精神医療の「「治す」とは異なる」専門性

フィールドワークの本で、書き手も対象となるフィールドも、インタビューした相手も全員知っている現場の本って、たぶんこの本だけだろう。それが、近田真美子さんから頂いた『精神医療の専門性—「治す」とは異なるいくつかの試み』(医学書院)である。ぼくの知っている人、知っている世界のはず、なのに、知らないことや、見えていなかったことが書かれていると、めちゃくちゃ興奮する。

この本は彼女が提出した博士論文を書き直したものである。実はその博論も読ませて頂いていたのだが、その時からかなり書き直され、読みやすくなっていたのにまず、びっくりした。しかも、このタイトルは、博士論文の公聴会で、副査を務めた斎藤環さんからの問いに基づく。

「結局、あなたが言いたかった精神医療・看護の専門性とは何か」

彼女は最終章を「精神医療の専門性をつくり変える」としている。その中で、従来語られていた専門性に対する批判と、重度の精神障害のある人を地域で支えるACT-Kというチームで見つけた「つくり変える」内容を以下のようにまとめている。

「医学モデルに依拠した実践を中心に展開するということは、支援の場を精神科病院という医の論理が具現化された空間へ移すことを容易にした。苦楽を共にする機会を失い、ひいては、利用者の主体化を損ねることにつながる恐れがあるのだ。」(p140)

「そもそも、医療専門職は、国家資格を取得するための教育課程において生物医学モデルをベースとした自然科学的なものの見方や技法をすでに身につけている。そのため、彼らは、特に異常がなく健康体であったとしても、問題や異常を積極的に見いだし、“病い”として価値づけることのできるポテンシャルを持つ。ここには。患者は何かしらの違和を感じ医療機関を訪れるのだから、何らかの問題を抱えているはずだという先入観や、医療専門職として期待された役割を全うしなくてはいけないという使命感があるのかもしれない。医療専門職らが身につけていく生物医学モデルという眼差しは、病状を見定め判断し治療にあたるという医療の正当化を支える基盤になっているが、ときには、認知の歪みをもたらす恐れを有しているのだ。」(p141-142)

「医療専門職として期待された役割を全うしなくてはいけないという使命感」を持つ医学モデルの何が問題なのか。それは、「特に異常がなく健康体であったとしても、問題や異常を積極的に見いだし、“病い”として価値づけることのできるポテンシャル」=「認知の歪みをもたらす恐れ」を持っている点にある。「患者」と名付けられた人が、人間関係や人生が上手くいかず苦しんでいる時に、その「しんどさ」「生きづらさ」をい「“病い”として価値づける」ことによって、全てを病気のせいにしてしまう危うさがあるのだ。それは、あなたや私のように生きる苦悩を抱えた隣人として精神障害のある人を捉えることが出来なくなり、「苦楽を共にする機会を失い、ひいては、利用者の主体化を損ねる」結果につながるのである。

これが、旧来の精神医療の専門性=「医学モデルに依拠した実践」が孕む問題性である。(その点に関して、かつて僕は、イタリアで精神病院を廃絶したフランコ・バザーリアの思想を取り上げ、「「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト」を書いた問題認識も通底する)。では、これをどう「つくり変える」ことが出来るのか。ここから、ACT-Kの実践者達の素敵な語りと、それを現象学的質的研究で分析していった近田さんの論考のすごみが出てくる。

精神科ソーシャルワーカーの金井さんへの聞き取りで、こんな語りが出てくる。

「もう毎日、電話かかってきて、やっかいな人なんですよ。で、近所からしてもこの人、大声だすんです、夜中に。うん、あの、やっかいな人なんです。で、支援者はその声を受けるから、うん。病状が悪化してる、になるんですね。」
「どうしても医療っていうのは、っどうしてもその、周りの心配ごと。あと自分の心配ごとの解決のために動いちゃうっていうところ」(p120)

この金井さんの語りを受けて、近田さんは以下のように分析していく。

「周囲の人から発せられた『やっかいな人』という表現は、医療者がキャッチした途端、『病状が悪化してる』という表現へと変換され、精神科病院への入院または薬の増量、訪問回数の増加といった医療を呼び寄せることへつながっていく。医療専門職としての社会的責務が医療という眼差しを強化するのだ。そして、『自分の心配ごとのために動いちゃう』といった不要な動きは、たとえ不要であっても医療であるがゆえに『正当化されやす(く)』『絶対にこけないような強制力がある』という。」(p121)

電話をしょっちゅうかける、夜中に大声を出す。それをされた周囲の人からすると、迷惑をかけられることであるし、それが度重なるなら「やっかいな人」と名指される可能性が高い。だが、それは別に精神症状とイコールではない、「社会的逸脱行為」や「迷惑行為」である。だが「問題や異常を積極的に見いだし、“病い”として価値づけること」が得意な「医療者がキャッチした途端、『病状が悪化してる』という表現へと変換され、精神科病院への入院または薬の増量、訪問回数の増加といった医療を呼び寄せることへつながっていく」。これは、「異常者が生み出す社会の不安や混乱を鎮めるために社会を護らなければならない」という「社会防衛思想」そのものである。しかも、その社会防衛思想を抱く医療者は、「やっかいな人」にうまく対応できないという『自分の心配ごとのために動いちゃう』のだが、この「不要な動き」も「医療であるがゆえに『正当化』」されていくのだ。

これこそ「病状を見定め判断し治療にあたるという医療の正当化を支える基盤になっているが、ときには、認知の歪みをもたらす恐れを有している」こと、そのものである。

では、それ以外の可能性はどうやったら模索できるのか。

対象者の暴力行為にどう向き合ってきたのか、を語る看護師の福山さんの語りをみてみたい。

「ほんでもうすごい『うわー』と言って、『ばかやろー』みたいな形で、全然反省の面は出てこなくって、いつもそうやって逃避しちゃう人で、向き合えないのね。でもちょっとずつそうやってクライシスの対応しているなかで、『一緒に謝るから』とか言って、『ちゃんと悪かったっていうのを思ってるでしょ?』って言ったら、ツーって泣いたりとかする人でね。そうそう。だから自分だってやりたくないのはわかるけど、どうしてもやっちゃう。なんかあるんだよね、みたいに言ったら、ちょっと体感幻覚みたいなのがあるみたいだし、どうも幻聴もやっぱりひどいみたいだしっていう、彼女の病気のところが浮かび上がってくるんだけれども、それに対してやっぱりお母さんに攻撃に出ちゃうっていうのはちょっと違うよねって。あとになってみたらそういうやって話はできるんだけれども、やっぱりそのときの感情のコントロールってなかなかできなくて。」(p103)

ACT-Kのチームも、近田さんも、精神病は存在しないので医学のカテゴリーから外すべきだ、という「反精神医学」の視点とは異なる。幻覚や幻聴の存在は肯定するし、時として薬が必要なことも認めている。ただ、肉親を攻撃する、ATMをぶっ壊す、無銭飲食をする、などの暴力や暴言に関して、それを全て病気のせいにして、「縛る・閉じ込める・薬漬け」にすることで「治療した」とはしないのである。だからこそ、暴力や暴言の行為を「クライシス」と捉え、「クライシスの対応しているなかで、『一緒に謝るから』とか言って、『ちゃんと悪かったっていうのを思ってるでしょ?』って言ったら、ツーって泣いたりとかする人でね」と、本人の素の部分を見つけていく。

この福山さんの語りをうけて、近田さんは以下のように受け止める。

「このように、利用者の気持ちを理解することができるという共感的な了解の仕方は、利用者の立場に立ち、主体化を目指す彼らの苦労に伴走することを可能にする。別の言い方をすれば、暴力といった精神症状を、主体化を図る過程で遭遇する苦悩の表出と捉えて共感するからこそ、彼らに責任を返しながら伴走するという『意味』のある支援を展開することが可能になるのだ。」(p104)

暴力行為というのは究極的な反社会的行為である。それを「共感的な了解」をするのは、果たして倫理的に許されるか、という「道徳的批判」も招きかねない。ただ、福山さんや近田さんは、「暴力といった精神症状を、主体化を図る過程で遭遇する苦悩の表出と捉えて共感する」ことを大切にする。生きる苦悩が最大化した時に、それを「苦しみ」として社会的に許される表現様式として表現出来ないから、暴力という反社会的な形で「苦しいこと」を表現しているのである。

そして、『一緒に謝るから』というのは、一人では謝れない状況にあるご本人の「苦しいこと」を共感的に了解し、共に謝ることによって、「主体化を目指す彼らの苦労に伴走すること」である。それを通じて、心神喪失、とか責任無能力、とラベルが貼られがちな精神障害のあるご本人に「責任を返しながら伴走するという『意味』のある支援を展開すること」が可能になるのである。これはまさに「苦楽を共にする」ことであり、「利用者の主体化」を支援することでもある。

これは看護やソーシャルワーカーだけではない。ACT-Kの主催者である医師、高木俊介さんの語りにも共通することが出てくる。

「患者の家から出て帰ろうと思ったら、地域の人がぞろぞろそろって出て来て、車囲む。僕の車。『なんとかせい』っちゅって。『すいません』って。いや、あの、いうちクリニックで。いや、そうですよね、大変なんですけど。あの、『この頃は人権とかいうこともうるさくなって、私も困っとるんですよ』って。そうか、大変やなって言って。いや、保健所にも、どうしたらええか相談に行っとるんですけどねって言って。何せ、人権、人権と言われても、医療も困るんですよねって言って。」(p73)

往診に出かけた高木さんが、帰ろうとしたら「地域の人がぞろぞろそろって出て来て、車囲む。僕の車」。これはかなり抜き差しならない事態である。しかもその時に言われたのが、『なんとかせい』。この意味は、本人に注射を打って暴言や迷惑行為を止めろ、とか、それが無理なら強制的にでも精神病院に入院させろ、という意味での「なんとかせい」である。ただ、高木さんは脱精神病院運動の闘士でもあり、強制入院の暴力性を誰よりも熟知している人である。とはいえ、住民とガチで対立したら、余計問題がややこしくなる。その際、彼がとっさに出てきたのが、『この頃は人権とかいうこともうるさくなって、私も困っとるんですよ』という発言であった。近田さんは、この部分を以下のように分析している。

「近隣住民からの『なんとかせい』という一方向的な要請に対し、高木氏は、 『私も困っとるんですよ』と困りごととして吐露する。それに対して住民は『そうか、大変やな』と共感を示す言葉を返している。つまり、この『困りごと』というのは、困りごとを抱えた1人の他者の立場に立つことを可能にするフレームとして機能しているのだ。」(p73)

書き写していても思わず唸る、優れた分析である。「なんとかせい」というのは、社会防衛的な視点に立ち、医師に警察官役割を求める世間の視点でもある。その役割を日本の精神科医は求められ続けてきた結果、世間の視点を内面化し、「一般医療は医療するだけじゃないですか。保安までも全部やっているわけでしょう、精神科医療って」といった発言を、当の精神科病院協会会長が公言するほどだ。それだけ、狂った人は病院に隔離収容せよという発想が私達の頭の中に刷り込まれている。

それに対して、高木さんはガチでぶつからず、「『私も困っとるんですよ』と困りごととして吐露する」。すると、自分たちだけが困っていると思い込んでいた住民達もハッと気づく。困っているのは自分たちではない。「なんとか」してくれると思っているこの高木さんも、同じように困っているのだ、と。すると「住民は『そうか、大変やな』と共感を示す言葉を返している」のだ。すると、住民対医者、といった素朴な対立軸は消失する。なぜなら「この『困りごと』というのは、困りごとを抱えた1人の他者の立場に立つことを可能にするフレームとして機能している」からだ。さらに言えば、「困りごと」を抱えているのは、迷惑行為を受ける住民だけでも、そこにうまく関わりきれないACTチームだけでもない。もっとも困りごとを抱えて困っているのは、他ならぬ迷惑行為をするご本人である、という眼差しを、ジワジワと共有するきっかけにもなるのだ。そのようなフレームの転換が、あの短いやりとりの中に詰まっているとは、何度もインタビュー原稿を読み直して分析する現象学的質的研究だからこそ浮かび上がる真骨頂でもある。

そのような「困りごと」を抱えた当事者に向き合う精神医療の専門性とは何か。それは、看護師の大迫さんの語りに象徴化されているように思う。

大迫さんは、40代で未治療の統合失調症患者となかなか出会えなかった時、「自然が大好きな人」と聞いて、本人部屋の見えるところにシイタケの原木を置いておいて、それが生えてきて、一緒にシイタケを食べたところから関係性が出来た、という。また、別の会えない利用者がたこ焼き好きだと聞いて、「玄関先でたこ焼きを焼き、香ばしい臭いで誘い出した」(p81)こともある。さらには、利用者が入院した際、保護室に幽霊が入ってくると聞いて、本人が安倍晴明のマンガを持っていたので、晴明神社に出かけて500円の御札を買ってきて渡すと、幽霊が消えたと本人に言われ、「薬よりも御札やったんや」(p52)と気づいたエピソードも披露する。

シイタケやたこ焼き、御札まで出てくると、原因と結果を因果論で結ぶ生物医学モデルの対極である、だけでなく、それが専門性なの?と問いを挟みたくなる展開である。ただ、近田さんはここにどのような「専門性」があるのか、を以下のように分析していく。

「大迫氏は、『心配』と対比関係にある『安心』という『人としてのあたりまえ』の感覚を第一優先とし、利用者の興味・関心に焦点をあてながら『実験』や『工夫』を凝らした実践を展開していた。この『人としてのあたりまえ』の感覚が大迫氏の実践の基盤隣、医療制度の規範や枠組みを変容させるような実践へと繋がっていった。そして、変容するなかで、あらかじめ目標を設定するという思考は消失し、代わりに『待つ』行為が重要な価値を持つようになった。
こうした実践を経て『孤独』だった利用者は大迫氏と『一緒』に苦楽を享受することで、現実世界に生きる大迫氏の信頼を得て、希望や意思といった『人としてのあたりまえ』の『ニーズ』を表出できるように回復を遂げていった。」(p61)

たこ焼きやシイタケ、御札は、精神医学の常識で言えば「非常識」である。だが、孤独で他者とつながれていない人と、どうやったら出会えるのか、興味を持ってもらえるのか、信頼関係を構築するか、という「『人としてのあたりまえ』の感覚」に立ち戻ったときに、「利用者の興味・関心に焦点をあてながら『実験』や『工夫』を凝らした実践を展開」するのは、じつは最も真っ当なやり方である。部屋にシイタケの原木を置く、玄関先でたこ焼きをする、保護室に御札を持って行く、というのは、突飛な離れ業ではなく、本人と接点を持つためのロジカルな「『実験』や『工夫』」なのである。

病状の世界に閉じこもって、現実世界との接点を見失って、「苦しいこと」の中から出られなくなっている利用者に対して、大迫さんが用いた専門性は、「希望や意思といった『人としてのあたりまえ』の『ニーズ』を表出」できるように、興味関心の接点をつくった、ということだったのだ。これも、近田さんの分析を読むと、心から納得して理解することができた。

そして、待ちながら本人のニーズを探る支援として、看護師の安里さんの語りも最後に紹介しておこう。夜中にタクシーを無賃乗車した利用者に、スタッフが支援に行った後、タクシー代や本人を家に送り届けるのにかかった費用を利用者に支払ってほしい、と安里さんが利用者に伝えたところ、以下のような展開になったという。

「そしたら『何言ってんだ、クソボケ』みたいな。『誰が金払うか、おまえ』みたいな感じで。もう完璧に甘えてるんじゃねえって。でも、自分に向けてる言葉をこっちに発しているとかいうのが見えてきて。で、普通やったらこう、そこでうちらも、ムカッときたりとかしてたけど、全然ムカつかなくて、きっとこの人は、一生懸命その後考える。考えて、きっといつか払ってくれるっていうのがあったので、うん。そしたら案の定、数日後ちゃんと返してくれるっていう。多分そういうふうに、本人が素になって考える瞬間をきっとこの人は持つだろうっていうふうに思えて。」(p30)

安里さんも、大迫さんと同じように、生物医学モデルではありえない、一見すると非論理的に見えることを言っている。無賃乗車について責任を取るように伝えた安里さんに対して、『何言ってんだ、クソボケ』『誰が金払うか、おまえ』と言い返す利用者。これは、法律用語で言えば事理弁識能力や責任能力がない、と言ってしまいたくなる。でもそのようなラベルを貼ることにより、「問題や異常を積極的に見いだし、“病い”として価値づけることのできるポテンシャル」を遂行してしまうのである。それを、安里さんも良しとはしない。というか、普通なら、そういうことを言われたら「ムカつく」のである。でも、安里さんは「全然ムカつかな」い。なぜならばそこに、精神医療の別の専門性があったからだ。それが「自分に向けてる言葉をこっちに発しているとかいうのが見えてきて」という推論である。

そこを近田さんは、以下のように分析している。

「精神医療従事者のなかには、こうした利用者の暴言を精神症状の悪化と意味づけ、薬物療法をはじめとする別の対処方法を選択する人もいると思われる。しかし、このときの安里氏は、利用者の暴言を心理的葛藤の形態の1つとして捉えることが可能になっている。こうした見え方の変化は、さらに『素になって考える瞬間をきっとこの人は持つだろうっていうふうに思えて』や『きっといつか払ってくれる』とあるように、内省による行為の変化を信じることを可能にする。」(p31)

暴力や暴言といった「反社会的行為」を、病気と見なし、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」という「対処方法」がとられることが、旧来の精神医療ではすごく多い。でも、それでは問題は何も解決せず、問題がさらに悪化したり、本人の状態が悪くなったり、社会的な入院が増えたりするばかりだ。それは、適切なアプローチではない。

ACT-Kのチームの皆さんは、その前提に立った上で、「ではどうすれば別のアプローチが出来るか」を必死に模索する。そして、安里さんは、精神医療の別の専門性として、「利用者の暴言を心理的葛藤の形態の1つとして捉えること」が出来た。その専門性があるからこそ、「『素になって考える瞬間をきっとこの人は持つだろうっていうふうに思えて』や『きっといつか払ってくれる』とあるように、内省による行為の変化を信じることを可能にする」のである。これが、地域の中で「問題行動」「困難事例」「反社会的行為」とラベルを貼られる言動をする人を支える「専門性」のダイナミズムにあると、近田さんの本を読んで改めて理解することが出来た。

最後に、この素敵な著作をまとめた近田さんのことを触れておきたい。

この本を読んで初めて知ったのだが、彼女はあの「浦河べてるの家」で有名な浦河町出身で、浦河赤十字病院の精神科病棟が看護のスタートだったという。その時、当時の病棟医だった川村敏明さんの影響力もあって、「『病棟の規則をつくることは簡単だが、一度、つくってしまうとなくすのが難しくなる』という信念のもと、医療専門職として“すべきこと”と“してはいけないこと”を見極めるための話し合いを常に欠かさなかった」(p4)という。

「その後、医療専門職との技量を高めるべく浦河赤十字病院を離れた私は、患者の精神症状を薬物療法や行動制限で過剰にコントロールしようとする医療専門職の姿を目にすることで、日本の精神科医療が抱える問題を知ることになる。」(p5)

つまり、彼女は普通の精神科医療の専門職とは、全く違う出会い方をした。最初に「専門職としての“幸せ”な経験が、精神科看護師としての私の原点」(p5)にあったのだ。その後に、浦河赤十字病院病院精神科の実践が「当たり前」ではないこと、いかに日本の精神科医療の他の現場が抑圧的なのか、を「専門性を高める」プロセスの中で知ってしまったのである。すると、浦河赤十字病院と他の閉鎖病棟の違いを見る中で、「精神医療の専門性」とは一体何か、という根本的な疑問を抱く。そして、イタリアの精神医療に出会い、ACT-Kと出会う中で、そこで働く専門職へのインタビューを重ねる中で、「医療専門職として“すべきこと”と“してはいけないこと”を見極める」プロセスを積み重ねていった。その上で、彼女なりに「精神医療の専門性」とは一体何か、の「問い」に答えを本作では示してくれた。それが、「「治す」とは異なるいくつかの試み」という副題に現れていると思う。

いやぁ、めっちゃ読んでいてオモロイ一冊だし、是非ともオススメです。

*ちなみに、ACT−Kでは看護師を募集中と高木さんから聞いた。この実践に興味がある人は、是非とも近田さんの本を読んだ上で、アクセスしてみてほしい。こういう「「治す」とは異なるいくつかの試み」が出来る医療者が増えてほしいと切実に願っている。

創造的な出会いとエフェクチュエーション

神吉さんから教わって『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』を読む。実はある時期、U理論を始めとした複雑系理論の本を読み囓って、「ボランタリー・アクションの未来 : 障害者福祉政策における社会起業家の視点から」という論文も書いたことがあったので、非常に興味深かったし、馴染みのある世界だった。この本の詳しい紹介は、著者のお一人の吉田さんが解説記事を書いておられるので、そちらに譲るとして、ぼく自身がオモロイと思ったことを書いてみたい。

エフェクチュエーションとは英語のeffectuateの名詞形である。そして、この単語をウェブ辞書で引くと「to do something or make something happen(何かすること、あるいは何かを起こすこと)」と書かれている。つまり、変化を引き起こすことやそれの生成プロセスについて描かれている本である。そしてそれは、不遜ながらぼく自身が携わってきた「変化の引き起こしのプロセス」とも通底していた。

この理論の提唱者、サラス・サラスバシー が、エフェクチュエーションの対義語として定義したのがコウゼーション(causation)である。これは因果関係のことである。ロジックを組み立てながら、原因と結果の因果関係を積み上げていくやり方である。PDCAというのは、計画→実行→評価→行動という4つのロジックを因果論的に繋げて、それで自己点検しながら物事を進めていこうというコウゼーションである。職場でも「自己点検・自己評価」のような形でこの種のペーパーワークへの記述が求められる。これを「計画制御」とも言っている。

だが、機械の操作ではなく、人間のコミュニケーションに基づく相互作用に計画制御は不適切だ、と喝破する安冨歩さんの本を読み続けるうちに、コウゼーションの限界を深く思い至った。安冨さんも、こんな風に書いている。

「社会をよりまっとうな方向に動かしていくためにすべきことは、創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気を持つことである。暗黙知の十全な作動が価値を生み出すのであり、そのためには創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除かねばならなない。個々人のこの努力を背景として、人々は創造的な出会いを積み重ねることが可能となり、それが社会の要素たるコミュニケーションの質を高める。組織もまた同じように、自らの真の姿に直面し、それを改め、社会という生態系のなかにふさわしい地位を見出す必要がある。それは個々人の創造性の発揮を促すことではじめて可能となる。」(安冨歩『経済学の船出-創発の海へ』NTT出版、p258)

「社会をよりまっとうな方向に動かしていくためにすべきことは、創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気を持つことである」というフレーズは、今読んでも格好いい、しびれるフレーズである。ただ、じゃあどうしたら「創造的な出会い」ができるのか? 「創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除」くためにはどうしたらいいのか?という具体的な問いが生まれる。エフェクチュエーションの理論は、それにヒントを与えてくれる方法論である。

「まず起業家は、『何がコントロール可能で、何が不可能か?』を考えたうえで、コントロール可能な要素に集中して、新しい行動を生み出そうとします。『手中の鳥の原則』と『許容可能な損失の原則』は、いずれもこうした発想に基づいていることがわかるでしょう。自らがすでに獲得している手段に基づく行動は、未入手の資源を前提とする計画よりもコントロール可能性が高いため、手持ちの手段に基づいて『何ができるか』を発想するというのが、『手中の鳥の原則』でした。また、将来どのようなリターンが得られるかよりも、現時点での自分がどのような損失を覚悟できるかのほうが、やはりコントロール可能性が高いため、後者を基準にコミットメントを行うのが『許容可能な損失の原則』でした。」(p150)

今回は、ぼくが山梨時代に取り組んで来た、県や市町村における障害者自立支援協議会の立ち上げや、その運営支援に当てはめて、振りかえってみたい。

ぼくが山梨学院大学に赴任したのは2005年、30才の時だった。その当時、障害者の法制度が大きく変わる時期で、ぼくはそれ以前からその制度改革の動きを審議会資料などを読み込んで、分析していた。段ボール箱数箱分くらい、印刷していた。その中で、制度改革の問題点について、山梨に移ってからも講演する機会があった。そのうちに、「自治体レベルでこの制度をうまく使いこなすなら、自立支援協議会こそ要だ」と必ず最後に言っていた。市町村や圏域単位で、行政と民間事業者と家族会・当事者会などの各種ステークホルダーが集まり、その地域の課題を話し合う会議体を新しくつくることが努力義務となった。従来の自治体と障害者団体や事業者との交渉は、ごく一部の関係者による「要求・反対・陳情」が多かったが、これを開かれた場での「連携・提案」型に変えるプラットフォームを自治体がつくる必要がある、と銘記されていたのだ。これはチャンスだ、と話をしていた。

最初は、「自立支援協議会は、従来の自治体福祉政策を開く鍵になる」というアイデアだけが、ぼくの手中にあった。また、ぼくは山梨に引っ越してすぐで、山梨に何の接点もなかったので、山梨の福祉関係者とつながることは、損失よりもメリットの方が多いと考えていたので、多少それで負荷が増えたり失敗しても何とかなるだろう、と「許容可能な損失」だと考えていた。だから、積極的に講演を引き受けていた。

すると、「クレイジーキルト」や「レモネード」に出会うことになる。

「『クレイジーキルトの原則』によって、相互作用をした相手から自発的なコミットメントを獲得出来れば、起業家の手持ちの手段と『何ができるか』は拡張し、環境に対するより大きなコントロール可能性を手に入れることができるでしょう。また、結果として予期せぬ事態が起こった場合でも、『レモネードの原則』によって偶然を機会として活用して新たな行動を生み出すことで、もともとの計画に固執する場合よりも、状況に対するコントロール可能性を高めることができるでしょう。」(p150)

ここからは、以前書いたブログ記事を引用してみたい。

「山梨に赴任して1年ほど経った、春のある日の講演会の後、「ご挨拶がしたいのですが」、と名刺を差し出されたのが、山梨県障害福祉課の土屋さんだった。「自立支援協議会についてご相談があります」、とのこと。この土屋さんとの出逢いが、僕自身の仕事を大きく変えるきっかけになる出逢いになるとは、その時は思っていなかった。

聞けば、山梨県でも相談支援体制の整備や市町村の地域自立支援協議会の立ち上げ支援をしようと考えている。その際、国は学識経験者などを「特別アドバイザー」として市町村に派遣する事業を作っている。この事業を活用し、山梨県の特別アドバイザーになってもらえないか、というご依頼だった。まさに、自分が言っていることを「やってみなさい」というチャンスだった。行政と連携提案が必要、と理念で分かっていながら、この前まで大学院生で、どうやって良いのかわかっていなかった。で、1年間で出逢った山梨の現場の人にアドバイスももらい、就任条件として、①県内の市町村の現場を全て訪問したいので、行政の人が同行してほしい、②僕だけでなく、障害当事者も特別アドバイザーにして、二人体制にしてほしい、という二つの条件を提示した。①については、「県庁が市町村を呼びつけて」という批判をしばしば耳にしていた。②については、一人だけでは不安なので、東京で自立生活センターを手がけ、僕と同時期に山梨に移住されてていた今井志郎さんと出逢い、彼とご一緒するなら、何とかやれるかもしれない、という思いがあった。そして土屋さんは、この無理難題に近い事を聞き入れて下さったので、こちらもいよいよ「口だけかどうか」が試されることになった。」

少し前まで大学院生だった、31才の若者に特別アドバイザーを頼んでくる土屋さんは、今から思えばすごく大胆というか、肝が据わっていたと思う。実は後に彼は合気道家だとわかり、土屋さんの通っておられる合気道の道場に連れて行ってもらい、ぼくもそこで稽古を始めて、山梨を出る年には弐段まで頂いた。公私ともにものすごくお世話になった出会いだったし、彼はどんなこちらの無茶ぶりにも立派な「受け」をする、優れた合気道の兄弟子でもあった。

そんな土屋さんは、ずいぶん大胆な依頼をされたし、その依頼に対してぼくもずいぶん高い要求を出した。今から振りかえると、これはお互いにとって、「相互作用をした相手から自発的なコミットメント」を引き出すためのコミュニケーションである。でも、優秀な県庁職員の土屋さんは全ての条件を引き受けてくださった。そして、ぼくは講演して回る「批評家」ではなく、実際に市町村変革の支援を行う「プレイングマネージャー」に変化したのである。

また、この仕事は本当に「予期せぬ事態」だらけだった。前例踏襲が基本のお役所を相手に、新たな何かを一から提案しても、「できない100の理由」を沢山言われる。それを「出来る一つの方法論」に変えるためには、相手の「何がコントロール可能で、何が不可能か?」という「手中の鳥」を理解しなければならない。だからこそ、土屋さんと共に、28市町村を全て訪問するだけでなく、圏域単位の会議などに何度もなんども足を運んだ。その往復の車中で、土屋さんと議論をしながら、各市町村の内在的論理を学び続け、各自治体に「やってよかった協議会」と言ってもらえるポイントを模索していった。その中で、「もともとの計画に固執する場合よりも、状況に対するコントロール可能性を高める」可能性に気づいて、こちらが当初思い抱いていた案をサクッと捨て去ったことが何度もある。これは、土屋さんやもう一人のアドバイザーの今井さんと何度もなんども議論しながら、作り上げていった部分であった。

そのなかで、市町村や圏域単位の「自立支援協議会」の立ち上げ支援を行い、県でも自立支援協議会をつくったので、その流れで座長も引き受ける。この自立支援協議会は行政の協議会なので、ある種コーゼーションで動く会である。だが、ぼくはその中でも、エフェクチュエーションの要素を入れ続けていった。これを、エフェクチュエーションでは飛行機のパイロットの操縦に例えて説明している。

「オートパイロットシステム(コーゼーション)とパイロット(エフェクチュエーション)の両方を活用できる場合、どのような問題がパイロットでなければ対処できないといえるのでしょうか。
エフェクチュエーションがとりわけ有効に機能する問題空間には、大きく3つの特徴があると考えられています。第一に、未来に関する確率計算が不可能である『ナイトの不確実性』、第二に、選好が所与ではない、もしくは秩序だっていない『目的の曖昧性』、第三に、どの環境要素に注目すべきか、あるいは無視すべきかが不明瞭である『環境の等方性』です。」(p151)

行政のシステムは作り上げるのも大変だが、でも「仏造って魂入れず」がいかに多いか。それを体感してきたので、「魂を入れる」ためにこそ、座長や特別アドバイザーとしての「パイロット」の操縦技術が問われ続けていると思う。

前例踏襲というのは、「未来に関する確率計算」が一定程度可能であり、目的も秩序だっていて、どの環境要素に注目すべきかは大体外さずに分かる場合に、初めて機能する。その場合は、事務局がつくった資料にそって淡々と議論をすればいいし、それはある種の「オートパイロットシステム」である。そして、それであれば、座長や特別アドバイザーの役割は、ぼくである必要はほとんどない。

ただ、福祉的支援や制度は、社会状況の変化の中で、大きく変わっていく。20年近く前、とある自治体でヒアリングをしていたら、「障害の子を持つ母親が働きたいなんて言うんですよ! 我が子なのに可愛そうではないでしょうか?」と公言する課長がいた。障害児のいる家庭でも共働きが当たり前になってきた現在では明らかにアウト!であるが、当時はまだ、家族丸抱え福祉がデフォルトだった。また、昨今ではヤングケアラー問題が大きくクローズアップされているが、あれは精神疾患の親や認知症の祖父母の在宅ケアが不十分だから子どもにしわ寄せが来ている、という意味で、福祉的支援の不足の顕在化事例である。あるいは、昨今では意思決定支援の重要性が叫ばれるようになり、それを成年後見制度に重ね合わせて、どのように制度化するか、も課題である。

そういう新たな福祉的課題は、「未来に関する確率計算」ができず、目的も秩序だたず混沌としていて、どの環境要素に注目すべきかも目鼻立ちがつかない。だからこそ、そういう事象に関しては、オートパイロットシステムからエフェクチュエーションにモードを切り替えて、共に模索するやり方をするしかない。これは、後に携わった国の障害者制度改革推進会議の総合福祉法部会でも、あるいは三重県での特別アドバイザー経験でも、また山梨や兵庫で続けている自治体の障害福祉計画策定や、兵庫県社協の生活支援コーディネーター研修などの各種の研修の仕込みでも、全く同じである。誰も「正解」をしらない、あるいはまだ「正解」がわからないからこそ、「手中の鳥」を探し、「許容可能な損失」を見定め、「クレイジーキルト」のようにコミットしてくれる同士を探し、偶然かき回された「レモネード」に「乗っかって」、その流れの中で物事を作り上げていくしかなかったのだ。

そうやって、13年間山梨でやってきたことも、その後兵庫に移り住んで新たに出会った現場でも、気がつけばエフェクチュエーションのモードで動き続けてきた。また山梨の最後のタイミングでオープンダイアローグの集中研修を受けたことによって、ぼくのエフェクチュエーションの精度は遙かに上がったと思う。場をコントロールや制御しようとする姿勢も手放し、「いま・ここ」で起こるや、その場に参加する全ての人の声を聞くことで、導かなくても勝手に流れが出来ていく場面がかなり増えてきた。すると、エフェクチュエーションの理論にぼくの実践から付け足すとすれば、「ただただ聞くこと」がこの回路を回す上で、ものすごく大きな鍵になると今では感じている。そして、じっくり聞くことによって、固着した関係性や場が開きはじめ、物事が動き始めるのだ。

それは行政審議会であろうと、大学の授業であろうと、1on1のミーティングであろうと、全く変わらない。その場で、自分が「ただただ聞く」ことを大切にして、その上でエフェクチュエーションのモードに切り替えて、柔軟に動いていけば、時には葛藤が最大化するような場面であっても、場はそのうちに鎮まるのである。

というわけで、エフェクチュエーションの本の紹介というより、エフェクチュエーションの理論を通じて自分のやってきたことを振りかえるようなブログに仕上がった。自分の先入観に居着くことなく、新たなオモロイ何かと出会い続けるためには、いかにこの回路を開き続けるか、が鍵だと改めて言語化してみて気づけた。そして、研究者「にも関わらず」、社会起業家と同じフィードバックループを回し続けている(というかそうせざるを得ない状況におかれている)人はあんまりいないかも、と気づいた。

そして、この20年かけて、「創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気」を少しは持てたのかもしれない、と思い始めている。

脆弱性の平等

岡野八代さんに『ケアの倫理—フェミニズムの政治思想』(岩波新書)をご恵贈頂く。この本は、ケアの倫理がどのように生まれてきたのか、何を主張しようとしているのか、をギリガンの『もうひとつの声で』やキテイの『愛の労働』、フェデリーチの『キャリバンと魔女』やトロントのCaring Democracyなどの名著をわかりやすく紐解きながら解説している。フェミニズムがこの半世紀の間に何を積み上げてきたか、男性の「正義の倫理」には何が欠落しているのか、を丁寧にロジックで解きほぐし、フェミニズムの歴史的展開も一冊で理解できる。そういう意味で、実に濃厚で学びの深い一冊である。

僕は読んでいて、大部分のページに線を引き、ドックイヤーをつけまくった。なので、どこを抜き出すかものすごく迷うのだが、初見で特に好きだった部分を抜き書きしながら、その感想をちょっとだけまとめてみたい。

「女性は、一時的な不平等の関係性においては、子どもたちを育成する者(として期待されている者)であり、永続的な不平等においては、つねに劣ったもの、すなわち男性に従属する者として育てられ、期待され、また従属者としての役割をじっさいに担う。女性達がその他の被支配者と異なるのは、支配者である男性たちと親密な関係に入ることが期待され、また、母や妻として、子どもや夫に愛着を抱くことが、彼女たち自身にとっての、何者にも代えがたい幸福でもありうる点である。そうして差異=不平等が固定され、それによって成り立っているのが、個人の心理に深い影響を与える家庭という制度化された領域である。永続的不平等は、公的・社会的な制度によって維持され、その不平等が結果として、諸個人の心理を形成する。
社会的支配者(=男性)は、社会的役割の配分—価値があるとされる役割は自分たちに、自分たちにとって必要な、あるいは自分たちに奉仕するための役割は劣った者に—、社会的価値付けや権威づけ、そして人間理解を独占している。」(p125-126)

ルールを決める支配者の男性にとって、実に都合の良い永続的不平等を女性は強いられている。そもそも、「子どもたちを育成する」というのは、依存する子どもを見返りを求めずケアをする、という意味において、一時的な不平等の関係である。だが、そのような愛着行動をもとに、「母や妻として、子どもや夫に愛着を抱くことが、彼女たち自身にとっての、何者にも代えがたい幸福でもありうる」という存在に位置づけることは、女性の「やりがい搾取」である。そうして「差異=不平等が固定され」、しかもその「愛着を抱く」のが生物学的な女らしさだと刷り込まれ、その刷り込みによって、「価値があるとされる役割は自分たちに、自分たちにとって必要な、あるいは自分たちに奉仕するための役割は劣った者に」という支配者の論理を押し付けられてしまう。このルールであれば、女性は最初から負けることが固定されている。

そして、この勝ち負けという思想そのものが男性的な「正義の倫理」であると岡野さんはいう。

「他者とのつながりに気づき、そこに応答責任を見いだすケアの倫理は、客観的な公正の論理によって権利間の衝突を解決する正義の倫理に、むしろ関係性を破壊する、あるいは勝ち負けといった暴力が内在していることに注意を向ける。」(p107)

僕が岡野八代さんの本を初めて読んだのは、これも名著の『フェミニズムの政治学』(みすず書房)を、子どもが生まれた直後の科研研究班の課題図書として読んだ時である。赤ちゃんをスリングに入れながら読み進めて、そのときも本当に己の価値観をえぐられるような読書体験だった。なぜなら、それまでの僕は「勝ち負け」に無自覚だがものすごくこだわってきたことに、気づかされたからだ。業績主義的生き方をして、とにかく論文を沢山書き、出張をこなして社会的評価を得ようと必死になってきた僕は、同業他者に「追いつけ追い越せ」と思い、僕より早く単著を出したり評価されているキラキラ同業者の存在をSNSで見ては「負けた」と思ってきた。これは、己の中に「関係性を破壊する、あるいは勝ち負けといった暴力が内在して」いたのである。しかもそれが、ぼく自身のみの偏狭な性格だけではなくて、「客観的な公正の論理によって権利間の衝突を解決する正義の倫理」という自らが無意識・無自覚に前提としてきたものに、その暴力性が内包していたことに気づかされたしまったのだ。それは、自らの土台が切り崩されるような、恐怖の体験でもあった。だが、少しずつではあるが、どこかで別の道もあるんだ、と肩の力を抜き始めた。

「確固たる個人を前提とする契約関係は、関係性が生じる以前に決められた条件を超えることはない。対照的に、依存関係や相互連関のなかでの関係性は、予測がつかず流動的で、時に矛盾に満ちたものとなり、維持や修復、関係それ自体への注視が必要となるのだ。ある関係性のなかで、さらによりよい関係性を維持するための働きかけそのものが、また新しい関係性を作りあげてもいく、ある意味で終わりなきプロセスともいえる。」(p151)

2017年に子どもが生まれて、僕は初めて、契約関係ではない依存関係の世界にどっぷりはまっていった。それ以前は、自己決定や自己選択や能動性を基盤とした、「仕事人としてちゃんとすること」を重視していたし、それが出来ている自分を内心自慢し・鼓舞していた。でも、娘をケアしていると、そのような契約主体としてのぼく自身は、おぼつかなくなる。娘が風邪を引いた、夜泣きがひどい、ぐずる・・・などを繰り返すと、妻や僕が連動して体調不良になると、家庭生活そのものが本当に「予測がつかず流動的」なものとなる。また、娘が赤ちゃんから生後数ヶ月、未就園期、そしてこども園から小学校と成長するにつれ、娘の出来ることと成長課題が刻々と変わり、それによって「依存関係や相互連関のなかでの関係性」がどんどん変化していく。文字通り、「終わりなきプロセス」のなかで、関係性の変容に巻き込まれていくと、「契約関係」に基づく「正義の倫理」が、いかに狭い世界か、を痛感させられるのだ。

「ケアという営みは労働集約的であり、ケアを提供する者は、それ以外の労働に時間や労力を割く余裕がなくなりがちだ。したがってケア関係にある者たちが、まわりから放っておかれ孤絶したなかでケアが営まれるならば、その関係は容易に暴力的な関係へと転化するだけでなく、財の不足から死にいたる危険に晒される。さらに、正義の倫理と同じくケアの倫理を最低限必要な倫理として認めようとはしない者でありながら、ケアの倫理をもう一つの別の選択的な倫理として存在してもよいと認めている者たちが、権力を行使し、法制度を設計し維持しているような社会においては、ケアの倫理に従いケアの倫理を体現する者たちは、ケアの倫理はあってもなくてもよいと考える者たちの搾取に容易に晒されるのだ。」(p152)

半世紀以上前、アミタイ・エツィオーニというアメリカの社会学者は、看護師や教師、ソーシャルワーカーは「準専門職(semi-profession)」であり、弁護士や医師のような「完全専門職(full-profession)」とは異なる、と規定した。一言で言えば、後者は専門性を高く持つ必要があるが、前者はセンスの良い母親ならできてしまう部分がある、というのである。そして、名指された看護師や教師、ソーシャルワーカーの職能団体は「完全専門職(full-profession)」に憧れ、専門職大学院や認定看護師などを作り、その専門性を高め、医師や弁護士に社会的地位を近づけようとした。確かにそれで一定程度の地位はあがったかもしれない。だが、介護士や保育士などの給与は上がらず、離職者が増えている現状は変わらない。その背後に、「ケアの倫理に従いケアの倫理を体現する者たちは、ケアの倫理はあってもなくてもよいと考える者たちの搾取に容易に晒される」社会構造があるのだ。

更に言えば、裁判所の判例や医師の診断のようなものほど、生成AIの脅威にさらされやすい。パターン化された専門性であれば、AIに取って変わる事ができるのである。でも「ケアという営みは労働集約的であり、ケアを提供する者は、それ以外の労働に時間や労力を割く余裕がなくなりがち」だからこそ!、ケアはAIでは代替できない。それは、その関係性に巻き込まれ、その関係性を共にする、という「労働集約的」で時間をかける必要が、ケアの根源にあるからだ。そのような、人間らしい労働を、「ケアの倫理」を認めない、契約関係に基づく「正義の倫理」の体現者たちが、価値の低い労働と決めつけ、低い対価しか支払わないように社会制度を設計している。これは、冒頭の引用を再度用いるなら、「社会的支配者(=男性)は、社会的役割の配分—価値があるとされる役割は自分たちに、自分たちにとって必要な、あるいは自分たちに奉仕するための役割は劣った者に—、社会的価値付けや権威づけ、そして人間理解を独占している」がゆえに生じている不平等なのである。

では、「正義の倫理」に対置して「ケアの倫理」を考えることで、どのような可能性が生まれてくるのであろうか。

「自身の幸福、生の目的をはっきりともち、その目的を達成するための手段を選べるという意味での合理的で自律的な存在が協働するための社会を構成するといった前提が覆される。むしろ、ひとは誰しも、その生涯のうちでどこかで必ず、他者の労働やその決定に依存するがゆえに、その他者の行動に左右され、傷つけられやすい。そこで、社会の構成原理は、社会でもっとも脆弱な者たち、そして脆弱な者をケアするがゆえに、社会的に不利な立場に置かれがちな依存にかかわる労働者たちの権利を保障するために、つまり依存関係にある者たちが不正や抑圧、暴力を被らないためにこそ構想されなければならない。」(p217)

依存関係にある、というのは、脆弱な状態である。赤ちゃんは本当に脆弱な存在である。そして、子育てをしていると、子どもがいない状態の労働生産性と同じ内容を達成しにくいという意味において、「脆弱な者をケアするがゆえに、社会的に不利な立場に置かれがちな依存にかかわる」子育て中の労働者や、介護や保育などそういう対象者のケア労働をする人々の権利が保障されないと、この社会は成り立たない。にもかかわらず、それは愛の労働とされ、そこらの主婦にでもできる低レベルな仕事だからと、低賃金の周辺労働に追いやられてきたのだ。追いやったのは誰か? 「正義の倫理」でゲームのルールを決めてきた、健常者男性である。そして、僕自身がそのような差別者のひとりだったことに、子育てをし始めてやっと気づき、恐れおののいているのだ。

「自身の幸福、生の目的をはっきりともち、その目的を達成するための手段を選べるという意味での合理的で自律的な存在が協働するための社会を構成するといった前提」こそは、依存関係や脆弱さを他者に押し付けてはじめて出来る「主体性」である。「これが出来ない女・子ども・老人・障害者・・・は能力がない」と決めつけるのは、男性中心主義の傲慢であり、自分が他者に依存関係を押し付け・外部化することによって、自分自身はたまたま一時的に「合理的で自律的な存在」であるだけ、なのに、そんな自分の常識や前提をゲームのルールに紐付けてしまう。それこそが不遜だと、40代になるまで、ぼく自身は気づけていなかったのだ。

では、「合理的で自律的な存在」ではなく「依存関係」を前提におく、とはどういうことだろうか?

「この人間存在の原初にある依存状態は、ケアの受け手と担い手との間の非対称性—体力、判断力、コミュニケーション能力といった能力においても、社会的、経済的地位においても—に特徴づけられ、そのため、依存とそれを取り巻く人間関係は、不平等を特徴とする。つまり、ケアする者は、ケアされる者がいま必要としているもの(ニーズ)は何かを決め、ある意味では有無をいわさず、その生理に介入する。さらにケアする者は、ケアされる者のニーズを読み取る必要があるため、ケアされる者に寄り添い、注視し、その労力だけでなく時間をもケアされる者のために使い、ケアされる者についての知識を経験的に獲得しながら、刻々と変化する心身に時に振り回されることがある。そうした労力や時間に対して、当然のことながら、ケアされている者からそれに相応する見返りがあるわけではない。もちろん、ケアする者が主観的に、ケアされる者の反応から喜びや満足を感じることがあったにせよ、である。」(p242)

「合理的で自律的な存在が協働するための社会を構成するといった前提」においては、機会の平等が大切にされる。日本の学力試験が重要視されるのは、機会の平等が保障されているという前提があるからだ。そして、子ども時代の自分もそれを信じて疑ってこなかった。でも、福祉を研究するようになると、ヤングケアラーや困窮家庭、障害を持つ学生のように、そもそも機会の平等にアクセスできない・しづらい存在が沢山いることがわかりはじめた。たまたま自分は、「合理的で自律的な存在」として競争できるような余裕のある環境で育っただけだ。そう気づくようになった。そして子どもを育てはじめて、自分は親や周囲の環境に安心して依存できる関係性を享受できていたから、機会の平等を空気のように感じていたのだ、とも改めて理解できた。

「ケアする者は、ケアされる者のニーズを読み取る必要があるため、ケアされる者に寄り添い、注視し、その労力だけでなく時間をもケアされる者のために使い、ケアされる者についての知識を経験的に獲得しながら、刻々と変化する心身に時に振り回されることがある。そうした労力や時間に対して、当然のことながら、ケアされている者からそれに相応する見返りがあるわけではない。」

ぼく自身の話をすると、母親をずいぶん振り回してきたのだと思う。中学から急に猛烈進学塾に通い始め、夜中に塾から帰ってきても、起きて待っていたり、夜食を用意していたのは、母親だった。大学受験で夜型生活になったり、うまくいかなくて早朝に起きたときにも、見守りをしてくれたのは母だった。だが、僕はそんな母親に「見返り」らしいことはほとんど出来ていない。でも、依存関係を僕との間に引き受けた母や、自らに課せられた不平等について文句も言わず、子どもをなじらず、子どもに見返りも要求することもなく、育ててくれた。そして、厳しい言い方をすれば、僕や弟の依存関係は、経済的には父だが、それ以外の圧倒的なケアは専業主婦の母が担い、家事育児を一手に担うという意味では父もケアをしていたので、母の負担はどれほど大変だっただろう、と、自分が娘をケアするようになって、つくづく思う。

そして、父は経済的負担を、母はケアの分担を、というのが、男性中心主義が生み出した勝手な幻想であり、僕もあなたも脆弱さを抱えた存在として、ケア的存在であり、ケアの倫理を基盤とした社会の方がよほど生きやすい、と今なら思うのだ。

「理性を重視する伝統的な哲学に対して、脆弱性の定義にみたようにケアの倫理は、身体を具えた具体的な人間存在が前提である。そして、あらゆる身体は脆弱性を抱えているという点において、ひとは平等であり、かつ一人ひとりその心身は別個(distinctive)であるだけでなく、人間関係を含めた異なる環境に左右されやすい(vulnerable)という個別性において、唯一無二の(unique)存在であると、ケアの倫理は考える。」(p246)

「努力すれば報われる=努力しない限り報われない」というのは、努力の「機会の平等」を前提にしている。だが、先に述べたように、本人や家族の経済状況、心身の状況によって、努力の機会の平等は保障されていないのが実際だ。それを前提として社会構想は、あまりにしんどい。でも、あなたも私も「あらゆる身体は脆弱性を抱えているという点において、ひとは平等であ」るというのは、深く頷ける。誰だって弱さや愚かさ、もろさや脆弱性を抱えている。その環境に左右されやすい脆弱性(vulnerability)を基盤にした上で、一人ひとりの唯一無二性(uniqueness)を大切にする社会の方が、より安心が出来る社会である。それは、心からそう思う。

では、そんな社会をどうやって作っていけばよいのか。僕は、自分が気づいた範囲で、出来ることから、身の回りからしていくしかない、と思っている。まず、虚勢をはらず、自らの脆弱性を認め、その声を聞くこと。そして、身近な他者の脆弱性をそのものとして理解しようと努めること。そのような対話的関係性から始めるしかないと思っている。それは機会の平等が前提とする他者比較とは違う。他者の、自分とは違う他者性を理解したいと希求すること。それは、己の唯一無二性と出会い直すこと。それを、家庭や職場や友人関係など、色々なチャンネルではじめてみること。それがケアを基盤とした民主主義(Caring Democracy)を実現する第一歩ではないか、と信じている。

他にももっと引用したいところだらけ、だけれど、長くなったので今日はこの辺で。この本は、また読み返したい名著である。

読み手に大きな痕跡を残す一冊

フィールドワークの本を読むのは好きだ。自分の出会えない人の内在的論理(=他者の合理性)をそのものとして描き、肉薄する本を読みすすめると、文字通り、自分自身のこれまでの既存の価値観が揺さぶられる。

そういう意味で、ここ最近最も揺さぶられたフィールドワークの記録が、これからご紹介する『家を失う人々』(マシュー・デスモンド著、栗木さつき訳、海と月社)である。出版社の概要には「ピューリッツァー賞など13の賞を受賞!貧困問題の解決に鋭く切り込む世界的名著。全米70万部 。欧州、アジア各国でも刊行!」と書かれているが、確かにその迫力が良くわかる。すぐれた訳も相まって、そのストーリーラインにあっという間に引き込まれていくのだ。

「『ただいま留守にしております。ご用がある方は1を押して、メッセージを残してください』。シェリーナは1を押して言った。『アーリーン、こんにちは、シェリーナよ。家賃を払ってもらいたいんだけど、お金、残ってる? この前320ドル立て替えてあげたでしょ。だから今月は家賃を少し多めに払うって約束したわよね。ほら、あのとき—」、そこまで言いかけたが、“姉さんの葬儀に参列する費用を貸したでしょ”とは口にしなかった。『ええと、とにかく、あわせて650ドル払ってね。電話、待ってるから』」(p100-101)

シェリーナはミルウォーキーの貧困地区に沢山の物件を所有して、夫婦で不動産業を営む大家。アーリーンは13才と6才の二人の息子と暮らすシングルマザーである。アーリーンはその後色々あって、シェリーナの物件を「強制退去」させられ、ホームレスのシェルターから様々な物件を探しては断れ、をしていく。シェリーナは、借家人が家賃滞納を繰り返すと、裁判所に強制退去の手続きをして、保安官を導入して借家人を追い出す。

それだけを書くと、アーリーンは完全な被害者で、シェリーナは鬼の守銭奴のように見える。一度の聞き取りだけなら、そういう現実に見える。でも、著者はミルウォーキーで一年フィールドワークをしてきたので、その背後にある描写が半端ない。それは、著者がまさに彼女に「弟子入り」して、その内在的論理を記録し続けてきたからだ。

「私はシェリーナとクエンティンのあとをくっついてまわった。そして二人が物件を買ったり、借家人の審査をしたり、下水管の詰まりを直したり、強制退去通知書を渡したりするのを観察した。そのなかで、アーリーン、ラマ—、それにヒンクストン家の人たちと出会った。さらに、アーリーンを通じてクリスタルと知り合い、クリスタルを通じてバネッタと知り合った。」(483−484)

シェリーナは大家として、生活保護やフードスタンプ受給者向けの不動産業を営んでいる。夫のクエンティンと二人で、物件購入から借家人の審査、物件の修理の手配や借家人とのいざこざ、そして強制退去にかかる裁判所の調停まで、全てこなしている。だからこそ、この貧困地区における住宅事情のからくりを最も知る一人なのだ。そのシェリーナにくっついてまわるだけでなく、そこで、アーリーンを始めとした借家人と仲良くなっていく。ゆえに、大家と借家人のそれぞれの視点で、どのような事実に対して感情的な相違点があるのか、を聞き取りで確かめながら、ストーリー展開をしていく。はっきり言って、下手な小説より胸が押しつぶされるような物語世界が展開されていくのは、この裏取りの濃厚さからである。

アーリーンを年内に強制退去させることが裁判所の調停で決まったクリスマスの日、シェリーナは追い出す相手のアーリーンに頼まれ、彼女を家まで送ってやった。その中で、こんな風に語りかける。

「『この寒さのなか、あなたと子どもたちを路上に放り出したいわけじゃないのよ』。シェリーナは雪でぬかるんだ通りをゆっくりと運転しながら言った。『あたしだったら、そんな真似はされたくないもの・・・家主のなかには人殺しをしたって、涼しい顔をしている連中もいる。でもあたしみたいに、ちゃんと調停人の面前に立つ家主もいる。調停人は自分の考えを述べる。それが裁判所ってものだけど、調停人だって、この制度に欠陥があるのはわかってる。とにかく家主が不利なのよ」(p167)

この語りの後に、注18と記載されていた。その注には、以下のように書かれている。

「ミルウォーキーで私が会った家主や管理人のほぼ全員が同意見だった。かれらは司法制度を厚かましい“プロの借家人”みたいなものだと見なしていた。不動産の所有者が不利になるようにつくられた“不公平な競技場”のようなものだ、と。あるいは、調停人はただ退去命令を発効すべきであるときにも、“さあ、これから交渉しよう”という態度をとりたがる、と。ただし、レニーは唯一の例外で、司法制度は『かつては借家人のためのものだった。いまは、もうそうじゃない』と私に語った。」(p550)

この本が唸らされるのは、裏取りの分厚さと注の読み応えでもある。「家主が不利」と語るシェリーナに対して、他の家主はどう思っているのか、統計的にはどうなのか、を他の家主や管理人の発言や、裁判所の記録やシステム分析から明らかにしていく。そして、この部分では「不公平な競技場」である、という家主の大方の見解を提示する。

だが著者自身は、本の最後に、家主や管理人とは逆の意味で、ミルウォーキーの司法システムが「不公平な競技場」になっていることを指摘する。

「裁判所はこれまで、強制退去に直面している人の大半が法廷に出頭しないという事実に対して、なんの対策も講じてこなかった。強制退去申請の種類が毎日山のように運ばれてくるなかで、法廷で働く人々は、その山をただ処理することだけを目標にしている。同情しようがしまいが関係ない。翌日になると、また山のような書類が待っている。事件はただ消化されるだけだ。憲法で保障されている法の適正な手続きは、たんなる手続きになりさがってしまったのだ。もしも借家人に弁護士がつくようになれば、この事態も一変するだろう。たしかに、この改革を実行するには費用がかかる。弁護士への報酬だけではない。公正な裁判を実現するためには、調停人、裁判官、法廷職員の数も増やす必要がある。強制退去を扱うすべての法廷が、充分な資金を提供されなければならない。だがそうすれば、裁判所はスタンプを押すだけのいわば強制退去組み立てラインではなく、本来の法廷の役割をはたせるようになるはずだ。
(略)
たとえば2005年から2008年にサウスブロンクスで実施されたプログラムでは、1300を越える家庭が法的支援を受けた結果、強制退去の裁判の86%で退去を回避できた。これは45万ドルほどの費用がかかったが、ニューヨーク市のシェルター運営費だけで見積もっても70万ドル以上節約出来た。強制退去は行政の財布にも重い負担となるのだ。」(p462−463)

現行システムでは、裁判所が強制退去を認めた記録は、個人情報なのだけれど、開示されている。すると、大家達は強制退去の経歴がある借家人には家を貸したがらない。犯罪歴と同じような烙印として機能している。しかもアメリカの場合、生活保護やフードスタンプのみで生きている困窮者の、その支給される保護費ギリギリに、家賃が設定されている。これではよほどの倹約をしないと、家賃が払えない。例えばアーリーンも、身内の葬儀で、子どもに着せていく服を買うためにお金が必要で、それを支払えば家賃が払えなかった。幸い、シェリーナは大家の中でも寛大なほうだったので、家賃の支払い猶予を認めた。でも、その猶予額が雪だるま式に貯まっていく中で、少しでも悪循環が続けば、家賃の支払いが滞りがちになる。民間不動産会社のオーナーであるシェリーナは、物件には次の借家人がつくことを知っている。だからこそ、未払いが続けば、すぐに裁判所に行き、強制退去の調停を行う。トレーラーハウスの管理人、レニーが言うように、「司法制度は『かつては借家人のためのものだった。いまは、もうそうじゃない』」。だからこそ、「裁判所はスタンプを押すだけのいわば強制退去組み立てライン」になり下がってしまっているのだ。

皆さんの中には、そもそも裁判所で強制退去に関する意見表明の機会があるのに、「強制退去に直面している人の大半が法廷に出頭しないという事実」に当惑する人もいるかもしれない。あるいは、そういう自堕落な・自暴自棄な人だから、仕方ないのではないか、と。それに対しても著者は、トレーラーハウスで生活保護で暮らしていたロレインを例にあげ、こんな風に述べている。

「ロレインのような人たちは、あまりにも複雑な制約のなかで生きているため、どれほどの善行を積めば、あるいは自制心を発揮すれば、貧困から抜けだせるのか想像できないでいる。過酷な困窮から比較的安定した貧困に這い上がるだけでも大きな壁が立ちはだかっているせいで、どんなに節約したって無理だと希望を失ってしまうのだ。すると、努力さえしなくなる。代わりに、つらい日常生活をささやかな喜びで味付けしようとする。ときにはハイになったり、酒を飲んだり、少しばかりギャンブルをしたり、テレビを手に入れたり・・・。フードスタンプでロブスターを買うことだってあるかもしれない。」(p332)

フードスタンプとは低所得者向けの食料品が買える金券である。税金で拠出された金券でロブスターを買うなんて!というのは、アメリカでも日本でも、事情を知らない第三者が目くじらを立てそうな出来事である。でも、その背景に、「過酷な困窮から比較的安定した貧困に這い上がるだけでも大きな壁が立ちはだかっているせいで、どんなに節約したって無理だと希望を失ってしまうのだ」という内在的論理があるとしたら、どうだろう。この本では、沢山のアルコール依存や薬物依存などの依存症当事者の語りも出てくる。彼ら彼女らは、最初から自堕落であった訳ではない。むしろ、「つらい日常生活をささやかな喜びで味付けしようとする」手段として、様々な依存に走るのであり、フードスタンプでロブスターを買うのである。逆に言えば、「過酷な困窮から比較的安定した貧困に這い上がる」余地があれば、そうはならないのだ。それは、この記述につけてあった注6でも指摘されている。

「貧困から抜け出すチャンスを得られたら、人はそれまでとは異なる行動をとるのだろうか? そうなると思える正当な理由がある。行動経済学者や心理学者の研究によれば、貧困はそれ自体が精神に重い負担をかける。すると、人は知性よりも衝動によって行動を起こしやすくなる。貧困家庭に経済が上向く手段が与えられると、資産をつくり、謝金を返す場合も多い。最近のある研究では、1000ドルを超える勤労所得控除を得た親の約40%が、そのなかからかなりの額を貯蓄したうえ、約85%が借金返済にあてることがわかった。還付金が得られるとわかれば、親は希望を抱き、貧困から抜け出すという目標に向けて貯蓄する。」(p537-538)

割高で質の低い民間住宅で、生活環境が悪化しつつ、強制退去に怯える極貧の人々。そんな過酷な貧困の当事者が、生活保護費やフードスタンプのわずかなお金から、麻薬やロブスターを買うのは、「貧困はそれ自体が精神に重い負担をかける。すると、人は知性よりも衝動によって行動を起こしやすくなる」という悪循環に陥っているからである。これは、アメリカでは日本と違い、生活保護費用のなかで住居費と生活費に区分がないため、保護費ギリギリまで家賃設定が出来てしまう、という背景もある。また、低所得者向けの公営住宅が極端に不足している事情もある。それだけでなく、自己責任大国において、「貧困家庭に経済が上向く手段」を政府や自治体が提供しないからだ。それさえすれば、全く状況が変わるというのに。著者もそのことに怒りを覚えている。

「いまの社会のシステムで利益を得ている人々(無関心な人々も含めて)は、住宅市場のことは市場そのものに調整させればいい、介入する必要などないと言うだろう。だが、それはたんなるおためごかしだ。家主が好きな金額で家賃を請求できる権利を認め、かれらを守っているのは政府だ。富裕層向けの集合住宅建設に助成金を出し、家賃相場を釣りあげ、貧しい人々のただでさえ少ない選択肢をさらに狭めているのも政府だ。借家人が家賃を支払えない場合、一時的または継続的に住む場所を提供しはするものの、家主の要請に応じて武装した保安官代理を派遣して借家人を強制的に退去させているのも政府だし、借金の取立代行業者や家主のために強制退去を記録に残して公表してるのも政府だ。」(p466)

おためごかしを辞書で引くと、「人のためにするように見せかけて、実は自分の利益をはかること」と書かれている。市場の自由を尊重することは、万人のためではなく、アメリカにおいては、貧乏人を搾取する自由になっている。そして、家主やどの代理人の権利保護に比べると、貧乏人の権利はほとんど護られていない。そのような不平等や格差の固定化につながるシステムを、制度的に政府が保証してしまっているのだ。それが、分厚いフィールドワークの記録から、本当に胸苦しくなるほど、読むものに迫ってくるのが本書の魅力でもあり、読み通すのが辛くなる、けど続きが気になる理由でもあるのだ。

長い書評ブログになったが、最後に、救いのある著者のコメントを置いておきたい。

「私がトレーラーパークやスラムで、人々の立ちなおる力、気骨、活気や輝きといったものを目にしてきた。はじけるような笑い声もたくさん耳にした。と同時に、多くの苦悩も目の当たりにした。フィールドワークが終わりを迎えるころ、日記にこう記した。『自分が汚く思える。こうした体験談や苦難の連続を、まるでトロフィーを獲得するかのようにかき集めているのだから』。フィールドワークの間にぬぐえなかった罪悪感は、現地を離れたあと、いっそう重くのしかかった。自分がペテン師で、裏切り者になったような気がしたし、匿名で告発されてもすぐに罪を認めそうな気分になっていた。大学の式典で私の目の前に置かれたワインのボトルやわが子にかかる月々の保育園の支払いを、ミルウォーキーの家賃や保釈金に置き換えずにはいられなかった。こうした仕事は胸のうちに大きな痕跡を残す。読者のみなさんにも、これが自分の人生だったら・・・と想像してもらいたい。」(p497)

ここまで長いブログを書いたのは、まさに一読者のぼくの胸にも、少なからぬ痕跡が残る一冊だったからだ。日本はここまで貧困者に追い打ちをかけない社会である。いまのところは。でも、アメリカの負の部分は、だいたい10〜20年後には日本にも重なっていく。発達障害や児童虐待の急増は、まさにアメリカから周回遅れで、同じようになっている。そして、民営化の圧力は、生活困窮者自立支援法などでも仄聞している。貧困ビジネスは、そもそも民間精神病院のやり方としてずっとあったし、訪問看護や訪問介護でも一部の劣悪な株式会社系の事業者による搾取など、こういう問題はずっとつきまとっている。

だからこそ、この本は福祉や社会問題、フィールドワークに興味のあるなら、一人でも多くの人に読んでもらいたい一冊なのだ。分厚いけど、胸が潰れそうな気分になるけど、でも圧倒的な迫力と痕跡をあなたにもたらすことは間違いない。

臨床知と創造の病

東畑開人さんの『ふつうの相談』(金剛出版)を読む。文体は平易だが、内容は手強い。東畑さんはいつも目の付け所というか、仮説が鋭いのが良いのだが、今回の仮説は心理職やソーシャルワークの相談以前の「ふつうの相談0」こそが「メンタルヘルスケアの資源である」(p76)という仮説である。

「ふつうの相談0とは何か。たとえば、人生の危機を友人に打ち明け、アドバイスをもらう。心身の不調を職場の上司に相談して、仕事量を調整してもらう。成績が伸び悩んでいるとき、塾の教師に喝を入れられる。離婚して打ちのめされているときに、古い友人たちが飲みに誘ってくれる。私たちの生活にはさまざまな苦難が生じ続けるが、それに呼応して周囲からさまざまなヘルプが差し出され、ケアがなされる。専門家が介入する以前に、素人同士で交わされているこれらのケア/治療こそが、ふつうの相談0である。」(p77)

え、それだったら、自分だってやっている・受けているよ! そう、そうなのである。東畑さんは、臨床心理士という相談の専門家でありながら、その専門家が囲い込めない広大な相談の領域を「ふつうの相談」の大草原と名付け、それにはどのような意味や価値があるのか、を問おうとしている。それがこの本の面白い点である。

そして、ユング派とかトラウマインフォームドケアとかソーシャルワークとか、それぞれの理論的枠組みに基づく相談を「学派知」、刑務所やデイケア、学校などそれぞれの現場で何とかする知を「現場知」と名付け、「学派知」と「現場知」を合わせたものを「専門知」としている。その外側に、ふつうの人のふつうの相談としての「世間知」があり、「世間知」と「専門知」が合わさって「臨床知」という総体をなす。

「世間知と学派知と現場知。いずれも賢いのだろうが、ときにバカになる。専門知は世間知らずになりやすく、世間知は傲慢になりやすい。学派知は暴走しやすく、現場知は閉塞しやすい。知とは複雑な現実をシンプリファイする装置なのだから、そこには単純化による暴力が潜んでいる。
だからこそ、心の臨床家にはこれら三つの知をメタに見る視点が求められている。」(p149)

たった数行で、それぞれの構造的課題を喝破する筆致は、お見事。どれも、それぞれの知を反転させた「問題点」である。

専門知は、詳しい構造を知るからこそ、微に入り際にいるため「世間知らず」になりやすい。世間知は、逆にそういう詳細なことを考慮に入れずに直感を大切にするがゆえに、「傲慢」になりやすい。学派知が「暴走しやすい」のは、それはその学派の理論的正しさに固執してしまうがゆえである。現場知が「閉塞しやすい」のは、そのローカルルールに固執してしまい、それ以外のローカルな現場との比較ができないときである。

そして、臨床の知のメタ性を忘れるな、と警鐘を鳴らす。

「かつて中村や河合は『臨床の知』概念を通じて当時支配的であった『科学の知』を批判し、相対化した。『臨床の知』はその後、臨床心理学の中では学派知となり、ドミナントなものになったが、そもそもは批判概念であったことを思い出す必要がある。同じように、『臨床知』とは批判概念であり、それは世間知と学派知と現場知を外から見る。いずれかに没入して原理主義になるのではなく、いずれ『も』重視して、バランスを取るための知。臨床的に物事を考えるとはそういうことだと思うし、そのとき私たちが営んでいるのがふつうの相談Aである。」(p150-151)

この際、彼はAを「あなた」「ありふれた」「あるある」のAだという。要は日常的な営みとしての相談は、こういうバランス感覚を大切にして成り立つものであり、それは原理主義への批判を含んでいる、というのだ。「傲慢」にも「暴走」にも「閉塞」にもならないために、「いずれ『も』重視して、バランスを取るための知」としての「臨床知」がある、という。これはよくわかることである。

大学で学生の「ふつうの相談」を受け続けて、15年以上たつ。あるいは、福祉現場や行政の人から、「どうしたらよいんでしょうか?」とよくわからない「ふつうの相談」が、あれこれ持ち込まれる。福祉社会学や社会福祉学の研究をしてきて、多少なりとも「学派知」は囓っている。また、ゼミなどで話をきき続けると、「現場知」もほどほどには蓄積されてくる。そうはいっても、僕自身はソーシャルワーカーやカウンセラーとして働いたことはないので、素人の直感に頼ると言う意味では「世間知」を駆使してきた。そして、今まで、「学派知」も「現場知」もぱっとせず、「世間知」をごまかし的に使ってきた自分自身への疚しさがあった。でも、「世間知と学派知と現場知を外から見る」「バランス」を重視した「臨床知」だったとすると、もしかしたら、まあまあできているかもしれないな、と思い始めている。ただ、「傲慢」になってはいけないので、「現場知」や「専門知」をしっかりグリップし続けないと危ないのだけれど。

そういう意味で、自分自身の「ふつうの相談A」を見つめ直す上で、この本は良いリフレクションをもたらす一冊だった。

そして、もう一カ所、深く共感した部分を引用しておきたい。

この本の「ネタ本」の一つである中井久夫の『治療文化論』には、心の不調として「普遍症候群」「文化依存症候群」「個人症候群」の三つがあるという。「普遍症候群」はDSMやICDなど統計学的なパターンで分析でき、文化を越えて普遍的な病である。「文化依存症候群」は「狐憑き」や沖縄のユタとカミダーリなどのように、ある文化に依拠した症状である。そして、「個人症候群」はその人の個人の「創造の病」にもなり得る、個人的な症状である。そして、彼の「出版精神病」が超絶面白かった!

「本を書き終わり、それが出版されるまでの数ヶ月、私は誇大妄想と被害妄想を行き来する。本が激賞され、爆発的に売れるのではないかと創造して悦に浸る一方、『つまらない』とこき下ろされたり、予期せぬ不備がみつかって社会的批判を浴びたりするのではないかとおびえる。乱高下による興奮状態は、出版後には抑うつに取って代わられる。いずれの空想も実現せず、本はひっそりと出版され、特に大きな話題になることもないままに、ひっそりと書店の店頭から姿を消していく。この喪失体験は大きくて、しばらくの間、活動は停滞し、気分が塞ぐ。私の場合、この抑うつに耐えるためのコーピングが原稿をコツコツ書くことだ。関心を外的世界から内的世界へと引き戻すのである。この期間が数ヶ月、一年と続くと、原稿が溜まっていき、一冊の本になる。ここまでくると、再び『出版前空想』がやってくる。このサイクルが私の持病である。」(p93)

東畑さんのような売れっ子作家でもそうなのか!とめっちゃびっくりした、だけでなく、私自身の「持病」がこんなにわかりやすく書かれていて、笑ってしまった。そう、私も「出版前空想」と「出版後うつ」からなる「出版精神病」の患者のひとりである。

「私は本を書かざるをえない。私は本を病んでいる。それは個人的な意味に満ちあふれた病なのである。」(p93)

私自身がここまで病に罹患しているかはわからないけれど、このブログも含めて、私が原稿を書き続けているのは、私自身の個人的な意味に満ちあふれているから、である。

若き友人の青木真兵さんは、最近こんな風に書いてくれた。

「竹端さんは「生き直しの鉄人」だと思った。自分の弱い部分と真摯に向き合う過程を、社会理論や研究蓄積、筆力など全てを動員して言語化していく。そしてその言葉にはまだ未言語の領域が残されていることで、僕たちは自分事として読むことができる。バッターボックスに立ち続ける姿はまさに鉄人だと思う。」

子育てをしながら、見えてくる己の愚かさや至らなさ。そういった弱い部分を、見ないようにしてもいいのだけれど、気づいたら書きたくなってしまう。私は本を書かざるをえない。それは、僕自身が「何が見えていないか、何に気づいていなかったか」という自分自身の「盲点」に気づいてしまったら、それをこれまで学んだ言語を駆使し、新しい理論を学び直しながら、とにかく言葉にしたいからだ。そういう「創造の病」にかかっている。そんな僕自身の内面をも、東畑さんは掬い取ってくれたようで、読んでいて、僕自身がなんだか自己治癒されるような本だった。

四半世紀かけて読めた本

本を読むときに、「亀の甲より年の功」が発揮されることもある。若い頃は全く歯が立たずに投げ出した本でも、一定期間、様々なジャンルの本を乱読したり、人生経験を積み重ねる中で、やっと「いま・ここ」だから読み通せる本もある。

昨年に増補新版が出たからと、来週の読書会で選んだジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』(みすず書房)もまさにそんな本だった。「今なら、読めるで!」と。

なぜ、昔読めなかったこの本が、今読めるようになったのか。それは、この間、宮地尚子さんや信田さよ子さんなど、トラウマや家族内での虐待問題を正面から取り上げてきた著者達の文章を読み続けてきたから、というのが一番大きな理由である。でも、それだけではなく、自分の認識枠組みを揺さぶられることにも、だいぶ慣れてきたから、というのもありそうだ。それは、フロイトが直視できなかったことでもある。

「フロイトの跡形も残さない取り消しぶりは、フロイトが直面していた問題の極端さを考えてみると理解出来るかもしれない。自説を固守するならば、女性と幼小児への性的圧政の深さを認めないわけにはゆかなかったであろう。この認識を支持し知的に裏付けるものがありうるとすれば、それはまだ誕生途中のフェミニズム運動の他にはなく、それはフロイトの胸中にあった家父長的価値をゆるがさずにはすまなかった。この種の運動の同盟者となることはフロイトのような政治的信条と学者的出世願望を持つ男にとっては考えられなかった。激しく反対するあまり、フロイトは心理的外傷の研究と女性のどちらからも手を引いてしまった。彼はさらに、女性の劣格性と虚言性とを理論の骨子とする人間の発達理論を展開するに至った。反フェミニズム的な政治的空気の中でこの理論は栄え、枝を茂らせた。」(p26)

初期のフロイトが女性のヒステリーを研究する中で、ヒステリーを引き起こす女性が、家庭内で性的虐待を受けていることを発見してしまった。しかも「パリの無産者層だけならともかく、目下繁栄中のウィーンのご立派なブルジョワの家庭においても蔓延している」(p18)ことに気づいてしまった。これは女性のヒステリーの背景に心的外傷がある、という大発見であるが、それを公言することは、「フロイトの胸中にあった家父長的価値をゆるがさずにはすまなかった」。また、「ウィーンのご立派なブルジョワの家庭」の家長=男性の富裕層・知識階級層に支持されることが、自らの学者的出世願望を成就するのに必要不可欠だった。だからこそ、「フロイトは心理的外傷の研究と女性のどちらからも手を引いてしまった。彼はさらに、女性の劣格性と虚言性とを理論の骨子とする人間の発達理論を展開するに至った」のである。

これはフロイトだけの問題ではないと思う。ぼく自身も、これまで虐待のない家庭で育ってきた為、家庭内での虐待がこんなに沢山あることを、若い頃は受け入れたくなかった。それはアメリカの問題で、日本には関係ないと思い込んでいた。ただ、信田さよ子さんの『アダルトチルドレン』など、色々な本を読みながら、実際に親に支配されてきた人々の声と出会う中で、「女性と幼小児への性的圧政の深さ」は残念ながら日本社会の中で語られざる事実である事を受け止められるようになってきた。親が子どもを支配・圧制している、という、家族幻想を打ち砕く事実をそのものとして受け入れる認識枠組みを自分の中でも持てるようになると、家父長的価値以外の世界=フェミニズム的視点を持って、現実を受け止められるようになる。たぶん、以前のぼくがこの本を読めなかった背景には、このような認識枠組みの狭さがあったのだと、改めて思う。

そのような、男性の認識枠組みの構造的問題は、心的外傷の界隈に沢山ある。

「ポルノグラフィーの核心のパワー・ダイナミックスは他者に対する完全な支配である。この権力幻想が身の毛のよだつほど正常な男性たち何百万の胸にエロティックにアピールした結果が一大産業の育成である。この産業においては女性と児童の虐待が行われている。決して幻想の中ではなくて現実に・・・。」(p111)

ポルノに心を寄せられる男性には「権力幻想」がある。これを男性の一人として受け入れることは、なかなかしんどいことである。でも、現実に多くのポルノにおいて女性は男性を満足させる道具として描かれている。そしてそれは明らかに男性が女性を支配し、時には加害している、という構図がある。その「内なる権力幻想」を、そのものとして認めるのに、ぼく自身は時間がかかった。それは、フェミニズムを学んだ後、女性視点のポルノ映画を撮るようになったエリカ・ラストなどの存在が、そういう男性中心主義の狭隘さを指摘している記事から学んだことでもある。

さらに、7年前から子育てを始めて、親の視点でこの本を読むと、痛々しいほど身につまされて入ってくる部分がある。

「被虐待児の心理的適応の基本的目的はすべて、両親達がそれこそ毎日毎日、その悪意を、たよりなさを、冷淡さを、無関心をはっきりとみせつけているのに、それでもなお、それをみながらも、両親への一次的アタッチメントを保つというところに置かれる。この目的を果たすために子どもは実にさまざまな心理的防衛手段に訴える。この防衛の魔力によって、虐待は意識と記憶から壁で隔てられて実際にはそういうことはなかったということになるか、あるいは極小化され、合理化され、弁明のつくものとされて、何が起ころうともそれは虐待ではないということになる。耐えがたい現実から事実においては逃れることもこれを変化させることもできないので、子どもは現実を心の中で変えるのである。被虐待児は、虐待は実はなかったと思い込む方が好きなのである。」(p151)

親に虐待されているけど、「虐待は実はなかったと思い込」みたい。だからこそ、「虐待されるのだから、自分は悪い子だと思い込む」とか、「いまは虐待されているけど、よい子にしたら虐待されないはずだと思い込む」などの様々な心理的防衛手段に訴えかけられ、「耐えがたい現実」を「心の中で変える」のである。

これは、先週岡山で監督ともお話させて頂いた、映画『プリズン・サークル』の話を思い出す。あの映画で出てくる受刑者達の多くが、小さい頃、虐待されてきた。心的外傷を持ってきた。でも、子ども時代に適切な支援がなされず、自分一人でそこに立ち向かうために、嘘をついたり、あるいはそれをなかったことにしたり、という心理的防衛をしていった。そして、その事実と向き合えない解離状態が極大化していくなかで、犯罪に至るということも、映画をみながら感じていた。

「児童期虐待の被害経験者に与えられる特に有害な病名が三つある。身体化障害、境界性人格障害、多重人格障害である。この三つの診断名はいずれもかつては現在廃止された病名『ヒステリー』の下位病名であった。患者は通常女性であるが、これらの診断をもらうと、ケア提供者側が強烈な反応を起こす。彼女らの話すことは信憑性が怪しいとされる。人をふりまわすとか仮病を使うと指摘される。彼女らを対象として、しばしば感情的で偏見にとらわれた議論が行われる。時にはあっさりと嫌な奴だとされる。
この三つの診断名はおとしめの意味合いを背負っている。もっともひどいのが境界性人格障害という診断名である。この用語は精神保健関係者によってよく使われるが、それは高級な学問の装いの下で人を中傷する言葉にすぎない。」(p183)

「信憑性が怪しい」「人を振り回す」「仮病を使う」・・・こういう人に出会ったこともあるし、実際振り回されたこともある。あのとき、ぼくはその人を「嘘つき」だと思っていた。でも、もしそれが、心的外傷ゆえの心理的防衛がもたらしたものだと知っていたら、ずいぶんその人との出会いは変わっていたと思う。

ぼく自身は、2017年にカナダに出かけて、反抑圧的ソーシャルワークを学ぶ中で、トラウマインフォームドケアと出会った。これは、こんな風に言語化してみた。

「トラウマインフォームドとは、トラウマがあるという前提で物事を見ていく・捉え直す視点かもしれない、ということである。だらしない・ややこしい・「問題行動」のある・面倒くさい・・・と片付けられてきた人々は、「トラウマがあるという前提」で捉え直すと、様々な解離や退避行動を取らざるを得なかったことが、見えてくる。」

他者を振り回す、嘘をつく、言うことをコロコロ変える・・・人々は、周囲との関係性がうまくいかない。それを「ろくでもない人」「困ったちゃん」とラベルを貼っても、何も理解出来ない。そうではなくて、心的外傷=トラウマを深く刻み込まれ、それゆえ、そのトラウマを回避するための行動を必死になって取るうちに、対人関係がどんどん破綻し、破壊的になっていく人、と捉えると、ずいぶん違って見える。振り回される方はたまったもんではないが、でも、一見すると極端な加害性に見える背景に、その人の被害性とか、そこからの回避行動であると仮説を立てると、「他者の合理性」がよりクリアに見えてくるのだ。

「結局のところ、心的外傷を癒やすためには身体と脳と心を一つに統合することが必要なのだという、基本に立ち戻ることになる。まず安全な場を持つこと、そして思い出すこと、服喪追悼すること、そしてコミュニティにもう一度つながることである。人間の残酷さをぶつけられた衝撃が癒やされるのは、別の誰かの献身と優しさによって関係の結びつきを取り戻したときだろう。回復の土台石となるのは、心理療法と社会的支援である。この原理は、どんな治療技法によっても、どんな薬物によっても変わることはない。」(p405)

解離や虚言などは、圧倒的な心的外傷体験をなんとか乗り越えるための、身体化された反応である。ということは、そのような状況を越えるためには、バラバラになった「身体と脳と心を一つに統合することが必要」なのだ。それは、何らかの薬物を投与すれば完治する性質のものではない。「まず安全な場を持つこと、そして思い出すこと、服喪追悼すること、そしてコミュニティにもう一度つながること」という四つのプロセスが必要不可欠なのだ。これは、岡知史さんがセルフヘルプグループの特性を「わかちあい」「ときはなち」「ひとりだち」の三つだと喝破した点とも通底している。同じ経験をしたとか、その経験を否定せずに安心安全な場ではないと、「わかちあい」は始まらない。そして、その場で封印・抑圧していた体験を思い出すのは、ある種の「ときはなち」のプロセスだ。そうやって記憶を語り、語り直すなかで、その経験に引きずられた人生から「ひとりだち」できるし、それが「服喪追悼からコミュニティに再度つながるプロセス」でもある。

そういう意味で、この領域の課題を四半世紀くらい学び続けてきたからこそ、やっと自分の腹に収まって、この本が理解できたのかも知れない。つくづく、僕は情報処理人間のようにサクサク理解できないよなぁ、と思う。でも、そうやって腑に落ちる言葉を時間をかけて一つずつ獲得していくプロセスの中で、「急がば回れ」で見えてくる現実もあるような気がしている。

「親亡き後」をぶっ壊す「共事者」

最近、読み始めたら止まらない、オモロイ本を読み続けている。今日もそんな一冊のご紹介。

「ぼくは、被災地と呼ばれる場所で暮らしてきて、この『当事者』という言葉に翻弄され、複雑な思いを抱いてきた。当事者の存在を肯定・尊重し、当事者同士がつながりを持つ場を守りつつ、外側の人たちを『非当事者』にすることなく、自分にもある当事者性を自覚し、課題解決にゆるっと解決できるような、中途半端な立場を肯定的に捉えられる言葉があればいいと思うようになった。そこで生まれたのが『共事者』という言葉だ。
『共事』は、当事者性の濃淡や関与の度合い、専門性の高低などを競わない。素人や部外者、ソトモノの価値をもう一度見直しながら、当事者性を、遠くに、そして水平方向に拡張していく。ふまじめで個人的な興味や関心、『いるだけでいい』という低いハードル、だれもがワクワクする課題を社会に開き、既存の当事者の枠を超える新しい関わり方をつくり出すと考えている。」(クリエイティブサポートレッツ+小松理虔『ただ、そこにいる人たち:小松理虔さん「表現未満、」の旅』現代書館、p124)

小松理虔さんは福島県いわき市在住のローカルアクティビストであることは知っていたし、新聞などで彼の記事を読んでいたのだが、この本は積ん読本だった。ちょうど近々直接お目にかかるので目に通しておこうか、と消極的な理由で読み始めたら、抜群に面白くて、一気読みしてしまったのだ。

この本は、小松さんが静岡にある障害者支援の現場、クリエイティブサポートレッツに「観光」に訪れ、毎回そこで感じたことを原稿にした報告書を基に作られた本である。その支援現場の面白さについて紹介する前に、まずこの「共事者」という視点の良さを考えてみたい。

僕は障害者福祉を研究対象にして25年ほど経つが、いつも、どういうスタンスでいるのか、を表現するのは難しかった。現時点では、自分自身に障害があったり、家族に障害者がいた訳ではない。そういう意味では「当事者性」が低い。でも、非当事者と分けられるよりは、事情は知っている。とはいえ、障害者福祉の専門家と言われると、そうでもないような気がする。非当事者の仲間としてアライ(ally)という言葉も最近出てきたが、それがまあまあしっくりくる。でも、カタカナだしなぁ・・・、とモヤモヤしていたのだ。

そんな僕自身の立ち位置の中途半端さを見事に肯定してくれる「共事者」。「自分にもある当事者性を自覚し、課題解決にゆるっと解決できるような、中途半端な立場を肯定的に捉えられる言葉」というのは、実に素敵な言葉だと思う。そして、共事者という言葉は、当事者/非当事者という二項対立を切り開く可能性を持っている。

「ふまじめで個人的な興味や関心、『いるだけでいい』という低いハードル、だれもがワクワクする課題を社会に開き、既存の当事者の枠を超える新しい関わり方をつくり出すと考えている」

この「ふまじめさ」というか、「真面目も休み休みに」という視点が大切なのだと思う。被災地支援なんかでも、しばしば「当事者が悲惨な状況なのに不謹慎だ」という言葉がネットを飛び交う。でも、その当事者を代弁する「巫女」的な言葉遣いが、僕は嫌いだ。当事者に寄り添う気持ちが問題なのではない。「当事者に寄り添えていない」「こんな時に楽しんでいる」「空気を読めない行動をするのは不謹慎だ」・・・と、他者を断罪する姿勢が嫌いなのだ。実際、小松さんは福島で被災した当日、家族で缶詰パーティーをして楽しんでいた、という。そう、被災当事者だって、楽しんでよいのだ。

その上で、当事者という言葉に付随する「支援する・される」という関係性も、小松さんは括弧にくくろうとしている。「する・される」の関係性は、する側がパワーを持つので、気づけばされる側が支配される、という支配関係に簡単に転化しやすい。でも、支援関係を結んでいる訳ではないので、その現場で『いるだけでいい』という関係性。そこに、「新しい関わり方」の可能性があるというのだ。

それは小松さんの「当事者体験」による。

「福島を楽しみ、味わいつくし、その土地の歴史をふまじめに楽しむうち、震災や原発事故に接続してしまい、結果的に、その被害の大きさを知り、犠牲に対する慰霊や供養につながり、社会を見る目が変わったり、ライフスタイルを改めるきっかけをつかんでしまったり、復興の今を知ることにつながってしまう。最初は興味本位や物見遊山だったのに、その人の人生を変えるようななにかを受け取ってしまう。そんな回路を、小さくてもぼくはつくろうとしてきた。」(p77)

このうっかりさがいいな、と読んでいて僕は感じた。真面目な被災地支援は、今は能登地震の緊急避難期だが、本当に必要とされている。一刻も早く避難所への物資がしっかり運び込まれ、仮設住宅や、ホテルでの仮住まいなど、生活の質が向上し、被災者の生活再建が進んでほしい。それは真面目にそう思う。

でも、阪神淡路や中越、東日本、熊本など様々な被災地で、一定の時間が経つと大切なのは、震災後の街の賑わいをどう取り戻すか、である。そのとき、関係人口というか、その街に興味をもって、関わるよそ者の存在が大切になる。そして、そのよそ者は、興味本位で「ふまじめ」であってもよい。でも、そうやって楽しんだり味わったりしているうちに、「うっかり」被災状況とか、現地の歴史を知ってしまう。「最初は興味本位や物見遊山だったのに、その人の人生を変えるようななにかを受け取ってしまう」。ふまじめな関わりから、うっかり「共事者」になってしまう。このプロセスを、東浩紀氏の言葉を借りて、小松さんは「観光」の「誤配」だという。観光のつもりでやってきたのに、うっかりその土地の「共事者」になってしまう。そういう「誤配」が大切だ、と。そして、小松さんがオモロイのは、クリエイティブサポートレッツという福祉現場にうっかり訪れ、「福祉の誤配」に直面するうちに、共事者になっていく、そのプロセスがしっかり綴られている点である。

あるとき小松さんがレッツを訪れたら、言語表現が苦手な太田くんとこうちゃんが、梅雨明け前の7月の暑い日、庭の水道脇の桶で水遊びをしていた。あまりに楽しそうだったので、「思わずちょっとふざけたくなってきた」小松さんは、自分のサングラスを二人にかけてあげる。すると、「香港映画に出てくる怪しい中華料理屋にいそうな太田くん」(p107)になったので、その写真をパチリとる。この写真を見ながら、僕はゲラゲラ笑っていた。その横のページにはこんなことが書いてある。

「そこには『正しい支援』があるのかもしれない。けれど、こんなことをしたら怒られるんじゃないか、これはふさわしい支援じゃないのでは?みたいなことを気にして目のまえのふたりとコミュニケーションする機会を失うより、いま感じている『ノリ』みたいなもので接した方が健康的だし楽しいはずだ。ぼくは上機嫌でシャッターを押して、ふたりのニセ香港スターを撮影した。ふたりは小一時間ほど水浴びして、顔に水をかけたり、ぽちゃぽちゃ水の感触を楽しんだりしていた。隣にいる蕗子さんは、なにか起きたときにすぐに動けるようにしながら水浴びをしていた。なんというか、ものすごくハッピーな空間だなと思った。」(p106)

小松さんはレッツに遊びに来たヨソモノである。でも、彼が来た時に、水浴びしていた当事者二人があまりに面白そうだったので、非当事者ではなく共事者として、サングラスを渡してみる。すると、怪しい中華料理屋にいるニセ香港スターに変身して、みんなでゲラゲラ笑いながら、大撮影大会をする。ふまじめだけれど、ものすごくハッピーな空間だ。ただ、支援が必要な二人なので、支援者の蕗子さんはちゃんとそばに居る。でも、その蕗子さんも暑いので、「なにか起きたときにすぐに動けるようにしながら水浴びをしていた」という。蕗子さんも支援者なんだけれど、共事者として、そこで一緒に遊んでいる。でも、独りよがりになるのではなく、それとなく二人を観察し、見守っている。こういう感覚が、めっちゃええな、と思ったのだ。

そんなレッツに集まっている皆さんは「表現未満、」な状態である。

「ぼくはこう考えている。『表現未満、』とはメガネのようなものだと。それをかけると、『表現以上』の世界で『迷惑行為』とされたものがなぜか許容され、社会的な価値や意図や目的や成果から抜け出した本来の『その人らしさ』がじわじわと浮かび上がって見えてくる。蕗子さんがこうちゃんの水浴びを『飽くなき探究心』といったことにも似ている。『表現以上』の領域からではなく、『表現未満、』つまりその人の本来の『らしさ』を見ようとする、そんなメガネ。」(p31-32)

こうちゃんは水に強いこだわりを持つ。支援者が止めても、ポケットに水を入れたり、下着を濡らしたりする。これは「『表現以上』の世界で『迷惑行為』とされたもの」である。支援者からすると、何度も着替えさせなければならないので、面倒である。でも、「こうちゃんの水浴びを『飽くなき探究心』」と支援者の蕗子さんがラベルを貼り替えると、違う世界が見えてくる。「『表現以上』の領域からではなく、『表現未満、』つまりその人の本来の『らしさ』を見ようとする、そんなメガネ」で捉えたら、その探究心に付き合うのも、蕗子さんの支援という仕事の一つになってしまうのだ。だからこそ、先に紹介した水浴びは、こうちゃんの遊びであり、かつ「飽くなき探究心」の発露であり、それを生活介護という障害者支援の一形態で、蕗子さんは支援している。本人を矯正したり、社会的に好ましいやり方に強要するのではなく(社会的な価値や意図や目的や成果を脇に置き)、ご本人の「表現未満、」な「その人らしさ」に付き合う。だからこそ、「なんというか、ものすごくハッピーな空間」ができあがるのだ。

これは、「ふまじめさ」をもった「共事者」としての小松さんや蕗子さんがいたからこそ、できあがった偶然のエピソードだ。でも、そういう風に現場を作り上げていくことが、このレッツの魅力だと感じる。レッツの代表者、久保田翠さんは、こんな風に語る。

「この事業の肝は『他者』だ。親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような人たちがどれほど入り込んでいくか。そしてもう一つ肝なのが『親が考えない』ことだ。つまり、私が考えないこと。親の都合で作らないこと。彼らの第一の理解者、代弁者を『親』と考えないこと。『親亡き後』という言葉がある。『親の死後、わが子が路頭に迷わないために今からなんとかする』といった親心を象徴した言葉。しかし私は『親なき後をぶっ壊せ』と言っている。」(p214-215)

翠さんは、レッツの利用者たけちゃんの母親である。美大の建築学科に進み、大学院で環境デザインを勉強した後、都市計画や地域計画のデザイナーとして働いていた翠さんは、重度知的障害を持つたけちゃんを産んだ後、仕事を辞め家に引きこもっていた。そんな閉塞感を超え、「私自身が生きていくためにレッツという現場が必要だった」(p286)。表面的に見ると、重度障害のある人を受け入れてくれる福祉施設がないから、母親が作った、というストーリーに見える。そして残念ながら日本は国が積極的に動かないので、翠さんのように、わが子がしっかり受け止めてもらえる場を自分で作る家族が沢山居る。その時に、「親亡き後のわが子の幸せを考えて」という「親亡き後」のフレーズはそういう家族が作った施設で、必ず聞く言葉でもある。

でも、翠さんは『親なき後をぶっ壊せ』という。この言葉は、入所施設や精神病院の研究をしてきた僕にとっても衝撃的だった。日本の障害者福祉は、「家族丸抱えか、施設に丸投げか」の二者択一である。そんな現実を「ぶっ壊す」ためには、「障害者の親」という重い十字架をひっくり返す必要があった。それが、「私が考えないこと。親の都合で作らないこと。彼らの第一の理解者、代弁者を『親』と考えないこと」である。これは非常にロックな、既存の福祉的価値観の破壊をも意味する。

実は、日本では家族丸抱えの現実を変えるために、障害者の家族(親)が集まって、多くの作業所や通所施設、入所施設を作ってきた。でも、その時の親たちは、特に子どもが重度障害であればあるほど、親こそが第一の理解者であり、代弁者である、と考えてきた。これは、国が無策だから仕方ない側面もあったが、非常に危うい発想である。本人の都合より、代弁者である家族・親の都合が優先されることで、本人と親が利益相反関係になる可能性があるからだ。そういう意味で、家族が代弁者となり続けると、支援は閉塞的になり得る。その論理を知り尽くした、重度知的障害を持つたけちゃんの親でもある翠さんは、発想の転換、というか、別の論理を構築し、実践する。

「この事業の肝は『他者』だ。親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような人たちがどれほど入り込んでいくか。そしてもう一つ肝なのが『親が考えない』ことだ。」

この二つがどれほど大切か。

障害のある子どもの親が責任を背負いすぎている。その現状を変えていくためには、「親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような」「他者」が「共事者」として関わっていく必要がある。だから、レッツには、支援者以外のアーティストや見学者を大歓迎している。その上で、親の代行決定ではなく、他者と支援者と本人が共事者として関わり、協働決定していく。実際、たけちゃんは金髪になったのだが、それは親の願いでなったのではない。一緒にたけちゃんと遊んでいた「共事者」が、金髪の方が格好良くない?という発想からはじまったのだ。そして金髪になったたけちゃんは、みんなに褒められてまんざらでもなさそうだった、という。

親だと保護的になりやすい。でも、原則的に親は子どもより先に死ぬ。その後の「わが子の幸せ」を親が保証することはできない。だから、入所施設を作って三食昼寝付きの生活保障が大切だ、と頑張った親も居た。でも、たけんちゃんの親の翠さんは、あくまでもたけちゃんの「表現未満、」を大切にしたかった。すると、その「表現未満、」に寄り添って、面白がって関わり合う共事者を増やしたかった。だからこそ、『親が考えない』ことを大切にしながら、レッツを作ったのだ。

「レッツでは、利用者がどんどんまちに遊びに行きます。まちの中に行かないと社会は変わりません。問題が起きないと社会は変わろうとしないんです。健常者とはちがう目線や感じ方を持っている彼らがまちに出ることで、波が立つようにあちこちに問題が起きる。それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする。だから問題を起こすのが彼らの仕事です。」(p69)

これも翠さんの痺れるような発言だと書き写していて、感じる。『表現以上』の世界で『迷惑行為』とされたものを、たけちゃんやレッツの当事者は持っている。そういう意味で、 「健常者とはちがう目線や感じ方を持っている彼らがまちに出ることで、波が立つようにあちこちに問題が起きる」。翠さんはたけちゃんの母親として、何百回何千回と謝り続けてきたのだと思う。でも、その上で、たけちゃんやこうちゃんの有り様を変えようとはしない。変えようとしたのは、私たちの「メガネ」の方である。「表現以上」の世界の外側にあるなにかを「表現未満、」とつけることで、この「、」のあとに続く世界に余白を作り出す。その余白から、「それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする」。実際、ケーズデンキが好きな利用者達が、展示品で遊んでいるのを、店員達が遠巻きに見ている。これは、まさに「それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする」可能性を秘めている。だからこそ、「まちの中に行かないと社会は変わりません。問題が起きないと社会は変わろうとしないんです」「だから問題を起こすのが彼らの仕事です」と言い切る。

今の日本社会を生きる若者達は、「迷惑をかけるな憲法」に縛られていると、拙著『ケアしケアされ、生きていく』のなかでは描いた。レッツの当事者は、そんな「迷惑をかけるな憲法」に縛られていない。すがすがしいほどに、この憲法に違反して生きている。それは「表現以上」の世界でみたら、そうなる。でも、そもそもあなたも私も、人は生きていたら、迷惑を掛け合う存在だ。にもかかわらず「迷惑をかけるな憲法」に縛られ、それを守らないと「問題行動」「困難事例」とレッテルを貼られることの方がおかしい。その意味で、レッツの皆さんが街に出かけることで、「問題を起こす」という彼らの仕事」を通じて、私たちの縛られている「迷惑をかけるな憲法」に自覚的になれる。それってしんどいよね、と思った人が、共事者になり、「それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする」。そういう展開こそ、ふまじめだけれど、めっちゃ可能性があるのではない、大真面目なインクルーシブ社会のありようではないか、とも思う。

今の障害者福祉は、多くの支援者が真面目で「いい人」であるがゆえに、制度に雁字搦めになってしまい、遊びや余白、ふまじめさに欠けていると思う。「世間にとって都合のいい子」を「脱『いい子』」して、「共事者」として楽しみ合う、オモロイ関係を作るのがすごく大切だと思う。

最後に、小松さんが捉えたレッツの活動の魅力を四点、抜き書きしておく(p222)。

1,社会の側に障害を顕在化させ、ぼくたちに考えさせる。
2,家族や支援者といった閉じた環境に外部を挿入する。
3,本人の周囲にある「当事者『性』」を外し、だれもが共事できる環境をつくる。
4,その人らしい人生や暮らしを、ともに見つけ、ともに歩める社会を増やす。

僕はこれからの福祉や、あるいは福祉教育のこれからを考える際に、この4点は欠かすことのできない鍵になると思う。

僕もレッツの観光事業「タイムトラベル100時間ツアー」に参加してみたい!

『個人で生き延びろ』は嫌だ!

正月は濃厚な読書が続いてきた。

「個人化を問う『能力の共同性』と、資本主義を問う『存在承認』が、本書の未来に向けたキーワードになっています。本書では、能力の共同性を新しく定義しなおし、『能力とは、分かちもたれて現れたものであり、それゆえその力は関係的であり共同のものであり、能力は個に還元できない』ものだと打ち出しました。多様な人々が力を合わせるという意味合いとは異なり、個に還元できない能力論です。『依存先を増やす』というような個人化された共同性は、いともたやすくネオリベラリズムに利用されるからです。『存在承認』は、あなたの存在を認めるよといった承認論ではないことを明確にしました。『共同的なものを規定に、自分を自分で承認しうる所得配分を前提にした状況』と整理をしました。」(桜井智恵子『教育は社会をどう変えたのか—個人化をもたらすリベラリズムの暴力』明石書店、p261)

教育社会学の視点から、桜井さんは能力主義を根源から問い直す。「能力の個人化」が業績主義に結びつき、それが社会の既定路線になっている。それにぼく自身も苦しめられてきたことは、子育てしてやっと言語化が出来るようになり、『家族は他人、じゃあどうする?』『ケアしケアされ、生きていく』でも部分的に言語化してきた。ただ、そのオルタナティブをきちんと言語化できていなかったのだが、桜井さんによれば、それは「能力の共同性」だと言う。『能力とは、分かちもたれて現れたものであり、それゆえその力は関係的であり共同のものであり、能力は個に還元できない』という定義を読んでいて、ぼく自身や娘を見て、思い当たることは色々ある。

娘が11月から、新聞を読み始めた。それは、父が毎朝新聞を読んでいて、ウクライナなパレスチナの出来事に胸を痛めているのを見て、自分も知りたいと思ったからだ。もし、僕が新聞の代わりに、毎日ギターなりピアノを楽しんで弾いていたら、彼女もそっち方面に興味を持ったかもしれない。僕が日曜大工が好きだったら、彼女も進んでトントンカンカンていたかもしれない。もちろん、彼女は僕と違う他人なので、彼女なりの指向性があることは、間違いない。でも、彼女がサッカーより合気道を楽しんでいるのは、明確に「関係的であり共同のもの」なのである。つまり、親が意識的・無意識的にやっていることを見よう見まねで楽しんでいる娘がいて、「個に還元できない能力論」が、その共同性のなかで育まれていく。

でも、資本主義的現実は、それとは真逆の価値観を提示している。

「時代のデフォルトは『個人で生き延びろ』(個人化)である。子どもの貧困問題についても、解決の方法として『学習支援』が注目されたため、子どもの将来に大きく関わっている雇用や深刻な不平等の改善という争点は周縁化され、脱政治化されてきた。現代の市民社会において、人々の生存の軋轢は未解決のま取り残されている。」(p237)

貧困家庭から抜け出すために、「努力すればなんとかなる」のだから、「学習支援」を受けて、高い学歴をつけて、脱出せよ。その価値前提には、『個人で生き延びろ』(個人化)がある。この問題の個人化こそが、そもそも問題なのだ。子どもが努力を必死にしなくても、生き延びられる社会になっていない。「能力の個人化」がデフォルトになっていて、努力できないなら、支援を受けられなくても仕方ない、とされる。そこには非正規労働や同一賃金同一労働ではない労働の不平等など、大きな争点が色々あるのだが、その前提自体は問わない。今の社会の価値前提を揺るがさない範囲での、「働かざる者食うべからず」という論理はそのままにしての支援に限定される。「能力の個人化」がデフォルトになり、その価値体系を揺るがさないままだと、「依存先を増やす」も「個人の努力次第」という形で取り込まれてしまう。

「『個人化』と『業績主義』に基づく社会へと移行した結果、あらゆる問題処理は個人に任せられることになり、社会に見放されて孤立した個人が不安や恐怖に飲み込まれている。
業績重視の資本主義社会で求められるふるまいは、自らのふるまいを監視してゆくのだが、その規律権力によって人々は自ら排除され、自発的に搾取され、剥奪感を抱くことになる。」(p248-249)

これはぼく自身もそうだったし、大学生を見ていても、同じ事を感じる。PDCAサイクルに代表される計画制御を「自己点検」なるもので自分の一年間の仕事ぶりに当てはめるとき、PDCAは「自らのふるまいを監視してゆく」装置として機能する。だからこそ、本来は標準化・規格化された工場労働にのみ適合的なPDCAサイクルは、いつのまにか、新しい行政管理の方法論(NPM)として取り入れられ、大学でも同じような書類を作らされる。これは「その規律権力によって人々は自ら排除され、自発的に搾取され、剥奪感を抱く」業績主義の装置であり、もっともらしいペーパーワークが求められる、という意味で、「クソどうでも良い仕事」である。

学生達が「迷惑をかけるな憲法」に従い、迷惑をかけないように必死に「自らのふるまいを監視」するなかで、その規律権力によって学生達は自ら排除され、自発的に搾取され、剥奪感を抱くようになる。だからこそ、「生きづらさ」がこの10年20年と累積的に子どもたちに広がり、不登校やリストカット、自殺などが増えていく。それはあまりにディストピア的社会である。

では、どうすればよいのか? それは、業績主義=業績承認を疑うことからはじまる、と桜井さんはいう。

「承認論は、再配分を左右する制度的平等の承認原理が、実は業績承認=能力主義と重なっていることを認識する必要がある。現在の価値観のままに『承認』を支援の方法にすることによって、現状を支えてしまう構造的問題は大きい。」(p185)

貧困家庭に学習支援を、という制度設計は、「業績承認=能力主義」を肯定した上で、そこから脱落し塾に行けず基本的な学力が不足する貧困家庭の子どもたちにも、「制度的平等」を果たす再配分を行う、という方法論である。でも、貧富の差の拡大の元凶に「業績承認=能力主義」があるならば、ここを疑うことなく、貧困家庭にも教育をすれば良い、というのは、貧困を生み出す価値前提を問うことなく、結果的に貧困になった人もその価値前提の中で闘うための「制度的平等」を用意し、それでも脱落したら「自己責任」「努力不足」と問題を個人化する論理である。これでは、なにも変わらない。

そのうえで、「業績承認」ではない「存在承認」を以下のように描き出している。

「存在承認とは、自分を自分で承認しうる『社会的状態』の構想である。つまり、非資本主義的に、政治経済構造という規定で、自分で自分を認める、そうなれる状態をどう構想していくかという点があらためて浮かび上がってくる。」(p187)

世間の求める努力をしなくても、つまり「業績」や「学歴」がなくても、標準的な生き方とは違っても、生きていくことが社会的に保障されている。その前提があるからこそ、「自分で自分を認める、そうなれる状態」が生まれてくるのである。それが「存在承認」である。そのためには、学校のあり方も、変わっていく必要がある。

「学級は、相互に似通った均質集団として作為的に作られる。そのようになってはじめて、教師も親も子どもも公正さが保たれていると感じて安心する。しかし、これこそ疑う必要があるのだ。『近代学校は、学級内部の差異を<同質性>として見せかけることを通して、学校での能力主義的支配を実現してきたのではないか。それは、『普通学校』を『差別学校』として存在させ続けている一つの根拠だとしてよいのだと思う。』
岡村の指摘した『普通学校の差別性』とは次のようなものだ。似通った均質集団として分類した学級を通し、学級間の比較を可能ならしめ、評価によって子どもを管理する。環境や構造の変革ではなく、個人に『課題』を求める能力主義を下支えする普通学校制度自体が差別を抱えているというわけだ。」(p119)

本来、子どもは一人一人違う存在である。それを、学年ごとにわけることで、さらに学級という中規模単位にわけることにより、「相互に似通った均質集団として作為的に作られる」。一人の教員が35人を集団管理型一括処遇が可能になる。娘も昨年の4月から、その世界に入って、大きな移行期混乱を経験している。なぜなら、彼女が以前通っていたこども園では、3〜5歳児が混じり合って遊んでいたし、障害のあるお友達も一緒に関わり合っていた。それは、差異をそのものとして、認め合ってきた。でも、「近代学校は、学級内部の差異を<同質性>として見せかける」。少しでもクラスになじめない、先生の言うことが聞けない「問題児」は「発達障害」のある子どもと命名され、特別支援学級に排除される。

ぼく自身はこのような特別支援学校への排除を問題だと考えてきた。ただ、桜井さんや彼女が依拠した教育学者の岡村達雄は、もう一歩踏み込んで、『普通学校の差別性』と命名する。排除される事だけが問題なのではない。もしインクルーシブ教育を進めても、普通学級で排除される差別性が温存されているなら、そちらの方こそ問題なのだ。形だけ普通学級での統合教育を行っても意味はない。普通学校の差別性こそ、問題の本質にある、と二人は喝破する。それは、学力テストに象徴されるように、学級間の比較や学級内での比較を顕著にし、出来ない子ども「個人に『課題』を求める能力主義を下支えする」、差別温存のシステムなのである。これが教育の前提になっていると、桜井さんは言う。

貧困家庭であっても、本人に障害があっても、どのような状態の子どもも、社会的に望ましい振る舞いや能力を発揮していなくても、『共同的なものを規定に、自分を自分で承認しうる所得配分を前提にした状況』が「存在承認」であって。そういう共同性は、努力を前提としない所得配分と結びつかないと、「あの人だけズルい」「働かざる者食うべからず」といった価値規範に引きずられてしまう。そういう悪平等からどう距離をとって、一人一人の「他者の他者性」が認められるか、が問われていると、ぼくは受け取った。

著者は努力を否定しているのではない。でも、努力できる環境が剥奪されている人には、努力の前に、安定的に暮らせる経済的基盤が必要だと説く。それを保障せずに、努力しなさいという競争環境を提起することは、過酷だと言うのである。

「経済的に苦労している子どもへの支援には、現金が提供されるのではなく、就学や就職への機会が提供されている。機会を奪われているから、機会を与えよう。そこで力を出しなさいという支援は、彼ら・彼女らに機会を与えれば、がんばることができるだろうという自立支援だ。苦労している子どもは、精神的にも社会関係的にも安定を奪われているという現実の見立てができていない。」(p63)

これは、普通学校を差別学校にしないための、根本的な視点になりうる。貧困な家庭の子ども、だけでなく、障害のある子やヤングケアラー、あるいは家族の不和がある、本人が家族や学校とうまく折り合いがつけられないなど、様々に「苦労している子どもは、精神的にも社会関係的にも安定を奪われているという現実の見立て」が、必要なのだ。その際に必要なのは、競争環境の提供ではなく、精神的・社会関係的・経済的な安定の提供なのだ。それはもちろん、学校の役割だけではない。子ども家庭庁が出来たが、子ども福祉として、教育や福祉の垣根を越えて求められるのが、子どもたちの様々な安定的基盤の提供であり、そのサポートなのだ。それがあって初めて、子どもたちは「存在承認」がなされる。そして、自分自身への「存在承認」があれば、他者の存在も認められる。自分たち自身による排除や搾取、剥奪をしあう「迷惑をかけるな憲法」が息巻く社会を越えるためには、そういう価値転換が必要なのだ、と気づかされたキーブックとなった。

家族丸抱えと社会的ネグレクト

昨日、京都の実家に遊びに出かける際、鞄の中に忍ばせた一冊が、圧倒的な迫力で迫ってきて、一気読みした。

「ケアをうまく成就できるということは、病気の家族の変化に反応するすばやい共振性を有しているということであり、それは外界に対してあまりに無防備であるともいえる。つまりケアを成就できる主体というのは、あらかじめ固まることを禁じられ、環境によって変化する可塑性を持っているということではないか。
自分をとりかこむ輪郭線をいつでも崩れさせ、自己と他者の境界を横断することができる。自己の固着という安心からいつでも離れられる無防備さというものが、ケア的主体の真価だろう。」(中村佑子『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』医学書院、p156-157)

このフレーズを読んでいて、少し前のブログに書いた、「ケアとはままならぬことに、巻き込まれること」というのを思い出していた。能動的で自立的で主体的な存在は、自己責任で自己管理が出来ている、という意味で、自己同一性の保持であり、「自己の固着」である。一方、ケアはその対極の、「自分をとりかこむ輪郭線」の崩壊であり、「ままならなさに巻き込まれること」である。「病気の家族の変化に反応するすばやい共振性」を維持しようとすると、自分だけで決めた目的合理性を手放す必要がある。つまり、「あらかじめ固まることを禁じられ、環境によって変化する可塑性を持っている」というのは、能力主義的社会で適合的な自己防衛や自他の境界線を溶かす・崩壊させることでしか、手に入れられない。

このような事態に巻き込まれることは、両義的な価値を持つと中村さんはいう。

「病の家族のために自分を燃やすように使ってあげたい。それは、自己という壁で隔てられた人と人を結びつけ、失われた連続性を回復しようとする、犠牲的なケア的主体に流れる一つの欲望だ。一方で、それでは社会的な生活が送れないので、どこかの段階で揺り戻しがあり、家族を恨み、捨て、自己を保存しはじめる。
過剰な両極のあいだを行き来し、そのはざまで中間の色彩がさまざまに展開する。犠牲的でありながら、一方でその自分をまた憎み、脱皮させ、羽化させるような行動をとる。そうして今度は、自分に罪悪感を覚え、家族のもとに戻ってくる。行ったり来たり、行ったり来たり。
だからこそ、何かのピリオドを打つことが苦手なのではないか。」(p161-162)

中村さんのお母さんは、精神の病を抱えている。調子の悪いときは、一日ベッドで寝たきりだったという。そんな母に対して、中村さんは小さい頃から、「犠牲的なケア的主体」と「家族を恨み、捨て、自己を保存しはじめる」状態の「過剰な両極の間を」「行ったり来たり」してきた。両義性を抱えてきた。でも、これは必ずしも、善悪の二元論で語れない状態だったという。

「病気の家族の変化に反応するすばやい共振性」をもった「ケア的主体」は、「自己保存」をしている間には生まれてこない。一方で、「自己という壁で隔てられた人と人を結びつけ、失われた連続性を回復しようとする、犠牲的なケア的主体」でいると、「社会的な生活が送れない」という現実もある。そのため、両極を「行ったり来たり、行ったり来たり」なのである。

ぼく自身はヤングケアラー経験はないけれど、この6年間子育てをしてきて、ほんとうに「行ったり来たり、行ったり来たり」なのだと思う。それは、主体的で能動的でキリリと決定したことは確実に実行する、という自己保存的なものが、ケアによりなぎ倒されている経験であり、でも、その両義性の往還のプロセスでの「はざま」なのだと思う。

だからこそ、中村さんは「ヤングケアラー」というくくり方に違和感を抱く。

「部屋のなかで、具合の悪い母と一緒にいる。なぜすぐにだめだとあきらめてしまうのか、なぜ起きてこられないのかが子どもの時分には理解できず、やきもきするような思いを抱えていたわたしは、母をむしばんでいる害があるなら飲み込んであげたい、わたしがそれを抱えて一緒に消滅させてあげたいと願っていた。
それはいったんは死のイメージなのだが、そこでわたしも一緒に再生するような、深い喜びがあった。自己消滅が喜びにつらなるような、ケア的主体がもつ犠牲的で献身的な欲望と言えるだろう。
こういう思いを抱えてケアしている子どもに対して、早く毒親からお逃げなさいと、人は容易く言えるだろうか。」(p195)

上記の記述は、圧倒的な解像度の鮮やかさで、僕の胸に迫ってくる。

精神疾患の親を持つ子どもの場合、「具合の悪い母」のおかげで、子どもが振り回される。その現実を指して「ヤングケアラー」と焦点化・問題化すると、かわいそうなのは子どもとなって、その子どもをケアできない親は「毒親」などとラベルが貼られやすい。すると、「早く毒親からお逃げなさい」と簡単なアドバイスが出来てしまう。でも、犠牲的なケア的主体を子ども自体から引き受けてきた中村さんは、一方的な被害者ではなかった。彼女が親をケアするなかで、「そこでわたしも一緒に再生するような、深い喜び」や「自己消滅が喜びにつらなるような、ケア的主体がもつ犠牲的で献身的な欲望」があった。「ままならぬことにまきこまれる」犠牲的なケア的主体にも、その状況でしか味わえない「深い喜び」や「欲望」もあったのである。

これは、ヤングケアラー問題を当事者の外側から取り上げて掘り下げている、数多の論考では知る事が出来なかった、セルフ・ドキュメンタリーゆえの迫力である。

ただ、僕が中村さんの本を読んで、信頼できる一冊だと思ったのは、そのようなヤングケアラーの内面を描くだけでなく、その社会構造的な抑圧を、そのものとして、しっかり描いているからでもある。

「日本の精神科の常識は人権侵害すれすれで、制圧や、拘束、強制入院、長期入院など、患者の人間的生活を豊かにしようという発想とは真逆の行為がまかり通っている。
一方でそうした入院しか選択肢がないことが、患者とその家族をよけいに苦しめている。他の選択肢がないなかで、『精神科病院に入院させるなんて!』と疑問を呈されたり批判されれば、家族はもっと追い込まれる。
いくら病院が人権侵害的でも、医療措置があり服薬のできる入院か、家に一緒に帰って自分もろとも総崩れを起こすか、どちらかしか選択肢がないとしたら、入院させることのどこに瑕疵があるだろうか。日本の精神科病院の現状は確実に変えていかなくてはいけない社会的課題であろうが、入院しか選択肢のない家族が肩身の狭い思いや罪悪感を抱かなくてよいようにと願ってやまない。」(p124-125)

私は四半世紀にわたり、「日本の精神科の常識は人権侵害すれすれで、制圧や、拘束、強制入院、長期入院など、患者の人間的生活を豊かにしようという発想とは真逆の行為がまかり通っている」ことを、批判的に書き続けてきた。『精神科病院こそ問題だ』と言い続けてきた。ただ、特に子どもが生まれて後、家族の視点、ケア的主体の視点を持つようになると、この批判は間違ってはいないのだが、「家族はもっと追い込まれる」という現状もまた、わかるようになってきた。それは、家族丸抱えか施設丸投げか、の二者択一しかない現状の構造的な問題である。

この構造的な「二者択一」の現実を変えないと、家族を苦しめるだけなのだ。精神病院批判だけでなく、同じように、「家族丸抱え」の現実こそ、批判する必要もある。それだけでなく、「家に一緒に帰って自分もろとも総崩れを起こ」さずにすむような、地域精神医療体制の拡充こそ、提起し、応援し続けていかなければならないと強く思い始めた。だからこそ、中村さんの批判が、深く胸に突き刺さる。

また、この本を読みながら、以前取り上げてブログにも書いた山本智子さんの『「家族」を超えて生きる−西成の精神障害者コミュニティ支援の現場から』や、児玉真美さんの『殺す親 殺させられる親』を思い出す。実家で暮らしたい障害当事者と、実家で支えられない家族は、二項対立や下手をすれば利益相反関係になりやすい。でも、障害当事者と家族を対立させている構造こそ、最大の問題なのである。それを、中村さんが取材した、ヤングケアラー経験があり、いまは研修医をしているかなこさんは、「社会的ネグレクト」と喝破する。

「社会からの虐待と言えば、自分たちに責任があることがはっきりわかるけど、たぶん虐待とまで言えなくて。でもわたしははっきり助けてと言ったのに伝わらなかった経験があるから、よけいにネグレクトだと思う。いまは『助けてと言えない子ども』というのが流行っているんだけど、そういうふうにラベリングすることで、『子どもが助けてと言ったとしてもアンテナが立ってなくてキャッチできない社会がある』という事実が隠されていて。さらに『見つけてくれてありがとう』なんて吹き出しの付いた子どもの絵を精神科の研修で見たり。支援者は子どもにそう言ってほしいんだと思うけど、『てめえら遅えわ!』と。キャッチされないから黙らされているだけなのかもしれないのに、子どものほうの責任にしないでって思う」(p112-113)

SOSを求める子どもたちの声を、社会が「無視・放置」している。その意味で「社会的ネグレクト」というなら、これはヤングケアラーに限らない。成人の家族や親であれば、ギリギリまで障害のある家族を支え続けよ。それが無理なら、入所施設か精神病院に丸投げせよ。この二者択一構造こそ、「社会的ネグレクト」なのだ。「キャッチされないから黙らされているだけなのかもしれないの」は、ヤングケアラーだけでなく、大人のケアラーも同じかもしれない。ケア的主体が、あまりにも家族のデフォルトにされ、やって当たり前になっている現実こそ、「社会的ネグレクト」とも言えるのかも知れない。

「日本では家族はすでに崩壊しているのにもかかわらず、崩壊していない前提で、国も厚労省もケアを家族に返す」(p90)

そう、こここそ、最大の問題なのだと改めて思う。「家族丸抱え」は「すでに崩壊している」のである。にもかかわらず、この国の制度設計やシステムは「崩壊していない前提で、国も厚労省もケアを家族に返す」のだ。これが、ヤングケアラー問題を、かわいそうな子どもの問題に矮小化したり、ケアすべき精神障害を抱えた親を「毒親」とラベルを貼る、などの問題構造のすり替えが行われている背景にある。そして、それを問い直すために、社会的ネグレクトの構造こそ、問われなければならない。家族丸抱えの構造的問題が、社会的ネグレクトの背景にあると直視し、それを変える仕組みを作らねばならない。スウェーデンが20年前に実現したように、入所施設を全廃してスタッフを再教育し、地域支援に切り替えなければ、家族丸抱えは終わらない。

この「社会的ネグレクト」という言葉を流行らせるために、僕はこれからこの言葉をしつこく使い続けようと思う。家族丸抱えの論理構造を越えていくためにも。

2023年の三題噺

毎年恒例の、大晦日に書く、今年一年を振り返っての三題噺。書きながら、三つのテーマで今年を振り返ってみる。

1,5冊目の本があっという間に出来てしまう&凱風館に入門する

10月にぼく自身の5冊目の単著である『ケアしケアされ、生きていく』(ちくまプリマ—新書)を上梓した。前の本『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』を書き上げたのは、2022年7月。前著を書き上げるまでに、2,3年かかった。初めてのエッセイで、初めてのケア本で、自分と家族の話題を書くのにどういうフレームや文体にしたら良いのか、を試行錯誤し続けてきた。だから、4冊目を書き上げた後、次の単著は数年後になるだろうな、とぼんやり思っていた。でも、今年の初めから、話が急展開する(そのことは本の後書きに書いたが、ちょっとそれを膨らませてここに書く。)

きっかけは、昨年秋から通い始めた整体の無形庵だった。もともと、内田樹先生がツイッターで、姫路で開業する三軸修正法の門人のお祝いに駆けつけ現地を訪れた、と書かれていたツイートを覚えていた。それで、昨年から通いはじめたのだ。その中で、山本さんに勧められて、ファスティングにも成功したことは、去年の三題噺にも書いた。今年も一年、朝は野菜ジュースのみにする生活を続けたら、体重は大学時代の72キロ代を維持できている。これは本当にありがたい。

で、その無形庵の山本さんと、毎週のように施術を受けつつ合気道や内田先生の話で盛り上がっているうちに、1月に梅田で開かれる、友人の青木真兵さんと内田先生の対談イベントに行きませんか?と誘われた。ちょうどセンター試験監督から外れたので、これ幸いに、と出かけ、内田先生にも拙著をお渡しする、というご縁が出来た。終わったあと、内田先生や凱風館の関係者の皆さんが夕食を食べに行く群れに混ぜてもらった。そして、その帰り道に、無形庵の設計も担当した建築家の光嶋裕介さんと芦屋までの20分弱、めっちゃ話し込む。それがおもろかったので拙著を3冊送ると、光嶋さんからもご著書3冊が送られてきた。で、そのうちの一冊である『建築という対話』(ちくまプリマ—新書)が面白かったので、ブログに書いた

そしてブログに書いた後、光嶋さんのパートナーの永山春菜さんが家から30分の場所で、合気道高砂道場を主催されていると知り、2月に娘を連れて体験に伺う。小学生になったら、娘と一緒に合気道に行きたいと思っていたのだ。一緒にお稽古してみて、びっくり。永山さんの所作と技の美しさに惚れ惚れしてしまった。こういう合気道を、娘に身につけてもらいたい、と心から思った。そして、お話をしているうちに、どうせなら僕も凱風館に籍を移し、娘と一緒に学びたいと強く思うようになった。

そして、その体験稽古が終わった後、光嶋さんから「ちくまの編集者に竹端さんのブログ記事を送ったらすごく喜んでくれて、『ケア論を書いてもらう著者を探していた』と言っていたから、声がかかるかも」と言われて、帰宅してみたら、まさにそのタイミングで、筑摩書房の編集者、鶴見さんから「はじめまして」のメールを頂く。こんなことってあるんだろうか、と思うくらいの絶妙なタイミング。そこで、2月中頃にZoomでお目にかかって、妄想たっぷりの話を鶴見さんに聞いてもらい、それを目次案にして頂いて、それを手に入れた内容+「はじめに」に当たる部分を書き上げたのが2月末、編集会議が通って正式にGoサインが出たのが、3月下旬。8万字で4章立てだったので、一章2万字なら一月一章で書けるかも、と思って書き出したら、本当に毎月一章ずつ書き上げていく。すると7月頭に、「どうせならこのまま10月に出してしまいませんか?」と言われ、この流れに乗った方が良いと思い、7月には4章まで書き上げ、7月末にはゲラが届き、8月半ばに「おわりに」と「あとがき」を書いて、10月には書店に並んでいた。

その間、4月には凱風館に僕も入門し、稽古し始める。本当に、頭を打つというか、ゲシュタルトの崩壊というか、これまで学んできたことを身をもってアンラーン=学びほぐしている。今までいかに力んでいたか、力尽くで無理矢理相手を倒そうとしていたか、を嫌と言うほど指摘される。でも、厳しい場ではない。女性の有段者も多いので、皆さんしなやかで竹のようにやわらかく、弾性のある技をされる。僕はゴチゴチの硬さなので、全然違う。だからこそ、凱風館で学び直す意義や価値がある、とめっちゃ感じながら、通い続けている。

2,娘と親の移行期混乱

3月にはこども園の親子ミュージカルも無事終え、こども園を卒業した(そのときのことはブログに書いた)。4月からは近所の公立小学校に通うことになった。その後、大きな移行期混乱に遭遇する。

なにせ、これまで遊びが中心で、サッカーやハンターなど身体を思いっきり動かしていた娘が、毎日5時間目まで、座って勉強し続けなければならない。それが文字通りの価値転換である。その上、こども園時代と違って、39人の詰めつめの教室で、先生が一人、というのも、集団保育が原則で色々な先生が関わってくれたこども園と大きく異なる。そして、柔軟にダイナミックに活動をしていた私立のこども園から、ルールや規則が定まった公立小学校に移行する。実は、父親の方がそれにうまくついて行けないのではないか、とオロオロ・ハラハラしていた。のだが・・・

娘は、有り難いことに、毎日楽しく出かけてくれている。登校班にもなじんで、上級生のお兄ちゃん、お姉ちゃんの輪の中にも入っている。学校でもお友達が出来たようで、わいわいやっている様子を、学校から帰ったら教えてくれる。教科では、絵本を読み続けてきたので国語は得意だけれど、数の概念を頭に入れるのに時間がかかり、算数は手こずる。ただ、それもこども園時代のパパ友が、別の小学校の先生だったので、算数のアシストのコツを教わると、少しずつ、娘も算数がなじんできた。今でも算数の宿題に手こずることはあるが、なんとか出来ている。なにより、「そんなに嫌なら宿題しなくてもいいよ」と言うと、「するー!!!!!」と絶叫してやり遂げようとされる。それがなんだかすごいな、と思って見守っている。

3,表現の場や可能性が広がる

ケアの本を去年と今年に書き、自分自身の表現の場や可能性が、少しずつ広がっているように思う。最近では、ケアに関する原稿依頼も増えてきたし、先月から、Voicyの方に声をかけられ、僕も毎朝しゃべるようになった。このVoicyのチャンネルは、「モヤモヤ対話へようこそ! ケアと福祉と社会のあいだ」と名付ける。そして、開始する際に決めた方針は、「わかりやすい・白黒を明確にする話をしない」「モヤモヤを辿るようにしゃべる」「台本を書かずに、一つのキーワードだけで10分喋りきる」「日常業務に差し障りないように、起き抜けに収録し終える」「お題に一ひねり加える」あたりだろうか。収録の10分という尺は、ブログよりは短いけど、ツイッターは10ツイート分くらいはありそう。そういう時間で、毎日しゃべるので、朝・あるいは前の晩に思い浮かんだキーワードで、とりあえずしゃべり始める。うまくいっても、うまくいかなくても、取り直しはせず、一発取りでそのまま流す。そういう風にして、継続してしゃべり続けると、今までと違う間口が広がるのではないか、と思い始めている。

あと、オンライン読書会は沢山していた。たぶん7つくらいしている(来月だけで、読書会で読む本の締め切りが7つ並んでいる)。結構きつい。でも、そうやって締め切りがあるからこそ、仲間と読むからこそ、読み切れる本が沢山ある。最近、このブログはほぼ書評ブログになっているが、それは読書会で読み続けてきた本がネタ本になることがほとんどである。そうやって、他者との対話の中で、本の読みが深まるし、深まることによって、見えてくる世界も広がっているように思う。

そのうちの一つ、2月から始めた「生きるためのファンタジーの会」が超絶面白い。若い友人、青木海青子さん・真兵さんと、現代書館の編集者の向山さんと共に、毎月海青子さんが選んだ一冊のファンタジーを元に、ポッドキャスト「オムラヂ」でおしゃべりし続ける、という企画。そのうち書籍化を考えているのだが、これは仕事ではなく、ほんまに趣味として面白い。ファンタジーなき男だった僕が、ファンタジーと出会い直し、その世界を3人と語り合いながら、どっぷりと深めていく企画。毎回、同じ話を元に、どんな風にお互いが読み合ったのか、を語るのが超絶面白い。毎回1時間以上と話が長くなるのだが、よかったら「モモ」編と「ゲド戦記」編を聞いてみてくださいませ。

というわけで、色々あったけど、ものすごく充実した一年でございました。来年もよい一年になりますように。そして、みなさん、よいお年をお迎えください。