気がつけば、沢山の自治体や社協に、審議会や計画策定、アドバイザーなど様々な形でコミットし続けている。ただ、そのやり方を、大学院や研修会などで学んだわけではない。誰も教えてくれなかった。だが、たまたま30代前半で、山梨県障害福祉課の特別アドバイザーに就任して以来、見よう見まねで、現場の人と共に、必死になって模索してきた(そのことはブログにも書いたことがある)。
そして、福祉計画に携わる他の研究者はどうしているのだろう、と同業他者の論文や書籍を読みあさっていた。その中で、最も現場のリアリティに基づいた整理を行っておられるお一人が、2008年に出された平野隆之さんの『地域福祉推進の理論と方法』(有斐閣)だった。平野さんは現場の論理の言語化が非常に秀逸で、「読み解き→編集→組み立て」概念は、その後僕があちこちで講演する際に活用させて頂くものだった。
ちょっとだけ解説を加えると、個別支援に関わる支援者は、当事者のニーズを読み取りながら、その自治体ではどのような政策・サービスが足りないのか、を「読み解く」専門家である。一方、自治体担当者は事業化に向けた「組み立て」が得意だ。でも、両者が「編集」場面で出会えないと、当事者のニーズに基づかない政策形成になってしまう。そして、それが出来るのが、自立支援協議会だったり、地域ケア会議だったりする。そういう文脈で上記の図を沢山活用させて頂いてきた。
その平野さんの最新刊『地域福祉マネジメントと評価的思考』(有斐閣)を拝読すると、相変わらず整理や言語化が秀逸であり、かつ複数の自治体にガッツリ入り込んでの「評価的思考」が言語化されているので、めちゃくちゃ参考になる。平野さんは評価的思考の構図を、以下のように整理している。
「まず所管課の評価活動のプロセスのなで『評価を行うことで評価を学ぶ』という評価的思考が浸透する場が必要となります。その場では『評価を行うことで重層(的)を学ぶ』ことが2つの思考方法の相互作用を通して実現します。さらに地域福祉マネジメントの文脈でいえば、『加工の自由』に結びつくための『仮説的思考』の形成が求められ、地域福祉マネジメントがそれを支えます。地域福祉が前提とする自発的・自由裁量的な発想が、事業の構想に結びつくことで、仮説的思考が、事業の計画策定の場に持ち込まれることになります。」(p7)
この記述を読みながら思い出していたのが、行政学者の整理した「事業課程」と「政策形成過程」の関係図である。
この図を提唱した真山さんは、多くの市町村が事業過程の青色の部分で終わり、事業評価はおろか政策形成過程には全くコミット出来ていない、と書いていた。実際この20年ちかく行政に関わっていると、法や制度で必要とされ、議会も通って予算化された「事業」をどうやってしようか、事業案を考え、事業を決定して実施する「事業課程」だけで精一杯、うまくいってもいかなくても、飲み屋の端で愚痴を言って終わり、という「事業」が、なんと多いことか! 飲み屋の端での愚痴を、「出来ていないことに関する事業評価」に高めて、そこから改善すべき問題を発見し、それを分析しながら、政策課題の設定や政策の策定、既存事業の検討、などをする「政策形成過程」ができない、必要性があるとはわかるけどどうしていいのかわからない、という自治体が多いのである。
その際、先ほど引用した平野さんの整理がずいぶん役に立つ。
「『評価を行うことで評価を学ぶ』という評価的思考」というのは、飲み屋での愚痴に終わらせず、何が出来ていないのか、のダメ出しだけでもなく、「出来ていることや事業実施による良い変化」をしっかり出した上で、「残っている心配ごと」もセットで整理する、という評価的思考から始まる。そして「評価を行うことで重層(的)を学ぶ」とは、整理した現状と課題は、重層事業と関連付けたらどんな風に解釈できそうか、をまず所管課や担当者レベルで整理することである。p52やp268では芦屋市の担当者達が、評価シートを用いながら、自分たちが「既存制度=制度福祉」「モデル事業」「地域福祉やまちづくり」の三つのレベルで、重層的事業の5つの事業をどれくらい出来てきたか、課題は何か、を自己評価している。実はこの自己評価に基づく『仮説的思考』の形成が、「地域福祉マネジメント」において決定的に重要だ、というのは、リアルでお付き合いのある芦屋市の担当者を見ていても感じる。
真面目に事業を遂行している自治体なら、何もやっていない訳ではない。でも、十分に出来ている訳でもない。そのときに、「出来ていることや事業実施による良い変化」を、A「個々の支援事業」と「C系統的な体制整備」のマトリックスに当てはめ、この部分はやれているよね、と議論しながら当てはめてみることが大切なのだ。そうすると、それを書く中で「そうはいっても、この部分は出来ていない・課題がある・未着手だよね」という「残っている心配ごと」も同じように見えてくる。それを評価シートを埋めながら、部署内で対話的に整理していく。これこそが「『評価を行うことで評価を学ぶ』という評価的思考」の肝である。真山さんの図で言うなら、これは「事業評価」から「問題の発見」に当たる部分である。
平野さんはこの「評価的思考」における評価参加者の思考の変化を、「参加における深まり」「改善内容の深まり」「他自治体との相対化からの模索」という三点を指摘(p292)しているが、これはすごくよくわかる。事業評価から問題の発見、分析へと至る議論って、政策の振り返りだし、何がどこまで出来た・出来なかったかを俯瞰的に読み取る力量につながる。それは他の自治体と比較すると、本当にわかりやすい。そういう意味で、この評価プロセスを通じて、次の政策形成への一歩に繋がる。
その上で、次にすべきことは何なのか、という「問題の発見→分析→政策課題の設定」というのが、『評価を行うことで重層(的)を学ぶ』にあたる。これは自分たちの自治体政策の弱みや強みの分析(SWOT分析)でもあるのだ。その中で、平野さんは「支える体制整備の方法が評価対象」「リノベーション型の評価の採用」「地域作りとの連携の深まり」を「重層的思考」として提起している(p292)。
最近、厚労省の様々な部局、だけでなく、総務省でも国交省でも農水省でも、自治会単位で何かをしてほしい、と色々な施策が五月雨式に降ってくる。小さな自治体だと、似たような会議が違う部局から何度も開かれるけど、出ているメンバーが結構重複する、なんていうケースはざらにある。その際、地域作りとの連携のなかで、「これとあれの会議の会議が似ているなら、一緒にしてしまいませんか?」といったリノベーションが模索される。それは、そもそもその地域での支援体制を考えるうえで、その枠組みやスキームで良いのですか、という問いかけである。自治会長や民生委員のなり手が先細りする中で、地域の中で「すべきこと」をどう棚卸し・整理するか、という問いとも繋がる。
その上で、では次年度は具体的に何からどのように変えていこうか、という新たな施策を打つ際に必要になってくるのが、「政策の策定→施策体系の確認→既存事業の検討」という部分だ。ここで必要になってくるのが、平野さんのいう「仮説的思考」であり、それは「事業計画の目標・位置付けの深まり」「重層的な人材育成の発掘・育成の取り組み」と紐付いている(p292)。
自治体で何らかの「事業過程」を展開するためには、その法的・財源的な根拠が必要になる。福祉分野であれば上位計画としての地域福祉計画であり、障害福祉計画などの個別計画である。そして、地域福祉計画は自治体の総合計画とも紐付いていないと、説得力がない。事業評価の中から問題を発見し、評価型思考の中で問題の分析を行い、重層的思考の中で次にすべき政策課題の設定へとつなげる事が出来ても、既存の事業計画の目標や位置づけと紐付けない限り、財政担当部局や首長、議会は応援してくれない。
そして、実際に政策形成過程から事業過程につなげるには、単に自治体内だけで頑張っても無理がある。社協やまちづくり、町内会や自治会、商工会など様々なアクターがどれくらい新規事業に一緒になって考えてくれるか、が肝となる。その際、平野さんの本の中では、久留米市の「AU-CASEプロジェクト」の魅力的な事例が紹介されていた(p239)。たとえば移動支援が必要となったとき、行政的発想であれば、「買い物支援や訪問介護、車椅子レンタル」などの制度的対応が浮かぶ。だが、移動が出来ることで何をかなえたいのか、というと「もっと自由にでかけたい」というニーズであり、それを通じて「気の合う居場所に出かけたい」とか「一緒に出かけてくれる人とコミュニケーションを取りたい」かもしれない。そういう意味で、前者の制度的支援を「解決する道路」とすると、後者は「叶え合う道路」であるという。そして後者には、官民協働、というか、民間主導のプラットフォーム形成の方が、うまくいくかもしれない。こういう新たな可能性を考えるのが、「仮説的思考」の醍醐味なのだ.
そして、この政策形成過程については、これまでブラックボックスというか、職人芸的なやり方とか、カリスマ公務員とか、スーパー研究者の助言とか、ばかりが目立ってきた。それは、「その人がいなくなったらオシマイの壁」という限界を抱えていた。だが、今回平野さんが「評価的思考」を具体的な自治体での実践を元に言語化してくださったことで、政策形成過程における「地域福祉マネジメント」とはどうしていけばよいのか、先ほどの評価シートなどに基づき自治体の職員が自分の頭で考えることが出来る。これはめちゃくちゃ大切であり、これからの自治体職員に求められる、再現性の高い思考プロセスの解説と言語化だと思う。こういう本を待っていた!
最後に、平野さんの本は「自治型地域福祉」を展開する方法論であり、「自治体型地域福祉」ではない、という点も、確認しておきたい。今回、平野さんの本を読むに当たって、彼の師匠である右田紀久恵さんの本も併せて読んでいてので、繋がってきた部分でもある。
「地域福祉の立場からの参加論は、福祉国家の大量性や画一性のアンチ・テーゼであり、生活の場としての地域を問うことに原点があり、それは代表民主主義の限界や空洞化に対する人間の復元作用ということでもある。いわば、ポスト・モダンにおけるローカル・デモクラシーへの模索と接近である。
それは、地域福祉が人間としての生活権思想やノーマライゼーションを原点とするかぎり、参加論もそこから出発するのが当然であるからである。福祉行政の限界や補充に地域福祉を位置づけたり、『地域福祉=ボランティア活動・福祉の風土づくり』という認識のレベルでは、参加はサービス供給のみに直結してしまう。地域福祉は自律的個人=主体の存立を前提とし、その社会性を組織化することによって、福祉コミュニティ=福祉社会を構築しようとする。ノーマライゼーションの思想を具現化するシステムとしての参加の形態やレベルには多様なものが考えられるが、いまここで重要なことは、形態やレベルの本源、すなわち現代における参加の意義を問い、確認しておくことであろう。」(右田紀久恵『自治型地域福祉の理論』ミネルヴァ書房、p25)
地域福祉を自治体が展開する時に、「福祉行政の限界や補充に地域福祉を位置づけたり、『地域福祉=ボランティア活動・福祉の風土づくり』という認識のレベルでは、参加はサービス供給のみに直結してしまう」。それは、住民達の主体性の尊重や、住民自治につながらない。「地域福祉は自律的個人=主体の存立を前提とし、その社会性を組織化することによって、福祉コミュニティ=福祉社会を構築しようとする。」重層的支援の展開にあたっても、この「自律的個人=主体の存立を前提」と出来ているか、を評価する場面で問う必要があるのだ。簡単に言えば、我が町の地域福祉は、当事者主体や住民自治を目標として掲げられているか? その目標を実現するための、重層的支援という方法論を組もうとしているのか? この当事者主体や住民自治という目標がないと、「自治型地域福祉」は簡単に「自治体型地域福祉」にすり替わってしまう。
ぼく自身も様々な形で自治体の地域福祉にコミットしている。だからこそ、この平野さんの方法論はめちゃくちゃ参考になる。でも、それは「福祉行政の限界や補充に地域福祉を位置づけ」るためにあるのではない。あくまでも「自治体型地域福祉」の推進・発展のための方法論であるべきだ。その点を、僕は忘れてしまいやすいので、自戒の念を込めて、最後に付記しておく。