーリアは次のように語っている。

「看護師が抱いている恐怖は、医師の恐怖よりはるかに大きなものだからです。医師はたとえば解雇されたとしても、開業医として他の仕事をみつけることができます。しかし、もし看護師が病院に逆らって解雇されてしまえば、職を失ったままになってしまいます。これがプロレタリアートとブルジョアの違いです。つまり、変化に対する看護師の抵抗は、職を失うことへの恐怖であり、これは痛いほどよくわかります。」(『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!』岩波書店、p250)

これは「○○なので縛らざるをえないのだ」という発言の裏側にあるのは、「もし看護師が病院に逆らって解雇されてしまえば、職を失ったままになってしまいま」う、という恐怖である。オカシイと思っても、「明日の生活のためには、我慢して現状肯定するしかない」と諦めを内面化してしまう論理でる。つまり、おかしいことをおかしいと言えない状況に構造的に追い込まれているのだ。それは、ものすごく大きな恐怖を日常化して、「しかたない」と「なかったこと」にしている、とも言える。だからこそ、昨晩の番組のように、そのような「恐怖」を思い出させ、と向き合わざるを得ないような番組に直面すると、本来は「そうだそうだ、現場のここが課題だ、よく取り上げてくれた!」と声をあげてもよいはず、なのに、逆に「現状は何も分かっていない」と、番組内容を感情的に否定する論理が先に出る。これは、直面化した見たくない恐怖を鎮静化させたい対処行動、なのかもしれない。

バザーリアはこうも言う。

「看護師は自分自身が暴力による抑圧や虐待の一端を担っている、ということを理解することから始めなければなりません。看護師は病院の院長の手のひらで踊らされているわけですが、医師が患者の抑圧者として看護師を利用するとき、労働者階級は二つに分断されることになります。なぜなら、病人も看護師も同じ階級に属しているからです。こうして看護師を患者の拷問者に仕立て上げることで、病院は運営されています。これは支配者達が常々用いるメカニズムです。この仕組みは、工場でも見られます。集団のリーダーは、同僚達をお互いに敵対関係に置くことによって彼らを管理しています。これは、私たちには馴染み深い分業の論理です。分業を通じて、被支配階級を統治するのです。これは人びとを飼い慣らすことにほかなりません。」(同上、p247)

本当に現場を変えたければ、まずは「看護師は病院の院長の手のひらで踊らされている」ことを、客観的事実として認める必要がある。だって、支援が必要な60人の人を、「夜間だから」という理由で2人で見ることが、どだい無理な話なのだ。そもそも、国の定める最低限の人員配置基準が低すぎるのだ。そして、最低限、なのだから、そこから人手を増やしてもよいはずなのに、「経営が成り立たない・赤字だ」という「もっともらしい理由」で人手を増やさない経営者もいるのだ。そのような制度や組織的な矛盾や抑圧の「手のひらの上で踊らされている」のが、現場なのである。まず、悔しいけれど、ここを認める事が出来るか、が問われている。

更に言えば、人手が足りないから縛らざるを得ない、というのは、人手不足を解消するために、物理的な暴力に頼っているという点で、「看護師は自分自身が暴力による抑圧や虐待の一端を担っている」ということでもある。ここは、否定しようのない事実である。これを認めて、「それは嫌だ!」と訴えないと、物事は変わらないのだ。「こんなの、私が学校で習った医療ではない!」「もっと患者さんに寄り添った、ほんまもんの医療をしたい!」「そのために、ちゃんと現場スタッフの人手を増やしたり、縛らない実践をしたい!」と声をあげ、変革の第一歩に踏み出せるか、が課題なのだ。

だが、それが出来ない現場をバザーリアは「人びとを飼い慣らすことにほかなりません」と喝破する。そう、「人手不足だから、縛らざるをえない」と発言することは、病院経営者に「飼い慣らされている」のである。この「支配者達が常々用いるメカニズム」そのものが、現場の医療スタッフの尊厳を踏みにじっている。ここにこそ、「それはオカシイ」とNOを突きつける必要があるのだ。そんなことをいっても、すぐに世の中は変わらないから、と諦念していると、それは「看護師を患者の拷問者に仕立て上げることで、病院は運営されています」という論理に、消極的に加担することにすら、つながるのだ。

あと、だからこそ、医師のリーダーシップが必要不可欠なのだ。看護現場が変えたくても、なかなか変えにくい現状がある。だからこそ、現場の医師が、縛るのを最小化しよう、なるべく開放型の医療を目指そう、身体拘束しないことで生じるリスクについてご家族に理解をしてもらおう、もっと患者さんと寄り添う医療をしよう、と率先してリーダーシップを取る必要があるのだ。「馴染み深い分業の論理」を打破するためには、医師こそ、まずは看護や医療スタッフとの協同やチーム医療に率先して関われるか、も問われているのだ。

3,スタッフの質的向上
1や2をするなかで、「認知症だから」「問題行動をするから」縛るしかない、というのは、医療スタッフ側の経験不足や先入観に基づいている事が見えてくる。すると、身体拘束をしない実践をしている他病院の経験から学び、自病院でも拘束を最小化するためにどうしたらよいのか、を学び合う事も必要になる。そのためには、ユマニチュードなど、縛らない医療を実践している諸外国のやり方も学び、取り入れながら、スタッフのケアの質的向上をする必要がある。

→「井の中の蛙、大海を知らず」。「やってもいない者が口出しするな」と仰る方ほど、実はご自身の病棟や病院の実践「しか」知らない場合も、残念ながら見受けられる。「あなたは現場の苦労を知らない」と批判されることもあるが、ではその方々は、他の現場の試行錯誤を知っておられるのだろうか、と問い返したくなるときもある。

松沢病院の実例を出すと、「あれは公立で潤沢な予算があるから」という反論もある。だが、そもそも抑制廃止は、八王子の民間精神病院、上川病院の総婦長だった田中とも江さん達の『縛らない看護』からはじまり、それが介護施設での「身体拘束ゼロ作戦」に繋がったことを、ご存じだろうか。田中さんの名著、『縛らない看護』に目を通したことはあるだろうか? あるいは、現状の病院の中でも、たった数時間で寝たきりでやる気のなかったお年寄りの意欲を回復させる支援をしていることがテレビで沢山放映されたユマニチュードについて、テレビで見たり、書籍や雑誌を読んだりしたことがあるだろうか。

「人手不足だから、しかたない」と聴く耳を持たないことによって、逆に様々な変化の可能性からも耳目を塞いでしまっていては、まったくもったいない限りである。

4,人手不足を解消する取り組み=病床を大幅に減らすこと
問題行動や暴言、暴力という形で表現せざるを得ない人の支援には、人手がかかる。であれば、人手を増やすしかない。一方で、日本の精神科病床は、人口比で見れば、諸外国の3~5倍以上ある。医療費の上昇を伴うことなく、一番合理的に底上げしようと思えば、病床を3分の1から5分の1に減らす事。その上で、1~3の取り組みを行えば、確実に身体拘束は減少する。逆に言えば、この4番目を目指すことなく、1~3だけで問題を根本的に解決することはできない。

→散々書いてきたが、最も本質的に必要とされているのは、ここである。本当に良いケアをしようとすれば、今の精神医療の現場は、明らかに病床が多すぎ、各病棟での人員配置基準が低すぎる。医療費を増やさなくても、病床をたとえば3分の1に減らし、スタッフを再教育した上で、例えば残りの3分の1を病棟で、後の3分の1を地域支援のスタッフに「転換」する事が出来れば、それだけでも身体拘束は随分減るし、地域支援の層も厚くなる。病棟転換型居住施設、なんてつまらない議論をする前に、精神病床で働く職員の質的「転換」こそ、求められているのだ。

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とまあ、こんな内容を25分番組で話せるはずもなく、どれも一言、エッセンスでしか伝えられていない。でも、武田キャスターは、秒単位の短い場面場面で、なるべく上野さんや僕の発言を引き出し、この問題を知らなかった一般視聴者にも伝わるような番組構成をしてくださった。事前にクローズアップ現代前キャスターの国谷裕子さんによる『キャスターという仕事』を読んでいたが、僕も出演してみて、この番組が代々大事にしてこられた、25分という時間の中での真剣勝負、というのは、すごく伝わってきた。ディレクターや制作チームの皆さんと、キャスターとゲストが、何度も打ち合わせを重ねる中で、短い時間でもなるべく沢山の本質を伝えようと奮闘されていることが、よくわかった。

そういう意味では、めちゃ気重だったけれど、出演をすることで沢山の学びが与えられた番組だった。

2017年の三題噺

今年も大晦日に三題噺を書くことが出来た。ただ、例年と違い、かなりの大急ぎで書き上げる必要がある。その理由が・・・

1,おちびとの世界を楽しむ

である。1月に子どもを授かってから、僕自身の生き方、考え方が大きく変容している。物理的で卑近な話から始めると、本当に自分のために使える時間が減った。結婚して15年、妻と仲良くやってきて、ある程度の家事分担をしている「つもり」だった。だが、ケアする対象者が一人増える、ということは、極端に言えば、これまでの時間の過ごし方の根本的変容が求められた一年でもあった。でも、それは義務でも嫌々でもない。文字通り「嬉しい悲鳴」と表現するのがぴったりの事態である。

おちびが産まれてからというもの、当然のことながら、我が家の中心はおちびの事が中心に回り始めた。産まれた直後、訳あってGCUという病棟に入っていた時期は、毎日病院と家の往復+わが子の発育のことが気になって、ヘロヘロになっていた。それまでの15年、様々な問題も夫婦だけで乗り越えてきたが、子どもが生まれた後は限界を感じ、子どもが退院するタイミングから1ヶ月ほど、僕の母に「助けて下さい!」とSOSを出した。幸い妻とも仲良くやるし、おばあちゃんとして初孫の最初の困難をしっかり支えて下さった。そして、僕は実の母にこんなに全力で支えてもらっていたのだ、と自分自身が父になって、強く感じた。

その後は、仕事の仕方も大きく変えた。今年は講演も結構断り、また引き受けた場合も、「出張は原則日帰りか1泊2日」というルールを満たすため、あちこちに無理をお願いした。それでも、妻が一人で子どもと向き合っている、いわゆる「ワンオペ育児」の時間は本当に大変そうだ、と僕も家事育児をシェアする中で痛感する。こればっかりは、いくら沢山本を読んでいても、自分がやってみないとわからないことである。お陰で、育児や保育、子育て政策もかなりアクチュアリティを持った関心事になってきた。去年までと違い、本を読む時間も5分の1以下に減って、積ん読が増えるばかりだが、でも子育て支援政策系の本を買いまくっている自分がいる。本当に研究する時間があるかは・・・だが。

ただ、短期決戦の為、幸か不幸か原稿を書くスピードと集中力だけは上がったような気がする。今日も、子どもがお風呂に入る時間前の短時間で仕上げなければならないので、逡巡している余裕はない。書斎のデスクトップに向き合う時間はめっきり減り、食卓のテーブルにノートパソコンを広げて、子どもをスリングに入れたり、子どもが寝ている隙に一気呵成に書き上げるスタイルが確立してしまった。今も大ぐずり大会の後、ねんねしたので、やっと今年の三題噺が書ける次第。

とはいえ、子どもから学びつつあるものは、数限りない。まずは、自分の中での「リベラリズム的価値観」を大きく問い直す一年だった。子どもがいる、ということは、仕事の効率や能率、生産性とは全く別の尺度の存在と共に過ごす、ということである。これまで、僕自身がある程度の仕事が出来てきたのは、そのような「ケアの倫理」から離れた立ち位置からであった。だが、生産性重視の視点とは全く異なる「ケア対象者」と時間を共にすると、それまでの自分がいかに狭隘な価値前提をもっていたか、に気付かされる。

本を読んだり原稿を書いたり講演をしたり、という「する」モードではなく、子どもと共に「いる」「ある」を大切にする、「ある」「いる」モードだからこそ、みえてくるものがある。子どもが生まれてからのこの1年、登山は封印し、合気道もほとんど練習にいけなかった。どちらの趣味も「する」ものだったが、それ以前に、子どもとじゃれあったり、ご飯を食べさせたり、寝静まるまで一緒にいる、という「ある」「いる」モードこそが、狭い意味での生産性はゼロかも知れないが、実に豊饒で何にも代えがたい時間である、ということを、42才になってやっとわかりはじめた。そんな素敵な時間を子どもから与えてもらえるとは、1年前の年の瀬には思いもよらなかった。

と、子ども話は尽きないので、そろそろ二つ目の話題に。

2,ダイアローグに目覚める

4月に未来語りのダイアローグの集中研修を京都で受けた。『オープンダイアローグ』の共著者でもあるトム・アーンキルさんと弟のボブさんの二人のファシリテーターから直接学べる機会。他の仕事は断りまくっていたのだが、どうしてもこの研修だけは受けたい、と、毎週京都まで通って、受ける事が出来た。(その詳細はブログに書いた)。

この研修を受けて8ヶ月。僕の中で、大きな内的な変化がある。それは「ダイアローグを生きる」ということを地で実践し始めたのである。

僕はどこかで、肩書きや立場など、ダイアローグ以前の形容詞にこだわっていた部分があったのかも、しれない。でも、未来語りダイアローグの場で学んだのは、そのような「形容詞」を取り除いて、いま・ここで、開かれた対話性の中で展開されるプロセスを、そのものとして味わうことの重要性。そして、そのような動的ダイナミズムをそのものとして受け止める事が出来れば、そこから思わぬ展開の形で場が開けていく、ということ。逆に言えば、そういう「想定外」の世界が怖くて、狭い意味での線形論的・因果論的呪縛に囚われて、ダイアローグの豊饒な可能性に「見切り」をつけてモノローグ的な世界へと貶めていたのが、当の自分だったかもしれない、と気づきはじめたのだ。

そのことに気付いてみると、普段の講義や研修、あるいはゼミや妻との対話においても、色んな意味で質的な変化が生じつつある。「いま・ここで生じることには、意味があるのだ」と思えると、一見すると「無意味」「的外れ」と思えるような発言やコメントに出くわしたときにも、「それが他ならぬこの場で出された事に、どんな意味や価値があるだろう」と関連づけるようになってきた。すると、これまでは対立や誤解が生じやすかった場面でも、そこから意外な対話や別の見立てが産まれはじめ、「想定外」の面白さが産まれてくるようになったのだ。

例えばゼミでの話。ここ数年、卒論指導における僕の悩みは、「僕の指導を無視して無断欠席や引きこもる学生をどう支えたら良いのか」という問いだった。自分と向き合う卒論は学生に取ってはハードルがかなり高いようで、毎年1,2名の学生が「書けません」と言ってきたり、それを言う勇気もなくてゼミに無断欠席をしたり、メールにも返信してこなかったり、という事が繰り返されていた。僕自身は、そういう学生への対処に困っていた。そして、どこかで「きちんと指導に従わない学生」というラベルを貼っていた。

だが、4月に学んだrelational worries(関係性の中での心配事)という視点で眺めると、ゼミ生のことで困っている僕自身の「心配事」にもフォーカスする必要もある。ゼミ生が「心配だ」と相手の責任にばかりしていられない。他ならぬ僕自身の指導の仕方やアプローチに問題があるからこそ、その学生は書けなかったり無断欠席するのだ。そう思えば、僕がその学生との関係性のダンスのあり方を変える必要がある。他人を変える前に自分が変わった方が早いというコミュニケーションパタンの変容が、他ならぬ僕自身に求められるのだ。それが、悪循環の高速度回転から抜け出すための手がかりでもある。

そう気づき始めて、ゼミ生との関係性がうまくいかない予兆が感じられたら、とにかく僕自身のパターンを変えるために、いろんな球を投げてみた。また、相手からのボールを受けて、僕自身も柔軟に受け方を変えてみることを意識的に行っていった。すると、今年は現時点で一人も取りこぼすことなく、卒論を順調に書いているのである。危うい局面は何人も何度もあったのだが、他人を変える前に、僕自身の「構え」を変えることで、場は大きく育っていった。

また、それは妻との関係性でも同じである。夫婦二人から、子ども中心の三人生活になり、夫婦からチームへ、と変容する途上で、互いの価値観の違いが最大化し、何度も衝突する場面があった。だがそれは、妻も僕も、子どもとの間での「心配事」が最大化する場面で、お互いがぶつかることが多かったのだ。それに気付いて、妻とぶつかりそうな場面では最近やっと、「このことについて、お互いはどんな心配事を抱えている?」と互いに尋ね合うようにしてみた。そして、その心配事を共有することが出来れば、相互不信も減り、納得出来る部分も増えて、コンフリクトは鎮まっていった。

そういう意味では、ダイアローグを単にスキルとして学んだのではなく、生き方の中で、日々模索するための叡智として受け取ったのだ、と気づき始めている。もちろん、まだまだ初心者マークではあるが。

3,「無理しない」ワークライフバランスへ

子どもをスリングに入れながら、必死にラップトップを叩いて出来上がった原稿が入っている編著が12月に刊行された。『「無理しない」地域づくりの学校-「私」からはじまるコミュニティーワーク』(ミネルヴァ書房)である。これは去年の三題噺にも書いた、岡山や京都での取り組みを書籍化したものである。

今年はこの本のタイトルにもある、「無理しない」に、少しずつ舵を切り始めた一年でもあった。この「無理しない」とは、物理的に無理しない、という意味ではない。「すべきだ・しなければならない」というshould, mustのモードではなく、「したい」というwould like toで生きる、ということである。

家事や育児は、確かに時間が取られるし、手荒れはするし、大変ではある。でも、わが子の笑顔を見ていれば、その大変さは一気に吹き飛ぶ。そういう意味では、「したい」である。同じように、仕事だって、できる限り「すべきだ」モードのことは減らしたり他の人にお願いし、僕自身が本当に「したい」ことに集中しないと、時間が圧倒的に足りない。そういう部分で、他人の思惑に絡め取られたり忖度して、「すべきだ」で生きていても、全く面白くないし、気も乗らない。それは、僕自身の活き活きとした魂を毀損することでもある。

そう思うようになると、なるべく「無理しない」をベースに仕事や家事、育児も含めたワークライフバランス全体を再設計する時期に当たっているのだと思う。ちょうど今年は42才の後厄の一年だったが、この後厄というのは、今にして思うと、これから10年20年を、より「無理しない」で、自分自身の、そして大切な家族や仲間との間での、「したいこと」に集中するための、シフトチェンジの時期ではないか、と思い始めている。

30代までは、誰かに何かを認めてもらうための、「僕が僕が」という強烈な自己主張の時期であった。見苦しいとバカにもされてきたが、当の本人は生き残る為に必死でもあった。でも、40代になり、そんなに自己主張しなくても、色んな物事がくっついてくるようになった。逆に力を抜けば抜くほど、いろいろなことがつながってきたり、会いたい人に会えたり、出会いたい場面に出会えるようになってきた。無駄な力みや強ばりが取れるほど、技が決まる、という合気道の精神が、やっと少しずつ、仕事や生き方の場面でも、つながってきたのかもしれない。

そういう意味では、今年は合気道の稽古自体にはほとんど行けなかったけれど、普段の生活の中で、力を抜く、無理しない、緊張しない稽古をし続けてきたのかも、しれない。

お陰でおちびは順調に育ち、そろそろ合気道の練習にも行けそうなタイミングとなってきた。合気道も家事育児も仕事も、どれも「無理しない」で、持続可能な形で、しかも「すべき・ねばならない」ではなく、「したい」で続けて行く。そんな2018年になれたら、もっと楽しいな、と感じている。

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今年は子育てメインでブログの更新が月1ペースでしたが、お読み頂きありがとうございました。

皆さん、よいお年をお迎えください。

たけばたひろし

6年前の「予言」

「障害者権利委員会一般的意見 (2017)第5号 19条:自立した生活及び地域への包容」を読んだ。この障害者権利委員会の委員を務める石川准先生のサイトによると、この委員会とは「各締約国の条約実施をモニタリング(監視)する専門機関であり、各国から提出された報告書に基づいて条約実施状況を審査し、改善勧告を出す役割を果た」すとされている。この委員会では既に四つの条文に関する一般的意見が公刊されている。今回、この委員会では障害者権利条約第19条を取り上げて、どうすべきか、のガイドライン的な意見書を整理した。

その今回の一般的意見 第5号の翻訳はネットにまだ出回っていないのだが、DPI日本会議が訳したもの(中西由起子さん監修)が、12月に開催されたDPI障害者政策討論集会で資料として出されていた。僕はその文章を、人づてに手に入れる事が出来た。それを読んでいたら、日本の脱施設・脱精神病院政策の根幹にも触れるような内容が記載されていた。

そもそも、業界内では知られているが、門外漢の方には知られていない、この障害者権利条約の位置づけを軽くおさらいしておこう。国際条約は、憲法よりは下位だが、国内法よりは上位に位置づけられている。すると、条約に批准する際/批准した後では、憲法は変えなくてよいが、条約と相反する法律ならば、変更する必要がある。日本が女性の地位向上や女性の労働環境の整備・向上に努めたのは、女子差別撤廃条約という権利条約を批准した後である。子どもの権利条約など、様々な権利条約が作られているが、障害者権利条約に関しては21世紀になった後の2006年に国連総会で採択され、日本国政府も2014年に批准した。

この条約は、条約制定過程から障害当事者が積極的に参加した、当事者参画の条約として画期的であるのだが、それゆえ、障害者権利条約第19条では、まさに障害当事者が求めてきた、そして保護者や専門家が消極的だった、次の文言が書き加えられた。(訳文は外務省訳を用いている)

「第十九条 自立した生活及び地域社会への包容
(a) 障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと。
(b) 地域社会における生活及び地域社会への包容を支援し、並びに地域社会からの孤立及び隔離を防止するために必要な在宅サービス、居住サービスその他の地域社会支援サービス(個別の支援を含む。)を障害者が利用する機会を有すること。」

Inclusionを「包摂」とせずに「包容」という訳にしたあたり、何だか政府訳ではぼやかしが見え隠れするが、19条の最も革新的部分はa項に書かれている、「特定の生活施設で生活する義務を負わないこと」である。これは、障害が重いから、親亡き後で面倒を見る人がいないから、火の始末が不安だから・・・といった理由で、入所施設や精神科病院のような「特定の生活施設で生活する義務を負わないこと」がはっきりと謳われているのである。

この19条a項と対になるb項目では「必要な在宅サービス、居住サービス」を提供することが義務づけられている。だが、このブログで何度も何度も指摘してたように、日本は世界で最も障害者をいまだに入所施設や精神化病院に収容し続けている国である。この19条とは真逆のスタンスの国である。であるがゆえに、この19条をどう履行するのか、は日本の障害者福祉政策にとって、大きな課題でもあるのだ。

そして、今回の「障害者権利委員会一般的意見」においては、この19条を完全実施する上でのポイントが、実にわかりやすく整理されている。この意見は、今後の日本の障害者施策の向かうべき方向も示されているので、幾つかのパラグラフを引用しながら、その内容について考えてみたい(以下のカッコ内は、先述のDPI日本会議訳による一般的意見書第5号)。

「パラグラフ49.19 条による障害者の尊重義務は、締約国が施設収容を段階的に廃止する必要があることを意味する。締約国はどんな新規の施設も建ててはならず、居住者の身体的安全の保護に必要な最も緊急な対策の範囲を超えて古い施設を改造してはならない。施設は拡大すべきではなく、新規の居住者は退所した人の所に入居すべきでなく、自立生活の外見(アパートまたは単体の家)はあるが施設を中心に展開される、施設が分岐した「サテライト」型の生活環境は作るべきではない。」

もっとも重要な箇所が、このパラグラフ49に凝縮されているように、僕には感じられた。「特定の生活施設で生活する義務を負わないこと」を実現するためには、「施設収容を段階的に廃止する必要があることを意味する」のである。日本の入所施設や精神科病院は私立がほとんどであるため、その経営者団体の「既得権」に遠慮して、日本ではこの「段階的廃止」の議論は全くなされていない。だが、入所施設や精神科病院への社会的入院・入所を受け入れる限り、「特定の生活施設で生活する義務」はいつまでもつきまとう。脱施設・脱精神科病院という「出口戦略」だけでなく、入所施設や精神科病院への入所・入院そのものを減らす・無くすという「入口」を止めないと、社会的入院・入所の数は一向に減らないし、専門職も「施設があるのだから」と安易にその選択肢を選んでしまうことになる。

実際、スウェーデンでは1994年にLSSという障害者への地域生活の権利を付与する権利法(行政にとっては施策実施義務を伴う義務法)を策定したが、その後も入所施設の閉鎖には至らなかったので、知的障害者の入所施設や特別病院を閉鎖する特別立法を1997年に制定し、1999年12月31日まで全施設の閉鎖を目指した。その期限内には実現しなかったが、僕がスウェーデンに滞在した2005年に調べた際には、2003年には全施設を閉鎖した(そのことは以前のレポートに詳細を記載した)。そして、スウェーデンの第二の都市、イエテボリ市の郊外にある観光名所の島にある元・入所施設を訪れると、身寄りがいない一部の知的障害者がそこに暮らし続ける事を選択したが、そこは定員6人のグループホームになっていて、もちろん自分自身の部屋もキッチンもバストイレもある、平屋の集合アパートのようになっていた。。

また、イタリアでは前回のブログでもご紹介したフランコ・バザーリアの尽力により、公立の単科精神病院への新規入所を禁じる180号法が1978年に制定され、1999年3月までに司法精神病院を除く全ての公立精神病院が閉鎖された。また、身寄りのない住人は、「オスピテ(客人)」という形で元精神科病院内の施設を改造した住居に暮らす人もいるが、年々その数は減っている。そして施設収容の経験のない新患の精神障害者は、自分たちが元々暮らしていたアパートや居住施設で暮らし続けている。

つまり、入所施設や精神科病院といった「特定の生活施設」があるからこそ、障害者がそこでの生活を「義務づけられる」という隔離収容の歴史が続くのである。その歴史を終焉させたければ、そのような場を「段階的に廃止する必要がある」のだ。

ちなみに「施設を中心に展開される、施設が分岐した「サテライト」型の生活環境は作るべきではない」というのは、これも以前シノドスで指摘したが、「病棟転換型施設」はもってのほかだ、ということである。

「50.締約国は保護義務として、家族や第三者が地域社会で自立して生活する権利の享受に対する直接的、間接的な妨害を防ぐための措置をとることが求められる。締約国は保護義務として、自立した生活及び地域社会への包容の権利の完全な享受を揺るがす家族や第三者、サービス提供者、土地所有者、一般サービスの提供者による行為を禁止する法律や施策の導入や履行を求められる。
51.締約国は、公的あるいは民間の資金が、あらゆる施設化された形態で既存又は新たな施設の維持、改良、設置や建設に費やされないことを確保しなければならない。さらに締約国は民間施設が「地域生活」に見せかけて設置されないことを確保しなければならない。」

日本の知的障害者の地域移行が進み始めたのは21世紀に入ってからであるが、その初期段階の成功例としてあげられるのが、長野県立西駒郷である。ここでは、支援者の山田優さん達の尽力のお陰で、500名規模の入所施設において、半数以上の利用者が地域移行を実現した成功モデルである。僕はその評価検証事業に関わった。だが、そんな西駒郷ですら、最重度の人の施設は「立て替え」をしてしまった。その背後には、親亡き後のわが子の心配を案じる家族の強い意向が働いた、という。家族だけを批判するつもりはむろんないし、20世紀の日本型福祉は「家族丸抱え」が定番だったので、「地域移行」と聞くと、「やっと施設にお世話になることが出来たのに、また我が家に戻されるのか!?」と感情的に反発した親御さんがいたことも理解する。19条b項に定める、重度障害者向けの介助や居住支援が圧倒的に不足していたのだ。

だが、そうだからといえ、今からの施設の建て替えは、入所施設の永続化をもたらす。「居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わない」という19条の理念を真っ当に実践するなら、施設の建て替えは「家族や第三者」による「地域社会で自立して生活する権利の享受に対する直接的、間接的な妨害」となるのだ。これを、そのまま許していてはならないし、「入所施設に依存しない地域生活支援体制」を断固として国は創り上げる必要があるのだ。

そして、このような政策転換には、国の積極的関与が必要とされる。

「57.締約国は脱施設化のための戦略と具体的な活動計画を採用しなければならない。それには、構造的な改革を実施し、地域社会における障害者のための施設及びサービス等の利用の容易さを向上し、地域社会における障害者の包容に関する社会のすべての人の意識を向上させる義務を含む。
58.脱施設化は、包括的な戦略の一部として入所施設の閉鎖や施設入所規定の削除を含む体系的な移行も必要とする。したがってそれには、予算と時間枠を伴った個別の移行計画を含むいろいろな個別支援サービスと包容的支援サービスの設定に加え、地方自治体を含む政府のすべてのレベルや部署における改革や予算、姿勢を確保する、調整がされた政府横断アプローチが求められる。」

この「脱施設化のための戦略と具体的な活動計画」に関して、厚労省なら「障害福祉計画の中で具体化させています」とシラをきるかもしれない。だが、2000年代前半の障害福祉計画では、入所施設からの地域移行の目標数値を少ないながらも積極的に掲げていたが、その達成が毎回無理な現状が重なると、元々が控えめな数値目標なのに、どんどんそれすら後退している現実がある。それは「構造的な改革」を伴わない「戦略」と「活動計画」だからである。

ではどうしたらよいのか。それは、前述のパラグラフ58に書かれているような、「予算と時間枠を伴った」、「個別の移行計画」(ミクロ)だけでなく、個々の「入所施設の閉鎖」(メゾ)、そして入所施設や精神科病院に集中的に投下されてきた財源を地域生活支援の基盤整備に振り替える、という意味での「地方自治体を含む政府のすべてのレベルや部署における改革や予算、姿勢を確保する、調整がされた政府横断アプローチ」(マクロ)のレベルの改革が求められるのだ。

そのために、政府は具体的に何をしたらよいのだろうか。それは、「Ⅴ 国内レベルでの履行」に書かれたパラグラフ98が、網羅的に記述している。特に地域移行に関係する部分を拾い出してみよう。

「98.(g) 障害者のあらゆる形態の孤立、隔離及び施設収容を廃止するために、適切な予算と特定の時限がある脱施設化のための明確で対象を絞った戦略を採択する。現在施設にいる心理社会的及び/又は知的障害のある者や障害児に特に留意しなければならない。
(m)独立した監視組織の役割に留意して、既存の施設や居宅サービス、脱施設化戦略や地域社会における自立生活実施を監視する仕組みを作る。
(n)19条に基づいて想定された監視と実施は、障害者の自分たちを代表する組織を通じた完全な協議と参加において実行されるべきである。」

(g)項では、脱施設・脱精神科病院を進める上での特別立法の必要性を求めている。(m)項目は、名ばかりの施策実施でお茶を濁さないために、「脱施設化戦略や地域社会における自立生活実施を監視する仕組み」を求めていて、(n)項ではその際に「監視と実施は、障害者の自分たちを代表する組織を通じた完全な協議と参加において実行されるべきである」と規定し、障害当事者がこのプロセスにしっかり参画出来る体制作りが必要不可欠であることも提起している。

だが、これらのことは、実は日本政府の審議会レベルでは、かつて検討された事がある内容である。それが、内閣府障がい者制度改革推進会議の総合福祉部会で2011年8月に整理した「骨格提言」の中に記載されている(その解説も一応貼り付けておきます)。それが、p49以後の「Ⅰ-6 地域生活の資源整備」に書かれた「「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)策定の法定化」である。この部分を少し長くなるが、引用しておく。

「【結論】
○ 国は、障害者総合福祉法において、障害者が地域生活を営む上で必要な社会資源を計画的に整備するため本法が実施される時点を起点として、前半期計画と後半期計画からなる「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)を策定するものとする。策定に当たっては、とくに下記の点に留意することが必要である。
・ 長期に入院・入所している障害者の地域移行のための地域における住まいの確保、日中活動、支援サービスの提供等の社会資源整備は、緊急かつ重点的に行われなければならないこと。
・ 重度の障害者が地域で生活するための長時間介助を提供する社会資源を都市部のみならず農村部においても重点的に整備し、事業者が存在しないためにサービスが受けられないといった状況をなくすべきであること。
・ 地域生活を支えるショートステイ・レスパイト支援、医療的ケアを提供できる事業所や人材が不足している現状を改めること。
○ 都道府県及び市町村は、国の定める「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)に基づき、障害福祉計画等において、地域生活資源を整備する数値目標を設定するものとする。
○ 数値目標の設定は、入院者・入所者・グループホーム入居者等の実態調査に基づかなければならない。この調査においては入院・入所の理由や退院・退所を阻害する要因、施設に求められる機能について、障害者への聴き取りを行わなければならない。」

この部分の作成に、同部会の構成員として僕自身が関わったので、はっきり言えること。これは、冒頭に紹介した権利条約19条のa項とb項を日本で現実的に履行するための戦略であった。そして、今回の「障害者権利委員会一般的意見 (2017)第5号 19条:自立した生活及び地域への包容」を読んでいて、嬉しくもあり、悲しくもある、複雑な気持ちを抱いた。2011年の段階で最善と考えた「地域基盤整備10ヵ年戦略」は、その6年後に「障害者権利委員会」が提起した内容とほぼ同じものである。つまり、6年前に智恵を絞って整理したこの内容は、十分に今でも機能する内容であり、普遍性が高い「戦略」であるというのが「嬉しい反面」である。だが、これは以前シノドスに書いたが、この「地域基盤整備10ヵ年戦略」も含めた「骨格提言」そのものを国は無視して、この6年の間、全く何も実践していない、という部分では、実に「悲しい反面」である。

ということは、これからこの「一般的意見第5号」にどう対処すべきか、「国内レベルでの履行」において、日本ではどのように進めていけばよいのか、に関しては、僭越ながら僕たちが6年前に整理した「地域基盤整備10カ年戦略」を厚生労働省は採択せよ、と迫ればよいだけ、である。しかも、この内容は、知的障害者福祉協会や日本精神科病院協会、重症心身障害児(者)を守る会、といった、入所施設や精神科病院、重度障害者の家族会も構成員となった委員会でガチンコで議論され、総意を得た内容である。利益相反になりがちなステークホルダー間での意見が一致した内容である。厚労省が一番苦手とする、このような意見のとりまとめをした「戦略」であり、権利条約の国内履行において必要不可欠なこの「戦略」を、国がネグレクトするのは、サボタージュ、以外の何物でもない。

「障害者権利委員会」の「一般的意見」を眺めながら、6年前に「骨格提言」の中で「予言」しておいたことが今も機能していることを、再確認できた。そんな今だからこそ、改めて多くの人に「骨格提言」を読み返してもらいたいなと、深く感じた。

バザーリアとの「対話」

とうとう読みたかった本が邦訳された。それは、イタリアで公立精神病院閉鎖に導いた医師、フランコ・バザーリアの講演録『自由こそ治療だ!』である。日本では、大熊一夫師匠による解説本や、バザーリアの伝記、あるいはバザーリアの映画DVDが付いた愛弟子の語り、などは翻訳されていた。だが、肝心のバザーリアの書いた・語った内容が、そのままのものとして翻訳される機会がなかった。

この本は、40年前の本とは思えないほど、今の日本に住む僕に重く突き刺さる。そのうちの数カ所だけでも、一読後の今の時点で書き留めておきたい。

「統合失調症は青年期に発症する病気で、独りの世界に閉じこもってしまう『自閉』と呼ばれる特徴を示します。これは明らかに何かに対する反応であって、生活のなかから受ける衝撃を避ける為の若者の防衛反応です。20世紀になってから、産業かを推進するすべての国々、つまりすべての先進諸国で頻繁にみられた症状が、まさしく統合失調症でした」(p213)

そういえば知り合いの精神科医がツイッターで「統合失調症の新規患者が減っている」と書いていたが、一方で不登校やひきこもりの数は40年前より増えている。この現象を、精神疾患の病気の世界の中で眺めていては、理由はみえにくい。一方で、「何かに対する反応であって、生活のなかから受ける衝撃を避ける為の若者の防衛反応」という補助線を引くと、違った風景がみえてくる。高度経済成長期のような「産業化を推進」した時代には、「統合失調症」の形で「防御」していた若者が、今は病気ではなくて「ひきこもり」「不登校」という形で「防御」しているのだとしたら。

バザーリアはその直後に、こんな風にも語っている。

「精神病とは、この病が発症している様々な社会的背景に根ざした狂気の表現方法であるということです」(p213)

そう、「自閉」や「ひきこもり」「不登校」や「暴力行為」も、表面上は「社会からの逸脱」にみえる。だが、「この病が発症している様々な社会的背景に根ざした狂気の表現方法」とするならば、事態が全く別にみえてくる。「狂気の表現」だけが問題なのではない。そのような「表現方法」に頼らざるを得ないような、「この病が発症している様々な社会的背景」こそ、治療や変化の対象にもみえてくるのだ。

「狂気とはある状況の表出であり、狂気となる条件の表出です。そこで私たちが教えられたのは、病状に意味を与えるためには病を知る必要があるということです。つまり、ある一つの要素を全体像のなかに位置づけなければならないということです。医師と市民の関係性、そして医師と患者の関係性を変えるために、私たちはこれと同じような教育的な姿勢をもたなければならないのです。」(p107)

このブログでも何度か触れてきたが、バザーリアは「精神病は存在しない」という「反精神医学」とは違う立ち位置である。精神病や狂気の存在を認めている。だが、狂気=病気=隔離収容、というイコールには、大きな疑いを持っている。「狂気とはある状況の表出であり、狂気となる条件の表出です」と彼が言うとき、僕の頭に浮かぶのは、「ゴミ屋敷」のことである。

「ゴミ屋敷」の主を、頭のオカシイ人、精神病の人、とカテゴライズするのは容易い。だがバザーリアの論理を応用すると、この安直なカテゴライズそのものに、大きな問題が内包されている。「ゴミ屋敷」とは「狂気となる条件の表出」なのである。なぜこの人はここまでゴミを溜めてしまうのか? その背景には、「ある一つの要素を全体像のなかに位置づけなければならない」のだ。ゴミ屋敷の主と、その家族、ご近所などの「関係性」の中で、その主は、「何かに対する反応であって、生活のなかから受ける衝撃を避ける為の」「防衛反応」として、ゴミを溜めているのである。

その際に、ゴミを溜めて近所とトラブっている=オカシイ人、とイコールでラベリングするのは、思考停止である。「この病が発症している様々な社会的背景に根ざした狂気の表現方法」としての「ゴミ屋敷」を考えるなら、その人がゴミを溜めざるを得なくなった「社会的背景」や、どのような「状況の表出」なのか、を探索する必要がある。その人の異常性をのみ、探索するのではない。その人と社会との相互作用や関係性の中に、その人が「ゴミを溜める」形で表出せざるを得なかったものは何か、を探る必要があるのだ。

もう一点だけ、引用したい箇所がある。不眠を訴える患者にどう対処しますか、と聴かれて、バザーリアはこう答えている。

「眠れないと訴える患者に対する私なりの対応は、その理由を当人と一緒に探すことです。そして、症状としてではなく、本人を取り巻く全体的な状況や実存の表れとして、不眠症を理解する方法を見出す事です。」(p189)

睡眠導入剤や安定剤を処方して終わり、とは真逆の対応である。「眠れない」という形で「状況の表出」がなされている。不眠でも、ゴミ溜めでも、暴力行為でも、そのような「状況の表出」を「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」という形で「暴力的鎮静」をしようとは、バザーリアは考えない。そうではなくて、そのような形で「状況の表出」をせざるを得ないのはなぜなのか、について「その理由を当人と一緒に探す」のである。これは、今僕が勉強しているオープンダイアローグの考え方そのものである。つまり、フィンランドでODやADがスタートする前から、バザーリアはずっと、患者とともに、病状に限定されず、「本人を取り巻く全体的な状況や実存の表れとして、不眠症を理解する方法を見出す」ことをし続けてきたのだ。

その意味では、以前にオープンダイアローグとバザーリア派の同一性をブログで整理したが、改めてそれを再確認したし、その上で、「症状としてではなく、本人を取り巻く全体的な状況や実存の表れとして」「理解」することの大切さを痛感した。それは、「狂気」を「個人の病」に閉じ込めずに、どのような「関係性」の中で、どのような「社会的背景に根ざし」、いかなる「状況の表出」の結果として、そのような「防御反応」をせざるを得なかったのか、という観点から探る必要があるのだ。

まだまだ書きたい事は山ほどある。一読目もあちこち書き込みながら、折り目を入れながら読んでいったけど、二度三度読み返しながら、色々考えたい。この本を通じて、バザーリアと何度も何度も対話したい。そういう思いで一杯になっている。この本は、僕自身のこれからの思考や実践を深める上での、ぶれない軸、というか、キーブックになりそうだ。

階級格差の自覚化

他にも読みたい・読まねばならぬ本は色々あるのだが、それを中断してでも読んだ二冊の本のご紹介。『ヒルビリー・エレジー』『CHAVS』は、合わせ鏡のような二冊である。前者はアメリカの、後者はイギリスの、主に工場や炭鉱で生計を立てていた労働者階級の白人が、新自由主義的な政策や経済のグローバル化で職を奪われた後、どのような現実を送っているか、を骨太に描く作品。と同時に、オバマの民主党やブレアの労働党が、いかに労働者階級の人の意見を代表する党ではなくなっていくのか、をも鮮やかに描いた二冊。

『ヒルビリー・エレジー』は、自らも「ラストベルト(さびついた工業地帯)」で育った著者が、高校卒業後、海兵隊→州立大学→イエール大学ロースクールを卒業して、自らの経歴を振り返る自伝的作品。京都の下町で育ち、市内でも何番目かに「ガラの悪い」公立中学校出身なので、何となく「見覚えのある風景」が描かれていた。

「不安定な家庭環境で育つ子どもの多くは、まずは逃走を試みる。しかし、正しい出口から逃げ出せるケースは非常に少ない。私のおばは16才のとき、暴力癖のある男と結婚した。私の母は、高校の次席卒業生だったにもかかわらず、卒業後すぐに、出産と離婚を経験し、十代の終わりになっても、大学の単位をひとつも取っていなかった。
鍋のなかから火のなかへ。混乱はさらなる混乱を生み、一度崩したバランスは、元には戻らない。こうして、典型的なヒルビリーの家庭が誕生する。」(p354)

通っていた中学では、タバコやシンナーを吸ったり、盗んだ原付を乗り回すような「不良」がクラスに1,2名はいた。ただ、僕は勉強を教えられるという特技があったので、そんな「不良」とも良い関係であった。「バイクのリミッターを切るとどうなるか」を教わったのも、その頃だ(僕は試してはいないが)。そんなクラス仲間たちの家庭環境について根掘り葉掘り聞いた事はないが、この本を読んでいて、30年前の彼や彼女の顔が浮かぶ。この本で描かれた「早すぎる結婚、薬物依存症、投獄といった、最悪の状態」(p305)につながる「間違った出口」からの「逃走」を、すでにその頃していた人もいるかもしれない。もしかしたら、そのうちの何人かは「典型的なヒルビリーの家庭」を築いているのかもしれない。

ふつう、非行から「最悪の状態」に陥った人は、自助努力が足りなかった、自己責任だ、と言われがちだ。だが、この本を読んでいて改めて頷いたのは、「不安定な家庭環境で育つ子どもの多くは、まずは逃走を試みる。しかし、正しい出口から逃げ出せるケースは非常に少ない」という部分だ。そう、前提として「不安定な家庭環境」があり、そこから「逃走」したいが、「正しい出口」とは違うものをしばしば選んでしまい、それが結果的に「最悪の状態」に繋がるのである。こんな環境は嫌だ、と「鍋」を飛び出したはずなのに、自分が知っている逃げ場が「火」で、さらに「混乱」の渦の中に落ち込んでいくのだ。

ではなぜ、僕は「ヒルビリー」とは違う道を歩けたのか。ありがたいことに、「不安定な家庭環境」ではなかったのが最大の要因だと思う。でも、それだけではない。

「社会関係資本とは、友人が知り合いを紹介してくれることや、誰かが昔の上司に履歴書を手渡してくれることだけをさすのではない。むしろ、周囲の友人や、同僚や、メンター(指導者)などから、どれほど多くのことが学べる環境にいるのかを測る指標だといえる。」(p342)

僕の場合、たまたま小学校5,6年の時、クラスが激しいいじめ状態にあり、学級崩壊で授業を満足に受けられなかった。中学の勉強についていけるかが不安で、中1の時に入った塾がたまたま猛烈な進学塾だった。そこで勉強の面白さや切磋琢磨する友人、まともに議論に付き合ってくれる塾長などのメンターと出逢えた事が、決定的に大きかった。偶然に転がりこんだ社会関係資本のお陰で、高校は進学校に通い、バランスを崩すことなく、大学にも転がりこめた。

そして、社会階層に大きな断絶がある、ということに気付いたのは、国立大学に入った後。友人達の親の学歴や職業を聞いてみたら、大手企業の社員や会社社長、大学教授など、僕が中学時代まで出会った事のない「家庭環境」の人びとだった。斜陽産業だった西陣織の営業マンの息子で、二人の親とも高卒、休みの日は月に一度くらい、「餃子の王将」に食べに行けるのが何よりの楽しみ、という僕の家は、たぶん友人達の中で一番親の学歴も収入も低かったのだと思う。今、大学教員という職業に就いているが、きっと職場で聞いてみたら、同じ傾向が出てくるだろう。

僕は実に幸運なことに、塾や高校、予備校、そして大学で有形無形の「社会関係資本」に出会うことによって、10代20代のシンドイ時期を何とか乗り越えてこられた。だが、そんな「社会関係資本」に出会えない社会階層に閉じ込められているのが『CHAVS』で描かれた白人労働者階級である。

『ヒルビリー・エレジー』が「うち捨てられた白人労働者階級」の内在的論理を描いた作品であるとするならば、『CHAVS』は僕のような下町で育ち、オックスフォード大学を卒業した著者による、自分のかつての近所の同世代が、なぜ「白人労働者階級」に閉じ込められているのか、そして「正しい出口」が政策によってどう封じ込められているのか、を分析した作品である。

僕はこの本を読んで、サッチャーの有名な台詞の真の意味が初めて理解できた。

「社会などというものは存在しません。個人としての男と女がいて、家族があるだけです」

これは、炭鉱労働者に代表されるような「団結する労働者階級」を徹底的に破壊するための名文句だったのだ。『CHAVS』の著者はこのフレーズの後に、以下のような分析をしている。

「保守党は、イギリスの階級区分に根ざした政党であるにもかかわらず、その事実を思い出させるあらゆるものから国民の目をそらしてきたが、サッチャー式の右派イデオロギーでも、階級について話すことを徹底的に避けた。社会のなかである集団が富と権力を持ち、ほかは持っていないということを認めてはならない。もし認めれば、修正しなければならないという結論まであと一歩になってしまう。ある集団がほかの集団のために働いて生活しているとなると、搾取ではないかという疑問が生じ、他者の経済的利益に対する自己の利益は何かと考えたくなる。それに何より、政治経済的な権力を握る目に見えない組織があることを思い出させ、富と特権への宣戦布告をうながすかもしれない。だからこそ、労働者階級という『概念』の存在は,サッチャーの自助努力の資本主義モデルの天敵になったのだ。
サッチャーは、決して社会階級をなくそうとしたわけではない。ただし、どの階級に属しているかを国民に認識させたくなかっただけだ。」(p64)

大変長い引用になったが、この部分にサッチャー、だけでなく新自由主義の本質的な分析が詰まっている。そう、資本家・為政者・富裕階級と労働者階級が対立する構造は、昔からずっと変わっていない。だが、労働者運動やマルクス主義のお陰で、20世紀後半のある時期まで、労働者階級や労働運動が社会の中で力を持ち、「社会のなかである集団が富と権力を持ち、ほかは持っていない」という問題と向き合っていた。これでは、その搾取や富と権力の集中が「修正」される危機でもある。ゆえに、「社会」の中で、そのような「修正」を求めうる「階級」の団結は、特権者階級にとっての恐るべき恐怖なのである。

この前提があるからこそ、「社会などというものは存在しません」の真の意味がみえてくる。搾取される側が「社会」を認識することで、「他者の経済的利益に対する自己の利益は何かと考えたくなる」。それは、「富と特権への宣戦布告」なので、できる限りそこは避けたい。すると、「個人としての男と女がいて、家族があるだけです」と定義し直すことで、本来なら社会構造の問題のはずが、個人や家族単位の自助努力や自己責任、やる気の問題に縮減することが可能になるのである。それは、「ヒルビリーの家庭」や「CHAVS」とからかわれる労働者階級の不良な若者達を、その状態に留め置くための「呪文」にもなったのだ。

「不良」は個人の自助努力のなさや自己責任、だけではない。「不安定な家庭環境で育つ子ども」の「逃走」、しかも「正しい出口」を求めていない「逃走」の場合がしばしばなのだ。本人は「鍋のなかから」逃げたくてもがいているのに、それが結果的に「火のなかへ」入り込むことによって、「混乱はさらなる混乱を生み、一度崩したバランスは、元には戻らない」。その状況が,不良や逸脱状況、あるいは不登校などの現象に共通することにも思えてくる。これは、管理や監視がきつくなっている学校制度や、あるいは労働環境が悪化し、非正規や賃金の安い労働にしかつけない親世代などの「矛盾」が、「不安定な家庭環境」と重なることで、一番脆弱な子どもの「身体表現」として現れたにすぎない。それは本来「社会の矛盾」の問題であり、階級格差の問題であるはずなのに、「社会などというものは存在しません。個人としての男と女がいて、家族があるだけです」と言われてしまうと、もう個人ではどうしようもなくなり、諦めるか、自暴自棄に陥るしかなくなるのである。

そして、この二つの本は、労働者階級が民主党や労働党から乖離しているか、をも指摘している。

「私が大人になるまでに尊敬してきた人たちと、オバマのあいだには、共通点がまったくない。ニュートラルでなまりのない美しいアクセントは聞き慣れないもので、完璧すぎる学歴は、恐怖すら感じさせる。大都会のシカゴに住み、現代のアメリカにおける能力主義は、自分のためにあるという自信をもとに、立身出世をはたしてきた。(略)オバマの妻は、子どもたちに与えてはいけない食べものについて、注意を呼びかける。彼女の主張はまちがっていない。正しいと知っているからなおのこと、私たちは彼女を嫌うのだ。」(『ヒルビリー・エレジー』p300-301)

「ニュー・レイバーは、財産相続や私立校を廃止する気などまったくない。あくまで中流階級に都合良く操作された社会での『メリトクラシー』を議論しているのだ。こうして、それは既存の不平等を正しいものとして商標変更する常套句になる。(略)結局、メリトクラシーは、『頂点に立っている者はそれだけの価値があるから』とか、『底辺にいる者はたんに才能が足りず、その地位がふさわしいから』といった正当化に使われる。教育の現場でも、数学や物理などの学科科目を優先し、職業訓練科目を軽んじるための理由に使われている。何をもって『能力』と見なすかという基準の精査もせずに、そういうことが決められているのだ。しかし、たとえば億万長者の広告コンサルタントは、病院の清掃員より序列の高い位置にいる価値があるのか?」(『CHAVS』p122)

億万長者の広告コンサルタントと病院の清掃員は、仕事の中身と収入が違う。だからといって、どちらの仕事の方が「より価値がある」とか「序列が高い」などとは、本来決められない。だが、「どれけ稼ぐか」という収入の基準のみを「メリトクラシー」という「能力主義」で評価基準に置くと、「『頂点に立っている者はそれだけの価値があるから』とか、『底辺にいる者はたんに才能が足りず、その地位がふさわしいから』といった正当化」がおこる。本来、その評価基準が「中流階級に都合良く操作された」というバイアスがかかっているのに、「底辺にいる者」は、その環境要因について判断されることなく、「たんに才能が足りず」と切り捨てられる。

そのような経験をしてきた労働者階級にとって、「ニュートラルでなまりのない美しいアクセント」や「完璧すぎる学歴」は、「メリトクラシー」=「能力主義」を「自分のためにあるという自信をもとに、立身出世をはたしてきた」オバマやブレアは、社会の勝ち組にみえる。自分自身と比較すると、「共通点がまったくないので、「恐怖すら感じさせる」。彼らのいう正しさは「既存の不平等を正しいものとして商標変更」したものであるが、「正しい」と自分でも思うからこそ、文句は言えない。よって、「オバマの妻は、子どもたちに与えてはいけない食べものについて、注意を呼びかける。彼女の主張はまちがっていない。正しいと知っているからなおのこと、私たちは彼女を嫌うのだ」という思考回路に陥るのである。

この二つの本は、アメリカやイギリスが、輝ける20世紀の最後の四半世紀あたりから、つまりはレーガンやサッチャーが新自由主義に舵を切ったあたりから、国内の第二次産業の空洞化や工場労働の国外移転に伴い、そこで働いていた労働者階級が団結して自らの階級を引き上げる力を失い、労働者階級による「社会」的連帯が薄れ、「個人」や「家族」としてバラバラにされ、既存の不平等をデフォルトにした「メリトクラシー」=「能力主義」の一元的尺度で序列化され、その結果に関しては「自助努力」「自己責任」と切り捨てられていったプロセスを、実にわかりやすく描いている。トランプ政権誕生やBrexitにみられるのは、そのような労働者階級の有権者が、どこに不満をぶつけていいのか、誰に夢を託していいのかわからない状態での、憤りの声である。そして、20世紀後半に比べると、この10年くらいの間に、明らかに「階級格差」が目に見えてきたことに、政治が対応出来ていない、という証拠でもある。

そして、上記の記述は、もちろん日本にも当てはまる。日本から急激に「社会」的連帯の概念が消え、「個人」と「家族」の「自己責任」が強化されつつある。そして、不平等を前提とした「能力主義」に基づく序列化も、強くなりつつある。

僕の父は、会社に入った時は毎年新入社員が100人だったが、退社する時は社員の総勢が10人にも満たなかった。だが、何とか定年1年前まで勤め上げ、退職金も受け取れたので、僕の大学の授業料まで、出してもらうことが出来た。だが、もし父の会社がもっと早く斜陽化していたら、僕は塾に通えず、大学院どころか、大学だって行けたかどうかは、わからない。僕が勉強して大学に受かって、という「能力主義」を発揮するためには、そもそも親が失業せず、あるいは不安定な家庭状況ではなく、という土台が必要なのだが、その土台も「自助努力」や「自己責任」とされたら、どのような階級の下で生まれるか、で人生が決まりかねないのだ。

それは、嫌だ!

そんな嫌な社会にならないために、これから僕には何ができるのか。

この本を読んで、真剣に考え始めている。

読ませる書評は才気爆発

新聞の書評、だけでなく、書評ブログや書評本など、本に関する記事は、結構あれこれ読んでいるつもり、である。だが、一風変わった書評本をご恵贈頂いた。

「『なんで勉強しないといけないの?』
こう聞かれたら、あなたはどう答えますか?
なんで勉強しないといけないんでしょうね。円周率とか元素記号とか古文単語とか、何の役に立つんでしょうね。
-この問いに対していろんな回答があると思いますが、今回紹介する『枠組み外しの旅』の作者である竹端先生なら、きっとこう答えるんじゃないかなぁ、と思います。
『しゃーないって諦めずに、自分や世界を変えるため』。
もちろんお聞きしたことはないので私の勝手な妄想なのですが、この本は確実にそう語りかけてきます。」
(『人生を狂わす名著50』三宅香帆著、ライツ社)

著者として拝読してびっくり。はい、まさしくその通り! 嬉しいほど本質を突いてくれている。そうそう、そういう思いで格闘しながら本を書いたのだ、と。

三宅さんは、まだ現役の大学院生で僕より20才も下である。にも関わらず、僕の20代より(というか僕の人生より)遙かに豊かな読書遍歴をお持ちなだけでなく、本への愛情が実に深く、本との対話能力が極めて優れている読み手でもある。以前彼女が僕の本をブログで取り上げて下さった時も、ずいぶん核心を掴んで下さっているな、と思ったが、今回、そのブログを書籍化するにあたり、かなり掘り下げて加筆されたようだ。

確か橋爪大三郎だったと思うが、書評を「規定演技」と語っていた。あくまでも「他人の作品を紹介する」という強い枠組み規定がある、という意味での「規定演技」。「その書評を読んだら、紹介本を買いたくなる」「書評を読んだだけで、作品のエッセンスがわかる」といったポイントをクリアしないと、文章が上手くても評価されない性質の文章。

で、この三宅さんによる書評本が希有なのは、「規定演技」としての質を担保した上で、三宅さんの雄叫びや情熱がしっかり伝わってくるという意味で、「自由演技」としても成立している作品であるからだ。

「規定演技」としての質の良さは、拙著の紹介文を拝読して、その本質を掴んで紹介して下さった、だけでなく、他の書評を読んで、気づけば何冊も注文していたことからも、ご理解頂けると思う。そして、「自由演技」としては、これは文字通り20代前半にしか書けない、瑞々しさや情熱があふれた文章なのだ。本が好きで、その著者の世界観にはまり込んでいる、だけでなく、はまり込んでいる自分そのものを冷静に見つめる視線も持っている。だからこそ、情熱的でありながらも、論理的に本の全体像を把握し、ここぞ、という部分を書評としてまとめる力量を持っておられるように感じた。

それから、選んだ本が、実に渋い。『悪童日記』、『時間の比較社会学』、『堕落論』、『チョコレート語訳みだれ髪』、『わたしを離さないで』・・・本好きなら誰しも知ってるこれらの本に、無名の拙著まで入れて、「世界の規範から外れる」という視点で選んだ50冊。そして、「この本を読んだ方におすすめする『次の本』」のセレクション(各3冊)もなかなか見物で、拙著からそうつなげるか、と選ばれた本に唸った。つまり200冊の本の世界が立ちあがってくる、実に読み応えのある書評でもある。

そんな才気爆発の書評家のプロフィールには、大学院では国文学を研究していて、テーマは「万葉集における歌物語の萌芽」をしている、と書かれていた。書評をこれだけ歌い上げる物語構成能力をお持ちなのだから、きっと研究でも面白い仕事をして下さる、と期待している。

そして、彼女の書評から教わったオモロそうな小説が届くのを楽しみに待っているのも、またよし。さて、どれから読もうかしらん。

子育て日記より

関西で市民活動・地域福祉活動を続けておられる老舗の一つ、寝屋川市民たすけあいの会の機関誌「つなぐ」で「連載 枠組み外しの旅」を続けさせて頂いている。そこで、子どもが産まれて以来、育児日記のような感じで書き続けている。備忘録的に貼り付けておきます。

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「想定外」の世界 (2017年2月)

2017年1月、子どもを授かった。先の見えない不妊治療に苦しんだ上での、やっと出逢えた宝物である。父親になった僕は、子どもの誕生以前から、様々な「想定外」に遭遇し続けている。

そもそも予定日を超えて1週間以上経っても妻は陣痛が始まらなかった。予定日あたりの仕事は入れずに待機していた僕も、さすがに授業も始まるし、慌て始める。ちょうど授業が終わる直前のタイミングで、育児休暇を取らずとも何とか乗り越えられる、と思っていたのだが、最初からアテが外れる。

それだけではない。子どもが産まれた後も、目まぐるしく変化し続ける事態に、ついていくのが必死な日々。これまでは、仕事も家庭も、ある程度の見通しを立て、早めに準備し、〆切を前倒しすることで、計画的に対応してきた。だが、従来の計画や予想では全く対応出来ない、見通しのきかない世界に放り込まれる。地図もコンパスもない大海原をカヌーで漕ぎ出すような、必死のパッチ、の日々。

このような想定外の日々に直面すると、「相談」や「支援」の有り難さや課題が、受ける側としてリアルに迫ってくる。例えば病院スタッフからの様々な説明。「する側」にとっては「日常的に理解でき、慣れている語句」だから、滑らかにパパッと説明される。だが、全く「想定外」のことでパニクっている僕には、一つ一つの言葉の意味がうまく飲み込めなかったり、説明量が多すぎて、すんなり理解できなかったりする。その時、「質問しても良いですか」と質問すること自体も、気後れしやすい。

ただ、運が良かったのは、我が家がお世話になった某大学病院の看護師の皆さんは、全般的に教育がしっかりされていて、僕のようなあれこれ質問する家族にも、実に丁寧に答えてくださったこと。「想定外」の混乱の中で、慌てて焦っている患者や家族にとって、じっくり丁寧に説明してくれることや、こちらの心配や不安にも時間を掛けて耳を傾けてもらえると、どれだけ安心できるだろう。そのことを、原則論ではなく実態として感じたのが、今回の「想定外」のプロセスの中から学びつつあることである。

あと、もう一つ「想定外」と言えば、「不惑」の年を越えたのに、惑いまくっている自分自身。家事を完璧にこなそうとして一杯一杯になったり、子どもと向き合うだけで疲れ果てたり。様々な「至らなさ」「愚かさ」「未熟さ」に改めて遭遇している日々でもある。

「助けてくださいと言えたときに、人は自立している」

これは『生きる技法』(青灯社)に書かれた名言で、ゼミ生にもこれ見よがしに伝えて来たが、今やっと、この言葉をちゃんと言える自分を発見しつつある。

おちびや妻と共に、父は新たな『枠組み外し』の旅に漕ぎ始めた。(続)

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「イクメン」の言葉の裏で (2017年4月号)

子どもが産まれた後、生活リズムが激変する。有り難いことに大学教員は裁量労働制で、しかも1月に子どもが産まれてから2ヶ月は、授業も無いので在宅勤務が可能である。ただ書斎に籠もるのでは、母子の「見守り支援」が出来ないので、食卓にノートPCを置いて、最低限度の資料だけ書斎から持ち込んでの在宅勤務生活。それも、家事や育児の合間を縫って、の文字通りの分刻みの生活である。この原稿だって、子どもをスリングに入れて、妻が風呂に入っている間に一気呵成に書き上げる。日々、そんな生活に突入した。

この経験をしてみて、ワーキングマザーが本当に偉大である、としみじみ感じた。家事や育児はできる限り僕も分担しているが、母乳を与えるという重労働は僕には変わることが出来ない。その重労働をしながら3ヶ月で職場復帰をするワーキングマザーは、とてつもないエネルギーを使っているのだ、と痛感する。

あと、僕も家事育児の分担をしていると、「イクメンですね」と褒められる場面が多いのだが、これは大きな落とし穴。知り合いのワーキングマザーが異口同音に語るのが、「父と違い、そもそも母は家事育児をして当たり前で、少しでも至らない部分があれば減点主義なのだから」ということ。

父親の家事育児割合が今でも低い日本社会では、その役割分担をするだけで男性は「加点評価」される。一方全てを担うのが「当たり前」とされてきた女性は、逆に「減点評価」の眼差しを、特に同じ女性から受け続ける、というのだ。そう思うと、「イクメン」という言葉自体、随分生ぬるい・男性を甘やかす言葉なのかもしれない。

そのことを象徴するのが、ある働くママの先輩から頂いたメールの一節。

「家事育児と地域活動の主責任者はママがしているうえ、例えばパパは週末趣味で一人で遊びにいくのも、『仕方ないなぁ』なんて許して怒らないフルタイムママに対して、私と親友は頻繁に怒りトークしています。」

そう「イクメン」をしているのだから、地域活動をしなくても、週末遊びに出かけても許されてしまう。これは、男性の加点主義ゆえであり、それが許されるのは、「そんなことで目くじら立てるなんて」と同じ女性に揶揄される女性の減点主義ゆえ、なのである。

つまり家事育児を分担するのは当たり前で、余暇や文化活動、地域活動もちゃんとイコールパートナーとしてできる限り均等な役割分担が出来て始めて、「イクメン」と名乗る資格があるのだ。いや、そもそもそんな愛称でちやほやされる時点で、まだまだ日本の男子は甘やかされ過ぎなのかもしれない。

スリングで子どもが寝ている合間に、そんなことをPCにせっせと打ち込む父ちゃんであった。(続)

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「効率」という呪縛(2017年8月号)

子どもが生まれて半年。この間、生活が変わることは「想定内」だったが、全く「想定外」の事態に遭遇している。それは、「枠組み外し」を生きる僕にとっては、新たな「枠」との闘いの始まりを意味する。その枠はどうやら「効率」「生産性」であるようだ。

子どもを抱っこしながら、新聞やスマホをみようとした。妻に注意され、一瞬イラっとしたのだが、その後にふと気づいた。「どうして子どもと共にいる時間に、わざわざ他の事をしようとするのだろう」と。あるいは子どもと一日過ごした後、「今日一日、何も出来ていない」とつぶやいて、同じ疑問を持った。「子どもとの時間を過ごす」ことが、どうして「何もしていない」になるのか、と。

そこから根本的な問いが浮かぶ。僕にとって「すること」とは、何らかの「生産」「活動」だった。授業や講演、論文書きは、全て「生産する」ことである。また昨年まで休みの日に打ち込んだ合気道や登山、ランニングも「活動する」である。こういった「する」ではなく、その場で時を共にする、という意味での「ある・いる」を、僕は楽しんで来ただろうか? 「生産性」や「効率」を暗黙の前提とするあまり、その枠の外を無視しているのでは、と。

その問いは、僕自身をぐらぐら揺らせた。15年前、博士論文公聴会の際に「業績が少ない」ことを問題視されて以来、それがトラウマになった。12年前、大学教員になった後、「生産性」や「仕事の効率」に関する本を読みまくった。必死に論文を書き、業績を増やす事を至上命題としていた。その結果、ある程度の生産性と効率の良さを身につける事が出来た。だが、それが「身についた」がゆえに、一見すると非効率で「すること」に結びつかない(非生産の)時間を大切に生きていない自分がいることに気づいた。子どもとの時間を大切にしようとするならば、時には生産性や効率と距離を置くことも大切だ。だが習慣的に新聞やスマホを持とうとする自分を発見し、改めて「生産性」や「効率」の呪いに気づいたのだ。さて、どうしたものか。

とりあえず、実践するしかない。手始めに労働時間の質と量に自覚的になり、労働時間以外はしっかり子どもと「いること」を楽しみたい。そこでまず直近の日々の労働時間を計算すると、週40時間労働は遙かに超えている。今年は仕事を減らし、休みを増やして家事育児の分担をしている「つもり」だったが、データでみると全然「効率」的ではない。労働時間の可視化は直近の大きな課題だ。

子育てでは、子どもと共に楽しもうと、少しずつモードを変えつつある。家ではスマホやPCの時間を減らし、子どもと遊ぶ時間を大切にし始めたところだ。子どもが産まれて半年、お父ちゃんの生き方に関する新たな枠組み外しは、やっと始まったばかりだ。(続)

『ソーシャルワーカーのソダチ』を読んで

長沼さん、荒井さんから御恵贈頂いたこの本。少し前に読んでいたのだけれど、なかなか時間が取れなくて、お二人の執筆部分についての感想を、備忘録的に書いておく。

荒井さんの「”教えない”ソーシャルワーク教育」は、僕自身の講義スタイルと似ているな、と感じた。従来型の「教える」とは唯一の正解を教師→生徒の一方通行で伝達する、というスタイル。これは、パウロ・フレイレが知識詰め込み型教育をさして「銀行型教育」と名付けたフレームそのものである。

一方、荒井さんは「教えないことによる主体的・対話的な学び」の可能性を指摘する。「正解」がたった一つに定められない対人援助の現場だからこそ、教員の役割は主体的な学びを支える、対等な関係を維持することだ、と言う。「正解」思想が「独善的で閉鎖的なモノローグ(独話)」である一方、「教えない」ことで生まれるのは、「学ぶひと(教わるひと)との開放的なダイアローグ(対話)」という整理は、深く頷いた。フレイレはそれを「問題解決型教育」と名付けているが、荒井さんの整理と通底している。

「主体的・対話的な学びには『正解』が設定されていません。いくら繰り返しても、『正解』にはたどり着けないかもしれません。しかし、『支援』という営みに正面から向かい、深く学ぶことを可能にするように感じます。このようにみてくると、『教育』とは、教科書的で、標準化された内容をそのまま『教える』ことではないということに気づかされます。そこには、逆説的な言い方ではありますが、『教えない教育』の可能性があるように思えます。」(p91)

僕が『枠組み外しの旅』で考えていたのは、標準化された唯一の「正解」を求めるのではなく、その現場でその状況で成功する解決策としての「成解」を求める、という視点である。もともとは、災害救援の現場で生み出された概念なのだけれど、福祉現場でもこの「成解」概念はすごく大切だと感じていた。最低限度の質保障としての標準化思想そのものを否定する気はない。だが、それは自分で読めば理解できる。大切なのは、自分がある課題に深く向き合うための、教える人と学ぶ人の主体的な出会いと関与、という意味でのダイアローグなのである。そして、その主体的な出会いと関与の中にこそ、支援の醍醐味というか、面白さがある。それは、一回こっきりの、再現不可能なものであり、標準化された「正解」ではなく、その場を豊かにする「成解」の模索こそ、求められているのだ。

そして、そんな主体的な出会いと関与において、大切な「視点」がある。それは、「ソーシャルワークの多様な『視点』を考える」の中で長沼さんが取り上げる、「視点」に内在する「立脚点」と「注視点」の違いについて、である。立脚点としての「自分」と、注視点としての「対象者」がごちゃ混ぜになっていませんか、という問いである。

「『立脚点』としての自分に気づく為には、『注視点』である他者をよく見続けていることが不可欠です。二人で向き合っているとき、相手の反応を引き起こしているのは自分自身だからです。」(p116)

この指摘はズシンときた。未来語りのダイアローグでいう「関係性の中での心配事(relational worries)」そのものである。妻が怒り出したとき、だいたいにおいて僕自身がその「反応を引き起こしている」原因である。でも、ついつい妻が勝手にキレて・・・と相手に原因を放り投げようとしている。そして、僕もキレてしまう。しかし、これは立脚点と注視点の混濁なのである。その混濁のまま、相手に責任をなすり付けようとすると、悪循環のスイッチを押してしまう。僕はこのスイッチを数限りなく、押し続けてきた、というお恥ずかしい経験を持つ。

「自分の発言や態度に対する相手の反応に注意深くなれば、相手の反応から自分の発言を修正することができます。やがて自分の言葉は相手の耳にどう聞こえるか、どう解釈されるかをあらかじめ予測しながら、言葉を選ぶことができるようになるでしょう。やがて『自分が何を言うか、言ったか』ではなく『相手にどう聞こえるだろうか』と考えることができるようになってくるでしょう。」(p116-117)

これも「いてて」な指摘である。僕はつい最近まで、『自分が何を言うか、言ったか』に必死だった。立脚点としての自分に必死で、参照点としての相手への敬意や配慮に欠けていた。そして、独り相撲をとり、勝手に空回りし、悪循環に陥ることが多々あった。でも、最近多少は余裕と落ち着きが出てきたからか、『相手にどう聞こえるだろうか』を考えることが出来る時もある。もちろん、妻と家事や育児を巡って衝突する時などは、まだまだうまくは出来ない。でも、そんなときでも、立脚点と参照点を意識するだけで、僕の視点(=立脚点)の押し付けを防ぐことができ、それだけで悪循環の高速度回転のスイッチを押さずにすむこともある。

「わかったつもりにならない」「不確実差への体制」をもつ。これらは、言葉として理解するだけでなく、実践出来てナンボ、の世界である。ソーシャルワーカーの教育にまつわる本だが、読者の僕は、自分自身の生き方を問い直すことが出来る、大変味わい深い本だった。

御恵贈、誠にありがとうございました。

『ヒロインの旅』から学べること

最近、ゼミ生や福祉現場の若手などと、じっくり関わりながら、個々人の成長を応援する場面が多い。その中で、感覚やセンスのよい女性の多くが決まって陥りやすい、ある穴ぼこがあるように思った。それを解きほぐすきっかけとなる、一冊の本と出会った。

「渦のはじまりは『女は受け身でずるくて怒っているから嫌だ』という気持ち。ヒロインはそこから『英雄の旅』にダイブする。仲間を作り、男と同じように社会で身を立てようとする。だが、その先に心がすさむ時期があり、『ダークフェミニン(女性の闇の側面)』と直面する。
闇に落ちたヒロインは癒やしを求める。この本で『母/娘の分離』と私が繰り返し述べる『女性の暗い傷』があるからだ。闇から光への帰り道で自分の本質を見直し、過去の生き方に統合売る。」(『ヒロインの旅』モーリン・マードック著、フィルムアート社、p15)

ここで触れられる「英雄の旅」とは、神話学者ジョセフ・キャンベルが繰り返し述べる「神話や物語の原型」である。だが、この際の主人公はヒーローであり、男性である。女性の臨床心理士である筆者は、女性の主人公であるヒロインは、どのような物語を辿るのか、それが男性とどう違うのか、を探る内面の旅に出かける。

その結節点にあるのが、『母/娘の分離』という『女性の暗い傷』である。そして、この「女性性からの分離」から「男性性との同一視と仲間集め」→「試練の道」→「成功の幻想」などの「光」を辿った後、「精神の乾きを知る:死」以後、「通過儀礼と女神への下降」→「女性性を見直す」→「母/娘の分離の修復」→「傷ついた男性性の修復」をへて、「男性性と女性性の統合」へと至る円環モデルを提示している。

この円環モデルは、僕が出会う女性達の試練を非常に象徴的に表しているようである。僕はなぜか「よい子」の女性と出会う事が多いのだが、僕が関わる女性達に多いのが、この「母からの分離」で苦悩している姿である。

「母のアーキタイプは二つある。一つは無限の愛を注ぐグレート・マザー(太母)。もう一つは停止や抑圧、死を表すテリブル・マザー(恐ろしい母)。どちらも人が幼少期までに感じ取る。子供の自我が発達するまで、母親のやさしさは肯定的な力、無視や過干渉は否定的な力と認識される。」(p34)

僕が出会う「よい子」のゼミ生や若い支援者の女性達は、母親の顔色をうかがい、母親が認めてくれる範囲内でその評価を勝ち取ろう、とする娘の姿である。それは、無限の優しさに護られた、というより、ある時期からその「優しさ」に「支配」されていたにも関わらず、「グレート・マザーへの思慕」を疑うことなく絶対視し、あるときから停止や抑圧などのテリブル・マザーに支配されていることに気づけない、気づこうとしない、気づくのが怖い、という娘の姿である。これは、女性のゼミ生達が、これまでも繰り返し表現してきたことであった。

そして、このままではいけない、と就職し、職場で男性性を獲得する旅に出る。男以上に一生懸命働き、「試練の道」を経た上で、成果と評価を獲得する。それは女性にとっての一定の成功であるはずだが、仕事だけでは満たされない「精神の乾き」を知り、エッジに立たされる。

「ヒロインが何かを断るには、かなりの抵抗がある。挑戦しない人間は無責任な弱虫に見られるからだ。社会的に言えば、それは死と絶望に近い。出世する人とは多くの事を上手くこなす人だ。ほとんどの人はその逆の生き方が理解できず、ただ恐れる。何かを『する』のをやめるなら、ただ『いる』術を知ることだ。」

僕自身も、子育てを始めて、「ただ『いる』」ことが、「する」中心の人間にとって、ある種の「死と絶望」に近いことをひしひしと感じる。社会的な評価とは、何かを「する」ことによって得られる。だが、育児に代表されるケア労働は、同じ「する」であっても、家庭内(=密室)での「する」であり、子ども自身の「いる」を支えるための基盤作りである。それは「多くの事を上手くこなす」「出世する人」とは「逆の生き方」である。必死になって何事かを「する」生活にこだわってきた人間にとって、それを減らして子どもと「ただ『いる』」生活へと転換することは、時間的な変更だけでなく、ある種生き方の変化をしないと、うまくアジャスト出来ないのではないか、とも思い始めている。

実はこの本を読んだ直後に読んでいた、話題の「OPTION B」も「精神の乾きを知る:死」以後、「通過儀礼と女神への下降」「女性性を見直す」プロセスが書かれた本であった。

自身の最愛の夫であるデーブが急死したフェースブックのCOOシェリル・サンドバーグ。彼女の悲嘆からの立ち戻りを描いたこの本を読んでいて、ポジティブ心理学のアダム・グラントが共著であるがゆえ、この本は悲嘆の中でもシェリルがどのようにレジリエンスを獲得していくのか、にフォーカスが当てられている。だが、「ヒロインへの旅」の下記の部分こそ、シェリルの苦悩を言い当てる表現だった。

「冥界下りの時期は無防備になる。自分の怒りに圧倒されるかもしれないし、自分が誰かわからなくなり、役割は機能しなくなり、不安になる。荒涼とした、女でなくなった感じや体内をかき回されるような痛み。地上の暮らしは続いても、心はずっと闇の中にある。」(p135)

シェリルが夫を亡くしてからの日々の中で、色々な人のサポートを受けながら、このような「冥界下り」を乗り越えていった。これは避けようのない試練であるが、だからこそ、彼女は泣きじゃくり、悲嘆に暮れ、絶望に陥りながらも、そこから生還し、そのプロセスを書籍化した。そして、夫デーブの喪失の中から、自らの「女性性」や「男性性」を修復し、統合していくプロセスの旅に出た、ともいえる。

僕は男性として、「ヒロインの旅」をどう支えられるのだろうか。それは、よくわからない。でも、妻や娘、ゼミ生や現場で出逢う女性達の苦悩や障壁を、この旅の途上と捉えたら、少なくとも余計なお世話をせずに、見守ったり寄り添ったり出来るのかも知れない。そう思い始めている。

規則や権力への「従順」という「病」

バニラ・エアが車いすユーザーの搭乗をサポートせず、自力でタラップを上がらせた問題。これが報道されて以後、様々な意見が出されてきた。一般論で言えば、差別解消法に定める合理的配慮の提供が公共交通機関では定められていて、今回のバニラ・エアはそれが適切に出来ていなかった。落ち度は航空会社にあった、ということである。国交省もその線での指導をする。

だが、今回この件について、ツイッタ上などで、少なからぬ一般人が、被害者でもある車イスユーザーに同情するどころか、彼に攻撃的な言説を述べている。僕もこの問題についてツイートしたところ、リプとして「規則に従わないのは、わがままだ」「悪意あるクレームだ」「現場職員のことも考えよ」「お客様は神様ではない」「障害者のコストは・・・」「 障害を持つ者は従業員に何を要求しても許されるのか?」といった意見が寄せられた。

基本的にはこれは個々人の感情の問題ではなく、法律違反である。その根拠はDPI日本会議の声明に出尽くしている。以上。で終わりたいところなのだが、どうやら法律論だけではなく、感情的反発が強いようだ。そのことについては、弁護士の伊藤和子さんも掘り下げた論考をしている(バニラエア問題、声をあげた人へのバッシングはもうやめて。生きづらさを助長していませんか?)。そして僕は、伊藤さんも書かれているが、今回の騒動を通じて、私たちの「従順さの病」がかなりわかりやすい形で露呈したのではないか、と感じている。

「なぜ人間が他者を苦しめたり、侮辱するのかを理解するために、私たちはまず、『自分が自分自身の何を嫌悪しているのか』をとらえなければならない。私たちが相手の中に見いだす『敵』は、もともとは私たち自身の中に見つけることができる。私たちが押し殺そうとするものは、私たち自身の中の一部である。つまり私たちは、自分自身が人間性の萌芽を持っていたことを思い出せる『自分の中の異質なもの』を消滅させるのである。」(アルノ・グリューン『従順さという心の病』ヨベル、p43)

バニラエア問題で、当該の障害者を「敵」として攻撃する人は、法的問題で争いたいのではない。明らかに感情的反発というか、罵詈雑言レベルの言葉が使われている。その根拠は、タラップを自力で登った障害者にではなく、反発する人「自身の中にみつけることができる」のではないか。「敵は己の中にあり」。これが、ドイツ人の心理療法家として抑圧問題を鋭く問い続けてきたアルノ・グリューンの晩年の提起である。彼はヒトラーだけでなく、ブッシュ大統領や毛沢東、スターリンに共通する暴力への衝動を「自分自身への自己嫌悪」の他者への転嫁だ、と喝破する。職員に異議申し立てをし、制止を振り切り、タラップを自力で登る姿をみて、『自分の中の異質なもの』や「人間性の萌芽」を「思い出」しそうになる。それは、自分自身が「押し殺そうと」必死になってきたものなのに、それを易々とやっている(ように見える)障害者の存在に、自己嫌悪の露呈を恐れて、抑圧し、非合理な罵詈雑言や感情的反発に至っているのではないか。これが、彼の論に基づく僕の仮説である。彼は論を進めて、こんな風にも言う。

「ユダヤ人、トルコ人、ベトナム人、ポーランド人、中国人に対してであろうと、『障害者』や『無価値な人』に対してであろうと、『他者に対する憎悪』は、常に『自分自身への憎悪』である。つまりそれは、服従を要求する権威者のもとで生きるために必要な『権威者との結びつき』を確保するため、『従順になることによって断念しなければならなかった自分自身への憎悪』である。」(p61)

そう、『障害者』に『無価値な人』とラベルを貼る「他者に対する憎悪」は、無意識に抑圧している「自分自身への憎悪」なのだ。それを見たくないから、他者に転嫁しているのである。さらにいえば、その憎悪の根源は、自分自身が「従順になることによって断念」していることが多いのに、「あいつはワガママを通して断念していない」という事態に遭遇し、相手への憎悪という形で、『従順になることによって断念しなければならなかった自分自身への憎悪』を振り向けているのではないか。そう展開すると、ツイッタで匿名で罵詈雑言を浴びせる人は、「自分自身への憎悪」に満ちている、という推論もなりたつ。

「従順の原因は、それゆえ、『異質なもの』が-私たちの憎しみや自己疎外の形で-、私たちのうちに生み出される過程の中に見いだすことができる。私たちは従順になることによって、自分独自の感情や知覚を放棄する。(略)その後、その人にとって、権威に必死にしがみつくことが人生の基本となる。人は権威を嫌うが、しかしながら、自己をそれと一体化する。他の可能性はない。自分自身を抑圧することによって、『抑圧する者に向かう憎悪や攻撃性』ではなく、『他の犠牲者に転嫁される憎悪や攻撃性』が呼び起こされるのである。」(p49-50)

バニラエア問題で、ルールに従え、彼はワガママだ、現場職員を困らせるな・・・等々の発言を発する人って、極端な差別主義者ではなく、案外そこらにいる、ごく普通の人だと思っている。もっといえば、職場では真面目で協力的でコツコツ働く人かもしれない。なぜそういう人がこんな発言をするのか? そこには、幼少期の家族関係や親の躾、学校教育などの中で、「自分独自の感情や知覚を放棄する」ことを求められ、親や先生が求める「よい子」を演じてきたからではないか、という「妄想」も膨らむ。これは権力を持つ親や教師による「支配」なのだが、そこに自発的に従う「従順」さとは、前回のエントリーにある自発的隷従論そのものだ。

つまり、自分自身の「感情や知覚」を「抑圧」し、権威に従順になるが、そのことに関する自己嫌悪は消え去らない。だが、それと直面したくない。バニラエア問題なら、本来そのような会社のルールや搭乗拒否という内規を定めた会社そのもの=「抑圧する者」に「憎悪や攻撃性」を向けるべきであり、実際に当該の障害者はそうして、「実力行使に出た」。その「抑圧する者」への異議申し立てに遭遇して、応援するどころか嫌悪感を抱く人びとは、まさに「自分自身を抑圧することによって、『抑圧する者に向かう憎悪や攻撃性』ではなく、『他の犠牲者に転嫁される憎悪や攻撃性』が呼び起こされ」たのではないか。だからこそ、「ルールに従え」「他の客や職員に迷惑を掛けるな」と、合理的に説明出来る範囲を超えて、ヒステリックに叫ぶのかも、しれない。

で、そこから問いかけたいのである。攻撃すべき相手は、この障害当事者ですか?と。あなた自身が抑圧している自己嫌悪や、従順さ、それを強いている「抑圧する者」にこそ、異議申し立てをすべきではないですか。と。なぜ第三者のあなたが、障害当事者ではなく、航空会社の味方をするのでしょうか? 『他の犠牲者に転嫁される憎悪や攻撃性』の背後には、『抑圧する者に向かう憎悪や攻撃性』の隠蔽はありませんか? そして、それを認める事は、「自分独自の感情や知覚を放棄」した事実を思い起こさせ、「私たちの憎しみや自己疎外」と向き合う苦しみに直結することだから、必死になって否定し、他者に転嫁している可能性はないでしょうか? 他人を攻撃する前に、そう攻撃したい自分自身の内在的論理こそ、捉え直す必要はないでしょうか?

これは、僕のオリジナルな問いではない。僕が、パウロ・フレイレから学んだことであり、「枠組み外しの旅」を書く中で問いかけた、自分自身への抑圧や自己嫌悪、従順さへの問いそのものでもある。