場面と自身の変容

 

今年もこの時期、帰省中。岡山の山間の街には、ちらほら小雪が舞っている。

今年は帰省渋滞がほとんどなかったので、比較的楽に実家までたどり着く。そして、昨日からご馳走をおよばれしはじめたので、今日はテクテク歩く。身を切る寒さだが、ここで手を抜くとブロイラー状態になってしまう。今日と、明後日くらいは多分散歩に行くことが出来るだろう。暇を見つけて歩いておかねば。

で、今は掘り炬燵でメールチェック。とうとうエアエッジなるものに手をつけてしまったので、こうして山間部でもネットにつながってしまう。いいのだか、悪いのだか。月6000円、と聞いて、それなら仕方ないかな、と契約したのだが、その後、ある友人から「でも年7万2千円なんでしょ?」と言われて、グサッとくる。このエアエッジ君に投資した結果、それほどの価値ある何かが返ってくるのだろうか? 単に無駄遣いに終わるのではないか・・・。ま、ためらっても仕方ないので、せいぜい有効利用するしかない。

さて、今年を総括してみると、何が言えるだろうか? 一言で表現するなら、transformationだろう。といっても、新幹線が変身してロボットになることではない(誰も誤解しないだろうが)。自分自身が大きな変容過程にある、ということだ。

制度政策や福祉現場、支援者に「変わる」ことを求める仕事をしていて、でも自分がそれを突きつけられている事には無自覚だった。しかし、実際に自分が外野からヤジを飛ばしているだけでなく、内野で変革のお手伝いというコーチ役をするようになると、まず真っ先に自分自身の態度・有り様が問われる場面が多くなってきた。変な話だけれど、自分の堅さ・偏狭さ・視野の狭さ、といった内面は、相手とのやりとりでもにじみ出てしまう。まさに、前回のブログでの引用を引くなら、「相手からの返答は自分の接し方へのフィードバック」なのだ。そのフィードバックを相手の真実だと誤解し、ああだこうだと批判しているのは、下手をしたら自分自身に向かってつばを吐いているのと同じになってしまう。あぶない、あぶない。

そこで求められるのは、これも前回の内田先生の引用で行くと、「与えられた状況でのベスト・パフォーマンスは何だろうという技術的で限定的な問題に心身を集中する」ことそのものだ。現状を批判している暇があるのなら、「与えられた状況」をじっくり観察して、相手の理屈もまずは理解した上で、その状況下での「ベスト・パフォーマンス」を模索するしかない。今年、私にとっての最大の変容は、空理空論を叫ぶばかりではなく、この「ベスト・パフォーマンス」の模索を始めたことである。外野から駄目だと叫ぶのではなく、内野から状況を判断した上で、実現可能な変容過程を模索するお手伝いをし始めた、とでも言えようか。そういう部分が、去年までは出来なかったのだが、気がつけばその最前線にいて、求められるようになった。

まあ、タケバタはもともと、こういうブリコラージュ的手法は、案外不得意ではないようだ。

「科学者と器用人(ブリコロール)の相違は、手段と目的に関して、出来事と構造に与える機能が逆になることである。科学者が構造を用いて出来事を作る(世界を変える)のに対し、器用人は出来事を用いて構造を作る。」(レヴィ=ストロース「野生の思考」みすず書房、p29)

構造(=理論)を精緻に学ぶ、という「科学者」としての基本は、大きな声では言えないが、僕には苦手である。だが、現場にあるリアリティ(=出来事)を元に、その地域にあった構造を作るのであれば、何とか出来るかもしれない。

「彼の使う資材の世界は閉じている。そして『もちあわせ』、すなわちそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。」(レヴィ=ストロース「野生の思考」みすず書房、p23)

このゲームの規則自体は変わっていない。だが、昨年までと今年の違いは、気がつけば「もちあわせ」の中身が変わってきているのである。それまでの「もちあわせ」にはなかったものが、今は使えるようになった。それと共に、今までの「もちあわせ」の切り札として使っていたいくつかの手札は、そのまま今の状況で使うと、返って場を壊しかねない状況になっている。そう、ルールは変わっていないのだが、場面が展開(変容)しているのだ。その場面の変容に合わせて、自分をどうトランスフォームしていけるのか? その際、ぶれてはいけない視点、変えてもいい柔軟さ、はどの辺か? ここらの見極めが、来年、自分自身が成長できるのか、の大きな鍵になっている。そんなことが、大晦日に整理していたら、浮かんできた。

さて、さらに熟考すべく、温泉につかって一年の垢を取ってくるとしよう。
では皆様、良いお年を!

「仮想敵」という枠組みからの脱皮

 

年末の甲府最終日、プールとサウナに入った後に乗った体重計は75キロ!を指していた。

思えば今年の年始、正月実家暴飲暴食ツアーから帰った時には、84キロを迎えていた。そこで一念発起して運動と食事のコントロールを始めて早一年。75キロなんて夢のまた夢、と思っていたら、案外来れてしまった。ただ、予断は許さない。何故って先週までは77キロとか78キロ手前だったのに、クリスマスの風邪で2,3日あまり食事摂取から遠のいていた、その後の事だからだ。だから、明日からの「正月実家ツアー」に出かけると大変アブナイ。今年は鞄にスニーカーをいれて、出来れば二日に1度は1時間くらい散歩して、何とか激増を防ぎたいのだが

もちろん、その前に一応煤払いも行う。とはいえ、予定もタイトだったし、昨日今日で終わらせる。しかもパートナーがもともとこまめに掃除してくれていたので、結構早く終了。いやはや、感謝、感謝である。で、一番汚いこの仕事部屋を整理していたら、「読んだ後にブログに書こうとして書類に紛れてしまった本」をいくつか発見。それらをぱらぱらめくっていたら、ほほう、という記事に出会った。

「武道は補正と微調整の『折り合い』の芸ですから、その点が面白いのです。武道の技術的な目標は『敵を倒す』ではなく、『敵をつくらない』ということです。(略)『敵をつくらない』というのは、その敵対要素について、そういうものがもうここにある以上、それが出現する以前の現状に回復することはもう考えず、これから先の人生はこのものの存在を勘定に入れて生きる、というふうに考え方を変えることです。(略)与えられた状況でのベスト・パフォーマンスは何だろうという技術的で限定的な問題に心身を集中する。」(養老孟司・内田樹『逆立ち日本人論』新潮選書、151-153)

この内田先生の「折り合い」の説明は、今年の竹端の仕事を象徴するような話である。

今まで、黒か白か、の二項対立的世界、あるいはこのブログでさんざん書いてきたフレーズで言えば、「あんたは間違っている(=You are wrong!)」という背景にある「そういう私は正しい」(I am right!)という枠組みでモノを見がちだった。だが、傍観者ではなく、コーチ役として現場に立つ立場になると、こういう誰かをワルモノにするロジック、では必ず陥穽に至ってしまう。単一の(モノクロの)理由を作り上げると、その批判された側からのハレーションに必ず合う、という失敗を繰り返してきたのだ。つまり、自分の元々ある枠組みに固執して、新たな要素は、その枠組みの内か外か、のどちらかに無理矢理入れて、世界を納得しようとしてきたのである。書いていて情けないが、随分薄っぺらな世界観だ。

そんな世界観だから、あちこちで「それはちゃうでしょ!」と指摘され、赤っ恥をかきつつ、修正してきた。そう、「このものの存在を勘定に入れて生きる」しかないのである。すると、自分のちんけな枠組みを脱構築するなかで、「与えられた状況でのベスト・パフォーマンスは何だろうという技術的で限定的な問題に心身を集中する」しか、自分が出来ることはないのだ。で、この問題に「心身を集中」する際に、大切になってくるもう一つの問題については、もう一冊の「煤払い本」に書かれていた。

「あなたが偏見に満ちた批判的な態度で接すれば、相手も同じような態度で接してくる。反対に、相手を受け入れ敬意を示して耳を傾ければ、やはり相手も同じように接してくるだろう。(略)あなたが相手を受け入れる程度に応じて、相手もあなたを受け入れるかどうかが決まってくるのだ。(略)相手からの返答は自分の接し方へのフィードバックだ。」(マデリン・バーレイ・アレン『ビジネスマンの「聞く技術」』ダイヤモンド社、206-207)

相手を「仮想敵」と見なすかのような「偏見に満ちた批判的な態度」であれば、それは無理矢理「敵」を増やすのと同じである。だが、、『敵をつくらない』ように、「相手を受け入れ敬意を示して耳を傾ければ」、そこから「折り合い」が産まれる。自分の薄っぺらな世界観に固執するのではなく、「与えられた状況でのベスト・パフォーマンスは何だろう」と考えようとするのであれば、このような積極的妥協、ともいえる「折り合い」が必然であろう。

前回も書いたが、20代から最近になるまで、随分肩肘を張ってきた。周りに認められたいから、と、背伸びをするあまり、「仮想敵」を作りまくって、「あれもダメ、これもダメ」と非協調的対応だった。だが、30代の半ばに近づく年になり、気がつけば、自身の発言に、注目が集まるし、若干なりとも影響される方々も出てきはじめた。それなのに、子供の物言い・子供の世界観、であれば、迷惑千万だし、誰にも聞いてもらえない。ちゃんと耳を傾けてもらえる立場に立たせてもらったのだからこそ、自分が誰よりも相手に対して敬意を払わねば。煤払いの二冊は、えらいもうけもんの二冊だった。

あ、明日は4時起き、5時出発なので、ボヤボヤしてないで、床につかねば。
では、次はうまくつながれば、岡山の山間からです。

六甲山の法則

 

はやりものに捕まってしまう。そう、今年流行の胃腸にくる風邪だ。

土曜の夜に、東京で買ってきた生ハムとチーズに、クリスマス用に取っておいた、ちと高いワインを空けてみた。そこまでは問題なし。日曜日は何だか朝、全く何もする気がおきず、ぼんやりテレビの前で過ごす。そして、昼にパートナーが作ってくれた少しオイリーなパスタを食したあとくらいから、何だか胃もたれする。ま、そのうち消化すると思いながら、プールで一泳ぎして、帰りは鳥一でクリスマス用の鳥の丸焼きも購入。この日は行きつけのぶどう農園で今年出来た白ワインの一升瓶を一ケース、分けてもらったので、「今宵は地鶏に地ワイン」と考えていた。ところが

帰宅後、半身浴をしていたが、やはり胃の不快感が無くならない。胃薬もあまり効いていないようだし、それに何より関節や背中が痛む。もしかして、やはり風邪のようだ。その時、風呂で読んでいた本の一節からいろんなことを思い出す。

「何かを失うための最良の方法は、それを離すまいともがくことだ」(G・M・ワインバーグ著『コンサルタントの秘密』共立出版、p131)

このワインバーグ氏の箴言から何を思いだしたかって? それは、「六甲山の法則」である。

昔から、少年タケバタヒロシは胃腸が弱かった。そのくせ食い意地が張ってついつい食べ過ぎるから、よくお腹を壊したものである。そんなヒロシ君の、ある休日の話。その日は六甲山にドライブに連れて行ってもらえることになっていた。ヒロシ君は大のドライブ好き。父親の運転する車の助手席に座っているだけで、うきうきする、そんな少年だった。だが、そんな楽しいドライブの当日、ヒロシ君は誰にも言えない悩みを抱えていた。それは、お、お腹がいたいのだ。昨日食べ過ぎたからかもしれない。とにかく、下痢気味でしんどいのだ。でも、ヒロシ君はどうしてもドライブに連れて行ってもらいたい。せっかくのチャンスを台無しにするのでは、と思うと、正露丸を親に隠れてこっそり飲んで、我慢して六甲山まで向かった。その結果、六甲山で酷い下痢に見舞われ、しかも夏なのに六甲山は寒かったこともあり、さんざんな目にあったのだ。

なぜ20年以上前のこんな逸話を思い出したのか。それは、「したいことが後に控えていると、無理をしてでもそれを遂行しようとする」という自分の癖を思い出したからである。例えば、せっかく地鶏と地ワインを買って、パートナーと二人で食そう、としているのだから、無理をしてでもそれを実現しよう、と。予期された楽しみの為には、諦めずに我慢してでも遂行しよう、と。でも、それって、「それを離すまいともがくこと」そのものであり、その結果として「何かを失うための最良の方法」になってしまっているのだ。

焦る必要はない。鳥もワインもドライブも、また今度があるのだ。「今日しかない」と近視眼的に求めるからこそ、無理と歪みが生まれ、うまくいくはずのものまで台無しにしてしまう。今は食べ物の話だけれど、それ以外にも、いろんな事に対して「離すまいともがく」ことによって、結果的にそれを失ってこなかっただろうか。そんなことに気づいてしまったのだ。

「六甲山の法則」は、ほどよい諦めの決断が、次につながることを教えてくれている。そして、この無理をしないというほどよい諦めを知る人のことを、世の中では「おとな」と呼ぶらしい。32も終わりになって、ようやく大切な大人の一箇条を知ったようだ。

二つの排除

 

土曜日の朝、日の出の時刻、真っ裸で富士山を眺めていた。

ところは「ほったらかし温泉」。たまたま昨晩は10時半過ぎには床につき、パートナーと、「明日早起きしたら、久しぶりにほったらかしにでも行こう」と言ってたら、ほんとに5時半過ぎに目覚めてしまったのだ。6時前の甲府はまだ真っ暗だったが、車を30分ほど走らせて山梨市の山間までやってくるころには、ようやく明るくなってくる。こんな早い時間にもかかわらず、まあ沢山の車が止まっていること。しかもナンバーは練馬に横浜にと皆さんわざわざ関東近県からお越しになる。ここしばらく、テレビで再三この温泉が取り上げられたから、これだけの沢山のお客さんなのだろう。もちろん露天風呂も結構な人の数なのだが、それでも明けゆく空と曇り空の中に見え隠れする富士山を眺めていると、気分がすこーんと開放的になる。

で、開放的な気分もそこそこに、自宅に帰って身支度をした後、今度は東京へ。今日は午後から研究会がある日なのだ。電車の中で予習の本も読めてしまったので、以前から目をつけていた新宿の靴屋に立ち寄る。大阪でお世話になっている髪切り職人氏に教えてもらった靴屋なのだが、今日聞けば、この新宿店が本店だとか。非常に履きやすくて、かつ格好良い靴を、割とリーズナブルな価格で提供してくれている。以前大阪の同系列の店で買った革靴も大変気に入っているのだが、難点は着脱の際に引っかかり、少しくるぶしもいたい部分。今回はそれを伝えると、もっとラクチンな一足を出してもらう。履いてみたら、イメージにぴったり。即決で購入。その後、ジュンク堂でめっけもんの本も買い、伊勢丹ではパートナーがご所望のチーズに生ハムも買って、研究会の場所へ直行。クリスマス商戦まっただ中で非常に混み合った新宿で、しかもわずか1時間の滞在時間にしては、実に効率的だ。たまに都会に出てくるからこそ、「短期決戦」でぴったり決まると、嬉しい限り。

その後、研究会での議論の的が「社会的排除」。
ある本
を下敷きに議論をしていったのだが、もう一つこの概念がしっくりこない。「様々な人々が排除されている現実」はよくわかるのだが、彼ら彼女らは「排除されている立場」として資本主義経済にしっかり組み込まれている。再分配や資源へのアクセスからは排除・制限されているが、そのような立場として資本主義経済に組み込まれている(排除されていない)人々のことを、どう考えたらいいのか、がもう一つわからなかったのだ。

で、帰りの電車の中で、ジュンク堂で見つけた本を眺めていて、疑問にわかりやすく答えてくれる記述にであう。

「社会的排除の問題構成がみえにくくなりがちなこういう状況に対して、非-市民および部分的市民の排除の問題を検討する議論を参照する必要がある。非-市民は『外で排除されるもの』であり、部分的市民は『内で排除されるもの』である。具体的にいえば、非-市民はそもそもシティズンシップを持たない不法滞在の外国人や、国境を阻まれる難民である。部分的市民は、シティズンシップをもっていても二級市民扱いされ、十全な権利を享受出来ない女性やマイノリティなどである。後者に『内からのグローバル化』というベックの概念を重ね合わせるならば、コミュニティ内の部分的市民のあり方こそが、内部に生起するグローバル化の端的なあらわれであることがわかる。」(亀山俊朗「シティズンシップと社会的排除」福原宏幸編『社会的排除/包摂と社会政策』法律文化社、87-88)

研究会で議題に上がった本がフランスを念頭においた分析だったので、亀山氏が整理するところの「非-市民」の排除問題に大きく焦点化されていた。だが、日本においては「部分的市民」と見なされる人々の排除の問題が小さくないだけに、「非ー市民」の議論で「部分的市民」問題をどう捉えていいのか、がよくわからなかったのだ。だが、このように二つを整理した上で、両者の包摂に必要な戦略を提示してもらえると、少し頭の中がすっきりする。

ちょうど研究会でも、「コミュニティ内の部分的市民のあり方」についての議論が進んでいた。特に障害者を「部分的市民」として隔離・収容してきた歴史があり、今、地域移行という政策転換を行おうとしている(その中で多くの問題も発生している)日本において、この問題をどう考えたらいいのか。こういった障害者と社会政策のあり方をきちんと考えるために、研究会に足を運んでいる、というのが、僕の偽らざる実感。そうしてにわか勉強する中で、この問題は奥が深いことがわかってくる。

「『福祉国家のリベラル化』の立場からみると、再配分の軽視は、一級市民と二級市民の格差、『内で排除されるもの』と『外で排除されるもの』の分断を、結果として肯定することになる。『トランスナショナルな包摂』の立場からみると、再配分へのこだわりは、閉鎖的なナショナリティへの執着と同義であり、市民と非ー市民の分断を固定化する。」(同上、95

日本の障害者福祉にのみ目を向けると、議論の中心はやはり「再配分へのこだわり」になる。これはもちろん必要なのだけれど、こだわりすぎることによって、「閉鎖的なナショナリティへの執着」という結果をもたらしてしまう。このあたりのバランスを欠いた議論は、実に危険だ。とはいえ、「一級市民と二級市民の格差」問題を、黙っている訳にはいかない。ここ最近、この研究会で福祉国家と社会政策について議論してきたが、まだまだわからないことだらけ。現場との関わりも続けながら、こういうマクロ的視座からの勉強もし続けないとまずいなぁ、と感じながら、甲府への帰路についていた。

靴と対話

 

なんだか久しぶりの休日らしい休日。土曜日は研究会で終日東京だったが、金曜日と日曜日の2日も休みが取れる。なんて、当たり前なことなのだが、ここしばらくそんなことはなかったので、なんたる幸せ。

金曜日は前からパートナーと約束していた、御殿場のアウトレットまで出かける。靴とベルトを探しに出かけたのだが、ズボンとベルトを購入。濃紺のズボンは、履いてみるとピッタリ、というだけでなく、あら不思議、細身に映る。ダイエットも大切だけど、こういう姑息な手段も時には重要。で、靴を買うつもりで入った革製品のショップで、靴は気に入ったものがなかったのだが、ベルトが自分のイメージに近いものを発見。イメージ、っていうか、単に今のベルトの代替品が欲しかっただけだ。このベルト、確か高校生の頃?くらいに、実家近くのジーパン屋で購入したもの。下手すれば、15年近く使っている計算になる。もうボロボロのヨレヨレ。確か3000円程度で購入したものなので、減価償却はとっくに済んでいる。今回は、皮の専門店で、その3倍程度の額のベルトを購入。多少は見栄えも気にしないと、ねぇ。

で、この革製品のお店で、手入れについて聞く中で、ふと「ラパーを今使っているのですが」と口に出すと「うーん、あれはちょっとねぇ」という話になる。よくよく聞いてみると、蜜蝋の製品は、光沢は出せるけど、皮の保湿には効果がないそうだ。動物の皮も、乳液と同じ成分のクリームが良い、というのは、人間の肌と同じ。試しにヨレヨレの15年選手のベルトにそのクリームを塗ってもらうと、表面がすべすべになる。塗っている際にしみこんでいくのもわかる。お店の人も「今日は暇なんで」と、ついでに財布までクリームを塗って頂く。何だか「店頭実演のおじさんに引き込まれて商品購入」の図式そのものだが、黒と茶のクリームを購入。早速、今日のお休みに塗って見ると、靴がしっとりしてくるのがわかる。なるほど、そんなにカラカラだったのですね。これは大変失礼しました。面倒くさくても、ちゃんと皮の特徴を理解した上で、その特徴に添ったお手入れが必要なようです。

で、かなり強引なのだが、面倒くさくても特徴を理解した上でレスポンスしなければ、というのは、人間でも同じ。こないだとある場で、私がある意見に対応しているのを聞いていた第三者から、「タケバタさんって愛があるねぇ」とコメントされる。「どういうこと?」って聞いてみると、「だって、ああいう発言にもちゃんとレスポンスしようとしているもの」という答え。確かに、その場では、少しややこしい問いが僕に投げかけられていた。でもそこで「あんたはわかっていない」「僕の意図は別にある」という居丈高な振る舞いをすることや、相手の発言を無視するようでは大人げない(といいながら、僕自身、これまで結構そうしてしまっていたのだけれど)。

最近気付き始めたのは、そういう発言の中にも、何らかのヒントが隠されている、ということ。それに気付き始めてから、この種の、ジャストミートではない返球(他人はそれを暴投とかいう)の中には、たまにとんでもなく「拾い球」もある、と思い始めている。こないだもそうだった。

以前も、同じような質問をされたことがあった。その事について、こないだもさらに聞かれる。正直、前回聞かれた時は、「なぜこの人はわかってくれないのだろう」という問いから、「こういうわかっていない人は問題だ」という非難追求モードに変わっていた。きちんと相手の出したボールを、受け止めて、投げ返していなかった。まあ、お陰で「わかってもらえないのなら、論文でも書いて証明してみよう」と一本の論文を書き上げるよいインセンティブは頂けたのだけれど。

今回、3年ぶりくらいに同じような質問をされた。でも、今回は、その相手の発言を聞いていて、他の人に同様な質問をされ、その中で、相手がどういう意図でそういう質問をしてきたのか、の全容がようやくわかってきた。で、わかってきてみると、以前は「あんたが理解していない」という追求モードだったが、逆にそのモード自体が、相手からすると「福祉の研究者は一面的だ」という事の証拠になっている事が判明。つまり、私のその行為含めて、それって「偏りがあるのではないですか?」というご指摘を頂いていたのだ。その偏りを自覚するどころか、頑なにその偏りにしがみついて、「あなたはわかっていない」モードで語りかけてしまっていたのだから、これは何と愚かしい。そういうことに、3年もたってようやく気づかせて頂いたのだから、ちと進歩はあったのだろうか。

そう、面倒くさくても、相手の特徴や意図をしっかり理解した上でレスポンスしていれば、思わぬ「めっけもん」があるんですね。

問題解決の前に

 

快晴の甲府。パソコンのある部屋から見える愛宕山はようやく朱色に色づいている。

今日は今から富士山の麓まで車を走らせる。といっても、観光ではなくお仕事。富士北麓圏域の障害当事者やご家族、支援者や行政関係者の前で、特別アドバイザーとして半年仕事をしてきたことを報告しに行く場面だ。今年は仕事で御坂峠を何回越えたことだろう。全県的に巡って、色んな関係者の話を伺う中で見えてきた課題を整理し、その現場現場に合うような内容を現場に返していく。そういうやり取りが続いて来たし、今日の現場でもそうなるだろうと思う。

こういう場合、正解が一つ、なんてことはあり得ない。その現場の特性に合わせた形で、しかもぶれてはいけない視点だけはしっかり入れながら、現場に受け入れやすい形で伝えていくにはどうすればいいのか。まさに、自分の見立てる力、掴む力、そして伝える力が試されている。そんな試行錯誤をしている最中だからこそ、次のフレーズは、身に染みる。

「返答のパターン
1.最初に、集中する。
2.つぎに、相手の感情の構造に入る。
3.最後に、状況を転換する問題解決の行動をとる。
まず、このパターンを完遂するには創造性を維持する必要があるため、最初はかならずしっかりと集中する。つぎに、相手の発言の『感情的内容』に触れる方法を探し、自分の感情と相手の感情の状態をリンクさせる。感情的内容は『ここにいることをどう思っているのだろう?』という第二の普遍的質問を使えばわかる。最後に、相手は何を実現したいのかという肝心の内容に進み、どのような手段をとれば相手の望む状況に近づくことができるかを判断する。」
(ジェラルド・M・ワインバーグ『コンサルタントの道具箱』 日経BP社、p150に基づき、文章は一部省略と入れ替えをしている)

色んな現場に呼ばれ、時には研究室にお越しになり、様々な論点が出される。そこで、何らかの対応が求められる。その際、振り返ってみると、この3つのプロセスを経ていけば、何らかの打開策が見つかっていく。逆に言うと、「相手の感情の構造」を理解することなく、もっともらしい答えを出したところで、問題は何ら解決しない。この相手とは、担当者個人レベルのこともあれば、その部署レベル、あるいはその地域レベル、と言うこともある。とにかく、感情的なものに入っていくためには、こちらも自分が集中して、感情的に安定している必要がある。

そういう機微が、少しずつだが、わかりはじめた。学生であれ、市町村であれ、当事者であれ、支援する際の基本は「相手の望む状況に近づくことができるか」であることに何らか変わりない。こちらの価値観を押しつけるのではなく、「相手の望む状況」への接近支援、それが今の私に課せられているミッションだ。だからこそ、自分が集中できる余裕がないと、物事はうまくいかない。今日もルンルン富士山を眺めながら、気持ちよくドライブして出かけるとするか。

引っかかった骨

 

喉に骨がつっかかると、気持ちが悪い。
よけて食べたつもりなのに、喉の奥で突っかかっている。ご飯を呑み込んでみても、なかなか一緒に流れてくれない。忘れたふりしてご飯を食べ続けても、喉の奥からその存在を絶え間なく教えてくれる。

そんな、引っかかった骨のような言葉もある。

自分が何気なくその場の雰囲気の中で口から出た言葉。その中で、こちらは意図した訳ではないのに、結果的に何らかの「ひっかかり」が残ってしまった言葉もある。意図せざる結果、バタフライ効果のように、あらぬ方向から、何らかのハレーションが生じることもある。

その際、真っ先に頭に浮かぶのは、自分の意図を強化する形での「○○のつもりだった」「それは誤解だ」「俺は悪くない」。しかし、なんと主張したところで、現実に小骨は突き刺さっている。意図とは違っても、大骨ではなくても、確実に、自分が簡単に取れないところに、何らかの骨が突き刺さってしまっているのだ。

さて、どうしたものか。

もちろん、実際の骨の大半は、そのうちに取れる。
それと同様に、言葉の小骨も、意図せざるにせよ引っかけた側は、そのうちその発言を忘れてしまう。ただ、魚の骨と言葉の違い、それは、言葉の場合、引っかかった側はなかなか忘れてしまわない可能性がある点だ。その骨がずっと突っかかるばっかりに、相手に対して、微妙な距離感や、下手をすれば一生の傷になる可能性もある。

意図せざる結果、であっても、結果的に小骨が引っかかっている。
この引っかかった小骨、個人の努力だけでは取れないことも勿論多い。だが、だからといって「知らんぷり」をしているのか、出来る範囲で誠実に「ご飯を呑み込む」、つまり骨を取り去る努力をしてみるか。そのどちらかで、大きく変わる。

魚を食べなければ、小骨は引っかからない。言葉を発しなければ、ハレーションは起こさない。
しかし、僕は魚も言葉も必要としている。

骨はどうやってとれるのだろう。そして、この引っかけた一件から、僕自身は何を学ぶのだろう。
何にせよ、同様の「引っかけ」だけは、繰り返したくない。

ぶれない原則

 

鍋では山椒の佃煮にブリ大根がグツグツいっている。

久方ぶりにちゃんと食事を作っている。日曜はお隣の長野県に出張。仕事のついでに立ち寄った諏訪の魚屋で甘エビにブリの刺身に生牡蠣をゲット。ついでに半額になっていたブリのアラも買って、夜の間に仕込んでおく。最近この仕込みの時間がとれなくて、なかなかきちんとした料理が作れないのが残念。だから、パートナーがもらってきた山椒も佃煮にするために、ついでに火にかける。つまみ食いしているうちに、口の中が「ぴりりと辛い」。でも、ゆっくり料理が出来るのは、至福の時間である。お供のコノスル(白ワイン)も美味だ。

というくらい、悲しいかな、最近はドタバタする日々。結局11月はブログの更新がたった三日。たぶん、これまでのワースト記録だ。土曜日には、このあやしいブログを読んでます、と仰る奇特な方にも遭遇。でも、こんなに更新が少ないと、さすがにもう読まれないよなぁ。と思ってみたり。

土曜日は東京で朝から学会主催の研究会に出席。自分の発表もあったが、他の基調講演や実践発表もすごく楽しめた。それだけでなく、事務局の人々の細やかな心遣いに脱帽。R大学の大学院生の方々なのだが、現場のソーシャルワーカーでもあるので、非常にしっかりした事務局体制で、かつ細やかな気を遣っておられる。アドミニストレーションがしっかりしている会は、本当に参加していて気持ちよい。ありがたい限りだ。

ありがたい、と言えば、なんと私の博論を読んだ、という方にまで遭遇。自分の論文は、誰も興味が持ってくれない蛸壺分野で水脈のない井戸を掘っている気分だったので、多少なりとも興味を持ってくださる方と遭遇出来るだけで、ありがたい。きちんと井戸を掘り続けなければ、と気持ちを新たにする。

で、強引に数珠繋ぎしていくと、気持ちを新たにするフレーズは、今日の風呂読書の一節にもあった。

「大学教員という恵まれた、安定した境遇に身を置きながら、そして自らの行動に目を向けることなく、自分の分析対象を厳しく断罪するのでは、おそらく多くの理解と共感を得ることは出来ないだろう。他人に向ける厳しい批判の目は自らにも向ける必要があるし、自分自身を許す行動は他人をも許さなければならない。(中略)反論の余地のない極めつけの言葉を並べられ、積極的な前向きの意欲がわいてくるわけではない。むしろ逆である。かえって意気消沈し、今度こそ本当にやる気を喪失してしまわないとも限らない。私たちは他人から理解され、評価されることによって、自らを動機づけることがある。極めつけはどの対極にあって、相手を全面的に否定してしまう。それが『理論』の名において、あるいは『専門家』の口から発せられることのマイナスの効果は絶大である。」(「『論理的』思考のすすめ」石原武政著、有斐閣 p113-4

商店街をフィールドワークにしておられる経営学者の箴言は、福祉の現場にもそっくり当てはまる。「反論の余地のない極めつけの言葉」がどれだけ巷にあふれているだろう。いくら研究者がああだこうだ言ったところで、結局の所、現場の最前線にたつ方々が「積極的な前向きの意欲」を持たない限り、何もかわらない。なのに、その現場の人々をディスパワメントするような言説が、何と研究者などの外野からはかれていることか。高見の見物、というのは、本当にたちが悪い。「『理論』の名において、あるいは『専門家』の口から発せられる」言葉には、好むと好まざるとに関わらず、権威やパワーがつきまとってしまう。だからこそ、そのパワーが現場の方々のエンパワメントにもディスパワメントにも繋がることに、自覚的であらねばならないのだ。

それは、今日のケアマネ研修の現場でも強く感じた。

今日から県のケアマネ従事者研修(初任者)の講義が始まった。今回、5日間のプログラムを、特別アドバイザーの立場から、コーディネートさせて頂いた。その関係もあり、今日もあれこれ喋っていたのだが、現場の皆さんを前にして、私が何を語るか、も大きく問われている、と実感。なんせ相手の皆さんは、私とは違い、実際の相談支援の最前線にたたれる方々ばかりである。自立支援法の批判をしたところで、その自立支援法を活用して、現場の支援を組み立てるべき役割をもたれている。「○○が悪い」といっても、実際に明日の支援にどう結びつけるのか、現場をどうよりよくするのか、が問われている方々だ。その方々に、多少なりとも腑に落ち、かつ元気になって現場に帰って頂くために、どのような講義内容が必要だろうか。そういうことも、ちゃんと考えると結構たいへん。でも、博論以後、ずっと追いかけているのが、そういう「支援者が諦めないための何か」なので、こういう現任者講習のコーディネートを任せて頂けることも、感謝感謝。

「自分自身を許す行動は他人をも許さなければならない」と言われたら、ほとんど何の行動も「許」しまくりになりそうだ。ただ、どんな場合でもぶれてはいけない原則として、「聞く耳を持つ」「変化を恐れない」「何とか自分の頭で理屈を構築」ということだけは、譲れずに大切にしている。これらを大切に護り、どう当事者の権利擁護を大切にした研修なり、支援なりが構築できるか? ここらが課題だよなぁ、と思いながら、仕事おわりの赤ワインも身にしみる今宵であった。