今年の三大ニュース

年の瀬にあたり、今年の三大ニュースを発表します。

と書きながら、実は結構テンションが低い。なぜってさっき結構長く書いたのに、アップロードの時にへまをして、文章がいっぺんに全部消えてしまった。こういうのって、がっくりきますよね。でも、今から露天温泉に出かけた後に、実家でごちそうと大酒を飲む予定なので、つべこべ言っている暇もない。しかも、どう考えても新年までにパソコンに向かう時間もなさそう。なので、泣く泣く!?、さっきの一〇分の一くらいの分量で、今年の三大ニュースのご報告をしておきます。

山梨への引っ越し
もちろんこれが最大ニュース。非常勤から常勤へ、人間科学部・福祉学科系統から法学部政治行政学科へ、西宮から甲府へ・・・様々な移動があった。たくさんの発見や気づき、もがき、がないまぜになった9ヶ月間だった。しかし、本当に住めば都、とはこのことで、山梨の食べ物やワインも堪能し、法学部でいろんな先生方からたくさんの刺激をいただき、一年目からこの状況を大きく楽しめている。もちろん、学生さんとの真剣勝負も実におもしろい。来年は腰を落ち着けてもう少しじっくり仕事をしたい、と願っているのだが・・・。

アクセラ号との出会い
なんせ、このアクセラ号は本当に乗り心地がよい。甲府に引っ越す折りはスターレットさんに荷物も山積みしながら中央道を走っていたが、今回は逆の道をアクセラ号で疾駆する。高速走行の安定感と馬力の良さにほれぼれしながら、昨日は夜中の中央道を突っ走っていた。実に気持ちよい。もともとずっとトヨタの中古車に乗り続けてきたのだが、初ボーナスをいただいて、「せっかくだから新車を買いたい」という欲望がもたげてきたのだ。で、カローラフィールダーとアクセラで迷ったのだが、アクセラ号のあまりの馬力の良さと魅力的デザインの虜になって、生まれて初めてマツダの車に乗っている。

ノーマライゼーションについて考える
障害者自立支援法を巡って、昨年10月から厚労省は山ほど資料を出してきた。僕もその一部をプリントアウトしただけで段ボール箱二箱分になる。今年はこの自立支援法関連で講演もあちこちでさせて頂いた。この自立支援法の厚労省資料を眺め続けていて、90年代にずっと言われていたある言葉がすっかり抜け落ちていることを一部識者は指摘している。それが「ノーマライゼーション」についてである。

ノーマライゼーションは、スウェーデンではお題目の思想ではない。障害を持った人もふつうの人と同等の生活が出来るように、所得保障や住宅・日中活動の提供を実態的に保証する、ということを法律に明記している。そして、その法律に基づいてお金も人も社会資源も構築されている。つまりノーマライゼーション思想が制度政策、そして現場へと降りていく、上からのノーマライゼーションの実体化が30年くらいかかって展開されてきたのだ。

一方日本では、厚労省は90年代に国の政策として「障害者プラン-ノーマライゼーション7カ年戦略ー」なるものに取り入れられることもあったが、結局スウェーデンレベルの所得保障や地域移行を果たす前に、既に公的文章から消えてしまった。僕はこれをもって日本のノーマライゼーションが完了した、なんてとうてい思っていないし、多くの障害関係者も思っていない。

ただ、では日本では全くその動きがなかったのか、というと、その逆だ。博論で調べていて感じたのだが、日本では現場レベルの、下からのノーマライゼーションが各地で展開されている。国の政策が「頼りない」から、地域福祉を実体化するために、各地で当事者・支援者・家族・行政の垣根を越えた、地域変革の動きが各地で様々に行われてきた。そして、それを制度が後追いする、というのは、富山の託老所「この指とーまれ」から富山方式なる言葉ができ、それが小規模多機能方式として介護保険や自立支援法に取り入れられたことからも明らかだ。

で、今年考えていたのは、「では自立支援法が施行された後、日本なりの下からのノーマライゼーションを実現するためにはどうすればよいのか?」ということ。様々な地域で話をさせて頂いた時も、いつもこの点についてはふれていた。「地域自立支援協議会」といった自立支援法の枠組みは、うまく使うと「下からのノーマライゼーション」の具現化、となることも、あるミニコミでも書かせて頂いた。また山梨でも微力ながら、そのお手伝いが出来ないか、と動き始めている。来年も、この活動が花開き、山梨からのノーマライゼーションの発信、につながれば、と夢見ていたりもする。

というわけで、この一年は、仕事にも、プライベートにも激動の一年でした。で、来年の目標は、というと・・・、今から露天風呂にでもつかって考えてきます。あ、そうそう、このスルメブログ開設も、今年の大きなニュースの一つ。この数ヶ月、ブログをお読み頂きありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

煤払いな日々

ようやくあれこれと念願の煤払いの日々である。

昨日は住所録の整理と年賀状の印刷、それに来月に向けた仕事の整理にあけくれていた。引っ越しとデスクトップパソコン、ノートパソコンの相次ぐクラッシュのおかげで、バックアップデータはとっておいたものの、住所録構築などあれこれすることがたまっていた。特にこの年の瀬は実家に帰るので、年賀状の準備はこっちにいる間に完了しなければならない。例年は紅白でもみながら、の年賀状作業だったのだが、そうはいかない。山梨に引っ越してきて以来、一本電車を逃すと二時間(下手したら一晩)待ち、という状態なので、何かとギリギリではなく早め早め、とシフトしてきた。よい傾向である。「夏休みの宿題を9月に入ってからやる」というのは、無責任な学生の間は許されたが、今それをすると、各方面に甚大なご迷惑をかける。30にしてそういう事にもようやく気づいているんだから、何だかなぁ、である。

そういえば、こないだ恩師の先生から電話がかかってきた際も、「タケバタも少しは大人になったね」と言われた。「生きるためのお金稼ぎ」に必死であった時代は、とにかく余裕がなく、仕事の質も雑で、自分の事に精一杯で、周りをじっくりみるなんてことはとっても出来なかった。そして、そういう雑な仕事がますます自分の首を絞めて・・・という悪循環に陥っていることも気づかずにいた。それが山梨の豊かで落ち着いた環境の中で、ようやくこのサイクルに気づくことが出来、それとともにそこから少しずつ抜け出せつつあるようだ。本当にありがたい限り。それでも今年は各方面にご迷惑をかけることが多かった。来年は、もう少しきっちりと、早め早めでやらねば、と年賀状を書きながら感じていた。

で、今日はその年賀状書きとおうちの片づけ。パートナーは今日まで仕事、なので、送り出した後、ガソリンを入れ、おみやげの桔梗餅とトマトとキュウイなども買い込む。いつもの豊玉園のおばあさんに良いトマトを詰めてもらった。先述の恩師のところに2日に出かける予定なので、以前送って喜んで頂いたトマトを持参しよう、という考えである。ここのトマトは、本気の青い味がして、大好評。ついでにキュウイもすごく甘くておいしい。トマトのハウス栽培で一緒に育てている、とのこと。こっちは実家に持って行こう、とついでに買ってみた。

そして念願の我が家のパソコン間のデータ共有。デスクトップに入っているメールとマイドキュメントデータを、以前クラッシュしてデータが飛んでしまったダイナブックくんに移植する作業だ。これをしたくて外付けハードディスクを買う算段も出来ていたのだが、何しろここ数ヶ月は死ぬほど忙しくて、年末まで放ったらかしであった。その間にダイナブックくんの電源もどっかに行ってしまっていたため、今日はまずアダプター探しに小一時間ほど奔走する。大学にあるかも、と探しにまで行きかけたが、灯台もと暗し。居間の陰にこっそり隠れていらっしゃった。まるで横山やすしの「めがね」じゃないれど、一番目につくところに忘れてあったのだ。これも今年後半のバタバタゆえである。

ついでに言うと、その昔は、恥ずかしいことに「バタバタする」ということが僕の代名詞というか、それがちょっとかっこよい、なんて錯覚していた。もちろん今はさにあらず。バタバタと予定を無駄に詰めていると、本当にしなければならないことは出来ず、締め切りもきちんと守れず、挙げ句の果てに仕事の内容の質が落ちる、という最悪の結果を招きかねない。ここ数ヶ月、そういう状態が続いていて、先日、別の恩師からも「それではバランスに欠いている」と厳しいご指摘を受ける。そうなんです。バタバタとしていると、
仕事をしている「ふり」は出来るけれど、研究・教育・社会活動・それにプライベートの四者のバランスが総崩れしてしまうのだ。これではまっとうな仕事に結びつかない。危ない、あぶない。

というわけで、年末はお部屋の煤払いだけでなく、頭の中の煤払いまでやっていた。

モードの切り替え

22日で今年の授業はとりあえず終わった。
まだ来年二回ほどあるけれど、峠をようやく越した、という感じである。

ブログをご覧頂いているチャーミングなMさんから、「お忙しくて返信の余地もないでしょうから・・・」などと暖かい言葉をかけて頂いたが、Mさん、すんません、確かに忙しかったのですが、23日からは久しぶりに遊んでいます。

23日は大学時代からの親友が甲府まで遊びに来たのでおもてなし。彼は私たちがスウェーデンに暮らしていた二年前の冬も、わざわざ高いチケットを買って遊びに来てくれて、妻と三人で北極圏のイエリバーレでオーロラを眺めながら正月を過ごした親友である。あのときは仕事し過ぎで死にそうな顔をしておられたが、今回は顔がましになっていた。プライベートも充実してきた、とのこと。そう、やはり余暇や文化活動が豊かであってこそ、の人間らしさ、なのです。

この「人間らしい」暮らしは、スウェーデンに暮らしている時に、ホントに思い知らされた。なんせ向こうでは、普通のお宅でもソファーやライトなどの室内インテリアにかなりのお金をかけている。僕がご厄介になったEさんのお宅でも、ソファーは本当に豪華な革張りだった。11月から3月にかけて、日照時間が短い冬には、おうちの中でゆったり過ごす時間が長くなる。そのときに、座るものやそこを照らす光にお金をかける、というのは、豊かな時間を作り出す上で、必須のことだ。土日もなく走り回っていたこの3ヶ月のタケバタなんぞは、豊かな時間とは真逆の姿。いかん、いかん。

で、友と出かけたのは、まずは「ほったらかし温泉」。この日は澄んだ青空で雪の富士山を眺めながらの朝風呂は最高だった。その後、もっと富士山を近くで見ようと、河口湖まで出かける。この春妻と出かけた湖畔の大石茶屋でほうとうを食す。なんとお昼前だったのでまだ客が少なく、富士山が真正面に見える縁側の席を陣取る。雄大な富士山を真正面に眺め、私はお茶を、友はビールをちびりちびり。すてきなお昼だ。でその後、精進湖ラインを通って道の駅で野菜を買い込み、続いてはいそべ酒店でワインを買い込み、大学へ。今晩はシチューにしよう、と決めたので、いそべさんのところでキザンワインと勝沼酒造のワインを買う。この両方とも超ヒット。2本はあっという間になくなり、贈答用に買った一本まで開けてしまった・・・。で、大学近くの鳥一で美味しい地鶏を買おうと思って立ち寄ると、皆さん大変忙しそう。何だろう、と思っていると、24日のイブの為に、鳥の丸焼きをせっせと作ってらっしゃったのだ。スウェーデンでもスーパーで売ってたよなぁ、と思うと懐かしく、丸焼きとシチュー用のお肉を両方買い求める。これで準備はバッチリだ。

その後、帰ってシチューを作り始めながら、宴はスタート。奥さまも所用があったのだが、せっかくだから、とそれをキャンセルされてご参加。イエテボリの年末から二年経ち、お互いの境遇の異同をポツポツ語りあっているうちにドップリ夜も更けた。そして、彼は夜10時の夜行バスで帰路につかれた。やはり友はいいもんだ、としみじみ感じたイブイブであった。

さて日付はかわって24日。この日は初スキーである。「年内に一度は行きたい」というパートナーの強い希望もあり、日程的にこの日を逃すと、という状態だったので、少し酒ものこってしんどいけれど、白樺湖方面へ車を走らせる。ここしばらくの寒波で、白樺湖近くから一面の銀世界。スタッドレスタイヤをはいてつくづくよかった、と思いながら、ズンズン進んでいく。目的地の車山高原はパウダースノーの良い雪質だった。ボーゲン隊のひろしくんも大満足の、コースの多さと景色の良さ。次は朝から来ないとね、といいながら、半日みっちり初滑り、である。帰りがけに「河童の湯」にも浸かって疲れもとり、我が家ではイブイブに買った鳥一の丸焼きと、以前買い求めた美味しいシャンパンで、イブの夜に感謝しながら、じっくり飲んだ。ここ最近の忙しさや緊張感など様々なものが解けていくような、気持ちの良い「酔い」に包まれていった・・・。

真面目も休み休みに

「先生、むっとしないで、もっと授業中笑った方がいいよ」

わかれ際、ある学生さんに言われた一言がずしんときた。
授業で色々伝えようと必死なのだが、「必死さは伝わってくるけど、むっとしているように見えるから、みんなもいやになってくる」そうな。もっと僕が笑顔になれば、みんなにもそれは伝わる。でも、僕は授業の中で笑っていない・・・。そりゃあ、聞く方だったら、笑いのない伝え手の話なんて聞きたかないよなぁ・・・。うまく伝わらないのは、聞き手の問題ではなく、僕自身の「余裕のなさ」にあったのか・・・。まさに目から鱗、であった。

一年目の授業は、本当に色々越えねばならない山あり谷あり、だった。特に「笑っていない」その授業は、僕にとってやったことのないジャンルの授業であり、本当に試行錯誤の連続だった。こなすべき課題があり、伝えたいこともあり、でも学生さんが求めることもイメージしにくく・・・そういう中で、力が入るもののこっちの想いが伝わりにくい、そういうジレンマを感じていた。気づいたら「ワイワイがやがや」の授業ではなく、ピシッと何かを終わらせる事に力を入れていた。学生のエンパワメントを指向しながら、やっている実際はあるレールに無理矢理はめ込もうとしていただけだ。そりゃあ、学生さん達は腹立つし面白くないし、納得出来ないに決まっている。「真面目も休み休み」でなければ、疲れるのだ。それを僕は1コマ中ずっと真面目さを学生に求める。彼ら彼女らがtoo muchと思う気持ちも、逆の立場だったら本当によくわかる。

今日は一応の一区切りを伝えるために、いろんなメッセージを伝えようとしたのだけれど、あんまり伝わらず、授業後に落ち込んでいた。でも何とか来年度に向けて変えるきっかけがほしくて、残っていた二人の学生さんに聞いてみたところ、親切にも彼女たちは色々本音を教えてくれた。僕が「『自分の頭で考える』ということをしてほしくって、こういうことをしてきた」というと、「それを先に伝えてから、今日のワークのようなものもしてくれたら、もっと色々書ける」と。説明を先にしてくれて、それを実践させてくれたら、自分たちもやりようがある。でもタケバタのこれまでのその授業の中身は、説明が後回しなので、やっている時には「何のためにやるのか」がよくわからない。なので、書きたいことも「人に知られたくないから」「目的がはっきりしないから」書けないのだ、と。なるへそ。僕自身は先に説明を聞かされると、「種明かし」されるようで、最初は答えを見ずにやりたいタイプだが、先に「種明かし」された方がやる気がでてくる人も少なくないのだ。本当にたくさんのことを学ばせてもらった。

そして、件の「笑ってない」。じゃあね、と言って別々の方向に向かい始めた時に、本当に彼女が思っていることを教えてくれた。たぶん「こんなことを言ったら・・・」と学生として教員になかなか言えなかったことを、別れ際に思い切って言ってくださったのだ。よくぞ!です。大感謝。来年度の授業の課題は山ほどあるけれど、今日気づかされた「ワイワイがやがや」「笑いをまじえながら本質を伝える」「真面目も休み休みに」・・・については優先順位上位にエントリーしておこう。何はともあれ、今年の問題は今年のうちに気づかせてもらって、ほんとによかった。

パッチ隊の冬

とうとうはいてしまいました。パッチを。

そう同僚に切り出したのだが、「パッチって何ですか?」と問われる。あれって関西弁だっけ、と思いながら、股引です、と答えると、「ああ、ババシャツの男版ですね」とのお答え。そうです。甲府の冬は本当に寒くって、薄っぺらいスーツの下にはこういう股引でもないと、もうやってられない季節になってきた。それを二年のゼミで「告白」すると、「俺もっすよ」とばかり、ジーンズの下にあるジャージを学生さんは見せてくれた。老若男女、甲府は皆、パッチ隊なのである。

明日で授業は一応年内は終わり。しかも年明けも二週間授業期間の後、テスト。そう書けば、実に楽そうに見えるが、全然楽ではない。今日、教授会の後にスケジュール管理をしていて、顔が段々悲壮になってきた。なぜって、1月末の研究会までに、全面的に書き直し報告書1本+全く手つかず報告書1本、が待っている。しかも、家に帰ってみたら、1月末〆切で別のレポートの依頼が届いていた。そういえば、それに関連した、よその報告書の〆切も1月末・・・。死にそうだ、やばい。年末は30日から妻と僕の実家に帰省することを考えると、29日までみっちり働いて、年始も5日あたりからフル稼働しないと間に合わない。しかも、前回の研究会でのコメントは相当厳しいものがあり、まあどう書き直さなければいけないか、という方向性は定まったが、一から書き直すように相当手を入れなければならない。これはのんびり一息つくのは年度末までお預けだ。でも年度末にはせっかくだから海外に調査もいきたよなぁ・・・。などと考えていると、結局自分の首を絞めるようで恐ろしい限りだ。

そうなってくると、以前にも書いたが、いよいよ「自分へのアポイントメント」が大切になってくる。今日は学内で研究会があったのだが、発表された先生も、コメントを寄せられた先生方も、皆さん僕より遙かにお忙しいはずなのに実にエッジの効いた刺激的発表および議論が展開されていた。こういう場に最近真面目に足を運んでいなかったタケバタとしては議論について行くのに必死になりながら、「こういう勉強のために自分がどれほど時間的・密度的アポイントメントを取っているのか」について反省することしきりだった。

誰しも「忙しい」。でも、その中でもこういう濃度の高い「お仕事」をキリッとこなす先生方と、とにかく目の前の事を追いかけているうちに忙殺されるタケバタ。超有名なコヴィーの「7つの習慣」の中に出てくる時間管理の4つのマトリックス(緊急度と重要度の大小で4つに分類する)で言うならば、「緊急度大+重要度大」のものばかりになっていて、「緊急度小だけれど重要度大」という部分が出来ていない。コヴィーが言うように、「緊急度大で重要度大」というのは、単に〆切が迫ったものが多く、時間管理や優先順位決定が適切になされて、空き時間に早めにこなしていたら、その課題に振り回されなくていいことが多い。そして、それらの〆切が迫ったものの陰でついつい後回しになる「緊急度は小さいが自分の手がける仕事として重要度が高いもの」(タケバタで言えば研究のインプットとアウトプット)にどれだけ時間的リソースを分配できるか、でその人の将来の成果が変わってくる。ならば、ちゃんとそういう「緊急度小で重要度大」のものにどれだけ意図的に時間を振り分けられるか、それを自分へのアポイントメントとして確保しておかないとまずい、そういうことなのだ。やれやれ、説明できるのに実行していないや。情けない。

というわけで、この冬は、真面目に仕事場に出かけ、コリコリ報告書作成にいそしもう、という思います。忘れていたけど、1月末は、7割くらい書いて放ったらかしてある別の報告書の〆切でもあった。ああ、こりゃ、ほんと死ぬね。しかも教員としてはセンター試験のお仕事もあったっけ。何かと来月にかけて忙しい。風邪を引かないようにパッチをはいて、パッチ隊タケバタの冬は「お仕事の冬」になりそうだ。

6/10の魅力

先日あるミュージシャンとお会いした折、彼の新作に関してこんなことを伺った。

「ある人に言われて、今回のアルバムでは、6割のエネルギーで歌ってみた。4割は聞く側の想像する余地を残しておきなさいよ、って。今まで10割の力を出し切って歌っていたのだけれど、そうやって聞く側にゆだねる部分も作っておいた方がいいって、僕も歌ってみて気づいた。」

確かに今日、学習会に行く車中でそのCDを聞いてみたのだが、以前と違って大変リラックスした声質。もちろん決して手抜きをされている訳でもなく、歌詞の内容は相変わらず鋭いブルースだ。でも、どことなくほんわかしていて、聞いていてスッと心に届いてくる。彼の歌声は以前から好きなのだが、そういわれてみれば、前作までは150キロのストレート直球がズバンと飛び込んでくるようなエネルギーで、正直こちらも聞くときを選ぶ、そんな感じだった。でも、今回のミニアルバムは、車の中でもほんわか聴けるのだけれど、しかし彼の伝えたいメッセージは変わらずびしばし伝わってくる一作。まさに彼の意図や想いがドンピシャと当たった、いい作品に仕上がっていた。

で、実はその後、そのミュージシャンと同じ様な経験を僕もした。

もちろん歌ったわけではありません。今日も自立支援法の学習会に呼ばれたのだが、今日の会場には聴覚障害の方も多数来られておられ、そして手話通訳の方も来ておられた。前回別の会場でお話しした折も手話通訳して頂いた方で、「今回はもう少しゆっくり話してください」と言われていた。そう、タケバタは話し始めるとエンジンがかかり、ついつい早口でまくし立てる傾向があるのだ。先週金曜日の夜など、奈良で小規模な学習会で社会保障改革と自立支援法について話しているうち、講演だけで2時間+やり取りであっと言う間に3時間半。そりゃしゃべりすぎやろう、というくらい、まくし立てていた。今回は全体で2時間、うち質疑応答が30分、しかも手話通訳の方が対応出来るように、いつもよりスピードを落とさなければならない。さて、どうしよう、と思いながら、話をはじめた。

で、今回の参加者の方々は以前に県の担当者から大まかな説明は聞いている、ということなので、レジュメからはずれて、いっそのこと主催者から要望のあった「今から出来ること」に的を絞って話をしよう、と腹をくくった。最初はゆっくり話すので、再生の回転数を遅くしたような歯がゆさがあったが、このスピードなら大丈夫、と手話通訳の方に言われ、そのスピードでストーリーを組み立てていく。当然、いつも90分で話す内容から4割くらい削らないと、このスピードでは回りきらない。なので、もうバッサリ切る部分は切って、中身を絞って、「4月までに出来ること」「ここ数年で考えておくこと」の部分を重点的にお話させて頂く。地域生活支援事業、障害程度区分認定審査会、地域自立支援協議会、そして障害福祉計画・・・これら市町村が独自の対応が出来る問題について、障害当事者や支援者・家族の声がどの程度反映されるのか、を皆さん自身が主体的に行政側に提案していかなければ、という部分に3分の1くらいエネルギーを裂いてみた。

講演と質疑応答が終わった後、手話通訳の方から、「前回よりかなりわかりやすかった」とお褒めの言葉を頂く。「前回はあれもこれも、とてんこ盛り過ぎてにもわかりにくかったところがあったが、今回はよく理解できた」、とのこと。なるほど、僕自身はもちろん話の内容は全力投球で、手を抜いていないのだが、10割の全速力のスピードでぶっ飛ばして話し続けるより、こうやって焦点を絞って、言いたい全体像の6割くらいに焦点化してお話した方が、伝わるときもあるのだ。いい勉強になった。

大学の授業においても、10の内容を全速力で伝えると、うまく伝わらない事がある。早すぎてわかんなかった、と。逆に、6に焦点を絞って、それについてご自身の頭で考える時間をもうけながら議論を展開すると、深まりがある、と評価されることもある。授業でも講演でも、10分の6にどう凝縮するのか、がもしかしたら、今のタケバタのキーワードかも、と思った。4の部分を、聞く側が考えたり、感じたり、そういう部分があるからこそ、「わかった」「なるほど」「そういわれて見ると・・・」と言う、自分の中での反芻へと繋がるのだ。そういう意味で、聞き手本意の話に組み立てていくためのヒントを得られた、そんな一日だった。

情報公開の効用

「情報公開」なるものに最近ご縁がある。

秋深い奈良で、精神保健福祉の情報公開、というタイトルでの講演会でコーディネーターをさせてもらった。密室性や情報の非対称性が問題となる精神保健福祉の世界において、どのように情報公開が役に立つか、というシンポジウム。シンポジストの皆さんの話が面白くて、引き込まれているうちに、あっという間に終わってしまった。

で、いつものように付け焼き刃のにわか勉強で臨むタケバタ。当日朝の電車内で、とりあえず情報公開の論点について5W1Hの形で図にまとめ、それを口頭でペラペラしゃべったのだけれど、案外うまくいった。でも、当日配布したレジュメには記載していなかったので、改めて奈良のミニコミ誌の新年号にこの原稿を書かせて頂く。書いてみて、いい加減にしゃべるのとは違い、活字化することの大変さを改めて身にしみて感じる。いやはや、精進が足りませんなぁ・・・。

で、情報公開、といえば、例えば精神病院に関して言うと、情報公開に非協力的なところほど、一般的に言って、アヤシイ。閉鎖病棟や保護室にまで外部の人間を絶対入れない、面会に出かけても病室ではなく面会室で看護人監視の元で面会する、精神医療審査会への訴え件数が極端に少ない、病院が自主的に公表する情報が極端に少ない・・・これらの内容は、その病院の情報公開に対する非協力的態度を物語っている。そして、そういう非協力的態度をとる病院の中には、問題を隠蔽しよう、という方向性で考えている病院も、一部あるのだ。つまり単純に言えば、自分にやましい部分、隠したい部分があるほど、人間は情報を非公開にしたがるのである。

では、タケバタにはやましき部分はないのか? いえ、あります。
今まで情報「非公開」にしてきたけれど、今回敢えて!公表します。

実は僕・・・デブなんです。相当やばい!

そんなん見たらわかるよ、と言われるかもしれない。でも何よりショックだったこと。それは先月に大学の健康診断を受けた結果が一昨日帰ってきたのだが、中性脂肪やコレステロール値だけが堂々の「D(=要改善)」ランクだった!! 運動不足でこのまま行くと脳梗塞などの二次災害に結びつくのだそうな。僕自身、基本的にはオープンマインドなのだけれど、これまで体重情報だけはひた隠しにしてきた。なぜって、一番知られたくないし、気にしているし、でも変わらないデータだ、と思いこんで悲観的になっていたから。

しかし、精神病院でも、知られたくない、気になる、でも変わらないデータを持っている所ほど、公開しないんだよね。隔離拘束の日数や平均在院日数など。だって、それがあんまり良くない事だと知っていて、しかし自分だけの手ではうまく変えることが出来ない、と信じきっているから。しかし、本当に物事を変えたい、と思うなら、そういう「自分にとって都合の悪い情報」も含めて公開し、こういう事実経過があって、現状はこうで、変えるためには、こういう努力が必要だし、私たちは現状においてもこの程度変えてきました、という形での公開が必要だ。実際にこれを実践している精神病院もあるけれど、これは病院に限ったことではなく、オープンマインディッドな人ならば、自分の弱点も含めて公開している。そして一般的に私たちは、そういうオープンマインディッドな人や組織に対しての方が、そうでない場合より信頼を置く。

・・・というわけで、一応これでもオープンマインディッドなつもりのタケバタは、他人を批判するだけでなく、自分の中で、「悪い」けど「うまく変えられない」データについては、自主的公開をすすめて、衆人環視の中で変えていくしかない、そう思うことにしました。

正直に体重を告白します。さっき計ったら82キロまでありました!きょ、きょえー。この夏には77キロまで落ちたのに、また増えたよ! まあ今、ご飯を食べ終わったところだったので、実際には80キロ、かな(希望的観測)。でも、身長が170センチなので、実際には63キロくらいが、標準体重と言われている。ということは、そこから20キロ弱、重い!! わかってはいるんだけれど、ついつい食べちゃうんだよねぇ。でも、あと10キロは何とか減らさないと、早死にしちゃうよ・・・。

今後このブログでは適宜、自分自身の一番知られたくない話題(=体重情報)に関する情報開示を、情報公開請求をされずとも(誰もしないと思うけど)、勝手にすすめていくつもりであります。そこで皆様にもお願い。これをお読みになられた方は、どなたであっても、どうぞご遠慮なさらずにタケバタに「最近何キロ?」とお声かけください。情報公開をすすめ、一番知られたくない、気にしている、変わらないと信じ込んでいるデータをこそ皆様の前につまびらかにして、その現状認識から改善の第一歩がはじまる。精神病院にしてもタケバタの体重にしても、本質は同じだと思っています。この積極的情報公開で、せめて70キロ代前半まで回復したらいいのだけれど・・・。このまま行くと、スーツがアウトになるすれすれなのです。何とか、生活を立て直すためにも、1年でせめて75キロを切るところまで行きたい、これがタケバタの願いでもあります。

あとは、よく噛んで食べて、週に二回のジム、これも公約に入れておきます。

己が業、とは?

あなたのこの書き物には、この視点が欠落しているのではないか?

研究会の席で、主催された方から本質的な問いをいただいた。
というか、僕が発表を終え、その方の顔を見た瞬間、この指摘を受けることが直感的にわかってしまった。そう、まさにその点が足りないし、それがなければ本質的欠陥なのです・・・イテテ。そして、その方は口には出して仰らなかったが、メタメッセージとして次のようなご助言も賜った。「タケバタ君、こだわるべきところでこだわらず、肩肘張らなくていいところで力んでない? ものの本質を見誤っちゃあ、おしまいだよ!」 その言外のメッセージに、自分の至らなさを深く恥じ入るとともに、でもどこかでちょっと楽になった自分がいた。

ここ数年、仕事が加速度的に忙しくなり、でも見えてくるもの・出来うるものも少しずつ拡大する中で、変に肩肘を張っている自分がいた。端的に言えば何にでも口を挟む「やかましい」自分がいた。それはそれで一つのキャラだ、と言われたらそれまでなのだが、でもその一方、この「やかましさ」の中にあるある種の虚勢や力みに対するやんわりとした批判も仲間から寄せられていた。また、自分自身でもそういう作為的な「やかましさ」への疑問符や疚しさも、ここしばらく自分の中に去来していた。

僕は何に向かって、どうしようというのだろう? なぜそんなに力んで、わあわあ言っているのだろう? もっと焦らず、自分が本当に思っていることだけを、話したいスピード・声音で話せばいいじゃないか。気張るなよ。そう思い始めていた矢先の今日だったので、当惑や落ち込みもあるが、むしろ憑きものが取れた気分だったのだ。あんまりあれこれしゃしゃり出ずに、「己が業にいそしみ」なさいよ、と。では、僕にとっての「己が業」とは何なのだろうか?

ここのところは、まだきちんと整理しきれていない。だが、明らかに言えることは、今自分の中で中途半端な正義感や使命感から背負っている(つもりの)もののうち、ちゃんと返すべきところがあるものについては、きっちりその役割と責任をお返しすべきである、ということだ。また、僕ではない他の立場の方が本来の意味で責任をとるべきなのに、もし現状がそうなっていないなら、そうなるような環境整備をすることこそが、僕自身の「己が業」である。まかり間違っても、「○○の代わりに」とか、「僕がやらずに誰がやるだろうか」といった不遜な気負いは、本来責任をとるべき役割の方々に対する越権行為であり、冒とくでもある。この部分をわきまえずに、いらん一歩を踏み込むことはまさに、百害あって一理なし、なのだ。

ということは、研究者の立場にもあるタケバタが当座すべきことは、(本来不必要なのに)わざわざいろんなものを「背負い込む」ことではなく、責務ある人がその責務に気づいていないならそれをお知らせし、果たしたい責任を十全に果たせる環境にない人がいれば、その環境構築のお手伝いをし、果たさなくてもよい人が越権行為としてしゃしゃり出ているの目撃したならば、その退場を勧告する。そういう産婆さんの役割なのだろう。これなら、僕にでも出来そうだ。

今日の指摘は、正直心にグサリとささった。今でもイテテ、というヒリヒリ感が残っている。でもこういう本気の投げかけをしてもらえることは、年をとればとるほど、なくなっていく。ならば、この痛みを気づきの一歩、変革への一歩とするためにも、師走から年明けにかけて、来年の構想を練るなかでじっくりと噛みしめていこう、と思う。返すべきところに返しなさい。これが来年のキーワードになるかも、だ。

師匠と弟子

我が師匠、大熊一夫さんがホームページをお作りになられた。
http://orso.05.to/
早速拝読させて頂く。やはり師匠はすごい、と朝から唸ってしまった。

大学を定年退官され、現在は八ヶ岳の麓でピザ釜を作り、フリージャーナリストも続けておられる師匠だが、そのHPの内容は実に濃縮度が高い(なぜピザ釜か、は直接HPをご覧下さい)。特に、ナチスの障害者安楽死計画に関する話や、スウェーデンにおける内部告発物語など、魅力的な内容が詰まっている。それらを読み進める中で、改めて自分がどれほど多くのことを師匠から学ばせて頂いたか、とういことをつくづくかみしめていた。

大熊さんに出逢ったのは、もうかれこれ7,8年前。大学院に入るときに、教授として着任されたのが出会いだった。「先生」と呼ばれることが何より嫌いだった師匠なので、いつも僕は気安く「大熊さん」「一夫さん」と慣れ慣れしくも呼ばせて頂いていた。当時大熊さんについた大学院生は二人だけで、しかも博士課程に残ったのは僕だけだったので、まさに師匠には手取り足取り教えて頂いた。日本全国、あちこち師匠にくっついて出かけ、師匠が取材される様子を直に見せて頂いたこともあれば、へたくそな私の文章を真っ赤になるまで手をいれて下さったこともあった。初めて北欧に出かけたのも、師匠が「日本の現実だけではわからない」からと、連れて行って下さったのがご縁だ。あと、美味しい手料理も、北欧滞在中のアパートだけでなく、大阪や長野で何度も頂いた。そう、師匠にはお世話になりっぱなし、なのである。

「文章は省略と誇張だ」「いい加減なことを書いてはいけない」「わからないことをわかったふりしない」「自分の頭できちんとものを考えて言わなければならない」・・・

これらのごく当たり前の、でもなかなか実践するのは難しいこれらのことを、大学院生の間に僕にたたき込んでくださったのも師匠だ。これらの珠玉の言葉にも、どれだけ僕は救われたか。なんせ、師匠に出逢う前は、師匠に言われたこととは反対の、「ダラダラした文章」「いい加減な内容」「知ったかぶり」「人の受け売り」・・・が僕の中に多分に見られた。今もまだ一杯あるだろうけれど、でも以前より少しは「自分の頭で考え」て、「わからないこと」に謙虚になって、文章に多少は気をつけるようになったとすれば、それは師匠のおかげ以外の何物でもない。

そして今、大学で授業やゼミをしている際も、やはりそのテーマの扱い方や切り口については、師匠に教えて頂いた視点が息づいている。先週の地域福祉論の授業では障害者の地域生活支援センター建設に関する周辺住民の反対運動について取り上げたが、その延長線上には、障害者への差別・偏見、そして障害者の虐殺・・・といった問題が横たわっている。来週以後、その問題を取り上げなきゃ、と思っていた矢先に、師匠のHPを見て、得心。このナチによる障害者虐殺問題について、今から30年以上前に書かれた不朽の名作、「ルポ・精神病棟」からずっと追い続けてこられたのも、師匠だったのだ。だから、僕がそういう授業展開の回路になるのは、僕のオリジナルでも何でもなく、師匠に教わった通りの経路を辿っているだけ、なのだ。

師匠、不肖の弟子は、何とか大学でヨチヨチ歩きをしております。いつの日か、「タケバタ君の文章は、まだまだヘタだけど、少しは読める内容になってきたね」とお声をかけて頂く日が来ると信じて、日々、精進なのであります。さ、今日もガンバろっと。

タコツボと糸通し

1週間ぶりです。

多忙だった、というのもあるけど、それよりも、ブログを書くことをためらっていた。たまに、そういう時がある。何だか人様にお見せするほどの文章が書けないよなぁ、と。別に自分のブログだからいいじゃん、そんな見方もある。どうせあんまり読んでいないよ、と言われたら、確かにそうだろう(アクセスログはとってないが、多分これは真実)。ただ、書き出してみた内容が、何だかタコツボ的隘路に陥っているよなぁ、と思うと、二の句が継げなくなってくるのだ。

どんな話題でも、根元的に考えることによって、一定の普遍性、というか、より多くの読者への共感をもたらす書き手がいる。そういう書き手の場合、対象となる話題は個別具体的だが、どんな話題であれ、通奏低音のようなものが流れていて、つまりはその話題に近しくはない読者にとってもしっくりくる何か、に気がつけばたどり着いている、そんな筆力の持ち主なのだ。どんな形でどこから穴ぼこを掘っても、確実にある地下水脈につながり、その水脈が普遍的真理(の一部)へと導いてくれる、そんな回路ができあがっている文章を書く人がいる。そういう文章を読んだ後、己が文章を垣間見ると、とほほ、としてしまうのだ。「どこにも通じていない」と。

読み手の僕は、「どこにも通じていない」文章を読まされるほど、腹が立つことはない。でもだからといって、通じている先が自分の掘り当てたある種の普遍性ではなく、何らかのイズムの受け売りであるのも、それはそれでつまらない。自分が気になる様々な現象の向こう側にどんな一定のリズム(通奏低音)が流れているか、それを耳をそばだてて聞こうとするのだが、まだきちんと聞き取れていないのだ。だから、その時々でリズムもノリもバラバラで、統一感も構築できていない。よって、「雑学」がある種の「教養」や「普遍的なるもの」「何らかの体系」へと昇華していかないのだ。これは自分の中での消化不足もあるけれど、それよりも絶対的なインプット不足でもある。知識がトリビアルな状態のままで、断片化していて、きちんと糸が通されていないのだ。でも、この糸通しはすごく難しい、そう感じさせれた。

一昨日、町村の職員の方々の前で自立支援法について講演させて頂いた時のこと。県からの説明をうけてもよくわからない、という参加者の皆さんに対して、僕が行ったことは、この「糸通し」であった。どういう背景で法律が出来て、来年再来年、そして数年後にはどういう見通しになっていく可能性が高くて、4月までにまず町村レベルでもしていかなければならないことは何か? こう書いてしまうとすごく単純だけど、これにデータを入れ込んで説明するのは結構大変だ。でも、そうやって断片的な知識を一本の筋をつけて「story」にして皆さんの前で提示すると、何割かの方々は深くうなずいて、「こういう糸通しだったのか」「これなら自分でも出来るかも知れない」とうなずいたり、納得して下さる。この瞬間が、こんな僕でも多少はお役に立つのだな、と嬉しくなる瞬間だ。ただ、他人様の、ごく一部の「糸通し」がうまく行っても、肝心の自分自身の糸通しが稚拙なままでは、まだまだ、とほほ、である。

まあ、こうやって、自分のダメさも含めて、書き続ける中で、多少は自分自身の「糸通し」ができ、それが自分でもまだ知り得ない地下水脈へと通じて、タコツボ的隘路から抜け出すことが出来れば・・・そんなことを考えながら、今日もポツポツ文章を書き続けているのです。