「ポジティブな福祉」への道程

韓国から帰国した翌日から、スウェーデン・イギリス調査の仕込みを始める。気がつけば、来週行くんだものねぇ。まだ、全く予習もしてないし。

旅行会社への手配メールや現地でお世話になる方への連絡などを済ませながら、ふと書架を眺めるとギデンズの本があった。タイトルは「日本の新たな『第三の道』」(ダイヤモンド社)とある。ギデンズと共同研究を進める渡辺聰子氏との共著。目次読書をしていると、「『欧州社会モデル』からの教訓」なんていう章もある。しかも、硬い学術書というより、一般人を対象とした読みやすい文体。というわけで、昨晩にざっくり斜め読みを終えた。
で一番気になった『欧州社会モデル』の新しい枠組みについて、二人はこんな風に整理している。(p160-162)
①ネガティブ福祉からポジティブな福祉への移行
→ベヴァレッジが5つの悪として焦点化した「無知、不潔、貧困、怠惰、病気」というネガティブな部分を撃退する福祉から、より積極的な福祉としての「教育と学習、繁栄、人生選択、社会や経済への活発な参加、健康な生活」の促進。
②利益と同時にインセンティブ、権利と同様に義務を前提に
→ヨーロッパでは受動的失業保険給付金を完全な権利と見なす事で、多くの国で機能不全に陥った。積極的労働市場政策を導入し、健康な失業者が国から援助を受けた場合、仕事を探す義務があること、ムリな場合はペネルティをかす原則にすること。
③フレキシブルな安定
→リスクの低減のみを自己目的化せず、リスクを創造的に利用し、個人が変化に適応出来、積極的に成功出来るように支援する事。積極的な労働市場政策における「フレクシキュリティ(フレキシブルな安定)」の論理を重視すること。
④受益者の貢献の原則
→貢献は、比較的小さいものであっても、サービス利用に対する責任ある態度を促すことができるので、受益者負担の原則、つまり直接利用者からの貢献原則は、公的サービスにおいてますます重要になる。
⑤脱官僚化
→脱中央集権化と地方への権限委譲を促進する。民営化はこれらの目標を追求するための潜在的な一手段に過ぎないので、脱官僚化と等価ではない。
この5つについて、思うところを書いてみる。
まず一番の論点となりそうな②と④について、「モラルハザードの監視」と題して、次のように二人は述べている。
「福祉制度改革が容易ではないのは、それが既得権益を生むからである。(略)なんらかの社会保障給付がいったん制度化されると、当初の目的に合致していようがいまいが、給付制度が一人歩きはじめる。つまりは期待は固定化され、利益集団は自己の権益を保守しようとする。そうなると制度改革は、大規模な抵抗に遭うことになる。福祉給付は、往々にして受け身の姿勢や依頼心を助長し、受給者の自立を妨げる。つまり給付が本来の目的に反する効果をもたらすのである。」(p15)
これはある一面をついた事実である。だが、これをそのものだけで取り上げる事には、危なさがある。自立を妨げるから給付をなくすべきだ、という単線的な思考ではなく、自立を妨げない、給付が本来の目的に反しないためには、どのような給付設計が必要か、を考える必要がある。その為のキーワードとして、②の権利と責任についてもう少し具体的に述べている箇所をみてみたい。
「イギリス労働党やドイツ社会民主党に代表される古い左派は、『結果の平等』に圧倒的な重点を置いていた。その結果、努力や責任が無視されていた。社会的公正とは、実際の成果とは無関係に、公的支出によって社会福祉と社会保障を限りなく拡大していく事だと考えられていたのである。」(p74)
ここで気になるのは、「社会的公正」の多様性である。以前の左派の言う「社会的公正」が「結果の平等」を重点化していた。だが、今の日本における、特に中央官庁が好む「社会的公正」として「納税者の理解」がある。あるいは一頃はやった構造改革路線では、「官から民へ」「小さな政府」がお題目的な「社会的公正」と言われていた。そう、繰り返して当たり前のことを書くのだが、「社会的公正」は、あくまでも見方によってたくさんあって、多様な中から一つを選び取っている、という自覚があるか、無自覚に刷り込まされ、その呪縛から逃れられないか、で大きく違うという現実だ。そして、その呪縛にはまっているものの一つとして、⑤の官僚制システムの問題についても指摘している。
「社会保障をはじめとする公的制度を再構築し、その信頼を回復することは、現代社会の最重要課題である。問題の原因が『国家の規模が縮小され過ぎた』ことにあるとの指摘は適切ではない。実際はその逆で、ほとんどの国家はその規模を維持しているか、あるいは拡大しつつある。国家は肥大化しているにもかかわらずパフォーマンスが低下しているために、正統性を失いつつあるのだ。つまり問題は、国家の規模そのものではなく、コスト・パフォーマンスの低下にある。」(p78)
「国家が肥大化しているにもかかわらずパフォーマンスが低下している」という事態は、一面的な社会的公正を自己正当化・自己目的化することと同義である。何のためにその仕事をやっているのか、という問いがなく、「とにかくやらなくちゃいけないからやる」という後ろ向きな仕事の姿勢が、官僚制システムの中に見え隠れする。コスト・パフォーマンスとは金銭的な効率一辺倒ではなく、「何のために、誰のためにその仕事をするのか?」という問いを持ち、それを最大化するための仕事の仕方である。これを二人の著者は、「大きな国家」ではなくて「より大きな影響力を持つ国家」という。正鵠を得た表現であると思う。だが、国家が「より大きな影響力を持つ」ためには、脱皮しなければならない論点がある。それが③の柔軟性だ。この「フレキシビリティ」について、次のように定義している。
「いずれの分野でも、さまざまな文脈の中で使われ得る基本的な学力と並んで、コスモポリタンな『ものの見方』とますます多様化し激しく変化する世界に適応できる能力、すなわち『フレキシビリティ』が求められる」(p26)
「ますます多様化し激しく変化する世界に適応できる能力」は、これまでは官より民に求められやすい素質だった。市場経済に組み込まれると、上記の能力がなければ生き残れない。だが、従来の規格化された集団管理型一括処遇、ベンサムの言うパノプティコン的な発想で設計された入所・入院システムであれば、そういう柔軟性とは違うロジックが働いていた。
「様々の強制される活動は、当該施設の公式目的を果たすように意図的に設計された単一の首尾一貫したプランにまとめ上げられている。」(E・ゴッフマン (1961=1984)『アサイラム-施設被収容者の日常世界』誠信書房、p4)
ゴフマンが述べるように、「単一の首尾一貫したプラン」に「施設被収容者」を「まとめ上げる」、つまりは服従させることが出来るなら、そこには柔軟性は必要ない。だが、支援を求める人の個々のニーズにきちんと向き合おうとするならば、対人直接サービスこそ、柔軟性が求められる分野なのである。それが、「市場経済とは違う」という理由で、放置されてきたがゆえの、官僚制化した、硬直した福祉行政、福祉システムになっているのである。そのことについて、筆者らは次のような処方箋を出している。
「『官僚制からの脱却』『他社の優れた方式や慣行のベンチマーク』『組織の下位レベルへの権限委譲』『従業員の目標達成へのモチベーション向上』など、構造的な諸改革によって効率化は達成可能なのである。」(p100)
この部分は、福祉行政、福祉現場ともに切実に求められ、かつ出来ていない分野だ。自組織の方式や慣行に固執する、下位レベルに権限が委譲されない、従業員が目標達成を動機図消されずただ働かされている・・・という特徴があれば、それは経営母体が官民関係なく、「官僚制」に縛られている組織なのである。この脱却こそが、まさに求められている。
そして、話が長くなったが、これまでの②~⑤の論点が踏まえられて、初めて①のポジティブ福祉への移行の話になるはずだ。
「『福祉』は、失業者や高齢者といった社会的弱者に生活費を直接給付するというものではなく、市民のライフスタイル変革を促す建設的、積極的な支援が中心となる。セーフティーネットは、個人や組織の自立を助けるもの、エンパワーするもの、ポジティブなものでなければならない。」(p13)
「生活費の直接給付」も、困った状態の人の支援の一形態である。それを悪と単純に見なすのではなく、「市民のライフスタイル変革を促す建設的、積極的な支援」とは何か、を最大限考えた上で、最も大きな影響力を果たす政府になることが、福祉国家に求められていると僕は解釈した。その為には、支援組織も行政も、自らの価値基準に固執するのではなく、「ますます多様化し激しく変化する世界に適応できる能力」である柔軟性をもって支援対象者に接する必要がある。また、それが出来る組織システムでなければならない。その上で、自らのパフォーマンスを如何に上げるか、という意味での「効率」と、その結果としてご本人のよりよい暮らしにどれくらい近づけるか、という「平等」の両者をきちんと追求しなければならない。
「『効率』と『平等』のバランスを保つことは、資本主義を安定的に維持していくためには不可欠の条件である。」(p86)
僕は雇用政策にまで言及する力量はないが、この雇用政策の部分で言われいるバランスは、対人直接サービスの部分でもそのまま当てはまると思う。経済効率だけでなく、「大きなポジティブな影響力」としての「効率」。その追求がもたらす「他の者との平等」の実質的実現。それを実現可能なものにする支援組織や柔軟性。これらの「ポジティブな福祉」が整備されてはじめて、「権利と義務」「受益者貢献」の話がようやく出来るはずだ。なのに、日本はそういう整備もない中で「受益者」論のみが先行した結果、障害者法政策の転換点を迎えた。
ギデンズ・渡辺論を解釈しながら、結局自分の言いたい事に繋げてしまったが、大変考えさせられる一冊だった。そして、自分に引きつけて考えるなら、この「大局観」と「柔軟性」を持って、「効率」と「平等」をバランス良く眺められるか、が今の課題でもある。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。