わたしたちの怒りが社会を変える

アメリカの障害者運動のリーダーで、後にアメリカ政府や世界銀行でも活躍したジュディス・ヒューマンの伝記『わたしが人間であるために 障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』(現代書館)を読む。そこには、差別され、排除されてきたがわだからこその悔しさと、絶対に諦めない不屈の精神が溢れている。そして、彼女の言葉はほんまもんの力強さで、読む人を揺さぶる。(彼女の語りはTEDでも見れる)

この本は、公民権運動から疎外されていると感じていた障害者達が、自らの市民としての権利を獲得するために、連邦政府ビルを占拠して激しい抗議活動を行いながら、政府高官や政治家と交渉を続け、障害者の権利を認めさせてきた、その闘いの内実や、そうせざるを得なかったジュディスの憤りがひしひし伝わってくるし、物語としてめちゃくちゃ面白いので、あっという間に読んでしまう。そして、障害者運動の歴史的意味に即した解説は、巻末に日本の障害者運動のリーダーのお一人、尾上浩二さんがバッチリ書いておられる。なので、ぼくは個人的に揺さぶられた部分をご紹介してみたい。

「 あなたのことを無視する時、相手は意図的に力を誇示している。相手は基本的にあなたが存在しないものとして振る舞う。そして、そう振る舞う理由は、それが可能だからだ。それをしても、自分の身には何も起こらないと思っているからだ。
無視は人々を沈黙させる。無視することで、意図的に和解や妥協を回避する。そして、自分が無視されても仕方がない存在だと感じさせることで、「自分は価値のない人間だ」 と言う最も嫌な恐怖心を植え付けるのだ。その結果、無視された間は、騒ぎを起こすか、黙殺される状況を受け入れるか、の二択を必然的に追い込まれてしまう。
もし、無視をする相手に対して立ち上がり、困らせるようなことをすれば、あなたは礼儀正しい言動の規範を破ったことになり、最終的にはもっと嫌な気分にさせられ、力を削がれ、おとしめられた気分にさせられるのがオチだ。」(p213)

彼女は障害を理由に学校への入学を拒否され、大学卒業後もニューヨーク市で教師になりたいと願うも障害を理由に拒否され、あるいは飛行機に乗るときに介助者がいないから搭乗拒否をされ・・・と様々な場面で拒否され続けてきた。それだけでなく、彼女や障害者運動の仲間達が、不公正な現状を変える法改正を訴えても、役人や政治家は彼女たちの発言を無視し続けてきた。そもそも普通高校に進学した折にも、彼女はふつうの同世代の友人として見なされていなかった。「基本的にあなたが存在しないものとして振る舞う」一般人と、ずっと出会い続けてきた。

でも、彼女は泣き寝入りしたり、自分の夢を諦めたりしない。「自分が無視されても仕方がない存在だと感じさせることで、「自分は価値のない人間だ」 と言う最も嫌な恐怖心を植え付ける」という構造をそのものを理解し、それはおかしい、許されるはずがない、と小さいときから感じていた。怒りに蓋をしなかった。だからこそ、「騒ぎを起こすか、黙殺される状況を受け入れるか、の二択を必然的に追い込まれてしまう」状況では、必ず彼女は声を挙げた。それは、彼女が「存在しないものとして振る舞う」一般社会に対する異議申し立てであり、おかしいものはおかしい、というごくまっとうな姿勢からであった。

とはいえ、彼女は最初から「礼儀正しい言動の規範を破」ることを平気でやってのける人物だったのではない。

「 成長するにつれ、私は2つの真実を経験した。私の母は闘士だった。同時に、母は父には従順だった。 自分の意見を通すためなら、当局に疑問を突きつけるためなら、自分のために立ち上がるためなら、なんでもしろと教えられてきた。同時に、私はいい子になるように育てられた。」(p235)

ジュディスの母は、彼女が学校に入れるように、教育委員会や近隣に働きかけることを惜しみなく続けてきた。その意味では、その当時の「障害のある子どもに普通教育は必要ない」という社会規範に異議申し立てをする闘士であった。その一方で、家の中では夫に従順である、という意味で、家父長制的価値規範には従順であった。これは、障害があることを理由にして人生を諦めるな、という意味で、「自分の意見を通すためなら、当局に疑問を突きつけるためなら、自分のために立ち上がるためなら、なんでもしろ」という闘士の精神である。その一方、家父長制的な価値規範の中で「いい子になるように育てられた」。

そして、ジュディスは障害のある女性、ということで、複合差別を受ける事になる。最近は交差性(intersectionality)という言い方もしているが、複数のアイデンティティ(障害者であることと、女性であること)の両方が重なる=交差する事によって、複合的な差別にあう、ということである。ジュディスの場合は、戦う障害者運動のリーダーとして、様々な異議申し立てをしてきた。だが、仲間とともに作った当事者組織(WID)の共同代表を降りることが求められ、男性リーダー(エド・ロバーツ)に一本化することが、彼女のいない理事会の場で決められてしまう。彼女は「でしゃばり」と言われたが、エドは「でしゃばり」とは言われなかった。(p237)

「本音を言えば、わたしはエドみたいに自分を前面に出したことはなかった。エドはそれを自然とやっていた。物事は動き、自分は歓迎されて当たり前だとエドは思っていた。特権はそこにあるものだった。でも、わたしにとって、それは働きかけて初めて得られるものだった。わたしの考え、わたしの存在そのものでさえ、受け入れられて当然だと感じたことは一度もなかった。意識していなくても、男性とは異なる振る舞いをするようになっていた。」(p235)

エド・ロバーツも、ジュディス・ヒューマンも、世界的に知られた障害者運動のリーダーである。そして、2人で共闘する中で、アメリカ社会での差別禁止の法制度を実現させていった。だが、この2人の間にも、男性と女性という違いゆえの、交差性問題が生じていた。ジュディスは主張することだけでなく、いい子になるよう育てられたゆえ、エドのように自分を前面に出す機会を逸して、それゆえ、共同代表の座から下されたのである。これは、障害者運動の中でも、男性の無自覚な特権性に基づき、女性障害者に「でしゃばり」とレッテルがはられる風潮が続いていたのである。

だが、ジュディスは、その自分の中の「いい子性」を、少しずつ脱ぎ捨てていった。「でしゃばり」と言われようと、怒ることをやめなかった。

「この怒りは間違っているのだろうか? 小さいときに教え込まれたように、これらは女性らしくない、自分勝手な振る舞いなのだろうか? わたしはそうは思わない。私たちの怒りは、根深い不平等によって焚き付けられた憤りだ。憤りに値する、数々の過ちがあったのだ。そして、その憤りがあったからこそ、私たちは現状に風穴を開けることができたのだ。」(p237-238)

これはアメリカの、カリフォルニアの、1970年代の障害者運動だけの課題ではない。日本のいま・ここにおいて、障害者運動だけでなく、女性差別や、様々な社会問題が放置されている中で、「根深い不平等によって焚き付けられた憤り」がTwitter上には溢れている。だが、ジュディスはそれを匿名で誰かに罵詈雑言を投げつけて終わるようなことはしなかった。そうではなくて、良い子の仮面を脱ぎ捨てて、あかんもんはあかん、と立ち上がり、実名で抗議活動に取り組み、実際に社会的な不平等を変えていき、現状に風穴を開けていった。彼女は怒りに蓋をしたりなかったことにして、「いい子のふり」をしなかった。そうではなくて、おかしいことはおかしい、と怒り続けることで、それを社会変革のパワーに変えて来たのである。

手前味噌であるが、今年出した拙著との共通点を思い出していた。『脱「いい子」のソーシャルワーク:反抑圧的な実践と理論』という共著を、この本と同じ現代書館でこの春出した。そのタイトルを考える際、反抑圧的実践を日本で伝えるために、どんなタイトルが良いかを著者チームで相談した際、「体制にとって都合のいい子」をやめよう、という意味で、「脱いい子」というタイトルをつけた。実は、福祉研究者の一部から、このタイトルにモヤモヤする、という声を仄聞していた。だが、今回ジュディスの伝記を読んで、改めてこのタイトルで良かったと思っている。障害者であれ支援者であれ、「でしゃばり」と言われたくないので、おかしいと思っても「いい子」の仮面を脱ぎ捨てられない人は多い。でも、本当に社会を変えたいなら、福祉用語で言えばソーシャルアクションに取り組みたいなならば、「いい子」でいること、というのが、自らにつけられた足枷であり、自己呪縛である、ということに気づく必要がある。先達のジュディスは、悔しい思いを重ねる中で、その悔しさが、複合的な差別要因を内面化し、自覚化できていなかったゆえのものである、と気づいた。その上で、それを言語化し、憤りを怒りとして表現し、社会に訴えかける事により、社会を変えてきた。あかんもんはあかん、と怒りを表明しても良いのである。それを地で証明してくれたのだ。

その彼女たちの怒りを、障害が現時点ではなくて、男性という特権を持っている僕が、どう理解できるか、受け止められるか。彼女たちの怒りの声に真摯に耳を傾けられるか。その上で、何ができるのか? そういうことが問われていると思うし、それが昨今の日本でも使われ始めたally(同盟者)に求められている課題なのだと思う。

そして、最後に翻訳についてひとこと。この本の訳者、曽田夏記さんは、次世代の障害者運動のリーダーのお一人である。その彼女が訳した文章は、実に読みやすい。実はぼくも原著を持っていて、でも曽田さんが訳されると聞いて「積ん読」だったのだが、今回翻訳を読み終えて、改めて原著をパラパラ拾い読みしてみた。どの部分もスッと頭に入ってくる。翻訳を読んでいるのだから当たり前だろう、と言われるかも知れないが、さにあらず。翻訳がひどいと、原著のテイストと全然違う場合が少なからずあるのだ。「え、こんなことを言いたかったんだ、意味がわからないのは翻訳のせいだったんだ」とがっかりすることも、数知れず。でも、この本の場合、原著のヴォイスが、そのものとして日本語に変えられている。それは、「障害のある仲間たちが日々の活動の中でわたしに聞かせてくれた経験や感情」(p326)を血肉化した曽田さんだからこそ、選び取ることができた表現だったのだ、とも感じられた。

そういう意味では、ジュディスやアメリカの障害者運動の息吹が、日本の障害者運動の息吹と交差するなかで、すぐれた翻訳作品としてできあがった傑作である。夏の読書のお供に、是非ともオススメする。少なくとも、障害者関連で読んだ本では、文句なく古典的名著になる一冊である。

処「法」箋の威力

青木志帆さんの新刊『相談支援の処「法」箋—福祉と法の連携でひらく10のケース』(現代書館)を読む。この本、法律の解説本でもあるのだが、そのジャンルのなかでは破格の読みやすさと、面白さ。それは、福祉現場の様々な「困難事例」に、法のアプローチならどう関われるか、を書いているからである。

青木さんは明石市役所に勤める弁護士で、社会福祉士で、ついでにいうとタニマーの活動もされている、魅力的でオモロイ人である。ぼくも以前から仲良くさせてもらっていて、2019年の年末に姫路の飲み屋で昼酒(コロナ危機では出来ないけど)をあおりながら、おしゃべりする中で、「こんな本を書いてみたい」と構想を伺い、めっちゃおもろいやんと、現代書館とお引き合わせをさせて頂いた。そして、出来てみたら、ほんまにオモロイ本で、ぼくもめちゃくちゃ勉強になった。

例えばケース7で出てくる「万引きを繰り返す高齢者」の話。青木さんは、福祉現場でソーシャルワーカー達と仕事を共にする弁護士、というニッチな立ち位置ゆえ、下記のようなエピソードが書ける。

「「なぜ悪いことをした人の支援をしなければならないのか」「私たちが支援をすることで、刑が軽くなるのはおかしいと思う」。
私が、法律相談を聞きながら更生支援をしていたときに、現場の専門職からよく聞いた意見である。私は、これはもっともなことだと思う。ただ、刑事手続きの登場人物たちが福祉的支援を求める目的は、「あるべき刑罰を軽くするため」ではない、ということはどうかわかってほしい。
たとえば、逮捕・拘留をきっかけに、その人の生活を困難にさせていること(障害、認知症、財産管理能力、親の介護と子育てのダブルケアなど)が外部に初めて明らかになることは実際多い。その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい。刑事手続きの関係者たちは、そうした思いで被疑者・被告人への福祉的支援を求めている。」(p133)

これは、法務省の視点だけでも、厚生労働省の視点だけでも、書けない文章である。そして、日本のお役所は一般的に縦割りであるがゆえ、省庁が違うと言語だけでなく価値前提も異なる。そのため、特にこのような罪を犯した障害者・認知症者のように、司法と福祉のどちらのアプローチも求められるけど、両者のアプローチがそもそもだいぶ異なる時に、この二つのアプローチをうまく接続させることは、そう簡単ではない。これは、現場でよく聞く話でもある。

そして、青木さんは、その両方の視点や内在的論理を知る、優れた通訳者的存在でもあるため、お互いの誤解を解くために、すごくわかりやすい例で解説してくれる。上記の場合なら、因果応報的な懲罰の論理に過度に囚われる福祉支援者に対して、「その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい」という論理をわかりやすく教えてくれる。そしてその背後にある「再犯防止推進法」の存在を挙げた上で、「なぜ更生支援を自治体でやらなければならないのか」も説く。そう、実はこれは福祉関係者と行政の間の価値観や認識のズレを埋める本でもあり、青木さんは市役所勤務ということもあって、自治体の論理と福祉・司法の論理の通訳もしてくれる。さすが、マルチタレント!

こういう認識のズレがなぜ生じるのか。青木さんはこんな風にも解説している。

「法律の世界は、原則として『合理的な判断能力のある人』をプレーヤーとして念頭に置いている。このため、福祉の当事者をめぐるケースマネジメントと法律とは、それほど相性が良くない。合理的な判断が難しい状況になる人に用意されている制度は、成年後見制度くらいしかない。医学的な意味で判断能力が低下している場合は成年後見制度を利用すればいい。でも、環境的要因のせいで『なんでそうなるのかなぁ』という選択をしてしまう当事者たちの場合、その困難を解決するのに法律は本当に使いづらい。
だからといって、『解決ニーズがないんじゃ仕方ないね』と権利救済を諦めてしまうのはいかがなものなのだろうか。すぐに分離できなくても、家計を立て直すのに時間がかかりそうでも、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という結論を支援方針の軸としてチームで共有することができれば、少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ。将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考えられたらよいと考えている。予防医学、予防法務的発想に近かもしれない。」(p187)

そう、福祉の分野でややこしいのは、意思決定支援が必要な状態にある人である。それは、「合理的な判断能力」なるものが、一時的であれ、部分的であれ、損なわれている状態にある人のことだ。その理由は千差万別。単に高齢者や障害者だから、だけでなく、そこに多重債務や虐待、DV、8050問題、あるいは周囲の差別的対応など、色々な問題が重なるなかで、「どうしてよいのかわからない」状態に追い込まれる。そういう時に、「福祉の当事者をめぐるケースマネジメント」が求められているのだが、青木さんはその状況は、「合理的な判断能力」を前提とした「法律とは、それほど相性が良くない」とも言う。

でも、この本の良いところは、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という方針を支援チームで立て、そこに法律家も協力することで、「少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ」と明快に述べる点である。そう、法は福祉的支援に万全ではないが、使えるものはトコトン使おうよ、とその使い方を教えてくれる、道先案内人なのである。事実、弁護士と一緒に仕事をするにはどうしたらよいか(ケース10)とか、債務整理の類型と具体的な違い(ケース2)とか、虐待防止法とDV防止法の使い勝手の違い(ケース6)とか、法学部で勉強するか、公務員試験を受けるとかしないとお目にかからないような知識を、本当にわかりやすく解説してくれていて、ぼくも勉強になる(前任校では法学部に13年勤めたけど、不勉強で知らないことだらけだった・・・)。

そして、こういう具体的な知識を福祉現場の人が身につけることによって、「将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考え」る、事前予防的なアプローチが取れるのである。さらに言うと、弁護士や司法書士クラスタの人は、この本を読むことにより、福祉現場の人が何に困って、法律クラスタの人と近づきにくいか、とか、福祉現場の支援者が大切にしている価値前提や、連携の際に躓きやすいポイントとはなにか、を知ることも出来る。行政職員であれば、これからの自治体行政において、福祉と法がどう連携してことに当たる必要があるか、を理解することもできる。

そういう意味では、一粒で何度も美味しい処「法」箋なのであった。

「企業災害」と「否認/再認」

東日本大震災から10年たって、やっと、原発問題に関する書籍をぼちぼち読み始めている。

正直言って、そのことを考えるとキャパオーバーになりそうで、原発関連の新聞記事やテレビ番組は、見ないようにしてきた。原発のような危険なエネルギーは論外だという想いと、その一方でクーラーや携帯、PCにZoomなど電力を使いまくっている自分。電力の必要性と原発の危険性などを考えると、単純に矛盾のるつぼに陥りそうで、他にも考えるべき事が多いから、と目を背けてきたのだ。

だが、きっかけは、昨年NHKで緒方正人さんのドキュメントを見て、その後『チッソは私であった』を読んだことだ(そのことはブログに書いた)。そして、先日にオンラインで開かれた「原発災害と社会的分断」というラウンドテーブルに発話者の一人として誘われた事がきっかけとなり、本棚に買ってはいたけど読めなかった原発関連の書籍を読み始めた。10年経った今なら、やっとそれらを読んで考えられるようになってきた。

一冊目は、森永ヒ素ミルク事件や水俣病などに医師として関わり続けた山田真さんの本である。

「森永ヒ素ミルク中毒事件は食品公害と呼ばれる。水俣病も公害と言われる。だが、公害という言葉は実はふさわしくないように思う。これらの事件は加害者がはっきりしていて、その加害者は企業なのだから、『企業災害』と表現すべきではないだろうか。東電福島原発の事故も、同じく企業災害の範疇に含まれるだろう。
企業の犯罪は、最初に被害を出しただけではなく、事後処理のレベルでも行われてきた。この事後処理における犯罪のくり返しが、ぼくを『何度も見た』という思いにさせるようだ。つまり加害企業が被害を隠蔽し、被害者を切り捨てることのくり返しである。」(山田真『水俣から福島へ 公害の経験を共有する』岩波書店、p4)

僕はその名前くらいしか知らなかった森永ヒ素ミルク事件は、ドライミルク生産工程で起こった、明らかに企業コストを下げるためのずさんな品質管理の中で起こった人災であり、「企業災害」である。そして、当時このドライミルクが流通していた岡山県内で「奇病」が発生している事は小児科医は気づいていた。どうも森永のドライミルクと関係があるらしい、とも気づいていた。だが、岡山大学の小児科は教授が、「もし森永ドライミルクが『奇病』の原因ではなかった場合森永に大変な迷惑をかけることになる。だから森永ドライミルクが原因でないかなどということを軽々しく口にすべきではない」と箝口令がしかれた(p15)。これが被害の蔓延につながったという。

さらに被害者への検診をする段階において「ヒ素中毒の影響と確認される病状はない」と判断することにより、被害が専門家によって認められない被害者が多く発生する。これは「異常ではない」と言わず、「ヒ素中毒と関係があるかは確定できない」から、被害対象の範囲外である、という対象範囲の極端な制限であり、被害者外しの論法である。そして、これは広島や長崎の原爆被害者に対する論法と全く同じだ、と筆者は述べている。数日前に「黒い雨訴訟」で広島高裁が被害者全員を認定せよ、という判決を下したが、戦後76年たっても、被害者範囲を限定した専門家や国の判断が、被害者を苦しめる構図は変わっていない。

この大企業と国が結託して、「企業災害」の範囲を限定し、被害者を極端に制限し、なるべく問題を矮小化する構図は、水俣病でも福島原発事故でも同じだ、という。さらに、この「企業災害」における被害者軽視に、医者や科学の専門家が加担し、国家や大企業の論理に迎合して、被害範囲をできる限り狭めたり、「直接の因果関係は確認出来ない」などと認定することで、問題がないかのように「お墨付き」を与える論理が生まれてきたのだ。

そのことについて、哲学者二人による論考は、アルチュセールの「否認」「再認」の概念を用いて、次のように整理する。

「アルチュセールはこのメカニズムを、イデオロギー的主体化=服従化のメカニズムと名付けている。これを私たちの文脈に当てはめるなら、国家と資本は、自らが経済的、軍事的な目的で構築した原発を維持し、発展させるために、諸主体に働きかけ、『原発は安全であり、事故を起こしてもその影響はほとんどない』という『イデオロギー的再認/否認』のメカニズムに従って諸主体の認識を構成しようとする、ということになる。私たちが『安全』イデオロギーと呼ぶのは、原発の安全性と原発事故の影響に関わる、このような『イデオロギー的再認/否認』のメカニズムの総体である。」(佐藤嘉幸・田口卓臣『脱原発の哲学』人文書院、p94)

「原発は安全だ、アンダーコントロールだ」というのは、事実確認的発言ではなく、そういうものだと自分に思い込ませる意味では、行為遂行的発言である。そして、ある種の価値観を「再認」し、別の価値観を「否認」するために、そのような発言を繰り返すことは、確かに「『イデオロギー的再認/否認』のメカニズム」である。さらにいえば、国家がそのような『イデオロギー的再認/否認』の言説をくり返しながら、人々を一定の方向に導く、という論理構造こそ、まさに「イデオロギー的主体化=服従化のメカニズム」である。

これは、まさにコロナ危機の2020年から2021年夏において、ずっと僕たちが垣間見たことではなかっただろうか。突然の学校休校に始まり、GoToキャンペーンやオリンピックの延期や開催に向けた朝令暮改、そしてワクチン接種の加速化と失速化、など、様々な問題が起こるたびに、「安全神話」がどんどん揺らいでいく。まさに行為遂行的発言の恣意性が暴露され、統治メカニズムとしての「イデオロギー的再認/否認」の暴力が可視化され、人々がそれに翻弄されているプロセスのように思えてならない。

「彼らが、事故の危険性に関する様々な指摘をイデオロギー的に再認/否認するのは、そのような危険性を否認しなければ、内部に巨大なエネルギーと膨大な放射性物質を内包する点において極めて危険な、原発というシステムを運用することが不可能になってしまうからだ。そして、こうしたイデオロギー的再認/否認のメカニズムは、私たちの『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズムと共振して、互いに強化し合う。従って、イデオロギー的再認/否認の悪循環から抜け出すためには、過酷事故の可能性を直視して、原発を廃止するという決断を下す以外に方法はないのである。」(p158-159)

僕自身にも「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」が働いていた。それは、原発事故の後も、そうだ。2011年3月、毎日テレビとツイッターに釘付けになって動けなくなっていた僕は、当時の枝野官房長官がくり返し述べていた「直ちに健康に影響はない」というフレーズを、「信じたい」と思っていた。それは、広島や長崎の原爆被害者の事を想起すれば、あるいはチェルノブイリの事を考えたら、「直ちに影響はあるはず」なのだけれど、「まさか」そんなはずはないと思い込みたかったし、それは佐藤さんと田口さんの指摘する、「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」そのものだった。

そして、国民の側の被害があって欲しくない、という「否認のメカニズム」は、企業災害を起こした側やそれを管理する国側の、統治機構の「否認のメカニズム」と軌を一にする。「まさか水俣の奇病とチッソが関係しているはずはない」「寒村に一大産業をもたらした足尾銅山が公害を起こすはずはない」・・・などという「否認」および、貧しいこの地域が生き残るには原発(工場、鉱山)と共に生きるしかない、という「再認」のメカニズム。そこに電源三法交付金などの国家による「買収」=アメが結びついていると、「この利益誘導のシステムはいわば、経済的権力によって地方を麻薬中毒患者のように原発に依存させ、その依存から抜け出せないように服従化し続けるものなのである。」(p200)

その上で、以下の表記は、コロナ危機にある現状の構造を見事に射貫いているようにも思える。

「官僚機構は、政権がいかに交代しようとも、また、どれほどカタストロフィックな原発事故が起きようとも、一貫して従来通りの政策を実行しようとする。原子力国家とその官僚機構の本質的性格とは、『何が起きようとも自らの前提、原理を決して変えない』という極めて硬直的なものである。」(p447)

この硬直性は、コロナ危機における政府や政権の対応のまずさにも表れている。今に始まった問題ではない。結局、明治以来の官僚機構の一貫性は、平時には日本型統治の良い部分にもつながっていたが、グローバル化してDX化している21世紀においては、その一貫性や前例踏襲主義は、全く役立たないどころか、弊害になっている。それは、未だに保健所からFAXで連絡させることとか、海外から帰国した人への検疫体制のアナログ的展開とか、あるいは大阪市に代表されるパソナへの外部委託問題とか、色々なところで露呈している。

それらの個別事情を、「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」と補助線をつけたうえで、僕たち市民の一人ひとりに、その「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」が内面化されていないか、を批判的に問い直す事が改めて必要なのだと思う。

ぼくは最初の単著、『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)を書いたのは、2011年の震災後のショックからだった。2012年の春に論文を書いたのがきっかけになり、深尾先生と安冨先生にお声がけ頂き、3ヶ月ほどで一気呵成に書き上げた。

あのときは、今から思えば、あの本で問い直したかった枠組みとは、福祉に関する「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」だったのではないか、と思っている。そして、それを問い直す中で、原発問題や沖縄米軍基地問題の膠着性にも、この枠組み問題があるという事には気づいていた。だが、編集者から「その辺りをもう少し深く書いてみませんか?」と言われても、その時にはどう書いてよいかわからず、放置していた。

それからまもなく10年が経つ。そして遅まきながら、日本社会に蔓延する、福祉以外の「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」との共通性というか、同根性のようにも、目を向けるようになってきた。それは僕自身の「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」と向き合う事であり、緒方さんの言葉を借りれば、「チッソは私であった」とはなにか、を自分に問い直すことでもある。やっと、そんな地平に経ち始めたのかも、しれない。

そろそろ、あの本の続編を書くべき時期なのかも、しれない。