10月末といえば・・・

ようやっと、報告書にまともに取り組み始めた。

今朝は起き抜けに大学に行き、以前読んで重要そうなレポートをごっそり持って帰る。本当は昨日から学園祭が始まっていて、そっちに顔を出したい、とも思っていたのだが、どう考えてもこの週末しか報告書に使える時間はない。さすがにそういう瀬戸際で余裕をかましてもいられないので、朝一番に資料だけ取りに行って、あとは今日も家で引きこもり、である。

おかげさまで昨日ブログを書いた後、ようやく報告書でまとめる方向性が見えてきたため、今日は一日コリコリ中間まとめを基にブラッシュアップしているうちに、だいぶ大枠が定まってきた。何となく6割の壁は今日一日かけて越えたようである。あとはみっちり残りの4割を固めたら、来週末あたりには何とか脱稿出来そうだ。これまで読んできた資料を改めて眺めてみて、結構色々読んできたんだなぁ、そのわりに頭の中に残ってないよなぁ、と思う。でも、中間まとめを今より時間的余裕がある時にかなり真面目にやっていたので、その努力のおかげで何とか取り繕うことが出来そうだ。1月の自分に感謝、感謝、である。

明日は、朝5時15分!!発の高速バスに乗って、成田空港に。スウェーデン滞在中にものすごくお世話になった皆さんが日本に来られるので、お出迎えに行くのだ。そういえばスウェーデンに移り住む事になったのが、2003年10月20日。その直前は目の回るほどのドタバタで、当日朝は準備で一睡も出来ず、明け方から集中力も全くなくなりぼーっとしていて、「準備はどうなったの?」と妻に怒られる始末。その後、泥縄的にパッキングし、ギリギリの時間で空港バスに飛び降り、飛行機ではグッタリ。あげくの果てに乗り継ぎ地のシャルルドゴール空港では荷物を落としたのに2人とも気づかず、心優しき通行人に持ってきてもらう始末。しかも、スウェーデンでお世話になった人とは事前にメールでの連絡が取れず、電話でも数分話しただけで、ほんとに迎えに来て貰えるのか、来て貰えたとしてホテルは取れているのか、そもそも半年間の住居はどうするんだ・・・そういったことは全くわからないまま、のイエテボリ入りだった。なので、肉体的にも精神的にもボロボロな状態で、スウェーデンにたどり着いたのだ。そんな消え入りたいほど疲れ果てて辿りついたイエテボリの空港で、一度だけ会ったことのあるAさんが笑顔で迎えに来てくださった時、本当に涙が出るほど嬉しかった。実際、泣いていたような気がする。以来半年、Aさんには本当にお世話になりっぱなしだった。なので、今回は何が何でもAさんのお出迎えに出かけたい、と思ったのだ。

「そういえば」、つながりで言うと、今日、久しぶりに大学院時代の後輩からメールを貰う。彼も今、D論を書きながら、就職活動もしている模様。そういえば、一年前の今頃、と言えば、現大学の一次面接通過のお知らせを頂いた頃だ。ここ数年、この時期に毎年境遇が全く違っている。3年前の今頃、と言えば、D論をまとめるための調査がようやく終わり、泥縄的に調査結果の骨格が形作られ、あと50日あまりで何とかフィニッシュに向けて行けるかも、と一筋の光が見え始めたころだった。あのときは、もう自分の論文で精一杯で、生活は奥さまに全面的に支えてもらっていた。それが、2年前は、先述のようにスウェーデンにいて、10月末にようやく生活の拠点となるアパートが見つかって契約を終えた頃だ。拠点が見つかったことにホッとしながらも、本当に半年で何処まで調査が出来るんだろう、と不安で一杯だった。そして昨年の今頃、グランドデザイン案の分析をしながらも、3回落ちた二次面接の事を考えると、本当に次に通るんだろうか、そもそも就職が出来るんだろうか、と半ば絶望的な気分だった。そして、まだ見ぬ山梨に、色々思いを馳せていた。

そんなことを様々に思い出していたから、今日は溢れるほどの様々な想いが去来しながら、仕事をまとめていた。やっぱり、本業をコツコツボチボチやり続けるのが、一番真っ当なんだなぁ、とささやかな幸せを噛みしめていた。明日、Aさん始め皆さんに再会できることを楽しみにしながら、今こうして山梨で幸せに暮らせていることや、陰に陽に助け続けてくれている奥さまに、心から感謝しながら、ボチボチ眠りにつこう、と思う。来年の今頃は、どんな10月末を迎えているのだろうか・・・。

飛び込みと自家撞着

気がつけば秋真っ盛り。でもタケバタは自宅で引きこもり、である。

今月末が締め切りのアメリカ報告書が全然出来ていない。ので、今日明日と缶詰、のはずなのだが・・・。その前に、恐ろしいほど自分の部屋が散らかっている。これを何とかせねば、やる気が全くでない。今朝は2週間ぶりに二度寝も出来て熟睡はバッチリ。昼頃活動を開始し、2時間近くかけて、捨てる、処理する、メールする、電話する、クリーニングを出して取りに行く・・・などをしていた。そう、完全引きこもりではなく、近所までは出かけたのです。秋晴れの気持ちのいい青空、近くの山々はようやく色づき始めた。で、おうちに帰ってさらに整理を進めていると、気がつけばもう午後3時。

今日はお休みの奥さまが「鳥一」で美味しい唐揚げを買ってきたので、そうめんを茹で、ようやっとお昼ご飯。2人とも腹が減ってイライラしていたが、ご飯を食べたらようやっと落ち着く。奥さまは何だか頭が痛いようで再びお休みになり、僕はきれいさっぱり整った部屋で仕事の準備。半年前に書いていた「中間メモ」を元に、さてこの先どうしよう、と逡巡する。

で、逡巡しているうちに、肝心の仕事に関する集中力が切れてきて、メールを見たり、ネットサーフィン、そして読書ブラブラ・・・としていると、もう気づけば外は真っ暗。あかんがなぁ!の心境である。これって、受験生シンドローム、とでも言いましょうか。勉強しなきゃいけないのに、集中できず、ぼーっとしているうちに時間が流れ去り・・・というおきまりのパターンなのだ。一定のクオリティのお仕事を求めて、それが出来ないでいる自分にイライラして、最初の一歩が踏み出せず逡巡しているうちに時間が流れ去る、これってそういえばどこかで見たような・・・。

昨晩、仕事から帰ってきてクタクタになりながらこのブログを書き上げ、風呂に入って「さあ、ビール」と思ったが、冷蔵庫には一本もない!! 悲嘆にくれ、ふてくさりながら、焼酎ロックを作って久しぶりにボンヤリ深夜番組を眺めていた。あるバラエティ番組で、女性タレント3人に目隠しをしたまま10メーターの飛び込み台までつれて来て目隠しがはずされ、初めてその状況を認識する。そんな状態で、目隠しをはずしてから何分で下まで飛び込めるか、を実況する、まあわかりやすい番組だ。で、一人目の女性芸人は、下を見て逡巡しているうちに恐怖が全身に伝わり、飛び込み台の先端で文字通り「固まって」しまっていた。その後、大声で気合いを入れたところで、最後の一歩がなかなか踏めない。結局40分くらいたって、スタッフや他の出演者のじれったさを肌で感じたのか、仕方なしに飛び降りた、という始末。三人目のタレントも、同じような顛末だった。

だが、二人目のタレント(水野裕子)だけは違った。目隠しをはずされ一瞬とまどうも、ストレッチを十分行った後、「そろそろいいっすか?」と尋ね、その後すぐに何の逡巡もせず、いきなりドボン。番組的には本当は面白くない(だってスポーツタレントをビビラせて普段の活躍との落差を楽しもう、という趣旨がみえみえ)だろうが、彼女の行動は、なるほどなぁ、と思わせるものだった。だって考えて見てくださいよ、他の2人のタレントだって、どうせ飛び降りなければ番組的に「使ってもらえない」というのはわかっているはず。なのに「飛び降りなんてムリだよう」とマジでビビっておられたとしたのなら、それは明らかに戦略上の失敗だ。だって、「怖いと感じるほどの時間的余裕を自分で作ってしまった」から。

ある状況下で、それを遂行する以外に今日のお仕事が終えられない、というセッティングの中で、「怖い」という余計な事を入れてしまえば、結局心理的負荷が増えるばかりで、何の解決策にもならない。だって、「怖い」と考えたところで、収録中にその番組から降りることは出来ないからだ。ならば、怖いというファクターに全身を支配されないうちに、グタグタ考えないで、さっさと飛び込みなりなんなりすませた方が、心理的にごっつう「楽」だからである。しかしむろんそこは腐っても芸能人の皆さま。もしかしたら、そんなことは織り込み済みの上で、「普段の強気の私との落差がテレビ的にオイシイ」などと演技されている可能性もあるのだろうけど・・・。そんなことを、焼酎ロックでボンヤリした頭で感じながら眺めていた。

で、何が言いたかったのか、というと、今のタケバタに戻れば、最初の一歩に逡巡していてもしゃあないのである。だって、放っておいても報告書は書かねばならない。ならば、つまらなくても、稚拙でも、何か書き始めないと、永遠に終わりは来ないのだ。そして、スタート時期を延期すればするほど、考察する時間的余裕を自分で削っているだけだから、結局はためらった時間分、クオリティが下がる可能性があるのである。クオリティの高さを希求して逡巡するうちに、その高さを保障する時間を削る、これでは自家撞着そのものだ。

と、ここまで書いて、自分を追い込むタケバタ。さて、アップロードして、報告書モードに戻りますか。

おしゃべりガッパと花咲じいさん

今日でようやく一区切りがつく。

先週の月曜日以来、ずっと働きづめだった。しかも金曜から月曜まで講演ツアー、そして今日は南アルプス市の市民講座、とこの1週間で5日も講演やシンポジウムのコーディネーターなどをしていた。もちろん通常通り火曜から木曜にかけて授業3コマとゼミや演習が4コマあって、その上にお客様も学生、同僚の先生、マスコミの方々と千客万来であった。まあよくしゃべることしゃべること。節操なくしゃべり続ける自分にあきれる。だが、さすがに身体はキツイようで、もうグッタリしている。それでもなんやかんやと今日もヒートアップしてしゃべっている自分はいったいなんやねん、と思ってしまう。

「なんやねん」と言えば、今日、生涯学習センターの方から、30分テープを頂いた。この前FM甲府の番組に出た時の出演テープだ。実は今度は山梨放送ラジオの30分番組の収録があるので、自分が以前出演したラジオ番組のテープを聴いて問題点をチェックしよう、と思ったのだ。夕方テープをもらい、南アルプスまで講演に行く途中に車内で聞く。ここでも、やはりタケバタはしゃべる、しゃべる、しゃべる・・・。聞き手のS先生の先導の元、まあ好き勝手にしゃべりまくっている。むむむ・・・。30分って意外と長いし、こんなにぎょうさんのネタをしゃべっていたのか、と感心しながら、聞いてしまう。以前は自分の録音した声が甲高くって大嫌いだったが、このときは意識的に低い声でしゃべったようで、まだ何とか聞くに堪えた。今度の収録では、低い声、センテンスと話は短く、簡潔明瞭な内容、の3点は心がけねば、と思う。実はこの3点が授業で一番出来ていない、と思うからだ。つまり、高い声で、話は長く、わけわからんまだるっこしさで・・・こりゃあこんな話を聞いたら、僕だったらイライラするよねぇ・・・。

そして、今日は3年ゼミの皆さんの夏休みの宿題の講評と、秋以後の課題について、の話し合いだった。1期生の皆さんは、ホントにがんばった。5000字レポートを全員ちゃんと書き上げてきたからだ。現場体験を言語化し、その中から課題点やキーワードを見つけようと模索している。それを、ゼミ生全員で講評しあい、次なる課題や、文章上の問題点などを指摘し合うのだ。こういう学び合い、お互いの意見のやり取りの中から、自ずと皆さんの課題が浮き彫りになってくる。やはり、ちょっと難しいくらいの課題の方が、格闘する中で皆さんのスキルがアップしていくし、これからもドンドン成長が期待できるだろう。

秋以後の3年ゼミでは2,3週に一度、本を読んでレジュメの発表、という課題を出していくが、皆さん関心のキーワードが絞れてきたので、その延長線上にある本の発表なら、「しんどいけれども不可能ではない」段階までやってきた、と思う。この「しんどいけれども不可能ではない」という課題と格闘する中で、もう一皮二皮向け、学びや発見、それを通じた喜びまでもがより深く形成されていく。人生は天秤だと思っているタケバタなので、学生さんの喜びの天秤を増やすためには、それに見合うだけの負荷(自分なりの努力)があってもよいと思っている。教員としては、その努力が無駄に終わらないように、きちんと適切に見守っていくことだ。

そう、僕の教育上の仕事は花咲じいさんでもある。学生さんの心の中に関心の芽を育て、ゼミ生の方々はその芽から大輪が咲くように支援すること、なのだ。たんなるペラペラしゃべり続けるおしゃべりガッパ、ではいかんのである。精進しなければ口ばっかり、となってしまう。気をつけようっと・・・。

壊れたパソコン

ノートパソコンが急に吹っ飛んでしまった。

ところは関西ツアーからの帰りの「しなの」の中。木曽路をずんずん突き進む振り子式電車に揺られながら、少しだけ仮眠をとって、さあて火曜の準備でもしようとダイナブック君を開け、起動時についでにワードを立ち上げようとした、ら、そのまま固まってしまった。あれま、と思い、強制的に電源を消して再起動させると、どうもいつもと様子が違う。立ち上げた後、真っ暗なままで全然先に進んでくれない。こりゃあふてくされたのかな、と思い、しばらく様子見よう、と電源を落とし、車内では田中康夫と浅田彰の対談集をボンヤリ読む。康夫ちゃんが相変わらずぶっ飛ばしているのを、ふふんと思いながら読んでいるうちに、塩尻に到着し今度は「あずさ」号に乗り換え、甲府にようやく到着。我が家にたどり着いてもいちどダイナブック君に電源を入れると、恐ろしい表示が。「起動システムが壊れたので、リカバリーCDを入れてやり直してください」 おお、本気で壊れてしまった。

思えばこの間、そうとうダイナブック君をぞんざいに扱ってきた、と改めて反省。スウェーデンに行く直前に購入したのだが、滞在中も帰国後も相当乱雑に扱う。鞄に入れて鞄ごと放り投げることがあったり、どすんと落とすことがあったり。そう思うと、よくぞ今まで何もいわんと持ちこたえてくれた、と感謝したくなるほどだ。で、リカバリーCDを入れたら直るのねん、と思いながら、それが入っている「はず」の所を探してみて、汗が噴き出る。ないのだ!!!! なんでよ。ここにダイナブック君関連のCDは全部まとめて入れておいたはずなのに・・・。ない、ない、ない!! 何度もその箱を調べなおしたが、出てこないものは出てこない。暗澹たる気持ちで東芝のHPを見てみると、「リカバリーCDは再発行出来ません」だって。どうする、タケバタ。このままリカバリーCDがなければ、あのパソコンはおだぶつなのか・・・。とほほ。でも、今のところ、研究室に置いているプリンタの箱に入っているかも、と最後の望みを託している。おだぶつにしたくないので、あとは文字通り「一縷の望みにかける」心境だ。

「一縷の望み」と言えば、ここ3日間、自立支援法関連での講演が続いた。一昨日は神戸、昨日は大阪、今日は韮崎、だ。どの現場でも、地域でどれだけ実体的に自立生活支援の受け皿を作り出せるかが鍵だ、と延々としゃべり続けていた。自立支援法案は今週中にも国会を通過する勢いだが、これからは「法案の使えるところは使い倒し、使えない部分はどう地域で実体化していくか」という是々非々の論戦が始まると思う。そのとき、障害者内で「パイの奪い合い」をするような醜い泥仕合をするのではなく、3障害の障害者が連帯を組み、その輪を家族、支援者、そして地域の一般住民へと拡げ、どう実体的に地域自立生活支援体制を構築していくか、ここにかかっていると思うのだ。そういう意味で、一縷の望み、といえば、地域をより豊かにすること。なので、今日の韮崎でも、圏域ネットワークがどれほど大切か、に力点を置いてお話させて頂いた。ここ3日間、会場はどこも7,80人のお客様で一杯だ。改めて、この法案への関心の高さがよくわかる。なので、少しでも皆さんに「がんばらなくっちゃ」というポジティブなおみやげを持って帰って頂きたいから、地域での連携の大切さを説いてまわる。地域自立支援協議会含め、地域のしかけが実態を変える最大の契機になる、という「一縷の望み」を抱いて。

韮崎からの帰り、いつもの農産物直売所で、ルッコラを発見!! 日本ではロケット草とも言われているが、アクが強く、かおりも強いイタリア発の美味しい青菜。しかもしっかりつまって100円とは何ともお得。早速今宵の夕食にサラダで頂いたが、香草独特の香りの強さがアロマとして全身に広がり、なんともここちよい。あとはいつものコスパ!で買ったワインが昨日届き、チリ産の白ワインと合わせるが、なんとも相性の良いこと。ワインもルッコラもすっかり平らげてしまいました。

最後に報告すべしは雄大な富士山。今日は朝も夕方も、くっきり晴れて、初雪のかぶる富士山が実に雄大にかつ素晴らしく映っておりました。特に夕方の韮崎から帰りの富士山の風景は、ほんとに心から見とれてしまった。引き込まれるようなすっきりとした富士山の形よ。確かに太宰が照れくさくなるのがわかるくらい、「ペンキ絵」的なハッキリとした主張で詰まっている。しかし、こういった形容詞がいらないくらい、ほんまに心から美しく、心奪われる姿だった。

そんな富士山に心奪われた今宵、東芝に電話をかけたらなんと「もともとリカバリーCD」などなくても再起動できる、と教えて貰った。あら、ラッキー。早速動かしてみると、問題点が氷結。だがそれと当時に、新たな問題点も・・・。まあ無事に直っただけでも、よしとしようか。

般若心経とコーディネーター

京都の本屋では般若心経が流れていた。

所は近鉄名店街、なんて書いてもわかる人はごく少数に違いない。近鉄京都駅そばの書店での話。奈良での講演の帰りにふらっと立ち寄ったその本屋で、新刊書を探そうとしていたら、なにやら騒々しい。しかも、なんだかアカペラ! 耳をそばだてるまもなく、はんにゃーはーらーみーたー・・・と合唱がこだましてきた。まあ、そういうCDを聞きたくなるときも人生あるかもしんないけれど、どうせだったら本屋で大音量で流すのはやめてくれません? せっかく立ち寄ったのに、集中力はそがれまくり。宅建だの英会話だののCDが書店で流れていても気にならないが、大音量の般若心経は、入り口から一番離れた場所でも、音量は小さくても耳につく。落ち着いてブラブラ出来ないよ、でも立ち読み対策としてはいいかも、など呟きながらも、手には三冊しっかり持って、早々に退散する。

金曜日から関西3日間ツアー。初日は奈良県で精神保健福祉の情報公開に関するシンポジウムのコーディネーターの大役を仰せつかる。この問題、一度奈良の実状も調査した上で報告書にまとめたことはあるのだが、もう1年半以上前の話。以後新しい動きもあるし、何より自分自身がこの問題を忘れかけていた。なので、行きは朝一番の電車にのって奈良までやってきたのだが、車中では珍しく真面目に、付け刃的にわか勉強に勤しむ。

色んな文献にバラバラに精神保健福祉の情報公開のタイミング、方法論、開示すべき内容・・・などが示されているが、どれを読んでもその全体像は見えてこない。一方で、ごく一部の専門家を除いて、いきなり「情報公開」なんて言われても、ギョギョッとするか、あるいは他人事と気にしないか、のどちらかだ。なので、多くの人が精神保健福祉における情報公開を「関係ある」「自分事」と認識して捉えるためには、まずは精神保健福祉における情報公開についての基本的なポイントを押さえてもらったほうがいいのでは・・・。そう気付いて、乗り換えた新幹線の車中で、いつものようにるんるん車内で図解しながら、整理してみた。すると色んなことがわかってきた。それが「情報公開の5W1H」である。

なぜ情報公開するのか? 措置から契約制度に変わって医療も福祉も「選べる」時代になった、と言われる。でも実際に選ぶ際には、選ぶ対象のいろんな比較情報がないとわからない。これが一つ目。二つ目は医療や福祉は患者と当事者の間で情報の非対称性があり、専門家への「おまかせ」が進む中、一部専門家による権力性・密室性の乱用が進み、それが精神病院や施設における人権侵害の温床となった。なので、その乱用防止のために公開が必須。そして三つ目に、医療も福祉も税金や保険料など大量の税金を投入しているのだから、投入された公金に対するアカウンタビリティがある。つまり選択、権力監視、説明責任のための情報公開なのだ。

なあんて書いてみるとごく当たり前のことなのだが、この当たり前のことをきちんと説明してくれていないのです。専門書、といわれるものには。なので、そんな「精神保健福祉の情報公開に関する『当たり前』」を5W1Hで整理しているうちに、自分自身がすっきりしてきた。これならまとめられる!と納得出来た段階で、気付いたらもう会場の最寄り駅。立派な会場で400人以上の皆様の前で、のコーディネーターのデビュー戦、である。

コーディネーターというのはその実、一人で講演するより遙かに大変だ。なんせ、自分勝手に1時間なり1時間半なり喋るのはおしゃべりタケバタとしては何の苦もない。だが、そもそも自分の持ち時間が限定されるだけでなく、しかも司会者として他のシンポジストのお話の魅力を引き出し、ひとつの流れにそれとなくまとめ、会場からいろんな質問を受け付けながらそれを各シンポジストに裁き、時間通りか5分遅れくらいで話をまとめ、最後に「今日は何となく面白かったね」「勉強になったね」と来客された方々に持って返ってもらえるようにうまくオチをつけなければ・・・。これは結構難題である。その昔、関西ローカルだったと思うのだが、笑福亭鶴瓶と桂ざこばが会場から即興のキーワードを3つもらい、その場で三題噺を演じる、という「らくごのご」という番組があった。コーディネーターというのは、ある種「らくごのご」的即興性が必要なのですね。果たしてちゃんと「オチ」たかどうか、それは来て下さった方々のみが知るはなし。その実は・・・さあて、ねぇ。

その後、シンポジストの一人であった、僕にとっての大阪の「お母さん」と、その「お母さん」の下で働く「妹分」と3人で打ち上げ。西大寺の駅前で、七輪で地鶏を焼いて頂くのが、いと美味しかった。出来はともあれ、仕事を終えたビールほど美味しいものはない・・・なんて、こんな月並みなオチでしか話を終えられないようでは、まだまだ「はなし家」としては未熟者ですなぁ・・・。

「おばかさん」な私

「私たちは知性を計量するとき、その人の『真剣さ』や『情報量』や『現場経験』などというものを勘定には入れない。そうではなくて、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する。」(「ためらいの倫理学」内田樹著、角川文庫より)

この基準で判断すると、僕は結構「おばかさん」だと思う。自戒を込めて。

「自分の善意に紛れ込んでいる欲望」の「意識化」は、そうとう自分自身に言い聞かせないと難しい。ましてや組織に属している人間にとって、組織的行動における様々な自身の発言・行動に対して、この視点でのスキャンをし続けることは、結構大変だ、と思う。でも、このスキャンをしない「生」の考えや行動は、「僕は見たことがあるから」「経験したから」「これは論理的に正しいから」という一面的で偽善的な部分がある。だが、ものごとは論理的、だけではうまくいかない、とこないだお会いしたある会社の社長さんも言っていたっけ。論理的に正しい、ことを言っても、心情的にみんながついてこれるものではなかったら、どれだけ「正しい」と経験的・論理的にわかっていても、うまくいかない、と。だって、ある人の正しさと、他の人の正しさは微妙にその方向性や位相が「ズレ」ているから。ならば、その「ズレ」を自覚した上で、自分のみの「正しさ」に固執せず、周りの人々の「正しさ」の方向性や位相との「ズレ」も包含するような統一的見解を、その考えが受け入れられる、という環境が整うまで待って、そのタイミングを逃さずに「それとなく」ひろめていった方が、実質的にモノは動くのだ、というその方の発言は、まさに卓見だなぁ、と思った。

でもまだ僕は色んな局面で、まだ自分が「見た」「経験した」「考えた」正しさを、周りの温度や環境、雰囲気も考えずに「正しい」と提示している部分があると思う。しかも、それを自分の善意に基づいている、と信じ込んで提示しているから、「おばかさん」度も結構大きい。こういう「おばかさん」こそ、もともとタケバタ君自身が一番お友達になりたくないタイプなので、これなら近親憎悪ではないか、と気付いてしまう。あれまあ。

ま、それでも去年までは一匹狼でやってきたから、被害は自分自身にふりかかるだけで済んでいた。しかし、今は大学に雇っていただいてお給料を頂く組織人。なのに一匹狼の時のノリでやっていると、足すくわれるだけでなく、何より組織全体に迷惑をかけかねない。自分の器の小ささを自覚した上で、出来る限りおしゃべりタケバタの言動をスキャンディスクにかけながら、あまり調子にのらずにコツコツやっていこう、そう思う。あと、調子に乗りすぎない為にも、真面目に論文を書く準備と授業準備に専心しなきゃ、とも。そう、本業を本気でしなさい、ということなのです。

継承するパス

トップページの写真を変えてもらった。

これで3回目になる。1回目の写真は真冬のコペンハーゲンの写真だったのだが、さすがに真夏に暑苦しい写真もどうか、と思って、カリフォルニアの海岸での写真に変えてみたのだ。でも、どアップの自分の顔はさすがに見苦しく、今日マジマジ見て顔が相当老けてきたことも発見。こりゃあいかん、お見苦しい、と、あんまりない在庫の中から、おとぼけの一枚を探してみたら、ようやく出てきた。国内某所で撮りました。さて、背景に写っているものは、なあんだ?

今回の写真の変更も、このHPwebmasterであるmamnag氏の素早くかつクオリティの高いお仕事に支えられている。彼がいなかったらこのHPは全く成り立たない。本当に感謝深謝。なにせ本業でめちゃくちゃ忙しいはずなのに、メールを送って15分後にはもう変わっていた! 出来る人は本当に仕事が速いのね・・・。それに比べて色々リスのように仕事をため込んでいるタケバタときたら・・・と反省しながら、せっせこ週末から来週にかけて、神戸大阪韮崎でお話しする原稿の最終仕上げとメール発送作業を行っていた。90分の講演でパワポ28枚+関係資料15枚。本体だけで1枚3分。そんなアホな、の世界である。そりゃあ某K先生のように、パワポを何十枚も用意しながら5枚しか終わらなかった、という事にはならないよう気をつけなければならないが、この間パワポが増えるほど、早口で全速力でしゃべる日々が続いている。ちょっと内容の精査も必要なようだ。

今日はまた、研究室にお世話になっているある方が、どっさり本を持って現れた。「僕はもう使いませんから」と、その方がご専門にされてきた分野の本をどっさりお持ちくださったのだ。理由をお聞きすると、ご自身の仕事に一区切りをつける際に、若い人の教育に役立ててほしい、と私に白羽の矢を当ててくださった、とのこと。頂いたパスの大きさ・重さを噛みしめながら、しっかりと受けとらせて頂いた。

僕はかように、パスを投げて頂くこと、受け止めて頂くことが多い。前述のmamnag氏は、僕が学生さんや後輩にパスを出し続けたい、それをwebを使って拡げていきたい、という思いや願いを形にすべく、web作成というパスを受け止めてくれている。そして、本を持参くださった方は、僕が次にパスを出せるよう、ご自身が作り上げて来られた世界の一部を僕に託してくださる。某K先生には、研究面でとてつもなくお世話になりっぱなしで、最近自立支援法案関連の講演に出させて頂くこともあるが、いつも先生から学んだことを必ず織り込みながら、話をさせていただいている。こうやって、パスを受け止め、次に伝えていく、ということは、連綿としたパスのつなぎ合いの中から生まれてくる、継承物なのだ。どうころんだって僕一人で作れるものではない。こうやってつながれて来たものだから、それを学生さんにパスすると、真っ直ぐ受け止めて、走り出してくれる人が少しずつ、出てきた。これは僕の話がよかったから、ではない。ずっと受け継がれてきたパスの重みと大切さを実感してくれたから、である。これほど嬉しいことはない。僕にパスを投げてくださった、あるいは僕のパスを受け止め形にしてくださった全ての方に、恩返し出来る唯一の方法、それが次の誰かへのパスの継承だと思っている。

そういう意味では、大学で、高校で、市民講座で、福祉関係者の前で、いろんな機会でパスをするチャンスを与えて頂いていることに、感謝しなければ。と同時に、パスをする僕自身が、ちゃんと色んな場で適切にパスを出来る主体か、も問われている、とますます感じている。日々これ勉強、なにくそ勉強、しみじみ勉強・・・。そういえば、これは受験生時代の恩師T先生から受け継いだパスだったっけ。一つとして僕のオリジナリティなるものはない。でも、そうやってご縁のあった方々のオリジナルを引き継ぐ中で、タケバタなるものの独自性が構築されてきたとするならば、これほど嬉しいことはない。明日も1限から3コマのパスの場面が待っている。さて、どんな球を投げましょうか・・・。

ドグマと鯰

昔から、人に説明をするのは下手ではなかった。だが最近、それゆえに自身の話す内容の深さと拡がりの度合いについて、はたと考え込んでしまうことがある。

中学生の頃から、「どうしてこの先生はこんなにも説明がヘタなのだろう?」と疑問を持ちながら聞いていることが多かった。もっと、こういう言い方をしてくれたら、スッとわかるのに・・・。だから、わかりやすく伝えてくれようとしている先生の言うことは好きだったし、クラスメイトに何かを教える機会があったら、極力自分が感じ考えるわかりやすさ、を実践しようと試みてきた。自分が大学生になったとき、疑うことなく真っ先に始めたバイトは塾講師と家庭教師。なにせ、「わかりやすく伝える」という自分の得意なことを活かせて、それでお金が貰えるからである。以来一回りの期間、対象が小中学生から受験生、そして予備校生や大学生と変わっていきながらも、ずっと「わかりやすく伝える」という職業が自分の天職だと感じてきた。

実は受験英語を教えていた時には堂々と言えなかったのだが、僕の英語力はハッキリ言って低い。多分英語教師になりたくて努力され、プロとして第一線で活躍されている多くの方々に比べて、英語能力は格段に低いのではないか、と思われる。ボキャブラリーも貧困だし、時事ネタもフォローアップしていないし、会話力もなっていない、とも思う。それでも、なぜ曲がりなりにも受験生をずっと教えてこれたのか、そして一定程度の評判を得ていたのか、それは「わかりやすく伝える技術」が他の先生方より勝っていたからだろう。英語がわからない、と駆け込んでくる学生さんの、どこがどうわからないか、というわからなさと真正面から向き合い、わからない一番下のポイントまで戻って、そこからわかるように教えていく、というごく単純なノウハウを、教えられる立場だった中学生だったころから直感的に知っていた。だから、それを講師になった際に実行すれば、当然誰だってわかってくれる、ただそれだけなのだ。でも残念ながらそんな簡単な技術を身につけていない学校の先生が多すぎて、僕は10年間ほど、高校3年生の「わからなさ」と付き合い続けてきた。きっと、僕より絶対に英語能力は高い先生に教わったはずの学生さんでも、「わからなさ」を「わかる」に変える、その一点がそれらの先生方には出来てなかったので、僕はおかげさまで大学生から院生にかけて、食いっぱぐれることはなかった。つまり、英語を教える、というより、ある対象への向き合い方を教える、ということを僕は天職として続けてきたのかもしれない。その対象が、ある時期までは塾講として受験英語を教え、今は大学の専任で福祉を教え、と変わってきただけ、とも言える。

ただ、この二つの違いは、実はかなり大きい。受験英語は、英文法という体系があり、会話や発音などにも一定の規則性がある。それらの基本的な型をどう身体化した上で、未知の問題に慣れたパターンを当てはめていくか、ということが問われる分野だ。「ドラゴン桜」に出てくる川口先生の基本例文など、まさにその身体化すべき暗唱文だ。昔お世話になった竹岡先生がこのたびその例文を「ドラゴンイングリッシュ」として出版され、アマゾンなどでも売れに売れているようだが、基本例文をたたき込む、というのはまさに受験英語の王道である。(ちなみに僕が受験英語を教えるきっかけを作ってくださり、また僕の英語も鍛えてくださった恩師のT先生は、この竹岡本に相当貢献をされておられます。) 一方、今大学で教えている地域福祉やボランティア、NPOなどの分野には、「基本例文100選」なるものが体系だっては存在しない。だから、「わかりやすく伝える」ことが得意なタケバタであっても、「何を」伝えるのか、のその根幹の部分の選択の際に、大きく考え込んでしまうのだ。そこで、冒頭の「自身の教える内容」について、その是非のみならず扱う内容の深さや拡がりがシビアに問われてくる事態にただいま遭遇しているのである。

僕自身、体系的に地域福祉やボランティア・NPOを学んだ訳ではない。たまたま「日本の精神障害者のノーマライゼーション」という一つの小さな小さな縦穴を、無心にずっとずっと掘り進めていったら、ある時にそれが「開けた」ような気がした瞬間が訪れ、掘り当てたその地平に立って隣接領域の様々な理論・言説に改めて触れたとき、自分が掘ってきた軸との距離・位相と照らして、何となくマッピングをして眺めることが出来るようになっていた、というだけである。いわばGPSのように、対象物・対象概念と自分の核との距離の測定から、その対象の占める位置を予期できるようになり、その精度が少しずつ上がってきた、とでもいえようか。そう考えた時、学生の皆さんに伝えるべきなのは、このGPS的なマッピングの構図なのか、あるいは自分の核なのか? あるいはGPSを働かせる事によってつかまえることが出来た地域福祉論なりボランティア・NPO論の実態なのか。

もちろん普通に考えれば、地域福祉論を教えているのなら、地域福祉について教える、というのが、当たり前すぎる正解である。それに異論はないし、それは実践しているつもりだ。ただ、教える際に、自分がどの観点でその地域福祉なりボランティア・NPOを捉えているか、という立ち位置(自分の核となる部分)と、どういう測定方法で計っているのか、という方法論を伝えることなく、これらの分野を教えることは危険なのではないか、と感じている。受験英語と違い、地域福祉やボランティアは、180度違う観点から教えることが可能だ。端的に言えば、「必要だ」とも言えるし、「いらない」とも言える分野なのだ。では、どうして「必要」・「いらない」のか、を説明するには、その価値を支える体系なり、現代社会におけるマッピングなり、を伝えることなしに、これらのものを伝えることは出来ない。ただ、基本例文100選なる「ハズレのない骨格」がまだきちんと固まっていない新たなジャンルにおいて、何かを伝える際に描くマッピングは、あくまでもタケバタが自分の衛星(核)を通して掴んだマッピングや全体像である、という留保付きであることを何度も伝えないと、気づけばその内容はドグマ化してしまうのだ。そして、ドグマにならないように、これらのマッピングとその中での各内容の深さと拡がりを伝える、というのが恐ろしく難しい、と最近感じているのである。

ドグマは語り口や説明力で巧みに騙すことが出来る。僕も振り返って考えると、自身の不勉強を語り口で騙したつもりになった場面も、非常勤時代にはみられていた。だからこそ、この現場において、語り口や説明力で騙されない、基本例文にあたるようなホンモノの内容が問われている、と感じている。さて、その際の「ホンモノ」の「基本例文」とはいったい何なのか・・・。なにか、どじょうや鯰をつかまえる心境になってきた。

元気を出して

今朝もほったらかし温泉の露天風呂にいた。

昨晩は山梨に来て初めての、我が家でのお食事会。同僚お二方をお招きして、午前様までワイワイと歓談を続ける。奥さまの勤め先の近所のお肉屋ですき焼き用の肉を仕入れ、アペリティフにはスパークリング、そしてメインにはフルボディの赤ワインで、るんるんと盛り上がる。仕上げに県内産のグラッパまで出す頃には、もうトロントロン。色々しゃべって、大変楽しい会であった。Mさんからは美味しいどら焼きのおみやげまで頂く。今日、妻と共に堪能させて頂きました。ありがとね。

で、ワイン3本を3人で開けたので、よく考えたら一人一本の計算。当然、お客様をお見送りした直後、歯磨きだけかろうじてして眠り込んだので、朝起きたらギトギトべとべと。今日はオープンキャンパスで模擬講義の予定も入っていたので、このままではいかん、と一念発起!?して、朝から奥さまといそいそほったらかし温泉に出かけたのだ。今朝は時折小雨が降りながらも、富士山がバッチリ見えた。なみなみと注がれたお湯の向こう側には、すすきと富士山、そして甲府盆地が拡がる。何という雄大かつ豪華な借景。見とれているうちに、あっという間に一時間は過ぎていた。帰りにまた例のトマト屋で1週間分のトマトを仕入れ、いったんおうちに帰る。朝食後、スーツに着替え、大学に。

オープンキャンパスでは、30分で模擬講義をする。普段の3分の1の時間で、しかも受験を考えている高校生の皆さんに何をお伝えしようかな、と思案したあげく、普段の講義と趣向を変え、社会保障全般の話を、図解を元に皆さんと考える、というスタンスをとってみる。一昨日、パワポで作り込んだ資料だ。そして、せっかくの機会なので、大学における授業のエッセンスも伝える。100%をその場で理解する必要はない。自分の中で、問いが生まれるきっかけになればいい。○×で答えが決まっていない、現実の社会問題を扱う場合には特に、問題解決や課題構築能力が問われる。なので、答えを覚えるだけの暗記型勉強から、課題発見・方策思考型の考える練習を大学でしてほしい。そのために、視野狭窄にならずに、鳥の眼で全体のマッピングをしながら物事を考える訓練を続けてほしい・・・。お節介おばさんかもしれないが、若い皆さんへのメッセージは次から次へと出てくる。それと、社会保障の問題を絡めながら、マイクを皆さんにむけながら話していると、あっという間に30分は流れ去った。

ありがたかったのは、その後模擬面接をしていたとき、授業を聞いて興味を持ってくださった学生さんが何人か声をかけてくださったこと。3割4割しかわからなかったけど、興味が持てた。その言葉がすごく嬉しかった。僕の仕事は、ある意味で学生さんの中に「疑問」と「興味」を抱かせることである。すると、100%わかる話しかしない、というのではなく、「なんかようわからん部分もあるけど、めっちゃ興味があるし、もっとそのことについて知りたい」というモチベーションに火をつけることが出来れば、教員としての職務は全うできた、と思う。そういう意味では、手前味噌かもしれないが、昨日今日とお話しさせて頂いた高校生の皆さんの何人かに、「気になる」「知りたい」火をつけられたのかもしれない。もしそうだとしたら、そういう機会を与えて頂いたこと、そしてその場で話を出来たこと、に感謝したい、と素直に感じた。そして、模擬面接の場で真っ直ぐ僕に向かってくれる高校生の皆さんと出会って、改めて大学教員としての責任と自覚を痛感する。皆さんのこの真摯な姿に、授業を通して応えたい、そう思いを新たにした。

オープンキャンパス終了後、さすがに疲れておうちで一寝入り。汗をぐっしょりかいて1時間ほど眠ると、だいぶすっきりした。その後、ミュージックフェアをつけながら、昨日の宴の後かたづけにいそしむ。島谷ひとみや徳永英明が歌う竹内まりやの曲を口ずさみながら、30分近くかけて山ほど食器を洗う。こういう時に、スウェーデンのように大容量の食器洗い機があればなあ、と思ってしまう。でも、「元気を出して」など往年のヒットソングを大声で歌いながら食器を片づけていると、気分もすっきりしてくる。よく考えてみると、彼女の歌は不倫がテーマの曲も多い。でも、歌詞よりどちらかというと全体の流れで彼女の歌が好きなので、気にせず歌っている自分がいる。最近そういえばカラオケにも言っていないなぁ・・・。あと「元気を出して」のカバーで今日出てこなかったのは、最後のサビの部分のハーモニー。Impressionという竹内さんのアルバムでは、最後のコーラスを山下達郎と竹内、そして薬師丸ひろ子がハモっています。特に、その中でも薬師丸さんの部分が秀逸。今日のミュージックフェアではそこを省いていたのが残念。まあ、あれを再現するのは難しいかもしれないけれど。でも、妙にあの高音が懐かしく感じた。そういえばあのアルバムを借りたのが高校3年の時。そして、それから一回り年を重ねて、今日はその12年前の私、相手に講義なんぞしている自分がいた。改めて、年月がたったんだなぁ、としみじみ感じる。

食器を洗って、買い物に出かけたあと、我が家でささやかな宴。今日は奥さまのお誕生日なので、山梨の白ワインとキムチ炒めで乾杯する。改めて、この1年間の激動ぶりについて話が深まる。実のところ、昨年の10月15日には、山梨に引っ越す、なんて思いもよらなかった。改めて、一年間の様々なご縁や、激動の日々に思いを馳せる。そして、たった半年前まで奥さまの稼ぎで食べさせて頂いたことに深く感謝する。次の一年が、彼女にとってもっと幸せで、より充実した日々になることを、心から願うバタであった。

アウトプットの一日

昨日今日とはずっと、なんやかんやと作っていた。

明日が高校での模擬講義、明後日がオープンキャンパスでの模擬講義、なので、両方とも資料作成にまず追われる。ついでに27日の市民講座の〆切も重なっていたので、昨日からとりあえずレジュメを三種類作り上げる。最近すっかり図解にはまっているので、土曜はパワポで図解資料をたっぷり入れてみた。法科大学院の模擬法廷というめっちゃ立派な建物で行われるので、多少はパワポもかっしり作っておかないと、建物に負けてしまっては格好が悪い。その後もずっと引き続き、科研費関連の資料やら履歴書やら作っていた。

で、午後に入っていた予定が当日キャンセルになったので、午後はここぞ、とばかりに、来週のレジュメと格闘する。来週末から週明けにかけて神戸大阪韮崎、で自立支援法案関連の勉強に呼んで頂いたので、そろそろ真面目にレジュメを作らないとまずい時期なのだ。なので、昨日は目をしょぼしょぼさせながら、前回書いた276枚をとにかく眺めきった。利用者負担の減免などで新しいデータも出ていて、色々チェック。ついでに入所施設利用者の数も載っていて、改めてげんなり。知的障害者で10万人、身体障害者で4万人が入所施設にいる。それに精神病院入院患者34万人のうち、少なく見積もっても社会的入院は10~15万人はいるので、足して25~30万人以上の人が、未だに入所施設・精神病院に「社会的入所」しているのだ。一方、北欧諸国では入所施設はゼロ。精神病院だって日本の人口換算で7万人分しかない。民族、文化や考え方が違うといっても、この違いは一体なんなんだ。改めて、ため息が出る。25万人といえば、甲府市の人口20万より多いのだ。これらの人が、なぜ地域移行や退院促進の対象とならないのか? なぜ集団生活を続けなければならないのか? なぜ地域で自分らしい暮らしをする機会が阻まれているのか? では自立支援法における「自立」の「支援」とは一体なんなのか? ・・・本当に、様々な疑問が次から次へと浮かぶ。

そんな疑問やら憤りやらため息をついているうちに、神戸用に作ったパワーポイントが32枚に。これに10~20枚の資料をつけたら、2時間あっても話しきれるか不安な量だ。もっとポイントを絞ればいいのかもしれないが、関西のソーシャルワーカーの皆さんがわざわざ甲府の私を呼んで下さるのだから、手抜きもしたくないし、全力投球でお話をしたい。そんなことを考えていると、どんどん資料が増えて、まずくなってきた。

こうやってレジュメを作っているうちに、あっという間にお外は真っ暗に。もうじき学祭があるからなのか?、外では応援団の人が太鼓ドンドン、声を張り上げ練習されている。明日は高校では二回目となる模擬講義。高校2年生の皆さんに、先述の入所施設の構造的問題についてお話しする、というこゆい80分になりそうだ。でも、前回の高校でも、真っ直ぐな眼差しで、精一杯聞いて頂いた。今回はどんな出会いがあるか? 今から楽しみだ。ここ二日、パソコンを前にして格闘して目がショボショボ。なので、こんばんは美味しい魚で一献傾け、鋭気を養おう。というわけで、そろそろ研究室を退散します。