福祉に欠けている地理学的視点

あまり大きな声では言えないが、これまで地理学の本を読んだことはなかった。本書も、著者が職場の斜め前の研究室におられる同僚で、誠実なお人柄で、学生の卒論の指導レベルがめちゃくちゃ高い杉山先生の本でなかったら、もしかしたら手に取らなかったかもしれない。でも、手にしてすごく良かった。自分が想定していなかったアプローチから、自分が考えてきた領域を捉え直す論考だったからだ。

「コミュニティ論の意義は、一定の地理的範囲のコミュニティに根ざす諸主体が、各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力が論じられることにある。あわせてそれは、ユートピアを語っていると(あるいは語りすぎていると)、「場」の幻影が生み出される隙間を与えかねないとの警鐘にもつながる。ネガティブに考えすぎるとの批判を受けてしまうかもしれないが、「場」の幻影は、過度な没場所性、新自由主義的発想への進展に向けた協奏曲ともなりかねない。」(杉山武志『次世代につなぐコミュニティ論の精神と地理学』学術研究出版、p21-22)

地域福祉に関わりながら、僕自身はこれまで、場所や場、空間の違いさえ、きっちり考えたことはなかった。ただ、厚労省が言う地域包括ケアシステムは、標準化規格化されたモデルが当てはまらず、その地域のローカルな文脈に当てはめて、カスタマイズする必要があることは、山梨時代の実践からも感じていたし、そのことはチーム山梨でまとめた書籍に至る議論の中でも、繰り返し確認し続けていた。しかし、このときのローカルな文脈が「一定の地理的範囲のコミュニティ」である、と明確に自覚化していなかった。そして、様々なワークショップや話し合いなどの「場」を作りながら、そのようなローカルな文脈に迫ろうとしていたが、そこに「「場」の幻影」があり、それが「過度な没場所性、新自由主義的発想への進展に向けた協奏曲ともなりかねない」とは、思いも寄らなかった。でも、言われてみたら、確かに、と思うのだ。それは、山崎亮氏の<コミュニティデザイン>論についての言及に現れている。

美の幻影

僕自身も山崎亮氏の論考を10年前に初めて読んだ時は感動し、それを評価するブログも書いていた。でも、その後何冊か読んだり、実際に彼の講演を聴く中で、何かモヤモヤするな、と思いながら、どう違うのかを言語化してよいのか、わからないままだった。でも、杉山先生の本の中に、そうそう!と思う分析を見つけた。

「コミュニティ“そのもの”のことを組織や集団と捉えて「デザイン」していくような発想には、素朴な疑問を覚えてしまう。とりわけ留意しておかねばならないのは、<コミュニティデザイン>論が「美」を強調することによるワークショップなどの一時的な「場」を「コミュニティ」と捉えてしまっていることにあろう。地理なき組織化というべき、コミュニティ概念の危機といえる状況を解決するためには、コミュニティとアソシエーションの関係をいま一度、振り返ることが求められる。」(p29)

山崎氏の本や講演で圧倒されたのは、僕なんかには到底真似の出来ないワークショップの美しさ、かっこ良いデザインによるまとめ、である。だが、その美しさになんだかモヤモヤしていたのだが、「<コミュニティデザイン>論が「美」を強調することによるワークショップなどの一時的な「場」を「コミュニティ」と捉えてしまっている」という指摘を読んで、まさに「そうそう!」と思ったのだ。一回、ないし数回のワークショップで美しいビジョンや計画書ができあがっても、それは「一時的な「場」」の成果である。だがそれで継続的にその地域がエンパワメントされたか、という話は別である。杉山先生はその事態に関して、「地理なき組織化というべき、コミュニティ概念の危機」への危惧を感じているのである。

「問題は、「まちづくり」ではないとされる<コミュニティデザイン>論をきっかけに、都市計画学ベースの「まちづくり」の発想が強化されてしまう逆説的な原因への探求があまりなされていないことにある。」(p26)

美しさは、それが集合的な何かを美しく見せる事である場合は特に、ある種の管理や統制、支配にも、繋がる可能性を秘めている。住民の声に基づいたワークショップなどでコミュニティの有り様を整理していく<コミュニティデザイン>論も、美しく仕上がったものは、「都市計画学ベースの「まちづくり」の発想」を意図せざる形で強化することに繋がるのではないか。この指摘は、深くて、重い。それは、最初に引用した杉山先生の指摘に立ち戻ると、さらにクリアにみえてくる。

「コミュニティ論の意義は、一定の地理的範囲のコミュニティに根ざす諸主体が、各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力が論じられることにある。」

ある「一定の地理的範囲のコミュニティ」において、実際に何か新しいことを始めたり、何かを変えようとすると、時として恐ろしいほどの反発に遭う。それは、町内会や自治会、PTAや民生委員といった地縁組織の改革がなかなかしにくい、ということでも、ご理解頂けると思う。そして、そのような反発や抵抗といった「各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力」がないと、いくら一時的な「場」で美しい成果を作り上げても、それが「ある特定のコミュニティ」という「場所」全体を変える成果には結びつかない。でも、そのような利害調整は、はっきり言って面倒だし、出来れば主体的に関わりたくない。すると、面倒な利害関係調整よりは、なんとなく美しく解決してくれそうな「「場」の幻影」にすがりたくなるし、そのような「幻影」を売り物に地域に入り込む外部者の中には、「過度な没場所性」や「新自由主義的発想」と結びついた業者が入る混む可能性だってあるのではないか。これは、福祉系のコンサルが自治体に食い込む様子を山梨で散々見てきて、時にはアンケート調査の集計と自治体名だけ違うけどそれ以外は(表紙まで含めて)全く同じパッケージを一つのコンサルが複数自治体で作っている「幻影」と直面していた僕には、深く頷ける話であった。

外発性の限界

そして「過度な没場所性」や「新自由主義的発想」と結びつく危険性は、「創造的農村」の代表事例としてマスコミで何度も取り上げている、徳島県神山町にも当てはまる、と杉山先生は指摘する。

「神山町には整備された情報インフラやアメニティに魅力を感じた創造人材が移り住むようになってきているとされるが、ある一定の時間が経過したのちに別の都市や農村へ移動しない保証はない。東京の企業が神山町にサテライトオフィスを構えても、東京の本社とのテレビ会議システムを通じて首都圏の市場に目が向いていては—あるいは首都圏から管理されていては—、内発的発展論で否定されてきた「外来型」の企業誘致とそれほどの差を感じない。創造農村論における内発的発展論の彷徨いが浮き彫りになっている。」(p168-169)

コロナ危機において、在宅ワークが推進され、都心の人口が減ったり、リモートワークが全国的に進みつつある、という記事も繰り返し流されている。だが、ずっと以前から行われてきた、高速道路沿いの「工業団地」に代表されるような「外来型」の企業誘致って、景気の浮き沈みで撤退の憂き目にあっている自治体も少なくなく、そもそも工業団地的発想が頭打ちである、ということは、全国的な課題でもある。そして、高速道路や工業団地の整備と同じように、「情報インフラやアメニティ」を整備したところで、「ある一定の時間が経過したのちに別の都市や農村へ移動しない保証はない」というのは、まさにその通りである。杉山先生の論考が深いのは、そこで論を終わらず、「東京の本社とのテレビ会議システムを通じて首都圏の市場に目が向いていては—あるいは首都圏から管理されていては」、結局以前の企業誘致と同じではないか、と本質を突く。つまり、製造業だろうがIT産業だろうが、なりわいが外からもたらされ、それによって一時的に反映しても、そのなりわいが首都圏や都会から管理され、支配されている限り、自生的で持続的なコミュニティ形成とは言いがたいのではないか、という指摘である。まさにその通りなので、これも蒙を啓くような指摘である。

ではどうすればよいのか。杉山先生はその処方箋として、集団的学習と、地域スケールの実態にあった関係性の再構築、の二つとして示してくれている。

学びあいからの活性化

集団的学習の手がかりとして、僕は初めて知ったのだが、「イノベーションを生成する風土・環境(milieu)」である「イノベーティブ・ミリュー論」(p91)を杉山先生は取り上げる。これは「域内のローカル・ミリューの存在によって、アクター間のつながりを基礎として集団的学習が促進され、イノベーティブな意志決定が起こりうる」(p91)という特徴があり、以下のようなポイントがあるという。

「ミリューには、1)変化が激しく不確実性が高い状況下において意志決定を可能にする役割、2)ミリューの機能が集団的学習を促進する役割がある。すなわち、ミリューとは人々の認知フレームを提供するような地理的環境であり、地域への帰属意識、共通の価値観、地域的な制度や慣行という要素によって支えられている。」(p92)

「人々の認知フレームを提供するような地理的環境」という切り口や視点自体が僕にとってはすごく新鮮だったが、ふと浮かんだのが、前任校の時代に出会って、今も愛飲している甲州ワインのことである。甲州市勝沼地区やその近接地域では、醸造家の二代目三代目同士の「集団的学習」が促進される中で、甘ったるい格安ワインから、本格的な甲州ワインブランドが確立されていった。それは、甲州ワインのブランドの質向上に向けての「アクター間のつながりを基礎として集団的学習が促進され、イノベーティブな意志決定が起こりうる」環境が、あの地域で醸成されていったということである。そして、杉山先生は次のように論を進める。

「重要な論点は、製造業を中心とした集団的学習論から、ミリューとしての都市を背景にアソシエーションといった社会的文化的な集団、産業分野の多様性をもつ集団へと、考察対象が移行してきている点にある。」(p94)

これも甲州ワインを念頭においたら、よくわかる。最初は海外産ワインに負けない味と品質を目指した「製造業を中心とした集団的学習」の段階だったのだが、今ではワイナリー巡り、ワインツーリズムなどのブランディングなど、ワインを通じた地域コミュニティの形成、つまり「ミリューとしての都市を背景にアソシエーションといった社会的文化的な集団、産業分野の多様性をもつ」段階に甲州エリアは変わってきている。まさにそれは「イノベーティブ・ミリュー論」が発展しているプロセスだと、この本を読んでやっと合点がいった。

この本では4章で鎌倉市での「地域コミュニティとしてのつながりの回復」が、5章では大阪府内での商工会議所における経営指導が論じられているが、一見バラバラに見えるこれらの論点は、徹底的な学び合いという集団的学習の中から、なりわいの回復と共に、その地域の中でのアソシエーションの活性化と地域コミュニティの賦活化をもたらしている、という共通性がある。そして、これこそが「一定の地理的範囲のコミュニティに根ざす諸主体が、各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力」の成果なのだと、改めて腑に落ちた。

場所と空間

ここで最後に、場所と空間の違いを整理しておきたい。本書では人文地理学者のトゥアンの整理に基づき、「場所が持っている安全性と安定性」「空間が持っている開放性、自由、脅威」(p236)を対置させている。コロナ危機において、僕は姫路という「場所」からあまり外に出ずに、その中で安全性と安定性を担保する事が出来たが、一方でしょっちゅうサイバー「空間」であるZoomで日本中、そして時には海外の人とも議論をし続ける中で、自分にとっての開放性や自由も担保してきた。その際、杉山先生はこのように指摘する。

「感情(=場所/ローカル)と理性(=空間/グローバル)という二元論をこえた「相互に構成し合っている」世界観への理解が求められている」(p229)

場所に過度にこだわり、空間への敬意を怠ると、排他的共同体になりやすい。一方、空間に過度にこだわり、場所への敬意を怠ると、全国どこでも同じような郊外のショッピングモールやファミレス、コンビニ、量販店ばかりの空間が構成され、その土地の魅力が去勢されてしまう。だからこそ、その双方への目配せが必要不可欠なのだ。

「ネオ内発的発展論の領域の見方は、地理学的スケールを持つ。すなわち、内発的発展が指向した農村地域内で完結する単位だけでなく、ローカルとグローバルを媒介する単位として領域が扱われている。したがって領域的アプローチとは、農村の内部から動かす内発的なアプローチだけではなく、外部から地域に働く力と協同できる制度の構築に特徴をもち、地域内外の多様な主体の参加に基づいて農村地域の発展を目指す方法といえる」(p183)

閉塞的な同質集団だけのローカル(=場所)でもなく、顔を持った個人ではなく消費者や市民という単位でまとめられるグローバル(=空間)でもなく、その媒介としての領域。それは川と海の境界の、淡水と海水の混じり合った汽水域である。この汽水域としての領域は、「内部から動かす内発的なアプローチだけではなく、外部から地域に働く力と協同できる」両義性を持ち、であるがゆえに、「地域内外の多様な主体の参加に基づいて農村地域の発展を目指す」可能性を秘めている。

例えば7章で書かれた丹波篠山市の東部地域の事例で言うと、旧小学校区ごとの場所である6地区それぞれでは、過疎化の進行の中で、その地区の自治を単独で考えることに限界を迎えかけていた。そのときに、6地区をつなぐ学びあいの実践をする中で、集合的学習から、やがて地区を越えたつながり(アソシエーション)が生まれ、東部6地区間の連携が密になってきているという(p218)。これも、6地区という「領域」において、「内部から動かす内発的なアプローチ」の枯渇や限界を超え、「外部から地域に働く力と協同」する中で、「地理学的スケール」にもかなった形で、「二元論をこえた「相互に構成し合っている」世界観」を構成しようとしている実例とも言える。

地域福祉が学べること(インプリケーション)

これまで、杉山先生の論理展開を追いかけてきたが、そのプロセスの中で、地域福祉が学べる部分が沢山あるな、と感じている。

自戒を込めて書くのだが、僕自身が、場と場所、空間の差違に無自覚なまま、誤用してきた例が沢山ある。「地域づくり」「福祉の街づくり」の目的で、ワークショップや議論の場など、色々な場を作ってきたが、それが「幻想」とまでいかなくとも、その場所の、コミュニティの人々にちゃんと腑に落ち、そこから物語変容に結びついたか、と言われると、甚だ心許ない。あるいは、アドバイザーとして地域に関わる際、空間的に近接だからとか、行政圏域が一緒だから、と地理性の違いを理解せずにアプローチして、撃沈したこともある。国が言っているから、と外発的論理を持ってきても、それをローカルな内発的文脈に落とし込めなかったら、形だけの受け取りで、実質的に拒否されたこともある。

そのときに、この本と出会っていたら、「集合的学習」というアプローチが取れたのに、と悔やまれる(が、本書は2020年刊行なので、山梨時代には出会えなかった)。「変化が激しく不確実性が高い状況下において意志決定を可能」にし、「集団的学習を促進する」ミリューのようなものを、地域地域で作りあげていくことができたら、ずいぶん内発性が高まるのだと思う。そして、そのような内発性が高まった地域であれば、汽水域としての領域において、「外部から地域に働く力と協同できる制度の構築」も可能なのだと、今ならわかる。

そして、不案内な地理学の本なのに僕が面白く読み通せたのは、杉山先生の以下の語りが、本書の通奏低音として基盤に据えられているからではないか、と感じている。

「近隣地区との旧知のつながりも丹念に再発見し、汗をかく中でつながりを大切に育み直し、その地域スケールという基盤のうえに域外の諸主体との連携をともに発展させていくことが共発というものではなかろうか。」(p221)

これは地域福祉に携わる生活支援コーディネーターや社協職員、自治体関係者などにも全くもって当てはまる叡智ではないだろうか。美しい幻影にすがるのではなく、「土の香りのある」「泥臭い」(p30)世界観のなかで、まずは「近隣地区との旧知のつながりも丹念に再発見し、汗をかく中でつながりを大切に育み直」す。そんな中で、「一定の地理的範囲のコミュニティに根ざす諸主体が、各々の利害の垣根を可能な限り越えていくための努力」を重ねていく。そのプロセスにアクターとして関与し、外部者と内部者の入り交じる汽水域において、「地域スケールという基盤のうえに域外の諸主体との連携をともに発展させていく」なかで、おもろい何かが創発されていくのである。

僕自身が、この本を通じて、地理学的視点と出会うことで、今まで何が見えていなかったのか、何が分かっていなかったのか、を教わりつつある。そして、これから地域福祉に関わるときは、少しは地理学的な視点も持ちたいな、と思いを新たにしている。

「隠蔽される男の下駄」の暴露

久しぶりに読みながら自分の身をえぐられるような、強い揺さぶりをかけられる読書体験だった。それは文章や書かれた内容が陰惨だ、とか攻撃性が強いとか、そういうことではない。学術書として精緻に論理的に議論を積み重ねる中で、男性である自分自身の権力性・支配的立ち位置を、そのものとして提示され、あなたはこのことに無自覚なままで良いのですか?と問われているように感じたからである。しかも同じ男性の著者から。

「「男性優位社会」の構造のもとで男性に突き付けられているのは、男性たちに支配の志向を「断念」することができるのか、いかにしてその志向にとらわれずに済むのか、という問いである。その意味で、男性が降りるのは男性性ではなく、より直截に「支配者としての地位」と言うべきであろう。」(平山亮『介護する息子たち』勁草書房、p249)

僕はタイトルだけでこの本を舐めていた。介護する息子たちが置かれた苦境や「生きづらさ」について、実態調査に基づき書かれた論考なんだと思い込んでいた。それはそう遠からぬ先に自分自身の問題になるかもしれないけれども、「いま・ここ」の僕自身にとっては直接関係のない話、だと思い込んでいた。だが、そのような思い込みこそが、「男は、自分が下駄を履かせてもらっていることを、どうしてここまで無視し続けられるのか」(p258)というジェンダー不平等の温存への加担につながるスタンスだと本書で気づかされ、それは僕にとっても「いま・ここ」の問題であると突きつけられた。読み終えた後に表紙を見返して、副題に「男性性の死角とケアのジェンダー分析」とあるのに気づき、改めてそういう本だと頷いた。

「「自立/自律」はしばしば男性性に結びつけられ、「自立し自律した存在」であることを強迫的に自らに求める男性も少なくないが、多賀のようにそれを「生きづらさ」と呼ぶ代わりに、本書ではむしろ、その事実がどのように構成されているか、「自立/自律」がそのように構成されることで、男性優位のジェンダー関係がいかに維持されているかを批判的に考察することを試みた。」(p249)

ここで批判の対象になっているのは、男性学の視点から「男らしさ」を批判的に考察してきた多賀太さんのことである。平山さんは、その多賀さんの論考を検討しながら、「自立し自律した存在」であることを強迫的に自らに求める=生産性至上主義に絡めとられる男性の課題を、「生きづらさ」の問題としてはならない、と鋭く批判する。生産性至上主義によって、結果的に家族内で支配的な稼得能力を持ち、その経済的な稼得能力によって女性や子どもを従わせているという点で、「支配者としての地位」を男性は保っているのである。それを「生きづらさ」の問題に矮小化して捉えず、「男性たちに支配の志向を「断念」することができるのか」を問うているのである。

フィクションとしての「自立/自律」

さらに平山さんは、「自立し自律した存在」はフィクションである、と喝破する。

「男性たちに必要とされているのは、「自立と自律のフィクション」を解体することである。「男らしさ」の名の下に、男性たちが自立的で自律的だと観念してきたこと。それさえ体現していれば一人前でまっとうな存在であるかのように信じて疑わなかったこと。そして逆に、そうではない存在を貶め、侮り、依存的存在は自立し自律したものの庇護(=支配)を受けるか、排除されてもしかるべきと考えてきたこと。それら全てが、自身が常に既にしている多くの依存を「なかったこと」にして成り立っていることを、直視することである。そして、依存を「なかったこと」にし、自立性と自律性を捏造するために、個人としての存在を認めてこなかった他者—私的領域において依存してきた他者—に対し、自分とは別の人格を持つ個人として向き合い、関わることである。」(p31)

男性達が「外で稼いでくる」ことによって、経済的な自立、および主体的人間としての自律を勝ち取っている、と思い込んで、「それさえ体現していれば一人前でまっとうな存在であるかのように信じて疑わなかったこと」。その表裏一体の関係として、「外で稼いでくる」ことの出来ない専業主婦やパート労働の妻という「存在を貶め、侮り、依存的存在は自立し自律したものの庇護(=支配)を受けるか、排除されてもしかるべきと考えてきた」こと。これは、男性達が女性への依存に基づいて初めて可能になった、ねつ造された「自立性と自律性」である。にも関わらず、その依存を「なかったこと」にするために、「私的領域において依存してきた他者—に対し、自分とは別の人格を持つ個人として向き合い、関わること」が出来なかったし、それがジェンダー不平等の温存の本質部分だ、と著者は喝破する。

お膳立てをするのは、誰か?

では、男性は女性にどのような部分を依存しているのか。それを著者は「お膳立て」という「マネジメント」機能であると整理する。

「メイソンが「感覚的活動」という概念を提案したのは、「世話すること」という物質的な労働が、他者の生活生存を支えるケアとなるために、そこで潜在的に行われているマネジメントないしは「お膳立て」を可視化するためだった。そのマネジメントに含まれるのは、他者の状態や状況、嗜好などを把握した上で、他者の世話となる個々の作業を組織・編成することだったり、そうした作業を通じて、他者を社会関係に組み込み、その関係がうまく回るように調整することなどである。」(p51)

このケアにおけるマネジメントとは、子育てをしている我が家でも思い当たる節がたくさんある。例えば食事作りも僕はなるべく分担しているが、子供の状況を見ながらどれだけ食べさせるべきかを判断するのは、大概の場合、妻である。洗濯ものを干したり畳んだりも夫婦で分担するが、子供の服を入れ替えたり、どの服を買うかを判断するのは妻の役割である。こども園への送り迎えも夫婦で出来る方が行うが、子供の服や持ち物に名前が書いてあるかを確認して、油性ペンでささっと名前を書き込むのは妻の役割である。つまり、子育てに関して、子供の状態や状況、子供の好みなどを把握した上で、個々の作業を組織・編成するのは明らかに妻の役割であり、それができているから、子供は社会関係に組み込まれ、その関係がうまくいっているのである。そしてそのマネジメントを妻にお任せすることによって、僕自身は子育てを分担することが可能になる。つまりケアのマネジメントに関しては、妻に大半のことを負担させているわけであり、そのお膳立てがあって僕自身も初めて子育てが可能になっている。と言うことに気づかされて、自らの土台が突き崩されるような衝撃を受けた。しかも本当のことであるから。

「作業としての「世話すること」に従事する男性が増えても、女性にとってのケアの負担が減っているように思われないのは、まず、マネジメントの多くをいまだに女性が担っていること、さらに、マネジメントを担い続けながら(担わされ続けながら)、作業だけは男性向けに分離するという困難を求められていること、そして何より、マネジメントが目に見えない活動だけに、その困難を男性に提示して理解させることが難しいことに由来しているのではないだろうか。」(p59)

少し前からはやっている「イクメン」という言葉を僕は使わないし、育児参加を称揚するプロパガンダ言説としての意味は認めるが、手放しで喜べないと思っていた。が、その理由を論理立てて説明することは、出来なかった。だが、この平山さんのケアにおけるマネジメントに関する論考を読んだ今、はっきり「イクメン」の課題が浮かび上がる。「イクメン」と称揚される男性は、「作業としての「世話すること」に従事」している。だが、育児分担する男性の多くは、僕も含めて、上記のような日常生活における「他者の状態や状況、嗜好などを把握した上で、他者の世話となる個々の作業を組織・編成することだったり、そうした作業を通じて、他者を社会関係に組み込み、その関係がうまく回るように調整する」マネジメント機能を妻に任せて、部分的に物理的に家事育児を分担している。そのような「お膳立て」やマネジメント、気配りや配慮というものは、改めて考えてみると、かなりの労力を使うものなのだが、「目に見えない活動」であるがゆえに、その存在が意識化されることはない。かつ、そのお膳立てやマネジメントには、付随する具体的なケア行為(油性ペンで名前を書いたり、もう少し食べさせた方が良いとさっと冷蔵庫からウィンナーを持ってきたり)を伴っているが、これはマネジメントに連続的に付随した作業・行為であるがゆえに、そのマネジメントを行っていない(把握していない)男性パートナーに説明するのもまだるっこしくて、「自分一人で全部やってしまった方が楽」(p59)と母親が感じ、父親は「妻がやってくれるから」とそのマネジメントにただ乗りして、その大変さや負担を理解できず・・・の悪循環が続くのである。

介護におけるマネジメントと「自立/自律」

長々と子育てのことを書いてきたが、平山さんが主に論じるのは息子による親のケアとしての介護の話である。しかしながら、男がケアをすることという論点で言うと、男性による子育てと親の介護には共通する問題があると強く感じる。

「親のケアをめぐる子供たちの関係から浮かび上がる、息子による「親の看方」と「親の見方」。そこから示されたのは、親へのケア体制の中で、息子がいかに依存的な存在であるかと言うこと、そして息子は、自分が依存しているまさにその相手によって、自身の依存性に直面せずに済んでいることである。息子が必要なケアの判断を親自身に依存する一方、それを「親の主体性の尊重」としてカモフラージュすることができる。またケアの遂行のための「お膳立て」を女きょうだいに頼っているにもかかわらず、彼女たちによる事実の書き換え(=「家族の虚像」)の恩恵を受け、女きょうだいのそうした貢献に気づかずにいられる。」(p98-99)

息子が親を介護する場合、親に何をして欲しいかを、介護される対象者である親自身に尋ねることが多い。その一方娘の場合は、親の判断に委ねるだけでなく、自分からこれが必要そうだとマネジメントして、「常に寄り添う」姿勢を取ろうとしている。平山さんはこの対照的なアプローチの違いを指して、親の好みやニーズ、状況を判断して必要な支援を「お膳立て」「マネジメント」することを女きょうだいに任せた息子の課題を指摘する。これは、妻(時には子ども)が言うことに従って部分的にケアを担う夫と、構造的に同一性がある、ということである。

そして、このように「お膳立て」や「マネジメント」を、女きょうだいや、時には介護する母親に任せたままで息子が介護をすること自体が、「自分が依存しているまさにその相手によって、自身の依存性に直面せずに済んでいること」を象徴している、と平山さんは指摘する。つまり「家族の虚像」の恩恵を受け、そのフィクションの上で介護者としての「自立/自律」を果たしているという思い込みを、鋭く射貫いている。

「親を対等な存在に留めおこうとする息子の姿は、男性が支配の誘惑にいかに弱いかを逆説的に示している。相手が弱者だということを認めないことによってしか、相手を従属させることを防げないのだとすれば、それは、相手は弱者とみなした途端、自分が相手を直ちに支配してしまう/支配したくなるということを、自覚しているのと一緒である。
息子=男性にとって必要なのは、相手の弱さを認めないことではなく、弱さを受け入れることである。もっと言えば、相手の弱さを認めた上で、その存在を侵さずに済む回路を探ることである。息子によるケアの問題がある男性たちに突きつけているのは、「どうすれば男たちは、弱き者を弱き者のまま尊重することができるのか」と言う課題なのである。」(p103)

「どうすれば男たちは、弱き者を弱き者のまま尊重することができるのか」という命題にドキリとする。それは子育てに置き換えると、妻のマネジメントの下で、妻に聞きながら家事育児をする、という、一見すると、妻を「対等な存在に留めおこうとする」僕の姿は、「相手は弱者とみなした途端、自分が相手を直ちに支配してしまう/支配したくなるということを、自覚しているのと一緒である」という言説とまさに地続きだからである。そして、僕自身は、稼得能力によって妻や子を支配していないか、が文字通り問われる。また、自分の弱さや相手の弱さをどちらも認めることにより、「自立/自律のフィクション」を越えて、お互いを「弱き者のまま尊重することができるのか」が問われている。「支配者になり得る」という自らの立ち位置を鋭く問われる。

Doing Gender

平山さんは上野千鶴子氏から多くの学びを受けたジェンダー研究者でもある、とあとがきに書いていた。そして、本書において彼はウエストとジンマーマンによる以下のジェンダーの定義を用いる。

「個人が属する(とみなされる)性別カテゴリーを参照して、その個人の行為や置かれた状況を説明可能にする実践をジェンダーとして定式化した」(p108)
「「男性とは、女性とはどのようなものか」「両者はなぜどのように異なっているのか」—性差に関する現実は、このような「説明可能にする実践」によって構成されているのである。」(p109)

平山さんはこの定義を用いながら、「男らしさ」という表現がジェンダーであるという定義を退ける。「彼らは『男らしく』あろうとして、そのように行動しているのだ」と「説明することがジェンダー(を行うこと)なのである。」(p109)という。

「自立し自律した存在」であることを強迫的に自らに求める男性に対して、男性の「生きづらさ」を主張する旧来の男性学は、そのように説明することによって、その「自律した存在」を追い求める規範そのものを問いなおそうとしない、という意味で、旧来のジェンダー不平等を説明してしまっている(Doing Gender)であると指摘する。だからこそ、平山さんは、これまでのジェンダー不平等を変えるには、これまでと違う形で、「その個人の行為や置かれた状況を説明可能にする実践」が必要とされる、と提起している。

「「支配のコスト」は「支配のコスト」でしかなく、それを「生きづらさ」と呼ぶ必要はない。むしろ、自身の生存のための稼得能力を求める女性の困難と、他者を扶養=支配するための稼得役割を求める男性の困難を、同じ「生きづらさ」という語でまとめてしまう事は、それらを「似て非なるもの」であることを隠蔽する効果があるだろう。」(p239)

「自身の生存のための稼得能力」と「他者を扶養=支配するための稼得役割」は「似て非なるもの」であることを、隠蔽せずに自覚すること。その上で、二つの違いに自覚的になり、後者における男性の「生きづらさ」をなんとかするよりも、前者における女性の「生きづらさ」の改善に男性が手を貸すことこそ、ジェンダー不平等を越えるための、もう一つの(オルタナティブな)ジェンダー実践(Doing Gender)であるのだ。

「重要なのは、夫婦の家族役割に固執することが女性への支配の志向に他ならないことを直視して、既存の構造のもとで女性が男性に従属的な地位に置かれうるあらゆる可能性を、男性の側が慎重に回避・排除していくことである。」(p243)

「既存の構造のもとで女性が男性に従属的な地位に置かれうるあらゆる可能性を、男性の側が慎重に回避・排除していくこと」について、大野祥子さんの研究を引きながら、次のようにも述べている。

「大野の提案が意味しているのは、要するに「女性を従属させ、支配することから『降りる』気があるのなら、まずあなたの目の前にいる女性との関係から、それを始めなさい」と言うことだろう。なぜなら、妻が就労し稼得能力を得られるよう支える事は、妻が個人として「生の基盤」を確立させるようサポートし、翻って、妻は夫の自分に経済的に従属し、自分に支配される可能性を、夫の側から回避しようとする試みだからである。」(p245)

まずあなたの目の前にいる女性との関係を変える試みから、始めなさい。

全くもって、その通りである。僕の妻は、子育てや僕の職場や住まいの移動などいろいろあって、現時点では、フルタイムでの労働はしてない。ただ、これからの彼女の「生の基盤」を確立する上で、「妻が就労し稼得能力を得られるよう支える事」は、僕自身が具体的に実践出来ることだし、「妻は夫の自分に経済的に従属し、自分に支配される可能性を、夫の側から回避しようとする試み」になりうる。それが、僕にとってのジェンダー不平等を越える、身近に実戦可能なDoing Genderの一つの可能性である。

「男性性を今のようなものとして理解し説明する、まさにそのことによって隠蔽される男の下駄、ジェンダー不平等があるのではないか、ということ、したがって、そのような男性性を前提にして何かを語る限り、それが例えば男性性(の抑圧)からの解放の主張であっても、男の下駄は影に隠れてしまうのではないか」(p259)

男性が女性より特権的地位にあるのは、「自立し自律した存在」というフィクションを、母や女きょうだいなどの女性(「家族の虚像」)によって担保され、お膳立てされ、そのことに無自覚なままでいるからである。これが、男性が「下駄を履かせてもらっている」実態である。このような「男性性」にまとわりつく「下駄」としての「ジェンダー不平等」をそのものとして認識しない限り、「男性性(の抑圧)からの解放」は進まない。男性が女性を稼得能力によって支配する。この冷酷な事実と向き合い、支配者としての男性が女性の「お膳立て」によって確保できている支配者としての特権の虚像=フィクション性に自覚的になる。それをあたかも男の実力だと誤解して、それで女性を支配しようとする暴力性にも目を向ける。その上で、別の形でDoing Genderするなら、「まずあなたの目の前にいる女性との関係から、それを始めなさい」という平山さんの指摘は、本当にその通りだと思う。

僕自身の「下駄」を自覚すること、そして僕自身が、支配者になり得ると言うことに自覚的になり、そこから「降りる」努力をするために、妻と話し合い、別の実践を試みる(Doing Gender)こと。また、「お膳立て」といったケア行為の本質的部分に用いられている労力に自覚的になり、それを一方的に妻に託していないかを意識し、僕自身もできる限り担うための工夫や努力をすること。

いま・ここ、から具体的に出来そうなことも、見えてきた。

違いを知るための対話

最近はオンラインでの講演やファシリテーションの仕事も増えてきた。そんな中で、僕にとって感慨深いのが、先月と今日行った二つの対話の場のファシリテーション。先月のご依頼は、とある精神科病院を持つ医療法人からのご依頼で、権利擁護に関する研修会。今日のご依頼は、とある入所施設からのご依頼で、地域移行に関する研究会である。

この二つがなぜ感慨深いのか。僕のことをある程度ご存じの方ならご承知かと思うのだが、僕は長年、脱施設・脱精神病院に関する研究を続けてきたし、そういう著作も出し続け、発信もしてきた。ご依頼くださった方々はそんな僕の来歴を知った上で、あえて入所施設や精神科病院の「中の人」の研修に招かれたのである。今日の研修会では、僕が9月に書いた入所施設批判のブログを読んでのご依頼で、その文章も研修会で配布されていた。(それを聞いて「ちょっと大丈夫かいな?」とこちらが心配になった)

せっかくなら、「中の人」がモヤモヤしていること、困っていることを対話してもらうことにして、事前課題を出し、その内容にそったワークショップ形式で臨んだ。精神科病院グループの研修では、事前課題として「あなたが障害者の権利擁護について感じていること、もやもやしていること、わからないことはどのようなことか?」を書いてもらい、入所施設の研修では「どういう人なら地域移行は可能/不可能だと思うか?」を書いてもらった。

すると、法人内研修ということもあり、事前課題としては皆さんの率直なモヤモヤや疑問がよせられた。精神科病院の看護師からは、医療保護入院の患者さんで本人は自宅に帰りたいのに家族が拒否していて、退院の方向性が定まらず、どう考えたらよいか、という課題が出されていた。入所施設の職員からは、強度行動障害の人でも地域移行は可能だと思うが、自傷他害のある人や大声を出す人などは地域で受け入れてもらえないのではないか、という心配事が出された。そして、そういうリアルな「モヤモヤ」に関して、職員間でダイアローグを何度かしてもらい、それに基づいて僕がおたずねしたり、課題を掘り下げる中で、どちらもあっという間に1時間半の研修は過ぎ去っていった。

研修のダイアローグの場では、それらのモヤモヤについて、異なる年齢・経験を持つ同じ法人職員で語り合ってもらったところ、色々な意見が出てきた。例えば医療保護入院の話で言えば、昔は病棟勤務をしていたけど、今は法人内の訪問看護部門で働いている人から、「家族の元に戻さなくても、一人暮らしの支援とか、方法論はいろいろあるはずだ」という意見も出された。強度行動障害の人のケースでは、別の入所施設で地域移行支援をした経験のある人が、「入所施設の落ち着かない環境で自傷をしている人が、一人暮らしや少人数になると落ち着いて、自傷が減った」と話してくれた。外部者の僕が「ああすべきだ」とshould, mustで説得しなくとも、法人内の色々なリソース・経験を持つ人が意見を出し合う中で、「そういうやり方もあるんだ」と気づいてもらえる、そんな場になったようである。

僕はこの二つの経験を通じて、3年前に宣言したことの、やっと入口に立てたようで、感慨深かった。

2017年の春、当時住んでいた甲府から京都まで片道5時間かけて、未来語りのダイアローグの集中研修に出かけていた。そのとき、1年後の自分自身の未来語りをする中で、こんなことを語っていた。ちょっと長くなるが、当時のブログから当該部分を抜き出してみる。

「この研修で、精神科病院の中で働く方々が、様々な苦悩を抱えているのを知りました。支援者は、自分自身の心配事をそれとして言えない。だからこそ、何かがオカシイと感じても、変わることが出来ない。それが結局「どうせ」「しかたない」という諦めや現状肯定につながってしまう。一方僕はそんな現実を問題視し、多すぎる精神科病院に関して、いつも外から批判をし続けて来ましたが、全然変わらない現実に、半分絶望していました。
しかし、今回の研修で、精神科病院の中の人と外の人が対等な場でダイアローグすることが出来たら、そこから風通しが良くなり、精神科病院の現場での苦悩が表面化することで、解決策に結びつくきっかけがうまれるのだ、と思いました。その中で、ちゃんとダイアローグされている病棟現場なら、声高に『脱施設』と言わなくとも、『重度かつ慢性』の人も含めて、どうしたら退院できるか、を話し合う土壌が生まれると思います。
そういう意味で、僕は精神科病院の中の人と外の人が開かれた場でダイアローグ出来るような1年後になっていてほしいし、そのためにはこの1年間で、そういうダイアローグが出来るためのファシリテーターとしての腕を上げたいです。」
「未来語りのダイアローグ」という希望

2018年4月は、山梨学院大学から兵庫県立大学に職場を異動し、住まいも甲府から姫路に移動した最中だったので、1年後に、この未来語りは実現出来ていなかった。でもそれから2年半後にやっと、「精神科病院の中の人と外の人が対等な場でダイアローグする」場を作ったり、「声高に『脱施設』と言わなくとも、『重度かつ慢性』の人も含めて、どうしたら退院(退所)できるか、を話し合う土壌」を作るお手伝いを始めることが出来た。亀のように歩みはノロいが、やっとはじめの一歩を踏み出し始めたような気がする。

なぜそれが可能になったのか。その理由が、今日の本題である「違いを知る対話」であると感じている。このことについて、二カ所の場で話したことの大意は、以前ブログに書いてるので、当該部分を貼り付けてみる。

『対話には、二つの対話があります。①「違いを知るための対話」と②「決定のための対話」です。当事者研究をしている東大の熊谷晋一郎さんは、セルフヘルプグループで行われているのは、「共有のための対話」であり、企業などの意思決定は「決定のための対話」である、とその違いを言っている。実は僕がADを学んだトム・アーンキルさんの所属する研究所では、何かを決める日には、午前中にお互いの意見の違いを出しあった上で、ランチブレイクを挟んだ上で、午後、決定のための対話をする、という。つまり共有や違いを知るための対話と、決定のための対話をわけているのです。
そして、今日の場面では、決定のための対話ではなく、違いを知るための対話だと思います。だからこそ、違和感があったり、納得出来ない声も出てくると思います。でも、自分とは違う声がある、と知ることで、その声を受け止めることで、それを納得しなくても、違いを理解出来ればよい、となるはずです。
不安が高まって、どうしてよいのかわからない、先の見えない今の時期ほど、いきなり決定のための対話をするのではなく、違いを知るための対話をすることが大切だし、今日の対話もそういう対話なのだと思います。』
心配事を意識化する

医療保護入院のケースにおける本人とご家族の意見の対立、強度行動障害で自傷他害をするご本人と支援者や家族の意見の対立。どちらも、これが論理的に一義的に正しい解答、という正解はないケースである。むしろ、Aという解決案と、Bという解決案に、どちらも論理的整合性があり、しかもAとBで価値対立している(時には「神学論争」状態になっている)場合、ともいえるかもしれない。その際、何とか手立てを考えなければ、といきなり「決定のための対話」を行っても、簡単に解決案も出てくるはずもなく、AとBは対立は深まるばかりであり、すると消去法的な(とりあえずの「現実的」と言われる)選択肢として、精神病院や入所施設への長期社会的入院・入所をせざるをえない、という帰結に至る場合も少なくない。

そういう「どうしてよいかわからない」「モヤモヤする」ケースについて、一人で抱え込んでいても、どうにもならない。そういう時こそ、決定のための対話、の前に、お互いがどう思っているか、何が出来そうか、を率直に出し合う「違いを知るための対話」が必要不可欠なのだと思う。自分とは違う他者の他者性を知る対話、他者の内的合理性を理解する対話、とでも言えようか。

そして、話をしてみたら、意外な人が、意外な側面から、こういう事も出来るのではないか、こんな事例もあったけど、別の見方も出来るのではないか・・・という可能性を示してくれたりする。聞く方も、何かを決める対話だと、発言に結果責任が伴い、ゆえに自己防衛的に自分の主張に固執したり、ましてや己の非を認めにくいが、不安や心配事、モヤモヤも含めてお互いの率直な気持ちやアイデアを批評・批判せずにシェアする場なら、その緊張感はほぐれて自由に話が出来る。そして、気楽に他者のモヤモヤやアイデアに触れることが出来る。その中で、「医療保護入院しかない」「地域移行は出来なさそうだ」という閉塞感は、「他の人も感じていたんだ」と知るだけでなく、「もしかしたら自分自身の思い込みかもしれない」「他にやれそうな可能性があるのかもしれない」というヒントを抱くことが可能になる。それが、「出来ない100の理由」を超える「出来る一つの方法論」の模索に繋がる。

あと、この3年で僕が大きく変わったのは、僕が話す量をできる限り減らし、皆さんの対話を深める役割に徹したこと。前回も今回も、1時間半のなかで、3つの話題をについてグループで10分ずつ話してもらい、発表者にお尋ねする中で僕が掘り下げると、それだけで1時間近くかかる。すると、僕が伝えられる内容は正味20分程度のもの。でも、僕自身が研修で「説得モード」で語るのを手放し、「いま・ここ」で生み出される参加者の皆さんの言葉を引き出しながら、その言葉に基づいて、皆さんと一緒に納得し合える何かを形成するwith-nessモードで対話的に場を作っていくと、以前より遙かに深く言葉が届くような気がする。そして、それは3年前に予期した「僕は精神科病院の中の人と外の人が開かれた場でダイアローグ出来るような1年後になっていてほしいし、そのためにはこの1年間で、そういうダイアローグが出来るためのファシリテーターとしての腕を上げたいです」ということが、1年では達成できなかったけど、遅まきだけど、ちょっとずつ、成果を出し始めているのかもしれない。

もちろん、どちらも一回の研修で劇的に何かが変わるわけではない。議論は始まったばかり。だけど、僕自身にとっては、想起した未来の、やっと入口に立てたような気がするので、備忘録的に記録しておく。

シンバル猿にならないために

シンバルを叩くおさる。それは最近はあまり見かけなくなかったが、昔はよくおもちゃ屋に売っていた、あの三三七拍子のお猿である。そんなシンバルを叩く猿に関する恐ろしい話を聞いた。

先日、こども園の保護者会に出かけたところ、理事長が運動会の振り返りの話をしてくれた。うちの子の通うこども園は、「子供を見せ物にするな」と言うポリシーで、一糸乱れぬ行進とかマスゲーム、鼓笛隊の演奏などは全くない。それはなぜなのか、と言う話をする中で、理事長が語ってくれたことが衝撃的だった。

「私は本当は鼓笛隊の指導がすごく上手なのです。びしっと揃えて子供たちを演奏させることができます。保護者からもずいぶん評判が良かったんです。でもある日、商店街でシンバルを叩く猿を見たとき、そのおさるの均一的なリズムが、子供たちの鼓笛隊と重なってしまったんです。それ以来、子供を機械じかけのようにして良いのだろうかと言う疑問が浮かび、以後、笛や号令に合わせて秩序よく子どもを動かすようなアクティビティを止めよう、と決めたんです。」

このエピソードは、とても印象的だったし、ハッとさせられた。僕自身が、大学と言う現場において、シンバルを均質なリズムで叩くおさるのように秩序付けられた「よい子」と沢山出会うからである。そして、それはブログで紹介した『ファシズムの教室』をも思い出させる。田野さんが大学でやっていた実験授業で、一糸乱れぬ整列などを体験した学生が、こんな感想を寄せていた。

「規律や団結を乱す人を排除したくなる気持ちを実感した」
「250人もの人間が同じ制服を着て行動すると、どんなに理不尽なことをしても自分たちが正しいと錯覚してしまう」(p116-117)

実はこの秩序感の気持ちよさは、幼稚園やこども園のマスゲームとか、鼓笛隊とかそういう段階から、延々と再生産され続けているのである。笛を吹いて、号令をかけて、右向け右、と整列させ、子ども達がそれにピタッと従う。それは、子ども達の自生的秩序ではなく、号令や笛を吹く人というひとつの権威や権力の秩序に従わせる姿である。一方、僕の子の通うこども園では、子ども達の自生的な秩序を生み出すことを大切にしている、という。年長組の子ども達が運動会の運営にも全面的に協力し、年下の子ども達を導き、みんなで運動会プログラムを作り上げていこうとする、という。そして、年下の子ども達も、お兄ちゃんお姉ちゃんに導かれて、一緒になって活動を楽しんでいく、という。

僕も大学と言う現場で教員をしているとわかるのだが、教員の言う事に一方的に従わせる方がはるかに楽である。学生たちに自分たちで考えてもらい、学年を超えて連携してチーム活動を展開してもらうためには、大人の側がそれなりの仕込みをする必要がある。そういうめんどくさいことをするよりは、教員が一方的に指示をして、枠組みを決めて、その枠の中にはまりなさいと指導する方がはるかに楽だとわかっている。しかも、対象にしているのは、大学生ではなく園児である。それは並大抵ではない、と思う。

だが、その一方で思うのだ。園児の頃から、頭ごなしに大人の言うことに従わせるのではなく、子ども達が自分たちで考え、協働し合うのを大人が助けるのが当たり前となれば、この国の教育の形や社会の形はかなり大きく変わるだろうな、と。大人に一律に従わせるよりは、自分たちの頭で自主的に考えて動くように促すのは、遙かに手間も時間もかかる。でも、そうやって手間暇かけることで、主体的に自律的に考える子どもが増えてくれば、大学生ももっと溌剌としているのではないか、と。

大学で教えていて思うのは、シンバルを叩く猿のように規律を従順に守ることに必死になってきた「よい子」が沢山いる、という現実である。彼ら彼女らは、楽しくてシンバルを均一的に叩いているのではない。そうしろと言われたから、そうしたら自分たちはもっといいことがあると教え込まれたから、無批判に無意識に均一にいただくことが可能である。でも自分の音を出してごらん、自分のリズムで叩いてごらんと言われたら、途端にどうしてよいのか、わからなくなってしまうのだ。僕の授業は別に音楽やダンスの授業ではないのだが、「あなたはこの問題について、どんな意見を持っていますか?」と尋ねても、「この先生なら、どのような答えを言えば正解と認めてくれるのだろう?」という思考方法に慣れきってしまっている学生が、一定数いるのである。それは、シンバルを一律に叩く猿のように仕込まれた期間が長すぎて、誰かの号令なしに、自分のリズムで奏でるやり方をすっかり忘れてしまったようにも、思えるのだ。

大学という現場で、そういう標準化・規格化された意見から自由になれない学生たちの「武装解除」というか、「自分の意見を持ってもいいんだよ」と解きほぐすような授業スタイルに変えて、はや10年以上。その中で、子ども達のこの不自由さの元凶は、センター試験に代表される、「正解」を覚え込む受験勉強のせいだろう、と思い込んできた。だが、今回こども園での話を聞きながら、既に園児の鼓笛隊とか運動会の号令とか、そういうところから10年15年と積み上げられてきた、標準化された集団一括処遇の「成果」だ、とわかると、末恐ろしくなった。だから、日本社会では多くの子ども達が、時間をかけて「シンバルを叩く猿」として仕込まれていくのだ、と。それが、生きづらさや閉塞感をもたらす一因でもあるのだ、と。

そんな世の中は嫌だし、娘もそういう世界から距離を置いて育ってほしい、と思う。だからこそ、親として、教員として、何が出来るのだろう。そういうことを、その話を聞いてから、ずっと考え続けている。

追伸:3年前に書いた自発的隷従の起源と結びついているような気もするので、そのリンクも貼り付けておく。

制度に縛られない学びに向けて

『脱学校の社会』(東京創元社)はイヴァン・イリイチの主著であり、中身を読んだことはなくとも、タイトルだけは知っている人も多いと思う。僕自身は10年以上前に一度読もうとしたのだが、何を書いてるのかさっぱりわからなくて、途中で読むのを放棄した記憶が残っている。今回、『コンヴィヴィアティーのための道具』や『シャドーワーク』といった他のイリイチの著作を読んでから、改めてこの『脱学校の社会』を読んでみると、やっとイリイチが言いたかったことがスッと理解できた。イリイチは、教育そのものを否定しているのではない。学校による教育の制度化と硬直化を否定しているのである。

「一たび学校を必要とするようになると、われわれはすべての活動において他の専門化された制度の世話になることを求めるようになる。一たび独学ではだめだということになると、すべての専門家ではない人の活動が大丈夫かと疑われるようになる。学校においてわれわれは、価値のある学習は学校に出席した結果得られるものであり、学習の価値は教えられる量が増えるにつれて増加し、その価値は出席や証明書によって測定され、文章化され得ると教えられる。」(p80)

学校を必要とする=専門化された制度の世話になることによって、私たちは制度以外のやり方で学ぶこと=独学を否定することになる。つまり、学校化(Schooling)とは、「価値のある学習は学校に出席した結果得られるものである」という信念体系の強化である。ほんまもんの学びは本来、学校以外の独学においても可能なはずである。だが、学校で学ぶことのみが学習であると規定し、その学習は出席や証明書によって測定され、文章化することが可能だと言う信念体系も受け入れると、その数値化序列化された評価基準によって、人間自身の数値化や序列化が可能であると言う信念体系も強化されていく。そしてこれが、人々の制度化というか、人々の制度への飼い馴らしをも強化していく。

僕自身が以前イリイチを読んだのは、大学教員になってからだと思うのだが、その時は、内容がわからないと言うよりも、彼が告発していることを受け入れたくないと言う心的抵抗があって、彼の著作を理解できなかったのかもしれない。彼が言ったことを受け入れると、制度化された教育機関の最たるもの(の一つ)である大学を問い直し・否定することに繋がりかねず、その大学で働いている僕自身をも否定することになるのではないかと恐れ、この本はわからないと放り投げたのかもしれない。臭い物には蓋、ではないが、パンドラの箱を開けようとするイギリスの著作に対する拒否反応であったと考えると、非常にわかりやすい。

今回、同書を改めて読んでみて思うのは、彼は他者に強制される学びは否定しているが、自発的でおもろい学びは肯定し、むしろそれを称揚するためにこの本を書いているのである。イリイチの学習観が詰まった部分をみてみよう。

「本当は、人の成長は測定のできる実態ではない。それは鍛錬された自己主張の成長であり、どのような尺度やカリキュラムをもってしても図ることができないし、他人の成績と比較することもできないものである。このような学習においては、想像力に富む努力においてのみ他人と競い、また、人の歩き方を真似るのではなく、人の歩んだ道を辿ることができるのである。私が尊重する学習は、測ることのできない再創造なのである。」(p82)

教育に携わる仕事を15年以上しているが、「人の成長は測定のできる実態ではない」ということに、心から同意する。学びという内的成長=鍛錬された自己主張の成長を、外的な標準化されたスコアとして算出・評価するのは、あくまでも疑似的・外形的なものであり、本質的なものでは無いのだ。にもかかわらず、私たちは外形的スコアに拘束されてしまう。そのスコアこそ自分自身の本質なのだと誤解する。

1番わかりやすいのは偏差値であり、偏差値化された学校ランキングであり、偏差値信仰と言う命名が物語るように、それは1つの数字にしか過ぎないものを、最重要視する信念体系なのである。そして、僕自身もその偏差値信仰に、塾で受験勉強し始めた中学1年生のころから15年近く、どっぷりつかっていた。だからこそ、イリイチの本を一読した時、自分自身の信念体系が根底から揺さぶられているようで、理解したくなかった。他人の成績と比較し、人の歩き方を真似、偏差値の高い学校の証明書を求めるために努力していた、その己の努力は無駄だったのか、と。

だが僕自身が、この10年の間に、偏差値信仰を少しずつ相対化して考えることが出来るようになった。そんな中年真っ盛りで改めて振り返ると、僕自身が学んできたプロセスは、まさに鍛錬された自己主張の成長であり、想像力に富む努力を他人と競ってきたプロセスであり、人の歩んだ道をたどる旅であったと理解することができる。そして偏差値にこだわっていたら、大学卒業後には過去を振り返ることしかできなくなるが、偏差値信仰を超えて学び続けると、私自身の大人になってからの学びは、まさに測ることのできない再創造の旅であると言うこともできると思う。そして特筆すべき事は、制度化された学びに比べて、再創造の学びははるかにおもろい。止められない。気がつけば誰に言われなくても学び続けている。この自発性こそが、制度化された学びに欠落しているものであり、イリイチが重要視したことである。それをイリイチはコンヴィヴィアルと言う言葉を使って説明している。

イリイチは「制度スペクトル」という章で、その右端に「操作的制度」を置き、左端に「相互親和的(convivial)制度」を置いた上で、次のように述べる。

「スペクトルの右端の制度に共通な特徴は、強制的参加にせよ、サービスの選択にせよ、強圧的な性格を持っていることである。スペクトルの左端には、利用者が自発的に使用することが特徴となる制度、すなわち相互親和的制度がある。」(p107)

どの学校に入るか。これは自発的に決めているように思える。でも実際のところ、「これぐらいの偏差値ならここにしておけ」と言う形で、親や教師、予備校のデータによって強圧的に、方向付けがされてしまう。あくまでも試験の点数に過ぎない外形的な尺度で、大学の志望校も振り分けられている。

でも、僕が現任者研修などの「大人の学びの場」で出会うのは、自発的に学ぼうとする人々の集まりである。そういう人々には、コンヴィヴィアリティが存在する。それはどういうものか、をイリイチの別の本から定義づけしてみる。

「私は自立共生(convivial)とは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由であり、またそのようなものとして固有の倫理的価値をなすものであると考える」(イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』ちくま学芸文庫、p39)

学校化された学習の対極にあるのは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由に基づく学びであり、他者比較や数値化・序列化を求めない、学びそのものが固有の倫理的価値をなす行為である。そして、それが制度化された学校では決定的に欠けているのではないか、というイリイチの告発である。

それは確かにその通りである。だが、僕は学校の中であれ・外であれ、自分自身の教育活動としては、自立共生的な学びの場作りを心がけてきた。大学のゼミの卒論指導でも、なるべく学生たちが自分の興味あるテーマで、自発的に学び、その中で問いを持ち、それを解決するためにフィールドワークを行ったり文献を読んだりインタビューしたりするためのコーディネーション役割や、産婆術役割として機能してきた。あるいは『無理しない地域づくりの学校』のような大人の学びの場でも、自発的に作られたマイプランへ、こんな視点があるかも、こんな人と繋がってみたらいいかも、とアドバイスするくらいしかしていない。そして、ゼミでも大人の学びの場でも、安心して自分の本音を話せる場作りを心がけてきた。

学習の制度化を自覚的に相対化し、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由を取り戻すための、学びの協同体づくりを心がけてきた。これは、一つの私塾的な試みであり、コロナ危機で盛んになりつつある「オンラインサロン」のようなものかもしれない。

イリイチは自立共生的な学びを促進する四要因を以下のように述べている。(p146)

1 教育的事物等のための参考業務(Reference Service to Educational Objects – An open directory of educational resources and their availability to learners.)

2 技能交換(Skills Exchange – A database of people willing to list their skills and the basis on which they would be prepared to share or swap them with others.)

3 仲間選び(Peer-Matching – A network helping people to communicate their learning activities and aims in order to find similar learners who may wish to collaborate.)

4 広い意味での教育者のための参考業務(Directory of Professional Educators – A list of professionals, paraprofessionals and free-lancers detailing their qualifications, services and the terms on which these are made available.)

この本が書かれたのは半世紀前の1970年。その当時はインターネットもウェブサイトもなかったので、本をネット検索できないし、お互いの得意なことをシェアする方法も限定されていたし、同じ思いで学んでいる人とつながる事も出来なかったし、教えてくれる師匠や先達を見つけるのも至難の業だった。でも、これらはみな、ネットで出来うることである。

すると学校でしかできない事を考えると、1から4を学習者がネットを使いこなして実現するために、自分の頭で考えること、主体的に判断すること、他者と協力し合いながら物事を進めること、・・・これらを促す役割が中心であり、究極のところそれしかない。そのような自立共生的な(コンヴィヴィアルな)学びの支援が出来ない学校なら、必要ない、ということになってしまう。そして、小中学校で上記のことを教えていたら、大学の役割は大きく変わりうるだろうと思う。

とはいえ、50年たっても現実はなかなか変化していない。小学校で上記を教えるはずだった「総合学習」の時間は、多くの学校では不活発なままだとも聴く。それは、子どもが学びたがらないのではなく、教師の側が教科教育(国算理社体音)にこだわり、それを有機的に結びつける総合学習に意義や価値を見いだしていないから、とも、小学校現場の先生から伺ったこともある。すると、教える側の制度化への縛りを解きほぐす必要は、50年前と変わらず今もあると思うし、学校の教員こそ、まずは率先して自律的で主体的で協同的な学習を面白がっているか、が問われていると思う。

僕は少なくとも、偏差値信仰が自分の中で成仏され、薄まるにつれ、学びがどんどん面白くなっている。そして、イリイチの他の本とも、今更ながら、やっと出会えそうである。

僕の中のクレオール性

宮地尚子さんの新刊『トラウマに触れる』(金剛出版)を読み始めて、真っ先に吸い寄せられたのが、「学問のクレオール」という論文である。クレオールとは何かをよくわからずに読み始めたのだが、僕のことそのものが書かれているようだった。

「クレオールとは、もともと仏領アンティルなどで日常の話し言葉として使われている『クレオール語』から来ているのですが、『純粋性』ではなく『混血性』、『普遍性』ではなく『多様性』、『起源』ではなく『生成』を立脚点とする世界観と言っていいでしょう。」(p292)

宮地尚子さんは、医学部を終えて研修医の時に医療人類学と出会い、医学と人類学という「違う文化」的前提を持つ学問を越境しながら、トラウマ研究を続けてこられた日本の第一人者のお一人である。そんな彼女の来歴が書かれた小論を読みながら、実は僕自身のクレオール性=混血性、多様性、生成的立ち位置、に思いをはせていた。

僕の師匠はジャーナリストの大熊一夫である。酔っ払ってアル中患者のふりをして精神病院に「潜入」し、「ルポ・精神病棟」を1970年2月に朝日新聞夕刊に連載して以後50年間、日本の精神医療の閉鎖性や抑圧性、構造的課題を追い続けてきたジャーナリストであり、『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』など数々の名作を作り続けておられる。そんな彼が大阪大学人間科学研究科に新設された(その後解体された・・・)ボランティア人間科学講座の教授として迎え入れられた1998年、僕は院生として師匠に弟子入りした。その時、僕がその後20年以上、クレオール性と苦しみながら向き合うことになるなんて、全く予想だにしないまま。

師匠は朝日新聞や週刊朝日で叩き上げられた取材や文章技法のノウハウを僕に惜しみなく伝えてくださった。「文章は省略と誇張だ」「見出しで全てが決まる」「できる限り短い文章で要点を書く」「本を読んで分かったつもりにならず、自分の足で稼げ(取材せよ)」「接続詞はできる限り省いても、意味の通る文章を書くべし」・・・。どれも、読ませるジャーナリストの文章としては必要不可欠な教えである。その基準で僕の文章も真っ赤に赤を入れてくださり、僕は文章の書き方を鍛えられた。それでずいぶんと文章修行をさせて頂いた。

だが、すでにお気づきの読者も多いと思うが、アカデミズムの文化では、上記の教えは受け入れられないものが多い。卒論を書いている時からお世話になっていた、アカデミズムの世界の師匠である社会学者の厚東洋輔先生は、ご自身曰く「アームチェア社会学者」であり、徹底的に文献を読み込んでその内在的論理を推論しながら世界の本質に迫る学者である。理論的言語を追いかける時に、「省略と誇張」なんてもってのほかである。見出しより論理展開の方が当然重要視される。つまり、アカデミズムの文化とジャーナリズムの文化では、重要視される文化的前提が異なるのである。・・・と言うのは簡単、でも両方に目配りするなんて、20代の僕に簡単に出来るはずもなく、めちゃくちゃ困った。

師匠に教わった、ギリギリと対象に迫る思考方法や、10取材して初めて1を書くことが出来るという、裏を取る取材方法などは、僕の中で欠くことの出来ない研究の前提となっている。その一方で、査読論文ではあまりにジャーナリスティックな文体だと、文化が違うがゆえに受け入れられない。そのため、院生時代になっても、厚東先生にアカデミズムの文化における受け入れ可能な査読論文の書き方を教わることで、その両者を越境しようと苦労した。

そして、越境で苦労しているのは、これだけではない。そもそも、学部時代は社会学の端っこにいて、でもほとんど社会学は勉強していなかったのだが、大学院以後、精神医療の構造的問題に迫るうえでは、あるいは脱施設化や権利擁護の研究をする上では、社会福祉学の学的叡智も必要不可欠である。博士論文の指導教官をしてくださった大熊由紀子さんの「えにし」のおかげで、「ノーマライゼーションの原理」を日本に広められた河東田博さんから直接学ぶチャンスがあり、障害者福祉における自立生活運動との繋がりなどは、名著『ケアからエンパワーメントへ』(ミネルヴァ書房)を書かれた北野誠一さんに学ばせて頂き、北野さんにはカリフォルニアの権利擁護機関の調査にも連れて行って頂き、耳学問で学ばせて頂いた。つまり、福祉社会学と社会福祉学は、どちらが専門というほど勉強している訳ではないが、常にどっちも気にしながら、その両者の隙間=ニッチ産業のように立ち回ってきた。

アカデミズムとジャーナリズムの、福祉社会学と社会福祉学の、二重の意味での狭間で苦しんできたのだが、それにクレオール性=混血性、多様性、生成的立ち位置という意味があったのか、と知ると、ずいぶん違った景色が見えてくる。少し前に「『ソーシャルワーカーの社会学』に向けて」という論考も書いたが、宮地さんの論に触れた後では、あれは自分自身の生成的立ち位置を記述した論考なのかもしれないな、と思い始める。

宮地さんはもう一つ、印象深い記述をしておられる。

「学問のクレオール化は、新たなパラダイムを創出するというより、境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動きと言えそうです。それは学問を学問的対象にしつつも、同時に方法論として用いなくてはいけないという意味で、ある文化を生きながらそれを学問対象とするネイティブ人類学者と同じ営みであり、インフォーマント以上、(欧米出身の)人類学以下といいう中途半端なポジションをあてがわれるという意味でも、ネイティブ人類学者と同じ地平にあります。」(p302)

「中途半端なポジション」。この言葉ほど、僕自身の立ち位置を一言で明確に表す言葉はない。そして、僕は自分自身の中途半端さに苦しみ、劣等感を持ち続けてきた。宮地さんが言うように、この20年くらい、「境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動き」を続けてきた。でも、中途半端さゆえに、見えてくる世界もあるのだ。「ネイティブ人類学者は、自文化を翻訳します」と整理した上で、宮地さんはこんな風にも書く。

「興味深いことに、コントロールを半ば奪われた中途半端な場所で無数の斜線を引くうちに、逆説的に甦ってくるものが『自分自身の言葉』なのかもしれません。」(p303)

翻訳は、二つの言語の間で無数の斜線を引く作業である、という管啓次郎氏の定義を用いた宮地さんの言葉に、ハッとさせられる。二つの文化の「あいだ」にいるからこそ、その中で、「コントロールを半ば奪われた中途半端な場所で無数の斜線を引く」という「みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をし続けるなかで、「逆説的に甦ってくるものが『自分自身の言葉』なのかもしれ」ないのだ。

一つの文化にどっぷりつかると、その文化の言語を話しているだけで生息することは可能になる。ジャーナリズムの言語であれ、社会学の言語であれ、社会福祉学の言語であれ、単一の文化の単一の言語を話し続け、その専門家になれば、わざわざ越境する必要はない。むしろ、その言語文化の世界を深く掘り下げることに、意味や価値がある。

だが、アカデミズムとジャーナリズムの、福祉社会学と社会福祉学の「境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をしてきた僕は、確かに中途半端だった。でも、その中途半端な立ち位置で、両者に伝わる言語を必死になって模索する、自文化の翻訳作業を続けるなかで、『自分自身の言葉』を逆説的に持ち始めたのかもしれない。

僕にとってその自分の言葉を探すのが、ブログであり、それを初めてまとまった論考として書けたのが、博論を書いてから10年後にやっと初めて書き上げた単著『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)だった。しかも、この単著は、博論の内容をごく一部しか用いず、それ以外の内容は、今となって振り返ってみると「ある文化を生きながらそれを学問対象とする」、つまりは「自文化を翻訳」する「ネイティブ人類学者」宣言の本だったのかもしれない。

アカデミズムの師匠である厚東先生にお送りした時、一冊目にこんな本を書くとは思わなかった、と言われ、二冊目は主題と副題をひっくり返すような内容を期待している、とメッセージを頂いた。その後産み出した二冊の単著『権利擁護が支援を変える—セルフアドボカシーから虐待防止まで』『「当たり前」をひっくり返す—バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』(ともに現代書館)は、まさにそれを模索した本である。でも、一冊目にどうしても僕が『枠組み外しの旅』を書かねばならなかった理由とは、自分のヴォイスや文体を探し、自分の言葉で書くスタイルを確立する必要があったからであり、それはすなわち僕なりの「学問のクレオール」宣言をしておかなければならなかったからだ、と宮地さんの論考を読んで、やっと腑に落ちた。

ただ、この論考はもともと2001年に書かれたものである。つまり僕がそのクレオール性をどう整理してよいかわからなかった大学院生の頃に、既に宮地さんは整理されていた。読むのが遅すぎた、ともいえるかもしれない。でも、その当時読んでいても、僕はこの宮地さんのメッセージを適切に受け取ることは出来なかったと思う。自分なりに「中途半端さ」に悩み、「みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をし続け、『枠組み外しの旅』を書き、さらに自文化の翻訳作業を地道にし続けていた今だからこそ、やっと彼女のメッセージを我がこととして受け取ることが出来たのかもしれない。

そう思うと、今ようやく僕の中のクレオール性を言祝ぐことが出来るようになってきたのかも、しれない。宮地さんの文章に、20年後の今、出会えて感謝している。

できる一つの方法論

世の中には、何か新しいことをやろうとした時、2つのパターンに分かれることが多い。ありがちなのは、「できない100の理由」を述べるタイプである。前例がない、かつて試したがうまくいかなかった、また機が熟していない、○○がない・・・とにかくいろいろな理由をつけて、であるが故にできないのだと自己肯定化する。これは学生だけでなく、前例踏襲主義が激しい「官僚的な働き方」(お役所、民間問わず)をしている人の中には、しばしば見られる思考形態である。

他方、もう一つの対照的なアプローチもある。様々なできない理由を前にして、「では一体どのようにしたら実現可能なのか?」をギリギリと自分の頭で考え、実際に一つ一つ試行錯誤しながら模索していく。「できない100の理由を述べる」タイプの前者に対して、「できる1つの方法論を模索する」タイプの人である。

今日、ご紹介するのはそんな「できる1つの方法論を模索する」川口加奈さんが書いた本。タイトルだけ見れば、伝えたいメッセージがズバリわかる一冊。

『14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考え続けてやっと見つけた「働く意味」』(川口加奈著、ダイヤモンド社)

彼女は14才の時にホームレスの“おっちゃん”に出会い、炊き出しに関わりだしてから、ホームレス支援を自分のテーマとして持ち続け、大学生の時にホームレス支援団体であるHomedoorを立ち上げ、理事長として、ホームレスの就労支援であるレンタサイクル事業のハブチャリや、生活応援施設「アンドセンター」などを立ち上げていった社会起業家である。

僕は2013年に川口さんの活動を取り上げて放映されたハートネットTV「未来へのアクション」を拝聴して以来、毎年のように授業でも取り上げ、学生たちに見てもらっていた。当時大学生だった川口さんが、NPOを立ち上げてハブチャリ事業をスタートさせている様子をみて、多くの学生たちは「自分と同じ年代でここまで出来るなんてすごい」と一様に驚きながらも、「川口さんのような信念は自分にはない」「社会起業家になれるのは、タレント性のある、自分とは違う世界の人だ」という感想も少なからず寄せられていた。そんな折、彼女がこれまでの経験をまとめた単著を拝読して、今日のテーマに引きつけてご紹介したいのが、「できない理由の乗り越え方」と題した次のコラムだ。

「何かやろうと思ったとしよう。勉強でも趣味でもいい。でも、できない理由、やらない理由を考えだして結局やらなかった。そんなことも多いと思う。何もしないほうが楽だし、邪魔しようとする人や様々な誘惑も現れる。こういう時、私が無理矢理モチベーション上げるのではなく、やらなければならない環境を自ら作り出すことにしている。
たとえば、何かの資格を取得したいとしよう。そのための学校に通ってしまうというのもひとつの手だと思う。ただ、その願書を出すのも面倒だと言う意見もあるだろう。私の対処法は、タスクをかなり細分化して見えるところに掲示すること。他の専門学校と比較する、専門学校に電話をかける、願書を取り寄せるなど、一つ一つの過程を細かく分けると大きな目標である「資格取得」も、小さな目標から始められて取り組むことへのハードルが下がる…気がする。」(p158)

この短い文章の中に、様々なヒントが隠されている。川口さんの試行錯誤のプロセスを読みながら、川口さん自身、ホームレス支援に関して何もしないほうが楽だと思った時期もあったり、様々な誘惑もあったと著書のなかで語っていた。でも彼女の場合、学生時代に団体を一緒に立ち上げたスタッフが離れていくなかで、やらなければならない環境に追い込まれたり、あるいはホームレス支援のビジネスプランの企画書を書き続けるなかで自らその環境に飛び込んでいった。

さらに言えば、タスクをかなり細分化すると言うやり方は、川口さん自身が課題を乗り越えてきたやり方だけでなく、おそらく川口さんがホームレス支援をする時にも同じような支援の仕方をしているであろうことが想像できる。いちど仕事を離れてしまい、履歴書に空白時間ができてしまうと、なかなか就職活動がうまくいかない。すると自暴自棄になったり、自分はもうダメだと諦めてしまい、ホームレス状態になってしまう。自尊心も大きく落ち込む。そのような人々が自信を取り戻す上では、いきなり大きな一般就労のような目標を掲げるのではなく、スモールステップとして、まずシャワーを浴びて身だしなみをきれいにしてみるとか、短時間就労をしてみるとか、割と容易に実現可能な小さな目標に区切り、それを達成して自信をつけていくプロセスが重要なのだと思う。

事実、川口さん達が最初に立ち上げたハブチャリの事業では、自転車の整備とか、レンタルで貸し出す接客とか、自転車を回収するとか、そういう細かい工程に分けることにより、比較的誰でもその仕事に取り組むことができ、それがきっかけになって自信を取り戻し、以前やっていた業界の仕事や、別の長時間労働に復帰していくおっちゃん達と沢山出会ってきた、という。

まさに、川口さん自身も、おっちゃんたちも、出来る一つの方法論を模索しているのである。その試行錯誤の精神は、「まずは実験をやってみる」というコラムにも表現されている。

「実証実験のような、まずは小さくても試しにやってみる、スモールトライの必要性は、この10年間で何度も体感した。たとえ準備不足でも、「実験」と言うマジックワードであれば、トラブルがあってもお客さんからそこまで怒られることもない。しかも、こういうことを始めますと宣言することで同じことを目論んでいる人に先制できる可能性もあれば、その人と連携できるチャンスもある。さらには、反応が悪ければやめてしまってもいいわけで、自由度が非常に高い。プレスリリースを活用すればメディアにも取り上げてもらえるし、本格的に始動するときには、すでに実験をやりましたという経歴が強みとなる。内容にはよるけれど、工夫を重ねればお金も多くはかからない。何かをやろうとしてる人に、スモールトライは非常におすすめだ。」(p199)

何もしないわけでもないし、いきなり永続的に始めるわけでもない。その間の実験。実験には当然仮説が必要になる。しかも一定程度角度の高い仮説でないと、そもそも実験を始めることができない。多くの人を説得したり資金を集めることもできない。しかしながらあくまでも仮説を実証する実験であるから、永続的にやらなければいけないという縛りはない。これは「自由度が非常に高い」。しかも、前例踏襲主義に縛られている立場の人に向かっては、「こういう実証実験をしました」というのは立派な「前例」として機能する。上手くいかなかったら、やめることも出来るし、改善して別の策を見いだすこともできる。試行錯誤のなかで、仮説生成的というか、仮説をより確度の高い事業プランに練り上げていく実証実験のアプローチは、社会的な何かに取り組んでみたい人にとって、すごく役立つアプローチだと思う。

その上で、彼女は15年間ずっと、ホームレス問題に端を発し、住むところがない人の生活支援問題にブレずに取り組み続けている。近年では児童保護施設出身の若者や、LGBT など性的少数者、あるいはDV被害の女性など「おっちゃん」以外の同じカテゴリーに属する人の支援にも携わっている。それを、福祉的な視点だけでなく、様々な企業や役所とも連携しながら、関西人的な言い方をすると、使えるもんは何でも使いまくって、人生からの転落防止柵としてのHomedoor事業を継続しておられる。

こういう「出来る一つの方法論」を模索してこられた彼女のプロセスから学ぶことは多いし、是非とも学生さんや何かにチャレンジしたい人にお勧めしたい。そんな一冊である。

ミドル・パッセージを生きる

今年で45才。中年真っ盛り、である。僕と同じように中年にさしかかった友人から、今の心に深く響く一冊を教わった。人生半ばの通り道について、アメリカ人のユング心理学者が書いた本である。

「ある朝、私たちは鏡の中に、自分という敵を見つけてしまうのである。自分の劣った性質に向き合う事は辛いことかもしれないが、それらを認識する事は他者への投影を自分に引き戻すことの出発点となる。ユングは、私たちが世の中のためにできる最善の事は、影を投影するのはやめて、自分でそれを引き受けることだと気づいていた。世の中で間違っている何かは、自分の中で間違っている何かであり、結婚生活で間違っている何かは、自分の中で間違っている何かなどと言う事は相当な勇気を必要とする。しかし、そのように謙虚になった時こそ、私たちは、自分たちの暮らしているこの世の中を良くすることに着手しているのであり、人間関係や自分自身を共に癒すための条件をもたらしているのである。」(『ミドル・パッセージー生きる意味の再発見』ジェイムズ・ホリス著、コスモス・ライブラリー、p79)

芸能人、政治家、近所のおばさん、コンビニの店員、飲み屋のオッサン、目障りな上司・・・誰でもいいけど、誰かがむかつくと言う時に、実はその相手の中に「自分という敵を見つけてしまう」のである。ユングはむかつく相手に自分の劣った性質=影を押し付けることを投影と名付けた。しかし、目障りなのは他人ではなく、他人に投影した己の影=劣った性質なのである。それを自分で引き受けることが出来るか、が問われている。

だが、「世の中で間違っている何かは、自分の中で間違っている何かであり、結婚生活で間違っている何かは、自分の中で間違っている何かなどと言う事は相当な勇気を必要とする」。たしかに、そのとおり。気がつけば、我が家における失敗について、ついつい「妻のせい」にしている自分がいる。でも、それは間違いなく「自分の中で間違っている何か」である。あるいは、言うことを聞いてくれない子どもや、指示に従わない学生に対しても、相手のせいにしがちだが、それも間違いなく「自分の中で間違っている何か」なのである。コミュニケーションパタンの悪循環においては、相手ではなく、己のパタンの間違いにこそ、自覚的でなければならないのに、はまり込んでいる悪循環だからこそ、「相手が悪い」と思い込みやすい。

なぜ、それを自分の問題として引き受けられないのか。著者は「自分の劣った性質に向き合う事は辛い」と端的に指摘する。そう、見たくない部分は、「相手のせいであり、相手の性格や仕業」だとラベルを貼る=投影しているうちは、自分には関係のない「他人事」である。でも、相手という「鏡の中に、自分という敵を見つけてしまう」のは、これほど恐ろしいことはない。相手の欠点だと批判していたものが、「自分の劣った性質」につながるのだから、ブーメランのように批判が己の喉元に突き刺さる。痛いこと、この上ない。しかし、それを統合することにより、別世界への道が開けてくる。

「影の統合で要求されるのは、私たちが社会の中で責任を持ちつつ、しかし同時に自分自身に対してもっと正直に生きることなのである。ペルソナの世界のデフレーションを通じて、私たちは自分たちが今まで暫定的に生きてきたことを知る。喜びに満ちたものにせよ、不愉快なものにせよ、ありのままの内的真実を統合すること、それは新しい人生をもたらし目的を取り戻すためには不可欠なのである。」(p81)

役割や社会的立場との自己同一化を、ユングは「ペルソナの世界」という。そして、人生の前半においては、そのような「ペルソナの世界」を最大限に追い求めてきた人は少なくないだろう。僕自身も、大学教員とか、研究者とか、そのようなペルソナの世界の最大化に努めてきた。しかしながら、確かに中年の危機においては、そのようなペルソナとの自己同一化に疑問を感じ、自分は一体何のために生きてきたのだろうという 問いを持つことによって、ペルソナの世界のデフレーションが始まる。それは暫定的に生きてきた世界ではない、ありのままの内的真実を模索する姿でもある。それは「自分の劣った性質に向き合う事」でもあるため、不愉快なものである場合もしばしばだ。

だが、劣った性質を他者に投影せず、それも自分自身の一部であると引き受けた上で、「自分自身に対してもっと正直に生きること」ができたら、「新しい人生をもたらし目的を取り戻す」旅が始まる。それが、個性化である。

「個性化と言う概念は、私たちの時代のためにユングが示した、魂のエネルギーにとって道案内人となる一連のイメージを表す神話である。簡単に言えば、個性化とは、宿命によって課された限界の中で、可能な限り自分自身になるという、各自に課せられた発達上の不可避の要請である。繰り返すが、意識的に宿命と対峙しない限り、私たちはそれに縛られてしまうのである。」(p193)

「意識的に宿命と対峙」することによってしか、「宿命によって課された限界」による「縛り」を乗り越えて、「可能な限り自分自身になるという、各自に課せられた発達上の不可避の要請」に応えることはできない。当たり前のことなんだけれど、言うは易く行うは難し、である。

自分自身の性格や特性、家庭環境や仕事環境など、「もう少し○○だったら」と思うこともある。でも、そうやってそれを外部化して、誰かの何かのせいにしている限り、相手に投影する状態から抜け出せず、「自分の劣った性質に向き合う」ことが出来ていない。宿命に縛られてしまう。そうではなくて、「自分の劣った性質」や好ましくない環境を、「宿命によって課された限界」だと自覚化すること。その上で、その制約条件の中でも「可能な限り自分自身になるという」「意識的な対峙」が、人生半ばの通り道=ミドル・パッセージには求められている。

では、「意識的な対峙」を具体的にどうすればよいか。それも、この本では教えてくれている。

「「私の中のどこからこれらのイメージが来るのか、このイメージから思い浮かぶ事は何か、私の行為について、それらは何と言うだろうか」と。
自分の自己感覚〔自己についての理解〕を真に修正するための唯一の方法は、このような自我とセルフの間の対話を持つことである。正式なセラピーを受けなくても、「耳を傾ける」ための勇気と日々の習慣さえあれば良い。そして学んだことを吸収し、統合することができれば、一人きりでいても寂しさを感じない。」(p222)

自己内対話のことを、ユング心理学では「自我とセルフの対話」という。訳注によれば「セルフは自我をしのぐ超越的なものとされ、ユングは『自我が意識の中心であるように、セルフはこころの全体性の中心であり、また意識も無意識も含めたものである』と言っている」(p19)。人生前半は、意識の中心である自我を軸として、生きてきた。社会的役割や立場などのペルソナを追い求めるのが、自我的な生き方である。だが、自我の背後には、「自我をしのぐ超越的なもの」であり、「こころの全体性の中心であり、また意識も無意識も含めたもの」としての、セルフがある。

ただ、「自我をしのぐ超越的なもの」というと、なんだか自分とは縁遠い、神がかった世界に感じられる。でも、セルフに至る道とは、「宿命によって課された限界の中で、可能な限り自分自身になる」道なのである。自分から遊離して、空想にふけることではない。逆に、あまりにも土着的、というか、自分の日常の中で沸き起こる、イライラやむかつき、腹立ちなどにも目を向けた上で、それらを「日々の生活に象徴として現れるもの」(p222)として受け止め、「私の中のどこからこれらのイメージが来るのか、このイメージから思い浮かぶ事は何か、私の行為について、それらは何と言うだろうか」と、自らに問いかけ直す。それが、可能な限り自分自身になる道であり、中年の時期にそこを通り抜けるのが、ミドル・パッセージなのである。

もちろん僕は聖人君子ではないので、まずはむかつくし、まずは腹が立つし、まずは妻のせいにしてしまう(笑)。でも一旦そうしてしまった後でいいから、振り返って考え直してみるのだ。そのむかつきや苛立ちは、自分の中の影ではありませんかと。そして、「私の中のどこからこれらのイメージが来るのか、このイメージから思い浮かぶ事は何か」とたぐり寄せるなかで、他者に投影した影を、そのものとして認め、自らの内的可能性として統合し直すことが可能なのだ。これは、これからの僕が追求したいことのひとつだ。

もうひとつ、今の僕に大切なことを紹介しておきたい。

「パラドックスは、これまで求めてきたものを全て捨て去ることによってのみ、私たちは、安定とアイデンティティーという人は欺きがちな保証を超越するということである。求めてきたもの全てを手放すのである。そうすると、不思議なことに、あり余るほどの何かが私たちの心にあふれ出してくる。その時私たちは頭で理解していること—ときにはそれも重要であるが—から、心の叡智へと移動するのである。」(p228)

「求めてきたもの全てを手放すのである。そうすると、不思議なことに、あり余るほどの何かが私たちの心にあふれ出してくる。」

これは最近僕も経験していることである。20代から30代にかけて、あんなに求めていたし、声高にあれこれ言い続けてきたことを、手放してみた。すると、向こうから色々とお声がかかり、オモロイ展開が始まりつつある。そのとき、僕は声高に主張しない。あくまでも、相手の声を受け止め、そこに応答していく。自分で流れを作り出そうと誘導したりせず、来た流れにふと乗って、どこに行くかわからない何かに身を任せてみる。それは、「これまで求めてきたものを全て捨て去ること」でしか出来ないし、確かに「安定とアイデンティティー」に安住してはいられない。でも、そういう安定やアイデンティティが、社会的役割や立場というペルソナだとしたら、それを手放して、「「耳を傾ける」ための勇気と日々の習慣」をもち、「学んだことを吸収し、統合すること」にこそ、心のエネルギーを費やす。他者を操作しようとするのではなく、流れに身を任せ、「あり余るほどの何かが私たちの心にあふれ出してくる」ままに、「心の叡智へと移動する」。

そういうことを、ミドル・パッセージで、練習し始めているのかも、しれない。

生活の自立と自尊を取り戻すために

シャドーワークというのは「賃金不払い労働」(=アンペイドワーク)だと思っていた。そして、賃金不払い労働というのは、賃金労働ではないものに対しても対価を払え、というフェミニズムの運動の中から出てきた言語だと思い込んでいた。だが、その発明者でもあるイヴァン・イリイチは、以下のように賃労働とシャドーワークの関係性を整理する。

「これは、産業社会が財とサービスの生産を必然的に補足するものとして要求する労働である。この種の支払われない労役は生活の自立と自尊に寄与するものではない。全く逆に、それは賃労働とともに、生活の自立と自尊を奪い取るものである。賃労働を補完するこの労働を、私は<シャドー・ワーク>と呼ぶ。これには、女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関する諸活動、家で学生たちがやたらに詰め込む試験勉強、通勤に費やされる骨折りなどが含まれる。押し付けられた消費のストレス、施療医へのうんざりするほど規格化された従属、官僚への盲従、強制される仕事への準備、通常「ファミリーライフ」と呼ばれる多くの活動なども含まれる。」(イリイチ『シャドー・ワーク』岩波書店、p192-193)

この指摘の中で着目すべきポイントは、シャドーワークを「賃労働を補完するもの」として捉えていると言う部分である。賃労働から排除されたものではなく、賃労働とシャドーワークは対の存在であり、シャドーワークのおかげで「産業社会が財とサービスの生産を必然的に補足する」ことが可能である、と定義する。その上で、焦点化すべき部分が二つある。一つは、家事育児という不払い労働に対価を払え、というのは、賃金労働を、「変えられない所与の前提」とした上で、その賃労働の範囲を広げよ、という主張である。だが、イリイチは、そもそも、賃労働とシャドーワークという二分法そのものを疑ってかかる。二つ目は、シャドーワークは賃労働を補完する労働であるため、その範囲を家事育児だけに限らず、試験勉強や通勤、教育・教育に代表される官僚制システムへの従属など、より広範な「ファミリーライフ」をシャドーワークと定義している点である。

鶴見和子はこの「シャドーワーク」を「影法師のしごと」と解釈した上で、以下のように整理している。

「影法師の仕事は、生存のための仕事(サブシステンス・ワーク)の対立概念である。中世期ヨーロッパでは、男女ともに生存のため最低限必要なものを自分たちの手で作って暮らした。結婚は生存のための仕事における男女の協働の基地であった。ヨーロッパでは、工業化による男女の役割分化が明らかになった19世紀前半に、男性は余剰価値の生産に駆り立てられる賃金ないしは給料取りに変身する一方、女性はそれを支える影法師の働き人に変化(へんげ=「トランスモグリフィケイション」)した。ただし職場への通勤に必要以上のエネルギーを消費することも、月給取りになるために学校で強制的に勉強させられることなども、影法師の仕事だから、男性もまた多かれ少なかれ、影法師的存在ではある。影法師におんぶしなければ、賃金取りも給料取りもできない仕組みになっている工業化社会のカラクリと、人間と自然との破壊をもたらすその恐るべき結果とを、イリイチは、この滑稽な表現によって警告しようとしたのである。」(鶴見和子「影法師のしごと」『イリイチ日本で語る 人類の希望』新評論p114-115)

「余剰価値の生産に駆り立てられる賃金ないしは給料取り」とは、生活の大半の時間を「余剰価値の生産」という「賃労働」に「駆り立てられ」、「生存のための仕事における男女の協働」をする余裕がなくなった人のことを指す。すると、家事育児だけでなく、通勤や強制的に勉強することも含めて、賃労働の対象外ではあるが、賃労働をするために必要不可欠な「影法師におんぶしなければ、賃金取りも給料取りもできない仕組み」ができあがる。これが「工業化社会のカラクリ」である。そこにも賃金を払え、というのが、未だ支払われていない賃金を支払え、という意味での「アンペイドワーク」の論理でもある。だが、そもそもイリイチが問うているのは、賃労働に駆り立てられることによって、生活の自立と自尊が奪われるのではないか、という問いである。賃労働とシャドーワークの対は、「生存のための仕事(サブシステンス・ワーク)」を消し去ろうとしているのではないか、という仮説である。

つまり、賃金が支払われない仕事と、賃金が支払われる仕事を対立させた上で、より多くの労働に賃金を支払えと言う論理は、「不払い労働」は労働として価値がない、という価値前提を認めることになる。そして、自らの「生活の自立と自尊」を売り渡して賃労働を行う現状を、追認することにもなる。イリイチはここに本質的な問い直しを行う。

「生活の自立と自尊を目指す活動を商品で代替する事は、必ずしも進歩とはみなされなくなっている。女性たちは、家事に伴う稼ぎのない消費活動が特権であるかどうか、あるいは彼女たちが実際には消費を義務づける支配的な構造によって堕落的な仕事を押し付けられているのではないか、を問うている。学生たちは、自分たちが学校へ行くのは学ぶためにあるか、それとも協力しておのれ自身の愚鈍化につとめるためか、を問うている。消費のために苦労が増え、消費が約束する心の安らぎはますます減っている。だんだん多くの人に知られるようになってきている事は、おそらくはそれほど非人間的でもなければ、それほど破壊的でもない、よりよく組織された労働集約的な消費と、人間の自立と自尊を目指す現代的な諸形態との間の選択である。この選択は、影の経済の拡大とヴァナキュラーな領域の回復との相違に対応している。」(イリイチ、『シャドーワーク』、p79)

「生活の自立と自尊を目指す活動」とは、自分の頭を使って考え、自分なりに試行錯誤しながら何かを産み出す活動だ、と仮に定義してみよう。その一方で、「消費活動」を「生活の自立と自尊を目指す活動」に対置するものと定義すると、自分の頭を使わなくても、試行錯誤しなくても、お金を出せば手に入る活動と定義してみよう。そしてそのような「商品」とは、標準化規格化された賃労働によって産み出されたものだ、としてみよう。

その上で、イリイチのいう「学生たちは、自分たちが学校へ行くのは学ぶためにあるか、それとも協力しておのれ自身の愚鈍化につとめるためか、を問うている」という課題を取り上げてみる。これは、自らも教育に携わる人間としては、この問いは自己否定に繋がりかねない、キツい問いだが、本質的でもある。

例えば僕の家の前には公立中学校がある。今年はコロナ危機でそうではないが、昨年までは毎年初夏のころ、中学校1年生向けの軍隊式の行進の練習がなされていた。号令に合わせて行進し、右向け右、回れ右、全体止まれなどの一糸乱れぬ形でやるように「教育」している。そして三角座りをさせ、乱れが生じたら先生からの怒号が飛ぶ。このようなことは、先生に反抗しない、自発的に隷従する身体を作り上げるための「教育」であり、イリイチの言葉に従えば、「協力しておのれ自身の愚鈍化につとめるため」の学校である。そうやって、世間に盲従することになれてしまえば、「消費を義務づける支配的な構造」を問うことなく、広告などで消費喚起されたものを自発的に購入し、その商品を購入するためには、よりよい賃労働は必要不可欠だ、と必死になって勉強し、先生に忖度し、良い成績・内申点を取ろうと必死になる。学校以外にも塾に通い、必死になってより偏差値の高い大学に合格しようと努力する。

これは、まさに賃労働主体になるための、賃金はもらえないけどそれに準備する「ファミリーワーク」としての、シャドーワークそのものである。そして、そのシャドーワークにおける子ども達の熾烈な競争主義は、さらに賃労働における弱肉強食主義を加速させ、「消費を義務づける支配的な構造」を問うことまま、そのような悪循環は再生産されていく・・・。

では、どうしたらこの悪循環を止めることができるのか? それをイリイチは、「生活の自立と自尊を目指す活動」であり、ヴァナキュラーな領域の回復である、という。

「ヴァナキュラーな仕事、つまり生存に固有の仕事(に価値:引用者挿入)を置く考えを、私としては提案したい。それは同じ支払いでない活動であるにしても、日々の暮らしを養い、改善していく仕事であって、標準的な経済学の内側で開発された概念を用いた分析では、全く捉え切れないものである。私はこうした活動に対してヴァナキュラーという語をあてたい。それというのも、「インフォーマルな部門」とか「使用価値」とか「社会的再生産」などの用語がカバーしている領域内では、この語によるのと同様な区別が可能な、一般に流布されている概念が他には見当たらないからである。ヴァナキュラーとはラテン語の用語であって、英語として用いられる場合には、有給の教師から教わることなしに習得した言語に対してのみ使われる。ローマでは紀元前500年から紀元後600年にかけて、家庭で育てられるもの、家庭でつくられるもの、共有地に由来するものなど、そのような価値のいずれをもあらわすことばとして使われた。さらにまた、人間が保護し、守ることができる価値—ただし市場では売買されない—を表す言葉としても使われた。商品とその影に対置させる用語として、この簡素な「ヴァナキュラー」という言葉を復活させてみてはどうだろうか。この言葉によって、<影の経済>の拡大と、その逆、つまり<ヴァナキュラーな領域>の拡大と区別することが可能になると思われる。」(イリイチ、『シャドーワーク』、p68-69)

イリイチのいう「ヴァナキュラーな言葉」とは、例えば「有給の教師から教わることなしに習得した」僕の話す関西弁である。部分的には商品を用いてはいるけど、「家庭で育てられるもの、家庭でつくられるもの」なら、我が家ではぬか漬けや塩麹、キュウリ・らっきょう・ショウガのピクルス、梅ジュースなどがある。どれも購入する商品より手間暇かかるし、へたをしたら安い完成品と同程度のお金がかかる場合もあり、「標準的な経済学の内側で開発された概念を用いた分析」では、非効率で無駄の多い作業かもしれない。でも、市販の商品よりは我が家の味として馴染んでいて美味しく、そうした食べ物を作るプロセスは、「日々の暮らしを養い、改善していく仕事」そのものである。なによりそれらは苦役としての賃労働やシャドーワークとは異なり、楽しいし、美味しい! そして、英語や日本語標準語をしゃべるときよりも、関西弁の方が、自分の気持ちが素直に表現出来るので、楽だ。

このような楽しさや、心地よさ、という感情を、賃労働とシャドーワークは商品を介在する形でしか認めない。そうしないと、多くの商品を買ってもらえないし、「経済が回らない」と思い込んでいるからだ。でも、楽しさや心地よさ、という感情や感覚は、過剰に消費をしなくても、ほどほどの消費で回っていくことが出来る。だが、このような発言は、消費をあおる生産性至上主義社会においては、禁句である。イリイチもこう述べている。

「「パックス・エコノミカ」はゼロ−サムゲームを守り、その公然たる進歩を保障するものだ。すべてのものがプレイヤーになり、「ホモ・エコノミクス」のルールを承認するように強いられる。このゼロ−サムのモデルに合うように行動することを拒否するものは、平和の敵として追放されるか、妥協するまで教育されるか、そのどちらかである。このゼロ−サムのゲームのルールでは、環境と人間労働の両者は希少な賭けである。そこでは一方が得をすれば他方が損をする。」(p35)

経済が支配する「パックス・エコノミカ」では、「一方が得をすれば他方が損をする」という「ゼロ−サムゲーム」がゲームのルールになる。そして、そのルールの中で勝ち上がる「ホモ・エコノミクス」として全ての人々がプレイヤーになることが強制される。「このゼロ−サムのモデルに合うように行動することを拒否するものは、平和の敵として追放されるか、妥協するまで教育されるか、そのどちらかである」。

生産性至上主義を括弧にくくろうとすると、狂人と言われて、精神病院に閉じ込められる。あるいは病院長であったフランコ・バザーリアが同じことをしたら、反精神医学だ、と、イタリアの精神医学会からは「平和の敵として追放され」た。しかしながら、ホモ・エコノミクスも、パックス・エコノミカも、人間の生存形態の多様性の中の一つに過ぎない。それ以外のやり方はあるはずである。にもかかわらず、「これしかない」「バスに乗り遅れるな」とばかり、「このゼロ−サムのゲームのルール」を極端に押しつけてきたのが、新自由主義的価値前提であり、規制緩和や労働市場の流動化、ニューパブリックマネジメントに代表される非市場領域の市場化・民営化ではなかっただろうか。

イリイチはこのようなパックス・エコノミカやホモ・エコノミクスに対抗する概念として、ヴァナキュラーな領域の回復を主張するだけでなく、「生活の自立と自尊を目指す活動」を重視した。別の本ではそれをコンヴィヴィアリティという形で整理している。

「私が差し迫ったものとして述べてきた危機は、産業主義社会内部の一危機ではなくて、産業主義的生産様式そのものの危機なのである。私が述べてきた危機は、自立共生的(コンヴィヴィアル)な道具か、それとも機械に圧しつぶされるかという選択に、人々が直面させる。この危機に対する唯一の対応の仕方は、危機の深さを完全に認識して、避けがたい自主的限界設定も受け入れることしかない。」(イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』ちくま学芸文庫、p234)

「産業主義的生産様式そのものの危機」なのだから、「産業主義社会内部」を漸進的に改良するだけでは済まされない。そうではなく、その生産様式に全面的に従うことに疑問を持ち、それ以外の方法で生きられないか、他の生活様式に基づいて、自立共生的(コンヴィヴィアル)な道具を用いて、「生活の自立と自尊を目指す活動」が展開できないか、を模索することである。塩と麹を配合して毎日かき合わせて塩麹を作る。ぬか床を毎日かき混ぜる。そのような、ごく小さい変化からはじめて、商品や消費に煽り立てられたり、過度に依存しない、自立共生的な食生活のあり方を考えてみる。

「このゼロ−サムのモデルに合うように行動することを拒否する」ことは、簡単ではない。でも、それを変えられない所与の前提として、「どうせ」「しかたない」と自発的に隷従するのではなく、「それ以外のあり方は出来ないだろうか?」とか、「賃労働とシャドーワークの両方に絡め取られない形で、子育てや家事などをするにはどうしたらよいだろうか?」という「問い」を抱き、誰かの「正解」を鵜呑みにせず、自分なりに頭で考えて、試行錯誤の実践をして見ることが問われているような気もする。

賃労働から完全に自由になることは、そう簡単ではない。でも、賃労働とシャドーワーク、というツインズの支配から、少しでも逃れるための努力は、可能である。苦役とか賃労働の為の準備としての「影法師」には、できる限り支配されたくない。自らの自立や自尊を取り戻すような、面白くて、楽しくて、そっちの方が楽だ、心地よいと思える、労働環境以外での生活をどう増やしていけるか。それは、子どもが喜んでくれるから、とピクルスや塩麹を作り始めた僕の動機とも一致している。そういう自立共生的な、コンヴィヴィアルな生き方の模索が、ある種の土着の生き方とつながっているのかもしれない。

しかし、土着の生き方、といえども、単なる復古主義とは違う。Zoomやメールなどを通じてオンラインで世界の多様な世界とつながり、そのつながりに喜びを覚えながら、移動を減らすことによって、時間的余裕を取り戻し、その時間をゆっくりゆったりまったりと、消費や消尽ではなく、「ヴァナキュラーな仕事、つまり生存に固有の仕事」をしながら、生を充実する。そういう生き方の領域をもっともっと増やしたい。

そう思い始めている。

そして、ツイッタにブログの紹介文を書いていて気づいたのだが、消費や賃労働とは別次元の「ヴァナキュラーな、生存に固有の仕事」を増やしていくことは、パックス・エコノミカという経済=生産性至上主義を越えるための、草の根レベルの個々人に出来るゲリラ戦的な生き方なのかもしれない、とも思い始めている。

ポリフォニックな物語

1冊で491ページもあり、他にも二分冊がある社会学者ブルデューの編著『世界の悲惨 Ⅰ』(藤原書店)を読む。読み終えて、稚拙だが偽らざる感想として浮かんだのが、「僕でも読めた!」である。

以前読んだ『リフレクシヴ・ソシオロジーへの正体』(藤原書店)は、彼へのインタビューに基づく入門書であると言う事でもあり、読み通すことができた。だが彼の調査研究の本は、冒頭からなかなか難しい分析が入り、しっかり読み通せた本はなかった。だから今回、あるZoom読書会でこの本が指定された時に、正直に言えば本当に読み通せるのだろうかと半信半疑だった。

そこで第一部を読み始めた時、難解なブルデューの総括論文も、あるいは彼が描いたインタビューの対象者の社会分析もすっ飛ばし、インタビュー自体から読み始める。するとあら不思議、インタビューは普通の言葉でやりとりされているので、ちゃんと僕には読めた。これはブルデューの弟子たちによる他のインタビューでも同じである。この本の構成は、抽象度の高い総括論文の後に、インタビュー対象者の社会的属性に関する社会分析の論考があり、その後インタビューと続く。しかしながら、僕のような帰納論的な読み方が好きな人間にとっては、インタビューを先に読み、その後インタビューの背景となるような対象者の社会分析を読んだ上で、そのまとまりを全部読んだ後に総括論文を読むと、無味乾燥に見える総括論文の深い味わいがやっと読み解けることができた。

そして491ページまで続く膨大なインタビューの最後まで読み終えてから、冒頭の1ページに戻って、彼がこの本について語ったインタビューのところを読み直すと、「あー、彼はこういう意図と戦略を持ってこの論を編み上げたのか」、という全体像というかパノラマのようなものが深く理解できた。今回一番腑に落ちたのは、ハビトゥス理解である。

ハビトゥスを理解する

「一人の人間が書くものには固有の形、姿、特徴があって、それを見ればすぐ、これはあなたの書いたもの、これは私の書いたものとわかります。多様性を超えたところに、ある統一性があるわけです。ひとりの人間の、ものを食べる仕方、話し方、衣服の着方、髪の整え方、すべてに親近性、類縁性、統一性があります。これがどのようにして形成されるか。興味深いのは、ハビトゥスは明らかに後天的に獲得されるのですが、その獲得のされ方は全く無意識的であると言うことです。ハビトゥスという私たちの中にある原理、文法は私たちに左右できないもの、私たちの統制の及ばないものであるということです。」(p15-16)

この本のインタビューや社会分析を通じ、インタビュー対象者の無意識な文法であるハビトゥスというのが明らかになっている。彼は「このハビトゥスを直感的に把握すれば、人の言動を予測できることになります。的確な質問ができます。未知のもの同士の間にごく自然な、くだけた会話が成り立つのは、相手のハビトゥスについての認識があるからです」(p10)と書いている。実はこのインタビューが僕にとってすっと入ってきたのは、ここに書かれている人々のハビトゥスに、ある程度の親近感というか、知っている世界であると言う感覚を直感として持てたからである。それは以前ブログに書いたが、僕自身が京都のダウンタウンで育ち、ここに書かれているような人々のハビトゥスをある程度推測できるような原体験を持っているからである。

さらに言うと、僕は中学以降、通っていた塾の塾長や、お世話になった予備校の先生、そして大学院で弟子入りした大熊一夫氏など、尊敬する他者(僕とは違うハビトゥスを持っている人)の口真似や振る舞い方の真似をしてきた。その当時は真似して学ぶことを疑わなかったが、一方で猿真似のような気もして、気恥ずかしさも持っていた。でも20年ぶり位に当時の真似について改めて考えてみると、それは自分が持っていなかった、自分とは異なる世界に属する他者を真似する中で、その人の骨法というか内在的論理を学び、ハビトゥスを受肉化しようとしていたのではないか、ブルデューの論考を読みながら改めて感じている。

特に大学院時代、大熊一夫師匠に弟子入りし、たくさんのおいしい料理をご馳走になり、様々な彼のエピソードを繰り返し学ばせていただいた。おいしいワインの何たるかなんて知る由もなく、イタリアンもフレンチもほとんど食べたことがなかった僕にとって、新聞記者を辞めた時にシェフになろうかと思案したと言う師匠の深い食への造形や、美意識、こだわりを、内弟子として「ご相伴にあずかる」中で、しっかり学ばせて頂いた。もちろん本業に関しても、精神医療を何十年も取材し続け、特ダネを連発し、ルポの世界ではその名をとどろかせたジャーナリストとしての物の見方、考え方、対象への迫り方、文章の書き方なども、マニュアルで指導されたのではなく、師匠の生き様についていく中で、その一部を部分的に真似する中で、文字通り師匠から芸を盗むかのように学んでいった。それは師匠のハビトゥスを深く理解しようという模索であり、結果的には、自分自身のハビトゥスの書き換えにもつながっていった。なので「ハビトゥスを理解する事はその人間を理解すること」(p9)というのは本当にしっくりくる表現である。

そしてこの本が理解社会学の王道だと感じるのは、「質問を受けている人の立場に立つために、質問する者の主観の歪みを批判しなければならないのです」(p8)と言う部分に象徴されていると思う。彼はこのことを「客観化する者の視点を客観化すること」(p8)とパラフレーズしているが、まさにインタビューする側の権力性や、主観的な視野の歪みを、そのものとして理解することと、相手がどのようなハビトゥスを持ってそれを言おうとしているのかを理解しようとすることが、等しく重要である、という認識は、このインタビューがすごく読みやすい理由が示されている。

「自然に見える面談の背景には、調査者が被調査者のハビトゥスについての科学的な認識を持っているということがあるわけです。」(p10)

話が通じている!

それが最も成功しているのは、ブルデュー自身がインタビューした「フランス北部の二人の若者」をめぐるエピソードである。

齢61才の、東大より遙かに格上のコレージュ・ド・フランス教授が、アリとフランソワという、郊外の団地住まいで、フランスで生まれたアラブ人の移民二世で、「不良少年」とラベリングされた二人の青年にインタビューしている。これ以上にない「不釣り合いな両者」と思われるインタビューなのに、言葉が通じている。一期一会の信頼関係が出来ている。それはブルデューによる、少年2人への敬意と、彼らの社会的立ち位置や内在的論理に対する深い理解があったからではないかと改めて感じる。それはインタビューの前に置かれた、ブルデューによる社会分析にも表れている。彼はアリという青年が、8歳の時にモロッコからフランスにやってきて、両親とはアラビア語しか話さなかったため、フランス語を読めるようになるまで大変な苦労をしたという社会的背景を描いた後、このように分析している。

「どう見ても、彼の学校に対する拒否反応と、彼を次第に「手におえない」生徒と言う役割に閉じ込めてしまった反抗的態度の根源には、他の生徒たちの前でフランス語を読まされる屈辱から逃れたいと言う欲求があるように思われる。勉強を怠り、授業をさぼってしまうと、ますます成績が悪化し、拒絶の連鎖にはまり込んで、またしても成績が悪化する。これこそ、課されたことを進んでやると言う美徳が逆説的に働いて、学校的には悪行であることを進んでやるようになり、ほどなく彼の社会的にも不良少年にしてしまったのだ。」(p139)

これはブルデューが「客観化する視点自体を客観化する」の項目で述べている、「その人あるいは自分がどのようにして今の人あるいは自分になったかを理解すること」(p9)を地で行く分析である。不良少年は生まれつき不良少年なのではない。本人の出自や家族関係、社会的背景の中で、本人が単独で制御しきれない悪循環がさまざまに作用する中で、「課されたことを進んでやると言う美徳が逆説的に働く」サイクルにはまり込んでしまうことにより、不良少年にならざるをえなくなったのだ。これは僕自身が、京都のダウンタウンの公立中学にいた時のクラスメイトが不良少年になっていくプロセスそのものであり、先のブログで取り上げた『ヒルビリーエレジー』や『CHAVS』で書かれた構造そのものである。そして改めてブルデューが凄いと思うのは、このような分析を80年代後半から計画し、90年代初頭にやり終えてしまったと言う点である。

これがこんな分厚い学術書が10万部も売れた背景にあるのだと感じている。

ポリフォニーの力

そしてこの本の分厚い記述に迫力があるのは、単一の論点、単一の主張にまとめようとせず、異なる声を異なるものとして、世界の悲惨と言う主題のもとに並列に並べてみた、という意味で、異なる音を同時に響かせるポリフォニーの力であるようにも思う。

例えば「労働者の町の住民たち」(p75-)では、アルジェリアから移民してきたペン・ミール一家と、そのお隣さんでミール氏の娘息子と大きく対立しているムニエさんの双方に話を聞き、それをそのまま掲載している。2家族ともそれぞれの歴史があり、すれ違いがあり、それゆえにお互いがお互いを罵り合っている。そのことを、どちらが正しいと評価するわけではなく、しかしながら表面的には人種差別やご近所の対立に見えるものの、先に述べた不良少年のように、二家族がどのような悪循環に構造的に追い込まれていくことによって、今のしんどい現状に陥ったのか、が両者のインタビューを通じて明らかになってくる。

差別する側とされる側、フランス人と外国人移民、団地を汚す側と管理する側、支援するソーシャルワーカーと支援される側、取り締まる警察と取り締まられる犯罪者予備軍、若者と高齢者、裁く側と裁かれる側・・・一見すると非対称にも思えるこの両者が、「下層プロレタリア」(p356)として閉じ込められていると言う点で構造的同一性を帯びていることを、インタビューを通じて「世界の悲惨」という象徴的タイトルの下に、この本は描こうとしている。

冒頭のインタビューでブルデューはこんな風にも述べている。

「あえて言えば、私はマルクスがなすべきであったがなさなかったことをした、マルクスが自分自身と首尾一貫していたならばしたであろうことをした、ということかもしれません」(p16)

最初読んだときにここで言わんとしている事はさっぱりわからなかった。しかしながら、500ページ近い本を読み終えた後、改めてこのフレーズを振り返ると、確かにブルデューは、マルクスが抽象的概念として描いた下層プロレタリアが、実際に何を考え、どのように振る舞い、いかに生きているのかをインタビューと社会分析から明らかにしていった。これは本来マルクスがなすべきだった仕事を、マルクスがしなかったから代わりにブルデューがしているとも言えるかもしれない。

「下級公務員、そのうち特に、いわゆる「社会福祉的」な機能を果たすこと、つまり市場の論理がもたらす、どうにも耐え難い帰結と欠如とを、必要な予算もなしに埋め合わすべく期待されている人たち、すなわち末端の警官や司法官、ソーシャルワーカー、(児童・青少年)指導員、そして次第に多くの小中高校の教員たちが、経済的観点からよしとされた現実政治がもたらす唯一の確実な帰結である。物質的・精神的後輩に立ち向かって努力を傾注する一方で、見捨てられ、さらには否認されたとさえ感じているのは理解できる。国家においては、国家の右手(高級官僚・大国家貴族)は、もはや国家の左手(下級公務員・小国家貴族)がやっていることを知らず、それどころか、左手のすることをもはや望んではいないのである。」(p354)

これはインタビューデータと社会分析に基づく階級間格差の極めて象徴的な分析であり、1990年代のフランスだけでなく、2020年代の日本においても、国家の右手と左手の分断、および下層プロレタリアの内部対立も押し寄せていることを、この本を読んで改めて痛感した。

その意味で、様々な異なる他者の経験が、そのものとしており重なる中で、異なる音を奏でながらも、そこに何らかの音の共鳴が響き渡り、ポリフォニックな、複数性のある世界観がこの本の中に立ち上がってくる。しかもどれもが、世界の悲惨と言う主旋律を、別のパート、別の楽器、別の音階で弾いている。

当初はこの1冊を読み通せるかどうかもすごく不安だったのだが、気づけば第2分冊第3分冊も買い求め、何とか読み通してみたいと思うように心境が変化していた。すごく迫力のある読書体験であった。