優先順位を入れ替える(caring withその2)

オランダの子育ての本を2冊読んだ。ワークライフバランスの違いについて学ぼうと思ったのだが、読んでいて、生き方や価値前提の違いなのだ、と思い始めている。

『世界一幸せな子どもに親がしていること』

『オランダ流ワーク・ライフ・バランス「人生のラッシュアワー」を生き抜く人々の技法』

①はオランダに移住した、アメリカ人とイギリス人のママが書いた本。②は日本人のママ研究者が、オランダでのフィールドワークやオランダ人へのインタビューをする中でまとめた本。②を読んでいて、もっとオランダの子育てのことを知りたいな、と思っていたら①に出会った。どちらとも、すごく良い本だった。

オランダは、同一賃金同一労働が徹底している。また週あたりの労働時間が短く、週4日勤務の人が男性も多い、というのはネットでも読んでいた。それらがなにを意味するのか、は2冊の本を読んで、よくわかった。夫も妻も、生産性至上主義に、それほど染まっていないのである。

②の本に出てくるママのインタビューで興味深いフレーズがあった。「ここはスウェーデンではないのだから」(大意)。スウェーデンでは、子どもは1歳になったら保育所に預けることが権利として認められ、国も義務として必ず受け容れなければならない。だが、オランダのママは、1歳で週5日も保育所に「入れたくない」という。小さいうちは大変だから、週3日の保育園でも十分頑張っている。後の二日は、パパかママのどちらかがみればよい。そのため、夫も週4日勤務にして、土日以外のあと1日を「パパの日」として子どもと一緒にいる、という。ただ、銀行員とか医者とか、現地のエリートは、週4日労働の代わりに、働く日は9時間とか10時間働いている人もいる。一方女性は、子どもが小さい間は週3日勤務の人が割と多い、そんなことが②に書かれていた。

一方、①の本から学んだのは、イギリス人やアメリカ人との価値観の違いだった。著者二人はイギリスやアメリカの弱肉競争的価値観の中で育ち、ある程度勝ち抜いてきた。だから、子育てや教育においても、「完璧なママでなければ」とか、「子どもに最善の教育をしたい」という完璧願望を持っていた。でもそれって他者と比較し、勝ち負けを競うやり方であり、何より母親自身を「比較の牢獄」の中に追い込む発想。そういう比較の牢獄から自由になったオランダの子どもは、こういう風に育つと著者達は言う。(p4-5)

・オランダの赤ちゃんはよく眠る
・オランダのこどもは小学校での宿題がほとんどない
・オランダの子どもは自分たちの話をきちんと聞いてもらえる
・オランダの子どもは保護者と一緒でなくても外でのびのびと遊べる
・オランダの子どもは家族と一緒に定期的に食事をとっている
・オランダの子どもは両親と過ごす時間がたくさんある
・オランダのこどもはお古のおもちゃでも大喜びする。小さな幸せを感じるうことができる。

ここに書かれているのは、親子の関わり方の違いであり、そういう違いを生み出すのは、親の価値観の違いである。このオランダの実践の逆を書いたら、こんな風になる。

仕事での成果を第一義に考えすぎると、子どもと一緒にいる時間が減るし、話はゆっくり聞けないし、ご飯も別々の時間になる。その中で、稼ぎはあっても時間がないから、次々と新しいおもちゃを買い併せて埋め合わせたり、スマホやゲーム、テレビを育児マシーンとする。また、子どもも弱肉強食的な価値観で勝ち抜くために、宿題をさせ、よりよい学校に入れようと必死になる。子育ては楽しくない。

これは、イギリスやアメリカ、だけでなく、日本だって同じような構造だと思う。

一方、オランダに限らず、日本でも「仕事の成果を第一義に考えすぎる」という命題を外すことができれば、かなり色々変わりそうだ、ということもわかっている。でも、日本ではなかなか難しい。それは、同一賃金同一労働が徹底されていないからであり、非正規労働者の権利が保障されいないからであり、職場の働き方改革がなされていないからである、という理由は沢山思いつく。確かに、それらも勿論大きな要因だと思う。でも、その一方で、僕たちの「労働」への認識とか、価値前提の有り様にも、大きな比重があるように思う。

僕は、子どもが産まれるまでは、強迫観念的に、というか、仕事依存症的に、働いていたと思う。博論の公聴会で、論文や学会発表の数の少なさを批判されて以来、”publish or perish”を自分の中で言い聞かせてきた。「書かないなら、立ち去れ」という恐ろしい警句は、アメリカのアカデミズムの世界で言われている業績競争の常套文句である。2005年に大学教員になれた後、必死に勉強し、あちこちに調査に出かけ、書きまくってきた。あれから14年で単著3冊に編著も数冊、論文やその他の文章も沢山、書いてきた。講演も研修も、しまくっていた。前任校では、全国的に有名な政治学者の次に、外での仕事が多かったと思う。そうやって、あちこちから呼んでもらえることを、密かに誇りに思っていた。

でも、そんな働き方をするから、子どもができなかった。長い間不妊治療を続けていたが、今なら夫の多忙すぎる生活や仕事のストレスが不妊の大きな要因であったとわかる。そして、子どもが産まれてみると、ちゃんと子どもと向き合おうとするなら、こんな仕事詰めではとても無理である事もわかった。

だから、仕事を大幅に減らした。外の仕事は、かなり断った。出張は原則日帰り、長くても1泊2日まで。懇親会はほとんどいかなくなった。仕事が終わるとあっという間に家に帰るようになった。「18時までに家に帰って子どもを風呂に入れ、夕飯を作る」という黄金律を守るためなら、タクシーや新幹線も、躊躇なく使うようになった。土日の休みは、何とか確保しようと思うようになった。平日の朝か夕方に、子どもと近所の公園に散歩に行く日も、なるべくつくり出そうとしている・・・

実につまらない卑小なことを書いていると思われるかもしれない。でも、僕にとって、こういう「仕事における、しないこと」を増やすことは、それまでの価値前提を覆すことであり、身を切るような価値転換だったのだ。それまでは、断ることがへたくそで、何でも引き受けていた。自分が必要とされているなら、役に立てるなら、仕事を通じて学べるなら、と、断らなかった。でも、そういう働き方は、24時間の見守りや関わり(=ケア)を必要とする子どもの前では、全く通用しないやりかただった。

親しく議論させて頂いている深尾葉子先生は、そのことに関連して、「プライオリティ異常」という視点を教えてくださった。優先順位を間違えることで、歪みや偏りが生じる。真っ当な暮らしを続けたければ、優先順位に着目し、その異常な優先順位をただすことが大切だ、と。

子どもが産まれてからの2年半でしてきたことといえば、僕の中の仕事至上主義という価値前提を、何とか優先順位から引きずりおろすことだった。そして、それは全く容易なことではなかった。そして、この価値前提を見直す中で、生産性至上主義という、僕が信念体系の一部として空気のように受け容れていたものが、ぐらぐらと揺らぎ始めた。(たぶん、つづく)

caring withの社会へ

子育てをするようになって2年半。ケアへの関わりによって、僕は自分がこれまで経験したことのない世界に突入しつつある、と感じている。

障害を持つ子どもを授かった母親達のセルフヘルプグループを訪れた際、障害受容や子育てにおいて「自尊心が崩壊するような経験」があった、と皆さん異口同音に語っていた。それは、子どもに障害があることでの自尊心の崩壊、ではない。それまでの、自分の思い通りに生きてこられた出産前とは違い、か弱くて、全てを親に頼らないと生きていけない生命を前にして、必死でどうしたらよいのだろう、と子どもと模索しているのに、夫といえばこれまでの「思い通り」の生活を続けようとして、妻には部分的にしか協力してくれない。子どもの将来だけでなく、日々の暮らしで切羽詰まって「いま・ここ」の問題で最大級の不安や心配事を抱えているのに、夫は「俺は外で稼いでくるから」と取り合わない。「世間の夫に比べて、結構家事や育児をしているのだから、合格点だ」と独り決めしてしまう。そして、妻との間に埋めがたい溝ができる。

これは、子どもに障害があるなしに関わらず、小さい子どもを持つ家庭あるある、なのだと思う。そしてそんな話をすると、「うちもそう」と共感してくださるママ達の話を聞く機会も、少しずつ増えて来た。子育てを巡る妻と夫の価値観のズレが最大化しつつあるとか、その結果離婚に至ケースもあるとか。

僕は、この背後には「生産性至上主義」の歪みがあるように、感じ始めている。新自由主義的な自己決定・自己責任論が、個人の価値前提になりつつあるのがこの30年ほど。資本主義社会で「生き残る」ためには、いかに効率的で効果的に働くか、が労働主体には徹底的に求められている。だが一方、ケアには効率性や効果性があてはまらない。例えおむつ交換や食事作りの時間を短縮しても、かまってほしい子どものニーズを「効率化」することはできない。子どもは、そういう効率性なるものをなぎ倒すように、風邪を引き、だだをこね、泣き叫び、いたずらというなの試行錯誤をする。「いま・ここ」の私に向き合って、と全身で主張するかのように。

そして、しばしば多くの場合、母親はその主張と向き合わざるを得ない。これは父親だって当然良いのだが、父は「どうしてもしなければならない仕事があるから」と「逃げる」ことが可能である。でもほんとうは、「いま・ここ」の子どもに向き合うことだって、「どうしてもしなければならないこと」なのである。しかし、それを妻に押しつけることで、夫は自分でコントロール可能な「どうしてもしなければならない仕事」に逃げ込むことができる。その中で、生産性を巡る戦いに残り続けることができる。しかし、「いま・ここ」の私に向き合って、と全身で主張されたケア提供者(=しばしば母)は、自分のしていることを放り出して、子どもと向き合わざるを得ない。そのため、ケア提供以外の事が全くできなくなる。それまで当たり前のように出来ていた・継続していたことも、全て中止・延期・先送りする必要がある。すると、それまで積み上げてきた「自尊心」なるものが、音を立てて崩壊していく。

ついでに言うと、「自尊心の崩壊」とは「絶対的孤独」の別名でもあるのかもしれない。「いま・ここ」で危機が生じているのに、十分に助けてくれないだけでなく、「俺も忙しいんだ」「子育てはおまえの責任だ」「他の母親だって乗り越えている」「大変な時期ってごくわずかな期間だ」などと、問題が矮小化されたり、聴いてもらえなかったりする。こんなに苦しい、つらい、という「いま・ここ」の経験が、理解も共感もされることなく、「私には関係ない」と切断される。心配事や不安ではち切れそうな場面で、それを和らげたり解放するのではなく、逆に極度に不安を高めて、追い詰める。そんな「絶対的孤独」のプロセスの果ての、「自尊心の崩壊」。

そして、さらに一歩進めると、これは夫婦間の問題に矮小化されてはならない話だ、と思う。「いま・ここ」での夫婦間の危機は、一見すると個人の問題に思える。でも、夫が「俺も仕事で忙しいんだ」「子育てはおまえの責任だ」と言うとき、夫の価値前提の中には、「そうしないと職場で生き残れない」という「思い込み」がある。その「思い込み」を免罪符にするつもりはない。でも、「子育てよりは仕事が優先」と「思い込ませている」のは誰か、を問わずに、個々人の問題に矮小化すると、絶対的孤独はどんどん社会的に再生産されていくと思う。

おそらく、専業主婦であったうちの母親も同じような孤独を感じていたのだと、思う。でも本人に聴いたら「40年前はそれが当たり前だったから」と話す。そう、40年前は性別役割分業が強固な岩盤のように「崩れない神話」だった。その時は、「それ以外の世界はあり得ない」と思い込んで、絶対的孤独をも「そういうものだ」と「宿命」として受け容れざるを得なかったのだと思う。でも、40年後の今、性別役割分業は鉄壁ではない。オランダに代表されるように、仕事とケアの分担時間を平準化・平等化していく流れは世界的に「当たり前」になりつつある。日本だって、まがりなりにも育児休業を男性もとれるようになり、「イクメン」なる言葉も出てきた。僕が子どもと町中に出かけても、そういう「ご同輩」のお父さんと出会う機会も増えた。

だからこそ、絶対的孤独がかえってきわまる。宿命でもないのに、どうして私だけが自尊心の崩壊状態に追い込まれるのか。一緒に暮らしているパートナーは、なぜ以前の生活を継続できているのか。私だけ、なぜ「どうせ」「しかたない」の宿命的状況に陥っているのか。こういう問いが、さらに個々人を追い詰めて、絶対的孤独が深まり、パートナーの関係が悪化し、別居や離婚なども考えざるを得ない状況になる。

だからこそ、これからの日本社会で必要なのは、ケアを共にする社会であり、caring withの社会であると思う。今の日本社会は、ケアは誰かに押しつけられる、caring aboutな社会だった。でも、あなたとわたしが、ケアを共にすることによって関係を深めていく、caring withの社会であれば、絶対的孤独にも、自尊心の崩壊にも陥られない。ただし、そうするためには、ケア関係を協働するために、働き方、生き方を変える必要がある。

このcaring withの考え方は、トロントのcaring democracyを読んで以来、ずっと頭の隅にある。で、少しずつ言語化しようと思い始めているので、 備忘録的に、ブログに何回か、書いてみようと思う。(たぶん、つづく)

「学力」観についてのメタ議論

新書で骨太なものに出会うと、読んでいてこちらもパワーをもらえる。連休中に読み終えたのも、メリトクラシー(能力主義)をその土台から考え直す良書。

「メリトクラシーを標榜する社会においては、抽象的システムに該当する学歴が貨幣ないし専門的知識を示すものとして提示される。しかしながら、抽象的システムそのものの内実(本当にその学歴を持った人はその地位に就く能力のある人なのか)を私たちはいちいち確認するわけではなく、また確認することは現実に容易ではない。したがって、そこには『学歴信仰』のようなものを含む形で、学歴を信頼してなんとか日常を回していることになる。しかしながら、上述のように、そのような抽象的システムそのものにも再帰的まなざしは向けられていく。だからこそ、私たちは学歴社会を批判し、入学者選抜や資格試験などの現状のエリート選抜の方式を批判することが日常的になるのである。」(中村高康『暴走する能力主義』ちくま新書、p157-158)

学歴は貨幣と同様に、抽象的なものであり、その学歴と引き替えにあるポジションに就くことができるなら、交換条件でもあるという点で貨幣に似ている。だが、貨幣については、1万円札の製造コストがいくらである、とかそのクオリティはどうか、などを問わないことを共通の前提として人びとが了解している。なぜなら、交換することに意味があり、金と違って、その紙幣・硬貨そのものの質や精度に価値をおかず、さらに言えば貨幣そのものでなく、その貨幣を発行する中央銀行や国のシステムへの信頼が前提となっているからだ。だから、国の信用がなくなったら、ハイパーインフレが生じる。

一方、能力に関しては、そのような中央銀行や国のような担保機関が存在するわけではない。また、貨幣と違って一元的・線形的に評価することもできない。すると、「振り返って問い直す」という意味の「再帰性」が強まる後期近代社会においては、「学歴社会を批判し、入学者選抜や資格試験などの現状のエリート選抜の方式を批判することが日常的になる」というのだ。これは、ここ15年近く大学教員をしていても、痛感することである。そしてこの本の魅力的な所は、それを文科省や政治家の問題、とせずに、社会学者ギデンズの論を踏まえながら、これは(後期)近代社会固有の問題である、と喝破するところである。

「伝統とは世襲的・血縁的な地位の継承原理であった。これがあれば、さしあたり、『なぜその人がある地位につくのか』とうことは説明を必要としなかった。『伝統』だからである。しかし、そのロジックが通用しなくなった社会では、『なぜその人がある地位に就くのか』を理由づけることがその都度求められることになる。つまり、再帰的にモニターされるようになるのである。そこで有効な説明道具となるものが『能力』となるのでメリトクラシーが普及拡大していくのだが、実のところこれは容易に測れない性質のものであるがゆえに、地位配分原理の決定的な理由づけとはなりえない。そのため、能力をめぐる再帰的モニタリングが際限もなく続いていくことになる。これが、近代におけるメリトクラシーの再帰性の基本ロジックなのである。」(同上、p147)

「伝統」「世襲」「血縁」のような理由が根拠を失うと、それ以外の根拠が必要とされる。「そこで有効な説明道具となるものが『能力』となるのでメリトクラシーが普及拡大していくのだが、実のところこれは容易に測れない性質のものであるがゆえに、地位配分原理の決定的な理由づけとはなりえない」。そう「『伝統』だから」というのは、問いを挟む余地を残さない・許さない、「決定的な理由づけ」である。でも「能力だから」と言われたら、当然その能力に関しての問いは生まれる。しかも、「容易に測れない性質」であり、IQが高くても、高学歴でも、それが眼の前の仕事に適切に対処できるか、と言われても、一致しないことがしばしばあることも、多くの人の間で共有されている。だからこそ、「振り返って問い直す」という意味での「再帰的モニタリングが際限もなく続いていく」。しかも、ギデンズによれば、グローバライゼーションが進んだ現在は、ポストモダン(近代の後)、ではなく、「モダニティの徹底化」(p148)と捉える。ということは、この「能力をめぐる再帰的モニタリング」も「徹底化」されていく。これが、近年のセンター試験の改変だの「新しい学習力」だの、あるいは大学への競争的資金配分だの、という矢継ぎ早の改革の背後にあることも、頷ける。

しかも、このような「モダニティの徹底化」によって、そもそも「能力」に基づくアイデンティティも何度も何度も再帰的に問い直されるため、そのことに関連した不安である<能力不安>が生じる。それに対応するのが、偏差値である、という。

「偏差値は、メリトクラシーの再帰性の観点から言えば、選抜が大衆化したときに、<能力不安>も大衆化するために、そうした不安を抱える多くの生徒達に自己能力への再帰的モニタリングを強力に手助けするための情報提供のツールとして、導入され普及したと考えることができるのである」(p186)

僕が昨年まで、13年間お世話になった山梨学院大学は、偏差値上では「Fランク」と受験産業が勝手に決めつけている。これは、最低ランクであり、倍率が低くて偏差値が算出できないが故に、「誰でも入れる(ボーダーフリー)大学」とバカにされる対象である。でもその大学で学生達と接していて、「Fラン大学は学級崩壊」とかネット上の批判は全く当たらない、と感じていた。意欲的な学生も多く、ゼミなどでも真摯な問いや本質的な議論が出来ていた。そして、今思えば偏差値的な格付けをそれほど気にしていない学生も、少なくなかった。そういう意味では、今勤めている県立大学の学生さんの方が、「自己能力への再帰的モニタリング」への強迫観念は強いのかもしれない。

そして、前任校時代に「自己能力への再帰的モニタリング」に関して、文科省が出してきた政策への問いとして、「『L型』枠組みを疑うメタスキル」というブログを書いたこともある。その時にはわかっていなかったが、このような「L型G型」という二項対立軸の提示の背景にも、「能力不安」とか、「自己能力への再帰的モニタリング」への強迫観念があったのだ、と整理することができる。ああいう変さを、あのときは論理的に言えなかったが、この著者はギデンズの言葉を見事に用いている。あれは「同じパターンの行動の繰り返し」により「同じ状態であり続けられる」ことを容易に確認するための、「一種の不安解消の一つのあり方」「嗜癖(しへき)」である(p179)、と。

「偏差値も、通塾と同様に、それを求めずにはいられなくなりながらも、能力アイデンティティと<能力不安>を恒久的に安定化あっせるものではないという意味でも嗜癖的である。戦後教育をめぐる議論において、これらの現象が病的とみなされてきたのも、決して根拠のないことではないのである。」(p187)

この整理を読むと、今の文科省や財務省、政治家や経団連が教育改革に口だしし続けることとも、「自己能力への再帰的モニタリング」への強迫観念に基づくある種の「嗜癖」だと納得する。あの「L型G型」の整理も、一見すると論理的な「ふりかけ」はまぶしているが、決して論理的には思えない提言である。なぜそれを大声で叫んでいるのか、と不思議だったのだが、「それを求めずにはいられなくなりながらも、能力アイデンティティと<能力不安>を恒久的に安定化させるものではない」という、信じたい価値前提を根底から揺るがすような、ギデンズのいう「存在論的不安」に蓋をしたいがゆえの対応策である、と言われたら、すっと了解できる。メリトクラシーの揺らぎの中で、自らが培った能力やアイデンティティが高く評価され続ける、という意味での、「同じ状態であり続けられる」ことを担保する「一種の不安解消の一つのあり方」に「嗜癖」的にのめり込んでいく。これが、教育改革への多くの人ののめり込みの背後にあるのだ、と。

では、どうすればよいのか。これからの社会に必要な能力とは何か、という問いに、筆者は単刀直入に「それは簡単にはわからないこと」(p236)と言い切る。「簡単にはわからないこと」なのに、わかったフリをして、あれこれいじり倒すのは、嗜癖的であり、存在論的不安を一時的に解消するが、本質的な解決策には導きにくい。

だからこそ、大切なのは、このような『暴走する能力主義』の構造的特質を理解することが大切なのだ、と感じた。これは、手前味噌ながら、僕が5年前に書いたブログのタイトルでもある「『L型』枠組みを疑うメタスキル」そのものでもある。こういうメタスキルを養い、「メリトクラシーの再帰性」を問い直すことこそ、やはり大学教育で必要とされている重要なことではないか、と感じている。

「ゼロ時間契約」の現実

アマゾンやウーバーで働く労働者の過酷な現実が書かれているという触れ込みの本を買ってみたら、意外な職業の話が載っていた。

「縮小していく社会福祉予算の一部を奪い合う介護事業者間の争いは、“底辺への競争”につながった。多くの場合、介護スタッフは不安定なゼロ時間契約のもと、雀の涙ほどの賃金で働くことを余儀なくされている。かくして訪問介護の業界では、電光石火の超短時間訪問がいまや標準的になった。地方自治体の予算配分の削減によって、そもそも低水準だった介護の質はさらに悪くなっていった。介護スタッフの雇用条件に大きな影響があったのは言わずもがな、彼女たちが世話を担当する社会的弱者に影響が起こった」(ジェームズ・ブラッドワース『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』光文社、p134)

筆者は、新自由主義的な価値観を労働者に強いるグローバル企業で働くこととはどういうことか、をフィールドワークの中から探るべく、アマゾンの倉庫やウーバータクシーの運転手、コールセンターなどで実際に働き、その賃金だけでその間生活する体験をし、その中で出会った労働者達の生の声と自らの経験を踏まえながらルポしていく一冊である。面白いのだが、現代絶望工場のような内容に読んでいてゲッソリするような、そんな一冊である。そして、その最低賃金労働の現場の一つとして、訪問介護も取り上げられていた。

「ゆりかごから墓場まで」という言葉を覚えている人もいると思う。イギリスは第二次世界大戦中の戦争国家(war state)の時代に、戦後は福祉国家(welfare state)を目指すとして国民の士気高揚を図った、とされている。国民保険のNHSは医療費がただであり、医療も福祉も公務員が提供するのが主軸だった。だが、労働組合との死闘の戦いに勝利したマーガレット・サッチャーは「社会など存在しない」と言い放ち、民営化・市場化を推し進めていく。この本の中では、元炭鉱労働者達がこの30年でいかに没落していくか、そして産業が空洞化になった街にアマゾンやコールセンターの移転がどのように歓迎されたか、そして現実には雇用だけでなく搾取をどれだけ生み出していったか、が書かれている。

「マーガレット・サッチャーが炭鉱夫の労働組合を攻撃したとき、多くの人は屁とも思わなかった。けれど結局、この国で働くすべての人に影響が及んだ。そして、その影響は今日までずっと続いている」(p328)

介護業界もご多分にもれず。1990年台以後の、予算カットと民営化・市場化が急速に進んでいった。それによって介護労働者とケア対象者双方にどのようなしわ寄せがきているのか。

「成人向けの社会福祉の分野では、仕事のおよそ4分の1がゼロ時間契約によるものだった。ケアウォッチの契約書の数ページ目には、ゼロ時間契約が何を意味するのかがきわめて明確に書いてあった。『仕事を提供できない時間が発生した場合においても、ケアウォッチは貴方に賃金および賃金を与える義務を負わない』
会社はいつでも好きなときに、私たちスタッフを仕事に派遣することができた。しかし同じように、素っ気ない一本の電話によって、その週には何も仕事がないと知らされることもあった。それがこの仕事の核となる部分だった。」(p110)

「仕事を提供できない時間が発生した場合においても、ケアウォッチは貴方に賃金および賃金を与える義務を負わない」というのがゼロ時間契約の本質である。企業にとっては「労働の柔軟性」に適した契約であり、労働者にとっては、不安定極まりない労働契約である。会社側の都合で、いつでも人員整理が出来るし、ゼロ時間の契約なのだから、社会保険についても個人負担が原則になる。会社側は「柔軟な働き方」だと強調するが、契約書にはこんなことも書かれていたという。

「弊社のための業務遂行に悪影響があると判断した場合、ケアウォッチは業務の提供を中止することができる」「この雇用に適用される団体協約はない。ケアウォッチはサービス提供を円滑に行うため、労働組合の活動をいっさい認めない」(p111)

あくまでも企業の論理に文句を言わず従順に従うことが求められている。そして、労働者たちが連帯して組織を作り、組合活動を行うことは、企業側が考える「サービス提供を円滑に行う」ことと相反するので、ゼロ時間契約をする時点で、認めないと宣言する。これは、現代の奴隷労働である。アマゾンであれ、コールセンターであれ、ウーバーであれ、このような類似の実態がある、という。つまり、職種の違いではなく、労働者を徹底的に管理支配することにより、企業側の都合に柔軟に従わせる、そういう労働契約を結んだ労働者が、新自由主義的な政策と相まって、この20年でイギリスでは激増したことを物語っている。

当然、このような労働の質であれば、ケア対象者へのしわ寄せは出てくる。

「多くの介護士は最低賃金で働いている。在宅介護の訪問は通常、20分という枠のなかで行われる。ある家への訪問が終わるなり、彼女(高齢者向け社会福祉介護士の80パーセントが女性)は大慌てで家を出て外に止めた車に急ぎ、次の家の次の約束へと車を走らせる。彼女が働く会社はおそらく、地方自治体に代わってこの一連の作業を最低価格で引き受けているはずだ。費用対効果をなんとか高めたいと願う会社は、短い時間でより多くの尿道カテーテルを空にし、より多くの尿取りパッドを交換しようとする」(p133−134)

日本では介護保険法や障害者総合支援法の中で、報酬単価が決まっている。地方自治体には予算決定権はなく、中央統制された標準価格が設定されているので、イギリスほどひどいことにはなっていない。だが、介護報酬が切り下げられたり、準市場化によって誕生したコムスンなどの営利企業が売り上げ至上主義に走った後に国によって潰されたり、と、イギリスのリアリティがとても対岸の火事に思えない現実がある。政府は「人手不足」を理由に、「ゼロ時間契約」のような「より柔軟な労働」を、人材派遣会社の会長でもある御用学者を通じて経済財政諮問会議に載せて通す可能性も、ゼロではない。

この本の著者はまとめとして「拡大する消費者階級が別の階級に命令する自由」ではなくて、「誰もが人並みの生活を送ることができる自由」こそが重要だと説く(p330)。それは、アマゾンやウーバーを使いこなし、より安いものをお得に消費するけれども、そこで消費されている低賃金労働者という「別の階級」との分断には目をつぶる、そういう階級社会が良いものだろうか、という大きな問いがある。どんな労働をしても、ケアする側もケアされる側も、「誰もが人並みの生活を送ることができる自由」を取り戻す。そのための、階級を最小化するための社会的連帯や闘争が必要なのかもしれない。それは、介護労働の現場を見ていても、強く感じる。

*ちなみに惜しむらくは、著者は6週間という取材期間の間に、警察の無犯罪証明を取得できなかったので、介護現場での実際の労働はインターンでしか働けておらず、その取材内容が、アマゾンやウーバー、コールセンターに比べて、極めて限定的だった点であることも、付記しておく。

魔女狩りと資本主義

風邪をどっぷりひいた。一度治りかけて、さらにぶり返して、10日ほどかけて、冬の毒素を出し切ったようだ。で、こういうときにしか、読めない本もある。こないだジュンク堂難波店でイベントをしたのだが、その際に表紙が飾られていて、「おいで、おいで!」してくれていた大著。ヨーロッパの魔女狩りと資本主義の誕生の関連性を見事に描く一冊だった。

「ちょうど囲い込みが農民から共有地を奪ったのと同じように、魔女狩りは女性からその身体を奪ったのである。こうして女性の身体は、それが労働力を生産するための機械として機能することを拒むいかなる障害からも『解放された』。火刑の恐怖は、共有地の周りに巡らされたどんな柵よりも手ごわい障壁を女性の身体の周りに築いたたのだ。(略) 魔女狩りは、女性が生殖の管理に用いてきた方法を悪魔的手段と断罪することを通じて破壊し、女性の身体を労働力の再生産へ従属させる前提条件として、それを国家の管理下におくことを制度化したのは間違いない。」(シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女』以文社、p296-297)

前提として、共有地があった時代、小作農はその後の農民に比べて豊かだったという。農民達は協力して、領主にも対抗していた。で、中世以前の農民は、ワインを飲んだり肉を食べたり、栄養状態も中世よりも豊かだだったという。だが資本主義化が進む16世紀に共有地が「囲い込み」をされ、土地の私有化と個人の労働契約が進む中で、農民の間での連帯や協働が廃れ、社会的結束も瓦解していく (p114)。

農民の「共有地」を奪った後、支配層がターゲットにしたのは、女性であった。男性支配の教会主義論理に抗して、売春や避妊など、性的な管理を自らで行っていた女性達。そして、そういう女性を薬草(ハーブ)などを用いてサポートした助産師という女性ネットワーク。こういう存在は、神の代理人としてすべての存在を支配したい聖職者にとって、最大の目の上のこぶ、であった。このようなアンコントローラブルな女性を「魔女」とラベリングすることによって、「女性が生殖の管理に用いてきた方法を悪魔的手段と断罪することを通じて破壊し、女性の身体を労働力の再生産へ従属させる前提条件」が出来てきたのである。そのおかげで、次のような帰結に至る。

「女性が賃金労働者としてこうむってきた差別は、家庭内で担わされてきた不払い労働者という役割に直接起因するということを理解できるよりよい位置にいる。したがって、売春の禁止、そして組織化された職場からの女性の締め出しを、主婦の誕生、そして労働力再生産の中心地点としての家族の再構成に関連付けることができる」(p160)

女性が農業や売春など、自らの労働の対価を得る仕事に就くことを禁じる。そのタブーを破ったもものは魔女として火炙りにすることにより、その規範を強制する。これが、労働力再生産を無償で行う「専業主婦」誕生の背景にあった。さらに、女性を賃労働から閉め出し、主婦にしかなれない状況に構造的に追い込むことによって、家父長制を実現し、「労働力再生産の中心地点としての家族の再構成」を実現するに至るのである。「魔女」として排除されたのは、「不払い労働」や「労働力を生産するための機械として機能することを拒む」自律・自立的な女性であった。

「魔女狩りは女性に対する戦争であった。女性を格下げし、悪魔化し、そしてその社会的な力を破滅させるために一致して企図された戦いであった。それと同時に、魔女が命を落とした拷問部屋と火刑台で、ブルジョアジーが理想とする女らしさと家庭生活がねつ造された。」(p299−300)

従順な女性、という「ブルジョアジーが理想とする女らしさ」は、火刑台や拷問部屋いう物理的・精神的暴力の行使を伴って、「再構成」された。女性が「魔女狩り」という「女性を格下げし、悪魔化し、そしてその社会的な力を破滅させるために一致して企図された戦い」に破られて、男性支配の論理し馴致させられていくのが、魔女狩りプロセスそのもの、だったのである。

「魔女狩りの煽動においてより重要だったのは、中世末期にヨーロッパのエリート達が描いた、彼らの政治的・経済的な力を脅かしつつあったひとつの存在様式全体を根絶せねばならないという欲求であった。この課題が達成されると−社会的規律が取り戻され、支配階級がそのヘゲモニーが確かなものになったと知ると−魔女裁判は幕を閉じた。魔女魔術を信じることは、むしろ嘲笑の対象隣、迷信と非難され、まもなく記憶から追い出された。」(p332)

「一つの存在様式を根絶せねばならないという欲求」。これは、後の章で植民地支配のために「インディアン」をはじめとした先住民を「根絶」したプロセスと全く同じであると筆者は主張する。つまりヨーロッパ人は、中世で自立的女性という「一つの存在様式」を「魔女狩り」を通じて「根絶」することに成功した後に、植民地支配によって、アフリカやアメリカにおいて同じように別の「存在様式を根絶」するプロセスを、聖職者を用いて続けてきたのである。植民地支配のプロセスは、女性支配のプロセスから始まっている、というのを様々な文献を積み重ねながら整理していったのだが本書の刮目に値する主張であり、マルクスやフーコーは主題化出来なかったテーマである、と筆者はまとめている。

ちなみに、シェイクスピアの『嵐(テンペスト)』の登場人物でもあるキャリバンに込めた意味を、著者はこんな風に書いている。

「ここでのキャリバンは、私の解釈では、植民地主義に抗する反逆者−その闘争はいまなお現代のカリブ海文学に反響している−を表象しているだけでなく、世界のプロレタリアートの象徴であり、さらに厳密に言えば、資本主義の論理に対する抵抗の領域・手段としてのプロレタリアートの身体の象徴である。もっとも重要なことは、『嵐(テンペスト)』では後景に退けられていた魔女の姿が、本書では資本主義が破壊しなければならなかった女性の主体−異端者、治癒者、反抗的な妻、一人で生きることを貫こうとした女性、主人の食物に毒を入れ奴隷に蜂起をそそのかした呪術使いの女性−の世界の体現者として、舞台の中央におかれていることである。」(p12-13)

資本主義の論理に対する抵抗の象徴としての「キャリバンと魔女」。資本主義が魔女狩りを通じてその存在様式を根絶したかったのは、「異端者、治癒者、反抗的な妻、一人で生きることを貫こうとした女性、主人の食物に毒を入れ奴隷に蜂起をそそのかした呪術使いの女性」といった、自律的で主体的な生活者だった。これはまさに家父長制が作り上げられる中での、魂の植民地化プロセスを描いた名著でもある。そして、男も女も嵌入している、この魂の植民地化プロセスからどうすれば脱出することができるのか。そういう重要な問いを残してくれる一冊でもある。

追記:この本には中世のたくさんの絵画が挿入されている。象徴としての女性がどのように描かれているかの変遷を見る中で、男性の女性嫌悪(ミソジニー)が実に象徴的に描かれていることもわかり、当時の絵画の果たした啓蒙的役割を重ね合わせると、絵を見ているだけでも、色々なことを想起させてくれて、「お得」な一冊でもある。

型破りな「入門」書

三井さよさんからご恵贈頂いた『はじめてのケア論』(有斐閣)を読む。はじめに「本書は、すでにわかっていることを整理した『教科書』というよりも、『これからを考えるための材料』を私なりに用意したものになっている」(pⅱ)と書かれていたが、「はじめての」と題した本で、ここまで型破りに突き進むとは、良い意味で思っていなかった。

読みやすい文体なのだが、後に進めば進むほど、その問題を「はじめての」で遡上に載せるんだ!とびっくりする話題もどんどん提供していく。そして、三井さん自身は、なるべく落ち着いたトーンで書くのだが、ご自身のモヤモヤをしっかり言語化されていて、それが本書を貫く基調にもなっている。例えばちょっと長いけど、このエピソードが一番象徴的に僕には感じられた。

「あるとき私は、知的障害の人と一緒に行動していたのだが、その人がふいに店に入って商品を壊してしまった。同じようなことはそれまでにも何度かあり、それまでに出会ってきた店員は、慌てふためいて止めたり、『買ってからにしよう』と説得したりする私を見て、本人に対して『そうだよ買ったらいいんだよ』と言ってくれることが多かった。だがその日の店員は違っていて、『金を払えばいいって問題じゃないんだよ』と吐き捨てるようにいった。私は真っ赤になってしまい、ペコペコと謝りながら店を出たのだが、あとから考えると、もっと違う態度があったはずではないかと思う。まともにいいかえしてしまっては今後の本人の生活が立ち行かなくなってしまうかもしれないが、少なくとも私はそのとき、その場に商品を壊した本人がいることを意識できていなかった。本人がどう感じて、どう思っていたのか、という視点をまったく失っており、ただ自分の失敗を謝っていただけだった。結果的には、私もまたあのとき、あの人への排除に加担していたのではないかと思う。」(p200-201)

目に浮かぶ光景である。そして、僕が三井さんだったらどうするだろう、とすごく考えさせられるエピソードである。店の商品を壊す、しかも一度ではなく何度も。そのとき、慌てて謝る一方で、それを許してくれる店員に救われるであろう自分もいる。そんな中で、「『金を払えばいいって問題じゃないんだよ』と吐き捨てるように」言われたら、僕なら、どうするだろう。真っ赤になるほど怒りながらも、真っ赤になるほど自分を恥じ入ったり・なんとかせねばと必死になって、「すいませんすいません」と「ペコペコ謝りながら店を出」てはいかなっただろうか。後付け的には「もっと違う態度」はいくらでも考えられる。でも、その場で、店員に「おまえ(たち)が悪い」となじられて、実際自分のサポートが足りないという「罪悪感」を少しでも抱いていながら、にもかかわらず、そんなとっさの場面で僕は「その場に商品を壊した本人がいることを意識」出来ただろうか。そう思うと、僕だって「あの人への排除に加担していた」可能性がある。そんなことを気づかされるのである。

そして、三井さんはこのエピソードの後に、「ベースの支援では、こうしたことが繰り返し生じる」と述べている。「専門職のケア(professional care)の『前』と『後』には、生活や日常そのものに内包した支援やケアが必要」(p39)であり、それを「ベースの支援(basic support)」と三井さんは呼んでいる。そして、彼女のケア論の真骨頂は、この「ベースの支援」という屋台骨で、排除/包摂を論じている点である。その特徴を、p57に載せた図に基づきながら、一部抜き出して整理してみる。

「専門職のケア」(前者)は、「危機的事態に際しての介入、または特定のトピックでの介入」である一方、「ベースの支援」(後者)は「利用者の日常生活の中に埋め込まれたかかわり」である。前者では、「失敗」も多いが、「成功」もある一方、後者は「失敗」が多く「成功」を感じることは少ない。前者は一般的・普遍的な知識・技術がメインなので事前教育が重要だが、後者では個別の利用者とかかわりをもってきた時間そのものが重要なのでOJTが重要、という。

これを先ほどの事例に当てはめたら、どんなことが言えるだろうか。この事例も、結果的にはある種の危機ではあるが、「ふいに店にはい」った時のエピソードは、危機介入というよりも、利用者の日常生活の中にうめこまれた事例であり、事実その商品を壊したのは初めてではないということは、まさに「埋め込まれたかかわり」である。そのとき、どのように対応すべきかは「一般的・普遍的な知識・技術」で対応は不可能である。あくまでも、その利用者とお店の関係性や支援者と利用者の「かかわってきた時間」のなかで、どうしたらよいか、を考える術が求められてくる。そして、専門職介入による「成功」よりも、このような後味の悪い「失敗」に至ることも、決して少なくない。だが、三井さんはこの「ベースの支援」における「失敗」にこそ、価値がある、という。

「本当は『失敗』を『失敗』として認知できるというだけでも、そのケア従事者や利用者の相互行為は、すでにある程度『うまく』つながっているともいえる。相手の意思をまったく受け止めていなければ、自らのふるまいがそれに対して応えていないことに気づくこともできないからである。その意味ではここでいう『失敗』とは、ケア従事者と利用者が主観的に感じ取る経験というレベルの『失敗』にすぎない。」(p67)

三井さんは、上記のエピソードを通じて、「結果的には、私もまたあのとき、あの人への排除に加担していたのではないかと思う」と率直に語っている。これは、その利用者のそばにいた三井さんが「主観的に感じ取る経験というレベルの『失敗』」である。だが、彼女自身の言葉で整理し直すなら、「排除に加担していたのではないか」という「失敗」への気づきとは、「『失敗』を『失敗』として認知できるというだけでも、そのケア従事者や利用者の相互行為は、すでにある程度『うまく』つながっているともいえる」のである。このエピソードを通じて、「自らのふるまいがそれ(=相手の意思)に対して応えていないことに気づくこと」が出来たということから、結果的に三井さん自身が「相手の意思」を「受け止め」る努力を重ねてきたことが、僕たちにも理解できる。

つまり、これは「はじめに」でも述べられているが、多摩市を中心として知的障害者の自立生活を支援している「たこの木クラブ」の活動に10年以上関わってこられた社会学者の三井さんが、客観的な外部の研究者というより、その世界に入り込んで、フィールドワーク的に現場経験を積み重ねる中で、ご自身も「ベースの支援」の視点を体得する中で、気づいてこられたことを言語化された、ある種のフィールドワークの成果でもあるのだ。だからこそ、彼女の語るケア論は、理論的な前提をしっかり踏まえているにもかかわらず、必要最低限の理論しか出てこない。むしろ、「ベースの支援」に携わる人の中に一定数おられる「あまり本を読むのは得意ではない」「でも良い仕事をしている・現場でモヤモヤしている」人にも届けようという思いが詰まっている。だからこそ、読みやすい。だからこそ、色々なところで、「自分だったらどうだろう?」という考えるきっかけがちりばめられている。そして、三井さんは「こうすればよい」という「唯一の正解」を本書では示さない。それが、「教科書」を書かないという彼女の宣言であり、でも「はじめてのケア論」をひもとく一冊としては最適でもある、のである。

三井さんは、このような「ベースの支援」における「失敗」を通じて見えてくるケアの課題を、一筋縄ではいかない排除/包摂の議論を丁寧に重ね合わせながら論じていく。その圧巻は、学校教育現場における「特別支援学校/特別支援学級」における排除/包摂の論じ方である(5章)。その子に応じた形での発達を保証するために「支援学校・学級」が必要だという「発達保障派」の考え方と、障害を持つ子どもは他の子どもと「同じ」という前提に立って通常学級での教育を保障すべきとする「共生教育派」の論理を丁寧に辿った上で、「本人のため」と「私たちのひとりとみなすかどうか」(p149)という視点から、「本人のため」という論理は「障害児のことだけを考える論理」である一方、「私たちの一部とみなすかどうあという問題」は、障害児だけでなく、「私たちが私たちをどうみなすかという社会全体の問題なのである」と問いかけている(p150)。その上で、こうも述べる。

「社会学で排除が議論される際には、包摂のありようこそが排除経験を生むということが繰り返し指摘されている。」(p155)

障害のある子にも発達の機会を保障する、という「包摂のありよう」こそが「特別支援学校・学級」への「排除経験を生む」可能性はないか。これは入所施設や精神科病院への社会的入所・入院という「包摂のありようこそが排除経験を生む」というロジックとも同じである。だがその上で、第三者が「安易に質の上下や線引き」をする発想自体が「意味理解の多様性を極度に制限」する可能性もある、とも指摘している(p170)。このあたりの整理はスリリングで、実に福祉社会学的な視点も入っている。そのうえで、両論併記では終わらさず、その後には三井さんのスタンスもしっかり表明されている。が、これを書くとオチなので、それは本書を当たって欲しい。

というわけで、価値論争的な内容も「はじめての」に盛り込んでしまいながら、ケア現場のモヤモヤを中央において、「ベースの支援」を掘り下げ、排除/包摂の視点で、新たな可能性を探る。そういう意味では、『これからを考えるための材料』がてんこ盛りで、ケアに興味がある人向けの入門書としても読みやすくて優れているし、ケアに従事している人、あるいはケアに関わる研究をしている人にとっても、発見や学びの多い一冊である。そういう意味で、ほんまに「教科書」からはかけ離れた、優れた「型破り」の「はじめて」本でおすすめの一冊です。

隣人としての<ヤンチャな子ら>

『<ヤンチャな子ら>のエスのグラフィー』(知念渉著、青弓社)を読み終えた。博論の単行本化で、理論的な押さえもしっかりしていて、エスノグラフィーとしても面白いし、対象も興味くて、何より読みやすい。ゆえに、刊行前から話題で、僕が手に取ったのは初版から1ヶ月後の二刷りである。学術書としては、極めて売れ行きのよい、注目の一冊である。(ちなみに僕の本は5,6年かけてやっと二刷りになった・・・)

でも、そういう下馬評ではなく、読んでみて感じた実感は、「そうそう、この世界、わかる、わかる」という感覚である。30年前の、自分の中学校時代に出会っていた<ヤンチャな子ら>の世界観と地続きの世界が、見事に生き生きと表現されている。そう、僕にとっての隣人としての彼ら彼女らが、この本の中にいたのである。その上で、僕が知らなかった隣人の生活史や内在的論理を描いているのが、僕がこの本の世界に引き込まれた最大の理由である。

以前、『ヒルビリーエレジー』と『CHAVS』を読んだ感想として「階級格差の自覚化」というブログを書いた。この中で詳しく述べたが、僕自身も、京都のダウンタウンで生まれ育ち、中学校には<ヤンチャな子ら>が隣人だった。僕はたまたま猛烈学習塾に通って夜中まで勉強していたので、学校では昼寝ばかりしていた。そういう部分が<ヤンチャな子ら>と同じだったのと、学校の勉強は一応出来たので、そういう<ヤンチャな子ら>に勉強を教えてもいて、彼ら彼女らとクラスでは友好な関係を結んでいた。だからこそ、この本を読みながら、何人ものクラスメイトの顔が浮かんだのだ。

その上で、既存のヤンキー研究とこの本の決定的な違いは、「フィールド調査から見いだされたヤンキー集団の内部の階層性や複数制、そしてそこに社会空間の力学が作用している」(p221)という点をあぶり出している部分だ。<ヤンチャな子ら>は一枚岩ではなく、彼ら彼女らの中にも、「家族関係を土台にした、友人も含めた地元に包摂されているか否か」(p207)で、「社会的亀裂」がそもそも内部に存在しており、それが学校中退/卒業後の移行期により明確になる(p208)という。そう言われてみれば、中学校時代の<ヤンチャな子ら>の中でも、親のお商売を引き継ぐなどの形で「見通しが持てる経路」(p203)をたどった人もいれば、そういう「相続資本」がなくて、場当たり的な「即興的な関係性」しか築けず、「見通しをもつのが難しい仕事」についていった、と人づてに聞いたこもある。そして、そういう「社会空間の力学が作用している」と言われたらら、確かに思い当たる節が一杯あるのだ。

だからこそ、筆者がたどることが出来た一四人の<ヤンチャな子ら>の高校中退/卒業後の「移行パターン」の一覧表(p176-177)を見ていると、僕の中学の同級生がたどったであろう「移行パターン」を見せられているようで、圧巻であった。ペンキ屋やホスト、車屋など転々と職業を変える人がいる一方で、若くしてパートナーの妊娠が発覚して手堅い仕事につく人もいれば、住み込みで働くも挫折してその後歯車が狂う人もいる。これらの一覧表を見ながら、僕の「隣人」たちもたどったかもしれない生活史が浮かび上がってくるような、そんな不思議な読書体験をしたのだ。

その上で、結語に印象的なメッセージが書かれていた。

「インターネット上には、彼ら彼女らを『DQN』と呼んで、嘲笑・攻撃・侮蔑する語りがあふれている。しかし、それほど社会が饒舌に語るヤンキーについてだからこそ、彼ら彼女らのリアリティをきんと描き出すことができれば、それは『その立場にいたら自分もそういう行動をしたかもしれない、そういう選択をしたかもしれない』という、人々の他者への想像力もかき立てることもできるはずだ。」(p239)

僕がまさしくこの本を感じたのは、よくわからなかった・何気なくクラスでやりとしていた隣人という「他者への想像力もかき立てる」ということ、そのものだった。そして、それは理解社会学とは何か、ということについての、岸さんの語りも想起させる。

「他者の合理性を再記述する、つまり、行為の合理性を理解するとどうなるか。その帰結はいろいろあると思いますが、そのひとつは、行為責任の解除です。「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ないな」というのが理解でしょう。」(「インタビュー 社会学の目的 岸政彦」

いみじくも、二人はほとんど同じ事を言っている。知念さんの文脈に引き戻すなら、<ヤンチャな子ら>という「他者の合理性を再記述する」ことで、「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ないな」という<ヤンチャな子ら>の内在的論理を「理解」することができる。そういう意味で、この本はまさに理解社会学的な内容としての王道を行く一冊でもあるのだ。そして、僕はこの本を通じて、中学時代の隣人のうちの何人かの、虐待や貧困といった「しんどい家庭環境」や、学校から仕事への移行期での混乱や苦悩を、リアリティを持って想像することができた。そして、福祉領域に関わる一人として、そういう<ヤンチャな子ら>の内在的論理を「理解」することなく、「支援が必要な存在」「家族機能は不全な存在」などと外形的に決めつけることがもっとも危険である、と改めて確認し直した一冊でもあった。

職業的研究者として勉強になっただけでなく、自分自身の隣人を見つめ直すきっかけにもなった一冊だった。

立岩連峰初心者の踏破記録

昨年末に共同通信から依頼されて、立岩真也さんの新著『不如意の身体』の書評を引き受けた。年末年始の休みの間に読めば良いと思っていたのだが、読み始めたら、まあ手強い内容。立岩さんは実に論理的な文章を書くのだが、その森に深く分け入るような論理展開についてくのは、そう簡単ではない。僕の研究室には、途中で挫折した本も何冊もあるし、そうなりそうで「積ん読」の本もある。今回も、確かに簡単な本ではない。さてどうしたものだろう。

そう思った時に、掲載されるメディアである地方紙の読者を思い浮かべた。読書欄は気にしていたり、あるいは本屋にはたまに出かけて、立岩さんの名前は知っている。でも、きっと僕と同じで、最後まで読み終えられなかったり、難しそう、とそっと書棚に戻したり、買ったけれども積ん読のままの人だったり、そもそも手に取らない人も多いのかもしれない。

そうか、立岩さんの本の内容とがっぷり対峙した評論を書く必要もないし、そういう分量もないし、そもそもそれが求められてている媒体ではないのだ。しかも、立岩さんの本をすっと読める人は、僕の書評など見なくても、すでに買い求めているはずだ。であれば、僕の仕事は、気になるけど手に取ったことがない・買うのを逡巡している人に、この本を手に取ってもらうための紹介文を書けばよいのだ。それなら、僕でも書けるかもしれない。そう開き直った。

で、不思議なもので、開き直ってみたら、スルスルと文章が出てきて、読むのは時間がかかったのに、数時間で書き終えることができた。そして、上記の戦略が功を奏したのか、琉球新報の1月13日版をはじめ、多くの地方紙で1月中旬に掲載されたようだ。

というわけで、少し時間がたったのだけれど、その文章を転載しておきます。


能力主義への大胆な抵抗

本書の主張は極めてシンプルだ。病や障害と共にある社会において、なおすこと、できるようになることが、無条件で良いとは言えない。できる・できないに関わりなく生活ができるようにするとよい。本当はあなたができなくてもたいして困りはしない。何がどのように要るのかを考えるのが規範理論としての社会科学の仕事だ。

立岩はこのことを、できない・なおらない存在である障害者運動との出会いを通じて考え続けてきた。能力主義によって一元的に序列化される社会、なおらないなら安楽死をも肯定されうる社会への強烈な異議申し立てを行い、できなくても、なおらなくても、他者がおぎなうことで暮らせたらそれでよいではないか。そう訴えかける。

彼は極めて論理的にものを考え、著述している。だが、その論理は複雑に入り組み、ウネウネと蛇行し、丁寧に読み込まないと途中で遭難しそうになる。本書に限らず、独特の文体の膨大な著作が「立岩連峰」のようにそびえ立つ。評者は何冊も彼の著作にアタックしては、挫折した苦い経験を持つ。だが今回の著作は、やっと読(踏)破できた。

評者のような「立岩連峰」初心者・落伍者には、第Ⅲ部から読み始めるのをお勧めする。彼が他の編者の依頼を受けて書いた文章ゆえに、立岩の中心的主張がギュッと詰まっている。冒頭の要約もそこから拾ってきた。

立岩はなおる・できる=善いこと、という等式に丁寧かつ大胆に抗う。その等式を信奉する側の数多の反論や批判と真正面から対峙して議論を進める。自ずと言及すべき論点は増える。彼が既に検討した内容も、親切にそれを提示しながら辿る。立岩流の意を尽くした文体は、それ故、一般読者には不如意な文体に映る。

だがこの構造を頭に入れた上で本書を読み進めると、立岩が何に怒り、何を伝えたくて、本書を書き上げたのか、を真っ直ぐ受け取ることが出来る。時間をかけて、再度読破したい山である。

当たり前の牢獄からの脱出

3月2日の土曜日に、阪大の深尾葉子先生と、ジュンク堂難波店で出版記念イベントを行います。ちょっとその宣伝もかねて、深尾論考と僕の本がどんな風につながっているのか、を整理してみたいと思います。

深尾先生の新著は『黄砂の越境マネジメント』(大阪大学出版会)。僕の新著は『当たり前をひっくり返す』(現代書館)。深尾先生は黄砂や植林を巡る人間の思い込みや、それを超えるための黄土高原での営みを描いている。僕の新著では、ニィリエ、バザーリア、フレイレという三人の先達が、入所施設や精神病院、教育現場の「どうせ」「しかたない」を超える実践をした軌跡をたどり直している。一見すると、全く違うテーマが描かれている、ように思える。

だが、深尾先生の著作には、僕の著作と通底する部分がたくさんある。深尾先生の本の内容を抜粋すると、僕の本の内容も説明できる部分がたくさんある。以前のブログで引用した深尾論考からいくつか抜き出してみよう。

「問題を『制御可能』と見なして枠組みを固定してしまうと、あらかじめ予定されていたストーリーに執着し、そのために現実に起きていることから目を背けてしまう」(p247)

これは、精神病院や入所施設でも、共通する話である。これらの施設・病院は、アブノーマルな人(精神病者、障害者)を施設に入れたら「制御可能」と見なし、収容施設で「予定されていたストーリー」に当てはめて、彼ら彼女らを「制御」しようとする。だが、主体性を持った人間は、そのような管理・支配の暴力に命がけで拒否する。そういう場合は「問題行動」「困難事例」とラベルを貼り、隔離や拘束、懲罰的な対応などで、本人の活動を制限しようとする。それは、施設や病院が生み出す構造的暴力という「現実に起きていることから目を背け」た上で、組織的・構造的問題を個人的問題にすり替える論理でもある。

「現実には非線形で複雑なシステムに対して、『調査・計画・実行・評価』という線形的アプローチを適用することは、原理的に不可能であるといってもよく、多くの問題を惹起する」(p248)

教育現場でも、PDCAサイクルは跋扈している。だが、本来は教師と生徒が学び合う中で、新たな学びが創発されるはずで、教育も非線形で複雑なシステムなのにもかかわらず、それを「線形的アプローチ」だと誤解する。だからこそ、教師は一方的に知っていて、生徒は何も知らないから黙って聞けば良い、という一方通行の銀行型教育が幅を利かせる。これは、「原理的には不可能」なシステムを人間に無理矢理押しつけているので、「多くの問題を惹起する」。不登校やいじめの問題も、このあたりに大きく関連していると、僕は思う。

「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象を理解するには、あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法は、大きな齟齬をもたらす」(p294)

最近つくづく思うのだが、精神症状と言われるものも、「線形性によって支配される複雑な現象」である。薬物療法が作用するのは、生理的・身体的な部分だけであり、眠れたり、極度の落ち込みや躁状態などの「急性症状」を和らげることは可能かもしれないが、その人が不眠や躁鬱、解離やPTSDに陥るきっかけとなった「人為的要因」(ハラスメントを受けた、いじめられた、家族関係が機能不全を起こしていた、耐えがたい経験に遭遇した・・・)を薬物療法で消し去ることはできない。つまり、精神症状とは「非線形性によって支配される複雑な現象」なのである。これを、現在の精神医療では「あらかじめ『フレーム』によって対象と『時間』を区切り、限定された因果関係で理解しようとする手法」で対応しようとしているが、それではうまくいかない。

一方、僕が最近ずっと追いかけているオープンダイアローグ(OD)や未来語りのダイアローグ(AD)では、「人為的要因と自然的要因が複雑に相互作用し、非線形性によって支配される複雑な現象」を、区切ったり切り分けようとはしない。むしろその「複雑な現象」を「限定された因果関係で理解しようとする」ことをやめて、原因-結果論から自由になって、「不確実性に耐えながら」、本人や家族、本人が関わって欲しい関係者や支援者が、お互いしっかり相手の話を聴き、自分の話を聴いてもらう経験をする中で、「複雑」な「相互作用」を捉え直し、紡ぎ直していく、そういう「非線形性」を帯びたダイアローグなのである。それは、深尾先生が黄土高原の村で観察した事と、似ている。

「村において観察可能であったのは、村人同士が各々個別に展開する労働交換や情報の交換によって形成される『関係』のネットワークのみで、それは常に変化し、形を変えて存在し続ける。そこから抽出できるのは、構造そのものではなく、構造化のダイナミクスであり、動的なモデルであった。」(p291)

ODやADでは、「『関係』のネットワーク」にこそ、働きかけようとする。それは「構造そのものではなく、構造化のダイナミクスであり、動的なモデル」であるがゆえに、そのダイナミックスに働きかけることにより、悪循環構造は、好循環構造へと、構造化を変える、という「動的なモデル」でもある。そこに働きかけることで、絶対に変わらないと思っていた家族関係や支援関係の固着化が、揺れ動きはじめるのである。それは、狭い因果モデルや線形性モデルを手放すからこそ、見えてくる世界でもある。

そこで、大切になるのが、アウトフレームである。

「『フレーミング』を取り外すということは、非線形的な語りの中では、常に線形的因果関係の背後に広がる非線形的な『縁起』に思いをはせるということであり、それこそが本書で『アウトフレーミング』と称する動作である。既存の『フレーム』を相対化し、『フレーム』の外部にあって、実は重要な役割を担いうるものを認識の中に取り込むこと、既知の世界で合理的であると考えられる事柄を常に相対視し、不合理であるとされていることを自己の行動や視野の中に取り込んでゆくこと、それが『アウトフレーム(フレームを凌駕)』することである。すなわちアウトフレームというのは、フレームを超えようとするプロセスそのものを指している。」(p310)

精神病者や知的障害者、小作人などは「ちゃんとしていない人」「馬鹿な人」だと排除され、精神病院や入所施設に入れられたり、あるいは地主から搾取されるがままになっていた。これは、線形的因果関係に収まらない存在を、構造的に排除することを「当たり前」とする世界である。いったん、そういう「当たり前」が定まると、差異の排除はドライブがかかる。いじめでもわかりやすいように、ちょっとでもマジョリティとは違う人・平均から逸脱している人が、ドンドン見つけられ、排除されていく。この20年で「発達障害」とラベルを貼られた子どもが急増しているのも、この理屈があるように思う。それは「合理的」と呼ばれる社会の枠組みが、第三次産業化が進む中で、ますます高度化し、狭隘なものになっていくプロセスでもある。そして、今の学校空間はますます息苦しいものになり、グローバリゼーションが進展した21世紀なのに、日本の多くの社会的空間では、同調圧力はものすごく強くなっている。

そこで、そのようなしんどい空間から抜け出すために必要不可欠なこと。それが、「線形的因果関係の背後に広がる非線形的な『縁起』に思いをはせるということであり」、深尾先生はそれに『アウトフレーミング』と名付けた。これは、僕の『枠組み外し』の視点と、通底した視点である。つまり、「当たり前」の日常世界を、「しかたない」と思わずに、「牢獄」と捉え直した(=アウトフレームした)上で、そこからどう脱出するか、を僕も深尾先生も、別のフィールドで考え続けてきたのである。

「非線形的な『縁起』」とは、僕の領域でいえば、ダイアローグによる創発や相互変容のことを指す。意図して相手を変えてやろう、という線形的な因果モデルを捨て、相手と私が「いま・ここ」で、どうなるかわからない「不確実」な物語を共有するなかで、自分が思いも寄らない声も聴く事により、その場に色々な意見が渦巻くポリフォニーが産まれる。相手を説得しようというモードではなく、お互いが自分の話を聴いてもらい、相手の話を聴く中で、自然とその声がストンと腑に落ち、何らかの納得が産まれる。そこから、相互変容が生じ、何かを変えようとする意図がないのに、勝手に場面や局面がかわっていく。これこそがまさに、「非線形的な『縁起』」のなせる技なのかもしれない。

という感じで、深尾先生の洞察を元にすると、僕自身が考えていることも、スルスルと言語化できる。それほどこの二冊は、意図していないのに共鳴し合う、という不思議な接点を持っている。それを、深尾先生と僕が、互いの本についてインタビューし合う中から、その場での共鳴する何かを探り当てていこう。それが、3月2日の大きな目的である。僕自身も、当日どんなポリフォニーが産まれるか、めちゃ楽しみにしている。会場のキャパはまだ空いているようですので、良かったら生でこの「アウトフレーム」を体感してみませんか?

会場でお目にかかるのを楽しみにしています。

鶴見俊輔からのバトン

500頁を超えるけど、一気呵成に読み終えたのが『鶴見俊輔伝』(黒川創著、新潮社)。以前から鶴見俊輔のことは気になりながら、何冊か対談を読んだ事もあるのだが、この濃厚な評伝を読んで、もっと彼の著作を読んでみたくなった。その理由は色々あるが、この部分が大きい。

「『戦争中、自分に捕虜殺害の命令が下っていたら、それを拒み通すことなどできただろうか?』
この自問は、戦後70年間、彼の中に生きつづける。それを拒めたかは、疑わしい。だからこそ、『敵を殺せ』と人に命じる国家という制度への憎しみと懐疑が、彼のなかで消えずに残る。
状況のなかで考える-と、よく彼は言う。『状況』とは、歴史のただなかに身を置く、現在という場所のことだろう。」(p540)

自分も悪をなし得る存在である。悪をなしていないのは、たまたまの運の巡り合わせに過ぎない。

彼は第二次世界大戦が始まる直前までハーバード大学で学んでいたが、収容所で卒業論文を書き上げ、日米の交換戦で帰国後、徴兵されてジャカルタで軍属として短波無線の傍受の仕事に就く。その時期に、インド人の捕虜が伝染病にかかり、治療する薬が不足しているから、という理由で捕虜殺害命令が、自分の隣室の軍属に下される。その軍属は、毒薬とピストルを持たされ、実際にピストルで射殺したと鶴見に語る。

鶴見はジャワ島の古本屋で買い求めたタゴールを貪るように読む。そこにはこんなフレーズがあった。

「不道徳的であることは道徳的に不完全であることだ。これと同じ意味で、間違っているという場合、わずかな程度真実であることを意味している。そうでなければ、間違いということさえできない。見えないということは物を見る眼がないことだ。けれども、見あやまることは不完全な見方をしていることである。人間の利己主義は人生において何らかの縁故や目的を見いだすきっかけとなる。そしてそれが命じるものに従って行動するためには、自衛と行為の規制が必要である。」(『タゴール全集第八巻』第三文明社、p50)

彼は、不完全や不道徳を、自分の中に持ち続けた。後藤新平を祖父に、鶴見祐輔を父に持つ政治家の家系に育ち、小さい頃はそんな「肩書き」や「世間の目」だけでなく学校制度にも馴染めず、「不良少年」だった。そして、ハーバードで猛勉強するも、日米開戦と同時に帰国を余儀なくされる。当時彼は「アナーキストで戦争は基本的に支持しないが、どちらかといえばアメリカに理がある」とFBIにこたえており、それで国外追放になるし、戦後も彼の入国が赤狩り時代のアメリカから拒絶されたりする。

だが、彼が「『敵を殺せ』と人に命じる国家という制度への憎しみと懐疑」を抱いたとき、単に「自分が正しい」と道徳や正義を体現して、そう考えたのではない。『戦争中、自分に捕虜殺害の命令が下っていたら、それを拒み通すことなどできただろうか?』 という問いを、ずっと抱え続けていた。つまり、自分が不道徳な捕虜殺害を「なし得る」立ち位置にいて、隣室の軍属は実際にそれに手を染めざるを得なかった。彼は「他人を殺す」という意味では「間違っている」行為をしたが、そのような状況下でも、「わずかな程度真実である」ことがあった。それは、「捕虜殺害の命令が下っ」たら「それを拒み通すこと」はできない、という真実である。それは、完全な道徳や正義を上から目線で語ることなど出来ない、という平場の思想である。更に言えば、自分は悪をなし得る存在であり、不完全な見方をしている存在である、という己への健全な懐疑を持ち続けたことであった。

この原点があるから、戦後の彼は「思想の科学」を50年も刊行し続け、学生運動に同調して大学教員を辞職し、ベ平連の活動にもコミットしていく。自らの正義や道徳性を相手に押しつけるのではなく、自らの内に潜む「悪をなし得る存在(だがたまたま今は悪をなしていない)」という原罪に常に自覚的であったからこそ、筋を通した発言をし続ける。自らが不道徳で不完全な部分があったからこそ、他者の不道徳や不完全を理解し、その中にある「わずかな程度の真実」や「何を見誤ったのか」を掴む力があった。そして、それは彼がハーバードで学んだプラグラマティズムの、彼なりの応用だったのかも、しれない。

鶴見俊輔と親子二代にわたって深い付き合いがあった著者だからこそ、の視点が前提にあり、その上で膨大な彼や彼の周囲の人々の書いた物を読み解き、それを一次資料として考察する強靱な思考の著者故に、骨太で読ませる評伝だった。そういう意味では、筆者の黒川氏は、鶴見から託されたバトンを、見事に描ききったのだと思う。最後に、鶴見俊輔の子である鶴見太郎が、彼の死後の記者会見で述べた印象を引用しておきたい。

「父は、私が子どものころから、いろんなことを話すごとに、『おもしろいな!』『すごいね!』『いや、驚いた!』と、目を見張って、心底からびっくりしたような反応を示す人でした。ですから、大人というのは、そういう人たちなのだろうと思っていました。
ところが、いざ外の世界に出てみると、世間の大人達は、何に対してもほとんど無反応でいる、ということがわかって、ショックを受けました。」(p496)

鶴見が単に子どものような心を持っている、だけではない。悪をなし得る、不完全で不道徳な部分が自分にあるとわかっているからこそ、子どもであっても、他者に対して敬意と好奇心を持って接し、新たな発見を共に喜ぶことのできる「大人」だったのだと思う。僕もこんな大人になりたい!と思わずにいられなかった。そういうバトンを、僕は受け取った。