生活の自立と自尊を取り戻すために

シャドーワークというのは「賃金不払い労働」(=アンペイドワーク)だと思っていた。そして、賃金不払い労働というのは、賃金労働ではないものに対しても対価を払え、というフェミニズムの運動の中から出てきた言語だと思い込んでいた。だが、その発明者でもあるイヴァン・イリイチは、以下のように賃労働とシャドーワークの関係性を整理する。

「これは、産業社会が財とサービスの生産を必然的に補足するものとして要求する労働である。この種の支払われない労役は生活の自立と自尊に寄与するものではない。全く逆に、それは賃労働とともに、生活の自立と自尊を奪い取るものである。賃労働を補完するこの労働を、私は<シャドー・ワーク>と呼ぶ。これには、女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関する諸活動、家で学生たちがやたらに詰め込む試験勉強、通勤に費やされる骨折りなどが含まれる。押し付けられた消費のストレス、施療医へのうんざりするほど規格化された従属、官僚への盲従、強制される仕事への準備、通常「ファミリーライフ」と呼ばれる多くの活動なども含まれる。」(イリイチ『シャドー・ワーク』岩波書店、p192-193)

この指摘の中で着目すべきポイントは、シャドーワークを「賃労働を補完するもの」として捉えていると言う部分である。賃労働から排除されたものではなく、賃労働とシャドーワークは対の存在であり、シャドーワークのおかげで「産業社会が財とサービスの生産を必然的に補足する」ことが可能である、と定義する。その上で、焦点化すべき部分が二つある。一つは、家事育児という不払い労働に対価を払え、というのは、賃金労働を、「変えられない所与の前提」とした上で、その賃労働の範囲を広げよ、という主張である。だが、イリイチは、そもそも、賃労働とシャドーワークという二分法そのものを疑ってかかる。二つ目は、シャドーワークは賃労働を補完する労働であるため、その範囲を家事育児だけに限らず、試験勉強や通勤、教育・教育に代表される官僚制システムへの従属など、より広範な「ファミリーライフ」をシャドーワークと定義している点である。

鶴見和子はこの「シャドーワーク」を「影法師のしごと」と解釈した上で、以下のように整理している。

「影法師の仕事は、生存のための仕事(サブシステンス・ワーク)の対立概念である。中世期ヨーロッパでは、男女ともに生存のため最低限必要なものを自分たちの手で作って暮らした。結婚は生存のための仕事における男女の協働の基地であった。ヨーロッパでは、工業化による男女の役割分化が明らかになった19世紀前半に、男性は余剰価値の生産に駆り立てられる賃金ないしは給料取りに変身する一方、女性はそれを支える影法師の働き人に変化(へんげ=「トランスモグリフィケイション」)した。ただし職場への通勤に必要以上のエネルギーを消費することも、月給取りになるために学校で強制的に勉強させられることなども、影法師の仕事だから、男性もまた多かれ少なかれ、影法師的存在ではある。影法師におんぶしなければ、賃金取りも給料取りもできない仕組みになっている工業化社会のカラクリと、人間と自然との破壊をもたらすその恐るべき結果とを、イリイチは、この滑稽な表現によって警告しようとしたのである。」(鶴見和子「影法師のしごと」『イリイチ日本で語る 人類の希望』新評論p114-115)

「余剰価値の生産に駆り立てられる賃金ないしは給料取り」とは、生活の大半の時間を「余剰価値の生産」という「賃労働」に「駆り立てられ」、「生存のための仕事における男女の協働」をする余裕がなくなった人のことを指す。すると、家事育児だけでなく、通勤や強制的に勉強することも含めて、賃労働の対象外ではあるが、賃労働をするために必要不可欠な「影法師におんぶしなければ、賃金取りも給料取りもできない仕組み」ができあがる。これが「工業化社会のカラクリ」である。そこにも賃金を払え、というのが、未だ支払われていない賃金を支払え、という意味での「アンペイドワーク」の論理でもある。だが、そもそもイリイチが問うているのは、賃労働に駆り立てられることによって、生活の自立と自尊が奪われるのではないか、という問いである。賃労働とシャドーワークの対は、「生存のための仕事(サブシステンス・ワーク)」を消し去ろうとしているのではないか、という仮説である。

つまり、賃金が支払われない仕事と、賃金が支払われる仕事を対立させた上で、より多くの労働に賃金を支払えと言う論理は、「不払い労働」は労働として価値がない、という価値前提を認めることになる。そして、自らの「生活の自立と自尊」を売り渡して賃労働を行う現状を、追認することにもなる。イリイチはここに本質的な問い直しを行う。

「生活の自立と自尊を目指す活動を商品で代替する事は、必ずしも進歩とはみなされなくなっている。女性たちは、家事に伴う稼ぎのない消費活動が特権であるかどうか、あるいは彼女たちが実際には消費を義務づける支配的な構造によって堕落的な仕事を押し付けられているのではないか、を問うている。学生たちは、自分たちが学校へ行くのは学ぶためにあるか、それとも協力しておのれ自身の愚鈍化につとめるためか、を問うている。消費のために苦労が増え、消費が約束する心の安らぎはますます減っている。だんだん多くの人に知られるようになってきている事は、おそらくはそれほど非人間的でもなければ、それほど破壊的でもない、よりよく組織された労働集約的な消費と、人間の自立と自尊を目指す現代的な諸形態との間の選択である。この選択は、影の経済の拡大とヴァナキュラーな領域の回復との相違に対応している。」(イリイチ、『シャドーワーク』、p79)

「生活の自立と自尊を目指す活動」とは、自分の頭を使って考え、自分なりに試行錯誤しながら何かを産み出す活動だ、と仮に定義してみよう。その一方で、「消費活動」を「生活の自立と自尊を目指す活動」に対置するものと定義すると、自分の頭を使わなくても、試行錯誤しなくても、お金を出せば手に入る活動と定義してみよう。そしてそのような「商品」とは、標準化規格化された賃労働によって産み出されたものだ、としてみよう。

その上で、イリイチのいう「学生たちは、自分たちが学校へ行くのは学ぶためにあるか、それとも協力しておのれ自身の愚鈍化につとめるためか、を問うている」という課題を取り上げてみる。これは、自らも教育に携わる人間としては、この問いは自己否定に繋がりかねない、キツい問いだが、本質的でもある。

例えば僕の家の前には公立中学校がある。今年はコロナ危機でそうではないが、昨年までは毎年初夏のころ、中学校1年生向けの軍隊式の行進の練習がなされていた。号令に合わせて行進し、右向け右、回れ右、全体止まれなどの一糸乱れぬ形でやるように「教育」している。そして三角座りをさせ、乱れが生じたら先生からの怒号が飛ぶ。このようなことは、先生に反抗しない、自発的に隷従する身体を作り上げるための「教育」であり、イリイチの言葉に従えば、「協力しておのれ自身の愚鈍化につとめるため」の学校である。そうやって、世間に盲従することになれてしまえば、「消費を義務づける支配的な構造」を問うことなく、広告などで消費喚起されたものを自発的に購入し、その商品を購入するためには、よりよい賃労働は必要不可欠だ、と必死になって勉強し、先生に忖度し、良い成績・内申点を取ろうと必死になる。学校以外にも塾に通い、必死になってより偏差値の高い大学に合格しようと努力する。

これは、まさに賃労働主体になるための、賃金はもらえないけどそれに準備する「ファミリーワーク」としての、シャドーワークそのものである。そして、そのシャドーワークにおける子ども達の熾烈な競争主義は、さらに賃労働における弱肉強食主義を加速させ、「消費を義務づける支配的な構造」を問うことまま、そのような悪循環は再生産されていく・・・。

では、どうしたらこの悪循環を止めることができるのか? それをイリイチは、「生活の自立と自尊を目指す活動」であり、ヴァナキュラーな領域の回復である、という。

「ヴァナキュラーな仕事、つまり生存に固有の仕事(に価値:引用者挿入)を置く考えを、私としては提案したい。それは同じ支払いでない活動であるにしても、日々の暮らしを養い、改善していく仕事であって、標準的な経済学の内側で開発された概念を用いた分析では、全く捉え切れないものである。私はこうした活動に対してヴァナキュラーという語をあてたい。それというのも、「インフォーマルな部門」とか「使用価値」とか「社会的再生産」などの用語がカバーしている領域内では、この語によるのと同様な区別が可能な、一般に流布されている概念が他には見当たらないからである。ヴァナキュラーとはラテン語の用語であって、英語として用いられる場合には、有給の教師から教わることなしに習得した言語に対してのみ使われる。ローマでは紀元前500年から紀元後600年にかけて、家庭で育てられるもの、家庭でつくられるもの、共有地に由来するものなど、そのような価値のいずれをもあらわすことばとして使われた。さらにまた、人間が保護し、守ることができる価値—ただし市場では売買されない—を表す言葉としても使われた。商品とその影に対置させる用語として、この簡素な「ヴァナキュラー」という言葉を復活させてみてはどうだろうか。この言葉によって、<影の経済>の拡大と、その逆、つまり<ヴァナキュラーな領域>の拡大と区別することが可能になると思われる。」(イリイチ、『シャドーワーク』、p68-69)

イリイチのいう「ヴァナキュラーな言葉」とは、例えば「有給の教師から教わることなしに習得した」僕の話す関西弁である。部分的には商品を用いてはいるけど、「家庭で育てられるもの、家庭でつくられるもの」なら、我が家ではぬか漬けや塩麹、キュウリ・らっきょう・ショウガのピクルス、梅ジュースなどがある。どれも購入する商品より手間暇かかるし、へたをしたら安い完成品と同程度のお金がかかる場合もあり、「標準的な経済学の内側で開発された概念を用いた分析」では、非効率で無駄の多い作業かもしれない。でも、市販の商品よりは我が家の味として馴染んでいて美味しく、そうした食べ物を作るプロセスは、「日々の暮らしを養い、改善していく仕事」そのものである。なによりそれらは苦役としての賃労働やシャドーワークとは異なり、楽しいし、美味しい! そして、英語や日本語標準語をしゃべるときよりも、関西弁の方が、自分の気持ちが素直に表現出来るので、楽だ。

このような楽しさや、心地よさ、という感情を、賃労働とシャドーワークは商品を介在する形でしか認めない。そうしないと、多くの商品を買ってもらえないし、「経済が回らない」と思い込んでいるからだ。でも、楽しさや心地よさ、という感情や感覚は、過剰に消費をしなくても、ほどほどの消費で回っていくことが出来る。だが、このような発言は、消費をあおる生産性至上主義社会においては、禁句である。イリイチもこう述べている。

「「パックス・エコノミカ」はゼロ−サムゲームを守り、その公然たる進歩を保障するものだ。すべてのものがプレイヤーになり、「ホモ・エコノミクス」のルールを承認するように強いられる。このゼロ−サムのモデルに合うように行動することを拒否するものは、平和の敵として追放されるか、妥協するまで教育されるか、そのどちらかである。このゼロ−サムのゲームのルールでは、環境と人間労働の両者は希少な賭けである。そこでは一方が得をすれば他方が損をする。」(p35)

経済が支配する「パックス・エコノミカ」では、「一方が得をすれば他方が損をする」という「ゼロ−サムゲーム」がゲームのルールになる。そして、そのルールの中で勝ち上がる「ホモ・エコノミクス」として全ての人々がプレイヤーになることが強制される。「このゼロ−サムのモデルに合うように行動することを拒否するものは、平和の敵として追放されるか、妥協するまで教育されるか、そのどちらかである」。

生産性至上主義を括弧にくくろうとすると、狂人と言われて、精神病院に閉じ込められる。あるいは病院長であったフランコ・バザーリアが同じことをしたら、反精神医学だ、と、イタリアの精神医学会からは「平和の敵として追放され」た。しかしながら、ホモ・エコノミクスも、パックス・エコノミカも、人間の生存形態の多様性の中の一つに過ぎない。それ以外のやり方はあるはずである。にもかかわらず、「これしかない」「バスに乗り遅れるな」とばかり、「このゼロ−サムのゲームのルール」を極端に押しつけてきたのが、新自由主義的価値前提であり、規制緩和や労働市場の流動化、ニューパブリックマネジメントに代表される非市場領域の市場化・民営化ではなかっただろうか。

イリイチはこのようなパックス・エコノミカやホモ・エコノミクスに対抗する概念として、ヴァナキュラーな領域の回復を主張するだけでなく、「生活の自立と自尊を目指す活動」を重視した。別の本ではそれをコンヴィヴィアリティという形で整理している。

「私が差し迫ったものとして述べてきた危機は、産業主義社会内部の一危機ではなくて、産業主義的生産様式そのものの危機なのである。私が述べてきた危機は、自立共生的(コンヴィヴィアル)な道具か、それとも機械に圧しつぶされるかという選択に、人々が直面させる。この危機に対する唯一の対応の仕方は、危機の深さを完全に認識して、避けがたい自主的限界設定も受け入れることしかない。」(イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』ちくま学芸文庫、p234)

「産業主義的生産様式そのものの危機」なのだから、「産業主義社会内部」を漸進的に改良するだけでは済まされない。そうではなく、その生産様式に全面的に従うことに疑問を持ち、それ以外の方法で生きられないか、他の生活様式に基づいて、自立共生的(コンヴィヴィアル)な道具を用いて、「生活の自立と自尊を目指す活動」が展開できないか、を模索することである。塩と麹を配合して毎日かき合わせて塩麹を作る。ぬか床を毎日かき混ぜる。そのような、ごく小さい変化からはじめて、商品や消費に煽り立てられたり、過度に依存しない、自立共生的な食生活のあり方を考えてみる。

「このゼロ−サムのモデルに合うように行動することを拒否する」ことは、簡単ではない。でも、それを変えられない所与の前提として、「どうせ」「しかたない」と自発的に隷従するのではなく、「それ以外のあり方は出来ないだろうか?」とか、「賃労働とシャドーワークの両方に絡め取られない形で、子育てや家事などをするにはどうしたらよいだろうか?」という「問い」を抱き、誰かの「正解」を鵜呑みにせず、自分なりに頭で考えて、試行錯誤の実践をして見ることが問われているような気もする。

賃労働から完全に自由になることは、そう簡単ではない。でも、賃労働とシャドーワーク、というツインズの支配から、少しでも逃れるための努力は、可能である。苦役とか賃労働の為の準備としての「影法師」には、できる限り支配されたくない。自らの自立や自尊を取り戻すような、面白くて、楽しくて、そっちの方が楽だ、心地よいと思える、労働環境以外での生活をどう増やしていけるか。それは、子どもが喜んでくれるから、とピクルスや塩麹を作り始めた僕の動機とも一致している。そういう自立共生的な、コンヴィヴィアルな生き方の模索が、ある種の土着の生き方とつながっているのかもしれない。

しかし、土着の生き方、といえども、単なる復古主義とは違う。Zoomやメールなどを通じてオンラインで世界の多様な世界とつながり、そのつながりに喜びを覚えながら、移動を減らすことによって、時間的余裕を取り戻し、その時間をゆっくりゆったりまったりと、消費や消尽ではなく、「ヴァナキュラーな仕事、つまり生存に固有の仕事」をしながら、生を充実する。そういう生き方の領域をもっともっと増やしたい。

そう思い始めている。

そして、ツイッタにブログの紹介文を書いていて気づいたのだが、消費や賃労働とは別次元の「ヴァナキュラーな、生存に固有の仕事」を増やしていくことは、パックス・エコノミカという経済=生産性至上主義を越えるための、草の根レベルの個々人に出来るゲリラ戦的な生き方なのかもしれない、とも思い始めている。

ポリフォニックな物語

1冊で491ページもあり、他にも二分冊がある社会学者ブルデューの編著『世界の悲惨 Ⅰ』(藤原書店)を読む。読み終えて、稚拙だが偽らざる感想として浮かんだのが、「僕でも読めた!」である。

以前読んだ『リフレクシヴ・ソシオロジーへの正体』(藤原書店)は、彼へのインタビューに基づく入門書であると言う事でもあり、読み通すことができた。だが彼の調査研究の本は、冒頭からなかなか難しい分析が入り、しっかり読み通せた本はなかった。だから今回、あるZoom読書会でこの本が指定された時に、正直に言えば本当に読み通せるのだろうかと半信半疑だった。

そこで第一部を読み始めた時、難解なブルデューの総括論文も、あるいは彼が描いたインタビューの対象者の社会分析もすっ飛ばし、インタビュー自体から読み始める。するとあら不思議、インタビューは普通の言葉でやりとりされているので、ちゃんと僕には読めた。これはブルデューの弟子たちによる他のインタビューでも同じである。この本の構成は、抽象度の高い総括論文の後に、インタビュー対象者の社会的属性に関する社会分析の論考があり、その後インタビューと続く。しかしながら、僕のような帰納論的な読み方が好きな人間にとっては、インタビューを先に読み、その後インタビューの背景となるような対象者の社会分析を読んだ上で、そのまとまりを全部読んだ後に総括論文を読むと、無味乾燥に見える総括論文の深い味わいがやっと読み解けることができた。

そして491ページまで続く膨大なインタビューの最後まで読み終えてから、冒頭の1ページに戻って、彼がこの本について語ったインタビューのところを読み直すと、「あー、彼はこういう意図と戦略を持ってこの論を編み上げたのか」、という全体像というかパノラマのようなものが深く理解できた。今回一番腑に落ちたのは、ハビトゥス理解である。

ハビトゥスを理解する

「一人の人間が書くものには固有の形、姿、特徴があって、それを見ればすぐ、これはあなたの書いたもの、これは私の書いたものとわかります。多様性を超えたところに、ある統一性があるわけです。ひとりの人間の、ものを食べる仕方、話し方、衣服の着方、髪の整え方、すべてに親近性、類縁性、統一性があります。これがどのようにして形成されるか。興味深いのは、ハビトゥスは明らかに後天的に獲得されるのですが、その獲得のされ方は全く無意識的であると言うことです。ハビトゥスという私たちの中にある原理、文法は私たちに左右できないもの、私たちの統制の及ばないものであるということです。」(p15-16)

この本のインタビューや社会分析を通じ、インタビュー対象者の無意識な文法であるハビトゥスというのが明らかになっている。彼は「このハビトゥスを直感的に把握すれば、人の言動を予測できることになります。的確な質問ができます。未知のもの同士の間にごく自然な、くだけた会話が成り立つのは、相手のハビトゥスについての認識があるからです」(p10)と書いている。実はこのインタビューが僕にとってすっと入ってきたのは、ここに書かれている人々のハビトゥスに、ある程度の親近感というか、知っている世界であると言う感覚を直感として持てたからである。それは以前ブログに書いたが、僕自身が京都のダウンタウンで育ち、ここに書かれているような人々のハビトゥスをある程度推測できるような原体験を持っているからである。

さらに言うと、僕は中学以降、通っていた塾の塾長や、お世話になった予備校の先生、そして大学院で弟子入りした大熊一夫氏など、尊敬する他者(僕とは違うハビトゥスを持っている人)の口真似や振る舞い方の真似をしてきた。その当時は真似して学ぶことを疑わなかったが、一方で猿真似のような気もして、気恥ずかしさも持っていた。でも20年ぶり位に当時の真似について改めて考えてみると、それは自分が持っていなかった、自分とは異なる世界に属する他者を真似する中で、その人の骨法というか内在的論理を学び、ハビトゥスを受肉化しようとしていたのではないか、ブルデューの論考を読みながら改めて感じている。

特に大学院時代、大熊一夫師匠に弟子入りし、たくさんのおいしい料理をご馳走になり、様々な彼のエピソードを繰り返し学ばせていただいた。おいしいワインの何たるかなんて知る由もなく、イタリアンもフレンチもほとんど食べたことがなかった僕にとって、新聞記者を辞めた時にシェフになろうかと思案したと言う師匠の深い食への造形や、美意識、こだわりを、内弟子として「ご相伴にあずかる」中で、しっかり学ばせて頂いた。もちろん本業に関しても、精神医療を何十年も取材し続け、特ダネを連発し、ルポの世界ではその名をとどろかせたジャーナリストとしての物の見方、考え方、対象への迫り方、文章の書き方なども、マニュアルで指導されたのではなく、師匠の生き様についていく中で、その一部を部分的に真似する中で、文字通り師匠から芸を盗むかのように学んでいった。それは師匠のハビトゥスを深く理解しようという模索であり、結果的には、自分自身のハビトゥスの書き換えにもつながっていった。なので「ハビトゥスを理解する事はその人間を理解すること」(p9)というのは本当にしっくりくる表現である。

そしてこの本が理解社会学の王道だと感じるのは、「質問を受けている人の立場に立つために、質問する者の主観の歪みを批判しなければならないのです」(p8)と言う部分に象徴されていると思う。彼はこのことを「客観化する者の視点を客観化すること」(p8)とパラフレーズしているが、まさにインタビューする側の権力性や、主観的な視野の歪みを、そのものとして理解することと、相手がどのようなハビトゥスを持ってそれを言おうとしているのかを理解しようとすることが、等しく重要である、という認識は、このインタビューがすごく読みやすい理由が示されている。

「自然に見える面談の背景には、調査者が被調査者のハビトゥスについての科学的な認識を持っているということがあるわけです。」(p10)

話が通じている!

それが最も成功しているのは、ブルデュー自身がインタビューした「フランス北部の二人の若者」をめぐるエピソードである。

齢61才の、東大より遙かに格上のコレージュ・ド・フランス教授が、アリとフランソワという、郊外の団地住まいで、フランスで生まれたアラブ人の移民二世で、「不良少年」とラベリングされた二人の青年にインタビューしている。これ以上にない「不釣り合いな両者」と思われるインタビューなのに、言葉が通じている。一期一会の信頼関係が出来ている。それはブルデューによる、少年2人への敬意と、彼らの社会的立ち位置や内在的論理に対する深い理解があったからではないかと改めて感じる。それはインタビューの前に置かれた、ブルデューによる社会分析にも表れている。彼はアリという青年が、8歳の時にモロッコからフランスにやってきて、両親とはアラビア語しか話さなかったため、フランス語を読めるようになるまで大変な苦労をしたという社会的背景を描いた後、このように分析している。

「どう見ても、彼の学校に対する拒否反応と、彼を次第に「手におえない」生徒と言う役割に閉じ込めてしまった反抗的態度の根源には、他の生徒たちの前でフランス語を読まされる屈辱から逃れたいと言う欲求があるように思われる。勉強を怠り、授業をさぼってしまうと、ますます成績が悪化し、拒絶の連鎖にはまり込んで、またしても成績が悪化する。これこそ、課されたことを進んでやると言う美徳が逆説的に働いて、学校的には悪行であることを進んでやるようになり、ほどなく彼の社会的にも不良少年にしてしまったのだ。」(p139)

これはブルデューが「客観化する視点自体を客観化する」の項目で述べている、「その人あるいは自分がどのようにして今の人あるいは自分になったかを理解すること」(p9)を地で行く分析である。不良少年は生まれつき不良少年なのではない。本人の出自や家族関係、社会的背景の中で、本人が単独で制御しきれない悪循環がさまざまに作用する中で、「課されたことを進んでやると言う美徳が逆説的に働く」サイクルにはまり込んでしまうことにより、不良少年にならざるをえなくなったのだ。これは僕自身が、京都のダウンタウンの公立中学にいた時のクラスメイトが不良少年になっていくプロセスそのものであり、先のブログで取り上げた『ヒルビリーエレジー』や『CHAVS』で書かれた構造そのものである。そして改めてブルデューが凄いと思うのは、このような分析を80年代後半から計画し、90年代初頭にやり終えてしまったと言う点である。

これがこんな分厚い学術書が10万部も売れた背景にあるのだと感じている。

ポリフォニーの力

そしてこの本の分厚い記述に迫力があるのは、単一の論点、単一の主張にまとめようとせず、異なる声を異なるものとして、世界の悲惨と言う主題のもとに並列に並べてみた、という意味で、異なる音を同時に響かせるポリフォニーの力であるようにも思う。

例えば「労働者の町の住民たち」(p75-)では、アルジェリアから移民してきたペン・ミール一家と、そのお隣さんでミール氏の娘息子と大きく対立しているムニエさんの双方に話を聞き、それをそのまま掲載している。2家族ともそれぞれの歴史があり、すれ違いがあり、それゆえにお互いがお互いを罵り合っている。そのことを、どちらが正しいと評価するわけではなく、しかしながら表面的には人種差別やご近所の対立に見えるものの、先に述べた不良少年のように、二家族がどのような悪循環に構造的に追い込まれていくことによって、今のしんどい現状に陥ったのか、が両者のインタビューを通じて明らかになってくる。

差別する側とされる側、フランス人と外国人移民、団地を汚す側と管理する側、支援するソーシャルワーカーと支援される側、取り締まる警察と取り締まられる犯罪者予備軍、若者と高齢者、裁く側と裁かれる側・・・一見すると非対称にも思えるこの両者が、「下層プロレタリア」(p356)として閉じ込められていると言う点で構造的同一性を帯びていることを、インタビューを通じて「世界の悲惨」という象徴的タイトルの下に、この本は描こうとしている。

冒頭のインタビューでブルデューはこんな風にも述べている。

「あえて言えば、私はマルクスがなすべきであったがなさなかったことをした、マルクスが自分自身と首尾一貫していたならばしたであろうことをした、ということかもしれません」(p16)

最初読んだときにここで言わんとしている事はさっぱりわからなかった。しかしながら、500ページ近い本を読み終えた後、改めてこのフレーズを振り返ると、確かにブルデューは、マルクスが抽象的概念として描いた下層プロレタリアが、実際に何を考え、どのように振る舞い、いかに生きているのかをインタビューと社会分析から明らかにしていった。これは本来マルクスがなすべきだった仕事を、マルクスがしなかったから代わりにブルデューがしているとも言えるかもしれない。

「下級公務員、そのうち特に、いわゆる「社会福祉的」な機能を果たすこと、つまり市場の論理がもたらす、どうにも耐え難い帰結と欠如とを、必要な予算もなしに埋め合わすべく期待されている人たち、すなわち末端の警官や司法官、ソーシャルワーカー、(児童・青少年)指導員、そして次第に多くの小中高校の教員たちが、経済的観点からよしとされた現実政治がもたらす唯一の確実な帰結である。物質的・精神的後輩に立ち向かって努力を傾注する一方で、見捨てられ、さらには否認されたとさえ感じているのは理解できる。国家においては、国家の右手(高級官僚・大国家貴族)は、もはや国家の左手(下級公務員・小国家貴族)がやっていることを知らず、それどころか、左手のすることをもはや望んではいないのである。」(p354)

これはインタビューデータと社会分析に基づく階級間格差の極めて象徴的な分析であり、1990年代のフランスだけでなく、2020年代の日本においても、国家の右手と左手の分断、および下層プロレタリアの内部対立も押し寄せていることを、この本を読んで改めて痛感した。

その意味で、様々な異なる他者の経験が、そのものとしており重なる中で、異なる音を奏でながらも、そこに何らかの音の共鳴が響き渡り、ポリフォニックな、複数性のある世界観がこの本の中に立ち上がってくる。しかもどれもが、世界の悲惨と言う主旋律を、別のパート、別の楽器、別の音階で弾いている。

当初はこの1冊を読み通せるかどうかもすごく不安だったのだが、気づけば第2分冊第3分冊も買い求め、何とか読み通してみたいと思うように心境が変化していた。すごく迫力のある読書体験であった。

ノーマライゼーションと入所施設

気になる記事を読んだ。

「老朽化による建て替えを段階的に進める宮城県の知的障害者施設「船形コロニー」(大和町)のうち居住棟2棟が完成し、現地で1日、開所式があった。」「村井嘉浩知事は「思い入れの強い施設。ノーマライゼーションの哲学を生かし、有効に施設を活用したいと思い、残した。入居者や家族が安心できるよう充実を約束する」とあいさつした。」「船形コロニーは1973年開所。浅野史郎前知事が04年、県内全ての知的障害者施設の閉鎖を目指す「施設解体宣言」を打ち出したが、村井知事が06年にコロニー解体を撤回した。」(河北新報2020年9月2日

船形コロニーには、「施設解体宣言」が打ち出された直後に、調査に出かけたことがある。巨大な敷地に多くの知的障害者を収容する、障害者の大規模入所施設だ。もともとグループホームの推進を厚生労働省の課長として進めてきた浅野史郎さんが宮城県知事になった時、入所施設を解体し地域の中で暮らしてもらうことを宣言した施設解体宣言が出された。スウェーデンでは2003年に入所施設をゼロにした実情を現地調査していた僕にとっては、日本でもやっとその方向が打ち出されたことを、歴史の転換点として喜んで受け止めた。そして、船形コロニーの前にすでに実質的な施設縮小を始めていた長野県の西駒郷の調査も行っていたので、いよいよ日本でも入所施設は本格的に縮小解体されていくのだとこの時点では感じていた。

だが村井知事は「コロニー解体の撤回」をした上で、「重い障害がある人は入所施設でケアをし続ける」と言う宣言でもある。知事は「ノーマライゼーションの哲学を生かし」と述べているが、これは本当の意味でのノーマライゼーションの哲学を知るものからすると、全くその哲学を生かしていない、理念の誤用・逆行である。

2年前、「ノーマライゼーションの育ての父」と言われるベンクト・ニィリエのことを掘り下げた本を書いた。1969年に英語でノーマライゼーションの原理を発表し、アメリカを始め世界中に脱施設化の動きを進め、知的障害者福祉の歴史を変えた重要人物の1人と言われる人である。そのニィリエが、半世紀前にノーマライゼーションの原理を初めて言語化した文章の中で、居住環境についてこのように述べている。

「ノーマライゼーションの原理の重要な部分は、例えば、病院、学校、養護施設、生徒のホーム(訳注:学校に通う子どものための小規模グループホーム)や下宿ホームなどの建物の基準は、一般の市民向けの同様な建物に対するものと同じでならなければならないと言うことだ。この原理により、いくつもの特殊な結果を見出した。
a それは、知的障害者向けの施設の規模は、社会にあるノーマルな人間的なものと同等でなければならないと言うことだ。知的障害者の施設は、周辺社会の人々の生活の場よりも、多くの人々が一緒に生活する場として考えられたものではなく、周辺社会と同等なものにすることを常に念頭に置かなければならないと言う意味だ。
b ということは、さらに知的障害者のための施設が、単に知的障害者向けというだけの理由で、孤立した場所に設置されてはならないと言うことを意味しているのだ。
ノーマルな立地条件と建物の水準、そしてノーマルな規模のものであれば、知的障害者向けの施設は、そこに住み生活する人たちに統合成功に向けてのより優れた可能性を与えてくれる。」(ベンクト・ニィリエ著『再考・ノーマライゼーションの原理』現代書館、p19-20)

ニィリエは「知的障害者向けの施設の規模は、社会にあるノーマルな人間的なものと同等でなければならない」と述べている。「多くの人々が一緒に生活する場として考えられたものではなく、周辺社会と同等なものにすることを常に念頭に置かなければならない」ということは、人里離れた場所にある大規模入所施設を否定し、グループホームに代表されるように、普通の人の住居と同じ規模のもので、少人数での生活を念頭においている。このニィリエの哲学と、村井知事が言う「ノーマライゼーションの哲学」は、全く真逆である。

ニィリエは、知的障害者も他の人と同じような生活環境を与えられるべきであると主張した。障害者だけが集団生活をさせられるのはおかしい。この単純な原則に基づき、普通の暮らしを実現するためには、入所施設を解体縮小し、街の中で少人数で暮らせるような支援システムを作るべきだと唱えた。実際にスウェーデンでは、2003年に入所施設は本当になくなり、どんなに重い知的障害を持っている人でも、グループホームなど街の中にある住まいで暮らすことができ、そこから買い物や余暇など地域での暮らしを楽しめるような仕組みを作った。

そして日本における施設解体宣言とは、1人の知事による人気取りのパフォーマンスではなく、本来であれば重い障害のある人も地域の中で当たり前に暮らせる、ニィリエが言う意味でのノーマライゼーションの原理の実現に向けた方向転換であったはずだ。

宮城県での施設解体宣言が出される前から、実質的に施設の縮小を進めてきた長野県の西駒郷に調査に入っていたこともある。これは大阪府立大学の三田優子さんの研究チームに混ぜてもらった時のことだ。この西駒郷の地域移行は、「ノーマライゼーションの哲学」を極めて忠実に守ったものであった。入所施設で暮らしている人にじっくりと本人の意向を聞き取った上で、本人の居住位置に近いところにグループホームを作り、そこで仕事の場を探す。そしてグループホームでの生活に自信ができたら、一人暮らしへの移行(グループホームからの卒業)も支援する。そんなプロセスである。(詳しくはこの当時の調査報告書もネットで読むことが出来る)

この当時、多くの知的障害のある当事者に聞き取りをしていて、非常に印象的だったことがある。それは、入所施設にいたときには、「もうここでいい」と思っていた人が、グループホームで住むようになると、自分の自由が増え、誰にも邪魔されない1人部屋の快適さや、制約の少ない生活環境を楽しむようになり、入所施設に戻りたくないと言い出したと言うことである。入所施設の生活しか知らない人は、「ここでいい」と思っている(諦めている)が、別の生活の選択肢もあり得るのだと知ると、入所施設でない生活の方が良いとおっしゃるのである。

ただ西駒郷の地域移行にも限界があった。強度行動障害や、いわゆる重度障害とラベルが貼られている人を地域で支えるには、かなりの人員配置が必要なのだが、国の制度ではそこまでの体制が十分に整えられていなかったため、思うように地域移行が進まなかったのである。 また「親なき後の我が子の幸せ」を切実に願う、知的障害者の保護者たちの中には、入所施設こそが安心できる場であり、入所施設をなくされると我が子の生活保障はできないと強く思い、施設存続を求める人もいた。その中で西駒郷も重度障害者のための新しい入所施設を作り、現在でも重度障害の人はそこで暮らしている。つまり障害の重い軽いの違いによって、暮らす場所が異なっているのである。そしてこの論理が、船形コロニーにも引き継がれてしまった。

だが「入所施設こそ安心できる場」と言うのは、幻想である。そのことを明確に知らせてくれるのが、神奈川県の入所施設での事件である。相模原で起きた障害者連続殺傷事件の舞台である入所移設と同じ法人が経営する、別のやまゆり園で、虐待事件が発生した。

「愛名やまゆり園は、知的障害のある人約100人が入所。県に匿名で「人権侵害にあたるのでは」との情報が寄せられたことから調査に踏み切った。関係者によると、男性の居室(1人部屋)のドアの引き戸の取っ手にガムテープがはられていることを県担当者が確認した。男性は、けが防止を理由にミトンの手袋をはめられており、自分ではドアを開けられない状況だったという。」(毎日新聞2020年9月2日

僕はこの記事の「男性は、けが防止を理由にミトンの手袋をはめられており、自分ではドアを開けられない状況だったという」を読んで、船形コロニーの重度棟で自分自身が体験した、あることを思い出していた。それは、こんな風に言語化したことがある。

「10年以上前,とある入所施設で調査研究を行う際,まずはその施設の実情を学ばせてもらおう,と「1 日体験」 をさせてもらった。私が受け入れられたのは「重度棟」と呼ばれ,強度行動障害をもつ方や,重症心身障害の方が入所されていた。その棟に足を踏み入れてまもなく,何も言わずにスッと近寄ってきて,私の手を握ってくれた男性がいた。仮に Aさん,と呼ぼう。
Aさんは言語的コミュニケーションが難しい方である。 私がいろいろ話しかけても,何も答えてくださらない。でも,ずっと手を握って,施設内をあちこち動こうとする。 「なるほど,今日は 1日 A さんが私にお付き合いしてくだ さるのだな」と勝手に納得して,手をつながれるまま,施設内をぶらぶらしていた。その後,とある「事件」が起こることなど,全く予期せぬまま。
Aさんと私は,日中はデイルームとして開放されている,食堂の片隅に座っていた。やがて夕食の配膳の準備が始まると,支援スタッフがそこにいた当事者のうちの何人かを食堂の外に出し,食堂の扉の鍵を一旦施錠する。多くの利用者は,食堂の外からガラス越しにこちらを眺めている。私と A さんはその光景を,食堂の中からぼんやり見ていた。
そして,支援スタッフは当日の夕食の配膳を始めた。味噌汁にご飯,おかずと各テーブルに並べていく。A さんと私が座っているテーブルにもその食事が並べられていった。すると突然 A さんは,目の前のおかずを猛烈な勢いで食べ出した。必死の形相で,目の前の一人分だけでなく,他の人の分まで食べようとする。私はオロオロして, 「A さん,食事時間まで待とうよ!」と語りかけ,ご飯を食べる手を押さえようとするものの,A さんは食事に集中して聞いてくれない。するとベテランスタッフたちが「しまったなぁ」という顔でやってきて,暴れて抵抗する A さんを二人がかりで抱きかかえ,食堂の外に連れ出す。オロオロしながら後から私もついて行くと,「静養室」と書かれた部屋に A さんを入れ,外から鍵をかけた。A さんは必死に扉をガンガン叩いているが,あるスタッフは「もう今日の晩飯は十分に食べたから,オシマイ」と言って,食堂に戻っていった。
後でそのスタッフに伺うと,食堂の配膳時には,きちんと食事まで待てる人以外は外に出ておいてもらわないと今日のようなことが起こるということ,そして A さんは普段は外に出される人であるということ,今日は私が一緒にいたのでそれをしなかったこと,が語られた。私には,「静養室」の中から扉を叩きながら私を見つめる A さんの表情が,今でも脳裏に浮かぶ。そして,「静養室」から出された後の A さんは,私と目を合わせず,決して手もつないでくださらなかったことも・・・。」
(竹端寛「私たちが目指す共生社会の 実現に向けて」さぽーと 2014.02 )

やまゆり園で「けが防止を理由にミトンの手袋をはめられて」いた男性も、僕が船形コロニーで出会ったAさんも、「自分ではドアを開けられない状況」だった。おそらく二人とも、言語的コミュニケーションでやりとりすることが難しく、「強度行動障害をもつ方や,重症心身障害の方」とラベリングされていたのだろう。そして、「注意しても聞かないから」と、「自分ではドアを開けられない状況」に押し込められていた。

ただ、どちらも入所施設での制約だった、というのがポイントである。大規模入所施設では、集団生活が基本であるため、一人一人のニーズが尊重されにくい。そもそも、支援の人手がかかるため、50人など多人数を「効率的」に収容し、24時間同じ場所にいてもらうことで、「効率的」にケアするのが、入所施設の根本的特徴である。そこには第三者の目が届きにくい。そのような現場で、自分自身の尊厳が守られない生活を送っていると、「必死の形相で,目の前の一人分だけでなく,他の人の分まで食べようとする」のである。それは、Aさんが野蛮だから、聞き分けのない人だから、ではない。ふだんから満足に自分の希望が満たされていないと思い、それがやっと第三者(=何も知らない竹端)の介在によって満たされるから「必死の形相」になるのである。逆に言えば、普段から自分の希望が満たされていたら、そんなに必死にはならない。

そのように、自分自身の願望が満たされてないと言う欠如があるだけではなく、もう一つ大きな問題がある。それは職員が言うことを聞かない場合、外から鍵がかかる部屋に閉じ込められると言うことである。施設収容においては真にやむを得ない場合のみ隔離拘束が認められているが、それが現場レベルでは、どんどんと拡大解釈され、濫用されていると言うことである。やまゆり園はその濫用が内部通報によって発覚した。

入所施設はただでさえ第三者の目が入りにくく、職員と利用者の間でヒエラルキー的な支配—服従に結びつく、強固な上下関係が成立しやすい。しかも最近の入所施設は、職員の賃金構造がいびつで、若手職員を中心に臨時職員の雇用が多く、十分な研修等が受けられているわけではない。強度行動障害や重症心身障害の人でも、適切な関わり方をすれば充分に落ち着く事は可能(RDIなど色々な支援方法は日本でも導入されている)なのに、そのような適切な関わり方の支援の研修を受けないまま、とりあえず目の前にいる利用者の危機に対応することが求められる。すると少人数で場を治めるためには、いうことを聞かない人は、とりあえず別の部屋に閉じ込めておくというのが、安易な解決手段である。今から振り返ってみると、Aさんが閉じ込められていたのも、その安易な解決策だった。

つまり入所施設と言うのは、当事者にとって決して安心できる場ではないのである。しかも、施設職員個人が悪だとか、そのような個人レベルの問題ではない。そもそも一人ひとりの支援ニーズが異なる人々を集団で集めて、規格化された支援の中に押し込もうとする、入所施設の構造そのものが問題なのである。だからこそ脱施設化や施設解体が必要であるとノーマライゼーションの原理で述べていたのである。ノーマライゼーションの哲学を本当に理解しているのであれば、せめて入所施設を小規模にしたり、地域の中で重い障害がある人も暮らせるような支援体制を構築することこそ求められている。まかり間違っても新しい入所施設を作って、それがノーマライゼーションの哲学に沿っているなどと言うのは、誤解も甚だしい。

100歩譲って保護者が求めるからと言うのであれば、本人が本当に求めるような生活を保護者と共に作り上げていく必要がある。実際相模原で連続殺傷事件が起こった津久井やまゆり園の元利用者達に向けては、地域の中で暮らしたい人のニーズに沿った支援が展開され始めている。そのことを物語る、象徴的な記事がある。

「事件が転機になった。神奈川県が園を現地で再建する方針を決めると、障害者団体からは「障害者の生活の場を施設から地域に移す『地域移行』の流れに逆行する」と批判が噴出した。
「園でしか生活できない人がいることを知って欲しい」。剛志さんは当初、強い反発を覚えたという。
だが、事件を考える講演会やシンポジウムに参加するうちに、重い障害があっても、介助を受けながらアパートなどで自立して暮らす人がいることを知った。実際に自立生活をしている人を訪ねた。重い知的障害がある人が、介助者とともにアパートで暮らし、外出したり家でご飯を食べたりしていた。
「そういう暮らしもあるのか」
昨夏から、毎週の面会に、介護福祉士の大坪寧樹(やすき)さん(51)が加わっている。今後は、大坪さんと2人で外出したり、短期間の2人暮らしを経験したりするつもりだ。施設暮らしと、アパートでの生活と、どちらがいいか。両方を経験し、一矢さんが決める。
「事件があって、一矢の生活も変わった。一矢の選択肢を増やすのが、僕にできることだと思う」と剛志さん。」
やまゆり園か地域か 生活の場、自分で選ぶ 事件3年

一矢さんは、バリバラの映像で何度か拝見したことがあるが、僕が出会ったAさんと同じような、「重度」とラベリングされる障害を持っている。そして、親の剛志さんは、事件後も「園でしか生活できない人がいることを知って欲しい」と当初は訴えていた。だが、一矢さんやAさんと同じような重い障害のある人も地域で暮らしていることを知り、「そういう暮らしもあるのか」も知ることで、別の暮らし方を模索し始める。それが、「一矢の選択肢を増やすのが、僕にできることだと思う」と剛志さんの考えを変えるにいたった。

このプロセスが、たまたま残虐な事件が起こった津久井やまゆり園の元入所者には与えられ、別のやまゆり園で「けが防止を理由にミトンの手袋をはめられて」いた人や、僕が出会ったAさんには与えられていなかった。それは、あまりに不平等だし、一般社会の人と同等な暮らしが提供されていない。アブノーマルであり、おかしい。

村井知事は重度障害者施設を建てることではなく、意思決定支援や重度訪問介護、重度障害者向けのグループホームなどの支援体制を増やし、「園でしか生活できない人がいることを知って欲しい」と思っていた当事者や保護者に対して、「一矢の選択肢を増やすのが、僕にできることだと思う」と剛志さんの考えが変わるような、そういう支援を提供すべきではないのか。それが村井知事のいう「ノーマライゼーションの哲学」ではないか。

そんなことを考えている。

「つくること」のススメ

坂口恭平さんの『苦しい時は電話して』がすごく面白い。単に死にたくなった人のためのメッセージではなく、仕事で悩んでいたり、モヤモヤしている人にもオススメの一冊である。その中でも特に今の自分に刺さったのが以下の部分である。

「あなたは自分が『ただ悩んでいるだけだ』と思っています。しかし、実際はそうではありません。悩み続けること自体も、実はつくっていることになるからです。もちろんそのまま悩み続けても問題は無いのですが、あなた自身が問題だと思ってしまうのでしょう。だから対策を考えてみたいです。つまり、悩み、考える事は、書くことにつながっています。なので、何もつくることができない、と思う人は、実はみんな書く人なのです。突然、突飛なことを言い出してと思われるかもしれませんが、悩むと言う事はそういうことです。悩むのは体の中から言葉が湧いていることと同じです。普通、人はそこまで悩むことができません。どこかで諦めて体を動かし始めるんです。家の中にいて悩み続けるのも、嫌だとは思いますが、実は才能の一つです。」(p182)

僕は以前「ただ悩んでいるだけ」の日々だった。四半世紀前のことである。どんなふうに生きていったらいいのか、対人関係をどうすべきか、他の人が自分のことをどう思っているか、ただただそういったことを悩んでいた。悩み続けていた。でも、ある時期からブログや論文で書くことを覚えるようになると、「悩むだけ」ということがどんどん減っていった。今では考え続けることが自分の生活の大切な一部になり、それで書くことによって、あるいは考えを他人に伝えることによって、生活の糧も得ている。坂口さんは別のところで、「自分がやりたいと思う仕事をとにかく自発的にやるだけ」(p138)と書いているが、結果的に今の僕はそれに近いような仕事の仕方をしている。

僕にとって書くこと、それも自分だけの為ではなく、誰が読んでくれるかわからないがとにかく他者のために書く事は、モヤモヤぐだぐだした悩みを何らかの形で昇華させる上で必要不可欠なプロセスである。歌を歌ったり絵を書くような芸術表現はやったことがないけれど、文章書くことだけなら、ブログも15年書いてきたし、Twitterも10年位続けている。どちらも自分自身のモヤモヤしたこと、ぐだぐだも含めて、書いて考えて書き直してまた考えると言うプロセスを可視化したものである。それに他者からフィードバックが来れば嬉しいが、そのフィードバックを求めてやるのではなく、自分の中の、まだ形になっていないモヤモヤや言いようのない不安を、とにかく形にして表してみようというのが僕なりの言語化であり、坂口さんの表現を用いれば、僕なりの「つくる」作業なのだと思う。

僕は書くことによって救われたのかもしれない。坂口さんの新書を読んでそう思い始めている。20代の頃は泥沼のような悩みの中にいて、そこから吐き出すこともできず、1人でうじうじ苦しんだり、友人にメソメソ相談したり、とにかく解決しようのなさにもだえ苦しんでいた。でも、論文やブログ、Twitterと言う、表現媒体はいろいろあっても、とにかく書くリハビリのようなことをずっとし続ける中で、悩みをどのように表現していいのかを考え、それを可視化するプロセスの中にいた。このブログが代表的だが、ある種の自己治癒のような、自分で自分に手当てをするような、文章化作業だったのかもしれない。そしてそれは僕自身を大いに救ってくれたし、少なからぬ自信も持てるようになったし、何より考えを文章化するトレーニングにもなった。そしていつの間にか、モヤモヤ悩む癖もなくなっていた。

坂口さんは文章化するにあたって、大切なコツをワンフレーズで表現している。

「大切な事は観察して、正確に描写することです。」

これは本当にその通りだと思う。子育てをしていても、まず大切なのはじっくり子どもを観察することである。やめなさい、ちゃんとしなさい、いい加減にしなさいといった注意をする前に、子供はどんな気持ちでなぜそれをしているのだろうと観察することが求められる。特に、それを正確に描写しようと思ったら、親の価値観や思いを横に置いて、子ども自身の行為や内在的論理を観察してトレースしない限り、正確に描写することはできない。実はこれは自分自身の内面を書くことでも、あるいは社会問題について書くことでも、全く同じなのではないかと思う。

自分の内面であれ外面であれ、気になる現実があれば、まずは自分の価値観を横に置きそれをじっくり観察する。その内在的論理をつかむ。つかんだ上でそれを出来る限り正確に描写しようと努力する。このプロセスこそが、悩みを考えに昇華するプロセスであり、その考えられたものを表現することによって、考えが可視化されるだけでなく、結果的には自分自身の自己覚知につながったり、あるいは新たな何かの発見につながったりする。そしてそのようなモヤモヤの外在化は、結果的に自分自身の自己肯定感を上げてくれたりもする。

坂口さんのメッセージは、今死にたくない僕自身にもすごく響くようなメッセージであった。それだけでなく、僕自身がこのブログで15年以上書き続けてきた意味や価値を、再び教えてくれるような本でもあった。

僕はこうやって書き続け、つくり続ける人生を楽しもうと改めて感じた。

レインと出会い直す

届いて久しぶりに一気読みしたのは、『R.D.レインと反精神医学の道』(コトヴィッチ著、日本評論社)。毀誉褒貶はなはだしいレインの著作とじっくり向き合い、評価できる部分を抽出し、レインへの批判にも誠実に向き合う、優れたレイン論であり、レインの著作へのイントロダクションとしてもぴったりな一冊。

僕は10年前、東日本大震災の直後、自分自身が気が狂いそうになったときに、「ひき裂かれた自己」を読んで文字通り自分のことが書かれていると思い、それをブログに書いたし、拙著『枠組み外しの旅』でもそのことを検討した。でも、レインを系統立って読んでいないので、すごく気になっていた存在だった。

この本では、反精神医学、としてひとくくりにされるクーパーやサズ(本書ではサースと表記)、そしてバザーリアのイタリアの民主精神医療とレインの著作を対話させながら、その共通性と相違性もしっかりと検討しているのが、実に面白い。その中で、レインに入る前に、トーマス・サースに関する評価が非常に学び深かった。

「彼は、国家やその他のいかなる共同体組織であっても、精神的苦痛という問題に何らかの役目を果たすことを容認などしていないのだ。サースの主張によれば、精神を病んでいると形容される人々は「生きる上での問題」に苦しんでいるのであり、精神を病むとは、社会が私たちに期待する様々な役割を実行することができないと言うことなのである。精神障害者への保護的アプローチをとる既存の「制度精神医学」に変えて、彼は「契約精神医学」を提唱している。彼が言わんとするところは、「生きる上での問題」に苦しんでいる人々は、国家の介入なしに自分に適していると思える援助を求める権限を法律的に与えられるべきである、と言うことである。」(p155)
「サースの反国家運動が自由意志主義的右派(libertarian right-wing)の立場から運営されていると言う点である。この立場は、援助を要する人々に対応する際にコミュニティーや国家は「ケア」によって活況を呈することもあると言う考え方に強い敵意を向けている。」(P156)

「精神を病んでいると形容される人々は「生きる上での問題」に苦しんでいる」という立脚点は、レインやバザーリアとも共通する部分である。だが、二人と違ってサースは「精神障害者への保護的アプローチをとる既存の「制度精神医学」」を全て否定する。それは、「「サースの反国家運動が自由意志主義的右派(libertarian right-wing)の立場から運営されている」と著者は指摘する。なるほど、治療共同体のようなコミュニティも、バザーリアのような地域精神医療に行政が関わることにも、サースは敵意を向けているのですね。そしてそれは新自由主義と軌を一にする「自由意志主義的右派(libertarian right-wing)」であり、サースは脱施設化だけでなく、「反国家運動」につながっているのか、と。

門外漢の人にとっては、オタクな議論で恐縮である。でも、この部分は、反精神医学のことを語る際に、非常に重要な部分だと感じる。実は4年前に書いた拙稿の中で、サース(サズ)のことについては、こんな文章を書いたことがある。

「サズに代表される反精神医学の主張は、①精神病を「病気のカテゴリーから除外させること」と同一視されがちだ。それは、第二次世界大戦後に隆盛を極めつつあった、脳や神経など生物学的な不調が原因となって精神疾患という結果が生じる、という生物学的精神医学に「反する」言説である。この部分については、その後の脳神経科学研究の深化のなかで、生物学的な変調や、その変調に(部分的にでも)「効果」があるという薬剤の開発などが進んだ。サズの指摘から40年以上経った今では、「病気のカテゴリーから除外させること」どころか、2011年に厚生労働省は脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病の4大疾病に、精神疾患を加えて「5大疾病」と命名するほど、「病気のカテゴリー」として定着している。この点では、確かに反精神医学は過去の議論となったのかもしれない。
だが、サズの主張で見落としてはいけないもう一つのポイントがある。それが、②「精神病と呼ばれている現象を新しく単純に見直し」「人の如何に生きるべきかの問題をめぐる葛藤の表現とみなされること」と捉え直している点である。かつて精神病者は「悪魔や魔女のせいにされた」歴史があった。その後、デカルト以来の西洋近代科学の隆盛の中で、「脱魔術化」=合理化への枠組み転換(パラダイムシフト)が起こる。そして、科学的、つまりは「非道徳的、非人格的」な「事柄」としての「病気」にのみ目が向けられるようになり、「人間のニード、熱望、および価値の葛藤に目を向け」なくなった。だが、薬で急性症状が部分的にであれ消失したとしても、「人の如何に生きるべきかの問題をめぐる葛藤」までは消し去ることは出来ない。その部分で、「科学」的なアプローチにも「無能力」な部分がある、ということに「無自覚」であり「無反省」である精神医療従事者に対して、痛烈な批判を浴びせたのも、サズの主張の根幹の一つである。
そして、①の意味での反精神医学は確かに過去の遺物になったかもしれないが、サズが提起した②のバトンは、精神医療のそれまで「常識」を変える力をもって、確実に次世代に受け継がれている。」(竹端寛「精神医療のパラダイムシフト」『精神病院時代の終焉 当事者主体の支援に向かって』晃洋書房、所収)

今回、レインの評伝を読んでいて思うのは、レインもバザーリアも、サースの指摘する②「精神病と呼ばれている現象を新しく単純に見直し」「人の如何に生きるべきかの問題をめぐる葛藤の表現とみなされること」に同意している。そして、その主張が一緒であり、それは生物学的精神医学の主流化に反するから、と「反精神医学」としてひとくくりにされた。ただ、サースと、レインやバザーリアでは①精神病を「病気のカテゴリーから除外させること」、という部分では意見を異にしている。レインは治療共同体で、バザーリアは地域精神医療において、「病気」の治療や支援をしてきたが、サースは病気ではないと捉えるがゆえに、「援助を要する人々に対応する際にコミュニティーや国家は「ケア」によって活況を呈することもあると言う考え方に強い敵意を向けている」とする。ここは随分大きな違いである。

では、なぜレインは(そしてバザーリアも)、反精神医学とラベルを貼られたのか。その部分について、評伝の以下の部分に手がかりがある。

「精神医学の知見に科学的価値があるにしても、それらの知見には根本的な瑕疵がある。つまり、それらの所見は、患者の人生全般の文脈の外側、とりわけ、精神科医-患者関係と言う文脈の外側で患者を研究した結果得られたものである。レインが続けて論じているように、あらゆる精神医学的記述は、事実についての陳述ではなく、ひとつの解釈なのだ。そして精神医学の教科書で目にする解釈は、理論的立場のカテゴリーによって、そしてその言語によって、あらかじめ決定されているのである。」(『R.D.レインと反精神医学の道』p32)

自然科学の一つになりたい、と希求している生物学的精神医学にとって、「あらゆる精神医学的記述は、事実についての陳述ではなく、ひとつの解釈なのだ」という指摘は、かなり本質的な批判である。そして、これはバザーリアが説いてきたこととも軌を一にする。

「私は精神病の概念を批判しますが、狂気を否定しません。狂気とは人間であることの条件だからです。問題は、この狂気にどう立ち向かうのか、この人間ならではの現象に対して、私たち精神科医がどのような態度を取るべきなのか、そしてこの欲求にどう答えることができるのかと言うことです。」「統合失調症と言う病名をつける事は、患者から距離を取るために、つまり統合失調症の患者に対して権力を持つために、単に医師にとって都合の良い烙印を押すことなのです。」(『バザーリア講演録・自由こそ治療だ』岩波書店、p191)

バザーリアもレインも、狂気の状態を否定してはいない。ただ、そのときに、精神科医が「狂気にどのように立ち向かうのか」「どのような態度を取るべきなのか」を問い直している。そして、「患者から距離を取るために、つまり統合失調症の患者に対して権力を持つために、単に医師にとって都合の良い烙印を押すこと」自体が、「理論的立場のカテゴリー」に基づく解釈の押しつけである、と批判しているのである。

「精神医学の教科書にある症例は、患者と精神科医の間のコミニケーションの破綻(ブレイクダウン)例なのである。破綻の起こる道筋は極めて明瞭である。つまり、互いのアイデンティティーを相互に認識しない時に起こるのである。」(『R.D.レインと反精神医学の道』p33)

ここで重要なのは、「症例」として示されるものが、「患者と精神科医の間のコミニケーションの破綻(ブレイクダウン)例」だと喝破している部分である。「単に医師にとって都合の良い烙印を押す」ことは、「互いのアイデンティティーを相互に認識しない」ことであり、それは単に患者が破綻(ブレイクダウン)しているのではなく、患者と精神科医の間の関係性やコミュニケーションが破綻(ブレイクダウン)しているのである。患者から距離を取って、「この狂気にどう立ち向かうのか、この人間ならではの現象に対して、私たち精神科医がどのような態度を取るべきなのか、そしてこの欲求にどう答えることができるのか」を考えずに、「客観的に観察」することに終始するならば、患者と精神科医の間の関係性やコミュニケーションの破綻(ブレイクダウン)が広がるばかりだ、という告発である。

これは誰が病気で誰が病気ではないか、という命名や価値判断基準と権力を持つ医者の根幹を揺るがしかねない指摘である。医師は科学的価値の錦の御旗の下で、自らの言説を正当化し、それに反する患者の訴えを一切無効化する権限を持っていた。だが、「あらゆる精神医学的記述は、事実についての陳述ではなく、ひとつの解釈なのだ」と言われてしまうと、その絶対的優位は揺らぐ。「統合失調症の患者に対して権力を持つために、単に医師にとって都合の良い烙印を押すこと」という隠蔽化された、無意識下に行われている社会構造を、白日の下にさらされると、その解釈の正統性が問い直される。これは、精神科医にとって土台を揺らがされるような、きつい批判である。であるが故に、レインやバザーリアは、サースのように精神病を「病気のカテゴリーから除外させること」を主張していなかったにも関わらず、反精神医学とラベリングされた。

さらに言えば、レインとバザーリアが主流派精神医学だけでなく、一般人の逆鱗に触れるような発言をしている。それは、狂気を問い直すプロセスの中で、「正常」をも二人は問い直し始めたからである。

「人間の多くの行動は経験を消去しようとする一方ないし双方の試みとみなすことができる。・・・大人になると、私たちは幼少期の大半を忘れてしまう。その内容だけではなく、その風味も忘れてしまう。私たちは世間を知っているが、内的世界の存在についてはほとんど知るところがない。・・・こうした事態は、私たちの経験がほとんど信じがたいほどに荒廃していることを示している。そこには成熟、愛、喜び、平和をめぐって、空疎なおしゃべりが存在している。・・・私たちが正常と呼ぶものは、抑圧、否認、分割、投影、取り入れ、その他様々な経験を破壊する作業の産物である。それは存在という構造から根本的に疎外されている。・・・眠っている、無意識である、気が狂っているなどの疎外の状態は、正常な人間の状態である。」(レイン『経験の政治学』みすず書房、p20-23、引用は前掲書p116による)

私たちが大人になるということは、「世間を知っているが、内的世界の存在についてはほとんど知るところがない」とレインは言う。それは「抑圧、否認、分割、投影、取り入れ、その他様々な経験を破壊する作業の産物」としての「私たちが正常と呼ぶもの」=「世間」を獲得するがゆえである。そして、そんな正常な大人は、「存在という構造から根本的に疎外されている」。その一方、一見すると正常とは見なされない、「眠っている、無意識である、気が狂っているなどの疎外の状態は、正常な人間の状態である」と指摘する。

そして、正常と呼ぶもののなかに、「経験を破壊する作業の産物」としての「疎外」が詰まっている、というのは、バザーリアの以下の指摘とも通底する。

「私の考えでは、医師や精神科医が実際に病人に施す治療は、疎外と言う意味を持たざるをえません。医療の唯一の目的が、元は労働者として、次に病人と言う商品として、生産の歯車の中に病人を復帰させることである限り、そうなるのです。このような治療は、人が自己主体的に自己表現するのは明らかに妨げています。こうして医師と病人との関係性は支配関係や権力関係になるのであり、この矛盾から抜け出すのは困難です。」(『バザーリア講演録』p133-134)

精神医療における標準化された治療が、「生産の歯車の中に病人を復帰させること」であるかぎり、「存在という構造から根本的に疎外されている」のである。職場の長時間労働やハラスメント環境の中で、ストレスを感じ、うつや自殺衝動を持つようになった人を、「治療」した上で、「生産の歯車の中に病人を復帰させること」。それは、労働環境の「抑圧、否認、分割、投影、取り入れ、その他様々な経験を破壊する作業の産物」を糾弾したり、改善することなく、「生産の歯車」そのものを温存させておくことである。「私たちの経験がほとんど信じがたいほどに荒廃している」そのような労働環境をそのまま放置して、疎外される環境である「生産の歯車の中に病人を復帰させること」を目指すなら、それは本当に治療と言えるだろうか。これが、レインとバザーリアに重なる問いかけなのである。

「レインは精神病を単なる病気とみなす必要はないと考えた。彼は、精神医学を疎外された「正常性」の科学、つまり私たちの疎外された世界を代表するものとみなした。それゆえ、精神医学は非人間的理論であり、「非人間的理論であるならば、不可避的に非人間的結果へ至ることになるだろう」」(『R.D.レインと反精神医学の道』p115)

レインは「精神医学を疎外された「正常性」の科学、つまり私たちの疎外された世界を代表するものとみなした」。これが、精神医学の王道からレインやバザーリアが攻撃され、「反精神医学」のラベルを貼られた根本的理由である。「患者さんを治したい」という「善意」に、「私たちの疎外された世界を代表するもの」とラベルが貼られ、治療が「生産の歯車の中に病人を復帰させること」であり「非人間的結果へ至ることになるだろう」と喝破されてしまうと、「正常性」の科学の正統性が揺らぐ。だからこそ、臭いものに蓋をする、ではないが、レインもバザーリアも、主流派の精神医療から攻撃され、忘れ去れたのである。

今回この評伝を一気読みして、改めてレインとバザーリアの同時代性と仕事の共通性を感じた。もちろん著者は、両者の違いもしっかり論じている。そして、巻末の解題では、その後の批判的精神医学の展開もしっかり論じている。この本は、沢山の刺激を与えてくれるし、翻訳も読みやすいし、「買い」の一冊である。

*最後に宣伝。バザーリアの事については拙著『「当たり前」をひっくり返す』(現代書館)でじっくり論じているので、よろしければご一読くださいませ。

前期のオンライン講義を終えて

午後のオムニバス講義のファシリテーターで、前期の授業が全て終了した。前期はコロナ危機の中でオンライン講義がメインであり、7月に一部対面とオンラインを混ぜたハイブリッドもあったが、基本的には生まれてはじめてのオンライン講義。その中で感じた良い変化と心配事について整理しておきたい。

<良い変化について>

オンライン講義は日本中の大学教員の大半にとって、はじめての体験である。学生にとっても同じである。なので初期条件が一緒だから、やる事は全て実験だと最初から認識を切り替え、これまでの授業と同じことをオンラインで継続するのではなく、オンラインだからできることを模索してきた。

画面越しに出会うので、同時双方向の授業では、出来る限り学生たちの声に基づく授業をしようと心がけた。どの授業でも事前課題としてウェブ記事や教科書などを読んだ上で、新しく発見したことや疑問に思ったこと、授業で取り上げたいことなどを300字ずつ900字程度書いてもらうような課題をしてもらった。そしてオンライン講義では、それらの事前課題に基づいて、ズームの授業であればブレイクアウトルームで議論してもらい、ブレイクアウトルームのないWebEXの大講義ではアシスタントの学生に事前課題の内容を読み上げてもらいながら議論をしていくということをしていた。

そこで感じた良い変化はいくつかある。学生の声をオンライン上で聞くと、多様な声を実に豊かに聞くことができたと言うことである。対面授業でも、グループで話し合ってもらって、その内容について学生たちをランダムに当てて、マイクで話してもらうこともある。でもその時よりも、画面越しに学生たちに呼びかけて、ランダムにどんどん当てていきながら話を聞く方が、様々な声をじっくり聞くことができた。これが最も良い変化だった。ある授業では、物静かな学生が、自分の意見をしっかり話してくれ、それを聞いていた他の学生が、あの子あんな風にしゃべるんだと後でびっくりしていたと教えてくれた。その後、当のご本人に聞いてみると、対面授業では基本的に「聞き役」だけれど、オンラインだからしゃべってもいいかなと思った、と。対面教室空間に比べて、学生が話す敷居が下がったような気もする。

次に良かったのは、アシスタントの導入である。オンラインの授業で、1人で一方的に話続けるのはあまりにしんどそうだし、技術的操作をしながら1人でしゃべっているとテンパリそうだったので、アシスタントを導入することにした。教養の1年生向け授業では、その授業を聞いたことがある3年のゼミ生に、バイトでアシスタントをお願いし、毎回同じアシスタントとともに授業を進めた。彼女にはラジオのアシスタントと同じように、学生たちの事前課題を読んでもらったらいい、それについ彼女の意見を言ってもらった。 このアシスタントが大好評で、毎回様々な福祉的課題について議論するのだが、僕の意見よりもアシスタントの意見に共感したり納得する受講生が続出した。そして、これはすごく良いことだと、やりながら気づいた。

教員は単位認定と言う権力を持っている。するとその教員の声が一方的に流れてくるならば、その声を受け入れるか受け入れないかの二者択一しかない。しかしそこに、僕とは違う視点からの声としてアシスタントの声があると、教員の声には納得できないけれどアシスタントの声には共感できるといった感想が寄せられる。逆に言えば、オンライン講義以前は、授業中に様々な学生の声を拾うことがあっても、それをまとめたり整理したりするのは、教員である僕の声単独でやっていた。するとどうしてもそこに一義的な色がつきやすかった。しかしアシスタントが加わり、僕の声と同じように違う声を響かせることで、授業自体の声の響かせ方がポリフォニー的になり、より多様な視点から検討することができたと言う声が、多く寄せられた。

そして3年生の授業では、そもそもアシスタントを公募してみることにした。僕の質問に答えてくれたり、他の学生が報告するのを見てコメントしてもらうような、そんなアシスタントを公募してみたのだ。すると毎週入れ代わり立ち代わり、いろいろな学生がアシスタントをしてくれ、多様な視点を寄せてくれた。そのことによって、受講生も仲間がどんなふうに考えているのかをじっくり聞いたり、あるいは僕とアシスタントの話を聞きながら自分の中でリフレクションしてみたりと、これまでより授業がより立体的に立ち上がり、学生たちの理解度もなし、毎回の授業の後のコメントシートをたくさん書いてくれる学生が続出した。これも僕1人で対面事業していたときにはなかった展開である。

そして授業に参画してくれたアシスタントたちの声を受けて、僕の授業スタイルを変えていったことも、良い変化として取り上げられる。3年生の講義では、最後の2回ほど、事前課題を読んでの議論を、僕と数人のアシスタントでみんなの前でやることによって、僕も1討論者として議論に参加し、学生たちと対等に議論をするのを、他の学生たちに観察してもらい、その観察した内容に基づいてブレイクアウトルームで議論してもらうと言うようなことをやってみた。すると、学生たちだけでブレイクアウトルームで議論をしているのでもなく、僕が学生たちに質問しているのでもなく、教員と学生が議論しているのを聞いた上で考えあうというフィッシュボールスタイルは、授業においてもすごく役立つと言うことがわかった。これもオンライン講義だから試せたスタイルのような気がする。

<心配事について>

そんな良い変化も多かったオンライン講義だが、そうは言っても心配事の連続だった。そもそも見通しが全く立たず、去年までの授業スタイルが全く役立たない。その中で、新たなやり方を4月当初から1ヵ月以内で突貫工事で作り上げ、実際に学生たちと授業をしながら改善していく。これは結構身体的にもきつく、眼精疲労や肩こりはバリバリで、整体に行ってもかなりひどいねと言われる始末。オンライン講義をするのは、移動は無いけれど、心身ともにハードであった。

あと対面ではないと言うところで、一番心配しているのは、一年生の仲間づくりと、ゼミ生のフィールドワークである。1年生たちは前期に1度だけ登校日があったが、それまでに基礎ゼミクラスはズームのブレイクアウトルームで仲間づくりをしていたので、登校日当日もめっちゃ話し込んでいた。ただ学生たちに最後の授業の後で感想を聞くと、一度だけの登校だし、この基礎ゼミクラス以外に友達を作る場面が全くなかったと言う声も多数聞いた。大学1年生は、もちろん授業に慣れるのも大変だけど、普段なら友人や仲間知人ネットワークを作ることが1年生の間で最も大切なことの1つかもしれない。その部分が構造的に欠落したままであると言うのは、1年生にとって大きな心配事が残っているのだろうと、僕も心配している。

それから、ゼミ生がフィールドワークができないと言うのは、フィールド調査に基づく卒論を書いてもらおうと思っていたゼミにとっては、かなりきつい。これは僕のゼミだけでなく、同僚の先生方も同じようなことをおっしゃっていた。それでも去年のうちにある程度現場経験をしている学生ならば、そこでできたつながりをもとに、オンラインインタビューなどで内容を深めていくこともできる。でも学生の中には、なかなかテーマが定まらなくて、就職活動が終わったこの夏休みにがっつりフィールドに関わり、その世界を知り、インタビューや参与観察などを深めて卒論につなげようと言う学生もいた。するとその学生たちは、フィールドワークができない中で、二次情報や文献、場合によってはオンラインインタビュー等だけで卒論を作り上げていく必要がある。この部分もどのようにしていけばいいのか、僕自身も経験がないことなので、一緒に試行錯誤していく必要があると感じている。

さらに言えば3年生の夏休みは、フィールドワークをしたり、様々な旅行に出かけたりと社会経験を増やしてもらいたいと思っていたんだが、そのどちらもかなり厳しい中で、3年生のゼミたちがどのように自分の学びや興味を広げてくれるのか、そこに僕自身がどのようにお手伝いできるのか、と言う点でも心配事は残っている。

それから7月からゼミも4年生で大学に来れる人は対面授業、これない人は画面越しのハイブリットゼミをしているが、卒論に向けての構想練ったり、ゼミ生一人ひとりの研究を掘り下げていくときには、やはり対面の方がそれをしやすいと感じている。もちろん僕自身もコロナ以前から研究会等はズームでずっとやってきたし、そこで議論が深まっていくことも知っている。ただモヤモヤしている点について、話し合いながらそのモヤモヤを掘り下げて行ったり、解決策を見出そうとするときには、どう表現していいのかわからないが、やっぱり対面の方が、画面越しよりも情報量が多く、共有できたり分かち合える量もはるかに多いような気がする。秋以降再度緊急事態宣言等がもし出された場合、卒業論文の指導がどうなのだろうと言うのは、未だ大きな心配事として残っている。

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そんな良い変化も心配事もあったが、いずれにせよこの前期の授業を通じて、授業とは何か、対話的な講義とは何か、オンラインでの学びを最大化させる為にZOOMやLMSなどをどのように活用できるか、どういう授業の仕掛けが必要か、といったことをずっと考え続けてきた。

これからは膨大な採点作業も残っているのでまだまだ気が抜けない。でもとりあえずオンライン講義をやり抜いたので、忘れないうちにそのことを備忘録としてここに書いておく。

なおこの文章も、音声入力で書いた。オンライン講義であまりにたくさんの文章を書いていて手が腱鞘炎になって疲れるので、学生のフィードバックの文章などは、なるべく音声入力で書き続けた。これも苦肉の策で始めたのだが、数年前に比べて音声入力のレベルがものすごく上がっていて、僕が完全な日本語を想起してから文章として声に出すと、手直しがほとんど入らないレベルまで打ち込んでくれる。ずいぶん楽になったなぁ、と発見することができたのも、「災い転じて福となす」のようなものであると感じた。

 

デザインと合理的配慮

不思議な本を読んだ。何が不思議って、知っている世界なのに、考えたことのない切り口で、僕が見知っている「はず」の世界を、鮮やかに捉え直してくれる一冊だった。海老田大五朗さんからご恵贈頂いた『デザインから考える障害者福祉—ミシンと砂時計—』(ラグーナ出版)である。

「障害者福祉における支援実践において、予測できな事態や逐次的に対応しなければならないことなどいくらでもあるだろう。実践が微調整の連続であるならば、その実践の微調整から学ぶべき事はたくさんあるはずだ。このような施策はクライアントと支援者、非雇用者と雇用者、人と道具の相互行為interactionと言う動的な概念を前提にしている。『デザインから考える障害者福祉』という本書のタイトルは、『デザインとはその都度の微調整であるがゆえに、捉えにくい実践ではあるものの、ここにこそ注目すべき点が溢れており、これまでの先行研究ではここが取りこぼされてきたのではないか』と言う指摘でもある。」(p17)

「デザインと障害者福祉」というタイトルで、アール・ブリュットとか、障害者と芸術活動とか、そういうアート系の本かいな、と思い込んでいた。だが、デザインを「その都度の微調整」と捉えることによって、障害者雇用における様々な問題を、動的プロセスとして鮮やかに捉え直す。その構想力というか、アイディアというか、「最適化を志向した微調整としてのデザイン」(p16)という節のタイトルだけで、この本のオリジナリティーが十分に遺憾なく発揮されている。こりゃあ一本取られた、参りました。

で、支援の仕事って、計画制御とは真逆で、いちど机上で計画しても、実際に支援が始まってみれば、ここで書かれているように微調整の連続なのである。支援対象者がどれぐらい何をできるか、できないか。そして企業側が何をどれぐらい求めているのか。障害者雇用においては、この2つが乖離していると、うまくマッチングされない。そして、それはやってみないと、わからない。そこを「ジョブコーチ」やサポート役の人が補っていくのだが、そもそも支援対象者だけとか、企業だけとか、どちらか一方が他方に合わせようとすると、微調整はうまくいかない。この本が秀逸なのは、その折り合いの問題を最適化問題と言う概念に照らし合わせ、動的に移ろいゆく障害者と企業の関係性を、微調整の連続の中から最適化に向けて折り合うプロセスとして描こうとしている。これがこの本の構想力の豊かさだと感じる。

「『作業デザイン』は、Bさんを障害カテゴリーから雇用カテゴリーへ、障害者の特性や抱える困難を包摂しつつ変容させる装置であり、『組織デザイン』はその雇用カテゴリー執行を維持する装置だったのである。」(p53)

この整理も秀逸である。個々の障害者がどのように働きやすいかを微調整するプロセスを「作業デザイン」と捉え、その「作業デザイン」が十分に生かされて維持されていく微調整のプロセスのことを「組織デザイン」と整理する。これもなるほどと思うし、お見事な概念化である。本書のような、現場実践を鮮やかに理論に組み替える福祉の本にはなかなか出会えない。正直福祉の本や論文って、ここだけの話、ワクワク出来る本が少なくて、あまり読まないのだが、この本は理論と実践を往復すると言う点でも、実に魅力的で面白い本である。

その上で、障害者権利条約や障害者差別解消法で規定されている合理的配慮の概念をも、捉え直す。

「合理的配慮は『理にかなった対応や調整』ということになり、本書のいう最適化実践=デザインと、かなりの部分重なることになる。したがって、本書でさまざまに記述された『デザイン』の多くを『合理的配慮』の実例として読むことは、ある意味自然な読み方だろう。」(p142)

今まで読んだ合理的配慮の説明の中で、最も腑に落ちる整理の一つである。「理にかなった対応や調整」がなされたら、他の人と同じように参加や参画が可能となる。めがねに補聴器、エレベーターにスロープ、といった物理的環境だけでなく、仕事の仕方を変えるとかアレンジするとか、そういうことも含めた、その人をその場から排除しないための「理にかなった対応や調整」が、合理的配慮なのだ。すごくわかりやすい説明である。(ちなみに、子どもが産まれて以来、抱っこしてピントが合わなくて老眼と気づいた僕は、100均で買った+1の老眼鏡のお陰で、原稿を書いたり本を読んだりについても、「理にかなった対応や調整」がなされている。)

では、なぜ海老田さんは合理的配慮という言葉より、デザインという言葉に拘ったのか。石川准さんの「すでに配慮されている人びとと、いまだ配慮されていない人びと」のたとえを引いて、こんな風に語る。

「この世界には『(多数派や健常者に都合よく)すでにデザインされた世界と、いまだデザインされていない世界がある』」(p143)

本書を、障害者にとっても都合良くデザインされる=微調整のプロセスを辿って最適化につながる世界を目指した、野心と冒険の一冊なのである。一見すると関係なさそうな二つの概念を重ね合わせ、これまでの世界観では見えてこなかった、解像度の異なるレンズを作りあげ、世界を違って記述してみせる。それが海老田さんの依拠するエスノメソトロジーの魅力であり面白さなのだとも、再発見させられた。

理解の先にある希望

坂上香監督のドキュメンタリー『プリズン・サークル』をやっと拝見できた。前作の『ライファーズ-罪に向き合う』の書籍化されたものがすごく面白く、前任校の大学図書館でドキュメンタリーDVDを購入してもらい、死刑絶対賛成派のゼミ生と一緒にみたら、彼はあまりのショックに上映後立ち上がれなかった。ゼミ生はその映像を見ながら、自分の信じてきたことが覆されて、死刑囚の気持ちや背景が「理解できてしまった」という。そのライファーズのような治療共同体が、日本の官民協働の刑務所である「島根あさひ社会復帰促進センター」で取り組まれ、その実践を2年にわたって追いかけたドキュメンタリーである。

僕はこの映像を見ながら真っ先に思い浮かべたのが、幻聴や幻覚を巡る周囲の反応との共通性であった。オープンダイアローグや当事者研究が広く知られるようになるまで、日本の精神医療の現場でも、長らく、「幻聴や幻覚のことを本人に聞いてはいけない」という不文律のようなものがあった。幻聴や幻覚はなくすことが大切なので、それを聴いてしまうことによって、その幻聴や幻覚を刺激し、ますますそれらに支配されることに繋がるのではないか、と言われていた。その「話してはいけない、聴いてはいけない」は支援者だけでなく本人にも強い規範として機能し、「医者の前では幻聴について話すと薬が増やされるし医療保護入院させられるかもしれないから、言わないでおこう」という「対処療法」が取られることもある。だが、誰にも話さない中で、幻聴や幻覚はますます支配的になり、本人は追い詰められて、アンコントローラブルな状況に追い詰められることもある。

その構造と、『プリズン・サークル』に出てくる受刑者達の語りに、強い共通性を感じたのである。

受刑者達は治療共同体の中で、事件のことを語る前に、まずは自分の過去のことを語ったり、仲間のそういう語りを聴くことからスタートする。そして、彼ら(男性刑務所なので登場人物は全て男性)の物語を聴くと、家庭内での虐待や愛情不足、無視・放置、いじめ・・・など、「安心できる・自分が護られる環境や感覚」とは真逆の子ども時代を過ごしてきた話が、次から次へと語られる。その中で、暴力や憎悪の連鎖の中で被害者から加害者に転換したり、軽微な万引きが常習化していくプロセスも、語られていく。

ここで大切なのは、治療共同体で語られるこれらの物語が「健常者」や「専門家」から一方的に査定や評価、断罪などがされるわけではない、ということである。そうではなく、治療共同体の仲間から、違った視点・角度で、それらのエピソードについての質問やコメントがなされていく。すると、誰かに説得されるのではなく、語った受刑者の中でも「そういう見方もあったんだ」という気づきが生まれる。蓋をして見ないようにしてきた、自分が封印した「自分自身の傷ついた体験」も、そのものとして語り、聞き、考え合う。

この治療共同体のプロセスは、オープンダイアローグや当事者研究で大切にされているような、精神障害の当事者の内在的論理を、制約することなく安心して語れる場作りの構造と、共通していると感じる。「反社会的」な「問題行動」といわれるような言動に至るには、どのような背景や、本人の中での内在的論理があるのか。生きる苦悩の最大化した姿があるのか。それを、本人一人だけでなく、周囲の人との関わり合いの中で模索していこうとする。そして、本人のなかで強く規定された「どうせ」「しかたない」「世の中そういうもんだ」という強固な認知前提を、そのものとして話しても馬鹿にされない。それどころか、真剣に聞いてもらい、理解や共感もしてもらうなかで、別の風にも考えられるかもしれない、という、違う可能性が、本人のなかで芽生える。説得ではなく、納得のプロセスである。

そして、そのプロセスが作られる前提として、ブログでも拙著でも何度も紹介している、フランコ・バザーリアの次の言葉を今回も引用する。

「病気ではなく、苦悩が存在するのです。その苦悩に新たな解決を見出すことが重要なのです。・・・彼と私が、彼の<病気>ではなく、彼の苦悩の問題に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化してきます。そこから抑圧への願望もなくなり、現実の問題が明るみに出てきます。この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもあるのです。」 (出典:ジル・シュミット『自由こそ治療だ』社会評論社、p69)

この「病気」を「犯罪」と置き換えると、「プリズン・サークル」で描かれている治療共同体の内容そのものでもある。精神病や犯罪は、常識の世界からほど遠いものとされ、「理解不可能」で「一線を越えたもの」だと、ラベルが貼られやすい。「精神病」や「犯罪」なんだから、精神病院や刑務所で隔離収容されるのは仕方ない、おわり。「理解不可能」なことをした人は、治療や矯正が専門施設でなされて、「まともな人」に戻らない限り、「社会復帰」はさせるべきではない。そうしないと、私たちの社会の安全は護られない。こういう「他人事」からの社会防衛の発想である。

だが、精神病や犯罪を「生きる苦悩の最大化」と捉えると、「他人事」の話ではなくなる。誰しもが「生きる苦悩」から自由である訳ではない。僕には僕の、あなたにはあなたの、「生きる苦悩」がある。そして、運良く・偶然にも、それが最大化していないから、精神病にも犯罪にもならずに、いま・ここ、にいる。でも、目の前で語られる家族関係のしんどさが、もし自分自身の経験としてそれを生き抜かざるを得なくなった時、精神病にならずに、罪を犯さずに、サバイブすることが本当にできるだろうか。そう思うと、犯罪者や精神病者は自分とは違う、という強固な分断線が溶解していく。

そして、プリズン・サークルを見ながら感じるのは、受刑者の辛さを「わかる」ことで、その強固な分断線が溶解してしまう、ということである。これは、幻聴や幻覚の状態にある人の「生きる苦悩の最大化した姿」を聴いていると、その辛さが「わかる」こととも通じる。犯罪者や精神病者は自分と違う、と強固な分断線を引いて、他人事にしていた。にもかかわらず、「他人事ではないかもしれない」「もしかしたら自分にも生じうることかもしれない」と気づいて、その線が揺らぐ。精神病や犯罪はあくまでも「他人事」だったはずなのに、「この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもある」と気づかされることによって、他者への糾弾の矢印は、気づけば自分自身も含めたこの社会を捉え直す、視点の捉え直し、常識の捉え直し、アウトフレームに繋がっていく。

そういえば、坂上香さんが代表を務めるout of frameというNPO団体には、こんな表現があった。

アウト・オブ・フレームとは、フレームに収まりきらない現実や、主流からずらすことを意味しており、型にはまらない独自の映像活動を目指していますたとえば、暴力からの脱却や変容をテーマにしたドキュメンタリー映画の製作や上映、DVDの販売、生きづらさを抱える子どもや女性たちとのコラボレーションやイベント運営など、多角的な表現活動を行っています。」

フレームに収まる現実、とは、精神病者は精神病者に、犯罪者は刑務所に、隔離収容してそれでおしまい、という現実である。でも、そこで「収まりきらない現実」が、ライファーズやプリズン・サークルの中には溢れている。それは、僕がずっと伺ってきた、学んで来た、精神病を持つ人の語りとも通底する、「社会の主流の語りに収まりきらない現実」である。それを見てしまったからこそ、かつてのゼミ生も立ち上がれないほどのショックを受けた。(ちなみに、フレームに収まりきれない現実に関しては、僕も『枠組み外しの旅』の中で違った角度から考察しています)

そして、そのフレームに収まりきらない現実を、罪を犯した本人が蓋をして見ないようにするのではなく、それを同じ経験をもつ受刑者と語り合う中で、少しずつ、開いていく。「犯罪」と自分でも閉じ込めることなく、「生きる苦悩の最大化」した状態をそのものとして認めるからこそ、その延長線上に、初めて「犯罪」をそのものとして受け入れることが出来る。「生きる苦悩」に蓋をして、だからこそ自らの犯した「罪」も「他人事」だと蓋をしてきた受刑者が、「生きる苦悩」と蓋をせずに向き合い直すからこそ、自分自身の声を取り戻し、だからこそ、他人の声も自分の中にはじめて入ってくる。その中で、はじめて「自分が取り返しのないことをしてしまった」ことに、やっと気づける。その土台を獲得できる。そして、それを受刑者仲間に語ることが出来る。

この話は、刑罰をなくすべきだ、とか、被害者より加害者の権利を優先したい、という話ではない。本当に再犯を予防したいのであれば、単に厳罰化するのではなく、このような治療共同体での実践を通じて、本人が様々なものに蓋をしてきた、そのプロセスに本人が気づき、納得して変容できる支援をしていく必要があると感じる。それは甘やかすのではない。ある意味、普通に受刑者としての刑期を過ごすより、自分自身の見ないようにしてきた過去や傷と向き合うことは、遙かに内的にきついことである。でも、自由を奪われた刑務所において、本来なされるべき「矯正」とは、使役労働よりも、このような内面との向き合いなのではないか。そのために、この社会は何をどう変えていけばよいのか。

このドキュメンタリーを見てから、ぐるぐるグルグル、考え続けている。

でも、少なくとも現時点で、決めつけの先には絶望しかないが、「理解の先にこそ希望がある」と思っている。そのことだけは、映画を見て、直感的に捉えることができた。

*この映画、7月10日まで「仮設の映画館」でやっています。これは、家事育児の都合でリアルの映画館に行く時間がとれない僕には、本当にありがたい存在。これまで沢山のドキュメンタリーを見逃してきたので、ぜひとも引き続き、やってほしいと願っている。独立系シアターにちゃんと入場料が支払われるなら、ハイブリッドで放映し続けてほしいとも思う。それは、僕のように映画館に行きにくい・行く機会がない人に朗報だし、映画を見る習慣が出来たら、劇場でもまたみたい、ときっとなるはずだ。

観察からの気づき

今日は娘の通うこども園の父親懇談会。園からのお手紙には、子ども達の楽しんでいる遊びを父親にもしてもらいます、と書いてある。妻に聞くと、がっつり走り回る系だという。実はそれもあって、僕は数日前から、ちょっぴり憂鬱で、かなり緊張していた。

僕のことをちょこっと知る人は「信じられない」と言い、よく知っている人は「でも、そうだよね」と納得してくれるのだけれど、僕は緊張しいで人見知りでびびり、である。ただ、職業柄、見ず知らずの人に向けて講演や研修をする機会も多く、初めての人とも社交的にしゃべるので、それを知る人には「信じられない」と言われる。でも、僕をよく知る人なら、初めての場所に行くときに苦手意識を持っていたり、知らない人ばかりだと極度に緊張して早口になったり、声が大きくなったりするのに、気づいている。出かけてしまうと、その場に馴染んで楽しんだりするのだが、そこに行くまでの心理的障壁が高い。昔から集団行動は苦手なので、サッカーとか野球には誘われても出来ることなら加わらなかったし、仕事じゃなければ新しい場やチャレンジも、実は消極的だったりする。なじみのない場だったら、そわそわして早く帰りたくなる。運動音痴で、走るのも、ボールの扱いも下手くそなので、そういう「遊び」の場では、どんくさい自分が足手まといになって、惨めな思いをするのでは、と想像して、暗くなる。。。

今朝も朝からグズグズしていて、不安はマックスになり、妻に「大丈夫かな」とかウダウダ言いながら、自転車をこいで園まで出かける。普段から送り迎えを分担しているので、顔なじみの先生はいるけど、4月に入園したばかりで、父親の知り合いは、ほとんどいない。そういう場だからこそ、緊張感がマックスになる。

でも、実際にその場でアクティビティに参加すると、それなりに楽しんで走り回っている僕がいた。40年前とは違い、週に2度ほどジョギングを続け、合気道と登山で体力もつけていたので、なんとか息も切れずに走り回ることもできる。そして、1時間ほど炎天下で汗をかき、その後理事長先生の講話を聞きながら、ふと気づいたのだ。娘も、同じプロセスにいるのかもしれない、と。

ここ最近、娘は毎日のように「明日は園に行かない」という。朝から結構ぐずる。チャリや車に乗せて連れて行く途中でも、めそめそする。園について、先生に手を引かれても、こちらに追いすがるように見ている。でも迎えに行くと、ニコニコと笑いながら園から出てくる。毎朝のぐずぐずが一体どうしたんだと言う位、朗らかに楽しそうである。この落差は一体なんだと思っていたが、答えは簡単。父と一緒で、緊張しいで、新しい場所が苦手で不安なのである。

父親の緊張しいで新しい場所になじめない性質は、娘に着実に引き継がれている。娘が毎朝園に行くのをぐずるのは、園が嫌いだからではなく、新しい場所に適応できるかどうかの不安なのだ。3歳だけの集団ではなく、4歳や5歳の子と一緒に遊ぶ中で、自分がその集団の中で交わっていくことができるのか、そこでうまく適応できるのか、自分の仲間ができるのか、安心できる場としてその場を信じれるのか、自分の居場所だと思えているのか、が、まだ不安定なのだ。そしてその不安や心配事は、実に人間的であり、実にとうちゃんと同じような不安なのだ。

いい汗をかいて、ほどほどにくたくたになって、楽しい気分で帰り道に自転車をこぎながら、父である僕は、数日前からの緊張が何だったのだろうと振り返る。子ども時代との違いは、その緊張について、自分なりに振り返り、観察することができること。そういえば理事長先生は講話の中で、観察こそ全ての物事のスタートだ、とおっしゃっていた。子供は観察をする中で、全体像をイメージし、そこから自分のやる世界を掴み取ると言う。毎日の遊びの中で、ざっと全体像をつかみとり、瞬時に判断し、的確に行動していく力を身に付けていく。子供は遊びが仕事だ、とはよく言われるが、まさに娘は遊びながら観察をし、遊びながら世界をつかもうとしているのである。

この観察という概念は、娘が世界をつかみ取る補助線であるばかりか、父が娘の内在的論理を理解する上での手がかりにもなる。PDCAサイクルのような計画制御ではなく、子供と共に生きること、はまさに想定外の世界の連続。その中で、娘が観察を通じて全体像をつかめるように、父や母がアシストできるかどうか。娘を観察しながら、娘の観察力が育つように応援できるかどうか。そのメタな観察力が、大人のとうちゃんには求められているのだと改めて気づかされる。

すると父親が苦手なこと、しにくいこと、不十分なことを分析することで、娘自身の苦手なこと、できにくいこと、イライラすることにも想像が及ぶ。僕自身を観察しながら、その観察から得られた知見を、娘の内在的論理を理解するための補助線として用いることもできるのだ。要はどれだけ深く自分を、そして娘を観察することができるのか、が問われているのだと思う。今日は父の日、僕は父になってまだ3年あまり。門前の小僧である。娘を観察しながら、娘から観察されながら、自らの観察力を鍛えていきたいと思った、気持ちの良い日曜日であった。

 

合気道における機能美

合気道の岡本洋子師範の著書『武道は世界を駆け巡る』(あいり出版)を読む。この時期合気道が出来ないままなので、たまたまYoutubeを見ていたら、岡本師範の動画を見つけて、釘付けになり、買い求めた。彼女はフランスやアメリカで生活をしていたこともあり、世界各国で合気道を教えている。たまたま見つけたブラジル合気会の稽古動画の冒頭で、非常に興味深いことを言っていた。

「みなさんには、動きの形ではなく、動きの機能を見てもらいたい」(I would like you to see the function of  the movement, rather the form of the movement.)

とにかく師範の動きは、惚れ惚れするほど美しく、機能的である。彼女より遙かに大男の有段者を前にしても、力まず、全身の機能をそのものとして使いながら、相手を導いていく。力を使わなくても、流れるように、相手は師範に誘われて、勝手に倒れていく。僕はまだまだ力んでいるのが課題なのだが、小柄な師範は投げている時でも軸が恐ろしいほどスッとしているので、力まずとも、相手は師範に吸い込まれるように、師範のなすがままに、流されている。本当に機能的で美しい所作。その理由が師範の本にも書かれていた。

「私は合気道の美しさは、中心と軸のぶれない無駄のない動き、いわば旋律の中に、呼吸という生命のリズムを吹き込んでいくことによって生まれると思っている。ここにいたるには、取りは技を磨き、受けは一本一本先入観のない攻撃で体幹(腹)から相手にぶつかっていくことによって初めて可能になる。受け、取り、ともに関節も足も固まってはいけないし、軸が崩れすぎてもいけない。」(p22-23)

とにかく岡本師範の動きをみていたら、「中心と軸のぶれない無駄のない動き」が音楽の旋律のように流れている。僕のがバタバタしてとにかくめちゃくちゃに音を吹きまくる、ガヤガヤ騒音だとしたら、岡本師範の動きは本当に美しい旋律だ。どこも固まっていないし、軸は崩れてはいない。単に形を再現するのではなく、軸に息吹を吹き込んで、流れを作り出している。

「体現されていく形に相違があっても、私たちが学び伝承していかなければならないのは師の表現方法ではなく、技の本質と原理であり、そうでなければ合気道という武道はやがて消滅してしまう。だから、先生の表現法だけを真似しても何にもならない。」(p97)

この指摘に、グサッとくる。僕はまず形を覚えるのが人一倍時間がかかり、すぐに忘れてしまうので、有段者になっても、必死になって形を再現している部分がある。きれいに形を再現出来ているかな、と。でも、それではだめだ、と岡本師範は指摘する。形に込められている「技の本質と原理」をこそつかまなければならない。それが師範が稽古で「動きの形ではなく、動きの機能を見てもらいたい」と伝えている真意でもある。形という表現法が表層だとしたら、深層部分にある「技の本質と原理」を探求し自分のものにするための模索を始めないと、単なる真似っこで終わり、それ以上は成長しない、と。

「形を何度も反復して練習した結果、その形しかできなくなってしまったのでは本末転倒です。反対に形をおろそかにして、気に入った動きだけ練習していても、我流になってしまう恐れもあるばかりか、技も体軸も身体の芯も身につきません。両方とも大切にして稽古をしないと必ず限界がくると思います。」(p126)

僕は合気道を始めてちょうど10年になる。山梨で初めて、途中から週2,3回はコンスタントに通い、山梨を離れる時には二段まで頂けた。そして、姫路に引っ越してきて、こちらの合気会道場にお世話になっているが、子育ても大変だったので、なかなか稽古に取り組めなかった。で、今年から本腰を入れようと思った矢先に、コロナ危機で3ヶ月以上稽古が遠ざかっている。その間に岡本師範の本を読んだ時に、僕自身が「限界」を感じてモヤモヤしていたと気づかされる。「形を何度も反復して練習した結果、その形しかできなくなってしまった」のは、まさに僕自身だったし、その結果として「技も体軸も身体の芯も身につ」いていなかった。だから、自分自身でも、合気道への情熱が消えかけていた。

しかし、岡本師範は「動きの形ではなく、動きの機能を見てもらいたい」と伝え、「私たちが学び伝承していかなければならないのは師の表現方法ではなく、技の本質と原理であ」るという。動きの機能=技の本質と原理を観察し、それを自分で出来るように練習していく。形が一応最低限身についたからこそ、動きの機能を洞察していく。それが、コロナ危機直前になって、稽古がちょっとずつ面白くなってきた、そのことをズバリと表現している部分だった。

そして、これは合気道に限ったことではない。

僕の本業につなげてみても、論文の形を再現出来るようになったところで、伝えたい内容の本質と原理を洞察して、それを言語化しない限り、つまらない業績作りのためだけの論文になってしまう。もちろん、最低限の文章の形を覚えることは、研究者の入り口としては大切だ。でも、大切なのは研究対象やテーマと自分が向き合う際、自分自身の中心と軸をぶらさず、対象・テーマとの間で旋律を奏でながら、流れを生み出し、流れを導いていく必要がある。それが出来た文章は、論文であれ、書籍であれ、対象と自分の呼吸が合うことで、無理のない形で論理が動き、実感が読者にも伝わる。僕が力みすぎては、伝わらない。あくまでも、対象やテーマとうまく呼吸を合わせ、流れを大切にする。その流れを阻害しない形で、僕は本質や原理、機能を、そのテーマの中で落とし込んでいく。それが決まると、多くの読者に届く文章が生まれてくる。

稽古が再開されたなら、僕も一から動きの機能や技の本質と原理を洞察し、それを稽古の中で一つ一つ仮説検証し、身につけていきたいと心から思う。そして、普段の日常生活の中でも、仕事や子育てでも、それぞれの動きの機能を観察し続ける感度を持っていたいと思う。そう思うと、稽古のない中でもできる稽古テーマを与えて頂いたのかも、しれない。